町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

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町田さんご無事で何よ…
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町田さん、今日は。…
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tom23

 味の素スタジアムで開かれた 「第4回 東京キャンピングカーショー」 の会場でひときわ注目を集めた新型車のひとつに、セキソーボディが開発した 「tom23」 がある。
 注目を集めた理由は、まず新型タウン・ライトエースをベースにしたキャンピングカーの1号車であったからだ。

トム23 味の素1

 すでに、専門誌 『オートキャンパー』 8月号、『キャンプカーマガジン』 vol.9号でも紹介されているが、多くの人が実車を見たのはこのショーがはじめてとなるはず。

 さて、その出来映えであるが、キャブコン開発において常に時代を一歩先んじていたセキソーボディらしい、安定感に満ちた仕上がりを見せたクルマであった。
 新しいベース車にチャレンジしながらも、この自信たっぷりの造り込みには 「まいりました」 と言わざるを得ない。

トム23外形1

 まず、ベース車の素性から見てみよう。
 最大の懸念材料であったのは、1495cc (97馬力) というエンジンスペック。
 1781ccであった先代のエンジンよりも、さらに小排気量である。
 
 ただし、馬力においては15馬力アップ。トルクは先代に劣るとはいえ、その差は0.8kg-mでしかない。
 ライバルと目されるボンゴ (1789cc) との比較においても、排気量では差をつけられながら、馬力では2馬力勝り、トルクでは0.1kg-m負けているに過ぎない。

 ということは、「軽量化」 さえ達成できれば、極めて十分な走りを確保できるライトキャブコンが誕生することになる。

 もちろんセキソーボディとしてもそのへんはよく心得ていて、軽量化を最優先課題として開発を進めた。
 なにしろ、同社にはプログレスで成功させたアルミシェルの技術がある。
 さらに、ボディ構造もバンクベッドを廃したロープロファイルスタイルでまとめ、空気抵抗を軽減させるとともに、その分だけ軽量化がさらに進められている。

 こうして達成された車両重量は約1700kg。
 これだけでも十分に 「ライトウェイト」 といえるが、今後は家具の中抜きなどを徹底させることによって、さらなる軽量化を実現していくという。

 リヤエントランスを採用しただけに、リヤオーバーハングが心持ち目立った。
 リヤ部には水回りが集中し、マルチルームに重量物を積載した場合のことを考えると、若干心配なのは “尻下がり” 。
 しかし、それに対してもリヤのリーフ増しで対応。
 安定感の確保には万全の対策が施されていると見た。

 感心したのは、その室内の開放感だった。
 全長4850mm、全幅1920mmというミニバンサイズの車両枠に収めながら、カムロードクラスのキャブコンに劣らない “広々感” が備わっている。

トム23内装1

 その秘密は、対面ダイネットとサイドソファで構成されたレイアウトにある。
 縦長の構造物が、リヤサイドに設定されたマルチルームだけなので、エントランスから覗いたとき、そこから運転席に至るまで視界を遮るものがない。

 実際の居住スペースとしては、小型キャブコンの宿命から免れない以上、5mオーバーのキャブコンとは比べるべくもない。
 しかし、「広さ感」 は出ている。
 このクルマを使うユーザーが、主に夫婦2人であることを考えると、たとえ感覚的なものであっても、この開放感は実に得がたい価値を生み出している。

トム23内装2

 インテリアのカラーコーディネートも秀逸。
 濃いめの木目家具部分と、浅めのシート地とのバランスが美しい。
 色目をシンプルに抑えるモダンテイストを採り入れて成功した部類だ。

 軽量化は燃費に好影響をもたらす。
 開発者の中山氏の話によると、100km巡航程度の高速走行では、リッター11kmを記録したという。

 このトム23。
 これに続いて企画されているライト・タウンエースの新型キャンピングカーにとっては、大きく立ちはだかるライバル車として君臨することになるだろう。

 お値段は、379万円 (DX 5MT) から。

campingcar | 投稿者 町田編集長 00:35 | コメント(0)| トラックバック(0)

年金セミナー

 1日費やして、「年金セミナー」 を受講してきた。
 もうそんな歳なんだわ。

 何歳になったら、年金を受給することができるのか?
 具体的にいくら受給できるのか?
 どういう手続きが必要なのか?

 そういう年金の基礎知識は、サラリーマンの場合、会社の総務が年金手続を代行してくれているので、受け取る本人は詳しく知る機会がない。

 それでは困るだろうということで、退職間際の年金受給者を対象に、こういうセミナーがあちこちで開かれているらしい。

 「忙しい」
 ということを理由に、当日の今日になるまで、セミナーの内容を詳しく告知した書類に目を通すこともなく、いきなりのぶっつけ本番。

 会場に着いて、
 「あ、そうだ。年金についての講習会だったんだ」
 と知るという、ていたらく。

 受付を通って会場に入ると、すでに50人ほどの受講者が真剣な眼差しで講師の登場を待っている。
 緊迫した雰囲気。

 ようやく年金というものの大事さが、グータラの自分にも伝わってくる。

年金手帳
▲ 大切な年金手帳…はて、どこに仕舞ったのやら…

 一番後ろの席に座ったおかげで、受講者たちの背中が一望できる。

 やはり白髪頭の人が多い。
 ほとんどが白いワイシャツ姿。
 それも、礼儀正しくシャツの裾をズボンに収めて、ベルトを外側に見せるお父さんファッション。
 久しぶりに、重厚なサラリーマン社会の住人たちと出会ったという気分。

 朝の9時から夕方4時半までびっしり詰め込まれたプログラムの中には、年金システムの解説だけでなく、中高年の健康維持や 「生きがいの発見」 などというメンタルヘルスについての講義もある。

 講師の解説を、サラサラとペンを取ってメモっている人たちの背中をみながら、こちらもメモを取る。

 この感じ、どこかで体験してるよな。
 ぼんやりと、失われていた昔のある “感覚” が蘇ってくる。

 そうだよ、学校の授業だよ。
 自分にとっては、苦手だったあの感覚。

 必死に先生の話をメモしながら、言っていることの内容がよく分からず、メモ書きが次第に落書きに変っていくあの感覚。

 でも、周りの人々の様子を盗み見して、
 ふむふむ
 …と頷いていたりする人の横顔などを見ていると、さすがに不安になってくる。
 「みんな理解しているのだろうか?」
 
 生活力に乏しい自分は、こういう生きるために真剣な人たちの中に混じってしまうと、とてつもなく気後れする。

 「加算年金額は、賞与を含めない平均標準給与額に加入員期間に応じ定められた乗率を掛け、さらに退職時の年齢に応じた乗率を掛けた額になります」

 そんなこと言われたって、まず “乗率” って何よ?

 昔とまったく同じで、意味不明の言葉が三つ四つ続いただけで、睡魔が襲ってくる。
 それでも、手だけは動いてメモを取っているのだが、ふと正気に戻ってメモを見ると、もう 「文字」 ではなく、カラスの足跡。

 「それでは10分間の休憩に入ります」

 この声だけには、昔から反応がいい。
 さっと教室を抜けて、真っ先に休憩室へ。

 そういう時間帯でも、講師の人をつかまえて質問している人の姿を見かける。

 休憩時間になっても、質問を繰り返す優等生たちは昔からいた。
 そういう生徒の姿を横目で見ながら、
 「よく聞くことがあるよな」
 と、不思議に思っていた往時の記憶も蘇ってくる。

 劣等性根性というのは、おそらく何年経っても、何十年経っても変らぬものらしい。

 セミナーが終わって、「懇親会」 が開かれるという。
 主催者がしきりに参加を呼びかけるのだけれど、忙しい人たちは振り向きもせず帰っていく。
 真面目な感じの人ほど、「講義内容が把握できれば、後は用なし」 とばかりに冷淡。

 私はまったく逆。
 見ず知らずの人たちの中に入っていって、どんな人間がどんな話をするのやら。
 そういうことだけには、やたら好奇心が働く。

 「お宅様の会社は60歳定年ですか?」
 などと、酔いの回らぬうちは、セミナーの延長線上の話題に終始していた人たちが、多少酒が回り始めると、
 「オレの先輩で、一回りも歳が上の人がいるんだけど、未だにあっちの方は現役で、海外でアレばっか。この前一晩で20発だって。まぁ、薬を使うわけだけど…」
 
 アハハハ!

 こういう話が広がる輪の中にいると、とたんに元気。
 いつの間にか、話の中心にいたりする。

 この感じも、昔から変らない。
 オレって、まったく進歩していない。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 01:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

軽で2段ベッド付

 日曜日、東京・調布市の味の素スタジアムで開かれた 「第4回 東京キャンピングカーショー」 の取材に出かけた。
 例年2日開催だったのだが、今回はサッカー試合との日程調整が難しかったらしく、日曜日のみの開催。

 それでも、開場前にそうとう長い行列ができるなど、けっこう盛り上がったショーになった。
 このショーもすっかりイベントとして認知されたようだ。

第4回東京キャンピングカーショー味の素

 ガソリン代の高騰など、車両販売には逆風が吹いているご時世ながら、このショーの来場者はけっこう熱心。
 燃料費節約時代を迎えて、観光地を走り回るようなドライブを自粛しようという動きが出てきている中、一ヵ所に長逗留できるキャンピングカーという存在がかえって注目を集めるようになったのかもしれない。

 今回出展された新型車を見ると、時代の流れを反映してか、軽量・コンパクトで燃費も良く、取り回しも楽…という車両が多いことに気づく。

 何回かに分けて紹介するつもりだが、今日はまずオーエムシーさんの 「BK」 から。

BK外形2

 ハイエースをベースに、オリジナリティに富んだバンコンをリリースし続けてきたオーエムシー。
 このBKは、そんな同社の心意気を反映して、軽自動車ベースのバンコンとして、なかなかユニークな仕上がりぶりを見せる。

BK外形1

 ベースはスズキエブリイJOIN (JOINターボの設定もあり) 。
 あっと驚いたのは、常設2段ベッド付きなのだ。

BK内装1

 その雰囲気は、同社の人気車 「北斗」 や 「銀河」 のちょっとした小型版。
 居住スペースが限定されてしまう軽自動車としては、大胆な試みだ。

BK内装2

 しかし、軽という限られたスペースだからこそ、優先順位を付けて、大事にしたいものだけを思い切って強調。後はいさぎよく切り捨てることにしたという。

 「大事にしたいもの」 とは、ゆったり寝られるベッド。
 上段ベッドは、最前部を前側にスライドさせた状態で、長さ1950mm×幅600mm。
 身長1.8mぐらいの男性が寝ても、まだアタマに余裕が残る。

 下段は1800mm×幅600mm。
 これもなかなかの広さが取れている。

 これ以外に “畳敷きスペース” がある。
 この畳スペースにはミニシンク付きのちゃぶ台なども用意され、小さいながらもお茶の間が出現する。
 畳の長さも1650mmあるので、身長の低い人なら寝ることが可能。さらに助手席を倒して枕を置いたり、足を載せたりすれば2m近くのスペースが生まれる。

BK内装4

 4ナンバー登録なので、「就寝定員」 としての決まりはないけれど、サイズとしては3名分の就寝が取れている計算となる。

 ポップアップ構造やハイルーフ構造を採り入れれば、もう少し居住性が良くなるという考えも開発者の脳裏をかすめた。
 しかし、収容能力が限定された軽自動車の場合、ルーフも 「荷物置き場」 として残しておく必要があると判断。
 ノーマルルーフを維持したのは、そこにトップボックスを載せる余地を残すという意味もある。

 さらに、リヤスペースにも工夫が。

 しっかり隔離された収納スペースが用意されている。
 ディスプレイとして、そこには冷蔵庫が搭載されていたが、開発者の大間社長の念頭にあったものは汚れものやゴミの収納スペース。

BK内装3

 マナー問題がクローズアップされてきた現在、道の駅などのゴミ箱に不用意に生活ゴミを投棄するのは避けようという流れが生まれてきた。
 しかし、放置すると匂いが発生するようなゴミを、他の荷物と一緒に混ぜて移動するのはしんどい。
 そこで、「ゴミなどを隔離するスペースがあれば…」 という配慮が、この収納スペースを設計したモチーフのひとつになっているという。

 このようなくっきりとした構造物に囲まれた軽自動車キャンピングカーを、ある人は敬遠するかもしれない。
 軽ならば、何よりも 「空間の広がり」 を優先したい…と思う人もいるだろう。
 事実、軽キャンカーはそういうコンセプトのものが主流である。

 しかし、「しっかり寝られる」 軽キャンカーも大いにありだ。
 ベッドスペースを持った軽キャンカーは多いが、ベッドを持った軽キャンカーは少ない。
 BKは、その貴重な試みのひとつといえる。

 話は変わるけれど、この味の素スタジアムのキャンピングカーショーを紹介するのはこれで3度目。
 思えば、2年前にこのブログを始めたときの最初の記事も、このイベントのレポートだった。

 気になって、昔の記事を読んでみると、ショーのレポートというよりも、団塊マーケットについてひとくさり説いた内容だった。
 肩ひじの張った文章で、まぁ、ブログを書き始めた当初の緊張感みたいなものが感じられなくもない。

 あの頃、何を書いたらよいのか、自分でもよく分かっていなかった。
 今でも、あんまりよく分かっていない。
 しかし、そのことで悩まないようになった。

 昨日か一昨日か、この2年間の総アクセスが100万件を突破した。
 それだけ読んで下さった方々がいるかと思うと、ちょいと感無量でもある。

campingcar | 投稿者 町田編集長 23:08 | コメント(4)| トラックバック(0)

太陽は独りぼっち

《 昔の映画の現代的鑑賞法 9 》
「太陽はひとりぼっち」

太陽はひとりぼっちDVD

 ミケランジェロ・アントニオーニの 『太陽はひとりぼっち』 は、何度観たか分からない。
 それほど気になる映画なのだ。

 何が気になるのかというと、これほど 「異界」 の存在を暗示した映画はほかにないからだ。
 これはホラーでもSFでもない。
 にもかかわらず、この映画には主人公の女性 (モニカ・ヴィッティ) が、この世ならぬ 「異界」 と接している瞬間を捉えた映像がふんだんに出てくる。

太陽はひとりぼっち50023

 何気なく描かれる郊外の風景。
 どこにありそうな建物。
 風にそよぐ木。

太陽はひとりぼっち50032

 カメラはそれらを即物的にとらえているだけなのに、なぜあれほど不気味で美しい映像になるのか。
 美しさそのものが、この世の美しさではないのだ。

太陽はひとりぼっち50009

 映画は、男女が
 重苦しく語り合うシーンから始まる。
 カーテンに閉ざされた暗い部屋だ。
 女は、婚約者である男から別れようとしている。
 しかし、男には、なぜ女が自分から離れたがっているのか、その理由が分からない。

太陽はひとりぼっち4

 別れる理由を執拗に問い詰める男に、女は 「分からない」 とつぶやいて、その視線から逃れようとする。

 実際に、別れる理由が女にも分からないのだ。
 倦怠、軽蔑、嫌悪、幻滅。
 女が男に愛想を尽かす理由を一つずつ掲げてみても、そのどれにも当てはまらない。
 2人の会話は堂々めぐりを繰り返し、それに飽きた女がカーテンを開ける。

 朝が来ていた。

 どんよりとした光りの中に、異界が姿を現す。
 まるで、発射準備を終えた宇宙船のような形をした不思議な塔が、窓の外にこの世ならぬ風景を浮かび上がらせている。

 塔の頂上は展望台のように広がっていて、あたかもカサを広げたキノコのように見える。
 建物の周囲には人の気配がなく、まるで地球の最終戦争が終わった後のような荒涼感が漂っている。

 現在でありながら、すでに 「過去となった未来」 がそこに横たわっている。

 この未来と過去が入れ替わるような不条理感こそ、アントニオーニ映像の核を構成するものといっていいだろう。

 キノコ型の建物を見た瞬間から、女の心にスイッチが入る。
 でも、そのスイッチはONを意味するのか、OFFを意味するのか、それは彼女にも分からない。

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 女は、朝の光に満たされた歩道を歩き、一人家路につく。
 たった今まで、あれほどの重苦しい時間を過ごしてきたというのに、すでにその記憶すら希薄なものになっている。
 女の気持ちは、どこに向かっているのだろう。

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 結婚、愛情、家庭。
 そういう言葉に象徴される濃密な人間関係が解体していく世界に向かって、彼女は歩き始めている。
 彼女が求めているのは、解放感でもない。
 「解放」 を感じるような自我が、すでに彼女にはない。

 人間への関心が希薄になっていくことと同時に、彼女の見つめる風景は濃密さを増していく。
 風景が、人に代わってコンタクトを求めるようになってくる。


 女友達の逃げた犬を追いかけて、彼女が夜の公園を歩くシーンは、この映画でも白眉といえるシーンだ。

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 犬の姿が視界から消え、彼女はがらんとした広場にたった独りで取り残されたことに気づく。

