町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

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チョイ悪ミッキー

 携帯電話の待ち受け画面は 「ミッキーマウス」 である。
 ミッキーが好きなのだ。

ミッキーマウス005

 中学生の頃、授業中にマンガを描いて、休み時間にみんなに見せていたけれど、そのマンガの主人公を 「ポパイマウス」 と勝手に名づけていた。

 なんのことはない。
 顔がミッキーマウスで、腕がポパイという、当時のアメリカンアニメの両スターを合成したような主人公だった。

ポパイ

 で、普段は冴えない弱虫ネズミなんだけれど、いざというときには、ほうれん草の缶詰を食べて、とてつもない腕力をふるうという設定だった。

 「どうだぁ! 面白いだろー」
 と、本人は得意だったのだけれど、ある時、それほど仲の良くない級友に、こう言われた。
 
 「おめぇ、オリジナリティがねぇな。ポパイとミッキーの合成なんて安易だよ」

 「オリジナリティ」

 そういう言葉は、中学1年の私がはじめて聞いた言葉だった。
 今の中学生だったら、あたり前に使う言葉かもしれないが、当時の私のボキャブラリーにはない言葉だった。

 都会のすれっからしばかり集まっていた中学だから、そんな生意気なヤツもいたのだ。

 意味は分からなくても、侮蔑されたことぐらいは分る。
 しょげて、 「ポパイマウス」 の連載はそれで打ち切りになった。

 でも、ミッキーマウスは相変わらず好きで、駅のトイレだろうが、公園のベンチだろうが、いろいろなところに 「ミッキー参上!」 というマンガ入りの落書きをしていた。 

 そのときに頭の中にあったミッキーは、学校の規則なんかも 「へ」 とも思わない、いたずら好きのチョイ悪ネズミであり、それは自分自身の分身であったかもしれない。

 ミッキーというキャラクターに、そういうイメージを勝手に盛り込んでしまったせいか、どうも東京ディズニーランドで、 “良い子たち” に媚 (こび) を売る着ぐるみのミッキーが面白くない。 

ミッキーマウス002

 あれは、私のイメージの中にあるミッキーマウスとは別物である。
 タキシードなんかでいつもおめかしして、紳士ヅラして、子供たちに愛嬌を振りまくミッキーなんて、およそ 「らしくない」 。

 いったい、いつからミッキーは “良い子” になっちゃったんだ?

 そもそもミッキーマウスというのは、今のドナルド・ダックが演じていたような、やんちゃで、短気で、それでいて調子よくって、茶目っ気があって、おっちょこちょいのキャラクターだったのだ。

 それが、いつの間にか優等生になって、ジェントルマンになって、人畜無害になって、ネズミのうさんくささがなくなって、没個性になっちゃった。

 「オレのミッキーを返してくれ!」
 と、言いたくなっちゃう。

 で、好きなのは、当然、昔のミッキーということになる。

 ミッキーがデビューしたのは、1928年に公開されたアニメ 『蒸気船ウィリー』 ということになっている。

ミッキーマウス004
▲ 「蒸気船ウィリー」

 ここで描かれるミッキーは、まだまだ粗野で、荒々しいキャラクターで、 “ネズミ臭さ” をいっぱい持っていた。
 今のTDLでパレードの先頭に立つミッキーの、妙に優等生ぶったキャラクターとは大違い。

 だから、可愛かった。

ミッキーマウス001

 可愛い頃のミッキーには白目がない。
 目全体が黒目である。

 これは決定的なことだと思う。

 目の中に、白目と黒目が描かれるミッキーは、 「人間の目」 になってしまっている。

ミッキーマウス003
 
 自分の個性を殺しても、給料のために、与えられた役割を “けなげ” に演じている人間の目だ。
 分別臭くて、よろしくない。
 かわいそーなミッキー。

 私が持っている携帯の待ち受け画面のミッキーは、黒目だけの初期ミッキーである。
 これは可愛いなぁ…と、いつも画面に見惚れている。

 関連記事 「ドナルド・ダック」



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:13 | コメント(10)| トラックバック(0)

ホッパーの晩秋

 晩秋。
 この秋の最後の日曜日だ。

 年末よりも、今の方が、一年の終わりという気配が濃い。

 冬になってしまえば、逆に、訪れる春に向かって、生命が待機状態に入っているという気分が強まってくる。
 大地は枯れ果てても、土の中で生命が胎動している気配を感じ取ることができる。
 
 しかし、秋は 「終わっちゃったよ…」 の感じ。
 暮れゆく秋の空を眺めていると、パチンコの最後の玉が穴に消え行くのを目で追ってから、おもむろに席を立つときの、あの心境に近づいていく。

エドワード・ホッパー004

 秋が深まると、光が変る。
 どこか、この世でないところから射してくる光が感じられる。

 落ち葉の上を、ひたすら、細く、長く伸びていく影。
 地平線があれば、それを超えて、さらにその先まで伸びていきそうな秋の影を見ていると、影が、この世界とは違う場所に行こうとしているような気がする。

エドワード・ホッパー003

 照射角の低い秋の陽は、建物の真横を直撃し、そのために、ただの家の壁さえもメタリカルに輝き出す。
 エドワード・ホッパーの絵を見ていると、いつもその秋の光を感じる。

 この世でありながら、この世界を超越するような光景を作り出す不思議な光。
 ホッパーの絵に表れる光は、時に恐ろしく、時になつかしい。

エドワード・ホッパー004

 幼い頃に見ていた風景は、大人になって接する風景よりも、はるかに美しく、鮮やかに輝いていたはずだ。
 しかし、それは同時に、世界を 「言語」 を通してみる習慣を持たなかった頃の、生々しい不安や恐怖にも彩られている。

 ホッパーの絵から漂ってくる怖さというのは、ちょうど迷子になった子供が感じるような怖さに近い。

エドワード・ホッパー005

 彼の絵から立ち登ってくる言い知れぬ不安感は、幼い日の夕暮れに、買い物をしている親からふとはぐれてしまったときの不安感に似ていないだろうか。

 そのとき見ている街の風景は、見慣れた街であっても、この世の風景でない。
 時間が凍結し、物音も途絶え、 「世界」 が急に “うつろ” になっていく気配が周りの空気に満ちている。

エドワード・ホッパー001
 
 大人になったわれわれは、 「迷子」 の怖さを忘れている。

 「迷子になる」 というのは、単に親からはぐれてしまったことをいうのではない。
 自分が何者なのかも分からず、どこを目指そうとしているのかも分からないという、人間の根幹を揺るがすような不安と孤独に接する状態を 「迷子」 というのだ。

エドワード・ホッパー002

 ホッパーは、 「迷子」 の不安と孤独を描いた画家である。

 だから、彼の絵に接すると、 「自分は今どこにいるのだろう?」 と問わざるを得ないような、世界でたった独り孤立しているような哀しみがこみ上げてくる。
 しかし、そこには、とてつもない 「なつかしさ」 も潜んでいる。

エドワード・ホッパー006

 「なつかしさ」 と 「不安感」 は、両立する感情なのだろうか。
 ホッパーの絵では、それが見事に両立している。

 彼の絵に漂う 「超越的な雰囲気」 というのは、その二つが奇跡のように結合したところから生まれてくる。
 秋の不思議な光が生み出す魔術のように。 

エドワード・ホッパー008

 参考記事 「記憶の古層」
 参考記事 「二人のルソー」 


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 04:05 | コメント(0)| トラックバック(0)

高校時代

 高校時代の同窓会を開くという通知をもらった。
 元来、 「学校」 に対する帰属意識というものが薄い人間だったので、今までも同窓会への誘いをもらっていたのかもしれないが、返事を出したという記憶がない。
 当然、出席もしなかった。

 だから、 (クラス会というのには参加したことがあるが) 同窓会というのは、今回はじめての出席となる。
 「出席する」 と返事を出すと、けっこう楽しみでもある。

 同窓会に冷淡であったというのは、ひとつには、あまり同期の友だちというものがいなかったせいもあるかもしれない。

 新聞部というものに入っていたので、どちらかというと、先輩たちとの付き合いの方が多かった。

 最初は、バスケットボール部に入っていたけれど、ついにレギュラーになれず、こっちは2年生になって辞めた。
 レギュラーになれない理由を自分の背の低さにして納得していたが、なんのことはない。
 ただ、ヘタだっただけだ。

 新聞部の方は面白かった。
 その部室が、なぜか同じ学園の大学構内にあったので、放課後などは、高校の校舎から離れた大学のキャンパスに出入りしていた。

大学のキャンパスへ向かう小道
▲ 大学のキャンパスへ向かう小道

 部の先輩たちは、さらにその先輩である大学生たちの付き合いもあったので、部室には大学生たちも出入りする。
 
 彼らは、部室で煙草も吸い、時には酒も飲んだ。
 高校生であったわれわれも、一緒になって、そのような “悪習 (?) ” に付き合った。
 高校の校舎から離れていたので、 “治外法権” だったのである。

 「夜は水炊きをやろうぜ」
 と、大学生の先輩たちがいうと、高校生のわれわれは食材の買出しをやらされ、ストーブにマキをくべてから、鍋の中に鳥やらネギを入れて、先輩たちに振舞わねばならなかった。
 
 代わりに、酒を飲まされ、哲学とか、文学の話に付き合わされた。
 そこには、ある意味の、旧制高校風の “バンカラ” の精神風土が残っていたように思う。

 どんな話でも周りに合わせる軽い性格だったので、先輩たちの語る哲学とか文学の話に、分からないまでも歩調を合わせていたら、大学生の先輩から、 「オマエはずいぶん都会的な軽薄さを持ったヤツだな」 とあきれられた。

 都会的な軽薄さ。

 自分のキャラクターというのが、そういうものであったことを、そのときはじめて知った。

 深みも何もないくせに、つじつま合わせだけは上手。
 たぶん、その先輩のいわんとしたことは、そういうことだったと思うのだけれど、その目が優しく笑っていたから、可愛がられたものと勝手に解釈していた。

 諸事、自分に都合よく解釈するという “調子のいい” 性癖は、いまだに変っていない。

 新聞部の部室の隣りに、演劇部の部室もあった。
 
 自然と、演劇をやっていた先輩たちとも付き合うようになった。
 不条理劇とか、アンチテアトルとかいう演劇の全盛期で、彼らはイヨネスコとかベケットを語っていた。
 よくは分からないまま聞いていると、 「おまえ、役者をやれ」 と突然言われて、寺山修二の書いた脚本を渡された。

 ええ? … と一瞬尻込みしながらも引き受けたのは、台本にキスシーンがあったからだ。
 しかも、そのとき密かに憧れていた1年年上の女性の先輩が相手役に決まっていたからだった。

 しかし、さすがに高校生演劇でキスシーンはまずかろうという演出を務める先輩の配慮で、キスシーンは削られた。 
 
 学園祭で舞台に立つことになったが、その演劇の出来栄えがどんなものであったのか、自分ではよく分からない。
 誉めてくれた人たちもいたが、しょせん、演劇的な訓練も受けたことのないド素人の演技。
 たいした舞台を務めたようにはとても思えない。

 新聞部の部活は、先輩たちが抜けていくと、その紙面づくりを自分でやらねばならなくなった。
 
 時代が音を立てて変っていくような時代だった。
 大学では、学園紛争の兆しが見えてきた。

 紙面づくりにも、そういう時代に 「高校生は何を発言しなければならないか」 という問題意識が要求されるようになった。
 「都会的な軽薄さ」 では乗り切れない時代になっていた。
 
 政治意識の高さや思想的な先鋭さを打ち出すような後輩なども入ってきて、編集会議が、政治や思想を議論する場になった。
 「主体的な意見」 というものを持たない自分は、やりこめられるだけで、彼らを統率するなどということもできなかった。

 しかし、議論そのものは自分にとっては新鮮で、 「世界」 に対する見方が一気に広がったような気分になった。

 高校の校舎の方に帰ると、別世界が待っていた。
 こっちは、学園紛争的な気分とはまったく無縁のカッコいい若者たちが、文字通り “青春を謳歌” していた。

 新聞部の部室で交わす泥臭い議論の雰囲気も好きだったが、彼らのスマートな暮し方にも憧れた。

 学園祭で、リズム&ブルースを演じるバンドがいて、その演奏のレベルの高さにびっくりした。
 聞くと、セミプロとして、盛り場のディスコで人気を誇るバンドのひとつだとのこと。

 高校生で、そういう場を持っている連中がいたということに対して、素直に驚いた。
 
 新聞部も演劇もいいけれど、バンドもやりたくなった。

 バスケット部は辞めていたけれど、ある日、久しぶりに部室に遊びに行ったら、ひとつ年上の先輩が歌を口ずさみながら、ボールを磨いていた。

 「グッタイ、バッタイ…」 
 モソモソッとした歌が、汗臭い午後の部室に漂っていた。

 「先輩、何の歌ですか?」
 と尋ねると、
 「ああ…、アメリカで聞いたんだ」
 そっけない返事だった。

 1年アメリカに留学していた人だった。

 あとから分かったことだが、彼が歌っていたのは、レッド・ツェッペリンの 「 Good Times Bad Times 」 だった。
 
 その時代から、音楽も変っていたのだ。
 ツェッペリンの存在が日本で知られるようになったのは、その1年後ぐらいだったから、アメリカ帰りはすげぇな…と、後になって、素直に感心した。

 クリームとか、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズなどというグループの曲がラジオから流れ出したのも、その頃からだった。

 そういう音を聞きながら、家にいるときは、机を割り箸で叩いて、ドラムスの練習を始めた。
 しかし、さすがに、うまいバンドの存在を知ってしまったので、ついに高校時代は、自分でバンドを組むことはなかった。

 いくつかの淡い恋もしたけれど、すべて “片思い未満” で、ひとつも実らなかった。

 モテない男同士と付き合っていた方が気楽だったので、放課後は、そんな連中とツルんで、地下室のある喫茶店にもぐりこんで、煙草を吸いながら、ラジオの深夜放送の話などをよくした。

 週末はナンパするために、仲間と盛り場のディスコに繰り出していたけれど、みな声をかけてもその場かぎりで、結局、帰りにみんなでラーメンを食ってお開きになった。

 今から思うと、高校時代というのは、自分でも何をやりたかったのか、皆目見当もつかない状態だった。
 すべて中途半端なまま、コロコロ気が変わって、何をやっても、あまり楽しくなかったような気もする。

 そんな高校時代の同窓会にはじめて出席する。
 はて、どんな話題になるのやら。




ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:50 | コメント(0)| トラックバック(0)

関係女と所有男

 何を意味するか分からないブログタイトルになってしまった。
 これは、斎藤環氏が書かれた 『関係する女 所有する男』 (講談社現代新書) という本を紹介しようと思って付けたタイトルだが、8文字以内に収めようとしたため、こんな意味不明のタイトルになってしまった。
 お許しを請いたい。

関係する女所有する男表紙

 この本は、 「男と女」 の違いを、主に精神分析の手法を通じて解き明かした書である。
 納期が迫った仕事に関わる資料として入手したものなので、 “飛ばし読み” のような粗雑な読み方になってしまったが、ところどころ絶妙な言い回しがあって、けっこうネタとして使える本だと思った。

 内容を一言でいえば、恋愛や結婚という男女関係の中で、どうして男と女の間には、様々な 「食い違う」 が生まれるのかということを、主に、男と女が受ける社会的・文化的制約の違いから解き起こそうというのが、本書のテーマである。

 そのテーマを象徴的に要約するならば、
 「女は男に対して関係性を求めたがるが、男は女を所有したがる」
 という言い回しになる。
 
 「女が求める関係性」 という言葉が、ちょっと分かりづらいが、要するに女性は、2人がどういうふうに変化していくのか、その変化を楽しむことを求めている…というような意味だ。

 それに対し、男は 「2人の関係がどうなるか」 ということよりも、まず、その女を “自分のモノ” として所有し、できれば、いつまでも最初の状態が持続することを願う。

 そういう男女の心の違いを、本書は様々な例証を出して検証していく。

 男性の私から見れば、新手の 「女性の口説き方」 の指南書のようにも見えた。
 つまり、女性の “心の動き” をよく把握し、それに則った攻略法を伝授しているという気配もなきにしもあらず。

 もちろん著者にはそんな “不純な (?) ” 動機はなかったろうが、ある意味で、そういう実用書のような読み方を可能にしている部分もある。

 詳しい内容は、次の仕事の成果として反映されると思うが、いくつか印象に残ったフレーズを紹介したい。

 その一つは、シンガーソングライターの一青窈 (ひととよう) が、あるテレビ番組で言ったというワンフレーズ。
 
 「男は過去の女性の思い出を “フォルダに保存する” が、女は “上書き保存する” 」
 という一言だ。

 これには著者の斎藤氏も感心していたが、私もまたその通りだと思った。

 男は、いつまでも別れた女性の思い出をめそめそと頭の中で反芻したりするが、女性は過去の男性に対して冷淡である…ということは、別に目新しい言説ではない。
 それをパソコン用語で表現したところが、なんとなく斬新に思えた。

斉藤環氏

 斎藤氏 (↑) は、この “一青窈発言” を、こう解説する。

 「男は、恋愛関係の思い出を、別々の 『フォルダ』 にいつまでもとっておける。
 別れに際して、男のほうがはるかに未練がましいのは、フォルダがなかなか捨てられないからである。
 だからこそ、男は同時に複数の異性とも交際できる。
 いっぽう女は、現在の関係こそがすべてだ。
 女にとって性関係とは、 『一度に一人』 が原則だ。新しい恋人ができるたびに、過去の男は消去 (デリート) され、新たな関係が 『上書き』 される」

 そこから、
 「ストーカーには男が圧倒的に多く、女は少ない」
 という結論とか、
 「男の浮気は元のサヤに戻ることが前提となるが、女性の浮気は、事実上、結婚生活の心理的な終わりになる」
 などという結論が導き出されるだろう。

