町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

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>TOMYさん、よう…
町田 03/17 14:39
町田さんこんにちは。…
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こんばんは、町田さん…
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世界中に5億人を超え…
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町田 03/14 00:28
町田さんご無事で何よ…
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町田 03/12 17:43
町田さん。ご無事でし…
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マッキー旅人 03/03 16:23
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良いお年を!

 ブログというものを始めて、2度目のお正月を迎えようとしています。
 この間、書いた記事の本数は440本ぐらい。
 ほんと、自分でもよく続いたものだと思います。

 それだけ持続するための力が得られたのも、やっぱり読んでくださる方々の温かい支援のたまものだと思っています。

 正直、不安の連続でした。
 始めてしばらくは、まったく気楽な 「独り言」 でしたが、そのうち、アクセス件数などが増えていくにしたがって、
 「自分の発信している情報は、正確さを持っているのだろうか?」
 「上から目線で生意気なことを書いて、誰かを不快にさせてはいないだろうか?」
 そんなことばっかり気にしていました。
 時には、酔った勢いで、シラフでは書けないような記事を思い切って書いたこともあります。
 (ヤバめの記事は、わりと酔って書いていることが多いです)

 でも、そんな記事でも、意外と温かく見守ってくださる気配があって、そのうちどんどん調子に乗ってしまいました。
 コメント欄を通じて、批判めいた厳しい意見を頂戴したこともありました。
 でも、それもあって、モノを考える機会も与えられました。
 今は、そういう厳しいコメントも大歓迎です。

 おかげさまで、昨日の30日、累計60万件のアクセスをカウントするに至りました。
 今後どれだけ更新できるか分かりませんが、こんな勝手気ままな 「独り言」 にお付き合いくださる方々がいる限り、なんとか続ける努力をしたいきたいと思います。

 ほんとにありがとうございました。
 皆さまが、良いお年を迎えられるよう、心からお祈り申しあげます。

冬のコマンダー 
 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 01:47 | コメント(2)| トラックバック(0)

飲みおさめ

 夕べは、今年の “飲みおさめ” でした。
 夕方、ちょこっと仕事をして、その後いつもの立ち飲み屋へ。
 相手は、もう20年ぐらい付き合いのある、バンドのベーシスト。

 いろんな音楽を聞いている人なので、関心領域が広く、こちらの趣味の領域にもしっかり話を合わせてくれるので、なんだか、自分がとても “音楽通” になったように錯覚させてくれます。
 無類に心地よい。

 彼がいうには、ドラマーでもベーシストでも、一流の演奏者というのは、その演奏が始まった瞬間に、音を聞いただけで、誰もがその演奏者を特定できるような独自の 「音」 を持っているというのです。
 
 そのことを、
 「たとえばツェッペリンのジョン・ボーナムの場合は、シャカシャカとハイハットが入って、間髪入れずにドコドコとスネアをこう響かせ…」
 …てな感じの 「音入り」 で説明してくれます。
 楽器もうまく弾けない自分には、そういう話がとても面白い。

ツェッペリン 

 そういう一流の演奏者の持つテクニックの独自性を、芸術的にいうと 「オリジナリティ」 。商業的にいうと 「ブランド」 ということになるのだとか。
 たとえ、表にあまり名前の出ないスタジオ・ミュージシャンの場合においても、一流ともなれば、その音自体がブランドとしての輝きが放っている。

 要は、有名か無名かなどと問わずとも、ひとつの道を極めた人間は、その後を追う人たちにとっては 「ブランド」 なのだというわけですね。
 
 その友人は、一般的にはまったく 「無名の人」 なんですけれど、その話の中に、「自分の目指すべきもの」 をしっかり見据えた人間の、意気込みとプライドを感じることができました。

 一流の仕事をしている人は、社会的には無名であってもその仕事の成果が 「ブランド」 になりうる…といった場合、その 「ブランド」 は、制作者の 「プライド」 と同義だというわけです。
 そして、そういう人たちの仕事が、崩れそうになりかけた今の社会を支えている。

 ニセブランド商品や偽装商品が横行する世の中で、なんだか、とても心に染み入る話でした。 
 今年最後の飲み会で、来年につながるパワーをもらうことができました。

 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 10:01 | コメント(6)| トラックバック(0)

鼠以上犬未満

 ワタシがこのいえにきてから、二度めのお正月がやってきます。
 うれしいな。
 お正月はいえにいてくれるんですね?

 公園にさんぽにつれていってほしいです。
 それから、おふろにもいっしょにいれてくださいね。

 いつもお散歩のあとはシャワーばかりでしたが、このまえ、生まれてはじめておふろにはいって、こんなにきもちのいいものだと、はじめて知りました。

 いつもこころあたたまるお言葉をかけてくださって、ありがとうございます。
 
 でも、このまえ、おくさまとお話しされていたことはショック。

 「こいつバカじゃない? ピョンピョン飛び跳ねてさぁ、テーブルの角に頭ぶつけているし、足踏み外して階段から落ちそうになるしさ。犬って、こんなに不器用な動物だっけ?」
 「まだ、子供なのよ」
 「こいつさぁ、顔がネズミに似てねぇ? 来年ネズミ年だからさぁ、こいつの写真撮って年賀状にしても、みんな分からないかもね」
 「いくらなんでも、ネズミには見えないでしょう」
 「でもさぁ、知能はネズミ並かもね。ネズミ以上イヌ未満」

 ああ、ひどい。
 ワタシがにんげんの言葉を知らないとおもって…。
 イヌにだって、ちゃんと分かるんです。
 ただ、にんげんの言葉には、言葉をかえせないだけ。
 ぴょんぴょん飛び跳ねるのは、それだけうれしいからなんですよ。

 ひどい言葉をかけられると、やっぱりきずついてしまうんです。

 このまえは、こんなこともおっしゃってましたね。

 「こいつさぁ、言葉しゃべれないから可愛いんだろうな。もし人間の言葉しゃべり始めたらさぁ、にくったらしくて飼っちゃられねぇかもしんないな。
 “たまにはイヌのエサにもコストかけろよ”
 “いつまでも赤ちゃん言葉使うんじゃねえよ”
 “呼ぶなよ、いま眠いんだよ”
  …なんて言い出したら、嫌だよな」

 ひどい!
 ワタシぜったいそんなこといいません。思ったこともありません。
 おくさまと、そんなことを話しているのをきくだけで、かなしくなります。 

 でも、いつもはとても優しいので、かんしゃしています。
 ワタシは、ぺろぺろお顔をなめさせてもらうのがいちばんすきです。

 どうか来年もかわいがってください。
 いつまでも元気でいてください。
 おしごといそがしいようですが、たまにははやくおうちに帰ってきてください。

 お願いごとがあります。
 ワタシにまたがって、オナラをかけるのだけはやめてください。
 臭いからいやなのではありません。
 そんな、ご主人様のすがたを見るのが悲しくなってしまうのです。

 でも、それさえなければ素敵なご主人さまです。
 らいねんが、いい年でありますように。

 ネズミ以上イヌ未満より

犬1
  
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 10:46 | コメント(2)| トラックバック(0)

ちょっと早過ぎ

 ゲゲゲ…。いつの間にか年末じゃない!
 それも、あと数えるところ4日。
 「クリスマスっていつ終わったの?」
 ってなくらい、時の移ろいはめまぐるしい。

 最近、地球の自転が早くなっているのではないか、と思うことがある。
 そのせいで、もしかしたら、江戸時代なんかより1日が5時間ぐらい縮まっているのではなかろうか?
 どこかの学者に調べてもらいたいものである。

地球の自転

 「便利な世の中になればなるほど、時間は早く過ぎていくように感じられる」
 と言った人がいる。

 交通が発達しておかげで、昔だったら1泊行程のところが、今は 「日帰り出張」 を命じられる。
 1泊あれば、「今ごろは温泉に浸かって月見酒…」 なんて洒落ていたところなのに、最終の新幹線に揺られて、ワンカップ大関にサキイカ。
 惨めっぽいよな。

 「レポートは、今日速達で出しましたから、明日の午後には着くでしょう」
 なんて、昔だったら言えたところが、
 「じゃ、PDFファイルにして、すぐメールちょうだいね」
 と言われちゃう。
 あわただしいよな。

 人間がひとつの労働に携わる基本行程は変らないのに、その成果を伝達・流通させるスピードだけが、日を追うごとに増していく。
 そりゃ、忙しくなるわけだよな。
 時間が飛ぶように過ぎていくわけよ。

 太古の人類は、永遠に終わらないような 「時」 の中を生きていた。
 朝、太陽が昇って、夜、太陽が沈むまでが1日だ。
 その間、時の経過を教えるものは、移ろいゆく日の影や、雲の流れだけ。

 彼らの生活もそれなりに忙しかっただろうけれど、少なくとも 「時間に追われる」 という現代人の受けるストレスは感じなかったに違いない。

 「時間に追われる」 という感覚を人類が持つようになったのは、いったいいつ頃からだろう。
 
 工業化社会が誕生してからだ、という人がいる。
 イギリスに産業革命が起こり、それまで農村でとろとろと農耕を営んでいた人たちが、工場労働者として都市に集まるようになった。
 都市周辺には、でっかい工場があちこち建ち並び、いろいろな工作機械がどんどん導入されていく。
 
 機械を軸に回り始めた工業社会では、誰もが好き勝手に働いてしまうと、工場そのものが成り立たない。
 だから、どこの工場からも決まった時間に始業のベルが鳴り、終業のチャイムが鳴り響くようになった。

工業社会の始まり絵

 このように、労働者がまず時間に管理され、次にその労働者たちを組織するホワイトカラーのサラリーマンたちが、これまた時間に管理されるようになる。
 「時間を守る」 ということが、社会の秩序を身につけることになるという感覚が、次第に人間に植え付けられていく。

 こうして、労働環境が 「時間」 を軸に整備されると、「休み」 の感覚も変る。
 
 農耕社会では、
 「日照りが続いて小麦がとれない」
 「洪水で畑が流された」
 …っていう自然の 「勝手」 に労働がコントロールされていたけれど、工業社会では自然のサイクルとは関係なく、四六時中働けるようになる。

 そのため、種まきや収穫に合わせて 「祝祭」 が行われていた農耕社会の 「休日感覚」 が次第に薄らいでいって、代わりに 「1週間働いたら1日休み」 なんていう味気ない労働サイクルが当たり前になっていく。

 このような 「時間感覚」 をさらに人々に定着させたのは、鉄道の発達だという説もあるようだ。

 19世紀になって、鉄道が世界の隅々にまで張り巡らされるようになると、人々は 「何時何分までに駅に着かないと、汽車に乗り遅れる」 という強迫観念を持たされるようになった。
 また、鉄道を管理する人たちも、汽車の正確な運行を維持しないと事故に巻き込まれるという危機意識を抱くようになった。
 かくして、正確なダイヤが尊重される風潮が広まった。

線路

 「時間の短縮」 がお客たちの意識にのぼるようになって、鉄道会社同士の競争も起こるようになった。
 1887年のイギリスでは、8社の鉄道会社による、ロンドン~エジンバラ間の鉄道駅伝競争が開かれた。駅伝のタスキの受け渡しは、このときに生まれた (← すべてウソ) 。

 とにかく、工場労働や鉄道が、人類に 「時間感覚」 というものを意識させる基礎をつくった。
 そして、このような近代の工業社会が発展することによって、時間というものが、誰にとっても平等で、均質なものになっていった。

 それまでは、「時間」 は人によってさまざまな流れ方をしていたわけ。
 お城の舞踏会にしか興味のない貴族の娘たちは、夜の舞踏会を待つまでの退屈な昼が、永遠に続くように思えただろう。
 しかし、その貴族たちに仕える使用人たちは、舞踏会の準備でてんてこまい。自分たちの粗末な食事を口に放り込む時間がなんと短いことかと嘆いただろう。

 しかし、だんだん近代社会が成熟を遂げていくにしたがって、時間の流れが誰にとっても平等になった。
 ゆったりとした流れが平等に広まったのではなく、せわしなさが平等になった。

 地球上の人間が、みなせわしなくうごめき回るようになり、「時間にルーズ」 な人間は、未開社会の非文明人か、自堕落な生活を送る落ちこぼれだという偏見さえ生まれた。

 今、この 「せわしなく平等に流れる時間」 の外にいられるのは、まだ時計の読み方を知らない子供たちだけでしかない。

 幼年時代に感じた、あの異様に長い1日!
 それは、世の中が同じタイミングで昼の12時を迎えるなどということを知らない、時計を持たない住民たちの話だったのだ。

 時計を持ったら、人生は終わりよ。
 自分の死ぬ年まで、だいたい計算できるようになっちゃうんだから。
 
 人間が 「永遠」 という概念を想像できなくなったのも、時計が生まれたせいかもしんないね。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 03:02 | コメント(2)| トラックバック(0)

