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>TOMYさん、よう…
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町田 03/14 00:28
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町田 03/12 17:43
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深夜のシャーデー

シャーデー・アデュ

 シャーデー姉さん、カッコよすぎ!
 みんな見た?
 昨日の晩…というか、今朝っていうか、BS2で2時から3時半までやったシャーデーの 「黄金の洋楽ライブ」 。

 デビューしてから25年目なんだってさ。
 …つぅーってことは、もう50歳?

 だけど、彼女の場合、 「歳」 ってのを超越しているよね。
 永遠の “乙女” だな。

 素晴らしいステージだった!
 
 ちょっとだけ見て、すぐ寝るつもりだったけれど、見ているうちにどんどん引き込まれてしまって、冷蔵庫の中からジンロを取り出して、それを伊藤園の 「お~いお茶・濃い味」 で割って、ガンガン飲み始めてしまったよ。

 シャーデー・アデュは、オレにとって 「女神」 なの。

 80年代の “音” で、いちばん印象に残った音は何? って聞かれたら、間違いなくシャーデーの 『ダイアモンド・ライフ』 を挙げたい。

シャーデー「ダイヤモンドライフ」

 あのアルバムは、本当に何度も聞いた。
 聞いて、聞いて、…夢の中でも鳴っていた。

 彼女が原曲をつくり、彼女のバンドがアレンジして奏でる音は、R&Bへのリスペクトがちゃんとこもっていて、そこにジャズの洗練さが加わり、それでいて、誰にも追従できないようなシャーデーの音が確立されていて、本当に刺激的。

 シャーデー・アデュは、若い頃マービン・ゲイとか、カーティス・メイフィールドをさんざん聞いた人らしい。

 分かるよ、それ。
 70年代ソウルの、最高のエッセンスを体現していたアーチストたちに憧れた人の求める 「音」 は、すぐ分かる。

 ネオンまたたく都会の夜の熱さを訴えながら、夜明けの冷気のようにクール。
 そこに、コップに垂らした一滴のインキのように広がっていくアンニュイ。

 男が一人でバーで酒を飲んだりするとき、とりあえずシャーデーが流れていれば、どんな男でもカッコがつく。

シャーデーアルバムジャケ001

 で、BSでやっていたこのライブでも、 「スムース・オペレーター」 のような、ホントに気がおかしくなるくらい聞いた曲を流してくれたおかげで、ついに、ジンロの瓶のラッパ飲みになってしまったよ。

 とにかく、ステージの構成がカッコいいの。
 バンドマンたちの衣装や照明も含め、昔のブルーノートレーベルのジャケットみたいに、シンプルだけどモダンアートしてます! …っていう雰囲気なんだな。

 その洒落た演出でまとめられたステージの上を、白く輝く衣装に包まれたシャーデーが、空から舞い降りた天女のように、この世の女には真似できないような、謎に包まれた微笑を投げかける。

 とにかく色っぽいんだ。
 白に銀のラメの入ったステージ衣装なんだけれど、おヘソがはっきり見えてさ。
 背中は、お尻の線まで見えそうでさ。

 ものすごく下品に言っちゃうと、 “抱きてぇな…” って思わせる衣装なんだけど、それでいて、 「絶対手が届かない」 という超越性をはらんでいるのね。

 つまり 「エロス」 が 「聖化」 されているって感じ。
 分かる?

 あれ、あれだよ。
 邪馬台国の卑弥呼みたいなもの。

 「卑弥呼。鬼道につかえ、よく衆を惑わす」 ってやつ。 

 セクシーで、ミステリアスで、恐ろしくって、美しくて。
 男の心をとろかせるようでいて、実は、男から最も遠いところにいる女。 

 そういう女を知ってしまった男というのは、報われない愛に生きる悲劇と恍惚を、同時に手に入れることになるんだね。

 シャーデー姉さん、カッコいい!
 
 そんなわけで、一人で盛り上がって、したたかに酔って、でも朝一に起きて、外泊許可をもらったカミさんをタクシーで病院に迎えに行って…。

 大晦日の朝は、そんな感じで迎えました。

 皆さんの迎える新年が幸多かりしことを祈ります。

 ▼ スムース・オペレーター


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音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 16:40 | コメント(2)| トラックバック(0)

大掃除が間に合う

 正月休みなので、息子が帰ってきた。
 やぁ、助かった。
 なにせ、火の車だったからね。

 あんまりも家の中がひどかったから、ヤツも落ち着けないと思ったらしく、大掃除をやってくれた。
 2年間も廊下にほったらかしにしていた積み重なった段ボール箱の中味を点検し、使える皿とかコップは洗って、ゴミは捨てて。

 古新聞や古雑誌を束ねて、廊下に積み上げて。
 散らかっていた夏物のシャツとか靴下を拾い集めて、洗濯機に入れて。

 おかげで、なんとか廊下に “通路” ができた。

 後は、10年ぐらい触ったこともなかった台所の換気扇を磨いて。
 布団を乾して、風呂を洗って。 

 ヤツが家の掃除をしてくれているので、こっちはカミさんの病院にいって、外泊の相談をすることができた。
 なんせ、カミさんの病気ってのは、赤血球、白血球、血小板が、三つとも正常値より低いっていう難病。特に免疫力が低下しているらしいので、ばい菌がヤバイんだそうだ。

 私なんか存在そのものが “ばい菌” みたいなものだから、同じ空気を1時間も一緒に吸ったら、卒倒しちゃうかもしんねぇ。
 …ってんで、家の中でもマスクでもしなきゃいけねぇのかな…って悩んでいる。

 でも、息子のおかげで、掃除が間に合ってホッとしている。

 憎ったらしいのは犬なんだな。
 今まで、私ばかり追い掛け回していたくせして、息子が帰ってくると、私なんか見向きもしない。
 名前を呼んでも、うわの空。 

クッキー008

 で、息子の後ばかりピョンピョン跳ねながら追い掛け回している。
 尻尾なんか、ちぎれんばかりに力強く振ってさ。

 やっぱメス犬だよ、若い男の方が好きなんだろうな。
 私が抱き上げようとすると、その手を振り解き、股の下をくぐりぬけて、息子に向かって駈けていくんだから、やぁ~な犬。

 カミさんは3泊4日だけの外泊だけど、まぁ、正月は、久しぶりに親子で団らん。
 でも、憎ったらしい犬は、部屋の中に入れてやんない。



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:25 | コメント(2)| トラックバック(0)

ちょっと昔話を

 「自動車が売れない」 という話をあちこちで聞くにつけ、胸が痛くなるような、ちょっと感慨深い気持ちになる。
 自分は 「自動車の世紀」 を生きて来てしまった…という思いがあるからだ。
 
 もちろんちょっと大げさな言い方だ。
 なにせ自動車は、現代文明の 「華」 だ。

 もし、 「近代」 と 「現代」 の分かれ目を設けるとしたら、自動車の 「誕生前」と 「誕生後」 に分けるのが一番分かりやすいのではないかと思えるくらい、自動車が現代文明と産業に与えた影響は大きい。

 とても、私なんかのちっぽけな人生と比べるべくもない。

 それでも、自分の人生を振り返ってみると、結局、自動車のいちばんドラマチックな転換点をすべてリアルタイムで見てきたという印象が強い。

 日本の自動車産業が、日本の基幹産業といわれるまで成長し、しかも世界の頂点に登り詰めていくまでのドラマを眺め、そして今、構造的な大不況のなかで、自動車産業が日本のすべての産業が抱える苦境を代表するような形で、荒れる波涛の先端を進んでいる様子を眺めている。

 今まで見てきたものを振り返ると、なんかそんな歴史を複雑な思いで目にしている 「自分」 がいる。

 20代の半ばに、自動車メーカーのPR誌の編集部に身を置いた。
 1970年代の中頃だった。

 当時の自動車業界は、ちょうど排ガス規制と公害問題に揺すぶられて、あえいでいた。

 ちょっと前まで、トヨタ2000GTが注目を集め、スカイラインGTが人気を博し、ベレGやヨタハチが若者たちの憧れの的だった…というような華々しい世界があったというのに、状況は一変していた。

 その頃自分が携わっていた雑誌を見ると、やたら 「公害防除」 とか 「排ガス規制へのメーカーの対応姿勢」 などという言葉が並んでいる。
 おびただしい交通事故の犠牲者が出るようになって、 「安全運転の心構え」 とか 「飲酒運転の危険度」 などという特集も多かった。

 PR誌という性格もあっただろうけれど、 「自動車は社会悪の元凶」 などという世論に対抗する必要もあって、乗ることの楽しさとか、使うときの利便性などを訴える余力すらなかったという感じがする。
 防戦一方だったのだ。

 風向きが少し変わったのは、ちょうどトヨタがソアラを出した頃あたりか。

初代ソアラ画像
▲ 初代ソアラ (ウィキペディアより)

 「アウトバーンで欧州車と互角に走れるクルマ」 というのが、売りの一つで、そういうクルマを宣伝するという感覚が、当時はとても奇異なものに感じられた。

 「走り」 をメインに打ち出すのって、アリ?

 今から思うと奇妙な感慨だったが、自分の仕事にようやく 「風が通った」 という思いを持った。

 まだまだ米国ビックスリーは雲の上。
 それでも、 「壊れない」 「燃費がいい」 などという日本車の性能に注目し、アメリカ人の中にも、徐々に日本車に乗り替える人が出てきた…なんてことが話題になる時代。

 日本車が海外で高い評価を受けるようになったとかいうニュースに接し、 「へぇ、日本もやるもんだ」 なんて素朴に喜んだりした。

 自分のやってる仕事に、 「なんとなく日が当たるようになってきた」 と感じたのがその頃だった。

 急にモータースポーツの企画も増え、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットにも通うようになった。
 プレス証を腕に巻き、タイヤ交換や給油のドラマをピット側から覗き込む快感に酔いしれた。

 耐久レースなどでは、まだまだ国産マシンは外国勢にかなわなかったけれど、それでも日本の自動車メーカーの技術がレース界でも発揮できる手応えを感じ、日本車が完走しただけでも、 「すげぇなぁ」 と素直に感動した。

 それから後は、日本の自動車産業のサクセスストーリーを眺める仕事になった。

 高性能エンジンを積んだスタイリッシュな市販車が次々と誕生し、PR誌の仕事も多忙を極めるようになっていく。

 それぞれのクルマが消費者に与える華麗な 「ストーリー」 を考案し、メーカー広報部と広告代理店との会議の席上で、編集方針のプレゼンを行う。

 歯の浮くような過剰なキャッチが、次々とすんなりと通ってしまう祝祭的な空間に身を置くことの心地よさ。
 バブルの華やかさは、クルマ業界も包んだ。
 
 あの頃、クルマが別なものになっていた。
 「記号的商品」
 というやつ。

 自動車は、生活必需品ではすでになく、 「シーマは功なり名を遂げたはぐれ狼的な事業者のサクセスの記号」 とか、 「白いマークⅡはワンランク上の生活レベルを目指す中産階級の記号」 などという言説が、自動車雑誌の座談会で堂々と述べられる時代を迎えていた。

 時はニューアカデミズムの大繁栄の時代で、自動車を語る切り口にも、記号論やら脱構築やらというポストモダンの言論が満ち溢れていた。

 郊外のリゾートホテルを借り切って、数日にわたって繰り広げられた某タイヤメーカーのレセプションは、さながらロココ時代の宮廷の舞踏会のようだった。

 クライアントにお金があったので、タレントやら、俳優やら、小説家やら、あらゆる有名人をどんどん特集読み物のゲストに迎えた。

 この頃、高名な自動車評論家と、ヨーロッパ在住の歴史作家の対談なども企画したり、交通安全などというテーマでも、話題の人類学者を起用したり、とにかく自分では 「自動車の社会的地位を高める」 企画ばかり組んでいたように思っていたが、その背中を後押ししたのは、バブルの熱気だったかもしれない。

 だから、それに酔う自分がいる一方、危うさも感じていた。
 クルマが、所有者の生身の “身体” から離れ、一種の化け物みたいに、人に憑依 (ひょうい) するような傾向も生まれてきたからだ。

 「麻布、六本木界隈でナンパするクルマは、BMW以上じゃなきゃダメ」 とか、 「ゴルフ仲間にちょっと優越する気分を持つには、クラウン、セドグロじゃ役不足」 とかいう記事が自動車雑誌の誌面に踊るようになり、 「バカか!」 と思った。

 それに近いことを自分でもしていたわけだけど、クルマによって 「自己実現」 しようという風潮が、ものすごく単純な形で台頭してきているのを見て、この業界ヤバイぞ…と思うようになった。

 案の定、バブル崩壊が地すべりのように自動車業界を洗い、自動車をめぐる浮っついた言論は、文字通り、空中を舞うシャボン玉のように消えた。

 その頃が自分の転機だったかもしれない。
 古巣のPR誌を離れ、オートキャンプとキャンピングカーの媒体に移ったのだ。

 まったく別の世界が待っていた。

 キャンピングカー屋のオヤジさんたちは、大手メーカーの広報部員やアルマーニを着た広告代理店の営業マンたちが語るような、流ちょうな美辞麗句を何も知らなかった。

 世界戦略もなければ、市場分析もなかった。

 代わりに、手作りの技術を極めたときの達成感、顔が見える顧客に対しストレートに自分の 「作品」 を語るときの喜び、自然の中でキャンプを繰り広げるときの解放感。
 そんな、生きた、血の通った楽しみ方をみんなが持っていた。

 ある意味で、学歴も職歴も関係ない世界だった。
 どれだけキャンピングカーに興味があるのか、それをどう言葉にするのか。
 それだけが総てを決めるような世界だったのだ。

 その中で、会社や大企業の看板を背負うことなく、自分一人の力量で仕事を請け負うときの辛さと面白さを学んだ。

 気づいてみると、乗用車のPR誌を作っていた時代よりも、もうこちらの方に身を置く時間の方が長い。

 思えば、ある意味でどっぷりとクルマに浸かった人生だった。
 仕事だけでなく、いつの間にか自分が乗り継いだクルマも、キャンピングカーを含めて7台に及ぶ。

 ドアを閉めたときに、ペネペナと薄紙みたいな音を立てるクルマもあったし、6発のツインカムを搭載した韋駄天のクルマもあった。

 だけど、その7台のうち、一番気に入っているのが、いま自分の乗っているキャンピングカー。
 こういうクルマに出会えたのも、こちらの仕事に移った恩恵だと思っている。

 その間に、自動車の世界は、まれにみる構造的不況の中であえいでいる。
 かつてそこが “古巣” だった自分にとっては、人ごとのように思えない。

 だから、キャンピングカーを沈没させてはいけない、と強く思う。
 たいした力もないくせに……なんだけど。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:47 | コメント(2)| トラックバック(0)

バニングとは何か

 「キャンピングカーの歴史」 を詳しく述べる資料というものがわが国には少ないのだが、もっと少ないのは 「バニングの歴史」 を語る資料だ。

 キャンピングカーは、今や日本でも一大産業として成長を遂げつつあるが、バニングの方は専門業者の数も少なくなり、どちらかというと、 “過去の遺物” のように見られがちである。

 しかし、日本のキャンピングカーがここまで成長してこれたのは、バニングのおかげといえなくもないのだ。
 なぜなら、国産キャンピングカーは、途中までバニングと同じ進化の系をたどってきたのであり、現在の国産ビルダーの中には、バニングメーカーとしてスタートを切った業者も少なくない。

 初期のバニングを愛した人たちとは、いったいどのような人たちだったのか。
 また、キャンピングカーに比べ、バニングはなぜ途中で成長を止めてしまったのか。

 そのようなバニングの生きた歴史を語れる貴重な人間の一人に、井上章英 (いのうえ・あきひで) さんがいる。

井上章英氏画像
▲ 井上章英さん

 知る人ぞ知る 『キャンプカーマガジン』 の編集長さんである。

キャンプカーマガジン
▲ 「キャンプカーマガジン」 最新号

 井上さんは、実は現在のお仕事に就かれる前に、あの有名なバニング雑誌である 『カスタムCAR』 の編集長を勤めていた時期がある。
 この夏のことであったが、バニングに関して、井上さんから当時の貴重な思い出話を聞く機会があった。

 ここで、その一部をご紹介する。

「カスタムCAR」 の創刊と発展

【町田】 井上さんが 『カスタムCAR』 を手掛けられていた時期は、いつ頃だったのですか?

【井上】 『カスタムCAR』 の編集部に入ったのは1988年でしたね。36歳でした。それから2000年の3月まで。12年間その仕事を続けました。
 雑誌自体は、1978年 (昭和53) に創刊されていました。最初は 『ピットイン』 の増刊という形で出したのですが、けっこう評判がよくて、すぐに定期刊行になりましたね。

カスタムカー表紙
▲ 「カスタムカー」 最新号

【町田】 カスタムカーの編集部に入られたときは、どんなお気持ちだったのですか?

【井上】 当時僕は、 『ピットイン』 のような普通の乗用車雑誌の編集を担当していたんですよ。
 だから、 『カスタムCAR』 に入ったときは、ちょっとカルチャーショックでしたね。

【町田】 どういう意味で?

【井上】 普通の自動車雑誌というのは、自動車メーカーなどが発信する情報を、僕らがまとめて、それを読者に提供するわけですから、編集部と読者との距離が離れているわけです。極端な話、情報はこちらからの一方通行で、読者の顔が見えにくい状況なんですね。

 ところが、 『カスタムCAR』 という雑誌が伝える情報は、ある意味、読者が発信する情報なんです。
 ということは読者 = 取材対象者ということで、編集部と読者の間には双方向の情報の流れが出来ていたんですね。

 つまり、バニングは原則的にワンオフ製作ですから、 “造り手 (メーカー) ” は “お客さん” そのものであり、同時にそれが雑誌の読者でもあるわけです。

【町田】 となると、誌面構成にも読者の意向がかなり反映されてくるわけですね?

【井上】 そうです。 『カスタムCAR』 というのは、いわゆる 「読者が作る雑誌」 の典型だったんですよね。読者と編集部の連絡がものすごく密な雑誌だったんですよ。
 「あの企画が面白かった」 、 「次はこれを取り上げたら?」 というような読者からの感想やら提案がダイレクトに編集部に伝えられてくるんですね。

 土日になると、必ずどこかでバニングクラブのイベントやツーリングがありましたから、その取材のために、前日から会場に入り、酒など飲みながら交流を持つわけです。
 そこで次の号の企画が決まるとかね。

 そんなふうにユーザーが熱心に支持してくれたおかげで、編集部とユーザーのつながりの強い雑誌に成長していったわけです。
 その代わり、編集にタッチした12年間は、ほとんど休みがなしでしたけどね。

【町田】 でも、そういう体験は貴重ですね。読者の注目度の高い雑誌をつくれるなんて幸せですね。

【井上】 ええ。みんな雑誌の隅から隅まで、しっかり目を通してくれるわけですよ。
 たとえば、イベントなどの記事で、写真で紹介しているクルマとはまったく関係ない、その背景に小さく写った別のクルマのアルミホイールのメーカーがどこなのか? そんな問い合わせまでよくもらいました。

バニングカー外装001

バニングユーザーの実像

【町田】 バニングに情熱を傾けていた人たちというのは、どういう人たちだったんですか?

【井上】 基本的には求人雑誌の 『ガテン』 で求人しているような職業の人たちがメインでしたね。よく “ガテン系” なんていっていましたけれど、バブルの建設ラッシュで、金回りのよくなった若い職人さんが多かったですね。年齢的には20代の前半ぐらいでしょうか。

【町田】 ベース車でいうと、どういう車種に乗っている人が多かったんですか?

【井上】 僕がやっていた頃は、6割方ぐらいがハイエース、キャラバンといったワンボックスカーでした。

【町田】 ベース車は、持ち込み架装だったんですか?

【井上】 持ち込み架装もあったけれど、基本は中古車のバンがベース。
 80年代の後半まではハイエース・スーパーロングの72系か、60系のロング。キャラバンのE23、E24もけっこう流行っていました。
 しかし、その後100系のハイエースが出て、流れがガラッと100系ハイエース中心になりましたね。

 僕が辞めてからは、そういうワンボックス系のバニングが4割ぐらいに減って、アメリカのトラッキンやホットロッド、ローライダーのような車種を掲載する比率が増えたように思います。

 面白いもんでね、同じ 『カスタムCAR』 の読者といっても、バニングに乗っている読者はアメリカン・カスタムとかホットロッド、トラッキンなどの記事を読むけれど、アメリカン・カスタムやホットロッドに興味のある人たちは、バニングの記事をあまり読まないんですね。

 アメリカン・カスタムが好きな人たちは、バニングが持つ独特な、日本的なテイストが嫌いだったんでしょうね。逆に言いえば、バニングのユーザーたちは、クルマをカスタムするということに、とても貪欲だったのではないでしょうか。

バニングカー内装001

バニングカーの特徴

【町田】 国産ワンボックス系のバニングの場合、どういう架装例が多かったんですか?

【井上】 まず最初は、基本的なエアロパーツを組み込んで、ホイールを替え、車高を下げる。
 次に、座席を取り外して、シャギー絨毯やチンチラの壁紙で内部を貼りめぐらし、シャンデリアとかソファベッドを組み込むわけですね。

 外装では、車体にエアブラシ・ペイントを施すのが流行りました。
 ペイントのテーマは、ディズニーやドラゴンボールなどのアニメ・キャラか、あとはラッセンの描くイルカが飛び跳ねているようなイラストですね。
 人物だと矢沢永吉、工藤静香、中森明菜……。

【町田】 どのようなビルダーのクルマに人気がありましたか?

【井上】 関西では、やっぱり 「オートボディショップたなか」 さん。…今のアネックスさんですね。
 田中さんのところは、エアブラシも含めていろいろなアイデアが豊富だったんです。FRP製のハート型の窓をリヤゲートのところに付けたりね。

【町田】 エアブラシの絵は、それぞれの架装メーカーさんが描くわけでしょ? それだけ業界には絵心のある人が多かったわけですか?

【井上】 まぁ、絵心のある人を集めたのでしょうけれど、でもやっぱりその中でもうまい人は限られてくるわけで、田中さんのところは上手でしたね。

 ラッセンの、夜の海にイルカが飛び跳ねているような絵柄がアメリカで流行っていた時期に、それを一番最初に日本に持ってきたのは 「ブルーオート」 の青木さんですね。

 「ビークル」 さんとか 「АtoZ」 さんなども、今ではキャンピングカーの大御所ですけれど、昔はきれいなバニングをいっぱい造っていましたね。
 そのほか、秋田の 「ファーストカスタム」 さんとか、川崎の 「荒木自動車」 さん、埼玉の 「プロット」 さんも有名でした。
 後半になってからは、 「ナッツ」 さんのバニングも人気を集めていましたね。

【町田】 井上さんが12年間バニングを見てこられて、最初の方と後半とでは、内装の変化があったのですか?