 突然、暗い空に向かって伸び上がっていた無数のポールが、一斉にカランカランと乾いた音をたて始める。
 ポールに絡まるロープが、夜風に揺れているだけなのに、彼女にはそれが何者かの発するメッセージのようにも思える。

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 人の姿が途絶えた夜の公園に、「異界」 が舞い降りてくる。

 ポールを見上げた彼女の視線は、次に広場の真ん中にたたずむブロンズ像をとらえる。
 膨れた腹を突き出す、かわいい天使の像だ。

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 天使は、何も言わない。
 言わないが、気配で何かを伝えてくる。

 天使が、直接脳に訴えてくるメッセージを汲み取ろうとして、彼女は、穴が穿 (うが) たれただけの天使の瞳を見つめる。
 彼女が天使からメッセージを受け取ったかどうかは、観客には解らない。

 女が証券取引所に出向いて、自分の母親を探すシーンがある。

 証券マンたちが、もみあい、重なり合い、手を振り上げ、怒号をまき散らしながら、せわしなく動き回っている。
 人とすれ違うたびに、彼らは株価の情報を素早く交換し合い、遠隔地の相場を知るためにおびただしく電話をかける。

太陽はひとりぼっち6

 証券マンたちの行動は、極めてリアルな経済法則に従っているにもかかわらず、脳の制御を失った人たちが、意味不明の妄言を囁き合っているようにも見える。
 そこは、「不思議の国のアリス」 や 「ガリバー旅行記」 に出てくるような、異界の法則に貫かれたおとぎの国だ。

太陽はひとりぼっち証券取引所 

 女は、証券取引所で若い証券マン (アラン・ドロン) と出会う。
 どちらともなく惹かれ合って、恋愛がスタートしたかのように見える。
 しかし、進展しない。

太陽はひとりぼっちアラン・ドロン

 女は男の気を引くようなコケティッシュな笑顔を見せるが、それも長続きしない。
 男と一緒に笑い転げたかと思うと、次の瞬間には、その表情を凝固させる。
 病んだような物憂さだけが、2人の間を流れていく。

太陽はひとりぼっち2

 男は 「君が分からない」 という。
 しかし、女にも自分が分からない。自分の意識をコントロールできる時間がだんだん少なくなっているからだ。

 彼女の意識が、この世と異界の境界を行きつ戻りつしていることを暗示するかのように、風景のショットが増えていく。

 建設途上のビル。
 雨水を溜めたドラム缶。
 風にそよぐ木。
 幼児を乗せた乳母車。

太陽はひとりぼっち乳母車

 それらの風景の奥の方には、とてつもない緊張感が張りつめている。

 風景が視線を持っている。
 視線を持って、人間を観察している。
 その視線に、徐々に力がみなぎっていく。

 女が、男のアパートを出るシーンがある。
 午後の光が溢れるローマ郊外の街を、彼女はけだるい足どりで歩き始める。
 その歩き方は、満ち足りた情事の思い出を引きずっているようにも見えるし、方向性を見失って途方に暮れているようにも見える。

 この後の展開は異様だ。
 そこからラストシーンまで、まだ10分ほどあるというのに、もう主人公の女も、相手の男も画面に登場しない。

 延々と映し出されるのは風景だけ。
 大通りを、1頭立ての馬車が白日夢のように通り過ぎていく。
 ヒヅメの音が遠ざかると、岩のような沈黙が被さってくる。

太陽はひとりぼっち馬車

 遠くのグランドでは子供たちがスポーツに興じているのだが、その歓声は届いてこない。
 空虚な静けさが、街をゆっくりと包んでいく。

 街に夕暮れが迫る。
 人気のない道路を1台の路線バスが走っていく。
 家路に急ぐ人たちがバスを降りるが、彼らの背中は、影絵のように実体感を失っている。

太陽はひとりぼっち50041

 通りすがりの人間がアップで映し出されるときもあるが、その無表情な顔からは精神の動きが感じられない。
 人の匂い、人の気配が急速に画面から遠のいていく。

 この映画の最後は、不安感を助長させる音楽の高まりとともに、ギラギラと輝く街灯をアップでとらえた映像で終わる。

太陽はひとりぼっち街灯

 その街灯は、もはやこの世の街灯ではない。 
 女の意識の裂け目から噴出した 「異界」 の街灯なのだ。
 彼女が完全に異界へ旅立ったことが、そこで暗示される。

 怖くて、美しい映画である。
 私は、この映画の意味が、いまだに理解できない。

太陽はひとりぼっちFIN


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 04:21 | コメント(2)| トラックバック(0)

カレセンの真意

 最近、日本の 「恋愛文化」 というものは、ものすごく洗練されてきたように思う。
 特に、女性たちの。

 「カレセン」 ブームというものがある。
 若い女性たちの間に起こってきた 「枯れたオヤジ好き」 を指すらしい。

 どんなオヤジのことか。

 社会経験も豊富。教養もある。
 その気になれば、女性の気を引く話術も心得ている。
 でも、そんな部分を自ら封印し、路地裏の酒場で、ひっそりと瓶ビールなど飲んでいるオヤジ。
 そういう世捨て人のようなオヤジが 「カッコいい!」 という風潮があるのだとか。

 で、そのカレセン志向の女性たちが集まった対談などを読むと、すっごく面白い。 

 彼女たちは、“枯れたオヤジ” のどんなところを評価するのか。

 ギラギラ感がない。
 女に対してガツガツしない。
 きわどい関係に進展しそうになると、さっと身を引く。
 セックスを超越したようなさっぱり感がある。

アラン・ドロン1 ショーン・コネリー1
▲ 概してカレセンがサマになるのは、若い頃フェロモンむんむんのギラギラ男たちだったりして…

 まぁ、そんなような論調で娘たちの話が進んでいくわけだが、それって、男たちにはどう聞こえるのだろうか。

 いくら年こいたといっても、魅力的な女性を前に、そう簡単にギラギラ感を抑えられる男はいない。
 性欲なんて枯れていようがいまいが、結局男は女の前ではエエカッコしいにならざるを得ない。
 ましてや、カレセンなどを意識したら、それにぎこちなさが加わるだけ。
 結局、男はカレセンを装うのは無理なのだ。

 …ということは、早い話、
 「オヤジなんて恋愛の対象外」
 ってことを、彼女たちはものすごく優雅な表現に置き換えているだけなのだ。

 「ちょいワルオヤジ」 のブームがあったけれど、あれなんかマスコミが熟年男性マーケットを活性化させるために意図的につくったムーブメント。
 そこには、男性用衣料メーカー、化粧品メーカー、スポーツカー販売店などのギラギラした思惑がすべて透けて見えていた。

 女性たちからすれば、
 「何がちょいワルよ、キモ」
 …って感じだったろうな。

 だけど、
 ちょいワルを 「無様だ」 と言い切ってしまえば、そこには何の芸も感じられない。
 そこで、並みの男にはとうてい不可能な、
 「カレセン」
 を持ち出して、やんわりとオヤジの口説きから身を守る。

 やっぱ洗練されているでしょ、この感覚。

 嫌いなものを 「嫌い」 と言い切って、その理由を挙げていくのは、モノを考えるときのベースにはなるけれど、それをそのままストレートに 「嫌い」 と表現しただけでは、「文化」 は育たない。

 文化というのは、評価も好みも正反対の人が聞いても、「なるほど」 と思わせる説得力から生まれてくる。
 別名 「話芸」。
 カレセンをテーマに掲げた娘たちは、その 「話芸」 を身につけていた。

 で、カレセンを謳って、無粋なオヤジをさりげなく拒否しておきながら、彼女たちは、たまに、何十人の候補者のうちから難関を突破して、本当にカレセンと思えるオヤジが登場したら、そのときは口説きに応じてもかまわない、という。

 ここに巧妙な詐術がある。
 だって、「カレセン」 というのは、モテようという自意識 (ギラギラ感) から脱却したオヤジのことをいうのだから、モテようと思って女に近づけば、そこでもう男は自己矛盾に陥る。

 オヤジたちよ、悩め!
 結局、若い娘たちはそう言っているのだ。

 悩みのないところには、魅力も生まれない。
 年こいて、ある程度のお金が操作できるようになったオヤジたちは、若い頃の悩みを忘れてしまっている。
 功なり名を遂げた自分をカッコいいと思っている。

 そりゃ女から見れば無神経で傲慢だよ。

 で、「カレセン」 という表現を使って、若い娘たちはオヤジ教育のテーマを掲げているわけだけど、オバサン型からもメッセージは発せられている。

 相変わらずの 「韓流ブーム」 のことだ。

 いい年こいたオバサンが、韓国のイケメン俳優たちのおっかけをやる。
 それをバカバカしく思ったり、苦々しく思ったりするオヤジたちは多いけれど、それだって 「カレセン」 と同じように、悩みを忘れたオヤジたちに向けた、オバサマ方の優雅な抗議のスタイルなのだ。

 「まだヨン様かよ、え? イ・ビョンホンだって。ドラマの中の浮いたセリフにポォーッとしている場合かよ」
 なんて、ご主人が韓流にハマった奥様を刺激してみな。

 「あなた、このドラマのようなセリフ。私に対して一度でも使ったことがある?」
 って、冷たい視線で言い返されるのがオチ。

 これも、「お前なんてサイテーの旦那だ!」 っていったところで芸がないと思うオバサマ方の、とても優雅で洗練された抗議の一形態ともとれる。

 こういう機微を理解しないと、現代文化の先端を颯爽と走り抜けていく女性たちに、男は置いてきぼりをくうだけだ。
 時代を 「理解する」 ってことは、時代の 「悩み」 を皮膚呼吸することだ。

 オヤジたちよ、みんなもうちょっと悩めよ。

 腹が出てきた、
 老眼になった、
 部下たちが陰でおちょくっている…

 悩みってのは、それだけじゃないだろ?

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:07 | コメント(0)| トラックバック(0)

LPGの救世主

 キャンピングカーのLPガスの充填が、あちらこちらの充填所から拒否されているという話が出てきて久しい。

 LPガスの質量販売 (ボンベ売り) が法律の正しい規定に基づいて行われているのかどうか、経済産業省が各都道府県を通じて、LPガス販売会社に報告を義務づけたことがきっかけとなり、LPガスを取り扱う各社が質量販売そのものを自粛しようという動きが出てきたからだ。

 このような動きが出てきた背景には、ガス会社にとってユーザー管理のしにくい質量販売から、ユーザー管理のしやすい 「メーター売り」 に移行したいというガス会社さんの思惑も絡んでいるだろう。

 そのため、利用者に容器ごと売るような質量販売は 「法令の定める管理上の問題が生じる」 という理由により、キャンピングカーユーザーのLPガスの充填を断わる充填所が出てきたわけである。

 では、キャンピングカーがLPガスボンベを搭載するのは違法行為なのか。

 国交省の定めるキャンピングカーの構造要件では、キャンピングカーの規定を満たす条件のなかに、「コンロ等を使用するものとしてのガス容器は車室内と隔壁で隔てられ、かつ車外と十分通気が確保されていること」 など、一連のLPGボンベの存在を前提とした記述がはっきりと明記されている。

 つまり、キャンピングカーがLPガス機器を搭載することは国交省の管轄下においてはまったく問題がないのだ。

 しかし、日本の役所行政は縦割り組織になっているため、国交省と経済産業省との間に行政上の不整合が生じても、お互いにそれを調整し合おうという機会と土壌がない。
 キャンピングカーユーザーはそのとばっちりを食ってしまったという状況にある。

 では、LPガスを熱源とするキャンピングカーを持っているユーザーは、このまま手をこまねいているしかないのか?

 じゃーん!
 朗報です。

 実は、ある種の機器をLPガスボンベに取り付けるだけで、ユーザーが今までどおりに質量販売を受けられるだけでなく、さらに、そのボンベを専用のコンロなどに接続して、野外や家庭内で、自由に熱源として利用できるシステムが開発された。

 といっても、すでに一部のユーザーには知られたことではあったが、自分はそのことをまったく知らなかったので、そのシステムを開発した業者さんを訪ねて、取材を試みた。

 中国工業株式会社さん。

 その中国工業さんが供給する 『GASワンタッチ』 と 「クイックカップリング式バルブ」 という機器が、今回のガス問題で悩めるユーザーたちを救ってくれる救世主だ。
 これは、同社がヨーロッパの大手ガス供給機器メーカーと共同開発したもので、すでに1年ほど前から販売されていたという。

 機構的にどういうものかというと、早い話、従来のボンベに付いていたコックを回す 「ねじ込み式」 のハンドルバルブの代わりに、ワンタッチで調整器と接続できるカップリング式のバルブを取り付けるというもの。

GASワンタッチ
▲ GASワンタッチ

 その調整器 (レギュレーター) には、同じく中国工業がヨーロッパメーカーとタイアップして開発した 『GASワンタッチ』 という調整器を使用する。
 セット方法は簡単で、両手で調整器を持ち、ロックリングを引き上げ、調整器を容器バルブの位置に合わせてから、そのまま下に軽く下ろすだけ。

 これだけで、LPガスの質量販売が堂々と認められるばかりでなく、従来はLPガス事業者でなければ行えなかった 「配管接続作業」 も、ガス取り扱いの資格を持たない素人にもできるようになったという。

 キツネにつままれたような話だ。

 なぜ、そのようなことが可能になったのか?

 実は、平成17年にLPガスをめぐる取り扱いの規制緩和が行なわれ、液化石油ガス保安法が改正されたことによって、このようなクイックカップリングを装着した容器に限り、25リットル未満 (10kgボンベ)の 質量販売が正式に認められるようになったからだ。

 実際に調べてみると、平成17年1月に公表 (4月に施行) された政令では、
 「質量販売に係わる規則緩和要望にともない、現行規定に加え、カップリング付きの安全器具等を設置した場合には、25L以下の容器まで事業者が配管等に容器を接続する義務を免除し、質量販売範囲を拡大する」 ことが謳われている。

 このような規制緩和は、LPガスの需要拡大と消費者にとっての利便性の拡大を狙ったのものだが、それに踏み切るには、消費者が容器を脱着するときのガス漏洩を未然に防ぐ対策が講じられねばならなかった。従来の 「ねじ込み式」 のバルブでは、これを完全に防ぎきれなかったのである。
 しかし、今回開発された 「カップリング式」 バルブでは、ガス漏れ遮断機構や耐震遮断機能が設定されたことによって 「格段に安全性が高いものになった」 という。

 ということで、行く手に何の不安もないような 「GASワンタッチ」 だが、実は、普及するにはまだ超えなければならないハードルがいくつか残っている。

 その一つは、この製品に対応する充填所の方の整備が進んでいないというもの。

 このカップリング式容器バルブにLPガスを充填するには、充填所の方でもそれに対応したアダプターが必要となる。
 ところが、そういうアダプターを用意した充填所というのが、日本全国にまだ40ヵ所ほどしか整備されていない。

 中国工業さんは、現在これを全国展開するために広報・宣伝努力を続けているところだが、どこのLPガス充填所でも対応できるようになるには、まだ少し時間がかかるという。
 「ユーザーの要望が多くなってくれば、LPガス会社さんの方も対応の必要性を認識するでしょうけれど、現状では、商品そのものがまだお客様に浸透していない」
 営業推進に携わるスタッフはそういう。

 もうひとつの問題は、このカップリング式容器バルブを入手しても、ユーザーが勝手にボンベに装着できないということ。

 機器自体はネットからも購入できるが、その取り付けはまた別。これだけは、さすがにガス取り扱い専門業者の仕事となる。
 しかし、その場合、自社で売った容器とは違うものを持ち込まれた業者さんが取り付けに難渋を示すことも容易に想像できる。

 キャンピングカーユーザーの場合は、購入時にボンベを取り付けてくれた販売店スタッフと相談するのも手かもしれない。


 取材の途中、LPガスユーザーをさらに喜ばせるような話も出た。
 それは、今のスチール製ボンベの3分の1程度の重量であるFRP製ボンベを製品化するというもの。

 FRP製容器の場合、軽量化も大きなポイントだが、外側から液面を確認できるため、残量確認が容易になるというメリットが加わる。
 日本ではまだ法制化されていないので、製品そのものが市場に出回るのは先の話となるが、海外では200万本出ているという実績もあり、安全面での問題はクリアされているらしい。
 こちらの実用化も早く望まれる。

 『GASワンタッチ』 などの商品情報を詳しく知りたい方は、下記までどうぞ。

 http://store.shopping.yahoo.co.jp/plus-s/type542.html

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:17 | コメント(4)| トラックバック(1)

RVて何のこと?

