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オスマン・トルコ

 でっかい仕事が一応片付いたので、今、仕事とはまったく無縁の本を読み始めている。
 塩野七生さんの 『ローマ亡き後の地中海世界』 。
 中世の地中海を舞台にした海賊たちの話だ。

 こういうのが好きなのだ。
 思えば、去年の今ごろも、ブログのテーマは塩野さんの本だったように思う。
 彼女の著作には、“広大な拡がり” が感じられる。
 心が鳥になって上空に舞い上がり、空の上から地平線や水平線を眺めるという、のびやかな開放感が得られる。

 そんなわけで、久しぶりに塩野さんの本を紹介したいと思うけれど、今日はその中でも自分のお気に入りの一冊。
 『コンスタンチノープルの陥落』 について。

イスタンブール001

《 コンスタンチノープルの陥落 》

 トルコのイスタンブール市が、まだ 「コンスタンチノープル」 と呼ばれ、ギリシャ正教を唱えるビザンチン帝国の首都だった時代があった。
 15世紀に、それを当時のオスマン・トルコ帝国が攻め落とし、コンスタンチノープルは、やがてイスタンブールと名を変えて、トルコの首都として今日に至る。

 このコンスタンチノープルの陥落について専門的に書かれた読み物として、現在日本語で読めるものでは、塩野七生氏の 『コンスタンチノープルの陥落』 (新潮社) と、スティーブン・ランシマンの 『コンスタンチノープル陥落す』 (護雅夫訳 みすず書房 在庫切れ) の二つを読むことができる。

コンスタンチノープルの陥落001 コンスタンチノープル陥落す001
▲ 塩野七生 著    ▲ ランシマン 著

 塩野版は物語調で書かれ、ランシマン版は学術レポートのような文体で描かれているが、両者とも臨場感に富んでいて無類に面白い。

 ただ、小説のような構成を取る塩野版に比べ、年代記的に記述を重ねていくランシマン版の方は、前半がやや退屈である。
 特に、トルコによる包囲が始まるまでの、ビザンチン側とトルコ側がそれぞれ抱えていた政治上の問題点などを詳述するところは、わざわざ2章も割く必要があるのかと思えるほど冗長に感じられる。

 しかし、ランシマン版では、その “退屈さ” が、実は包囲戦が始まる前の緊張感を高めるための伏線になっていることも見逃せない。

 コンスタンチノープルという都市が置かれていた状況。
 オスマン・トルコという国家の成り立ち。
 そういうものを解説しながら、包囲戦が始まる前に、トルコ側がどういう準備を進めていたか。
 また、それを察知して、ビザンチン帝国側はどのように対応したか。

 いさささか学術解説書的な叙述ではあるが、読者はその経緯を知ることによって初めて包囲戦の意味を理解し、「これからスリリングな事件が始まろうとしている」 という実感をつかむことができる。

コンスタンチノープル城壁001
▲ 難攻不落を誇ったコンスタンチノープルの3重の城壁

《 物語性の強い塩野版 》

 一方、塩野版は、最初から映画や小説を思わせるようなエンターティメントの華やかさに読者を包み込んでいく。
 調査報告書のようなランシマンの記述と違い、塩野版においては、包囲戦が始まる前の状況は、すべて複数の登場人物の目によって、カメラがとらえた画像のように紹介される。

 語り部として登場する人間は、実にさまざまだ。
 コンスタンチノープルに神学を学びに来た西欧の留学生。
 その町に居留して交易を営む商人。
 あるいは、イスラム教徒の反乱軍を鎮圧するためというスルタンの援軍要請を受けて馳せ参じ、現地に着いてから 「コンスタンチノープル攻略」 の意図を知らされて戸惑うキリスト教騎士団の隊長。
 そしてスルタンの私生活を目の当たりにしてきた小姓。

 章が変わるごとに、異なる立場にいる人間が、それぞれ 「ボスポラス海峡を挟んで、トルコ帝国とビザンチン帝国の間に何が起ころうとしているのか」 を語り始める。

 しかし、彼らによるレポートがあまりにも具体的なために、かえってそこで展開される話が、実話ではなく、作者の想像の産物に過ぎないのではないか…という気分にさせてしまう。

 もちろん最終章で、ここに登場した人物が、実はこの戦いの 「記録」 を残した人たちであることが判明する。
 その時点で、読者は 「なるほど!」 と膝を打つ。
 それでも前半に受けた 「つくり話っぽい」 印象までは解消しきれない。

 塩野七生氏は、おそらく映画 『アメリカン・グラフティ』 に出てくる最後のテロップのような効果…すなわちエンドタイトルともに、若者たちの10年後の生活が解説され、ベトナム戦争で死んだ人間なども紹介されて観客がしんみりした気分になる…という効果を狙ったのかもしれないが、この本ではむしろ、登場人物たちが記録を残した人であることを先に出すべきだったろう。

 …とはいえ、この2冊は面白さの性質がそれぞれ違うので、結局両方読むのが一番ということになる。

《 メフメト2世の描き方で分かる作家たちの狙い 》

ランシマンと塩野七生の最大の違いは、メフメト2世の描き方に表れている。そこに2人の作家の生まれた風土、文化、歴史観の違いを見ることもできるかもしれない。

メフメト2世肖像
▲ トルコ史ではあまりにも有名なメフメト2世

 コンスタンチノープルが陥落するという事件は、メフメト2世という、21歳のたったひとりの若者の野心によって引き起こされた。
 この出来事が衝撃的なのは、その若者が、当時の西アジアで最強国家であったオスマン・トルコの専制君主として、数百万という人々の生殺与奪の権利を意のままに握っていたということに尽きる。

 1000年の歴史を誇り、当時は世界で最高の文化を持った大都市 (コンスタンチノープル) が、ひとりの青年のきまぐれによって消滅するということは、議会制民主主義の伝統を重んじるヨーロッパで育った人間から見ると、「非合理」 と 「野蛮」 の極みであっただろう。

 ランシマンの記述を読んでいると、彼が征服者メフメト2世に対して、公正かつ客観的な視点を維持しながらも、ヨーロッパ知識人がアジア的な専政君主政に抱く侮蔑感から免れてないように思える。

 ランシマンの手になるメフメト2世は、革新的な発想と古典的教養を同時に備え、卓越した洞察力に恵まれながらも、猜疑心が強く、残忍で、自分の意にそぐわない家臣たちを何のためらいもなく処刑する人間として描かれている。

 残忍でわがままな君主は西欧にもたくさんいただろうが、ランシマンが注目したのは、君主に処刑されることを当たり前として容認する人々を生んだアジアの精神風土そのものだった。

 スルタンに深夜呼び出されただけで、処刑を覚悟し、財貨をこぼれるばかりに盛った銀の盆をうやうやしく捧げる宰相。
 無様な戦いぶりを見せたというだけで鞭打ちの刑を受け、私有財産もすべて没収されて、乞食に身を落とす海軍司令官。

 スルタンに仕える人たちは、宰相であれ奴隷であれ、スルタンの気分ひとつであっという間に消されてしまう存在である。
 しかし、トルコ帝国の高官たちは、そのこと自体が理不尽だという意識を持たない。近世以降のヨーロッパ人が獲得した 「人権」 や 「平等思想」 などが入り込む余地のない世界だ。

 そこに、ヨーロッパ人であるランシマンは、庶民が王権を倒すフランス革命などを経験した自分たちとの違いを意識したことだろう。

はためくトルコ旗

《 メフメト2世の実像とは? 》

 塩野七生はランシマンとは違って、西欧人の独断と偏見から自由になり、世界史のなかの一人の 「英雄」 としてメフメトを位置づけるという作業を行っている。

 塩野氏は、西欧史の文脈では 「無意味だった」 とされるコンスタンチノープル征服も、「その後のトルコの発展を考えれば極めて当然の行為だった」 と正統に評価することをためらわない。

 ただ、メフメト2世に対する西欧人の過小評価を是正したいという気持ちが強過ぎたのか、彼を颯爽とした若者として描き過ぎたという印象も受ける。
 ランシマンが描いたメフメトの残虐性を語るエピソードも、塩野版ではかなり後退している。
 ランシマン本を先に読んでしまうと、そこが若干物足りない。
 時にはランシマンのような意地悪な見方の方が、逆にメフメトの個性をうまく描き出すこともあると思う。

 塩野氏とランシマンの視点の違いは以下のエピソードを紹介するときの書き方の違いからよくうかがえる。

 メフメト2世の側近に、彼の父の代から宰相を務めるハリル・パシャという重鎮がいた。
 ハリルは、これまで何度も提唱されたトルコ側のコンスタンチノープル征服に対しては強固な反対論を唱える論客だった。

 実利主義者のハリルは、コンスタンチノープルという都市が軍事的にはトルコにとって何の脅威にもならないこと。逆に、同都市に商売上手のベネチア人やジェノバ人が居留しているからこそトルコとの交易も順調に運んでいることを理由に、コンスタンチノープルを奪うことはトルコの利にならないと主張する人間だった。