【井上】 内装素材でいえば、モケットは一貫して人気がありましたけれど、80年代の後半になると、チンチラとか金華山は影を潜めて、代わりに平織りのような、今のキャンピングカーでも使われている素材が出てくるようになりました。
 チンチラとか金華山はデコトラの方にいったようです。

 レイアウトでいうと、ニの字とかコの字ソファが圧倒的に多かったのですが、後半になると、キャンピングカーのような対面対座も出てくるようになりましたね。
 床もシャギージュウタンではなくて、市松模様のクッションフロアとか…。今のキャンピングカーと変わらないようなデザインのものも見るようになりました。

その後のバニング

【町田】 バニングがいちばん盛んだったのは、いつ頃なんですか?

【井上】 1990年代初めから急激に伸び出して、93、94年ごろがピークかな。90年代終盤からだんだん下火になっていったわけです。

【町田】 下火になった理由は何ですか?

【井上】 いくつかあるんでしょうけれど、架装に高額なお金をかける人たちが出てくるようになったんですね。

 最後の方になると、架装費だけで1千万とか1千5百万円などというクルマも出てくるようになったんです。
 そうなると、それについてこれなくなった若者が、次第に距離を置くようになったんです。

 それと、ほんの一部ですけど、暴走族系の連中がときどき幅を利かせるようになったんですね。
 数からいえばほんの一握りなんですけど、やはりそういう連中は目立つわけですよ。
 そのために、ただクルマが好きで、仲間とキャンプしたり、海に行くことだけを楽しんでいた若者たちが引いちゃったんですね。

 だから可哀想でしたよ。
 取材しているとよく分かるんですが、本来のバニング愛好者って、一見やんちゃ風に見えるけれど、みんな良い人間なんですよ。礼儀正しいし、話すと面白い。
 だから、世間の一部で誤解されてしまうことは残念でしたね。

【町田】 バニングユーザー同士のクラブキャンプというのは、どういうものだったんですか?

【井上】 基本的には、みんなで集まって、 「お前のいいね」 「俺のはこういうんだよ」 というようなミニ品評会とか情報交換の場でした。
 仲のよいメンバーが集まると、みんなで和気あいあいと海に行ったり、キャンプをしたりね。

 そのうち結婚して、子供ができたりすると、今のキャンピングカーユーザーの例会と変わらないミーティングになったんじゃないかな。

 ただ、室内で調理をするというようなことはなかったですね。それにトイレを付けているクルマも少なかったと思います。

【町田】 それにしても、バニングの初期の頃からその最盛期まで、その流れをメディアの目を通して眺めて来られた証言は貴重なものだと思います。
 そういうお仕事、楽しかったでしょ?

【井上】 もちろん。編集者としても、自分でいちばん脂が乗っていた時期でしたから、 『カスタムCAR』 という雑誌は、想い出もやりがいも一番あったし、取材などで深くかかわったバニングという世界には思い入れが強いですね。

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campingcar | 投稿者 町田編集長 21:29 | コメント(0)| トラックバック(0)

欲しがらない若者

 日本社会の停滞を、 “今どきの若者” のせいにする議論が後を絶たない。

 「今の若者には覇気 (はき) がない」
 「面倒なことを嫌がる」
 「耐える力がない」

 世の中が閉塞な気分に包まれてくると、そのような議論を目にしたり、耳にしたりする機会がどんどん増えてくる。

 フランス文学者の鹿島茂氏は、林真理子氏との対談 (週刊朝日) で、次のように言う。

 「今の若い人の行動はみな 『面倒くさい』 で説明できる。語学などは面倒くさいとみんな嫌がる。
 旅行でも、出かけるのはみな近場の温泉で、海外旅行も人気が落ちた。外国映画を見る人もどんどん減っている。学生に聞いたら、字幕を読むのが面倒くさいんだって (笑) 」

 そして、彼らは、教習所に通って免許を取るのが面倒くさいから、クルマも買わない。
 セックスに至るまでの手続が面倒くさいから、女の子もいらない。
 練習が面倒くさいから、スポーツもしたくない。

 かくして、このような若者が増えたおかげで、 「日本の産業が下降線をたどっている」 という結論が導き出されることになる。

 鹿島茂氏との対談相手を務めた林真理子氏は、別のエッセイ (週刊文春 09年11月12日号) でこう書く。
 
 「今の若者たちの気分を表現するときに、いちばんぴったりくる言葉は、 『まったり』 というやつだ。
 そんなに無理することはないんだよ、という 『まったり』 気分が日本列島を包んでいる。
 海外旅行をして、外国でしんどい思いをしなくたって、国内で安い温泉がいくらでもあるよ。貧乏だっていいじゃん、ユニクロ着て、コンビニ弁当食べてれば、そこそこ暮らしていけるよ。
 いいの、いいの、外で苦労することないの。日本の中で、みんなゆったり穏やかに暮らそうね」

 若者の “まったり” を奨励しているようでいて、この文章から匂ってくるのは 「皮肉」 。

 海外雄飛の夢を捨て、上昇志向も失い、内側にこもるようになった若者たちを憂う心情が、その文章の底に透けて見える。


今の若者に上昇志向はあるのか?

 「常に目標を掲げ、それに向かって絶えず励む」 という生き方は、やはりある程度日本の成長を担った人々が共通して抱く思いのようだ。

 60歳になっても現役ロッカーとして生きる矢沢永吉氏は、週刊文春の 『俺がロックだ!』 という連載エッセイでこう語っている。

 「60歳で、どういうステージができるか。
 やはり 『色気』 が大事。
 60になる矢沢が、酒飲む仕草でも、ステージ立っているザマ、もっといえば、この生きてるザマ、これ全部が色っぽかったらいいな、と思う。
 オレにはやるべきことがある、オレを待っている人がいる。
 そういうことがあると、人はドキドキするじゃない。
 そういう気持ちを持ってること自体、もう黙っていてもそこに色気があるよね」

 だから、人間は上昇志向を失ったらダメだという。

 「神様は優しくない。だから 『やったろか』 を持てる人と、持てない人に分けちゃうんだね。
 どんなに物があふれてる時代でも、その時代なりの、上を目指すってことは間違っていない。
 上を目指すこと、それをカッコわるい、クサいって、誰が決めたんだ? 誰が言ったんだ? 
 言ったヤツ、ちょっと来いよ。
 お前、国賊だよ。
 上を目指すっていう言葉は、百年経っても死語にしちゃダメよ。俺は上を目指すことを忘れない」

 たぶん、このような発言から “勇気” をもらい、それを生きる糧 (かて) にしている人々はいっぱいいるんだろうな…と思う。
 10人いたら、8人ぐらいがそうじゃないだろうか?
 おそらく、それが今の日本ではメジャーなんだろうな、という気がする。

 そして、私もまさにそう思う人間の一人だ。

 しかし、そういう思考の結果、 「今の若者たちはダメだ」 という結論にもっていく議論は、ことごとく、もう次の時代には通用しないということだけははっきり言っておきたい。

 そのような議論は、日本が、世界でも類例のないポスト産業社会的な状況に直面し、文化においても、マーケットにおいても、世界で稀に見る “実験国家” になっているという事実を見逃している。

 若者が 「モノを買わなくなったり」 、 「面倒くさいことを要求するサービス財に手を出さなくなったり」 したのは、若者のせいではない。
 そういう気分を蔓延させる消費構造が存在するからである。
 そして、 「今どきの若者」 というのは、そのような消費構造を、ものの見事に象徴しているともいえるのだ。


モノを買わない若者の心

 「モノが売れない」
 という現象は、何を意味するのだろうか。

 消費者がモノを買う理由は、主に二つに分けられる。
 ① 暮らしを維持するための消費。
 ② 他人との違いを確認するための消費。

 ① は、言うまでもなく、 「生活必需品」 を購入することである。食料品やらトイレットペーパー、洗剤などといった生活用品を買うための消費はどんな不況下であろうが、この世から消えることはない。

 しかし、生活必需品だけを消費するような社会構造では、企業は生き残れない。
 そこで、たとえ生活必需品であろうとも、より便利に、より効率的に、よりお洒落に…と、実用性を超えた新しい 「価値」 が付与されることになり、その 「価値」 を駆動力とした新たな消費が喚起されることになる。

 テレビモニターがブラウン管から液晶になり、クルマのエンジンがOHCからツインカムになり、携帯電話に写真機能が加わり、住宅の屋根にソーラーパネルが取り付けられるようになったりするというのが、そういう例だ。
 
 あらゆる技術革新というのは、そのような商品の付加価値性を高めるために追求されている。
 そして、そのように人々の心に喚起される新たな消費欲が、資本主義経済をドライブ (駆動) していく原動力となっている。

 しかし、このような形で絶えず喚起される 「消費欲」 とは、いったい何なのか。
 
 それは、技術革新による商品の 「便利」 さが促がしたもの…のように見えるが、実はもうひとつ別の原理が働いている。
 その根底にあるのは、まだ隣近所の人々が持っていない商品を一足先に手に入れる欲望であり、その商品を手に入れることで自己実現をしている自分を確認する喜びなのである。

 これが、上記の②でいうところの、 「他人との違いを確認するための消費」 ということになる。

 「他人との違いを確認する消費」 においては、 「流行」 は不可欠な要素だ。
 周りが身につけているから、自分も乗り遅れてはならない。
 周りよりも、一足先にそれを身につければ、他人への優越意識を持てる。

 そこでは、商品は、必需品ではあっても、 “差し迫った必要のない必需品” に変化している。
 
 これと並行して、商品の 「ブランド化」 も、 「他人との違い」 を強調する重要な要素となる。
 消費者に 「違いの分かる洗練された人」 という意識を持ってもらえれば、商品単価を引き上げることが可能になり、しかもその価格を維持しやすく、企業収益も安定する。
 
 このような 「流行」 や 「ブランド化」 に支えられた 「他人との違いを確認する消費」 を、かつての流行り言葉でいう 「記号的消費」 と言い換えてもいいかもしれない。

 現代社会の消費構造は、ほとんどがこの 「記号的消費」 に支えられて、今日の隆盛を保ってきたといえよう。

 ところが、成熟社会を迎えた日本においては、そろそろ、その記号的消費が機能しないような時代が訪れようとしている。

 それが、 「今どきの若者」 たちが見据えている消費社会の将来の姿なのだ。

 つまり、 「モノを買わなくなった若者」 というのは、記号的消費、…すなわち 「他人との違いを確認するための消費」 というものに魅力を感じなくなってきた人たちのことをいう。

 彼らは、モノを入手することで他者との 「差別化」 を図るとか、それによって 「自己実現」 を図るというような発想から抜け出た人たちである。

 今まで、各企業が新製品を発表する際に、 「これを買えば、このようなライフスタイルが実現します!」 とか 「この商品が、あなたにこのような魅力を付加します!」 などというキャッチに、 「もういいよ…」 とそっぽを向き始めたのが、今どきの若者なのだ。

 彼らは、単に “面倒くさがっている” わけでもなく、単に “まったり” しているわけでもない。
 今の資本主義社会が消費者に与えようとしている “夢” に飽き飽きしており、そのようなセールスプロモーションに耐えがたい “退屈さ” を感じている人たちだといっていい。

 彼らがクルマを買わなくなったのは、クルマという 「機能」 を必要としなくなったからではない。
 今までのクルマに付与されてきたモロモロの 「価値 = 記号」 、…すなわち 「速い」 、 「カッコいい」 、 「モテる」 などという 「価値 = 記号」 に魅力を感じなくなったからだ。

 海外ブランド品に対する彼らの憧れが急速に消滅しつつあるのも、同じ理由から説明できる。
 それを身につけることで 「他者との差別化が図れる」 などという素朴な信仰を信じている若者は、今やほとんどいない。
 彼らには、もう 「他者と差別化を図って確認できる自己」 などというプロモーションに飽き飽きしているのだ。

 同じように、若者の “酒離れ” も説明できるかもしれない。
 酒を飲むことによって交わされる本音トーク。
 彼らは、その本音トークそのものに、酒飲みたちの 「肥大化した自己」 を見る。
 他者の発言を封じてまでも、自分を主張するオヤジ世代の飲み会の会話は、彼らからみれば、野蛮人の風習のようにしか思えないのだろう。  

 消費者の 「個」 をひたすら突出させることで消費を促がしてきたような消費構造は、あらゆる局面において、若者たちからそっぽを向かれ始めている。
 
 だから、海外旅行に対しても、 「自分探しの旅」 などという動機づけを行うプロモーションに対しては、彼らはもう魅力を感じない。
 五木寛之の 『青年は荒野をめざす』 や沢木耕太郎の 『深夜特急』 に触発されて海外へ向かった若者たちが大勢いたことなど、今や遠い昔の話に過ぎない。

 たぶん、これからは自動車販売も、海外旅行の商品化も、 「自己実現」 などとは違ったプロモーションを考えない限り、若者の気持ちを引き戻すことはできないだろう。


モノへの渇望はなぜ失われたか

 そもそも、商品 (モノ) と 「自己」 を結びつけるという発想自体が、彼らには生まれたときから、すでにない。

 彼らの極度の 「モノ離れ」 は、何に由来するのだろう。

欲しがらない若者たち表紙

 『欲しがらない若者たち』 (日経プレミアシリーズ) という本を書いた山岡拓氏 (故人) は、そのひとつの原因を、彼らの親世代の育った環境に見る。

 現在、10代後半から20代ぐらいの若者の親たちは、80年代のバブル期に、ブランド消費に踊った人たちである。
 衣料についていえば、アルマーニのスーツにグッチのビットモカシンの靴といういでたちを好み、見栄やデザイン、さらに生地や仕立ての質などにマニアックなこだわりを見せた世代だ。
 
 住環境においては、空調完備の快適な住居や、ボタンを押すだけで何でもできる各種家電製品、AV機器、クルマ、すべてがあった。

 山岡氏はこう書く。

 「その子供である今の20代は、幼少期からファッション誌に鍛えられた親が選んだ服を与えられ、小学生の頃から自分で服や雑貨を選べるだけの審美眼を持った。
 彼らの前には、選択可能な消費財の情報が膨大なカタログとして並べられ、それを用意した親の影響により、彼らの持つ商品知識は10代のころから極めて豊富になった」

 しかし、そのような商品情報の氾濫と、商品選びの審美眼の獲得は、逆に子供たちから、モノへの渇望感を奪うことになった。

 彼らは、世界でも類例のないような、商品知識と商品選択のセンスを与えられながら、自分でそれを選び取る必要のない環境の中で育てられたのだ。

 したがって、彼らの親の世代がモノを買うことで達成していた 「自己実現」 は、もはや彼らの眼中にはない。

 そのような形で獲得された 「自己」 が、結局みすぼらしい “見せびらかし” に過ぎないことを、彼らは自分たちの親や、周りの人々の生活を見ているうちに、それとなく感づいてしまった。

 そして、もの心がついた頃、彼らはバブルの崩壊を体験する。
 さらに、それ続く脱出口の見えない不況の時代を生きていくことになる。

 現在の地球上で、もっとも高度に洗練された商品選択センスを持った人たちが、 「モノが人間の幸せを実現するとは限らない」 という事実に直面することになったわけだ。

 だから、彼らがモノを買わないのは、モノの 「価値」 が分からないからではない。
 モノそのものの 「価値転換」 が迫られている時代に、相変わらず昔ながらの 「価値感」 に基づいて開発される商品、宣伝される情報、そういったものに幻滅を感じているに過ぎない。


社会や親と和解する若者たち

 では、彼らはモノを買う代わりに、何を求めているのか。

 『欲しがらない若者たち』 を書いた山岡拓氏は、今どきの若者たちが示す奇妙な傾向に注目する。
 
 「産地研の調査によると、今の10代後半から20代前半の若者たちは、彼らから10歳上のコギャル世代がよく行っていた地べたにペタンと座るような行動を、わりと冷ややかに見ている。
 また、電車内で大声で話すことや、電車の中でキスをすることに違和感や抵抗を覚える人も9割を超えた。
 電車の中で携帯電話で話すことへの抵抗感も8割を超えた」

 また、山岡氏は、次のような調査にも目を通している。

 「2007年の 『若者意識調査』 では、休日に 『ほとんど家にいる』 と答えた20代は43パーセント。その過ごし方も、2000年時の調査よりも比率が高くなったのは、 『家で勉強や読書をする』 という回答だった。
 次いで伸びたのは 『掃除や洗濯など家事をする』 という声だった」

 さらに山岡氏は、若者たちの多くが親や兄弟といった家族間で頻繁にギフトを交わしあっていることに注目し、親からプレゼントされたものを大事にする若者が昔より多くなったと指摘する。

 そして、彼らが、報酬などを意識することなく、ボランティア活動に貢献することに生きがいを見出しているということにも注目している。

 なんと、 “良い子” たちが増えてきたことか。
 このようなデータを見るかぎり、およそ従来の若者像とは違った人種が台頭しているような印象を受ける。

 彼らの、社会や親とフレンドリーな関係を構築しようという意志は、どこから生まれたものなのか。
 
 彼らは、自分たちの先輩である 「若者」 たちがかつて目指した “反逆する青春” 像に、何の価値も見出さなくなったともいえるのだ。

 あえて世間の反感をかったり、親や学校が強制する生き方に反発したりすることで、 「自分の存在を確認する」 という思考法が、彼らにはバカバカしいのである。

 よくいえば、社会に対して従順。
 あるいは、生活形態の保守化。
 しかし、言葉を変えれば、もはや彼らは、社会や親と対峙することで確認できる 「自己」 などというものに意義を見出していないともいえる。
 
 そういうことには、なるべく無用なエネルギーを使わず、むしろ社会や親と協調路線を取ることによって、自分にとって居心地の良い環境を整備していく。
 彼らの親世代に対するフレンドリーな生活スタイルは、徹底してクールな現状認識に裏打ちされたスマートな処世術なのかもしれない。


メールよりは対話

 モノを買わず、社会規範を守り、親兄弟との関係も上手に調整するという彼らは、この先どういう社会を目指そうとしているのか。

 山岡氏は、こういうデータも拾っている。 

 「今の若者たちは、電子メールのやりとりを活発に行っているように思われているが、2008年の 『若者意識調査』 によれば、20代男女の友人とのコミュニケーション手段で最も多い方法のトップは、直接会って話す (45パーセント) で、携帯電話のメールを10ポイント近く上回った」

 山岡氏は、そのことについて、次のような解説を加える。
 
 「今の若者はとてもナイーブで、話す相手の気持ちの動きを気にする傾向が強い。
 相手の気持ちの変化を読んで 『シンクロ率』 を高めようとするのが今どきの若年層の大きな特徴だ。
 だから、表情や音声などの情報量を増やすため、彼らはメール交換よりも、対面コミュニケーションを求める」

 われわれは、 「若者」 というと、すべてのコミュニケーションをメールで済まそうとするようなイメージを抱きがちだが、それは、ここで話題にする若者たちよりは、ひとつ上の世代らしい。

 さらに面白いデータがある。

 それは、 「子供や次世代に残したいと思うのは何か?」 という調査だ。
 これも2008年の 「若者意識調査」 で浮かび上がってきたことらしいが、20代の若者が、次世代に伝えたいと思っていることの1位は、 「日本の伝統文化や季節感」 で、その回答率は4割を超えたという。

 山岡氏はいう。

 「今の若者たちは、便利な環境で育ったからこそ、その後に知った伝統文化の中に、近代都市社会が見過ごしてきた季節の微妙な変化や、自然と関わることの豊かさを発見したのかもしれない」 

 このような “今どきの若者” の意識調査から、およそ次のような人物像が浮かび上がって来ないだろうか。
 
 「自己を主張するよりも他者との共振を大事にし、さらに自然や季節感に敏感なセンシティブな人々」

 このような人間像は、消費者の周囲に広がっていた 「自然」 や 「季節感」 をつぶして、ひたすら消費者の 「自己実現」 だけを求めてきた今までの消費構造とは相容れない人間像であることは明白だ。

 「モノを欲しがらない若者たち」 というのは、これからの日本の産業社会における商品開発や商品情報に対して、新しいコンテンツを要求している人たちなのである。
 そのことを見抜けないと、それこそホントに、日本の産業は立ち行かなくなってしまう。

 キーワードは、 「家族」 、 「コミュニケーション」 、 「自然」 、 「季節感」 である。

 私は、どういう商品が彼らの期待に応えられるかということに対し、すでに答を持っているけれど、それはここでは書かない。
 また、いつか…。




音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 11:37 | コメント(13)| トラックバック(0)

アトランティス伝

 事実かどうか確認できない歴史上の伝説は、人を魅了する。
 たとえば、 「アトランティス大陸は本当に存在したのか?」 。
 そのような、たぐいの話だ。

 特に、海底に沈んだ都市とか王国とかいうのは、 「文明のはかなさ」 みたいなものが漂い、 『平家物語』 風の “諸行無常の響きあり” で、日本人の嗜好にはぴったり。

 で、 『アトランティス・ミステリー』 (庄子大亮・著/PHP新書) 。

 新進気鋭の歴史学者が書いた、アトランティス大陸の真実に迫る 「謎解き本」 の決定版である。

アトランティスミステリー表紙

 アトランティス伝説については、いまさら解説する必要もなかろうと思うが、かいつまんでいうと、今から1万2千年も前、大西洋に 「アトランティス」 という強力な国家を擁する大陸があり、地中海世界にまで進出し、大いに繁栄していたが、神罰を受けて、一昼夜にして海中に没した、という話のことをいう。

大波の絵

 この説話が、どうして信憑性ありそげに感じられるかというと、それを記したのがギリシャの高名な哲人プラトンであり、しかも 「これは実話だ」 とわざわざ断りを入れているからである。

 ところが、このアトランティス大陸についての記述は、プラトンの著作以外に見ることはなく、それだけに、古代よりその実在をめぐって、いくたの議論が繰り広げられてきた。

プラトンの像
▲ プラトン

 そのような議論が現在まで続いているのは、海洋学的な調査から 「大西洋に沈んだ大陸の痕跡が発見された」 とか、 「大西洋ではなく、これをクレタ島と考えると、あらゆる状況がプラトンの説話と酷似するから、アトランティス伝説はクレタ島に栄えた古代文明のことをいったのだ」 とか、自然科学や考古学の発達にともなって、幾度となく蒸し返されてきたからだ。

 その状況は、ちょうど日本の 「邪馬台国論争」 にも似ている。
 「邪馬台国論争」 も、 『魏志倭人伝』 の文献的解釈をめぐって、畿内説と北九州説が両立する。

 アトランティス伝説も、大西洋への出口を意味する 「ヘラクレスの柱」 (ジブラルタル海峡) という言葉が、ダーダネルス海を指していたなどという説もあって、文献の解釈によって、事実関係が読み替えられる可能性がたくさん出てくる。

アトランティスの地図?