最後の夕焼け

 窓の外に壮大な夕景が広がっている。
 残光をきらめかせる太陽と、建ち並ぶビルのネオンが、ちょうどその明るさを競う時間帯だ。

夕焼け空1

 だが、まもなく街の明かりが勝つ。
 すでにこのラウンジにも、街の夜景を楽しもうというカップルの姿が空席を埋め始めている。太陽の光など邪魔だ、といわんばかりに。

 俺は、その消え行く太陽だ。
 俺が消えた後、お前たちはさんざん街の夜景を賛美すればいい。
 だが、その前に、この世にはこんなに壮麗な夕焼けがあったのかと驚かせてやる。
 金輪際ないようなすさまじい輝きをお前たちに見せてやる。

 俺は、胸ポケットのなかに右手を差込み、用意したリボルバーの銃身に触れて、そのひんやりした工業製品の感触を確かめた。

 心を凍らせるような無慈悲な手触りが、指先を通じて脳髄にまで駆け昇ってくる。
 心配するな。
 その銃身は、もう少ししたら、溶鉱炉のように真っ赤に燃え上がるのだ。

 歌舞伎町の知り合いのスナックを通じて、売人から手に入れた銃だった。
 形はコルトに似ている。
 だが、東南アジアのどこかで造られた密造品だという。
 だから、実弾20発付きでも安かった。
 「暴発しても知らないぜ」
 スナックのマスターは眠たげな目でそう言った。

 こんなことを、このブログに書いていいのだろうか。
 すでに、この記事だけで、私が銃刀法違反を犯していることを告白しているようなものだ。
 しかも、この10分先に行われるであろうことは、おそらく今晩のワイドショーをのきなみ賑わすことになるだろう。
 
 時間が来た。
 すでに会計は済ませてある。
 私は、テーブルの上のギムレットを最後まで飲み干すと、ソファの横に寝かせておいたバッグを引き寄せた。

 「待って」
 女が近づいてきた。
 「やっぱりここね。探したわ」

 小さな哺乳類のような、落ち着かない愛嬌をたたえた目が、今は猛禽の眼差しに変わっていた。
 「思いとどまってよ。でなければ、私をここで殺して」
 
 「どきなよ。もう決めてしまったことだ」
 「許さない。私、死んでもあなたを止める。あなたを愛しているから」

 「そのセリフを、3日前に聞きたかったよ」
 「では、あなたの時計を3日前に巻き戻して」
 「時計は捨てたんだ。その時計を拾ったのは、まだお前を知らなかった5年前の俺だ。もうここにはいない」

 「駄目よ! ここから先は通さない」
 「や、やめろよ、首が絞まってしまうじゃないか」
 「お願い、目覚めて。目を覚ましなさい!」
 「だから、その時計を拾ったのは5年前の……」
 「何いってんの? 目覚ましを自分で止めてしまったの? 起きないと遅刻じゃない。また私が、主人は風邪をひきましたって電話するわけ?」
 「え、何時なんだよ?」
 「25分ですよ。ご飯食べている時間はありませんよ」

 (今朝の夢)


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 10:35 | コメント(2)| トラックバック(0)

ゴーストライター

 世の中には、ゴーストライターという仕事がある。
 忙しい芸能人や政治家などが、本を出そうとするとき、その本人になりかわって、代筆する作家のことだ。

 当然、その存在は世の中に知られることがない。
 いや、知られてはならない。

 しかし、唯一の例外がある。
 かつて、矢沢栄吉が 『成りあがり』 という自伝を出したときに、その代筆を務めた糸井重里が、そのことを 「あとがき」 に綴った。
 
成り上がり
 
 これは美しい本だった。
 糸井重里の言語力を信用した矢沢は、心置きなく自分のすべてを正直に糸井に向かって吐きだし、糸井は完璧にそれに応え、純度100パーセントの矢沢像を見事に作り出した。

 しかし、そういうケースは例外。
 一般的に、ゴーストライターというのは、「著者」 の背後に隠れ、いわば背後霊のように 「著者」 の執筆を代行しなければならない。
 だからゴースト (幽霊) というわけだ。

 で、私はこのゴーストライター的な仕事をかなりやってきた。
 有名な人のものを手がけることもあるが、一般的には無名の人のものが多い。

 ときどき、「そういう仕事って面白い?」
 と、人から不思議そうに尋ねられることがある。
 仮にその本が評判をとって、市場の人気商品になろうとも、ゴーストを務めた人間が、そのことで世間に評価されることはないからだ。

 「ああ、とっても面白いよ」
 と、私はいつも答えている。
 だって、これは本当に素敵な仕事なのだ。

 どんな名の売れた作家であろうと、自分自身で本を書いた場合は、自分の 「殻」 から抜け出すことができない。新しい人生観を披露しようが、画期的な新思想を公開しようが、しょせんは自分の歩いてきた軌跡を公表するに過ぎない。

 しかし、ゴーストライターは、自分の人生とは異なるもうひとつの 「人生」 を生きることができる。
 生まれも、育ちも、感受性も、世界観も異なる 「著者」 の代筆を勤めることによって、その 「著者」 の生き様を、丸ごとゲットできる。

 この 「著者」 なら、こういう体験をしたときには、どう感じるのだろうか?
 こういう文物を肯定する価値観というのは、どういう感性に基づくものなのだろうか?
 そういうふうに、考えをめぐらせるとき、ものすごい勢いで想像力が回転していく。

 人に成り代わってモノを書くということは、それまで養ってきた自分流の価値観をいったん放り捨て、新しい価値観を手に入れることだ。

 こんな楽しい作業が、ほかにあるだろうか。

 私のメインの仕事は、キャンピングカーのガイド本を編集する作業だが、それ以外にも、名前の出ない書き物をけっこうこなしている。
 文学っぽいものばかりでなく、地味な資料の作成とか、レポートのようなものもけっこう頼まれる。

 時には、昔からつき合っている友人のお金も取れないような仕事を引き受けてしまうこともある。

 先だっては、係争事件に巻き込まれた友人の、供述調書の下書きのようなレポートというものを代筆した。

 法律的な世界観というものが、私にはまったく分からない。
 しかし、その友人が法廷に立ったとき、彼が自分に有利な話を引き出すためには、どんなポイントを抑えればいいのか。
 法律の素人ながら、それを考えることはとても楽しい勉強になった。

 幸い、そのレポートを携えて、彼が弁護士に相談に行ったところ、とても論点が整理されていて、説明がスムースになったと感謝された。

 この前は、ある企業の社長さんから、自社製品の売り込み用の 「提案書」 というのを代筆してくれないかという依頼が入った。
 「提案書」 の出来によっては、一生一代の大ビジネスに発展する可能性が大なのだという。
 
 ギャランティも少なく、ほとんどボランティアに近いような依頼ではあっても、誰かが心より喜んでくれたり、期待してくれたりするものを書いたときの方が、自分の名前が世に出ることよりもはるかに楽しい。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 04:24 | コメント(4)| トラックバック(0)

ハゲタカ

 いやぁ、まいったよ。いまだに興奮が覚めやらない。
 HHKドラマの 『ハゲタカ』 。

 今年の2月頃に放送され、8月に再放送。そしてこのクリスマスが3回目のアンコール放送だという。
 恥かしいけど、知らなかった。

 土曜日の夕方、何気なくチャンネルを合わせたNHK。
 すぐ、スイッチを切って買い物に出るはずだった。

 ところが、4~5分見ただけで、もう席を立てなくなってしまった。
 1話と2話。
 あっという間の2時間だった。

 翌日の日曜日は仕事だったので、3話と4話は見逃したけれど、月曜日の5話と6話は、もうそのために朝からテレビの前に待機していたようなものだ。

 バブル経済が崩壊し、巨額の負債を抱え込んだ企業の弱みにつけこんで、不良債権を安く買い叩き、それを高値で売り飛ばすファンドマネージャーたちの姿を描いたドラマ。
 倒産、リストラなどで死に追いやられる人たちが出る一方、その姿に無慈悲な視線を投げつつ莫大な利益を得ていく人間の姿も描かれる。

 カネがテーマになるドラマは、人間のナマの欲望が露骨に表れるがゆえに、犯罪モノや推理モノ以上に、人間の根源的な部分が浮き彫りになる。 
 金融をテーマした傑作ドラマでは 『ナニワ金融道』 があったけれど、あれ以上に面白い。
 なにしろ、こちらはドラマとはいいつつも、平成の暗黒時代といわれた、あの 「失われた10年」 の生々しいドキュメントにもなっている。

 外資系のファンドマネージャーとして、「甘ちゃんの日本を買い叩く」 ために日本に乗り込んでくる日本人の鷲津 (大森南朋) 。
 それに対抗する大手銀行の芝野 (柴田恭平) 。

ハゲタカ1 ハゲタカ2
▲鷲津を演じる大森南朋さん  ▲芝野を演じる柴田恭平さん

 情やしがらみという日本人的感性を徹底的に排除して、冷酷なまでの合理主義を貫く鷲津。
 同じような合理主義者でありながら、企業の論理に敗れていく人間の弱さに目をそむけることのできない芝野。 
 
 この2人の対決を軸に、さまざまな企業の買収劇がスリリングに展開する。
 騙しあい、化かしあい、裏切り、出し抜き。 
 バルクセール、バイアウト、TOB。
 何のこっちゃ? 

 経済や金融の知識など、まったく自分にはないのだけれど、それでも、そこで展開されているものが人間の知恵と度胸を極限まで競い合う、切れば血が飛ぶ真剣勝負だということが分かる。

 こりゃ、タンカの切りあいのドラマだな…と思った。
 そういった意味で、深作監督の 『仁義なき戦い』 シリーズにも近い。
 『仁義なき戦い』 も、バイオレンスに満ちた映像表現が話題を呼んだけど、実はタンカの切りあいの見事さが、あの迫力を生んでいた。

 「広島の極道はイモかもしれんが、旅のかざしもに立ったことはいっぺんもないんでぇ! 神戸の者ゆうたらネコ一匹通さんけぇ。オドレら、よう覚えとけいや」
 「おお、オンドレらも吐いたツバ飲まんとけよ。ええな。分かったらはよ去 (い) ね!」
 …ってのが、『仁義なき戦い』 。

 さすがに 『ハゲタカ』 は最高学府を出たようなエリートたちのドラマだから、タンカも上品。

 「○○会社のファミリーを取締役から解任した手腕。見事でしたね。度胸もあれば知恵もある。どうです? うちに来ませんか。一緒に甘ちゃん日本を買い叩きましょう」 (鷲津) 。
 「俺はあんたとは違う。カネだけがすべてとは思っていない」 (芝野)
 「日本は資本主義の国ですよ。おカネを稼ぐことはいけないことですか? そのことを最初に言ったのは、あなたの方ですよ」 (鷲津) 。

 …(正確ではないけれど) ってな感じ。

 そして、このドラマでは、宣戦布告のようなセリフを相手に叩きつけた男たちは、みなすぐ背を向ける。
 「これで失礼します」

 その背中が、実に雄弁なのだ。
 相手のすがる気持ちを、容赦なく切り捨てるように、
 「お前の弱みは、お前が招いたものだ」
 とでもいわんばかりに、男たちは、
 「これで失礼します」
 と、背を向ける。

 このドラマは背中のドラマでもある。
 「男は背中で戦う」 ということを教えてくれるようなドラマである。

 そして、最後はあの冷酷な鷲津が、なんと…
 ネタバレになるので、ここでは書かない。この評判を聞いて、ぜったいDVDを手に入れようと思う人も出ると思えるからだ。
 
 それにしても、NHKはやるもんだ。
 こんなドラマが観られるのなら、受信料なんて安いものだ。
  
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 03:33 | コメント(4)| トラックバック(0)

怖い絵

怖い絵表紙

 怖いでしょ? この絵。
 これは中野京子さんという方が書かれた 『怖い絵』 (朝日出版社) という本の表紙です。
 ラ・トゥールという画家の描いた 『いかさま師』 という絵の一部なんですね。

 なんといったって印象的なのは、この女性のすさまじい目つき。
 何か悪いことを企んでいる人間の表情を、これほど克明に描いた絵はなかなかありません。
 冷酷非情で、計算高くて、人間の善意も優しさも、いとも簡単に踏みにじりそうな表情です。
 どんな俳優の名演技ですら及ばない、まさに絵画ならではの迫真性があります。

 画面の左隅には、この女主人に酒を注ぐ給仕の女性が描かれています。 
 この女性の目も怖い。
 女主人と気脈を合わせ、悪巧みの片棒を担ごうとしている人間の目です。

 実はこの絵、『いかさま師』 というタイトルから分かるように、トランプ賭博でいかさまを仕掛け、善良な若者を罠にかけて、大金を巻き上げようとしている瞬間を捉えた絵なんですね。

 だから、この表紙からは見えませんが、この絵の右端には、仕掛けられた罠にも気づかず、自分の手だけにほれ込んで勝負に出ようとしている若者の姿が描かれています。
 もし、その若者が、自分の手ばかりに気をとられていないで、ふとこの女主人の目つきを眺めたら、即座に自分の危うい立場を察知したことでしょう。
 でも、若者はそれを見ていない。

 だから、この絵は怖いのです。

 そして、やはりここには見えませんが、この絵の左側には、カードをこっそりすり替えて、インチキの大勝負に出ようとしている青年の姿も描かれています。

 何も知らない若者をインチキ賭博に引きずり込み、最初はわざと負けたりして若者を調子に乗らせ、最後に身ぐるみ剥ぎ取ろうとするいかさま師たちの悪巧みの瞬間が、ここにはストップモーションのように凍結されています。

 おお、こわ!

