町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

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町田 04/06 11:06
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>aki さん、よう…
町田 04/05 11:14
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町田 04/01 11:08
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米国では9.11の前…
JoeCool 03/31 11:05
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町田編集長さん こん…
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雷 03/28 21:22
本作品のリメイクであ…
雷 03/28 21:09
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町田編集長さん こん…
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町田 03/23 01:19
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人間は電気によって闇…
s-_-s 03/22 22:55
追記です。先ほど…
ムーンライト 03/22 14:24
数日前、市内の大型ス…
ムーンライト 03/22 12:24
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町田 03/22 03:09
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ブタイチ 03/21 22:54
>鈴木様、ようこそ。…
町田 03/19 23:12
>ムーンライトさん、…
町田 03/19 22:35
今日、店からはじめて…
デルタリンク宮城 03/19 19:40
この「東電を怒る父さ…
ムーンライト 03/19 11:45
>ゆんたさん、ようこ…
町田 03/19 09:11
言葉に出して誰かに代…
ゆんた 03/19 07:50
>鈴木 様本当に…
町田 03/18 00:00
町田さん、ご心配あり…
デルタリンク宮城 03/17 20:52
>鈴木様コメント…
町田 03/17 16:04
>TOMYさん、よう…
町田 03/17 14:39
町田さんこんにちは。…
デルタリンク宮城 鈴木 03/17 11:32
こんばんは、町田さん…
TOMY 03/16 20:23
世界中に5億人を超え…
フェイスブック 03/15 11:30
>s-_-s さん、…
町田 03/14 00:28
町田さんご無事で何よ…
s-_-s 03/13 22:55
>ムーンライトさん、…
町田 03/12 17:43
町田さん。ご無事でし…
ムーンライト 03/12 16:25
>YAMAさん、よう…
町田 03/12 13:33
シンプルな風景画、い…
Yama 03/11 12:14
>渡部竜生さん、よう…
町田 03/10 02:33
>キャンピングカーと…
渡部竜生 03/09 14:02
>スパンキーさん、よ…
町田 03/08 19:22
いいですね、北斗。久…
スパンキー 03/07 13:52
>マッキー旅人さん、…
町田 03/03 22:45
町田さん、今日は。…
マッキー旅人 03/03 16:23
>ムーンライトさん、…
町田 02/28 22:42
町田さん。アマゾ…
ムーンライト 02/24 10:29
>渡部竜生さん、よう…
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大晦日は地中海で

 じたばたしても、泣いても、わめいても、今年も今日1日で終わり。
 こうなってしまったら、もう泰然自若と構え、酒でも飲みながら、本でも読む休日にしよう。

 そんな思いで買ってきた  『ローマ亡き後の地中海世界』 (塩野七生) 。
 最近、こういう本を読んでいなかったなぁ。

ローマ亡き後の地中海世界

 世界の経済がどうだとか、大人の文章を書くにはどうせよ…とか。
 社会を切り取るものとか、実用的なノウハウ集とか、いつの間にかこぢんまりと縮こまった本ばかり読むようになっていた。

 「すぐ役に立つ本」 ではなく、「いつか役に立つ…かもしれない本」 を読もう。
 そんな気持ちにぴったり応えてくれそうな1冊だ。

 なんたって、自分の好きな “海賊の話” なんだ。
 5世紀頃、地中海を自分たちの 「内海」 にしていたローマ帝国が滅ぶ。
 そして、その海は、キリスト教の勢力とイスラム教の勢力がそれぞれ支配権を争う対立と抗争の海になる。
 ヨーロッパ諸国は、三角帆を張ったサラセン海賊の快速船の脅威にさらされることになる。

 へへへ…だね。
 コーエイの 『チンギスハーンⅣ』 とか 『大航海時代』 の世界が広がりそうだ。

 とにかく 「地中海」 が好きなんだ。
 ありゃ特別な海だ。
 文明と文明が交錯し、衝突し、融合し、人類の英知と、快楽と、悲劇と、勝利の歓喜を運んだドラマの舞台だ。

地中海

 ギリシャ、ローマ、カルタゴの時代から始まり、ヴェネチアが商業国家として栄え、ジェノバの商人が活躍し、オスマン・トルコがコンスタンチノープルに進出して、東地中海に君臨する。
 もう目がくらむほどの絢爛豪華な歴史絵巻の世界。
 それらのドラマはみな地中海から生まれている。

 北アフリカから湿った熱風を南ヨーロッパに運ぶ 「シロッコ」 。
 帆がはちきれんばかりに風を孕ませ、東から西へと吹き渡る 「レヴァンテ」 。
 地中海に吹く風は、名前さえもカッコいい。

 遊び人風の細いヒゲを赤銅色に輝く頬に浮かべ、まぶしそうに目を細めながら舵を取るイスラムの海賊たち。
 刃物のように鋭利な頭脳を、紳士然とした振る舞いで隠し、敵の国を騙しに向かうヴェネチアの貴族たち。
 この海を航海して行く野郎たちは、みな大胆不敵で、粋で、小ずるくて、残忍で、美しい。

ガレー船

 朝は、水底まで見通せるほどの透明度を獲得し、昼は 「紺碧」 に輝き、夕は、ホメロスいうところの 「ブドウ酒」 色に染まる海。
 そして、落日が水面に落ちれば、見事な “金色のジュウタン” があたり一面に敷き詰められる。
 そこにあるのは 「豊穣」 と 「虚無」 。

海に沈む夕陽
 
 地中海、好きだ!
 オレが死んだら、骨を粉にして、地中海に撒いてくれ。

 ……ってなわけで、それでは皆さん、また来年。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 00:02 | コメント(10)| トラックバック(0)

最終電車

《 掌編小説・最終電車 》


 乗客は静かだった。
 眠っている中年男ひとり。
 女性週刊誌を眺めている独身風の中年OLひとり。
 抱き合っている学生のカップルが一組。

 乗っているのは、私を含めその五人だった。

 私は、席に座って眠ってしまうのを避けるために、車両の最後部に立ち、退屈ざましに、乗っている人間たちを観察した。

 年末の最終電車。
 休みに入った企業も多く、人の顔も緊張感を失ってまのびしている。

夜の明かり

 電車が減速してホームについた。
 開いたドアから風が吹き込んでくる。
 明かりの消えた町並みが冷気の底に沈んでいる。

 眠っていた中年男が目を開けた。
 男は寒そうに背を丸め、窓の外を眺めて、舌打ちをする。
 郊外にローンで建てた家に、妻ひとり子供二人。いつもは会社が終わると真っ直ぐ帰宅。
 今日はたまの忘年会に誘われて、気分が乗り切らないままお開きを迎え、若者グループから義理で誘われたカラオケを断って、そのまま帰る。

 …そんな感じの男だ。

 OLが雑誌から目を離して大あくびをする。
 仲間の独身OLたちと映画の鑑賞。そのまま居酒屋で会社の男たちのうわさ話。
 「いい男いないわね」  とみんなで愚痴を垂れ、自分だけは恋人探しに熱中していることは隠しつつ、表面的にはお互いに慰めあってきた。

 …そんな感じの女。

 若いカップル。抱き合ったまま話がない。
 女の方は酔っているのか、男の肩に頬を預けてぐったりしている。
 男は、早くアパートに寄って女の酔いが醒めないうちにモノしてしまうつもり。
 …そんな感じ。

 ドアがまだ開いている。
 誰も乗らない。
 忘年会の狂騒も峠を越えたこの時期に、終電まで飲み歩いている人間はこの辺にはいないようだ。

 ドアが閉まる。

 ふと後尾車両を覗くと、後ろの車両はどういうわけか乗客が多い。 
 本来なら、ひとつ後ろの車両だから、乗っている人間の顔など分からないはずなのに、連結部の窓ガラスを通して、後ろの車両に乗っている人間の顔がはっきりと見える。

 「あれ?」
 私は思わず、声を漏らした。
 同僚の北村が乗っている。家とは反対方向だ。
 終電に乗って、いったいどこにいくつもりか。

 それにしても、北村を見るのは久しぶりだ。
 同じ職場なのに、課が変わってからは会うことがなかった。
 …はて、最後に顔を見てから、いったい何年経ったのだろう。

 連れがいる。引退した前社長の島森だ。
 島森が前社長だったなんて、もう記憶からすっかり抜け落ちていた。

 二人とも椅子に腰掛けず、吊革につかまったまま立っている。
 北村は熱心に島森に話しかけている。
 島森はうんざりした顔でうなずいている。
 業務の報告を、島森が北村から直接受けるはずはない。
 何かプライベートな話なのか。
 それにしても、ずいぶん珍しい取り合わせだ。

 「や?」
 その向こうには桜井がいる。
 寒いのに半ズボンを履いている。手に持っているのは図画工作の作品のペーパークラフトだろうか。
 黒く塗りつぶされた鳥のような形をした人形を抱えている。
 ランドセルが膨らんで中からソロバンが頭を出している。
 窓の外をじっと見ている。
 室内の明かりが反射して外の景色は見えないはずだ。
 窓に映った自分の顔でも眺めているのだろうか。
 青い顔だ。体の具合でも悪いのだろうか。

 立原もいる。
 学生服の下に、相変わらず下駄を履いている。
 アルバイトの新聞配達した余りをもらったのか、新聞の束を小脇に抱えている。夕刊のようだ。
 同じ新聞を何部も抱えて何にするつもりなのだろう。
 学生服につもった自分の頭のフケを手で払っている。
 ふくらんだ鼻の穴が動物園のゴリラを思わせる。まだ独身のようだ。

 その向こうは叔父だ。
 パーティーの帰りか、フロックコートに山高帽だ。
 丸い眼鏡の奥で、相変わらず険しそうな目を光らせている。
 目を合わせれば、いまだに 「お前は、自分の親父の爪のアカでも飲んだほうがいい」 と言い出しかねない。
 幸い、これも窓の外を凝視したまま視線を動かす気配がない。

 座って居眠りをしているのは、私の祖父のようだ。
 長い入院生活が続き、私は見舞いの時にしか祖父に会ったことがなかった。
 父が 「孫が来ましたよ」 と報告すると、いつも静かに目を細めるだけだった。
 何を見つめているのか、焦点の定まらぬ視線。
 それがじっと私に向けられると、私は不気味でしょうがなかった。
 今日はどんな目をしているのか。居眠りをしているので、目の “表情” までは読み取れない。

 なんだ、叔母もいる。
 いやだぜ! 今どき田舎でも見ないモンペを履いている。
 何かの買い出しか、篭を背負っている。芋か、米か…。農産物が入っているようだ。
 丸い眼鏡越しに、しわの寄った自分の手をじっと眺めている。
 顔の色が白樺の幹のように白い。


 しかし、どうしてこんなにも最後尾の車両には、私の顔見知りばかり乗っているのだろう。

 考えているうちに、私の降りる駅がきた。

 ドアから出て、私は後ろの車両をのぞき込んだが、誰ひとり私に気づかない。
 声をかけようとした時、ドアがしまった。

 最終電車は、宙を滑るように、トンネルのような闇に消えていく。

 「…ま、いいか」

 私は遠ざかる電車の明かりを眺めながら、つぶやいた。
 見上げた空に、雪のようなものが舞い始めている。

 私はコートの衿を立てながら、人影の絶えたホームの上を歩き始めた。
 深夜の冷気が酔いを醒ましそうだった。

home1

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:14 | コメント(2)| トラックバック(0)

ROOKIES

 テレビドラマの再放送 『ROOKIES ルーキーズ』 (TBS) をついつい観てしまった。
 もうずっと泣きっぱなし。
 こういった、無頼の男たちが団結していくって設定に、昔から弱いんだ。

 ルーキーズ1

 「夢を持つ」
 「ひたむきに生きる」
 「人を信じる」

 そういう単純なことを、これでもか、これでもかって直球一本でグイグイ押していくように訴える熱血教師の話。
 その教師の情熱にほだされて、無軌道な生活を繰り返す不良少年たちが、いつしか心をひとつにまとめ、見失った自分たちのテーマに向かって前進していく。(この場合は甲子園の出場ね)

ルーキーズ3

 もう何度繰り返されたか分からない典型的なワンパターン企画。
 最後は視聴者を “感動の涙” に包んで、予定調和の大団円に収束させるという手垢のついたストーリー展開。

 そう言ってバカにするのは簡単。
 ステレオタイプ化された 「泣きと感動の押しつけ」 って揶揄 (やゆ) するのも簡単。
 そこに 「共同体から逸脱しようとする者たちを矯正して、共同体のルールに従わせようとする思想」 を見つけて批判するのも簡単。

 でも、そんなひねくれた見方なんて軽くぶっ飛ぶくらい、なんだかすっごく新鮮だった。

 「みんなが協力しあって、心を一つにして、共通の目的に向かって突き進んでいく」

 そういうストーリーって、ひと昔前だったら、うんざりするコンセプトに思えたはずだ。
 誰もが同じ 「夢」 を共有し合うなんてカッコ悪いことだし、ひたむきさを確認し合うなんて、スマートじゃない。

 でも、そういうドラマが新鮮に感じられたというのは、もう世の中に 「みんなの心を一つにまとめる共同体」 みたいなものがなくなってしまったからなんだなぁ…と思う。

 昔は 「村」 とか 「町内会」 とかっていう 「地域共同体」 みたいなものが厳然としてあった。

 「共同体」 は助け合う。
 よけいなお世話だったり、鬱陶しがられても、お互いに助け合う。
 そういう中から、「義理」 とか 「人情」 とかいう概念が生まれてくる。
 ただ、助け合う代わりに、「共同体」 は横並び一線の平等を尊んだ。

 そういう空気は、会社のような営利追求型の集団の規律とは、本来ならなじまない。
 でも、日本の会社は、そういう 「共同体」 的な発想を取り込むことで、戦後の繁栄を築いてきた。
 外国かぶれの日本人なんかからは、「日本の会社はムラだ」 なんて揶揄されたけど、それでも多くの人は、そこそこの平和を楽しむことができた。

 しかし、とびっきりの才能を持った人は、“横並びの平等” を嫌って 「共同体」 を飛び出すようになった。
 近代文学というのは、「共同体」 を飛び出す “才能ある人々” を主人公にした文学だ。
 
 才能ある人は 「カッコいい」 。
 だから、いつしか 「共同体」 の拘束から逃れる人たちの方がカッコいいという空気が、現代社会の空気になった。

 そんな空気が、新自由主義的な経済政策にぴったりと合った。
 才能ある人はどんどん自分一人で稼いで、成功者として名乗りを上げた。
 世間は、それを 「良し」 として拍手喝采するようになった。
 「共同体」 はどんどん魅力を失い、いつしか、「人を拘束するだけの古い因習」 と見なされるようになった。

 今では 「共同体」 はほとんど壊滅し、残っているのは、同じ目的を遂行するためだけに人を集めた 「組織」 だけになった。

 会社が 「組織」 なのは分かるけれど、今や学校も地域社会も 「組織」 。ひょっとしたら家庭も 「組織」 。
 
 「組織」 というのは、機能と効率を第一義的に追求するものだから、非情で無情。
 その構成員はお互いにライバル同士。
 個人の業績を世に認めてもらうためには、同僚を蹴落とさなければならない。
 それが今の世でいう 「自己実現」 。
 子供も、親も、またその親ぐらいも、今ではそうやって生きている。

 そこに現代社会の哀しみってのが生まれた。
 「共同体」 を飛び出した人間はヒーローになれたけど、「組織」 を飛び出した人間は、「落ちこぼれ」 となるしかない。
 今の世界では、集団から脱落してしまった人間は、みな 「落ちこぼれ」 としてあざけりと侮蔑の眼差しで眺められるだけ。
 下手すると、「人間」 としてさえ見てもらえない。


 そこで、『ルーキーズ』 である。
 この古臭いドラマが新しいのは、昔風の 「共同体」 が瓦解した世界で、いかにしたら、みんなが助け合って同じ目標を追いかけることができるか、と問うているところである。

ルーキーズ2

 すでに、「落ちこぼれ」 を排除する視線しか持たない人々には、熱血先生の情熱の意味が分からない。
 そこから様々な軋轢 (あつれき) が生じる。
 熱血先生が、不良になった野球部の生徒たちを叱咤激励しても、最初のうちは 「うぜぇヤローだ」 と相手にしえもらえない。
 学校側でも、校長を筆頭に、不良生徒たちをなんとか追放しようとやっきになるだけ。
 
 そういう中で、熱血先生は人と人の心をつなげるために、自分の肉体を酷使して立ち向かう。
 野球部のために、徹夜でグランドの草むしりを行う。
 かたくなに心を閉ざした生徒にバットを持たせ、バッティングピッチャーよろしく、バケツ一杯に盛ったボールを雨の中で投げ続ける。

 結局、「人を動かす力は自分自身を動かすことによって生じる」 という単純な原理を、熱血先生は、文字通り自分の肉体を酷使して実践する。
 
 「共同体」 が崩壊した世界では、お互いに 「身体の痛み」 、「身体の疲れ」 を共有し合うことを通してのみ、「心」 がつながるんだ、というメッセージが伝わってくる。

 ドラマの背景には、常に暴力が絡む。
 不良仲間同士のリンチ。
 生徒の先生に対する暴行。
 しかし、その中で、許される 「暴力」 と許されない 「暴力」 が描き分けられる。
 仲間を守るためにケンカに向かう生徒たちを、熱血先生は 「部活の範囲」 として認めてしまうのだ。
 「暴力」 もまた、「痛みを共有する」 という意味で、「心のつながり」 を模索する契機になるという思想が、そこから読み取れる。
 
 そういう筋書きだから、予定調和的な結末が、すぐそこにブラさがっているのが分かるというのに、ハラハラドキドキ。
 
 今まで、ケッとばかりに軽蔑していた 「夢を追いかけよう」 という言葉が、今までとは違ったニュアンスで伝わってきた。
 けっこう感動的。
 観ていて、何度も泣いちゃった。

 
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 00:16 | コメント(6)| トラックバック(0)

バニングの歴史

 このひとつ前のブログに 「とりあえず読み残しの本でも読むか」 ってなことを書いて、きっぱりと休日を決め込んだ私でありますが、結局腰が落ち着かず、午後は会社に出て原稿書きをしてしまいました。

 実は、今いくつか平行して行っている作業のひとつに、『日本のキャンピングカーの歴史』 という資料の編纂がありまして、今日はいよいよ 「バニング」 について書く段となりました。

バニング1

 以下、さっきまで書いていた原稿を、ここにてチョコっとご紹介。

《 国産バニングの誕生 》

 キャンピングカーの歴史の中で、一見低迷期に見えるような70年代。
 しかし、その水面下では着々と、国産キャンピングカーを誕生させるための気運が芽生えていた。

 そのような気運には、二つの流れがあった。
 その一つが、キャンピングカー好きな人間が自分で乗るために作った手作りキャンピングカー、つまりハンドメイド・キャンピングカーであることは今見てきたとおりだが、それとはもうひとつ別の流れがあったのだ。

 それが 「バニング = Vanning」 である。
 もともとバニングは、アメリカの若者たちが、サーフィンなどのアウトドアスポーツを楽しむための前線基地として発達してきた。その普及状況をアメリカでつぶさに見学し、日本において、日本の車両を使ってそれを実現しようとした若者たちが登場する。

 バニングが日本で普及してきたのは1970年代の中頃とされるが、その1号車がどのようなものであったかは、現在調査中としかいいようがない。
 しかし、黎明期のバニングの状況を知らせる貴重な文献がある。トヨタ自動車のPR誌として、当時トヨタ車の販売店から配布されていた 『モーターエイジ』 誌には、かなり初期のバニングについて触れている記事がある。

 1976年 (昭和51年) の9月に発行された同誌では、「バニングって知ってる?」 というタイトルのもとに、トヨタライトエースの改造例が紹介されている。

 写真を見ると、ボディカラーは濃いめのグリーン。窓埋めされたボディ側面には、木目調パネルに木の枝のイラストをあしらったペイントが施され、菱形のカスタムウィンドウがはめ込まれている。

バン&トラック社のバニングリヤ
▲ バン&トラック社のバニングリヤビュー (motor age誌より)

 リヤハッチの上側には、大きな目玉のように丸窓が二つ。ルーフには開閉式のサンルーフとトラベル・スコープが装着され、室内には木目の内装材が張られ、ベッド展開できるシートと食器ケースが装着されている。
 その後のバニングの展開を見ると、実に “おとなしげ” な風情だが、外装写真の下には、「道行く人々の10人のうち8人は物珍しそうに振り返っていく」 というキャプションが添えられている。

バン&トラック社のバニング
▲ バン&トラック社のバニング (motor age 誌より)

 これを製作したのは 「バン&トラック」 社を設立した小椋雅夫さん。
 当時27歳。
 同誌には、「小椋さんはデザイン・アートを勉強するためアメリカに渡ったが、そこで栄華を極める “バン文化” に目を見張る思いを持った」 という記事があり、「なにしろアメリカにはバンの内外装の指導書だけでも20冊以上あり、カスタマイズのアイデアを競うショーが全米で年間24回もあるんですからねぇ」 という本人の談話が紹介され、「帰国後、小椋さんはさっそくライトエースを使ったカスタム・バンの試作第1号に取りかかった」 と報告されている。
 これが、もしかしたら日本のバニング第1号を証言する記事になるのかもしれない。


 ……ってな感じで、終電まぎわまで、調子こいてしこしことパソコンに打ち込んでいたわけであります。

 記事中、「黎明期のバニングの状況を知らせる貴重な文献として、トヨタ自動車のPR誌 『モーターエイジ』 がある」 なんて、シレっと他人事のように書いておりますが、それを担当していたのが、この私めでありまして、取材して当の記事を書いた人間こそ、この私であります。

motor age
 ▲ 『MOTOR AGE』 誌
 
 しかし、自分が30年ぐらい前に書いた記事が参考になるとは、今日の今日まで思わなんだ。

 まぁ、現在そんな作業をしているのですが、どなたか 「日本のバニング第1号」 に関する貴重な情報をお持ちの方はいらっしゃいませんか?
 もし、ご存知の方がおられましたら、こちらにご連絡いただければ助かります。