 RV世界会議で、日本側代表者がスピーチするための原案づくりで、ときどきRV協会さんからご相談をいただく。

 原案そのものは、今年出される 「キャンピングカー白書2008」 の内容に沿ったものだが、日本人の報道陣には通用する概念が、外国の記者たちに通じるかどうかは分からない。

 基調報告に使うプレゼンテーション原稿も、まず言葉の吟味から始まる。

 たとえば、我々が何気なく使っている 「テントキャンプ」 あるいは 「テントキャンパー」 という言葉。

 これがそのまま海外の記者に通じるのかどうか。
 そう尋ねられて、あちこちに電話をかけて調べてみた。

 すると、どうやら 「テントキャンプ」 という言葉自体が、…和製英語というよりも…外国人にはなじみの薄い言葉らしい。

 イギリスでもアメリカでも、キャンプをする人たちのことは、おしなべて「キャンパー」 という。
 この中にはテントキャンパーだけでなく、キャンピングカーを使う人たちまで含まれる。
 もし、キャンピングカーユーザーだけをテントキャンパーと区別したいときは、欧米では別の言葉が必要となる。

 ただし、「欧」 と 「米」 では異なるからややこしい。

 キャンピングカーを使ってキャンプを楽しむ人は、
 ヨーロッパでは 「キャラバナー」
 アメリカでは 「アールヴィヤー」
 となる。

 そもそも、「キャンピングカー」 を表現する言葉自体が、ヨーロッパとアメリカでは違う。
 ヨーロッパでは、トレーラーを 「キャラバン」 。自走式キャンピングカーを 「モーターキャラバン」 と分けて表現する。

 トレーラーの方が先に発達したヨーロッパでは、その後に登場したエンジン付きの自走式キャンピングカーは、かなり特殊なものと見られた。
 「キャラバン」 と 「モーターキャラバン」 の使い分けには、自走式が登場した当時のヨーロッパ人たちの “驚き” が表現されている (ような気がする) 。

 アメリカでは、一般的なキャンピングカーを指す言葉として 「RV (レクリエーショナル・ビークル) 」 が使われている。

 この 「RV」 という言葉自体が、アメリカと日本では大きく異なるから面倒くさい。
 日本で 「RV」 というと、乗用車メーカーがつくるSUV、ミニバンなどの総称となる。
 ところが、アメリカで 「RV」 といえば、それは純然たるキャンピングカーのことを指す。
 このへんを念頭に入れてアメリカ人と話さないと、両者ともに混乱する。

 で、彼らのいう 「RV」 の中で、トレーラーと自走式を区別する場合は、トレーラーはそのまま 「トレーラー」 と表現するが、自走式キャンピングカーは 「モーターホーム」 という。

 ただし、このモーターホームという言葉は、トイレ・シャワーなどの生活機能をしっかり持ったキャンピングカーのことを指し、簡易的な装備を持ったバンの改造車である 「バンコンバージョン」 とは区別される。
 アメリカで 「バンコンバージョン」 といえば、お洒落な装飾をたっぷり盛った遊び車のラグジュアリーバンのことを指す。

 そうなると、ハイエースをベース車に使ったような日本の一般的なバンコンは何と表現すればいいのか?

 海外にはないカテゴリーだという。

 アメリカでは、トイレ、シャワー、キッチンなどの生活機能を持たなければ 「モーターホーム」 のカテゴリーには入らない。
 ところが、日本のバンコンではむしろトイレ・シャワー機能を極限まで縮小し、ほとんど 「ない」 と言い切れるものが主流。
 かといって、ラグジュアリーバンとはキャラクターが異なるので、アメリカ人が抱いている 「バンコン」 のイメージとは違う。

 日本独自の発達を遂げた日本のバンコンを、海外の人に上手に説明するのは、なかなか難しい作業でもあるようだ。

ミラノスタイル外装
▲ 日本独自の進化を遂げた日本型バンコン

 では、日本でいうキャブコンは、アメリカの 「クラスC」 に相当するのか?

 キャブ付きシャシーの上に居住部分を架装し、バンクと呼ばれるひさしを前に張り出すキャブコンのスタイルは、まさに米国のクラスCと同じ。

 しかし、厳密にいうと、これもクラスCとは別物だ。

 というのは、アメリカには 「RV法」 というしっかりした法律があって、配管、配線のたぐいから素材や工法に至るまで、こと細かな約束事が厳密に項目化されている。
 「クラスC」 というカテゴリーも、法律でこと細かく定義されており、その条件を満たさない限り、「クラスC」 という呼称は使えない。

 日本ではそういう法律があるわけではないので、「キャブコン」 という統一呼称が使われても、設計や工法はビルダー各自の研究と判断に任されている。

 もし、そういうことをアメリカのRV関係者たちが知ったら、
 「そりゃまた、ずいぶんいい加減だね!」
 と感じるたぐいの話になる…という話もある。

 しかし、それも考え方の差であって、日本型キャブコンは海外のモーターホームと異なる設計の自由度を獲得しているともいえる。
 後は、安全基準に関すること細かな規格を整備していけばいいだけの話だ。

 同じように 「バスコン」 という概念も海外にはない。
 バスコンというカテゴリーのキャンピングカーは、確かにアメリカにもあることはあるが、それは観光バスぐらいの大型バスを使った豪華絢爛たるモーターホームのことで、日本のようなマイクロバスをイメージさせるものではない。
 

 とにかく、日本で流通しているキャンピングカーを紹介するときに、どんな表現を使えば誤解を少なくできるか。
 プレゼン原稿を作成する人たちは、そんなところに頭を悩ませているようだ。


 ちなみに 「キャンピングカー」 という表現は外国語にあるのか。

 キャンピングカーという言葉も、欧米の人は使わない。
 ただし、日本人が 「キャンピングカー」 という言葉を使ったときには、
 「ああ、RVのことだね」
 とか、
 「キャラバンのことよね」
 というふうに理解してもらえるぐらいまでは、浸透してきたらしい。


 日本のキャンピングカーは、日本という風土と文化を反映して、欧米先進国とは別の進化をたどってきた。

 それを海外の人たちに、「進化の可能性」 と感じとってもらえるか、
 それとも 「進化の袋小路」 だと解釈されてしまうか。

 それは、ひとえに日本ビルダーたちのがんばりと、そのがんばりを表現するプレゼン能力にかかっている。

 世界に羽ばたく日本のキャンピングカーを夢見たいのは、私だけはないだろう。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:23 | コメント(2)| トラックバック(0)

終電の地獄絵図

 電車通勤していると、終電車近くなんぞは、「地獄絵」 状態になることがある。

ラッシュ風景

 特に週末。
 深夜1時ぐらいの新宿駅のホームなんて、もう人の大盛りテンコ盛り。
 電車が猛スピードで入ってきても、線路まぎわにいた人々には、それをかわすスペースすら残されていない。

 線路に落ちることなく、かろうじてホームに踏みとどまった人たちにも、次の試練が待ち受けている。
 電車のドアが開くと、古代ローマの闘技場で、罪人を食わせるために腹ペコにさせられた猛獣たちのような勢いで人が降りてくる。

 その突撃をかわし、なんとか車内に身を収めた人たちは、今度は、ラグビーのフォワードのように突進してくる乗り遅れた人たちの猛タックルをしのがなければならない。

 これが凄いんだ。
 すでに、すし詰め状態になっている車内めがけて、
 「おぅっす!」
 なんて、重心を落として体当たりしてくるんだから。
 サンドバッグにされた人たちは、たまったもんじゃないだろう。

 このように必死に体をねじ込んでくる人たちを見ると、この電車が 「人類に残された最後の救助船」 のように思えてくる。

 で、なんとか電車がホームを滑り出す。
 カバンを持つ右手は、2人ほど前にいるお姉ちゃんの右の脇腹あたりに固定されたまま。左手は、ネクタイしたお父さんのネクタイピンに触れたまま。
 身動きがとれない。

 唇を突き出せばキスできるぐらいの距離に、見ず知らずの他人の顔があっても、お互いに顔を背けることができない。
 SuicaのCMに出てくるペンギンみたいな顔した男の子が前にいても、笑うわけにもいかない。

 このペンギン兄ちゃん。
 どうやら大量に飲酒したらしく、顔を突き合わせたときから強烈な酒の匂い。

 嫌な予感。
 深酒して電車に乗った場合、電車の揺れによって突然胃に残ったアルコールが暴れ出すことがある。

 案の上だ。
 ペンギンお兄ちゃん何度も生ツバを呑み込んでいる。
 こみ上げてくる何物かを、必死に胃の中に押し戻そうとしているようなのだ。
 眉間には苦悶のシワが刻まれ、その間から脂汗がしたたり落ちている。

 オエ…オエ…

 冗談じゃないぜ。
 もしかして、オレが顔で受けなければならないわけ?

 この距離だ。
 顔を横にひねれば、目と鼻にかかることは防げるかもしれない。でも右側の頬と耳は直撃だ。

 ペンギン兄ちゃん、必死に耐えている。
 途中までこみ上げてきたものを、なんとか胃の底に押し戻したようだ。

 兄ちゃん頑張ってよ、次の駅までは我慢してな。
 思わず、彼の額に浮かぶ脂汗を拭き取ってやりたくなるが、もとよりこちらは手足が動くような状態ではない。

 こういう時に限って、次の駅までの距離が遠い。
 しかも、ドタンと急停止。

 「お急ぎのところご迷惑をおかけしますが、この列車は、ただいま緊急停止の信号を受け取りました。原因を調べ、信号確認が取れましてからの発車となります。どなたさまも今しばらくお待ちください」

 ウッソだろぉ~!
 こうなると、兄ちゃんの意志力だけにすべてがかかってくる。

 オエ…オエ…がまた始まった。

 それにつられて、こっちの胃も連鎖的に反応。
 あたかも、彼の酸っぱい胃液が、寄せ合ったお腹の皮膚を通じて、こちらの胃に移ってきたような感じだ。

 これで、せぇーのっ…で、お互いに顔にかけ合ったりしたら、2人とも周囲の人たちから袋叩きだろうな。

 …などと想像しながら、観念して目をつぶる。

 さいわい、兄ちゃんはさすがに 「もうあかん」 と思ったのか、次の駅でホームに転がり出ていった。
 あっぱれ。
 忍耐の限界を超えながらも、最後まで自制心を失わなかったようだ。

 こんなことは昨日今日に限ったことでない。
 最近、似たような状況によく追い込まれる。
 
 いつも、命からがら降りる駅にたどり着く。
 地獄の季節を過ごしている。



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 12:06 | コメント(2)| トラックバック(0)

女にモテるコツ

 女にモテたいわけね。
 オレがひとつ教えてやろう。
 え、若いけど薄毛だって? そんなの関係ねぇ!

 まぁ、大変だね。
 今の時代はさぁ、男でも女でも 「モテ」 がキーワードだもんね。
 若い娘向け女性誌でもさぁ、「モテメイク」、「モテファッション」 は必ず特集のトップだからな。
 モテれば勝ち組み、モテないと負け組み。
 そういう風潮だよね。

 でもオレ、そういうマスコミが強要する 「モテ」 強迫キャンペーンに、本当は疲れて果てて、どうでもいいや…と思う娘もいっぱいいると思うな。
 でも、今の時代 「モテ」 に乗り遅れると、「廃人」 と同一視されちゃうからな。みんな必死だよ。
 ご苦労様。
 
 まぁ、もちろん、モテるにこしたことはないって。
 男だって、どうしたら 「モテ」 状態になれるか、そっちの方が、勉強ができたり会社で上司に認められることなんかより、よっぽど切実だったりする時があるもんなぁ。

 だけど、言っとくけど、「モテ」 って、モノからは生まれないって。

 昔、「金さえあれば女の愛も買える」 って豪語した若い社長さんもいたけれど、それは、金で買える愛しか知らない人の話であってね、その人は、いわゆる 「モテ」 から最も遠いところにいたんだね。
 専用自家用ジェット機で、セレブしか来れないリゾートホテルに女を連れて行ったって、世の中には、そんなことなーんにも面白くないって思う女だっていっぱいいるんだしさ。

 女にモテる条件として、金で買えるモノしか思い浮かばない男は、「モテ」 とはやっぱり遠いところにいるしかないさ。
 
 女にモテるってのは、カッコつけじゃないんだぜ。
 ワイシャツの下に下着を着ない方がセクシーに思われるとかさ、そんなことをくどくど説いていたオヤジがいたけれど、何考えてんだか…って感じよ。

 昔から、女にモテる秘訣はひとつしかないんだ。
 女の話を最後まで聞いてやることさ。
 ハリウッドのモテ男の代表選手であるリチャード・ギア先生も、そう言っている。

シャルウィダンス1
 ▲ ハリウッドのモテオヤジを代表するギア先生

 ただ、何でも聞いてやればいいってわけじゃないんだぜ。
 相手がしゃべりたいことをうまくつかむ要領が必要なんだ。
 つまり、相手に心地よくしゃべせるように仕向けるわけだね。

 しゃべっている人間にとって何が心地いいのか。
 そのひとつは、グチを聞いてもらうことさ。
 これは古今東西共通しているな。
 
 グチを聞いてやるって、けっこう大変だよ、これは…。
 でも、まぁその点は人類共通のパターンってものがあるから、そいつを見つければ、そんなに心配することはない。
 
 グチの大半は人間関係だ。
 特に、「自分が余計モノになってしまった」 という寂しさからくるグチが多いな。

 自分は善意で言い出したことなのに…相手にうるさがられた。
 そういうのって、けっこうあるだろ?

 相手のことを思って一言アドバイスしただけなのに、
 「私たち夫婦には、今の時代にあった新しい育児教育が必要なんです!」
 なんて、ビシっと返されたりすると、誰でもめげるよな。
 もし女が、そんなことでめげているようだったら、そこをつかまえて、一気に全面突破だ。

 「今の時代こそ、あなたの知恵が必要なんですよ。知恵はテレビからは授かれない。
 生きた人間の知恵が必要なんです。
 日本の文化が衰弱してきたのも、そういうあなた方が若い頃から培ってきた人間としての知恵をないがしろにしてきたからなんですよ」
 
 まぁ、そう言って相手の自尊心を少しずつ取り戻させてやることだな。

 あと、歌を一緒に唄うなんてのもいいよ。
 女にモテようと思ったら、歌は大事だ。

 「サンフランシスコのチャイナタウン」 とか 「野崎小唄」 なんてのもいいけれど、無難なのは小学唱歌だな。
 「…うさぎ追いしあの山…」 とかね。
 「…秋の夕日に照る山もみじ…」 とかね。
 そういう歌を知っているってだけで、あんたの株も一気に上がろうというもんだ。

 「空襲のとき、どうやってしのいでいましたか?」
 なんて、聞いてやるのもいいよ。
 「終戦になって玉音放送を聞いたときは、どんな気分でしたか?」 
 …なんてね。

 え?
 女にモテる話だよ。
 勘違いしてるって?
 別に 「若い女」 なんて、オレひと言もいってないぜ。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 20:49 | コメント(6)| トラックバック(0)

広報誌のテーマ

 日本RV協会 (JRVA) さんが発行する広報誌 『くるま旅』 の編集を手伝わせてもらうようになって4年になる。
 来年は5号目が出る。
 今日、その5号目の内容をどうするかというプレゼンテーションを行ってきた。

くるま旅2号表紙 くるま旅3号表紙

 協会の広報部長さんと相談して、この9月に開かれる 「RV世界会議」 をテーマに採り上げることだけは決まっていた。

 この会議の話は、ネタとしては大きい。
 なにしろ、キャンピングカー先進地帯といわれるアメリカとヨーロッパでさえ、その両エリアの代表がキャンピングカーをテーマに国際会議を持つことなど、今まで一度もなかったのだ。
 その会議の場に、日本のRV事業者たちも招かれたわけだから、それだけでも話題性は十分ある。

 だけど、会議でどんな話し合いが行われたか…というレポートを広報誌に載せたところで、日本の読者には面白くない。
 たとえ、諸外国のキャンピングカー事情を生々しく浮き彫りにしたとしても、 「それって、日本とは違う国の話じゃん」
 と一言いわれてしまえば、終わりとなる。

 テーマが 「RV世界会議」 であったとしても、その切り口をどうするか。
 一晩考え込んでしまった。

 「RV世界会議」 そのものは、やはりメーカー同士の情報交換がメインとなる。
 グローバル経済が進展していくなかで、RV業界がそれに歩調を合わせるためにはどう市場をコントロールしていけばいいのか。そういうことが議題の中心となるだろう。

 当然、参加した国々の規制や税制の違い、市場動向の特徴などが参加国首脳陣の大きな関心事になる。
 会議で各代表が発表する基調報告では、そういうデータを事前にまとめておくというようにという指示があったそうだから、いってしまえば商品流通をスムースにさせるための会議なのだろう。

 また、彼らには、国家間を超えたところでパーツの共通化、合理化できる部分をさぐり合い、生産効率を高めようという意図もあるだろう。
 すでにEU諸国のRVメーカーはそのようなグローバル化を進めてきているが、いよいよそれが、大西洋を超えたアメリカとヨーロッパの間でも始まり、さらに日本、中国、オーストラリアというアジア・パシフィック圏内まで巻き込んだ形で進められようとしているのだと思う。

 また、世界的な原油高騰への対応や、地球規模の議題となっているFRPなどの廃棄処分の問題も大きな関心事になっているはず。
 マーケットがグローバル化すると同時に、そのような解決課題もグローバル化してきているわけだから、各国のRV業界も、お互いに連携することの大切さに気づいてきたのだろうと思う。

 だけど、そのような会議の背景を解説することは、広報誌の使命とは違う。

 広報誌というのは、発行元のメッセージを読者に理解してもらうためのものであり、発行元の “姿勢” に共感してもらうためのものである。
 そのためには、まず何よりも読者が身近に感じられるテーマが掲げられていなければならない。

 結局、「世界会議」 を扱いながらも、それを日本のキャンピングカーユーザーたちの問題に置き換えなければならないだろうな…と考えた。

 世界のキャンピングカーユーザーたちと、日本のユーザーたちはどう違うのか?
 泊まるところや遊び方では、どういう違いがあるのか?