 当然、「栄えある征服者」 としての自分を夢見るメフメト2世にとって、実利を説くハリルの存在は目の上のタンコブとなる。
 しかし、宮廷内におけるハリルの支持者は多く、諸外国の高官たちもハリルには厚い信頼を寄せているので、専制君主のメフメトですら、この宰相の意向を無視するわけにはいかない。

 だがメフメトは、ある晩、ついにコンスタンチノープルを征服する意志があることをハリルに告げる。

 このシーンを塩野氏は、メフメトが、「先生、あの町を私にください」 と、声を押し殺して、静かに語ったと描いている。
 彼の冷酷な意志と、底知れぬ不気味さを表現しようという書き方だ。

 それに対し、ランシマンは 「師よ。われにコンスタンチノープルを与えよ!」 と叫んだと表現している。

コンスタンチノープル城壁003

 二人がどのような原典に依拠したか分からないが、私はランシマンの方を採る。直感的に 「叫んだ」 と思えてしかたがないのだ。
 叫ばないにしても、叫ぶような高圧な態度で、専制君主らしく居丈高に命令したことだろう。

 ランシマンによると、メフメト2世は独裁者の常で、気まぐれによって家臣を振り回すことにためらいを感じる人間ではなかったという。
 そうだとすれば、夜中にハリルを呼び出したのも、不意に襲ってきた興奮に耐えきれなくなったからだ。
 高揚した気分のままハリルに決意を打ち明けようとするメフメトには、塩野氏が描くように、沈着冷静に取りつくろう余裕があったとは思えない。

 ランシマンは、メフメト2世が傷つきやすいただの若者であったことを見逃さない。
 絶対的な権力を行使している最中にも、彼は、家臣が持っている 「経験」 が自分には欠けているという思いを忘れることはなかったという。

コンスタンチノープル城壁002
▲ 金角湾を望むトルコ側の砲台

 金角湾における海戦のとき、メフメトが海の中にまで馬を乗り入れ、声をからして船長たちを指揮したが、それに耳を貸そうとする船長は一人もいなかったとランシマンは書く。
 「陸戦ならいざ知らず、海戦や船の操作についてスルタンは何の知識も持っていないことを、船長たちは知っていたからである」

 メフメトは、この時ふがいない船長たちに憤る姿勢を見せながら、内心は自分の非力さに傷ついていたという。
 こういうところにランシマン本の面白さがある。
 彼はメフメトの未熟な部分や偏狭な性格と、世界史的に傑出した名君であった部分を公平に描き分けている。

 それに対して塩野版で描かれるメフメトは、年上の大臣たちをも恐れさせる絶対君主の相貌を帯びる。
 彼は、沈黙を守っているときですら神秘的なカリスマ性を漂わせ、激怒したときには、鬼神をもひれ伏させるような怖ろしさを発揮する人物だったされる。
 ちょっとカッコよすぎである。劇画の主人公のような感じだ。

 メフメト2世の描き方に関しては、家臣に対して強権的に振る舞いながらも、内心は自分の幼さに悩んでいたというランシマン的な把握の方に、軍配を上げたい。

 しかし、それ以外の叙述となると、さすがにストーリーテラーとしての技量は塩野氏の方が上。
 「小説家」 でもある彼女の描写力は、「研究家」 ランシマンの上を行っていると言わざるを得ない。

ガレー船002

 ベネチア船が櫂を一斉に揃えて、動き出す瞬間の描写。
 あるいは、トルコ親衛隊イエニチェリの一糸乱れぬ行軍の様子。
 城壁の上に勢ぞろいして、トルコ側を威嚇するビザンチン側の高官たちの姿。
 トルコ兵たちが歌う、エスニックな軍歌の響き…。

 読者を目撃者に仕立ててしまうような臨場感の出し方においては、塩野氏の方に1日の長がある。
 このようなテーマをそこまで書き込める日本人は、氏以外にはいない。
イエニチェリ001 イエニチェリ002
▲ スルタンの親衛隊 「イエニチェリ」 。“新兵” という意味。キリスト教徒の子供たちをさらって、無理やりイスラム教に改宗させて作り上げた軍隊。家族から切り離された存在であったため、スルタンに対する忠誠心は絶大であったという。当時の世界最強軍。
 
《 追記 》

 メフメト2世の人生をたどっていくと、日本の織田信長によく似たところが多々あるように思える。
 まず、どちらも専政君主の子として生まれながら、その存立基盤が不安定で、王位継承の前に、その兄弟・親族を殺害しなければならなかった。

 また両者とも、最初のうちは父の代から使えていた家臣たちからその能力を評価されず、白眼視されていた。
 そのため周囲に対する猜疑心が強く、恨みをじっとため込む執念深い性格が形成されたいった。

 信長が、若い頃の自分に楯突いた家臣への恨みをずっと心の奥に潜ませ、晩年その家臣たちを追放したように、メフメトも自分の方針に従わなかった宰相たちを後になって処刑している。
 家臣に愛されるよりも、恐れられる君主を目指したというところも、2人に共通している。

 また、古い伝統に縛られることを嫌い、新しい物が好きだったところもそっくり。特に火器に異様な関心を示したところが似ている。

 信長が前代未聞の3000挺という鉄砲を集めて、長篠の会戦に臨んだように、メフメトも、ハンガリーの技術者であるウルバンに、世界初の巨大大砲を造らせるなど、ともに火器において軍事史を書き換えるような出来事をつくっている。

 船を使ったユニークな軍事行動を行うところも似ている。
 信長は、銃撃戦に耐えられる鉄板張りの船を建造して、周囲を驚かせたが、メフメトも、封鎖された金角湾のなかに艦隊を突入させるため、船を荷台に乗せて山越えを行うなど、常人の意表を突くアイデアを披露した。

 性愛においても2人は男色・女色の両刀使い。
 ファッションに関しても互いに派手好み。
 両者とも国際派であり、西欧の絵画や文物を好んだ。

 要の東西を問わず、歴史の中に傑出した営みを残した 「英雄」 というのは、どこか似ている。
 「闇」 の部分が濃いだけ、「明」 の部分も輝きを増すということを、この2人は教えてくれているのかもしれない。


 関連記事 「コンスタンチノープルの戦い」
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 12:30 | コメント(0)| トラックバック(0)

信号で止まる虎

 昨日の日曜日は、久しぶりの休日。
 木々の緑がキラキラとまぶしく、まるで 「新緑の初夏」 ともいえそうな好天気だった。
 散歩のついでに、自動車免許の更新を行ってきた。

 運転免許証というのは4年ごとの更新になるわけだが、この4年間のうちにいろいろ変わってしまったなぁ…という思いを持つ。

 まず、手続きがものすごく簡素になった。
 以前は書類の書き込みが面倒だったので、時間のない時は代書屋に頼んでいたのだが、もうそれも必要ないくらい書類申請が簡単になった。

 免許証そのものも変わった。
 偽変造免許を防止するために、免許証自体がICカード化されていたのだ。
 まったく知らなかった。

 新しい免許証では、本籍地などがICチップ内に記録されるために、表面上はシークレットになる。それらを読みとるためには、4桁の暗証番号を二つ入力しなければならない。
 この4年の間に、ずいぶん進化したものだ。


 1時間ほどの講習を受けたのだけれど、その内容も、最近の交通事情の変貌を遂げていることを教えてくれた。

 ここ数年、お年寄りの歩行者の事故がものすごく増えているのだそうだ。
 その中でも、自動車の免許証を持っていない老人…つまりは、運転経験のないお年寄りが事故に遭遇する率が非常に高いという。

 どういうことかというと、彼らは自分で運転を経験していなから 「クルマの特性」 というものがよく分からない。
 たとえば、ブレーキをかけてからクルマが止まるまでの制動距離というものを知らない。
 そのため、ドライバーが自分の姿を確認したら、その瞬間にクルマがピタっと止まるものだと思い込んでいるという。

 また、認知症が重くなってくると、現在の交通事情を把握する能力がどんどん失われてしまい、そのために車道への飛び出しが増えるということも、これはどこか別のところで聞いた。

 重度の認知症になると、現在の記憶はどんどん失われていくにもかかわらず、子供時代の “感覚” だけは生き残る。
 今の高齢者たちが幼年時代だった頃は、道路には横断歩道もなければ、信号もなかった。
 それでも、交通量が少なかったから、たいした事故も起こらなかった。

 横断歩道のないところを平然と横切る老人というのは、自分が子供に還っていることに気づかない人々だという。


 一方、子供の交通安全にも、ひとつの課題があるようだ。

 講習を担当した教官の方が、最後にこんな話をつけ加えた。

 「子供が信号を無視して道路を飛び出すのは、たいてい大人の責任である」 というのだ。
 つまり、大人たちは、口では、
 「信号をしっかり守りなさい。青は歩け、赤は止まれだからね」
 などと言いながら、自分たちは、クルマの通らない交差点では平気で信号を無視して、横断してしまう。

 子供たちは、そういう大人の姿をしっかり見ているのだ…とも。

 こういう話を聞くたびに、必ず思い出すエピソードがひとつある。

 それは、かつて職場の同僚と議論した 「信号無視の是非」 をテーマにしたディベートだった。

 ディベートの相手は、私にこう言った。

 ………… 子供たちに “信号のルールを守ろう” などと強制し過ぎるから、かえって信号無視をするクルマに子供がはねられたりするのだ。
 だから、必要なのは、“信号を守ろう”というルールの強制ではなく、“今は横断歩道を渡れるかどうか?” を判断する能力を養わせることだ。

 そもそも、左右の視界にクルマが1台もないのにもかかわらず、そこを 『渡るな!』 というのは、いかにも非合理的な考えだ。
 そういう考え方の根底には、国民をルールで縛って管理しやすくさせるという権力側の魂胆が反映されている。
 そういう考え方に慣らされると、自分で危機管理のできない人間になってしまう。

 仮に、自動車を、密林に棲む虎のような大型の肉食獣に例えてみよう。
 『今は青だから渡ります』
 と言ったところで、虎は子供の前で止まってくれるだろうか?