 そんな古代史のロマンをたっぷり盛り込んだアトランティス伝説に対して、著者は、この本で一気に決着をつけようとする。
 つまり、 「アトランティスはなかった」 というのが結論 (…ネタバレでごめん) である。

 そして、 「なかった」 という理由を、古代より連綿と続く 「アトランティス実在説」 の不備を懇切丁寧につぶしながら、一つひとつ検証していく。

 その調査範囲は、歴史学、文献学、考古学、地質学、海洋学のほとんどのジャンルに及び、この研究が、単なる学者のひらめきや思いつきから来る “仮説” でないということを、重厚な資料の積み重ねによって論証していく。

 その手口は、まさに “容疑者リスト” に浮かび上がった怪しい人物たちを一人ひとり外していき、最後に真犯人を突き止める 「ミステリー」 の手法そのままである。

 そして、最後に “真犯人” が……。

 つまり、なぜプラトンがアトランティス伝説を後世に残したかという、最大の 「謎」 に向かって収斂 (しゅうれん) していく。

 そういった意味で、この本は、歴史学に興味を持つ人は当然として、伝奇モノのファン、考古学ファン、さらにミステリファンをも満足させる好著になっている。

 しかし…。

 かすかな不満を感じる読者はいるだろう。
 それは、この本の後半部に、いみじくも著者自身が語っていたことだが、人間は 「謎を謎のまま残しておいた方が幸せである」 という気分を捨てきれないものだからだ。

 真実を追究するのが学者の役目だから、著者がこの本を書いたのは、学者としての当然の使命を果たしたまでのことである。

 しかし、読者はわがままである。
 プラトンの 「真意」 を知ることよりも、 「アトランティスがあったか? なかったか?」 という虚構と現実のはざまに、いつまでもまどろんでいたい人もいる。

 著者もまた、そのことを十分に承知している。
 そして、…にもかかわらず、自分はなぜこの書を上梓しなければならなかったかというその情熱も、この本ではしっかり吐露されている。

 だけど、私の気持ちを正直に書くと、 「そんなに自信たっぷりにアトランティスを否定するなよ」 という気持ちがなきにしもあらず。

大波の絵02

 この本は、アトランティス大陸の実在を問うということよりも、 「プラトンがなぜこのような話を創作したのか?」 を解明することに力点がかかっている。

 つまり、 「強大な帝国が、神罰を受けて海中に没した」 という寓意は、何を意味しているのか、という謎の解明がテーマである。

 それはそれで十分に面白いし、かつプラトンの哲学の本質を突き詰める作業にもなっている。
 でも、それが分ったところで、アトランティス伝説が秘める、いかがわしくて、謎めいていて、うさんくさい魅力の重みにはかなわない。

 難しいところだな…と思う。

 人間は、クリアに分析された 「真実」 を愛するのか、それとも、霧に包まれて曖昧模糊とした 「謎」 の方を愛するのか。

 たぶん、最後に真相が明かされる 「ミステリー」 が好きなのか、謎そのものが増幅していく 「ホラー」 が好きなのかという読者の好みによっても、評価が分かれるかもしれない。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 09:22 | コメント(0)| トラックバック(0)

クリスマスデート

 クリスマス・イブを最愛の恋人と過ごすという 「クリスマス・デート」 がここ数年、ずいぶん様変わりしてきたらしい。

クリスマス飾り

 もう昨年のデータだけど、日経MJから 「若者の意識調査」 というものが公表されたことがある。

 それによると、現在30~44歳の既婚者の中には 「20代独身当時にクリスマスにデートした」 人が84パーセントもいるのに対し、現在の20代では、クリスマス・デート経験者が7割を切り、それも 「高級フランス・イタリア料理店」 などに行くケースは目立って減少し、 「居酒屋」 の比率が高くなっているという。

 クリスマスの夜を過ごす場所も、都市ホテルやラブホテルが減ってきて、代わりに 「自分または相手の部屋」 が増える傾向にあるとか。
 
 プレゼント品も様変わりを遂げつつあるようだ。
 バブル時代の独身男性は、宝飾品、花、バッグなどを相手の女性に贈るのが当たり前で、この傾向が宝飾品販売などをも活気づかせていた。

 しかし、最近のプレゼントでは、安価で手軽な商品が主流となり、 「ぬいぐるみやキャラクター商品」 、 「お菓子」 などが多いんだそうだ。

 一方、相手がいるいないにかかわらず、クリスマスの夜は、自宅と家族で過ごすという若者も増えてきているらしく、ホテルが企画する年末・年始プランでも、 「家族と一緒にお節料理などを食べるプラン」 などというのが、好調であるらしい。

 若者たちのこのような傾向は、すでに各メディアによっていろいろと報道されているけれど、それでも最近の若者たちの意識構造はあまりにも変化が激しくて、時々ついていけないことがある。

 たとえば、今の20代の若者たちは 「合コン」 を敬遠しているというようなデータが出てきたときは、正直驚いた。
 
 テレビなどのバラエティ番組を見ていると、あいかわらず 「合コン」 ネタで盛り上がっているものが多いので、合コンは今の “若者文化” の主流であるように感じていたけれど、そうでもないらしい。

 「合コンに積極的に出かけるか?」 ということを尋ねたところ、30~44歳既婚者では、 「かつて積極的に出かけた」 と答えた人が16パーセントもいたのに対し、20~24歳の独身者では、7パーセント台に落ちてしまうらしい。

 今の若者層は、お酒そのものを飲まなくなっているし、あまり仲の良くない他人に混じって、無理に話題を合わせるなどということが苦手。
 さらに、恋愛そのものに手間ヒマやお金をかける意欲自体が低く、異性に気をつかうよりは、気心の知れた同性と過ごしていることを楽だと感じるという。

 そういう20歳代の男たちを、世の中では 「草食系」 などと呼ぶ。

 そのような草食系から見ると、合コンなどでお目当ての女性に対し、必死に自己アピールをしている男たちというのは、 「カワイソーな人」 とか 「イタい存在」 に見えるらしい。

 「あそこまで醜くはなりたくねぇな…」 というのが、草食君たちの美意識なのだ。

 彼らには、女を支配するしか念頭にない旧来の 「男文化」 というものに対する蔑視があるようなのだ。
 だから、そのような 「男文化」 を象徴するマッチョなもの、男臭いもの、汗くさいものに対する強烈な違和感、嫌悪感を持っている。

 われわれのような老齢世代からみると、30代以下の人々はみな 「若者」 にしか見えないのだけれど、どうやら今の20歳代というのは、過去に登場してきたすべての 「若者世代」 と一線を画しているらしい。

 彼らは旅行をしない。酒は飲まない。スポーツにも熱中しない。
 なによりも、大人たちを困らせているのは、クルマに興味がない。

 自動車産業は、国を代表する機関産業であるから、産業としての裾野も広く、就業人口も多い。
 その自動車を買ってくれない人たちが増えてしまえば、それは日本経済が立ちゆかなくなることを意味する。

 だから、彼らは、ときどき産業社会を生きる先輩たちからは、 「亡国の徒」 のようにいわれることがある。
 「日本の経済を縮小させる “危険分子” 」 …であるとか。

 しかし、産業社会の方が変わっていかなければ、彼らの真意もニーズも読めない。

 たぶん、この若者たちは、今までの 「文化」 も 「マーケット」 もみんな変えていくだろう。

 彼らは、ひょっとしたら高度成長期からバブル期に青春を送った60歳代、50歳代、40歳代、30歳代の人々が、自分たちが 「若者」 だったときに見失っていた何かを再発見した人たちかもしれないのだ。

 今の日本の文化もマーケットも、彼らの美意識には追いついていないだけなのかもしれない。 

 たまたまだけど、深夜のNHK・BSを見ていたら、 『マンガ夜話』 で志村貴子の 『青い花』 の特集をやっていた。
 ところが、不思議なことが起こった。

 あの才気とひらめきに恵まれた夏目房之介、いしかわじゅん、岡田斗司夫というレギュラー陣たちが、 『青い花』 というマンガを前に、ほとんど解説不能に陥ってしまっているのを見てしまったのだ。

青い花アニメジャケ

 志村貴子の 『青い花』 は、女子高生同士の同性愛をテーマにしたマンガなのだけど、若い女性だけでなく、相当数の若い男性読者を持っているらしい。

 そのマンガが、なぜ若い女性たちだけでなく、同年代の男子たちをも魅了しているのか。

 レギュラー解説者たちは、みなその理由を考えようにも、誰もが今まで使っていた言葉では表現できない世界にブチ当たってしまい、みな説得力を持った発言ができないまま終わってしまった。
 手塚治虫なら、あれほど雄弁に語り合えた人たちなのに…。

 夏目房之介も、いしかわじゅんも、みな鋭い感覚を持った論客たちだが、彼らをしても、今の10代~20代の女の子や男の子が愛するマンガを語る言葉を、もう持てないのだ。

 それは、夏目氏やいしかわ氏が少年だった頃に見たマンガよりも劣っているからか? 
 私ははじめて見た絵だったけれど、繊細で、上品で、とても優美な線で描かれたマンガだった。
 夏目氏たちも、それは認めた。

 しかし、そのマンガの持つ現代的な “意味空間” を捉える方法論が、今までのマンガのものとは異なっていることに、彼らが戸惑いを感じているという言い方が正しい。

 現役世代として、 『青い花』 を愛読している喜屋武ちあき、村井美樹といったゲストが、 「当たり前のマンガなのに…」 という当たり前さが、団塊世代ぐらいの感性では、捉えきれない。

 団塊世代は、 「前衛」 とか 「アバンギャルド」 というものには強いけれど、今の若者世代の意味する 「当たり前」 というものを、どう言語化していいのか分からない。

 そういうことを見ても、もう若者たちの間には、今までとは違う文化とマーケットが生まれていると考えざるを得ない。

 クリスマス・イブとは関係ない話になってしまった。
 続きは、またいつか…。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 18:46 | コメント(2)| トラックバック(0)

奥様はまず反対

 ときどき顔を出している地元の飲み屋さんの忘年会があった。
 常連客とその家族も交えたような、気さくで、気楽な会だった。

 奥座敷には、1歳ぐらいの赤ちゃんを伴った若夫婦がいた。
 常連客である私と同じ年の男性の “娘夫婦” だという。

 「こちらね、キャンピングカーの本つくっている人なの」
 …と、その彼が、私のことを娘夫婦に紹介した。

 「え? キャンピングカー!」

 赤ちゃんを抱いていた婿さんの顔が輝いた。

 「僕、すごく興味あるんです。欲しいんですよ」
 と、婿さんはいう。

 「だめだめ、そんな高いもの。それに、私が運転できなくなっちゃう」
 と、すかさず奥さんが反対する。

 奥さんの口元にはにこやかな笑みが漂っていたが、目には “断固許さない” という気迫がみなぎっている。
 きっと、婿さんとの間には、何度も議論があったのだろう。

 「いや、高くないって。ハイエースぐらいなら、安いキャンピングカーがナンボだってあるって」
 と、婿さんは説得するのだけれど、その 「ハイエース」 という言葉自体が、どうも奥さんにはピンと来ないらしく、
 「…んな無理やわ」
 と、主張を変えない。

 「キャンピングカーが高いって、いくらぐらいだと思っていらっしゃいます?」
 と、私はその奥さんに尋ねてみた。

 「1,000万円以上でしょ? うちには無理やわ。それに、そんな大きなクルマが入る車庫なんてないし…」

 う~む。……なるほど。

 この奥さんの反応は、一般的なファミリーが、キャンピングカーというものを考えるときのひとつの典型的なパターンであるかのように思えた。

 キャンピングカーにさほど関心を持たない人たちの、 「キャンピングカー」 という言葉から連想されるものは、 「1,000万円を超えたバカでかいクルマ」 というイメージなのである。

 だから、 「普通の小型ワンボックスカーのようなキャンピングカーもあるし、軽自動車のものもあるし、200万円代から買えるものだってあります」
 とか説明すると、たいていの人は、 「えっ?」 っと不思議そうな顔をする。

 どうやら、巷で普及している 「キャンピングカー」 という言葉と、業界の人たちが使う 「キャンピングカー」 という言葉の間には、けっこうな開きがあるようだ。


 私はキャンピングカーに乗っているユーザーさんたちにも、よく取材をする。

 彼らは、キャンピングカー販売店の人たち以上に商品知識を持っていたりして、話を聞いていると、私などもたじたじとなってしまうことがあるのだけれど、そういうユーザーさんたちとばかりと話をしていると、一般の人々にも相当キャンピングカーというものは認知されているのだろう…と、ついつい錯覚してしまう。

 しかし、実際には、 「キャンピングカーにはどんな種類のものがあるのか」 、それすらも知らない人たちの方が圧倒的に多い。

 この夏、キャンピングカーショーの会場で、キャンピングカーをまだ購入していない人たちを対象に、何を目的にそのショーに来たのかを調査をしたことがある。

 あるファミリーの奥さんはこういう。
 「今日はキャンピングカーを見に来たんじゃないんですよ。ハイエースを見に来たの」

 ハイエース……?

 彼女が指差す “ハイエース” を見てみると、それはハイエースをベースに架装されたバンコンのことだった。
 もちろん、それは立派な 「キャンピングカー」 なのだが、彼女の意識では、それは 「キャンピングカー」 ではなく、 「ハイエース」 なのだ。

ハイエースベースのバンコン 
 ▲ ハイエースベースのバンコン

 で、彼女が 「キャンピングカー」 というものに対して、どういうイメージを抱いているかというと、

 「ほら、ああいうの…」
 
 彼女の指差す方向を見てみると、そこにはバンクを張り出したキャブコンがあった。

キャブコン01
 ▲ キャブコン

 バンコンとかキャブコンなどという、われわれが、ごく日常的に使っているジャンル分けの 「言葉」 自体が、キャンピングカーショーにはじめて来たような人には十分に浸透していないことを痛切に感じた。

 われわれの仕事は、すでに、キャンピングカーに関心を持って、多少なりとも研究している人たちを相手にして、機構解説やら、装備の使い方などを論じているに過ぎない。
 そこに至るまでの人々に対しては、少しも親切な解説をしてこなかったのかもしれない。

 キャンピングカージャーナリズムは、まだまだやるべきことがいっぱい残っているんだなぁ…と改めて思った。

 で、飲み屋の忘年会。
 私のキャンピングカーの話を聞いているうちに、奥さんの目が輝きだした。
 
 「……ああ、そういうことだったら、1台あってもいいのかもしれない」
 と、奥さんの気持ちがかなり軟化してきた。

 喜んだのは、婿さん。
 「今度、どんなキャンピングカーがお薦めなのか、ぜひ教えてください」
 婿さんとは、そういう会話をして、別れた。



campingcar | 投稿者 町田編集長 22:47 | コメント(2)| トラックバック(0)

クリスマス・イブ

 毎年、この時期になると、山下達郎の 『クリスマス・イブ』 を耳にする機会も増え、それに言及する記事・談話がメディアをにぎわす。

山下達郎クリスマス・イブ

 この歌が世に出たのは、1983年。
 88年にJR東海のCMのテーマ曲として使われてから、オリコンヒットチャートの1位に輝いたという。

 発表してから5年経って、ようやくヒットチャートの1位に登りつめた曲というのも珍しい。

 私がこの曲を最初に聴いたのは、場末の地下のスナックのカウンター席であった。

 当時その店の常連客で、町外れの喫茶店を経営していた若者がいた。
 若者…といっても、とうに30代を迎え、ひょっとしたら40に手が届いていたかもしれない。

 寡黙な男で、スナックで飲むときも、酔わないうちは、めったに常連客とも会話を交わすことがない。
 いつも自分の店がハネてから、深夜近くに、そのスナックに顔を出す。

 そして、何かの恨みでも晴らすかのように、焼酎のお湯割を鬼のように飲み干す。
 いつも一人で来ているところを見ると、女っ気がありそうに思えない。

 一度だけ、その青年が開いている喫茶店を訪れたことがある。
 スナックで顔を合わせていたので、彼は、私の顔を認めて、わずかに笑顔を見せた。
 しかし、スナックで隣り合わせたときと同じように、会話はなかった。

 店は、意外とこぎれいに手入れが行き届き、テーブルの隅には花が飾られ、女性の好みそうなテーブルクロスが敷かれていた。

 彼は丁寧にドリップでコーヒーを落とし、金の吸い口のついたカップに並々と注いで、うやうやしく私に差し出した。
 
 「いい雰囲気ですね」
 と、私が店の感想を述べると、
 「ええ…」
 と、彼は恥かしそうに答えて、それっきり口をつぐんだ。

 コクのあるおいしいコーヒーだった。

 その彼が、酔った勢いでスナックのステージに立ち、歌った曲が、山下達郎の 『クリスマス・イブ』 だった。
 私はそのときはじめて、彼がカラオケで歌うこともあることを知ったのだ。

 メロディの美しさに、私は陶然となったが、彼の歌のうまさにも脱帽した。
 しかし、それ以上に、あの歌詞に歌われる “主人公” の切ない哀しさが、なによりもその青年の境遇を歌っているようで、身に沁みた。

 それを聞きながら、私は、彼のこぎれいな喫茶店は、誰かを待つために作られた店だったのではないかと、ふと思った。

 クリスマス・イブが、恋人同士で過ごす夜と決まったのは、いつ頃くらいからか。

 私が幼い頃、クリスマス・イブは、家族でひっそりと、しかし温かい気持ちの中で過ごすものだと相場が決まっていた。
 それが、いつからか、恋人同士がフレンチ・ディナーを楽しむ夜に変化し、その晩は夜景のきれいなホテルの窓から、二人の幸せを祝福するものとなった。

 そいつは、しかし、恋人のいない独身たちには辛い夜ともなった。
 イブの日は、連れ合いと楽しむ夜であるという強迫観念が、連れ合いのいない人の惨めさをよけい助長させ、年の押し迫った冬の夜風を、よけい寒いものに感じさせた。

 「雨は夜更け過ぎに、雪へと変るだろう…」
 というフレーズは、孤独なまま、暗い夜道を家路に向かう人間が聞くと、惨めさで胸が締め付けられるように響く。

 「きっと君は来ない。一人っきりのクリスマス・イブ」
 そういう歌詞も、祝い事の用意までしながら、訪れる客の来ない孤独なテーブルを前にした人が聞くと、涙を誘う。

 私にも、そういうイブが何度もあった。

 自分が待っていたわけではない。
 家内を、家で待たせていた。
 
 この仕事を始めてから、この20年、年末年始をまともな時間に帰ったことがない。
 特に、イブの頃というのは、年明けの仕事のやりくりと連絡に追われ、終電で帰れればいい方。

 「今日は、クリスマスケーキをみんなで切る時間に帰るつもり…」
 とか言って、朝、家を出ても、そういうときに限って、帰り際に緊急の連絡事項を送らねばならなかったり、校正に目を通さねばならなかったりで、家でメシを食うということをしたことがない。

 ようやく深夜に帰宅すると、カミさんは、冷えた食事をテーブルに残したままダイニングでうたた寝。
   
 起こすと、 「今日はテレビでクリスマス・ソング特集をやっていて、それを子供と二人で見ていたから、楽しかったわよ」 と、笑顔で答える。

 別にクリスマス・イブだけが特別な日ではないだろうが、そこに “過剰な意味” を見出していた人たちにとっては、その晩を一人っきりで過ごすのは “酷な” 社会が形成されていた時期があった。
 今はどうなのだろうか。

 昔の “罪ほろぼし” のような気分で、イブの夜は小さなケーキでも買って、カミさんのいる病室を見舞うつもりでいるのだが、果たして、今年もそんな時間がとれるかどうか。



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:23 | コメント(6)| トラックバック(0)

ウェブは暇人の物

 『ウェブはバカと暇人のもの』 (中川淳一郎・著 光文社新書)
 というタイトルの本がある。
 なんともまた挑発的な題名をつけたものだと思うが、気楽に読めそうな気がしたので、気分転換にちょうどいいか…ぐらいの気持ちで読み始めた。

ウェブはバカと暇人のもの

 著者は、ニュースサイトの編集に携わってる 「ネット漬けの日々を送っている」 人で、 「リアルな現実を、現場の視点から描写」 したという。

 それによると、ネット世界というのは、すぐ他人を 「死ね」 「ゴミ」 「クズ」 と罵倒しまくる人か、アイドルの他愛ないブログなどに 「激かわゆす!」 と絶賛コメントを寄せる人か、もしくはミクシィか何かに 「今日のランチはカルボナーラ」 みたいなどうでもいい書き込みをする人ばかりに満たされた 「気持ち悪い世界」 なんだそうだ。

 世の中には、インターネットの世界を 「情報革命」 のように持ち上げ、ネットが普及した社会を “人類の理想社会” のように捉えるI Tジャーナリストたちがいるが、実情はおよそかけ離れている、というのが著者の感想である。

 そして、ネットに過度な期待を寄せてネット (ウェブ) 戦略に力を入れている企業が増えているが、ほとんどはネットの本質を理解していないために、ことごとくプロモーションに失敗している、という。

 …と書くと、この著者はまったくウェブ世界を否定しているかのように見える。
 現にサブタイトルが 「ネット敗北宣言」 なのだから、 「ネットなんてあほらし」 というのが、この本の結論であるように思える。

 しかし、よ~く読んでみると、この本はネット世界をそのものを否定しているのではなくて、 「ネット世界に対する過剰な期待」 、 「誤った先入観」 、 「見当はずれの神聖化」 を是正するというモチーフに支えられた本であることが分ってくる。
 
 一般的なメディアが、いかにネットを誤解しているか。

 その代表的な例が、 「テレビの凋落とネットの隆盛」 という思考法。
 昨今、テレビの影響力低下に危機意識を感じたスポンサーが、宣伝費をテレビからネットへシフトする傾向を強めているが、著者はそれをまったくのナンセンスだと言い切る。