 関連記事 「バニングとは何か」


campingcar | 投稿者 町田編集長 04:23 | コメント(6)| トラックバック(0)

今日だけの欲望

 いつもこの時期に思うのですが、まぁなんと1年の短いこと。
 公私ともども遣り残したことをいっぱい抱えたまま暮れを迎えてしまうのは毎度のことなんですけど、今年は一段と “遣り残した” ことが多い年でありました。

樹影1

 人間、年をとってくると、様々なことに対する我執も強くなって、あれもこれも…と欲張りになるような気がします。
 「老人は欲が薄れて枯れていく」
 と世間では思われがちですが、それはよほど “悟り” でも開いた人の心境か、ないしはそれを理想としたいというイメージの世界の話で、実際には、年をとるとますます 「欲」 が強くなりそうに思えます。

 で、何を遣り残したかというと、たとえば仕事に関しても、あんな企画をやってみたい、こんな人に取材をしてみたいというものがどんどん膨れあがっているのに、それが少しも到達点に届かない。
 私的なことに関しても、こういう知識がほしい、こんな世界に踏み込んでみたいという妄想ばかり膨れあがるのに、なんの成果もあげていない。

 やりたいことのイメージがどんどん膨らんでも、実行力がそれに追いつかない。
 …というのが、年を取ってきたことの何よりの証拠なんでしょうね。

 いやいや、「欲」 とは恐ろしい。
 モノに対する欲ならば、手に入れる手段も分かりやすい。
 お金を貯めるとか、融通してくれる人を見つけるとか。
 それがダメならあきらめることもできる。
 
 しかし、形にならない欲というのは、「死に至る病」 ですね。
 結局、死ぬまで手に入らない…ってか、死んでしまうわけだから永遠に手に入らない。

 今年も、あとわずか。
 残り少ない日々を、せいぜい 「今日だけ充足できる欲望」 に絞って生きのびることにいたします。

 とりあえず、読み残した本でも読むか。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 09:05 | コメント(6)| トラックバック(0)

悪役好き

 「月光仮面」 という漫画界のヒーローを知っている人となると、年齢的に50代後半ということになるんだろうな。
 まぁ、私なんかはその年代なんで、「月光仮面」 が 「少年クラブ」 に連載された第1回目から読んでいる。
 もちろん、テレビドラマの方も欠かさず観ていた。

月光仮面

 だけど、決して月光仮面のファンではなかったんだ。
 むしろ敵役 (かたきやく) として出てくる悪役の方が好きだった。

 特にお気に入りは、「パラダイ王国の秘宝」 編に出てくる 「サタンの爪」 。

サタンの爪 

 ミイラ男がサングラスしているような月光仮面より、断然こっちの方がカッコいいと思っていた。
 「サタンの爪」 には、一流の能面師が精魂込めて打ち込んだ般若面みたいな芸術性が感じられて、そっちを密かに応援している方が、大人の鑑賞法を知っているぐらいのマセた気分だった。

 変なガキだったのである。
 アマノジャクってのか、マイナー志向ってのか、よく分からないけれど、みんなが応援する “正義の味方” なんて、ケッていう感じだったの。

 50年代後半の人たちは、きっと子供の頃 「西部劇」 も観ていただろうと思うけれど、当時の西部劇は、正義の味方の白人と、“悪者” インディアンが戦うという設定が多かった。
 こういうときも、いつも最後にヤラれちゃうインディアンを応援してた。

ネイティブアメリカン乗馬

 後年になって、アメリカ大陸の開拓ってのは、白人が原住民のネイティブアメリカン (インディアン) を虐待して収奪していった過程である…という見方が主流になっていくわけだけど、ガキの頃はそんなこという人は周りにいなくて、こっちもそういう意識で西部劇なんか観ていない。

 インディアンの方が、単純にビジュアル的にカッコよかったのだ。
 駁 (まだら) の裸馬にまたがって、羽飾りをひるがえして、白人の小銃弾をものともせず、弓矢やトマホークで突進していくインディアンの方が、どう見たって、颯爽としていた。

インディアン

 なんで正義の味方より、敵役としてヤラれちゃう悪役の方が好きなのか。

 あまり深く考えたこともなかったのだけれど、コーエイのパソコンゲームで 『ロイヤルブラッド Ⅱ』 というのを遊んでいたときに、ふと気がついた。

ロイヤルブラッドⅡ

 『ロイヤルブラッド Ⅱ』 というのは、「光の国」 (正義) と 「闇の国」 (悪) の戦いを描いたゲームなんだけど、ちょっと変っていて、プレイヤーはどちらの側に立つこともできるわけ。
 つまり、ドラクエシリーズでいえばモンスター側の “大魔王” の立場も選べるわけね。

 で、私なんかは 「悪好み」 だから、闇の国の方ばかり選んでプレイしていたわけだけど、そこにビジュアルとして表現されているヘビの頭を持った邪神とか、魔女とか魔導師ってのは、ケルト神話からヒントを得ているわけだったのね。

 そのとき、すごく単純なことに気がついた。
 つまり、人類が一貫して叙事詩とか昔物語に登場させてきた 「悪」 ってのは、結局は 「滅ぼされた民族」 だったというわけ。

 ケルト人というのは、古代ヨーロッパで、ローマ帝国の支配に対抗して戦い抜いた民族なんだけど、宗教体系も文化体系も、ローマ人たちとは違うから、まぁ 「醜い」 わけよ。

 彼らはドルイド教という宗教を持っていて、そこで崇拝される神々の像というのは、まぁミロのビーナスみたいなギリシャ・ローマ的な端正なカッコをしていなくて、いってしまえばヘビの頭を持った半獣神とかさ。

 当然、そういう神々像なんかを崇拝する民族だから、衣装も武器も泥くさいし、不気味だし、要するに 「サタンの爪」 なんだわ。

 滅ぼされた民族が、なぜ禍々しい衣装に身を包んで、暴力的で、戦闘的で、凶悪な顔をして登場するのか。

 歴史は常に 「勝者の記録」 だってよくいわれるけれど、敗者がいつも凶悪に描かれるのは、最終的な勝利を飾った民族が、征服事業がいかに困難であったかを広報するための粉飾に毒々しく彩られているからなんだよね。

 しかし、いかにデフォルメされようが、敵役にさせられた悪役たちの方にも、自分たちの正義もあれば美学もあるわけでね。
 時には主役を圧倒する文化を誇る場合もあったと思う。
 そういう輝きは、どんなに抹殺して変形させようと思っても、すべてを押しつぶすことは、やっぱりできないのね。

 ねじ曲げられ、変形されるという勝者のデフォルメを通しても、なお滲み出てくる敗者の 「正義」 や 「美学」 や 「文化」 というのが、すなわち悪役の魅力なんだと気づいたの。

 西部劇でインディアンがカッコいいのは、やっぱり白人的な美意識でろ過しようともしきれないインディアンの圧倒的な美学があったわけでさ。

 でも、今そういうカッコいい悪役がドラマや映画にいなくなったなぁ。
 というか、最近の漫画なんか見ていても、マッチョな主人公はみんな悪役みたいな顔形しているしさ。

 インディアンの捉え方だって、白人の反省が行き届いておかげで、みんな立派な固有の文化を持った “偉大な民族” になっちゃって…。
 それは正しい認識なんだけど、でも獰猛さが失われて、精悍さが抜け落ちたように思わないでもない。

 う~ん、複雑な時代になってきた。 


 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:40 | コメント(0)| トラックバック(0)

1998年と現在

 「不況」 「倒産」 「雇用危機」 「失業」…。
 2008年の暮れは、このような言葉で覆われたまま終わろうとしている。
 しかし、この光景は、今はじめて登場したものだろうか。

 すでに、私たちはこのような光景を一度目にしているはずだ。

 ちょうど10年前。
 1998年に出された 『Voice』 (PHP研究所) という雑誌で、文芸評論家の福田和也氏は、「デフレの彼方に見えるもの」 という論文で、次のようなことを書いている。

 「リストラや賃金カットで労働者の購買力が低下したため、需要はさらに縮小し、物が売れない状況に悲鳴をあげた各企業は、労働者の賃金カットやリストラを促進した。その結果、需要はさらに縮小し、物の価格の持続的下落が始まり、“収縮の連鎖”ができあがった」

 これは2008年暮れの現在のことを述べた記事ではない。
 1990年代の半ばにバブル経済が弾け、「失われた10年」 が始まろうとした状況を述べた記事だ。

福田和也氏
 ▲ 福田和也氏

 福田氏は、このような状況を 「デフレスパイラル」 という言葉で説明し、次のようにいう。
 「デフレーションというのは、市場や経済が収縮することである。供給が需要を上回り、モノの価値が減価し、不況が深刻化することをいう」

 そして、それが怖いのは、次々と連鎖反応を呼び、渦巻きのようにすべてを巻き込んで、止まることを知らない状態になってしまうことだという。
 そして、氏は、「古来デフレというのは、歴史を振り返るかぎり戦争への突入や大災害の発生といった事象にしか脱却の道が見出せない」 …と不吉な予言を立てている。

 この1998年当時の日本を襲った大不況の嵐が、きわめて2008年の現在と酷似していることは明白であるが、ただ一点異なることは、当時の日本の全面的経済崩壊を食い止めるのに力のあった 「円安」 の力が失われ、現在は 「円高」 という危機がさらにのしかかっていることだ。

 当時、消費減退の手詰まり感が蔓延する中で、「円安」 は、輸出産業の増収益を確保することにつながり、デフレ傾向を打開する特効薬のように作用した。その時代、1円の円安でトヨタは100億円。ソニーは50億円という収益が見込まれたという。

 ところが、今はまったく逆の現象が起こっている。アメリカのドルの信用下落が生んだ 「円高」 は、日本を支えていた輸出産業に壊滅的な打撃を与えてしまった。
 その一点だけ取り出せば、1998年当時と今の状況はまったく異なる様相を示しているようにも見える。

 しかし、現在日本を覆っている 「日本経済崩壊」 のシナリオは、実はこの 「円安」 時代に、輸出産業の隆盛が生んだものともいえるのだ。

 輸出に活路を見出した日本の主要産業は、その生産性を向上させるために、徹底した合理化を促進することにひたすら邁進した。
 ところが、このような 「生産性の向上」 が、実は経済の収縮を生み、世界経済を崩壊に追い込む危険性を高めることになると、福田氏はいう。

 彼は、アメリカの文明批評家ジェレミー・リフキンという人が書いた 『ザ・エンド・オブ・ワーク』 (大失業時代) という本を引用し、その仕組みを次のように解明する。

 生産性の向上というのは、今までと同じ投資や時間内により多くの物が大量に作られることを意味する。
 当然、市場にはたくさんの商品が溢れるようになる。ところが、たいていの場合、それは 「供給の過剰」 につながる。視点を変えれば 「需要の縮小」 が起こってしまう。
 また、生産性の向上により、新しい設備や生産法などが導入されてくると、その帰結として労働力の省力化が図られ、労働者のリストラが始まる。

 どんな職場でも固定費の縮小が至上命題だから、固定費のもっともかさむ人件費を減らすことが一番の収益率につながる。

 このような省力化を1990年代の情報化産業の急激な隆盛が支えた。
 情報化産業の目指すものは、人の仕事をコンピューターに代行させようということだから、それによって人の仕事がどんどん奪われることになっていく。

 アメリカでは、その頃からホワイトカラー、中産階級といわれていた層の仕事が激減し、それまで聖域といわれている専門職、たとえば医師、弁護士、教師などという職業が情報化の進展にともない余剰となり、中産階級の凋落が進行していた。

 ところが、当時のアメリカでは、このような雇用の縮小が、失業率の上昇という形では現れなかった。新しい雇用も積極的につくられていたからだ。
 ただし、その雇用の3分の2は、賃金体系の最底辺に属する単純労働であり、結局は貧富の差を増大させただけのことだった。

 このように考えると、アメリカという国はサブプライムローンの崩壊、リーマンブラザースの破綻によって大不況を招いたわけではないことが分かる。空前の好景気に沸いていた90年代から2000年代の初頭にかけて、すでにアメリカでは今の不況が到来するタネが宿されていたのだ。

 アメリカ経済の内部崩壊が始まっていたのに、それが顕在化したかったのは理由がある。
 ヘッジファンドに代表されるような、国際投資信託がアメリカの個人富裕層の資産運用として発展し、それが巨大な利益を次々と生み出していたからである。

 ここから生まれた株式、債権、通貨、金利、為替、先物などのデリバティブ (金融派生商品) は、手持ちの資金の数倍から10倍以上の多額の取り引きを可能にした。
 当時、年利回り20~30パーセントの運用実績を上げるヘッジファンドも多く、それに手を染めた人々を一夜にして“億万長者”にした。

 これらの金融派生商品を大量に創出するために、アメリカでは 「ファイナンシャル・エンジニアリング (金融工学) 」 が未曾有の発展を遂げた。

 この金融工学を進めたのは、最初のうちはNASAやアメリカの軍需産業を辞めたロケット技術者たちであったが、それでも追いつかなくなり、後に素粒子を学んだ特殊の人々すら関わるようになる。

 ところが、このように肥大化した金融工学は、「35歳以上は理解不可能」 といわれるほど高度な数式を用いる難解な学問となり、やがて、それを統括的にコントロールするパースペクティブを持った人間が世界中に誰もいないといわれている時代を迎えることになった。つまり世界経済そのものが、先行き不透明な未曾有の混乱期に突入していったわけだ。

 1日のうちにコンピューターのキーを数個押すだけで、何10億ドルという巨額な資金がバーチャルなサイバー空間を瞬時に駆け回るという金融社会が、どのように不安定なものであったかは、言うまでもないと思う。
 サブプライムローンの崩壊、リーマンブラザースの破綻というのは、このような不安定な金融社会が、その負の素顔をさらしたということに過ぎない。

 合理的に運用されていたかのように見えた金融工学というのは、実は、実体経済とは異なる非合理の世界を生み出していた。それは、実体経済を離れたヴァーチャルな幻想経済といってよかった。

 80年代から頭角を現し、ヘッジファンドの代表的な投資家であり、かつ理論家と見なされるようになったジョージ・ソロスは、90年代になって次のように言う。
 「市場とは、合理的な数学理論で把握できない世界なのだ。マーケットというのは論理的でも自然に均衡するものでもなく、極端な乱高下を繰り返す “混沌” に過ぎない。そして、その混沌の中心にあるのは理論ではなく、大衆の群集心理だ」

 アメリカで進行していた金融社会崩壊の危機は、当時の日本には見えなかった。
 むしろ、時のアメリカ政府が勧める “ビッグバン” (金融自由化政策) を受け入れ、規制緩和によって外国系金融機関が上陸することに備えて、国内の不良債権処理に邁進した。

 それは、確かに国内経済の立て直しには貢献したが、その結果、日本の社会構造と日本人の精神構造に大きな変化をもたらすことになった。
 ビッグバンとは、政府の規制なしに金融の徹底した自由化を推進するものであったため、激しい競争原理の世界に日本の金融業を巻き込んだ。日本の各金融機関は、自己資本率を上げるために、融資額を圧縮するようになり、同時に、貸し出し先を厳しく吟味 (貸し渋り) するようになった。

 その結果、各企業は融資を受けるために、容赦のない合理化を徹底的に行ない、その流れの中で、「終身雇用」 といった日本的制度も崩壊して、「弱肉強食」 社会が誕生することになった。

 このように考えると、現在の 「雇用危機」 や 「派遣切り」 「失業」 という社会問題は、実は、輸出産業が日本経済をけん引して、日本が不況を脱したと沸いていた時代に、すでに生まれていたということができる。

 福田和也氏は、このような 「弱肉強食的」 な自由競争がイギリス、アメリカで容認されてきた背景には、彼らの根強いプロテスタント信仰の伝統があり、利潤追求の精神が強化されても、人心の荒廃を招かない文化的チェック機能が働いているからだという。しかし、それは他のアジア諸国には当てはまらないとも指摘する。

 福田氏がこのような指摘を行っていた1990年代の後期、浅田彰氏は、柄谷行人氏との 『文學界』 における対談 (再びマルクスの可能性の中心を問う) で、グローバル・スタンダードがもたらす新しい市場世界が、実はマルクスの予言した古典的状況に似てきたことを指摘している。

 「グローバルな電子情報網に支えられて巨大な資金が世界中を駆け回るようになった時代というのは、80年代のサッチャー=レーガン型の新自由主義を国家の側が認めてしまった結果としてもたらされたものだ。
 世界の各企業は、このグローバルなメガ・コンペティションに勝ち抜くためには、弱者は切り捨てていくほかはないと割り切ることができるようになった。
 これはいわば資本主義の野蛮な先祖返りである。
 その結果、文字どおりの世界資本主義が成立し、一方における過剰資金の蓄積と、他方における窮乏化が同時に進行するという矛盾が世界規模で見えるようになった。
 そういう意味で、マルクスの予言した古典的状況に似てきていると思う」

 このような福田和也氏や浅田彰氏の分析が、1990年代後期にすでになされていたということは瞠目に値する。
 なぜ、このような予言が拾い上げられることなく、日本は今の社会・経済状況に突入してしまったのだろう。

 いま私たちは 「世界恐慌」 のトバ口に立ったような不安に怯えているが、昔からこのような問題を真剣に考えていいた人たちは存在していた。

 人類がかつて経験したことのない未曾有の混乱期に入ったことは確かだが、そこから脱出するヒントは、過去に積み重ねられた英知の中に埋もれているかもしれない。
 それらを見出す作業も、いま必要なことだと思う。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 22:09 | コメント(6)| トラックバック(0)

山のクリスマス

 もう死んじゃったけど、俺のオフクロは無類にクリスマスが好きだった。
 戦争を体験して、物資の少ない時代を知ってた人だから、モノを大切にしていた。
 だから、なんかのときに手に入れた同じクリスマス用のきれいな赤い包装紙を毎年使って、クリスマスプレゼントってのを包んでくれたのよ。

 「サンタさんはいつも違うプレゼントをくれるのに、なんで包装紙だけは同じなんだろう?」
 なんて、俺もあまり突っ込んで考えたことがなかったけどね。
 年を経るたびに、少しずつ包装紙がしわしわになっていくんだけど、味が出てきて悪いもんではなかった。

 オモチャもあったけど、絵本なんてのが多かった。
 布団を肩から羽織ったオフクロの膝の上に抱かれて、その絵本を読んでもらう。
 体はポカポカ温かいし、本は面白い。
 そいつが、小さかった頃のクリスマスの楽しみだったねぇ。

 『山のクリスマス』 なんて本があった。
 主人公の名前はハンス。…違ったかな。

 山のクリスマス

 ストーリーは忘れてしまったけど、絵が良かった。
 町に住む男の子が、冬休みに、山に住んでいるお爺さんの家に行く話だったように思う。近所の子供たちが集まって、おばあさんがクッキーなど焼いて、子供たちに振舞って。
 暖炉があって、火が燃えていて、ツリーは星の飾りで彩られてキラキラしていた。
 子供心に、「外国のクリスマスって豊かなんだな…」と思った。


 学生になって、さらに社会人になって、俺もクリスマスの日なんかに家に寄り付かなくなった。

 で、たまに家に顔を出すと、家の一角が1年中 “クリスマスコーナー” になっていて。
 そこに、手のひらに乗るぐらいの小さなクリスマスツリーとか、赤いキャンドルとか、天使の姿の陶器の小さな人形なんかが飾られている。

 そして、ボロボロになった 『山のクリスマス』 の絵本なんかがそっと立てかけられていた。
 おふくろは、家に寄り付かなくなった俺の、ガキの頃だけを思い出して、毎日独りでクリスマスを楽しんでいたのかもしれない。
 
 その本はどこに行ってしまったのだろう。
 オフクロが亡くなって、遺品を整理して、そのときにどこかの箱につめたまま倉庫に眠っているはずだ。
 
 整理をしているときは、感傷的な気分など微塵もなかったのに、こうやってクリスマスが近づいてくると、無性にその本のことが気になる。

 おーい、どこかのダンボールの底に眠っている 『山のクリスマス』 。
 聞こえたら返事をせい。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 20:10 | コメント(2)| トラックバック(0)

ファイアーボール

 これまでの日本文学が避けて通っていた領域にも、敢然と足を踏み入る作家として知られる桐野夏生さんは、その作品においても、人間の暗部に鋭く切り込むような作風を確立している。

桐野夏生氏1

 そのため、読後に荒涼とした世界が広がるような印象を受けるものが多いのだが、この 『ファイアボールブルース』 は、珍しく読後に 「爽やかな哀しみ」 が広がっていく名品だ。

 火渡抄子 (ひわたり・しょうこ) という “たぐい希なる強さを持った女子プロレスラー” を主人公とした話なのだが、選手たちの日常生活を克明に描きながら、そこにサスペンス仕立ての事件を絡ませるという構成になっていて、「プロレス・ミステリ」 とも呼べる類例のない小説となっている。

 面白いのは、女子プロレス選手たちの、悲喜こもごもの人間模様。
 まるで、すべての登場人物にモデルが実在すると思えるほどリアル。
 読者は、一気に彼女たちの練習所や控え室に引きずりこまれ、その汗や、くしゃみや、怒号や、嘲笑にさらされる。
 こういう描写力はこの作家の天性のものだ。

 現在、比較的手に入りやすい文春文庫から発行されているのは2冊。
 1冊目は一貫したストーリーを持つ書き下ろしで、2冊目は、雑誌に間欠的に掲載された作品を寄せ集めた連作集となる。
 骨太のストーリー構成でぐいぐい押していく1冊目と、味わい深いエピソードをたくさん拾い集めた2冊目。 
 この関係は、司馬遼太郎の 『燃えよ剣』 と 『新撰組血風録』 のつながりを連想させる。

ファイアーボール1 ファイアーボール2

 本としての面白さからいえば、書き下ろしの1冊目の方が読みごたえがあるが、深みを感じさせるのは2冊目。
 特に 「嫉妬」 、「グッドバイ」 、「近田によるあとがき」 と、本書の後半部分を盛り上げる3章が逸品である。

