町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

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新ブログのご案内

 今回の投稿を最後に、新しいブログへ移行します。
 同じブログサービスを行っているホビダスさんのリニューアルブログです。
 アドレスは下記の通り。
 どうぞ、今までどおりお立ち寄りください。

 http://campingcar.shumilog.com/
 
 今後ともよろしくお願い申しあげます。

gari
投稿者 町田編集長 17:06 | コメント(0)| トラックバック(0)

久々の更新です

 昨晩、 『キャンピングカー スーパーガイド 2011』 の最後のデータを印刷所に収めた。
 長らくブログの更新を怠っていたのも、入稿のことで頭がいっぱいになり、 「とてもブログどころではない……」 という気持ちが強かったからだ。

 毎度のことだけど、この時期は、てんやわんや。

 先に出した校正刷りはどんどん上がってくる。
 それを横目でにらみながら、一方では、入稿前の新規原稿も書く。
 集めた画像ファイルの中から写真を選ぶ。
 ないものは取り寄せる。

 家には帰らない。
 風呂には入らない。
 夜中の3時か4時には、会社の床にマットを敷き、下着を着替えることもなく、寝袋に潜り込む。
 温かい季節になると、冬の間は影を潜めていたムシも床を這いずり回るようになる。

 こちらがじっとしていると、彼らが頭の周りをかすめるように通り過ぎていく姿が想像できるのだが、でも気にならない。
 こちらも汚れ具合では、ムシと大同小異であるからだ。

 ブログの最後の更新日が4月の12日。
 「ちょいとサボる」 ……ぐらいの気持ちだったのに、いつの間にやら2週間経ってしまった。
 最後のブログタイトルが、 「3・11以降」 。

 思えば、3・11というのは、ちょうど 『キャンピングカー スーパーガイド2011』 の原稿を書き始めたぐらいのタイミングに当たる。

 やはり、原稿を書くときの気分が、例年とは大きく違った。
 自分の感情のおもむくままに書き散らすブログの原稿と、キャンピングカーの使い勝手や構造に触れる仕事の原稿とでは、扱う世界が大きく異なる。

 キャンピングカーのレイアウトや装備類の解説を書く作業は、被災地の深刻な報道の流れとは切り離して進めることもできる。

 それでも、気分のどこかで、その両者を大きく切り離すことができなかった。

 特に、書きながら自分で引っかかったのは 「快適」 という言葉だった。

 キャンピングカーは、利用者のあらゆる 「快適さ」 を追求する形でここまで成熟してきた。

 「快適な寝心地を約束するフルフラットベッド」
 「快適な温度を保つFFヒーター」
 「快適な冷気をもたらしてくれるルーフエアコン」
 「快適な人の動線を確保するレイアウト」   

 キャンピングカーの特性を表現するときのキータームとして、 「快適」 という言葉は外すことができない。
 しかし今回ほど、その言葉が “しっくり” しなかったことはなかった。

 「この車に約束された快適な空調は……」 などと書きながら、一方では、被災地の避難所で、寒さに震えながら耐えている人たちの映像が記憶から離れなかった。
 そして、一方では、原発事故で大きく浮上してきた 「人類に残されたエネルギー資源」 という問題が頭にこびり付いてしまい、キーボードを打つ手が止まった。
 
 「われわれが今の世の中で “快適さ” を求めるということは、未来の他者から “快適さ” を奪うことではないのか?」

 そんな意識も浮かんだりして、迷いながらの原稿書きだった。

 しかし、途中からハタと気がついた。

 キャンピングカーで実現される 「快適」 さというのは、すべてビルダーや利用者たちによって、その車の中だけで個別に作り上げられる創造的な 「快適」 なのだ。
 決して、東電の原発からおこぼれを預かって、垂れ流しているという自覚もなく消費される 「快適」 さとは違うのだ。

 あるクルマでは、ルーフをソーラーパネルで埋めて、そこから備蓄される自然エネルギーで冷蔵庫やIH調理器を回そうという試みを震災以前から導入し、キャンピングカーの新しい流れを作ろうとしていた。

キャンピングカールーフ上のソーラーパネル

 また別のクルマでは、高性能バッテリーを2個用意して、電気回路を2系統に分け、一方では照明や水ポンプ、ベンチレーターを作動させることに回し、もう一つは1.5kWのインバーターを介して、セパレートエアコンや電子レンジを駆動させるという試みを実現していた。