 というのは、ネットのブログなどで採りあげられる話題の大半は “テレビネタ” であり、アクセスが集中するのも、そのようなテレビネタを扱ったウェブ情報だからだ。

 つまり、ネットというのは、基本的にテレビで放映された情報に共感する人たちの “コミュニティ” であり、テレビで糾弾された人や企業を罵倒しあう人々の “社会” であると著者はいう。

 もちろん、ネット社会に情報を提供するメディアは、テレビだけではない。 
 新聞も雑誌もある。

 しかし、新聞や雑誌で大スクープになったような記事でも、それがテレビに取り上げられない限り、ネットで話題になることはほとんどない。

 その理由を、著者は次のように説明する。
 「ネットに頻繁に書き込むようなヘビーユーザーは、テレビを見ても、わざわざカネを払ってまで新聞や雑誌を買わない」

 要するに、こういうことだ。
 ネットに頻繁にアクセスし、自己顕示欲に駆られたブログを日々更新したり、他人の記事に頻繁にコメントを入れたりしているヘビーユーザーというのは、ネットが安い娯楽であるからそうしているのであり、ネット以外の趣味にお金をかける余裕もなく、その意欲もない。

 つまり、お金がかからず、家にいるだけで世間の動きが分るテレビを情報源にしている人々とユーザー層が重なる。

 だから、ネットヘビーユーザーというのは、基本的に、持て余すほどの時間に恵まれたヒマな学生、ニート系若者、専業主婦、退職してからパソコンになじんだ発言意欲に富んだ老人ということになる。

 一方、現役でバリバリ仕事をこなし、新聞や雑誌を買ってまで貴重な情報を得ようとする忙しい人たちは、そのネタをわざわざ親切にネットに書き込むようなことはしない。

 ユーザー層のこういう構造があるために、新聞・雑誌というペーパー媒体の情報がネットで流通する率はきわめて低く、逆に、テレビを情報源とした話題は無尽蔵に広がっていく。

 著者はいう。
 「ネットによって人々の嗜好・生き方が細分化されたというのはウソである」 。

 つまり、ネットは人々の 「行動様式の多様化」 、 「趣味嗜好の細分化」 などを促進するように見えながら、実は人々の 「均一化」 を促がしている……というわけだ。

 ネット言論に参加しようとする人々は、テレビで興味を持った話題を詳しく知るために、圧倒的な集客力を持つ 「ヤフートピックス」 で同じニュースを探し、そこからヤフーの担当者が貼ったリンクへ飛ぶ。
 結果、同じ情報がぐるぐると回り、同じような感想が無数に乱立する。

 だから、テレビ関係者がネットへの危機感を高めているのとは裏腹に、ネットの方がテレビへの依存度を高めているのというのが実情らしい。

 著者は、次のような指摘を行う。
 「テレビ番組の企画者も、スポンサーも、広告代理店も、あまりにもネットへの研究が足りない」。

 そのため、ネットへの過度な期待が広がり、ネットを広告・宣伝媒体にしようともくろむ企業人と広告代理店の間では、次のような会話が交わされる。
 
 「新しい商品を浸透させるには、ブログなどで高密度の情報を発信している人々の注目にとまることが肝心。
 そのような、感度が高く、常に流行を気にし、目利きができている人々を巻き込み、彼らをハブ (中心) にして、そこからクチコミを巻き起こすことが大事」

 ところが、このような宣伝戦略は、まず成功したためしがない。
 成功したように喧伝される例がいくつがあるが、同じ例ばかり採りあげられることを考えると、それがたまたまうまくいった例外的な成功例だからだ。

 このことは、ネット発のスターがいないことを考えてみても分る。

 ネットから浮上した有名人、スターがどれだけいることか。
 ネットでの情報公開がきっかけとなり、本まで出版された例はいくつか挙げることができるが、その存在のほとんどはネットを知らない人たちには知られていない。

 逆に、テレビに頻繁に顔を出すタレントのブログは、アクセス数が1日数万件に及ぶ。
 つまり、「ネット対テレビ」 という構図をつぶさに見てみると、テレビの影響力の絶大な大きさに比べ、ネットの力は微々たるものでしかない。

 だから、企業のネットを通じた広報・宣伝戦略は、ネットの本質を理解しないかぎり、ほとんど意味をなさない。 

 著者はいう。
 「ネットでブランディングは不可能」

 多くの企業は、ネットでその商品のブランドを確立しようとするとき、ほとんど雑誌広告やテレビCMをイメージして考えている。
 つまり、 「美しく」 、 「カッコよく」 、 「スマートで」 、 「人々に善をもたらし」 、 「遠い憧れであるもの」 。

 しかし、ネットで支持されるテーマというのは、 「身近で」 、 「突っ込みどころがあり」 、 「どこかエロくて」 、 「バカみたい」 な企画なのだ。

 著者のナマの声を、ちょっと引用。

 「ネットは、人々の正直な欲求がドロドロと蠢 (うごめ) いている場所なんです。
 たとえば友達と飲んでいるときに、 『このビールはコクがあってノドゴシがスッキリだね』 、 『そうだね、やはり酵母の力が生きているからじゃないかなぁ』 なんて話しますか?
 ビールについて居酒屋で語るときは、 『それにしても、ビール飲むとなんでこんなにたくさんションベンが出るんだよ!』 みたいな話をしませんか?」

 それが人々の関心事であり、 「語りたい内容」 であり、ネットもこれと同じだ、というわけだ。

 要するに、 「ネットは居酒屋だ」 というのが、著者の結論である。

 居酒屋のワイザツさ、下品さ、気楽さが、居酒屋に寄りたくなる人たちの求めるものであり、人々はそこで 「タテマエよりはホンネ」 、 「カッコつけよりは、バカさらけ出し」 がまかり通る瞬間を楽しむ。
 そこに居合わせる人たちは、時には隣りの席の会話を小耳にはさんでツッコミを入れ、時には議論をふっかけ、最悪ケンカも起こるが、そのような自由奔放な気分に一時だけ酔う。

 人々がネットに求めるものも、基本的には変らない。

 それが著者の長年の経験から導き出された結論であり、そこに著者の 「失望」 があり、 「落胆」 があり、同時に 「希望」 があり、 「可能性の模索」 があると読んだ。

 読み物としては面白かった。
 語り口もうまいので、すらすら読めた。2時間程度の読書だったと記憶する。

 ただ、私はネットがすべて、この著者のいうような方向で一元化されているとは思わない。
 著者のいうことは、ひとつの “傾向” であって、本自体にセンセーショナルな話題性を付与するために、あえてその “傾向” を誇大に採りあげたという感じもする。

 現に、私が自分の 「お気に入り」 に採りあげて定期的に閲覧しているネット情報などは、時にテレビどころではなく、雑誌や新聞にも掲載されていない独自情報であったり、書き手のユニークな思想が吐露されているものであったり、読んでいてハッと心を打たれて、リンクを張りたくなったり、引用したくなるものが多い。

 居酒屋でも、テレビネタで盛り上がり、タレントの口真似で女性を笑わせている座もあれば、目を吊り上げて環境問題や政治問題を熱く論じている座もある。

 人さまざまなんである。

 ただ、ネットで商品のブランディングをもくろむ企業人たちは、今の方向を考え直した方がいいという主張は面白かった。

 ネットを通じて、ブランディングを進めようと思うのなら、むしろバカ丸出し、突っ込みどころ満載で、 「コケにされることで露出度が上がる」 と割り切らなければならない。
 ただし、それがその企業のオエライさんたちの意図する 「ブランディング」 とは異なるかもしれないが…。

 そういう著者の主張は、ある意味で、逆にネットの可能性を示唆するものであるかもれしれない。

 コケにされても露出度が高まればいい、と割り切る宣伝姿勢があるのなら、それはその企業の立派な 「戦略」 になりうる。
 ネット世界には、コケにして嘲笑う人々もいれば、そういう人々に反発して、それとは反対の意見表明をしたがる人々も同じくらい存在する。
 
 そのような “振り子的な運動性” を持つのがネットの特徴だ。

 一方的な 「エエカッコシー」 は、ネットの精神ともっとも反するものであるという指摘は、ひとつの教訓であった。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 00:04 | コメント(0)| トラックバック(0)

坂本龍馬の実像

 司馬遼太郎は、 「小説家」 である。

 しかし、NHKドラマの 『坂の上の雲』 あたりが話題になっているせいか、ここのところメディアの扱う司馬氏は、文明批評的な視点を持つ 「思想家」 のような扱いを受けている。

 確かに、文明批評家としての司馬氏の洞察力は、並みの歴史学者や社会学者などでは太刀打ちできないほど鋭い。
 つまり、問題点を抉 (えぐ) り出すジャーナリスティックな切り口に長けているといえよう。
 彼の歴史上の人物などに対する省察は、その独特な語り口も相まって、読む者に圧倒的な説得力を突きつけてくる。

 だが、その “説得力” は、あくまでも小説家としての才能から生まれてきたものだ。

 “司馬マジック” に遭うと、われわれは、彼の描く歴史上の人物をこっそり隣りの部屋から覗き込んでいるような錯覚に陥ることがある。
 あるいは、司馬氏がタイムマシンにでも乗り、あたかも歴史上人物たちとサシで本音トークでも交わしてきたかのようなリアリティを感じることがある。

 しかし、そのような “リアリティ” は、あくまでも 「小説家」 の筆によってひねり出されたリアリティである。
 そこのところを理解しないと、逆に司馬遼太郎の “凄さ” というものを見逃してしまうかもしれない。

 司馬氏は、しばしば (← シャレじゃないんだけど…) 、今までネガティブな歴史評価を受けてきた人物や、スポットライトが当たることのない地味な人物を採り上げ、その人物が内側に秘めていた “とてつもない雄大さ” を取り出して、世の歴史的常識をくつがえしてきた。

 そして、誰もがそこに描かれた人物像に対し、司馬氏の鋭い洞察力によって掘り起こされた 「本当の姿」 を見た気になった。

 しかし、そのほとんどは “つくりもの” である。

 司馬氏は、戦国から幕末、ときには天平や平安末期に至るまで、日本史をにぎわせた大半のヒーローを描いているように思われるが、実は、彼は 「小説的な脚色」 が入り込む余地のある人間しか描いていない。
 いわば、作家から見て 「おいしい」 人たちだけを描いているのだ。

 来年からNHK大河ドラマとして始まる 『龍馬伝』 の坂本龍馬など、まさにその典型かもしれない。

坂本龍馬像001

 坂本龍馬は、明治維新が実現される前に亡くなった人間であるため、維新を生き残った “元勲” たちのように、近代的な歴史認識に基づいた資料から外されてしまっている。

 彼に関して残された伝承および資料は、基本的に江戸期の思想的文脈の中で語られたものであり、そこには、明治政府が導入しようとした 「近代」 のバイアスがかかっていない。

 だからこそ、司馬氏にとって、坂本龍馬は 「おいしい人」 だったのだ。

 つまり、坂本龍馬が、江戸期の思想的文脈で考えていたことを、近代文明の文脈に置き換えてみたらどうなるのか?

 そこに着目したことが、小説家としての司馬氏のセンスの良さを物語っている。

 司馬氏は、こう考えたことだろう。
 もし、その試みがうまくいけば、たどたどしい土佐方言で語られる龍馬の政治思想は、西洋近代の言葉を駆使した陳腐な政治理念よりも、読者に強力なインパクトを与えるはずだ。
 そして、それは、日本人に新鮮な感動を与え、生きる勇気を与えるはずだ。

 龍馬が、「わしゃ、この日本を大いに洗濯しよう思っちょる」
 とか言えば、読者は、青空の下に白い洗濯物がバァーッっと広がったかのような、爽快な気分に浸れる。
 生硬な政治理念を展開するより、こういう表現の方が、はるかに人の心をとろかす。

 また、実際の龍馬は、アクターというよりプロデューサー的なものを志向した人であったということも、司馬氏にとっては都合がよかったろう。

 それまでの日本史上のヒーローは、ことごとく表舞台で派手な振り付けを披露する役者ばかりだった。
 しかし、役者の演じる舞台を本当の意味で運営しているのは、興行資金を工面するプロデューサーである。

 経済感覚を重視した 「浪速」 出身の作家であった司馬氏は、そういう経営センスを要求されるプロデューサーの仕事というものをよく理解している人だった。
 そしてまた、彼は、そのようなプロデューサーとしての龍馬を描いた評伝が生まれていなかったことにも着目しただろう。

 このようにして、土佐の田舎を出て、薄汚れた羽織を着たまま江戸の町をさまよっていた坂本龍馬は、ある日突然、司馬遼太郎という稀代のスカウトマンに声をかけられたわけだ。

 「きみきみ! 私の力で、日本一のヒーローになってみる気はないかね?」


 司馬氏が 『竜馬がいく』 を発表するまでは、坂本龍馬は、維新前夜に活躍した革命派浪士のうちの、ちょっとだけ名を知られた人物の一人でしかなかった。

 それが、 『竜馬がいく』 の社会的反響が大きくなるにつれ、いつのまにか、明治政府ですら持ち得なかったような雄大な構想力を持つ傑物として評価されていく。
 そして現在では、各調査機関が行う 「好きな歴史上人物ベスト10」 などというアンケート調査では、必ずベスト5内に入るような有名人になった。

 しかし、司馬さんは、そのように加熱していく “龍馬ブーム” を眺めながら、…もちろん小説家としての自尊心は満足させられただろうが…、内心 「やれやれ」 と苦笑いしていたような気もする。
 「少し薬が効きすぎたか…」 とすら思っただろう。

 私は、司馬さんが、 『竜馬がいく』 の連載中に、龍馬の対極を生きる土方歳三の物語を書かねばならなかった心境がよく分かる。

 常に明るく、将来をポジティブに見すえ、ユーモアを解し、人に優しい坂本龍馬。
 そういう龍馬のキャラクターは、戦後復興の道を歩んできた日本人が目指す人物像の集大成だった。

 だが、そういう “前向きの人間” ばかり描いて喜んでいられる人は、小説家ではない。
 司馬氏は、あらゆる面で龍馬とは正反対の生き方を貫いた新選組の土方歳三 ( 『燃えよ剣』 ) を描くことで、小説家としてのバランスを取ったのだと思う。

 実在した坂本龍馬が、司馬さんが小説のなかで語ったほど、時代の先を読んだ偉人なのかどうか、実のところ、よく分からない。
 司馬氏は、 「明治維新の理念は、坂本龍馬の構想から生まれた」 というような書き方をしているが、もし龍馬がいなくても、龍馬の代わりを誰かが務めていたことは間違いない。

 そういった意味で、司馬氏の描く龍馬像は “過大評価” といえなくもないのだが、それでもなお、龍馬が暗殺されずに、明治政府の要職に就いていたらどうなっていたか? と空想する余地は残されている。

 もしかしたら龍馬は、その後の明治政府が打ち出したような帝国主義的な国家運営とは異なる指針を示し、そのことによってまったく別種の日本国家が生まれていた可能性だってあるのだ。

 そのような想像力の飛躍を楽しめるものを、 「小説」 という。

 だから、いま巷に流布している坂本龍馬の人物評は、あくまでも 「小説」 の域を出ない。

 …出ないがゆえに、面白い。

 司馬遼太郎は、歴史を、 「物語」 として語った作家である。

 「物語」 とは、ものごとに 「ひょっとしたら……?」 という視点をつけ加えることをいう。
 言葉を変えれば、 「ほら話」 を加えるということにほかならない。

 司馬作品の面白さは、結局この 「ほら話」 を語る話芸の巧みさに尽きる。
 なかでも 『竜馬がゆく』 は、最大の 「ほら話」 かもしれない。

 われわれは、そういう司馬氏の 「ほら話」 の芸を尊重し、ただひたすら、あの気宇壮大かつ奔放な語り口に酔えばいいのだ。

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音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 03:38 | コメント(6)| トラックバック(0)

想像力の時代

 円高基調で推移する経済の流れに、輸出関連産業は四苦八苦。
 一方、相変わらず内需喚起もままならない。
 構造的なデフレはますます深刻化する気配を見せる。

 だが、ここのところ、 「もうしょうがないじゃないか」 と、事態を容認するような声が、あちこちから少しずつ聞かれるようになってきた。

 あきらめ…というのとは、少し違う。

 経済状況が、この先もう好転することがないことを認めたうえで、企業も個人も腹をくくって、 「考え方」 そのものを変えていこうじゃないか。…というのが、 「しょうがないじゃないか論」 の基本的な趣旨なのだ。

 嘆いても、何も始まらない。
 ならば、この落ち込んだ状態を 「スタート地点」 だと割り切り、そこから何ができるかを 「白紙」 の状態で考えていく。
 開き直りといえば、開き直りだが、 「失うもの」 に怯えるよりも、 「獲得できるもの」 を考えていこうという意味では、 「もうしょうがいじゃないか」 という境地から出発することは一歩前進なのかもしれない。

 ただ、主張する論者によって、若干のニュアンスの違いが出る。
 大別すると2タイプの意見があるようだ。

 ひとつは、 「景気後退が常態化すると、会社に頼れないから、個人が自立しなければならない」 と説くような主張。

 もちろんこれは、かつての脱サラのようなものを示唆するものではなく、会社に雇われながらも、常に自分自身マネッジメントして、会社が倒産しても困らないようなスキルを身につけておこう…というアドバイスとセットになった主張だ。

 具体的な心構えとしては、
① 仕事がうまくいかない理由を、会社の上司や景気などのせいにしない。
② 失敗の理由などの 「言い訳」 をつくらない。
③ 会社の看板で仕事をするのではなく、個人のブランド力を高める。

 …などと、わりと正統的な指導が行われているようだ。
 もちろん大事なことかもしれないが、別にそれは当然といえば当然なことで、不況とかデフレに関係ないことのように思う。

 それとは別に、こういう時代を 「内省の時代」 ととらえ、今まで 「成長」 とか 「膨張」 に向けていた目を、自分の内面に転じて 「心の豊かさ」 を追求しようと説く主張もある。

 『悩む力』 などのベストセラーを持つ姜尚中さんなどはそのタイプで、 「自分のライフスタイルを “身の丈” に応じたものに切り替え、外部的な広がりを求めて支出・消費していた生活を、内面強化に向けよう」 と訴える。
 彼にいわせると、こういうデフレ時代というのは、 「個人個人が、自分に合った価値観や幸せを問い直すいい時期」 なのだそうだ。

港の夕陽001

 私などは、こういう意見に、わりとスンナリ賛成できる。
 ここ数年、日本でもアメリカでも、未曾有の金融危機が経済を襲い、金融エリートたちが一気に凋落し、億万長者が一夜にして破産したりする例を私たちはたくさん見てきた。

 それは 「金のために金を回転させる」 という経済感覚の危うさを人々に教え、 「お金は何のためにあるの?」 という問を発生させるきっかけとなった。
 つまり、 「幸せをつかむには、何にお金をつかえばいいのか」 という問題意識を、人々の脳裏に浮かび上がらせることになったわけだ。

 何に対してお金をつかえば幸せの実現につながるかと考えるとき、それこそ人の数ほど答は出てくるだろうが、私がいいなぁ…と思うのは、 「心を豊かにするもの」 に投資している人。

 本なんか買ってじっくり読んでいる人もいいと思うし、映画や音楽の観賞にお金を割いている人もいいと思う。

 優雅なバーなんかで、一人でゆったりとウィスキーを楽しんでいる人などにも憧れるし、山の温泉などにのんびりと浸かり、木陰を吹く風の音に耳を澄ましている人なんかも、うらやましいと思う。

 自然の中にキャンピングカーで入り、コーヒーなどを飲みながら、鳥の声を聞いている人たちなんかも素敵だなあと思う。

 要するに、お金をあくせく使っていない人たち。
 つまりは、そのお金で 「時間を買っている」 ような人たちに、私は期待している。

 そのような投資がなぜ良いかというと、心が豊かになるからだ。
 心が豊かな状態とはどんな状態か?
 それは、頭の中が、新鮮な 「想像」 に満たされた状態のことをいう。

 それはどんな状態か?