 この 『ファイアーボールブルース』 が発表されたのは1995年。
 江戸川乱歩賞を取った 『顔に降りかかる雨』 (1993年) と、日本推理作家協会を取って映画化もされた 『OUT』 (1997年) の間に書かれた作品である。

 女性を主人公にしたハードボイルド小説の書き手としてスタートした桐野さんは、やがて 『OUT』 のようなクライムノベルに手を染め、さらに 『OUT』 以降は、文学のジャンルを大胆に横断していくスケールの大きな作家に成長していく。
 この 『ファイアーボールブルース』 という小説は、その 『顔に降りかかる雨』 から 『OUT』 へ至る橋渡しを務めた重要な作品である。

 なぜなら、この小説は、『顔に降りかかる雨』 、『天使に見捨てられた夜』 という桐野流ハードボイルドの “プロレス版” でありながら、同時に、ハードボイルドからの脱出が示唆された作品だからだ。

 ハードボイルド小説とは何かというと、単純にいえば 「カッコいい主人公」 が登場する小説といい切ってよい。
 たとえ主人公が、失敗、敗北、悔恨などという負のエレメントを背負おうとも、そこに 「美意識」 を付加してしまえば、それがハードボイルドのテイストを生む。

 このようなハードボイルド小説の叙述形式は、主人公自身が語り手となるという 「一人称形式」 を取ることが多い。
 桐野さんのデビュー作 『顔に降りかかる雨』 は、まさにこの手法で書かれた小説であり、女性探偵のミロは、「私」 という一人称を使って、自分に降りかかる事件を、自分の 「目」 を通して語っていく。

 しかし、そのスタイルには限界がある。
 主人公の “カッコよさ” が描けないのだ。

 主人公が 「語り手」 である以上、「生きざま」 や 「ポリシー」 などというメンタルなカッコよさは表現できても、その主人公が他者からどのように見られているかということは描けない。

 外から見たときのカッコよさを判断するのは、あくまでも第三者である。
 自分自身がおのれカッコよさに言及してしまえば、それは 「自意識」 になってしまい、主人公が自意識に拘泥すればハードボイルドのテイストは失われる。

 そのパラドックスを、「観察者」 を設定することによって解決したのが、この小説である。
 つまり、主人公火渡抄子 (ひわたり・しょうこ) の生き方を読者に伝える人物として、近田ひさ子という 「付け人」 を置いたのだ。

 近田ひさ子は、火渡を 「神」 のように尊敬し、「スター」 として憧れ、「恋人」 のように愛情を注ぎ、「我が子」 のように面倒を見ている。

 しかし、その一方で近田は、女子プロレスラーを目指す人間の一人として、いつかは火渡をリングの上で叩きのめし、自分の力を世間にアピールしなければならない。

 その屈折した近田の視線によって、火渡というプロレスラーが秘めているダイヤの原石のような魅力が鋭利に磨き込まれ、多面的な光彩を放つことになる。

 火渡自身は、寡黙なハードボイルドヒーローを演じているだけなのだが、近田の目を通すと、火渡の 「寡黙」 はミステリアスな色に染められ、火渡の 「タフさ」 は、内面から滲み出た強靭さを帯び、火渡の 「優しさ」 は、少女のような繊細な神経からもたらされるものとなる。

 このような手法でヒーローを描く方法は、歴史小説の世界などでは、以前からときどき試みられていた。
 たとえば、塩野七生がチェーザレ・ボルジアを描くときにマキャベリの視点を導入したり、司馬遼太郎が、織田信長を描くときに秀吉の視点を添えたりする部分である。

 チェーザレ・ボルジアも織田信長も、あれほどの歴史を動かした人物でありながら、発言自体の記録が少ない。
 彼らは、言動による自己表現を潔しとせず、寡黙を貫きながら、行動で意思を示すという政治手法を採った。

 そういう人間たちを主役にした読み物では、どうしても主役に 「愛」 を寄せる、マキャベリや秀吉のような人たちの眼差しが必要となる。
 チェーザレも信長も、愛ある理解者がいなければただの 「暴君」 でしかなかったが、愛ある者の視点を獲得することによって、「ヒーロー」 となった。

 近田ひさ子もまた、火渡抄子に 「愛のオーラ」 を与えた。
 読者は、この愛のオーラを通じて、はじめてカッコよい火渡を見ることができたのだ。

 しかし、火渡のオーラ役を務めていた近田は、いつかは自分自身がオーラにならなければならない。
 近田は、いつの日か 「付け人生活」 に終止符を打ち、自分もまた火渡のように、リングの上で花開きたいと思っていたからだ。

桐野夏生氏2

 1冊目のあとがきで、著者自身はこう書いている。
 「近田は、火渡の観察者であると同時に、勝者の舞台からこぼれ落ちた敗者でもある」

 作者の言を信じれば、この2冊の小説は、常勝を続ける火渡の快進撃を味わう小説であると同時に、敗者である近田の復活戦を見守る話でもあるのだ。

女史プロレス

 そして、ついに敗者復活戦のリングに上がった近田。
 その前に立ちはだかるのは、あの火渡。

 読者には、読む前からその結果が見えている。

 自分の限界というものを痛いほど知った近田は、やがてプロレスをあきらめ、普通のOLに戻っていく。

 火渡という 「神」 と、プロレスという 「家」 を失った近田の哀しみは、読者の胸を打つ。
 しかし、その哀しみの底に、読者をどこかホッとさせるような暖かみが流れている。
 平凡な人生と引き替えに得られる 「幸せ」 。
 それをつかもうとしている近田に、読者はスタンディングオベーションを送ることをためらわない。

 一方、庶民となった近田の目を通して眺めた女子プロレスの世界は、相変わらず、ツンドラ地帯で獲物を奪いあう野獣たちのように哀しい。

 しかし、その哀しみには 「凛 (りん)」 とした香気がある。

 黄昏の光りを追うような静かな終わり方は、本を閉じても、余韻が残る。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 01:38 | コメント(2)| トラックバック(0)

掌編小説・狐部隊

 「狐部隊って知ってた?」
 隣りに座った女は、そう言って私の方を振り向く。
 「いいや。…何それ?」
 私は、物憂く返事する。

 深夜のパブだ。
 とっくに電車は終わっている。
 地下室の穴倉みたいなカウンターに座っている客は、もう私と女しかいない。
 カウンターの中にはバーテンもいない。ウェイターもいない。
 音楽も止まった。
 時間が死んだようだ。

 「狐部隊ってかわいそうなの。聞いたとき、泣いちゃった…」
 女は、別に悲しそうにするふうでもなく、壁に向かって独り言のようにつぶやく。
 「何だい? 狐部隊って…」
 私は、もう一度同じ質問を繰り返す。

 「満州での話なの。日本が満州で戦争をしていたころの話なのよ。あなた知ってた?」
 「いや」
 「あなたって、そういうこと知らない年なの?」
 女がびっくりしたように尋ねる。
 「おいおい、俺を80歳以上の老人にする気かい?」
 「戦争って、そんな昔なの?」
 女が怪訝そうな顔で、私を振り返った。
 「そうだ。もう “戦後” という言葉すら、とっくの昔になくなった」

 「それでね…」
 女は、私の言葉など念頭にないように、話を続ける。
 「日本が負けそうになって、ソ連軍が攻めてきたのに、日本軍は逃げてしまって、普通の人を守る兵隊がいなくなったの」
 「それで?」
 「男は小学生しかいなくなったんですって」
 「まさか…」
 「本当よ」
 女が唇を尖らせる。
 「…で、小学生たちが日本の民間人を守るために、兵隊にさせられたの」
 「学徒出陣よりひどいね」
 「ガクトシュツジン…って?」
 「いや、いいよ。…それで?」
 「小学生じゃ敵になめられるじゃない? それで小学生ということを隠すために、狐のお面をかぶることになったの」
 「狐のお面…」
 「そう、神社のお祭りに使うような白い仮面」

狐のお面

 私は脳裏に、白い仮面をかぶった小学生の一団を想像してみた。
 滑稽なような、悲惨なような…。
 女の話は遠い昔のおとぎ話のようで、現実味がなかった。

 「私、狐部隊に会いたい」
 女がため息をついた。
 「会ってどうするんだ?」
 「応援するの。頑張ってぇーって…。死ぬなよーって…」
 そう言って、女は遠くを見るような目になった。

 「出よう。そろそろ店も終わりだ」
 私はそう言って、女をうながした。

 北極の冷気のような寒風が、頭上で渦を巻いていた。
 夜明けは遠く、漆黒の闇が扉の外で澱んでいた。
 私と女は、霜を踏みしめながら、よろけるように歩き出した。

 「寒い…」
 女が、おびえるように私の腕に絡まりついてきた。
 「どこに帰るんだ?」
 私は女に尋ねた。
 「どこでもいい。温かいところで眠りたい」
 女の声が外気に凍りついて、ポトッと地面に落ちそうだった。

 振り向くと、店も電気を消したのか、闇の中にまぎれて跡形もなかった。

 「ねぇ、何か見える」
 女の足が止まった。
 「どこ?」
 「あそこ…」
 女がどこかを指さしたらしいが、その女の指先さえ、暗くて見えなかった。
 「何も見えないよ」
 「明かりよ、明かり。ほら…」
 女が私の腕をギュッと握りしめた。

 遠くに、いくつかのかがり火のようなものが揺れていた。
 「たいまつだな…」
 私は、闇の中にたたずんで、次第に増えてくる明かりの数を数えた。
 
 「みっつ…、よっつ…、いつつ…」
 丘を越えてくるのだろうか、一直線になったたいまつは、次第にその数を増やしていった。

 「狐部隊よ!」
 女が叫んだ。
 たいまつの明かりで、それをかざしている人間の顔がぼんやりと浮かんできた。
 「本当だ…」
 私は、たたずんだまま近づいてくる狐の仮面を眺めた。

 お祭りの夜店で売っているような狐の面が、続々と明かりの中に浮かびあがり、駆け足で向かってくるところだった。
 たいまつを右手にかざしたまま、ある子供は旧式の小銃を肩にかけ、別の子供は竹槍をかざし、何もない子は、手に石粒を抱えていた。

 「頑張ってぇー!」
 狐たちが前を横切ると、女は飛び上がって大声で叫んだ。
 「死なないでぇー!」
 手を振る女に気づく様子もなく、狐の集団は黙々と走っていく。

 「死ぬなよ!」
 思わず、私も叫んだ。
 行列はあっという間に姿を消した。

 「20人ぐらいかな…」
 遠ざかる明かりを追いながら、私は言った。
 「勝つわね、きっと」
 女が祈るようにつぶやいた。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:11 | コメント(2)| トラックバック(0)

深夜のハーモニカ

 もうイヤになっちゃってさ。
 それまで一生懸命会社で原稿書いていたんだけど、8時になったら突然ブッツンしちゃってさ。
 急に酒飲みたくなったわけ。
 …誰かと話したい。
 …仕事も何もかも忘れて、バカッ話にうつつを抜かしてみたい。

 納期を間近に控えた仕事があって、本当は徹夜でも何でもしなければならないせっぱ詰まった状況だったんだけど、体が勝手にパソコンの電源落として、暖房のスイッチ切ってさ。

 自分の住んでる町に着いたのがもう10時過ぎで、この時間、知り合いを呼び出そうっていう時間でもないから、とりあえず駅裏のカウンターだけの焼き鳥屋に一人で入って。

 「カシラとタン、2本ずつね。塩で…」
 なんて叫んで、焼酎の水割り頼んでさ。

 で、周りを見回すと、みんな頭に白髪の混じったオヤジばかりなの。
 で、みんなハンで押したように、テレビドラマなんかの画面を目で追いながら、黙々と飲んでいるわけさ。

 金曜日の夜。
 不況だとかなんだとかいいながら、一応、忘年会とか、仲間うちの飲み会なんてのが最も集中するような日じゃない?
 だけど、そんな席からはお声もかからない…ってな連中ばかりでさ (もちろん俺もその一人なんだけど) 。

 お互いに、つまはじきされたオヤジ同士なんだから、隣りのヤツに、「今日は寒いから、やっぱ熱燗がいいっスね」 なんて話しかけたっていいだろうに、みんな下向いてジトっとしててさ。

 あんまり陰々滅々としていたんで、厚揚げとホーレンン草のバタ炒めをそそくさと食ってから、いつもの居酒屋に寄ったんだ。

飲み屋瓶

 だけど、ここも似たり寄ったりのオヤジばかりでさ。

 家に戻って部屋の電気をつけるとガランとした空間がよけい寂しいから、酔いの力を借りて何も考えずに寝るんだ…ってなオヤジばかりが、ここでも黙々とテレビ観ながら酒飲んでんの。

 隣りにはいつものトミさんがいて、話していてあんまり面白くない人だから、別の常連客がいたらそっちの方と話ばかりしているんだけど、こういうときに限って、俺の隣りがトミさんなわけ。
 
 で、「年末はいつまでお仕事なんですかぁ?」
 ってな、当りさわりのない話をして、「最近なんか面白いことないですかねぇ」 ってな、絵に描いたような他人行儀な話題に持ち込んで、「いやちょっと凝っているものがありましてねぇ」 って言われたから、「ほぉ、何でしょう?」 って、ちょっと面倒くさいな…と内心思いながら、いちおう “顔面好奇心の固まり” ってな表情を浮かべて、相手の出方を待っていたら、トミさんがカウンターテーブルの上に広げたケースの中から出てきたのが、大小いろいろ取りどりのハーモニカなの。

 「最近、これを練習しているんですよ」
 …ああ聞いて欲しいわけね…て、すぐ察知したから、
 「おお、いいですねぇ、何かお得意の曲がありましたら、ぜひ1曲」 …って、ママさんのチエさんの表情をうかがいなら、吹いてもらうことにしたわけよ。

 最初の1曲は、「あしたぁハマ~べをさまよえば~」 っていう、昔の国民歌謡なんだけど、ああ! って思っちゃったわけ。
 ハーモニカの音って、もうここ10年以上…いやひょっとして20年以上も聞いていないってことが分かったのね。

 だからすっごく新鮮なわけよ。
 
 年末の、若い女の子もいなければ、気の利いた座談を取り持つ青年もいなくて、もう還暦まぢかかひょっとしたらそれもとっくに過ぎているオヤジとママしかいない店で、カウンターの端を、低くたなびくタバコの煙のように、モソっと流れていくハーモニカ。

 いいんだわ!
 
 「それ凄いよ、もっとやってよ」」
 とリクエストすると、ようやくトミさん、調子が出てきたらしく、
 「じゃ次は、オーバーザレインボーって曲知ってます?」
 って吹き始めて、さらに 『山茶花の宿』 からクリスマスの聖歌とか、もうハーモニカ酒場になっちゃったわけ。

 で、俺、それ聞いているうちにジーンとしてきてさ。
 頭の中には、西部開拓民の家族が幌馬車から降りて、焚き火の前に集まって、そのうちの一人の爺さんが、スコットランド民謡かなんかをハーモニカで吹いて、みんな静かにそれを聞きながら、焚き火にマキをくべたりする情景が頭の中にグルグル回り出して…。

 ハーモニカって、典型的な 「昭和の音だなぁ…」 ってしみじみ思っているうちに、まだコンクリなんかで固められていない土の上で、みんな裸足になって遊んだときの情景なんかも蘇って、ジミヘンやクリームが出てきて、ギター弾けるヤツがヒーローになる前は、ハモニカ小僧がヒーローだったよなぁ…ってな想い出も頭の中をかけめぐってさ。

 今まではハーモニカって馬鹿にしていて、ブルースハープならOKね…なんて粋がっていた自分が、なんだか空しく思えてきて、正々堂々と 「ハーモニカって凄いっスねぇ!」 ってトミさんに宣言して、店出てきたら12時。

 でも、また聞きに行こうかな、トミさんのハーモニカ。
 

 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 01:50 | コメント(4)| トラックバック(0)

車でモテた時代

 俺、若いころ、いっぱしのナンパ師だったのよ。
 ペラペラしゃべりかけるの、平気!
 女がためらってもよぉ、サメみたいに食いさがる厚かましさも、充分!

 何よりも自慢なのは、振られても 「ケッ!」 と開き直れるたくましさ。
 カエルのツラにションベンってやつだね。
 
 でもさぁ、弱点ってのがあったわけ。
 それは、クルマってのを持ってなかったのよ。

 俺なんかが行ってた学校って、けっこう良家のボンボンもいてさぁ、親に買ってもらったスポーツカーなんかで、通学しているヤツもいたのね。
 そういうヤツらの顔みるとさぁ、もうムカムカしてきてよぉ。
 「オマエらが持っていて、なんで、俺にねぇのかよ」
 ってね。

 まぁ、今日びの若者はクルマなんかには興味がないっていうじゃない?
 クルマ使ってモテようなんて気持ちはまったくないんだってな。

 そういう時代って、けっこう健全かもしんない…って気持ちはあるけどさ。
 だって、モノじゃなくて、“心” で勝負ってことでしょ?
 そっちの方が、断然いいとは思うぜ。

 でも、俺たちの時代は違ったのよ。
 クルマってのは、女に振りかける “ホレ薬” みたいなもんでさ。
 そいつを持ってるかどうかで、モテ度が全然違ったのね。 

 だから、俺、表面的には、クルマを使ってナンパしているようなやつらを軽蔑するフリしてさ。
 「てめぇら、クルマの窓開けなきゃ、声もかけられねぇのかよ」
 って、思いっきり毒づいたこともあったな。

 でも、やっぱクルマのすさまじい神通力というものを、まざまざと思い知らされたことがあったんだよ。

 一人で街を歩いていた時なんだけどさぁ、公衆電話のボックスからヒマそうに出てきた女がいたの。

 目と目が合ったら、にらむのよ。
 俺がナンパやりそうな雰囲気を漂わせていたんだろうね。
 ぶ厚いマスカラの下の目がさぁ、「声かけないで」 って訴えてるの。

 だから俺もヤケクソ気味によぉ、
 「ドライブでもしない?」
 って、捨てぜりふのつもりで言ってみたんだ。

 止まったんだよ、相手の足が!

 「何に乗ってんのよ?」
 と、そいつ疑り深そうな口調で、聞き返してきたの。

いすゞ117クーペ

 当時知っていたわずかな車名のなかで、とっさにひらめいたのが、
 「117クーペ」 。

 「ほんと?」
 まだ、疑っている声だったけれど、目が好奇心を漂わせているんだよね。
 「いすゞの?」
 「そうそう」

 「ふぅーん…」 って、歩み寄ってきてさ。
 「どこに置いてあるの?」
 「まぁ近く」

 それから彼女、自分の腕時計みて。
 少し何か考えて。
 「高かったでしょう。ひょっとして、お金持ち?」
 「そうでもないけどさ」
 「だって、170万円だよ」
 「親父のクルマよ」
 俺、ちょっと真実味を増すために嘘ついてさ。

 …したら、「乗ってもいいかな」 って、そいつが笑うの。

 ああ、こういうものなのか…って、俺は感慨にふけったね。
 クルマを使ってナンパしているやつらは、途中駅を吹っ飛ばして一気にゴールまで行けちゃうんだ。
 そう思ったの。
 こりゃ知らない世界に踏み込んだなぁ…という気がしたね。

 で、彼女、うって変わって人なつっこい顔になってよ。
 「行くなら湘南がいいよ。箱根まで行ってもいいな」

 俺、内心ヤベェなぁ…って思ったよ。

 とにかく 「ドライブはこの次にして、今晩は酒でも…」
 っていうシナリオに持ち込まなければいけねぇ…って計算してさ。
 「まずお茶でも飲もうよ。時間あるし」
 って、水向けてみたの。

 ところが、それには乗らねぇんだな。

 「だったら箱根で飲もうよ」
 そう食い下がってくるわけ。

 箱根なんて言われてもさぁ、俺、電車と徒歩でしか行ったことがないから、クルマの距離感なんてつかめねぇのよ。

 だから 「箱根は遠いなぁ…」 って、かったるそうな表情つくって、せいいっぱい遊び人の “優雅なけだるさ” ってのを演出して。
 確かに電車だと、完全に一泊旅行の場所だったからね。

 「何いってんのよ。いま西湘バイパスできたじゃない。西宮から小田原まで高速で行けんだよ。知らなかったの?」
 彼女の目が、また不審そうな目つきに戻るの。

 「いや、この前行ったばかりだから、つまらないと思ったんだ」
 「ふぅーん。じゃ鎌倉ぐらいでもいいか」
 「まぁ、急ぐなよ。実はクルマの調子が急に変になっちゃってさ」
 「え、どうしたの?」

 「いや、ちょっと走らなくなっちゃってよ」
 「ボンネット熱くなってる?」
 「……も…もしかしたら、そうかな…」
 「オーバーヒートだよ! ラジエーター水をチェックしてた?」

 オーバーヒート
 ラジエーター

 恥ずかしいけれど、俺、初めて聞く言葉だったんだわ。
 だんだん冷や汗が背中に溜まってくる感じよ。
 こりゃ、クルマの話から早く離れなきゃいけねぇと思ってさ。

 「修理工場やってるダチがいまそれを見に来るのよ。だからすぐには乗れないの。それまで近くでお茶飲もうよ」
 彼女の頭からクルマを引っ剥がすのに必死よ。
 「分かったわ。でもどこに停めてあるの? ちょっとだけ見せてよ」

 ぜんぜん思惑どおりに進まねぇの。

 とりあえず、知っている喫茶店の方に歩き始めたんだけど、ついてくる彼女の関心はまったく117クーペから離れなくてよ。

 「あれってさぁ、エンジンがDOHCなのよね。何馬力だっけ。速いでしょ」
 「まぁね。あっという間の加速かな…」
 「そうよねぇ。4速ミッションだもんね。カッコいいなぁ」

 「俺はそれほどとも思わないけどね」
 「そういう言い方ってさぁ、持ってる人の余裕の言葉よね。ねぇねぇあれ、スタイルもいいよねぇ。イタリア人のさぁ、なんていったっけ? デザインした人…」