 こういう結論自体は、すでに数々の恋愛ドラマや恋愛小説で語り尽くされたものである。
 この本がユニークなところは、その理由を “構造的に” 解き明かしたことだ。

 氏は言う。

 「男が過去の女性の思い出をフォルダにしまい込んで、それを保存するのは、 『所有原理』 が働いているからである」

 つまり、エモノとして獲得した動物を “剥製や標本” などにして取っておきたいという願望にほかならない。

 それは、人類がこれまで営んできた社会の構造が、男性の自己評価を、 「知性や身体性に優れていたり、コミュニケーションスキルを持っていたり、リーダーシップを発揮できたり…」 という “社会的スペック” に求めてきたことに起因する。

 男性にとっては、学校でよい成績を収めたり、仕事の成果を評価されたり、職場で尊重される役職に付くことが自己評価の目安となる。
 そして、そのような社会的な立場を確立することが、彼の自信と達成感のよりどころとなる。

 いかに魅力的な異性をゲットしてきたかということも、そのような社会的スペックを充実させるものとして機能する。

 それに対して、女性は、そのような社会的スペックで自己評価を下さないし、異性の価値も判断しない。
 あくまでも、相手が 「自分に何をもたらせてくれるか」 という相互の関係性を重視する。

 だから、結婚に関しても、女性にとっては新たな関係の始まりであり、必要なのは2人の 「より良い変化」 なのだ。

 そこで、男女の意識の食い違いが生まれる。

 結婚した女性にとって、結婚したばかりの男は、まだ 「未熟な夫」 でしかなく、その夫が自分との関係の中で 「最高の夫」 へと変化していくプロセスが女性の希望となる。

 男は逆で、結婚したばかりの妻こそが、性格的にも外見的にも 「最高の妻」 なのである。
 だから男は、妻がいつまでも新婚当時のままであることを願う。

 結婚前の恋愛関係においても、この食い違いは生じる。
 
 いつまで経っても “未熟な恋人” は、女性にとっては自分に何も変化をもたらせない愚物であり、女性たちは愚物な男に見切りを付けるのも早い。
 新しい恋人が出現すれば、未熟な男はあっさりと “上書き” されてしまう。

 このように、2人の 「関係の変化」 に期待する女性と、異性をただのモノとして 「所有」 しようとする男性の食い違いは、それぞれ相手に感じるセクシュアリティにも反映している。

 異性の体で、どこに魅力を感じるかという点でも、男性と女性の意見はかなり異なる。

 男性のほとんどは、相手の 「胸」 や 「お尻」 に集中する。
 いっぽう女性の場合は、男性の 「腕」 や 「指」 あるいは 「眼」 に魅力を感じるという。

 男性の 「胸」 や 「お尻」 というのは、要するにフェチである。
 つまり、女性をモノとして所有する視線にほかならない。
 男は、女性の人格とは無関係に、女性の身体そのものに欲望できるようになっている。

 逆に、ある種の男にとっては、女性の 「知性」 は、自分の自尊心を脅かすものとして感じられたりもする。
 女性の 「知性」 が自分に鋭く突き刺さってくると、相手をモノとして所有できなくなるからだ。

 いっぽう女性のこだわりが向かうのは、ここでも 「関係」 だ。
 「腕」 や 「指」 、あるいは 「眼」 というのは器官は、すべて相手と関係するための器官である。

 女性はその腕に抱かれ、その指に触れられ、その眼に見つめられるという、自分と相手との関係の中で機能する器官に魅力を感じている。

 最終章においては、著者はこのような男女の意識構造のからくりを、精神分析学の見知を駆使して解説している。
 この本の内容をアカデミックに掌握しようと思う人は、最終章を読むだけでも十分かもしれない。

 しかし、そこはちょっと専門的になるので、このブログでは書かない。
 (…というか、ちょっと難しい)

 読みながら、ふと思ったのだけれど、最近の男女の生態系を観察してみると、この本で書かれた男女の差異が少しずつ相互浸透して、だんだん解消されつつある気配も感じる。

 女性のオヤジ化も進み、若い男性の女性化も進行しているようにも思う。

 それでも、人類の男女の歴史が今まではこのように動いてきたことは確かだし、この解析が、現代社会でもいまだ有効なことは間違いないだろう。

 とにかく本書は、女性に振られながらも、その理由がよく分からない男性にとっては勉強になるはずだ。
 読んでおくと、次の恋愛はうまくいくかもしれない。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 23:19 | コメント(4)| トラックバック(0)

脳科学は宗教か?

 「人間って何だろう?」 と考えることは、人類の普遍的なテーマらしく、かつては 「哲学」 とか 「文学」 が、そのテーマを追求する最も有効な学問として機能してきた。

 しかし、それがだんだん 「心理学」 などに取って代わられるようになり、最近は 「脳科学」 に中心が移っている。

 頭がもじゃもじゃの脳科学の博士が、バラエティ番組などでも大活躍する時代になっているということからも、脳科学の人気ぶりが分かる。

 だけど、脳科学というものが、いかに、まだ “発展途上” の学問であるかということが、最近いろいろなところから指摘されるようになってきた。
 
 何で読んだか忘れてしまったけれど、たとえば、
 「私たちは、脳の10パーセントしか使っていない。脳の90パーセントは休眠状態である」
 という説は、かなり “常識化” された説として流布したけれど、どうやら最近の脳機能の画像解析などによると、人間の脳で使われていない部位はほとんどないことが分かってきたらしい。

 …ってな説だって本当なのかどうなのか、怠け者の私は、本格的に調べる気もないのだけれど、今までの “脳をめぐる常識” とやらが、いま再編成されつつある気配だけは感じる。

右脳左脳本

 一時、大ブームになった 「右脳・左脳論」 というのも、どうやら最近の学説によると、ほとんど根拠のないガセネタらしい。

 もう20年以上前になるのだろうか。
 「イメージと直感の右脳、言語と論理の左脳」 などという説がまことしやかに喧伝された時代があった。

 しかし、これも脳画像検査の最新データによると、脳の二つの半球は絶えざる交信状態にあり、一つとして個別に機能する部分がないということが分かってきたという。
 右とか左の脳の機能は、それぞれ個別の領域で行なわれるわけではなく、むしろ、二つの部位のネットワークが連結された状態で行なれているのだとか…。

 ……ってな説だって、またコロコロ変わっていくのか知らないけれど、とにかく 「脳」 というのは、これまで人体を科学的に解析してきた人間の最後の 「未開拓地」 だから、夢とロマンが盛り込まれる余地がいっぱい残っている。

 つまり、人々の素朴な期待と願望が、脳を素材にしたさまざまな 「物語」 を生んでいるという感じがする。

 「人間は、その脳の10パーセントしか使っていない」
 という説が流行りだした頃は、確かにニューサイエンスなどという学問分野が脚光を浴びた時代ではなかったか。

 「科学万能主義の終焉」 という思想が台頭し、科学で解明されない未知の領域に人々が夢とロマンを求めた時代があった。
 自然科学が、神秘主義と結びついた時代ともいえる。

 そういう時代背景があると、 「人間の脳には無限の広がりがある」 という説はかなり魅力的に感じられたはずだ。

 「右脳・左脳論」 というのも、人々の無邪気な夢を広げてくれた説だった。
 ものごとをすべて理詰めで考えていくことが肯定された近代合理主義的な世の中で、 「右脳を鍛えれば豊かな情緒を取り戻せる」 という説は、砂漠に湧き出たオアシスのように、清涼飲料水的な効果を与えてくれた。

 脳科学には、 「時代の無意識」 が反映されている。
 そこには、庶民の素朴な願望が潜り込んでいる。
 そして、それが、けっこう 「希望」 になっていたりする。

 そういった意味で、今の脳科学は 「宗教」 のようなものかもしれない。 


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 22:34 | コメント(4)| トラックバック(0)

シェフ木村元一

 昨日、ピカ富士西湖キャンプ場で、キャンピングカーの撮影会を行った。
 師走も間近に迫ったという忙しい季節にもかかわらず、アネックスさん、アム・クラフトさん、エアストリームジャパンさん、日産ピーズフィールドクラフトさん、バンテックさんらのご協力をいただき、無事撮影をすますことができた。

 今回の撮影会では、 「キャンピングカーとクッキング」 という絵柄を撮りたいと思っていたのだが、普通のユーザーさんがやるようなクッキングではなく、ある程度、レストラン並みのクッキングができる人の協力を仰ぎたいと思っていた。

 そういうことのできる人が、いるのである。
 このキャンピングカー業界にも。

 「キャンピングカープラザ東京」 の木村元一店長が、その一人だ。

キャンピングカープラザ東京
 ▲ キャンピングカープラザ東京

 彼と、昔一度クッキングの話をしたことがある。
 なにげない雑談だったのだが、話を聞いているうちに、
 「こりゃ、ただ者ではないぞ…」
 と思えてきた。

 ハンパじゃないのだ。料理に対する取り組み姿勢が。

 たとえば、スープを作るときの話。

 「スープってのは、60度ぐらいの温度で、ゆっくりゆっくり煮出していくわけですけど、基本的に、鍋に張り付いていないとならないんですよ。
 ラーメン屋さんなんて寝ないでやると、よく言うけれど、さすがに一睡もしないと辛いので、保温鍋にスープを入れてから3時間ぐらいの仮眠を取って、起きては火を入れて……」

 「ええっ!」
 と、耳を疑った。
 素人が、そこまで凝るか?

 こっちが唖然としているのに、木村店長はこともなげに、
 「スープというのは、火を消したときに味がしみ出るんですね。だからずっと熱を加え続けると、スープも “疲れちゃう” んです。
 だから3時間ずつ寝て、起きてから、また火を加える…という繰り返しによって、スープに “命” が宿るんですね」

 ひやぁー! 鬼のような人だと思った。

 木村氏の話は、さらに続いた。

 「だけど、そうやって作ったスープは、何にでも使えるんです。それでクリームシチューを作ってもいいし、カレーライスもできる。もちろんラーメンも、味噌汁もOK。
 そもそも、コンソメスープというのは、そうやって作っているんですね。
 そういうベーススープを作って、そこからバリエーションを広げていくわけですけれど、甘さを出すのに普通よくリンゴを擦るとかいうけれど、あれは酸っぱくなって駄目でした。
 桃がすごくいい味が出ます。
 リンゴも普通にやらないで、プロなんかは、もしかしたら蜂蜜を加えているか、あるいは蜂蜜漬けにしたリンゴを使っているかもしれないんですね。
 ひとヒネリではなく、たぶん、ふたヒネリぐらいしているんじゃないかな」
 
 この研究熱心さに、素直に感動した。

木村シェフ001
 ▲ 木村シェフ (右) とその奥にいるのが奥様

 今回のキャンピングカー撮影会では、ぜひ、 “木村シェフ” にアウトドアクッキングを担当してもらい、それを画像に収めたあとに、キャンピングカーを持ち込んでくれたスタッフたちにも “味見” してもらおうと考えた。

 評判は?
 ……というと、これが上々なのである。

 あちこちの展示会に出展し、全国の “うまいもの” を知り尽くしたキャンピングカー販売店の人たちが、試食して、一様に 「アッ!」 と息を呑んだのが分かった。

 木村氏が、独自ルートで手に入れたハーブ類で味付けしたサラダ。
 得意のスープで味付けしたリゾットや、洋風煮込み。
 凝りに凝ったトマトスープをベースに作ったパスタ。

 これまた彼が独自ルートで入手した馬刺。
 このタレがすごかった。
 醤油ベースに、ニンニクを少し入れ、さらに隠し味を混ぜて作った刺身用のタレが絶妙だった。

木村シェフの料理
▲ 撮影用に木村シェフが揃えた絶品メニュー

 今回の撮影会では、それぞれの販売店スタッフに貴重な1日を割いてもらうことになったが、居合わせた人々は、口々に言った。

 「こういう出張なら、毎日あってもいい」

 富士五湖周辺に、早くも冬の気配が到来した寒い日。
 撮影の合間に振る舞われた木村シェフの料理が、どれだけ参加者の体と心を温めたことか。

 なんで、この人は、こんなに素晴らしい味が追求できるのか。

 「レストランなどに行ったときに、おいしいと思ったものは、必ずそこのシェフに直接作り方を教わるようにしているんです。
 もちろん、彼らは商売がたきには絶対に秘伝を明かさない。
 だから、こちらがあくまでも素人であることを、まず分かってもらう。
 ……素人なんだけど、料理の味にはけっこう関心を持っているよ…ということを、いかに相手に分かってもらえるか。
 その駆け引きが難しいんですね」

 そうやって、彼は自分のレシピを増やしていった。

 「もう自分のブログなんかに公表できるくらいデータが揃ったんじゃないですか?」
 と聞くと、やや間をおいて、謙虚に、しかし自信ありげに、
 「……うん、……まぁ……」
 という返事。

調理中の木村シェフ

 いつの日か木村店長が、本業のキャンピングカーの分野だけでなく、料理の分野でも名を知られる日が来るかもしれない。

 その日を期待して、まずは、私のブログでご紹介。

 木村さん、ご苦労さまでした。
 この場を借りて、御礼申し上げます。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 19:58 | コメント(0)| トラックバック(0)

ふたり旅の極意

 「定年退職後は、キャンピングカーを買って、夫婦2人で日本全国を旅する」

 それを、キャンピングカー購入の動機として掲げる人たちは多い。
 とてもいいことだと思う。

 しかし、一方ではこういう声も聞く。
 ある旦那さんの発言だ。

 「いやね、カミさんとキャンピングカーの旅を始めて、最初の3日間はよかったんですけどね。
 でも4日目ぐらいから、クルマの旅は嫌だって、カミさんが言い始めたんですよ。やっぱり旅館に泊まった方がいいって……」

 これじゃ、張り切ってキャンピングカーを買った旦那さんもがっかりだろうし、奥さんだって間が悪かろう。

 この夫婦の場合、何が 「障害」 になったのだろうか。

 奥さんの方の話を聞くと、こうだ。
 (これは直接聞いたわけでなく、ある知人に告白したものを間接的に聞いたものだけど…)

 「キャンピングカーさえあれば、泊まるところの予約も要らず、自由きままに旅ができるって、うちの主人が言うから、真に受けていたのよ。
 だけど、じゃ実際に “今晩はどこで寝るの?” って聞くと、 “運転に疲れたらテキトーな場所選んで、どこでも寝られるさ” … って言うんだけど、女にとっては、そんな無責任な回答じゃ不安だし、最初の夜から、トラックがいっぱい止まっている所で、お湯沸かしたカップ麺に電子レンジの肉まんじゅうだし、主人ったら一人でテレビ見て、笑って酒飲んでいるだけで、こっちは退屈だし…」

 …というようなことを、その奥さんは知人に述べたらしい。

 この奥さんは贅沢なことを言っているのだろうか?

 そうではないだろう。
 これじゃ、奥さんにとって、キャンピングカーの旅なんか全然楽しくないはずだ。

仲の良いふたり(タヌキ)
▲ 仲の良いふたり

 夫婦のキャンピングカーの旅で大事なのは、旦那さんのプロデュース能力である。
 奥さんに 「楽しい旅」 を感じさせる企画力といってもいい。

 別にカップ麺の食事が悪いというわけではない。
 「カップ麺でも、こういうところで食べるとおいしいわね」
 …と思わせる “力” とでもいおうか。

 それが大事なんである。

 キャンピングカーの旅を始めてから、夫婦の話題が豊かになったと感じる人は多い。
 キャンピングカー旅行を繰り返すたびに、夫婦の絆が強まったと感じる人が増えているのは、 「キャンピングカー白書」 においても、統計的に実証されている。

 しかし、この統計に水をさすわけではないが、そういう夫婦というのは、別にキャンピングカーがなくても、円満にいっている夫婦なのだ。
 たまたまキャンピングカーが、それをさらに強く “意識させた” というに過ぎない。

 キャンピングカーは、仲の良い夫婦の絆をさらに強める 「道具」 ではあるが、心の離れた夫婦の仲を取り持つ 「道具」 ではない。

 だから、奥さんを誘ってキャンピングカーの旅を楽しみたいと思う旦那さんに対しては、キャンピングカーを買う前が “勝負だ!” と言いたい。

仲の良いファミリー(ミッキー)
 ▲ 仲の良いファミリー

 熟年離婚を考えたきっかけとして、奥さんがよく理由として挙げるのは、 「亭主が1日中家にいるようになって、うっとうしくなった」 というもの。
 
 子育てが終わり、奥さんがようやく家事や育児から解放されると思った矢先に、いちばん手間のかかる “子ども” が家に残るようになる。
 たいていの奥さんは、旦那さんのことをそう思うらしい。

 朝、昼、晩、家の中でゴロゴロして、 「めし」 と口を開けて待っている旦那さんを見ると、たいていの奥さんはキレるという。

 多くの旦那さんは、会社を辞めると同時に社会からも切り離されてしまうのに対し、奥さんの方は地域のコミュニティなどを通じて、社会との接点を保っている。

 奥さんには、ご近所の付き合いや昔からの友人とのお付き合いの世界があるから、昼から家を空けることも多い。

 行き場のない旦那さんは、嫉妬も交じって、
 「おい、何時に帰る?」
 「晩飯はどうする?」
 と、小うるさく干渉する。

 これが世の奥さん方にとっては、とても辛いらしい。

 次に、奥さん方が旦那さんに持つ不満は、
 「会話が楽しくない」
 というもの。

 小説家の渡辺淳一さんは、 「日本の熟年夫婦には会話がない」 という。

 「熟年の夫婦と思われるカップルを全国各地でよく見かける。しかし、そういう夫婦がホテルのダイニングで食事などをしていても、ほとんど会話がない。
 2人とも黙々とひたすら食べている。
 総じて、熟年夫婦は会話をしない。日本の夫たちは、妻と語り合うことが億劫のようだ」

 会話がないのは、実は、旦那さんが、奥さんに何も期待していないからだ。
 「家事を受け持つ役割」 以外のものを、何も求めていないということでもある。
 ま、道具なんである。

 多くの奥さん方は、そこに “愛の欠如” を感じる。

アメリカの仲良し老夫婦 
 ▲ 「ふたり旅」 を楽しむアメリカの老夫婦

 「女性学」 を研究している小倉千加子さんは、かつて韓流ドラマにのめりこむ主婦層に対して、こう言ったことがある。

 「 『冬のソナタ』 に日本人女性がハマった理由は、 『恋愛』 という概念のなかに、日本には 『恋』 しかなかったが、韓国には 『愛』 があったからだ」

 どういうことかというと、
 「 『恋』 とは、お互いを性的な対象として魅力的に思う心から生まれ、 『愛』 はゆっくりとその人を理解し、励まし、いたわるという信頼感から生まれる。
 『恋』 はいつしか終わるものだが、その終わりの後に 『愛』 が生まれ、それが夫婦の絆になる」
 
 韓流ドラマに描かれた男たちは、 「恋」 をささやくと同時に、 「愛」 もささやいた。
 彼らの言動からは、 「恋」 が終わった後の 「愛」 の姿まで想像することができた。
 ……と、小倉さんはいう。

 「しかし、日本の中高年女性は、性的な対象としての魅力を失って 『恋』 の主役から降りると、 『愛』 も与えられることがなかった。
 女性的な価値のなくなった多くの中高年女性は、 『女らしくない女』 というレッテルを貼られ、バラエティ番組で揶揄 (やゆ) され、それを見た夫も、 『もっともだ!』 と笑っているだけだった」

 ふ~む。
 私なんぞには耳の痛い話だが、小倉さんの言わんとしていることは一面の真理を突いている。

 「愛」 があれば、会話が生まれるというのは事実だからだ。
 「愛があれば、黙っていても通じる」
 というのは、男だけに通用する考え方に過ぎない。

仲の良いふたり(タヌキ) 
 ▲ 愛を語る老タヌキ夫婦

 では、 「愛のある会話」 って、何だろう?