 そういう違いを明らかにして、日本人のキャンピングカーライフを豊かなものにするというツボは外せない。

 世界会議では各国のマーケットを報告しあうわけだから、当然消費者たちの実態も明らかになるだろう。
 そのデータを利用して、日本と諸外国のキャンピングカーライフの比較はできないものか。

 もちろん、今までもキャンピングカー先進国である欧米ユーザーのRVライフを紹介した記事がマスコミで採り上げられたことはたくさんあった。
 しかし、それらの報道は、基本的に 「うらやましい~」 基調であった。

 たとえば、
 ・海外のユーザーは長期休暇が取れる。
 ・RVパークのような、キャンピングカー専用宿泊施設が整っている。
 ・ヨーロッパなどでは、自分のキャンピングカーに乗ったまま国を超えた観光旅行ができる…等々。

 しかし、欧米の使用環境ばかりうらやましがっても、日本で暮らすキャンピングカーユーザーは別に面白くもない。
 そこで、次号の広報誌では、「日本のキャンピングカーライフには、日本ならではの楽しさも面白さもある」 という視点を打ち出したいと思った。

 幸い、個人的に良い体験をした。
 この6月に行なった、レンタルモーターホームによるアメリカのRVパーク巡りである。

 アメリカのRVパークは、確かにグランドキャニオンやモニュメントバレーのような観光地の周辺にしっかりと整備されていて、キャンピングカーで観光するにはとても便利である。

 しかし、逆にいうと、その場所の観光しかできない。
 融通が利かない。

 それに比べると、日本のキャンプ場というのは、日本の狭い国土を反映して、湖や山や川がギュっと詰まったような場所に設けられている。つまり一ヵ所のキャンプ場でもいろいろな遊びができるわけだ。

 仮に、そこのキャンプ場で遊べるものがひとつだけでも、少し足を伸ばせば、すぐ川遊び、登山、釣り…なんでもできる。

 日本のキャンピングカーユーザーがキャンプ場に行かない理由のひとつとして掲げるもののうち、
 「日本のキャンプ場はアクセスの悪い場所に設けられていることが多く、宿泊場所としては効率が悪い。だから日本一周を目指すような旅には向かない」
 というものがある。

 こういう考え方は、何もない荒野を400~500km走らないと次の町にたどり着けないアメリカを走ってみて分かったことだが、贅沢すぎる考え方だ。

 向こうに行ってみて感じたことは、日本のユーザーはすごく恵まれた使用環境のなかでキャンピングカーを使っているということだった。

 ・日本には、自然環境の豊かなキャンプ場が豊富だ (山、川、海、湖が近い) 。
 ・自然の中でくつろぎながらも、少し走ればどこにでもスーパー、コンビニ、ファミレスがある。
 ・世界でもまれにみる温泉大国である。

 こんなに環境的に恵まれた国は、そう簡単にあるものではない。
 そういうことは、逆に海外の情報を得ることによって、はじめて理解できる。
 だから、今回の 「RV世界会議」 で得られた情報は、そういうことを比較するための材料として使おうと思っている。

 問題は、これだけ恵まれているにもかかわらず、日本人のユーザーはそれをあまり自覚していないことだ。
 むしろ、「不満だ」 と口にする人たちの方が多い。

 何が不満なのだろう。

 これは誤解を生むような表現になるから、慎重に言わねばならないことかもしれないが、日本のユーザーは 「モノに頼りすぎる」 …と思う。

 暑い? ならエアコンだ。
 エアコンを使うなら発電機、АC電源…という発想に短絡する。

 今回 『キャンピングカー白書2008』 をまとめていると、そういう 「モノ志向」 が強すぎるように感じた。
 たとえば、湯YOUパークのパートナーに望むものとして、真っ先に上がってくるのは 「電源の供給」 だった。

 そういう 「モノ」 で快適さを得ていこうとする思考だけが中心になってくると、それ以上のものの価値が見えなくなってくる。

 例えば、夏の暑さと湿気がつらいからといって、それをエアコンで解決しようという発想しかないと、日陰のキャンプサイトを選んで、そこで網戸を開けて自然の風を車内に入れて、芝生の上に落ちる木漏れ日を楽しもうなどというセンシティブな感受性が乏しくなってくる。

 こういうことに関しては、欧米人ユーザーはやはり優れた感性を持っている。

 向こうのRVパークなどにいくと、立派なモーターホームの持ち主が、当然エアコンも完備しているはずなのに、オーニングを出して、外で風を浴びながら読書をしたりしている。

 これは見習おうと思う。
 現に、私のキャンピングカーにもルーフエアコンは搭載されているし、電源や発電機を使えば、涼風の恩恵に与れる。
 でも、短絡的にそれを実行に移す前に、エアコンを回さずとも過ごせるような涼しい木陰のある場所はどこか、まず探してみる。

 そういうことを考えることは、エコロジーなどという言葉を持ち出す前に、自然の息吹を身体で感じるセンサーを磨くことにつながる。

 海外との比較で、日本の環境の良さを再認識することもできるし、逆に学ばなければいけないこともたくさんある。

 来年のRV協会さんの広報誌には、そんなテーマを盛り込んでいきたいと思っている。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 19:39 | コメント(6)| トラックバック(0)

タレント宣言

【町田】 いつのことになるか分からないけど、もし自分でキャンピングカー関係のエッセイを出すことになったなら、もうタイトルは決まっているのよ。 『無敵のキャンピングカー野郎』 。

【ネコ】 「野郎」 って…誰のこと?
【町田】 オレのことじゃい。
【ネコ】 「無敵」 ってどういう意味?
 
【町田】 敵なしなんだ! つまりライバルはいない! オレを倒すものはいない! キャンピングカージャーナリズム史上最強にして最高のライター!
 そういう意味だな。

 表紙の写真は、顔のどアップでいく。ナベアツの表情でね。
 ヘアスタイルは鼠先輩でいこ思ってる。
 衣裳は日の丸のハチ巻きに、ハッピ姿。
 背景はアメリカの星条旗カラーでペイントされたオレのコマンダー。

【ネコ】 それってキワモノ企画じゃん…。本屋のどこに置いてもらうの。
【町田】 タレント本のコーナーじゃい!

【ネコ】 だってあそこにあるのは、みんなタレントが書いた本だよ。
【町田】 オレもタレントになればいいんじゃ。

【ネコ】 どんなタレントを目指しているわけ?
【町田】 やっぱ剣さんでしょ! クレイジーケンバンドの剣さん。
 オレにとってはサイコーに憧れの人よ。
 だから、表紙の雰囲気もさぁ、Ken Band のジャケ風でね。

t クレイジーケンsoulpunch

ケンバンドジャケ1 ケンバンドジャケ2

【ネコ】 肝心の本の中身だけど…
【町田】 六本木で失敗したナンパの話、池袋のオカマバーの話、飲み屋のママさんの口説き方、愛人のいる男の見分け方とかね。

ケンバンドジャケ5

【ネコ】 どこがキャンピングカーなのよ。
【町田】 そういう第一弾がウケたら、2冊目から…。

【ネコ】 ……あほらし……

剣さんレビュー 「虎と竜」



PS 本日の記事に、福島淳一さんからコメントをいただきました。埼玉県のキャンピングカー販売店 「キャンピングカーステーション東松山 (RVビックフット社) 」 に勤められている方です。
 この人の話はホントに面白いの! このブログでも一度記事にしたことがあります
  ↓
 「ウルルン紀行」

 福島さんご自身の記事も読める 「キャンピングカーステーション」 のブログを、皆様もぜひ。
  http://rvccsblog.shinobi.jp
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 21:07 | コメント(4)| トラックバック(0)

日本型RVの文化

 先だって紹介した藤正巌さんの 『キャンピングカーで悠々セカンドライフ』 という本には、鴨長明の書いた 『方丈記』 の話が出てくる。

キャンピングカーで悠々セカンドライフ表紙

 1208年、鴨長明は世の中の日常生活に疲れて、京都郊外の庵 (いおり) を建てて隠遁生活を始める。
 その庵に閉じこもって、日々浮かびゆく想念を書き綴ったのが、『方丈記』 だ。

 書斎となった庵の寸法は1丈4尺 (約3m四方) 。
 まぁ、タタミ2畳分。

 なんと平均的な国産キャンピングカーの居住面積とほぼ同じ。

 藤正さんの書くところによると、この庵は、住んでいる場所に飽きたときは畳んで車に積んで運ぶこともできたのだという。

 「キャンピングカーの走りだ」
 と、藤正さんは書く。

 日本人は、もともと狭い空間に小宇宙を形づくることがうまい。
 茶室などという発想もそのひとつ。

 信長、秀吉の時代に、千利休が完成させた茶室形式は、主人と客人だけで構成される小宇宙だった。

 そこに入ると、身分的な上下関係も、富の多寡も 「無」 に帰る。
 主人と客は、それぞれ人間の原点に帰って、一服の茶だけを楽しむ。
 そのときに振る舞われる茶碗一杯の茶は、絢爛豪華に食卓を彩るどんなご馳走よりも格が上だった。

 こういう洗練された空間というのは、どうも海外では発展して来なかったらしい。

 日本人のキャンピングカーづくりというのは、こういう庵や茶室の文化を反映したものだ、と言った人がいた。

 たとえば、軽自動車キャンピングカーなどというのは、まさにその庵・茶室文化の極地。
 軽キャンカーでは、あんなに小さい空間の中に、人間の心を解放する途方もない “広さ” が生み出されている。
 それは日本人でなければ演出できないマジックショーでもある。


 日本庭園にも、庵・茶室文化に通じる文化が反映されている。
 そこには、小さいながらも川があり、山があり、滝があり、森や林がある。
 つまり大自然の凝縮版なのだ。

金閣寺

 いわば、日本人が感じた 「大宇宙」 が、日本庭園という狭い空間のなかに息づいている。

 これを、たとえば、ベルサイユ宮殿の庭園などと比較してみれば文化の差が理解できる。
 ベルサイユ宮殿では、建物も、植栽も見事にシンメトリー (左右対称) に配置された幾何学的な庭園が広がっている。
 地平線のかなたまで続くように見える並木は、見事なまでに、高さも枝振りも均一に刈り込まれている。

ベルサイユ宮殿の庭

 それは、自然をねじ伏せて人間にひざまづかせることを覚えたヨーロッパ人たちの 「勝利宣言」 を謳いあげた庭だ。
 しかし、人類の英知や偉大さをその庭園から読みとることはできても、自然の鼓動を聞くことはできない。

 それに対して、日本人は手つかずの 「大自然」 を庭園に再現する。
 そして、その限られたささやかな空間を使って、逆に 「大宇宙の広がり」 を暗示させる。

 ここに、欧米人が日本文化をミステリアスに感じるという、その秘密が隠されている。

 盆栽という日本の植栽芸術がある。
 日本人の多くは、あれを 「お爺さんの趣味」 と軽くあしらう傾向があるが、あの盆栽も、どうやら欧米人が見るとミステリアスに感じられるらしい。

 枝振りも見事に成長した大木が、手で持ち上げられるぐらいの小さなお盆の上で呼吸している。
 遠近感が狂うらしい。

盆栽

 樹木は、いろいろな民族の神話のなかで、よく 「世界」 を象徴するものとして登場する。
 「世界樹」 という言葉があるが、一本の木が世界そのものを意味するものとして、多くの民族の記憶の古層に沈殿している。

 盆栽はその 「世界樹」 なのだ。

世界樹

 海外の人たちは、日本の盆栽を見て、自分たちの記憶の古層に眠っていた 「世界樹」 を思い出す。

 「大宇宙」 を極小の世界に封じ込める日本人。

 そういう日本人の感性は、彼らからすれば、なんとミステリアスで、ファンタジックなことか。

 日本のキャンピングカーには、そういう日本文化の真髄が宿っている。

 この秋、世界のキャンピングカー業者が集まるという 「RV世界会議」 がドイツで開かれる。
 日本のキャンピングカーに息づいている日本の文化を、海外の人に知ってもらうよいチャンスだと思う。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 23:41 | コメント(6)| トラックバック(0)

分かりやすい文章

 文章を書くというのは、いたく気が滅入る作業だ。
 とりかかる前に、気合いがいる。

 ブログのように、自分の身体 (からだ) が保っている “リズム” のままに書く文章は別だが、事務的な報告書に近い文体のものを書くときは、その淡々としたリズムに身体が乗っていくまで、様々な 「儀式」 が必要になる。

 お茶を飲む。
 首を回してみる。
 ネットで、ちょっと気になった用語を検索する。
 耳かきでで、耳掃除をする。
 爪を切る。

 だらだらと無意味な作業を繰り返しつつ、気合いが身体に満ちていくのを待つ。

 かくして、会社に着いてパソコンを開いてから、およそ1時間は何もしない時間が過ぎていく。
 給料泥棒のようなものだ。

デスク1

 文章を書くとき、いちばん大事なことは 「分かりやすい」 ことだと思う。

 プロの物書きが書いた文章を読むと、
 「あ、オレだったらこういう言葉でお茶を濁しちゃうのに、こんな言葉を使ってらぁ…」
 と感心することがある。

 とにかく、難しい内容をやさしく表現する言葉を、彼らはたくさんストックしている。

 漢語を平仮名に代えるというようなことではない。
 今の時代を生きる大半の人々が共通のイメージを抱けるような言葉を探す感性。
 プロはそういう言葉を探し出す感覚に長けている。

 時として、それがあまり耳慣れない難しい漢語であっても、ふと気づくと、すでに新聞や週刊誌に頻繁に出てくる言葉だったりする。
 そういう漢語は、古めかしいように見えても、外来語まんまのカタカナ言葉以上のパワーを秘めている。
 そういう漢語を見つけ出す嗅覚を持つことも、プロには必要なことなのだろう。

 そもそも、漢語は 「場所」 を取らない。
 限られた文字スペースの中で伝えたい言葉をたくさん表現しなければならないときは、漢語に頼るしかない。

 「バラエティ」 を学芸会、「ワイドショー」 を紙芝居、 「コメンテーター」 をお調子者などと言い換えれば、それぞれ2~3文字程度の省スペースが実現できる。
 漢語は、実にエコロジカルな言葉なのだ。

 これと正反対の言葉が、スタグフレーション、イノベーション、バランスシート、ラップアカウントサービス、インセンティブ…とかいった舌を噛みそうなカタカナ言葉。
 こういう言葉だけで原稿を埋めているライターというのは、省資源的な要請からもっとも遠い位置にいる物書きだ。

 同じように、2字ぐらいで収まる漢語を、わざわざ5文字ぐらの平仮名言葉に直してトクトクとしている連中がいる。
 漢語を平仮名言葉に置き換えれば読みやすいと錯覚しているような (官公庁的な) 文章は、逆に古臭くて、何を言いたいのかも分からないことが多い。

 言葉は生きている。

 だから時には流行語も大事。
 特に、ブログのように 「速報性が命」 というような読み物の場合は、「明日には価値が半減する」 というスピード感を出すためにも、流行り言葉の使い捨て感覚を生かした方が生き生きとしてくる。

 結局、「分かりやすい」 ということは、時代の空気を身体が吸っているかどうかということに関わってくる。

 政治家の書く文章や演説が分かりにくいのは、彼らが、時代の空気を身体で吸っていないからだ。

 「昨今の逼迫した経済状況を鑑みるならば、国民的合意が自然発生的に形成されうるという楽観的な観測を唾棄すべきものと肝に銘じ、鋭意、国民の先頭に立って火中の栗を拾うかのごとく勇猛なる熱意を奮い立たせ、断固たる不退転の意志を胸に納め、猪突猛進する獅子のごとく、これに当たらなければならないと深く決意する次第でございます」

 こんな答弁なんか、誰も聞かない。誰も読まないって。

 で、今やっている仕事が、ともすればこの政治家答弁になりそうな文章で記事をまとめる作業なんだけど、こいつを (そういう文体の風格を維持しながら) いかに、分かりやすく、面白く書くか。
 これに頭をひねらせている。

 難しい。
 でも、「気合い」 が入ってくると、めちゃ面白い。

 …って、ここまで書いたら、突然気合いが入ってきた!

 で、このブログ原稿は、ちょっとファイルに保存して、後でコピペでアップ。
 それでは、仕事に復帰します!


