町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

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ホウカシキエン

 ホウカシキエン。
 この忙しいときに、またまた厄介な病気を患っている。

足の病イラスト
 
 漢字で書くと、 「蜂窩織炎」 。
 「皮膚の深いところから皮下脂肪組織にかけての細菌による化膿性炎症」 だという。

 実は2年前の今頃、こいつを患って、5日ほど入院したことがある。
 そのきは、ちょっとした擦り傷を放置したままでいたら、それが原因となって、患部から左足のふくらはぎ全体に青黒い腫れが広がり、痛くて歩けなくなってしまったのだ。

 医者にいわせると、
 「糖尿病の人は、ちょっとした傷でもこの病気に罹りやすい」
 という。

 確かに、糖尿病だ。
 しかし、日頃のケアはさぼっていないので、幸いなことに、糖尿病の重度を測る目安となる 「ヘモグロビンА1-C」 とかいう数値は、6.7~7.1程度で推移していて、健常者よりは少し高いけれど、食事と投薬のコントロールでしっかり押さえている (言い訳!) 。

 なのに、またしても、この 「蜂窩織炎」 に悩まされている。
 2週間ほど前から身体中を悪寒が走り、微熱が続き、食欲もなくなって、身体も心もとてつもない倦怠感に包まれていた。
 当初、それを風邪だと思って、風邪薬などでごまかしていた。

 しかし、悪寒を感じないときはあっても、心身の倦怠感の方は去らない。
 すぐ疲れて、布団の中に転がり込んでしまいたくなる。
 悪寒とだるさに包まれると、仕事どころか、ブログですら更新するのが面倒になる。

 新聞を読む気力も、本を読む気力もなくなり、テレビに映る世間のニュースなども “遠い出来事” のように感じられてくる。

 最初の頃は、足の痛みはまだ始まっていなかった。
 なんとなく、股関節あたりのリンパ腺が腫れているな…という感触はあった。ただ、それも風邪の症状の一種かな…と思って、気にもとめなかった。

 だが、身体全体のだるさが1週間も2週間も抜けない。
 「地に足がつかない」 という表現がぴったりの浮遊感が、身体全身を包む。
 酒など飲むと、コップ一杯でも身体全体がホテって、もう雲の上を歩いているような気分になる。

 変だな、変だな…と思い続けているうちに、左足のかかとからふくらはぎ辺りに、次第に痛みが走るようになった。

 見ると、死人の足みたいに、青黒く変色している。

 医者に行って、血液検査をしてみると、白血球が正常の人の10倍ぐらいあるという。
 つまり、白血球が感染菌と戦っているというわけだ。

 「最近、足にケガしたことはありますか?」
 と聞かれたが、心当たりがない。

 ただ、かすかに思い当たることがあった。

 「水虫の治療に薬を3本投入したが、一向に治る気配がない。そこで、薄皮を自分で剥がして、そこに薬を塗り込んだ」
 と医者に報告した。

 「それだ!」
 という。

 そこから菌が体内に潜り込み、ゆったり過ごせる安全な場所を探しながら、足の皮下脂肪の深いところで巣をつくり始めたのだとか。
 放置すると、足の切断はおろか、命にも関わることがあるとか。

 入院して、抗生物質を点滴しなければ治らないともいわれたが、なかなかそういう時間をつくる余裕がない。

 薬を飲んで、患部をアイシングするのが関の山だが、確かに効きが遅く、足の腫れはなかなか引かない。

 足に痛みを感じるようになって、すでに2~3週間が経過しているが、腫れの方は収まりつつも、まだ痛みが引かない。
 昨日も昼間に会社を抜け出して、病院で抗生物質の点滴を受けた。
 おかげで、身体を襲っていた倦怠感と浮遊感は収まりつつある。

 年をとると、いろいろな病気にさいなまされるようになるものだ。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 11:05 | コメント(12)| トラックバック(0)

ゲゲゲの水木さん

 昔、まだ乗用車メーカーのPR誌を編集していた頃、漫画家の水木しげるさんに取材したことがある。

 当時、水木さんは、 『ゲゲゲの鬼太郎』 のテレビアニメ化も評判となり、売れっ子漫画家としての道をひたすら走り続けていた。

 売れっ子の取材は、アポを取ることがむずかしい。
 媒体の知名度や影響力、ギャラの多寡などを問題にされるよりも、 「会う時間がない」 と断られることが多い。

 断られることを覚悟して、アポを取るための電話を入れてみた。
 雑誌のその月のテーマが 「妖怪」 だったので、妖怪マンガの第一人者に、 「妖怪の本質を語ってもらう」 というのが、取材の趣旨だった。

水木しげる妖怪イラスト

 ご本人にとっては、 「またか」 と思えるほど語り尽くしてしまったテーマだったかもしれない。
 
 ところが、直接電話に出られた水木さんは、
 「いいですよ」
 と、気楽に一言答えてくださった。

 しかも、地図でも調べれば簡単にたどり着けるような東京・調布市のご自宅を、
 「何行きの交通機関に乗って、何駅で下りて…」
 と、懇切丁寧に指示してくださった。

 “いいオジサンさん” だな … とは思っが、さすがに家のベルを押すときには緊張した。

 水木さんは、白いシャツの左袖をフラフラと風に揺らせながら、 「隣のいたずら小僧がまたおやつ欲しさに訪れたな」 …といった感じの、近所のガキでも眺めるような表情でむかい入れてくださった。

水木しげる画像
▲ 当時の水木さん

 「妖怪はね、本当にいるんです。若い頃はそれに気づかなくてね」
 いきなり、そんな話から始まった。

 すでに有名な話だが、水木さんは、太平洋戦争時代、ラバウルで生死の境をさまよった。
 苛酷な戦地で、マラリアを患ったり、敵機の爆撃を受けて左腕を失ったりしたのはそのときだ。

熱帯の夕焼け

 そのとき、 「生きよ」 「生きのびよ」 と、次々と近づいて励ましてくれたのが、森や川に棲むさまざまな妖怪たちだったという。

 「なんだ、こいつら、人間より優しいじゃないか」

 そう思ったことがきっかけとなり、出会った妖怪たちの姿を思い出しながらマンガに描いたのが、 『墓場の鬼太郎』 (のちのゲゲゲの鬼太郎) という代表作になった。
 呼び名こそ違っても、世界に潜む妖怪は、だいたい同じような姿なんだそうだ。

 この話、
 「じゃあ、誰でも水木さんのように妖怪に会えるのか?」
 となると、そこは、ちょっと条件が必要なようだ。

 「妖怪はいる … といっても、はっきりと目に見えたり、触れたりできるものではないんですね。
 “感じる” という表現が適切かもしれません。
 暗い森、静かな山奥、人気のない海辺や谷川など、やはり人が “自然” の息吹に包まれるような場所でないと、彼らは近づいて来ないんです」
 と、水木さんは語る。

 「さらに、心や身体が、 “助けて” と悲鳴をあげるような気持ちになっていると、彼らは救いにやってくるんですよ。
 そういうときは、人間の “妖怪感度” が上がっているんでしょうね」

 妖怪感度

 面白い言葉だと思った。
 その 「妖怪感度」 は、実利一点張りの人や、我の強い人、強欲な人ほど下がってしまうという。

 「霊長類の中でも人間がその頂点 … などと威張っている人は、まず妖怪を見ることもなければ、妖怪に助けられることもないでしょう」

 素朴な文明批判のように聞こえる言葉だが、熱病に冒されながら食糧もないラバウルの森から生還してきた人の一言は、やはり違う。

 自然は人の生存を許さない厳しさを持つ半面、人を生かしてもくれる。
 妖怪とは、その自然の 「分身」 なのだ。

山と川

 そこが、うらみをはらすために現れる 「幽霊」 とは違う。
 幽霊は、 「文明」 を知った人間の変わり果てた姿だが、妖怪は 「自然」 の中で生まれた生命が、人間に分かりやすい形をとったものだ。

 だから、怖くても、どこか愛嬌がある。
 それは、自然が人間に与える恐怖と、自然が人間にもたらす慈愛の2面性を表現している。

 「妖怪が棲みにくい世界というのは、人間にも棲みにくい世界なんです」
 と、水木さんはしんみりした口調で語った。

 ひんやりしたポンリュームの床に、冷たい蛍光灯の光が満ちるような都会の生活空間は、妖怪たちを一匹一匹追い出していくのだそうだ。


 いろいろ楽しい話を聞いて、いとま乞いをしようと思ったとき、
 「絵を使いますか?」
 と尋ねられた。

 絵 …… つまり、妖怪のイラストのことだ。
 
 こちらは考えてもいなかった。
 なにせ、超売れっ子の原画など、いったい、1枚どのくらいの値段がするものなのか。 
 貧乏編集部にそのような予算があるわけもなく、水木さんの絵を使うことは最初からあきらめていた。

 「いい絵があるかな…」

 そういって、書斎の奥の方をゴソゴソっと探していた水木さんは、やがて原画のストックから1枚の原画を引き抜いて渡してくれた。

 「今日の話にはいいのではないかな」

 「いくらですか?」 と聞くわけにもいかず、すぐには手が出なかった。

 「自由に使ってください。僕の話を聞きに来たのだから、僕の絵もあった方がいいでしょう」

 なんと優しい方なのか、感謝の言葉すらとっさに浮かばなかった。

水木しげるイラスト001
 ▲ 水木さんが用意してくれたイラスト。特集の表紙に使わせてもらった

 ていねいに礼を述べて、家を後にしたとき、水木さんそのものが、人間を励ましてくれる優しい妖怪のように思えた。

 NHKの朝ドラ 『ゲゲゲの女房』 を見ていると、そんな水木さんに取材した時代のことを思い出す。

ゲゲゲの女房キャスト



コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 19:42 | コメント(6)| トラックバック(0)

不思議のアリス

 ルイス・キャロルの 『不思議の国のアリス』 という童話を知ったのは、年齢でいうと、4歳ぐらいだったと思う。
 私は幼稚園に入る前で、当然、文字も読めなかったから、母親に読んでもらった。

不思議の国のアリス絵本

 童話の絵は、今でも頭の中に浮かんでくる。
 ディズニーのような、様式化された可愛らしさを持った絵ではなく、西欧古典絵画のタッチに近い、子供の感情移入を拒絶するような大人のタッチの絵だったように記憶している。

