町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

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女にモテるコツ

 女にモテたいわけね。
 オレがひとつ教えてやろう。
 え、若いけど薄毛だって? そんなの関係ねぇ!

 まぁ、大変だね。
 今の時代はさぁ、男でも女でも 「モテ」 がキーワードだもんね。
 若い娘向け女性誌でもさぁ、「モテメイク」、「モテファッション」 は必ず特集のトップだからな。
 モテれば勝ち組み、モテないと負け組み。
 そういう風潮だよね。

 でもオレ、そういうマスコミが強要する 「モテ」 強迫キャンペーンに、本当は疲れて果てて、どうでもいいや…と思う娘もいっぱいいると思うな。
 でも、今の時代 「モテ」 に乗り遅れると、「廃人」 と同一視されちゃうからな。みんな必死だよ。
 ご苦労様。
 
 まぁ、もちろん、モテるにこしたことはないって。
 男だって、どうしたら 「モテ」 状態になれるか、そっちの方が、勉強ができたり会社で上司に認められることなんかより、よっぽど切実だったりする時があるもんなぁ。

 だけど、言っとくけど、「モテ」 って、モノからは生まれないって。

 昔、「金さえあれば女の愛も買える」 って豪語した若い社長さんもいたけれど、それは、金で買える愛しか知らない人の話であってね、その人は、いわゆる 「モテ」 から最も遠いところにいたんだね。
 専用自家用ジェット機で、セレブしか来れないリゾートホテルに女を連れて行ったって、世の中には、そんなことなーんにも面白くないって思う女だっていっぱいいるんだしさ。

 女にモテる条件として、金で買えるモノしか思い浮かばない男は、「モテ」 とはやっぱり遠いところにいるしかないさ。
 
 女にモテるってのは、カッコつけじゃないんだぜ。
 ワイシャツの下に下着を着ない方がセクシーに思われるとかさ、そんなことをくどくど説いていたオヤジがいたけれど、何考えてんだか…って感じよ。

 昔から、女にモテる秘訣はひとつしかないんだ。
 女の話を最後まで聞いてやることさ。
 ハリウッドのモテ男の代表選手であるリチャード・ギア先生も、そう言っている。

シャルウィダンス1
 ▲ ハリウッドのモテオヤジを代表するギア先生

 ただ、何でも聞いてやればいいってわけじゃないんだぜ。
 相手がしゃべりたいことをうまくつかむ要領が必要なんだ。
 つまり、相手に心地よくしゃべせるように仕向けるわけだね。

 しゃべっている人間にとって何が心地いいのか。
 そのひとつは、グチを聞いてもらうことさ。
 これは古今東西共通しているな。
 
 グチを聞いてやるって、けっこう大変だよ、これは…。
 でも、まぁその点は人類共通のパターンってものがあるから、そいつを見つければ、そんなに心配することはない。
 
 グチの大半は人間関係だ。
 特に、「自分が余計モノになってしまった」 という寂しさからくるグチが多いな。

 自分は善意で言い出したことなのに…相手にうるさがられた。
 そういうのって、けっこうあるだろ?

 相手のことを思って一言アドバイスしただけなのに、
 「私たち夫婦には、今の時代にあった新しい育児教育が必要なんです!」
 なんて、ビシっと返されたりすると、誰でもめげるよな。
 もし女が、そんなことでめげているようだったら、そこをつかまえて、一気に全面突破だ。

 「今の時代こそ、あなたの知恵が必要なんですよ。知恵はテレビからは授かれない。
 生きた人間の知恵が必要なんです。
 日本の文化が衰弱してきたのも、そういうあなた方が若い頃から培ってきた人間としての知恵をないがしろにしてきたからなんですよ」
 
 まぁ、そう言って相手の自尊心を少しずつ取り戻させてやることだな。

 あと、歌を一緒に唄うなんてのもいいよ。
 女にモテようと思ったら、歌は大事だ。

 「サンフランシスコのチャイナタウン」 とか 「野崎小唄」 なんてのもいいけれど、無難なのは小学唱歌だな。
 「…うさぎ追いしあの山…」 とかね。
 「…秋の夕日に照る山もみじ…」 とかね。
 そういう歌を知っているってだけで、あんたの株も一気に上がろうというもんだ。

 「空襲のとき、どうやってしのいでいましたか?」
 なんて、聞いてやるのもいいよ。
 「終戦になって玉音放送を聞いたときは、どんな気分でしたか?」 
 …なんてね。

 え?
 女にモテる話だよ。
 勘違いしてるって?
 別に 「若い女」 なんて、オレひと言もいってないぜ。


日記&ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 20:49 | コメント(1) | トラックバック(0)

広報誌のテーマ

 日本RV協会 (JRVA) さんが発行する広報誌 『くるま旅』 の編集を手伝わせてもらうようになって4年になる。
 来年は5号目が出る。
 今日、その5号目の内容をどうするかというプレゼンテーションを行ってきた。

くるま旅2号表紙 くるま旅3号表紙

 協会の広報部長さんと相談して、この9月に開かれる 「RV世界会議」 をテーマに採り上げることだけは決まっていた。

 この会議の話は、ネタとしては大きい。
 なにしろ、キャンピングカー先進地帯といわれるアメリカとヨーロッパでさえ、その両エリアの代表がキャンピングカーをテーマに国際会議を持つことなど、今まで一度もなかったのだ。
 その会議の場に、日本のRV事業者たちも招かれたわけだから、それだけでも話題性は十分ある。

 だけど、会議でどんな話し合いが行われたか…というレポートを広報誌に載せたところで、日本の読者には面白くない。
 たとえ、諸外国のキャンピングカー事情を生々しく浮き彫りにしたとしても、 「それって、日本とは違う国の話じゃん」
 と一言いわれてしまえば、終わりとなる。

 テーマが 「RV世界会議」 であったとしても、その切り口をどうするか。
 一晩考え込んでしまった。

 「RV世界会議」 そのものは、やはりメーカー同士の情報交換がメインとなる。
 グローバル経済が進展していくなかで、RV業界がそれに歩調を合わせるためにはどう市場をコントロールしていけばいいのか。そういうことが議題の中心となるだろう。

 当然、参加した国々の規制や税制の違い、市場動向の特徴などが参加国首脳陣の大きな関心事になる。
 会議で各代表が発表する基調報告では、そういうデータを事前にまとめておくというようにという指示があったそうだから、いってしまえば商品流通をスムースにさせるための会議なのだろう。

 また、彼らには、国家間を超えたところでパーツの共通化、合理化できる部分をさぐり合い、生産効率を高めようという意図もあるだろう。
 すでにEU諸国のRVメーカーはそのようなグローバル化を進めてきているが、いよいよそれが、大西洋を超えたアメリカとヨーロッパの間でも始まり、さらに日本、中国、オーストラリアというアジア・パシフィック圏内まで巻き込んだ形で進められようとしているのだと思う。

 また、世界的な原油高騰への対応や、地球規模の議題となっているFRPなどの廃棄処分の問題も大きな関心事になっているはず。
 マーケットがグローバル化すると同時に、そのような解決課題もグローバル化してきているわけだから、各国のRV業界も、お互いに連携することの大切さに気づいてきたのだろうと思う。

 だけど、そのような会議の背景を解説することは、広報誌の使命とは違う。

 広報誌というのは、発行元のメッセージを読者に理解してもらうためのものであり、発行元の “姿勢” に共感してもらうためのものである。
 そのためには、まず何よりも読者が身近に感じられるテーマが掲げられていなければならない。

 結局、「世界会議」 を扱いながらも、それを日本のキャンピングカーユーザーたちの問題に置き換えなければならないだろうな…と考えた。

 世界のキャンピングカーユーザーたちと、日本のユーザーたちはどう違うのか?
 泊まるところや遊び方では、どういう違いがあるのか?