 この 『怖い絵』 という本は、そのような身の毛もよだつ絵ばかりを集め、それを物語のように解説してくれる本です。
 
 集められた絵画は、全部で20点。
 いずれも、一度はどこかで見たような名画ばかり。

 しかし、なかには 「なんでこの絵が怖いの?」 と、最初はその意味がよく伝わらないような絵もあります。
 一見、平和そうに見える田園風景を描いた絵 (ブリューゲル 「絞首台の上のかささぎ」 ) 、バレリーナの見事な踊りを描いた絵 (ドガ 「エトワール、または舞台の上の踊り子」 ) 。

 しかし、解説を読み、最初に見たときには見落としていた細部に注目していくと、
 ややや! 
 にわかに、背筋に凍るくらいゾクゾクとしてきちゃいます。

 だから、本文を読みながら、その文の最初に掲げられたグラビアを何度も何度も見ることになります。
 
 解説そのものが、とても面白い物語になっていて、絵も超一流。
 絵画と解説の見事なコラボレーションによって、映像と物語が巧妙に溶け合った一級品のエンターティメントができあがっています。

 絵というと、「芸術」 という言葉と結びついていて、何やら堅苦しそうな印象がありますが、絵には 「娯楽」 という側面もあります。
 一級品の絵は、「芸術」 であると同時に 「エンターティメント」 としても機能します。

 絵から 「エンターティメント」 の要素が薄らいでいったのは、映画やテレビという映像文化が発達してきてからのことでしょう。

 しかし、映画やテレビのなかった時代。
 一つの絵が、それを眺めた人たちを、どれだけ驚かせ、感嘆させ、また、恐怖の底に引きずり込んだか。

 視覚的な刺激の多すぎる現代社会では、逆に、一つの映像から受けるインパクトもかえって薄れがち。
 しかし、映画やテレビのない時代には、絵画の魅力や魔力に取りつかれて、人生そのものを大きく変えていった人々も、きっといっぱいいたことでしょう。
 そんなことを想像するのも、たまにはいいかもしれません。

 絵を本当に楽しむには、それなりの解説が必要なこともあります。
 この 『怖い絵』 という本は、
 「絵というものをどう味わえばいいの?」
 と思った人が、絵画の鑑賞をゲームのように楽しもうとしたとき、なかなか貴重な解説書になってくれます。  

 
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 04:08 | コメント(0)| トラックバック(0)

リバプール

 年を取るということは、涙腺が緩みやすくなってきたということかもしれない。
 なんだか、最近、突然ジーンと来ることが多い。
 突拍子もなく、それはやってくる。

 土曜日の夜、…昨日のことだ。
 
 大森屋の 「しらすふりかけ」 を手のひらにこぼして、それをツマミとしてべろべろ舐めながら、レント (※ 奄美の黒糖焼酎) の水割りを飲みつつ、テレビを見ていたときのことだ。

 土曜日の夜に家にいるときは、10時になるとテレビ東京を観る。
 「美の巨人たち」 と、それに続く 「地球街道」 がお気に入りの番組なのだ。
 昨日の夜は、「大奥」 もやっていて、そっちも見たかったけれど、やっぱりいつもの習慣で、10時になったらテレビ東京にチャンネルを合わせる。
 
 で、いつものように 「美の巨人たち」 の後に 「地球街道」 を見た。
 もう、半分酩酊状態。

 女優の藤田朋子夫妻が、リバプールを訪れるという設定だった。

 リバプール。
 ビートルズが、青春時代を過ごした町だ。

 ジョン・レノンの生家。
 ペニーレイン。
 ストロベリーフィールド。
 セントピーターズ教会。
 キャバーンクラブ。
 …などが次々と画面に登場する。

 へぇ…こんなとこなのか…
 と、画面を食い入るように見る。

ミートザビートルズ

 ビートルズは好きだったから、それらの固有名詞はみな知っていたけれど、映像を見るのは初めてだったのだ。

 まず驚いたのは、ジョン・レノンの生家などが、まるで観光資源のように、しっかりと保存されていたことだ。

 ジョンの寝たベッド。弾いたギターなどが、そのままの状態( 作為的だったけれど) で残されている。

 ああ…連中も、「古典」 になったんだなぁ…と思った。
 昔の音楽の教科書なんかに出てきた、
 「ベートーベンの生家」
 「ショパンの生家」
 みたいなものと同じような扱いだったからだ。

 で、セントピーターズ教会というのが出てきた。
 そこの体育館みたいなところで、ジョン・レノンがコンサートを開く段取りだったという。
 …ということを、頭の禿げ上がったようなジジイが説明している。

 そのときに、ジョンと知り合ったばかりのポール・マッカートニーが、その場所に寄ってきて、いきなりジョンのギターを取り上げて、それを弾き出したのだという。

 ジョンは、ポールの技量にびっくり。
 そのポールの魅力にまいったジョンは、すぐさま自分のバンド 「クオーリィメン」 のメンバーにポールを誘ったのだという。

 「その、ポールがギターを弾いた場所がここです」
 と、頭の禿げ上がったようなジジイが言う。

 まさに、この場所で、「歴史が始まったのです」
 と、ジジイ。
 「その場を、当時15歳だった私は、一部始終を見ていたのです」

 ガーン、と涙腺がゆるくなって、涙が目ににじんだのはそのときだ。
 
 体育館のような、ただの板敷の場所で、ジョンのギターをポールが弾いた。
 それがなかったら、ビートルズはこの世に存在しなかった。

 そうに思ったら、テレビに映ったそのなんの変哲もない空間が、突然、まばゆいばかりの光に満ちた神聖な場所に見えてきた。
 
 人間の歴史は、偶然に左右される。
 
 俺が、ビートルズから与えらた愉楽、勇気、快感…。
 それを可能にしてくれた 「偶然」 の出会いを実現した場所。
 それを、いま見た。
 
 それだけで、なんだか涙が出たよ。

 その後、ビートルズのデビュー前までドラマーを務めたピート・ベストが出演した。
 白髪頭の、ただの酒屋のオッサンみたいなオヤジ。
 しかし、彼こそは、ビートルズがレコードデビューを果たす以前、ドイツのハンブルクなどで荒稼ぎをやっていた頃の主要メンバーだったのだ。
 
 ところが彼は、他のメンバーに比べて、音楽技量が劣っているというマネージャーの判断によって、ビートルズを解雇される。
 ビートルズのドラマーには、リンゴ・スターが加わり、彼らはレコードデビューをして世界進出を果たす。

 「あのときは辛かったよ」
 と、今は一庶民となったピート・ベストが語る。

 だけど、彼は日本から来たインタビュアーの質問にも、終始穏かなニコニコ顔を浮かべている。
 本当に幸せそうだ。

 その幸せは、今の彼を支える大事な一言を、ジョンからもらったときに生まれたという。

 「ビートルズの最良の音は、レコードになっていない」

 超有名人になったジョンが、ある日ピートと再会したときの言葉だ。
 「ビートルズの一番素晴らしかった演奏は、まだ無名時代だった当時、ピートがドラマーを務めていたハンブルグ時代のライブだった」
 とジョンは語ったのだとか。

 それが、解雇されて失意のどん底にいたピートを救った。

 ジョンはお世辞を言ったわけではないと思う。
 今、ようやくハンブルグ時代の音源の一部が、CDなどにも出回るようになった。
 音は稚拙で荒っぽい。
 でも、そこには後のビートルズには見られない、自分たちの可能性を信じる楽天的なふてぶてしさが生んだ、みずみずしい音があった。

 ビートルズのメンバーは、世界的な評価と引き換えに、その可能性を少しずつ食いつぶしていった。
 ピート・ベストは逆に、世界的な評価と引き換えに、永遠の「可能性」 を手に入れた。
 だから、テレビに映ったピートは、今もなお幸せそうな笑顔を浮かべることできるのだ。
 
 ビートルズよ、ピートよ、ありがとう。
 あんたたちのくれた音のおかげで、俺は幸せだぜ。

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コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 04:08 | コメント(2)| トラックバック(0)

謎とき村上春樹

 村上春樹について書かれた評論がどれだけあるのか知らない。しかし、書店をめぐると、そういう書籍がやたらと目にとまる。
 あまり手に取ったことがない。

 しかし、ついに1冊買った。
 石原千秋 著 『謎とき村上春樹』 (光文社新書) 。

謎とき村上春樹
 
 何気なく手に取って目次を開いたとき、そこに採りあげられていた小説が、すべて私のお気に入りだったからだ。

 第1章 「風の歌を聴け」
 第2章 「1973年のピンボール」
 第3章 「羊をめぐる冒険」
 第4章 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
 第5章 「ノルウェイの森」

 駅前のアートコーヒーに入り、窓際のストゥールに腰を落として、おもむろにページを開いた。
 一気に引き込まれた。
 かなり興奮した。

 本を読んで、これほど興奮したことは、ここしばらくなかった。
 
 ながらく、村上春樹の小説は、読んで堪能するだけでよく、それを解説したものなど読む必要がないと思っていた。
 しかし、この評論は村上春樹のオリジナル小説と同じくらい面白い。もしかしたら、それ以上に面白いところもある。

 何が面白いかというと、村上春樹が文字として残した 「物語」 の裏にひそむもう一つの 「物語」 を暴き出しているからだ。

 作者の “深層心理” などを詮索しているのではない。
 文字どおり、作者が計算して書き込みながら、読者には教えないつもりで巧妙に隠した 「裏のストーリー」 が明るみに出されているのだ。
 石原氏は、それをシャーロック・ホームズよろしく、登場人物の会話、情景描写、使われる小道具などを解析しながら、表には浮かんでこない 「別の物語」 の姿をあぶり出す。

 石原氏は、こう書く。

 「小説を読むということは、謎ときをすることだ。もしすべての謎がとかれたら、それは小説の死である。
 だから、小説家は一番書きたいことを隠しておく。優れた小説家は、そうやって読者の謎ときを誘いながら、同時に読者の謎ときから自分の小説を守ろうとする」

 石原氏によると、
 「一番書きたいことを書く小説家はいない」 のだそうだ。

 最初は、何のことを言っているのか、よく分からなかった。
 しかし、読み進んでいくうちに、その意味が次第に分かっていく。

 第1章は、村上春樹のデビュー作 『風の歌を聴け』 が扱われている。

 この話は、恋人を自殺させてしまった主人公の 「僕」 が、悲しみを胸の奥底に秘めたまま、夏休みに故郷の町へ帰ったときの記録だ。
 「僕」 は小さなバーで、親友の 「鼠」 と毎日ビールを酌み交わすような生活を続ける。
 
 ある日、「僕」 は、その店のトイレで泥酔して倒れていた 「小指の欠けた女の子」 を介抱したことがきっかけで、口をきき合うようになる。
 「僕」 とその女の子は、恋愛関係に陥ることもなく、当然セックスすることもなく、ただ抱き合ったまま過ごす一夜を迎える。
 やがて、夏休みが終わり、「僕」 は故郷の町を離れ、東京に戻っていく。

 それだけの話だ。

 もちろん多くの読者も、そういうストーリーだと納得した。
 そして、その単純なストーリーを彩る村上春樹的なファッショナブルな言語感覚と、乾いたセンチメンタリズムに酔いしれた。

 しかし、石原氏は、一見何事もなく進行しているそのストーリーが、ふと見せるかすかなほころびを見逃さなかった。
 
 なぜ、前節の記述と次の節の記述に、1週間のズレが生じているのだろうか?
 なぜ、はじめて知り合ったはずの2人が、旧知の間柄でなければ使わないような言葉を使ってしまったのか?