 相手をいたわる言葉を続けていればいいのか?
 優しい言葉をかければいいのか?

 「落ち込んだ時、優しい言葉で慰められるより、カラリと笑いにしてもらう方がどんなにありがたいか」
 と言うのは、漫画家の倉田真由美さんだ。

 彼女は、こう言う。

 「妹が自動車で自損事故を起こしたとき、その夫は 『え? 車こすったの? ガリっと? じゃあ、今日からお前のこと “ガリガリくん” って呼んでいい?』 とからかった。
 それで (妹は) 相当救われたという。
 おそらく、からかう側も 『相手を救いたい』 という優しい気持ちから言葉を発したわけではないだろう。
 本当に面白おかしくからかいたいという、その 『軽い気持ち』 が、思いのほか相手を救うのである」

 倉田さんは、 「面白おかしくからかいたかっただけだろう」 と書いているが、やはりそこには、その旦那さんの奥さんに対する 「愛」 が感じられる。

 「愛」 があるからこそ、からかえるのだ。 

 長年フェミニズムの論客としてならしてきた社会学者の上野千鶴子さんは、こう言う。

 「奥様が旦那を大事にしてくれないといって、男性が寂しがるのは自業自得。
 女に気を使ってもらうのが当たり前と思っていた反動が来ただけ。
 寂しいと思うなら、女にサービスするしかない。
 少なくとも、一緒に食事をして楽しいと思われる相手にならないと」

 夫婦で楽しいキャンピングカーライフを満喫したいと思っていらっしゃる旦那さん。
 クルマを買う前に、以上のようなことが、多くの奥様方のリクエストであることを、よ~く肝に銘じておきましょう。

 はい、私も今日から心を入れかえて、努力するつもりであります。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:33 | コメント(2)| トラックバック(0)

ビッグイシュー

 『THE BIG ISSUE (ザ・ビッグイシュー) 』 という雑誌をよく買う。
 ホームレスの自立を助けるために生まれてきた雑誌だ。
 正確にいえば、脱ホームレスをめざしている人々が街頭で売っている雑誌である。

 1冊300円のこの雑誌が売れると、そのうち160円が販売した人の手元に残るらしい。

 36ページ立てで300円という値段は、一見高いような気もする。
 しかし、編集内容を見てみると、他のどの商業誌も掲げていないようなテーマがあったり、ユニークな特集があったりして、けっこうモノを考えるための心地よい刺激が盛り込まれているように思う。

ビッグイシュー131

 今月号はクエンティン・タランティーノ監督の最近作 『イングロリアス・バスターズ』 をめぐって、監督本人のインタビュー記事が載っていた。
 目の付けどころがいい。

 内外の映画俳優が登場する機会の多い雑誌だが、インタビューアーの問題意識のレベルが高いのか、まとめ方が面白い。
 その他の記事も、基本的にサブカル系の話題が中心となっているが、他の商業誌には見られないピリっとした硬派のテイストがある。
 クリエイティブ系の仕事をしている人にはかなりのヒントをもらえる雑誌だと思う。

 そんなわけで、この雑誌が店頭販売されているときはいつも買っているけれど、先だってのこと、買ってからふと開いてみたら、ページの半ばぐらいに手紙がはさまっていた。

 手書きである。
 街頭に立って販売していた人自身が書いたものらしい。、

 「今回は、131号を買っていただき、ありがとうございます。
 さて、今年も残すところあと少なくなりました。皆様はいががおすごしでしょうか?
 寒い日が続くと切なくなります。
 また、どうしてだか、昔飲んだショウガ湯の匂いと味を思い出します。
 これは多分、子供の頃の記憶と結びついているのだと思います。
 皆様は、冬になると何を思い出しますか?
 たまには自分の記憶にひたってみてはいかがでしょう?
 新たな発見があるかもしれませんよ。
 では、最後に、まだこれから寒い日が続きますが、体調など崩さぬようご自愛くださいませ」

 手紙を見ながら振り向くと、若い販売員は雑誌を手で掲げながら、寒空にずっと立ち尽くしていた。

 販売スタッフの自筆の挨拶文が入った雑誌というのは珍しい。
 『THE BIG ISSUE』 ならではだと思う。

 手書きの手紙は、 「挨拶」 というより、 「ほのかなエッセイ」 のようにも思えた。
 彼は、この雑誌に対する愛着もあり、またそれを売ることに誇りを持っているのだろう。
 そして、できれば、自分も編集スタッフの一人になりたかったのかもしれない。

 私は、オリジナルの1ページが追加された “スペシャル” ビッグ・イシューを小脇に抱え、駅に向かった。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 05:47 | コメント(2)| トラックバック(0)

初代チェイサー

 昔、トヨタの初代チェイサーに乗っていた時期がある。
 大ヒットしたマークⅡの兄弟車だ。

初代チェイサー007

 トヨタは、ひとつのコンポーネンツで、 「エレガントな貴族的セダン」 としてマークⅡを売り出し、 「遊び心に満ちたスポーティなハードトップ (セダンもあったけど) 」 として、チェイサーを売り出した。

 どこが違うの?
 …というと、セダンとハードトップの差というのはあったが、それ以外は、グリルのデザインと、ヘッドランプ回りの意匠が違うだけ。
 あとは外板色と販売店の名前が違う。

 トヨタの方も、その程度のセグメントで、お客を納得させられるとは思っていなかっただろうけれど、お客の方もわりと醒めていて、そのようなお手軽なイメージ戦略に対しても、特にめくじらを立てる人もいなかった。

 で、私はチェイサーの方を買った。
 真っ赤なボディに、白いストライプが入ったSGS。

初代チェイサー003

 「ハーダーサス」 という、少し硬めのサスペンションを入れた仕様で、確かにノーマルマークⅡのぐにゃりとしたサスよりは、 “凛とした” 乗り心地を実現しているように思えた。

 6発に乗ったのは初めてだったが、 「さすが4発よりはシルキーだわい」 と、エンジン特性にもけっこう満足した。

 このクルマは、今でも、なかなかスタイルのいいクルマだと思っている。
 キャビンを小さく絞ったロングノーズ、ロングデッキの “ジャガールック” で、当時の 「美しい」 とされたプロポーションをけっこう忠実に反映したフォルムだった。

チェイサー広告002
▲ スタイルはジャガー風であるのだが、アメ車風のキラキラ感もあって、そのちょっと “危険な甘さ” が、なんともいえませんな。

 CM (↓) では、草刈正雄がイメージキャラクターを務めていて、赤いボディに真っ白なスーツでクルマによりかかる姿がカッコ良かった。

チェイサー広告001
▲ ハリウッドのスキャンダラスなイメージと 「サムライニッポン」 という妙なキャッチの取り合わせが、きたるべきバブルの時代を先取りしていた感じだ。

 草刈正雄をまねて、私も白いスーツを買った。
 (足の短さ以外は、いい勝負だと思っていた)

チェイサーの前のアホ

 普段は革ジャンパーにジーンズで乗っていた。 (その姿で通勤もしていた)

 頭をチリチリパーマにしていた時期で、どう見ても、遊び人だった。
 事実、遊び人だった。

 一度、そのクルマに乗っているときに、西湘バイパスで、暴走族の大集団に巻き込まれたことがある。

 いつの間にか、右を見ても、左を見ても、派手なエアロを付けて車高を落とした族仕様のハコスカとかゼットばかり。
 頭にハチマキを巻いた男の子の後ろでは、箱乗りした女の子が、隣のクルマの男と肉まんじゅうを分け合っていたりという、もう路上パーティ状態だった。

 逃げ出そうにも、大渋滞。
 身動きひとつ取れない。

 やつらをなるべく刺激しないようにして、窓をしっかり閉め、音楽の音も止めていたのだけれど、隣りの若造が 「おらおら!」 とこっちを向いて怒鳴り始めた。

 「やべぇ…」 としばらく無視していたが、あまりにも大声で怒鳴るので、ついに窓を開けて、相手の顔を見た。

 そいつは、手のひらをメガホンのような形にして、私の顔を見るなり、
 「おい、気をつけろ! この先検問だぞ、検問!」
 と一生懸命教えてくれたのだ。

 仲間に思われたのだと分かった。

 元来調子の良い私は、
 「おう、そうか分かった!」
 と返事を返し、カセットテープの音楽をキャロルに変えて、大音量で鳴らすことにした。
 隣の若造が、指でピースマークを作ってニヤリと笑った。

 彼らが心配したような検問などというのはなくて、料金所を過ぎると、するするとクルマの列も動き出した。
 気がつくと、族仕様のクルマも、いつの間にか霧散していた。

 赤いチェイサーというクルマは、 “そういうクルマ” なのかと、よ~く身にしみた。
 実際その頃ぐらいからか、シャコタンにしたチェイサーをよく街で見かけるようになった。

 私はノーマルで乗り続けたけれど、どこかそういう “ワル” のイメージが漂うクルマであるということは、別にイヤではなかった。

初代チェイサー005

 そいつには、長男が幼稚園に入るまで乗った。
 それからおとなしいセダンを買った。

 チェイサーを降りた時点で、なんとなく自分の青春も終わったように思えた。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:09 | コメント(6)| トラックバック(0)

坂の上の雲

 司馬遼太郎の小説 『坂の上の雲』 がちょっとブレイクしている感じ。
 本屋に寄っても、けっこうこれに関係したムックや書籍が出回っている。

ドラマ坂の上の雲002

 いうまでもなく、年末にNHKのスペシャルドラマとして取り上げられることになったのがきっかけであるが、そこには、 “坂の上の雲” ( ←近代国家) をめざして 「坂道」 をけなげに上り始めた明治人に対する現代人のノスタルジーが反映しているように思える。

ドラマ坂の上の雲001

 しかし、この作品、果たしてTVドラマとして成立するのかどうか。

 もちろん大河ドラマのノウハウをさんざん蓄積したNHKのことだから、それなりに見せ場を整えたドラマにはなるだろうとは思うが、しかし、この小説は、司馬遼太郎の全作品の中でも、もっともドラマに不向きなものだと思うのだ。

 日露戦争をテーマにしたものだから、当然その戦闘描写などもたくさん出てくるわけで、映像的にも制作費的にも、原作のレベルに迫ることはできない…という予測は、まずひとつ成り立つ。

 しかし、それだけのことなら、今のCG画像の技術でなんとかならないことはないと思う。

 そうではなく、あの作品自体が、そもそも小説には収まりきらない “大きさ” を持ったものであるということが問題なのである。

 生前、司馬遼太郎は、この小説をドラマ化したいというテレビ局側の打診に対し、首を縦に振らなかったという。

 それは、日露戦争を描くための人的・資源的物量を、映画やドラマではとても揃えることができないといった意味もあったろうが、それだけでなく、作品の背後にそびえる 「小説にも収まりきらな “大きさ” 」 をどう表現するかということに関し、司馬氏が悲観的に感じたことが最大の理由だろう。

 その大きさとは何か。

 『坂の上の雲』 は、日本の歴史を描き続けてきた司馬遼太郎がはじめて手掛けた “国際小説” である。
 正岡子規や秋山兄弟といった、明治期を駆け抜けた日本人たちの青春群像を描いているように見えて、実は、世界が舞台となっている。

 特に、物語の後半。
 死闘の限りを尽くす日本とロシアの戦争を記述する部分は、よく読むと、なんと、ロシア側将兵の場に立って、ロシア軍から日本軍を見た叙述が半分を占める。

ロシア帝国紋章
▲ ロシア帝国紋章

 ロシア帝国が極東に勢力を拡張する国策を掲げたのは、ロシア一国の思惑を超えた欧米列強の政治力学の中で決まったことだった。

 だから、日露戦争をロシア側から描くということは、当然、ロシアと反目していたイギリスや、ロシアと同盟を結んでいたフランス、ドイツなどの政治家たちの計算やら思惑を描くことにもなり、ロシアの太平洋進出に神経を尖らせるアメリカの政情にも言及することになる。

 イギリスにとって、遅れてきた帝国主義国家として膨張政策を取るロシアは好ましからざる存在であるため、極東の日本がロシアを叩くのは大歓迎。
 だからイギリスは、ロシアに対して徹底的にいやらしい妨害工作の限りを尽くす。

 一方、イギリスと対抗するためにロシアと同盟を結んでいたフランスは、頼みの綱であるロシアの強大な軍事力が極東で削がれつつあることに不安を感じ、ロシアと “共倒れ” になることを避けようとして、徐々にロシアから距離を取り始める。

日露戦争風刺画
▲ 日露戦争風刺画 ロシアに日本をけしかけるイギリス

 このあたりのヨーロッパ諸国の虚々実々の駆け引きが、実は、日露戦争の最終的局面を決めた日本海海戦に大きな影響力をもたらすことになる。

 ロシア国内にも、深刻な問題があった。
 当時のロシア帝国は、世界一の軍事国家であり、皇帝の支配する強力な専制国家でもあった。

 しかしながら、その政権を支える基盤は古びて腐り始め、次第に力を蓄えてきた革命勢力に対し、ロシア宮廷はその対応にも頭を悩ませていた。
 そして日本は、ロシア政府の後方を撹乱 (かくらん) するために、このロシア内の革命勢力とも接触を試みようとする。

 『坂の上の雲』 という小説は、そういう国際社会の緊張関係の中で、日本を捉えた小説なのである。
 日本人たちを主役にした日本の小説のようでありながら、 “帝国主義の時代” を迎えた欧米の政治力学の中で日本を考察するという、気宇壮大な国際小説といった方が正しい。

戦艦「三笠」
 ▲ 戦艦 「三笠」 の幕僚たち

 この作品を書くにあたり、司馬氏が目を通した文献・資料は、おそらく日本国内のヒーローを描くときの何倍、何十倍というものであったと思われる。

 彼は、各国の政治家や軍人の残した回顧録から始まって、外交上の機密文章に至るまで、日露戦争の時代を生きた人々の残したものはすべて目を通したに違いない。

 それだけではない。
 新兵器の登場によって変化する火薬の調合に対する文献や、石炭の組成成分の分析など、自然科学分野における資料収集にもそうとうなエネルギーを使ったはずだ。

 歴史小説は、そのような文献と資料の総量で作品の精度が決まるが、作家はその資料をすべてを作品の中に使うわけではない。
 むしろ、捨てる量の方が多い。

 しかし、作品の中に引用しなかったにせよ、作家の記憶にとどまった資料の厚みが、そのまま “小説の厚み” となる。

 『坂の上の雲』 という小説は、膨大な資料を背負いながら、そこから抽出されたデータを、登場人物の 「笑い方」 の描写だけにとどめたりすることがあるのだ。
 「小説に収まりきらない “大きさ” を持つ」 という意味は、そのことをいう。

 小説だからこそ、かろうじて表現できたこのような 「世界」 を、いったいドラマとして描けるものなのかどうか。
 私は、たぶん原作とは異なるテーマを持ったドラマになると思っている。  

 それはそれで、面白ければいいのだけれど、あの小説の本当に豊かな部分というのは、たぶんドラマ化されないだろうという気がしている。

 「豊かな部分」 というのは、日本人が登場しない部分にある。

 たとえば、ロシアのバルト海から出航したバルチック艦隊が、日本海までたどり着くまでの話。
 これなど、 「本編には関係ない退屈な話だ」 と語る人もいるらしいが、私などは一番興味深く読んだエピソードだ。

 『坂の上の雲』 を単なる戦記モノとして読むならば、バルチック艦隊というのは、日本海軍のただの “かたき役” でしかない。

 しかし、彼らがどのような労苦を払って日本海までたどり着いたか…ということに着目するならば、涙なくしては読めないような話なのだ。たぶん、それだけで独立した小説ができあがるはずだ。

 現に、司馬氏はこの艦隊が出航してから海戦に至るまでの叙述で、文庫本8巻のうちのほぼ1巻分ぐらいのボリュームを割いている。それ以上かもしれない。

 満州の陸戦で苦戦を強いられていたロシア政府は、その難局を打開するために、ヨーロッパ方面の有事に備えて温存していたバルチック艦隊を、ついに極東の戦線に派遣することを決定した。

バルチック艦隊
▲ 洋上のバルチック艦隊 粗悪な石炭しか積めなかったので、吐き出す黒煙の量が多い

 これが、どのような難事であったかは、その遠大な航路がそれを物語っている。
 バルト海から大西洋に出て、アフリカ西岸を南下し、インド洋をまたぎ、そして東シナ海から日本海へと進む航路を、艦隊としての秩序を保ちながら完遂したというだけで壮挙だ。