 そういう違いを明らかにして、日本人のキャンピングカーライフを豊かなものにするというツボは外せない。

 世界会議では各国のマーケットを報告しあうわけだから、当然消費者たちの実態も明らかになるだろう。
 そのデータを利用して、日本と諸外国のキャンピングカーライフの比較はできないものか。

 もちろん、今までもキャンピングカー先進国である欧米ユーザーのRVライフを紹介した記事がマスコミで採り上げられたことはたくさんあった。
 しかし、それらの報道は、基本的に 「うらやましい~」 基調であった。

 たとえば、
 ・海外のユーザーは長期休暇が取れる。
 ・RVパークのような、キャンピングカー専用宿泊施設が整っている。
 ・ヨーロッパなどでは、自分のキャンピングカーに乗ったまま国を超えた観光旅行ができる…等々。

 しかし、欧米の使用環境ばかりうらやましがっても、日本で暮らすキャンピングカーユーザーは別に面白くもない。
 そこで、次号の広報誌では、「日本のキャンピングカーライフには、日本ならではの楽しさも面白さもある」 という視点を打ち出したいと思った。

 幸い、個人的に良い体験をした。
 この6月に行なった、レンタルモーターホームによるアメリカのRVパーク巡りである。

 アメリカのRVパークは、確かにグランドキャニオンやモニュメントバレーのような観光地の周辺にしっかりと整備されていて、キャンピングカーで観光するにはとても便利である。

 しかし、逆にいうと、その場所の観光しかできない。
 融通が利かない。

 それに比べると、日本のキャンプ場というのは、日本の狭い国土を反映して、湖や山や川がギュっと詰まったような場所に設けられている。つまり一ヵ所のキャンプ場でもいろいろな遊びができるわけだ。

 仮に、そこのキャンプ場で遊べるものがひとつだけでも、少し足を伸ばせば、すぐ川遊び、登山、釣り…なんでもできる。

 日本のキャンピングカーユーザーがキャンプ場に行かない理由のひとつとして掲げるもののうち、
 「日本のキャンプ場はアクセスの悪い場所に設けられていることが多く、宿泊場所としては効率が悪い。だから日本一周を目指すような旅には向かない」
 というものがある。

 こういう考え方は、何もない荒野を400~500km走らないと次の町にたどり着けないアメリカを走ってみて分かったことだが、贅沢すぎる考え方だ。

 向こうに行ってみて感じたことは、日本のユーザーはすごく恵まれた使用環境のなかでキャンピングカーを使っているということだった。

 ・日本には、自然環境の豊かなキャンプ場が豊富だ (山、川、海、湖が近い) 。
 ・自然の中でくつろぎながらも、少し走ればどこにでもスーパー、コンビニ、ファミレスがある。
 ・世界でもまれにみる温泉大国である。

 こんなに環境的に恵まれた国は、そう簡単にあるものではない。
 そういうことは、逆に海外の情報を得ることによって、はじめて理解できる。
 だから、今回の 「RV世界会議」 で得られた情報は、そういうことを比較するための材料として使おうと思っている。

 問題は、これだけ恵まれているにもかかわらず、日本人のユーザーはそれをあまり自覚していないことだ。
 むしろ、「不満だ」 と口にする人たちの方が多い。

 何が不満なのだろう。

 これは誤解を生むような表現になるから、慎重に言わねばならないことかもしれないが、日本のユーザーは 「モノに頼りすぎる」 …と思う。

 暑い? ならエアコンだ。
 エアコンを使うなら発電機、АC電源…という発想に短絡する。

 今回 『キャンピングカー白書2008』 をまとめていると、そういう 「モノ志向」 が強すぎるように感じた。
 たとえば、湯YOUパークのパートナーに望むものとして、真っ先に上がってくるのは 「電源の供給」 だった。

 そういう 「モノ」 で快適さを得ていこうとする思考だけが中心になってくると、それ以上のものの価値が見えなくなってくる。

 例えば、夏の暑さと湿気がつらいからといって、それをエアコンで解決しようという発想しかないと、日陰のキャンプサイトを選んで、そこで網戸を開けて自然の風を車内に入れて、芝生の上に落ちる木漏れ日を楽しもうなどというセンシティブな感受性が乏しくなってくる。

 こういうことに関しては、欧米人ユーザーはやはり優れた感性を持っている。

 向こうのRVパークなどにいくと、立派なモーターホームの持ち主が、当然エアコンも完備しているはずなのに、オーニングを出して、外で風を浴びながら読書をしたりしている。

 これは見習おうと思う。
 現に、私のキャンピングカーにもルーフエアコンは搭載されているし、電源や発電機を使えば、涼風の恩恵に与れる。
 でも、短絡的にそれを実行に移す前に、エアコンを回さずとも過ごせるような涼しい木陰のある場所はどこか、まず探してみる。

 そういうことを考えることは、エコロジーなどという言葉を持ち出す前に、自然の息吹を身体で感じるセンサーを磨くことにつながる。

 海外との比較で、日本の環境の良さを再認識することもできるし、逆に学ばなければいけないこともたくさんある。

 来年のRV協会さんの広報誌には、そんなテーマを盛り込んでいきたいと思っている。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 19:39 | コメント(3) | トラックバック(0)

タレント宣言

【町田】 いつのことになるか分からないけど、もし自分でキャンピングカー関係のエッセイを出すことになったなら、もうタイトルは決まっているのよ。 『無敵のキャンピングカー野郎』 。

【ネコ】 「野郎」 って…誰のこと?
【町田】 オレのことじゃい。
【ネコ】 「無敵」 ってどういう意味?
 
【町田】 敵なしなんだ! つまりライバルはいない! オレを倒すものはいない! キャンピングカージャーナリズム史上最強にして最高のライター!
 そういう意味だな。

 表紙の写真は、顔のどアップでいく。ナベアツの表情でね。
 ヘアスタイルは鼠先輩でいこ思ってる。
 衣裳は日の丸のハチ巻きに、ハッピ姿。
 背景はアメリカの星条旗カラーでペイントされたオレのコマンダー。

【ネコ】 それってキワモノ企画じゃん…。本屋のどこに置いてもらうの。
【町田】 タレント本のコーナーじゃい!

【ネコ】 だってあそこにあるのは、みんなタレントが書いた本だよ。
【町田】 オレもタレントになればいいんじゃ。

【ネコ】 どんなタレントを目指しているわけ?
【町田】 やっぱ剣さんでしょ! クレイジーケンバンドの剣さん。
 オレにとってはサイコーに憧れの人よ。
 だから、表紙の雰囲気もさぁ、Ken Band のジャケ風でね。

t クレイジーケンsoulpunch

ケンバンドジャケ1 ケンバンドジャケ2

【ネコ】 肝心の本の中身だけど…
【町田】 六本木で失敗したナンパの話、池袋のオカマバーの話、飲み屋のママさんの口説き方、愛人のいる男の見分け方とかね。

ケンバンドジャケ5

【ネコ】 どこがキャンピングカーなのよ。
【町田】 そういう第一弾がウケたら、2冊目から…。

【ネコ】 ……あほらし……

剣さんレビュー 「虎と竜」



PS 本日の記事に、福島淳一さんからコメントをいただきました。埼玉県のキャンピングカー販売店 「キャンピングカーステーション東松山 (RVビックフット社) 」 に勤められている方です。
 この人の話はホントに面白いの! このブログでも一度記事にしたことがあります
  ↓
 「ウルルン紀行」

 福島さんご自身の記事も読める 「キャンピングカーステーション」 のブログを、皆様もぜひ。
  http://rvccsblog.shinobi.jp
日記&ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 21:07 | コメント(4) | トラックバック(0)

日本型RVの文化

 先だって紹介した藤正巌さんの 『キャンピングカーで悠々セカンドライフ』 という本には、鴨長明の書いた 『方丈記』 の話が出てくる。

キャンピングカーで悠々セカンドライフ表紙

 1208年、鴨長明は世の中の日常生活に疲れて、京都郊外の庵 (いおり) を建てて隠遁生活を始める。
 その庵に閉じこもって、日々浮かびゆく想念を書き綴ったのが、『方丈記』 だ。

 書斎となった庵の寸法は1丈4尺 (約3m四方) 。
 まぁ、タタミ2畳分。

 なんと平均的な国産キャンピングカーの居住面積とほぼ同じ。

 藤正さんの書くところによると、この庵は、住んでいる場所に飽きたときは畳んで車に積んで運ぶこともできたのだという。

 「キャンピングカーの走りだ」
 と、藤正さんは書く。

 日本人は、もともと狭い空間に小宇宙を形づくることがうまい。
 茶室などという発想もそのひとつ。

 信長、秀吉の時代に、千利休が完成させた茶室形式は、主人と客人だけで構成される小宇宙だった。

 そこに入ると、身分的な上下関係も、富の多寡も 「無」 に帰る。
 主人と客は、それぞれ人間の原点に帰って、一服の茶だけを楽しむ。
 そのときに振る舞われる茶碗一杯の茶は、絢爛豪華に食卓を彩るどんなご馳走よりも格が上だった。

 こういう洗練された空間というのは、どうも海外では発展して来なかったらしい。

 日本人のキャンピングカーづくりというのは、こういう庵や茶室の文化を反映したものだ、と言った人がいた。

 たとえば、軽自動車キャンピングカーなどというのは、まさにその庵・茶室文化の極地。
 軽キャンカーでは、あんなに小さい空間の中に、人間の心を解放する途方もない “広さ” が生み出されている。
 それは日本人でなければ演出できないマジックショーでもある。