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 大自然のかたわらに住む住人たちは、個々の動物にはそれぞれ臨界距離というものがあり、どういう状況なら動物が襲ってくるのか、どういう状況なら大丈夫か、そういうものを学ばせて、子供が自分で判断できるように仕向けている。

 だから、“信号を守ろう”という安直な社会的ルールを押しつけることは、都会人・文明人の怠慢であり、それは人間の自発的な危機管理能力を殺すことつながっている ………


 もちろん、これは詭弁である。
 これを唱えた本人も、あえてディベートのための立論であることを自分でも承知している。

 しかし、何年経っても、いまだに信号の前で立ち止まると、この議論を思い出すということは、よほど自分にとって “何か意味のあること” だったに違いない。
 
 おそらく、ここには、単なる 「交通社会のルール」 という意味にとどまらない “教育のあり方” 、あるいは “共同体と個” という問題を考えるときの、本質的なものが横たわっているような気がする。
 皆さんは、どう思われますか?



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 18:33 | コメント(8)| トラックバック(0)

今風ジャズ喫茶

 印刷・製本の過程で、「出張校正」 というものがある。
 初稿に赤字を入れて、それが正しく反映されているかどうかをチェックする校正だ。
 なぜ 「出張」 なのかというと、初稿校正をチェックしたものからどんどん印刷工程に回して行くために、印刷所まで出向いて校正をするからである。

 『キャンピングカースーパーガイド 2009』 も、ようやくその出張校正の段階まで漕ぎつけた。

 で、昨日がその 「出張校正」 の日だった。
 夕方16:00時から初稿の直しが出るという段取りだったので、15:40頃、印刷所のある駅までたどりついた。
 
 ちょっと時間が早い。
 
 「コーヒーブレイク」 でも取るか…
 と、駅の周辺を散策していたら、『ジャズ喫茶』 という看板を見つけた。

 言葉の響きそのものが懐かしい。

 60年代から70年代初期にかけて、日本の大都市圏には、「ジャズ喫茶」 なるものが乱立していた。
 特に、東京の新宿あたりには、10軒以上あったと思う。

 狭い階段を降りていくと、分厚い扉があり、それを開けると、耳をつんざくようなサックスの咆哮が空気を揺るがし、
 「ここは騒音テストの実験室か?」
 と、はじめての人なら勘違いするというのが、典型的な “ジャズ喫茶” のたたずまいだった。
 
 室内はひたすら暗い。
 夜霧がたなびくように煙草の煙が充満し、奥の方はかすんで見えない。
 コーヒーは、高くて、苦くて、まずい。
 「私語禁止」 などという張り紙が堂々と張ってあったりする。

 そこに出入する人間は、たいてい、神経質そうな音楽青年あるいは文学青年で、沈思黙考する風情で、ひたすら流れる音に耳を傾けるか、あるいは分厚い書籍に一心不乱に目を通しているような人間ばかりだった。

 “モテない男” の溜まり場だったように思う。

 そういう喫茶店が、バブルの時代まで生き延びられるわけはなく、80年代になると、“名門” といわれるジャズ喫茶が軒並み店をたたんでいった。

 だから、『ジャズ喫茶』 という看板を見つけたとき、時間が20年くらい逆戻しになったような気分になった。

 出張校正のために、印刷所が用意してくれた時間まで20分しかなかったが、ためらわず、ドアを開けて中に入った。

 窓ガラスの面積が大きいため、室内はやたらと明るい。
 椅子・テーブルは、デパートの家具売り場に並ぶようなモダニズム様式のデザインで統一され、やたらとトレンディ。
 壁に埋め込まれたでっかいJBLのスピーカーと、窓際に並ぶ30㎝LPのジャケットがなければ、若い女性たちが、「ちょっとスィーツを食べながらおしゃべり…」 したくなるような、清潔で、上品なインテリアだった。

 音も適度に絞ってあって、昔だったら “野獣の雄たけび” を連想した金管楽器の咆哮が、清流のせせらぎのように聞こえた。

 客は?
 ……と眺め回してみると、これまた30年~40年前に、薄暗い 「ジャズ喫茶」 の片隅で、ひがな一杯のコーヒーをちびちび舐めながら時間を過ごしていたと思われる青年が、そのままオヤジになったという人ばかり。

 優雅なジャケットにアスコットタイなど絡ませたりして、今は “功なり名を遂げた” 人生を送っている人たちが、青春時代を回顧するために集まってきたという風情だった。

 店主は50代の白髪頭の品の良いオヤジで、カウンターの常連客を相手に、にこやかにジャズやオーディオの話題を提供しているところを見ると、きさくで饒舌な人という感じだ。

 昔のジャズ喫茶には、無口で恐い店主が多くて、リー・モーガンの 「サイドワインダー」 などリクエストすると、
 「うちはロック喫茶じゃないんだから」
 とか、
 オスカー・ピーターソンなどをリクエストすると、
 「ナイトクラブにでも行ったら」
 なんて言ったものだ。

 しかし、この店の店主は、いかにも愛想がいい。
 お客がレジでお金を払うと、
 「またお越しください」
 と、ていねいに頭を下げて、わざわざドアを自分で開けたりしている。

 時代が変ったな…と思った。

 その店主が、コーヒーを運んできたとき、
 自分もちょっと “社交性” を発揮して、
 「いま流れているミルト・ジャクソンなかなかいいですね」
 と、お愛想を言った。
 「ええ、やっぱりMJQでやっているときと、ソロでやっているときは全然違いますね。ソロでやると、すごくエモーショナルでファンキーですものね」
 と、こちらが尋ねた10倍以上の答が返ってきた。
 ああ…やっぱりジャズが好きな人なんだな、と思った。

ブルートレインポスター
 ▲ 店の壁には、ブルーノート盤の 「ブルートレイン」 のジャケットを引き伸ばしたフレーム付きポスターが立てかけられていた。 

 出張校正が始まる前だったので、わずか20分ほどで店を出たのだけれど、気持ちのよい時間を過ごした。
 こういう形でジャズ喫茶が復活するのは、とても良いことだと思う。

 だけど、何かが違う。
 …と、かすかに思う。

 ジャズさえあれば、女なんていらねぇ…
 という、あの自虐が反転して高揚していくときの気分。

 こぎれいなスーツに身を固めた大人たちなんか信用できるかよ…
 と、未熟さの裏っ返しから生まれる反発心が沸騰していくときの激情。

 昔の暗くて、汚くて、うるさいジャズ喫茶には、そういう 「負の意識」 をプラスに反転させるような魔術性があった。
 その店には、そういったものが生まれてくる余地がなかった。
 
 かつてのジャズ喫茶が持っていた 「祝祭的な空間」 は、もう今の都会の中には必要なくなったのだろう。
 今の大都市は、いわば “毎日が祝祭” 。
 そうなれば、明るく、清潔で、万人が心地よいという環境が大事になる。
 ジャズもまた、万人の音楽を目指すようになったのかもしれない。 

 近年、小じゃれたカフェや和風創作料理などを自称するダイニングでは、やたらBGMとしてジャズが使われるようになった。

 即興性の強いジャズは、あまりメロディに対するこだわりがない。
 だから、耳を傾けるのもよし。
 聞き流しながら、雑談にふけるのもよし。
 「大人のムード」 を演出するときに、ジャズは格好の “環境音楽” になる。
 だから、昔に比べると、今の方がはるかにジャズを耳にする機会は増えている。

 ただ、それはジャズにとっていいことなのか、どうか。

 昔風のジャズ喫茶がなくなって、ジャズの魔術性が薄れていくことと、ジャズが和風ダイニングのBGMで使われるようになったことは、相関関係にあるような気がする。 



コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 13:21 | コメント(4)| トラックバック(1)