 スエズ運河を渡れば、まだいくらかの航路の短縮は図れただろう。

 しかし、当時のスエズは日本と同盟していたイギリスが支配していたことと、石炭を満載したために喫水線が下がってしまうことを理由に、彼らはアフリカ南端の喜望峰を越えなければならなかった。

 北国で生を受けたロシア人たちは、アフリカの西岸を南下するときに、まず南国の暑さと湿気に悩まされた。
 熱気のこもる船内で寝ることは不可能になり、士官も兵卒も、上半身裸になったまま甲板にごろ寝するのだが、そのようなだらしなさが日常化することによって、士気もどんどん低下していく。

 続いて、船を動かすための石炭の確保に苦しむ。
 日本を支援するイギリスは、石炭を供給できるような自国の港をけっしてロシア艦隊に開放することはなかった。

 のみならず、フランスにプレッシャーをかけて、ロシアの同盟国であるフランス領の港においても、ロシア艦隊への石炭供給を断るように働きかけた。

 頼みの綱であったロシアの軍事力が、日本軍によって削ぎ落とされていく現状を冷静に分析したフランスは、打算的な政治力を発揮し、イギリスの機嫌を損ねないように、ロシアに冷たく当たるようになる。

 ロシア艦隊が寄港できる港は、フランス領内であっても環境の劣悪な港しかなく、石炭を仕入れる港はさらに限定されていく。

 だから、石炭が供給される港に入ったときは、あらんかぎりの石炭を積み込むことになり、そのため船員たちの居住スペースは狭められ、船の重量も重くなり、航行速度はさらに減少する。

 しかも、石炭を詰め込むという重労働が、長旅に疲れた船員たちの疲労度をさらに増すことになる。

喜望峰
▲ 喜望峰

 彼らは、青息吐息でようやく喜望峰を回るのだが、そこで待っていたのは、大航海時代の船乗りたちを悩ませた、想像を絶するような大暴風。

 船よりも高い大波が艦尾を襲い、その次には、船そのものが波の頂点に押し上げられ、眼下に、今にも波に呑み込まれそうな僚船の姿を見下ろすことになる。
 船員たちは、生きた心地がしなかったろう。

 ようやくたどり着いたマダガスカル島で、彼らは、旅順港と旅順の要塞が、日本軍の手に落ちたという悲報を受け取る。
 バルチック艦隊の東征の目的は、旅順港に寄港している旅順艦隊と合流して、圧倒的な海軍力で日本軍にプレッシャーをかけることにあったから、航海の半ばで、その目的も潰える。

 しかも、彼らにとって難攻不落に思えた旅順要塞が陥落したことで、日本の軍事力への過大評価が、幻影となって彼らの神経を蝕み始める。

 以降、水平線の彼方に昇る煙を見ただけで、彼らは 「日本の巡洋艦隊の出撃か?」 と恐れおののき、それが無用の緊張となって、兵士たちの睡眠を妨げるようになる。

バルチック艦隊戦艦
▲ バルチック艦隊の戦艦

 艦隊を一つしか持たない日本海軍が、わざわざインド洋まで兵力を割くなどということはありえないのだが、疑心暗鬼に駆られたロシア海軍は、幻の日本海軍に悩まされながら、航海を続けなければならなくなる。

 発狂して海に飛び込む兵士も続出し、軍としての統制力もどんどん弛緩していく。

 このような難行苦行の航海を続けたバルチック艦隊を待っていたのが、あの日本海海戦の悲惨な結末なのだから、これはもう涙なくしては読めない話だ。

 『坂の上の雲』 という小説は、そのような “敵国” ロシアの兵士たちが立たされた苦境をも公平な視線で描ききった小説である。

 この物語を読むと、日露戦争の勝利が、けっして日本軍の “優秀さ” によってもたらされたものでないことが分かる。

 あの戦争は、欧米列強の政治的な思惑の中で繰り広げられた戦いで、戦況を支配するのは、諸外国の駆け引きをどう利用するかというその “読み” の力にかかっていた。

 強いていえば、当時の日本政府は、欧米列強の政治的な思惑を “読む” 力があったということでしかないのかもしれない。

 もう何度も読んだ小説である。
 何度読んでも飽きないものが、ここにはある。
 だから、寝る前には読まないようにしている。
 あまりにも面白いために、眠くならないからだ。
 気づいてみると、白々と夜が明けていたりすることもあった。

 私にとっては、 “健康を害する” 小説のひとつだ。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 01:15 | コメント(2)| トラックバック(0)

アントワネット

 日本公開からほぼ2年経って、ソフィア・コッポラ監督の 『マリー・アントワネット』 を観た。
 美しい映画だった。
 良い意味で、予想を裏切られたといってもいいかもしれない。

マリーアントワネット003

 「女性監督が描く、女性好みの映像」 という評判を聞いていたから、豪華絢爛なドレスや、食欲をそそるスウィーツの映像がふんだんに出てくるファンシーで、ファンタスティックな映画かと思っていたら、 「華やかであることは哀しいことである」 という哲学を貫いた映画だった。

 なにしろ、実際のヴェルサイユ宮殿を思う存分使った映画なのである。
 美しくないわけがない。

マリーアントワネット002

 あの宮殿を写真などで見た人は分かるだろうが、あれほどゴージャスで、壮麗で、ひとつの “小宇宙” とでもいうべき秩序感を持った宮殿というのは、ほかにはない。
 まさに、それ自体が巨大なアートである。
 そういう建築物を、それ以降、人類は作り出していないように思える。

 特にあの庭園は、人間の 「想像力」 との戦いの場といっていい。

ベルサイユ003

 いったい人間というのは、どれだけ 「豪華さ」 とか 「壮麗さ」 というものをイメージできるのだろうか。

 あの庭園の造形には、そういった人間の想像力に挑むような設計者と建築家の不敵な挑戦が見え隠れする。
 それは、まさに 「神の庭」 に近づこうとする意志とでもいうべきものかもしれない。 

 並木に両側を囲まれた池が、はるか地平線の向こうまで続くような視覚的効果。
 積み木細工のように均等に刈り込まれた植栽群が連なる幾何学模様。

ベルサイユ006

 それは、 「庭園」 などというシロモノではなく、長いこと 「文明」 と対立関係にあった 「自然」 をついに征服したという無邪気な人間賛歌が漂う 「数学的空間」 でもある。
 そこには、デカルト的な明晰さというものが、はっきりと映像的に表現されている。

 だから、哀しいのだ。
 そのような 「明晰な合理的空間」 というものは、いわば “神の英知” のみが維持できる空間であり、人間にとっては、やがてはそこから追放される 「エデンの園」 であるからだ。
 
 マリー・アントワネットとその夫であるルイ16世の悲劇というのは、そのような神の空間に間違ってさまよいこんでしまった人間の悲劇でもある。

 錠前を作ることと狩猟だけが唯一の趣味というルイ16世は、国王でありながら、国を統治するという意志も能力も持ち合わせてはいなかった。
 異国から嫁いできたマリー・アントワネットは、夜毎のパーティにうつつを抜かす以外に、フランス宮廷に溶け込む術 (すべ) を持たなかった。

マリーアントワネット001

 家柄と美貌だけが、人間の 「価値」 として認められる貴族のパーティでは、機知と反射神経に優れた者が人気者となる。
 
 当意即妙のユーモア。
 鋭敏な反射神経に支えられた軽妙なしぐさ。
 徹底的に軽薄であることが、とてつもなく洗練されたものになるという逆説。

 そこで繰り広げられるパーティの世界は、さながら今の日本のバラエティ番組のようだ。
 誰もが徹底的に表層的であることが望まれ、悩みや憂いは野暮なものとして退けられ、さげすまれる。

 山海の珍味と、奇想を凝らしたスウィーツを皿に盛った食事を食べることも 「ゲーム」 であるならば、世界の美術品に囲まれた部屋で暮らすことも 「ゲーム」 。
 恋愛も 「ゲーム」 。
 オールゲームの中に、人間としての気概も矜持も、砂糖菓子のように溶けていく。 

マリーアントワネット004

 そのような暮らしを続けてきたマリー・アントワネットとルイ16世は、民衆が蜂起してヴェルサイユ宮殿に迫って来ているというのに、それが 「危機」 であることを察知する感受性すら持たなかった。

 彼らはついに民衆に拉致され、人民裁判の行われるパリに馬車で移送される。

ベルサイユ004

 ヴェルサイユ宮殿を立ち去る二人の前に、朝日が昇る。
 壮麗な 「神の庭」 が、朝焼けの中に浮かび上がる。
 それを、馬車の窓から眺めるアントワネット。

 「並木を見ているのかい?」
 ルイ16世が、妻に優しく微笑みかける。
 
 「お別れを言っているの」
 とアントワネットは答え、夫に笑みを返す。

 もちろん、その後に、二人の首がギロチンによって切り落とされるという悲劇が待っている。
 しかし、その宿命すら、彼らにそれを想像する力があったかどうか。

ベルサイユ001
 
 ヴェルサイユの庭を立ち去る二人が何を意味しているのか、いうまでもないだろう。
 「エデンの園」 を追われるアダムとイブなのだ。

 彼らは罪を犯したのか?
 そうだとしたら、それは楽園の中で、あまりにも無邪気に生きてしまったという 「罪」 に過ぎない。

 そう思うと、ここには 「人間の悲劇」 の原型があるといわねばなるまい。

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音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 00:33 | コメント(0)| トラックバック(0)

未来は幸せか

 未来は人間にとって 「幸せな時代」 となるのか、どうなのか。
 まぁ、間違っても 「幸せな時代」 になると答える人は皆無…とはいわないまでも、少数派だろう。

 どちらかというと 「不幸な時代が来る」 …というか、もう 「滅亡の時代」 が近いという雰囲気を嗅ぎ取っている人もいるのではなかろうか。

 それは封切られる映画の流れを見ると、よく分かる。

 この度公開される 『2012』 みたいに、最近はやたらと人類滅亡をテーマにした映画が話題を呼ぶ。
 昨年も 『感染列島』 とか 『地球が静止する日』 などといった、地球のみんなが仲良く一緒にパニック…みたいな映画が脚光を浴びた。

2012ポスター

 どうやら人類は、 「明るい未来」 よりも 「絶望的な未来」 の方にリアリティを感じ始めたようだ。 
 そして、そういう時代が来るのを覚悟して、気分的な予行演習を始めたという感じがなきにしもあらずだ。

 確かに、ニュースから流れる言葉はみな暗い。
 「景気が2番底を打つ」 とか、 「大失業時代が来る」 とか、 「中小企業の倒産が増大」 とか……。

 そのような景気の落ち込みを背景に、日本の自殺者は11年連続で3万人を上回ったし、動機の分からない殺人事件がよく起こるようになったし、小学生のうつ病も増えている。

 世界的に見れば地球の温暖化、石油資源の枯渇が、相変わらずの大問題。
 さらに、日本の少子高齢化を尻目に、人口増加の一途をたどる発展途上国がもたらしそうな深刻な食糧危機。

 地球上のどこを見ても 「終末」 の色に染められてきた感じがする。
 21世紀に入ってもう10年が過ぎようというのに、気分はいよいよ 「世紀末」 だ。

2012スチール

 しかし、これと同じような光景を、かつても見たことがある。

 たび重なる十字軍の遠征で疲弊 (ひへい) した貴族階級の没落が始まり、国中にペストが広がり、至るところに 「魔女」 や 「死神」 が横行した中世ヨーロッパだ。

 もちろん、そんな時代に生きていたわけではないから、これもまた映画の話。

 1957年にイングマール・ベルイマンが撮った 『第七の封印』 は、まさに、あの時代に “人類滅亡” の瀬戸際に立たされた人々を描いた映画だったように思う。

第七の封印死神01
▲ 「第七の封印」 に登場する死神

 疫病と戦禍が絶えないヨーロッパの中世末期、どこの国でも一歩村を出れば病死か飢餓で命を失った人々の死体が、当たり前のようにゴロゴロと転がっていた。

 村の火葬場からは、毎日のように死体を焼く煙が上がり、それが空を不吉な色に染めていた。

 ペストに対する医学的知識のない当時の人々は、これを 「神の裁き」 と素直に捉える。
 誰もが、 「最後の審判」 がいよいよ近づいたと恐れおののいた。

 神の裁きの日を待てない人たちは、 「天国」 への入門キップを手にするために、裸体の自分にムチを打ちながら罪を懺悔し、血を垂らして町中を歩き回る。

 町の酒場では、
 「どこそこの村では、太陽が四つも昇った」
 「どこそこの村では、牛の頭を持った赤子が生まれた」
 ……などという、世の末を暗示するような風評がかけめぐる。

 人々は暗い未来に怯え、神に祈とうを捧げ、聖人たちの受苦に涙を流す。

 それでいて、不思議なのは、聖職者たちの前で涙を流していた村人たちは、今度は一転して、自分たちを見舞う不幸から目を転じるかのように、旅芸人のたわいない余興に腹を抱えて笑い転げる。

 その様子はどこなく今の日本に似ていなくもない。

 スピリチュアルブームのような霊的なものに過度に寄り掛かろうとしたり、バラエティ番組の末梢神経的な笑いにうつつを抜かしている我々は、気分的にはヨーロッパ中世末期を生きた人々と同じメンタリティを共有している。

 中世ヨーロッパの末期は、いまの時代と同じように、政治や経済の構造がかつてないほどドラスティックな変容を遂げようとした時代であった。

 具体的にいえば、重商主義貿易が勃興して、ブルジョワジーが台頭する時代の “前夜” だったし、イタリアでルネッサンスが開花し、 “脱キリスト原理主義” の思想が生まれようとしていた。

 このような、人々の意識構造を変えるパラダイムチェンジの時期が訪れると、既成の文化、宗教、権威などがガラガラと崩れ落ちるため、人々の精神はきわめて不安定な状態にさらされる。

 仮にその次の時代が、それまでの政治・経済・文化を一新する画期的なものであるにせよ、そんなことは、その渦中にいる人たちには分からないことだし、当然、未来に対する期待も生まれない。

 人間は、当たり前のように享受している今の生活に、ほんの少しの陰りが見えただけで、そこに 「滅亡の予兆」 を嗅ぎ取るものである。

 今日のわれわれは、盲目的に信仰していた 「経済成長神話」 が揺らぐのを見て、経済発展のない暗黒時代に突入していくような不安に駆られているが、  「経済成長神話」 を 「神」 という言葉に置き換えてみれば、われわれの見ている風景と、中世の人々が見ていた風景は、そんなに変わらないことに気づく。

 いつの世でも、パラダイムシフトが起こる時代というのは、 「終末」 の予兆に浸されるものだ。

第七の封印(死神とのチェス)
▲ 死神とのチェス (第七の封印)

 冷戦構造の終焉やグローバル資本主義の成立、エネルギー転換、経済ブロックの再編成など、世界史を大きく塗り替えるような大問題が立て続けに生じた現代社会は、人類に最大のパラダイムチェンジを迫っていることは間違いない。

 これだけの 「不安因子」 が多く揃っていれば、景気などよくなるわけがないではないか。
 そういった意味で、今は “第二の中世” なのかもしれない。

 ただ、一つだけ、彼らにあって、われわれにないものがある。
 それは 「死を受け入れる文化」 だ。

 彼らは日常的に死に接していたから、死を恐れる気持ちも強かったけれど、それを受け入れる 「文化」 もしっかり持っていた。

 映画 『第七の封印』 のラストシーンは、死者たちのハイキングのシーンで終わる。
 死んでいった者たちが、死神が案内するままに丘の稜線を歩き、生きている者たちの視線から遠ざかっていく。

第七の封印死者の行進

 彼らの行き先は、言うまでもなく 「冥界」 なのだけれど、不思議なことに、死者たちの足どりは、晴れた日のハイキングのように軽やだ。

 そののんびりした行進が、白日夢のように、丘の彼方に消えていく。
 それはどことなく平和で、のどかなエンディングに見える。

 「死」 の接近を拒み続けるわれわれは、必死になって健康管理に務め、アンチエージングに励み、老後の安定を支えるために貯蓄し、その結果、孤独死を迎えるか、あるいは婚活サギの異性に騙されて、すべて散財したあげく、自殺したように偽装される。

 われわれと、中世の人々は、果たしてどちらが幸せなのか。

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コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:40 | コメント(0)| トラックバック(0)

「激突」のスリル

 スティーブン・スピルバーグの幻のデビュー作ともいわれる 『激突』 を観た。

激突01

 この映画は、1972年に、スピルバーグが25歳のときに制作したもので、後に 『ジョーズ』 によって創造された新しい “戦慄” の実験場となった作品である。

ジョーズポスター

 『ジョーズ』 で新しいスリルとサスペンスの手法を確立したスピルバーグは、さらに、 『インディー・ジョーンズ』 、 『ジュラシック・パーク』 と続くヒット作で、その名を不動のものにする。
 『激突』 は、その “巨匠” の名称を欲しいままにするスピルバーグのデビュー作だから、早いうちから伝説化された 「幻の作品」 として語られてきた。

 だから、あえてストーリーを紹介するまでもないと思うのだが、簡単に要約すると、のろのろ運転をしているタンクローリーに業を煮やした男 (主人公) が、そのタンクローリーを追い越したところ、相手の運転手に逆ギレされ、しつこく追い回されるという話である。

激突03

 それだけで、この映画が低予算でつくられたB級映画であることが分かる。
 もともとテレビドラマ用につくられた作品で、アメリカでは劇場公開もされていないという。

 観客はまず、そのあまりにもシンプルな設定に驚く。
 登場人物はというと、いろいろなエキストラはたくさん出てくるが、基本的には主人公のセールスマンただ一人。
 使われる大道具は、乗用車1台と、タンクローリー1台だけ。