 ダ・ビンチでもねぇし、ミケランジェロでもねぇし…。だんだん頭の中がパニックになってきてさ。

 「あの悪いけど、俺ちょっとさぁ、急に用事を思い出しちゃった。じゃ…」
 「ドライブはどうするの?」

 「クルマ買ったらな」
 …という言葉を呑み込みながら、逃げ出したの。



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:43 | コメント(6)| トラックバック(0)

世界のRV事情

 このたび発表された 『キャンピングカー白書2008』 には、この9月にドイツのデュッセルドルフで開催された 「RV世界会議」のデータが収録されている。

 これは欧米、カナダなどといったキャンピングカー先進国を中心に、世界主要国のキャンピングカー産業の現状を報告したもので、各国RV事業者の統括団体が責任ある数値を公開したという意味では、とても貴重なもの。

 その白書で公開された “世界のRV (キャンピングカー) 事情” を要約して、ここに紹介したい。

 ただ、これらのデータは今年9月以前の調査を基礎としているため、この秋から冬にかけて世界を襲っている大不況の嵐を反映してはいない。そこだけは予め断っておいた方がいいかもしれない。

《 アメリカのRVは820万台 》

 アメリカでRVを製造・販売する大きな組織 「RVIA (The Recreation Vehicle Industry Association) 」 の調査によると、現在アメリカには820万台のRVが走っているという。
 この820万台のうち、トラベルトレーラーの占める率が75~80パーセント。自走式RV車は20~25パーセントだといわれている。
 日本のキャンピングカーの総累計は6万台弱であるから、なんと約136倍という数字になる。

 07年単年度の出荷台数を見てみると、アメリカの自走式RVの総出荷台数は5万5,000台。トラベルトレーラーの総出荷台数は30万台。この二つの数を合計した規模は、日本の1年の出荷台数の75倍程度といってよい。

KOA_RVリゾート
▲ キャンピングカーライフを楽しむアメリカのシニア夫婦

 オーナーの平均年齢は49歳。既婚者が大半を占め、家庭収入は年額6万8,000ドル。毎年平均4,500マイル (約7,245km) の旅を26日間かけて楽しむという。

《 ヨーロッパのRVは540万台 》

 ヨーロッパにおけるRVメーカーの数は、全ヨーロッパで86社。中でもドイツには31社が集中し、以下イギリスの14社、フランスの12社、イタリアの11社と続く。
 そのほかスカンジナビアには6社、東ヨーロッパには4社、スペインには3社というように、ほぼ欧州全域にRVメーカーが散らばっている。

 具体的な登録台数を見てみると、2007年に新登録されたトラベルトレーラーの数は116,900台。自走式キャンピングカーの台数は89,100台。
 数としてはやはりトレーラーが多く、イギリス、ドイツ、オランダ、フランスの4ヶ国では、全体の登録台数のほぼ70%をトレーラーが占めている。

 また、これまでの累計で見ると、トレーラーの累計は410万台。自走式の累計は130万台。合わせて540万台のRV車が全ヨーロッパを走っていることになる。

 ヨーロッパのRV車オーナーの平均年齢は47歳。アメリカより2歳ほど若い。
 しかしながら、各RVメーカーは50代半ばの 「ベスト・エイジ」 と呼ばれる層をメインターゲットにして販売戦略を展開しており、造られるクルマも、シニア夫婦2人が快適に旅行できるようなレイアウトのものが主流となっている。

《 カナダのRVは80万台 》

 カナダのRV協会 (CRVA=Canadian  Recreational Vehicle Association) の調査によると、現在カナダを走るRVの総台数は約80万台。カナダ家庭の14パーセントがRVを所有している。


《 急ピッチでRV製造に励む中華人民共和国 》

 中華人民共和国では、1990年代の後半頃から富裕層を中心に輸入RVが徐々に普及し始めたが、中国で最初のRVの生産ラインを整えたメーカーが誕生したのは2001年である。

 2007年度には、自走式キャンピングカーの工業規格などを整備した 「Automobile Industry Standards」 が確立され、中国産キャンピングカーを製作するための基礎が固まった。
 さらに、RV産業協会の設立、展示会の準備、キャンプ場の整備、それらを広報するメディアのサポート体制の強化などが急ピッチに進んでいる。

《 トレーラーが主流の南アフリカ共和国 》

 現在、南アフリカでは、累計約105,000台のシェルタイプのキャラバン (トラベルトレーラー) が登録されている。そして毎年2,400~2,500台のキャラバンが製造されている。

 このキャラバン以外に、南アフリカでは自国内において 「キャンピングトレーラー」 と呼ばれるカテゴリーが存在する。構造的にはフォールディングトレーラーに近いものであり、約30社の製造メーカーによって、50以上のモデルが年間約2,000台生産されている。

 一方、自走式モーターホームの歴史はまだ日が浅いため、その台数は非常に少ない。正確な数は把握できていないが、累計1,700~1,900台ぐらいではないかと推定されている。

 なお、白書における 「RV世界会議」 のレポートにおいては、日本側代表が日本のキャンピングカー事情ををどう伝えたのかという記事が掲載されている。
 そこには、「日本のRVは日本文化を反映したものだ」 という報告があり、内容的にはなかなか興味をそそるものであるが、分量的に多くなるので日を改めて紹介したい。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 21:36 | コメント(2)| トラックバック(0)

キャンカー白書08

 日本RV協会 (JRVA) が発行する 『キャンピングカー白書2008』 がこの12月に公表された。

 それによると、ここ数年、乗用車市場の冷え込みが続くなか、キャンピングカーは4年連続の売上げ増を記録したと書かれている。

《 昨年度は最高の売上げを記録 》

 同書によると、国産車・輸入車を合わせたキャンピングカーの販売台数は、統計を取り始めた04年度の3,099台に始まり、3,503台 (05年度) 、4,126台 (06年度) と推移し、07年度は4,705台という過去最高の販売台数を実現したという。
 それにより、日本全体のキャンピングカー保有台数も5万9,000台 (推定) になったとされる。

 このような販売数の増加を裏付けるように、キャンピングカー事業者の07年度の売上げ金額も、06年度の227億5,016億円を上回る255億8,094円 (前年比12.4パーセント増) に達し、過去最高の売上げを記録した。

 もちろん、この調査が行なわれたのは今年の3月から4月にかけてのことだから、夏頃から顕在化してきたアメリカ金融危機による大不況の状況を反映していない。

 しかし、乗用車業界がすでにここ数年間ずっと業績不振に陥っていたことを考えると、この4年間、右肩上がりの成長を続けてきたキャンピングカー業界というのは、あらためて驚異的な存在であることが分かる。 

《 最も売れているのは500万円台のクルマ 》

 同書によると、このように販売が好調に推移した背景には、キャンピングカー購入者の購入価格帯が上昇していることが関係しているという。

 日本RV協会が組織する日本最大のユーザー団体である 「くるま旅クラブ」 (3,467人) にアンケート調査したところ、前回調査において最も多かった購入価格帯の 「400万円台」 が、今回調査では100万円アップの 「500万円台」 に地位を譲り、1,000万円を超える高額車両を購入する層も、前回の4.2パーセントから5.5パーセントと、1.3ポイント上昇していることが判明した。

 ユーザーの世帯収入を調べると、1,000万円を超える高額所得者が20.4パーセントを占める一方、400万円台から900万円台の人たちがほぼ10パーセント前後で均等に分布しており、世帯収入の違いを超えて、キャンピングカーが幅広い層に浸透している様子も見て取れた。

《 高齢化しつつあるユーザー層 》

 また、ユーザー層が少しずつ高齢化していることも分かった。
 アンケート調査に答えたキャンピングカーユーザーのうち、前回調査においては17.8パーセントであった60代の人たちが、今回の調査では21.8パーセントと4ポイントも上昇した。
 さらに、前年調査ではキャンピングカーユーザーの0.1パーセントに過ぎなかった70歳以上の保有率も、08年度では2.7パーセントに跳ね上がった。

 全体でみると、昨年度において49.0パーセントであった50歳代から70歳代までのユーザー数が、今回調査では、半数を超える53.6パーセントに達したと白書は伝えている。

《 増える夫婦のふたり旅 》

 また、ここ数年キャンピングカーユーザーが 「ファミリー」 から 「シニア夫婦」 へと移行していると、あちらこちらで取り沙汰されてきたが、今回の調査でもそれを裏付ける結果が出た。

 ユーザーのキャンピングカー旅行の同行者を調査してみると、一番多いのは  「夫婦2人」 で、全体の48.9パーセントを占めた。
 「子供を含めた家族」 はそれより少ない43.9パーセントだった。

 前回調査における 「夫婦2人」 と 「家族」 の比率を見てみると、夫婦2人は48.8パーセントで、「家族」 は44.9パーセントであったことからも、キャンピングカーユーザーが 「子供を伴った家族」 から、徐々に 「退職世代の夫婦2人連れ」 に移行している様子が浮かび上がってくる。

シニア夫婦2人旅画像
▲ シニア夫婦の2人旅ユーザーが徐々に増加

《 キャンプ場の利用率はまだ1割 》

 今回の白書では、ユーザーと業界の調査結果に加え、キャンピングカーを受け入れる施設であるオートキャンプ場の声が採り上げられているところに特徴がある。

 キャンプ場関連のページでは、キャンプ場の半数に近い49.1パーセントのキャンプ場がユーザーの誘致に積極的であり、場内にАC電源 (46.7パーセント) を増設したり、アプローチ道路やサイトの拡幅 (40.0パーセント) などを実施して、ユーザー誘致のための対策を進めていることが伝えられている。

 しかしながら、キャンプ場におけるキャンピングカーの利用率はまだ低く、その年間利用率を 「10パーセント (1割) ぐらい」 と答えたキャンプ場は80.3パーセントにも及んでいる。

 ちなみに、現在ユーザーが仮眠するときなどの休憩施設としてよく使われているものは、「道の駅」 (81.8パーセント) や 「高速道路のサービスエリア・パーキングエリア」 (64.5パーセント) であり、キャンプ場 (53.0パーセント) は3番目だった。 (※ この項のパーセンテージは複数回答で算出)

《 世界のRV事情も初めて公開 》

 また、付録として、今年の9月に開かれた 「RV世界会議」 のレポートが収録されているのも、今回の白書の価値を高めた。
 アメリカやヨーロッパ、さらにカナダ、オーストラリアなどの “キャンピングカー先進国” の最新市場データとともに、成長著しい中国や南アフリカのレポートも添えられて興味を引く。

 とにかく、貴重なデータ満載の 『キャンピングカー白書2008』 。

 お問い合せは下記へ。

 日本RV協会 (JRVA)
 〒194-0022
 東京都町田市森野1-10-10 ペアシティエンドウビル2-A
 E-mail:office.@jrva.com
 FAX. 042-720-7251

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 20:16 | コメント(2)| トラックバック(0)

カツカレーで勝負

 「カツカレー」 とか 「ハンバーグカレー」 などという食べ物がよくあるけれど、そういうメニューを何の覚悟もなくオーダーしてしまう人の気持ちが、私にはよく分からない。

 カレーとカツ。
 私にとってこの二つの食べ物は、ヒグマと月の輪グマのように、同じ空間には存在してはならない食べ物なのだ。

カツカレー

 もちろんカレーも、カツも好きだ。
 これにハンバーグが加われば、その3本柱で中2日のローテーションを組んで、365日間の全シリーズを戦いきってみせる自信はある。

 私にとっては、カレーもカツも、ともに大切な先発メンバーなのだ。
 だから、そのどちらかに1食分を任せたときは、できれば完投してほしい。
 
 ところが、「カツカレー」 というメニューを選ぶ場合は、その大事なエースの2品を、たった1試合に投入してしまうことになる。

 何たる浅はかな贅沢!
 馬鹿げた満足感!

 そんな食事を1試合でも行ってしまえば、その日を境に先発ローテーションは総崩れとなり、私はカツからもカレーからも信頼を失ってしまうことになるだろう。

 だから、私がカレー屋さんのカウンターに座り、店主に向かって、おずおずと  「カツカレー…」 と頼むときは、相当な 「覚悟」 を決めたときなのだ。
 両エースを惜しげもなく投入するわけだから、絶対負けられない大勝負に挑む時だとご理解いただきたい。

 どういう勝負か。

 たとえば、「ものすごくお腹が空いたとき」 。

 そのときは、さすがの私も腹をくくり、乾坤一擲 (けんこんいってき) の大勝負を挑むつもりで、この布陣に賭けることになる。

 この両エースがそろい踏みした食事は見るだに恐ろしい。
 カレーがカツという甲羅を背負うことによって、盛りつけ全体に戦闘的な雰囲気が漂い、太古の爬虫類のような凄みが漂ってくる。

 プレーボールともなれば、まずカレーが、口から炎が出るような辛さで、火の玉魔球をくり出す。
 カレーが一休みしているうちに、今度は、カツがパン粉でくるまれた豪快な肉片となって、地表すれすれの弾道を唸りをあげて飛んでいく。

 この両者が投げ抜いた試合では、私はまだ一度も負けたことがない。
 これまで、すべての 「空腹」 を完膚なきまで打ちのめしてきた。

 ……しかし、やはり空しい。
 カレーとカツを同時に投入しても、しょせん1食は1食でしかないのだ。

 そう思うと、なんでこんな贅沢をしてしまったのか…と後でくやむ。
 520円ですむところを670円にしてしまった。

 やっぱり、薄氷を踏むような緊張した食事であっても、カレー単品あるいはカツ単品で勝負して勝った方が、喜びもひとしおだ。

 カツとカレーの連合軍は、飛車・角を2枚ずつそろえて将棋を戦うようなもの。
 強すぎて、勝つ妙味が薄れる。

 私は言いたい!
 そこで 「カツカレー」 を注文しようとしている貴方。
 
 「気持ちは分かる。でも赤子の手を捻るようなマネは慎みなさい。エース級を2品も投入しなくても、お腹はいっぱいになります」


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 22:59 | コメント(4)| トラックバック(0)

RVランド式農業

《 趣味は農作物づくり 》

 日本を代表するキャンピングカーディーラー 「RVランド」 の阿部社長が、いま農業への関心を深めている。

RVランド展示場
▲ RVランド展示場

 同社は、茨城県の常総市に日本一といわれる展示規模の展示場を展開しているが、このほど、同じ県内に休耕地となっていた土地を購入。
 そこでダイコンを植えたり、栗を収穫するなどの農作業を試験的に開始した。

 キャンピングカー屋さんがいったいなぜ農業を?

 RVランドの阿部和麿代表に、その真意を尋ねてみた。

阿部和麿代表
▲ 阿部 代表

 「 “農業” といったって本格的なものではないですよ。今はまだ実験の段階。
 まぁ、ショップを運営する後進も育ってきたのでね。そろそろ自分の道楽でも始めようかと…」

 もともと、農作物を作ることには昔から興味を抱いていた阿部さん。現在の展示場を運営するかたわら、近くの休耕地を借りて、ダイコンやキュウリなども作ってきた。

 でも趣味ならば、それで満足できたはずなのに、なぜわざわざ自分の農地まで手に入れて農作業を試みようと思ったのか。

 聞くと、そこには遠大な “企業戦略” が絡んでいた。

 「キャンピングカーユーザーのための “クラインガルテン” の開発」
 それが、阿部さんの農地取得の意図だったのだ。

《 食への不安を解消する妙案 》

 クラインガルテンとは、ドイツ語で 「小さな庭」 。
 一般のサラリーマンや定年退職したシニアなどが、個人消費を前提とした小さな耕作地を手に入れ、“野菜づくりなどを楽しむ場所” という意味で広まってきた言葉だ。

 このようなムーブメントは、言葉の発祥地ともなったドイツをはじめ欧米先進国では広く普及しており、今や 「スローライフ」 や 「ロハス」 を語るときの格好の具体例として注目されるようになった。
 最近は日本の各自治体においても、そういう動きを支援しようという意識が芽生えており、クラインガルテン用の土地や施設を提供しようという動きも生まれてきた。

 「それを、キャンピングカーで行える場所を造りたい」
 と、阿部社長は考えているのだ。

 つまり、利用者はキャンピングカーでやってきて、その中で寝泊まりしながら、敷地内で農作物づくりを楽しむ。
 それが、“RVランドファーム” (仮称=エコファーム八郷) の狙いらしい。

 阿部社長はいう。
 「今年は特に、危険な農薬を含んだ農作物や、偽装食品の話題が多く報道された年でした。
 もう “食” の安全確保は、生活者が自分で管理しなければならない時代が来たように思います。
 そう考えたとき、何よりも手っ取り早いのは、自分で食べる食材を自分で作ること」

 そのための土地と、作業中に寝泊まりするためのキャンピングカースペースを用意するのが自分の務め…と阿部さんは語る。

《 新しいライフスタイルの提案 》

 こういう発想が生まれた背景には、阿部社長のエコロジー意識が働いている。

 つまり、石油燃料の枯渇や燃料消費に伴うCO2の増大が問題視されるような時代になれば、自動車そのものの機能や、その運用方法が大きく変わっていく、と同氏は考えた。
 自動車の恩恵をこうむっていた人々も、自分たちのカーライフを考え直さなければならない時代が来る。

 そうなると、
 「キャンピングカーにおいても、むやみにガソリンを消費して走り回るという乗用車的な使い方は、だんだん社会から歓迎されなくなるのでは…」
 と阿部さんは読む。

 しかし、そう言いながらも、次の一言を強調することを忘れない。

 「でも、キャンピングカーには乗用車にない機能があります。それは車内での寝泊まりです」

 つまり、家に近い生活機能が備わったキャンピングカーならば、むやみにガソリンを消費して走り回るのとは違った楽しみ方が持てる。

 それこそ、
 「キャンピングカーでクラインガルテン!」

 これ1台あれば、農作業地に小屋を建てたりすることなく、好きな時に、好きなだけ、自分の農作業に没頭することができる。

 昼間は、身体を動かして農作物を作り、健全な汗を流す。
 夜は自分のキャンピングカーの中で、収穫を夢見ながら一杯。
 収穫の時が来るまで自宅に帰ってもいいし、全国を旅して回ってもいい。
 作られた作物は、食の安全を保証する。

 「キャンピングカーでクラインガルテンを楽しべば、誰もがこんなクリエイティブな時間の使い方があったのか? とびっくりするはずです。私はこれをキャンピングカーを使った新しいライフスタイルとして提案したい」
 と阿部さんは楽しそうに語る。

 しかし、彼のこのような構想は、実はもっと深刻な危機意識から生まれてきたものであることも明かされた。

 「現在、アメリカの金融不安に端を発した経済危機が世界的な不況にまで発展しているわけですが、実は、この経済危機の先には、もっと恐ろしい問題が控えているように思います」

 真顔になって話し始めた阿部さんの話題は、「地球の食糧難」 にまで広がっていく。

 20世紀の世界大戦は、石油というエネルギー源の争奪戦という側面を持っていた。
 しかし、これからは、「食糧と水」 をめぐった新しい争奪戦が始まる可能性があると阿部氏はにらんでいる。

 確かに、発展途上国の人口増加や、地球規模で広がる自然環境の破壊を伝える日々のニュースは、やがて全人類に深刻な 「食糧難」 と 「水不足」 が訪れることを予言している。
 そうなれば、食糧の自給率が40パーセントしかなく、そのなかでも農作物の自給率が27パーセントしかないという日本は、たちまちのうちに大混乱に陥ることは必至だ。

 阿部さんの農業地確保は、そのような事態に備え、最低限の 「水と食糧の確保」 を狙ってのことでもあるようだ。

《 農業振興はこれからの国家戦略 》

 一企業や一般人が農業に進出するというのは、まだ私たちの感覚にはピンと来ない。
 しかし、すでに欧米ではこのような動きが出始めている。

 2年ほど前だが、アメリカの全米商工会議所では、「石油がなくなったら世界はどうなるか」 という議題で会議を開き、次のような意見が主流を占めたという。

 「石油の産出高が減れば、世界経済を支えている工業が大きな打撃を受け、産業革命以来ずっと拡大してきた産業社会が縮小する。
 そうなると、世界は再び農業社会に戻り、そのために土地が重要になる。
 農業の時代に戻れば、通商のかたちも全く変わり、紙幣の需要が減り、代わりに金貨が尊ばれるようになる」

 もう2年以上前に、アメリカではこのような見方が台頭していたのだ。

 日本のエコノミストの中でも、農業振興を主張する人がいる。
 たとえば早大教授の榊原英資さんは、次のように語る。

「これからの時代は、農業を “戦略産業” に育てなければならない。日本の優秀な農業技術を軸に、農業を輸出産業にするくらいの気構えが必要だ。
 そのためには、休耕地をただちに耕作できるように、政府もある程度の補助金を出して、農業の活性化を促さなければいけない。
 さらに、農地法を改正して、企業が農業に参入する際のハードルを下げることも必要。
 トヨタもソニーも農業を始めるぐらいのことを考えなければ、日本企業の将来はない」
 (週刊朝日 2008年 5月16日号)

 専門家たちが、次々と農業の重要性を唱え始めた現在、RVランドの阿部社長の狙いは、キャンピングカー業界としても 「先見の明あり!」 と賞賛しなければならないのかもしれない。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 17:04 | コメント(6)| トラックバック(0)

黄色いジュウタン

 スタンドカフェのストールに腰掛けて、ガラス越しに駅前のロータリーを眺めていたら、イチョウの葉が散った。

イチョウ並木

 「粉雪が舞うように」 という情緒的な散り方ではない。
 南洋の島に降り注ぐスコールのように、豪快に散る。

 「驟雨 (しゅうう) 」 という言葉を思い出した。
 “にわか雨” という意味だ。

 そんな難しい言葉を、勉強で覚えたわけではない。
 吉行淳之介が書いた小説の名だった。

吉行驟雨表紙

 娼婦の元に通う青年の話で、彼は、その女性を好きになりそうになる自分の心を必死に押し殺す。

 相手の女性も、自分のことをまんざらでもないと思っている様子だ。
 しかし、惚れてしまったことを悟らせてしまえば、自分の負け。
 「結婚」 という形で片を付けるのは疎ましい。
 相手は、金で寝る女じゃないか。
 だから、この恋はゲームさ。

 と割りきろうとする青年を、ますます襲う息苦しさ。
 
 典型的な男のエゴを描いているといえば、それまでだけど、自分の素直な恋心をカッコつけて偽装する青年の、不自然な 「恋のカタチ」 が濃密な小説空間を形成していた。

 青年の鎧のように凝り固まった技巧的な心に、ふとひび割れを走らせたのが、突然の驟雨。

 あれも確か本物の雨ではなく、降り懸かる落ち葉を 「雨」 に例えたのではなかったか。

 だとしたらその落ち葉も、豪雨のように降り注ぐイチョウの落葉だったかもしれない。

 本が手元にないので、確かめようがない。
 いずれにせよ、もう30年以上も前に読んだ短編だ。

 目の前で繰り広げられるイチョウの 「驟雨」 は、何も語らない。

 黄色い葉が、陽の光りを浴びて乱舞すると、街全体がきらきらと燃え上がる。
 歩道にこぼれた陽光にも、容赦なくイチョウの葉が降り懸かる。

 いったいどこから落ちてくるのやら。
 枝に残った葉は、少しも減っているようには見えない。

 なのにとどまることなく、降り続ける葉の嵐。
 
 なぜ、そんなに冬支度を急ぐのか。
 一度尋ねてみようとは思うのだけれど、私にはイチョウの知り合いもなく、語りかけるべき言葉も知らないので、たぶん、一生聞くこともなく終わってしまうのだろう。

イチョウ落ち葉

 カフェまで吹き寄せられた葉がガラス窓を叩くと、コーヒーカップに光のさざ波が立つ。

 午後のロータリーには人影もなし。

 空には、黄色い雨。
 地には、黄色いジュウタン。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:05 | コメント(4)| トラックバック(0)

不況報道に飽きた!