 この 「発見」 の感覚が白眉だ。
 小粋で、お洒落な都会小説が、にわかに、荒涼たる荒野を背後に控えた別の小説に見え始めてくる。
 それこそ、「優れた小説家が読者に見破られないように、こっそりと秘めた別の物語」 が顔を現す瞬間だ。

 この小説に隠された裏のストーリーをかぎわけたのは、石原氏が最初ではないらしい。すでに平野芳信と斎藤美奈子という2人の文芸評論家が見破っていたという。
 しかし、この小説のからくりを解き明かすために、登場人物たちの会話の一語一語、一挙手一投足を丹念に分析したことでは、石原氏の作業がもっとも徹底していたのだろう。
 だから、ページを繰る手がふるえだすほど、その展開はスリリングだ。

 隠れた 「物語」 が少しずつ正体を見せることによって、この 『風の歌を聴け』 というファッショナブルで叙情的な話は、次第に不吉な暗さと、絶望的な悲しみに染めあげられていく。
 そして、この評論を読み終えた読者は、『風の歌を聴け』 という小説が、自分の思っていたものとはまったく異なる小説に変ってしまったことを知る。

 それは、作者の村上春樹が、読者に最も読んでもらいたかった部分でもあったにもかかわらず、最も読まれたくなかった部分なのかもしれない。
 ( もし、この評論を読もうとする方がいらっしゃったら、絶対村上春樹の原作の方を先に読まれることをお勧めする )

 一つの小説に、こっそりと別の話を忍び込ませるという手の込んだことを、なぜ村上春樹は思い立ったのか。

 石原氏は、「物語は、隠されることで神話化される」 と説明する。
 
 神話とは、抑圧された物語が回帰するときに変身する状態をいう。
 隠された物語は、自らの生きる場所を求めて、何度もよみがえろうとする。
 そのよみがえろうとする 「力」 が、文学の 「強度」 を生む。
 そのとき、時代の制約から逃れることのできない 「物語」 が、永遠性を付与された 「神話」 に生まれ変る。

 人類の財産といわれる古典文学は、みな 「神話」 だといってもかまわない。
 それは、何十年、何百年読まれ続けようと、常に新しい解釈が可能になることを意味する。
 それをシンプルにいえば、「深み」 とか 「奥行き」 という言葉になる。

 つまり、この 『風の歌を聴け』 に隠された裏の物語は、表の物語に奥行きと深みを与えるための技巧的な戦略ともいえる。
 
 ちょっと単純化してしまったが、石原氏が言わんとしたところと、そう隔たってはいないだろう。

 で、面白いのは、たとえ石原氏がそう解釈したとても、さらにそれと違った読み方も可能になるということだ。
 推理小説の真犯人は、特定されたらそこで話も幕を閉じるが、小説の真相は、ひとつの解釈が、また別の解釈を生んでいく。
 結果的に、謎がとかれる日は永遠にこない。

 実は、この評論集はまだ全部を読んでいない。
 今のところ読み終えたのは、第1章の 『風の歌を聴け』 と第2章の 『1973年のピンボール』 だけ。

 しかし、それだけでも、私がなぜ村上春樹的な世界に惹かれるのかが十分に理解できたような気になった。

 
 『1973年のピンボール』 という小説では、主人公の 「僕」 が奇妙な双子の女の子たちと同棲するという設定になっている。

 この双子の女の子たちは、「僕」 にとって “空気” のような存在だ。女性としての生々しい生理を持っておらず、まるで羽根の見えない天使たちのように思える。
 次第に周囲から人の気配が希薄になっていく 「僕」 にとって、その2人が唯一の “仲間” のような存在になる。

 しかし、ラストが近づくと、彼女たちは、唐突に現れたときと同じように、唐突に去っていく。

 そのシーンは、こんなふうだ。

 「バスのドアがパタンと閉まり、双子が窓から手を振った。
 僕は一人同じ道を戻り、秋の光が溢れる部屋の中で双子の残していった 『ラバー・ソウル』 を聴き、コーヒーを入れた。
 そして一日、窓の外を通り過ぎていく11月の日曜日を眺めた。何もかもがすきとおってしまいそうなほどの11月の静かな日曜日だった」

 ここには、透きとおるような 「光」 しかない。
 すでに主人公の意識には、「時間」 も 「空間」 もない。

 この虚無感覚。
 暗闇に閉ざされた虚無ではなく、「光」 に満ちた虚無。

 ここには、(私のような) 世俗のアカにまみれた俗人の魂を浄化させる清々しい虚無がある。

 
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 15:28 | コメント(4)| トラックバック(1)

ネット世界の海底

 このブログは、基本的に、キャンピングカーを愛する方々に役に立つ情報や楽しいエピソードを提供したいという気持ちで綴っているつもりなのだが、最近、キャンピングカー以外のネタに関心を持ってくださる読者が増えたように思う。
 
 4日ほど前、何気なくテレビ朝日のドラマ 『敵は本能寺にあり』 の感想と、織田信長についての所感を書きとめてみたが、これに関連したアクセスがぴっくりするほど多い。

敵は本能寺

 それほどドラマそのものにインパクトがあったのだろうけれど、戦国時代の研究家でもないし、ドラマ通でもない私のような素人の書いたブログ記事に、これだけアクセスされる方がいると思うと、うれしい反面、ちょっと怖い。

 言い訳するつもりではないんだけど、間違った記事を書いても、 「俺、専門家じゃねぇからよ…」 って、逃げられなくなりそうな気分になる。

 こういう歴史モノは、私の趣味の範囲だから、間違った情報が混じっていても、まだ調べ直して修正できるけれど、内容と検索ワードが一致しない記事に関しては、どう責任を取っていいのやら…。

 たとえば 「オカマバー名古屋」 というワードでは、グーグルなどでは今のところこのブログがトップに来てしまう。
 その記事には、名古屋のオカマバーに関する記事など何一つ書かれていない。
 言葉だけが、内容を離れて一人歩きしている。

 なんだかブログって不思議な世界だ、とあらてめて思う。

 それにしても、小首をかしげるような面白い検索ワードが相変わらず多い。

 「心霊写真ひゃっ 力」
 気分的にはよく伝わってくるけれど、意味的には不明。

 「鞍馬天狗のおじさんは子供」
 これも意味不明。深読みすると、なにか哲学的なテーマでもはらんでいそうな気もする。

 「笑ってこらえて! 町田駅」
 どういう情報を求めて、どのページにアクセスされたのかは分からないけれど、なにか楽しそう。
 同じように、町田が絡む不思議な検索ワードでは 「火星紳士 町田」 というのもあった。

 「ブレードランナー 海老丼」
 1年前に書いた映画 『ブレードランナー』 の記事に関するアクセスは、いまだにときどきあるけれど、最後の “海老丼” というインパクトにおいては、これが一番。

 「髪ベンキバター落とす」
 こうなると、シュール感が漂う。どんなに想像力をふくらませても、この言葉が伝えようとする意味には思いが及ばない。

 「だまして混浴妻」
 「全裸金粉」
 「叶姉妹のバストいくつ」
 「お尻を撫でた 死刑」
 「熟年男女の性愛画像」
 「休憩 男同士 町田」
 
 ああ…。どんどんヤバくなっていく。
 言っておくけど、けっしてエロ情報を流しているわけではないからね。

 ブログやホームページの検索ワードを調べると、その時代を生きる人々の欲望の形が分かる、といった人がいた。

 昔、どんな検索ワードを使って、どんな情報が求められているのか、それをリアルタイムで教えてくれるサイトを見たことがある。
 電光掲示板に流れるニュースのように、様々な言葉が無言のうちに、左から上がって右に消える。 
 
 調べる人間の素性が公表されないという安心感があるのか、それこそ、ナマの要求をあけすけに訴える用語が連続することもある。
 なんだか禁断のフタを開けて、闇の中で生起する人間の欲望をこっそり覗き見したような気分になった。

 文明の最先端を行くネット世界の海底には、意外と、人間の原初的な情動がのたうち回っているようだ。

 関連記事 「トンデモ検索用語」

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 21:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

稼働率UPの妙薬

 キャンプ場の稼働率を上げるためには、キャンピングカーの積極的な取り込みが必要。
 そういう見解がメディアに登場した。

キャンプ場とキャンカー

 その説を訴えているのは、社団法人日本オート・キャンプ協会が発行する月刊紙 『オートキャンプ』 の前編集長である竹本孜氏。

竹本孜氏

 竹本氏が同紙の12月15日号に寄稿した記事によると、現在のオートキャンプ場の平均稼働率は、12パーセントだという。

 20パーセントあれば健全経営。最低でも15パーセントないと黒字を出すのは難しいとされている。
 ところが、現状では、20パーセント以上の稼働率を上げているキャンプ場は全体の1割強に過ぎず、稼働率が10パーセント以下というキャンプ場が、全体の3割を超えているという。

 この稼働率をアップさせる妙薬はいくつかあるが、その一つとして、竹本氏は、「キャンピングカーの積極的な取り込み」 を提唱している。
 同氏が注目しているのは、宿泊手段としてのキャンピングカーのポテンシャリティの高さだ。

 キャンピングカーは、テントキャンプと比べて悪天候に強いため、予約のキャンセル率が低いといわれている。

 それを裏付けるデータもある。

 『2007 オートキャンプ白書』 によると、テントキャンパーの年間のキャンプ回数が3.6回であることに対し、キャンピングカーユーザーは10.2回 (2.8倍) 。
 また、年間の宿泊数においても、テントキャンパーの5.6泊に対して、キャンピングカーユーザーは18.9泊 (3.4倍) 。
 キャンプ回数においても、宿泊数においても、キャンピングカーがテントキャンプに大差をつけていることが分かる。

 ところが、現状ではキャンプ場を利用しているキャンピングカーユーザーはまだ少数派。
 日本RV協会の2007年調査では、多くのユーザーが利用する休憩施設は道の駅 (33パーセント)や高速道路のSA・PA (27パーセント) であり、キャンプ場利用者は22パーセントに過ぎない (キャンピングカー白書2007) 。

 その理由を、竹本氏はキャンピングカー側とキャンプ場側の両サイドに立って分析している。

 まず、キャンピングカー側からいうと、
 ① 販売店やキャンピングカーメディアが、これまでは道の駅やSA・PAでの利用を案内する傾向が強かった。
 ② テント泊の経験を持たないユーザーが増え、マナーやルールを含め、キャンプ場を知らない人々が多くなった。
 この2点が、まず挙げられそうだ。

 一方、キャンプ場に問題があるとすれば、
 ① キャンピングカー利用者への 「料金体系」 が整備されていない。
 ② キャンピングカー利用を考慮した 「環境整備」 がなされていない。
 …という2点を考える必要があるという。

 キャンピングカーユーザーが、キャンプ場を利用しない理由として、一番に上がってくる声は、「料金が高い」 というもの。
 欧米のキャンプ場の利用料は、1,000円~3,000円。それに対して、日本のキャンプ場の平均利用料金は4,600円。

 欧米に比べて稼働率が低いことが、高めの料金設定をせざるを得ないという事情につながっている。
 竹本氏はこの料金設定について、キャンプ場側がキャンピングカーユーザーの不満を解消する必要もあるのではないかと説く。

 テントキャンプに比べ、概してキャンピングカーはサイトの占有面積が小さい。
 また、ファミリーの利用率が高いテントキャンプに比べ、キャンピングカーではシニアカップルの比率が高い。

シニアユーザー

 そこに注目すると、
 「占有面積も少なく、利用人数も少ないキャンピングカーがテントキャンプの利用料金と同一だというのは、公平性を欠くのではないか?」
 と思うキャンピングカーユーザーが出てくるのは当然かもしれない。

 そこで竹本氏は、人数料金制やシニア料金サービス、さらに平日利用サービスなど、料金体系の見直しも必要だと述べる。
 さらに、入退場時間が制限されているのも、キャンピングカー利用者になじまないと指摘する。

 キャンプそのものを目的としていないキャンピングカーユーザーの場合は、温泉に寄ったり、レストランで食事を済ませてくることもあるので、到着時間が夜遅くなることもある。
 ツーリング志向のユーザーなら、早朝に出発する率も高くなるだろう。
 それに対応できるような入退場時間の弾力的運用も、これからのキャンプ場の課題になるという。

 ペット連れ規制の緩和も、今後の検討課題のひとつ。
 現在、オートキャンパーのペット連れ比率は、平均12パーセントだという。
 これは、テントキャンパーの主要層を担う子連れのヤングファミリーの意向を反映したもので、シニア層の比率が増えているキャンピングカーユーザーのペット保有率は38パーセントにも及ぶ。
 