 それらは、もちろん創造者たちの知恵を絞った工夫と、度重なる実験によって実用化に至ったものばかりである。

 つまり、 「快適さ」 を手に入れるためには、いかに智恵をふり絞り、工夫を凝らさなければならないのかという意識の上に成り立った “快適” なのだ。

 ただ、その快適さは、はかない。
 でも、それがいい。

 高機能サブバッテリーと高性能インバーターを組み合わせて使えるエアコンの駆動時間は、走行充電しないかぎりは5時間程度に過ぎない。

 だから、その5時間が 「貴重な5時間」 となる。
 今まで、電源を差し込むだけで無尽蔵に電気が供給されると思い込んでいたわれわれの怠惰な脳を刺激してくれる5時間となるのだ。 

 キャンピングカーは、われわれに 「未来を考えさせてくれるクルマ」 となる。
 原稿を書いているうちに、それは確信となった。

 昔から、様々なキャンピングカーで進められてきた断熱対策も、これからは違った文脈で捉えられるようになるだろう。
 断熱を徹底化させることでエアコンやヒーターの効きも大きく変わる。
 それが、有限の資源を少しでも未来の人類に残すことに貢献するようになるかもしれない。
 
 そんなことをあれこれ考えながら制作した 『キャンピングカー スーパーガイド2011』 。

 配本日は5月20日の予定。
 地方の書店に出回るのは、遅くとも5月24日~25日ぐらいになると思う。
 発売が、自分でも楽しみなのだ。 

 PS

 ところで、このブログもホビダスさんの新ブログに移行します。
 新しいアドレスは、
 http://campingcar.shumilog.com/
 今後ともよろしく。


campingcar | 投稿者 町田編集長 19:06 | コメント(3)| トラックバック(0)

3・11以降

sakura0048

 脚本家の宮藤官九郎は、
 「3月11日以前に書いた台本が、別のものに思える」
 と言った。

 その気持ちがとてもよく分かるような気がする。

 たぶん物書きの多くが、そのようなことを感じているのだろう。
 いや、ほとんどの日本人が、漠然とそう感じているでのはなかろうか。

 「3・11 以前」 と 「3・11 以降」 では、日本人の意識のなかに、 (大げさにいえば) 「明治維新以前」 と 「明治維新以降」 とか、あるいは 「太平洋戦争以前」 と 「太平洋戦争以降」 ぐらいの断層が生まれているような気もする。

 もちろん 「日本人は変わっていない」 という人もいる。
 それも分かる。
 時代の変化というのは、そんなに簡単に見えるようなものでもない。

 しかし、10年ぐらいのスパンで眺めると、
 「あの日以来、日本は変わった」
 と眺めるような視点が生まれているだろう。

 なぜかというと、今回の災害が諸外国に与えた影響が大きいからだ。
 日本人は、外国の評価や評判が耳に届くようになってから、ようやく自国の状況に気づくという傾向があるが、これもその一例のように思う。

 たとえば、80パーセントの電気を原発に頼っているフランスでは、原発反対の市民運動が盛り上がっているという。
 80パーセントも電気を供給する原発を廃止したら、それこそパリなどは原始時代の闇に戻る。

 それでもいいという人々が生まれてきている。
 福島の原発事故の波紋は、世界の人々に原発への不安を感じさせただけでなく、原発を廃止した場合のエネルギー供給はどうなるのか、という問題意識も植え付けることになった。

 そういった意味で、 「3・11」 というのは世界中の人々に、とりわけ先進国の国民に、電力と化石エネルギーの上に築かれた近代文明というものを、再度問い直すきっかけを与えたのだと思う。
 だから、これは悲惨な自然災害であると同時に、ひとつの文明史的な出来事でもあるように思う。

 このような諸外国の人々が感じた 「時代の変化」 が、再び日本に戻ってきたとき、日本人の意識の底に、ようやく3・11の意味が定着するような気がする。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 09:56 | コメント(3)| トラックバック(0)

人類に残された資源

 福島・原発事故の影響が広がるにつれ、 「自然エネルギー」 の見直しを訴える識者が増えてきた。
 これを機に原子力発電所を廃止して、危険性のない太陽光発電や風力発電などに切り換えていこうというわけだ。

 しかし、反論も多い。
 それらの自然エネルギーでは、とても現在の生活レベルを支えきれないという。
 反論を試みる人たちの多くは、原発の運転を止めれば経済成長の低下は免れないことを主張する。
 そして、国民はすぐに原発の再起動を望むだろうとも。

 その根拠は、
 「人間には、現在手に入れている便利さや快適さを放棄することができない」
 からだという。
 そして、 「安易に自然エネルギーを口にする学者や文化人は、そのエネルギー量の乏しさを想像できないのではないか?」 と嘲笑する識者もいる。

 そうかもしれない…とも思う。
 自分でも、 「便利な生活を見直そう」 などと口では言っているものの、それを言葉にして言えるのは、快適な冷暖房に恵まれた住環境にいるからこそであって、実際に快適さを放棄しなければならなくなったとき、いつまでもきれい事を言っているわけにはいかないような気もしてくる。