 とにかくテレビや新聞、雑誌などを見ていると、もう嫌になるほど 「不況」 「減益」 「危機」 「崩壊」 の大合唱だ。
 なんとかなんねぇのかな…。

 日本のメディアは欧米などと比べて、とりわけ 「危機」 と 「崩壊」 が好きだという話があるけれど、どうも、そういう言葉を使った方が、「希望」 や 「将来性」 などという言葉を使うよりも “売れる” らしい。

 だけど、毎日そんな言葉を見たり、読んだりする方はたまらねぇよ。
 財布のヒモがキュッと縮まっちゃうだけでなく、首ネッコも縮まっちゃう感じで、まったく自分が、寒空の下で途方に暮れる泥ガメになったような気分になる。

 とにかくメディアは、「100年に1度の不況」 などと不安を煽っているわりには、「どうしたら抜け出せるのか?」 、「何が原因でこうなったのか?」 ということにはほとんど言及しない。

 せいぜい報道番組などで、ちょっと名の知れたエコノミストなどを登場させ、
 「まずアメリカの景気が回復しない限り、日本だけが努力したところで無理ですね」
 などと言わせてお茶を濁すだけ。

ウォール街証券取引所
▲ アメリカ経済の象徴 「ニューヨーク証券取引所」

 さらに悪いのは、各局の引っぱり出すエコノミストといわれる人たちが、みんなてんでんばらばらのこと言ってくれること。
 視聴者は何を信じていいのか分からなくなる。

 誰かがネットで言ってたけれど、今 「エコノミスト」 と呼ばれる人たちの大半は、投資銀行家とか株屋さんの人たちで、彼らは従来の金融システムのつくり出した世界観の中でものを見て、今までの金融システムのタームで考えているに過ぎないんであって、そういうシステムが破綻した現状を説明する 「言葉」 を持っていないことは確か。

 だから、メディアの人たちに言いたいなぁ…。
 この先どうなるかなんて、本当は何も分かっていないのに、中途半端に分かったフリして報道するのはやめてくんない?

 はっきり言うと、今の地球規模の不況が今後どうなるのかなんて、誰ひとり分かるはずないんだってば。

 「100年に1度の不況」 とかいうけれど、もしかしたら 「千年に1度」 …いやぁ、ひょっとしたら、人類が経験する初めての大パニックなんじゃねぇの?

 たぶんこの先世界がどうなっていくのか、誰にも分からない。
 日本がどうなるのかも見えない。

 「先が見えない」 と、誰もが 「見える範囲」 の評価や批判に走っていく。

 「総理大臣が漢字を知らない」 だのとみんな騒いでいるけれど、本当の問題が見えづらい世の中になると、誰もが見える範囲の批判や中傷しかできなくなってしまう。

 なぜ、「先が見えない」 のかというと、今回の米国金融危機から生じた世界的な不況が、資本主義経済が不可避的に持ってしまう景気循環的なものなのか、それとも政治・経済・金融・文化・地球環境などが複雑に絡んだ構造的な変化から来るものなのか、そこのところがはっきりしないから…なんだろうと思う。

 きっと各国の政府や大企業に雇われているシンクタンクが、さまざまなデータ解析を行って、いろいろな結論を導き出そうとしているはずだけど、解析するデータの収集基準が各調査機関によってまちまちだから、恣意的な推論が無数に乱立することになる。

 たとえば、エネルギー資源が今後どれだけ地球に残されているかなんて、石油の埋蔵量の算定そのものが考え方によって無数に存在するので、その正確なところは誰も把握していない。

 崩壊の危機に瀕している企業に、どれだけ公的資金を注入すべきなのかといったって、これだけ複雑に入り組んでしまった金融派生商品をどう仕分けするかっていう問題がまず前面に出てくるから、そう簡単に答が出るものではない。

 なんでも金融危機寸前だった頃の世界の金融派生商品の取り引き高は、6京3,772兆円なんだってな。
 はっきりいって、人間の想像力や計算力を超えた金額なわけね。
 そういうマネーがサイバー空間を飛び交っていたわけだから、そりゃひとたび破綻したら収拾がつかないわな。

 なにしろ、アメリカで生み出された金融工学というのは、アポロ計画が一段落して自然科学者が大量失業し、その連中がやることがないってんで、金融界に流れたのが始まりだっていうじゃない。

 まぁ、頭の良い人たちが、机上の空論でつくり出した“今風の錬金術”。
 当の金融工学のプロたちが、今どうしていいのか分からないってんで天を仰いでいるそうだから、こりゃホントの答なんか、すぐに出るものかいな。

 だから、世界経済の行く末についても、調査機関がみな勝手な推論を無数に林立させるから、それを鵜呑みにした各メディアが、またそれぞれ視聴者ウケしそうな答を選んで世の中にバラまいていく。そりゃ、人や企業がますますパニックに陥るわけだよ。

 メディアの人たちにお願いしたいのは、この先どうなるのか…なんて無責任な解答を出すことじゃなくてさ、
 「この先どうなるか分からない! だけど、分からない理由はこうだからだ」
 っていうところを論理的に説明してほしいよね。

 それは難しいことだけれど、そこをしっかり説明できると、誰もがもうちょっと冷静になれるんじゃないかな。
 そいつを外して、「景気対策をどうするのか」 なんて、いくら議論したって空しい。

 今、世界各国の政府が力を入れているのは、不況からの脱出するための 「景気対策」 だけど、その景気対策が、今までの産業構造に依拠したものでいいのか? という問題がある。

 エネルギー資源の問題やら環境汚染の問題を考えると、すでに現在の産業構造そのものが末期的な様相を呈していることは、素人でも直感で分かる。
 なのに、どこの政府が掲げる景気対策も、従来型の産業構造を再び活性化させる方向でしか物事を進めていない。

 EU諸国だって、この前までは 「環境対策が最優先」 とかいってたクセして、いざ不況だっていうと、みなトーンダウン。
 やっぱ、政治家たちの支持母体である既成の大企業優遇策を考え始めている。

 今の産業構造を “良いモノ” としてみんなが無条件に承認してしまうから、大手企業は自己保身感情をむき出しにして、大量リストラや内定取り消しなんかに踏み切っちゃう。

 資本主義社会ってのは、労働者がすなわち商品の購入者という構造になっているんだから、「労働者」 をいたぶることが 「消費者」 の首を絞めることになるという単純なことが、どうして分からないのかしら。

 また、「景気対策」 っていうと、すぐ 「地方は瀕死の状態だ。それは道路がないからだ」 ってな道路族を喜ばせる運動が起こってしまうけれど、自動車が売れない時代にクルマの通らない道路造ってどうすんの? てな問題もあるしさ。

 公共事業の振興は、確かに有効な方法のひとつか分かんないけど、それっ 「道路建設」 だけじゃないだろ?
 とにかく、みんな従来の産業構造に依拠した形でしか、物事を考えないよな。

 そういうのって、一時の景気浮揚策にはなりえても、さらにその先の時代には有効なの? という不安感は常についてまわる。 
 誰もが漠として感じる現在の 「閉塞観」 「行き詰まり感」 の根本的な理由はそこにもあるよね。

 まぁ、今の不況は 「千年に1度」 ぐらいの転換期がもたらした宿命なんだと割りきってさ、誰もが今までの 「成功体験」 を捨てて、新しい時代にチャレンジだ! …ってな気持ちで開き直るしかねぇんじゃないの。

 人間、誰だって 「良かった時」 の思いを引きづっちゃうと、階段一歩下がっただけで、もうドォーッと井戸の底まで落ちちゃったような気分になるからさ。

 水前寺清子さんだっけ?
 「365歩のマーチ」
 3歩進んで2歩下がる。

365歩のマーチ

 結果的に 「一歩の前進」 ということなんだろうけれど、まぁ、歴史の歩みってのは、そんなもんでね。
 
 人間の社会や文明は、不可逆的に進歩を遂げていく…っていう 「進歩史観」 というのが、近代の幻想だってことを、この歌は教えてくれていたのかも分かんないね。

 当時はイヤな歌だと思ったけれど、今の時代の歌かな。
 そんな歌を覚えている人は、そいつを思い出して、風呂の中で口ずさむといいかもね。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:15 | コメント(7)| トラックバック(0)

馬骨さんの四国旅

 ご夫婦で、いつも長距離のキャンピングカー旅行を楽しまれている山本拓弘 (ペンネーム山本馬骨) さんより、「旅の記録」 の最新版が送られてきた。

山本拓弘ご夫妻
 ▲ 山本ご夫妻

 山本さんは、数ヵ月を要するような長旅から帰られると、いつもその思い出を記した小冊子をつくられている。
 その記録帳は、同じ地域をキャンピングカー旅行しようと思う人には、格好のガイドブックとなり、旅の情緒に思いを馳せる人には、詩想豊かな紀行文学となり、キャンピングカーの使用法を知りたい人にはノウハウ集としても機能するという、非常に優れたものだ。

 今回いただいたのは、その8号目。
 『四国八十八ヵ所巡りの旅』 だ。

 「四国八十八ヵ所」 は、いわずとしれた日本を代表する巡礼コースであり、昔は白衣、菅笠、杖というお遍路装束に身を包んで、徒歩で回るものとされた。
 しかし、最近はこの霊場巡りを自動車で行う人たちも増え、そのためのガイドブックなども出版されるようになった。

 だが、さすがにキャンピングカーで巡るためのガイドブックは出ていない。
 今回の山本さんのレポートは、その貴重な例となるに違いない。

 しかし、ご本人が、記事中 「道が狭く、薄氷を踏む思い…」 と書かざるを得ないほど通行の厳しい場所も多く、ご夫婦が乗られているキャブコン (グローバル社のキング5.3) を超える大きさのクルマの場合は、このコースでの使用をあきらめざるを得ないことも教えてくれる。

SUN号
 ▲ 山本さんの愛車 「SUN号」

 さて、今回の 「旅の記録」 。
 今まで書かれたものとの大きな違いは、旅のレポートを中心に据えたドキュメントの部分と、心に去来する思いを綴った思索の部分とが交互に配され、「行動」 と 「哲学」 、「動」 と 「静」 という見事なコントラストが際立つような手法が採られたことだ。
 
 旅のレポート部分はこれまでのように、通過したコース、泊まった場所、そのときの出来事を追ったもので、旅のガイドブックとして機能するような情報が、正確な描写と、諧謔を伴った文体で綴られていく。

 ところが今回は、そのレポートとレポートの合間に、氏が旅先の夜に読みついだ 『般若心経』 への思いが述べられていく。
 今回の訪問地が四国の霊場ということもあり、お寺巡りが中心となる旅であったことにもよるのだろうが、この 『般若心経』 をどう読み解くか…という山本氏の心の軌跡を盛り込んだことで、本号には得がたい深みと香華が備わった。

 といっても、著者の仏典解釈は、けっして専門的な堅苦しさを持つものではない。
 誰もが感じる素朴な疑問や雑感から出発し、その思考の軌跡をストレートに描く形で、素直な推論が下される。
 その理路の筋道は、優しさに満ちた平易なものであり、下された推論には人間的な温かみがこもる。

 たとえば、「観自在菩薩」 として登場する “観音様” とは、いったいどういう存在なのだろうか、と問うた章。

 山本氏は、その観音様が、あるときは 「馬頭観音」 という馬の姿になったり、あるときは 「千手観音」 として、悩める多くの人に千の手を差し伸べる姿をとることなどに思いを馳せ、常に 「変身していく仏」 であることを突きとめる。

 ということは、
 「観音様とは、常にわれわれの身近なところにいて、常にわれわれを救ってくださる存在。つまりは、ときに隣人、ときに家族・兄弟などに変身し、いつも親身になって見守ってくれる仏のことをいうのではないか」
 という推論がそこで立てられる。

 素朴な結論ながら、そこからは揺るぎない洞察から導き出された力強さと、ほのぼのとした温かみが伝わってくる。

 あるいは、仏教用語として使われる 「照見 (しょうけん) 」 という言葉。
 もちろん辞書に登場することもなく、はっきりとした解釈も流通していない用語だ。

 「明かりを照らして、モノを見るというような意味だろうが、これは何を見るということなのだろう」
 氏は、何度もこの言葉を、甘露なアメをしゃぶるがごとく味わい尽くす。

 そして、生まれた解釈。

 「迷いに迷った凡人が、光明の道にハッと気づく」
 という意味ではあるまいか。

 混沌とした状態の中をさまよい、暗がりから這いあがることにエネルギーを使い果たし、その挙げ句の果てに見えてくる一筋の真理。
 「その光明を気づくことが、すなわち照見」 

 そう気づいたとき、氏は 「胸がふるえた」 という。

山本氏の四国八十八ヵ所巡り

 そのような滋味に溢れた省察が、八十八ヵ所巡りの夜、道の駅などに停めた車内から生まれたことを知り、これは 「新しいキャンピングカー文学だ」 と思った。

 私の書くものを含め、多くのキャンピングカー旅行記は、ただのレポートに過ぎない。
 しかし、山本氏は、その域を大きく踏み越えて、ついにキャンピングカーを思索空間として完成させ、その車内から 「文学」 として読むに足る作品を作り上げた。
 キャンピングカー文化を創造する大いなる契機となる読み物が誕生したと思う。


 関連記事 『オススメ本!』 (山本馬骨著・くるま旅くらし心得帳)
 
 参考 山本馬骨氏ブログ 『くるま旅くらしノオト』


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:10 | コメント(6)| トラックバック(0)

リンエイの車造り

 バンコンのトップメーカーとして揺るぎない地位を確保している 「リンエイプロダクト」 。
 だけど、「バンコン」 という言葉が、この会社の造るクルマにふさわしいのかどうか、ちょっと戸惑うことがある。

 漠然と 「キャンピングカー」 という言葉を使ったとしても、リンエイというビルダーの開発するクルマそのものを十分に表現しきれていない。

バカンチェス

 正直に書くけれど、私が年に1回発行している 『キャンピングカーsuperガイド』 という本で、いちばん記事を書くのに苦労しているのが、このリンエイさんのページなのだ。

08ガイド表紙

 普通だったら、「ベース車が何で、レイアウトはこうで、内装材がこうだから軽量化が図られて…」 ってな感じで、法則どおり書けば、いちおう1台紹介できてしまう。

 しかし、リンエイさんのページ構成はそうならない。

 「××シリーズのフロアプランの基本形はこうだが、○○というクルマは△△になっていて、□□の場合は◇◇で…」

 ベース車、レイアウト、装備、内装材が複雑に交差する無限のバリエーションが用意されていて、ひとつの車種に絞り込んだ解説ができないのだ。 

 だから、このビルダーさんのページだけは、例外的にフロアプラン図が七つも八つも載ることになり、「全長・全幅・全高」 を明示する欄には 「車種によって異なる」 という言葉が入り、画像スペースには、すべて異なる車種が1コマずつ掲載されることになる。

 いったいリンエイプロダクトとは、どういう開発思想を持ったビルダーさんなのだろう。

 11月初旬に東京のお台場ショー会場で、
 「ちょっと、ちょっと」
 と、私を呼び止めた田辺二郎社長が見せてくれたのは、新型バカンチェスに取り付けられたリヤゲート用 「イージー・ドアクローザー」 (op.) だった。

 リヤゲートのイージー・ドアクローザーというのは、ハイエースの場合GLやスーパーGLにも設定がない。
 田辺社長が自慢したがるのも十分うなづける。

 この機構を開発する前に、同社はすでに、本来なら標準設定のないハイエースDX用として、スライドドアのイージークローザーを開発している。このリヤゲート用のものは、その “進化系” モデルともいえるものだ。

リンエイドア

 で、田辺さんがリヤゲートに手を触れる。
 すると、途中までバシャっと下りていたドアが、閉まる寸前にスローモーション画像のように速度を落とし、一呼吸おいて…カシャリ…と吸い込まれるようなタッチで閉じていく。

 救急車やウェルキャブだけに採用されている機構なのだが、リンエイはその純正部品を使って、自社開発したのだという。

 こういうことを、あっけらかんとやってしまうビルダーなのである。
 この会社の造り出すバンコンを、単なる 「バンコン」 と言い切ることへの戸惑いを、少しは伝えることができただろうか。

リンエイ田辺社長
▲ 田辺社長

 田辺社長はいう。
 「ビルダーなんだから、車内をよく作っていくというのは当たり前。
 でも、うちは、ベース車そのものも豊かにしていくという発想を常に持っているんですよ。
 お客様にとっては、クルマ全体がひとつの道具なのだから、乗り心地の追求や走行安定性の確保から始まり、室内の温度コントロール、乗降性の向上、収納機能の充実……もう、ありとあらゆるものに対して気を配っている」

 そう言いながら、田辺さんが、次に見せてくれたのは、セカンドシート裏に設置されたヒーターコック。
 お尻の下に熱が溜まるのを防ぐため、リヤヒーターの温水量を調節できるコックを設けて、室内温度をコントロールできるようにした装備だ。

リンエイヒーターコック
▲ リヤヒーターコック。向こう側の赤いコック

 このような手の込んだ機構も、リンエイでは、ルーフやサイドパネルと内張りの間に発泡ウレタンを貼り付けた断熱処理加工と同じく標準装備にしている。

 そのほか、センターウォークスルーボード、アシストグリップ、つかまりん棒、ヘッドレストホルダー、リヤヒーターの移設などなど…。
 リンエイのバンコンには、使い勝手を向上させるための緻密なアイデアがすべて具現化されて、そのほとんどが標準装備になっている。

 この標準装備された機器類や装着可能なオプション類の組み合わせを、他社のバンコンの中に探し出すことは難しい。
 リンエイのクルマは、単なるハイエースをベースにしたキャンピングカーという域にとどまってはいないからだ。
 もちろん、メーカーの開発したワゴンともまったく異なっている。

 そのような、あらかじめ設計図が描かれているような世界から、このクルマは生まれていない。
 しいていえば、自分の意志をもって、自分で進化を遂げていく 「生物」 のようなクルマなのだ。

 その進化は、時に、あるオーナーの気まぐれなレイアウト変更の相談から始まる。
 あるいは、車中泊を楽しむ田辺社長の酒に酔ったひらめきから生まれる。

 リンエイで開発される数々の便利グッズというのは、すべて誰かの実践過程の中から、現場の感覚に鍛えられて生まれてくる。

 そのなかには、若いときからキャンピングカーを造り続けてきた田辺氏の年齢の変化を反映したアイデアも次々と加えられていく。
 たとえば、車内への乗降性を向上させるアシストグリップのたぐい。

リンエイアシストグリップ他
▲ アシストグリップ (左) とつかまりん棒

 これなど、車内と車外をジャンプしながら行き来していた若い頃の田辺さんだったら、着目していなかった装備類だろう。

 以下、リンエイ便利グッズの数々を画像でご紹介。

リンエイヘッドレストホルダー
▲ ヘッドレストホルダー。ベッドメイクのときに抜いたヘッドレストも、こうして収納する場所があるととても楽 (標準装備)。

リンエイ電動ステップ
▲ すでに、おなじみのスライドドア用 「電動ステップ」 (op.)。

リンエイゴミ楽
▲ 旅行中に発生したゴミを取りまとめて収納する 「ゴミ楽(ごみらっく)」 (op.)。

リンエイ食器セット リンエイグラスセット
▲ 「リンエイ」 のロゴ入りグラス・食器セット (限定op.) 。こういったアイテムを揃えているのが同社の凝ったところ。「リンエイ」というブランドが、単なるクルマのネーミングを離れて、ライフスタイルを意味するまでに広がっていることが伝わってくる

 このようなアイテム以外にも、走行性能を向上させるオプション類としては、ソフトライドサス、リヤスタビがあり、快適な車内環境を維持するための装備としては、リヤクォーターウィンドウ、電動サイドオーニング……等々。
 いやぁ、もう書ききれない。

 欲しいと思えるモノは、なんでも取り出せるドラエモン的なクルマ。

 それを、同社の梶原朗達部長は、
 「1台3役のクルマ」
 という。

リンエイ梶原朗達氏
 ▲ 梶原朗達さん

 「1台のクルマを買うと、使用目的に応じてワゴン、カーゴ、キャンピングカーに早変わりするのがうちのクルマなんです」
 と梶原さんは言う。

 機能的な分類法に従って言い直せば、「乗れる」 「積める」 「寝られる」 。

 この機能は全車に共通して備わっているものだが、ユーザーの家族構成を軸に分類し直すと、鮮やかなキャラクター分けがなされていることも分かる。

 ファミリーユースに適したキャラクターを持つものは、「ベーシックシリーズ」 。
 子育てが終わったシニア夫婦に適したものは、「ふたりのくるま旅」 。
 さらに、そのシニア夫婦が、お孫さんを伴った旅を楽しむ場合は「エクセレントシリーズ」 。

 複雑多岐に渡るような商品構成も、このような用途別に分類してみると、分かりやすくセグメントされている様子が見えてくる。

 とにかく使う人間が、使う立場に立ったときに初めて合点がいくのが、リンエイという会社のクルマなのだ。
 リンエイ商品をレポートするときは、記者もまた自分が買うことを想定しながら細部を見ていかないと、見逃してしまうところがたくさんある。

 しかし、そういうクルマだからこそ、同社のバンコンは、いろいろなバンコンを研究した顧客が最後にたどり着くクルマという評判を得ているのかもしれない。


campingcar | 投稿者 町田編集長 01:16 | コメント(0)| トラックバック(0)

TOKIO

 こんばんは。
 町田のJポップ・クリティークの時間がやってまいりました。

 いよいよ、今年も終わりですねぇ。
 近づくクリスマス・正月を前に、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 わたくしめなどはですねぇ、
 「いつまでも “ディスクジョッキー遊び” なんかしていないで、早く本業に戻れよ!」
 …という自分の内なる声に、打ちのめされておりまして、もしかしたら、これが今年最後の放送になるかと思いますので、今日は思い切ってですねぇ、お祭りモードでいきたいと考えております。

 で、お祭り。
 
 そんな雰囲気の人、そんな雰囲気の歌…ということで、今日はですねぇ、沢田研二さんの 『TOKIO』 を採り上げてみようかと思っております。

 沢田研二さん。
 つい先週でしたか、「還暦記念コンサート」 をずっと続けてきて、東京ドームで6時間、80曲のヒット曲を披露されたそうですな。

還暦ジュリー
▲ 「還暦コンサート」 のジュリー

 なにしろ、このコンサートのために半年間 「禁酒」 されて体調管理に努められたとかで、最後まで息を切らすことなく、絶唱されたと伝えられております。

 すごいですね。60歳ですよぉ!