車内ペット
 
 ペットと旅行するためにキャンピングカーを購入したという人も増えた。
 この分野でも、キャンプ場に新しい対応が迫られているといえる。

 とにかく、「キャンプ」 の概念が、いま大きく変わろうとしている。
 キャンピングカーやシニアキャンパーが増えてきたことによって、従来の 「キャンプ」 という枠に収まりきらない 「キャンプ旅行」 というスタイルが生まれつつあるからだ。

 日本のオートキャンプは、キャンプそのものが目的であったため、郊外型のキャンプ場を利用する週末キャンプが主流だった。

 しかし、今後は、平日も自由に旅行できるシニア層の増加に伴って、週末キャンプではない平日キャンプの比重が高まってくる。
 それに伴い、郊外型のキャンプ場のほかに、都市型キャンプ場の必要性も浮かび上がってきた。
 そして、将来的には、リゾート型キャンプ場を利用してゆったり逗留する 「滞在型キャンプ」 というスタイルにも注目が集まるだろうという。

 地球環境の保全・整備に国を挙げて取り組まなければならない時代を迎え、旅行スタイルにも見直しが迫られるのは当然かもしれない。

 今までの旅行は、「便利さ」 や 「速さ」 や 「効率性」 だけを求める風潮が強かった。
 しかし、「便利さ」 や 「効率性」 だけを重要視する考え方は、高度成長期の遺物という見方もある。

喜連川サイト2

 リゾート型キャンプ場を利用してゆったり逗留する 「滞在型キャンプ」 というスタイルが定着してくるようになれば、そのときには、新しい時代に見合った 「キャンピングカー文化」 が生まれているかもしれない。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 20:45 | コメント(10)| トラックバック(0)

クマは冬眠です

 あるキャンピングカー販売店の社長さんから電話がかかってくると、必ず最後に、
 「クマちゃん元気? クマちゃんによろしくね」
 といって電話が切られる。

 クマちゃん!

 冗談じゃねぇよ!
 そんなこと、俺、カミさんに話せねぇじゃねぇか。

 ことの起こりは、昔そのショップさんが主催するキャンプ大会に独りで参加したとき、
 「今日はイヌは連れて来ないの?」
 と聞かれたことから始まる。

 「イヌは風邪をひいて、クマは冬眠です」

 ジョークという意識もないまま、ほとんど反射的にそう答えてしまった。
 勘のいい社長さんで、「クマ」 が何を意味するのか、すぐさま察知したらしい。

 しかし、そのときはそれ以上の “突っ込み” もなかったため、会話はそこで途切れ、私は、自分が言ったこともやがて忘れてしまった。

 ところが、この前、そのショップさんの忘年会に夫婦で招待されたとき、社長さんが、うちのカミさんに向かって、こう言うじゃないか。

 「あんたのところの旦那さんはひどいんだよ。自分の女房のことをクマって呼び捨てにしているんだよ」

 がぁーん!
 全身が凍りついた。

 カミさん、
 「あら、おほほほほ…」
 
 なんとも典雅な笑いを浮かべて、愉快そうに聞き流している。

 これは悪いシグナルだ!
 凍りついた全身に、さらに冷気が忍び寄り、まつ毛や鼻にツララがぶら下がった。

 案の定、2人だけになったとき、
 「聞いたわよ。ひどい男じゃない」
 源氏物語に出てくる姫君のように笑っていた形相が、一変している。

 後ろ足で立ち上がり、大地を踏みしめたまま、両前足を虚空に振り上げて、威嚇に入っている。

クマ出没

 どうやら臨界距離内に接近してしまったらしく、背中を見せて逃亡するのは、なおさら危険だ。

 私は、瞬間 「死んだふり」 をしようかと思ったが、恐怖で正常な神経がマヒしていたせいで、何を血迷ったか、相撲取りの土俵入りよろしく右足を上げて、シコを踏んでしまったのだ。

 「何よそれ…。クマがシコを踏んでいるとでも言いたいわけ?」

 後の惨劇は、とてもここで書く気がおこらない。
 
 右胸骨3本骨折。左大腿骨挫傷。
 頬と右肩に擦過傷。

 …てなわけはないけれど、精神的には、それに相当する攻撃を受けた。

 我が家は典型的な、女王様家庭である。
 家に帰ると、夕食と一夜の床をあてがってもらった返礼として、肩や腰のマッサージを強制される。
 これが延々と明け方まで続く。

 休日になると、山のような洗濯物と洗い物の処理が待っている。
 それが終わると、その日の買い物のメニューが手渡される。

 ある週刊誌で、「妻への悪口コンテスト」 という記事が載っていた。
 静岡県・島田市で、毎年3月に開催されるコンテストだという。
 こんなコントが紹介されていた。

 「生まれ変わっても、私と結婚する?」
 と問う妻に、思わず言った。
 「俺はぜったい生き返らない」

 しっかり者の女房
 「私が死んじゃったらどうなると思うの?」
 おっとりした亭主
 「喜ばせないでくれ」

 思わず、イヒヒヒ…と笑ってしまった。
 苦労しているのは、俺ばかりじゃない!
 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 20:45 | コメント(2)| トラックバック(1)

真相はCMの後に

 出勤前に、パンを焼いて、紅茶を入れる。
 そしてテレビを見ながら黙々と食べる。
 NHKが朝ドラを流す以外は、全局ワイドショーを放映しているという時間帯だ。

 凄惨な殺人事件や、企業の偽装工作。
 どこのチャンネルに変えても、もう、うんざりだなぁ…。

 そういう暗い事件が続くことがうんざり…という意味だけではない。
 それをレポートする、レポーターやキャスターの対応にもうんざり。

 「驚愕の新事実!」
 「容疑者の心の闇に迫った!」
 「この後、信じられない展開に!」

 …ってなアナウンスメントとテロップが流れた後に、絶妙なタイミングでCMが入るという構成なんだけど、CMの後で、「驚愕の新事実」 や 「信じられない展開」 が披露されたためしがない。

 ま、それはCMを見せるための戦略なのだから大目に見るとしても、物事を最大級の修辞で飾りたてて視聴者の関心をつなぎ止める手法って、やはりとてつもなく貧しい。

 「信じられないような…」
 「常識では考えられないような…」
 「理解に苦しむような…」

 ワイドショーのレポーターたちは、よくそんな表現を使う。
 それを聞いていると、メディアの考えている世の中には、「びっくりすること」 と 「何でもないこと」 の二つしか存在しないように思えてくる。

町の風景1

 ワイドショーのみならず、バラエティ番組においても、今やトークの中心となっているのは、物事を二分するようなテーマばかり。

 勝ち組か、負け組みか
 イケてるか、イケてないか
 感動できるか、感動できないか
 泣けるか、泣けないか

 もう、人々はそのどちらにも属さない中間領域を考える興味を失ってしまったようにも思える。

 現代人の思考パターンは、常に0、1、0、1…という二進法によるデジタルビート。
 そのリズムに乗り遅れたら負け。

 自分の考えをモタモタまとめるよりも、状況をすばやく察知して 「勝ち馬に乗る」 ことが、誰にとっても大事になってきたのだろう。

 自分の考えにこだわるのはヤボ。
 その場をリードしている空気に従うことがスマート。
 「KY = (空気を読め) 」 という略語は、「勝ち馬でゆこう!」 という意味だったのかもしれない。

 世界が恐ろしいほどの勢いで、単純化の波に飲み込まれようとしている。
 こんな現象は、人類史上においても 「前代未聞」 のことだ。
 今、地球には 「常識では考えられない」、とてつもない 「闇」 が訪れようとしている。
 この 「衝撃的な真相」 の解明は、CMの後に…

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 19:24 | コメント(6)| トラックバック(0)

敵は本能寺にあり

 テレビ朝日のドラマ 『敵は本能寺にあり』 を観た。
 戦国時代の話が好きなので、こういうドラマは、家にいるかぎり見逃さない。
 
 「織田信長を殺した黒幕は誰か?」
 「なぜ信長の死体は、本能寺から消えたのか?」

 重厚な歴史ドラマでありながら、ミステリー仕立ての設定で、なかなか面白かった。

 原作は、『信長の棺』 を書いた加藤廣さん。
 主人公の明智左馬助 (秀満)を市川染五郎さんが演じ、玉木宏さんが信長を演じていた。
 「玉木信長」 は若さが目立ち、重厚感に欠けていたけれど、信長の神経質さやエキセントリックな雰囲気はよく捉えていた。

敵は本能寺
 
 それにしても、日本人は本当に織田信長が好きだなぁ…
 特に戦国ドラマというと、必ず信長がどこかに登場する。
 
 ちなみに、NHKの大河ドラマで、信長が登場するドラマを数えてみたら、なんと13本もあった。
 大河ドラマが始まったのが1963年頃だと思うから、その数は44~45本ぐらい。なんとその3分の1に信長が登場している。
 幕末や源平時代も扱われる大河ドラマのなかで3分の1というのは異例に多い。

 ちなみに、NHKの大河で信長が登場する作品名と、信長を演じた役者の名前を抜書きしてみる。

 ① ★ 太閤記 (1965年) 高橋幸治
 ②   天と地と(1968年) 杉良太郎
 ③ ★ 国盗り物語 (1973年) 高橋英樹
 ④   黄金の日々 (1978年) 高橋幸治
 ⑤ ★ おんな太閤記 (1981年) 藤岡弘
 ⑥ ★ 徳川家康 (1983年) 役所広司
 ⑦   武田信玄 (1988年) 石橋凌
 ⑧   春日局 (1989年) 藤岡弘
 ⑨ ★ 信長 (1992年) 緒方直人
 ⑩ ★ 秀吉 (1996年) 渡哲也
 ⑪ ★ 利家とまつ (2002年) 反町隆史
 ⑫ ★ 功名が辻 (2006年) 舘ひろし
 ⑬   風林火山 (2007年) 佐久間二郎
 (★は信長が主役もしくは主役級の重要人物として登場したドラマ)

 このなかで、私が特に 「信長らしい!」 と感じた俳優は、一にも二にも 『太閤記』 に登場した高橋幸治さん。
 信長という男は、長身で面長。いつも背筋をまっすぐ伸ばしていたという思い込みがあるので、そうなると高橋幸治はぴったり。

高橋幸治信長
 
 眼光には恐ろしいほどの威厳があふれ、「慈愛」 よりも 「恐怖」 で部下を管理したという雰囲気においても、この人がHNKの大河では一番うまく信長を演じていたように思う。

 『国盗り物語』 で信長を演じた高橋英樹さんも、最初はその甘さが気になったが、ドラマが進むにつれて厳しい表情もうまくなってきて、これはこれで楽しめた。

 最近の大河で、意外とカッコよかったのが 『利家とまつ』 で信長を演じた反町隆史さん。
 ヒゲを生やすようになってからは、顔つきも引き締まって、信長っぽくなった。

 NHK以外のテレビドラマでは、1998年にTBSで放映した 『天下を取ったバカ』 が良かった。
 主役の信長を演じたのは、なんと木村拓哉さん。
 ちょっと甘い雰囲気と、荒削りの野性味が溶けあっていて、
 「ほぉ、意外と合うもんだ」
 と妙に感心した記憶がある。

 2005年には、フジテレビで 『国盗り物語』 が再ドラマ化され、『海猿』 などで好演した伊藤英明さんが信長を演じている。

 映画に登場した信長となると、古くは萬屋錦之介 (当時中村錦之介) が演じた 『風雲児信長』 という映画があったが、私が観た信長映画で文句なく素晴らしいと思えるのは、黒澤明監督の 『影武者』 に出てきた隆大介さん。

影武者隆大介
 ▲隆大介の織田信長

 長身、鋭い眼光、重厚な声質。
 ヨーロッパ製の南蛮胴にマントをはおり、陰鬱な表情で、ゆるゆると馬を進めてくるさまには鬼気迫るものがあった。

 信長というと、烈火のごとく怒る人というイメージがあるが、普段は、猜疑心の強そうな目つきをした寡黙な人だったという印象がある。

 隆大介の信長はセリフも少なく、登場する時間も短かったが、そういう信長の陰険さをうまく捉えていた。
 私にとって 『影武者』 という映画は、隆大介が主役を演じる信長の映画なのである。


 さて、小説の世界においても、信長ものは百花繚乱。
 思い出したものをアットランダムに掲げただけで、下記の小説がすぐに浮かんできた。

 山岡荘八  『織田信長』
 司馬遼太郎 『国盗り物語』
   〃     『新史太閤記』
 津本陽    『下天は夢か』
 新田次郎  『雨将軍信長』
 辻邦生   『安土往還記』
 遠藤周作  『反逆』
   〃    『決戦のとき』
 池宮彰一郎 『本能寺』
 堺屋太一  『鬼と人と~信長と光秀~』
 高橋直樹  『天魔信長』
 井沢元彦  『謀略の首』他