 これだけの設定で1時間29分のドラマを、観客に最後まで飽きさせことなく描き切ってしまうわけだから、確かに凄い作品には違いない。

激突02

 ただ、見終わって、漠然と期待していたものとは違った映画だったように思えた。

 まず、設定にリアルさを感じなかった。

 というのは、日本ではありえない話だからである。
 タンクローリーが乗用車をどこまでも追い回すことは、対向車もほとんどなく、地平線の果てまで一直線の道が続くようなアメリカ大陸だからこそ可能になる。
 日本で同じことをやろうとしたら、すぐ渋滞に巻き込まれるか、あっという間に民家に飛び込むかのどちらかになってしまう。

 本当に面白い映画ならば、そういうロケーションのローカリティなどを感じさせないものなのだが、画面を見つめているうちに、ついついそんなことを考えてしまうということは、それだけ自分が熱中していなかったという証拠になる。

 実はこの映画、昔からいろいろなレビューを見ていたから、
 「トラックの運転手の顔が最後まで分からない」
 とか、
 「主人公を追い回す動機がはっきりしない」
 という話に期待を寄せていた。

 だから、タンクローリーがじわじわっと不条理な怪物になっていく瞬間を今か今かと待ちわびていたのである。

激突04

 しかし、そのタンクローリーが怪物に生まれ変わる “変身の時” はついに訪れることはなく、タンクローリーは最後まで、ただの 「暴走トラック」 のまま終わった。

 そこには映画的な 「スリル」 はあるものの、それは、 「異界」 に触れたときの言葉を失うようなスリルではなく、つい悲鳴が上がってしまうカーチェイスのスリルであり、巨大なトラックが迫るときの物量感から受けるスリルである。

 ある意味で、ハリウッド製アクション映画の常道がここでも繰り返されていたといえよう。
 低予算で仕上げたB級ドラマも、高コストでつくらたハリウッド大作も、テンションの高め方においては、基本的に変わらない。

 どんなにそのトラックの存在が不条理に描かれても、そこからは、心を震撼させるほどの恐怖というものが何も迫り出してこない。

 スピルバーグという人の個人的な資質なのか、あるいは民族・文明・風土的な資質なのか分からないけれど、ヨーロッパ映画のアントニオーニやベルイマンたちがその作品の中にしのばせる、 《世界》 の崩壊に立ち会うような存在論的な怖さというものがここにはない。

激突01

 アメリカのアクション・ホラー系映画では、狂人がナタを振り回すような恐怖は描けても、普通の人間が鋭利なナイフを隠し持って近づいてくるような怖さは描けないのかもしれない。

 ただし、それは好みの問題であって、 「狂人の振り回すナタ」 にスリルを求める人たちは、この映画にハリウッド・アクション映画のすべての原型を見出すことだろう。



音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 02:58 | コメント(4)| トラックバック(0)

「素数」 の神秘

 高校生の頃、 「数学」 が苦手だった。 (今でもそうだ)
 10段階の通信簿で、最高評価が 「2」 だったし、数学のテストでは、代数も幾何も、100点満点で2~3点を取るのが精いっぱいだった。

 「国語」 とか 「倫理社会」 とか 「歴史」 ってのは、まぁまぁの点を取っていたから、いわゆる “文科系” ってやつなんだね。

 それでも、数学って面白いと思うのだ。
 数式が出てくると、もう何が何だか分からなくなるけれど、考え方を変えれば、こんなに文科系人間の脳髄を刺激してくれる学問もないのではないか、と思うのだ。

 だから、 「フェルマーの定理」 とか、 「ポアンカレ予想」 とかいう “数学の謎” みたいな話になると、妙にワクワクしてしまう。

 「NHKスペシャル」 は、ときどき 「数学」 にまつわるエピソードをドラマ仕立てで見せてくれるけれど、こういう番組は本当に面白いなぁ…と感心する。

NHKスペシャル「魔性の難問」01

 さっきまで、 『魔性の難問 ~ リーマン予想・天才たちの闘い~ 』 という番組をやっていたけれど、こいつは本当に面白かった。

 「魔性の難問」 というのは、数学上の 「素数」 のことをいう。

 「素数」 というのは、1とその数自身以外のどんな自然数によっても割り切れない、1 より大きな自然数のことである。 (Wikipediaより)

 「素数」 は、2、3、5、7、11、13、17、19、23……と続き、それが無限に存在するというのは、紀元前3世紀頃のユークリッドの原論において既に証明されていたという。

 この 「素数」 を順に並べていくと、2、3、5…というように、立て続けに表れる場合もあれば、72個も表れないこともあったりして、まったく気まぐれ。
 究極の整合性を約束する 「数学」 の領域で、まったく整合性を持たない数列なのである。
 
 ところが、多くの数学者は、この一見無秩序でバラバラな数列にしか見えない 「素数」 が、実は、なんらかの 「意味」 を持っているのではないか? …と昔から考えていたらしい。

 その 「意味」 とは何か?

 番組では、レオハルト・オイラーという18世紀の数学者のことが紹介されていたが、この学者が、無秩序の極みともいうべき 「素数」 の配列に、きわめて合理的な法則性がありそうだと気づいたという。

 彼は、 「素数」 の一見アットランダムな配列を、ある数式で読み解くと、それが見事に 「π (パイ) の2乗を6で割ったもの」 に統一されていることを発見したらしい。

 残念ながら、私には数学的素養がないので、その数式をここで再現することができないけれど、どうやら 「素数」 というのは、人智の及ばない “宇宙的合理性” を反映したものではないか? という認識がそこから生まれてきたという。

 このオイラーの発見を、さらに緻密に分析した人が、19世紀の数学者で、ベルハルト・リーマンという人だった。 

NHKスペシャル「魔性の難問」リーマンさん
 ▲ リーマンさん

 彼は、オイラーの見出した式をさらに徹底させ、ランダムに存在すると思われていた 「素数」 が、ある数式に置き換えてみると、計算した範囲においては一直線上にきれいに並んでいることを発見したという。

 こいつを 「ゼータ関数」 とかいうらしいのだが、残念なことに、私にはそのカラクリはよく分からない。

 分からないなりに書くと、その 「ゼータ関数」 的に計算すると、おそらくすべての 「素数」 はきれいに一直線上に並ぶはずだと、リーマンは予想したという。
 そいつを 「リーマン予想」 というのだそうだ。 

 以降、 「素数」 に関する研究は、このリーマン予想が正しいかどうかということの証明に費やされるようになる。

 ところが、これは実に大変なテーマで、 「素数」 のからくりに迫ろうとすればするほど、 「素数」 の正体は遠のいていく。

 数学というのは、合理的な計算能力と同時に、哲学的直感ともいえる能力が要求される世界らしく、どの数学者も、自分の計算力と想像力のギリギリのところで格闘せざるをえなくなる。

 つまりは、人間の脳を極端にいじめる作業ともなるのだ。
 そのため、失意のうちに研究を打ち切るか、精神を病んでしまった学者も多数いるという。

 それにしても、なんでそんなことに、世の数学者たちは血道を上げるようになったのか。

 彼らはどうやら 「素数」 が、宇宙を形成する根本的原理を解き明かすものではないか…と考え始めたらしいのだ。

 近年の研究によれば、この 「素数」 というのは、数学上の問題にとどまらず、原子や素粒子などを研究する現代物理学との関連性が強まっていることが分かってきたという。

 文科系人間の私がいうのだから、表現的には間違っているのかもしれないけれど、どうやら 「素数」 の数式的な表現が、原子核のエネルギー運動を表現するときの数式と同一であることが判明したらしい。

 こいつは大変な話題となって、ついには数学者と物理学者が合同したシンポジウムなどが営まれるようになったそうだ。

 番組は、フランスのルイ・ド・ブランジュという数学者が 「リーマン予想」 の証明に成功したが、それが正しいかどうか、世の数学者たちの検証を待っている段階であることを告げて終わった。

 しかし、それにしても、この欧米の数学者たちの一途な研究欲は、いったいどこから生まれてくるのか。
 そこには、一種の神がかり的な信念があるように思う。
 やはり、一神教的な精神風土の賜物 (たまもの) と言わざるを得ない。

 彼らの中には、 「素数」 が宇宙の創造主からのメッセージではないかと考えている人もいるという。

 これははっきり言って、 「インテリジェント・デザイン」 の思想である。

 インテリジェント・デザインというのは、この 「宇宙」 というのは、高度に知的な何者かによって、巧妙に設計されているという世界観を意味し、 「キリスト教の神」 という言葉を使わずに、その超越的なるものの存在を証明しようという考え方をいう。

 つまり、 「素数」 は、彼らの頭の中では、 「数学」 を離れて 「神学的」 な問題となっているのだ。

 「素数」 がなんらかの 「意味」 を持っているのではないか? …というような想像力は、一神教的な精神風土からしか生まれてこないように思う。

 そういう思考様式に、私は異を唱えるような力も感覚も持ち合わせていないけれど、欧米人というのは、 「意味」 を追求する姿勢に関しては、われわれ日本人とは異なる情熱の持ち主であることだけははっきりと感じた。

 そういう風に考えると、 「数学」 を考えることは、 「宗教」 とか 「哲学」 を考えることにつながる。
 きわめて、文科系的な問題だと分かってくる。
 興味は尽きない。

 関連記事 「進化論は正しいか」


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:37 | コメント(4)| トラックバック(0)

我等同じ船に乗り

 日本の 「小説」 というのは、もしかしたら 「昭和」 で終わってしまったのではないか。
 そんな思いを強くさせられたのが、 『我等、同じ船に乗り』 (文春文庫) という本だった。

我等、同じ船に乗り

 ここには、松本清張、太宰治、谷崎潤一郎、坂口安吾などはじめとする昭和を代表する作家たちの短編が、ちょっと独特の視点を通して集められている。

 著名作家の作品ばかり集めたアンソロジー (選集) 自体は珍しいことではないが、この本がユニークなのは、それらの短編を選び出した 「編者」 が、桐野夏生氏であるということだ。
 つまり、この短編アンソロジーは、作家・桐野夏生が、読者として選んだ 「心に残る物語」 集なのだ。

 選ばれた作品は下記のとおり。 (括弧内は発表年)

 「孤島夢」 島尾敏雄 (昭和21年)
 「その夜」 島尾ミホ 
 「菊枕」 松本清張 (昭和28年)
 「骨」 林芙美子 (昭和24年)
 「芋虫」 江戸川乱歩 (昭和4年)
 「忠直卿行状記」 菊池寛 (大正6年)
 「水仙」 太宰治 (昭和17年)
 「ねむり姫」 澁澤龍彦 (昭和57年)
 「戦争と一人の女」 坂口安吾 (昭和21年)
 「続戦争と一人の女」 坂口安吾 (昭和21年)
 「鍵」 谷崎潤一郎 (昭和31年)   

 桐野氏が、これらの作品を選んだ基準は何であったのか。

 「私の最近の好みは、 “生々しい小説” に尽きる」
 と語る桐野氏は、
 選考の基準として、
 「作者の生理が感じられるもの、そして、どうしてもこれを書きたかったという切迫感のあるもの」
 に絞ったと、 「あとがき」 に書く。

 「作家は、自分の生理を感じさせないように、自分という人間が出ないように粉飾する一面もある。
 それでも生理が滲み出る作家は、なるべくして作家になった人々である。
 さらに、切迫感がある小説を書ける作家は、自分をさらけ出す勇気がある。というか、自分が何と思われようと、どうでもいい人々だ」

 桐野氏は、そう前振りをしてあとで、
 「そんなわけで、粉飾の感じられない10人の作家、11の作品を選んでみた」
 と続ける。

 「…粉飾の感じられない」 という言葉を、 「リアルなものへの手応え」 と訳してみると、そこには、ある一つの共通したものが浮かび上がってくる。

 選ばれた作品をみると、例外はあるが、ほとんどが 「昭和」 に書かれたもので、しかも、その大半が第二次世界大戦直後に発表されたものに集中している。
 つまり、編者の桐野夏生は、 「自分がリアルなものを感じた小説」 として、日本の終戦直後に書かれたものを意図的に選んだということになる。

桐野夏生1

 第二次大戦が終結し、日本全体が焦土となり、誰もが 「生きる」 こと以外のことを考えられないような時代が訪れ、かつ日本人全体がそれまでの価値観に大きな転換を迫られた終戦直後。

 桐野夏生氏が選んだ 「自分の好きな小説」 は、みなそのような時代に生まれてきたものばかりだ。

 このことは、また作家・桐野夏生が、自分の創作活動の原点をどこに据えているかということも物語っている。

 結論から先に言ってしまうと、ここに集まった作品には、そのどれをとっても、どこかに 『OUT』 の雅子が潜んでおり、 『ダーク』 のミロが隠れていて、 『グロテスク』 の “わたし” が顔を覗かせ、 『魂萌え』 の敏子の後ろ姿が見える。

 編者・桐野夏生が、このアンソロジーのタイトルを 『我等、同じ船に乗り』 と決めたことは示唆的である。

 それは作家としての桐野夏生が、 「人間」 というものを同じ視点で眺めた先達たちと 「世界」 を共有しているという思いからだけではなく、作者が描いた人物たちもまた、なぜか、同じ船の切符を買ってしまった人々なのである。その船が、ひたすら大海だけをめざす停泊地を持たない 「孤船」 であることを知りながら。

 とにかく、ここに集められた 「昭和の作品群」 には、圧倒された。
 「日本の小説は、昭和の時代に終わってしまったのではないか?」 という思いは、もう最初の数編を読んだだけでこみ上げてきた。

 私は、最近の若い作家の小説も読まないではないが、なかなか最後まで読み通したものが少ない。
 最近の小説は、文庫本でも単行本でも、活字が大きく、行間もたっぷり取られ、読みやすい構成になっているのだが、なぜか、とても疲れてしまうのだ。

 途中まで読むと、結論が見えてしまうものもあり、その結論に至るまでの残されたページの量をみると、読み通す気が萎えてしまうものも多い。

 しかし、このアンソロジーは、活字がびっしりとページを埋め尽くし、黒々とインクが盛り上がっているようなものばかりであったにも拘わらず、読み始めると、すらすらと進んだ。

 恥ずかしながら、ルビがないと読めないような漢字も出てくるのだが、それも気にならなかった。

 昔の小説は、難しい漢字が出てきても、今のように親切にルビを振ったり平仮名に直したりということはなかった。
 それでも、何度かその漢字を見ているうちに、読み方も意味も覚えられるようになっていた。
 今回は、久しぶりに、その感覚がよみがえった。

 だから、ページの隅々にまで目を通し、細部の描写を噛みしめ、主人公の気持ちの動きを追っていくことが面白くてしょうがなかった。

 そういう経験を、最近の若い作家たちの書いたものから与えられたことがない。

 何が違うのだろう。

 やはり、 「戦争」 を見てしまった作家たちと、それを知らない作家たちとの違いという、ごく単純なところに行き着くほかはないと思った。

 「悲惨な戦争を自分で体験すれば、表現力が身につく」
 …そんなことをいうつもりはない。

 むしろ、 「言葉を失う」 ような世界を見て、文字どおり 「言葉を失った」 体験があるかないかの違いだろうという気がした。   

 桐野夏生氏は、この本の前に出した 『対論集・発火点』 において、こう語っている。

 「私たちの言葉も教育等で得た経緯からして、コストのかかった特権階級のものなんですよね。
 だからアフリカやインドといったところの、ものすごく貧しい地域の言葉にもならない苦しみというものは小説家は書けない。
 だから小説を書くということは、冷たい風がビュービュー吹いているようなところでやっている仕事だと思う」 (柳美里氏との対話)

 戦争を生き抜いた昭和の作家たちは、一度はみな 「言葉にもならない貧しさと苦しみ」 が残されている場所に立った。

 彼らは、 「聖戦」 を主張した日本政府の崩壊を目の当たりに眺めながら、 「平和と民主主義」 を標榜する新しい時代のイデオロギーにも組みせず、死んでいった者たちの記憶をたどりながら、 「生と死を分けた」 ものは何かと考えた。

 そのとき、おそらくそれを説明する 「言葉」 などなかったろう。
 たぶん、そこは 「冷たい風がビュービュー吹いている」 場所だったのだろう。

 その中で、彼らは 「自分の生」 を成り立たせるものの根源を考えた。
 あらゆる価値観が錯綜していた時代だから、 「思想」 とか 「イデオロギー」 に寄り掛かることはできなかった。
 自分が生きている、…というたったそれだけの 「事実」 から、トンネルを穿 (うが) つしかなかった。

 だから、このアンソロジーに集められた作品からは、みなものを根元的な場所から眺めた人々のリアルな眼差 (まなざ) しが伝わってくる。
 桐野夏生氏の感じた 「作家の生理と切迫感」 というのは、まさにそのことを言っているのだろうと思う。

 それに比べると、 「思想」 とか 「イデオロギー」 などが死滅してしまったといわれる今の時代を生きる作家たちの方が、よほど人間をイデオロギッシュに捉えているように思える。
 あらかじめ 「人間とはこうだ」 、 「ドラマとはこうだ」 という方程式を頭の中に詰め込んで、それを機械的に消化しながら小説を書いているように感じられる。

 そういう小説は、どんな “予想外” の結末を持ってこようが、結局は 「予定調和」 の構造に収まってしまうしかない。

 しかし、この作品集の中に収められた人物たちは、そうではない。
 誰もが、どう転ぶか分からないギリギリの場所に立っている。

 それは文字通り 「生と死」 が交差するギリギリの場所であり、人間としての 「矜持 (きょうじ) 」 が保たれるかどうかというギリギリの場所であり、 「倫理」 が問われるギリギリの場所であり、 「男と女」 が間合いを取るギリギリの場所である。

 そして、どの作品を読み終えた後にも、必ず 「人間というのは、何をやらかすか分からねぇなぁ…」 という戦慄が身体の中をかけめぐる。

 不思議だったのは、これらの作品の向こう側に、必ず 「桐野夏生」 という作家が見えていたということだ。
 ときどき、みな彼女の作品ではないか? と錯覚することすらあった。