 日本庭園にも、庵・茶室文化に通じる文化が反映されている。
 そこには、小さいながらも川があり、山があり、滝があり、森や林がある。
 つまり大自然の凝縮版なのだ。

金閣寺

 いわば、日本人が感じた 「大宇宙」 が、日本庭園という狭い空間のなかに息づいている。

 これを、たとえば、ベルサイユ宮殿の庭園などと比較してみれば文化の差が理解できる。
 ベルサイユ宮殿では、建物も、植栽も見事にシンメトリー (左右対称) に配置された幾何学的な庭園が広がっている。
 地平線のかなたまで続くように見える並木は、見事なまでに、高さも枝振りも均一に刈り込まれている。

ベルサイユ宮殿の庭

 それは、自然をねじ伏せて人間にひざまづかせることを覚えたヨーロッパ人たちの 「勝利宣言」 を謳いあげた庭だ。
 しかし、人類の英知や偉大さをその庭園から読みとることはできても、自然の鼓動を聞くことはできない。

 それに対して、日本人は手つかずの 「大自然」 を庭園に再現する。
 そして、その限られたささやかな空間を使って、逆に 「大宇宙の広がり」 を暗示させる。

 ここに、欧米人が日本文化をミステリアスに感じるという、その秘密が隠されている。

 盆栽という日本の植栽芸術がある。
 日本人の多くは、あれを 「お爺さんの趣味」 と軽くあしらう傾向があるが、あの盆栽も、どうやら欧米人が見るとミステリアスに感じられるらしい。

 枝振りも見事に成長した大木が、手で持ち上げられるぐらいの小さなお盆の上で呼吸している。
 遠近感が狂うらしい。

盆栽

 樹木は、いろいろな民族の神話のなかで、よく 「世界」 を象徴するものとして登場する。
 「世界樹」 という言葉があるが、一本の木が世界そのものを意味するものとして、多くの民族の記憶の古層に沈殿している。

 盆栽はその 「世界樹」 なのだ。

世界樹

 海外の人たちは、日本の盆栽を見て、自分たちの記憶の古層に眠っていた 「世界樹」 を思い出す。

 「大宇宙」 を極小の世界に封じ込める日本人。

 そういう日本人の感性は、彼らからすれば、なんとミステリアスで、ファンタジックなことか。

 日本のキャンピングカーには、そういう日本文化の真髄が宿っている。

 この秋、世界のキャンピングカー業者が集まるという 「RV世界会議」 がドイツで開かれる。
 日本のキャンピングカーに息づいている日本の文化を、海外の人に知ってもらうよいチャンスだと思う。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 23:41 | コメント(6) | トラックバック(0)

分かりやすい文章

 文章を書くというのは、いたく気が滅入る作業だ。
 とりかかる前に、気合いがいる。

 ブログのように、自分の身体 (からだ) が保っている “リズム” のままに書く文章は別だが、事務的な報告書に近い文体のものを書くときは、その淡々としたリズムに身体が乗っていくまで、様々な 「儀式」 が必要になる。

 お茶を飲む。
 首を回してみる。
 ネットで、ちょっと気になった用語を検索する。
 耳かきでで、耳掃除をする。
 爪を切る。

 だらだらと無意味な作業を繰り返しつつ、気合いが身体に満ちていくのを待つ。

 かくして、会社に着いてパソコンを開いてから、およそ1時間は何もしない時間が過ぎていく。
 給料泥棒のようなものだ。

デスク1

 文章を書くとき、いちばん大事なことは 「分かりやすい」 ことだと思う。

 プロの物書きが書いた文章を読むと、
 「あ、オレだったらこういう言葉でお茶を濁しちゃうのに、こんな言葉を使ってらぁ…」
 と感心することがある。

 とにかく、難しい内容をやさしく表現する言葉を、彼らはたくさんストックしている。

 漢語を平仮名に代えるというようなことではない。
 今の時代を生きる大半の人々が共通のイメージを抱けるような言葉を探す感性。
 プロはそういう言葉を探し出す感覚に長けている。

 時として、それがあまり耳慣れない難しい漢語であっても、ふと気づくと、すでに新聞や週刊誌に頻繁に出てくる言葉だったりする。
 そういう漢語は、古めかしいように見えても、外来語まんまのカタカナ言葉以上のパワーを秘めている。
 そういう漢語を見つけ出す嗅覚を持つことも、プロには必要なことなのだろう。

 そもそも、漢語は 「場所」 を取らない。
 限られた文字スペースの中で伝えたい言葉をたくさん表現しなければならないときは、漢語に頼るしかない。

 「バラエティ」 を学芸会、「ワイドショー」 を紙芝居、 「コメンテーター」 をお調子者などと言い換えれば、それぞれ2~3文字程度の省スペースが実現できる。
 漢語は、実にエコロジカルな言葉なのだ。

 これと正反対の言葉が、スタグフレーション、イノベーション、バランスシート、ラップアカウントサービス、インセンティブ…とかいった舌を噛みそうなカタカナ言葉。
 こういう言葉だけで原稿を埋めているライターというのは、省資源的な要請からもっとも遠い位置にいる物書きだ。

 同じように、2字ぐらいで収まる漢語を、わざわざ5文字ぐらの平仮名言葉に直してトクトクとしている連中がいる。
 漢語を平仮名言葉に置き換えれば読みやすいと錯覚しているような (官公庁的な) 文章は、逆に古臭くて、何を言いたいのかも分からないことが多い。

 言葉は生きている。

 だから時には流行語も大事。
 特に、ブログのように 「速報性が命」 というような読み物の場合は、「明日には価値が半減する」 というスピード感を出すためにも、流行り言葉の使い捨て感覚を生かした方が生き生きとしてくる。

 結局、「分かりやすい」 ということは、時代の空気を身体が吸っているかどうかということに関わってくる。

 政治家の書く文章や演説が分かりにくいのは、彼らが、時代の空気を身体で吸っていないからだ。

 「昨今の逼迫した経済状況を鑑みるならば、国民的合意が自然発生的に形成されうるという楽観的な観測を唾棄すべきものと肝に銘じ、鋭意、国民の先頭に立って火中の栗を拾うかのごとく勇猛なる熱意を奮い立たせ、断固たる不退転の意志を胸に納め、猪突猛進する獅子のごとく、これに当たらなければならないと深く決意する次第でございます」

 こんな答弁なんか、誰も聞かない。誰も読まないって。

 で、今やっている仕事が、ともすればこの政治家答弁になりそうな文章で記事をまとめる作業なんだけど、こいつを (そういう文体の風格を維持しながら) いかに、分かりやすく、面白く書くか。
 これに頭をひねらせている。

 難しい。
 でも、「気合い」 が入ってくると、めちゃ面白い。

 …って、ここまで書いたら、突然気合いが入ってきた!

 で、このブログ原稿は、ちょっとファイルに保存して、後でコピペでアップ。
 それでは、仕事に復帰します!


日記&ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:26 | コメント(4) | トラックバック(0)

初心者向け新刊書

 キャンピングカーをテーマにした初心者向けの新刊書が相次いで刊行されるようになった。
 大手出版社も、「この分野にマーケットあり」 と読むようになったのかもしれない。
 このたび出された本は文藝春秋社から。
 タイトルは 『キャンピングカーで悠々セカンドライフ』 。

キャンピングカーで悠々セカンドライフ表紙

 著者は、『ウェルカム・人口減少社会』 や 『人口減少社会の設計』 (共著) などの執筆者として知られる藤正巌 (ふじまさ・いわお) さん。
 人工心臓、生体の赤外線計測など医用先進技術の研究を続けてこられた方で、通産省、厚生省などの国家的プロジェクトにも参画された科学者だ。
 1937年生まれ。現在71歳。
 キャンピングカーを買われたのは5年ほど前だという。

 藤正さんは、ある日奥さんから 「犬を乗せて寝泊まりするクルマを買いましょう」 と提案されたことをきっかけにキャンピングカーに興味を持つようになる。
 この本は、その藤正さんが、キャンピングカーを買って、使って、感心して、自分流の使い方を編み出していくまでの “体験記” を綴ったものだ。

 目線は徹底的に 「ユーザー目線」。
 著者が購入されたのは5m×2mの標準的国産キャブコン (写真で見るとバンテックのレオ) だが、それでも乗用車しか知らなかった藤正さんから見れば “異色の乗り物” 。

 果たして安全に運転できるのだろうか。
 野外で寝泊まりするのは怖くないだろうか。
 装備類をうまく使いこなせるだろうか。

 そういう購入前の不安や疑問を正直に告白し、実際に使ってみたときの感想を述べるというスタイルは、まさに今キャンピングカーの購入を検討している人が一番欲しがっている情報かもしれない。

 タイトルから分かるように、この著作は、シニアである著者が自分と同じ世代に向けて、キャンピングカーの面白さと効用を伝えようとした本である。
 そういった意味では、06年に山本馬骨さんが出された 『くるま旅くらし心得帖』 と似ているかもしれない。