ネズミの社交性

 一人っ子なのである。
 だから、基本的に一人遊びが得意。

 居酒屋の片隅で、話し相手もいなく、黙々と酒など飲んでいるのが、全然苦痛じゃない。

 数学者の森毅さんが面白いことを言っていたけれど、
 「一人っ子は協調性があまりないけれど、その足りない分を、社交性で補う」
 …っていうんだよね。
 当たり!
 と思った。

 協調性と社交性は、似たような感じがするけれど、中身はまったく別もの。

 人の群のなかに混じって、苦労して、協力し合って、ひとつの成果を出していくのが 「協調性」 。
 それに対して、 「社交性」 ってのは…

 やぁやぁ元気、いやぁしばらく! 
 お、楽しそうだねぇ、素晴らしいですね。
 それ、私にも頂戴ね。じゃ…またね。

 …と、調子よく他人の成果をヘロっと自分のものにして、自分に都合よく立ち去るのが社交性。

 ま、自分にはそういう傾向がある。

 社交性というのは、弱者の武器だ。
 力もなくて、気が弱い人間が、自分の身を守ろうとするときに発達する。
 恐竜の時代に、森の中でひっそりと暮らし始めたほ乳類の智恵だ。

 ジュラ紀とか白亜紀といった恐竜全盛時代に生まれた小さなほ乳類は、草原の中にエサを探しに行くことができない。
 行けば、恐竜にパクっと食われて、自分がエサになってしまう。

 だから彼らは、周囲の情報を取り込むために、聴覚・嗅覚といった情報収集器官をフルに働かせて、仲間同士のコミュニケーションを密にし、恐竜の脅威から身を守ろうとした。

 そいつがわれわれ人類の 「社交性」 の母胎となった。

 …って、ホントかね。
 いま思いついたヨタ話だけどさ。

 だけど、社交性ってのは、周囲の動きに敏感になることから生まれるのは確かだ。
 「人の顔色をうかがう」 とか、
 「ゴマを擦る」 とか。
 そういう姑息な気づかいが身に付くことで、社交性が育つ。
 つまり、今の自分が置かれている状況では、何が危機で、何が面白いのか。そういうことに敏感な精神が 「社交性」 の母胎となるのだ。


 自分にもそういう傾向があって、一人で黙々と居酒屋で酒を飲んでいても、耳だけダンボで、周りの情報収集だけは抜け目ない。

飲み屋瓶

 「あんたもういい加減にこれ以上飲むのをやめなよ。体を壊してまで飲むんだったら意味ないんだから」
 …って言っているのは、カウンターの隣りに腰掛けている水商売上がり風のおバアさん。

 「てぇやんでぇ。俺は飲みてぇんだよ、今晩は。てめぇ帰りたければ一人で帰ればいいだろ」
 …って息巻いているのは、定年退職して、いかにもやることがない日々が続いて鬱屈していそうなオジイさん。

 一見、夫婦の会話のようにみえるけれど、
 「あんたんとこの奥さんに、またワタシ怒鳴られるのもう嫌だよ。ねぇ、もう帰ろうよ。夜も更けてきたんだからさ。医者に止められたんだろ、酒…」
 …ってなことをオバアさんがいうからには、なんだかワケ有りのカップルのようにも思える。

 「関係ねぇだろ。俺が生きようが死のうが、俺が決めることだ」
 「バカだねぇ、死んじまったら、残されたワタシはどうなるのよ」

 いくつになっても、男はガキだね。
 でも、この会話、ちょっとした場末の 「人生劇場」 じゃないのよ。
 さぁ、続きはどうなるの?

 ……と、舞台で繰り広げられる役者の演技を楽しんでいたら、いきなりこっちにも役が振られた。
 「ねぇ、人に気をつかって酒飲んでたって楽しくねぇでしょ? ねぇ」
 オジイさんが振り向いて、こっちに向かって話しかけてくるのだ。
 応援部隊の出動よろしくね、っていう心境なんだろな。

 こっちは森の中でコソコソ生きているほ乳類だから、こういうときの対応にも抜かりはない。

 「でも、心配してくださる人がそばにいることが、人間には大事なことですから。奥様のお言葉にも耳を傾けてあげないと…」
 …ってな、三流週刊誌の人生相談の答みたいなものが、シレっと口をついて出てくるのが、オレなんだな。

 ここで 「奥様」 って言葉を使うのがミソ。
 仮に、オバアさんが “奥様” であろうとなかろうと、関係ない。
 話の流れを読んで、そのオバアさんが “奥様” の役目を務めようとしているという気持ちを汲んであげることが肝心だからだ。

 案の定、オレがそう答えたら、「そうよ、そうですよねぇ」 と、オバアさん上機嫌。
 で、オジイさんの方も、オバアさんが笑顔になれば、それはそれで、まんざらでもないんだな。

 これでそのカップルも円満。

 でも、そういう社交性を発揮する自分って、ホントに太古の森でイジイジ暮らしていたネズミみたいなもんだと、自分では思っているんだけどね。



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:37 | コメント(4)| トラックバック(0)

5月15日発売!

 『キャンピングカースーパーガイド 2009』。
 5月15日発売となりました。

09-guide
 
 当初のもくろみよりは、ちょっと発行が伸びてしまった理由は4月19日のブログにも書きましたが、伸びたから安穏としていられると思ったら、やっぱり結構きつかった。

 というのは、 「どうせ伸びるなら…」 と、けっこう欲張って掲載件数なども増やしてしまったんですね。

 そうしたら、…なんのことはない。
 やっぱり締め切りギリギリじゃありませんか。

 でも、まぁ、いい本になったかな…。
 画像がみんなきれいなんですね。

 ちょっと秘密があります。

 うちにはレタッチ&画像加工の名人がいて、昼間の明るさを、間接照明の映える夜の室内に。
 逆に、窓の外の暗さは、陽光あふれるアウトドアの世界に…なんてことが朝飯前のスタッフがいるんですね。
 
 だから、写真を選んでから、
 「窓の外を公園にする」
 なんてメモしておくと、
 ……ひゃあ! 窓の外には人混みばかり溢れるショー会場の写真などが、そよ風吹き抜ける芝生広場に変わっていたりするわけで。

 全部の写真にそのような加工しているわけではないのですが、イベント会場で撮った写真で、窓から車内を覗き込んでいるお父さんの顔が消えて、緑の植え込みが広がる公園になっていたりする写真はけっこうあります。

画像修正前001 画像修正後002 
▲ Before              ▲ After

 それにしても、デジタル時代の画像加工はすごいところまで来ましたね。
 「あの写真がこんなになっちゃうのかぁ…」

 校正刷りを見ているだけで、けっこうこっちも楽しめます。



NEWS | 投稿者 町田編集長 10:30 | コメント(0)| トラックバック(0)

女性の一人遊び

 この前、大阪の阪急食堂街にある立ち飲みの串揚げ屋で、一人でタコハイ飲んでいたら、隣りにフラッと立ったのが、24~25歳というOL風。

松葉

 あとから彼氏でも来るのかな…と思っていたら、一人で生ビールをグビっと空けて、
 「エビとレンコン、キスね…」
 なんて一人で頼んで、一人でほうばっているわけさ。

松葉揚げ

 昨日は昨日で、駅前の吉野屋で豚丼食っていたら、やはり隣りに座ったのが、若いOL風の女性で、
 「牛丼並み。つゆダクで下さい」
 なんて、いっちょうまえに頼んでいるんだな。

 最近やたらと飲食店に一人で入ってくる女性が多くなったように思う。 
それも、吉野屋とか、立ち飲み屋とか、オヤジが集まるような場所に。

 昔は、女性が一人でオヤジの多い飲食店に入るってのは、けっこう勇気がいることだったらしい。
 ジロジロ眺められるからだ。

 若い子の場合は、
 「彼氏募集中かな? 男に声掛けられるのを待ってんだろうか…」
 なんて、無遠慮な視線で見つめられるし、
 年配の女性の場合は、
 「離婚したのか? それとも行かず後家か?」
 なんて、男たちのよけいな好奇心にさらされる。

 しかし、そんな男たちの視線をものともしない若い女性が増えた感じがする。

 いつだったか、週刊誌を読んでいたら、 「一人カラオケ」 を楽しむ女性が増えてきたという記事が載っていた。

 取材された女性の談話では、
 「人と一緒だと、みんな知ってる曲やノリのいい曲じゃないと、場が盛り下がるじゃないですか。
 だから、なかなか好きな曲が歌えないんですよ。
 そのストレスを晴らすために、別の日に一人で行くんです」
 …ってなことらしい。
 
 一人でフレンチを食べに行く女性も多いらしい。
 「一人ならば、行きたいと思ったときにすぐ行けるし、自分のペースで食べられる。
 寂しいなんて思ったことはない。
 一人の方が “味” に集中できるし、自分の時間は友だちや恋人とではなく、自分のためだけに使いたい」
 そんな談話も紹介されていた。