 最近は、加藤廣さんの 『信長の棺』 のように、「信長の死の謎」 を追ったミステリー風の小説が好まれているが、王道といえば司馬遼太郎さんの 『国盗り物語』 か、津本陽さんの 『下天は夢か』 というところになりそうだ。

 『国盗り物語』 はもう5~6回読み返している。だから気に入ったシーンは、文の流れを暗記しているくらい、すぐ頭に浮かんでくる。

 面白いことに、司馬さんが信長を主人公に据えた小説というのは、この一作しかない。しかも、この小説においても、前半の主人公は信長ではなく斉藤道三である。

 たぶん、信長という人間は書きづらい男だったのだろう。
 まず寡黙である。
 考えたこともほとんど側近にもらさない。
 しかもその考え方が当時の言葉でも、今の言葉でも表現しづらい。
 近代小説の常識とされる 「内面描写」 を、信長ははねつけてしまうようなところがある。

 そのため司馬さんは、信長を、主に秀吉や家康の視点で描くことが多かった。
 信長を登場させるときは、その 「行動」 だけを描き、その 「内面」 は秀吉や家康に推測させる。
 そのため、そこで描かれる信長はハードボイルド小説の主人公のようにミステリアスで、クールで、ニヒルで、カッコよかった。

 それとはまったく違う信長像をつくりあげたのが、津本陽さんだった。
 『下天は夢か』 では、「だぎゃー!」 と名古屋弁をしゃべる信長が登場する。
 しかも、こっちの信長は多弁だ。
 常に心の中で、敵をののしっている。

 「今にみておれよ。わしの黒き苦汁に満ちた胆汁の味をばこってりと味あわせてやるでのん」
 …なんて、しょっちゅうつぶやいている。
 
 「司馬信長」 を読んだ後に、こちらを読むと強い違和感が生じる。
 しかし、その極上の芋焼酎のようなコクが分かってくると、もうクセになる。酩酊感も極上だ。
 この小説ももう4~5回読み返している。
 気に入ったシーンは、原文に目を通さなくても、頭の中に文章が浮かぶ。

 辻邦生さんの 『安土往還記』 は純文学。日本に渡航してきたヨーロッパ人の視点で芸術家としての信長が描かれている。

 井沢元彦さんの 『謀略の首』 は、信長が探偵となって城中や城下町で起こった難事件を解くという推理小説。これはシリーズになっている。
 
 高橋直樹さんの 『天魔信長』 は、信長が尾張を統一するまで、敵対する親族や部下たちを切り捨てるために謀略の限りを尽くす話。
 まさに、人間の倫理をあっさりと踏みにじる悪魔としての信長が描かれている。
 しかし、その悪魔がなんと美しいことか。
 悪魔を美しく描いてしまう小説家とは、なんと恐ろしい人たちだと思わせる代表例。

 信長という人は、上司や友人に持ちたくない人だ。
 でも、怖いもの見たさで、遠くから覗いているかぎり、とてもカッコいい。

 信長話を始めるとキリがない。
 今日のところは、これで失礼します。

 参考記事 「信長の野望」
 参考記事 「司馬文学のリズム」
 参考記事 「秀吉の成金趣味」
 参考記事 「合戦実況中継」

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 20:07 | コメント(2)| トラックバック(0)

演歌の夜

 いい忘年会には、うまい酒があり、美味しい料理があり、素敵な人々との語らいがある。
 そんな “当たり前のこと” がこよなく貴重に感じられる今日この頃。

 年とったのかなぁ…

 金曜の夜、忘年会への招待があった。
 クルマでカミさんと出かけた。
 酔ったまま、運転して帰らないよ。
 キャンピングカーだから、その晩は泊まるわけね。

 都心を抜ける夕暮れの渋滞のなかで、イライラしてもしょうがないから、演歌を聞いた。
 二次会にカラオケが予定されているから、その練習という意味もある。

 「宗右衛門町ブルース」
 「夫婦春秋」
 「達者でナ」
 「昔の名前で出ています」
 「一度だけなら」
 「潮来笠」
 「浪速恋しぐれ」
 「みちづれ」
 「北帰行」……

 自分のお気に入りの少し古い演歌を、ずっと車内で聞く。

 不覚にも、涙が出できた。

 隣りで、口ずさんでいるカミさんは気づかない。
 私もカミさんに合わせて、声だけは陽気に車内に流れる歌をトレースしている。

 だけど、高速道路に浮かぶクルマたちのテールランプににじむ夕暮れの光が、
 「幸せな忘年会って、あと何回体験できるのだろう」
 …ってな思いを、突然引き連れてきたのだ。

深夜の首都高2

 ハイウェイのライトポールが、霧氷に覆われた灯台のように思えてきて、クルマのテールランプが、雪降る飲み屋街の赤ちょうちんに見えてきた。
 無性に、「人が恋しい」
 という気分が湧き起こった。

 こういうベタなセンチメンタリズムは、やっぱり演歌特有のもので、その圧倒的な 「赤ちょうちん美学」 には、どんなポピュラーミュージックもかなわない。

 1時間遅れで会場に着いたのだが、みんな温かく迎えてくれた。
 それだけで、まだ一口も酒を飲んでいないのに、気分はもう “演歌全開” になってしまった。

 気の置けない仲間との、ちょっとしたジョークのやりとり。
 初めて忘年会で顔を合わせた人たちが見せる、温かい気づかいに溢れた会話。
 それが、こんなにも貴重で大切なものに感じられるとは。
 
 こういう思いは、センチな気分を冷笑するクセのついていた若い頃の自分では想像もできなかったことだ。

 「演歌が心地よくなってきたら、ジジイ化した証拠」
 とは、我々が若い頃さんざん言い合っていた話。
 自分はその頃から演歌も聞いていたが、それはギャグだった。

 でも、今は本当に演歌がいい。
 それが、「ジジイ化した証拠」 なら、ジジイも決して悪くない。
 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 16:39 | コメント(4)| トラックバック(0)

我慢の力

 作家の橋本治さんって、変な人だ。
 文章が変っている。
 …てか考え方が変っている。
 「この本は、何について書きたいの本なのか、自分でもよく分かっていません」
 なんて、のっけから平気で書いてしまう人だ。

 それでいて、身もだえするくらいの美しい文章がポッと出てきたり、身の毛もよだつほどに人間の真相がえぐられていたり、同じフレーズを延々と繰り返す傷ついたCDみたいに、何ページにもわたって同じことが書かれていたり…。
 とにかく一筋縄ではいかない。

 だけど、読み進んでいくと必ず、
 「この文章使える! メモメモ…」
 というようなフレーズが、いたるところに出てくる。

 その橋本治さんの最新刊。
 『 乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない 』 (集英社新書)

 …の 「かもしれない」 に惹かれて買った。

乱世 市場原理

 「勝ち組」 と 「負け組」
 「エコノミスト」 と 「投資家」
 「スーパーマーケット」 と 「コンビニ」
 なんて構成で話は進む。

 あ、経済の本ね。
 と思うとはぐらかされる。
 経済に振り回される 「人間」 を描いた本だ。

 どこを開いても刺激的な指摘に満ちているのだが、自分がハッとした部分をいくつか採りあげてみると、まず、
 「我慢とは、現状に抗する力である」
 という言葉。

 「我慢は、貧乏によって生まれた」
 という考えが支配的であるがゆえに、「今はなんか変な時代なのさ」
 …っていう指摘があったりする。

 この言葉は、「人間はなんで欲望ってものを持っているんだ?」 という話につながっていく。

 「欲望論」 というのは80年代からさんざん出尽くしていて、「欲望」 とは、人間の生理に根ざした欲求とは異なった、資本の原理よって人為的につくり出された 「情動」 だなんて、よく言われた。

 でも、その 「欲望」 がこれほどまでに、死にもの狂いの勢いで喚起されるようになってきたのは、「世界経済」 が飽和状態に達してしまったからだという指摘は、実にナウイ! (← 死語) 。

 世界経済は、もう限界のなかで動いている。
 物が売れなくなれば、経済は終わる。

 そういった意味で、資本主義経済は、常に物を買ってくれる人たちのいるフロンティアを開拓することで延命してきた。

 「帝国主義」 なんていわれた時代は、イギリスはインド人にお茶や綿花を作らせて、そこで採れた素材を本国で加工し、今度はインド人に売っていた。インドはイギリスのフロンティアだった。
 アジアやアフリカの植民地はどこも、みんな欧米列強のフロンティアだった。

 やがて、どこの植民地も現地産業が興隆してきて、次第にフロンティアは失われていく。

 すると、やれ中国だ、やれ東南アジアだと、いまだフロンティアにならない地域が続々と新しいフロンティアとして開拓されていった。

 でも、そういう地理的なフロンティアは、その地域の物流が豊かになっていくにしたがって、次第に消滅していく。
 冷戦が終わって、旧共産圏が新しい自由主義経済圏として解放されたときは、資本主義諸国はみな色めきたったけれど、それを食い尽くすのも早かった。

 21世紀になって、資本主義経済は、もう地理的なフロンティアを食い尽くしてしまったわけ。

 と、どうなるのか。
 人間を 「フロンティア」 にしてしまうしかない。
 
 つまり、今まで、
 「そんな商品は必要ないよ俺は。第一使いこなせないし…」
 なんて思っている人たちに、
 
 「いやぁ、このタイを首に巻けば、すぐ素敵なチョイ悪オヤジになれるから、エビちゃんクラスの女の子が、もう振り払いたくなるほど寄ってきますよ」

 「やっぱ、グルメは文化ですよ。ミシュランの三ッ星レストラン級の味が、たった千円のランチで堪能できるんですよ」

 …てな感じで、干物をあぶってつつましやかに食べていた人たちに、どんどんカネを払わせるような魔術的テクニックが、あれよあれよと編み出されてくる。
 「人間フロンティア」 の出来上がり!

 そういうテクニックは、昔から資本主義のお手のものだったのだけれど、地理上のフロンティアが消滅してくると、まさにそのテクニックが、高度に洗練された 「オレオレ詐欺」 の高級版のような輝きを帯びてくる。
 それが現代。

 人間の欲望には限りがない。
 というか、限りがあったら資本主義は困る。

 本来必要でないものを 「欲望」 させるのが、資本主義経済なんだわ。
 
 「夢はでっかく描けよ」
 なんていう魅力的なささやきは、たいてい資本主義の尖兵となってカップ麺で残業している広告代理店のオヤジなんかが、「ああぁ、今日も風呂に入る時間がねぇか…」 なんてボヤくうちから生まれてくる。
 俺のことか?

 で、そういう 「欲望の輝き」 の行き着く先は…。
 
 誰も何もしようとしないうちに、どんどん進行していくシロクマの絶滅につながっていく。
 オイルピークが訪れるのだって、あと20年ぐらいのうちだっていうじゃない?