 逆にいえば、そういう効果が生まれなければ、この種の企画は成功したとはいえない。

 私も、昭和の作家の書いた小説になじんできた人間の一人だと思っていたが、今回のアンソロジーに集められた11編の小説のうち、かつて読んだことのあるものは2編しかなかった。

 このアンソロジーが出なければ、それらの作品には一生無縁であったかもしれないと思うと、こういう企画が出てきたことは貴重なことだと思う。

 関連記事 「対論集・発火点」


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 00:33 | コメント(0)| トラックバック(0)

携帯電話の恐怖

 「ホラー」 というのは、映画にしても、小説にしても、それを生理的に嫌悪する人と、マニアックにのめりこむ人と、好みがはっきり分かれるジャンルのような気がする。
 うちのカミさんなんかは、ホラーを極端に嫌がる。
 たまに、ちょっと 「怖いネタ」 に話を振ると、 「あなたの顔だけで十分」 と、私のことを巨大化したゴキブリでも見つめるような眼で、露骨な嫌悪感を示す。

 『20世紀少年』 がテレビで話題になっていたとき、そぉっと後から、
 「あそぼー」
 っと声かけたら、いきなり電気掃除機の柄で、引っ叩かれたことがあった。
 あれは、ホラーというわけでもねぇのにな…。

 ま、私自身は、昔から怪談話が好きで、A・E・ポーとか、ブラックウッドのような怪奇小説風味の短編とか、SFでも、レイ・ブラッドベリの幻想的ライトホラーみたいな小説を好んで読んでいた。

 そんなわけで、古典的なホラーのスタイルというものはよく分かっているつもりなんだけど、やっぱりホラーというのは、時代によって変るものだという印象を、最近は強く持つようになった。

 ちょっと前、 『トリハダ』 というホラー・テレビドラマを観たときに気づいたのだけれど、いかにも 「現代のホラー」 だなぁ…と思ったのは、携帯電話の使い方だった。

 携帯電話に着目した最初のホラー作品としては、秋元康の 『着信あり』 がある。

着信あり01

 便利なアイテムとしてすっかり定着した携帯電話が、 「死のメッセージ」 を送ってくるというところが、なんとも怖い話だったが、着眼点そのものが、いかにも現代的だと思った。

 TVの 『トリハダ』 シリーズにも、携帯電話がよく登場する。
 もちろん、電話そのものが 「恐怖の小道具」 として描かれる話もあるのだが、そうではなく、友だちとの会話や恋人との連絡を務める道具として、しょっちゅう携帯電話が使われる。

 しかし、電話の向こう側にいる人間が、はたして本当に 「友だち」 なのか? …と考えると、それを保証する根拠は、実は何もないのだ。

 声が 「友だちの声」 だ。
 相手がしゃべる内容に、それまで共通の話題を交わしていた者同士の連続性がある。
 
 かろうじて、それだけが、電話の主を確定する根拠となっている。
 だけど、それは本当に、相手が自分の友人であることを実証する根拠となりうるものなのか?

 「振り込め詐欺」 の例をあげるまでもなく、巧妙に仕組まれたワナに、人間はコロっと騙される。
 声が似ていれば、しらばく話してから、間違い電話だったことに気づくこともある。
 ましてや、「友だち」 と信じていた相手が、妖怪 (のような邪悪な存在) だったら?
  
 一度そのことに気づくと、電話というものが、はたして 「何と何をつなげるものなのか?」 という根本的な疑問に遭遇する。
 電話のつながった向こうの世界が、 「この世」 であるとは限らないのだ。

 このような恐怖は、同じ電話でも、まだ固定電話の時代にははっきりと見えてこなかった。

 固定電話は家族全員で使うものだから、話したい相手がすぐに電話口に出てくれるとは限らない。
 たとえばガールフレンドと電話で話したいと思っても、固定電話の場合は、口うるさい彼女の親父に取次ぎを頼まなければならないこともあるだろうし、家族が聞き耳を立てているかもしれないので、込み入った話もできない。

 だから、固定電話の時代は、相手と確実なコミュニケーションを取ろうと思ったら、結局は、顔を合わせて話し合うしかなかった。
 しかし、その非効率性との引き換えに、相手の意志も、その信頼性も把握することができた。

 ところが、パーソナルに使える携帯電話は、面と向かって話さなければならないという面倒くさい手続を解消した。
 いつだって、どこだって、話ができるし、話さなくてもメールの交換ができる。

 だから携帯電話の普及は、他者との距離を一気に縮めたかのように思える。

 しかし、実は、距離は遠のいたのだ。
 親しいはずの “相手” の影が不鮮明になり、かろうじて 「声」 と 「文字」 だけが、相手とつながるツールとして残されたに過ぎない。
 そこに、現代の恐怖が入り込む 「隙間」 が生まれた。

 これを即物的な言葉で言い直すならば、違法ドラッグの売買でも、援助交際の誘惑でも、殺しの請け負いでも何でもアリの無法地帯が、まったく悪びれることもなく日常生活へ侵入してきたことを意味している。

 携帯電話という、パーソナルな通信機関の完成形態のようなものを手に入れた現代人は、ある意味で、究極の個人主義を実現したともいえる。

 しかし、そのような 「個」 の極北に立った人々が目にしたものが、不安に彩られた茫漠たる 《荒野》 だったとは。
 これを 「文明の皮肉」 といわずに何といおう。

 さて、その 『トリハダ』 (YOU TUBE) から、携帯電話の怖さを語る一篇をひとつ。
 深夜に、独りで見ないように。





コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 02:06 | コメント(2)| トラックバック(0)

音に色が見える

 フランスの詩人アルチュ-ル・ランボーは、 「オレは母音の色を発明した」 と書く。

 「A は黒、E は白、I は赤、U は緑、O は青…」 ( 『地獄の一季節』 「錯乱Ⅱ」 )
 
 それを、たまたまラジオのフランス語講座で聞いたことがあったけれど、原語の発音には、 「アーノワール、ウーブラン、イールージュ……」 というような、アフタービートのグルーブ感があって、その色彩的な鮮やかさと韻律の躍動感に、 「詩人のイマジネーションというのはすごいもんだ!」  とほとほと感心したことがある。

アルチュ-ル・ランボー肖像
 ▲ アルチュ-ル・ランボー

 しかし、文字が色を持っていたり、ある種の音楽性を持っているということを、イマジネーションを駆使した 「比喩」 としてではなく、実際に 「感覚」 として感じている人たちがいる。

 「共感覚」 といわれる特殊な感覚を持って生まれた人たちのことだ。
 
 これをひと言で説明するのは難しい。

 なぜなら、普通の人には、
 「文字に色が見える」
 「音に色が感じられる」
 「風景に匂いが漂う」
 「女性の性周期に色があり、音が鳴っている」
 ……などという感覚をなかなか理解できないからだ。

 しかし、世の中には、そのような感覚を身につけている人が10万人に1人、あるいは2万人に1人ぐらいの率で存在するという。

 彼らの間では、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などという人間の 「五感」 が分節されることなく、フラットに並立し、それが様々な形で共振・共鳴しながら、独特の感覚世界をつくりあげている。

 そのような感覚を 「共感覚」 というが、そういう感覚を持っている人は、
 「Aさんが右を向いた姿は、紅色の曲線が施された柔らかい円柱の姿である」
 とか、
 「このお菓子の匂いはト長調の薄い黄色で、食べてみても、ト長調の薄い黄色の味だった」
 などという経験を日常的に味わっているのだそうだ。

 この共感覚を持った1人の男性が、自分自身の体験を振り返りながら、なぜそのような感覚が生まれてくるのか、またそれが人間にとって何を意味しているのか……ということを追求したのが 『音に色が見える世界 「共感覚」 とは何か』 (PHP新書) という本である。

音が色に見える世界表紙

 著者は1982年生まれの岩崎純一氏。
 彼は、圧倒的に女性に多いといわれる共感覚者のなかで、貴重な男性体験者でもある。

 この本が面白いのは、岩崎氏が、自らの体験と様々な先行研究を踏まえて、独自の仮説を立てているところにある。
 それは、
 「共感覚者の脳の構造と機能は、人類が言語を獲得する以前の感覚ではなかろうか?」
 あるいは、
 「人の感覚は、大人になるにつれて記号的・抽象的に分節化してしまうものだが、共感覚というのは、そうなる前の幼児期に共通して見られる感覚ではないか?」
 というものである。

 そこから、さらに彼はこう考える。
 「共感覚者は女性に多いといわれるが、それは、男性の方が共感覚を失ってしまったということではなかろうか」

 つまり、かつての人類は、みな共感覚を持って 「世界」 を見ていた。しかし、ある時を境に、男性は共感覚など持たなくても生きていける社会を手に入れた。
 岩崎氏の研究は、そこから独自の境地を突き進んでいく。
 
 男性から共感覚を失わせてしまった社会とは、どんな 「社会」 なのか。

 岩崎氏はそれを、英語が 「国際語」 として全地球規模に蔓延した 「社会」 だと捉える。

 彼にいわせると、欧米語というのは、元来記号的・抽象的な性格の強い言語であるが、特にアングロサクソン民族の使っている英語というのは、 「世界」 を機能的に分節する力が強く、それが 「国際語」 として特化していくなかで、さらに機能性と実用性を全面に打ち出すような言語として完成していったという。
 
 つまり、 「見る」 という言葉を、 「see」 、 「look」 、 「watch」 などに分け、 「聞く」 という言葉を 「hear」 、 「listen」 などに分類し、それぞれに厳密な定義を与え、状況によって使い分けることで、 「自己」 と 「他者」 との関係性を明確にするように発展してきたのが、英語だというわけだ。

 そのような言語体系が明治期に日本に導入され、日本語は質的に大転換を遂げることになった。

 幕末から明治にかけて、日本語がどのように変わったか。
 次のような言葉を見ると、それがよく分かる。

 自由、進化、観念、民族、革命、科学、哲学、思想、経済、階級、時間、空間、文学、美術、失恋 ……

 これらの言葉を使わないと、もう現代社会を語ることなどできないが、このような日本語は、すべて欧米の言葉に対応する概念を、いかに日本の言葉で表すか、という幕末・明治の日本人の骨身を削る努力の末に生まれた 「和製漢語」 なのである。

 もちろん、字面は日本人に見慣れた漢字であったが、それは今までの日本人の理解力を超えた新しい言葉であり、当時の日本人にとっては “外来語” のようにしか映らなかっただろう。

 つまり、このとき日本語は “英語化” されたのだ。
 日本人が欧米の言葉を使うということは、その思惟の骨格も欧米化するということになる。

 思惟の骨格が変わるということは、感覚も変わることを意味する。
 当然、 「自然」 を観る目も変わる。

 “花鳥風月” をベースにした日本的な 「自然観」 はあいまいで情緒的なものだと嫌われ、自然科学の対象となるような、“客観的自然” というものが、日本人の間にも尊重されるようになる。
 
 そのときに、性周期を持ち、出産も経験する女性は、身体の中に流れる 「自然性」 を完全に捨て去ることができなかったが、そのような 「自然性」 を身体的に持たない男性は、いとも簡単に 「人工的」 な世界観を持つ英語的文化に染まるようになった。
 岩崎氏は、女性に比べて共感覚を持つ男性が減ってしまった理由を、そこに求める。

 英語文化が日本に浸透するようになり、日本人の感覚が劇的な変容を遂げたことに対し、現代人はあまりにも無頓着になっている。
 しかし、例を挙げていけば、その変貌ぶりが手に取るように分かってくる。
 
 たとえば、それまでの日本人は、 「blue (青) 」 と 「green (緑) 」 を分けるような色彩感覚を持ってはいなかったが、欧米語が導入されることによって、日本人にもはじめて 「青」 と 「緑」 の色が違う色として認識されるようになった。

 また、現在のわれわれは、 「赤」 と 「青」 の2種類の色があったとき、ほとんどの人が何の疑問も抱くことなく、
 「赤は熱く、青は冷たい」
 と感じる。

 しかし、それこそ、 「欧米のキリスト教文明圏の聖職者や科学者のイデオロギーを反映した色彩感覚だ」 と氏は語る。

 それは科学の言葉であるように見えながら、実は科学でも何でもない。
 実際に、ロウソクのいちばん高温部は炎の青い部分であるし、夕焼けや朝焼けのように、太陽が低くて気温が低くなる時刻帯こそ、陽は赤くなる。
 「赤は熱く、青は冷たい」 という感覚は、欧米文化圏だけに流布している “神話” に過ぎない。

赤白の壁

 では、そういう欧米的な色彩感覚を受け入れる前の日本人は、自然界の 「色」 をどのように見ていたのだろうか。
 
 人間が色をどのように識別していたかという研究は、いろいろなところで進められているらしいが、多くの研究によると、昔の日本人の色彩感覚は、欧米人の感じる 「color」 とはかなり異なるものであったらしい。

 色には、 「色相」 と 「彩度」 と 「明度」 がある。
 「色相」 というのは、 「赤」 とか 「青」 といった、いわゆる現代人が色を識別するときの常識となっているような色の違いをいう。
 「彩度」 というのは、原色に近いか、それとも色が混じり合って鈍い色になっているかどうかを識別するものだ。
 「明度」 は、明るさである。

 そのように色を分析した場合、明治期までの日本人は、基本的に 「彩度」 と 「明度」 には敏感だが、 「色相」 に関しては、それほど関心を払っていなかった。
 だから、たとえば 「あか」 という色は、日本人にとっては 「光のある色」 、 「明るい色」 を意味するに過ぎず、古代人は、現代の色相では 「黄色」 に分析されるような色ですら 「あか」 と呼んでいたという。

 基本的に、日本の色彩語には 「あか・あを・しろ・くろ」 の四語しかなく、 「あを」 「しろ」 「くろ」 に入らない色は、すべて 「あか」 と呼ばれていたらしい。

 このように書くと、いかにも、英語の方が厳密に、正確に 「色」 を捉えていて、日本古来の色彩感覚の方が、いい加減で幼稚であるように思えてくる。

 しかし逆なのだ。

 英語文化圏でいう 「色」 がすべて 「色相」 だけに固定化された概念に過ぎないのに比べ、日本語の 「色」 は、もっと多様なニュアンスを含みもった概念として流布していた。

 日本語の 「色」 は、単なる視覚・色覚を表現する言葉ではなく、たとえば 「色事」 、 「色好み」 などという言葉に象徴されるように、男女間に交わされる触覚、聴覚、嗅覚などを総動員したある種の 「情緒」 や 「情感」 を表現する言葉でもあったわけだ。

 それは、ある意味で日本語の “豊かさ” であったといえるかもしれない。

 岩崎氏の考察がユニークなところは、古来の日本人の使っていた 「やまと言葉」 こそ、共感覚者の感じる世界を表現した言語であったと喝破したところである。

 氏は、緻密化し、抽象化していった英語文化が駆逐していった 「やまと言葉」 の中にこそ、 “生の手応え” を感じるという。

 たとえば 「にほひ」 という古語は、現在は 「匂い」 と書かれ、英語の 「smell」 の同義語として扱われている。
 しかし、 「にほひ」 または 「にほふ」 という言葉は、古語では単に嗅覚的表現にとどまらず、視覚的であり触覚的な広がりを持つ言葉であったとも。
 
 「そのような 『にほひ』 という言葉の感触を、脳の次元でも言葉の次元でも、現代の日本人男性は失ったのではないか」
 と、氏はいう。

 現在、このような失われた共感覚への “郷愁” が、奇妙な形で復権しようとしていることを、氏は嘆く。

 「共感覚を失った人が、それを取り戻そう思って、人工的に共感覚をつくろうとする動きが出ている。
 それが今流行の右脳トレーニングや、安易なスピリチュアルブームや、小手先だけの美術館めぐりなどだが、 (それでは) 本当に、人として豊かな感性に達することはできない」

 氏はいう。
 「古典を読まない共感覚研究は、今に行き詰まる」

 ともすれば、擬似科学や自己啓発本のヒントになったり、オカルト文学の材料になりそうな 「共感覚」 に対し、大事な警告だと思う。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 05:26 | コメント(6)| トラックバック(0)

貧しき漁師

貧しき漁師001

 昔、シャバンヌの 『貧しき漁師』 という絵を見て、とてつもなく感銘を受けたことがあった。
 見たのはもちろん実物ではなく、美術書に掲載されたカラーグラビアでもなく、市販の日記帳の片隅に印刷された小さなモノクロ画面にすぎなかった。

 なのに、この絵に漂っているいい知れぬ寂寥 (せきりょう) 感が、じわりと私の心をつかんだ。
 中学生時代 …… たぶん14~15歳ぐらいの頃だったと思う。

 その頃から備忘録として付け始めた日記帳の片隅に、いつも詩人や評論家の書いた短いエッセイや、ポエムや、美術解説などが寄せられていた。

 ある日、日記を書こうと思って開いたページに、このシャバンヌの絵が載っていたのだ。

 その絵から溢れてくる 「暗く沈んださびしさ」 と 「物憂い静けさ」 に、なぜか私は目をそらすことができなかった。
 結局、しばらくの間日記を書くのも忘れ、その小さなモノクロの絵を眺めていたと思う。

 この絵の何が思春期の自分を惹きつけたのか分からない。
 「日記を書く」 という自分の内面と向き合う作業を強いられる行為の中で、ちょっとだけ、内向きのテンションが高まったせいかもしれない。

 そのときまでの自分は、 「さびしさ」 とか 「静けさ」 を、実生活以外に体験することがなかった。

 しかし、『貧しき漁師』 の絵から溢れ出てくる 「さびしさ」 は、実生活で感じる 「さびしさ」 よりも、さらに遠い世界から来るものような気がした。

 その 「遠い世界」 を知らない自分は、そこから吹いてくる 「さびしさ」 には強く感応したけれど、それが何であるかを語る言葉も持たなかった。

 簡単にいえば、私の表現力が未熟であったということでしかない。
 しかし、だからこそ、 「見えた世界」 があったのだ。

 今このシャバンヌの 『貧しき漁師』 をネット情報から拾って、画面に拡大して眺めてみても、もう当時の私を襲った感動はよみがえらない。

貧しき漁師001

 いい加減に齢 (よわい) を重ね、 「ものを書く」 ための言葉も少しは習得した私は、この絵を分析的に解説する言葉に困ることはないが、中学生時代に感じた 「言葉に表現できない感銘」 をもう取り返せない。