 つまり、恋人がいないから…とか、友だちがいないから…という消極的な “一人遊び” ではなく、積極的に “一人遊び” を楽しむ女性が増えたってことのようだ。

 そういう彼女たちは、口々にこう言うそうだ。
 「声をかけないでほしい」

 どうも男の方の意識が遅れているらしいんだな。
 「居酒屋のカウンターでひとりで飲んでいると、オヤジは 『失恋したの?』 と聞いてくるし、大学生グループは 『寂しくないの~?』 って。
 本当にウザっぽい。
 ほっといてほしい!」

 その気持ちホントによく分かる。

 オレだって、一人でバーのカウンターでしみじみ飲んでいるとき、
 「すみません、ちょっとだけお話し相手になってくれますか?」
 なんて、若い子に声かけられなくないし、
 「ねぇ、素敵な横顔ね」
 なんて、中年の女性にも声かけられたくもないもんな。

 ましてや、
 「お一人で飲んでいらっしゃる雰囲気が、どことなく寂しげで、それでいて凛とした風情があって、今晩は素敵な方と隣り合わせになったわ。
 いっぱいご馳走していいかしら?」

 なんて言われたら、オレは即座に席を立って店を変える。
 …ぐらいの気持ちで、いつもいるのだけれど、幸いなことに、今まで一度もそんなことがないからホッとしている。

 で、何が言いたいかというと、“ひとり上手” な女性が増えてくると、そのうち、キャンピングカーで一人旅を始める女性も増えてきそうな気がするわけ。

 昔、このブログで、
 「キャンピングカー旅行では夫婦の2人旅が増えたが、その次に増えそうなのは、オヤジの一人旅じゃなかろうか」
 なんて書いたことがあったけど、どうやらその前に 「女性の一人旅」 の方が先に来るかもしれない。

 「クルマの中で一人で寝るなんて危ない」
 とか思われそうだけど、キャンピングカーってのはカーテンさえ閉めてしまえば、中にどんな人間が乗っているかなんか、外からはまったく見えない。

 列車やバスを使って一人旅をするよりも、むしろキャンピングカーの方が、案外安全な女性の一人旅をサポートするかもしれない。
 カップルや家族連れでにぎわうホテルに、一人で泊まるのは気後れすることもあるだろうけれど、クルマの中で気楽に寝ていれば、そんな気づかいも必要ないしね。

 もし、そういう風潮が台頭してくれば、またひとつキャンピングカーが変わる。
 どんな風に変わるか?
 おそらく、ファミリー仕様で、奥様の気持ちを優先して…
 なんてこと以上に、徹底的に変わる。

 面白い時代になってきた。 



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 09:05 | コメント(0)| トラックバック(0)

新ショップ速報

 昨日の18日から今日の19日にかけて、日本各地でキャンピングカーを販売する新店舗が続々オープンしました。
 これだけ集中的に、新しい店舗が開店するというのも、近年はなかったこと。
 この業界、なかなか元気なようです。

 もちろん、今回発行する 『キャンピングカースーパーガイド 2009』 には、どの情報もしっかり載っています。

 今日は大サービス!
 発行される前ですけど、出し惜しみせずに、その収録記事の一部を抜粋して紹介してしまいましょう。
 
 昨日オープンしたばかりだというのに、記事では、
 「早くも地元のキャンピングカーファンの間では憩いの場となっている」
 なんて書いてあるお店もあります。
 「明るく、爽やかな展示場の室内には…」
 とかね。
 実際に、現場取材もしていないのに、さも “見てきたかのような” な記事を書くわけですから、編集者って、ウソつきですね!


 ええ、では、…この18日ではないのですが、4月4日にオープンした 「AtoZ鈴鹿店」 の記事から。

AtoZ (エートゥゼット) 鈴鹿店

三重県鈴鹿市磯山3-10-3
TEL.059-367-7373 / http://www.atozcamp.com/
定休日:毎週水曜日 / 営業時間:10:00~18:00

AtoZ鈴鹿店01

《 中部、近畿、阪神方面からもアクセス良好 》

 新名神高速道路の草津田上IC~亀山JCTが開通したために、京都、神戸、大阪北方面からのアクセスが一挙に便利になった鈴鹿地方。
 この地方の発展性を見込んだかのようなタイミングでオープンしたのが、AtoZのこの鈴鹿営業所だ。
 電車の便にも恵まれた場所で、近鉄名古屋線の磯山駅から徒歩で5分。国道23号線に面していて分かりやすい。
 品揃えはアミティ、アーデン、アレンなどといったオリジナルの人気商品が中心となるが、バンテック新潟やオートショップアズマ、ビークルの車種も展示される。

《 アクセス 》

 東名阪自動車道の鈴鹿IC、もしくは亀山ICを出て、鈴鹿サーキット方向へ。近鉄名古屋線の磯山駅が近く、駅から徒歩5分。鈴鹿・亀山ICからは車で40~50分。国道23号線沿い。

《 主な取り扱い車種 》

 アーデン、アーデンショート、アルファ、アレン、アミティ、アミティLX、アミティRRなど。バンコンではアンナ、アメリアの他、バンテック新潟のVR470、オートショップアズマ、ビークルの人気車も。


Camping Car Station (アールブィビックフット社) 函館店 & 北斗店

北海道北斗市七重浜4-40-1(函館店)/北海道北斗市七重浜5-3-1(北斗店)
TEL. 0138-49-5558 (函館店) / 0138-48-0151 (北斗店)
http://www.ccs-rv.com/
定休日: 毎週火曜日 (祝祭日の場合は営業)
/営業時間:10:00~20:00

CCS北斗店
▲ CCS北斗店

《 新しくレンタカーのショップも開店 》

 一面ガラス窓に囲まれた明るいショールームの中には、RVビックフット社のオリジナル製品がずらりと勢ぞろい。
 屋内展示場なので、冬でも快適にクルマを見学することができる。
 地方の展示場ではなかなか見ることができないバスコンが揃っていることもこの店の特長のひとつ。
 ショップ内にサービス工場が併設されているので、メンテナンスやパーツ取り付けなどを気軽に頼むことができる。
 この春からはレンタカー業務を中心に行うショップ (北斗店) もオープンしたので、北海道観光の時に利用したい。

《 アクセス 》

 函館江差自動車道・函館ICを出て、国道5号線を函館市内方向へ。函館ICから5分。フェリーターミナルからも5分。函館空港からクルマで約20分

《 主な取り扱い車種 》

 RVビックフットのオリジナル=シエル、シェリト、ザナドゥー、パラドール、グランディーネ、エポックμの2ルームやtypeXなどのバスコンを中心に、バンコンのオルベット、B&B、ビックフットμほかトレーラーのニワドーなど。


キャンピングカープラザ東京

埼玉県入間市二本木1281-2
TEL.04-2936-6635 / http://www.campingcar-rv.com
定休日: 毎週火曜日 / 営業時間:10:00~19:00

キャンピングカープラザ東京店001

《 アネックスの全商品を扱う関東の拠点 》

 アネックスの特約店である 「キャンピングカープラザ東京」 が、この春埼玉県の入間市にオープンした。
 国道16号線、青梅街道、圏央道、中央道さらには関越道と、多方面からのアクセスが良好で、気楽に見学に行くには理想的な場所といえる。
 関西を中心に活躍するアネックスの新車が関東地区でもゆっくり見られる貴重なショップとあって、早くも東京首都圏のアネックスファンの憩いの場としての評判を獲得している。
 オフィスも、アネックスの都会的なデザインセンスのキャンピングカーによく似合う洒落たもの。
 キャンピングカーにおいてはこの道20年のベテラン木村店長が、クルマ選びの相談からアウトドアライフの妙味まで、何でも楽しく応対してくれる。
 木村氏は、知る人とぞ知る野外料理の達人。特に 「スープの神様」 の異名を採る人だけに、野外料理のレクチャーを受けてみるのもまた一興。キャンピングカーの買取にも力を入れているので、優良中古を探すのにもいい。

《 アクセス 》


 圏央道の入間ICから国道16号線を八王子方面へ3.4km走ると左側に展示場。空色の 「キャンピングカープラザ」 の看板が目印

《 主な扱い車種 》

 主な取り扱い車種は、アネックスの特約店としてキャブコンのリバティLE58・LE52・FS58、FS52、ネビュラ、クラウドのほか、バンコンのリコルソ、ウィズ、ファミリーワゴン、ファミリーワゴンSタイプ、ストリート、ストリートデュオ、ウロボロス、ポケットなど。
 ほかに優良中古車の品揃えも充実している。
 またキャンピングカーの買取も行なっており、「オーナーの愛車へのこだわりをプラス査定する」 という方針で、良心的な査定を行っている。


 そのほか、この18日オープンしたショップでは、仮店舗ながら、ファーストカスタムの 「札幌ショールーム」 があります。
 こちらは屋内展示場なので、雨が降った日や、暑い日、寒い日など気候の悪い状態でも、安心してクルマを見学できるのが特徴。
 札幌市中央区南30条西11-1-13 / TEL.011-522-5215