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:26 | コメント(4)| トラックバック(0)

初心者向け新刊書

 キャンピングカーをテーマにした初心者向けの新刊書が相次いで刊行されるようになった。
 大手出版社も、「この分野にマーケットあり」 と読むようになったのかもしれない。
 このたび出された本は文藝春秋社から。
 タイトルは 『キャンピングカーで悠々セカンドライフ』 。

キャンピングカーで悠々セカンドライフ表紙

 著者は、『ウェルカム・人口減少社会』 や 『人口減少社会の設計』 (共著) などの執筆者として知られる藤正巌 (ふじまさ・いわお) さん。
 人工心臓、生体の赤外線計測など医用先進技術の研究を続けてこられた方で、通産省、厚生省などの国家的プロジェクトにも参画された科学者だ。
 1937年生まれ。現在71歳。
 キャンピングカーを買われたのは5年ほど前だという。

 藤正さんは、ある日奥さんから 「犬を乗せて寝泊まりするクルマを買いましょう」 と提案されたことをきっかけにキャンピングカーに興味を持つようになる。
 この本は、その藤正さんが、キャンピングカーを買って、使って、感心して、自分流の使い方を編み出していくまでの “体験記” を綴ったものだ。

 目線は徹底的に 「ユーザー目線」。
 著者が購入されたのは5m×2mの標準的国産キャブコン (写真で見るとバンテックのレオ) だが、それでも乗用車しか知らなかった藤正さんから見れば “異色の乗り物” 。

 果たして安全に運転できるのだろうか。
 野外で寝泊まりするのは怖くないだろうか。
 装備類をうまく使いこなせるだろうか。

 そういう購入前の不安や疑問を正直に告白し、実際に使ってみたときの感想を述べるというスタイルは、まさに今キャンピングカーの購入を検討している人が一番欲しがっている情報かもしれない。

 タイトルから分かるように、この著作は、シニアである著者が自分と同じ世代に向けて、キャンピングカーの面白さと効用を伝えようとした本である。
 そういった意味では、06年に山本馬骨さんが出された 『くるま旅くらし心得帖』 と似ているかもしれない。

 どちらも、シニア夫婦が 「くるま旅」 を始める時の入門書として最適であるが、山本馬骨さんの 『くるま旅くらし心得帳』 が1ヶ月から2ヶ月という長期旅行のノウハウを詳しく述べているのに対し、この藤正さんの本は、どちらかという 「日帰り派」 。
 長旅の記録もあるが、基本的には、日帰りあるいは1~2泊程度の短いサイクルにおけるキャンピングカーの使い方が中心となる。

 また、馬骨さんが常に新しい情報と刺激を求めて、未知の観光地にも積極的に繰り出そうとするのに比べ、藤正さんの方は、同じ場所にとどまりながら、四季の変化を楽しもうとする傾向が強い。

 両者の違いは、「旅」 というものの捉え方の違いから来る。
 山本馬骨さん流に言うと、
 「キャンピングカーで旅する目的は出会いにあり、新しい風景や地元の人たちと接して感動を得ること」
 となる。

 一方、藤正さんには、
 「キャンピングカーは日常であり、異次元の空間に行くものではない」
 という思いがある。
 だから、藤正さんは、
 「通る道は何本かの決まった道、行く先はいつもの日帰り温泉」
 というように、「日頃一回りする自宅周辺の散策路といった雰囲気で」 キャンピングカーを使っている。

 なぜなら、藤正さんにとってキャンピングカーは 「自宅の延長」 であり、最も大切なことは、自分と奥さんと犬がいつも快適に過ごせること。
 そうなれば、苦労が待ち受けているかもしれない見知らぬ場所に出向くよりも、気に入った場所で、何の不安もなく快適な時間を過ごすことの方が大事ということになる。

 というわけで、この本の後半には、藤正さんのお気に入りのキャンプ場、お気に入りの温泉、お気に入りのレストラン、お気に入りのドライブコースなどが紹介されている。
 それを読むと、未知の旅先にチャレンジすることも面白いが、気に入った場所を見つけ、そこで快適な時間と空間をしっかり確保することもキャンピングカーの賢い使い方のように思えてくる。

 執筆活動を生活の根幹に置いている藤正さんにとって、キャンピングカーは、そこにパソコンや資料を持ち込んで仕事をする 「書斎」 でもある。
 「キャンピングカーが日常的な空間」 だという意識は、そんなところからも生まれているかもしれない。

 しかし、そういうスタイルを確立するまでには、当然いろいろな試行錯誤があった。
 面白いのは、キャンピングカーが納車されてから、まずは自分の駐車場で車中泊を試みるくだり。
 「ベッドで寝て体が痛くならないのか」 、 「外の物音はどの程度聞こえるのか」 、 「夜間、外からはどう見えるのか」
 わざわざ着替えを持ち込み、奥さんと2人で試されている。

 その初々しさに、ベテランユーザーは思わず微苦笑を浮かべるかもしれないが、未経験の人にとっては、確かに 「気になって仕方がない」 ところだ。

 また、日帰り旅行を繰り返していた理由も、
 「キャンプ場になかなか行かなかったのは、見知らぬ土地で、誰も管理者がいないような場所で夜を明かすことに漠然とした不安を感じていたからだ」
 と正直に述べられている。

 こういう “ウブな目線” が本書の大きな魅力だ。
 この本は、いわばベテランが忘れてしまった事例をたくさん挙げることで、逆に 「キャンピングカーを手に入れた最初の感動」 が何であるかも伝えている。

 初心者向きの入門書としては、今年の2月に出された渡部竜生さんの 『キャンピングカーって、本当にいいもんだよ!』 がある。
 もし合わせて読む機会があれば、キャンピングカーの基礎知識は完璧に得られることになるだろう。

 渡部竜生さんの本は、この道のプロが書かれただけあって、整理も行き届いていて読みやすい。
 初心者が知りたがることをしっかり体系立ててから作られた本なので、キャンピングカーの本質がチャートのように簡潔明瞭に浮かび上がってくる。プロのライターの手際よさが光る本だ。

 それに比べると、この藤正さんの本は、体系性に欠けるかもしれない。
 しかし、そこが 「味」 となっている。
 つまり、エッセイのような味わいが漂う。

 藤正さんは、少子高齢化社会の到来をむしろ 「チャンス!」 と捉える主張の持ち主。

 「少子高齢化が、医療体制や年金制度を危うくするというのは、大量生産・大量消費を前提とした既得権者たちのロジックで、本質を見ていない。
 だから、少子高齢化をネガティブに捉えるのではなく、むしろ居住空間や余暇などの質的充実を図る良いチャンスだと考えないといけない」

 そういう著者の思想は、この本の中でもところどころに顔を出す。

 「日本は世界で最初に超高齢化国家になることは間違いない。しかも世界一の長寿国でもある。
 定年を65歳で迎えたとしても、あと20年の余命が残る。大半の人はその半分の75歳までは元気で、ほとんど病気すらしない。
 だから私は、本当の自由とは、中高年になってから手に入ると考えるようになった。キャンピングカーを使うのは、その一つの手段である」

 この本の終わりは、そういう言葉で締められている。

 2008年7月10日初版発行 文藝春秋社 刊 1,500円


関連記事 オススメ本!
(山本馬骨 著 『くるま旅くらし心得帳』 )


関連記事 キャンカー入門書
(渡部竜生 著 『キャンピングカーって、本当にいいもんだよ!』 )



音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 19:08 | コメント(4)| トラックバック(0)

ジョン・レノン節

 ここのところ、またビートルズにハマっている。
 ホコリを被っていたギターを持ち出して、「ビートルズ・コンプリート」 の楽譜集を頼りに、久しぶりに彼らのヒットチューンを弾き始めている。

 突然のビートルズぐるいに、うちのカミさんは何が起こったのか分からず、ポカンと口を開けたまま状態。
 「たまの休みなんだから、家に閉じこもってギターなんか弾いていないで、お日様の当たるベランダに出て、溜まっている洗濯物でも乾したらどうなの」
 と、言いたいのだろうけれど、まぁ、「台所の洗い物は終えたようだから許してやっか」 とばかりに、耳に耳栓を当てて、じっと耐えている。

 ビートルズに再び凝り出した理由は、『レコードコレクターズ』 7月号のビートルズ特集を読んで、「初期ビートルズ楽曲50選」 を担当したライターたちの書いたレビューに刺激されたからだ。

 とにかく、秀逸なレビューが並んでいたのだ。
 彼らの書いていた楽曲分析を、自分もまた、原曲に触れることで再確認したくなった。

 で、音符……はうまくたどる訓練ができていないので、コード進行だけを見ながら曲の流れを追う。
 しかし、耳なじんだ歌ばかりなので、どこでコーラスが入り、どこで 「イェイェ!」 が入るかもよく分かっている。

 すごいよ! やっぱり。
 せいぜい4トラックが関の山という当時のレコーディング技術で、よくもこれだけ複雑なハーモニーをあっさりとやってのけたものだ、と思う。
 コンポーザーとしてのビートルズの創造性というものに関しては、すでにあまたの評論が出ている。
 だけど、コーラスグループとしての力も相当なものではないんかい?

 今回いろいろ弾いて、歌って、あらためてボーカルグループとしてのうまさに舌を巻いた。

 リードボーカルを主にとっているのはジョンとポールだけど、好みでいうと、ジョンのあの蓄膿症気味に鼻に抜ける歌い方が好き。
 切なさが、甘い吐息となってマイクの前にポロリとこぼれ出る 「ジョン節」 を聞くと、背筋がゾクゾクと刺激される。

 いま鋭意力を入れている練習曲は、ジョン・レノンの作った 「ユー・キャント・ドゥ・ザット」 。
 ブルースコードを使って黒人ブルースのエモーションを再現しながら、白人ロックのテンションをうまく創り上げた曲だ。

 何度も何度も聞いた曲なのに、いつ聞いても新鮮。
 キャッチ-なミディアムテンポに乗って、ジョン・レノンが声の半分を鼻から出して、ライブハウスの壁を揺るがすような咆哮をまき散らす。
 粘るようにタメの効いたリズムギター。
 グイグイとドライブしていくベース。
 小気味よく決まるカウベル。
 
 聞いていると、気づかないうちにいつも腰が小刻みに揺れている。
 この感覚を何と表現すればいいのか。

 専門用語でいうと 「グルーブ感」 、あるいは 「ドライブ感」 。
 (オレ的にいうと、 「シャキシャキ感」 。) 
 
 ビートルズの音楽的な先進性とか、時代に与えた意味などを音楽理論や社会学の見地から述べた評論もたくさんある。
 しかし、そういう抽象論を語る前に、
 「ロックは生理的な快感である」
 ということを、この曲は見事に伝えている。

 歌詞の歯切れのよさも格別。

 I got something to say that maight cause you pain
 If I catch you talking to that boy agein …

 もう最初のフレーズから、よく切れる庖丁でさくさく大根を切り刻んでいくような爽快感がある。
 「イハキャッチュー、トーキントゥ、ボハッゲン」
 この歌詞のホップ、ステップ、ジャンプの華麗さ。
 ポップスはリズムで決まるということが、よく分かる。

ビートルズ演奏風景1
 ▲ 「愛と平和」の “伝道師” になる以前のジョン・レノンが好きだ

 この曲が生まれた頃、「リバプールサウンズ」 と称されたイギリス系のバンドが様々なヒット曲を出していた。
 いろいろなグループがいろいろな曲を作っていたけど、今となれば、自分がギターを持ち出して歌ってみたいと思わせるような曲はひとつもない。
 
 夕べは、一人でギターを弾いているのに飽き足らず、ついにカラオケハウスにまで出向いた。
 別のところで飲んでいた仲間とメールで連絡を取り合い、一緒に歌を歌うことになったのだけれど、彼らが来るまで、「ユー・キャント・ドゥ・ザット」 ばかり一人で練習した。

 自己陶酔の世界。
 でも、その曲が作られてから40年以上経った今も、音楽風土も違う異国のオヤジに、いまだに 「自己陶酔」 の世界を与えるジョン・レノンのボーカルって、やっぱりすごい。

 ちなみに、ジョンの熱唱する 「You can't do that」 (↓) を貼ってみました。ご参考までにどうぞ。

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音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 15:39 | コメント(6)| トラックバック(0)

昼下がりのカフェ

 オープンカフェが好きだ。

 歩道の上にさりげなく椅子・テーブルを出しているようなカフェを見ると、つい寄りたくなってしまう。
 特に、テーブルの上に、昼下がりの木漏れ日がちらちらと影を落としていたりすると、どんなに道を急いでいても、ちょいと一服したくなる。

 そういう場所で、コーヒーを飲みながら、人やクルマの往来をとりとめもなく眺めているのが好きだ。
 目の前に広がる景色がビルと広告塔であっても、アウトドアを楽しんでいる気分になる。

オープンカフェのテーブル

 読書するにも、いい環境だ。
 本と、ほどよい 「距離」 の取り方ができる。

 気にならない程度の騒音。
 うつろいゆく陽の光りの戯れ。

 そういった微かなノイズが、本から目を離して、その内容をじっくり考えてみようという気分を誘い出す。

 でも、そういうときの 「考え」 は、たいてい道行くお姉さんのパンツが張り裂けそうなお尻に目が釘付けになったりしているうちに、空気のなかに霧散していく。

 ふと気づくと、頭の中はまっしろ。
 テーブルの上に、葉陰がゆらゆら揺れているだけ。

 気を取り直して、また本を開く。

木漏れ日1

 そんな午後が好きだ。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:46 | コメント(0)| トラックバック(0)

グルメ番組は嫌い

 グルメ番組が嫌いだ。
 
 こだわりの素材、天才シェフ、凝った味づけ。
 そんなものをヘロヘロッと並べれば、ハイ番組いっちょうできあがり…っていう安易さが許せない。

 どの局のどの番組も、
 「外側がカリッとしていて、中がすっごくジューシィー!」
 …なんて目をシロクロさせるタレントの顔をアップして、
 「口に含んだときの、まったり感がいいですねぇ。シアワセ~」
という必勝パターンで逃げ切ろうとする。

 おい!
 それでいいのかよぉ!
 ちょいと、プロデューサーさん。

 そもそも、食料不足の危機、食材の高騰、食の安全管理への意識低下など、今ほど 「食」 にまつわる問題が噴出してきた時代はないというのに、食べることに 「シアワセ」 を見出すというのは時代錯誤じゃないのかい?

 飽食にまみれて笑いさざめく人がいる一方、餓死すれすれの境地をさまよっている人間が急増しているというのが現実なのに、それにフタをして、
 「おお、名人の方はヒマラヤの岩塩で塩もみしたイベリコ豚に、ついに火を通しましたぁ」
 とかさ。
 お前ら、いい加減にせぇよぉ!