 話の流れは、日常生活の因果律を無視した荒唐無稽なおとぎ話で、今風にいえば、 「ナンセンス」 とか 「シュール」 という表現がぴったりの作品であった。

 しかし、母親の膝の上に座って読んでもらったその童話は、4歳の私にとっては、ぜんぜん荒唐無稽でもなく、ナンセンスでもなく、シュールでもなく、極めて現実的な感触を漂わせた物語だった。

 それは、あたかも夢を見ているときの気分に似ていた。

 夢といっても、目が覚めてから反芻するときの夢ではない。
 夢の渦中にいる状態といったらいいか…。

 夢のなかでは、 “不可解” なことは何も起こらない。
 うさぎが人の服を着て、人間の言葉をしゃべろうが、トランプの兵隊が動き出そうが、夢を見ている当人は、そのことを別に不審に思わず、当然のこととして了解している。

アリスしゃべるウサギ

 それがバカバカしいことであると分かるのは、目が覚めて、夢であったと自覚したときである。

 目が覚めたときに、なぜ夢のことを “バカバカしい” と思うのかというと、我々は、日常生活で体験する様々な “事件” を、前後関係や因果関係にまとめてしまう習癖を身につけているからだ。

 事件には、必ず原因があり、それが一定の法則性に貫かれたプロセスをたどり、その結果として表れたのが、いま目の前に起こった 「事件」 なのだ……という思考方法になじんだ我々は、原因と結果がつながらない事件は、みなバカバカしいものと排除するクセを身につけている。
 夢の中の出来事は、そのバカバカしさの典型である。

 夢には、因果律がない。
 そこには、 「偶然」 すらもない。
 「偶然」 というのは、確率が限りなくゼロに近づいた 「必然」 でしかなく、結局は、因果律の法則性を前提とした概念に過ぎない。

 夢は、因果律のない 「必然」 なのである。

電車の中001

 たとえば、夢の中で、仕事先に行くために乗ったタクシーが、いつのまに電車に変わっていても、我々はそれを不思議だとは思わず、まったく “当たり前のこと” として了承している。

 そして、その電車が、戦地に送られる兵士を乗せる列車であることが分かり、会社にいくはずの自分が、いつのまにかその兵士の一人になっていても、それを “運命” のように了承してしまう。

 そのような、脈絡のない世界が展開することを、 「ナンセンス」 という。
 ナンセンスというのは、 「意味がない」 というような使い方をされる言葉だが、 「意味」 というものが、 「原因」 と 「結果」 がセットになった因果律からもたらされるものだとしたら、夢の世界というのは、その因果律を失ったもうひとつの 「現実」 なのである。

町の中のキリン

 因果関係への理解が乏しい幼児においては、夢の世界は、現実と地続きになっている。

 幼児の私にとって、 『不思議の国のアリス』 の世界は、荒唐無稽な作りものではなく、町の路地の通り一つ隔てた裏側で、あるいは、家の廊下ひとつ隔てた隣りの部屋で、自分には見えないけれど、ひっそりと広がっているもう一つの世界だった。

公園の不思議な空間

 ティム・バートン監督の 『アリス・イン・ワンダーランド』 の興行成績が 『アバター』 を抜いたという。

アリス・イン・ワンダーランド00

 私は、この 『アリス』 の映画を見ていないので、品評はできない。
 しかし、メディアに散見される批評では、どうやら正統的なハリウッド製ファンタジーだという。

アリス・イン・ワンダーランド001

 今までのハリウッド製ファンタジー映画の流れを見ていると、みな 「夢の世界」 を描いているようでいて、 「夢」 そのものを描いているわけではなかった。
 つまり、荒唐無稽のストーリーを展開しているようでいて、そこには、現実世界の因果律がそのまま貫かれていることが多かった。

 それは、 「物語 (ファンタジー) 」 の宿命かもしれない。

 昔から世界的に流布した 「物語」 には、常に不変の骨格が備わっていた。
 「物語」 とは、どんなに現実ばなれしているように見えても、まさしく100パーセント因果律のみによって構成された世界のことをいう。

 たとえば、 「選ばれた子供」 は、共同体の長老の予言によって自分の 「運命」 を悟り、魔法の力によって 「英雄」 になり、 「悪」 を倒すために故郷を離れる (異界へおもむく) 。
 そして、窮地に陥るが、仲間の力を借りて悪を倒し、故郷に帰還する。
 多くのファンタジーは、そのような筋書きをたどるが、その展開は、見事なくらい因果律の連鎖によって語られる。

ドラクエ

 「因果律」 という言葉は、「誰もが共通して理解できる物事の構造」 と訳すと分かりやすいかもしれない。

 だから、 「物語」 は、それぞれの民族固有の英雄を生み、民族に共通した嘆きを深め、民族の生きる希望となった。
 ハリウッド製ファンタジー映画は、その民族固有の物語を、人類共通のものとして普遍化する役目を果たした。

 しかし、 「夢」 は、他者とは共有できない。
 「物語」 のような他者と共有できる因果律を欠いているからだ。

 夢の不思議さが、常に不安とセットになっているのは、その不思議さを誰とも共有できないという “さびしさ” や “心細さ” がもたらすものなのかもしれない。

 原作の 『不思議の国のアリス』 は、この夢の雰囲気を濃厚に残した作品だったと記憶しているが、映画の 『アリス・イン・ワンダーランド』 は、夢の世界を創り出したのだろうか。

アリス・イン・ワンダーランド0021

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 14:36 | コメント(6)| トラックバック(0)

太古の犬は話した

 日本RV協会 (JRVA) の調査によると、キャンピングカーユーザーのペット保有率は64.8パーセントだという。

 日本ペットフード工業会が調べたところ、一般世帯のペット保有率は29.5パーセントだというから、キャンピングカーユーザーの64.8パーセントという数値がいかに高いかということが分かる。

 実際、わが家の場合も、私一人が仕事でキャンピングカーを使うときを除き、夫婦や家族でキャンピングカー旅行をするときは、100パーセント近く “犬連れ” であった。

キャンカーの中のクッキー0092

 犬がいると、旅にメリハリがつくのだ。

 犬のために散歩に出る。
 犬に食事を与える。
 そんなことが旅のアクセントになって、旅にリズムが生まれる。

 散歩させるときも、
 「お、なんだかやたらに草むらの匂いを気にしているな。野生動物の歩く道なのかな」
 といったように “犬目線” が加わるから、自然のいろいろなニュアンスにも敏感になる。

 そして、何よりも、人間と人間の 「緩衝材」 の役目を果たしてくれるからありがたい。
 長旅をしていると、仲の良い夫婦といえども、ときどき二人の間に “ドロン” とした空気が漂うことがあるが、そんなとき、犬の話題に振ると、そのドロンとした空気が、パァーっと散っていくから不思議だ。

 犬というのは、実に察しのいい動物で、夫婦ゲンカが起こりそうになると、それが会話の流れで解るらしい。

 それまでは、私とカミさんの間に割って入って、天井に腹を向けてゴロゴロと寝そべっていたにもかかわらず、夫婦の会話にとげとげしさが交じり始めると、人間の手足が及ばないくらいの距離まで、さぁっと移動する。

 さらにお互いの会話が激昂してくると、もう視界のなかにいない。
 とばっちりを食うのを恐れて、毛布の下なんぞに避難している。

 彼らには、人間の会話が全部分かっているのではないかと思えることがある。

 「利口な犬は2歳児ぐらいの知能を持つ」 などとよく言われるが、2歳児どころか、人間の大人並みの打算や計算を働かせているように思えて仕方がない。

 もしかしたら、彼らは人間と同じような言語能力を持ちながらも、それをおくびにも出さないしたたかな動物なのではなかろうか。

 その気になればしゃべれるにもかかわらず、彼らが沈黙を守っているのは、人間と対等にしゃべっても、今のところは得することが何ひとつないからである。

 おそらく太古の昔、犬は人間と対等にしゃべった時期があったのだ。

 エジプト神話に出てくるアヌビスなんていう神様は、人間にモノを教えられるくらいの犬がいたということを証明するための神話なのである。

エジプト神話のアヌビス

 当初、犬と人間の関係は良好だった。
 しかし、やがてケンカが始まった。

 人間より能力が優れた犬たちが、人間をバカにし始めたからだ。

 「お前、こんな匂いが分からないのか!」
 「俺のように速く走れないのか!」

 ある犬は、飼い主に向かって、
 「犬のように忠義というものを大事にしろ」
 なんて説教したかもしれない。

 当時、犬から諭されて心地よくなる人間は少なかった。

 そこで、哀れ、人間に意見した犬は、逆上した飼い主に惨殺されてしまうという事件があちこちで起きるようになった。
 その後、犬たちの間で 「言葉がしゃべれないことにしておこう」 という回覧が回ったと思われる。

 それでようやく、犬と人間は仲良く共存共栄するようになった。

 「ほら、チロがあなたのことを頼もしそうに見ているわ」
 「いや、君がきれいなので見とれているのさ」
 「チロが言っているわよ。 “私はこの家に飼われて幸せです” って」
 「そうか、ご褒美にチーズを一切れあげよう」

 かくして、犬が沈黙しているおかげで、その家庭は幸せになり、犬も得をする。

キャンカーの中のクッキー

 犬との会話を成り立たせようという、いろいろな研究が進んでいるという。
 止めた方がいいように思う。
 それは犬の平和を乱すことになりかねない。
 彼らは、人間が犬の立場になって感情移入するからこそ可愛がってくれていることを知っている。

 犬と会話が交わせるようになったら、各家庭で、夫婦ゲンカと同じ頻度で、飼い主と犬のケンカが始まるかもしれない。

 「いつまでもオレに赤ちゃん言葉使うなよ」
 「トイレ用のシートは、1回ごとに変えてくれない? 不潔でしょうがない」
 「何このエサ? 犬には賞味期限の切れたエサを平気で与えるわけ?」

 不況の時代に、ストレスが溜まっているのは人間ばかりとは限らない。
 犬だって、言いたいことはいっぱいあるだろう。
 だから犬にしゃべらせる前に、人間が、犬の気持ちを察してあげることが大事なのだ。