 他に、この25日にオープンするのが、ナッツRV 「太宰府インター店」 。
 福岡県太宰府市水城2-10-1 / TEL.092-918-7272

 もちろん、この2店舗も、本誌にはばっちり収録。

 キャンピングカー業界は、この春空前の新店舗ラッシュ。
 マーケットの広がりが背景にあるということでしょうね。
 個々の店舗に関しては、実際に取材したときに、また詳しく紹介します。


NEWS | 投稿者 町田編集長 13:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

また深夜の夕食だ

 ついさっき…夜中の3時だけど、カップ麺と奇陽軒のポケットシュウマイ (6個入り) の夕食を済ませ、インスタントコーヒーを飲みながら、相変わらず夜中のデスクで校正作業に従事している町田です。

 ここんところ、たまにブログを書くと、やたら夜中に仕事をしているという報告ばかり。

 じゃ、昼間寝てんのかい?
 …っていわれそうだけど、いえいえ、昼間もしっかり仕事をしてますよ。
 たまにうたた寝はしているけどね。

 今日はちょっと残念なご報告。
 今、作業中の 『キャンピングカースーパーガイド2009』 ですが、発売日がコールデンウィーク明けになってしまいました。

 なんとか、GW前に書店に並ばせたいと思って、不眠不休で編集作業を続けてきたのですが、連休前はムリとのこと。

 実は、今回から発売元さんが変わり、新しい発売元さんからの発行になります。
 その新しい発売元さんが、ムックコードを取る予定で動いていらっしゃったのですが、どうやらムックコードの取得が間に合わないらしく、今回は書籍コードの発売になります。

 …といっても、本の体裁が変わるわけではないんですけどね。

 ムックよりは書籍の方が、書店さんに置かれている期間が長いので、本を探す人には便利かもしれません。
 しかし、作る方としては、見本出しが早まる分、締め切りがタイトになります。
 つまり、書籍としてGW前に出すには、今日あたりがもう見本出しの刻限なんですね。

 そりゃちょっとムリだわなぁ…。
 ムックだったら間にあったんですけどね。

 …というわけで、書籍扱いとなったために、GW前の発行を断念せざるを得なくなりました。

 発売日は、5月15日 (金曜日) の予定です。
 
 もう原稿は全部書き上げて、初稿の90%も出ていて、ほとんど本はできているというのに、さらに1ヶ月後に発行が伸びるというのは、編集者としてはちょっと残念ですけど。

 申し訳ないなぁ…と思うのは、キャンピングカーを製作したり販売したりしている会社の人たち。
 皆さん、私が一人で取材して、記事書いて、校正やっているのを知っているので、校正のお手伝いをしてくれるんですね。

 印刷所から刷り出し用のページが作られると、それをPDFファイルにして、各事業者に目を通してもらっているのです。
 その段階で、価格や装備類、記事中のミスがあったら連絡してもらうようにしています。

 そのため、きわめて情報精度の高い本にはなるのですが、皆さん春のイベント続きの忙しい季節なので、なかなか原稿チェックの時間が取れないんですね。
 だから無理して時間をとってもらったにもかかわらず、本の発行が遅れるというのは本当に申し訳ない…という気分になります。  

 でも、発売日が伸びることが分かったので、ちょっと欲張って、特集部分を増やしました。
 昨年、アメリカをモーターホームで回ったときの印象をまとめたエッセイのようなものを書き足しました。

モニュメントバレー14

 ちょっと気取った文芸的な記事になっちゃいましたけれど、今までにはなかったようなアメリカ紀行になったのではないかと思っています。  


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 04:12 | コメント(6)| トラックバック(0)

足が…

 ここに書く話でもないし、書く本人も嫌だけど、読む人はもっと嫌だろうけれど、足がさぁ…。

 ……臭くて。

 もう5日も家に帰っていないで、風呂にも入っていないから、自分の足の臭いで死にそう。
 毎晩、皮膚洗浄綿で丁寧にふき取って、脂っけは拭き取っているんだけど、それでもさぁ、デスクの下から臭ってくるわけ。

 そばに寄ってくる人はたまらないと思うけれど、まぁ、幸い、だだっぴろい部屋で仕事をしているのは、たいてい自分ひとりだから、他人の迷惑になっていないのが、せめてもの救い。

 で、今 『キャンピングカースーパーガイド 2009』 の初稿の校正中。
 一生懸命記事を書いたつもりでいたけれど、読んでみると、まだまだ不満なところがある。
 やはり、 「そのクルマを買う人間」 の立場からすると、完璧じゃない部分もある。

 たとえば、「あ、このクルマ良さそう。買ってみようかな…」 って、自分でそんな気分に成り切って校正していて、「あ、バンクベッドは子供用の広さしかない」 って書いてあるけれど、実際にどのくらいの寸法なんだろう…って、読んでいくと、……書いてなかったりするんだな…、これが。

 まぁ、文章のスペースも、装備欄のスペースも限られているから、すべてをフォローするのは難しいけれど、できるだけ、正確な印象だけは伝えたいと思う。

会社デスク001

 本当は、1車種で4~5ページは必要かもしれないと感じる。
 
 書ききれない部分は、そのうちブログでもアップするつもりですので、こちらもお見逃しなく。

 それでは、夜明けまで、もう少し…

 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 03:10 | コメント(0)| トラックバック(0)

短編集を出します

 今、 『キャンピングカーsuperガイド』 の2009年版の締め切りまぎわで、ずっと原稿を書いているのだけれど、まぁ…たいへん!
 ブログの更新も滞りがちになっているのはそのため。

 まぁ、あと残り数ページというところまで漕ぎつけたんだけどね。
 一方では、先に印刷所に出した原稿の初稿が山のように出てきていて、校正しながら新規原稿も書くという…もう、てんやわんやですがな。

会社デスク001

 だけど、自分でいうのも何だけど、今度の本はきっと読んだら楽しいと思う。
 だって、自分で書いて読み返してみても、面白いんだもん。

 基本的に1ページに1車種を紹介する構成だから、ブログのようにテキストに多くの分量をかけられない。
 だから、文章の量を削ってそのクルマの本質をずばり言い当てる言葉を探していくのだけれど、それをうんうん唸りながら探していくと、自然にひとつの 「物語」 になっていく。

 機能的な特徴を説明する箇所でも、
 「ここを操作して、こう使うと、こうなって…」
 とだらだら書いていくわけにはいかないので、短いセンテンスの中でギュッと圧縮する。
 そうやって言葉の量を節約していくと、どうしても物語にならざるを得ないのだ。

 だから、今回の本は、キャンピングカーを素材とした 「短編集」 だ。

 ショーの会場で、あるビルダーの社長さんが、新入社員に私を紹介してくれたことがある。
 その口上が、
 「こちらは、日本一美しいキャンピングカーの記事を書くライターさん…」
 というものだった。

 そのとき、素直に 「うれしい!」 と思った。

 昔、自動車評論家の徳大寺有恒さんと一緒に仕事をしていたことがある。
 ある雑談の最中、彼はこんなことを言っていた。

 「僕のやっていることはね、基本的にエンターティメントなの。世間は自動車評論だと思っているかもしれないけれど、僕は評論を書いているという自覚はないの。
 だって、いかにこのクルマは機能が優れていると訴えたところで、数字を羅列しただけでは、本質は伝わらない。
 それを乗り手に伝えるのは、結局 “物語” の力なんだよ。
 スロットルを開けたときに、ペダルからつま先に伝わる反応をどう描くか。
 そいつを官能的に表現する力がなければ、評論家にはなれても、作家にはなれない」

 当時、若かった私には、何のことかよく分からなかったけれど、今は少しずつその案配というものが理解できるようになった。   

 ……ってなことを書いて、少し気分転換。
 で、また 「短編小説集」 の続きを書きます。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:13 | コメント(9)| トラックバック(0)

欧州車の深い快楽

 キャンピングカーの世界では、国産ビルダーの間で、日本市場を意識した日本的なデザインを追求しようという傾向が強くなってきた。
 ようやく、日本においても、欧米的なキャンピングカー文化とは異なる日本独自のキャンピングカー文化というものが育ちつつある…という感慨を持つ。

 しかし、その一方で、輸入車の 「ディープな快楽」 というものを理解する日本人が少しずつ減っていくような寂しさも感じる。

 乗用車もそうだが、キャンピングカーも、それを造った民族の美意識、哲学、価値観などが反映されている。
 それは、ボディや家具を構成する素材や形状を分析しただけでは、見えてこないものだ。
 特にヨーロッパ車のように、長い歴史を通じて形成されてきたものは、文字どおり 「歴史」 を知らないと、本当のことが見えない。