 だが、一方で、そろそろ人類は大きな決断をしなければならない時が迫ってきているようにも感じる。

 だから今回の大震災とそれに続く原発事故は、将来のエネルギー問題を、誰もが 「自分の問題」 として受け止めなければならないことを突きつけたようにも思う。

 そして、我々に突きつけられているエネルギー問題や環境問題とはいったい何なのか? それをもう一度問い直す契機をつかんだような気もする。

 そのことを考えると、いつも思い出す1冊の本がある。
 三崎浩士という人が書いた 『エコカーは未来を救えるか』 (ダイヤモンド社) という本だ。

エコカーは未来を救えるか表紙2011

 著者は、いすゞ自動車のバスの企画開発に従事したエンジニアで、この本も、自動車社会の未来を展望するという視点に立って書かれている。
 しかし、それだけにとどまらず、人類の文明の行く末を示唆していて、なかなか興味深い。

 だが、そのトーンは一貫してペシミスティックな色に染め上げられている。

 1998年に出版されたもので、すでに世に出てから13年が経過している。
 だから、その時点での知見は、その後大きく書き換えられ、今はもう少し楽観的な観測が主流になっているのかもしれない。

 しかし、この本が環境問題の本質を突いていると思うのは、13年も前に、
 「本当の環境問題とは、CO2や大気汚染物質の増大から生まれる “地球の温暖化” などではなく、エネルギー資源の枯渇だ」
 と喝破したところにある。

 現に、ここに来て、地球温暖化説に対する反論も多く出回るようになった。
 つまり、文明の廃棄物による環境汚染が温暖化を進めるという説は、原子力発電を推進しようとする人々の捏造した “神話” に過ぎない、と唱える識者が現れるようになったのだ。

 その人たちの言い分はこうだ。

 「原発推進派の人たちは、化石燃料を燃やす火力発電よりも原発の方がクリーンエネルギーだと言って、政府や文化人に圧力をかけた。そして、その理屈を決定づけるために、むりやり温暖化説をデッチあげた。
 しかし、それは詭弁だった。事実、大気汚染が温暖化を進めたという科学的な根拠は何もない」

 私には、その事の真偽を確かめるほどの知識も教養もない。

 それに関しては、この本の著者である三崎氏も、
 「太古から地球は温暖化と寒冷化を繰り返しており、人間の活動とは関係なく、大気中のCO2濃度が濃くなった時代には温暖化に向かうという説もある。
 しかし、将来後悔しないためにも、いま人為的な理由で温暖化を進めると思われることには対策を立てていた方がよい」
 と言うにとどめている。

 著者はいう。

 「それよりも深刻なのは、エネルギー供給が途絶することである。エネルギー資源が枯渇するにしたがって否応なく経済も縮小することになるが、同時にCO2排出も、廃棄物も化学物質も減少し、環境問題は自然と “解決” の方向に向かうだろう。
 今日の自動車は、大気汚染をはじめとする環境問題の元凶としてとらえられているが、それはエネルギーの供給が続くと仮定した場合の話であって、本当の自動車の危機はエネルギー資源の枯渇にある」

 これに対し、その後 “脱化石燃料” への取り組みが進み、自動車においてもEV (電気自動車) やエタノールなどを代替燃料とする研究と実用化が加速した。
 我々はそれに対する希望も持っている。

 しかし、著者はそれらの代替燃料の実用性において、当時、次のような観測を抱いている。

 まず電気自動車 (EV) 。

 「確かに、電気自動車は “究極の自動車” である。化石燃料枯渇後のエネルギー源は電力しかないからだ。
 電気自動車の心臓であるモーターは、運転が静かでなめらか。
 低速からトルクが得られる。
 排気ガスを出さない。
 停止時に無駄なエネルギーを消費しない (アイドリングが要らない) などのメリットがある。
 しかし、エネルギーを蓄えておくバッテリーを搭載しなければならない。
 これが重い。
 小型車クラスの電気自動車でも一般に300~400kgの電池を搭載する。70リットルのガソリンを積んだときのタンクの重さはおよそ52kgだが、ガソリンと同じエネルギー量を出そうとすると、その蓄電池は15.6トンになる。この重さは大型観光バスの車両総重量に匹敵する。
 充電にも時間がかかる。標準の充電時間は8時間である。
 リサイクルも難しい。
 電気自動車はバッテリーと半導体の塊である。ヒューズボックスやハーネスなどの一般の電装品は金属部品、銅銭、電子部品、プラスチックを選り分けるのが難儀である。
 また、バッテリーの処分も大きな問題となる。
 一つは大量の酸性液体の処理。
 一つはカドミウムや鉛などの有毒物質の処理。
 さらに、現時点で後46年分しかないという鉛資源の枯渇という問題も加わり、バッテリー搭載に対する問題は山積みされている。
 いずれにせよ、石油燃料が供給される間は、電気自動車の大きな市場は形成されない。コミューターや電動大八車という形での普及は考えられるが、輸送の効率向上の鍵となるトラックやバスを電池で走らせることなどできない」

 そう書かれてから13年。
 今は、バッテリーの軽量化に対する取り組みも行なわれ、ここで挙げられた数値はかなり変わってきているのではないかと思うのだが、それでも電気自動車の普及には、あまたの高いハードルが設けられているということは、これで分かる。

 では、食糧素材から採れるエタノールを燃料に使ったものはどうか?