 犬の幸せをみんなで守ろう。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 14:51 | コメント(2)| トラックバック(0)

カツカレーの憂鬱

 昼飯にカツカレーを食った。
 カレーを食いたいと思っていたのだけれど、なんとなくメニューの隣りに、うまそうなカツカレーの写真が載っていて、ついついそっちを頼んでしまったけれど、結局、あまり幸せじゃなかった。

カレーを食うイラスト

 実は、今日に限ったことではなく、いつもそうなんである。

 なぜなんだろう。

 昔からカツカレーというものに、あまり感激した記憶がない。
 よく食べるのだけれど、食い終わって後悔することの方が多い。
 
 カレーは好きだ。
 トンカツも大好き。

カツカレー

 だから、カツカレーって、感激が2倍になってもいいように思うのだけれど、案外そうじゃない。

 きっと、 “頭が固い” からかもしれない。

 モノを食うってことは、舌が感じる味覚を、脳が整理して、 「うまい」 とか 「まずい」 とか判断するのだろうと思うのだけれど、私のガンコな脳は、カツとカレーが同時に舌の上に乗ったとき、 「こりゃカレーじゃねぇ」 と脳が判断し、 「じゃカツか?」 と気持ちを切り替えたときに、今度は 「こいつはカツじゃねぇ」 と判断してしまうらしいのだ。

 そのため、カレーなのかよ? カツなのかよ?
 ……と、脳が迷っているうちに、いつの間にか食べ終わってしまって、結局、どちらを食ったのか分からないままにレジで勘定を払うというハメに陥ってしまう。

 知り合いにその話をしたとき、
 「あれはカツというトッピングの乗ったカレーなんであって、ラーメンの上にチャーシューが乗っているように食べればいいんだ」
 と諭された。

 どうやらそれが世間の常識のようなのだが、やっぱり自分の舌は、そういう意見に対して 「うん」 といわない。
 そこで、仕方なくカツの方にはソースをかけて 「カツライス」 として食べ、カツが片付くと、今度は 「カレーライス」 として食べるという2段構えの食べ方になる。

 そうなると、悲しいことがひとつ起こる。
 カツカレーのルーには、何も入っていないことが多いのだ。
 
 カレーだけ頼むと、たいていビーフかポークか、肉片のようなものが入ってくるのに、カツカレーの場合は、そういう肉片を添えない店がけっこうある。
 統計を取ったわけではないが、実感として、80パーセント近くは、そういうルーを出す店で占められているような気がする。

 「カツっていう贅沢なトッピングがあんだから、他の肉は要らないだろ?」 っていう店の傲慢さが、そこに表れているようで悲しい。
 せめて、普通のカレーに肉片を三つ付けるのだったら、カツカレーには、肉片をひとつぐらい付けてもいいように思う。

 同じように、ラーメン屋でチャーシューメンを頼むと、普通のラーメンに入っているシナチクとか、ナルトなんかが省略されることが多い。
 良心的な店は、普通のラーメンに入っているシナチクの量を若干減らしながらも、それでも二つ三つは入れている場合もあるが、傲慢な店のチャーシューメンには、それすらない。
 チャーシューとネギだけという店もあった。

 お客はチャーシューメンを頼むときは、「ラーメン + チャーシュー」 を期待して注文するのである。
 つまり、ラーメンの基本骨格をしっかり貫いた上で…、(東京ラーメンの場合は、まずシナチク、チャーシュー1枚、海苔、ナルト、場合によってはホーレンソウ、時にはワカメ)

東京風ラーメン

 そこにチャーシューの量が増えるから、贅沢な気分にひたれるのである。
 なのに、チャーシューとネギしかないチャーシューメンを出されると、騙されたような気になって悲しくなる。

 最近は悲しい食堂が多い。
 こんな日本になって、はたしていいのだろうか。


 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 15:16 | コメント(4)| トラックバック(0)

夫婦円満の秘訣

 RVビックフットの牧瀬芳一社長と奥様の美恵子さんは、業界でも評判のオシドリ夫婦である。
 イベント会場には必ずお二人で一緒に来られるし、ショーが終われば、仲良く肩を並べて帰られる。

牧瀬ご夫妻001

 二人の間には笑顔が絶えない。
 すでに、お孫さんまでいると聞いているが、いつも新婚ホヤホヤのような雰囲気が自然に漂ってくるお二人。

 その仲の良さは、いったいどこから生まれてくるのか?
 実は、個人的にも、それが少々不思議 (…失礼) でならなかった。 

 その秘密が分かってしまったのだ。

CCS東松山

 先だって、RVビックフットさんの直営店 「キャンピングカーステーション東松山」 を訪れたとき、社長の隣りに座って、取材後の雑談に応じられた奥様と牧瀬社長の会話を聞いていて、
 「あ、そういうことだったのか…」
 と、分かってしまったことがある。

 シンプルな結論だった。
 キャンピングカーを軸とした夫婦。

 「商売」 という意味ではなく、文字どおり 「ユーザー」 として、常にキャンピングカーを軸として結ばれていたご夫婦だから…というものすごく単純なことに思い至った。

 つまり、このお二人は、 「夫婦の仲を取り持ち、家族の絆を強めるキャンピングカーの力」 を、理屈ではなく、反射神経を養うように自然に身につけて来られたのだ。
 それまでは、キャンピングカーで寝泊まりするよりも、ホテル住まいの方がお好きな方々かな…と勝手に思い込んでいたのだが、それは勘違いのようであった。

牧瀬芳一社長005

 牧瀬芳一社長が、自分で使うためのキャンピングカーを造り始めたのは、25~26歳の頃だという。
 今から35~36年ほど前の話だ。

 それは、どんな時代だったのか。

 1975年にようやくベトナム戦争が終結し、その翌年にロッキード事件で、首相まで務めた田中角栄が逮捕されたりした時代。
 成田空港が開港され、自動車電話がようやく普及し、若い女性デュオのピンクレディーがデビューを果たす。

 もちろんその頃は、まだプロのキャンピングカービルダーなどほとんど存在せず、国産キャンピングカーといえば、好きな人がハンドメイドで仕上げた車両がわずかに存在しているに過ぎなかった。

 牧瀬社長も、そんなハンドメイドのキャンピングカーを造るアマチュアの一人としてスタートを切る。
 最初は、初代のハイエースを改造して。
 次は、コースターに手を加えて。

 目的はもちろん 「旅行」 。
 すでに結婚されて、お子様もいらっしゃった。

 「下の娘が、まだオシメしていましたからね。紙オシメがない時代でしたから、クルマのキャリアに干したり、室内で自然乾燥干させながら旅していましたよ」
 と牧瀬氏はいう。

 もちろん、将来キャンピングカーを造って、売るなどということは、まだ考えてもいない。
 ただ、時間を自由にやりくりできる自営業の “特権” を活用し、子供さんの夏休みなどに合わせ、1ヶ月から1ヶ月半ぐらいのサマーバケーションを毎年取っていたという。 

 現在ではリタイヤしたシニアカップルを中心に、キャンピングカーで1ヶ月を超える長期旅行を経験している人は多い。
 しかしこの当時、家族で1ヶ月半も放浪の旅を楽しんだユーザーというのは、そうとう珍しい部類に入る。

 あまりにも家を空け過ぎたがゆえに、とうとう奥様の実家が警察に捜索願いを出したこともあるとか。
 まだ、携帯電話などがない時代。
 地方でも田舎に行くと、公衆電話も少なかった。
 連絡を取り合うということが、いかに大変だったかを語るエピソードのひとつかもしれない。

 それだけの長い期間、いったいどんな旅行を楽しんでいたのだろう?

 「捜索願いが出されたというのは、ちょうど30日かけて、関西から九州を回っていたときのことでしたけれど、子供たちは普通に生活していましたよ。
 自分たちで時間を管理しながら、しっかり宿題や勉強をしていましたね」

 どんな場所に泊まり、どんな観光を楽しもうとも、お嬢さんたちは家にいるときと同じように勉強する時間を確保していた、と牧瀬さんはいう。
 ただ、それが普通の環境と違うのは、 「草原の教室」 だったり、 「木漏れ日の教室」 だったりしたことだ。

 「森の木陰にクルマを停めて、僕は朝からビールなどを飲んでいるんですが、娘たちは午前中の涼しい時間のうちに、車外にテーブルなどを出して勉強をしていましたね。
 彼女たちだって午後は自然の中で遊びたいから、昼前は一生懸命に勉強していましたよ」
 と、牧瀬さんは昔を述懐する。

 旅する家族の優雅な日常が伝わってくるような話だが、この時代、キャンピングカーに対応するようなサイトを持ったキャンプ場は少なかった。
 もちろん、今のような 「道の駅」 などというものもない。

 はて、いったいどんなフィールドに泊まっていたのだろうか?