 ……ということを、特に言いたいわけでもないのである。

 早い話、
 「うまいもの見せられたって、オレが食えない!」

 それだけの話なんだけどね。

 「糖尿病から抜け出さないと、足を切っちゃうよ」 と医者に脅かされ、「食」 への欲望を断って、はや3ヶ月。
 メシ食った直後からもう空腹状態。

 吉野屋で牛丼頼むときだって、
 「ご飯は半分ね、どうせ残しちゃうからもったいないんで…」 って 「軽めライスの並み盛り」 を頼んで、出された少な目のご飯を、さらに残して必死の減量。
 目の前にある紅生姜だって、そいつをご飯にかけると食が進むからあきらめる。

 それでも昨日の検査で、まだ血糖値は120から下がらず、24時間中22時間ひもじいいオレの前で、
 「口に含むとジューシィーでまったり!」
 はないだろ!
 バカヤロ。

 ただ、さすがに身体だけは、みるみる痩せ細ってきた。
 街を歩いて、たまに自分の顔がガラス窓などに写ったりすると、干物 (ひもの) が写っていてギョッとする。

 もともと色が黒い体質だが、それでもまだ “ふくよか” だったから、かろうじて生き物に見えていたけれど、今なんか、人間の干物 (別名ミイラ) だもんね。

 だけど、不思議なことに、他人にはそう見えないらしいから腹が立つ。
 カミさんなんかは、
 「あんたむしろ太ったわね。ご飯どき以外にも、こっそり何か食べてんじゃないの?」
 …だって。
 どこ見てんだよ、豆ダヌキ。

 ここのところ、久しぶりに会った人で、
 「町田さん、痩せましたね」
 なんて言ってくれた人は、20人のうちたった1人だった。
 アホらしくて、ダイエットしてます、なんていうのも嫌になっちゃった。

豚汁定食1
 ▲ 大盛りご飯で、豚汁と焼き鳥を食った幸せな時代は過去のもの。

 そんなわけで、テレビのグルメ番組に八つ当たりしているわけだけど、そもそもアレって、けっきょく見ている人間は絶対に食べられないわけでしょ?
 もちろん匂いも楽しめない。
 ただの映像だけ。
 金網の外からお客にバナナを見せびらかされて、必死に手を伸ばしている動物園のチンパンジーみたいなものだ。

 それをありがたがって見てるってのは、なんか変じゃない? 
 オレから言わせれば、マゾヒズムの極地。

 「食欲」 ってのは、人間の本能的な欲望…なんてよくいわれるけれど、違うね。
 「食欲」 と 「うまいものを食いたい」 って欲望は根本的に別。

 「うまいものを食いたい」 っていう欲望は、たぶんに人為的で、非自然的で、文明的なものだ。
 つまりは “幻の欲望” だから、情報を重ねていくだけでもどんどん肥大する。

 グルメ番組に出てくる 「うまいもの」 は、視聴者には食べられないからこそ、「幻のうまさ」 が2倍にも3倍にも膨張する。
 番組に出てくるシェフや、紹介されたレストランや、食材を提供した業者だけがウハウハ。

 …ったく、食後すぐに空腹が訪れるオレなんかには、やりきれねぇよ。

 マスコミに登場する 「うまいもの」 というのは、裏付けのない評価であっても、紹介すること自体が価値 (ブランド) を生む。
 食べた人が1人もいなくても、「老舗の誇る名品」 は誕生する。
 ウナギや牛肉のニセブランドが成り立つというのも、こういうからくりがあったればこそだ。

 オレはいま思うよ。
 「うまいものを食いたい」 というのは飽食にまみれた人間の発想だ。
 人々がこういう発想を持ち続ける限り、「2050年に世界のCO2を半減する」 なんて謳ったサミットの宣言なんか、実現しっこないって。

 オレなんか、いま何食ってもうまい。
 空腹こそ、グルメを堪能する最高の条件だ。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:47 | コメント(12)| トラックバック(0)

08キャンプ白書

 社団法人日本オート・キャンプ協会さんが毎年発行している 『オートキャンプ白書』 の2008年版が発表された。
 
 それによると、オートキャンプブームの絶頂期だった96年には、全国で1500万人を数えたオートキャンプ人口はその後9年連続して減少し、06年度ではちょっと上向いたものの、昨年は再び落ち込んで、今は720万人だという。

 しかし、オートキャンプ人口の減少が、そのままオートキャンプの衰退を意味しているかというと、必ずしもそうではないようだ。

 キャンプ活動の 「盛況・低迷」 を推し量る目安の一つに、「キャンプ回数」 と 「延べ泊数」 というものがある。
 キャンプ回数というのは、「1年間に何回キャンプを行ったか」 を示す数値で、延べ泊数とは、「1年間に何泊したか」 を示す数値である。

 その二つの指標を見てみると、06年度調査では 「3.9回」 だったキャンプ回数は、07年調査では 「4.0回」  に上昇。06年では 「5.6泊」 だった延べ箔数も、07年には 「6.0泊」 に上がり、いずれにおいても、前回調査を上回った。

 このデータを裏付けるように、キャンプ場側からみても、06年度より07年度の方が 「利用者が増えた」 と答えたキャンプ場は29.0パーセントで、「減った」 と答えたキャンプ場の25.7パーセントを上回った。
 「増えた」 という回答が 「減った」 を上回ったのは、過去10年の調査でははじめてだという。

 また、キャンプ用品の売り上げも、最も冷え込んだ03年 (351億円) から、その後は徐々に盛り返し、07年度では432億円という、ここ5年間では最高の売り上げを示した。

 協会では、このような傾向を観察して 「ブームの後の充実期」 と捉えている。
 一過性のブームが去って、今やオートキャンプは、本格的なファンに支えられた充実期を迎えているという認識のようである。

 面白いのは、先ほどのキャンプ回数と延べ泊数のところで、キャンピングカーユーザーだけが一般のキャンパーとは顕著に異なるデータを示したことだ。

 一般キャンパーのキャンプ回数が 「4.0回」 であるのに対し、キャンピングカーユーザーの平均キャンプ回数は 「7.3回」 。
 延べ泊数を比べると、一般キャンパー 「6.0泊」 に対し、キャンピングカーユーザーは 「15.0泊」 。
 どちらも、ほぼ2倍ほどの差がついた。

 協会では、「悪天候の場合キャンセル率が高くなるテントキャンプに比べ、キャンピングカーは天候の影響を受けにくいからだろう」 と分析している。

 今回の調査で明らかになったことの一つに、シニアキャンパーがはっきりした層を形成してきたというものがある。
 日本のキャンプ場は、一貫して30代~40代の子育て世代によって支えられており、07年度においてもその世代が84パーセントを占めたことが確認されたが、その一方で、50代の参加人口も増えており、その世代にははっきりしたキャンプスタイルが生まれつつあるという。

 たとえば、ペットの持ち込み率。
 若い 「子ども連れ」 世代のキャンパーのペット持ち込み率が、わずか17.3パーセントであるのに対し、「夫婦だけ」 のシニア世代になると、これが一気に50.5パーセントまで跳ね上がる。  

 また、キャンピングカー利用率でも、シニア世代ははっきりとした特徴を示す。
 「子ども連れ」 キャンパーのキャンピングカー利用率が、3.1パーセントであるのに対し、「夫婦だけ」 という人たちの場合は16.5パーセント。
 その数はおよそ5倍!
 キャンパー全体で、キャンピングカー利用者が4.6パーセントであることを考えると、「夫婦だけ」 の16.5パーセントという数字が、いかに際立っているかが分かる。

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 ▲ キャンピングカーで 「ふたり旅」 を楽しむシニアキャンパー

 キャンプの経験年数においても、「子ども連れ」 の場合は2~3年と答えた人が最も多いが、「夫婦だけ」 の場合は、そのキャンプ経験年数は10~15年。
 日本のキャンパーは、子育てが終わると、親もキャンプから卒業していくケースが多いが、逆に踏みとどまったシニアたちは、筋金入りのキャンプ愛好家になっていくようだ。

 ちょっとびっくりなのは、キャンプ場の稼働率。
 現在、主要ホテルの稼働率は76.3パーセントといわれているが、キャンプ場の稼働率は、わずか10.5パーセントに過ぎない。

 繁忙期にはサイトが満杯になるキャンプ場も多々あろうが、シーズンオフの利用率と均してしまうと、ほぼ9割のサイトが日常的にがらがらだということになる。

 こういう状況を憂慮して、日本オート・キャンプ協会では、キャンプ関係者に対して、「多様化時代への対応」 を提唱している。
 つまり、これからのキャンプ場は、キャンプ活動だけを楽しむキャンパーだけでなく、キャンプ以外の目的を持って旅行している人たちに対しても、広く門戸を開放しなければならないという。

 そのためには、料金システムの見直し、到着・出発時間の再検討。さらに、シーズンオフの利用対策、コテージやバンガローなどの建物系宿泊施設の利用拡大などが検討されなければならないと訴える。

 そういう主張からも、同協会が、わが国のオートキャンプ事情を正確に分析し、適切なる方針を提起するという真摯な姿勢を貫いている様子が伝わってくる。 

 とにかく、オートキャンプの現状について、いろいろと勉強になる白書発表会ではあったが、ひとつだけ、「07年度のキャンピングカーの登録台数は20万3,470台だった」 という発表だけは、どうなんだろう…? と感じた。

 この数値は、自動車検査登録情報協会の発表したデータに拠ったものだが、昨年日本RV協会が 「キャンピングカー白書」 で公表した 「05年度までのキャンピングカーの総保有台数 約5万台 (推定値)」 という数と整合性が取れていない。

 自動車検査登録情報協会の公表する数値は、節税目的などでキャンピングカー登録していた一般乗用車の数を含んでおり、国交省の認める構造要件を満たしたキャンピングカーの登録台数とはかけ離れている。

 今回の 「オートキャンプ白書2008」 においては、一応そのこともはっきりと明記されており、別に誤ったデータが掲載されているわけではない。
 しかし、軽く読み飛ばしてしまうと、この自動車検査登録情報協会の数値を、国交省の認める構造要件を満たしたキャンピングカーの登録台数と勘違いしてしまう人も出てくるのではないかという危惧を抱いた。

 全体的には、「読み物」 として読んでも面白い白書だ。
 キャンプ関連情報を報道するメディア関係の人だけでなく、一般のオートキャンプ愛好家にとっても、読めば家族同士の話題になりそうなネタばかり。
 
 「ねぇねぇ、キャンプする人が一番多いのは月は、何月だと思う?」
 なんて、白書をもとに、子どもたちと、テントで 「キャンプクイズ」 を楽しむというのは、どうだろう。
 とにかく一冊手に入れておけば、子どもにとっても、お父さんにとっても、キャンプがさらに魅力的に思えてくることは間違いない。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 02:49 | コメント(6)| トラックバック(0)

実は平家が好き

 「負け組」 が好き。
 歴史に興味があるので、日本史・西洋史問わず、いろんな国家や文明の興廃や英雄たちの生き死に眺めてきたが、自分には一貫した性癖がある。

 「負け組」 が好き。
 …といっても、別に、奇をてらった嗜好を強調するつもりはない。

 項羽と劉邦だったら、項羽。
 ハンニバルとスピキオだったら、ハンニバル。
 新撰組と薩長浪士だったら、新撰組。
 零戦とグラマンだったら、零戦。

 まぁ、上のようなサンプリングなら、ある程度は一般的な共感を得られるのではなかろうか。
 華々しくて、悲壮感があって、徹底的に勝ちまくっていながら、最後は残念…というやつ。

 このような、時として主役を食ってしまう 「負け組」 のなかでも、ひときわ燦然 (さんぜん) と輝いているのが、あの源平合戦に敗れた平家だ。

 老熟した貴族文化と若々しい武家文化が、まさに入れ替わろうとしたあの時代。地中からマグマのように噴き出した平家一門は、巨大な花火となって夜空に舞い上がり、ビッグバンのように弾け飛んで宇宙を埋め尽くした。
 そして、人々の網膜にまばゆい光りの渦を残したまま、夜空の暗黒に消えた。

 ため息が出るほど華麗で、憎々しいほど勇壮で、涙がちょちょ切れるほどセンチメンタル。
 そんな 「ゴージャスな負け組」 といえば、もう平家をおいて他にない。

KOEIの源平合戦
 ▲ この手のゲームはお任せ! KOEIの「源平合戦」

 特に、後世 「大悪人」 のレッテルを貼られることになった清盛入道のカッコいいこと。

 源平時代を描いた物語では常に 「悪者」 だった平清盛を、今ではスケールの大きな 「改革者」 として再評価する声は多い。
 しかし、清盛に続く子供たちに英傑が出なかったため、平家一門はドミノ倒しのように東から西へ追いやられ、最後は壇ノ浦で源氏勢力にノックアウトされる。

NHK大河の清盛
 ▲ NHK大河の 「新平家物語」 で清盛を演じた仲代さん。
 でも、ちょっとカッコよ過ぎ。
 下は、肖像画として残る清盛。こっちは少しブス気味。

平清盛肖像画

 清盛の遺志を継げなかった意気地なしの平家一門。
 それが、歴史上の平家に対する一般的なイメージではなかろうか。

 だが、その 「意気地なし」 の部分にこそ、むしろ平家の未来と可能性があった。

《 平家を見直す好著 》

 そんなことを真正面から採り上げた本がある。
 『実は平家が好き』 (三猿舎編) だ。

実は平家が好き表紙

 もう3前に出版されたもので、当時NHKで放映された大河ドラマ 『義経』 を当て込んだ企画モノであることはミエミエの本だった。
 しかし、便乗商法の企画本としては、実にレベルの高い良書だった。

 この本が、それまでの歴史本とは根本的に違っていたのは、ポップな体裁にしながらも、アカデミズムと両立させたところにある。
 イラストや写真が多用され、各ページに隙間なくコラムが散りばめられたページ組みは、一見すると雑誌風・ムック風であり、ゲームの攻略本のようにも見える。
 実際に、
 「もし義経が平家方の武将として登場していたら、歴史はどうなっていたか?」
 などというゲーム的な発想に基づく企画があったりして、エンターティメントの要素もたっぷり。

 それでいて、平家が目指していた政治機構や経済体制はどんなものであったか。
 彼らが歴史の上で果たした役割とは何であったか。
 そんなことを生真面目に論じたレポートもあり、硬派の歴史書に鍛えられた中高年の嗜好もがっちりつかんでいる。

 『平家物語』 と照らし合わせながら、源平時代を描いた現代作家の著作やコミックなども紹介され、平家に興味を抱いた人たちへのフォローも万全だった。

 ゲーム感覚に満ちた本ながら、この本が真面目に読者に伝えたい訴求ポイントは三つある。

① 平家には、日宗貿易に着眼するような、豊かな国際感覚があった。
② 一門の結束が固く、美しい家族愛・同胞愛で結ばれていた
③ 彼らは、みな洗練された美意識を持ち、文化を生み育てる力があった。

 上の3項目に対し、少し自分なりの意見を入れて補足したい。

《 坂本龍馬のアイデアを600年前に企画した清盛 》

 平清盛が進めようとしていた日宗貿易は、それまで300年続いた平安時代の鎖国状態を打破しようという画期的なものだった。
 清盛は、この海外貿易を日本の経済基盤の根幹に据えようとして、大型の貿易船が発着できる福原 (神戸) に都を移そうと考えた。

 このあたり、瀬戸内水軍を掌握して、強力な海軍力を擁するようになった平家の体質が見えてくる。
 キャラクター的に平家は、海軍体質なのだ。
 一方の源氏は、東国の広大な農村地帯に根を張った陸軍体質の集団だった。

 源平の戦いというのは、地中海の支配権をかけて戦ったカルタゴ (海洋国家) とローマ (陸軍国家) のポエニ戦役を思い出させる。

 清盛は、長い時間をかけて福原 (神戸) を国際貿易都市に育てていくという計画を練っていたが、源氏の挙兵を知って、あわてて遷都を実行に移す。

 これに、京を離れることなった貴族たちが猛反発した。
 「何を好んで、魚臭い漁港に都を移さねばならないのか?」

 そういう貴族たちの恨みを買った清盛は、結局、都を京に戻さざるを得なくなる。

 清盛のビッグプロジェクトが、当時の貴族たちに理解されなかったのも無理からぬことであった。
 京都盆地の中からほとんど出たことのない貴族たちにとって、唐・天竺 (から・てんじく) などどいう国々は 「御伽草子」 の中にしか存在しない。

 彼らには、異国の巨大な貿易船が、瀬戸内海を航行する姿など思い浮かべることができなかったろうし、福原が、唐・天竺 (中国・インド) などと結ばれる国際都市になるなどという想像力を働かせることもできなかった。

 都の貴族たちと同じように、百姓上がりの坂東武者たちにとっても、清盛の脳裏に浮かんでいた未来図などは理解の及ばない夢物語だったろう。

 この清盛の 「貿易立国構想」 は、その300年後に登場した織田信長や、さらに600年後に登場した坂本龍馬らよって、ようやく理解されたり、実現されることになる。

《 平家一門の美しきファミリー愛 》

 一族の結束が固いというのも、今まで誤解ばかりされてきた。
 特に 「平家にあらずんば人にあらず」 という平時忠の発言が 「驕れる (おごれる) 平氏」 というイメージを広めるきっかけになってしまった。

平家の紋章
 ▲平家の紋章 「揚羽蝶」

 しかし、時忠の発言は、一門の傍流だった時忠が、「自分も平氏の中心にいるぞ!」 という気持ちを必死にアピールせんがための言葉だったという (この本で知った) 。
 おそらく心優しい平氏の人々は、そういう時忠の発言を、「困ったお人だ…」 と苦笑いしながら聞いていたのだろう。

 一族が仲良く助け合った平氏と違い、源氏は一族同士で殺し合った。
 親兄弟が、それぞれ自分の利を主張しあって敵味方に分かれ、勝った方が、負けた方をむごたらしく殺した。
 そのため権力を手にした源氏の棟梁 (とうりょう) は、常に自分のファミリーに対する猜疑心を解くことができず、頼朝と義経のような兄弟・親族争いが絶えなかった。

 武家による輝かしい権力機構として誕生した鎌倉幕府は、実は陰謀と暗殺が横行する恐怖体制であったといっていい。
 現に、源氏の血統は、陰謀と暗殺によって3代で絶える。

 その後を襲った北条氏も、数々の陰謀を企てて、鎌倉幕府擁立に功あったライバルの三浦一族、比企一族を抹殺していく。
 「陰謀」 は武力を持たない貴族のもの…と相場は決まっていたが、このへんの武家方の陰謀には、鬼気迫るものがある。

 それに比べると、平家一門はみな和気あいあいとしており、しかも一族以外の人間をないがしろにすることもなかった。
 タイムマシンに乗ってあの時代に行ったとき、はたして源平どちらのファミリーと仲良くなりたいかは、いうまでもないだろう。

《 アートとカルチャーの創造者たち 》

 平氏一門が、みな歌舞音曲や文芸に秀でていたということも、今までは 「意気地なし」 を象徴する話として使われていた。
 「武士としての鍛錬を忘れ、歌やダンスにうつつを抜かしていたから平家は負けたのだ」 というのが定説だった。

 しかし、最終的な戦い (壇ノ浦) で破れたとはいえ、平家のなかには立派に源氏方を打ち破って名を轟かした豪の者がいっぱいいた。
 木曽義仲にも連敗したという印象が強いのだが、海戦では木曽義仲に勝っている。
 ところが、そういう平家が勝った時の話はあまり一般的に広まらない。

 平家一門には、笛や琵琶の修練を積んで、美しい演奏を披露したり、戦場にもお化粧 (お歯黒・白粉) をして臨んだ者が多かった。

 「だから負けたんだよ」 という前に、そういう心意気を 「小粋だ」 と評価する視点はないものだろうか。

 粗野で残虐な源氏武者を、「質実剛健」 という美質で粉飾するのは、貴族文化の華麗さをねたむ貧民のルサンチマン (怨念) でしかないように思えてならない。
 もし、源平の戦いで平家が勝っていたら、
 「平家はみやびさを失わず、しかも戦いにも強かった理想の武士たち」
 として絶賛されていたはずである。

 また、平家は厳島神社のような新しいアイデアに基づく建築物をつくり、平家納経のような洗練された文化財をつくった。

厳島神社1

 オリジナルカルチャーを生みだそうという意欲に関しては、源氏や当時の貴族たちよりもはるかに上だった。
 平家の政権が長く続いていたならば、東アジアにおける日本の国際的地位はもっと上がっていたかもしれない。

《 平家政権なら蒙古襲来はなかった? 》

 もし、平家政権が維持されていたときに、大陸から元の使者が訪日してきたらどうだったろう。
 やはり元寇はあったのだろうか?