 海の向こうでもですねぇ、みな60歳を超えたローリング・ストーンズの最近の演奏シーンを集めたドキュメント映画 『ザ・ローリング・ストーンズ・シャイン・ア・ライト』 という映画が評判を集めておりますけれど、まぁ、今日びのシニアミュージシャンというのは、パワーがありますですね。  

 で、沢田研二さん。

 わたくしめなんかはですねぇ、この人がグループサウンズの代表選手である 「タイガース」 のヴォーカリストとして、初めてテレビに登場した時から、実はリアルタイムで見ております。

僕のマリージャケ
▲ 『僕のマリー』

 デビュー曲が 『僕のマリー』 。
 …なんですが、最初にテレビに出たときには、まだ彼らはこのオリジナル曲を持っていなくてですねぇ、なんとローリング・ストーンズの 『タイム・イズ・オン・マイ・サイド』 をカバーしておりました。

 まぁ、カッコよかったですねぇ!
 当時、ロックをコピーする日本人バンドが、テレビに出るなんてことは滅多にありませんでしたから、ぶっ飛んで見ていた記憶があります。

 で、沢田さんは、「タイガース」 の一員として次々とヒット曲を飛ばし、さらにソロ活動に移られてからも、日本の歌謡曲の最先端を歩き続けてきたわけなんですが、まぁ、自分的にはグループサウンズ路線に入ってからの沢田さんは、さほど興味のある人ではなかったんですな。

 なにせ、洋楽偏重派でありましたから、「日本の歌謡曲なんてなによ!」 ってな粋がりを持っていたわけなんですね。

 だけど、彼がパラシュートを背負って、テクノ調サウンドに乗って歌い上げた 『TOKIO』 という歌はですねぇ、今になって思うと、これは日本の歌謡曲史に残る傑作なんではないか? 
 …と思うようになったんです。

 この歌が登場したのは、1980年。
 しかもその1月。

 考えてみるとですねぇ、まさに 「80年代」 という時代の幕を切って落としたのはこの歌ではないか? 
 そう思えるくらいに、80年代っぽい歌でありまして、この歌が時代を先回りして、もうこれ1曲にすべてを凝縮させているのではないかと思えるほど、密度が濃い歌であることが分かってきたんです。

 では、どうすごい歌なのか。

 この曲が登場する前…つまり70年代の後半というのは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」 などという言葉が生まれていた時代でありました。

 つまり、日本経済が上昇気流に乗ってですねぇ、グイグイと世界に羽ばたいていこうとしたときでありまして、まだ 「バブル」 なんていう言葉も生まれていませんでしたけれど、時代の空気がブファーッとバブリーな色合いに染め上げらていった時代だったんですね。

 「東京は、今やパリやニューヨークよりも刺激的な街である」

 なんていうことを言い出す人もおりまして、東京に住んでいた自分でさえ、「おいおい、いったいどこがそうなのよ?」 って戸惑うような状況だったんですね。

 だから沢田研二さんが 「TOKIOが空を飛ぶ~」 なんて歌うのを聴くと、何をイナカモンがぁ…なんて思ったくらいだったんです。

 ところが、1983年になって、リドリー・スコット監督の 『ブレードランナー』 という映画が公開されます。

 あっ! と思ったんですね。
 あの映画に描かれた未来都市。
 まさに、3年前に沢田研二が歌った 『TOKIO』 そのものではないかと。

 これは衝撃でした!

 『ブレードランナー』 に描かれた2019年のロサンゼルスというのはですねぇ、それまでのSF小説やSF映画に描かれた 「未来都市」 とはまったく異なるものだったんですね。

 それ以前のSF的な未来都市というのは、まぁ、スマートで、整然としていて、無機的で、ちょうどいま東京の品川あたりに広がっている 「インターシティ」 みたいな、冷たい秩序感を漂わせたものだったんです。

 ところが、『ブレードランナー』 の未来都市は、猥雑で、不衛生で、高度なテクノロジーと、アジア的な混沌がごっちゃまぜになった、実に摩訶不思議な大都会として描かれておりました。

 街の至るところにですねぇ、古代文明の神殿を思わせる奇怪な高層ビル群が建ち並んでおりまして、上層階級の人々はその最上階で、古代の帝王のような暮らしをしています。

ブレードランナー豪華な室内 
 ▲ 上層社会に住む人々の部屋

 なのに、ビルの下層に住む人々は、ホームレスすれすれの衣裳を身にまとって、酸性雨の降り注ぐ道を右往左往しているわけですね。

 ビルのイルミネーションは、どれもみな毒々しい色を撒き散らしておりまして、その電飾看板のひとつには、ゲーシャガールを装った日本人娘の映像が映し出されて、呪術的な声をふるわせながら 「WAKAMOTO」 の宣伝を行っているんであります。

ブレードランナーゲイシャガール
 ▲ 「ゲイシャガール」 が奇怪な電光掲示板で歌う

 ね!
 そのディスユートピア的な、倒錯した未来都市のデザイン。
 ホント、これにはぶっ飛びましたですね!

 で、この映像。
 どこかで見たことがある…。
 と思ったときに、思い出したのが、『TOKIO』 という歌だったんですね。

 もちろん、『TOKIO』 という歌が、直接的に、映画の 『ブレードランナー』 と結びつくというわけではありません。
 音楽的には、相当のへだたりがあります。
 『ブレードランナー』 のサントラを手掛けたのは、音楽界の 「前衛」 をまっしぐらに進んでいたヴァンゲリスなわけで、こちらの方は、荘重にして荘厳。
 デジタル機器を駆使して、退廃的な味わいと、ミステリアスな哀切感を伴った芸術的な音づくりがなされていました。

 それに比べると、『TOKIO』 のサウンドは軽い。
 テクノ調とはいえですねぇ、音のつくりは歌謡曲なわけで、ある意味、軽薄です。
 
 だけど、詞はすごいんですねぇ!
 糸井重里さんの本領発揮です。

 この歌では、東京がこのように歌われております。

 ……空を飛ぶ、街が飛ぶ、雲を突き抜け星になる。
 火を吹いて、闇を裂き、スーパーシティが舞い上がる……

 まさに、『ブレードランナー』 で、最初の2019年のロサンゼルスが紹介される情景と同じです。

 あそこで、鳥の目線となったカメラが、奇怪な高層ビル群をなめまわすシーン。
 街がゆっくりと、地を離れて浮遊していく感覚。
 その情景と、この歌詞はピタっと重なり合います。

ブレードランナー未来都市 
 ▲ 『ブレードランナー』 に描かれる未来都市

 80年にこの歌の歌詞をつくった糸井重里さんは、83年に公開されたこの映画を当然まだ見ていないわけですから、どうして、こんなに似たような街をイメージすることができたのか。

 『TOKIO』 には、こんな歌詞もあります。

 ……霧に煙った不思議の街に、あやしい胸さわぎ
 やすらぎ知らない遊園地が、スイッチひとつ真っ赤に燃え上がる……

 そうなんですね!
 『ブレードランナー』 に出てくる街というのも、まさに遊園地のように技巧的で、ギミックがさんざん盛り込まれていて、それでいて酸性雨の霧に閉ざされて、どんよりしているんですね。
 で、ときどき、ビルの最上階から伸びた煙突から、石油採掘場で見るような炎がブワァーっと燃え上がっているわけであります。

 こう考えると、この映画をつくったリドリー・スコットと、デザインを担当したシド・ミードの方が、沢田研二の 『TOKIO』 をパクッとしか思えなくるほどです。

 『TOKIO』 のこんな歌詞も暗示的です。

 ……TOKIO、やさしい女が眠る街
 TOKIO、哀しい男が吠える街……
 
 「女が眠る」 。
 これ、どういう状態をいうのでしょうか。

 ここには、ちょっと川端康成の 『眠れる美女』 を彷彿とさせるネクロフィリア的なニュアンスも読み込めますが、もっと意訳してしまうと、「人間としての女は眠ってしまい、起きているのはその抜け殻だけ」 という解釈も可能ですね。

 実は 『ブレードランナー』 という映画には、自分を人間と思い込んでいるレプリカント (人造人間) の美女が登場します。
 ハリソン・フォードが演じる主人公は、彼女が人間ではないことを知りつつも、恋に落ちてしまうわけですね。

ブレードランナーレイチェル 
 ▲ 人造美女のレイチェル

 だけど、レプリカントの寿命は4年間しかもたない。
 あとは、永久に眠った存在となるしかない。

 「哀しい男の吠える街」 。
 だから、この歌詞も、愛するレプリカントの運命を知ってしまったハリソン・フォードの哀しい姿と重なります。

ブレードランナーハリソン・フォード
 ▲ デカードを演じるハリソン・フォード

 絢爛豪華な輝きと、退廃と、混沌が交差した未来都市。
 そのはかなさは、まさにバブルの 「泡」 を感じさせます。

 その雰囲気は、『TOKIO』 ではこう表現されます。

 ……海に浮かんだ光りの泡だと、お前は言ってたね
 見つめていると死にそうだと、くわえ煙草で涙落とした……

 『ブレードランナー』 に登場する美女レプリカントのレイチェルも、キセルで煙草を吹かす女でした。

 いやぁ、この歌を聞いていると、まぁ、私なんかは 『ブレードランナー』 の映像しか浮かんでこないんですね。

 ここで歌われる 『TOKIO』 という街。
 すなわち、2019年のロサンゼルスと重なりあった街なんですが、そこには街の至るところに噴出するハイテクが、人間の役にはまったく立たないという皮肉が描かれております。

 徹底的に享楽的で、表層的で、刹那的で、どこか哀しい。
 それって、すごく80年代っぽくありませんか?

 糸井さんは、この歌の詞を手掛けたあと、1982年に 「不思議、大好き」 。1983年には 「おいしい生活」 など、一連のパルコのキャッチコピーをつくって、コピーライター界の寵児になっていくわけですが、考えてみるとですねぇ、すでにその萌芽はこの 『TOKIO』 の詞に表れておりますね。

 つまり、宣伝する商品からメッセージが消えて、空気のようなものだけが通り過ぎていくという感覚。
 このもろさ、はかなさ、薄っぺらさ。
 それこそ、80年代の商業文化の真髄だったわけですね。

 そこで表現されたものは、「哲学」 とか 「文化」 とか、そういったものが人間の精神生活を支える価値として尊重されていた時代が終わった…というようなメッセージだったんですね。

 人間というのは、「哲学」 とか 「文化」 に反応する生物ではなくて、光と音がシャワーのように交錯するデジタルな刺激に反応する生き物なんだ。

 そういった “割り切り” がですねぇ、80年代の音楽、映像、文学、もろもろのコマーシャル企画物の中に蔓延していったように思います。

 『TOKIO』 という歌は、まさにそのような80年代の時代精神を先取りした作品なんですね。

TOKIOジャケ
 ▲ 『TOKIO』 ジャケット

 だけど、この歌の 「80年代的な空虚さ」 の中に、実は 「新しい世界観」 が準備されていたようにも感じます。
 テクノロジーの進化による環境変化が、人間そのものを変えていくという 「世界観」 。

 超高度なテクノロジーを満載した都市は、都市の本質をですねぇ、「生活空間」 から 「遊戯空間」 に変えるという世界観がもたらされたは、80年代以降です。
 まぁ、都市が 「ディズニーランド」 に変貌していくというような感覚…とでもいえばいいんでしょうかね。

 東京や大阪に代表されるような日本の大都会というのは、世界で一番最初に 「ディズニーランド化」 を遂げた都市だったんですね。
 
 そういうことに気づいたのは、海外の小説家や映像制作者でした。
 たとえば、ウィリアム・ギブソンの 『ニューロマンサー』 といったような小説。

 あるいはですね、クエンティ・タランンティーノ監督の 『キル・ビル』 とか、リドリー・スコット監督の 『ブラックレイン』 といったような映画。

 こういう作品に登場する 「日本の都市」 というのは、エキゾチックで、呪術的で、猥雑で、セクシーで、それでいて洗練されていて、チャーミング…という、まぁ、あらゆる魅惑的な要素がごった煮になっている街なんですね。

 そいつをひと言でいうと、「ジャパン・クール」 !

 で、わたくしめは、思うんですが、ここで 『TOKIO』 を歌った沢田研二さんの姿にこそ、その後、日本のアニメや漫画を総称することになる 「ジャパン・クール」 の原点があるように感じています。

 華やかで、テクノっぽくて、嘘っぽくて、どこか無国籍的で。

 実は、わたくしめは、そういうのがけっこう好きなんですけれど、こういう雰囲気がいかに世界的な基準において、チャーミングなものであるのか。

 『TOKIO』 という歌は、それを教えてくれるように思います。

 それでは、沢田研二さんの 『TOKIO』 。
 今日はそれを聞きながら、お別れです。



 参考記事 『ブレードランナー』
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 01:25 | コメント(4)| トラックバック(0)

夢十夜

『夢十夜 (1)』

 夏目漱石の 『夢十夜』 という小説は、彼がみたという十の夢を紹介した掌編シリーズである。
 漱石が本当にみた夢なのか、それとも創作したものが交じっているのか、それは誰にも分からない。
 だだ、いずれも夢ならではの耽美性と非合理性の交錯した摩訶不思議な世界がそこに展開されていることにはかわりない。

 世の中で一番つまらない話題は、夢の話だという。
 確かに、人がみた夢の話を得々と聞かされることほど、退屈な時間はない。
 しかし、夢には一片の真実が含まれている。
 誰の夢の話であろうとも、夢には人間の感じる 「美」 や 「恐怖」 の原型が宿されている。
 
 …ってなわけで、自分がみた夢のいくつかを漱石にならって、幻想小説風にまとめてみた。 


《 少年時代の自分に殺される 》

 私は、久しぶりに開かれた高校の同窓会に出席している。
 かつての母校が会場になっている。
 出席者が多すぎるのか、教室に入りきらない人間たちが階段にまで溢れてひしめいている。

 私は、かつて仲良かった友人の一人と階段の踊り場に腰かけて、会が開かれるのを待っている。

 周りを見回すと、すべて白髪の老人ばかり。
 それもまるで同一の仮面を被ったかのように、同じ表情をしている。
 その様子を眺めながら、きっと周りから見ると、自分もまた白髪の老人の一人に見えているんだろうな…と思う。

アンソール絵画1

 やがて階段の上でマイクの放送が始まり、クラス会を開催するという挨拶が行なわれる。
 一人一人が階段の上で自己紹介してから、階段を降りてくるらしい。
 その自己紹介が始まると、あちこちで懐かしそうな笑い声が起こり、会が次第に盛り上がった。

 ふと耳を澄ませると、階段の上の方で自分の声が聞こえる。
 私自身が階段の上で、自己紹介しているのだ。

 私は混乱する。
 私が話していた友人も、私と目を合わせ、いま奇妙な事が起こっているぞ…といった雰囲気でお互いに見つめ合う。

 「あそこでしゃべっているのが俺なら、今ここにいる俺は誰だ?」 などと、私は友人に話しかける。

 やがて、「私」 の自己紹介が終わり、もう一人の 「私」 が階段から降りてくる。
 姿はまだ見えないが、私は好奇心と恐怖で体が硬直する。

 最初私は、今の私とそっくりの人間が降りてくるのかと思っていたが、姿を現したもう一人の 「私」 は、白髪の老人たちとはまったく異なる少年時代の顔をしている。

 向こうが、ここにいる 「私」 の存在に気づいているのかどうか分からない。
 
 とにかく少年の 「私」 は、にぎやかな老人たちの間をぬって、一人暗い顔をして階段を降りてくる。

 その姿を見て、なぜか私は 「やっぱりな…」 と思う。
 やっぱりな…というのは、いつかは少年時代の自分に会うことが運命的に決まっているような気がしたからだ。

 向こうは私に気づいていないのか、それともわざと私を無視しているのか、とにかく一度も目を合わせることなく、背中を向けたまま私の隣りに座る。

 少しだけ距離がある。
 私は、今まで話していた友人と顔を見合わせる。
 彼も、思い詰めたような顔をしている。

 私は意を決して、手を伸ばし、少年時代の 「私」 の肩に触れる。
 相手がこっちを振り返る。

 無言だ。
 しかし、目に恨みがこもっている。
 少年はゆっくりと私に近づいてきて、手を伸ばし、静かに私の首を絞めようとする。

 私はとっさに彼の気持ちを読みとる。
 彼の恨めしげな表情から、自分は彼を裏切ったのだな…と悟る。
 「もっと違う生き方があったはずだ」
 と無言のうちに、彼は私を責めているのだ。

 私は彼に殺されることによって、この少年にもう一度自分の人生を託そうと決める。

 そして友人に、「こいつのやりたいようにさせたい」 と話す。
 友人も私の気持ちを汲んだのか、黙って頷く。

 私は友人に 「さよなら」 と言う。
 次第に息が苦しくなる。 

 少年は首を絞めるのをやめて、今度は鼻と口に手を添えて、窒息死させようとする。

 私は黙ってそれに従う。
 呼吸がどんどん苦しくなる。
 その苦しさで目が覚める。

 夜中の4時だった。

 偶然のことだが、私が 「さよなら」 と言ったその友人の死亡通知が届いたのは、それから1ヵ月後ぐらいだった。


《 玄関に残される謎の靴 》

 私は、戦前の旧制高校か旧制中学のような寮で暮らしている。周りの生徒は黒いツメエリの学生服をきちんと着こなした昔風の若者ばかりだ。

 その寮に、他校の学生が4人ほど遊びに来る。
 しかし、4人が帰った後に1足分の靴が玄関に残されている。

 靴の持ち主がわざわざ裸足で帰ったとは思えない。
 さりとて、持ち主が帰らずに寮内に潜んでいるという気配もない。

 刺激の少ない寮生たちの間では、そのことが格好の話題となり、いろいろな説明が加えられるが、誰も真相を究明するに至らない。
 謎に対して理由付けするために、誰かがふざけて 「靴の持ち主は死亡した」 などという貼り紙を玄関に貼る。

靴ー絵画

 それ以降、同じようなことが起こり始める。
 寮の敷地内には女子生徒専用の建物もあり、ときどき男子グループと女子グループがお互いの棟に遊びに行く。
 すると、どちらのグループが帰った後にも、玄関には必ず1足分の靴が残るようになる。

 靴を履き忘れて帰った人間はいないので、誰の靴か分からない。
 言い知れぬ不安感が寮生たちの間に広がっていく。 


《 海洋に浮かぶ部屋 》

 私は、海に浮かんだコンクリートの部屋にいる。
 家具などは何もない。廃虚のようなイメージだ。

 部屋の四方には大きなガラス窓が設けられ、どの窓からも水平線が見える。

ホッパー絵画1

 床下も海である。
 部屋の3分の1ぐらいまで海水が浸食している。
 自分はボートに乗ったまま、この部屋に入ってきたために床下の状態がよく分からない。
 床下などは最初からなく、そのまま海底につながっているのかもしれない。

 部屋のガラス窓は、すべて黄色く汚れている。
 その下側には、昆布のような海草が揺れている。
 もう何年も人に使われたことのない感じである。

 自分が持っている予備知識によると、この部屋は海上保安庁か自衛隊だかの基地だということになっている。
 おそらく玄界灘あたりで国境を越えて浸入する不審船などをチェックする機関なのだろう。

 しかし、この部屋がいつどんな風に使われるのか見当もつかない。
 ドアを開けて、自分のボートを外に出す。そこで情景が変わる。
 その後の展開はもう思い出せない。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:37 | コメント(2)| トラックバック(0)

水に映る黄金の光

 旅を 「豊か」 にするものは、旅先の風景でもなければ、お土産でもなければ、料理でもない。
 旅人の 「想像力」 だと思う。

 どんなに、風光明媚な景色を眺めようが、文化価値に優れた観光物を見物しようが、想像力が貧しいと、感動する力が生まれない。

 逆に、何の変哲もない光景に接したとしても、想像力が豊かな人は、そこから 「物語」 をつむぎだして、頭の中で遊ぶことができる。
 つまり、頭の中のイマジネーションがリッチだと、お金を使わなくても、楽しい旅ができる。