 どちらも、シニア夫婦が 「くるま旅」 を始める時の入門書として最適であるが、山本馬骨さんの 『くるま旅くらし心得帳』 が1ヶ月から2ヶ月という長期旅行のノウハウを詳しく述べているのに対し、この藤正さんの本は、どちらかという 「日帰り派」 。
 長旅の記録もあるが、基本的には、日帰りあるいは1~2泊程度の短いサイクルにおけるキャンピングカーの使い方が中心となる。

 また、馬骨さんが常に新しい情報と刺激を求めて、未知の観光地にも積極的に繰り出そうとするのに比べ、藤正さんの方は、同じ場所にとどまりながら、四季の変化を楽しもうとする傾向が強い。

 両者の違いは、「旅」 というものの捉え方の違いから来る。
 山本馬骨さん流に言うと、
 「キャンピングカーで旅する目的は出会いにあり、新しい風景や地元の人たちと接して感動を得ること」
 となる。

 一方、藤正さんには、
 「キャンピングカーは日常であり、異次元の空間に行くものではない」
 という思いがある。
 だから、藤正さんは、
 「通る道は何本かの決まった道、行く先はいつもの日帰り温泉」
 というように、「日頃一回りする自宅周辺の散策路といった雰囲気で」 キャンピングカーを使っている。

 なぜなら、藤正さんにとってキャンピングカーは 「自宅の延長」 であり、最も大切なことは、自分と奥さんと犬がいつも快適に過ごせること。
 そうなれば、苦労が待ち受けているかもしれない見知らぬ場所に出向くよりも、気に入った場所で、何の不安もなく快適な時間を過ごすことの方が大事ということになる。

 というわけで、この本の後半には、藤正さんのお気に入りのキャンプ場、お気に入りの温泉、お気に入りのレストラン、お気に入りのドライブコースなどが紹介されている。
 それを読むと、未知の旅先にチャレンジすることも面白いが、気に入った場所を見つけ、そこで快適な時間と空間をしっかり確保することもキャンピングカーの賢い使い方のように思えてくる。

 執筆活動を生活の根幹に置いている藤正さんにとって、キャンピングカーは、そこにパソコンや資料を持ち込んで仕事をする 「書斎」 でもある。
 「キャンピングカーが日常的な空間」 だという意識は、そんなところからも生まれているかもしれない。

 しかし、そういうスタイルを確立するまでには、当然いろいろな試行錯誤があった。
 面白いのは、キャンピングカーが納車されてから、まずは自分の駐車場で車中泊を試みるくだり。
 「ベッドで寝て体が痛くならないのか」 、 「外の物音はどの程度聞こえるのか」 、 「夜間、外からはどう見えるのか」
 わざわざ着替えを持ち込み、奥さんと2人で試されている。

 その初々しさに、ベテランユーザーは思わず微苦笑を浮かべるかもしれないが、未経験の人にとっては、確かに 「気になって仕方がない」 ところだ。

 また、日帰り旅行を繰り返していた理由も、
 「キャンプ場になかなか行かなかったのは、見知らぬ土地で、誰も管理者がいないような場所で夜を明かすことに漠然とした不安を感じていたからだ」
 と正直に述べられている。

 こういう “ウブな目線” が本書の大きな魅力だ。
 この本は、いわばベテランが忘れてしまった事例をたくさん挙げることで、逆に 「キャンピングカーを手に入れた最初の感動」 が何であるかも伝えている。

 初心者向きの入門書としては、今年の2月に出された渡部竜生さんの 『キャンピングカーって、本当にいいもんだよ!』 がある。
 もし合わせて読む機会があれば、キャンピングカーの基礎知識は完璧に得られることになるだろう。

 渡部竜生さんの本は、この道のプロが書かれただけあって、整理も行き届いていて読みやすい。
 初心者が知りたがることをしっかり体系立ててから作られた本なので、キャンピングカーの本質がチャートのように簡潔明瞭に浮かび上がってくる。プロのライターの手際よさが光る本だ。

 それに比べると、この藤正さんの本は、体系性に欠けるかもしれない。
 しかし、そこが 「味」 となっている。
 つまり、エッセイのような味わいが漂う。

 藤正さんは、少子高齢化社会の到来をむしろ 「チャンス!」 と捉える主張の持ち主。

 「少子高齢化が、医療体制や年金制度を危うくするというのは、大量生産・大量消費を前提とした既得権者たちのロジックで、本質を見ていない。
 だから、少子高齢化をネガティブに捉えるのではなく、むしろ居住空間や余暇などの質的充実を図る良いチャンスだと考えないといけない」

 そういう著者の思想は、この本の中でもところどころに顔を出す。

 「日本は世界で最初に超高齢化国家になることは間違いない。しかも世界一の長寿国でもある。
 定年を65歳で迎えたとしても、あと20年の余命が残る。大半の人はその半分の75歳までは元気で、ほとんど病気すらしない。
 だから私は、本当の自由とは、中高年になってから手に入ると考えるようになった。キャンピングカーを使うのは、その一つの手段である」

 この本の終わりは、そういう言葉で締められている。

 2008年7月10日初版発行 文藝春秋社 刊 1,500円


関連記事 オススメ本!
(山本馬骨 著 『くるま旅くらし心得帳』 )


関連記事 キャンカー入門書
(渡部竜生 著 『キャンピングカーって、本当にいいもんだよ!』 )



音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 19:08 | コメント(4) | トラックバック(0)

ジョン・レノン節

 ここのところ、またビートルズにハマっている。
 ホコリを被っていたギターを持ち出して、「ビートルズ・コンプリート」 の楽譜集を頼りに、久しぶりに彼らのヒットチューンを弾き始めている。

 突然のビートルズぐるいに、うちのカミさんは何が起こったのか分からず、ポカンと口を開けたまま状態。
 「たまの休みなんだから、家に閉じこもってギターなんか弾いていないで、お日様の当たるベランダに出て、溜まっている洗濯物でも乾したらどうなの」
 と、言いたいのだろうけれど、まぁ、「台所の洗い物は終えたようだから許してやっか」 とばかりに、耳に耳栓を当てて、じっと耐えている。

 ビートルズに再び凝り出した理由は、『レコードコレクターズ』 7月号のビートルズ特集を読んで、「初期ビートルズ楽曲50選」 を担当したライターたちの書いたレビューに刺激されたからだ。

 とにかく、秀逸なレビューが並んでいたのだ。
 彼らの書いていた楽曲分析を、自分もまた、原曲に触れることで再確認したくなった。

 で、音符……はうまくたどる訓練ができていないので、コード進行だけを見ながら曲の流れを追う。
 しかし、耳なじんだ歌ばかりなので、どこでコーラスが入り、どこで 「イェイェ!」 が入るかもよく分かっている。

 すごいよ! やっぱり。
 せいぜい4トラックが関の山という当時のレコーディング技術で、よくもこれだけ複雑なハーモニーをあっさりとやってのけたものだ、と思う。
 コンポーザーとしてのビートルズの創造性というものに関しては、すでにあまたの評論が出ている。
 だけど、コーラスグループとしての力も相当なものではないんかい?

 今回いろいろ弾いて、歌って、あらためてボーカルグループとしてのうまさに舌を巻いた。

 リードボーカルを主にとっているのはジョンとポールだけど、好みでいうと、ジョンのあの蓄膿症気味に鼻に抜ける歌い方が好き。
 切なさが、甘い吐息となってマイクの前にポロリとこぼれ出る 「ジョン節」 を聞くと、背筋がゾクゾクと刺激される。

 いま鋭意力を入れている練習曲は、ジョン・レノンの作った 「ユー・キャント・ドゥ・ザット」 。
 ブルースコードを使って黒人ブルースのエモーションを再現しながら、白人ロックのテンションをうまく創り上げた曲だ。

 何度も何度も聞いた曲なのに、いつ聞いても新鮮。
 キャッチ-なミディアムテンポに乗って、ジョン・レノンが声の半分を鼻から出して、ライブハウスの壁を揺るがすような咆哮をまき散らす。
 粘るようにタメの効いたリズムギター。
 グイグイとドライブしていくベース。
 小気味よく決まるカウベル。
 
 聞いていると、気づかないうちにいつも腰が小刻みに揺れている。
 この感覚を何と表現すればいいのか。

 専門用語でいうと 「グルーブ感」 、あるいは 「ドライブ感」 。
 (オレ的にいうと、 「シャキシャキ感」 。) 
 
 ビートルズの音楽的な先進性とか、時代に与えた意味などを音楽理論や社会学の見地から述べた評論もたくさんある。
 しかし、そういう抽象論を語る前に、
 「ロックは生理的な快感である」
 ということを、この曲は見事に伝えている。

 歌詞の歯切れのよさも格別。

 I got something to say that maight cause you pain
 If I catch you talking to that boy agein …