 「今と違って、昔は豊かな自然に囲まれた空き地のようなものがいっぱいあったんですよ。
 キャンピングカーも少なかったから、マナーさえ守っていれば、土地の人たちもにこやかでしたね。
 町中に入ってきたときは、まず町役場や村役場を訪ねました。それから市民会館。
 そういうところの駐車場は夜になるとガラ空きでしたし、夏休み期間などは昼間からお休みモードなんです。
 だから、 “観光に来たんですけど” と声をかけておけば、たいてい “ゆっくり休んでいってください” と大歓迎されましたね」

 ……と話しているときに、奥様の美恵子さんが加わった。

牧瀬ご夫妻002

【奥様】 ほら、いちばん記憶にあるのは、もう使わなくなった北海道の鉄道の駅があって、星が宝石みたいなの。あれ、北海道のどのへんだったかしら…
【牧瀬】 確かサロベツ…あっちの方だったな。
【奥様】 とにかく4人でね、ずっと寝ころがって、星ってこんなにきれいなものだったのか! って…。
 とにかく、あれほど星を近くに感じたことがなかったんです。
 手を伸ばせば届きそうな位置まで星が降ってくるんですよ。
 もう家族4人でね、いつまでもうっとり夜空を見上げたまま……あれ、忘れられない旅だったね。

 こんな会話が、日常会話としてさっと出てくるご夫婦なのである。

【奥様】 ……富山の方を旅していて、道に迷ったことがあるんですよ。淋しいところで、おまけに霧が深くて、出てきた標識に 「人喰い谷」 って書いてあるのね。
 その字の書き方が、もう “八つ墓村” みたいで、怖いのなんの… (笑) 。
 ところがそれを抜けたところが、あの (今は小さな世界遺産の村として有名な) 五箇山だったんです。

五箇山

 当時はまだ有名じゃなくて、素朴な村だったんですけど、ほんとうに美しい景色が見えてきてね。
 そのとき “人喰い谷” を通ったからこそ、別の世界が開けたと思ったの。
 まるで、そこがタイムマシンのゲートみたいになっていて、タイムスリップしたと思ったくらいでしたよ。
 ほんと、キャンピングカーの旅って、スリルと感動が裏表になっているような、不思議な体験をたくさんもたらせてくれるんですよ。

 そんな思い出を数多く重ねているから、夫婦の呼吸はピッタリ!
 奥様は、そう伝えたいのかもしれない。

【奥様】 一緒に生活していると、ときどき 「もう離婚してやる!」 なんて思うことがあるんですよ。
【牧瀬】 まぁ、いつも一緒に仕事しているからね。イライラすることもあるよ。
【奥様】 でも、そういうときは、もう何も考えず、二人で旅に出るの。
 そうすると、氷のツララみたいにとんがっていた気分が、キャンピングカーに揺られているうちに、ポタポタと溶けていくのが分かるんです。
 なんであんなにピリピリしていたのかな…とやがて思うようになるんです。

 (↑) この奥様の一言!

 これぞまさしく、夫婦円満の秘訣が凝縮しているような、究極の言葉ではないだろうか。

 「家族の絆」 を確かめようと始めたキャンピングカー旅行。
 それが、 「夫婦の絆」 を確認するための旅に変わった。
 一緒に旅したお嬢さんたちも、今は嫁いでそれぞれ別の家に入り、そのお孫さんたちが中学生になろうとしている。

 そして、その嫁ぎ先にはみなキャンピングカーがあるという。

 「やっぱり、キャンピングカー旅行は本当に楽しいものだということが分かっているから、娘たちの家族にもそれが受け継がれたと思うんです。
 そしてその恩恵を、今度は孫が受けているわけですね。
 そう思うと、キャンピングカーを一度持った家族というのは、それをDNAのように伝えていくのかなぁ…とも思います」
 と奥様は語る。
 
 子供たちが巣立って、新婚当時のシンプルな家族構成に戻った牧瀬夫妻。
 それでも自分たちの旅行スタイルは変わらないという。

 奥様がいう。
 「私たちは、事前に旅の “情報” など集めないんです。
 だって、仕事の過密スケジュールから逃れるために出る旅なんですもの。旅までスケジュールにとらわれたくないんです」

 すると、牧瀬社長がすかさずツッコミ!
 「それは、単にわれわれが “計画的な人生” というものを理解していないだけかもしれないよ (笑) 」

 いい呼吸である。

 その牧瀬社長は、旅をどう考えるか。

 「今の人たちはネットで情報を集め、地方のイベントなどがあれば、それを見事なタイムテーブルに仕上げてスケジュールを組む人が多いですね。
 でも、旅というのは、そういう計画性を裏切るところが面白いんであってね、本来、旅というのは計画的には進まないものだと思っているんです。
 まさに、人生といっしょ……」

 だから、ついつい 「偶然」 を求める旅のスタイルになってしまうという。

 牧瀬さんたちの旅は、次の3点が基本方針となる。
 ① 高速道路は使わない。
 ② 一般道でも、幹線道路は走らない。
 ③ 観光バスがひんぱんに来るような場所には行かない。

 ひたすら 「脇道に逸れる」 のだという。
 だから、国道でも、走るのは3ケタ国道。あるいは県道。ときには農道も。

 「そうするとね、いい場所がいっぱい出てくるんですよ。
 とても美しいところなんだけど、地元の人たちが、その “美しさ” に気づいていないというのかな…」

キャンピングカーと雲007

 つまり、観光ガイドが取り上げる人気スポットではなく、誰にも悟られず、魔法の眠りにひっそりと守られたような風景。
 そんな場所を探すことが、牧瀬ご夫妻のキャンピングカー旅行の目的なのだ。

 奥様が、こうつけ加える。
 「この前ね、本にも載っていないような道の駅を見つけたんです。
 そしてクルマの中で目を覚まして、畦道みたいなところを散歩しているとね、澄んだ川の畔に、きれいなお花が咲いていて、野生のクレソンがおいしそうに生えていて。
 あんまり気分が爽やかなものだから、すれ違った人に “おはようございます” って挨拶したら、その人が、 “どうか、お茶飲んでいってください” っていうの!
 見ず知らずの方なんですよ!」

 都会では、すっかりなくなってしまった見知らぬ人同士の挨拶。
 そして、挨拶の後で交わされる交流。
 それが、まだメディアにも紹介されていないような地方には、美しい景色とともに残っている。

 「まるで 『日本昔話』 のような里だった」
 と、奥様はいう。
 
 民話のなかに流れるような、ゆったりした時間。
 土地の人々のきめ細やかな心づかい。
 胸がキュンと疼くようななつかしい匂い。
 そして、木々の色が目からしみ込み、心までグリーンに染めていくような美しい自然。

 そういう 「場」 を発見することは、キャンピングカー旅行以外にはできない。

 牧瀬ご夫妻の話を聞いていると、そんなメッセージがしっかり伝わってくるように思えた。



コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 20:05 | コメント(0)| トラックバック(0)

観光地のつくり方

 この前、テレビを見ていたら、 「妻篭、馬篭などという宿場町の面影を残した街並みを訪れる外国人観光客がどんどん増えている」 というニュースが流れていた。
 彼らはそこで、エキゾチックな古い日本の街並みを見物し、和風スイーツを食べ、景色をデジカメで保存して、国に帰ってからも楽しむのだそうだ。

妻籠・馬籠風景

 日本の伝統的な景色の価値にうとい日本人は、外国人がもてはやすことによって、ようやくそれが 「観光資源」 になると気づくようなところがある。
 もちろん、妻篭、馬篭などは、昔から日本でも有数な観光地だったけれど、おそらく、 「外国人たちが珍しがる風景」 を求めて、今まで興味を持たなかった日本人たちもこれから訪れることになるだろう。

 また、別の日にテレビを見ていたら、 「廃虚に関心を寄せる人々がどんどん増えている」 という報道があった。

 たとえば、長崎にある “軍艦島” 。
 昔、炭鉱で栄えた小さな島だが、その打ち捨てられた町の景観を見るために、今や1年間に7万人が訪れ、15億円の経済効果が上がっているとか。

軍艦島の廃墟

 このような産業遺産廃虚は、維持する意味もなく、かつ維持するには莫大なコストがかかると思われていたため、今まではどんどん取り壊されてきたが、ここのところ “観賞物” としての価値が認められるようになり、それを観光施設として保存しようという傾向も出てきているらしい。

 この二つの話は、何かを教えているようにも思う。
 つまり、 「観光施設」 のあり方というものを。

 「テーマパーク的な観光施設には限界がある」
 そんな感じがするのだ。

 廃虚ブームの中心となっているのは若者らしいが、若い世代なら、当然 「東京ディズニーランド」 の華やかな娯楽性にもたっぷりと浸かってきたはずだ。
 あるいは 『アバター』 のようなクリエイティブな3D画像にも十分共感できる感性を持った人たちだろう。

 そういう時代のテクノロジーが生み出す最先端カルチャーから、さらにそれを超え、その先の次元にあるもとして見出したものが、 “軍艦島” のような 「廃虚」 だという気もするのだ。

 つまり、バーチャルで擬似的な “感動の王国” より、現在は朽ち果てようが、かつては人間が生活を営んでいたという本物の手触り。
 要は、 「歴史」 の古層まで下降していくスリルのある体験。
 外国人観光客や日本の若者は、その本物の “奥行き” に気づいたのかもしれない。

 妻篭、馬篭を訪れる外国人観光客も、やはり日本に興味を持った最初のきっかけはアニメやファッションというサブカルチャーだったと話していた。
 宮崎駿のアニメに共感し、原宿・渋谷の “かわいいファッション” に興味を持った人々が、やがて、日本文化の古層そのものに触れたくなっていく。
 そのときに見出されたのが、妻篭、馬篭だったという。

 ヨーロッパを旅しているとすぐ分かることだが、ヨーロッパ観光というのは、基本的に 「歴史遺産の観光」 である。
 だから、どこに行っても、まず教会、古城などの見学から始まる。 「歴史」 に興味がなければ、つまらないもので終わってしまうかもしれない。

 しかし、ヨーロッパでは、歴史に興味がない人でも興味を抱けるような、様々な仕掛けがある。
 近年、ヨーロッパの観光ツァーで人気が高いのは、考古学の専門知識を持った学者が遺跡めぐりのガイドを務めるツァーであったり、歴史研究家との夕食会をイベントに加えたツァーだという話を聞いたことがあった。
 また、滞在地のソムリエや芸術家、海洋生物学者といった専門家と触れ合う体験を謳ったツァーも人気が高いとか。

 そういう筋金入りの欧米観光客たちを迎えるにあたって、今の日本の観光産業は、そのレベルに達しているのかどうか。
 考えると、なんとも心もとない気もするのだ。

 ただ、ここに至って、観光客の方から歴史資源に対する興味を持つ人たちが増えてきたことは良いことだと思っている。

 若い女性を中心にした 「歴史ブーム」 は一向に衰える気配がなく、大河ドラマの舞台となるような土地は、みな観光客の出足がいいようだ。
 
 歴史ブームの背景には、 『戦国無双』 や 『戦国BASARA』 といったゲームの影響があるだろうし、 『篤姫』 『天地人』 『坂の上の雲』 『龍馬伝』 などの大河ドラマの影響もあるだろう。

 それを 「軽薄だ」 と危惧する声も聞こえそうだが、たとえ現在は表層的なブームに見えようとも、歴史に対する興味を持つ人が増えることは良いことであって、それが、人々の平面的な現代生活に陰影を与えていくことは間違いない。

 ただ、そのような歴史遺産を、どう観光資源として演出していくのか。
 これまでの愚を繰り返していては、やがて若者にも、外国人観光客にもそっぽを向かれてしまうだろう。