 なぜだろう。

 それは、
 「思春期のみずみずしい感性が、大人になると枯れる」
 というような説明だけでは収拾がつかないもののように思える。

 たぶん、 「言葉にできない感動」 というものは、 「言葉にする技術」 を持ったときに失われてしまうのだ。

 今の私なら、この絵をテーマに何かモノを書こうと思ったときは、小舟に乗る手前の夫よりも、背後の岸辺で花を摘む母子の方に注目することだろう。

 そして、一見、明るく無邪気に振る舞う母子と、憂いと哀しみに満たされた父である漁師の対比において、この絵のドラマツルギー (作劇法) を論じるだろう。
 そこに家族の 「心理ドラマ」 を読み込むかもしれないし、そのような家族の絆を超えた 「人間の絶対的な孤独」 という “哲学” を語るかもしれない。

 しかし、そのような分析をいかに重ねようが、中学生の私が感じたあの 「暗いさびしさ」 と 「物憂い静けさ」 の正体に迫ることはないだろう。

 それは言葉になる前にしか生まれない 「感情」 だからだ。

 「言葉」 として成立してしまえば、他者へ伝達することは可能となるが、その人間が固有に感じていた 「感情」 はもう保存することができない。

 言葉をたくさん覚えるに従って、抽象的な思惟は緻密になるが、固有性を強くとどめた感情の質は鈍化していく。
 「感受性がみずみずしさを失う」 とは、そういうことなのだと思う。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 07:48 | コメント(2)| トラックバック(0)

新しい言葉のワナ

 ある批評家および思想家が、その時代を、どれだけ的確に鋭く解析しているかどうかは、その時代の渦中にいるときは分からない。
 その人が書いたものが、同時代を生きた読者にいかに感銘を与えようが、時間が流れてしまうと、案外マト外れであったり、あっという間に古色蒼然としたものになっていたということは、よくあることだ。

 批評家・思想家の時代の捉え方が正しかったかどうかは、20~30年ぐらい経って読み返してみたときにはっきり見える。
 
 確実にいえることは、その時代を的確に表現しているような 「言葉」 から、まず真っ先に古びていくということだ。
 中沢新一の 『雪片曲線論』 (1985年刊) という書籍を、久しぶりにひも解いてみて、そう思った。

雪片曲線論表紙

 この本は、彼の衝撃的なデビューを飾った 『チベットのモーツァルト』 の続編として書かれたものである。
 20年ほど前、この本を読んで、そのめくるめくような言葉使いに、まず私は幻惑された。

 たとえば、空海の密教思想を、 (当時の) 現代思想用語で解き明かしていくその鮮やかな叙述。
 空海が手掛けた土木工事を、流体力学の言葉で語り、マンダラをフラクタル幾何学の用語で解説する手口。
 意味を十分に把握したわけでもないのに、次から次へと意表を突く用語法に、私は圧倒され、シャワーを浴びるような快感を味わった。

 彼のこの著作を20年ぶりに書棚から取り出したのは、初代ゴジラのDVDを観た感想 (10月7日「ゴジラの降臨」 ) を書こうと思ったときの “あんちょこ” として使うつもりでいたからだ。

 『雪片曲線論』 の中でも、特に印象に残ったのが、ゴジラ論である 『ゴジラの来迎 (らいごう) 』 であり、私がブログタイトルとして使った 『ゴジラの降臨 (こうりん) 』 という言葉も、実は、中沢新一の 『ゴジラの来迎』 の盗用でしかない。

ゴジラ001

 彼は、『雪片曲線論』 の中で、ゴジラを 「天使」 あるいは 「聖獣」 という比喩で飾り、ゴジラが東京を襲撃するときの表現は、 「襲来」 ではなく、神や仏が地に訪れる 「来迎」 であると書いていた。
 その印象が強く残っていたために、初代ゴジラのDVDを観た私の感想も、実はそこからインスパイアされたものであったことは、正直に告白しておく。

 だから、ゴジラ映画の感想文を書こうと思ったとき、どうしても昔印象に残った 『ゴジラの来迎』 をしっかりと思い出すために、読みかえさざるを得なかったのだ。

 しかし、あまり得るものがなかった。

 テーマそのものは、ゴジラという存在を、あらゆるものを破壊しつつ再建していく資本主義のメタファー(比喩) と捉えるユニークなものであったが、その言葉使いが、もう古色蒼然としたものであった。

 …… 「 (ゴジラが大衆の大脳の古皮質をいたく刺激したのは) 巨大爬虫類が、怪物や畸形やアノマリーを求めて遊走していこうと身がまえている人間の 『スキゾ的想像力』 に科学によるリアリティを与えた点にある」 ……
 とか、
 …… 「ゴジラは、けっして社会とか文化とか秩序とかいうものにたどりつくことのない、たえざる逃走の運動線をしめしている。
 そのため、ゴジラによる東京の大破壊はニューヨークにおけるキング・コングのひと暴れとはまったく異なる黙示録的な荘厳さ、暗さを備えている。
 キング・コングの物語には、攪乱分子を取り込みながら、たえず 『ツリー状』 の都市の想像的秩序を更新していこうとする、古典的都市論が反映されている」 ……

 このような叙述スタイルは、80年代当時には先端を行く表現であった。
 しかし、今読むと、 「スキゾ的想像力」 とか、 「ツリー状」 、 「逃走の運動線」 などという言葉の古めかしさが、読む者に気恥ずかしさを呼び起す。

 仮に、テーマそのものが今でも十分に有効なものであったにせよ、それを支える文体が古いということは、テーマの価値すら死滅させてしまう。 
 
 そのことを強く感じたのは、これもまたちょっと前に偶然に読み返した柄谷行人の 『意味という病』 に収録されていた諸作品が、30年以上経っているというのに、少しも古びた感じを抱かせなかったからだ。

 のみならず、そこで展開されているテーマの切り口が、現在流布しているあらゆる思想的言説よりも鮮烈であった。
 このあまりにも違う二人の思想家のスタンスに、いささか呆然となった。

 その時代を表現する最も新しい言葉が、真っ先に、死んでいく。

 それは、すべての書き物の究極の真理であるようだ。

 書物の新しさとは、新しい言葉を使うところから生まれるのではない。
 誰もが使い古して、見向きもしなくなったような言葉に、新しい意味を発見するところから生まれる。
 古典と呼ばれる文学が生き残っている秘密は、そこにあるのかもしれない。

 参考記事 「ゴジラの降臨」


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 01:51 | コメント(2)| トラックバック(0)

皆様ありがとう

 「東京お台場くるま旅パラダイス」 が終わると、なんだか1年もそろそろ終わり…という気分になる。
 華やかに彩られたブースの灯りが消え、深まる夕暮れの空の下、出展車両が次々と片付けを終えて、来た道を引き返していく。
 1台1台とキャンピングカーが消えるにしたがって、会場はゆっくりと元の駐車場に戻っていく。

 会場が新しくなった今回のショーは、成功のうちに終わったようだ。
 誰もが 「いいショーだった」 と言っていた。
 来場者も多かったし、商談が進んだブースもあったようだ。

お台場くるま旅パラダイス01 
 ▲ 開場前の入場者の行列

お台場くるま旅パラダイス02
 ▲ ペット連れが多いのも、このイベントの特徴

お台場くるま旅パラダイス03
 ▲ 渡部竜生さんの 「キャンピングカーセミナー」

 結局、搬入日を入れて2日間、会場の一角に停めさせてもらった自分のクルマの中で寝た。
 
 例年のごとく、今年も性懲りもなく、夜はただ酒、ただメシ三昧 (ざんまい) 。

 厚かましいかぎりだが、日産ピーズさん、フィールドライフさん、エアストリームジャパンさんなどのお客さんたちのパーティにのこのこ顔を出し、快く手作りの料理をふるまってもらい、楽しいひと時を過ごした。

 お声をかけてくださった方々には、この場を借りて御礼申しあげたい。

 やっぱり、キャンピングカーを好きな人たちと話しているのが一番楽しい。
 旅行先の思い出を聞かせてもらい、記憶に残った旅先の状景、クルマの中での夜のすごし方など、各人各様の旅の仕方があって、聞いていると飽きない。

 キャンピングカーって、楽しみ方が一つではないのだ。
 100人のオーナーがいたら、100通りのキャンピングカーライフがある。

 その情報交換がなされるユーザーパーティは、キャンピングカー遊びのアイデアが次々と披露される 「旅情報」 の宝庫だ。

 このブログをいつも読んでくださっているというお客様にも、いろいろお話をうかがった。
 「面白いですよ」
 などとお声をかけてくださると、うれしいと思う反面、なんだかとても気恥ずかしい気持ちにもなる。
 それこそ、ホントに気ままな “独り言” 。
 とても、お付き合いいただけるようなシロモノでもないように思うこともある。

 でも、そう声をかけていただくことが励みにもなる。

 2日間更新をサボっていながら、今見たら、総アクセスで2百万件を超えていた。
 お越しいただいた方々には、あらためてお礼を申し上げたい。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:32 | コメント(2)| トラックバック(0)

お台場ショー告知

 今週の土曜日 (7日) から日曜日 (8日) にかけて、東京のお台場にて 「東京お台場くるま旅パラダイス2009」 が開催される。

09お台場ショーイラスト

 今回出展されるキャンピングカーは、162台 (うち新車138台、中古車24台) 。屋外で開かれるキャンピングカーとしては、国内最大規模となる。
 もちろん、日本RV協会主催のビッグイベントとしては今年のフィナーレを飾るにふさわしい盛大なショーといっていい。

 これは、私も例年楽しみにしているもので、本年度のキャンピングカー業界の成果を示す集大成であると同時に、来年度の動向を占うにも貴重なショーであり、キャンピングカーに興味のある人間には見逃せない。

 今年は、会場がちょこっとだけ変る。
 いつもの場所より、2ブロックほど離れた 「青海K区画」 と呼ばれる場所となる。
 昨年までの会場からは徒歩5分ほど離れるが、 「ヴィーナスフォート」 の斜向いとなるので、分かりやすいかもしれない。

09お台場ショーマップ

 会場の住所は、東京都江東区青海2丁目。

 ゆりかもめ 「青海駅」 または 「船の科学館前」 からも徒歩5分。
 りんかい線 「東京テレポート駅」 からも徒歩7分。

 入場料は前売一般700円 (当日900円) 、中学生以下は無料。

 ホームページに詳細あり。
 http://www.kurumatabi-paradise.com/

 ここには、密度の濃い情報が “てんこ盛り” !
 出展車両の詳細から、周辺のプレイスポットまで。イベントに関わる知りたい情報のすべてが網羅されている。
 HPを見ているだけで楽しい。


 
NEWS | 投稿者 町田編集長 23:23 | コメント(0)| トラックバック(0)

ハプスブルク家

 “ハプスブルク家” がブームとなっている。
 大きな展覧会も相次いで催されているし、テレビなどでも、それにちなんだ特番をいろいろと組んでいたから、このヨーロッパ名門貴族の名前を耳にした人も多いのではなかろうか。

ハプスブルク展 オーストリア大宮殿展

 私も、気づいてみたら、昔からハプスブルク家に関する本をけっこう買っていた。
 何気なく書棚を振り向いたら、
 『ハプスブルク家の女たち』 江村洋 著
 『戦うハプスブルク家』 菊池良生 著
 『ハプスブルク家』 江村洋 著 (いずれも講談社の現代新書)
 …という3冊の本が行儀よく並んでいるのが見えた。

 “ハプスブルク” をタイトルに謳った書籍がわが家だけでも3冊あったわけだが、本屋さんにいけば、さらにたくさんのハプスブルク関連の書籍が見つかる。

 『怖い絵』 で人気作家になった中野京子さんは、 『名画で読み解くハプスブルク家12の物語』 (光文社新書) を書いているし、すでに名著として評価の定まっている本としては 『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』 (塚本哲也 著) がある。

 この一族が、日本でも話題になるというのは、はたして、どういうことなのだろうか。
 私には、とても不思議で面白い現象であるように思える。

 なぜなら、ハプスブルク家というのは、日本人にはなかなか解りにくい存在だからだ。
 この家系は、一見 「王朝」 のようでもあるし、「大帝国の統治者」 のようにも見えるし、 「ただの貴族の一家」 のままでいるようにも見える。

 その統治する領土も、ドイツ、オーストリア、ハンガリーを中心に、ときにスペインにも及び、イタリアを領することもあり、南米まで支配権が及んでいたりと、あっちこっちに “飛び地” を持つ。

 それまでの征服国家が、少しずつ周辺の国を併合して “雪だるま式” に版図を広げていくのに対し、ハプスブルク家の版図というのは、隣りの他国を通り越して、その向こう側につながっていたりする。

 最も不思議なことは、ハプスブルク家が統治する国家の名前が決まっていないということだ。

 ハプスブルク家出身の統治者が、ときに 「オーストリア大公国」 とか 「ボヘミヤ王国」 、 「ハンガリー王国」 などの国王を兼ねることはあっても、ハプスブルク王朝は、それらの諸国家を統合する名称を持たない。

 統治者が 「神聖ローマ帝国」 の皇帝を名乗るときもあるが、神聖ローマ帝国の “皇帝” は選挙によって選出されるため、ハプスブルク家の者が選出されないかぎり、 「神聖ローマ帝国」 とも呼ばれない。

ハプスブルク家紋章
 ▲ ハプスブルク家の紋章は 「双頭の鷲」 。古代ローマ帝国の紋章でもあり、神聖ローマ帝国もこれを使った

 さらに紛らわしいのは、王様たちの名前がみんな似ていること。
 どんな時代になっても、必ずフリードリヒとか、フェルディナントとか、レオポルド、フランツ、ヨーゼフとかいう名前が登場するし、オーストリアでカール5世を名乗った王様は、スペインに渡るとカール (カルロス) 1世になったりする。

 このハプスブルク家の複雑さが、私たち日本人が見た 「西欧史」 の分かりにくさにつながっているように思う。

 そのような非常に分かりづらい “統治形態” を保ったまま、ハプスブルク家は、600年以上も、イギリス、フランス以外のヨーロッパ全域を統合する大君主国であり続け、中世以降のヨーロッパ文化の形成に大きな影響を及ぼした。

シェーンブルン宮殿

 この家の領土の広げ方には、独特の方法がある。
 それは、戦いによらない領土拡大であった。

 普通、国家が 「領土を拡大する」 という場合は戦争による奪取を意味した。
 これは、ヨーロッパにおいても、日本においても、基本的には変わらない。

 ところが、ハプスブルク家というのは、代々 「婚姻」 によって、領土を拡大していった家系なのである。

 たとえば、ハプスブルク家の王子を他国の女王と結婚させる。
 孫が生まれる。
 するとその孫が、ハプスブルク家の血筋を引く王子として、育った国を統治することになる。

 こうして、スイスの山奥に発したハプスブルク家は、ウィーンに進出し、ブルゴーニュ地方を手に入れ、ボヘミア、ハンガリーを治めるようになり、スペインにまで広がった。

 特に成功したのは、スペイン王家との婚姻だった。
 イタリアにおけるスペインの権益を守るために、スペイン王家はハプスブルク家との縁組みを申し出る。
 それは、スペイン王家に正当な後継者がいることを前提とした婚姻関係だったが、スペイン王家の縁者たちが、次から次へとバタバタと他界してしまったため、あっけないくらい簡単にハプスブルク家のものになってしまった。

 このように、「運」 も同家に味方することが多かったが、ハプスブルク家の方も、しっかりと準備を怠らなかった。
 つまり、同家の人々は、まるで “家訓” のように、政略結婚用の子供たちを多数もうけるようになっていたのである。

 フェルディナント1世と、皇后アンナの子ども (15人)
 マクシミリアン2世と、皇后マリアの子ども (16人)
 レオポルド1世と、皇后エレノア・マグダレーナの子ども (10人)
 フランツ・シュテファンと、皇后マリア・テレジアの子ども (16人)
 レオポルド2世と、皇后マリア・ルドヴィカの子ども (16人)
 フランツ2世と、皇后マリア・テレジアの子どもは (12人)
 (Wikipediaより) 

 同家における世界制覇の 「武器」 は、子どもだったのだ。
 
 カール5世の頃、ハプスブルク家の版図は最大になった。
 彼は、 「余の帝国では、太陽が没することがない」 と豪語したという。

カール5世

 それは、何も虚勢を張った暴言ではない。
 当時のスペインは、アメリカ大陸の中南米にまでその統治権を広げていたため、ヨーロッパの支配域で太陽が没しようが、地球の反対側の中南米では陽が昇っていたからだ。

 彼は、隣国のポルトガルの女王とも婚姻関係を結んだため、イベリア半島におけるハプスブルク家の勢力はなおさら磐石なものとなった。婚姻の力おそるべしといったところか。

 このような婚姻による王朝同士の結びつきは、ヨーロッパ社会に何をもたらせるようになったか。

 たぶん、この頃からヨーロッパの 「貴族文化」 というものが、ひとつの統一された様式を持ち、はっきりしたスタイルを持つものとして確立されてきたように思える。

 つまり、貴族階級というものが、一国だけで完結した階級社会を構成するのではなく、国を超えて、貴族同士が共通のメンタリティを共有するという世界ができあがってきたのである。
 そのことによって、自国の 「民」 よりも、他国の 「貴族」 の方に親近感を感じるような精神風土さえ形成されてきた。
 それが 「ヨーロッパ貴族文化の普遍性」 といわれるものである。

マリア・テレジア
 ▲ ハプスブルク家最大の女傑マリア・テレジア

 彼らは、何よりも 「血統」 を重視した。
 「血筋」 の正統性を確保するために、彼らは近親結婚や同族結婚もいとわなかった。
 スペイン系ハプスブルク家が18世紀早々に潰 (つい) えたのも、近親婚によって病弱な王たちが続いたからだともいわれている。