 もう最初のフレーズから、よく切れる庖丁でさくさく大根を切り刻んでいくような爽快感がある。
 「イハキャッチュー、トーキントゥ、ボハッゲン」
 この歌詞のホップ、ステップ、ジャンプの華麗さ。
 ポップスはリズムで決まるということが、よく分かる。

ビートルズ演奏風景1
 ▲ 「愛と平和」の “伝道師” になる以前のジョン・レノンが好きだ

 この曲が生まれた頃、「リバプールサウンズ」 と称されたイギリス系のバンドが様々なヒット曲を出していた。
 いろいろなグループがいろいろな曲を作っていたけど、今となれば、自分がギターを持ち出して歌ってみたいと思わせるような曲はひとつもない。
 
 夕べは、一人でギターを弾いているのに飽き足らず、ついにカラオケハウスにまで出向いた。
 別のところで飲んでいた仲間とメールで連絡を取り合い、一緒に歌を歌うことになったのだけれど、彼らが来るまで、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」 ばかり一人で練習した。

 自己陶酔の世界。
 でも、その曲が作られてから40年以上経った今も、音楽風土も違う異国のオヤジに、いまだに 「自己陶酔」 の世界を与えるジョン・レノンのボーカルって、やっぱりすごい。

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 15:39 | コメント(4) | トラックバック(0)

昼下がりのカフェ

 オープンカフェが好きだ。

 歩道の上にさりげなく椅子・テーブルを出しているようなカフェを見ると、つい寄りたくなってしまう。
 特に、テーブルの上に、昼下がりの木漏れ日がちらちらと影を落としていたりすると、どんなに道を急いでいても、ちょいと一服したくなる。

 そういう場所で、コーヒーを飲みながら、人やクルマの往来をとりとめもなく眺めているのが好きだ。
 目の前に広がる景色がビルと広告塔であっても、アウトドアを楽しんでいる気分になる。

オープンカフェのテーブル

 読書するにも、いい環境だ。
 本と、ほどよい 「距離」 の取り方ができる。

 気にならない程度の騒音。
 うつろいゆく陽の光りの戯れ。

 そういった微かなノイズが、本から目を離して、その内容をじっくり考えてみようという気分を誘い出す。

 でも、そういうときの 「考え」 は、たいてい道行くお姉さんのパンツが張り裂けそうなお尻に目が釘付けになったりしているうちに、空気のなかに霧散していく。

 ふと気づくと、頭の中はまっしろ。
 テーブルの上に、葉陰がゆらゆら揺れているだけ。

 気を取り直して、また本を開く。

木漏れ日1

 そんな午後が好きだ。

日記&ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:46 | コメント(0) | トラックバック(0)

グルメ番組は嫌い

 グルメ番組が嫌いだ。
 
 こだわりの素材、天才シェフ、凝った味づけ。
 そんなものをヘロヘロッと並べれば、ハイ番組いっちょうできあがり…っていう安易さが許せない。

 どの局のどの番組も、
 「外側がカリッとしていて、中がすっごくジューシィー!」
 …なんて目をシロクロさせるタレントの顔をアップして、
 「口に含んだときの、まったり感がいいですねぇ。シアワセ~」
という必勝パターンで逃げ切ろうとする。

 おい!
 それでいいのかよぉ!
 ちょいと、プロデューサーさん。

 そもそも、食料不足の危機、食材の高騰、食の安全管理への意識低下など、今ほど 「食」 にまつわる問題が噴出してきた時代はないというのに、食べることに 「シアワセ」 を見出すというのは時代錯誤じゃないのかい?

 飽食にまみれて笑いさざめく人がいる一方、餓死すれすれの境地をさまよっている人間が急増しているというのが現実なのに、それにフタをして、
 「おお、名人の方はヒマラヤの岩塩で塩もみしたイベリコ豚に、ついに火を通しましたぁ」
 とかさ。
 お前ら、いい加減にせぇよぉ!

 ……ということを、特に言いたいわけでもないのである。

 早い話、
 「うまいもの見せられたって、オレが食えない!」

 それだけの話なんだけどね。

 「糖尿病から抜け出さないと、足を切っちゃうよ」 と医者に脅かされ、「食」 への欲望を断って、はや3ヶ月。
 メシ食った直後からもう空腹状態。

 吉野屋で牛丼頼むときだって、
 「ご飯は半分ね、どうせ残しちゃうからもったいないんで…」 って 「軽めライスの並み盛り」 を頼んで、出された少な目のご飯を、さらに残して必死の減量。
 目の前にある紅生姜だって、そいつをご飯にかけると食が進むからあきらめる。

 それでも昨日の検査で、まだ血糖値は120から下がらず、24時間中22時間ひもじいいオレの前で、
 「口に含むとジューシィーでまったり!」
 はないだろ!
 バカヤロ。

 ただ、さすがに身体だけは、みるみる痩せ細ってきた。
 街を歩いて、たまに自分の顔がガラス窓などに写ったりすると、干物 (ひもの) が写っていてギョッとする。

 もともと色が黒い体質だが、それでもまだ “ふくよか” だったから、かろうじて生き物に見えていたけれど、今なんか、人間の干物 (別名ミイラ) だもんね。

 だけど、不思議なことに、他人にはそう見えないらしいから腹が立つ。
 カミさんなんかは、
 「あんたむしろ太ったわね。ご飯どき以外にも、こっそり何か食べてんじゃないの?」
 …だって。
 どこ見てんだよ、豆ダヌキ。

 ここのところ、久しぶりに会った人で、
 「町田さん、痩せましたね」
 なんて言ってくれた人は、20人のうちたった1人だった。
 アホらしくて、ダイエットしてます、なんていうのも嫌になっちゃった。

豚汁定食1
 ▲ 大盛りご飯で、豚汁と焼き鳥を食った幸せな時代は過去のもの。

 そんなわけで、テレビのグルメ番組に八つ当たりしているわけだけど、そもそもアレって、けっきょく見ている人間は絶対に食べられないわけでしょ?
 もちろん匂いも楽しめない。
 ただの映像だけ。
 金網の外からお客にバナナを見せびらかされて、必死に手を伸ばしている動物園のチンパンジーみたいなものだ。

 それをありがたがって見てるってのは、なんか変じゃない? 
 オレから言わせれば、マゾヒズムの極地。

 「食欲」 ってのは、人間の本能的な欲望…なんてよくいわれるけれど、違うね。
 「食欲」 と 「うまいものを食いたい」 って欲望は根本的に別。

 「うまいものを食いたい」 っていう欲望は、たぶんに人為的で、非自然的で、文明的なものだ。
 つまりは “幻の欲望” だから、情報を重ねていくだけでもどんどん肥大する。

 グルメ番組に出てくる 「うまいもの」 は、視聴者には食べられないからこそ、「幻のうまさ」 が2倍にも3倍にも膨張する。
 番組に出てくるシェフや、紹介されたレストランや、食材を提供した業者だけがウハウハ。

 …ったく、食後すぐに空腹が訪れるオレなんかには、やりきれねぇよ。

 マスコミに登場する 「うまいもの」 というのは、裏付けのない評価であっても、紹介すること自体が価値 (ブランド) を生む。
 食べた人が1人もいなくても、「老舗の誇る名品」 は誕生する。
 ウナギや牛肉のニセブランドが成り立つというのも、こういうからくりがあったればこそだ。

 オレはいま思うよ。
 「うまいものを食いたい」 というのは飽食にまみれた人間の発想だ。
 人々がこういう発想を持ち続ける限り、「2050年に世界のCO2を半減する」 なんて謳ったサミットの宣言なんか、実現しっこないって。

 オレなんか、いま何食ってもうまい。
 空腹こそ、グルメを堪能する最高の条件だ。

日記&ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:47 | コメント(10) | トラックバック(0)

08キャンプ白書

 社団法人日本オート・キャンプ協会さんが毎年発行している 『オートキャンプ白書』 の2008年版が発表された。
 
 それによると、オートキャンプブームの絶頂期だった96年には、全国で1500万人を数えたオートキャンプ人口はその後9年連続して減少し、06年度ではちょっと上向いたものの、昨年は再び落ち込んで、今は720万人だという。

 しかし、オートキャンプ人口の減少が、そのままオートキャンプの衰退を意味しているかというと、必ずしもそうではないようだ。

 キャンプ活動の 「盛況・低迷」 を推し量る目安の一つに、「キャンプ回数」 と 「延べ泊数」 というものがある。
 キャンプ回数というのは、「1年間に何回キャンプを行ったか」 を示す数値で、延べ泊数とは、「1年間に何泊したか」 を示す数値である。

 その二つの指標を見てみると、06年度調査では 「3.9回」 だったキャンプ回数は、07年調査では 「4.0回」  に上昇。06年では 「5.6泊」 だった延べ箔数も、07年には 「6.0泊」 に上がり、いずれにおいても、前回調査を上回った。