 「これは再生可能なバイオマス (生物) から生産できる。しかし、バイオマスエネルギーは、将来の人口爆発とエネルギー不足による食糧危機と必ず衝突するだろう。
 アメリカではトウモロコシからエタノールを製造する試みがあるが、得られるエネルギーに対して投入するエネルギーは1.4倍という試算がある。サツマイモから作るものは2倍である」。

 ならば、天然ガス燃料はどうか?
 
 「天然ガス自動車は、90年代に入って開発に拍車がかかり、低公害化と代替エネルギー性の両面から期待されている。
 低公害でいえば、CO、NOx、炭化水素などの排出量が格段に少ない。PMもCO2も少ない。マイナス20~30℃でも始動できる。
 デメリットは、燃費が悪く航続距離が短い。ボンベがかさばる。インフラ整備が追いつかない。
 現在は新規の発見量が年間生産量を上回っているから薔薇色の炎が灯っているが、世界が一斉に天然ガスにシフトしていけばその寿命は一気に縮まる。
 現在タクシーで普及しているLPG車も、LPGが石油の精製過程で採取されるガスなので、石油枯渇と同時に姿を消していく」

 う~ん…。だんだん絶望的な気分が広がっていく。
 では、最近話題のソーラーカーというのはどうなのか?

 「ソーラーカーは、発電しながら走行できるところが従来の電気自動車とは異なる。
 しかし、太陽電池は膨大なエネルギーを生み出すことができない。たぶんに “太陽の恵みで走る” というイメージ的なものが、長年人間のDNAに刷り込まれた神話的象徴性と共鳴したエコロジカルな自動車という感じだ。
 そもそも太陽エネルギーには限界がある。
 晴天時に、地表が受ける太陽エネルギーは1㎡当たり、最大1kWである。太陽電池の変換効率を15パーセントとすると、1㎡当たりの発電出力は、0.15kWだ。これは馬力に還元すると0.2馬力である。
 もし、200馬力ぐらいの動力性能を得ようとしたら、1,000㎡ (約300坪) の広さが必要となる。観光バス1台に搭載してもようやく6馬力 (原付バイク並み) にしかならない。
 さらに、日照は気象条件や季節によって変わり、夜は光りが届かない。夜や雨天時にも走行しようと思えば、蓄電池を搭載しなければならない。
 もし、太陽電池で火力発電所が供給するのと同じ電力をまかなうとなると、東京都と神奈川県のすべてを電池で埋め尽くしてもまだ足りない。
 さらに、太陽電池の出力が落ちないようにその表面をこまめに掃除する必要がある。とても現実的ではない。しかも耐用年数は30年でしかない。半導体なのでリサイクルもできない」

 最後に、自動車燃料の話から少しずれるが、肝心の原子力についての著者の意見を聞いてみよう。

 「原子力の未来も決して明るくない。地下資源のウランそのものが有限だからだ。
 ウランのうち燃料となるのはウラン235であるが、天然ウランにはこの235が0.7パーセントしか含まれておらず、残りの99.3パーセントを占めるウラン238は燃料にならない。
 ただ、高速増殖炉があれば、軽水炉では燃料にならないウラン238をプルトニウム239に変えて燃料にすることができる。そうすれば、ウラン235の10倍の働きをする。
 しかし、プルトニウムは発癌性や毒性が強く、しかも放射性廃棄物の処理の問題も出てくる」

 この意見が、現在の原子力発電の状況を伝えるものなのかどうか不勉強な私にはよく分からないが、ざっと読む限り、どうも原子力も、究極の救世主にはならないようだ。

 要するに、著者は、石油に替わるさまざまな代替燃料が開発されても、石油のような高効率なエネルギーには、人類は二度とめぐり会えないだろうと言いたいのだ。
 石油が燃料として合理性を持っていたのは、エネルギー密度が高いこと、燃料が液体で取り扱いやすく、燃料タンクの形を自由にできること、燃料の後始末が要らないという様々なメリットがあったからだ。

 では著者は、原油の枯渇が見えてきたときの人類の未来をどのように考えているのだろうか。

 「エネルギー危機が見えてくるのは、2030年頃あたりだろうといわれている。現在57億の世界の人口は、21世紀半ばには100億に達すると予想され、そうなればエネルギー危機の到来が早まることも考えられる。
 専門家たちは、 『遠い将来ではあるが、いずれは自動車はなくなるだろう』 、 『人々は日が暮れたら水を飲んで寝る生活になるだろう』 と言い合っている」

 これが、この著者の描く未来図だ。
 なんだか、200~300年後の首都高速には、のんびりと馬車が走っていそうなイメージが浮かんでくる。
 はて、ここまで読まれた方は、どう思われるだろうか?