 自分なんかを例にとると、たとえば、真っ青な空に、一条のひこうき雲が上昇している光景を見て、ふと荒井由実の 『ひこうき雲』 を連想し、そのメロディーが頭の中に流れ、空の青さと雲の白さの対比に感動すること。
 そして、幼いままついえてゆく子供の 「人生」 が何であったかと思い巡らすこと。
 そして、命の切なさと、命の輝きに想いを馳せ、それに神妙になること。
 …そんなことだ。

飛行機雲001

 想像の世界で遊べる人は、どんな貧しいシチューエーションからもそれに応じた 「物語」 を汲み上げることができるので、少ない投資で、現実以上の豊かさを味わうことができる。

 想像力は、鍛えれば鍛えるほど、鋭敏に働くようになる。

 想像力の母胎となるのは知的教養だから、それにお金をかければかけるほど、想像力が思い描く世界もますます深く、豊かなものになっていく。

 だから、想像力を飛躍させるための投資なら積極的にした方がいい。
 得られるものが、どんどん大きくなっていくことが、そのうち自分でも分かるようになってくる。

 想像力が豊かになってくれば、人の 「立場」 に立って物ごとを見る目も養われてくるから、相手に対する誤解も減り、優しくもなれる。

 自分以外の 「人」 の存在に気づく…とでも言おうか。
 「優しさ」 とか 「思いやり」 とか 「謙虚さ」 とかいうのは、他者に対する想像力の産物なのだ。

 そして、その想像力が、 「人」 から 「自然」 に向かえば、自然を加工したり、無理やり変形しなくても楽しめる方法も見出されてくる。

 山林を伐採して造られた人工的なリゾート施設よりも、あるがままの自然を美しいと感じる感性も生まれてくる。
 何もない状態のなかに、豊かな 「物語」 を感じる感性は、ひとえに想像力から生まれてくるのだから、想像力を鍛えることは、人と自然の調和に想いを馳せることにもつながる。

河の夕陽001

 社会や経済が膨張したり、拡張したりという華やかな時代を経験すると、今の時代はすべてが縮小していくような寂しい時代に見える。

 しかし、本当は違う。
 豊かな想像力を駆使して、安く遊べる時代が来ているといえるかもしれない。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:23 | コメント(2)| トラックバック(0)

RVは生き残る

 先週のことだ。
 あるキャンピングカー販売店の社長さんに取材して、一通りの話が終わってから、雑談になった。
 この雑談がとても面白かったので、その中で社長さんがおっしゃったことを、ランダムに記す。

 まず、この世界的な景気後退をどう見るか、という話。

 「モノが売れない」 時代が長く続き、マスコミは既にデフレに突入していることを宣言しているが、そういう時代では、やはりキャンピングカーの販売も難しい状態に陥っている。

 ところが、 「そういう時代だからこそ、キャンピングカーは生き残る」 と、その社長さんは力強く宣言する。

 バブルの頃は、確かにキャンピングカーも売れた。
 しかし、キャンピングカーに限らず、何でも売れた。
 何でも売れる時代というのは、逆にいえば、品物の価値は問われない時代だということでもある。
 
 モノが売れない時代になれば、消費者は買うべきものと、買うべきでないものをシビアにより分けるようになる。
 そして、その商品が、自分のライフスタイルに合うほどの価値を持っているかどうかを、誰もが厳しい視線で見定めるようになる…というわけだ。

 「キャンピングカーは、比較的その価値をアピールしやすい商品だ」
 というのが、その社長さんの意見なのだ。

湖のコマンダー002

 サブプライムローンの破綻、リーマンショック、ドバイバブルの崩壊など、ここのところ立て続けに起こった金融危機によって、人類はようやく、金銭的な豊かさが必ずしも人間の幸せを実現できるものではないということに気づき始めた。
 そして、 「幸せとは何だろう」 という問いかけを内面的に掘り下げる習慣が見についてきた。

 …と、社長さんはいう。

 そのとき、キャンピングカーが内在的に持っている 「家族の交流」、 「夫婦の絆の確認」 、 「自然との調和」 などという文化的メンタリティーが、じわじわと多くの人の意識を捉えていくだろう…と、その人は見る。

 もちろん、ただ漫然とそれを待っているだけでは、物事は進展しない。
 キャンピングカーには、そのような 「価値」 があるということを、地道に広報活動していく結果において、それが達成されるだろうという。

 そのとおりだと思った。

 キャンピングカー旅行というのは、あまたあるレジャーの中でも珍しいくらい同乗者同士が濃密な関係を結び合うレジャーといえる。

 なにしろ、一種の個室状態の “生活空間” が、住人を乗せたまま移動していくわけだから、否が応でも、 “住人同士” の会話を生み、団らんを育み、他者への気づかいを促進する。

 もし、それが固定された家ならば、やがては 「息がつまる」 という事態を招きかねない。
 しかし、旅先で接する新しい景色、食生活の変化、観光による刺激が、常に家族間に新鮮な空気をもたらすため、濃密な家族関係が生まれても、それが煮つまらない。

 その 「集中と発散」 のダイナミズムは、他の旅行形態にないものだ。
 そして、 「それが新しい家族関係の構築につながる」 と、そのキャンピングカー販売店の社長さんは語る。

 人間は 「ときめき」 がないと、相手に心を開かない。
 たとえ家族であろうと、いや家族であるがゆえに、 「ときめき」 を失ってしまえば、他人以上に冷淡な関係に陥ってしまうことがある。

 「キャンピングカー旅行は、その “ときめき” を家族にもたらす旅行形態である」
 …というのが、私とその社長さんの結論となった。

 その人は、また 「旅行の豊かさ」 についても、独自の見解を披露した。
 
 「日本人は旅行に行くと、まず写真を撮る。そして景色を見ない。
 では景色はいつ見るのかというと、旅先から帰ってきて、写真を焼き増ししたときか、もしくはパソコンに画像を取り込んだときに、はじめて確認する」
 
 それでは本当の旅の豊かさは手に入らないだろうと、その人はいう。

 むしろ、カメラを取り出す前に、 「もしかしたら、二度とこの景色を見るチャンスはないかもしれない」 と念じ、心行くまでその景色を “記憶の印画紙” に焼き付けることが大事。

 結果的に、その方が風景を鮮明に思い出すものだ、という。
 そのようなことが、塩野七生氏のエッセイに書かれていたらしい。

 これも、その通りだと思った。

山の景色001

 われわれは、旅に出ると、すぐに写真に撮ったり、土産物を買い込んだりする。

 そのような 「物として残す習慣」 が、もしかしたら、旅の記憶をかえって不鮮明なものにしているのかもしれない。

 旅のだいご味は、もしかしたら 「一回性」 にあるのではなかろうか。 
 二度とこの地を訪れることがないかもしれない…という “切ない” 感慨が、その旅をかけがえのないものにするようにも思う。


 その社長さんは、また、キャンピングカーを使ったヨーロッパ旅行も経験している。 
 そのとき感じたのは、ヨーロッパの都市と道路の見事な整備状況。

 標識が瞬時に読めない日本人でも、定められた規則どおりに走っていけば、まず迷うことはないし、町に入れば、見事に多種間交通の住み分けがきちんとなされていて、安全性が脅かされることがない。

 それを 「交通社会」 という言葉で表現するなら、 「日本には交通社会がない」 と感じたという。

 そこに、社長さんは、古代ローマ帝国の遺産を見るという。

古代ローマの遺跡

 古代ローマは、地中海をぐるりと囲む大帝国を建設したときに、まず一番最初にインフラ整備に手をつけた。
 それが道路であり、公共の建築物だった。

 彼らが征服地の異民族に教えたものは、 「都市計画」 だったのだ。

 古代ローマ帝国が各民族に伝えた理念は、宗教でもなく、政治哲学でもなく、町と道路の造り方であったということは、要するに、彼らの統治理念には、物質的な裏づけがあったということなのだ。

 ヨーロッパ人たちが、自分たちの文化に自信を持っているのは、キリスト教の絶対性とか、近代合理主義の普遍性に対する信仰があるからだけではない。

 「自分たちの暮し方こそ、万人の幸せにつながる」
 という現実的な手応えを、都市計画の成功から信じられたからである。
 それこそ、ローマ帝国の遺産である。

 …とかいう話に興じて、その日は、ついつい取材時間を大幅にオーバーしてしまった。

 キャンピングカーを販売している人々も、さまざまな視点からキャンピングカーを論じるようになったものだ。

 そういう手応えをしっかり胸に秘めて、その会社を後にした。


campingcar | 投稿者 町田編集長 04:25 | コメント(0)| トラックバック(0)

一瞬の再会

【 小説・一瞬の再会 】

 俺の就職が決まった頃の話なんだけどさ。
 だから、もう30年以上も前の話よ。

 で、いろいろ 「就活」 に奔走したあげく、ようやく今の仕事場が決まって、ホッと一息ついていたんだけど、ひとつがうまくいくと、別のものが駄目になるというのは人生によくあることでね。

 その頃、付き合っていた彼女に、俺とは別の “恋人” ができたちゃったのよ。相手は、俺なんかより年上の妻子ある男だったのね。
 こいつはショックだったよ。

 俺、ようやく職にありついたこともあってさ、ま、社会人になったことを機に、そろそろ彼女との結婚を決めてもいいかな…なんて考えていたの。

 “彼” の話を聞かされたのは、まさにそのタイミングだったからさ、それまでまともな仕事にも就かず、アルバイトしながらブラブラ遊んでいたことに対する神様のバチが当たったのかと思ったよ。

 でも、俺、そこに至るまでに何か重要なことを見逃していたんだろうね。

 その頃、一人でアパート住まいしていたんだけど、彼女がときどき会社の帰りに食材を買って寄ってくれてね。
 つつましやかに飯食ってから、浅川マキのレコードなんか流しながらさぁ、彼女が食べ終わった皿とか洗って…。

浅川マキジャケ

 俺、タバコふかして、洗い物をしている彼女の後ろ姿なんか眺めながら、浅川マキを口ずさんでさ。
 それに飽きると、マンガ雑誌をペラペラめくったりね。
 
 部屋の中では、あいかわらず浅川マキがけだるく歌っているわけ。
 「不幸せという名の猫がいる、いつも私のそばに、ぴったり寄り添っている」 …とかね。
 
 暗いなぁ…とかため息つきながら、タバコの吸殻を灰皿に押し付けて、思うのよ。
 ……結婚してもさ、こんな生活だったら、ちょっと味気ないかなぁ…って。

運河001

 そこは、窓の外にどんづまりの運河が広がっているような、淋しい景色のところでさ。
 風向きがちょっと変ると、ドブの匂いなんかが漂ってくるのよ。

 風呂もないようなアパートでね。
 で、隣の住人の話が壁越しに聞こえてきたり、二階の住民の目覚ましが俺の目覚ましより早く鳴り出して、それで起こされるような住まいでさ。

 独身男が一人で暮らすならたいした問題じゃないけれど、結婚してもこんな生活が続くんなら、ちょっと耐えられないかな…。
 そんな気持ちもあったのよね。

 だからといって、もっとレベルの高い住処 (すみか) を探すには金もかかるってことだって分かってくるしさ。
 結婚て、気が重いな…。
 俺そんな風に感じ始めていたのよ。

 ところが彼女も、口にこそ出さなかったけれど、俺以上にそのことを感じていたのかもしれないのね。

 「私この男と一緒になっても、こんな生活が待っているなら幸せになれるのかしら…」 ってね。

 結婚のシミュレーションを具体的に始めたときにさぁ、お互いに初めて迷いが生じたんだろうな。

 そんな彼女の心のすきまに、 「貧しい結婚」 より 「華麗な恋愛」 という夢が入り込んだんだと思う。
 恋愛ってさ、人間を輝かせる最大のきっかけになるものだからね。彼女が本来持っている輝きを、そのときの俺はもう引き出す力を失っていたからさ。

 で、女が、男に見切りをつける時ってさぁ、共通することがあるんだよね。急になんでも規則正しくなるの。
 飲んでいるときもさぁ、以前だったら 「もうこんな時間? じゃあと10分だけ」 なんてダラダラしていたのが、 「時間だ! 帰る」 って感じになるし。
 デートの約束も 「何日の何時から何時半まで」 なんていうビジネス感覚になってくるのね。

 で、抱き寄せようとすると、今までと違ってさぁっと身を引くし、腰に手を回すとやんわりと振りほどくわけ。
 動作ひとつひとつが 「あなたと身体 (からだ) を触れ合わせたくないの」 という強いメッセージを発進してくるのね。

 なんか変だな。ずいぶんよそよそしくなってきたな…と、俺も少し異変に気づいてね。
 たまりかねて尋ねたよ。
 「最近変わったね」 って。

 やっと重い口を開いた。
 「気になる人がいる」 って。

 「ふぅーん…」

 ショックとは、すぐに訪れるものでもないのね。一体何が起こっているのか、それをうまくつかむことができないと衝撃すらも感じられないのよ。
 頭を整理するために、とりあえず一本タバコを吸ってさ。ゆっくり煙を吐いて。

タバコの煙

 「…で、その人のことを好きになったということ?」
 「分からないの。自分の気持ちが…」
 「その人は、君のこと好きなの?」
 「愛していると言われたわ」

 このへんから、チクチクと痛みがわいてくるのね。

 「でも私、あなたと別れるつもりはないの。生涯大切な人だと思っているから」
 こういう表現、微妙だよな。
 そう言われてホッとする人間なんて、まずいないんじゃないか?

 実は、その彼のことは、前から彼女の話に出ていたわけ。
 「会社に評判のプレイボーイがいる」
 って。
 奥さんも子供もありながら、若い女性をデートに誘うのが好き。しかもモテるらしい。

ダンスのイラスト
 
 クルマの運転もうまければ、ダンスもうまい。
 何よりも、話が洗練されている。
 …っていうんだよね。

 ただの世間話だと思っていたからさぁ、俺、さほど気にすることもなく 「ふぅーん」 って聞き流していたのね。
 その話の人物が、 「今の相手」 だと聞かされて、まったく虚を突かれた感じでね。

 心の整理がつかなくてさ。この場でどういう言葉を吐いたらいいのか、どういう態度をとればいいのか。
 頭の中は霧、また霧、さらに霧って感じでよ。
 はっきり 「嫌い」 と言われた方がナンボ楽かと思ったね。

 それからは彼女と会っても、出てくる話題はもう “彼” の家庭のことばかりになったの。

 「彼の奥さんを、私、見てしまったの。私よりはるかにきれいな人だった。なんであんな良い人がいるのに…」 とかね。
 「彼の奥さんが、私たちのことに気づいて、彼のネクタイを全部ハサミで切っちゃったんですって」
 なんてね。

 そういう話を彼女の口から聞きながら、俺、相手の男を憎んだよ。
 てめぇが自分の家庭を壊すのは勝手だけど、人の恋人まで奪うなよ、ってさ。

 でもさ、俺、その彼に気持ちで負けていたの。
 彼は家庭を持ちながら、堂々と彼女に 「愛してる」 って言ってるわけじゃない? 俺は彼女に、今まで 「愛している」 なんてはっきりと口に出したことがあっただろうか。
 そう思うとさぁ、今さら婚約者ヅラしたってもう遅いぜ…という気になってくるのね。

 もっと辛いのは、その男と比較されることだったね。
 彼女はこの頃しきりに 「いい男」 という言葉を使うようになってね。その条件を語るようになったのよ。

 女をエスコートするときのマナーやデート中の気配りに始まって、料理や酒の選び方、状況に応じた会話の進め方、金のつかい方…。
 「いい男というのは、そこに一つのスタイルを持っている」
 と、彼女はいうのよ。

 すべてその彼をモデルにしたものなんだろうけれど、その話から推測される彼の行動、話す言葉、思想、しぐさやクセ。

 みんなカッコいいんだわ!

 美化されている部分もあるんだろうけれど、割り引いて聞いても、 「社会人の男の凄み」 ってのが伝わってくるのね。こっちはまだ半分学生気分だったからさ、学生とは遊びのスケールが違うっていうことを痛いほど知らされたよ。

 で、俺、ある日彼女に向かって、 「もう会うのを止めようや」 って自分から切り出したの。

 日曜日の夕暮れだった。
 彼女を近くの駅まで送っていった後でね。

 ホームに並んで、電車を待ちながら、
 「そろそろ終わりにしようよ」
 …って言ったんだ。

私鉄のホーム
 
 電車がなかなか来なくてさ。
 その間、彼女は寂しそうな顔をしたけど、黙っていたな。

 そして別れ際に、こう言ったよ。
 「私は一生結婚しないから」

 彼と結婚することはないから安心してね、という意味とも取れるし、あなたとも結婚しないという宣言にも取れるし。
 きっと何かを決意したんだろうな。
 その男の 「愛人」 として一生を貫くという決意だったのかもしれないね。


 それからしばらく経ってから、俺、クルマっていうオモチャを手に入れてさ。もっぱら一人で気楽なドライブを楽しむようになったの。
 今でいうリッターカーにちょっと毛の生えたような、ちっぽけなクルマだったけれど、一応ツーリングカーカテゴリーに出ているクルマだってことが自慢でね。

 天気の良い休日には丹念にワックスかけてさ。カーショップでいろいろ小さなアクセサリーを買い込んで。

 クルマに乗らない日は、ドライブ中に聞く専用音楽テープを編集したりしてね。
 休みになると、そういう音楽ソースをたくさん抱えて、山道の峠越えをしたりとか、港の見える公園に行ったりさ。「センチメンタル・ジャーニー」 ってやつだよね。

港の公園

 でもさ、クルマが面白くてさ。
 クルマ関係の雑誌の仕事しているってことが、最高にハッピーだったのね。
 エンジンはノーマルだったけれど、 せっせとレーシングチームのステッカー貼ったりして、「そのうちボアアップしようかな」 とかね。 

 そんな生活しながら、2~3年経ったのかな。

 たった一度だけ、別れた彼女の住んでいた町までクルマを走らせたことがあったんだ。もう深夜ね。
 昔ときどき電車で送ってきたことがあってさ、その頃とあんまり景色も変わっていないのね。

 彼女の家が見える空き地にクルマを止めてさ、カーステレオのスイッチも切って、しばらくタバコをふかしていたな。
 田舎だからさ、人通りなんかないの。周囲もしんと静まり返っていてさ。それこそ星の触れ合う音でも聞こえてきそうな夜なのよ。

 別に会いたいとか思ったわけじゃないから、そろそろ帰ろうと思ってさぁ、エンジンをかけようとしたとき、路上を歩いてくる人の声がしたの。

 男と女の二人連れだった。
 まさかと思ったら、彼女でね。彼氏が家まで送ってきたところなんだね。
 俺、思わずシートに身を沈めて息をのんだよ。

 別れぎわに、バイバイって感じで彼女が手を振ってさ。男は優しそうに小さくうなずいて。
 いい感じだったよ。

 彼女が、家の前の路地を曲がって、玄関の奥に姿を消すまで、男はずっと立ち尽くしていたな。
 彼女の姿が完全に見えなくなってから、彼はゆっくりと体の向きを変え、少し疲れた足どりで、駅の方に戻り始めたの。

 二人の仲はまだ続いていていたのか…っていう驚きと、何かいいシーンを見たなという感激が入り交じって、ちょっと自分の気持ちの整理がつかなかったね。

 それから静かにエンジンをかけて、俺は彼の後を追うようにクルマを滑り出させたの。

 ゆっくりゆっくり歩いていた。
 少しくたびれた中年男の背中だった。

夜の後ろ姿

 もう電車なんて走ってない時間なのよ。俺が聞いている男の住んでいる町は、そこからとんでもなく遠いところなの。
 どうするんだろう。タクシーでも拾うのだろうか。
 俺、 「送りましょうか?」 って声をかけようとすら思ったよ。

 でもさ、相手は俺のことなんか知らないだろうしさ。俺のことが分かったとしても、話すことなんかないだろうしさ。
 そのままゆっくり追い越して、走り去ったけどね。

 二人の別れぎわが、俺には 「素敵な一枚の絵」 のように見えたことで、ああ、彼女のことは完全に過去の 「思い出」 になったんだな…って自覚したの。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:25 | コメント(8)| トラックバック(0)

女性ユーザーの声

 日本RV協会 (JRVA) から、ちょっと面白いデータが公表された。
 「女性から見たキャンピングカー」 というもの。

 このアンケート調査は、 「くるま旅クラブ」 に所属するキャンピングカーユーザーのうちから主婦層および女性オーナーを対象として実施されたもので、女性とキャンピングカーのつながりを調べるための24項目が設定され、1,388件の回答が寄せられたという。

 このようなキャンピングカーをテーマにした本格的な女性アンケートは初めての試みであり、業界にとっても貴重なデータだと紹介されている。

 それによると、キャンピングカーに興味を持ったきっかけは、 「ご主人が話題にするようになったから」 という回答が圧倒的に多く、全体の58.4パーセントを占めたのだそうだ。

 昨今、キャンピングカーの購入には奥様の意見がけっこう反映されるらしく、旦那さんが興味を持ったキャンピングカーに対しても、奥さんが 「NO」 というと契約が成立しないという話をよく聞くのだが、奥様の意向が強まったように見えても、購入のきっかけとなる材料は、旦那さんが提供しているという図は変わらないようだ。

サイトのシニアカップル

 面白かったのは、自由回答の中で、
 「私が知らない間に、主人が勝手に購入していた」
 「主人がこっそり準備し、いつの間にか (旅に) 連れ出された」
 という “巻き込まれ型” の購入であったことを告白した女性がいたらしいこと。

 たいていの旦那さん方が、奥さんの承諾を得るために四苦八苦しているらしい昨今、うらやましい殿方たちもいたもんだと思う。

 キャンピングカーを持ってから家族 (夫婦) の話題に変化が生じるようになったか? ということを尋ねたところ、
 「ご主人や家族との間に 『旅』 や 『趣味』 の話題が増えた」
 と答えた女性は57.9パーセントに達し、続いて、
 「キャンプや旅行で知り合った人々との交流が話題になった」
 と答えた人が、21.3パーセントもいたという。

 買ってしまうと、今度は女性の方が楽しくなってしまうという話はよく聞く。
 また、夫婦の間の話題が広がるようになったということは、 『キャンピングカー白書』 のデータをも裏づける形となった。

 この調査では、
 「キャンピングカー旅行中に、自分たち夫婦は相性が悪いと思ったことがあるか?」
 などという質問もなされている。

 それに対する答は、
 「まったくない」 という回答が55.3パーセント。
 「ときどきある」 という回答が39.5パーセント。
 「よくある」 という回答が4.1パーセントだったそうだ。

 どのような場合に、夫婦の相性が悪いと感じたかを尋ねると、
 「旅行中に、見物したり買い物したりする興味の対象が合わない」 (40.0パーセント) 、
 「時間のテンポが合わず、立ち寄り湯の待ち時間などをめぐってイライラする」 (24.3パーセント)
 …だとか。

 夫婦といえども、そこは生きた人間同士。 「男女間のデリケートな課題も内包していることに気付かされる」 と、調査をまとめた感想もコメントされている。

 ほかにも、女性がキャンピングカーを選ぶ基準や、キャンピングカーに欲しい機能や設備などが浮き彫りになったという。

 さらに女性のひとり旅や、女性同士のキャンピングカー旅行に憧れている潜在ユーザーの存在も明らかになったそうだ。

 この調査結果の報告は、次のリリースでも続きが紹介されるようだ。
 どんなデータが出てくるのか楽しみ。

 詳しくは、JRVAのホームページ (↓) を。

 http://www.jrva.com/jrvanews/release/20091214.html

campingcar | 投稿者 町田編集長 01:18 | コメント(6)| トラックバック(0)

答は風の中

 ボブ・ディランというアーチストは、われわれの世代、つまり60年代、70年代に青春を送ったような人たちにとって、その生き方に大きな影響を与えた人であるようだ。

ボブ・ディラン1966

 カスタムプロ ホワイトの池田さんが、その連載エッセイ (答は風の中) の今月のテーマに選んだのも、ボブ・ディラン。

 ラジオから流れてきた 『風に吹かれて』 が、キャンピングカー旅行への夢を育み、それがきっかけで、ビルダーへの道を歩んだという。

 エッセイのタイトルである 『答は風の中』 という表題も、この歌から刺激されたものだそうだ。

 池田さんはいう。
 「虚空に鳴る風のようなギター。
  大草原を転がっていく枯れ草のような声。
  ボブ・ディランの歌は、とてつもなく広がった大平原を男が一人で渡っていくときの 『旅の歌』 のように聞こえた」

 私と同じように考える人もいたものだと思う。

 例によって、池田さんのエッセイに簡単な感想も添えた。
 興味をお持ちの方は、そちらの方もぜひ (↓) 。

 http://www.campingcar-guide.com/kaze/043/

 関連記事 「荒野のディラン」

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 22:16 | コメント(0)| トラックバック(0)

鰻弁当のしあわせ

 「ウナギなら食べられそう」
 病院から外泊許可をもらって家に戻ったカミさんが、そういう。

 なにしろ、極度の食欲不振に陥っているらしく、病院で出る食事も、喉の奥に押し込むようにして、むりやり胃の中に収めているという。

 医者からは、
 「栄養のあるもの。高カロリー・高タンパクなものを食べなさい」
 と、もし私が言われたならば 「喜んで!」 と答えそうな指示をもらったカミさんなのだが、
 「そういうものを食べる気がまったくおきない」
 と贅沢にも、言うのである。

 「私、やせたでしょ?」
 と、心配顔で尋ねるカミさんに対し、
 「んなことねぇよ、相変わらずだよ!」
 と、見たとおりのことを言うわけにもいかず、
 「そうだね、大丈夫?」
 と、深刻な声を出して、優しく答える私。

 その極度の食欲不振のカミさんが、 「ウナギなら食べられそう」 といったのだ。

 ウナギ…ねぇ……。 
 そういえば、もしかしたらこの1年、オレも食ってねぇ。

 ウナギの産地が相変わらず偽装されているのかどうか知らないが、ここんところ、うまいウナギを食ったためしがない。

 もっとも、400円とか500円クラスのウナギ弁当で、ホンモノの国産ウナギが使われているはずもなく、国産以外のウナギとなると、私の偏見かどうかは知らないが、極端に味が変わる。

 まずい…というよりも、ちょっとだけでも冷えてくると、安ウナギは、舌の上で柔らかく伸びてはくれるのだが、噛み切れないのだ。
 まるでゴムみたいに、くっちゃくっちゃ何回噛んでも、食いちぎれない。
 アレが嫌だ。

 そんなわけで、安いウナギ弁当のたぐいは金輪際 (こんりんざい) 食わないようにしているのだが、かといって、安心できる国産ウナギを出す店のメニューは 「ウナ重、肝吸つき2,000円以上」 とかなるので、1食にそんな大枚をはたく余裕もなく、やっぱり食う機会がない。

 というわけで、ウナギというものを、ここ1年ぐらい食っていないことに気がついた。

 「よし、夕食はウナギにするか!」
 夕方、チャリンコ漕いで20分ほどの隣町のデパートまでウナギ弁当を買いに行った。

うなぎ弁当

 そのデパートには、 “静岡県産最高級” とかいう保証付きのウナギ弁当を売っているので、わざわざそこまで買い出しに出たのだ。  

 で、そういう店のウナギ弁当は、包装紙にも、江戸時代の役者絵みたいなデザインが施されていて、みるからに “贅沢” なのだ。

 その包装紙をテーブルの上で開くときの楽しさ!