 このデータを裏付けるように、キャンプ場側からみても、06年度より07年度の方が 「利用者が増えた」 と答えたキャンプ場は29.0パーセントで、「減った」 と答えたキャンプ場の25.7パーセントを上回った。
 「増えた」 という回答が 「減った」 を上回ったのは、過去10年の調査でははじめてだという。

 また、キャンプ用品の売り上げも、最も冷え込んだ03年 (351億円) から、その後は徐々に盛り返し、07年度では432億円という、ここ5年間では最高の売り上げを示した。

 協会では、このような傾向を観察して 「ブームの後の充実期」 と捉えている。
 一過性のブームが去って、今やオートキャンプは、本格的なファンに支えられた充実期を迎えているという認識のようである。

 面白いのは、先ほどのキャンプ回数と延べ泊数のところで、キャンピングカーユーザーだけが一般のキャンパーとは顕著に異なるデータを示したことだ。

 一般キャンパーのキャンプ回数が 「4.0回」 であるのに対し、キャンピングカーユーザーの平均キャンプ回数は 「7.3回」 。
 延べ泊数を比べると、一般キャンパー 「6.0泊」 に対し、キャンピングカーユーザーは 「15.0泊」 。
 どちらも、ほぼ2倍ほどの差がついた。

 協会では、「悪天候の場合キャンセル率が高くなるテントキャンプに比べ、キャンピングカーは天候の影響を受けにくいからだろう」 と分析している。

 今回の調査で明らかになったことの一つに、シニアキャンパーがはっきりした層を形成してきたというものがある。
 日本のキャンプ場は、一貫して30代~40代の子育て世代によって支えられており、07年度においてもその世代が84パーセントを占めたことが確認されたが、その一方で、50代の参加人口も増えており、その世代にははっきりしたキャンプスタイルが生まれつつあるという。

 たとえば、ペットの持ち込み率。
 若い 「子ども連れ」 世代のキャンパーのペット持ち込み率が、わずか17.3パーセントであるのに対し、「夫婦だけ」 のシニア世代になると、これが一気に50.5パーセントまで跳ね上がる。  

 また、キャンピングカー利用率でも、シニア世代ははっきりとした特徴を示す。
 「子ども連れ」 キャンパーのキャンピングカー利用率が、3.1パーセントであるのに対し、「夫婦だけ」 という人たちの場合は16.5パーセント。
 その数はおよそ5倍!
 キャンパー全体で、キャンピングカー利用者が4.6パーセントであることを考えると、「夫婦だけ」 の16.5パーセントという数字が、いかに際立っているかが分かる。

RVランド大子ユーザー4
 ▲ キャンピングカーで 「ふたり旅」 を楽しむシニアキャンパー

 キャンプの経験年数においても、「子ども連れ」 の場合は2~3年と答えた人が最も多いが、「夫婦だけ」 の場合は、そのキャンプ経験年数は10~15年。
 日本のキャンパーは、子育てが終わると、親もキャンプから卒業していくケースが多いが、逆に踏みとどまったシニアたちは、筋金入りのキャンプ愛好家になっていくようだ。

 ちょっとびっくりなのは、キャンプ場の稼働率。
 現在、主要ホテルの稼働率は76.3パーセントといわれているが、キャンプ場の稼働率は、わずか10.5パーセントに過ぎない。

 繁忙期にはサイトが満杯になるキャンプ場も多々あろうが、シーズンオフの利用率と均してしまうと、ほぼ9割のサイトが日常的にがらがらだということになる。

 こういう状況を憂慮して、日本オート・キャンプ協会では、キャンプ関係者に対して、「多様化時代への対応」 を提唱している。
 つまり、これからのキャンプ場は、キャンプ活動だけを楽しむキャンパーだけでなく、キャンプ以外の目的を持って旅行している人たちに対しても、広く門戸を開放しなければならないという。

 そのためには、料金システムの見直し、到着・出発時間の再検討。さらに、シーズンオフの利用対策、コテージやバンガローなどの建物系宿泊施設の利用拡大などが検討されなければならないと訴える。

 そういう主張からも、同協会が、わが国のオートキャンプ事情を正確に分析し、適切なる方針を提起するという真摯な姿勢を貫いている様子が伝わってくる。 

 とにかく、オートキャンプの現状について、いろいろと勉強になる白書発表会ではあったが、ひとつだけ、「07年度のキャンピングカーの登録台数は20万3,470台だった」 という発表だけは、どうなんだろう…? と感じた。

 この数値は、自動車検査登録情報協会の発表したデータに拠ったものだが、昨年日本RV協会が 「キャンピングカー白書」 で公表した 「05年度までのキャンピングカーの総保有台数 約5万台 (推定値)」 という数と整合性が取れていない。

 自動車検査登録情報協会の公表する数値は、節税目的などでキャンピングカー登録していた一般乗用車の数を含んでおり、国交省の認める構造要件を満たしたキャンピングカーの登録台数とはかけ離れている。

 今回の 「オートキャンプ白書2008」 においては、一応そのこともはっきりと明記されており、別に誤ったデータが掲載されているわけではない。
 しかし、軽く読み飛ばしてしまうと、この自動車検査登録情報協会の数値を、国交省の認める構造要件を満たしたキャンピングカーの登録台数と勘違いしてしまう人も出てくるのではないかという危惧を抱いた。

 全体的には、「読み物」 として読んでも面白い白書だ。
 キャンプ関連情報を報道するメディア関係の人だけでなく、一般のオートキャンプ愛好家にとっても、読めば家族同士の話題になりそうなネタばかり。
 
 「ねぇねぇ、キャンプする人が一番多いのは月は、何月だと思う?」
 なんて、白書をもとに、子どもたちと、テントで 「キャンプクイズ」 を楽しむというのは、どうだろう。
 とにかく一冊手に入れておけば、子どもにとっても、お父さんにとっても、キャンプがさらに魅力的に思えてくることは間違いない。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 02:49 | コメント(6) | トラックバック(0)

実は平家が好き

 「負け組」 が好き。
 歴史に興味があるので、日本史・西洋史問わず、いろんな国家や文明の興廃や英雄たちの生き死に眺めてきたが、自分には一貫した性癖がある。

 「負け組」 が好き。
 …といっても、別に、奇をてらった嗜好を強調するつもりはない。

 項羽と劉邦だったら、項羽。
 ハンニバルとスピキオだったら、ハンニバル。
 新撰組と薩長浪士だったら、新撰組。
 零戦とグラマンだったら、零戦。

 まぁ、上のようなサンプリングなら、ある程度は一般的な共感を得られるのではなかろうか。
 華々しくて、悲壮感があって、徹底的に勝ちまくっていながら、最後は残念…というやつ。

 このような、時として主役を食ってしまう 「負け組」 のなかでも、ひときわ燦然 (さんぜん) と輝いているのが、あの源平合戦に敗れた平家だ。

 老熟した貴族文化と若々しい武家文化が、まさに入れ替わろうとしたあの時代。地中からマグマのように噴き出した平家一門は、巨大な花火となって夜空に舞い上がり、ビッグバンのように弾け飛んで宇宙を埋め尽くした。
 そして、人々の網膜にまばゆい光りの渦を残したまま、夜空の暗黒に消えた。

 ため息が出るほど華麗で、憎々しいほど勇壮で、涙がちょちょ切れるほどセンチメンタル。
 そんな 「ゴージャスな負け組」 といえば、もう平家をおいて他にない。

KOEIの源平合戦
 ▲ この手のゲームはお任せ! KOEIの「源平合戦」

 特に、後世 「大悪人」 のレッテルを貼られることになった清盛入道のカッコいいこと。

 源平時代を描いた物語では常に 「悪者」 だった平清盛を、今ではスケールの大きな 「改革者」 として再評価する声は多い。
 しかし、清盛に続く子供たちに英傑が出なかったため、平家一門はドミノ倒しのように東から西へ追いやられ、最後は壇ノ浦で源氏勢力にノックアウトされる。

NHK大河の清盛
 ▲ NHK大河の 「新平家物語」 で清盛を演じた仲代さん。
 でも、ちょっとカッコよ過ぎ。
 下は、肖像画として残る清盛。こっちは少しブス気味。

平清盛肖像画

 清盛の遺志を継げなかった意気地なしの平家一門。
 それが、歴史上の平家に対する一般的なイメージではなかろうか。

 だが、その 「意気地なし」 の部分にこそ、むしろ平家の未来と可能性があった。

《 平家を見直す好著 》

 そんなことを真正面から採り上げた本がある。
 『実は平家が好き』 (三猿舎編) だ。

実は平家が好き表紙

 もう3前に出版されたもので、当時NHKで放映された大河ドラマ 『義経』 を当て込んだ企画モノであることはミエミエの本だった。
 しかし、便乗商法の企画本としては、実にレベルの高い良書だった。