 そろそろ、私の感想を述べるときかもしれない。

 実際、この著者がいうように、石油の代替燃料が石油ほどの高効率をもたらすことは期待できないだろうし、新しいエネルギー源の研究開発に、驚くほどのイノベーションを見ることもありえないだろう。

 たぶん、エネルギー政策の転換は、国際社会の利害調整やら、研究開発機関の予算枠との絡みなども考慮に入れながら、 “畳の目を数えるように” 少しずつ前進していくだけだと思う。

 だが、まだ時は残されている。

 自動車の運用に関してのみいうならば、結局は、私たちが資源の無駄づかいをすることなく、残る資源を有効利用する手だてを考えながら、新エネルギー開発までの時を稼ぐしかない。

 そのためには、自動車の車種選びや利用方法も再検討されなければならないかもしれない。

 自動車を利用しているときの状態をつぶさに見ていくと、燃料を消費しているときというのは、必ずしも走っているときだけとは限らない。

 冷暖房を使うために、アイドリング状態のまま車内で過ごすこともあるだろう。昨年の夏のような猛暑が訪れる傾向が強まってくると、車内のエアコンを切ることに躊躇せざるを得ないというのも人情だ。

 だが、そこで、車外温が車内温に影響を及ぼさないようなボディ構造の自動車を選択するという手もある。
 具体的には、ボディの壁面、床、天井などに断熱材を封入した車種を選ぶということだ。

 これらの断熱材の効果は思った以上に高い。車内に残ったままちょっと休憩するときでも、断熱材入りの自動車なら、夏場には木陰に入れて、窓から涼風を招き入れるだけでもかなり快適に過ごすことができる。

 また冬期に暖房を得ようとする場合も、FFヒーターという暖房装置があれば、エンジン停止時においてもクリーンな空調による暖房を得ることができる。FFヒーターにはサーモスタットが付いているので、設定温度を境に自動的にON・OFFを繰り返してくれる。
 それだけでも、無駄な燃料を使用せずに済む。

 さらに、旅行の宿泊先で、ちょっとした買い物、食事など出かけるとき、いちいちクルマを使わずに、自転車などを利用すれば、かなりガソリンを節約できる。
 そういうときのことを考え、自転車などを車内に積み込めるだけの収納庫キャパシティのあるクルマや、サイクルキャリアを無理なく付けられる構造のクルマを選んでおけば安心だ。

 ソーラーパネルによる太陽光発電に関していえば、確かに現状ではそのエネルギー備蓄量は微々たるものかもしれない。
 しかし、それだって車両のルーフにパネルを積んでおけば、微弱な電気量でまかなえる車内の電化製品の補助としては十分に有効だ。
 そのためには、パネルを積めるだけの広さと安定性を持ったルーフ形状のクルマが必要となる。

 また、これからは、自動車旅行のスタイルにも考慮しなければならなくなるだろう。

 むやみに走り回るのではなく、満足できる目的地を選んで、ゆっくり滞在するというのも、これからの自動車旅行には大事なことになるだろう。
 それには、車内で寝泊まりすることも想定して、寝るときには必ず熟睡が保証されるフルフラットベッドが作れるような自動車を選ぶことも検討しなければならない。

 さらに、自動車内で仕事をしなければならないケースも考慮して、恒常的にパソコンぐらいは使えるような自動車が望ましい。
 そうなるとAC電源の安定供給が前提となるが、それを見越して、サブバッテリーを搭載し、インバーターで駆動する電気回路を搭載した自動車が不可欠となる。
 あるいは緊急用の発電機を搭載しておくのもいい。そのときは、あらかじめ発電機搭載スペースが用意されているクルマが理想的だ。
 もちろんキャンプ場などに入れば、たいていAC電源が完備しているから、それを使うという手もあるだろう。

 以上のような条件を完璧に満たしているのがキャンピングカーだ。

 私たちはまだ、これから乗るクルマを選択するだけでも、ずいぶんエネルギー資源の温存に寄与することができる。

 資源は有限である。
 しかし、時はまだ残されている。
 今ある資源を効率よく大事に使いながら、新エネルギーの研究開発に期待していくしかない。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 10:18 | コメント(10)| トラックバック(0)