 たとえば、本場ヨーロッパの高級キャンピングカーが持つ、あの恐ろしいような 「快楽」 というものを、まだ日本人は知らない。

 …というか、目の前に提示されても、それを理解することができない。 

 私たちのような、キャンピングカージャーナリズムで生きている人間も、ヨーロッパの高級車を見ると、いとも簡単に 「豪華」 とか 「優美」 とか 「贅沢」 などと形容してしまうが、ふと 「本当の豪華ってものを分かってんの?」 と、自分自身で問うことがある。

ホビー内装01

 たぶん、自分も十分に理解していないかもしれないが、ヨーロッパ車のゴージャス感というものは、商人資本主義以来の500年の蓄積によってもたらされたものだということぐらいは分かる。
 その場合の 「資本主義」 とは、アフリカの希望峰を超えて東洋の富をあさりに行ったり、大西洋を超えて新大陸から金銀を持ち出すという、ヨーロッパ人たちの 「略奪」 を合法化した重商主義経済のことをいう。

 ヨーロッパ先進国というのは、そのような植民地支配を通して、世界の富を強奪するようにかき集め、それによって壮麗な文化を切り開いた。
 それは、けっして誉められたものではないだろう。
 むしろ、被征服者たちの犠牲の上に花開いた “悪の文化” ともいえる。

 しかし、そのような文化には、 「血を吸った文化」 の猛々しさと眩さ (まばゆさ) があり、触れた者をトロリと誘惑する、熟れた果実のような芳香がある。
 そして、自分を大人と思える……すなわち 「偽善者」 であることを自覚した人間だけが味わえる、背徳的な悦びが隠されている。

ヴェルサイユ宮殿01

 このような華麗な資本主義文化を成立させる原動力となったものは、いったい何だったのだろう。

 マックス・ウェーバーの主張した、プロテスタント的な倫理が資本主義の精神を形成したという洞察に異を唱えた学者として、ヴェルナー・ゾンバルトがいるが、彼は、資本主義を発展させた推進力は、 「恋愛」 だと唱えた。

 つまり、18世紀になって花開いたフランス宮廷文化における華麗な 「恋愛ごっこ」 が、資本主義の勃興をうながしたというのである。

 この時代、パリのヴェルサイユ宮殿を中心に繰り広げられた貴族たちの宴では、貴婦人たちや女官たちの歓心を買うために、男たちはあらんかぎりの豪華な文物を手に入れて、女たちにプレゼントした。

 プレンゼントの品々には、全欧州の金銀細工や宝石のたぐいは言うに及ばず、東洋や新大陸の珍奇で貴重な工芸品など、ありとあらゆる世界の富がかき集められた。

 それらの金銀細工や宝石を加工する産業が各地に勃興し、ヨーロッパの製造業は著しく成長した。
 中国や日本の陶器が上流階級の家庭でコレクションされるようになると、それをヒントに、マイセンをはじめ、ヨーロッパ中に磁器工場がつくられるようになった。

マイセンの食器02

 また、貴族のファッションを構成する素材として、レース製品が欠かせないものとなり、フランドル地方のレース編みは、その緻密さと美しさを評価されて、上流階級の間で飛ぶように売れた。

 そのような文物が溢れかえった時代の 「恋愛」 とは、どんなものであったか。

 ヴェルサイユ宮殿で、歴代の王族や貴族の “恋人” として名を馳せた貴婦人たちの呼称を見れば、彼らの恋愛模様というものがよく見えてくる。

 「シャトルー公爵夫人」
 「ポンパドゥール侯爵夫人」
 「デュバリー伯爵夫人」

 みな、それぞれ夫を持つ立派な主婦たちである。

ポンパドゥール夫人肖像01
 ▲ ポンパドゥール夫人 肖像

 彼女たちは、夫を持つ身でありながら、時の権力者たちに取り入るための魅力を存分に発揮して愛人に収まり、夜毎のパーティやサロンを切り盛りして、華麗なる宮廷文化の華を咲かせた。

 貴族たちが群集うの宮廷では、 「結婚」 というものは何も意味しなかった。
 夫人たちは、それぞれ夫とは別の王侯貴族の愛人となることを当たり前のように求め、男たちは、妻とは別の貴婦人たちを当たり前のように恋人とした。
 「不倫」 という言葉すら、何の意味も持たなかった。

 人々が求めたのは、一瞬のきらめきに、すべてを託す忘我の快楽。
 あでやかな官能。
 ゲームとしての恋。

ヴーシェ絵画01

 平民の娘でも、美貌と才覚に恵まれれば、時の最高権力者の愛妾にもなれる。
 そういう筋道を、ポンパドゥール夫人がつけてからは、男女の関係は一気にアナーキーになった。

 性愛、富、権力。
 人間が快楽と感じるもののすべてが、この時代に合体した。
 フランスを中心とするヨーロッパの恋愛文化には、基本的にこのような精神が息づいている。

 かつて作家の五木寛之は、ヨーロッパ社会の中で 「F1」 というスポーツがどのようなものであるかを、こう書いた。

 「F1は、お子様連れで家族ぐるみで楽しみにゆく場ではない。あのエンジン音は、柔らかい幼児の鼓膜には良い影響を与えないはずだ。
 そこは、不倫だの、危険な情事だのと世間から雑音が入ることをものともしない人々が、愛人を連れてゆくような場所なのである」

 アンモラルな表現だが、まちがいなく五木寛之は、ヨーロッパ社会の伝統的な恋愛文化を念頭において、これを書いている。

 ヨーロッパのキャンピングカーというのも、こうした流れの中で造り上げられたものだという。

 元日本オート・キャンプ協会の専務理事を務められた岡本昌光氏は、著書 『キャンプ夜話』 の中で、イギリス国立自動車博物館に保管されているキャンピングトレーラーの第1号といわれる車両を目にして、こう語る。

 「その最古のトレーラーの室内には、貴族の応接間のような格調高い家具が置かれ、窓飾りや、カーテン、壁紙、ジュータンまでもが 『オリエント急行』 のレストランのような豪華な雰囲気を漂わせていた。
 貴族たちは、動く別荘としてキャンピングカーを使い、自分の領地の景色の良い所に置いた。
 彼らはたくさんの召使いや、給仕、料理人を使い、大テーブルには山海の珍味を並べ、美女たちを招待し、最高の酒を味わった」

 この記述を読むと、最古のトレーラーといわれるものが、フランスで華開いたロココの精神の延長線上にあることは明らかだ。
 
 その流れは今も続く。
 たとえば、ホビーのエクセルシオールの天井カーブを見ていると、まるでヴェルサイユ宮殿の天井をそのまま縮小したのではないかとすら思えてくる。

ヴェルサイユ宮殿01 ホビー内装01
 ▲ ヴェルサイユ宮殿 /ホビー・エクセルシオール

 欧州車デザインのキータームは、 「エレガンス」 である。
 これも、貴族文化の流れをくむ言葉だ。
 「優美」 「気品」 「優雅」 …などと訳されるけれど、本来は差別意識の強い言葉だ。

 恋をゲームのように遊んだロココの貴族たちは、何よりも野暮ったさを嫌った。

 「まじめな恋や、一途 (いちず) な恋というのは野暮ったい」

 だから、“まじめにならない浮気” こそがエレガントなゲームとなる。
 彼らが使う 「エレガンス」 という言葉には、そういう響きがある。

 そのような恋を楽しむ場所として、彼らは、自分たちの暮らすスペースを精いっぱいエレガントな意匠で飾った。

 その 「快楽空間」 というものが、どのようなものであったか。

 映画を例に取れば、ルキノ・ヴィスコンティの描く数々の映画に登場する人物像、その背景となる舞台、扱われる文物などに余すところなく描かれている。
 『イノセント』 や 『ルードヴィヒ』 、『山猫』 などという映画には、ヨーロッパ貴族たちが呼吸していた濃密な生活空間の空気が、見事に映像化されている。

ヴィスコンティ「イノセント」
 ▲ ヴィスコンティの 『イノセント』

ヴィスコンティ「ルードヴィヒ」
 ▲ ヴィスコンティの 『ルードヴィヒ』

 現在のヨーロッパ高級キャンピングカーを見ると、さすがにヴィスコンティの映画に出てきそうなバロック、ロココ的なケバケバしさというものは影を潜めている。

ハイマーSクラス02

 内装デザインはモダンになり、中にはSF映画の舞台ともなりそうな未来志向の室内空間を形成しているものもある。
 そして、時代のテーマを忠実に反映したエコロジーコンシャスの装備類や素材などをふんだんに投入し、爽やかで健康に満ちあふれたクルマ造りを志向しているように見える。

ハイマーSクラス04

 想定されるユーザー層は、あくまでも健全な家族であり、幸せな老夫婦。
 そこには、遊戯的な愛を交わし合ったロココの愛人たちの姿は見えない。

ハイマー03

 しかしドッコイである。
 彼らは、そう簡単に 「恋愛空間」 としてのキャンピングカーを手放してはいない。

 ときめき。
 誘惑の蜜の味。
 吐息の熱さ。

 そいつを、目立たないように、こっそりと、しかし確実に、キャンピングカーに忍び込ませている。

ハイマー06

 それは、時には、女体のくびれを連想させるコンソールボックスのアールかもしれないし、セクシーなデザインを与えられたハイネックのフォーセットかもしれない。

ハイネックフォーセット

 それらの形が、見た者をムズムズ…とさせるのは、それを考えたデザイナーにも、営業マンにも、使うユーザーにも、恋愛文化の伝統がもたらす “ムズムズ感” が分かっているからである。
 欧州高級車の 「色気」 というものは、すべてそこから放たれてくるものといえる。


campingcar | 投稿者 町田編集長 01:58 | コメント(6)| トラックバック(0)

眠くないのだ!