 この本が、それまでの歴史本とは根本的に違っていたのは、ポップな体裁にしながらも、アカデミズムと両立させたところにある。
 イラストや写真が多用され、各ページに隙間なくコラムが散りばめられたページ組みは、一見すると雑誌風・ムック風であり、ゲームの攻略本のようにも見える。
 実際に、
 「もし義経が平家方の武将として登場していたら、歴史はどうなっていたか?」
 などというゲーム的な発想に基づく企画があったりして、エンターティメントの要素もたっぷり。

 それでいて、平家が目指していた政治機構や経済体制はどんなものであったか。
 彼らが歴史の上で果たした役割とは何であったか。
 そんなことを生真面目に論じたレポートもあり、硬派の歴史書に鍛えられた中高年の嗜好もがっちりつかんでいる。

 『平家物語』 と照らし合わせながら、源平時代を描いた現代作家の著作やコミックなども紹介され、平家に興味を抱いた人たちへのフォローも万全だった。

 ゲーム感覚に満ちた本ながら、この本が真面目に読者に伝えたい訴求ポイントは三つある。

① 平家には、日宗貿易に着眼するような、豊かな国際感覚があった。
② 一門の結束が固く、美しい家族愛・同胞愛で結ばれていた
③ 彼らは、みな洗練された美意識を持ち、文化を生み育てる力があった。

 上の3項目に対し、少し自分なりの意見を入れて補足したい。

《 坂本龍馬のアイデアを600年前に企画した清盛 》

 平清盛が進めようとしていた日宗貿易は、それまで300年続いた平安時代の鎖国状態を打破しようという画期的なものだった。
 清盛は、この海外貿易を日本の経済基盤の根幹に据えようとして、大型の貿易船が発着できる福原 (神戸) に都を移そうと考えた。

 このあたり、瀬戸内水軍を掌握して、強力な海軍力を擁するようになった平家の体質が見えてくる。
 キャラクター的に平家は、海軍体質なのだ。
 一方の源氏は、東国の広大な農村地帯に根を張った陸軍体質の集団だった。

 源平の戦いというのは、地中海の支配権をかけて戦ったカルタゴ (海洋国家) とローマ (陸軍国家) のポエニ戦役を思い出させる。

 清盛は、長い時間をかけて福原 (神戸) を国際貿易都市に育てていくという計画を練っていたが、源氏の挙兵を知って、あわてて遷都を実行に移す。

 これに、京を離れることなった貴族たちが猛反発した。
 「何を好んで、魚臭い漁港に都を移さねばならないのか?」

 そういう貴族たちの恨みを買った清盛は、結局、都を京に戻さざるを得なくなる。

 清盛のビッグプロジェクトが、当時の貴族たちに理解されなかったのも無理からぬことであった。
 京都盆地の中からほとんど出たことのない貴族たちにとって、唐・天竺 (から・てんじく) などどいう国々は 「御伽草子」 の中にしか存在しない。

 彼らには、異国の巨大な貿易船が、瀬戸内海を航行する姿など思い浮かべることができなかったろうし、福原が、唐・天竺 (中国・インド) などと結ばれる国際都市になるなどという想像力を働かせることもできなかった。

 都の貴族たちと同じように、百姓上がりの坂東武者たちにとっても、清盛の脳裏に浮かんでいた未来図などは理解の及ばない夢物語だったろう。

 この清盛の 「貿易立国構想」 は、その300年後に登場した織田信長や、さらに600年後に登場した坂本龍馬らよって、ようやく理解されたり、実現されることになる。

《 平家一門の美しきファミリー愛 》

 一族の結束が固いというのも、今まで誤解ばかりされてきた。
 特に 「平家にあらずんば人にあらず」 という平時忠の発言が 「驕れる (おごれる) 平氏」 というイメージを広めるきっかけになってしまった。

平家の紋章
 ▲平家の紋章 「揚羽蝶」

 しかし、時忠の発言は、一門の傍流だった時忠が、「自分も平氏の中心にいるぞ!」 という気持ちを必死にアピールせんがための言葉だったという (この本で知った) 。
 おそらく心優しい平氏の人々は、そういう時忠の発言を、「困ったお人だ…」 と苦笑いしながら聞いていたのだろう。

 一族が仲良く助け合った平氏と違い、源氏は一族同士で殺し合った。
 親兄弟が、それぞれ自分の利を主張しあって敵味方に分かれ、勝った方が、負けた方をむごたらしく殺した。
 そのため権力を手にした源氏の棟梁 (とうりょう) は、常に自分のファミリーに対する猜疑心を解くことができず、頼朝と義経のような兄弟・親族争いが絶えなかった。

 武家による輝かしい権力機構として誕生した鎌倉幕府は、実は陰謀と暗殺が横行する恐怖体制であったといっていい。
 現に、源氏の血統は、陰謀と暗殺によって3代で絶える。

 その後を襲った北条氏も、数々の陰謀を企てて、鎌倉幕府擁立に功あったライバルの三浦一族、比企一族を抹殺していく。
 「陰謀」 は武力を持たない貴族のもの…と相場は決まっていたが、このへんの武家方の陰謀には、鬼気迫るものがある。

 それに比べると、平家一門はみな和気あいあいとしており、しかも一族以外の人間をないがしろにすることもなかった。
 タイムマシンに乗ってあの時代に行ったとき、はたして源平どちらのファミリーと仲良くなりたいかは、いうまでもないだろう。

《 アートとカルチャーの創造者たち 》

 平氏一門が、みな歌舞音曲や文芸に秀でていたということも、今までは 「意気地なし」 を象徴する話として使われていた。
 「武士としての鍛錬を忘れ、歌やダンスにうつつを抜かしていたから平家は負けたのだ」 というのが定説だった。

 しかし、最終的な戦い (壇ノ浦) で破れたとはいえ、平家のなかには立派に源氏方を打ち破って名を轟かした豪の者がいっぱいいた。
 木曽義仲にも連敗したという印象が強いのだが、海戦では木曽義仲に勝っている。
 ところが、そういう平家が勝った時の話はあまり一般的に広まらない。

 平家一門には、笛や琵琶の修練を積んで、美しい演奏を披露したり、戦場にもお化粧 (お歯黒・白粉) をして臨んだ者が多かった。

 「だから負けたんだよ」 という前に、そういう心意気を 「小粋だ」 と評価する視点はないものだろうか。

 粗野で残虐な源氏武者を、「質実剛健」 という美質で粉飾するのは、貴族文化の華麗さをねたむ貧民のルサンチマン (怨念) でしかないように思えてならない。
 もし、源平の戦いで平家が勝っていたら、
 「平家はみやびさを失わず、しかも戦いにも強かった理想の武士たち」
 として絶賛されていたはずである。

 また、平家は厳島神社のような新しいアイデアに基づく建築物をつくり、平家納経のような洗練された文化財をつくった。

厳島神社1

 オリジナルカルチャーを生みだそうという意欲に関しては、源氏や当時の貴族たちよりもはるかに上だった。
 平家の政権が長く続いていたならば、東アジアにおける日本の国際的地位はもっと上がっていたかもしれない。

《 平家政権なら蒙古襲来はなかった? 》

 もし、平家政権が維持されていたときに、大陸から元の使者が訪日してきたらどうだったろう。
 やはり元寇はあったのだろうか?

 清盛の発案した大陸との貿易を続けていたとしたら、当然平家は、元の軍事力や経済力に関する情報も、鎌倉政権よりははるかにたくさん持っていたはず。

 そうなれば、元の強さも、その目的も素早く理解しただろうから、その使者を切って、フビライを怒らせるようなこともなかったろう。

 元の目的は、侵攻ではなく、通商と同盟だったといわれている。
 当時まだ華南に勢力を張っていた 「南宋」 を牽制するために、元は日本と同盟を結びたかったのだろうというのが、最近の有力説だ。

 交易を経済の中枢に置く政権ならば、そのあたりの呼吸を図るのはうまいはず。
 平家ならば、「蒙古襲来」 を招くこともなく、日本の独立性を保ちながら元とも上手につきあっていたに違いない。

 もちろんこういう 「if」 に、反論を唱える人はいるだろう。

 「清盛の死後、清盛の遺志を継ぐような逸材が出てこなかったのだから、平家一門に日本国家を運営する力があったとは思えない」
 そう思う人も多いはずだ。

 果たしてそうだろうか。

 一ノ谷、屋島、壇ノ浦と続く戦いで、未来の可能性を試す場もなく死んでいった平家の若者は多かった。
 これらの中に、未来の平家をリードしていく逸材がいなかったとは誰がいえよう。