 ああ、幸せ…と思いながら、食い始めたのだけれど……

 「あれ、ウナギって、こんなにあっさりした食いモノだっけ?」

 舌の上で、濃厚な味がとろりと広がるのを期待していた私は、ちょっと拍子抜け。

 多少冷たくなっても、あのサクっと食いちぎれる食感は、確かに高級ウナギなんだけど、期待したほどの喜びがこみあげて来ない。

 カミさんが入院中、濃い味のラーメンとか、塩っ辛いコンビニ弁当に慣れてしまったせいか、口の中に脂肪分が泡のように広がるような味付けでないと、満足しない身体になっていたのだ。

 “ひとりメシ” となる私の場合は、夕食時間というのが決まっていないから、いつも、激しい空腹を覚えたときが 「夕飯どき」 となる。
 そうなると、いきおい、満腹への即効性を持つメニューを選びがちになるため、味付けは “脂肪” に頼らざるを得ない。

 そんなことを繰り返しているうちに、高級ウナギの上品さに、舌がついていけないようになってしまっていたのだ。

 もちろん、脂と塩が身体に悪いことは重々承知している。 
 だから、 「今晩だけは特別。明日からは自粛」 と必ず思うのだけれど、その “特別な晩” が一晩ずつ繰り延べになっていく。

 やっぱ腹へったときの “濃厚な味付け” って、禁断の快楽だよな。
 意志の弱さだけは、人一倍自慢できる私なのだ。

 そんなわけで、期待値が高かったわりには、ちょっとがっかりしたウナギ弁当だったけれど、弁当を食いながらカミさんが言った言葉。

 「おいしい!」

 もう、その一言がすべて。

 冬空の下を自転車漕いで、隣町までウナギ弁当を買いに行った労が、一瞬のうちに報われた瞬間でした。 


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 11:33 | コメント(2)| トラックバック(0)

荒野のディラン

 ボブ・ディランというアーチストを語ることは、私にはとても難しい。

 ビートルズのデビューとほぼ同じ頃に登場し、60年代、70年代を代表する数々の名曲をリリースし、現在も第一線で活躍するスーパーアーチストなのだが、なぜか私は、ボブ・ディランという歌手を自分の中にどう位置づけたらいいのか、いまだによく分からない。

ボブ・ディランジャケ001

 彼の歌を聞いていると、なぜか、歌とは異なる別の何かを聞いている、と思うことが時々あるからだ。

 それは、凍てついた荒野の彼方 (かなた) から、闇を突き抜けて響いてくる、正体定かならぬ者の 「叫び」 のようなものかもしれない。
 母親に、 「誰も叫んでいませんよ。安心して眠りなさい」 と言われながらも、ふと目を覚まし、耳をすませると、山を越え、谷をくぐり抜けて、枕もとに忍び寄ってくる声。

 そういうものを感じることがあるのだ。 

ホッパー07

 私は音楽にあまり “思想性” を求める習慣がないので、洋楽でもJポップでも、ほとんど 「音」 としてしか聞いたことがない。
 たまに、 「サウンド」 として気に入った歌があれば、ようやく歌詞カードを開き、何を主張したいのかな? と気にとめる程度なのである。

 だから、ボブ・ディランの歌が当時のラジオから流れ出した頃、 「サウンド」 にしか関心のなかった私は、あっさりと “聞き逃していた” のだと思う。

 ようやく、ボブ・ディランの曲が耳に入ってきたのは、 『風に吹かれて』 (1963年) からである。
 しかし、それは彼のオリジナルではなく、PPM (ピーター・ポール&マリー) の歌ったカバー曲の方だった。

 メロディも覚えやすく、コード展開も簡単な曲だったので、そのうち歌詞カードを見ながらギターで弾くようになった。
 そのとき、はじめてボブ・ディランの曲だということが分かった。

 興味を持ってオリジナルの方も聞いてみたら、 「まったく別の歌か?」 と思った。

 PPMの方は、メロディラインを忠実になぞりながら、歌詞もしっかり聞き取れるクリアな声で歌っている。
 それに比べ、実作者であるボブ・ディランは、メロディラインをたどるのもおぼつかないような節回しで、聴衆に罵声を浴びせるように、ぶっきらぼうに歌っている。

 嫌だな…と思った。

 なぜ 「嫌だな」 と思ったのか。

 後から思うと、私はボブ・ディランの “歌声” に、
 自分を脅かすもの、
 自分を安住の地から連れ出そうとするもの、
 自分のアイデンティティを奪おうとするもの、
 …の “気配” をかぎ取ったのだと思う。

 それが、さっき言った、 「凍てついた荒野の彼方から、闇を突き抜けて響いてくる “叫び” 」 なのだが、もちろん、PPMの歌と聞き比べた頃は、そのようなイメージは、まだ固まっていない。
 ただの 「下手な」 歌声に過ぎなかった。

ボブ・モニュメントバレー002

 その後もボブ・ディランに対しては冷淡な距離を取り続けながら、私は 「音」 として派手なもの、サウンドがカッコいいもの、曲として耳になじみやすいものを洋楽に求め、ニューロック、アートロック、ハードロックなどといわれる新しいロックサウンズの方に傾倒していった。

 そういう新しいグループの曲には、気に入ったものがいっぱいあった。
 ザ・バーズの 「ミスター・タンブリマン」
 ジミ・ヘンドリックスの 「見張り塔からずっと (All Along The Watchtower) 」
 ザ・バンドの 「アイ・シャル・ビー・リリースト」

 みんないい曲だなぁ…と思って、それらの曲をコレクトした自分のオリジナルテープなどを作っているときに、ふと気がついた。

 お気に入りだと思った曲は、みなボブ・ディランの曲だったのだ。

 そこで、再び興味を感じて、ボブ・ディランのオリジナル音源と聞き比べてみた。
 すると、どうしても自分には、カバーしているサウンドの方がみな心地よく聞こえてしまう。
 反対に、美しい歌だと思ったものでも、ボブ・ディランが歌うと、どこか不安定で、落ち着かない気分になってしまう。

 そこから次々と疑問が湧いた。

 ボブ・ディランが、なぜアメリカで人気を保っているのだろう?
 日本にも熱狂的なディランファンがいるのは、なぜだろう?
 彼のいったい何が、多くの人たちから評価されているのだろう?
 彼の魅力を読みとれない自分には、何が欠けているのだろう?

 ようやく、私はボブ・ディランというアーチストが秘めている 「謎」 にたどり着いたのだ。

ボブ・ディラン342302

 ボブ・ディランの曲が、なぜアメリカ人に人気があるのか?
 (ちなみに、2007年のアメリカの 「ローリングストーン・マガジン」 誌が選んだ、 「ロック史上最も偉大な500曲」 のベスト 1 に選ばれたのは、ボブ・ディランの 『ライク・ア・ローリング・ストーン』 だった)

 彼の歌が、なぜアメリカ人に評価されるのかという問に対する答は、ある程度簡単に出せる。
 ボブ・ディランが 「英語」 で歌っているからだ。

 つまり、英語が聞き取れない私などは、彼の歌をただの 「音」 としてしか捉えられないのに対し、アメリカ人たちは 「詩」 として聞く。つまり彼らは、詩を通して伝わる 「意味」 をつかんでいる。
 
 「意味」 が分からなければ、ディランの歌の “良さ” は理解できない。
 そのことに気がついて、歌詞カードをいくつか拾ってみると、確かに、不思議な光彩に満たされた世界を語る歌詞が多い。
 …が、何をいいたいのかよく分からない。

 初期のプロテストソングですら、政治権力や社会体制に対する抗議の中に、意味不明の哲学的、文学的なフレーズが入り込んでくる。
 こんな難しい歌を、ポピュラーソングとしては単純明快なカントリー&ウエスタンの伝統しかないアメリカ人が理解できるのか?
 そんな気すらした。

ボブ・0020

 しかし、自分にとっての最大の 「謎」 は、ボブ・ディランの作った曲を、他のアーチストがカバーすると、なぜ心地よく聞こえ、ボブ・ディランが歌うと、なぜ “落ち着かない気分” になるのか…ということだった。

ボブ・ディラン1966

 そのうち、ぼんやりと…だが、ひとつのイメージが固まってきた。

 『新約聖書マタイによる福音書』 10章34節から39節。

 ……私が来たことを、地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。
 平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。

 私は、父を、娘と母を、嫁としゅうとめを “敵対させる” ために来たのだ。
 
 私よりも父や母を愛する者は、私にふさわしくない。
 私よりも、息子や娘を愛する者も、私にふさわしくない。
 また、自分の十字架を担って、私に従わない者は、私にふさわしくない。
 自分の命を得ようとする者は、それを失い、私のために命を失う者は、かえってそれを得る……。

 キリストの言葉だという。
 
 人に 「愛」 と 「平和」 を説いていたはずのキリストが、なぜ、このような不安に彩られた教えを、突然語ったのか。
 家族をいつくしむことを説いていたはずのキリストが、なぜ、家族を引き裂くような教えを語ったのか。

 私は、ある思想書にこの一節が引用されているのを読んだとき、とても奇妙なものを感じたと同時に、目のまえに突然 「荒野」 が広がったような、身の引きしまるような戦慄を感じたことがあった。

ボブ・ディランMバレー

 キリスト教というものにさほど関心を持たず、 「困ったときに助けてくれるもの」 というぐらいの、素朴な信頼感しか持ち合わせていなかった私は、この一節に、イエス・キリストの厳しさと怖さを感じた。

 しかし、その 「怖さ」 は、人を強力に引き寄せてしまう、抗 (あらが) いがたい 「力」 から来るもののようにも思えた。
 
 家族の呪縛から解き放たれた、孤独と向き合う 「場所」 
 思考を閉ざす微温的な愛に自足せず、真理を見すえる 「場所」
 この世の掟 (おきて) が通じない、絶対的な 「場所」

 その場所がどんな所なのかよく分らないけれど、キリストの言葉は、
 「人間には、とにかく跳ばないことには着地できない “場所” がある」
 ということを教えているように感じた。
 
 ボブ・ディランの、あのぶっきらぼうな、人を突き放したような 「声」 は、まさに 「跳ばないと着地できない場所」 から響いてきたような 「声」 だったのだ。

ボブ・ディラン2628

 彼の歌が、なぜ私を不安な気持ちにさせるのか。
 その声が、なぜ自分を 「安住の地」 から引き離すようなものに聞こえてしまうのか。

 それは、 「剣を持ち、家族を引き離すためにやってきた」 というマタイ伝のキリストの言葉を連想させたからである。

 そして、それが私にはまた、人間に 「自立」 を促がす言葉であることも分っていたのだ。
 いつかは、親元を離れ、…つまりは充足された 「共同体」 を離れ、独りで 「荒野に立て」 という教えでもあることに気づいていたのだ。
 そのことに気づいても、気づいていない振りをしていたから、それが 「不安」 に感じられたのだ。

ボブ・29

 ユダヤ系の家庭に育ったボブ・ディランが、なぜユダヤ教を離れ、プロテスタント系のクリスチャンになったのかは分らない。
 私には、ユダヤ教とキリスト教の教学的な区別もつかない。

 しかし、ひとつ言えることは、彼のあのヒリヒリするような孤独感をたたえたダミ声は、ユダヤ教やキリスト教の風土である 「荒野」 の声だったということだ。

ボブ・ディラン4251

 彼の歌には、この世をどこか別の場所から眺めるような 「超越者」 の視線がある。

 ノックしながら天国の扉を見つめる “ビリー・ザ・キッド” (天国の扉)。
 西から昇る (!?) 太陽を浴びて解放される “私” (アイ・シャル・ビー・リリースト) 。
 道を行く騎士や女たちの姿を、監視塔の上から眺める “王子” (見張り塔からずっと) 。
 いつになれば空が本当に青く見えるのか? と問う “男” (風に吹かれて) 。

 そのような、 「見る主体」 と 「見られる対象」 の絶対的な乖離 (かいり) を伝える “まなざし” があってこそ、あの歌い方が選ばれたのだと思う。

 あのぶっきらぼうなしゃがれ声は、ディランのナマの声ではない。
 歌に超越的な “まなざし” を導入させるために、戦略的に導き出された声といっていい。
 だから、テーマが様々な方向に広がっていく後期になると、もう彼は普通の声に戻っていく。

 しかし、フォークギターを抱えてステージに立った初期のディランは、見事に 「荒野を吹く風」 の声で歌った。

ボブ・モニュメントバレー25

 私は、夜ディランのその声を聞くと、どこか遠いところに連れ去られるような気がしてくる。

 それが怖い。
 だけど、行かなければならない。
 そう思う。
 今日でなければ、いつの日にか。

 ▼ 「ライク・ア・ローリングストーン」

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 17:34 | コメント(2)| トラックバック(0)

デフレの脱却法

 デフレの時は、 「腕振れ!」
 まずは、オヤジギャグで。

 元気よく腕でも振ってさ、朝早く起きて散歩する。
 とりあえず、そこから出発だね。

 ここんとこ、テレビのワイドショー見ても、新聞を開いても 「デフレ、デフレ」 の大合唱。

 専門家たちは、
 「もう日本は、デフレスパイラルに陥った」
 とか、
 「このままいけば、デフレスパイラルに突入」
 みたいなことばかり言うけど、
 「じゃーどうすればいいの?」
 ってことには、なに一つ答えてくれない。

 デフレスパイラルとは、企業の収益悪化 → 給与の減額やリストラ → 商品の売れ行き低下 → ますます企業の収益悪化 …という悪循環のことをいうわけだから、そのままいけば、 「日本沈没」 を意味する。

日本沈没

 これ、マスコミが悪いよ。
 そんな現象ばかり報道したって、何の意味もない。
 消費者の首はますます縮こまって、カメの首のように甲羅の中に潜り込んでしまうばかりだし、街を歩くエネルギーすら消耗しないように、家に閉じこもるだけだ。

 テレビなどで流す報道は、中小企業の経営者の悲惨な告白か、さもなければ、この不況下でも 「行列のできる店舗」 のどちらか。
 で、行列のできる店舗を紹介するときは、経営者がいかにコストを圧縮して、価格を下げたかという話ばかり。

 でも、そうやって、安売り大合戦ばかり繰り広げていても、そのうち消費者だって、安くモノが買えても別にハッピーになるわけじゃないってことが分かってくるから、 「安売り!」 のかけ声に対する反応も鈍くなっていくはずだ。

安売り

 今のデフレは、世界経済の構造的な変化を背景にしているわけだから、単なる 「値下げ」 で消費が回復するわけなんかない。
 生産技術の進歩や、生産拠点を人件費の安いエリアに移すことによって得られた 「生産性の向上」 が、結果的に需給バランスを崩してしまったことに起因するデフレなのだから、特効薬のような簡単な解決法なんてないんだ。

 あるとすれば、それは消費者の消費マインドを変えることだ。
 商品の供給システムをいじるよりも、消費者の嗜好を変えることが大事なんだね。
 それこそ、マスコミの仕事だけどね。

 結局さぁ、 「経済的に豊かになることがハッピーだ」 という価値観でずっとやってきたから、こうなる。

 バブル崩壊後、 「経済的な豊かさは、必ずしも人間の幸福を実現しない」 って、みんなさんざん言ってきたクセに、頭の芯では、なにも学んで来なかったんだね。

 まぁ、日本はさ、戦後から20世紀の終わりまで、経済的に右肩上がりの発展を遂げてきたわけだから、誰もがその成功体験の中でモノを判断するクセがついてしまっている。
 特に、政治や経済を動かすトップの人たちは年齢的に、みなこの 「右肩上がりムード」 の中で青春を過ごしてしまった人たちだから、そう簡単に自分の感性を組み替えることはできない。

 だから、 「モノを持ってる」 「金を持ってる」 ということが、幸せのバロメーターであるという感覚を捨てきれない。

 そういう感覚しか持ち合わせていなければ、誰だって貧乏は怖いよ。当たり前の話だ。
 そこそこの小金を持っていてさ、別に今日・明日のメシに困らない人たちだって、 「食えないことの恐怖」 に怯えるわけさ。 

 じゃ、どうすればいいのか。

 みんなが、今までとは違った分野にお金をつかえばいい。
 そうやって、お金を回していくしかない。

 では、それって、何?

 「モノ」 より 「ココロ」
 「物質」 より 「精神」

 やっぱ、それっきゃない! って。

 手垢のついた陳腐な言葉だけど、でもやっぱりそういうベタな表現は、人間生活の一面を突いていると思う。

 今こそ、ココロを豊かにするものに金をつかうべきだよ。

 100円ショップへ行って、100円の品物を10個買うなよ。

 その1,000円があったら、映画にでも行けよ、本でも買えよ、スタンドカフェで250円のコーヒー飲むんじゃなくて、クラシック音楽でも流れる公園わきの喫茶店に行って、480円のコーヒーでも飲めよ。

夏目漱石千円

 ハウツーものやら自己啓発書なんか読むより、漱石でも読めよ。
 解らなくてもいいから、美術館にでも行って、絵でも見ろよ。

 そういう 「かったるい」 とか 「無駄だ」 …と思えるようなことにお金を投入するような気分が生まれないと、日本はよくならないって。

 今まで毛嫌いされていた 「知的スノビズム」 。
 そいつこそが、いま本当に必要なんではないか?