 いやぁ、一睡もしないで、20時間連続で原稿を書いた。
 『キャンピングカースーパーガイド2009』  の特集部分。

 昨年版は 「大人のキャンプ場」 というテーマで、シニアカップルなどが、ゆったりくつろげるキャンプ場というのを特集したけれど、今年のテーマは 「キャンピングカーの未来を拓く人たち」 。
 
 昨年から今年の春にかけて、ビルダーや販社の人たちと話しているうちに、みんなの考え方が少しずつ変ってきたことに気づいたからだ。
 ひと言でいうと、それぞれテーマというものに向き合って、自分たちのキャンピングカーが日本の未来に…あるいは人々の幸せにどう関るのか、ということを真剣に取り組み始めてきたと思えたからだ。

 これはぜひ特集にしなければならない…とは思いつつ…、やっぱりキャンピングカーの車種紹介の方に時間をかけてしまう。
 だから、今年は巻頭特集をおっぽり出す形で作業を進めてきたけれど、もう初稿がバンバン出てきているタイミングで、いつまでも特集ページをほったらかしにしていくこともできない。

 で、土曜の夜から日曜の夕方まで、誰もいない部屋で、ぶっ通しで原稿書き。

編集室1

 気が張っていると、眠くならない。
 普段飲んでいるカフェイン飲料も、むしろ飲まなくて平気。

 で……、その後、ことさら仮眠するでもなく、結局この時間になってもまだ眠くないのだ。
 そろそろ、30時間ゼロ睡眠で来ているけれど、いったいどこまでいくのやら。
 ギネスブックにでもチャレンジするかね。

 ……んなわけで、ブログもちょっと滞りがちではありますけれど、平にご容赦を。
 コメントくださった方々にも返信していないのですが、ごめんなさい。
 しっかり読んではおります。
 少し落ち着いたらまとめて返信いたします。 


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:36 | コメント(6)| トラックバック(0)

忘れえぬ女(人)

 たまに、風呂に入るために、家に帰る。
 久しぶりに、夜の電車に乗った。

 「WBCって、日本が勝ったの?」」
 …ってなくらい、浦島太郎的な生活をしているので、電車に乗ると新鮮だ。

 吊り革につかまって、何気なく車内吊りの広告を見ていたら、4月4日から 「Bunkamura ザ・ミュージアム」 で、ロシアの 『 トレチャコフ美術展 』 が開かれるという広告が載っていた。

 「ああ、時代が一回りしたのかな…」
 と思った。

 昔…といっても、1993年のことだ。
 上野の東京都立美術館で、やはり 「トレチャコフ美術展」 が開かれて、カミさんと観にいったことがったあったからだ。

 やはり、同じ季節だったろうか。
 その日は雨の休日で、上野の森の新緑が雨に煙って濃い影をつくっていて、美術館に入る前から、すでに絵画の世界を歩いているような日だった。

 トレチャコフというのは、帝政ロシア時代の画商の名前で、当時の帝政ロシア画壇アカデミズムに反抗した “革命派” の絵画集団を支援した人の名である。
 
 当時、そういう革命派の画家たちを 「移動派」 と呼んだらしい。
 なんで、 「移動派」 なのかというと、それには訳があったようだ。 

 当時のロシア画壇というのは、ヨーロッパ文化志向の政府方針により、イタリア古典絵画の手法をそのまま踏襲する絵画が主流だった。
 しかし、そこには、帝政ロシアの貴族政治の下であえいでいた庶民の生活は描かれなかった。

 「移動派」 は、その手法ではロシアの現状を描写することができないと画壇の主流派と決別して、ロシアの腐敗した貴族政治を風刺したり、農民や一般大衆の悲惨さをテーマにした絵を描き始めた。

 「移動派」 という名称は、彼らが絵画を一部の特権階級のサロンから解放し、村から村へと自分たちの作品を移動させながら展覧会を行ったことに由来している。

 だから、彼らの描く絵画は、一般に 「ロシア・リアリズム」 などともいわれる政治性の濃い絵画であった。
 彼らの描く絵のテーマは、権力と癒着した僧侶階級の腐敗だったり、プロレタリアートの過酷な労働の状況を克明に写し取るといった、メッセージ性の強いものばかりだった。
 
 実は正直、昔この手の絵画が嫌いだった。
 あまりにも直接的な政治的メッセージが、なんだか底が浅いような気がしたからだ。
 それまでは、政治風刺や権力批判などというテーマを盛り込んだ絵画は二流の絵画だという思い込みを持っていた。

 しかし、実際のロシア・リアリズムに接してみると、自分が持っていた先入観とは少し違うかな…という印象を持った。

 紋切り型のメッセージ性というのは確かにあるけれど、それが 「悪いことか?」 という気もしたのである。 

 政治性が強く出ているので美学が後退している…なんていう見方をするよりも、当時展開された歴史的 「瞬間」 に立ち会っている! という衝撃をそのまま感受した方がいいのではないか…と思ったのだ。

 「ロシア・リアリズム」 と言われるだけあって、政治性も濃いけれど、描写力も迫真的だ。

 実際、本物の絵画の前に立ってみると、実にリアルである。
 メッセージの部分に誇張があるとはいえ、ディテールは、まぎれもなく100年も前のロシアで展開された歴史の一瞬が凍結されたまま保存されている。

 もちろん絵画は作者のイスピレーションで構成されるのだから、それがそのまま事実であるわけはないのだか、こういう素朴なリアリズムの 「豪速球」 迫ってこられると、歴史の一瞬に立ち会っているという素直な感動がわき起こってくる。

 それともうひとつ、ロシアの風俗が面白い。
 人々の着るもの、街、村の景色。特に貴族階級の婦女子の衣服。

 ヨーロッパというよりアジアに近く、かといって中国でもモンゴルでもない独特の装束は見ていて飽きない。
 玉葱型の屋根を持つクレムリン宮殿独特の建築様式もじっくり見るとなんとも奇妙だ。

 こういう文化様式はどうして生まれてきたのだろう…と、考えれば考えるほど興味が湧いてくる。
 
 革命前の19世紀帝政ロシアは、ひょっとした人類史上まれにみる不思議な国家空間を形作っていたのではなかろうか。

 西洋近代的な衣装をまとった古代アジア的専制政治。
 フランス的教養で染められたはずの貴族文化の中にはびこる、魔術や呪術。
 科学とオカルト、インターナショナリズムと土俗主義。
 そんなものが渾然一体となって渦巻いていたのが革命前のロシアだ。

 ドフトエフスキーは、非ユークリッド幾何学の 「平行線は無限延点で交わる」 という公理に刺激を受けて、その “無限延点” という彼方に、神の立つ場所を確信したというが、あの時代のロシアは、数学や科学の最先端の成果と、神学やメルヘンがひとつの坩堝の中で溶け合って、国民全体がものすごい創造的パワーに振り回されていた時代なのかもしれない…と思う。

 今回の 「トレチャコフ美術展」 では、クラムスコイ 「忘れえぬ女 (ひと) 」 が目玉になるらしい。

クラムスコイ作忘れえぬ人

 馬車に乗る一人の貴婦人が、傲慢と思えるほどの眼差しで、路上にいる人間を見下ろしている絵だ。
 「移動派」 のような画家たちからすれば、憎むべき貴族階級のいやらしさを身に帯びた女性のように見えたのかもしれない。

 しかし、この絵が注目されたのは、一見 “傲慢” な彼女に瞳の奥に宿された、どうしようもない憂い。
 その瞳の奥に、涙が描き込まれていると指摘する人もいる。

 彼女は何者なのか。
 モデルは誰なのか。
 なぜ悲しんでいるのか。

 すべては謎であるらしく、そのために 「ロシアのモナリザ」 とも呼ばれているそうな。
 
 実は、この女性を見ていると、自分は、どうしても、もう死んでしまったペットのクッキーを思い出す。
 絵に描かれた彼女には失礼なのかもしれないけれど、自分にとっては、この女性はクッキー (↓) なのだ。
 http://campingcar.blog.hobidas.com/archives/article/63382.html

 今の仕事が一段楽したら、自分はもう一度 “クッキー” に会いにいってこようと思っている。



コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 04:11 | コメント(0)| トラックバック(0)
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