 クリスマス・イルミネーションで街をピカピカ光らせるのもいいけれど、イブの日に誘ってくれるボーイフレンドもいない貧しい女の子にはたまったもんじゃないぜ。
 俺でよければ。
 関係ねぇか。

 とにかく人間の 「欲望」 は、有限のエネルギーをむさぼり尽くして燃え盛っていく。

 「我慢とは、現状に抗する力だ!」
 という橋本さんの警句が、鋭い光を放つのはそんなときだ。

 本の紹介とはずいぶんズレた解説になってしまったけれど、きっと橋本さんのいわんとしていること (の一部) は、そんなことだと思う。

 「我慢とは、現状に抗する力だ!」
 という言葉をかみ締めて、今日の俺は酒場に寄らずに、帰る。

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 03:56 | コメント(0)| トラックバック(0)

クレーム社会到来

 あるビルダーの経営者が、
 「もう、特注を受けるのはやめようかと思っている」
 と、ふとこぼした。

 手間がかかる、生産効率が落ちる…といった問題からではない。
 「クレームが怖いから」
 という。

 お客さんの希望をよく聞いて、綿密に相談して受けたはずなのに、その特注部分にクレームが付く比率が高くなってきたのだそうだ。
 そういうときの言い分の代表的なものは、
 「想像していたものと使い勝手が違うから、何とかしてくれ」
 というもの。

 「機能が不完全だったというのなら、いくらでもやり直しをする。しかし、使い勝手が違うといわれた場合は、お客さんのイメージと、こちら側のイメージが違うこともある。それをいきなりクレーム扱いされても、戸惑ってしまうことがある」
 と、そのビルダーの経営者は語る。

 特注というのは、ビルダーにとっても初チャレンジしなければならない場合もある。だから結果がどう出るのか、未知数の部分も残る。
 そのため、特注部分の操作性に関して、顧客とビルダーのイメージが完全に一体となるまでには、長い道のりが必要となることもある。

 その人の話によると、
 「そのお客様の使い勝手を完璧に満たす構造となると、その予算内では無理ですよ、と言わざるを得ないものが多い」
 とも。

 したがって、苦労して改造した部分にクレームが付くくらいなら、造り慣れて結果の分かっている定番しか売らない方がはるかに楽だ…という結論になった。

 キャンピングカーの製造は、いまだに家内制手工業的な部分をかなり残しており、それゆえに、顧客の自由なオーダーを受け入れる余地も多い。特注オーダーの難易度が高ければ高いほど、チャンレンジすることが生き甲斐となると豪語するビルダーさえいる。
 それが、「結果の見える定番だけ売る」 というのであれば、ビルダーにとっても顧客にとっても、淋しいことだ。

 難しい問題だ。
 もしこれが、安全管理に関わる部分の手抜きであったら、その企業は大いに断罪されてしかるべきだろう。
 しかし、「使い勝手のイメージが違った」 というのは、果たしてクレームとなるのかどうか。

 商品に対して、何が何でもクレームを付けるという風潮が、このところ過度に強くなりすぎてはいないだろうか。
 これはキャンピングカーの世界に限ったことではない。

 不完全な商品に対して、より完成度を高めることをメーカーに要求することは、きわめて健全なことだ。

 だが、最近のクレームの特徴は、クレーム自体が社会正義の実現のためであり、それを行うことで、あたかもオピニオンリーダーの代表として振る舞う人々が増えてきていることだ。
 つまり、自分の買った商品の瑕疵を補填するという意識以上に、クレームを付ける行為そのものが、「社会正義」 の実現なのである。

 特に、団塊世代の大量退職が始まった2007年以降、この傾向が強まったと指摘する声は多い。

 団塊世代のなかには高学歴者もおり、ビジネス経験年数の長い人も多い。しかも、退職して自由な時間があるから、購入した商品をじんわり研究し、少しでも瑕疵が感じられると、「これはコンセプトそのものがおかしい」 などと声高に主張する特徴があるのだとか。

 こういう 「正義感」 から出発したクレーマーは、瑕疵のない商品に交換しましょうという即時的な対応では満足しない。
 「企業姿勢そのものが根本的に誤っている」
 と、ますますその主張を先鋭化させていく。

 違法建築や偽装食品が次々と明るみに出る時代。
 コンプライアンス (法令遵守) は、無視できない社会的要請でもある。
 消費者がクレーマーとして、悪質企業に倫理観の確立を訴えるのは当然のことだろう。

 しかし、そういう風潮が行き過ぎると、社会全体がギスギスしていきそうな気配がある。
 今ちょうどその境い目にいるような気がしてならない。
 
 いったい、どこまでがクレームとして認められるのか。
 企業に対するクレームは分かりやすいが、これが一般の人の日常生活にまで及んでくると、非常に微妙な問題が噴出してくる。

 内館牧子さんのエッセイを読んでいたら、最近、マンションの庭でスズムシを飼っただけで、その鳴き声が 「騒音」 だと非難された人の話、窓の外に吊るした風鈴がうるさいと怒鳴り込まれた人の話などが紹介されていた。

 また、公園の噴水で水遊びをしていた子供たちの声が 「騒音」 だと訴える住民がいて、公園管理者を相手に訴訟を起こし、裁判所に、公園の噴水の使用差し止めを認めさせたケースもあったという。

 いずれも、クレームを付けた人たちは、あたかもその地域住民すべての意見を代表しているような態度だったとも。

 スズムシや風鈴の音は、日本の風物詩ではなかったのか?
 公園で水遊びする子供たちの声は、子供たちの喜びを伝える 「平和の響き」 ではないのか?
 それをも容認できない人々が掲げる 「正義」 って何だろう。

昭和記念講演
 ▲ 画像と記事は関連ありません
 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 03:35 | コメント(8)| トラックバック(0)

バラエティの終焉

 テレビの 「バラエティ」 って、ホントに面白いのだろうか?
 いやぁ、確かに面白いんだよな。
 今の若手芸人って、とても感性が鋭くて、質の高い笑いを提供していると思う。
 だから、ひとたびその世界に入り込んで、ずぅーっと観ていると、とても楽しい。

 しかし、仕事で忙しい思いをして帰ってきて、テレビのスイッチを入れたときに流れてくるバラエティって、ものすごく違和感を感じる。
 仕事のリズムが体の中から抜けないときに眺めるバラエティは、平和で、華やかで、何もなくて、虚しい、おとぎ話の世界のように思えてしまう。
 
 やっぱりバラエティってのは、休日のときに、昼近くまで惰眠をむさぼって、頭もボサボサで (…いつもだけど)、さぁて今日は何をするか…、犬の散歩でも行くか…でも寒いからもう少し部屋の中でヌクヌクしていたいなぁ…ってな心境のときに見るものなんだろう。
 そういうときのバラエティって、怠惰な心地良さをこよなく約束してくれる。

 だが、このバラエティ至上主義の世の中は、いったいいつまで続くのか。
 
 テレビでバラエティ番組が 「わが世の春」 を謳歌しているのは、視聴率が取れるからだという。
 当たり外れの多いドラマよりも、バラエティの方が安定した視聴率が稼げる。
 テレビ局にCMを提供するスポンサーは、視聴率の数字だけをシビアに追及する傾向が強いから、安定して高視聴率を獲得するバラエティは、スポンサーにとってもテレビ局にっても、 “安全パイ” なのだ。

 しかし、この 「視聴率」 のカウントの仕方が、近年、実情と合わなくなってきたと指摘する声もある。

 現在日本で行われている視聴率調査というのは、「在宅の人がリアルタイムで見る据え置き型のテレビ受像機」 を対象としたものだという。
 つまり、ワンセグやカーナビなどでテレビを楽しんでいる人の数はカウントされない。

 また、番組を録画して見る人たちの存在も無視されている。
 テレビの視聴率を問題にするとき、特に重要だとされる 「F1層」 (20~34歳の女性) の19時から23時までの在宅率はどんどん減少している。
 この層は、好きなドラマなどをあらかじめDVDやHDDなどに録画して、それを自分の好きな時間にゆっくり楽しむという方向にシフトしてきている。

 要は、「ドラマや面白いドキュメンタリーは録画して保存するもの。バラエティは、食事したり、片付け物をする時に流しておくもの」 という意識の変化が起きてきているらしい。
 つまり、バラエティは、「流しておけば、さびしさがまぎれる」 という、部屋の空気をふるわせる程度の存在なのだとか。
 
 そういう宿命にあるバラエティは、何よりも 「空気」 を大事にする。 
 そこに集まった出演者たちのかもし出す 「空気」 だ。
 ドラマやドキュメンタリーのように 「テーマ」 で勝負できないから、ますます 「空気」 への依存度が高くなる。

 バラエティに出演しているタレントや芸人たちは、場の 「空気」 を巧みに読み取り、当意即妙の受け答えを間髪いれずに披露する。
 「KY (空気読めていない) 」 などという流行語が世の中を席巻しているのは、たぶんに、こういう芸人たちの洗練されたセンスの影響があるからだろう。
 「KY」 は、バラエティ芸人たちの 「呼吸」 がベースとなって生まれてきた概念だと思う。
 
 でも、どこか虚しい。
 面白いけれど、それが何だ?
 …と問い詰めてしまうと、もうその先の答がない。

 芸人たちがその場の空気を読み合い、面白い受け答えをすることが究極の目的となってしまったこと自体、その世界が閉ざされてしまったことを意味する。
 そこには、ローマ帝国末期の貴族文化とか、フランス革命前夜の宮廷文化のような、空虚で甘いはかなさが漂っている。
 
 あの時代、しのびよる変化に怯えた貴族たちは、それを意識の中から追い払うために、「一夜の笑い」 に全身全霊を打ち込んで没頭した。
 おそらく史上もっとも洗練された 「空気の読み合い」 が行われたのは、フランス革命前夜のヴェルサイユ宮殿においてであろう。

マリーアントワネット

 笑いが洗練されてきたということは、「ひとつの時代の終わり」 を意味することが多い。


参考記事 「退屈が怖いマリー」
 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 15:40 | コメント(0)| トラックバック(0)

野鳥撮影の達人

【達人たちの肖像3】
《ユーザーレポート 東京都 松村さん》


 キャンピングカーを 「趣味を実現するための基地」 として使うという話はよく聞く。
 しかし、趣味の 「基地」 として使うだけでなく、夫婦の憩いの場としても、さらに日常生活空間としてもキャンピングカーを使っている人となると、日本広しといえども、そう多くはないだろう。

 ホビー540UFEをけん引して、トレーラーライフを満喫している松村さんは、そういうパワーユーザーの一人だ。
 稼働日は、ほぼ365日。
 家にいるより、キャンピングカーで暮らす方が圧倒的に多い。

ホビー&ランクル

 なにしろ、松村さんのご自宅は東京にあるのだが、仕事場が千葉県。
 その仕事場の敷地内にトレーラーを置き、普段はそこで寝泊りをしている。
 そして休日になると、奥さんを伴って、同時に自分の趣味も追及する。
 
 松村さんの場合、この 「趣味」 がすごいのだ!
 野鳥の撮影。

ミソサザイ ライチョウ
▲ 松村さんの撮ったミソサザイ(左)とライチョウ

 プロですらも撮れないような、決定的瞬間を数々モノにして、コンテストでも上位に名を連ねる常連なのである。

 フジフィルム主催の46回フォトコンテストの 「ネイチャーフォト部門」 では、日本全国でも5人しか選ばれない金賞を受賞。

警笛1
▲ 金賞を受賞した「警笛」

 財団法人 「日本野鳥の会」 が出している 「ワイルドバードカレンダー2008」 では、全国の野鳥写真家の中から選ばれた12人の一人として、7月のページに、松村さんの写真が掲載されることになっている。

 「自然を相手に写真を撮る場合は、決め手となるのは “待つこと” 。じっと我慢強く待機して、息をひそめながら、これぞと思える瞬間が来るまで待つわけです。
 それでも、一週間同じところに滞在しても、満足のいく写真は数カットしか撮れません」
 と、松村さんはいう。

 ところが、その数カットですら撮れない旅行もある。

 「こればかりは運…。だから、この趣味には終わりはない」

 プロとはまた違った、アマチュアとしての厳しさを見せる松村さん。
 それを支えているのが、奥さんだ。

 「彼が撮影に没頭している間も、退屈しないですむ空間として、このトレーラーは最適なんです。
 これなら、お茶を飲んで、本を読んで、自分の部屋と同じように暮らしながら、撮影が終わるのを待っていられます」

 けん引免許対応の大型トレーラーだが、それだけに、ライトトレーラーにはない豊かな居住性があるという。

 「以前使っていた750kgクラスのトレーラーは、しょせん “テント代わり” という感じでしたが、これなら “生活” できます。毎日シャワーを浴びて、トイレも使って、食事をして、テレビを楽しんでいます」
 ご主人も、奥さんも大満足のようだ。

 ただ、いつも置いてある仕事場の駐車場では、電源が取れない。
 電力の確保だけは、快適なトレーラーライフを維持する生命線。
 松村さんは、現在、ジェネレーター、ソーラーパネル、急速充電器、そしてキャンプ場などに出かけたときのAC電源接続を組み合わせながら、かなり計画的に電力確保を心がけているようだ。

 清水の確保も大事なテーマなので、オリジナルの50リッタータンクのほかに、さらにボディ反対側にも50リッタータンクを増設。合わせて100リッターの清水を確保するようにしているとか。

 それよりも、問題はLPGの充填だという。
 以前は、8kgボンベ2本を充填するときは、それをトレーラーから脱着して、ヘッドに載せて充填所へ通っていた。
 しかし、最近はキャンピングカーの充填に関して、少し慎重な対応をする充填所も出てきたという。
 乗用車でボンベを移動させるときは、縦に置き、倒れないようにロープで固定するように指導されたとも。

 「そこで、安全管理に注意していることも分かってもらうため、ヘッドでトレーラーを引いて行くことにしました。そして、ガスを扱う資格を持っている人に、その取り付け状況を確認してもらいました。それなら問題ないようです」
 と松村さんはいう。