 ブンガクとか、アートとかいう “教養” をチラつかせる人間は、今までは鼻持ちならないヤツって嫌われてきたけれど、それは、自分の教養を “物質的価値” として使ってきた人が多かったからなんだね。

 昔は、「わたくし文化的なものに関心を持ってざぁますの」
 って感じで、教養というものを、 “目に見えない” 宝飾品 とか調度のようにひけらかす人たちが本当にいた。

 でも、そういう時代は終わってさ、これからは人に誇示する教養ではなく、自分自身を楽しませるための教養ってのが見直されてくると思うのね。

 で、そういうものに投資するっていう精神が生まれないと、この大不況からは抜け出せない。

 つまり 「見返りのないもの」 、 「即効性のないもの」 。
 そういったものに価値を認め、そこにお金を投入しようという気分を持った人がたくさん出てこないと、今のデフレから脱却できない。

 今日役に立つものではなく、将来になってもあまり役に立たないかもしれない…ってものにお金を使おう。
 「豊かな暮らし」 を買うのではなく、 「心の豊かさ」 に投資しよう。

 で、「心の豊かさ」 があれば、空に浮かぶ雲を見ているだけで楽しいんだよ。
 土手の上から、川を眺めているだけでも面白い。
 心の中で培われてきた教養が、「雲」 とか 「川」 の中に内在するドラマを見出すようになるからね。

 旅行に行ってさ、ただの雲を見ても、
 「あ、フェルメールの絵に出てくる雲だな」
 なんて感じれば、劇的といえるぐらい景色の見え方が変わる。

フェルメール「デルフトの眺望」

 雨の降りしきる川を眺めるときだって、与謝蕪村の句のひとつでも知っていれば、その雨の風情さえも心地よく感じられる。

 画も大事。書も大事。

 だから、メディアの役割は大きいんだよ。
 「浮き世ばなれ」 したものにお金をつかうって、わりと人間を豊かにするよ、ってことを伝えられるのは、メディアしかないからね。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:38 | コメント(6)| トラックバック(0)

3人の女が一時に

 わりと “てんやわんや” である。
 なにしろ、ケアしなければならない女性が、一挙に3人になってしまったのだ。

 それも、そのうち2人は車椅子。
 残った1人 (1匹?) は四つ足。
 今、わが家でしっかり2足歩行をしているのは、私一人でしかない。

 で、その足でチャリンコ漕いで、彼女たちの様子を見て回って…。

 先月末、カミさんが突然の入院をしてしまい、いまだに復帰せず。
 元気なときに 「クマ」 呼ばわりしていたせいか知らんが、本当に “冬眠” してしまった。

熊出没注意

 最終的な病名は、今週の末にはっきりするというのだが、どうやら、
 「はんけっきゅうげんしょうといわれるもののうちのさいせいふりょうせいひんけつ」 という病気の疑いが濃いという。

 一度聞いても、何のことかさっぱり分からないような病名だが、漢字にしてみると、
 「汎血球減少といわれるもののうちの再生不良性貧血」
 ということで、やっぱりなんだかよく分からん。

 担当医の方の説明によると、血液中を構成する3要素のうちの 「赤血球」 「白血球」 「血小板」 の三つとも減少する病気なのだという。

 症状としては 「疲れやすい」 「だるい」 「発熱」 「せき」 「のどの痛み」 などを訴えることが多く、一見 “風邪” とまぎらわしい。
 現に最初のうちは風邪だと思い、風邪薬などを飲ませていた。

 この 「疲れやすい」 という症状は並みたいていのものではないらしく、病院の廊下を20mも歩くことができない。
 病棟から遠い売店などに行くときは、車椅子の助けを借りる。

 赤血球が足りないため、血液の中に酸素を取り込むことができなくなるので、ちょっとした運動でも負担になるらしい。

 まぁ、カミさんはそんな状態で、よくも3年間、車椅子の実母のケアをしていたものだと思う。

 で、そのお母さんには、2週間ほど介護施設のショートステイに甘んじてもらうことにした。

 しかし、それはそれで、お母さんにとっては、相当なストレスが溜まることになるらしいのだ。
 なにしろ、このお母さんは、そういうところに泊まるのが大嫌いなのである。

 「退屈である」 「話し相手がいない」 「自由がきかない」 「テレビが共同なので自分の好きな番組が見られない」 などと、常日頃からカミさんにこぼしていたらしい。

 そのため、カミさんは、介護施設のショートステイに頼って一息抜くこともせず、ずっと在宅介護を続けてきたわけだが、その心労がたたったのか、ついに自分も車椅子になっちゃったわけだ。

 自宅から病院まで、チャリンコで20分。
 病院と介護施設も、20分ほどの距離だ。
 だから2時間もあれば、 “夜回り” はできる。

 そういう方々を見舞ってから家に戻る。

 すると、家でも、
 「腹が減った」 「飲み水がない」 「退屈であった」 「誰も散歩に連れ出してくれなかった」 「夜なのに明かりがつかなった」 「早くウンチを片付けろ」
 ……と文句を垂れる四つ足がいる。

 「たぁー! おとなしくしやがれ!」

 と怒鳴ってから、抱き上げて、ペロペロと頬をなめさせてやる。
 こいつが車椅子でないことが、せめてもの救いだ。

 こうして、3人の女のケアを一通り済ませてから、ようやく私のメシとなる。
 今日はコンビニのペッパーランチ弁当。

 「介護」 って、けっこう大変なテーマだ。
 キャンピングカーがあれば、気が向いたときに自由気ままに 「くるま旅」 を楽しめる…というけれど、家に介護しなければならない人間が一人でもいると、そう簡単に家を空けられなくなる。

 思えば、休日のたびに、カミさんとキャンピングカーで温泉などにくり出していたのだが、それは義母がうちに来る3年前のことになる。

 そういえば、最近はキャンピングカーを (仕事にはよく使うけれど) 旅行に使っていないなぁ…とふと思う。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:24 | コメント(4)| トラックバック(0)

マネされたけど…

 用語検索の途中に、あるブログをたまたま開いたら、ちょっと興味のある記事に出合った。
 80年頃の東京のある状景を描いた記事である。

 おお、面白そー!
 …と読み始めたら、途中から、自分がよく使うような単語がやたら出てくる。

 自分には、やはり好きな言葉の趣味趣向というものがあって、どうしても気に入った単語ばかり使ってしまうのだが、そのブログの書き手も、どうやら私と同じ嗜好の人間らしく、使う言葉がやたら似ている。

 へぇーと半ば共感を感じながら読んでいたのだが、途中から、昔どこかで読んだような文章に思えてきた。
 はじめて開いたブログなのに、
 …?
 …なんか変。

 と思ったら、なんのことはない。私の文章だったのだ。
 もちろん、ところどころにその人のオリジナルの文章が挟まっているので、まったくの盗用ではないのだけれど、文意も、テーマも、用語法も、ちゃっかり借りられてしまっていた。

 でも、不思議と腹は立たず、むしろうれしかった。
 これが、市販されている小説だとか、評論だったりしたら問題になるのだろうけれど、たかだがブログである。

 たぶん、その書き手の方は、私の文章を気に入ってくれたから、自分の文章のようにして取り入れたのだろう。
 ちゃっかりしているなぁ…とも思えたが、 「サンキュー」 と声をかけたい気にもなった。

用賀プレストンウッド
 
 80年代の、あのバブルの始まる頃の雰囲気は、ちょっと不思議なものがあった。
 私はその “不思議さ” をテーマにして、自分のブログを書いたのだけれど、すでに自分の青春とは無縁の時代だったので、どこか突き放したような、醒めた目で見ていた。

 しかし、その書き手は、その時代に “青春のど真ん中” を味わったらしい。
 そして、その時代を、どこか懐かしいような、それでいて忌まわしいような、不思議な感慨を持って振り返っている。
 そこは、しっかりと自分の言葉で書かれていて、私はむしろその人のオリジナルの文章に共感し、その感慨に興味を抱いた。
 
 そういうしっかりした文章の書ける書き手に、文章を盗用されるというのは、そんなに嫌なものではない。
 たかだがブログだからね。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:22 | コメント(0)| トラックバック(0)

怪獣ネトゲ

 「ネトゲ」 という言葉がある。
 「ネットゲーム」 を略した言葉だ。
 単なるパソコンゲームのことをいうのではなく、インターネットを通じて、見ず知らずの他のプレイヤーと一緒になって行う 「オンラインゲーム」 のことを指す。

 このネトゲにハマって、勤労意欲も学習意欲も失い、部屋に閉じこもって、 “健全な日常生活” からリタイヤしてしまう人が多くいるらしいが、そういう人を、特に 「ネトゲ廃人」 という。
 事実そういうタイトルの本も出ていて、話題になっている。

ネトゲ廃人

 それにしても、 “ネトゲ” っていう言葉の響きがなんとも怖い。
 「ネクラ」 の 「ネ」 に、人を傷つける 「トゲ」 がくっついて、なんとも凶悪な感じがする。ウルトラマンに登場する怪獣の名前みたいだ。

 私は、オンラインゲームというものを経験したことがないが、ゲーム依存症の怖さと快楽は知っている。

 現に、この歳になっても、数年サイクルで訪れてくるゲーム症候群にかかると、それに熱中する数ヵ月は仕事をするのも嫌になり、ブログを書く気力もなくなる。外に酒を飲みに行くのも億劫になる。
 ただ、ひたすら部屋に閉じこもって、誰にも会わず、孤独なうすら笑いを浮かべたまま、フラフラになるまで遊び興じていたくなる。

 そういった意味で、ゲームには、人間が身につけなければならない 「社会性」 というものを根こそぎ奪うような力がある。
 パソコンゲームの本当の怖さというのは、人間に 「社会を超えた快楽」 があることを教えてくれるところにあると思う。

 オンラインゲームであるネトゲは、その “秘密の快楽” を、さらに多くの人にウィルスのように感染させていく。

 もし、 「ネトゲ」 という言葉から、一匹の怪獣を連想するとすれば、怪獣ネトゲこそ一番巧妙に 「地球征服」 を成し遂げた怪獣なのかもしれない。
 今までのテレビの特撮モノに出てきた怪獣は、ことごく地球を破壊しようとして、みな正義のヒーローに倒された。

 しかし、怪獣ネトゲは、地球を破壊するのではなく、人々の心に巣くうことで、人間支配を行うとしている。
 現に中国や韓国では、連続プレーによって 「過労死」 するゲーマーの実態が報告され、日本でも、熱中しすぎて仕事を辞めてしまう人々が増加の一途をたどっているとか。 

 日本オンラインゲーム協会の08年度の調査によると、日本のネットゲームユーザーの登録数は約7,500万件で、04年度と比べると、3倍以上の登録数になるという。

 なぜ、それほどネトゲにハマる人が増えているのか。
 
 『週刊朝日』 (12月18日号) によると、それが 「新しいコミュニケーション」 の形をつくり始めているからだという。

 ネットを通じて他のプレイヤーと共同しながらゲームを進める 「ネトゲ」 は、自分一人で遊ぶのではなく、 “仲間” を募ることから始まる。
 顔も性別も、年齢も職業も知らない同士が、共通の目的を達成するために、ゲームを通じて共同作業を行うようになる。

 そこから連帯感も信頼感も生まれることになるのだが、実は、苛酷なリアル世界でいじめられた人間が、ゲームを通して得られた仲間同士の励ましによって、 「生きる勇気を与えられた」 ということがよくあるらしい。

 雑誌に書かれたレポートでは、ゲーマー同士の交流から、うつ病からの脱却を果たしたOLの話や、実際の家族からは得られなかった温かいコミュニケーションを獲得して、自殺を思いとどまった高校生の話なども出てきた。

 そういった意味で、 「ネトゲ廃人」 という恐ろしげな言葉とは裏腹に、ネトゲには、ネトゲの意味も価値も立派に存在していることも事実なのだ。

 ただ、肝心なことは、そのような信頼感を分かち合う 「相手」 が、リアル世界ではいったい誰なのか分からないということだ。
 逆にいうと、ネトゲの世界というのは、自分の正体を知られることなく相手と仲良くなれるという、なんとも魔法じみた特殊な空間なのである。

 そこに “ネトゲ・コミュニケーション” というものを読み解くカギがあるような気がする。

アトランティカ001

 仕事場においても、学校においても、家庭の中でも、リアル世界で生き抜くということは、全身をプロテクターで包み、自分の弱いところを徹底的に防御して生きていくことに他ならない。

 ところが、ネットゲームにおいては、自分をさらけ出さなくても、自分がゲーム上に築いたキャラクターが相手との対話を務めてくれる。
 だから、本当の自分は傷つくこともないし、自分が見せたい 「自分」 だけをゲームキャラクターに託して、架空世界に遊べばいい。

 ビジュアル的に女性にモテないと思い込んでいる男性でも、ゲームの中では “白馬に乗った王子” のような華麗なスーパーヒーローを演じることもできるし、女性の場合は、女であることを隠して、男同士のボーイズラブ的な疑似友情の世界に埋没することもできる。

 ネトゲでは、まず自分が身を隠すことによって、世界が広がっていく。

 こういう考え方を、リアル世界に生きる人たちは、どこかイビツだと思うかもしれないし、 「人間なんてそんなもんじゃねぇ、甘えるな!」 としかりたくなるかもしれない。

 しかし、ゲーマーたちが、この現実から逃避したくなる世界って、いったいどういう世界なんだ? …ということも考えなければならない。

 恒常的な停滞現象を起こしている世界的な不況は、世の中の成長神話をすべて停止させた。
 環境問題も、人口問題も、食糧問題も、同時多発的に吹き出してきた。
 世の中のどこを見渡しても、世界が縮小し、衰弱していくという気配に満ち溢れている。

 そういう世の中になると、人々はますます猜疑心を強め、人間関係においても、一定程度の距離以上には近づかないようにして、身を守ろうとする。
 「人を助ける面倒を避ける」 ということだ。

 そのような自己中心的な防衛意識を持った人々は、笑顔の作り方や、礼を尽くすときの修辞には長けるようになるが、相手の表情を読みとって、瞬時に相手の求めるものに応えてやろうというような、面倒くさいコミュニケーション回路は閉ざそうとする。

 このように、 「人とじかに会う」 ことの意味合いが、昔と今では変わってきている。

 「素顔」 は必ずしも、人間の真実を伝えない。

 生身の人間同士が顔を合わせて接触することを、よく 「フェイス・トゥ・フェイス」 といい、それをコミュニケーションの前提のように考える人はいまだに多いが、しかし直接顔を合わせたとしても、それが 「マスク (仮面) ・トゥ・マスク」 であったとしたら?

 ここで、逆説が生まれる。

 ネトゲに生きる人々とは、もしかしたら、リアル世界で称揚されている 「フェイス・トゥ・フェイス」 のコミュニケーションの中に、 「マスク・トゥ・マスク」 の無気味さを感じとってしまった人たちなのかもしれないのだ。

 人間のマスク (仮面) を被った人たちがしゃべることに、果たしてどれだけの真実味が含まれているというのか?
 その人の言っていることは、最後まで自分を裏切らないか? 

 そういう不安定感や不信感を漂わせるリアル世界に対し、ネトゲの架空キャラたちは裏切らない。
 時には、自分を犠牲にしてもパーティ (仲間) を守ってくれることがある。

 そこに、リアル世界を支える 「社会」 とは異なる 「社会像」 が生まれつつあると感じる人はいるだろう。

 「ネトゲ廃人」 という社会現象が起きたのは、 「ネトゲ廃人」 を問題視するリアル世界の方が、むしろ硬直化して、閉鎖的になっており、ネトゲ世界よりはるかに演技的で、擬似的で、匿名的な世界であったということを物語ってもいるかもしれない。

 ゲームには、人間が身につけなければならない 「社会性」 というものを根こそぎ奪うような力がある。
 ……ということを先に書いた。

 それはゲームが悪いのか?

 むしろ、ゲームに奪われてしまう程度の 「社会性」 の方に問題があるんではないか?


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:04 | コメント(6)| トラックバック(0)

伝説のキックス

 土曜日、高校時代の同窓会というものに初めて出席した。
 …といっても、入院しているカミさんの病状に関して、担当医からの報告があるというので、それを聞いてから駆けつけたので、一次会は終わっていた。

 構内の学生食堂を会場にした二次会からの出席となったが、ちょっと感激したことがある。 
 宴たけなわ…になってから、生バンドの演奏が行われて、それを聞いているうちに、ちょっと興奮したのだ。

 バンドそのものは、まぁ、いま流行の “オヤジバンド” といえるようなもので、われわれの同期のうちの何人かが、趣味のバンドを結成し、ちょうどよい発表の場としてこの同窓会を選んだ…というような感じだった。

 が、最初の組がステージに上がったとき、メンバーのギターとドラムスの人に、 「見覚えがある!」 と思った。

 もしかして、あの……
 
 私は席を立ち上がって、ステージの前の方に移動した。
 
 ステージ前のテーブルは、バンドメンバーの家族によって占められていて、子供たちも交えて 「パパ頑張って」 という感じのアットホームな雰囲気に満たされていた。

 1曲目は、スティービー・ワンダーの 「A Place In The Sun (太陽のあたる場所) 」 だったか…。

 たぶん、ギターとドラムス以外は臨時編成のバンドなのではないかと思うが、ギターとヴォーカルを担当する少し白髪の交じったオッサンの、肩肘の張らないリラックスしたステージぶりに、独特の風格が漂っていた。

四方寿太郎氏

 ギター2本、ベース、ドラムスというシンプルな編成で、初期ビートルズ、ビージーズといったオールディズの名曲が淡々と演奏されていく。

 もしかして、これ、あの伝説の……

 「このバンド、昔 『キックス』 といっていませんでした?」
 私は、ステージ前のテーブルに座っているメンバーの奥さんらしい人に尋ねた。

 「そうですよ」

 そうだ、キックスなんだ!

 ガーン! である。

 高校の学園祭で、学ラン着たままステージに上がり、本場の黒人以上にとろりとしたブラック風味濃厚なR&Bを演奏していたグループ。
 それが、高校生のくせに、セミプロとして、ディスコやベースで人気を博していた伝説の 「キックス」 だった。

 その演奏に接して、私はぶっ飛んだのだ。
 「ショック」 に近いといっていい。

 俺と同じ世代のやつらが、こんなすげぇー音をいとも簡単に出している。

 あの当時、まだ 「ディスコ」 という言葉すら生まれていない時代。
 そういうダンススポットを 「ゴーゴークラブ」 とかいっていたかもしれない。
 
 そこに出演する生バンドでは、日本のバンドよりもフィリッピンバンドの方がうまいとされていた。

 だけど、キックスはフィリッピンバンドのレベルを超えていた。
 リードヴォーカルをとっていたのは、四方寿太郎君。

 イケメンで、クールで、ちょっと悪そうな雰囲気もあって…。
 在学中は、典型的な遊び人に見えた。

 そういう “モテ要素” たっぷりな男に対して、私なんかは、すぐひがみ根性を抱いてしまうくちだから、どうせ、頭も悪いんだろうし、大した特技なんぞも持っていないだろう…と四方君のキャラを悪い方に勝手に想像していた。

 クラスも違ったから、在学中の3年間、一度も口をきいたことがなかった。

 その彼が、学園祭で黒人も顔負けのR&Bを演奏しているのを見て、わぁー負けた! 負けた! と思ったのだ。
 すごいヤツには、やっぱりかなわない。

 キックスはそこでアーチー・ベル&ドレルスの 「タイトンアップ」 や、エディ・フロイドの 「ノック・オン・ウッド」 などをカバーしていたけれど、オリジナルの音源をみな知っていたから、その堂々たるカバーぶりに頭が下がる思いだった。

 自分もバンドをやってみたいと思ったのは、それからである。

 私はその体験を、密かに 「キックスショック」 と名づけていた。

 そのキックスと、なんと40年ぶりぐらいに対面している!
 感無量であった。

 演奏そのものは、私が高校生の頃に聞いたテンションの高い鬼気迫るものとは違って、なんともおっとりした、ある意味、大人のゆとりをもった音だったけれど、そのレイジーさがまた良かった。

 1回目のステージが終わって、テーブルに戻ってきた白髪交じりのオッサンに尋ねた。

 「四方さんですよね?」
 「はいそうですが……」

 40年目にして、はじめて口をきいたのだ。

 「C組の町田といいますけれど、昔、学園祭で四方さんたちのキックスの演奏を聞いて、ぶっ飛んだ人間の一人です」

 「ああ、それはどうも…」
 なんと優しい笑顔であったことか。

 クールで、ちょっと悪の雰囲気もあって、近寄りがたい存在に思えた四方寿太郎氏とはじめて話して、スターの前にいきなりしゃしゃり出たファンのようにどぎまぎしてしまった。

 ギターを肩から外すと、四方氏は温厚そうなただの会社経営者という風貌にしか見えない。

 「昔からファンだったんです」
 そういうと、彼は、なんとも人なつっこい顔で笑った。
 「うれしいなぁ」

 聞くと、在学中からプロのオファーが何度もあったという。

 「しかし、僕らは在学中の思い出を作れればいいと思っていたので、プロにはならないと決めていたんです。
 でも、あの頃、音楽をやっていたよかった。
 それが今の仕事にも結局結びついている…」

 二次会もようやく終わろうとした頃、四方氏が最後の演奏のためにステージにあがった。
 すでに場も乱れ、会場のあちらこちらで、酔った人々のハイトーンの話し声が飛び交っている。

 バンドの人たちも、それぞれの家族と一緒に帰ったのか、ステージに登ったのはギターとベースだけ。

 ドラムスの席が空いている。
 どさくさにまぎれ、ドラムセットの前に座ってみたが、バスドラのフットペダルもスティックも見当たらない。

 誰かが、 「ご愛嬌」 と思ったのか、割り箸を渡してくれた。

 私はその割り箸で、スネアとハイハットを叩いた。
 もちろんギターを弾く四方氏の演奏を邪魔してはいけないと思い、ほとんど音にならないくらいに軽く叩いた。

 でも、ジワーっときた。
 あの四方氏の背中を眺めながら、ドラムスを叩く “まねごと” をしている。

 そんな幸運はめったにあるものではない。
 
 楽しい同窓会でした。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:32 | コメント(0)| トラックバック(0)

カフカの不思議

 どこか違う。
 何かが違う。
 しかし、どこが、どう違うのか分からず、いつの間にか悪夢の中にさまよい込んでしまって、出口の見つからない状態に陥る。
 カフカの小説というのは、いつもそういう気分に襲われるような作品が多い。

 「カフカ」 という言葉から、近年の読者は何を連想するのだろうか。
 村上春樹の 『海辺のカフカ』 かもしれない。

 あの小説で、なぜ 「カフカ」 という言葉が使われたのか、未読の私には分からないが、私がここでいおうとしている 「カフカ」 は、チェコ出身のユダヤ系ドイツ人作家フランツ・カフカのことだ。

フランツ・カフカ001

 彼の 『変身』 や 『審判』 を読んだのは、20代のとき。
 70年代のサブカルチャー的熱狂の中で、彼の小説は、唐十郎的なおどろおどろしい幻想に彩られたミステリアスな小説という感じで流布していた。

 しかし、読んだら、およそ熱狂的な雰囲気とは無縁の作品という印象だった。
 むしろ、人間の心を、絶対零度の冷え冷えとした暗所に連れ込むような、静かな寂寥 (せきりょう) 感に満ちていた。

 それは今まで読んだどの幻想小説や怪奇小説とも違っていて、恐怖や狂気よりも、乾いたユーモアのようなものすら感じさせた。

 彼が生涯追い求めたテーマは何だったのか?
 どの作品にも、いろいろな解釈が成り立ちそうだが、どのような解釈をも拒む孤絶感のようなものが作品全体に流れていたように思う。

 最近のことだが、昔、途中まで読んで中断していた 『城』 を読み返してみた。

カフカ「城」

 自分も歳をとったので、少しはカフカについて気の利いた感想がいえるのではないかと思っていたが、結局、相変わらずこの人の作品を説明できるようなうまい言葉が見当たらない。

 なのに、面白いのだ。
 区切りのよいところで本を閉じようとしても、なかなかそうさせてくれない。
 この先はどうなるのか?
 そういうエンターティメント的な力がこの小説にはある。

 若い頃は、同じような情景が延々と続くこのストーリーテリングに間延びしたものを感じていたというのに、今はその延々と続く似たようなシチュエーションが妙に面白く感じられる。

 それは、 「納得できないもの」 に接するときの驚きとか、ときめきのようなものかもしれない。

 『城』 は、 「納得できない世界」 を描いた小説である。

 有名な作品なので、それがどのような内容なのか、すでに知っている方も多かろう。
 主人公の 「測量士」 が、ある村から測量の仕事の依頼を受けて、長い旅の果てにその村にたどり着くのだが、村の高台に 「城」 を構える依頼主と、どうしても接触を試みることができない。

 城に住む “伯爵” から使わされる執事、代理人、村長などと交渉するのだが、いつも、さまざまな “偶然の” 出来事に邪魔されて、一向に仕事の交渉が始まらない。
 自ら歩いて城に近づこうにも、いつの間にか道に迷ったり、夜が訪れたりして、城までたどり着けない。

カフカ「城」のイメージ

 そのため、村の居酒屋に寝起きを始めた主人公のもどかしい暮らしが、ある意味でドタバタ劇ともとれるような村人たちとの交渉の中に描かれることになる。

 だが、そこから迫り出してくるのは、 「何かが違う」 という奇妙な感触だ。
 それを、どのような奇妙さと表現すればいいのだろう。

 たとえば、同じ言語を解し、同じ文化を共有する人々の住む場所に旅しただけなのに、そこで暮らす人々との会話が妙に噛み合わない。
 そういう “もどかしさ” といえばいいのだろうか。

 ひとつの単語に対する意味内容は、ほぼ100パーセント共有できるのに、それがつながった会話となると、隔絶的ともいえる 「断層」 が存在する。

 それは、小さな、ほとんど気づかないような 「断層」 だが、もしかしたら、共有できた思える言語自体が、別の世界の、別の原理に貫かれた 「言語」 なのではなかろうか?
 つまり、同じ 「人間」 のように見えるのに、もしかしたら、その村に暮す人々は、生存構造の異なる別種の生態系を生きる人々なのではなかろうか?