ザ・ウォーカー

 BS放送で、 『ザ・ウォーカー』 という映画を見た。
 核兵器も含めた大規模戦争により、文明が崩壊した未来世界の話だ。
 生き残った人々が、崩落したビルの中で、乏しい物資を奪い合うようにしながら生活している。

 街は、撤去されない瓦礫が散乱したまま。
 どうやら、その状態がもう何十年も続いているらしい。

 無秩序な街を仕切っているのは、暴力にものを言わせて市民を脅かしながら見せかけの秩序を維持しているボス。
 そのボスに従う、いかにもチンピラギャングという風貌のヤクザな男たち。

映画「ザ・ウォーカー」001

 その街に、主人公 (デンゼル・ワシントン) が、ある目的を持った旅の途中に寄る。

 なんで、こんな映画がこの時期にテレビ放映されるのか。
 震災の生々しい記憶が人々に心にとどまっているうちに放映すれば、人々の関心を引きつけられるとでも思ったのか。

 それはいいとして、つまらない映画だと思った。
 最後はどうなるのか? という関心だけで見続けてしまったけれど、時間の無駄だった。

 ここ10年ぐらいか、ハリウッド映画では新手の “人類滅亡物語” がやたら多く作られている。
 2007年の 『アイ・アム・レジェンド』
 2008年の 『地球が静止する日』
 2009年の 『ノウィング』 
 2010年の 『ザ・ロード』 ……

 人類滅亡の原因は、細菌だったり、宇宙人だったりとかいろいろだけど、繰り返し繰り返し描かれるのは、荒涼とした瓦礫の世界とバイオレンス。

 そういう映画を全部見たわけではないけれど、基本的には、絶対安全な場所に身を置いている観客が、 「あんな世の中になったら大変ね」 と、安堵しながら映画館を出るという作品になっている。

 『ザ・ロード』 は原作を読んだだけだが、まさにバイオレンスの極致というようなストーリーだった。
 荒廃した地球上のあっちこっちに、乏しい物資を奪い合う無法者のコミュニティが形成され、その連中に見つかったヨソ者は惨殺されて “食料” にされてしまうだけ。
 いよいよ食べるものが無くなると、今度は同じコミュニティの弱者から食料にされてしまう。

 『ザ・ウォーカー』 という映画でも、人肉食を匂わせるエピソードが出てくる。
 そこには、
 「人間は生き延びるためには、同胞の肉すら食う動物なのだ」
 という冷酷な “哲学” が信じられているようでもある。
 
 なぜ、アメリカ人たちは、こういう冷徹なストーリーを好むのか?

 たぶん、キリスト教の教義が影を落としているのだろう。
 つまり、 「人間はもともと罪深い存在なのだ」 という……。

 「だから、神に帰依して、罪を免じてもらわなければならない」

 最近のハリウッド映画の人類滅亡ものは、新手の布教活動なのかもしれないとすら思う。
 つまり、 「最後の審判」 というビジョンは、相変わらず欧米人の精神構造に深く染み込んでいるということが分かる。

 現に、 『ザ・ウォーカー』 は (ネタバレごめん!…だが) 、聖書が重要な役割を果たしている。
 主人公は、たった1冊の聖書を届けるために、ひたすら広大なアメリカの原野を歩いていく。
 ただただ 「西」 に向かって。

 どこの誰に、その聖書を届けるのか?
 何のために届けるのか?

 それは主人公にも分かっていない。
 ただ、神が 「それがお前の使命だ」 と心にささやいたのだという。

 人もクルマも通らない原野を、彼はずっと歩き続ける。
 だから 『ザ・ウォーカー』 なのだ。

 そして、いくたの危機を乗り越え、彼はその使命を果たす。
 めでたし…、めだたし…。

 だけど、腑に落ちない。
 神は、その一冊の聖書を目的地に届けさせるために、その主人公が何人もの人間を殺していくのを、黙って容認するのか?

映画「ザ・ウォーカー」002

 この主人公。
 銃を撃てば100発100中。
 山刀を奮えば、バッタバッタと死体の山。
 それでいて、至近距離から銃で撃たれても、生き延びてしまうのだ。
 この男には “神の加護” による不死身の生が与えられているから、他人の死には無頓着だといわんばかりに。

 そういう人間が、 「人類の文明の復興」 を託されるという設定が、なんかうすら寒い。

 不思議だ。
 キリスト教の神さまって、そういう神さまだったの?
 キリストって、 「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」 と言った人ではなかったの?
 どうも、この映画を作った人たちは、そこから間違っていたようにも思う。