 「これまでの愚」 とは何か。

 作家の椎名誠さんが 『サンデー毎日』 (2008年6月8日号) に掲載されたエッセイ 「ナマコのからえばり」 の一部を引用して、終わりたい。
 観光施設を造るときに日本人が犯しやすい 「愚」 を、椎名さんは的確に捉えている。
(※ 以下、椎名さんの文)

 地方のあちこちを旅していると町おこしとか島おこしなど、よそもの (=都会のプランナー) などがそれを組み立てることが多い。
 そこらの企画会社の適当なプランナーなどが手掛けると、例えば島おこしなどではすぐに 「愛ランド」 である。

 観光客の多くは感覚的に洗練された都会からやってくる。
 都会の人があちこちでひんぱんに見る 「愛ランド」 とか 「ふれ愛ランド」 などという陳腐な言葉は、もうその段階で 「廃棄期限」 が切れている。

 日本のあちこちに点在する似たような外国文化やその建造物のイミテーションによるナントカ村というやつも、そのチープさにおいて 「賞味期限」 はみな早かった。

 日本のあちこちを旅していて、観光地というのがおしなべて魅力的でないのは、つくり方が画一的で幼稚な部分が目につくからだ。 (中略)
 観光客を意識して構築された 「観光の対象物」 は、構築された瞬間から劣化と陳腐化が始まり、ずんずん 「賞味期限」 が落ちていく。

 それに対して、緑の山々や、昔と変わらぬ清流の川や、工事で変形改造されていない海などには 「賞味期限」 はない。

 バブル期のリゾート法施工のもと、2000億円で強引につくった九州の地の果てのシーガイアなどは、つくった段階で 「賞味期限」 が切れていた。
 きれいな海岸の十万本の松を切り、風景を切り裂く高層ホテルを造り、世界一という規模の波の来るプールを、本物の波の押し寄せる海の前に造ったという驕り。
 そこには、いかにして儲けるか、という 「経営のまなざし」 しかなかったのだろう。

 参考記事 「廃墟ブーム


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 20:50 | コメント(4)| トラックバック(0)

観光立国とRV

《 観光産業を育成するキャンピングカー 》

 観光庁の目指す 「観光立国」 というプロジェクトの推進に、キャンピングカーの果たす役割は、非常に大きなものだと思う。

キャンピングカーと湖

 「観光立国」 とは、観光による地域の活性化やレジャー産業の振興によって、新しいビジネスモデルを構築していこうという考え方だが、このようなテーマが浮上してきた背景には、少子化の進む日本の人口減少が、将来の日本の地域経済に深刻なダメージを与えるという認識が絡んでいる。

 日本の少子化は、思った以上に早く社会に影響を及ぼし始め、各地方における 「地域経済の縮小」 がすでに目に見える形で表れてきている。
 このまま放置すれば、人口の集中している大都市圏と、各地方の 「地域格差」 はますます広がり、地方の人口減少や補助金カットによる財政的困窮などによって、2030年にはほとんどの地域経済が縮小してしまうという予測が立っているといわれている。

 その流れを食い止める戦略こそ、各地域の観光政策の振興による交流人口の拡大だというわけだ。

 それを実現するために、平成19年1月に施行されたのが、 「観光立国推進基本法」 である。
 この法律の目的は、各地方の 「定住人口」 の減少を、観光による 「交流人口」 の増加でおぎない、観光客の誘致とその長期滞在を促進することによって、地域経済の活性化をうながそうというところにある。


《長期旅行の必要性》

 観光客の誘致に関して、いま観光庁がいちばん力を入れているのが 「訪日外国人旅行客」 の取り込みだ。
 実際に、中国人を中心に、日本観光に興味を持つ外国人は年々増えており、これらの人々を満足させる観光資源の整備は、同庁にとっても当面の大きな目標となっている。

 それと並行して、いま同庁が進めているのが、日本人による国内観光の活性化。

 外国人観光客の増加には明るい兆しが見えてきているが、日本人による国内観光の方は伸び悩んでいる。
 長引く不況、少子化、有給休暇の消化率の悪さなど、今の日本人の置かれた現状では 「観光を盛り立てよう」 という気運が生まれる要素は非常に低い。

 そのため、観光産業に関わる専門家たちの間では、観光地そのものの体質改善を図るためのアイデアがいろいろと討議されるようになってきた。

 そのひとつの考え方が、 「観光圏」 の育成。
 これは、従来、 「点」 と 「点」 で結ばれていた観光施設を、 「面」 で広げようという考え方だ。

 具体的にいうと、たとえばА市という温泉宿が集中する町があったとする。
 今までの観光産業の育成というのは、このА市ならА市だけの繁栄を考えて行われるものだった。
 しかし、これからの観光産業の育成は、А市にとどまらず、隣町のB市、C市を巻き込んだ形で行う必要があるとされる。

 その具体的な方法として、たとえば、А市、B市、C市の共同イベントを企画する。
 また、А市の温泉宿ですべてのサービスをまかなっていた方式を改め、連泊をうながす意味で、B市、C市の温泉と共同で使える 「共通入場券」 などを発行する。
 あるいはА市の宿で提供してきた食事サービスの回数を減らし、B市、C市のレストランを紹介する方法に変える。

温泉宿とキャンピングカー
 ▲ 温泉宿とキャンピングカー

 要は 「泊と食の分離」 を図りながら、 「宿から街へ」 「宿から自然へ」 と、観光資源を 「点」 から 「面 (エリア) 」 へと広げていくことが大事だというわけだ。
 これが 「観光圏」 という考え方である。

 このような企画が生まれてきた背景には、観光客の滞在日数を伸ばすという狙いがある。

 いま国内観光の滞在日数は年々減少傾向を示し、代わりに 「日帰り旅行」 の比率が上がっている。特に自動車旅行では、その傾向が顕著だ。

 自動車旅行で 「日帰り」 が増えた理由の一つは、ハイウェイの整備が進んだこともあるという。
 ドライバーの移動時間が短縮され、今まで1泊行程のところが、日帰りされるようになってしまったという皮肉な現象が起こるようになったわけだ。

 「観光圏」 は、この 「日帰り中心」 の旅をしている観光客に、いかに 「1泊」 してもらえるか。さらに、 「1泊」 の観光客に、いかに 「連泊」 してもらえるかという発想から導き出されたアイデアである。

 要は、 「観光客を “客” から “ファン (リピーター) ” へ」 。
 あるいは、 「週末住民を2地域住民」 へ。
 さらには、 「移動を、コスト (負担) と考えるのではなくベネフィット (楽しみ) として考えてもらうように」 …ということなのである。

 観光地の業者さんたちにとっては、日帰り客は、実は歓迎されざる客である。
 彼らは、宿泊施設に泊まらない。
 収益率の高い 「酒」 を飲まない。
 ゴミだけ残して帰る。

日帰り行楽で渋滞する高速道路
 ▲ 日帰り行楽で渋滞する高速道路

 これまで旅館業やその周辺で飲食業を営む人たちは、観光客に大いに酒などを飲んでもらうことによって、その経営を成り立たせてきた。
 そこで潤えば、多少ゴミを残して帰ってくれても大目に見よう、という余裕もあった。
 しかし、 「日帰り観光」 の率が高まると、その部分の収益が大きく目減りする。

 現在、日本人の旅行における平均宿泊日数は、3日弱だといわれている。
 これを4日にまで延ばすことで、国内観光消費額を30兆円にまで引き上げることができるという試算もある。
 そのためには、観光者の 「移動時間の短縮」 を、 「滞在時間の長さ」 に変えるプログラムの模索が各観光産業にとって急務となっている。


《 キャンピングカー客は長旅が好き 》

 そのような期待に応えられるアイテムとして、キャンピングカーの果たす役割は非常に大きい。

 日本RV協会 (JRVA) が隔年で発行する 『キャンピングカー白書』 によれば、 毎回 「ユーザーが将来してみたいこと」 の筆頭に、 「日本全国をゆっくり一周したい」 (2008年度調査では80.7パーセント) という声が掲げられ、2番目は 「気に入った場所を見つけて2~3週間滞在したい」 (55.4パーセント ※いずれも複数回答) という回答が寄せられている。

 また、つい最近、日本RV協会が行なった 「北海道旅行に対するアンケート調査」 においても、年々観光客の旅行日程が短縮化されるなかで、キャンピングカー旅行客だけは、長期滞在の傾向を示し、62.2パーセントのユーザーが、北海道では 「1週間以上」 の長期旅行を楽しんでいるという。
 なかには旅行日程が1ヶ月を超える人もおり、 「1ヶ月から3ヶ月もしくはそれ以上」 と答えた人の割合は、全体の22.4パーセントにも達している。

 北海道における一般観光客の旅行日程が 「3泊4日」 から 「2泊3日」 へと減少しつつあるなかで、キャンピングカーユーザーの 「1週間~3ヶ月」 という旅行日程は、異例に長いことが分かる。

北海道のキャンプ場001
▲ 豊かな自然に恵まれた北海道のキャンプ場

 キャンピングカーユーザーのこのような長期旅行が成立する背景には、日本RV協会などが繰り広げてきた  「団塊世代のリタイヤ夫婦マーケット」 の掘り起こしが功を奏したともいえるが、もともとキャンピングカーユーザーは、ファミリーユースにおいても長期旅行を楽しむ傾向が強い。
 キャンピングカー旅行には、旅館やホテルなどの予約を取らなくてもいいという気楽さがあり、宿泊費・滞在費も圧縮できるというメリットがあるからだ。

 ユーザーたちは、そこで圧縮された宿泊・滞在費を、各地方のグルメ探索、アミューズメント施設・温泉施設などへの出費に振り向けており、その1日あたりの消費額は平均して1万円前後 (キャンピングカー白書) と言われている。

 これはホテル・旅館の投宿したときの出資額よりもかなり低いが、半面、消費の範囲が 「点」 (ホテル等の宿泊場所) から 「面」 (観光エリア) へ広がっていることに注目していいだろう。
 これは、観光学者たちが唱える 「観光圏」 という考え方にも合致する。