 歴史は常に勝者の手によって編まれる。
 だから、敗者の実現しなかった 「可能性」 は、勝者の編んだ歴史が生まれるとともに、姿を消す。そして大地の底に横たわる化石となって、遠い未来の発掘者が訪れるまで、眠りにつく。

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 02:38 | コメント(0) | トラックバック(0)

黒光りの季節

 夏だ。
 太陽の季節。 ひまわりの季節。 花火の季節。
 眼光を射すような、燃え上がる色彩と灼熱の光りに彩られたまぶしい季節。

 でも、黒光りした背中をテカテカと輝かせた、あいつの季節でもあるなぁ。

 残業続きの毎日で、今日も終電に間に合うかと急いで部屋を飛び出し、ふと眺めると、玄関を見下ろす階段の踊り場に、あいつがいた。

 何を使っていじめてやろうかと、とっさに考えて、とりあえず傘立てから傘を一本抜き出し、地面をビシバシ叩いて追い立てのだけれど、もとよりそんないじめに動じるヤツじゃない。

 くるりと宙返りして塀を飛び越す忍者のように、あっという間に暗闇に消えた。
 逃げぎわの鮮やかにおいては、天下一品だ。

 アブラムシ。
 一般的に流布している名称はゴキブリ。

ゴキブリ
 ▲ 黒装束の颯爽たる忍者 (ウィキペディアより)
 
 元来、「生命」 を尊ぶ気概に満ちた優しい私は、うっかりアリを踏んでしまっただけでも慙愧の念に耐えないぐらいの気持ちになるが、ことこの黒光り野郎だけは、恍惚たる殺意が高揚していくことを抑えることができない。

 子供たちに人気のクワガタだって、カブトムシだって、黒光り野郎であることには変わりないのに人類に愛されている。
 ゴキだけが、人間の殺意を引き出すというのは、やはりあの逃げ足の早さが 「しゃくにさわる」 からだろう。
 セコイというか、こまっしゃくれているというか、人を小馬鹿にしているというか。
 とにかく憎たらしい。

 なんでも、黒光り野郎の逃げ足は、秒速1.5mだそうである。
 昆虫界のサラブレッドなのだ。
 「エリート」 という意味じゃなくて、速さという意味で。

 それにまた、どんな狭いスペースにもスルリと潜り込んでしまう、あの薄っぺたさ。
 逃げ場をひとつひとつツブして追い立てて、「さぁ、もう観念しろ」 とイヒヒと笑った瞬間に、ドアの隙間から逐電するスマートさも、並みの虫とは違う。
 怪盗ネズミ小僧を追い詰めた役人たちが、いつも最後に地団太を踏む悔しさというのは、こんなものだったのだろう。
 
 さすが3億年の年月をかけて、どんな環境にも生存できる身体をじっくり進化させてきたヤツは違う。
 生存への意志が、身体構造にも脚力にも反映された完全無欠の生き物だ。 (映画エイリアン1にも、そんな表現があったな…)

 昔、ゴミ屋敷のような家に両親と住んでいた時代のことだった。
 深夜、家族が寝静まったリビングで、テレビの歌謡ショーを眺めていたとき、カシカシとTシャツの袖をひっぱるヤツがいた。
 「誰だよ? 何の用だよ?」
 と、振り向きざまに腕を伸ばしたら、ゲジゲジという感触の足に触れた。
 ギャ-っと叫んで飛び上がった瞬間、天井に頭をぶつけた。
 驚いたばかりに、そいつの行方を追えなかったことが、今でも悔しい。

 会社の床で発見したときは、ひとつ生け捕りにしてやろうと、生きたまま捕獲したことがある。
 ぴくぴくヒゲをうごめかして警戒しているヤツの真上から、そぉーっと円筒形のフィルムケースを近づけ、バクっと被せた。

 水平方向から接近する敵にはやたら警戒心を働かせるヤツだが、真上からの奇襲には意外と弱いということを知った。

 フィルムケースの蓋に空気穴を開け、しばらく飼った。
 真横から顔を覗くと、案外可愛い顔をしている。
 情が湧いて、残業夜食のケンタッキーフライドチキンなどに付いてくるコーンをエサとして与えた。

 しかし、食わない。
 毒を盛られることを警戒したのかもしれないし、もしかしたら、散りぎわを潔くして、ゴキブリとしての意地を貫こうとしたのかもしれない。

 結局、ハンガーストライキを貫徹し、あっぱれにもゴキブリとしてのプライドを保ったまま散った。
 遺体は丁重にティッシュで包んで、ゴミ箱に埋葬した。

 南米には、足の長さを含めて体長20㎝ほどの仲間もいるという。
 そうなると、「虫」 というよりスリッパだ。
 スリッパで叩こうにも、うっかりすると間違えてしまう。
 ゴキブリの方を掴んでスリッパを叩いたんじゃ、洒落にもならない。

 人類の生息域にどしどし侵入してくるインベーダー。
 一般的にはそのように思われているけれど、もしかしたら、人間の住環境の方がゴキブリに近づいてしまったのかもしれない。

日記&ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:57 | コメント(2) | トラックバック(0)

AEDを知った日

 「AED」 って知ってた?
 日本語でいうと、「自動体外式除細動器」 。

 なにそれ? …だったんだけど、カミさんにいわせると、
 「そんなの常識。知らない方がおかしい」
 というほどに、かなり認知度の進んだ医療機器らしい。
 そういうものの存在を、昨日はじめて知った。

 町内会の集まりで、消防署の人を招いた 「緊急介護教室」 というのが行われたのである。
 そこで見せられたのが、AED。

 中国では四川大地震があったり、日本では岩手・宮城内陸地震があったりと、ここのところ、災害時の人命救助の必要性が人々の間に浸透してきている。

 そういうタイミングを捉えて、昨日の日曜日に、町内会の人たちが集まった 「緊急介護教室」 というのが開かれたわけだが、まぁ、予想以上に盛況だった。

 会場となった公会堂の畳の間には、マネキンの上半身だけ切り取ったような人形が置かれ、それを 「倒れた人」 に見立てて、消防署のスタッフが次々と蘇生法を披露してくれる。

緊急介護1
 
 まずは、人工呼吸と心臓マッサージの実地指導。
 
 心臓発作などで倒れた人に対し、人工呼吸と心臓マッサージというのはかなり有効らしい。それで一命を取りとめた人の数は計り知れないとか。

 だけど、一般の人には、とっさに人工呼吸や心臓マッサージを行おうにも、その心得がないと難しい。
 家族の誰かがバタンと倒れたとしても、おそらく私なんかは、そんなことすら思い浮かべることもなくオロオロするのが関の山だろう。

 救急介護を行う際には、口から息を吹き込んで人工呼吸すると同時に、心臓部に手を当てて果断なくマッサージすることが有効だという。手のひらを胸に当て、押し込むように、小刻みに突くわけだ。

 もしそのときに、そばに通りかかった人がいれば、すかさず 「AEDを用意してください!」 とお願いするのだとか。
 
 そうお願いされても、普通の人ならすぐ理解できるほど浸透してきた器具らしいのだが、不勉強な私は、もちろん見るのも聞くのもはじめて。

 消防署の人が見せてくれたのは、ヘルスメーターのような形をした、片手で取り上げられるほどの機器。

AED1

 付属品として、電極パッドが2枚ほど付いていて、まずそのパッドを患者の胸とわき腹あたりに貼る。
 すると、そのパッドを通じて、AEDが患者の心電図を解析。電気ショックを与える必要があると機器が判断した場合は、電気が流れて患者の心臓を刺激するようになっている。

緊急介護2

 現在、日本では、救急車が現場に到着するまでには約6分かかるとされている。心臓が停止してしまった場合、その6分を待つ余裕はない。
 そんなときに、このAEDがあればかなり命を取りとめる率が上がるという。

 では、そのAEDはどんな場所に用意されているのか。
 駅、空港、学校、スポーツクラブ、市役所、その他公共施設には必ずあるそうだ。

 見るのも触るのもはじめてという人でも、操作は簡単。
 なぜなら、スイッチを入れるだけで、機器が勝手に 「操作方法」 を音声ガイダンスしてくれるからだ。

 いい医療機器を知った。
 
 今のところは1セット30万円程度というから、個人が所有するのは大変かもしれないけれど、今後その必要性が認識されれば、民間の間にも広まっていきそうだ。

 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 04:08 | コメント(0) | トラックバック(0)

物語 中東の歴史

 「イスラム原理主義」 という言葉が日本にも浸透するようになってから、イスラム教というものに対して、狂信的で好戦的な宗教と勘違いする人が増えたように思う。
 でも、違うよなぁ…という気分が前からあった。

 通勤電車の中で読む本がなくなったので、たまたま机の上に溜まっている “つん読” 書の中から1冊抜き出して読み始めたものが、と