 この映画には、 “人間” がいない。
 神と、聖書の教えをすでに知らない “無知な動物たち” がいるだけ。
なぜなら、大規模戦争が終わったあと、人類は戦争を起こさせた原因が聖書にあったとして、残存するあらゆる聖書を焼き尽くしたことになっているからだ。

 だから、 “正しい教え” はこの世から姿を消し、残った人類の心は荒廃し、すでに聖書すら知らない若者がたくさん生まれているという話になっている。

 そういう設定にリアリティがあるとはまったく思えないが、逆にいうと 「聖書がなければ人心は荒廃する」 という制作者たちの思い込みで作られた映画であるということが、そこに露呈している。

 同じ核戦争による人類の滅亡を描いた 『渚にて』 (1959年) では、 「人間はなんてバカなことをしてしまったのだ…」 という嘆きは語られるが、そこに神の意思を認める志向はなかった。
 あくまでも、人間の犯した過ちに、人間が自ら責任を取らなければならないという覚悟がほの見えていた。
 そこが大きな違いだ。

 だから 『渚にて』 は、人間の愚かさと人間の崇高さを同時に描いた、無類の反戦映画となりえた。
 しかし、 『ザ・ウォーカー』 には、 「人間の反省」 という視点は出てこない。
 タフな肉体と精神に恵まれた、信仰の厚い者だけが結局生き延びるという話。
 ハリウッドの娯楽映画は、あきらかに後退している。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 00:53 | コメント(2)| トラックバック(0)

島尾敏雄・贋学生

 今回の東日本大地震が起こる直前にアップしようと思っていたブログ原稿がある。
 しかし、あの大震災の直後、その原稿を公表する気にはとてもならなかった。
 「それどころじゃないだろう」
 と自分は思ったのだ。

 しかし、先ほどちょっと読み返してみて、妙に今の状況を語っているような気もした。
 公表していいのかどうか、いまだ迷っているけれど、とりあえず、書いたときの原文をそのまま載せてみる。

…………………………………………………………………………………

 いちばん危機が迫った社会というのは、一見、平和な相貌をしている。
 大地は豊かな恵みを人間に与え、物資は潤沢に整い、時間はのんびりと流れ、人々の声は明るい。

 ちょうど、太平洋戦争直前の日本がそうだった。

 今のわれわれは、あの戦争の悲惨な結末を知っている。
 だから、戦争が近づいてきたことに対し、多くの人々が不安な思いに駆られていたと思い込みがちになる。

 だが、必ずしもそうではない。
 戦争は、平和な相貌に彩られた社会の中で、ひっそりと身を隠してネズミに近づく猫のように、静かに迫っていたのだ。
 「危機」 とは、およそそのようなものだ。

 最近、島尾敏雄の書いた 『贋学生』 (講談社文芸文庫) という小説を読んでいて、ふとそんなことを考えた。
 昭和25年に発表された小説である。
 著者が昭和11年頃に通っていた長崎高商時代の思い出を核とした物語で、前半は、授業をサボって、友人2人と諌早、長崎、島原、雲仙などを旅行したときの “思い出話” という体裁を取っている。

島尾敏雄「贋学生」表紙

 主人公の 「私」 は、友人たちと長崎の海の夕凪を楽しみ、町の食堂でオムレツに舌鼓を打ち、旅館の仲居さんの色っぽい仕草にどぎまぎする。
 描かれる情景は、どれも古き良き時代の日本の風情をしっとりとたたえ、出会う人たちはみな人情味に溢れ、主人公たちは、旅の楽しい思い出を次々と蓄積していく。

 しかし、文学者としての島尾敏雄の感性は、そのような平和な日本に、夕暮れの影のように忍び寄る戦争の気配を見逃してはいない。
 市民の生き方や思想傾向をチェックする “移動警察 (特高) ” の刑事が、電車の中で自分たちを見張っているのではないかと怯え、戦争の気配を察して退去した外国人が置き去りにした犬が、野良犬として哀れな姿をさらしていることに、やりきれなさを感じたりする。

 が、それは、必ずしも、 「明確な不安」 という形をとっていない。

 旅行から帰ってきた主人公は、校庭で、三八式歩兵銃を担いで軍事訓練に励むが、それは 「気持ちの良い汗をかく戦争ごっこ」 でしかない。
 軍事訓練が終わると、学生たちは街に出て、映画館や喫茶店に寄り、カフェやおでん屋で雑談にふける。

 確実に近づいてくる戦争は、ここでは、夏の終わりに、かすかに漂う秋の気配として感知されるだけなのだ。
 色づいていた秋の木々が、いつの間にか葉を落としていたことに気づいた時の、いわれのない不安。そのような、微妙な 「空気の変化」 としてのみ描かれるに過ぎない。