 当時のヨーロッパ貴族たちの病的ともいわれる 「血統」 への信仰は、われわれ日本人にはなかなか理解できない。
 
 「血を吸われる」 ことが恐怖につながる吸血鬼ドラキュラ (原作1897年) のリアリティというのは、そのようなヨーロッパ貴族階級の 「血統に対する信仰」 を理解しないと、その恐怖の根源が理解できないという説すらある。

 他家に嫁いだハプスブルク家の姫君で、一番有名なのは、フランスのルイ16世の正妃となったマリー・アントワネットかもしれない。
 彼女は、ハプスブルク家きっての女傑といわれたマリア・テレジアの11女であったが、ヨーロッパ貴族文化の最盛期に誕生し、同時に、その終焉の形をも体現した女性ともなった。

マリー・アントワネット

 彼女がフランス王家に嫁いだ時代、ヨーロッパ貴族階級の没落を物語る市民階級の台頭が始まっていた。
 オーストリア帝国が、フランス革命に介入しようとしたのは、ハプスブルク家の姫君であるマリー・アントワネットを救出せんがためであったが、同時に、貴族の存在を脅かす 「市民」 が誕生したことへの恐怖からでもあった。

 時代の激しい変遷を経験しながら、それでもハプスブルク家は20世紀まで存続する。

 フランスやロシアの王権には、革命によって王族の一族が処刑されるという末路が待っていたが、ハプスブルク家にはそのような悲劇は訪れなかった。

 最後の皇帝フランツ・ヨーゼフは、後継者として育てた王子が自殺するという悲哀を味わい、さらにその次の後継者として目した甥が暗殺されるという悲劇に見舞われながら、彼自身は 「名君」 と仰がれたまま86歳まで生きて、病没した。

フランツ・ヨーゼフ

 フランスのブルボン王朝やロシアのロマノフ王朝が、 「事故死」 のような終焉を迎えたのに比べ、ハプスブルク家の終焉は 「老衰」 のようなものであったかもしれない。

 最後の君主フランツ・ヨーゼフは、ロシアのニコライ2世家族が処刑される2年前に逝去し、600年以上ヨーロッパに君臨した華やかな一族の幕を下ろした。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 21:57 | コメント(0)| トラックバック(0)

犬と一緒にお風呂

 久しぶりに犬と一緒に風呂に入った。
 いつもはシャンプーして、シャワーを浴びせていただけなのだが、たまには犬だってゆったり湯船に使ってのんびりしたいだろうと思ったわけだ。

 足が地につかないので、犬も最初は恐がる。
 腹だけお湯に浸けて、絶対背中までお湯の中に入れさせようとはしない。
 しかし、しばらくすると、いつの間にか湯船の縁にアゴを乗せて、ほぼ肩まで湯に使って、ノホホンとしている。

 前に飼っていた犬は、子どもがいたずらして、わざと湯船の中に落としてしまったそうだ。
 突然、足が底に届かないところに浮かされたわけだから、アセったろうな。

 以来、そいつは絶対に湯船に浸かるのを拒否するようになった。
 (かわいそーに)

 しかし、今度の犬は、まだそういう悲劇を味わっていないので、飼い主が下から腕で支えている限り、湯船に浸かるのをそんなに嫌がらない。

 眺めていると、面白い。
 最初のうちは、足はバタバタ目はキョトキョトと落ち着かないが、そのうち目を細めて、まったりしてしまう。
 ときどき、ふが~っとあくびをする。

 もし歌など覚えたならば、そのうち鼻唄なんぞを歌いだすのだろう。
 『宗右衛門町ブルース』 を教えてやったが、今のところ、まだ覚える気配はない。 

 温泉に浸かりに来るサルやクマもいるという。
 お風呂の気持ちよさは、動物にはみな共通に感じられるものかもしれない。

 湯上りには、はい、ヤクルト。

クッキー003

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:12 | コメント(2)| トラックバック(0)

二人のルソー

 アンリ・ルソー (1884年生) は、一般的に 「素朴画家」 と名づけられる一群の画家たちの系譜に入れられている。
 画家としての修練を積んだプロの絵描きたちとは異なり、絵を趣味とする素人画家としてスタートしながら、いつの間にか本職の絵描きになっていった画家たちという分類にくくられる画家である。

ヘビ使いの女
 ▲ 「ヘビ使いの女」 (アンリ・ルソー)

 実際、ルソーはフランス・パリ市の税管吏を生真面目に務め、休日に絵を描き、40歳のときにようやくプロの画家としての道を歩むようになった。
 だから、美術史の中では、ルソーは素人の直感で 「世界」 を捉え、それを素朴な筆致で描き続けた “日曜画家” という扱いを受けることが多い。

アンリ・ルソー自画像(部分)
 ▲ ルソー自画像

 ルソーのそういう人生の経緯が、絵の解釈にも反映し、彼の絵は、大半の評論家から 「子どもの心を無邪気に表現した童話的世界」 として捉えられている。
 だから、彼の絵を形容する言葉には、必ず 「素朴」 、 「無邪気」 、 「郷愁」 などという単語が添えられている。
 つまり、大人が失ってしまった 「童心」 を、子どもの心に戻って描きとめた画家ということになっているのだ。

 本当に、そうなのだろうか。
 
 確かに、そこに描かれているのは、子どもの “素朴” な目を通して童話のように表現された世界であるかのように見える。

大豹に襲われる黒人(全体)
 ▲ 「大豹に襲われる黒人」

 しかし、たとえば 『大豹に襲われる黒人』 (1910年頃) という絵に描かれている人間 (黒人) は、豹に襲われるという絶体絶命のピンチに見舞われているというのに、およそ苦痛や恐怖を感じているという気配がない。
 むしろ、自分の身に迫る死の恐怖を、あたかもそれが 「自然の摂理」 であるかのように粛然と受け入れるような、悟りを開いた大人の “諦念” のようなものすら漂う。

大豹に襲われる黒人(部分) 
 ▲ 「大豹に襲われる黒人」 拡大部分

 子どもが、大人が感受できないようなような 「素朴」 で 「無邪気」 な心情を持った存在であるならば、むしろ大人以上に、死の恐怖や肉体的損傷の痛ましさに敏感になっているはずなのだ。

 下は有名な 『眠れるジプシー女』 。
 疲れはてて砂丘に眠るジプシー女のそばに、一匹のライオンが近づき、彼女の匂いを嗅いでいるという情景を描いた絵だ。

眠れるジプシー女 
 ▲ 「眠れるジプシー女」

 この画面からも、肉食獣が接近しているという恐怖は遠ざかり、一切が夢の中のできごとのように平和で幻想的な世界が強調されている。
 一見、 「動物と人間が調和的に共存する」 童話のような世界に見えながら、もし本当の子どもがこの絵を見たならば、
 「なぜこのライオンはこの女性に危害を加えないのか」 
 「なぜこの女性は、ライオンが近づいた気配に気づかないのか」
 そういう素朴な疑問に取り付かれるはずだ。

 子どもの 「素朴さ」 とか 「無邪気さ」 というものは、そのようにして働くものだ。
 
 つまり、ルソーが描く絵は、子どもの 「純朴さ」 とか、 「無邪気さ」 などとはまったく縁のない世界であるといえるだろう。
 逆にいえば、これらの絵から、アンリ・ルソーという画家は、 「子ども」 という存在に対し、世間でいうような 「素朴さ」 や 「無邪気さ」 を見ることのなかった人ではないのか? …という疑問が湧いてくる。

 下の絵は、いずれもルソーが捉えた子どもの描写である。
 彼らの顔は、はたして “子どもの顔” なのだろうか。

ルソー子ども01 ルソー子ども3 

 どれをとっても、その絵からは 「身体の小さな大人」 しか読み取れない。
 つまり、彼が世間でいうような 《子ども》 を少しも信じていなかったということが伝わってくる。
 
 それらのことは、彼が、
 「子どもというのは、大人の “打算” とか “葛藤” を知らない 《無垢》 な存在である」
 という現代教育学的な見地とは無縁な人であったということを物語っているように思える。

 現在、私たちが考えているような 「児童」 を最初に見出したのは、18世紀の思想家ジャン・ジャック・ルソーだといわれている。

ジャン・ジャック・ルソー肖像
 ▲ ジャン・ジャック・ルソー

 ジャン・ジャック・ルソーは、主著 『エミール』 の中で、
 「人は子どもというものを知らない。子供について間違った観念を持っているので、議論を進めれば進めるほど迷路に入り込む」
 と書く。
 
 彼は、当時の人たちが考えたこともなかった 「子ども」 というものに対し、世界で最初に科学的・哲学的考察を加えようとした人だ。
 それまで自明に過ぎなかった 「子ども」 という存在が、彼の主張を通して初めて 「大人には理解できない世界に棲む住人」 として意識されるようになる。

 そのとき、当時の大人たちは、それまで考えていた 「子ども時代」 というものが、大人になってからの記憶を頼りに再構築された観念に過ぎなかったことに気づく。

 そういった意味で、ジャン・ジャック・ルソーは、 「子ども」 という存在が科学や哲学のテーマになりうることを最初に考察した人だといえるかもしれない。

 しかし、ルソーの主著を読んだ教育学者たちは、 「大人」 と異なる位相に棲む 「子ども」 たちを、 「大人の汚れを知らない純朴な存在」 と規定する以外に、そのテーマを深く追求する術 (すべ) を持たなかった。
 だから、子どもの “無知” を “イノセンス (無垢) ” として称揚し、子どもの “無邪気さ” を、 “世間知に毒されない聡明さ” と捉えることにためらいを持たなかった。

 そしてそれが、19世紀から20世紀にかけて、 「子ども」 を考察するときの無条件の前提となっていったのである。
 
 しかし、子どもの心的状況などというものは、大人には分からない。
 そして子どもは、自らそれを語る大人の言葉を知らない。
 ジャン・ジャック・ルソーは、むしろそのことをテーマにしたといえる。 

 画家であるアンリ・ルソーは、哲学者であるジャン・ジャック・ルソーの思索を継承した人間であるのかもしれない。

 アンリ・ルソーは、子どもの顔を描くとき、どうしても “無垢な天使” のような顔を描けなかった。
 彼が、子どもの顔を大人と同じように描いたとき、彼は、子どもというものが大人とは違った意味で、大人と同じような葛藤を抱え、打算を働かせ、生存することの恐怖に怯え、生きることの快楽を知る存在であることを見抜いていた。

ルソー子ども02

 しかし、それがどんなものであるかは、彼は絵にしなかった。
 もし、それを絵にしたら、彼もまた世の大人たちと同じように、子どもという 「観念」 のみを描くことでしかないことを感じていたからだ。

 素朴派の巨匠といわれるアンリ・ルソーは、まさに 「素朴」 であるがゆえに、知的な観念の魔術から解放されて、 「子ども」 という存在のありのままの姿を見据えていたのかもしれない。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

バンコクの秋

 昔、11月のバンコクを4日ほど旅したことがあった。
 タイは熱帯の国なので、 「冬」 というものがない。
 11月から2月にかけての平均気温が25度だという。
 地球上にはそういう国もあるのだ。

バンコクの秋彫像

 日本を出たときは、長袖シャツの上にジャケットを羽織っていたが、タイに着くと、真夏のような陽射しが降り注ぐために、木陰を探さねば歩けなかった。
 結局、最後まで半袖シャツ1枚でとおした。

 一流ホテルにはとても手が届かなかったので、リーズナブルな料金の “二流半” 程度のホテルを取った。
 門構えは立派だったが、部屋に入ると、空気が湿っていて、調度は煤けており、カーペットはくたびれて、バスタブがあってもお湯が出なかった。

 窓辺に立つと、南国風の木々に囲まれた集合住宅が並んでいるのが見えた。
 どの建物も日本の昭和の 「社宅」 のように真四角で、味気ないほど白っぽく、屋上には、みな金色に輝く給水塔のようなものが付けられていた。それは、タイの旅行パンフレットに載っていた金泥の仏像の色を連想させた。
 
 ロビーに降りると、中国人ツァー客たちがフロアを埋め尽くし、怒号とも歓声ともつかぬ喧噪が、天井までこだましていた。
 彼らは、観光バスでここに到着し、ツァーコンダクターの発表する部屋割りを待っているようだった。

 夜は繁華街まで歩き、屋台のようなタイ料理の店を見つけて夕食をとるつもりでいた。
 しかし、フロントに聞くと、繁華街までは遠いので、タクシーを使わないと行けないという。

 日が暮れるまでには間があった。
 カミさんとホテルの周りを歩いた。

バンコクの秋ー路上

 熱帯の夕陽が、街路樹の影を、どこまでも遠く、濃く引きずっていた。
 車道の中央部はみな舗装されていたが、端の方は地面がむき出しになっていて、クルマが通るたびに、そこから乾いたホコリが舞い上がった。
 街路樹の葉っぱも、そのホコリを浴びて白っぽく見えた。

 野犬がやたらと多かった。
 しかし、彼らはみな旅行者には無頓着で、住み慣れた住民のように無表情に歩道を歩き、視線すら合わせようとしなかった。

 陽が没したので、ホテルの前からタクシーを拾って街に出た。

 車内はむせかえるような香料の匂いで満たされていた。
 匂いに慣れなかったので、窓を少しだけ開けて外の空気を入れた。

 運転手は、最初のうちはタイ語で愛想よく語りかけてきたが、私たちが英語で、 「パードン?」 、 「ドントアンダスタンド」 しか答えないので、途中から黙ってしまった。

 初めて見る南国の街は、どこか日本の都会に似ているようでもあり、しかし、どこにも似ていなかった。

 カーラジオからは、スポーツ中継のようなものが流れていた。
 何のスポーツなのか分からない中継は、夢の国の祝祭のように聞こえた。
 タクシーを降りても、街全体に、香料と、花と、果実の匂いが立ちこめていた。

バンコクの秋ー花

 しゃれたブティークや高級ブランド品を扱うにぎやかな通りに出たが、看板がみなタイ語なので、日本とも欧米とも違った光景に見えた。
 タイ語は、ワラビやゼンマイが絡まったような文字だから、看板というより 「絵」 のようにも感じられた。

 表通りから外れると、迷路のような路地が交差する場所に出た。
 ほの暗い灯りをともした小さな店が、祭りの屋台のように並んでいた。
 何の商売か分からないような店舗もあった。

 ビアガーデンのような店を見つけ、日本の焼き鳥に近いような串焼きを注文し、トムヤムクンを頼み、ビールを飲んだ。

 少し離れた席で、白いシャツにネクタイをした日本人のビジネスマンたちが3人、慣れた雰囲気で食事をしていた。
 「入札までにはまだ時間があるから……」
 「融資が問題だな……」

 聞き慣れた日本語が耳に届いた。
 彼らの話し声が聞こえるくらいだったから、こちらの声も聞こえているはずなのに、彼らは、私たちが日本人であるかどうかなど、気にもとめていない様子だった。 

 「日本人なんて珍しくないのね」
 とカミさんが小声で言うのを、そのとおりだなと思いながら、焼き鳥を食べた。

 遠くの席では、髪の毛を伸ばしたタイ人の若者が、美女二人を従えて楽しそうに笑っていた。
 若者は遊び人風で、女の子たちは普通のOLに見えた。
 男は瓶ビールをラッパ飲みし、女性二人は食べ物に手を付けることもなく、見とれるように、男の顔を見つめていた。

 「いい男じゃない」
 と、その光景を眺めてカミさんがいった。
 私はうなづいてから、ビールをもう一本注文した。

 食事を終えたが、すぐに帰る気もしなかったので、近くのホテルのバーで酒を飲むことにした。
 私たちが泊まるホテルとは段違いの高級ホテルで、軽装で練り歩く観光客たちも、どこか金回りが良さそうな人たちに思えた。

 大きな川の見える野外のテラスに案内された。
 有名なチャオプラ-川だという。
 美しい夜景だというのに、客の姿はあまり見えない。

 白いテーブルクロスの上には花が飾られ、その周りに、よく磨かれたワイングラスが伏せられていた。

 若いボーイに、タブロイド新聞ほどの大きさのメニューを渡されたが、 「食事はしないけれどいいか?」 と尋ねると、ボーイは 「もちろんです」 と英語で答え、背筋をぴしゃっと正してにっこり笑った。
 ボーイの白い制服が夜の闇に浮き上がって奇麗だった。
 結局、ワインは高いので、ここでもビールを飲んだ。

 川の対岸にも、高級ホテルのようなビルが建ち並び、そのイルミネーションが川面に落ちて、色とりどりの光の花を咲かせていた。
 その間を、満艦飾のライトを灯した観光遊覧船が行き交っていた。

バンコクの秋ー夜の川1

 川から熱気のこもった空気が昇ってきて、夜だというのに、じっとりと汗ばんだ。
 テラスに客の姿が見えないのは、誰もがこのガウンのようにまとわりつく湿気を嫌ったのかもしれない。

 観光客たちは、空調の効いた上階のラウンジで飲んでいるのだろう。
 静けさに覆われたテラスには、花の匂いだけがねっとりと広がっていた。

 「ほんと異国よね」
 とカミさんがいった。
 たぶん、街全体に立ちこめる香料の匂いと花の匂いのことを言ったのだろう。
 「そうだな」
 と私は返したが、それ以上の言葉を思いつかなかった。

 私たちの座っているテラスは、まさに高級リゾートという言葉にふわさしい場所だったが、どこか熱帯の貧しさが漂っていた。
 川を渡って来るけだるい熱気に、それを感じた。

 しかし、そこには荒廃もなかった。
 荒廃のない貧しさは、別の意味で、豊かさにつながっているように思えた。

 私たちは黙ってビールを飲んだ。

 川があまりにも広いので、水の流れが感じられず、そこに光を落としたビルのイルミネーションも動かなかった。
 夏の終わりを知らぬ南の国に来たと思った。

バンコクの秋ー夜の川2

旅&キャンプ | 投稿者 町田編集長 01:46 | コメント(2)| トラックバック(0)
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