 私は、フェリーなどで旅するとき、いつも潮風が舞う甲板に立ち尽くして海を見続ける。

 いつのまにやら自分が、東郷平八郎や、ネルソン提督や、海賊ハイレディン・レイスになっているから、併走するフェリーを対して、密かに弾道の距離を計算し、空想の中の砲手に合図を送ったりしているので、けっこう忙しい。
 居眠りするヒマもなく、あっというまに目的地に着いてしまう。

 高原の林道を散策するときは、ジュラシックパークの出口を求めてさまよい歩く生物学者に変身する。

 ときどき立ち止まって、耳を澄ます。
 森の奧で、カラスがカァーと鳴いたりしても、
 「騙されるな、あれはティラノザウルスの雄叫びかも…」
 と疑ったりするので、いつも胸がどきどきする。

 想像力の源になるのは、映画であり、絵画であり、アニメであり、小説であり、エッセイであり、詩であり、音楽である。

 こういう 「財宝」 が頭の引き出しに入っていれば入っているほど、ロケーションに応じて作りあげる 「物語」 のパターンも増えていく。


 もう10年ほど前。
 『全国キャンプ場ガイド』 を編集していた頃、自分のキャンピングカーで福井県に散らばるキャンプ場を取材して回ったことがある。

 そのひとつに、湖面に接した静かなキャンプ場があった。
 ロケーションが何ともいえないほど美しい。

 日暮れには、まだだいぶ時間があったので、撮影して、管理人から話を聞き終われば、次の取材先まで移動する時間も取れそうだった。

 だけど、結局、飛び込み客を装って、そこに1泊することにした。

湖に面したキャンプ場

 湖面に近いサイトを選び、日が落ちる前から椅子・テーブルを外に運び出して、「独り宴会」 の準備を始める。

 芝生サイトの上を、かすかな音を立てて枯葉が滑っていく。
 湖面に影を落とす山の色が、次第に黄昏 (たそがれ) 色に染まる。

 静かに暮れゆく秋の1日。
 サンマの蒲焼き缶詰と、6Pチーズと、殻つきピーナッツと、ジンロの瓶を並べただけのテーブルが、実に贅沢な食卓に見えてくる。

 そのとき、湖面に落ちた夕陽の光が、にわかに明るみを増したのを見た。
 頭の中で火花がスパークし、情報を蓄えておいた引き出しのひとつが、パカっと開いた。

湖に反映した日の光

 飛び出してきたのは、塩野七生さんの書いたエッセイ 『イタリアからの手紙』 の一節。
 著者がヨットで島めぐりを楽しみ、ナポリの街を海上から眺めたときの描写である。
 
燃える球となった太陽が、ナポリ湾を黄金色に染め上げ、乗っているヨットから太陽に向かって、金色の延べ板が真っ直ぐに敷き詰められた…とエッセイは伝える。
 その荘厳な美しさに、彼女の周りではしゃいでいた友人たちも息を飲んだ。
 そして、にぎやかだったヨットの上を、深い沈黙が覆った。

海の夕陽1

 日の移ろいに応じて、七色に変化するといわれる地中海。
 朝はエメラルドグリーンに。
 昼は群青に。
 夕はワインカラーに。

 ホメロスが 「ブドウ酒色の海」 と名づけた黄昏 (たそがれ) の地中海を、黄金色の粒子がキラキラと舞う姿が、どれほど美しいものであるか。

 私は見たことがないので、にわかに想像もできないのだけれど、もしかしたら、それと同じようなことが、いま目の前で起こっているのではないかと思った。

 その瞬間、このキャンプ場の紹介記事の一句が決まった。

 「沈む夕陽が空を赤く染め上げ、九頭竜湖に黄金色の絵の具を垂らす」

海の夕陽2

 キャンプ場の名前は 「オートキャンパーズくずりゅう」
 10年ほど前は、設備的には、見るべきものもあまりないキャンプ場だったが、日が暮れる瞬間だけは、妙に印象に残っている。

 このキャンプ場が現在どうなっているのか。
 実は、ブログを書く前にネットで調べてみた。

 キャンプ場のホームページを開いて、ちょっとニヤっとした。
 宣伝用の紹介文に、10年前に私が書いたテキストが、ほとんどそのまま使われていたのだ。

 キャンプ場の運営者からは、何の連絡もなかったが、ガイドブックに載せた掲載記事は気に入ってもらえたのだな…と思った。

九頭竜湖のキャンプ場 オートキャンパーずくずりゅう2

 九頭竜湖に振りまかれた夕陽の光が、塩野七生さんのエッセイと結びつかなければ、あのときの感動も生まれなかった。

 良い旅をするには、良い情報が必要だ。

 だから自分も、人の旅を豊かにするような美しい 「物語」 を盛り込んだレポートを書きたい。
 『キャンプ場ガイド』 をつくりながら、いつもそんな風に思っていた。

 キャンピングカーのレポートを書くときも、そんな記事にしてみたい。
 まだ、うまくはいっていないけれど、いつもそう願っている。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 02:33 | コメント(6)| トラックバック(0)

重い!

 とにかく、重いです。
 このブログに関わるすべてのことが。
 …反応が遅い。

 サーバの容量不足の問題でしょうか。
 
 よく分からないのですが、コメントを頂いても、それに返信を書いてアップするだけに、4~5分ぐらいかかります。
 その間、じっとモニターとにらめっこ。

 「反応してねぇのか?」
 と思って、もう一回ボタンを押すと、結果的に2重投稿になったり…。

 もしかして、このブログにコメントを寄せられる方がもそうなんでしょうか?
 だとしたら、いろいろご迷惑をかけて申し訳ございません。

 
 アクセス解析などしようと思うと、もう平気で20分~30分ぐらい待たされます。

 皆さまもそうですか?

 いろいろなブログでも、同様のことが起こっているようにも思います。

 これは、どんどんエントリー記事が貯まっていく 「ブログ」 というシステムの共通の悩みなんでしょうかね。

 以前、ホビダスさんにも相談をさせていただいたのですが、「現在対処中」 とのご返事をいただいただけ。

 たいした悩みでもないんですが、忙しいときは、ちょっとイライラしています。

 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 15:48 | コメント(15)| トラックバック(0)

ネットとテレビ

 自動車販売が不振に陥っているだけでなく、テレビ局も青息吐息のようだ。
 『週刊文春』 (12月11日号) を見ていると、
 「テレビの崩壊が始まった」
 というタイトルで、民放各社が軒並み減益となったことが報じられていた。

 9月の中間決算のデータらしいのだが、それによると、
 「日本テレビは37年ぶりに税引き後赤字に転落。テレビ東京も02年に中間決算の発表を始めて以来、初の赤字」 。

 そのために、
 「出張時のホテルの朝飯代が認められなくなった」
 「管理職は給料の10~15%を自主返納させられた」
 「取っていた新聞の数が減らされた」
 「エレベーターホールの照明が半分になった」
 …などという、テレビ局スタッフの悲惨な報告例も載せられていた。

テレビ_1

 テレビ局がこのような苦境に立っている原因は、番組の間に流されるスポットCMの急減にあるらしい。
 スポンサーのテレビ離れが目立つのだという。
 テレビへの広告出稿がネットに切り替えられており、その動きがどんどん加速しているとか。

 「ネットへの広告費がすでにラジオと雑誌を抜き、3年から5年のうちには新聞広告も抜くだろう。今後はネットとテレビのマッチレースになるが、ネットが上回ることも考えられる」
 記事中に、大手広告代理店 「電通」 幹部の話という形で、そんな証言も紹介されていた。

 ネット社会の成熟は、これまでもいろいろな産業構造に変化をもたらせてきたが、特にテレビの場合は影響力が大きいようだ。
 要するに 「テレビ局が一方的に情報を流して、視聴者がそれを一方的に受け取る」 という、一方向的な情報モデルが破綻してきたということなのだろう。

 すでにネット社会では、情報の発信者が一方的に情報を流すというスタイルから脱却し、掲示板やブログなどにおいては、情報の送り手と受け手が交互に連絡を取り合って情報精度を高めたり、その情報を別の角度から眺める材料を交換しあったりするというクリエイティブな情報モデル構築されている。

 それと対比させれば、誰もが今のテレビの退屈さに気づかないはずはない。
 テレビ界の 「不況」 というのは、メディア側に立つ者の一方的な 「仕掛け」 に従うことでコンテンツを売っていくビジネスが、過去のものになりつつあることを示している。

 また、テレビ番組の価値を定める視点も変わってきた。
 これまでは、番組の “価値” を決める基準として 「視聴率」 というものが絶対的な地位を占めていたが、その 「視聴率」 に対する信用度が急激に低下している。

 現在日本では、「在宅でリアルタイムで据え置き型のテレビ受像機」 で見ている視聴者の比率を 「視聴率」 としてカウントしているが、この方法では、ワンセグやカーナビなどの自宅外での視聴や、パソコンや録画再生での視聴が増えているという最近の状況を反映しきれない。

 もともと 「視聴率」 そのものの根拠も実際には怪しいもの。
 現在のビデオリサーチによる視聴率調査というものは、「全国」 といわれながらも、関東地方の600世帯、1,700人弱のデータを元にしたものに過ぎず、このやり方では、わずか6世帯が見ただけで1%上がったりするともいわれている。

 これまで 「視聴率」 を安定して稼いできたのが 「バラエティ番組」 だったが、最近はバラエティの威力もだいぶ後退し、今では、「夜遅く帰ってきた独身OLが、とりあえず部屋の明かりを付けるついでにチャンネルを合わせるもの。着替えや化粧落とし、自炊の準備のときに音だけ聴くもの」 …などと揶揄されるようになった。
 モニターが受像しているのは 「バラエティ」 であっても、それを観る視聴者はモニター前にいないことが多い…ともいわれる。

 つまり、テレビ局がスポンサーを確保するときに、金科玉条のごとく使いたがる 「視聴率」 を、スポンサー自身が信じないような時代になってきたのだ。

 では、テレビ番組の価値を決める方法には、どういうものが適しているのか。

 これもネットである。

 見応えのある番組は、今や間をおかず視聴者からの 「声」 がネットに上がるようになった。

 その番組の何がどのように良かったのか。
 続編に期待しているのかどうか。
 今後改めるべき点として考えなければならないものは何か。

 番組放映が終わると、そのような声が、無数の掲示板やブログから瞬時にアップされてくる。
 特に気に入られたものは、さらにYOU TUBEやニコニコ動画などにも紹介され、番組を見逃した人たちにもその存在を知らせていく。
 このようなネット情報の流通スピードは年々早くなり、情報配信量は年々増えている。

 テレビ局からすれば、このような視聴者の具体的な反応は、次の企画を練るためにはとても重要な判断材料となるはずだ。

 もちろん、中には取るに足らない誹謗中傷もあるので、すべて聞くに値するかどうかを識別することは難しい。
 しかし、ネットに浮上した声を価値の優劣に分けて判別し、それをシステマティックな形で番組制作に反映させた局が、次の時代をつくるだろう。

 テレビ局の 「減益」 「赤字転落」 は、一見、現在の世界不況を反映しているようにも見えるが、実は、このような情報配信モデルの転換期を示す現象として考えた方がいいように思う。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:08 | コメント(4)| トラックバック(0)

自動車が売れない

 12月2日の 「朝日新聞」 などを読んでいたら、ほぼ “全面” といっていいくらい 「乗用車の販売不振」 の記事で埋まっていた。

 同紙の1面によると、この11月の新車販売台数 (軽自動車を除く) は前年同月比27.8パーセント減の21万5,783台に落ち込み、90年ぶりの低水準を記録したという。

 また、好調だった軽自動車も、前年同月比0.7パーセント減の15万3,101台となり、軽自動車も含めた11月の国内総販売数は、18.2パーセント減の36万8,884台だった…とのこと。

自動車船積み

 このような販売不振の原因として、米国に端を発した世界的な金融危機が最も大きな問題として挙げられることは間違いないが、同紙によると、さらに国内的な理由もあるという。

 すなわち、
① 自動車の普及が進み過ぎて、自動車を欲しい家庭 (約80パーセント) にはほぼ行き渡ったこと。
② クルマの耐久性が向上して、買い替えのサイクルが伸びたこと。
③ 若者の 「クルマ離れ」 。

 特に、若者の 「クルマ離れ」 は深刻で、ある調査によると20代のうち、「今後クルマにお金をかけたい」 と答えた人はたった9.3パーセント。1位の 「貯金」 、2位の 「国内旅行」 などに大きく引き離されて16位だったという。

 同紙では、このような 「販売不振」 の理由を、単に経済上の問題として捉えるだけでなく、社会構造や文明史的な視点からも考察している。
 すなわち、地球温暖化と石油燃料の枯渇そのものがクルマ社会に変容を迫っており、販売不振も、そういう大きな流れの中で位置づけなければならないというわけだ。

 特にこれらの記事に関連して、今回同紙に寄稿された大川悠氏 ( 『NAVI』 初代編集長) のコラムは示唆に富むものだった。

 大川氏は、今回の米国 「ビッグ3」 が経営危機を乗り切ったとしても、「自動車は、今後基幹産業として生き残っていけるのだろうか?」 という根本的な疑義を提出されていた。
 つまり、「人類はこの先、自動車というモビリティー (移動性) を必要とするだろうか?」 と問うたわけだ。

 「アメリカは20世紀に、自動車中心の移動社会を形成することで、それを基盤とするアメリカ型産業構造を世界に輸出してきた」
 と大川氏はいう。

 そして、「クルマが実現した新しい移動手段は、個人の自由の象徴となり、多くの人にとって夢の対象となった」 と続ける。

 「しかし、石油価格高騰に続く今回の世界的不況は、この20世紀型の産業構造や移動システムに対して、根本的な疑問を提示し、人々の夢に水をかけることになった」 と指摘する。

 大川氏は、このような 「クルマ依存型」 社会が衰退していくことの理由の一つとして、インターネットの普及を掲げている。
 つまりインターネットの発達で、人間は直接会う機会を減らしながら、前よりも緻密な情報交換を交わす方法を覚えたというのだ。
 そのことによって、人間の 「移動」 の観念が大きく変わったと氏は指摘する。

 ここから先は個人的な意見だが、もしかしたら大川氏は、次のようなことを言いたいのかもしれない。
 つまり、自動車という密閉空間に囲まれて移動していく状況に 「個人の自由」 を感じていた人間たちが、もうそこに 「魅力」 を感じなくなった…と。

 20世紀になって、なぜ自動車がこれほど普及したかというと、自動車が 「個人の自由の拡大」 を約束してくれたからである。
 つまり、自動車を手に入れた家族は、どこにでも自由に旅行したり、買い物したりする手段を獲得できるようになったし、若者たちは、親に拘束されることなく、デートしたり、遊んだりする空間をクルマに見つけた。

 ところが、パソコンのネットや携帯電話などを通じて、簡単に他者とコミュニケーションが取れる時代が来ると、今までクルマが保証してくれた 「自由」 をすべてネットや携帯が代行してくれるようになる。

 まず、ビジネスとして人が直接出会う必要もなくなるし、若者たちも、ネットや携帯電話を使って、好きな時間に好きな相手とコミュニケーションを取れるようになる。

 自動車販売の不振は、そういう文化的・社会学的な視点も絡めてみないと、分かりづらいところがあるように思う。

アレン外形1

 さて、朝日新聞によるこのような 「乗用車の販売不振」 を伝える一連の記事を、キャンピングカー業界としては、どのように受けとめたらいいのだろうか。
 私もまた、この業界の末端に居座ってメシのタネを見出している身であるがゆえに、真剣に考えざるを得ない。

 一見厳しい状況ばかりが伝わってくる報道だが、逆にいうと、ここにはキャンピングカーの存在をアピールする材料がいくらでも転がっているような気もする。

 つまり、乗用車が売れなくなった理由として、朝日新聞が掲げた3点の中に、逆に、キャンピングカーという存在を広報するためのヒントが隠されているように思う。

● 自動車の普及が進み過ぎて、欲しい家庭 (約80パーセント) にはほぼクルマが行き渡った。 → 乗用車は行き渡っても、キャンピングカーは 「別の乗り物」 であるというキャンペーンが成立する余地がある。
 つまり、キャンピングカーの “目新しさ” (= 文化創造的な価値観) を訴えれば、新たな買い替え需要を掘り起こすことが可能である。

● 若者の 「クルマ離れ」 。 → 若者のお金を使う関心事の2位に 「国内旅行」 が上がってきていることに期待できそうだ。

 また、大川悠さんの指摘にも、キャンピングカーの広報戦略を組み立てるためのヒントがたくさんある。

 まず、大川さんの、
 「人類はこの先、自動車というモビリティー (移動性) を必要とするだろうか?」 という問に対しては、
 「キャンピングカーは、モビリティー (移動性) よりもステイ (滞在) を大事にする乗り物である」 と主張することができる。

 そのステイ (滞在) の部分に、エコツーリズム、スロートラベルなどといった省エネ的なライフスタイルを盛り込むことが可能だ。

 同じく、大川さんの指摘。
 「インターネットの発達で、人間は直接会う機会を減らしながら、前よりも緻密な情報交換を交わす方法を覚え、そのことで “移動” の観念が変わった」

 この指摘に関しては、
 「インターネットの発達により、人間同士が会う機会が減ったのではなく、会う目的が変わった」 と言い直すことができる。

 すなわち、顔を合わせて打ち合わせをするというビジネス的な付き合いは、ネットで代行できるが、そういう時代になると、人はかえって純粋な 「心の触れ合い」 を求めるようになり、「家族・親子」 の触れ合う機会が増えることになる、…と訴えることができる。
 そうなると、キャンピングカーの “狭い” 空間の中で家族が寝食をともにすることは、家族の 「団らん」 の回復となる。

 また、キャンピングカーが長期滞在の 「基地」 となれば、人はクルマの外に出て、歩いたり走ったり、自分の肉体を使って動くことに価値を見出すようになる。
 つまり、キャンプ場などを基点として、その周辺のトレッキング、ウォーキング、サイクリングなどを自在に楽しむことができる。

 「身体を動かす」 ことを極力省力化してきた自動車だが、キャンピングカーなら、「身体を動かす」 さまざまな楽しみ方とリンクすることが可能だ。

塔の岩フライパン谷口
 
 「健康」 、「家族の団らん」 、「省エネ型の旅行スタイル」 。
 それらを統合できるキャンピングカーは、きわめて 「21世紀型」 の乗り物ではなかろうか。

 「自動車が売れない時代に、キャンピングカーを売るにはどういう視点が必要か」
 ということを考えることは、21世紀型の 「レジャー」 を考えることにもつながるように思う。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:16 | コメント(12)| トラックバック(0)

将棋とチェス

 将棋とチェスを比べてみると、日本と西洋のチャンバラの違いが反映しているようで面白い。
 将棋とチェスはどう違うかというと、同じ盤上の戦闘ゲームでも将棋の方が人間臭い。

チェスの駒

 一度つかえた主君に対しては、最後まで忠誠を誓うチェスのコマたちに比べ、将棋のコマでは裏切り者が続出する。
 つまり、敵に捕まっちゃったコマは、今度は平気で味方を攻めてくる。

将棋の駒

 敵コマを味方に使うという発想は、「人を殺さない」 っていう思想を反映したもので、実に日本的だ。
 外国の戦いでは、よく町ごと焼き払っちゃって、庶民も皆殺しにするというジェノサイドが頻繁に行われたけれど、日本では、織田信長の一向一揆殲滅なんていう例外を除けば、皆殺しというものがほとんど行われたことがなかった。

 中国なんかに比べて、日本では圧倒的に労働人口が少ないから、人を殺しちゃったら、生産力が低下しちゃう。
 だから、隣の国を取ったら、そこの百姓たちも丸抱え。

 百姓たちも慣れたもんで、大きな戦いが行われそうだっていうと、地元の百姓たちは、朝から弁当作って山の上で見物していたらしい。

 サムライ同士の戦いだって、のどかなもの。
 歴史ドラマの 「合戦」 は、いつも激しい戦闘が繰り広げられているように作られているけれど、実際の戦国時代の戦死者って案外少なくて、双方数千人の死傷者を出したという川中島の戦いなんてレアケースの方だ。

 戦国大名たちも、できれば戦わずに、謀略によって相手より有利に立ちたいと思っているから、敵の中から裏切り者が出るように工夫する。
 将棋で、敵コマを取って味方に使うというのは、そういう発想がベースになってんだろうな。

 で、チェスにない将棋の特徴をもう一つ。
 「成る」 というやつ。

 「歩」 というただの足軽が、チョロチョロとうまく立ち回り、相手方の一番奥までもぐり込んでしまうと、いつのまに 「大将」 になってしまうというルール。

 それって、なんか敵城の裏口からこっそり入り込み、天守閣の窓から身を乗り出して、いきなり味方の旗を掲げちゃうっていう感じじゃない?

 このような 「成る」 という発想がチェスにはない。
 だって、ヨーロッパ中世では、騎士になれるのは貴族だけで、庶民が騎士に 「成り上がる」 なんてことは絶対にあり得なかったからだ。

 だけど、日本では 「太閤秀吉」 の例を持ち出すまでもなく、百姓だって戦場でよい働きさえすればどんどん出世して、最後は天下人にもなれた。

 そのほかにも、将棋が日本的なチャンバラを土台にしている証拠はたくさんある。

 まず馬。
 将棋の桂馬とチェスのナイトを比べると一目瞭然。
 ナイトが前進後退を自在にこなし、しかも跳躍する場も広いのに比べ、桂馬は哀れ。左右どちらかの斜め前にしか飛べない。
 これも、日本では騎兵が弱体であったことを物語っているんだろうな。

 日本の武士が乗る馬は、足の短い木曽馬だし、重いよろいを身につけた主人を乗せて長時間走ったりするなんてとても無理。
 たくましい馬に乗って突進するヨーロッパの騎士たちとは大違いの世界。

 だいたいチェスでは、平和を説くはずの坊さんが、戦いの最前線に立つんだものな。ビショップ (僧 )というやつ。
 血生臭い坊主だよ。

将棋盤

 敵に容赦することのない好戦的なチェスに比べ、日本の将棋には、日本人のずるさと、したたかさと、愛嬌がにじみ出ている。
 
 よく言えば、知的である。

 で、最近、将棋に関心を持つ外国人が増えているという。
 スウェーデンには将棋連盟というものもあるらしいし、上海では200以上の小中学校で、将棋が授業に採り入れられているとか。
 ガンバレ将棋!