《 定住者と観光客の触れ合い 》

 「観光圏」 とは、前述したとおり、従来 「点」 と 「点」 で結ばれていた観光施設を、 「面」 で広げようという考え方だが、気に入った場所を見つけてその周辺を遊んで回るキャンピングカー旅行のスタイルは、まさに 「面」 を満たしていくような形をとる。

 飛行機や列車のように 「点から点」 へと移動するものとは異なり、キャンピングカー利用者が 「面」 で動けば、キャンピングカーが走る地域のレストラン、ガソリンスタンド、みやげ物屋などがくまなく経済効果の恩恵に浴することができる。

 また、それによって定住者と観光客とのインタラクティブ (双方向的) なコミュニケーションが生まれることも見逃せないだろう。

 キャンピングカー旅行は、旅先でみやげ物を買って、写真を撮っただけで満足するような受身の旅行とは異なり、地場の新鮮な食材を手に入れてそれを車内で食したり、キャンプ場で調理したり、あるいはキャンプ場を基点に立ち寄り温泉に通ったり、地元の祭りを見物して夜店を覗いたり……と常に旅先で出会った人々とのコミュニケーションを求める傾向がある。

 実際に、キャンピングカーでリタイヤ後の人生を満喫している人たちの中には、気に入った場所を見つけると、そこにしばらく “住み着いて” しまう人もいる。

 彼らは、知らない土地で、珍しい食材を手に入れ、その土地独特の味付けで調理してみることが、とても面白いと語る。
 調理のコツが飲みこめない場合は、地元に人に教わる。
 そうすれば、今まで経験したことのない料理も楽しめるし、地元の人との交流も生まれる。

 そういう人たちが増えることによって、定住人口が減少した地域経済がどれだけ活性化するかは想像するまでもないだろう。


《 インフラ整備の立ち後れ 》

 こう考えると、観光庁がさかんに呼びかけている 「観光客の地域における長期滞在」 は、リタイヤした熟年キャンピングカーユーザーがいちばん実現しやすい位置にいることが分かってくる。

 彼らには、気に入った場所でのんびり過ごす時間と余裕がある。
 実際に、 『キャンピングカー白書』 によると、ユーザーの83.9パーセントは40歳代から60歳代の人たちによって占められており、その中でも定年を迎えた 「60歳代」 のユーザー比率は21.8パーセントと高い (※ 2008年データ) 。

 つまり、日本ではじめて、平日でも長期旅行を楽しめる新しい層が誕生したのだ。
 この層が、キャンピングカーの普及に伴ってさらに裾野を広げ、それに続く世代にも刺激を与えてキャンピングカー旅行を定着させていくことは、疑う余地もないように思える。

 にもかかわらず、彼らのキャンピングカーライフを満足させるインフラ整備は遅々として進んでいない。

 最近は、 「自然体験」 を折り込んだ旅行などにも注目が集まるようになり、キャンピングカー旅行などは、それにもっとも適しているように思えるが、その観点から観光産業を考えようという発想が行政側には希薄に感じられる。

 里山や農村との交流を図る 「グリーンツーリズム」 という考えが提唱されているとはいえ、その移動手段は相変わらず従来型の交通機関を想定したものに過ぎず、自動車旅行を前提としたものでも乗用車止まり。
 むしろ、自動車を排斥する形で、エコツーリズムを提唱しようとする流れさえある。

 しかし、キャンピングカーは、エコロジーの精神をもっとも体現している乗り物であることを忘れてはならないと思う。


《 エコ精神に満ちたキャンピングカー 》

 一般的な自動車が、 「人を乗せる」 、 「物を運ぶ」 という形で、走り続けなければ価値を発揮できない乗り物であるのに対し、キャンピングカーは、クルマを止めて、滞在するときにこそ真価を発揮するクルマである。

 つまり、キャンピングカーは、乗用車に比べ 「エネルギーを浪費しない」 、 「排ガスなどで環境を汚さない」 という特性の方が目立つクルマといえる。

 なにしろキャンピングカーは、外壁と内壁の間に 「断熱材」 を封入しているものが多いため、車外の温度変化の影響を受けにくい。
 そのため、エアコンやヒーターの設定温度を低く保ったり、さらには、冷暖房機そのものを使用しない時間を増やすことができる。当然、エネルギー消費を抑え、CO2の排出も抑えられるようになる。

 さらに、ソーラーシステムによるエネルギーチャージなど、キャンピングカー業界は、環境にローインパクトな新しいエネルギーシステムを開発することに積極的である。
 日本RV協会の最新調査によると、ソーラーパネルを装着しているユーザーの比率は、2000年から少しずつ上昇し、2006年には20.0パーセントにまで上がり、2009年には、36.4パーセントに達しているという。

 地球温暖化現象や環境汚染が心配される中で、EV (電気自動車) への関心が高まっているが、EVの本格的普及にはさらに10年以上の時が必要だといわれている。
 そう考えると、現状において、環境保全の精神をもっとも体現している乗り物はキャンピングカーであると言ってもいいのではなかろうか。

 しかしながら、日本の行政はキャンピングカーに対する理解が非常に乏しい。

 まず、日本には諸外国で普及している 「都市型キャンプ場」 というものが整備されていない。


《 諸外国のキャンピングカー事情 》

 その点、早くからキャンプやキャンピングカーの普及による観光産業の普及を国是として定めたフランスなどは違う。
 パリ郊外には、地方からキャンピングカーでロングバケーションを楽しむために集まってくるキャンプ場などがしっかり整備されており、キャンプ場の前にある駅から地下鉄に乗れば、2駅か3駅ほどでオペラ座に着く。

 ドイツなどでは、古城めぐりを楽しむ地方からのキャンピングカーユーザーを想定して、無料で、長時間クルマを止めておける広い駐車場が確保されている。

 アメリカの場合は、国立公園のような観光地を控えた大都市では、都市中心部に堂々とキャンピングカー専用のキャンプ場 (RVパーク) が整備されており、キャンピングカーで都市を訪れた観光客は、そこにクルマを停め、シャトルバス、タクシーなどを利用して、街中のショッピングや散策に出かける。

ラスベガスの都市型キャンプ場
▲ ラスベガスの都市型キャンプ場 (RVパーク)

 もちろん、キャンピングカーユーザーの便宜を図るインフラが整備されるかどうかは、キャンピングカーの普及度がモノをいう。絶対数が少なければ、一部の利用者がどのように声を張り上げても、それは 「ニーズ」 として認められない。

 しかし、欧米では、行政が率先してキャンピングカーユーザーの便宜を先取りするような形で、インフラ整備を進めてきたことも事実なのだ。
 それは、オートキャンプやキャンピングカーを振興させることで 「観光産業を育成する」 という、しっかりした国家的目標が確立されていたからだ。

 幸いなことに、日本ではETCの普及により、いま高速道路の各地にETCに対応した新しいインターチェンジが増えている。
 このような、新しい高速道路の出口などに、今までとは異なる都市空間を創造するくらいの思い切った方針が打ち出されてもいいのではなかろうか。

 そのような場所に 「新しい観光スポット」 を建設し、さらに従来の観光スポットと有機的につながるような整備を進めていけば、それが新しいビジネスモデルを生むチャンスにならないとは限らない。


《 自然保護にもつながる観光タウンを 》

 「観光スポット」 というと、どうしてもハコモノを思い浮かべがちになるが、必ずしも、コストをかけたハコモノを建設する必要はない。

 たとえば、その 「街」 の入口は、いま新しいライフスタイルとして定着しつつある 「車中泊」 用スペースから始まってもいいのではないか。
 あるいは有料でトイレ、水場、電源設備などを用意して、キャンピングカーユーザーの便宜を図る空間を広げてもいい。

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▲ 車中泊で朝を迎えるドライバーたち

 「街」 を誕生させるとなると、自然の野山を潰し、木々を伐採してフラットな空間を広げ、ハコモノを増やしていくという着想が支配的になるが、その自然の高低差や木々のたたずまいをそのまま生かし、いっそのこと “インター直結のキャンプ場” などを造ってみてはどうか。

 そして、そのような場所にクルマを集中させ、あとは徒歩で楽しめるトレッキングコース、ハイキングコースなどの自然観光施設を周りに広げていく。
 このように、キャンピングカー旅行を快適にするためのインフラ整備は、日本の自然を保護する政策とも合致するように思う。


《 外国人観光客も取り込む 》

 このような環境を整えていくことは、訪日外国人観光客に向けての 「旅のスタイル」 の選択肢を増やすことにもつながる。

 欧米ではレンタルキャンピングカーが普及しており、それを長期的に借りて観光地をめぐるというのが、ひとつの旅行スタイルとして確立されている。
 レンタルキャンピングカーのシステムが普及し、その使用環境が整っていけば、日本の観光でもそれを利用したいと思う外国人観光客は多いはずだ。

 さらに、増加の一途をたどる中国人観光客にも、このようなレンタルキャンピングカーを活用できる制度上の整備を進めてあげれば、レンタルキャンピングカーとその宿泊場所をセットにした巨大なビジネスモデルが浮上する可能性はけっして少なくない。

 日本政府観光局が、昨年の8月~9月にかけて、日本に滞在している外国人観光客に、 「どんなことを体験したいか」 を調査したところ、上位三つは、
 ① 「日本料理を食べる」 (70.2パーセント)
 ② 「伝統的な建築様式を見る」 (64.2パーセント)
 ③ 「伝統的な日本庭園を見る」 (50.3パーセント)
 で、前年の調査と変わらなかったらしいが、前回11位から一気に8位に浮上してきたものがあった。
 
 それは、 「ハイキング、登山、サイクリングをしたい」 (23.6パーセント) というもの。
 ここに来て、外国人観光客の自然志向が大いに強まってきたことが分かる。

 日本の自然は、世界でも有数な森林資源に恵まれているということが、ようやく海外の人たちに理解されてきたのだ。

 まさに、キャンピングカーでキャンプ場などを訪れ、クルマを前線基地として、そこからウォーキングなどを絡ませた自然観光をめざす。
 そういう観光スタイルが浮かび上がってきたように思う。

 日本の地方行政や各観光産業もいち早くそのことに気づき、ぜひとも、 「観光立国」 に向けた “キャンピングカー大国” としての道を歩んでいってほしいと願う。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 20:29 | コメント(2)| トラックバック(0)