 だから、そのような 「日常生活の中に見え隠れする不安」 は、一見すると、学生という中途半端な身分を生きている 「私」 の不安定さから来るものであり、思春期特有の過剰な自意識の産物であるとも取れる。

 本当は、この話を小説としてまとめた時の島尾敏雄は、特攻魚雷艇の指揮官として出撃命令を待っていた人間であり、死を覚悟した人間の心の揺れ動きを見つめる体験を持っている。
 だから、彼は、戦争が忍び寄る時代の 「危機」 を、いくらでもそれらしい言葉で表現することができたはずなのだ。
 しかし、この小説は、そういう言葉では語られなかった。

 そこに、私は逆に、戦争が忍び寄ってくる時代の 「空気」 というものを教えてもらったように思う。 

 平和な日常の中に漂う、漠たる不安。
 それを、島尾敏雄は、友人の一人である 「木乃」 という学生から受ける “言葉にならない違和感” を通して表現する。

 木乃は、知らないうちに主人公に近づいてきた同じ学校の学生である。
 彼は、およそ、 「知的なもの」 を感じさせない男でありながら、主人公たちが持ち合わせていない 「世間知」 を身につけた人間である。 

 主人公は、木乃を好きになれない。
 本能的に、自分たちとは別人種だと感じる。

 最初に会った時の木乃の印象は、
 「紺のユカタを、歌舞伎の女形のように、胸元まできっちりと合わせ、人間というより、紫のかたまりが、ぼうっと入ってきた」
 というもので、すでに人間から逸脱した何かを感じさせる存在として描かれている。

 「いやなヤツだ。この人とはつき合うべきではない」
 主人公の 「私」 は、そう直感する。

 しかし、いつの間にか、私生活のすべてが木乃のペースで進むようになり、彼の巧妙なウソ …ということは後で分かるのだが、そのウソに巻き込まれて、最後は主人の友人や、実の父親や妹まで、奇妙な体験を重ねるようになる。

 だが、ウソをつきまくって、周りの人々を狂奔させる木乃の目的が、果たして何であったのか、それは最後まで 「謎」 のまま残される。
 彼は天性の詐欺師であったが、その詐欺行為には “営利” の匂いはまったくないのだ。

 この木乃という男が、実は贋 (にせ) 学生であることが最後に明かされるのだが、そのことによるストーリー的な面白さよりも、むしろ、その木乃の身辺から流れ出てくる存在論的な不安感そのものが、何よりも、ここでは 「忍び寄る戦争の影」 そのものではなかったのか。 

 戦争が近づいてきているというのに、あくまでも平和に見える社会の言いようのないグロテスクさ。
 その気持ち悪さを、島尾敏雄は、木乃という贋学生のグロテスクさと重ね合わせたのではなかったのか。

ダリの絵画02
 
 もちろん、木乃は、近づく戦争の 「寓意」 ではない。
 「暗示」 でもなければ 「比喩」 でもない。
 しかし、時代の空気に、どこか 「グロテスクな匂い」 があり、そこには木乃という男が発散する体臭と同質のものがある。
 たぶん、そういう形でしか、著者はあの時代を描けなかったのだ。

夜の街の戦車

 今の “平和な時代” に、どのような危機が紛れ込んでいるのか、それは誰にも分からない。
 しかし、これだけ 「平和」 なのに、誰もがそれに安住せず、常に漠たる不安を感じて生きているということは、なんらかのカタストロフ (悲劇的な結末) が迫っていることを示唆しているのではないか。

 島尾敏雄の 『贋学生』 をのどかなカフェに座って読みながら、ふと青空を見たりしたときに、そんなことを考える。

…………………………………………………………………………………

 これを書いたのは、3月に入ってしばらく経った頃だから、数日後に、世の中が激変する事態になろうとは夢にも思っていなかった。

 しかし、 「カタストロフ」 という言葉を自分で使っていたのが妙に引っかかる。
 もちろん、大地震のような自然災害をこのときはまったく意識していなかった。
 ただ、漠たる不安があった。

 一見平和に見える世の中に、こっそりヒタヒタと忍び寄る “危機” 。
 実は、多くの日本人はそれを予感していたのではないかと、今になって思う。
 だから、天地が動転するような未曽有の混乱の中でも、日本人は諸外国が驚嘆するような冷静さを身につけていられたのかもしれない。

 太平洋戦争が勃発する前の日本は、ある意味で、今と同じような擬似的な 「平和」 があった。
 しかし、それが “グロテスク” な平和だったことを、島尾敏雄は見抜いていた。

 大震災が起こる前の日本の “平和” も、そのときと同じような臭いを放っていたのかもしれない。
 
 ただ、それを言葉にする力を誰も持っていなかった。
 今ようやくその “言葉” を、誰もが発見したのかもしれない。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 03:45 | コメント(0)| トラックバック(0)
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