 清盛の発案した大陸との貿易を続けていたとしたら、当然平家は、元の軍事力や経済力に関する情報も、鎌倉政権よりははるかにたくさん持っていたはず。

 そうなれば、元の強さも、その目的も素早く理解しただろうから、その使者を切って、フビライを怒らせるようなこともなかったろう。

 元の目的は、侵攻ではなく、通商と同盟だったといわれている。
 当時まだ華南に勢力を張っていた 「南宋」 を牽制するために、元は日本と同盟を結びたかったのだろうというのが、最近の有力説だ。

 交易を経済の中枢に置く政権ならば、そのあたりの呼吸を図るのはうまいはず。
 平家ならば、「蒙古襲来」 を招くこともなく、日本の独立性を保ちながら元とも上手につきあっていたに違いない。

 もちろんこういう 「if」 に、反論を唱える人はいるだろう。

 「清盛の死後、清盛の遺志を継ぐような逸材が出てこなかったのだから、平家一門に日本国家を運営する力があったとは思えない」
 そう思う人も多いはずだ。

 果たしてそうだろうか。

 一ノ谷、屋島、壇ノ浦と続く戦いで、未来の可能性を試す場もなく死んでいった平家の若者は多かった。
 これらの中に、未来の平家をリードしていく逸材がいなかったとは誰がいえよう。

 歴史は常に勝者の手によって編まれる。
 だから、敗者の実現しなかった 「可能性」 は、勝者の編んだ歴史が生まれるとともに、姿を消す。そして大地の底に横たわる化石となって、遠い未来の発掘者が訪れるまで、眠りにつく。

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 02:38 | コメント(4)| トラックバック(0)

黒光りの季節

 夏だ。
 太陽の季節。 ひまわりの季節。 花火の季節。
 眼光を射すような、燃え上がる色彩と灼熱の光りに彩られたまぶしい季節。

 でも、黒光りした背中をテカテカと輝かせた、あいつの季節でもあるなぁ。

 残業続きの毎日で、今日も終電に間に合うかと急いで部屋を飛び出し、ふと眺めると、玄関を見下ろす階段の踊り場に、あいつがいた。

 何を使っていじめてやろうかと、とっさに考えて、とりあえず傘立てから傘を一本抜き出し、地面をビシバシ叩いて追い立てのだけれど、もとよりそんないじめに動じるヤツじゃない。

 くるりと宙返りして塀を飛び越す忍者のように、あっという間に暗闇に消えた。
 逃げぎわの鮮やかにおいては、天下一品だ。

 アブラムシ。
 一般的に流布している名称はゴキブリ。

ゴキブリ
 ▲ 黒装束の颯爽たる忍者 (ウィキペディアより)
 
 元来、「生命」 を尊ぶ気概に満ちた優しい私は、うっかりアリを踏んでしまっただけでも慙愧の念に耐えないぐらいの気持ちになるが、ことこの黒光り野郎だけは、恍惚たる殺意が高揚していくことを抑えることができない。

 子供たちに人気のクワガタだって、カブトムシだって、黒光り野郎であることには変わりないのに人類に愛されている。
 ゴキだけが、人間の殺意を引き出すというのは、やはりあの逃げ足の早さが 「しゃくにさわる」 からだろう。
 セコイというか、こまっしゃくれているというか、人を小馬鹿にしているというか。
 とにかく憎たらしい。

 なんでも、黒光り野郎の逃げ足は、秒速1.5mだそうである。
 昆虫界のサラブレッドなのだ。
 「エリート」 という意味じゃなくて、速さという意味で。

 それにまた、どんな狭いスペースにもスルリと潜り込んでしまう、あの薄っぺたさ。
 逃げ場をひとつひとつツブして追い立てて、「さぁ、もう観念しろ」 とイヒヒと笑った瞬間に、ドアの隙間から逐電するスマートさも、並みの虫とは違う。
 怪盗ネズミ小僧を追い詰めた役人たちが、いつも最後に地団太を踏む悔しさというのは、こんなものだったのだろう。
 
 さすが3億年の年月をかけて、どんな環境にも生存できる身体をじっくり進化させてきたヤツは違う。
 生存への意志が、身体構造にも脚力にも反映された完全無欠の生き物だ。 (映画エイリアン1にも、そんな表現があったな…)

 昔、ゴミ屋敷のような家に両親と住んでいた時代のことだった。
 深夜、家族が寝静まったリビングで、テレビの歌謡ショーを眺めていたとき、カシカシとTシャツの袖をひっぱるヤツがいた。
 「誰だよ? 何の用だよ?」
 と、振り向きざまに腕を伸ばしたら、ゲジゲジという感触の足に触れた。
 ギャ-っと叫んで飛び上がった瞬間、天井に頭をぶつけた。
 驚いたばかりに、そいつの行方を追えなかったことが、今でも悔しい。

 会社の床で発見したときは、ひとつ生け捕りにしてやろうと、生きたまま捕獲したことがある。
 ぴくぴくヒゲをうごめかして警戒しているヤツの真上から、そぉーっと円筒形のフィルムケースを近づけ、バクっと被せた。

 水平方向から接近する敵にはやたら警戒心を働かせるヤツだが、真上からの奇襲には意外と弱いということを知った。

 フィルムケースの蓋に空気穴を開け、しばらく飼った。
 真横から顔を覗くと、案外可愛い顔をしている。
 情が湧いて、残業夜食のケンタッキーフライドチキンなどに付いてくるコーンをエサとして与えた。

 しかし、食わない。
 毒を盛られることを警戒したのかもしれないし、もしかしたら、散りぎわを潔くして、ゴキブリとしての意地を貫こうとしたのかもしれない。

 結局、ハンガーストライキを貫徹し、あっぱれにもゴキブリとしてのプライドを保ったまま散った。
 遺体は丁重にティッシュで包んで、ゴミ箱に埋葬した。

 南米には、足の長さを含めて体長20㎝ほどの仲間もいるという。
 そうなると、「虫」 というよりスリッパだ。
 スリッパで叩こうにも、うっかりすると間違えてしまう。
 ゴキブリの方を掴んでスリッパを叩いたんじゃ、洒落にもならない。

 人類の生息域にどしどし侵入してくるインベーダー。
 一般的にはそのように思われているけれど、もしかしたら、人間の住環境の方がゴキブリに近づいてしまったのかもしれない。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:57 | コメント(2)| トラックバック(0)

AEDを知った日

 「AED」 って知ってた?
 日本語でいうと、「自動体外式除細動器」 。

 なにそれ? …だったんだけど、カミさんにいわせると、
 「そんなの常識。知らない方がおかしい」
 というほどに、かなり認知度の進んだ医療機器らしい。
 そういうものの存在を、昨日はじめて知った。

 町内会の集まりで、消防署の人を招いた 「緊急介護教室」 というのが行われたのである。
 そこで見せられたのが、AED。

 中国では四川大地震があったり、日本では岩手・宮城内陸地震があったりと、ここのところ、災害時の人命救助の必要性が人々の間に浸透してきている。

 そういうタイミングを捉えて、昨日の日曜日に、町内会の人たちが集まった 「緊急介護教室」 というのが開かれたわけだが、まぁ、予想以上に盛況だった。

 会場となった公会堂の畳の間には、マネキンの上半身だけ切り取ったような人形が置かれ、それを 「倒れた人」 に見立てて、消防署のスタッフが次々と蘇生法を披露してくれる。

緊急介護1
 
 まずは、人工呼吸と心臓マッサージの実地指導。
 
 心臓発作などで倒れた人に対し、人工呼吸と心臓マッサージというのはかなり有効らしい。それで一命を取りとめた人の数は計り知れないとか。

 だけど、一般の人には、とっさに人工呼吸や心臓マッサージを行おうにも、その心得がないと難しい。
 家族の誰かがバタンと倒れたとしても、おそらく私なんかは、そんなことすら思い浮かべることもなくオロオロするのが関の山だろう。

 救急介護を行う際には、口から息を吹き込んで人工呼吸すると同時に、心臓部に手を当てて果断なくマッサージすることが有効だという。手のひらを胸に当て、押し込むように、小刻みに突くわけだ。

 もしそのときに、そばに通りかかった人がいれば、すかさず 「AEDを用意してください!」 とお願いするのだとか。
 
 そうお願いされても、普通の人ならすぐ理解できるほど浸透してきた器具らしいのだが、不勉強な私は、もちろん見るのも聞くのもはじめて。

 消防署の人が見せてくれたのは、ヘルスメーターのような形をした、片手で取り上げられるほどの機器。

AED1

 付属品として、電極パッドが2枚ほど付いていて、まずそのパッドを患者の胸とわき腹あたりに貼る。
 すると、そのパッドを通じて、AEDが患者の心電図を解析。電気ショックを与える必要があると機器が判断した場合は、電気が流れて患者の心臓を刺激するようになっている。

緊急介護2

 現在、日本では、救急車が現場に到着するまでには約6分かかるとされている。心臓が停止してしまった場合、その6分を待つ余裕はない。
 そんなときに、このAEDがあればかなり命を取りとめる率が上がるという。

 では、そのAEDはどんな場所に用意されているのか。
 駅、空港、学校、スポーツクラブ、市役所、その他公共施設には必ずあるそうだ。

 見るのも触るのもはじめてという人でも、操作は簡単。
 なぜなら、スイッチを入れるだけで、機器が勝手に 「操作方法」 を音声ガイダンスしてくれるからだ。

 いい医療機器を知った。
 
 今のところは1セット30万円程度というから、個人が所有するのは大変かもしれないけれど、今後その必要性が認識されれば、民間の間にも広まっていきそうだ。

 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 04:08 | コメント(0)| トラックバック(0)

物語 中東の歴史

 「イスラム原理主義」 という言葉が日本にも浸透するようになってから、イスラム教というものに対して、狂信的で好戦的な宗教と勘違いする人が増えたように思う。
 でも、違うよなぁ…という気分が前からあった。

 通勤電車の中で読む本がなくなったので、たまたま机の上に溜まっている “つん読” 書の中から1冊抜き出して読み始めたものが、とても面白かった。

 牟田口義郎氏が書いた 『物語 中東の歴史』 (中公新書) 。

物語 中東の歴史

 これを読むと、今まで一般教養的にイメージされてきたイスラム教というものが、いかに誤解と偏見に満ちたものであったか、そんなことがよく伝わってくるのだ。

 たとえば 「イスラムは砂漠の宗教」 というイメージ。
 もちろん、地理的には砂漠の多い土地で生まれた宗教だが、本書によると、むしろ 「都市の宗教」 だという。
 それも、都市に住む商人の発想がベースとなった宗教だというのだ。

 イスラムの教えを開いたムハンマド (…マホメットというのはヨーロッパなまりの言い方らしい) は、大規模の貿易を行なっていた商人であり、商業や商品の流通に関して、かなり深い造詣を持っていた。
 そのせいもあって、聖典となったコーランには、商業的発想がふんだんに見られ、商業用語が多用されているという。

 ムハンマドは交易を通じて、ユダヤ教徒やキリスト教徒のいる各都市を回り、様々な商品と文化が入り乱れる国際都市の感受性を身につけていった。

 異民族同士が結ぶ商業ルールというのは、お互いの民族が持っていた固有の商習慣をいったん切り捨てないと始まらない。
 そのために、どうしても民族を超えた普遍性の高いルールへと洗練されざるを得ない。
 コーランの普遍性というのも、ムハンマドが国際的な商人であったがゆえに生まれてきたものといえそうだ。

 ついでにいっておくと、彼は、宗教の教義というものを深く理解するインテリだったが、同時に、一流の軍事指導者でもあったわけで、そういう人間がこの時代にいたということは、「奇跡」 の部類に入るらしい。

 さらに脱線するが、一神教の予言者のなかで、ムハンマドほど職業が明確に分かっている人は他にはいないのだそうだ。
 ユダヤ教の予言者であったモーゼも、キリスト教のイエスにしても、一生を通じて何の仕事で食べていたかは、聖書には一言も触れていないという。

 そういうエピソードを紹介するだけの話であっても、その後に、
 「イエスは、(自分の父である) マリアの夫ヨセフから大工仕事を学んだことがあったのだろうか?」
 などと、とぼけた “突っ込み” がある。
 こういう、気の利いたユーモアがあちこちに散りばめられていて、それがこの本にとてもお洒落な味わいを添えている。

 本書では、『アラビアンナイト』 の舞台となったバクダートにも触れる。
 バクダートは、初期イスラム帝国の繁栄の頂点に立ったアッバース朝の都だが、そこを都に定めるとき、ティグリス、ユーフラテスの二つの大河を利用することを想定していたという指摘も刺激的だった。

 アッバース朝はこの二つの大河を利用して、ペルシャ湾からインド洋の諸都市、さらに中国と交易することを射程においた。
 砂漠の民の発想ではなく、海洋民族の発想である。

 バクダートという響きから、砂埃の舞い上がる内陸の都市を想像しがちだが、実は、シルクロードには、ラクダの背に揺られた商人たちが行き交う 「砂漠の道」 だけでなく、帆を張った商船が海上を行き交う 「海の道」 があったのだ。

 このアッバース朝成立を機に、イスラム帝国はアラブ貴族が支配する特権的な政治体制から、被征服者にも活躍の機会が与えられる普遍的な国家になっていく。
 イスラム帝国とは、様々な民族がその固有の宗教と文化を享受したままで平等に暮らせる寛容な国家だったことが分かる。

 だから 「コーランか剣か」 という好戦的で狂信的なイスラム像は間違いなのだ。
 「コーランか剣か」 という選択肢のほかに、実はヨーロッパ人たちが故意に無視したもうひとつの選択肢があった。
 「貢納」 (納税) である。
 イスラムが重視したのは、実はこの貢納であり、税さえ納めれば、彼らは被征服地の人々の信仰や文化をそのまま尊重した。

 ムハンマド没後の正統カリフ時代、イスラムは急速な勢いで中東からペルシャ、北アフリカにかけて膨張していったが、それを可能にしたのは、彼らがどこの地においても 「解放軍」 として歓迎されたからだそうだ。

 イスラムは、征服地の人々の貢納をうながすために、その人々が前の体制に納めていた税より、必ず安くした。
 それが、被支配地の人々には 「解放」 と感じられたらしい。
 ふむふむ…。
 イスラム国家が短期間のうちに “世界帝国” となっていった秘密がよく分かる。 
 「グローバリズム」 というと、すぐアメリカの専売特許のようなイメージが浮かぶが、産業資本主義が成立するはるか前から洗練されたグローバリズムを体現していたのはイスラム国家の方だったのだ。


 本書では、キリスト教徒側の 「十字軍」 の遠征にも触れている。
 十字軍の本質は、騎士たちのロマンチックな冒険物語とはほど遠く、無知で無教養な蛮族の略奪と虐殺に彩られた侵略だったという。

 この見方は、今日ほぼ定説として浸透しているが、イメージとしては、民族大移動時に、ローマ帝国を荒し回ったゲルマン諸族の雰囲気に近いものだったらしい。

 当然、ヨーロッパ人より遥かに洗練された文化を享受していたイスラムの人々は、野蛮人を初めて見てびっくりした。

 これは別の本で読んだことだが、あるキリスト教の騎士が瀕死の状態に陥っていたのを見て、イスラム側の医師が、当時の先端医学を駆使して助けようとした。

 そこにキリスト教側の医師がやってきて、「イスラムの医師は医療というものを理解していない」 と怒りだし、「悪魔払いだ」 といって、瀕死の騎士を棍棒で殴り殺してしまった。
 にもかかわらず、キリスト教の医師は、「悪魔は退散した」 と平然としていたという。
 当時のヨーロッパとイスラムの、文化レベルの違いを語る象徴的な話だ。