空中浮遊

 「気力」 の元は、やはり 「体力」 かもしれない。
 木曜日…もう3日ぐらい前のことだけど、夜になって、ものすごい悪寒に襲われた。
 当日は、 「今日はポカポカ春の陽気です。昼間は上着もいらないでしょう」 なんていう天気予報に騙されて、いつもより軽装で出勤したんだけど、家を出た瞬間、 「寒いぜよ」 と思ったが、そのまま気にせず会社に向かった。

 昼になって、太陽が中天に上がってからも、ぜんぜん身体が温かくならない。
 夜になると、ますます身体が冷えて、退社後、暖房の効いた電車の中で震えだしてしまった。
 
 帰宅後、夕飯を食う気力もなく、布団の中にもぐり込んだのだけど、布団がまったく体温で温まらない。
 珍しく夜の11時には寝たんだけど、その後、2時間も3時間も、寒くて眠れないのだ。
 とんでもない高熱が出るんだな…と覚悟したが、熱が出る気配もなく、ただただ底意地の悪い悪寒が続くだけ。
 
 金曜日にどうにか出社したものの、熱もないのに身体が空中を浮遊している感じで、昼から病院に行った。
 インフルエンザの検査をしてもらったが、結果は陰性で、熱も37度ぎりぎりの微熱。

 お医者さんの見立ては、 「ただの風邪でしょう」 ということで、風邪薬を5種類ぐらい調合してもらって早退した。

 薬を飲んで、早々と布団にくるまったら、 (薬のせいもあるのだろうけれど) 今度はいくらでも寝られてしまう。
 今までは、だいたい5時間ほど寝ると目が醒めてしまうのだが、寝ても、寝ても、まだ眠い。
 そんな感じで、日が昇り、日が沈み…。

 「これだけ寝りゃ、もう体力も回復しただろう」
 と思って起きると、やはり空中を漂っているような頼りなさが身体全身を包む。
 足が地面に着いている感じがしない。
 おう、こりゃ “空中浮遊” ってやつかいね…ってな感じなんだな。

入道雲2008

 廊下を歩いていても、まるで、雲の中を漂っている気分だ。

 仕事をする気力もないんだけど、ブログなどを書く気力もなく、パソコンのスイッチを入れても、画面操作する意欲も湧かなくて、仕方なく布団の中にもぐり込んでしまうと、また、いつの間に寝ている。

 日曜日の朝になってベッドから起き上がったら、ようやく 「地に足が着いた」 心地がした。
 
 ここのところ寒暖の差が激しい気候が続いている。
 春先の気候はそういうことが多いけれど、今年は特に 「暖かい日」 と 「寒い日」 の入れ替わりが激しいという。

 皆さまも、体調管理に気をつけましょう。




ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 09:44 | コメント(4)| トラックバック(0)

自然が子を育てる

 『キャンピングカースーパーガイド2010』 では、いつも巻頭に読み物ページを作っている。
 今回もいくつかのテーマがあるのだけれど、そのひとつの企画を進めるために、アウトドアジャーナリストの中村達 (なかむら・とおる) さんに取材することができた。

中村達氏002

 中村さんは、日本アウトドアジャーナリスト協会の代表理事も務められ、東京アウトドアズフェスティバルなど、数々のアウトドア事業の総合プロデュースを手がけられる方で、 『アウトドアマーケティングの歩き方』 など、数々の著書をお持ちである。

 その中村さんが、取材中に、
 「日本のアウトドア文化は、いま壊滅的な状況ですよ」
 と、ポロっとこぼされた。

 どういうことかというと、日本の子供たちの “アウトドア離れ” というのが、いま相当深刻らしい。

 「子供のアウトドア離れ」 というと、すぐコンピューターゲームをする子供が増えた…など、バーチャルな文化が “災い” しているように語られがちだが、中村さんが言うのは、もっと実務的なことで、いま教育の現場から子供たちに 「自然を学ばせる」 カリキュラムそのものが減少しているというのだ。

 たとえば、昔は盛んだった 「臨海学校」 や 「林間学校」、 「キャンプ大会」 。これが、いま学校教育からどんどん削られる傾向にあるという。

 なぜか?

 ひとつは、そういうイベントで事故など起こってしまったら、学校が責任を取りきれないという社会状況が生まれてしまったこと。
 また、もうひとつは、そういうイベントを指導できる先生がいないこと。

 生徒を指導する若い先生が、自然体験をしていないために、虫が出ただけで、 「キャーッ」 と叫び声を上げるような状況では、学校側にアウトドア教育をお願いすること自体が難しい…と中村さんは語る。

 では、学校に代わって、親が子供たちに自然学習をさせればいいのだが、今度は、親にも自然との遊び方を知らない世代が台頭してきている。
 今の小学生ぐらいの子供を持つ親は、アウトドアウェアを買っても、それをファッションとして都会で着ているような人たちだから、ウェアのサバイバル機能そのものすら知らない。

 「こういう事態がそのまま進めば、日本の子供たちは、現実に適応するための能力や感性をどんどん失っていくだろう」
 と中村さんは危惧する。

 どういうことか?

 「自然こそが、人間の感性を磨くいちばんの宝庫だ」 というのが、中村氏の持論だからだ。 

 氏は語る。
 「自然というのは、 “不思議発見” の世界なんです。つまり自然は、変幻きわまりない “変数” で構成されているわけですね。
 自然というのは、その “変数” を人間に読み解くことを迫るわけで、そのおかげで、人間は自然の不思議さに気づくようになるんです」

 つまり、雲の形だって波の形だって、同じ形など絶対にありえない。
 気候も景色も、場所が変わらなければ同じものが繰り返されているように見えながら、厳密にいえば、同じものを二度と繰り返していない。
 魚や昆虫だってそう。
 同じ種と出合っても、同じ個体と出合うことはまずない。

波001

 そのような、無限に広がる大自然のバリエーションに接することが、人間の好奇心の原点なのだと、中村さんはいう。

 そしてそれこそが、アメリカの海洋生物学者レイチェル・カーソンのいう 『センス・オブ・ワンダー』 なのだと。

 「センス・オブ・ワンダー」 というのは、レイチェル・カーソンのベストセラー書籍の名前だが、題の意味するところは、 「神秘さや不思議さに目を見はる感性」 。
 そのような感性が “自然体験” から生まれてくることを、レイチェルは、姪の息子である4歳のロジャー少年を森や海辺で遊ぶばせる過程から理解したという。

日本の川005

 日本では、分子生物学者の福岡伸一氏の人気がすさまじいが、彼が生物の神秘に魅了されるようになったきっかけは、鮮やかなブルーの色を持ったルリボシカミキリを捕まえたいという一念から生まれた。

 福岡さんの 『生物と無生物のあいだ』 (講談社現代新書) は、65万部を超える大ベストセラーとなったが、福岡さんが “生物と無生物の境界” というものすごくイマジネーティブな領域に関心を持つセンスを養ったのも、やはり自然体験によって培われてきたものなのだろう。

 「感性をきちっと自分の中に育てられるのは二十歳までです」
 と、中村達さんは言い切る。
 「30歳以降になると、雑念がいっぱい頭に中に浮かび、理屈で整理するクセがついてしまうから感性が磨かれない」

 「若ければ若いほど、自然の匂いとか香りなどに敏感になる。そしてそれが、理屈ではなく、身体を通してその人の心に刻まれる」
 と、中村氏は力説する。

 2008年に、日本人学者が4人同時にノーベル物理学賞、ノーベル化学賞などを受賞したことがあったが、賞を取るための秘密を尋ねられたとき、彼らが口を揃えて答えたキーワードは、いずれも 「自然」 だったという。

 では、どのようにすれば、日本の子供たちがもっと自然に接する機会を持てるようになるのか。

 中村さんは、やはり社会教育として進めていくしかないと答える。
 フランスでは、 「アニマトゥール」 という制度があり、親がロングバケーションを楽しむ季節になると、子供たちをサマーキャンプに連れ出す公的な野外教育機関が整っている。

 アメリカでは、アウトドアズが国是となっているため、教育機関においても、保護者間においても、子供たちを自然になじませようというカリキュラムがしっかり浸透している。
 だから、アメリカでは、両親が子供を連れて長期間バックパッキングなどをしている間は、子供を学校にやらなくても、親が教育を代行してもいいという慣習ができている。

 日本においても、そのような社会システムが構築されることが望ましいのだが、それがしっかりしたものとして整備されるまでは、やはりキャンピングカー旅行による親子の触れ合いが大切だと、中村さんは語る。

 「キャンピングカー旅行を、上手に自然の中のウォーキングなどと組み合わせていけば、子供にとってはとても刺激的な自然体験ができるようになる」
 中村さんは、そう確信する。

キャンピングカーでキャンプ007

 そのためには、キャンピングカーを受け入れてもらうためのインフラ整備や、キャンピングカー先進国の欧米観光客をもっと誘致して、彼らにキャンピングカー旅行を楽しんでもらえるようなシステム構築も必要になるだろうとのこと。

 とにかく、キャンピングカー先進国の人たちが、日本で当たり前のようにレンタルキャンピングカーなどを使いこなす状況が定着していけば、日本のキャンピングカー文化は劇的な変化を遂げる、と中村さんは観る。

欧米人のキャンプ風景
▲ 欧米人のキャンプ

 彼らが、キャンピングカーを通じて、いかに自然を楽しんでいるのか。
 それを学ぶことで、日本のユーザーも、今まで思いもつかなかったようなヒントをたくさん得ることができるはず。

 そう語る中村達さんの表情は、 「日本のアウトドア文化は壊滅的だ」 と話し始めたときとは逆に、明るい希望の光に満たされていた。

中村達氏003  

 参考記事 「中村達さんの視点」
 参考記事 「日本のアウトドアの考察」
 参考記事 「幕張のフォーラム」
 

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 10:43 | コメント(10)| トラックバック(0)

女主人の帰還

 病院からカミさんが帰ってきた。
 …といっても、外泊許可が出たというだけである。
 前回の外泊許可が出たのは正月だったから、3ヶ月ぶりの帰還ということになる。

 いつもなら終電まで残業するか、会社に泊まりこんで仕事をする時期なのだが、金曜日は都内の取材を終えてからすぐ帰宅し、風呂を洗って、床を掃除し、ゴミをまとめて…。

 なにしろ、白血球が足りないため、ウイルスなどの感染がいちばん怖い。
 土曜日は、朝から布団を干し、日光消毒して、枕には洗い立てのタオルを巻く。
 床は二度も雑巾がけをする。
 犬は近づけないように、ケージに入れる。