 ※ 訂正 記事中 「 (歩が) 成るという発想がチェスにはない」 という記述は間違いであるというご指摘を読者の方からいただきました。
 「ポーンがめでたく最後列 (相手側の一段目) に到達すると、キング以外の駒 (普通は最強のクイーン) に成ることが出来ます」 とのことです。
 ご指摘をいただき、「そういえば、20年ぐらい前にチェスをしていた頃は、そんなルールで遊んでいたよな…」 ということを思い出しました。
 文意全体を訂正しなければならないのですが、とりあえず、そのことだけは加えておくと同時に、ご訂正をいただいた読者の方には御礼を申し上げます。
  
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:03 | コメント(12)| トラックバック(0)

松任谷由実さん

 こんばんは。Jポップ・クリティークの時間がやってまいりました。
 実はですねぇ、ちょっと今回は緊張しております。

 なにせ、あのJポップの 「大御所中の大御所」 と目される松任谷由実ネエさんを採り上げてみようと思っているからなんですね。

松任谷由実さん1

 松任谷由実さんのようにですねぇ、これだけファンの多いアーチストともなると、それぞれ誰もが思い出の曲や、その歌によって励まされたという記憶があったりしてですね、いわば皆さん一人一人がすべて自分なりの 「ユーミン像」 というもの抱えているわけですから、うかつなことは言えません。

 しかもテーマは、
 「松任谷由実は、荒井由実を超えられたのか?」

 ね? 
 ピンと来る人にはすぐ分かる、微妙な設問であります。

 ええ、「ユーミン」 …という愛称で親しまれている由実さんがですねぇ、「松任谷」 を名乗ったのは1976年であります。

 今さら触れる必要もないでしょうけれど、この年、アレンジャーで有名な松任谷正隆氏と結婚されたからですね。
 それ以前は 「荒井由実」 という本名で、すでにシングル6枚、アルバム2枚を出されています。

 14歳にして、すでにプロとしてスタジオのピアノを弾いていたといいますから、まぁ天才少女だったんですな。

 作曲家デビューが17歳。
 自作の初アルバムが19歳。

 ね! 後年になって、「伝説」 を残すようなスーパースターというのは、たいてい若い頃から際立った才能を発揮するものですが、ユーミンもまた、まさにその典型的な例ですね。
 
 で、ユーミンのファーストアルバム 『ひこうき雲』 が、1973年に誕生。
 そして、74年からは本格的なステージ活動を開始。
 こうして彼女の曲はですねぇ、たちまちのうちに、当時のJポップシーンに衝撃をもたらせることになります。

松任谷由実ファーストアルバム
 ▲ 『ひこうき雲』

 …といっても、当時もちろん 「Jポップ」 などという言葉などありません。
 だから、ぶっちゃけていえば、
 「日本のフォークソング界に、衝撃をもたらせました!」
 という言い方になるわけですね。

 では、どういう衝撃だったのか。
 
 それは、若者が集まる空間を、四畳半からフローリングの敷き詰められた 「リビング」 に変え、電車とバスしかなかった若者たちの交通空間に 「自動車」 を導入してですねぇ、入浴施設を “石鹸カタカタ鳴らして通うお風呂屋さん” から自宅内の 「バスルーム」 に転換し、さらに、屋台のおでんを買ってきてアパートで食べるような食生活に対して、フォークとナイフを使う 「レストラン」 の料理を対比させたと。
 まぁ、こういうわけであります。

 一言でいえば、「都会的」 。
 あるいは、「アカ抜けている」 。
 さらに、「ゴージャス感がある」 。

 こういう感じの歌は、当時ユーミンでなければつくり出せない感覚の歌だったんですね。

 1975年のヒット曲に 『ルージュの伝言』 という歌があります。

 主人公は、結婚したばかりの若奥サマであります。
 それが、旦那サンの浮気に腹を立ててしまう。
 で、旦那サンのお母さんに、「叱ってもらいましょう」 ということで、列車に飛び乗り、「ディンドン、ディンドン」 という列車のリズムに揺られながら、旦那サンのお母さんに会いに行く…という歌なんですね。

 まぁ、こういう設定そのものが、今までの歌にはなかったわけなんであります。
 まるで、60年代のアメリカのホームドラマでも観ているような設定ですね。

 では、ちょっと聞いてみましょうかね。


 ▲ 『ルージュの伝言』 (YOU TUBE より)

 いいですねぇ、この感じ!

 この若奥サマの持っている非現実的な感覚。
 悲劇性よりも、コメディ的な面白さを強調した歌詞。
 そして、アメリカ60年代ポップスが持ち得ていたシュークリームのような甘さと、ソーダ水のような爽やかさと、チョコレートの苦みを持ったセンチメンタリズムがごっちゃになった洋楽風メロディ。

 どれをとってみても、当時流行っていたフォークソングの “異端児” だったんですね。

 で、この75年に 『ルージュの伝言』 が出ることによって、「ニューミュージック」 という言葉も生まれるようになります。
 まぁ、この年には 『あの日にかえりたい』 という曲もヒットしてですねぇ、もうユーミンの歌は、「フォークソング」 という言葉ではくくれないという共通認識を、誰もが持ったわけなんですね。

 では、ユーミン以前のフォークソングとは、どのようなものだったのか?

 ユーミンがデビューアルバムを発表した1973年。
 この年のフォークの大ヒット曲にかぐや姫の 『神田川』 があります。
 で、この歌の系譜として、同じかぐや姫の 『赤ちょうちん』 とか、風の 『22歳の別れ』 などという曲を挙げてもいいかもしれませんね。

 いずれも、お金のない恋人同士のつつましやかな生活とか、あるいは寂しい心象風景といったものがテーマとなっています。

 都会の片隅に、ひっそりと肩を寄せ合って暮らす貧乏な若者たち。
 そういうテーマを持った曲がどっと溢れだしたのが、この70年代初頭でした。

かぐや姫「神田川」
 ▲ かぐや姫 『神田川』

 で、…思うのですけれど、こういう曲は、岡林信康さんとか高田渡さんらが始めた 「反戦フォーク」 に根っこがあるんですね。
 60年代の終わり頃から、アメリカのベトナム戦争などに反対する運動が日本でも巻き起こりまして、「反戦」 や 「平和」 をテーマとしたフォークソングがたくさん生まれるようになります。

岡林信康アルバム
 ▲ 岡林信康

 しかし、それらのメッセージ・フォークは、70年を区切りに、当時の若者たちを熱狂させた 「70年安保闘争」 が、学生たちの “敗北” という形で退潮していくにしたがってですねぇ、次第に影を潜めていきます。

 それに代わって出てきたのが、『神田川』 とか 『赤ちょうちん』 に代表されるような、…都会の片隅でひっそりと肩を寄せ合って暮らす、貧乏な若者たち…という歌だったんですが、これはですねぇ、実は、学生運動の退潮期の若者気分を反映したものなんですね。

 政治活動には疲れた…。
 だけど、就職活動もうまくいかない。
 とりあえずバイトで食いつなぐんだけれど、将来が不安。
 “彼女”との生活も、いつまで続くことやら。
 
 …ってな当時の若者たちのセンチな気分にぴったりハマったのが、一連の “情けない若者たち” の心情を歌ったフォークソングだったわけであります。

 さぁ、そこでユーミンの登場です!
 彼女のつくり出す歌は、ことごとくこの “ビンボーな若者生活” に 「NO!」 を突きつけるようなものばかりでした。

 曲調はあくまでも、明るくポップ。
 ね!
 で、歌詞の方は、作者の私小説的な重さを引きずらない…というか、万人受けする表層的な軽さを持つもの…というわけでありまして、要するにですねぇ、80年代のJポップの精神を、彼女はすでに70年代の初頭に用意していたということがいえるかと思います。

 で、彼女は、それまでのビンボーソングを、すべて 「四畳半フォーク」 という言葉でくくってですねぇ、それに対する自分の歌を 「中産階級サウンド」 と名付けます。

 こういうユーミンの姿勢に対してですねぇ、四畳半フォークに文芸的なイメージをかき立てられていた人の中には、ユーミンの世界観を 「小ガネ持ちの価値観」 として軽蔑したり、あるいは、その詞の世界に 「軽薄な俗物性」 をかぎ取って、怒った人がいたかもしれません。

 でも、あの時代にですねぇ、政治活動の敗北を叙情的なセンチメンタリズムでごまかしていた四畳半フォークのつくり手やファンたちに比べると、むしろユーミンの方がはっきり言って 「革命的」 でした。

 彼女は、そういう自己憐憫 (れんびん) 的な一連のフォークソングに一種の 「腐臭」 をかぎ取った、といっていいと思います。

 自分たちを可哀想と甘やかすだけの歌。
 ノスタルジーとしての機能しかない歌。

 たぶん、ユーミンにはですねぇ、それらの歌が体臭のように発散するドン臭さが、耐えられないくらい嫌だったのだと思います。

 彼女の作り出す洋楽っぽいメロディ、都会的でゴージャスな雰囲気、わざとメルヘン的な香りを添える表層的な歌詞。
 それは、人々の頭の中にドロドロとこびり付いていた自己憐憫ソングを、泡としてきれいさっぱり洗い流す 「シャンプー」 として機能したんですね。

 だから、私は初期のユーミン…つまり荒井由実の時代にはですねぇ、彼女の都会的な軽薄さが、逆に、鋭い 「批評性」 を持っていたように感じます。

松任谷由実さん2

 さぁて、いよいよ、「松任谷由実は、荒井由実を超えられたか?」 というテーマです。

 今いった荒井由実が、その時代をさばいた 「批評性」 。
 それはとてつもなく鋭いものでした。

 しかし、やがて時代は、ユーミンに追いすがり、ユーミンを乗り越え、ユーミンを追い越していきます。

 たぶん、ユーミンという人はですねぇ、クリエイターとしての力と同じくらい、ジャーナリストとしてのセンスも持ち合わせた人だったのではないか…と感じています。
 おそらく、次にどんな時代が来るのか、彼女にはそれが 「読めてしまった」 部分があったのではないか、と推測しています。

 だから、時代の 「気分」 を先取りする音楽は見事につくれた。
 …ですけれども、自分の音楽が 「時代そのもの」 になってしまったとき、今度は 「歌」 が 「時代」 に置き去りにされていくときの徴候を見失ってしまった…。
 そんな感じをちょっと受けるのです。

 ユーミンが、Jポップ界最大のクリエーターとして君臨したのは80年代のことです。

 この時代、彼女は自分自身の曲として 『守ってあげたい』 などの大ヒットを飛ばす一方でですねぇ、『赤いスイートピー』 、『小麦色のマーメイド』 、『瞳はダイアモンド』 などといった松田聖子のヒット曲を手掛けた作曲家としても、真価を発揮します。

松田聖子1

 はっきりいうと、松田聖子のために書いたメロディなんて、もうどの曲も最高に洗練されていますね。
 甘さ、軽さ、爽やかさ、切なさ、スマートさ。
 それをすべて合わせ持ったセンスは、松本隆の歌詞と見事にコラボして、もう 「完璧」 の一語です。

 でも、松任谷の時代になると、ついに 「時代」 を突き抜けて、極北まで人を導くような曲が出てこなかった。
 そう感じます。

 では、荒井由実の時代には、そういう歌があったのか?

 あるんですねぇ、これが…。
 1973年のデビューアルバムで、アルバムタイトルともなった 『ひこうき雲』 。

ヒコーキ雲1

 わたくしめのチョー個人的な独断・偏見・妄想が入り交じった 「ユーミンのベストソング」 はこの曲です。
 たぶん、これを超える曲を、松任谷由実はつくっていないのではないか。
 そんな感じすら抱いております。

 ここで描かれる 「透明度の高い空」 というのは、たぶん日本の空にはないものだと思います。
 じゃ、ヨーロッパの空なの?
 アメリカなの?

 …ってな 「空」 じゃないんですね。
 この透明感はですねぇ、この歌によって初めて実現された 「空」 …つまり歌によって作り出された 「空」 にしかない透明感なんですね。

 荒井由実以外、日本の歌手で、こんな 「空」 を歌った歌手はいなかったはずなんです。

 もちろんこの曲は、「夭折した若者」 を悼むレクイエムなんですけれど、荒井由実以外に、哀しみをこれほど高いところまで打ち上げた歌手は、それまでいなかったはずです。

 ……というところで、途中なんですが、今回は時間となりました。
 だから、この曲の本当の凄さを解説することはいたしませんけれど、それぞれ皆様が聞き取って、何かを感じていただければ幸いでございます。

 …それでは皆さん、今日は 『ひこうき雲』 を聞きながら、お別れです。

 ▼ 「ひこうき雲」 (YOU TUBE より)


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 00:44 | コメント(6)| トラックバック(0)

「夜」の愛の不毛

《 昔の映画の現代的鑑賞法 14 》
「 夜 」  (1961年)

 ミケランジェロ・アントニオーニ監督の 『夜』 のDVDを手に入れた。
 彼の作品を語るときに必ず出てくる枕詞、「愛の不毛」 をテーマにした映画のひとつだ。

「夜」DVDジャケ

 高校生の頃、この 「愛の不毛」 という言葉にシビレた。
 まともな恋愛も経験していなかったくせに、恋愛が成就した後に待ち受けているだろう倦怠感みたいなものに憧れていたのだ。

 なにしろ異性から思いを寄せられるだけでハッピーになれるというのに、それすら疎ましく感じられるというのは、いったいどういう贅沢な心境を指すのだろうか。
 大人になるということは、その秘密が分かることだという思い込みがあった。

 で、今回その憧れていた 「愛の不毛の三部作」 のひとつと言われる 『夜』 を見て、「愛の不毛」 とは、単純に、夫婦の倦怠期のことを指しているということが分かった。

アントニオーニ「夜」

 出会った頃には激しく愛し合った男女も、結婚して何年か経つと、男は妻に 「女」 を感じなくなり、他の女に目移りする。
 妻は妻で、夫の態度の一部始終が疎ましく感じられてくる。

 お互いに、人の前では笑顔で振る舞っていても、人の視線から逃れると、すぐに仏頂面に戻る仮面夫婦。
 この映画は、そんなどこにもありそうな夫婦の日常生活が描かれている。

 では、なんで 「愛の不毛」 などということさら小むずかしげキャッチを使ってまで、評論家や観客たちはこの映画に意味を与えようとしたのだろう。

 それはすべて監督のカメラワークのせいである。
 すごいカメラワークなのだ。
 この映画では、映し出される情景そのものが、登場人物たちの内面を語るモノローグとなっている。時には、主人公たちが自分で気づかない深層心理すら表現している。
 いかにも、「愛の不毛」 という文芸的なキャッチが似合いそうな洗練された映像なのだ。

 たとえば、主人公の妻 (ジャンヌ・モロー) が退屈をまぎらわすために、ひとりで街をさまよい歩く姿を映すときの風景描写がある。
 繁華街のメインストリートを歩き始めた彼女は、次第に裏町に入っていく。さらにタクシーまで使って郊外に向かう。
 その目的は説明されない。彼女は気の向くままに動いているに過ぎない。
 しかし、ここで時系列的に映される風景の順番は、彼女の結婚生活の変化と連動している。

 彼女の夫 (マルチェロ・マルトロヤンニ) は人気作家である。金回りもよく、高級アパートに住み、アルファ・ロメオを乗り回している。
 そんな夫と暮らし始めたばかりの妻は、さぞや毎日新鮮な刺激を受けたことだろう。
 彼女がメインストリートを歩き始める最初の情景は、結婚当初の充実した生活ぶり再現するかのような、明るい華やかさにあふれている。

 しかし、結婚生活に慣れると、人がうらやむほど恵まれた結婚をしたわけではないことに彼女は気づく。
 人一倍インテリに感じられた夫は、単にスノッブ (俗物) なだけであり、彼がときおり見せる優しさは、誠意のない技巧でしかなく、彼を敬うファンや取り巻きの紳士たちも、みな見栄や虚栄心だけで動く俗物である。
 メインストリートから奥に入った 「裏町」 のうらびれた情景は、彼女のそんな失望感を語っているように思える。

 風景はさらに荒涼としてくる。
 宅地造成地のような取り留めもない景色のなかを、彼女は一人で歩いていく。
 自分を見失っているにもかかわらず、そのことに対して不安すら感じなくなっている彼女のどうしようもない虚無感が、その荒れた風景から伝わってくる。

 広場に、何の実験か分からない手作りのロケットを打ち上げている若者たちがいる。
 通りすがりの人々がそれを見物している。彼女も見物人の輪に参加する。
 日頃彼女が接しているインテリたちとは違う、見るからに所得水準も教育レベルも低い人たちが、彼女の周りに群れる。
 その人間模様を不思議そうに眺める彼女の顔。
 彼女に関係なかった世界の人たちが、初めて彼女の意識の中に入ってきたことを、その映像は語っている。

 このシーンのあたりから、彼女の沼のように澱んでいた心にさざ波が立ち始める。彼女を包んでいた気怠い殻のようなものが、徐々に溶け始めてきたのだ。

 堀立小屋の裏で行われたチンピラたちのケンカを目撃したことが、彼女の心に決定的な変化をもたらす。
 チンピラたちは、彼女の存在に気づき、一斉に淫らな視線を投げかける。そのような視線を自分に向ける男たちの存在を、彼女は今まで知ることがなかったのだ。

 彼らの卑わいな目つきに耐えきれず、彼女は逃げ出す。
 しかし、生々しい欲望をむき出しにした男たちの視線が、彼女の意識から離れない。
 今まで封印してきた 「性への渇望」 が、それによって蘇ってくる。

 以降は、妻が夫に対してもう一度 「女」 として認めてもらうことにチャレンジする物語となる。

 家に戻った彼女は、久しぶりに、夫に 「愛」 のおねだりを匂わせるポーズを取る。
 しかし、妻がどんなに夫の関心を取り戻そうとしても、夫の反応は鈍い。
 バスタブに浮かんだ裸身を見せようが、新調の服で身を飾ろうが、夫の視線は冷淡と思えるほど弱々しい。

 久しぶりに着飾った夫婦は、洒落たナイトクラブで贅沢な夜を過ごす。
 妻はチャンスと思い、いろいろな形で夫に 「甘えたい」 というシグナルを送る。
 しかし、夫の視線はフロアで踊る半裸の黒人女性の太腿にくぎ付けになったままだ。

 フロアではパートナーの黒人男性が現れ、女とともにアクロバティックを演じ始める。夫にとってエロスの対象は、あくまでもそこで踊る黒人の男女でしかない。

 その踊りに扇情的なジャズが絡み、けだるく甘い空気がフロアに立ち込める。
 人も羨むようなゴージャスな特等席に座りながら、彼女は、夫との関係が修復不可能なものであることを感じ取る。

「夜」3

 夫婦が次に訪れた大富豪のパーティ会場では、夫は、知り合ったばかりの若い女 (モニカ・ヴィッティ) に夢中になってしまう。
 揚げ句に果てに、彼は妻の視線から逃れて、その女にキスまで迫る始末。
 それを盗み見た妻は、やけくそになって、会場で知り合った知らない男の誘いに応じ、クルマに乗ってドライブに出てしまう。

 夜明けにパーティが終わる。
 ドライブから帰った妻に、夫は何もいわない。
 夕べの狂騒が嘘のように思える静かな朝が、訪れる。
 パーティ会場の外には、ゴルフコースのような広大な庭園が広がっている。
 露に濡れた芝生を、曇り空が覆っている。

 庭園を見つめる2人に、宴の後の寂寥感が迫ってくる。
 遊びすぎた夫は疲れている。
 何かを悔やんでいるようにも見える。

 そのタイミングを逃さず、妻はバッグの中から取り出した手紙を静かに読み始める。
 それは、その昔、恋人時代の夫が彼女に宛てたラブレターだった。

 それを聴いている夫の心に、さざ波が立ちはじめる。
 妻と出会った頃に感じた、あの新鮮な欲望が蘇ってきたのだ。

 突如、狂ったように彼は、妻を芝生の上に押し倒す。
 はね除けようとする妻。
 なおもすがりつく夫に対し、妻は叫ぶ。

 「もうダメなの! あなたとは別れることに決めたの! すべてはもう手遅れなの」

 もつれ合う夫婦からカメラが引いて、芝生広場が映し出されたところで  「FINE (THE・END) 」 のタイトルが浮かぶ。

「夜」4

 はて、これはハッピーエンドなのでしょうか。それとも哀しい結末なのでしょうか。

 これを見た多くの評論家や観客は、妻のセリフを額面どおりに受けとめ、これを悲劇の映画と認定したようである。
 だから、「愛の不毛を描いた三部作のひとつ」 などという解説が、この映画につけられたのだろう。

 しかし、これはどう見てもハッピーエンドの映画である。
 その証拠に、夫に組み敷かれるジャンヌ・モローの表情に、今までの仏頂面とはうって変わった躍動感がみなぎっている。どう見ても夫と別れようとしている女の顔ではない。

 このドラマは、男の愛情を取り戻そうとして挌闘する女の話であり、彼女はその戦いに見事に勝ったのだ。
 難解な作風で知られるアントニオーニの作品としては珍しく分かりやすい映画であり、『太陽はひとりぼっち』 や 『欲望』 などと比べると、相当メロドラマ性が強い。登場人物の内面の動きも、およそ察しがつく。
 そういった意味で、ミステリアスな画面展開を特徴とするアントニオーニ映画が生まれる前の、過渡的な作品という気もする。

 しかし、カメラワークの美しさはすでに完成されている。どのシーンをとっても一流画家の描く絵画のような均整美を誇っている。
 粋なモノクロの画面にクールなジャズが絡んだ、60年代の匂いがふんぷんと漂う大人の映画だ。

 
 アントニオーニ 「太陽はひとりぼっち」
 アントニオーニ 「欲望 BLOW UP」

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 01:13 | コメント(0)| トラックバック(0)
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