 なにしろ、当時のバクダットの図書館にはギリシャ、ローマの古典がほとんどアラビア語に訳されて保存され、0を発見したインド人からは当時の最先端の数学が導入されていた。
 ルネッサンスがヨーロッパに訪れるまで、古代文明の遺産と先端科学の粋はイスラム世界が保存していたのである。

イスラム寺院
 ▲ 日本にもあるイスラム寺院

 牟田口さんのこの本は文章も洗練されていて、飽きさせない。
 著者の肩書きを見ると、成蹊、東洋英和などで中東・近現代史を教えていた先生らしい。
 もともとは新聞記者だという。
 どうりで、話の進め方がうまいわけである。

 学者の書いた歴史の本には、難しい表現を用いながらも、たいしたことを言っていないものも多い。
 しかし、この本は難しいことを平易な言い回しで言っている。
 「解りやすい」 ってことは大事なことだと思う。

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 14:49 | コメント(6)| トラックバック(0)

「独り言」 病

 ほんとヤベェよ。
 町田の独り言が止まらない。

 別に、このブログのことを言っているわけではない。
 もともと、この 「町田の独り言」 というタイトルは、うちのメディア部門の統括責任者である T が考案したものだ。

 そもそも、このブログをスタートさせたのも、会社の業務命令だったのである。

 『キャンピングカースーパーガイド』 という媒体を宣伝・広報するためのブログを始めろ。
 社長にそう言われて、

 へっ? な…な…何を書けばいいんですか?
 まぁ、飲み屋の話なんか書いて、3回に1回ぐらい商品宣伝をやればいいんじゃないの。
 うへぇ、どうしよう……的な始まりだったのだ。

 で、自分のまったく知らない間に、いつのまにかホビダスのサイトに 「町田の独り言」 というコーナーが設けられていたという次第。
 当然、ブログタイトルも、業務の一環として会社サイドで作ってくれたものなのだ。

 「町田の独り言」
 ふ…む。
 ま、いいか。
 独り言だから、思い浮かぶことをブツブツと書き綴れば良いんだな…というわけで、そろそろ2年目を迎えるわけだけど、この “独り言” が、いま自分の日常生活まで広がり始めているから、ちょっと困る。

 駅に向かって自転車を漕いでいるときも、自宅でトイレを使っているときも、
 「青い空」
 「わ、水虫」
 なんて、意味のない言葉が口をついて出る。

 それに気づいて、なんで 「青い空」 なんだ?
 と自分でその無意味さに慄然とする。

 こういうことだ。
 日常生活のなかで、イライラしたり、気が重くなったりするようなことが頭に浮かぶと、それを打ち消すために、取り合えず、とっさにひらめいた言葉を口走っているのだ。

 例えば、キャンピングカーを置いている駐車場管理者から、賃貸料の催促のファックスが入ってしまった…とする。
 先月は突然のアメリカ旅行の支出などもあったから、確かに、支払いがちょっと遅れている。

 その支払い請求のファックスを、通勤途中に自転車を漕ぎながら思い出す。
 「わぁ、大変だぁ!」
 という気持ちが、たまたま見上げた青い空を、言葉に出して叫ぶことによって、精神を安定させようとしているらしい。
 どうも、そういうカラクリのようだ。

 しかし、すれ違った人から見れば、
 「信号渡りながら青い空を叫ぶ、変なオヤジ」 に過ぎない。
 他人から見れば “行っちゃった人” だ。

 さすがに、周りに知人の姿が見える範囲では、そういうことは起こらない。
 まだ、そのくらいの自制心はあるのだ。

 しかし、独りでいるときの 「独り言」 は日増しに増えている。

 知人と会う約束を危うくすっぽかしそうになって、思い出して
 「ちょっと遅れます」
 なんてメールを打っている最中に、「うんこちんちん」 なんてつぶやいている。

夏空の白い雲1
 ▲ 白い雲みて 「うんこちんちん」 …???
 昔のドリフの加藤茶のギャクだよな


 ほんとヤベェよな。

 道を歩きながら、独り言をつぶやいている老人などをいっぱい見てきたが、よもや自分がその仲間になるとは思わなかった。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 18:23 | コメント(4)| トラックバック(0)

ビートルズの評価

 脳科学者の茂木健一郎さんが、「サンデー毎日」 の最新号 (7/13号) の連載エッセイのなかで、ビートルズをテーマに採り上げていた。
 茂木さんはこう書く。

 「ビートルズは、まさに時代を駆け抜けたバンドである。 『ア・ハード・デイズ・ナイト』 のようなストレートで若々しい曲から、『ザ・ロング・アンド・ワイディング・ロード』 のように人生を達観した曲まで。数々の名作を、驚くほどの多くの様式を持って展開した。
 最初こそ若者を惑わす “不良” のイメージもあったビートルズ。『イエスタディ』 という一つの美しいバラードが、大人たちの悪印象を変えた」

 うん。悪くない。
 でも、表現がナイーブ過ぎる…と思ってしまう。

 私は、この若き脳科学者の茂木さんを才人だと思うし、エッセイストとしても卓越した文章力を持つ方だと尊敬しているけれど、ビートルズをこのように語る語り口を見ると、やっぱり音楽談義でメシ食っているプロの連中にはかなわないなぁ…という意識を持ってしまう。

 というのは、この時期、『レコードコレクターズ』 誌 (7月号) が同じようにビートルズの初期作品を採り上げた 「楽曲ベスト50」 を特集し、その選者たちが寄せた数々のレビューを読んでしまったからだ。

レコードコレクターズ7月号

 彼らは、『ア・ハード・デイズ・ナイト』 を、たとえ一言で表現しなければならない場面でも、「ストレートで若々しい曲」 などとは絶対に言わない。
 ビートルズの不良性に対しても、『イエスタディ』 に代表されるようなバラードが大人の市民権を得たことを、決して手放しで評価していない。

 例えば、『レコードコレクターズ』 で 「初期ビートルズベスト50」 の選定に参加した選者のひとり三宅はるお氏は、こう書いている。

 「中学生時代、ビートルズの日本デビューに遭遇した。後づけの “大人たち” に評価された彼らではなく、“不良” と呼ばれた時代。 『シー・ラヴズ・ユー』 のイェ! イェ!の叫びに反応できずに、『リボルバー』 を評価するファンを信用していない。
 ……『ア・ハード・デイズ・ナイト』 を見てから、エルヴィス・プレスリーの映画を見なくなった」

 1950年代から60年代ぐらいの音楽シーンを知る人間にとって、この 「エルヴィス・プレスリーの映画を見なくなった」 という一言は大きい。
 たった一言なのに、茂木氏のいう 「ストレートで若々しい曲」 という言葉の何百倍という重さがつまっている。

ミートザビートルズ

 彼ら音楽ライターたちが、それぞれ自分の好きなビートルズの曲を採り上げたレビューを読むと、どれもゾクゾクしてしまう。
 楽器が走り、
 歌がはじける様子が目に浮かぶ。

 I SAW HER STANDING THERE
 
 「ストレートな8ビートを強調するようにたたみかけるベースと、リンゴの力強くもせわしないハイハット・ワークが緊張感のあるグルーヴを作り出し、その上で、ポールのリトル・リチャード直系のシャウターぶりが炸裂。…ジョージのギターがエコーをかけられてキラキラと輝く…」
(寺田正典氏)

 ALL I'VE GOT TO DO

 「リズム&ブルースの “コク” をジョンが肺いっぱいに吸い込んで、ふっと吐き出したタバコの煙のような歌」
(安田謙一氏)

 YOU CAN'T DO THAT

 「シンコペーションを効果的に使った流れるようなリズム感は、グルーヴという言葉に置き換えることができる。ごく初期の頃から米国のR&Bを演奏してきたジョン・レノンが身体で覚えた非ロック的なグルーヴ。そんなものが曲にふくよかなボディを与えているし、ここまで身体が横に揺らされるビートルズの曲というものも他にない」
(宮子和眞氏)

 I'LL BE BACK

 「Aメジャーのイントロから歌に入るとAマイナーのキーになったり、BメロからはAメジャーになったりする展開の、いかにもロンドンの街角といったどんより感…」
(青山陽一氏)

 PLEASE MISTER POSTMAN

 「ジョンの振り絞るようなシャウト。ポールとジョージの完璧なハーモニー。全体に流れるのは、汗と酒と喧噪に満ちたライブクラブ直送のドライブ感だ。こんなのが目の前で演奏されていたのだから、“何事かが起こりだしている!” と感じなければウソだろう」
(大鷹俊一氏)

 PAPERBACK WRITER

 「ぐいぐい引っ張っていくポールのベースに応え、リンゴも次第に足 (バス・ドラム) に力を込めて圧倒的なスピード感が現出される。この “バンド力” は全盛期のツェッペリンにも引けをとらないはず。リズムの縦軸を、歌とベースが横に、斜めに縫う…」
(和久井光司氏)

フォーセール

 言っている内容もさることながら、言葉の羅列に、リズムとスピードがある。 ロック評論は、評論自体もロックしていなければならないということを、彼らライターたちは当たり前のように実践している。

 これらの各ライターの表現がけっして無理な誇張でないことは、実際に、初期ビートルズを何度も何度も聞いて、自分でも歌い、友達ともハモってきた自分がよく知っている。

 音楽を、言葉として語るのは難しい。

 その音楽が、社会や文化に与えた影響なら、新聞記者でも、雑誌編集者でも、科学者でも語ることはできるだろう。
 しかし、音そのものの 「美しさ」 や 「強さ」 を表現するのは、誰もがそう簡単にできるものではない。

 『レコードコレクターズ』 誌に登場したライターたちは、みなその難しい作業をあっさりとやってのけている。
 「芸」 だな…と思う。

ラバーソウル

関連記事 「リバプール」
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音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 23:27 | コメント(0)| トラックバック(0)

撮影術にめざめる

 誰でも簡単に写真が撮れる時代になった。
 カメラも進歩し、一般の人が楽しむカメラでは、「露出の計測」 とか 「焦点合わせ」 って何のこと? …的な機種ばかりとなった。

 だから逆に、今の時代では、良い写真を撮るためのコツもあいまいになっている。
 …というようなことを気づかされた “カメラ講習会” があった。

 先週の日曜日、地域のコミュニティの集まりで、「プロのカメラマンが教える楽しい写真の撮り方」 というような講習会が開かれた。
 「会場」 が家から1分という好アクセスであったし、入場無料ということもあって、いそいそと出かけた。

 受講者は、みな旅行先で家族の記念撮影を行うぐらいのアマチュアの方ばかり。
 露出計など見たことがない人がほとんどという感じである。

 こういう時、講師となる方は、テーマ選びに困ると思う。
 簡易的なカメラを扱う限り、プロが教えるほどの技術的テクニックというのはあまりないからだ。
 せいぜい 「写真を撮るときの心構え」 という精神論を説いて場を持たせるしかない。

 しかし、その講師の方は、やる気が違った。

 「写メールを楽しむにはどうしたらいいかしら」
 というオバちゃんオジちゃんを相手に、光源と被写体の位置、それによって変化する露出の関係、望遠レンズと広角レンズの構造的な違いなど、
 「おっと写真の専門スクールか?」
 と思わせるハードな講義をいきなり始めたのだ。
 しかも、知らない人が聞いても解るような、面白い話として。

 私の頭脳は 「理科系」 か 「文化系」 かといわれると、そのどちらでもない。
 「気分系」 である。

 世の中を数理的な構造体として捉える知能もなければ、哲学や文学の課題として捉える感性もたいしてない。
 「今日の昼飯はカレーよりラーメンかなぁ…」
 という程度の、気分的な思考に流されながら日々を生きている。
 およそ理科系の対極にあるといえる。

 そういう頭脳の持ち主には、もう 「絞り」 と 「シャッター速度」 の因果関係を把握することすら難しい。
 仕事上、さんざん写真は撮っていたけれど、被写体を切り取るときの判断基準はすべて 「気分」。

 いちおう一眼レフをマニュアルモードで使っているけれど、
 「こんな環境でこのセッティングだと、オーバー気味だったな…」
 「こういう場合はアンダーだったよな…」
 という、まったくもって経験則だけが頼りの危なっかしい撮影者だったのだ。

 そういう自分が、今回の講習会で目が覚めた!
 講師の方の説明によって、カメラに関わる光学的な世界の立体構造が見えてきたのだ。

 写真の世界というのは、徹底的に理詰めの世界である。
 芸術写真などを見ていると、「表現者の感性だけがすべて」 のような錯覚に陥るが、画像の後処理も含め、作品そのものは、かなり工業的なプロセスを経て完成されていく。
 説得力を持つ画像を撮るには、そういうプロセスまで理解した理詰めの訓練が必要となる。

 「理詰め」 といっても、基本的には “この世の成り立ち” を工学的に把握するだけのことだから、言われてみれば 「あ~そういうことか」 の世界でもある。 

 ということで、いろいろ勉強できた1日となった。
 …が、その勉強の成果をここで披露しようと思っても、残念ながら、私には理科系的な表現力がない。

 で、「気分系」 の頭脳で表現できることだけを、思い出しながら書く。

 まず、印象に残った話のひとつ。
 「プロのカメラマンの撮った料理の写真は、たいてい美味しそうに見えるのに、同じ料理を素人が撮っても、なぜ美味しそうに見えないのか」

 「腕の違い」
 といってしまえば、身もフタもない。
 「プロの撮った料理の写真を見るとき、盛りつけたお皿などの “影の位置” に注目してほしい」
 と講師の方はいう。 

 「たいてい影が手前側に来ているはず」
 つまり、光源は料理の向こう側にあるというのだ。

 「美味しそうな料理というのは、実はすべて逆光で見たものなのです」
 ほぉ…?
 「レストランなどで食事するとき、テーブルに当たる光は食べる人の後ろ側から来るのではなく、それとは逆の天井側から来ていますよね。これが料理を美味しく見せるコツなんです」

 つまり、料理から立ちのぼる温かそうな湯気、影と光りが交じりあった微妙な陰影。
 そういうものは、すべて逆光の中で浮かび上がるというのである。

 逆に、正面から光を当てると被写体が平板になり、細かい陰影がみな飛んでしまう。
 素人が、正面からストロボを当ててテーブルの料理を撮っても 「美味しそう」 に見えないのは、それが理由なのだとか。

 はいはい、経験的によく分かりますよ!

ラーメン1
 ▲ 「ダメ写真」 の典型的な例。昨日と同じ画像でゴメン。

 「レンブラント・ライト」 という話も出た。
 17世紀のオランダの画家レンブラントにまつわる話だ。

 彼はさまざまな肖像画を描いたが、どれも実に 「いい表情」 を残している。
 その秘密も、やはり光源にあった。

 「レンブラントの肖像画には独特の光りの当て方がある」
 という。
 それは、顔の斜め前方45度あたりに光源を置くというもの。
 つまり、その角度から人間の顔に光りを当てると、鼻の影が頬のあたりに落ちて、実に彫りの深い、陰影に富んだ表情になるのだとか。

 「このレンブラント・ライトを意識して、家族や友人のポートレイトを撮られると、とてもいい写真になると思います」

 ヘヘェェェ……。
 どれも、写真に深い興味を抱いている方なら先刻ご承知の話なのかもしれないけれど、はじめて聞いた自分としては、とても参考になる。

レンブラント自画像
 ▲ レンブラント・ライトを使ったレンブラントの自画像

 「何かご質問は?」
 と、最後に講師の方に水を向けられたが、疑問に思ったことがあっても、それを理系の言葉で伝える力がない。

 で、そういうのはあきらめて、
 「暗い場所で写真を撮るとき、三脚の持ち合わせがなくても手ブレを起こさないコツはありますか?」
 という非頭脳的な質問をすることにした。

 そういう肉体的な質問に対しても、親切な答が返ってきた。

 まず、カメラに紐が付いている場合、その紐をぐるぐると手首に巻き付けてしまう。そうすると、指で支えなくても、カメラが手首にしっかり固定される。
 それだけでも、かなり手ブレを抑えることになるのだとか。

 また、指の腹でシャッターを押すことをひかえる。
 指の腹というのは意外と力があり、押した瞬間にカメラ自体を揺らしてしまう。
 そうではなく、爪の先でそぉ~っと押す。

 さらに、電柱でも壁でも、寄り掛かれるものがあった場合は、積極的にそういうものを利用して体を固定する。

 どれも無意識のうちに少しずつ採り入れていたものだが、あらためて体系的に教えてもらうと “身に沁みる” 。
 無意識にやっているものは、やったりやらなかったりと統一性に欠けるからだ。

 今のカメラは手ブレ補正でも何でも付いているけれど、自分が使っているのはわりと原始的な一丸レフ。
 そういうカメラを使っている人間にとっては、とてもありがたい講義だった。

 「地域のコミュニティー活動」 も、いろいろ役に立つもんだ。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 19:27 | コメント(4)| トラックバック(0)
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