 自分も風呂に入って、目玉を抜いて、そこから水を流し込み、いちおう頭蓋骨の中まで洗浄する。
 首は、ネジを外して胴体から取り外し、内臓も二度ほど洗剤で洗った。
 肺は煙草のタールで真っ黒だったので、タワシで擦ってみたが、あまりきれいにならなかった。

 病院に迎えに行くと、カミさんはすでに支度をして待っていた。
 4ヶ月にわたる闘病生活で、 「10㎏痩せた」 という。
 「いいダイエットになったな」 と小突くと、 「念願の10㎏減をついに達成!」 と明るく笑って返してきた。
 だいぶ調子を取り戻したようだ。

 タクシーで家まで戻る。
 家が近づくと、 「なつかしい景色…」 だという。
 3ヶ月という期間は、見慣れた景色すら “なつかしい” ものに変えてしまうものなのかもしれない。

 犬が牙をむき出して吼えるかと思ったら、まだ女主人の顔を覚えているらしく、尻尾を振っている。
 本当なら、腕を伸ばして抱き上げてやりたいのだろうけれど、犬の持っているばい菌を警戒してか、遠くから顔を見るだけ。
 それでも、犬と女主人はなんらかの心の交流をしたようだ。

 「ラーメンが食べたい」 という。
 即席ラーメンを作ってやろうと思ったが、ラーメン屋の麺を食ってみたいらしい。
 「自転車に乗れるかどうか、試してみたい」
 というので、二人で自転車をゆっくり漕いで、駅前まで出る。

 ところどころ、桜が満開。
 その下を、春の風に吹かれて、通り過ぎる。

桜満開001

 ときどき、自転車を漕ぐのを止めて、桜を見る。
 まだ、ずっと漕ぎ続ける体力がついていないらしい。

 「ラーメンって、こんなにおいしいものとは…」
 と笑うカミさんの顔を眺めながら、自分は長崎ちゃんぽんを食う。

 本当に、少し痩せたようだ。
 でも、不健康な感じではない。
 2ヶ月ぐらい前なら、ラーメンの脂の匂いをかいだだけで、顔をそむけていただろう。
 食欲がだいぶ戻ったようだ。
 退院も近いのかもしれない。

 夜、カミさんが隣り部屋のベッドにもぐりこんだ後、テレビを見ながら酒を飲んだ。
 いくらでも酒が入っていく。
 頭の中から、仕事のことがパァーッと飛んでしまった。

 明日の朝、カミさんに何を食わせてやろう。
 考えたのは、それだけだった。


  
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:07 | コメント(12)| トラックバック(0)

場末

 「場末」 って、好きだ。
 BASUE……

 今、この言葉はどれほどまで機能しているんだろうか。
 ひょっとして、もう 「死語」 なのかな。

 若い人は、もうこういう言葉を知らないんじゃないか?

 「街の中でも、目抜き通りから少し外れた、さびれた場所」
 …っていうような意味なんだけど、色としてはくすんでいて、カタチとしては崩れていて、音としては歪んでいて、照明でいえば、蛍光灯じゃなくて、もちろんLEDなんかじゃなくて、 「裸電球」 という感じ。
 男が立ちションベンしていても、誰もとがめない場所…っていうのかな。

 「白い幻想」 とか、 「チャコの店」 とか、 「ムーランルージュ」 なんていう看板掲げた古めかしいスナックが並んでいて、いずれもスツールに5人座れば満席となるようなカウンターの奥で、化粧の濃い60過ぎぐらいのおばあさんが、物憂そうに煙草を吸いながら客を待っている感じ。

 いいよねぇ。
 オレ、そういう場所がこの上もなく好きなの。

 で、ときどき男だか、女だか分かんねぇ化粧の濃い女装の人間がドアの外で客待ちしていてさ。
 「兄さん、1時間2千円でいいから、飲んでかない?」
 とか、声かけられてよ。
 「千円しかねぇよ」
 …とでも言おうもんなら、
 「バカやろー、金のねぇガキがうろうろする場所じゃねぇよ!」
 とか怒鳴られたりね。

 昔は、そんな場所でよく飲んだ。
 隣りには、シワシワのスーツに折り目の消えたスラックス履いたサラリーマンがさ、カウンターに頬つけて居眠りしててよ。
 「ショーちゃん、もう朝の5時だよ。このまま会社いくんかい?」
 なんてママさんに小突かれたりしててさ。

 そんな場所が街から少しずつ消えていって、どこもかしこも清潔になっていって。
 街がどんどんつまらなくなって。

 で、この前、ちょっと用事があって、東京の新宿に出たのよ。
 少し時間があったから、久しぶりに、昔さまよっていた場所をうろうろしてたらさ、どこか 「場末感」 の漂う一角が、まだあんだよね。

 「国際劇場」 という映画館が残っていてさ。
 “ポルノ映画” やってんだよ。
 「アダルト」 じゃなく、昔なつかしい 「ポルノ」 だよ。
 「ラーメン博物館」 じゃねぇけれど、こりゃ一種のテーマパークだな…と思った。

昭和館001

 今さ、パソコンで無修正画像が見られるような時代に、いったいどういう人が入るんだろう…って、しばらく立ち尽くしてしまったよ。

 入っていく人は誰もいなくて、出てくる人も誰もいなくて。
 階段の奥は、しんと静まりかえっていてさ。

昭和館002

 なんか、 「幻の映画館」 っていう感じで、中に入ると、もう映画なんてやってなくて、妖精や妖怪がパーティでもやってんじゃねぇの?
 …って、無類に想像力を刺激されてしまった。

 この 「国際劇場」 の方には入ったことはないけれど、東映のヤクザ映画をやっていた 「新宿昭和館」 の方にはよく通った。
 「仁義なき戦い」 シリーズなんてのは、みんなそこで観たんじゃなかったかな。
 30年以上も前の話だけど。

 うだつの上がらないサラリーマンたちがさ、誰も待っていない家に帰ってもしょうがねぇ…ってんで時間をつぶしているような映画館でさ。 (オレもその一人なんだけど)

 みんな前の席に足を乗せて、寝そべるように画面を見てんのよ。
 「禁煙」 なんて表示が意味もないくらい、館内には煙草の煙が充満していてさ。

 松方弘樹も、小林旭も、文太も、室田日出男も、みんな暗いつややかな声で、アウトローの生き様を歌うのよ。
 そんな声に惚れたね。
 
 で、映画がハネると、 「元気」 もらって、近くの居酒屋で一人でコップ酒あおってさ。
 
 そろそろ終電だ…ってんで店を出て、ホテル街の方に消え行こうとしている男と女の背中を見ながら、一人駅の方に向かって。

新宿「千種」
 ▲ 昔よく通った居酒屋。まだあったんだね 

 この前、久しぶりに 「国際劇場」 のあたりをうろうろして、そんな時代を思い出した。

 昔からそういう街を歩くのが好きなの。
 「ワイルドサイド」 …っちゃ少しおおげさだけど、 「Take a walk on the wild side」 って、ほらルー・リードが歌うじゃない。
 あんなニューヨークのようにカッコよかねぇけどさ。
 新宿の一角には、どこか和風のワイルドサイドが、少しだけ残ってんのね。 

 日なたに出ると、日光で殺菌消毒されちゃいそうな男と女が闇に消えていくような街って、いいよね。

▼ ルー・リード 「ワイルドサイドを歩け」



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 03:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

桜の樹の下には

 桜の花が満開になるとき、 「なんか変な花だな…」 といつも思う。
 「過剰」 を絵に描いたような花だからだ。

 美しさ、華やかさ、艶やかさ。
 すべてが過剰だ。

桜001

 植物が花を咲かせることには、すべて意味があるのだけれど、桜だけ 「そこまで必要なの?」 っていう過剰さがある。植物の生理を超えた、何か別の “目的” があるのではないか、と考えざるを得ないような無意味さが感じられるのだ。

 そこから、桜の花の美しさには、人間の知り得ぬ秘密が隠されているのではないか? と疑う人たちも出てきた。

 小説家の梶井基次郎は、 「桜の樹の下には屍体 (したい) が埋まっている」 という書き出しで始まる 『桜の樹の下には』 という掌編を書かざるを得なかった。

 主人公はいう。
 「俺は (桜の美しさに) 不安になり、憂鬱になり、空虚な気持ちになった。しかし、俺はいまやっとわかった」

 「桜が美しいのは、その樹の下に馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体が埋まっているからだ」
 …と主人公は想像するのだ。

桜004

 そして、その腐乱した屍体がたらたらと垂らす 「水晶のような液」 を桜の根が吸収し、それが爛漫と咲き乱れる花の美しさに変わると、彼は考える。

 この表現があながち突飛 (とっぴ) に感じられないのは、梶井基次郎の言わんとしたことが、桜を観賞する人の無意識に潜む 「畏 (おそ) れ」 を代弁しているからだろう。

 特に、しんと静まり返った野に咲く夜桜などは、 「美しさ」 が度を超して、淫靡 (いんび) にも、邪悪にも見える。
 夜の桜の森は、時に、魔境である。

桜003

 昼間でも、あのむせかえるような満開の花に接すると、時に、気が遠くなるように思えることがある。
 酒も飲んでいないのに酩酊してしまう。
 正気が失われ、足元がすくむ。

 そのような思いに駆られたとしたら、その人は、過剰なばかりに燃え盛る 「生」 が、実は 「死」 に近いことを察するからなのかもしれない。
 そして、おそらくそれは、誰もが感じていることに違いない。

 事実、その花びらは、一瞬のうちに地上から消え去る。
 満開の艶やかさなど、まるで幻影でしかなかったように。

 風にさらさらと吹かれて地面を去っていく桜の花びらは、 「春の死」 を感じさせる。
 それは、死の中で、もっとも豪華絢爛 (けんらん) たる死だ。
 そして、哀しみからもっとも遠い、物憂い死でもある。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 02:47 | コメント(6)| トラックバック(0)
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