 そんな、主人公の生きる土台が揺らぎだすような恐ろしさが、途中からどんどん迫り出してくるような小説なのだ。

 主人公の測量士は、なかなか知的な男で、弁も立つ。
 だから議論において、簡単に人に負かされるような人間ではないのだが、村人や小役人たちとの議論が始まり、その核心に触れようとすればするほど、暗黒のクレバスがとてつもなく広がっていく。

 村人も、 “城” から遣わされる役人たちも、知的エリートではないにも拘わらず、みなしゃべることが実に合理的である。
 彼らの話を聞いているかぎり、そこにはロジックの破綻も感じられず、終始一貫した整合性に貫かれている。

 …なのに、彼らの合理性と、主人公の信じている合理性との間には、常に絶対的な乖離 (かいり) が生じる。

 主人公が感じる村人たちの合理性は、狂気の中に生きている、いわゆる “病者の合理性” とは違う。
 当たり前に考え、当たり前に暮らしている人間の持つきわめて平凡な合理性なのだ。
 にもかかわらず、時として全く非合理であるという奇妙な感覚が、読者をいい知れぬ不安に誘い込む。

 あまりにも 「リアル」 なものは、ある時、まったくそのまま 「アンリアル」 である。
 まさに、カフカの描く小説は、そういう世界を表現している。  

 そこにさまざまな寓意性や象徴性を読みとることは可能だが、どんな寓意性や象徴性を当てはめようとも、常にそこから流れ出ていくものがある。

 訳者の池内紀さんは、この作品をめぐって、 「さまざまな議論があり、文中の “城” が何をあらわしているのか、数かぎりない解釈がある」 という。
 「城について世界中で書かれたものを集めると、それだけで一つの図書館ができるだろう」
 と後書きの中で彼は書く。

 数かぎりない解釈があるのは、その余地があるからだ。
 つまり、読んだ人間が、必ず自分なりの解釈を述べてみたくなる作品なのだ。

 だけど、この小説から何かしらの 「意味」 を取りだそうと思っても、それは徒労に終わるだろう。
 たぶん、カフカの頭の中にも、 「意味」 は存在しなかったはずだ。
 彼が感じていたのは、 「自分には、世界はこのように見える」 という “手応え” だけだったに違いない。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 02:17 | コメント(6)| トラックバック(0)

10年前の今日

 実母の葬儀を執り行ってから、ちょうど10年になる。
 今思うと、やはりそのときも仕事が忙しいときだった。

 12月1日の早朝、入院させていた病院から様態が不安定だという連絡が入り、カミさんと長男を連れて、急いで病院に駆けつけた。
 母親の目は開いていたが、雲がかかったように濁っており、すでに意識はなかった。
 
 担当医の診断によると、
 「もって今週の末。もう少し延びても、来週の末」
 という話だった。

 「まだ時間はあるな」
 と思い、息子とカミさんを病院の外に連れ出して、近くのドトールに入り、コーヒーとトーストの朝食をとった。

 約1時間後に病室に戻ると、すれ違った看護婦さんの顔に緊張した表情が浮かんでいたので、妙だな…と思った。

 さっきまで開いていた病室のドアが閉ざされている。

 入ると、母親の顔に白い布が掛かっていた。

 思わず、 「あ……」 と息を呑んだ。

 看護婦さんの話によると、われわれが退室した直後だったという。
 われわれが去った後、急激に脈拍が低下し、わずか10分で息を引き取ったのだそうだ。

 病院まで駆けつけながら、死に目に遭えないというのは、なんたる親不孝かとも思ったが、逆にいえば、われわれが駆けつけるまで、懸命に持ちこたという言い方もできるのかもしれない。

 その前日の11月30日。
 母親の92歳の誕生日を祝うために、一人で病院に見舞いに行った。

 仕事のスケジュール上、早い退社の難しい時期だったが、母親の誕生日だということで、無理に7時には退社し、プレゼントンとして、クリスマスソングを奏でる釣鐘型のオルゴールを携えて病室に入った。

 4人部屋の病棟に、入院患者は2人だけだった。
 夜の病室は、うす暗い静けさに満たされていた。

 病室の窓の外では、お堀端を行き交うクルマのヘッドライトが流れ、その向こうに、街のビルを覆うクリスマス・イルミネーションが見えた。

 母親はこんこんと眠っており、頬を叩いても、手を握っても応答がなかった。

 まぶたを無理やり開くと、目がドロンとしており、生気がない。
 もうこれが最後の誕生日か…と思った。

 ベルの形をしたオルゴールをそっと鳴らしてみたが、聞こえているのか、聞こえていないのか分らなかった。
 魂に届いていることを信じて、手を握ったまま、30分ぐらいじっとしていた。

 亡くなったのが、その翌日だから、最後の誕生日を祝ってもらうのを確認してから死んだことになる。
 ちゃっかりした性格だったのかもしれない。

 葬儀の前に、母親が好きだったスラヴァの 「アヴェ・マリア」 や、ビートルズの 「レット・イット・ビー」 などを収めた音楽テープを作り、当日は斎場にそれを持ち込んだ。

 仏式の葬式には似合いそうもない曲ばかりだったが、故人の好みの音楽だから…という理由で、ためらいもなく流した。
 
 母は明治の終わりに生まれ、大正デモクラシーの雰囲気の中で育った。
 そして昭和初期のモダンボーイ、モダンガールといわれた先端風俗の中で自分の個性を伸ばしていったようだ。

ギャラクシーと母4

 私を生んでからも、奇抜なファッション、奇抜な髪型で街を闊歩 (かっぽ) し、周りの人が動転したり、目をそむけたりするのを、むしろ面白がって生きていたようなところがある。

 老年になると、さらにその嗜好に拍車がかかり、近所に買い物に行くときですら、未開人のお祭りのような奇抜な衣装を身にまとい、周囲の人々からは、半ば呆れ顔で眺められていたような気がする。

 まだビートルズが、単なる騒々しいロックバンドとしか思われなかったデビュー時代に、 「この音楽は、やがて20世紀を代表する音になるだろう。彼らは次の時代にはベートーベンやモーツァルトと同じ様な扱いを受けるだろう」 などと予言したりしていた。

 今でこそ、この見解は驚くに値しないが、当時50歳か60歳ぐらいの年齢の人間が言ったにしては、奇異な感受性を感じさせる発言だったかもしれない。

 自分がこの母親から受け継いだものはけっこう多いように思う。

 本を読むのが好きな女だったので、家には、当時無名だった塩野七生の 「ルネッサンスの女たち」 とか、森茉莉の 「戀人たちの森」 、 柴田翔の 「されどわれらが日々」 、バートン版の 「千夜一夜物語」 などという小説のほかに、古典派やロマン派などの美術全集がゴロゴロしていた。

 そんなものに手を触れながら、自然に読んだり、目を通していたことが、今の自分の嗜好を決定してしまったのかもしれない。

 自分が母から受け継いだものは、そういう文化的な嗜好のほかに、図々しい楽天性だろう。

 周りの人間がどう思おうと、自分の生きたい人生を生きるのが人間の一番の幸せなのだという、ある意味で唯我独尊、傍若無人というか、徹底した個人主義的な感受性を自分はそっくり受け継いだように思う。

ギャラクシーと母3
 
 そういった意味で、私は今もって 「母親の支配下」 にあるのかもしれない。
 母の死後10年。
 いまだ現役のマザコン男である。

 この10年、必ずしも、毎年命日を思い出していたわけではない。
 しかし、なぜか今年は、その亡くなったときの様子をはっきりと思い出す。
 
 最後の誕生日を祝いに行った、あの静まりきった病室の窓から見えるヘッドライトの流れを思い出す。



コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 04:05 | コメント(2)| トラックバック(0)

ハエ狩りの悪魔

 毎年 「12月」 というのは、胃がキリキリ痛くなるような季節だ。
 最大のプレッシャーは、来年春に発行する 『キャンピングカースーパーガイド』 の編集のことだが、それに取りかかる前に、溜まりに溜まったさまざまな企画モノを処理しておかなければならない。

 これが、テキストを書くだけの仕事なら何でもないんだけど、マネッジメントが加わるから、…ということは、他人様との調整事がメインになるわけで、いやぁもう神経がピリピリ。

 “独りごと癖” が出るのも、毎年この季節。
 突然、虚空に向かって、 「コンニャロメ!」 とか 「バカほざくでない!」 などと意味不明の奇声を発したりしてしまって、通行人をギョッとさせたりする。

 自分では無意識に出している奇声なのだが、他人様から見れば、 「あっちに行った人」 でしかない。

 オレ、分かるんだよ。
 ときどき、駅のホームに立って、聴衆のいない線路に向かって演説したりしている人の気持ちが…。


 カミさんが入院してしまったので、台所に洗いの残し皿なんかが山積みになってしまって、そこからショウジョウバエが “ウジャーッ” と湧いてしまった。

ショウジョウバエ

 さっさと洗いモノをすませることが、ショウジョウバエの元を断つ一番の早道だということが分かっているのだけれど、なぜか、それをしない。

 …で、何をやっているかというと、電気掃除機の柄を振り回しながら、シンクから湧き出したショウジョウバエを一匹一匹吸い取っているのだ。

 空中を飛ぶハエを吸い取るにはコツがいる。
 しかし、慣れてくると、いとも簡単に吸い取ることができるようになる。

 それが面白くて、深夜の一大イベントになってしまった。

 そのときに、自分の頭の中に駆けめぐる言葉は、
 「ワレは、地獄から遣わされたハエ狩りの悪魔なり」
 というヤツ。
 
 なんだか自分が、キリシタン禁制の時代の 「キリシタン狩り」 をやっている悪代官とか、幕末の浪士狩りをやっている新撰組の隊士になったような気分なのだ。

 本来は殺傷が大嫌いだというのに、なぜか、この “暗い愉悦” に、今ハマってしまっている。
 だから、台所に立った時に、ショウジョウバエの姿が見えないと、がっかりする。

 昨日は、深夜の3時まで、この無気味な趣味に熱中した。

 ちょっと壊れかかった自分がいて、なんだか怖い。
 だけど、楽しい。
 イヒヒヒ……。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:06 | コメント(4)| トラックバック(0)

奥様の入院

 まいったなぁ…。
 突然、うちの奥様が入院してしまった。
 病気の正体は分らず。

 ここ1週間、咳が止まらず、熱が下がらずで、 「ありゃりゃ…インフルエンザかいな」 と警戒したのだが、当初の医師による診察では、 「ただの風邪」 。

 しかし、薬を服用しても、安静を保って寝ていても、症状が回復しない。

 で、休み明けにまた病院に行き、採血の結果、 「血液に異常あり」 という診断で、その場で入院となった。

 そうなると、こっちは大変だ。

 なにしろ、車椅子生活の義母の食事の世話をしながら、その合間をぬって、病院に行き、入院手続を済ませ、また家に戻って、着替えなどをそろえ、また病院に戻り、その後は、義母の介護の相談に乗ってくれるケアマネージャーの人に会って、打ち合わせをしてから、また家に戻り、犬にエサをやってから、洗濯物とタオルケットを届けに、また病院へ戻り……。
 
 自転車で片道20分ほどの距離を3往復してしまった。

 もちろん会社を休んでしまった。

 カミさんも、実母の介護を3年間続けて、そろそろ限界に来ていたのだと思う。
 矢折れ、刀尽き…という感じだったかもしれない。

 世の中では、 「嫁」 と 「姑」 の葛藤をよく取り上げるが、本当に大変なのは、 「実母」 と 「娘」 という関係らしい。

関係する女所有する男表紙

 斎藤環氏の 『関係する女 所有する男』 という本を読んでいたら、 「基本的に、母親というものは娘を支配したがるものだ」 という記述が出てきた。
 それも、母親にとっては、しばしば 「支配するという自覚なしに行われる」 のだという。
 
 男親も、もちろん男の子を支配しようとする。
 しかし、父・息子関係においては、男の子が成長するに及び、
 「何をいってやがる、このバカオヤジ!」
 と子供が牙をむき出した時点で、 「支配 = 被支配」 の構造は断ち切られる。

 しかし、母娘関係は、この構造が断ち切られることがない。

 なぜかというと、母親の娘支配は、とにかく、母親が娘に関して母性的かつ献身的に奉仕し、娘に 「申し訳ない」 と感じさせることによって成立するからだ……そうだ。

 母親にとって、娘というのは 「自己愛」 の投影であり、アイデンティティそのものである……そうだ。

 つまり、母親にとって娘というのは、 「自分が遂げられなかった願望」 を満たす対象であり、自分自身の 「若い肉体を持った分身」 であるのだとか。

 この “分身” という感覚は、私のような男には分らない感覚だ。

 しかし、 「分娩」 という、自らの肉体が、別の生命をつむぎ出すという経験を持つ母親は、ただでさえ、子供を自分の分身と感じる度合いが強い。

 自分の 「分身」 なのだから、自分をコントロールするように、子供もコントロールできるはずだし、しなければならない……と世の母親は、そういう思いにとらわれがちになる。
 
 どうも、そこに 「母と子供」 の悲劇の根源がありそうだ。

 もちろん、母親は男の子もコントロールしたがるのだけれど、世の中に連綿と続いてきた 「男の文化」 があるために、母親はどうしても、 「自分とは異質の性である」 という “ためらい” を払拭しきれない。

 それに対し、娘の場合は、母親が、幼い頃に自分の母親から習ったように、フェミニンな服を着せ、女の子っぽい髪型にさせ、可愛い仕草を学ばせるという、身体的な “しつけ” を施しやすい。

 母と娘は、 「身体」 を通して結ばれやすくなり、その分、 「支配 = 被支配」 の構造は見えづらくなる。
 
 そういう問題に直面しない母・娘関係というのも、世の中にはたくさんあるだろうが、まぁ、うちのカミさんとそのお母さんというのは、そういう 「構造」 の中ですくみ合っていたのかもしれない。

 「世話そのもの自体は、たいした労力ではない」
 とカミさんはいう。

 話を聞いていると、どうもカミさんは、介護という “労働” よりも、母との間に繰り広げられる 「支配 = 被支配」 の葛藤そのものに疲れていたらしい。

 入院というのは、彼女にとって “休養” という意味もあるかもしれない。
 お母さんの介護はしばらくこっちが引き受けるから、せいぜい疲れをとってほしいと思う。
 難病でなければいいけれど……。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:36 | コメント(4)| トラックバック(0)

明るい未来とは?

 将来に希望の見えない時代が続いている。
 メディアの報じるほとんどの未来予測も、日本や世界の行く末を悲観的に語る論調に溢れている。

 こういうときに、反対の見方を提示する意見には注目が集まる。

 だから、たとえば、日本の 「少子高齢化」 社会の到来について、
 「それは民主化・都市化がもたらすものの必然的な結果であり、社会・経済の阻害要因と捉えてはならない。
 むしろ、長寿国という理想をようやく達成したことを誇るべきである」

 …というような意見が、経営の行き詰まった企業人たちに、好意的に評価されるらしい。

 企業経営というのは、 「未来に展望が開けている」 というポジティブな気分が高揚したときに促進されるわけだから、たとえ市場が狭まる予測がなされても、そこに自社の生き残りを賭けられるだけのビジネスチャンスがあれば、経営者たちは元気になれる。

 そのような 「明るい未来」の “探索” を、社会や経済の動向を見据えながら、文明史的な観点で行っている人が、批評家の東浩紀 (あずまひろき) 氏だ。

東浩紀氏002
▲ 東浩紀氏

 東浩紀氏が、最近展開しようとしている言論は、 “悲観的な未来” に対して、視点を変えることで、そこに新しい 「希望」 を見出そうという試みのように思える。

 世界には、飢餓や貧困が蔓延しているように見えるが、氏は、 「僕たちはかつてなく労働生産性の高い時代に生きている」 という。
 「飢餓は、生産性が低いからではなく、配分が歪んでいるからこそ起きているのだ」 と氏は語る。 
 だから 「富の再分配」 こそが、現代社会の大きなテーマだという。

 そこで、東氏がいま注目しているのは、現代社会で拡大しつつある 「無料」 サービスだ。
 グーグルやユーチューブなどのネット社会では、現在無料サービスの拡大がすさまじい勢いで進んでいるが、アメリカでは、さらに航空券や電気自動車の無料化の試みも進んでいるらしい。

 東氏は、クリス・アンダーソンという人が書いた 『フリー』 という著作を引用し、そのような無料化は 「公共性の確立」 を可能にするものではなかろうか? と洞察する。 (週刊朝日12月11日号)

クリス・アンダーソン「フリー」

 今までは、このような先進国で行なわれているネット上の無料サービスを語るときは、必ず、 「発展途上国からの富の収奪や消費者からの搾取があるからこそ成り立っている」 と指摘された。

 しかし、氏は、無料化の普及は 「資本主義は労働者の富を搾取する」 という発想そのものが通用しなくなる現象を示しているという。
 つまり、 「無料化が進む世界」 とは、古い社会の言葉でいえば、 「公共性」 が確立される世界である、というのが氏の判断なのだ。

 「公共性の確立」 とは、別の言葉でいえば、 「富の再分配」 ということにほかならない。

 氏は、アンダーソンの著作から、次のような箇所を引用して紹介する。

 「グーグルは、今や無数のサービスを世界的に無料で提供するという公共的な存在と化している。
 そして、そのような公共化 = 無料化が実現されてくる背景には、いっぽうで記憶容量や通信帯域の圧倒的な低価格化 (資源の潤沢化) があり、他方では、1割の富裕ユーザーが、9割の一般ユーザーのコストを支払うという構造がある」

 その構造こそ 「富の再分配」 の構造なのだ。

 アンダーソンの著作は、ネットワークが経済のほとんどを覆う時代になって、富の再分配のメカニズムが自然に生まれつつある過程を記述している、と東氏はいう。


 氏は、かつて 「ベーシックインカム」 という考え方を日本に紹介したことがある。
 ベーシックインカムとは、年齢や所得などの制限がなく、国民全員に定期的な現金給付を行い、 「まったく働かなくても、とりあえず生存は確保される」 社会をつくろうという思想のことをいう。

 もしそれが、現実社会に導入されるようになると、むろん税は高くなるが、代わりに社会保険料はなくなるし、行政コストも下がる。
 ある試算では日本で導入した場合、所得税一律45パーセントで、ひとり月8万円の給付が可能になるとのこと。
 4人家族なら32万円の計算になるので、増収の世帯も少なくないとか。

 これは、先ほど紹介したサービスの無料化による 「富の再分配」 の問題と密接につながってくる話だ。
 つまり、 「富の再分配」 によって 「公共性」 が実現されるということを、税制的なヴィジョンとして提示しているのが、このベーシックインカムのアイデアである。

 東氏は、このベーシックインカムに、経済的な意義よりも、むしろ思想的な意義を見出している。

 すなわち、 「働かざるもの、食うべからず」 という近代の資本主義社会の原理そのものを転換させる思想になるのでは? …というわけだ。

 氏はいう。

 「資本主義は、労働なくして存在しない。
 近代国家は労働者を育てるために作られた組織で、自由主義も社会主義もその前提は変わらない。きちんと働き、きちんと生産し、きちんと消費する主体、それが近代人の理想である。
 しかし、ベーシックインカムは、そのような “きちんと” の回路から漏れた人を、漏れたまま肯定し、生存の場所を与える原理として提案されている。
 これは、実にラディカルな社会観の転換ではなかろうか」

 氏の展開したベーシックインカムの思想は、テレビのトークショーなどでも、けっこう若者たちの支持を受けたという。

 今の若者が社会に対して意見を言う場合、ともすれば 「非正社員の正社員に対する嫉妬」 とか 「自分たちの世代からの引退世代への怨嗟 (えんさ) 」 だけになりがちだった。

 しかし、ベーシックインカムの思想は、そのような心情的な反発にとどまらない生産性のあるヴィジョンとして、若い世代だけではなく、上の世代からも支持されたらしい。

 このように、東浩紀氏は、既存のメディアが報ずる悲観的な未来図に対し、徹底的にポジティブな未来像を対置させていく。
 そして、そのことが 「パラダイムシフト」 を起こすための起爆剤になるという信念を失わない。

 その背景には、今までの日本の論壇を牛耳ってきた、観念的な文系イデオローグたちへの批判が込められていると見てよいだろう。

 だから、氏は、アンダーソンの著書の紹介文を、次のような言葉で締めくくる。

 「様々なネット関連の書を通じて世界を見ると、それらが新しい国家論や社会論に見えてくる。
 社会思想の専門家が人文書だけ読めばいい時代は、終わり始めている」

 確かにそうだろう。
 東氏のように、専門的なウェブ論を展開できる論客でなければ、これからの政治も経済も、思想も文化も語れまい。

 しかし、氏が展開しているのは、あくまでも 「展望」 に過ぎない。
 そして、 「展望」 というものは、往々にして、実現されたときは大いに形が変わっているか、もしくは実現されないまま終わる。

 氏の未来社会の展望には、どこか、19世紀末に資本主義社会から共産主義社会の展望を模索した思想家たちが描いたヴィジョンの匂いを感じる。
 そこには、壮大な 「夢」 を描くときの爽快さと、危うさが同居している。

 そういった意味で、氏の展望する未来図は、現段階においては 「モノを考える」 ための鍛錬の材料でしかない。

 しかし、この “鍛錬の材料” をスルーしてしまう思考からは、もはや何も生まれない。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:24 | コメント(0)| トラックバック(0)
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