 とにかく、販売店のスタッフが、とても松村さんのことを頼りにしているのだ。
 「松村さんのように、ほぼ毎日キャンピングカーを使っていらっしゃるユーザーさんのレポートは貴重なんです。毎日使う方は、やはり週末だけ使っていらっしゃる方とは違う経験をされることになる。
 それが、メンテナンスを考える意味においても、とても重要な参考意見となる」
 というのは、松村さんと仲の良いRVランドの佐々木さんの話。

 キャンピングカーを使いこなしている達人の存在は、ディーラー側にも貴重なデータを与えているようだ。

 定年まで仕事を勤めあげたら、このトレーラーで日本一周の旅に出るという。
 そのときに、どんな傑作写真が誕生するのか。今から楽しみだ。

 ※(画像は、撮影者松村さんのご承諾をいただいて掲載しました) 

campingcar | 投稿者 町田編集長 11:00 | コメント(2)| トラックバック(0)

決戦川中島

 『風林火山』 は、近年のNHKの大河ドラマのなかでは、比較的観た方だ。いつの間にやら、来週で最終回とか。
 クライマックスの川中島の戦いで、主役山本勘助が戦死するところで終わる。

 この山本勘助。
 実は、ながらくその実在が疑われていた人物だという。
 まず、その名前が、後世になって登場した 『甲陽軍艦』 という軍記物にしか登場しない。
 しかも、その 『甲陽軍艦』 という書物自体に記述的な誤りが多い (らしい) 。

 というわけで、この書は、多くの学者から資料的価値に乏しいと判定され、山本勘助自体も、架空の人間ではあるまいか、と見なされてきたわけだ。

 近年の歴史研究は、やたら 「合理性」 ばかり重んじるから、川中島の戦いにおいても、上杉謙信の 「敵陣単騎切り込み」 などなかった…とか、山本勘助なる武将の存在は疑わしく、仮に存在したとしても、武田家という身分制度を重んじる家中においては、下級武士が 「軍師」 など勤められるわけがない。
 …などと、もっともらしい見解ばかり披露する。

 おかげで、歴史がつまらなくなった。

 しかし、今回の井上靖氏の原作を元にしたこのドラマでは、ほぼ 『甲陽軍艦』 の記述に沿ってシナリオが書かれている。

 やっぱり、面白いわけさ!
 ドラマはこうじゃなくちゃね。
 ガクト演じる上杉謙信が、ちょっと飛んでる設定になっていたり、主役の山本勘助が、やたら目玉ばかりひんむいたワンパターン演技であったり、細かい突っ込みどころ満載なんだけど、すべて許す!

 川中島の戦いを描いた小説はいっぱいあるけれど、私が秀逸だと思っているのは、松本清張が児童向けに書いた 『決戦川中島』 という本だ。
 読んだのは小学校の5~6年生の頃だったと思うけれど、これにハマッた。
 読み終わった直後から 「戦国時代フリーク」 になった。

 その小説は、武田信玄の一生を描いたものだったが、途中から登場するライバル上杉謙信がやたらカッコよかった。

謙信公像
 
 緊張を強いられる陣中でも、戦機満ちるまでは、泰然自若と詩吟を唄い、琵琶を弾き、まるで孤高の芸術家のごとし。
 ひとたび采配を揮えば、その戦術・戦略のひらめき鬼神のごとし。

 さらに、「勝機あり!」 とひらめくや、決然と太刀をひらめかせて単騎敵将のもとへ突進する剛胆さを備え、兵を引く見切りも鋭く、「もはやこれまで」 と決断すれば、鮮やかな転進も厭わない。

 「義」 を重んじる精神も一級品で、信玄の領地甲斐において、塩が不足して領民が苦しんでいると聞くや、「領民の困苦を助けるは戦いとは別」 と、越後で取れた塩を、山国の甲斐に送っている。
 いいじゃん、こういう精神。

 世紀の文豪松本清張は、そんな颯爽たる上杉謙信像を、余すところなく描き切っていた。

信玄・謙信像
▲ 川中島古戦場公園にある信玄・謙信一騎打ち像

 ところが、学者たちの多くは、「食うか食われるかの戦国時代に、敵に塩など送るはずがない」 とか、 「大将が死んだら全軍が瓦解するのだから、単騎で敵陣に乗り込むはずがない」 という常識論を振りかざすだけ。

 こういう人たちが、歴史をつまらないものにしているんだろうな。

 作家の井沢元彦氏は、上杉謙信の 「単騎切り込み説」 を断固支持する人の一人である。
 「謙信には妻子がなかった。また地位や財産を惜しむ男でもなかった。しかも一度は出家した男だけに、生命への執着もなかった。だから、彼の単騎切り込みは、彼においては十分に考えられることだ」
 と、井沢氏はいう。

 「この合戦において、謙信は信玄の首を取るためだけに1万3千人の兵を動員し、そのうち3千人をすでに失っている。このまま引き上げたら、3千人の命は犬死になってしまうという思いがあったろう」
 
 そのとき、すでに投入兵力が尽きていた謙信が、自ら突進を敢行したとしても、彼は彼なりに勝機ありと判断したのだ、とも。
 
 やっぱ人の心を読むことを仕事にしている小説家は、学者にないところから物事を発想する。

 上杉謙信のこのような美学が、再び脚光を浴びるようになってきたのは、長い間、日本の戦国ブームをけん引してきた織田信長的ヒーロー像の終焉を意味するのかもしれない。

 高度成長期からバブルの時代を経て、戦国時代の最大のヒーローは織田信長だった。
 多くの人々が信長に認めたのは、その卓越した経済哲学・経営センスだった。彼は戦国大名である以前に世紀の 「事業人」 だったのである。
 だから、信長ブームは 『プレジデント』 などの経済雑誌から生まれてきたのだ。

 信長は、今でいうグローバルスタンダードのようなものを、日本で実現しようとした人だ。
 それは、経済成長が国家運営の指針であった時代には、カッコいい。

 でもさ、経済至上主義がギスギスした風潮を生んできた今のような時代には、「敵に塩を送る」 謙信的なカッコよさも、アリかな…と思う。

 参考記事 「上杉謙信いいかも」
 参考記事 「敵は本能寺にあり」
 参考記事 「合戦実況中継」

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:31 | コメント(2)| トラックバック(0)

深夜ショールーム

 何を売っているのか分からない店だった。
 もしかしたら、店でもないかもしれない。
 看板もない。
 店員もいない。
 昼間は閉まっている。

 しかし、深夜になると、ガラス張りのショールームに明かりがともり、陳列物が披露される。

 でも、それが果たして 「陳列物」 なのかどうか。

夜の店

 20代も終わろうとする頃、都心から少し離れた校外で独り住まいをしていた私にとって、その店は、なんとも奇妙な店に思えた。

 駅から幹線道路に抜けるバス通りに面して、数軒の商店が肩を寄せ合う一隅があり、そこから民家を3軒ほど隔てたところに、その不思議な店があった。

 「店」 と判定した理由は、いちおうガラス張りのショールーム形式を取っていたからである。
 しかし、昼間はガラス窓はブラインドに閉ざされている。
 ブラインドが開くのは、深夜。
 それも、1時とか2時といった時間帯だ。

 最終バスが走り去ると、店の前の人通りも絶える。
 3~4軒固まっている商店も、その時間には寝静まる。

 それを待っていたように、その店は、ひっそりとショールームを開け放つ。
 
 ガラス窓の中に、「人間」 の姿が見える。
 しかし、人間ではない。

 卓球台ほどの台座の上に、上向きになって寝ている人の影。
 人間と等身大のマネキン人形なのだ。
 それも、その当時ですらもう見ることの少なかった、青い目をして白い肌の外人風マネキン。
 頭部はスキンヘッド。そして裸。たぶん男性。

 それを見下ろす男女2人。
 これもマネキン。
 立っている2人はスキンヘッドではなく、頭部には黒髪のカツラが載せられている。

 2人とも白衣を着ているところを見ると、「医師と看護婦」 という設定のように思える。
 あるいは、死体を実験材料にでも使って、何かを企んでいる 「科学者」 たちなのだろうか。

 舞台照明のような人工的な光に照らされた3人の 「無言劇」 はひたすら続くが、結末については何も語ってくれない。
 昔読んだ、江戸川乱歩の小説の1シーンでも見るような思いだった。

 私が、この不思議なショーに気づいたのは、その道がコインランドリーに向かうための道だったからだ。
 当時、洗濯機もない部屋に住んでいた私は、1週間に2度ほどのペースで、夜になると、洗濯機を入れたビニール袋を担ぎ、アパートから5分ほどのコインランドリーに通った。

 最初に見たときは、小さなブティックでも準備するための仕掛けだろうと思った。
 しかし、1ヶ月経っても何も変らないので、この中途半端なディスプレイが、実は、この建物のオーナーによって意図的に仕組まれたメッセージであるように思えてきた。

 逆に、謎が深まった。
 何のメッセージなのだ?

 日曜日の昼間。
 私は、その建物から3軒ほど離れた場所に店を開いていた薬局に寄り、マスクとティッシュペーパーを買ったついでに、
 「あの建物は、何なんですかね?」
 と、おつりを差し出した女の子に尋ねてみた。

 「ああ……」
 答はそれだけ。

 でも、彼女の苦笑いや首の傾げ方で、言おうとしている言葉は伝わってきた。
 「…それを聞かれても、さぁ、どう答えたらいいのやら…」
 彼女自身が答を探しあぐねている風情だった。

 それで、いいような気がした。
 もし、その謎の建物のオーナーの意図が分かったり、人形たちのメッセージが分かったりしたら、とたんに自分の興味も失せてしまうだろう。
 それよりも、いつまでも 「謎」 は 「謎」 のままであってほしい。

 たぶん、そのディスプレイを演出しているオーナーは、とってもお茶目で、いたずら好きの人間なのだろう。
 見る人に謎かけをして、その反応を想像するだけで、面白がれる人なのだろう。

 でも、会ったら、案外ぶっきろうぼうな性格かもしれない。
 あるいは、ディスプレイに興味を持った人間を相手に、江戸川乱歩や横溝正史の話などを始めるかもしれない。

 あれこれ空想することは、当時ささくれだった気分で暮らしていた自分に、うるおいを与えてくれた。

 思えばあそこは、村上春樹の初期の短編に出てくるような土地だった。

 夜風が枯葉を舞い上げているような街角に、小さなスナックがあり、そこで、退屈を持てあました 「僕」 と 「ねずみ」 が、意味のない人生論をささやき合っているような街だった。
 月の光がしらじらと街路を照らし、いつまで経っても明けない夜明けが、静寂の底に沈んでいた。

 その後、私はその町を引き払い、別の町へ移った。
 しかし、数年に一度くらい、クルマに乗ってその町を通る。

 立派な駅ビルが建って、町が整備され、そこに続くバス通りの景観も一変した。
 お客の姿をみることもまれだった洋菓子屋と文具屋と薬局はなくなり、代わりに大きな自動車ディーラーが生まれた。
 怪しげな 「無言劇」 を演出していた例の建物も取り壊され、今は普通のマンションになっている。

 ときどき思い出す昔の情景も、だんだん 「夢の世界」 と区別がつかなくなっている。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:09 | コメント(2)| トラックバック(0)

トーイング体験場

 インディアナRVさんのトーイング体験スペース 「キャンピングパーク27」 が完成したというので、さっそく見学に行った。

 神奈川県・平塚市にあるインディアナRV本社 「RVプラザ27」 から歩いて5分 (400m) 。
 同社の降旗社長に案内されて行った先には、敷地600坪の広大なスペースが広がっていた。

キャンピングパーク27-1 キャンピングパーク27-2

 ここは 「トレーラー試乗コース」 であると同時に、商品の 「ストックヤード」 であり、かつ 「キャンプ大会の会場」 であり、「トレーラーの宿泊体験場」 でもある。

 要するに、 “多目的スペース” 。

 こういう場所を確保した意図を、降旗さんにうかがってみた。

 「トレーラーの購入を検討されている方々に、けん引した状態がどんなものか、それを体験していただくために確保した場所です」
 と、降旗社長は語る。

 トレーラーのけん引は、思ったほど難しいものではないことを、すでに経験者は知っている。
 しかし、トーイング未経験者は、連結状態でのバック、車庫入れに不安を感じている人が多い。

 キャンピングカーというのは、概して試乗のチャンスが少ないクルマだが、トレーラーの場合は、特にクローズドの状態で、安心してトーイングを練習する場所を探すことが難しい。

 「トーイングを体験してみたい方々に、この場所でさんざんチャレンジしていただき、トレーラーという車両を肌でつかんでもらいたい」
 と降旗さん。

降旗氏1

 さらに、ここには、宿泊専用のトレーラーも数台用意されているので、宿泊体験もできるようになっている。

 また、インディアナRV商品を購入したユーザーさんには、キャンプスペースとして解放することも検討中とか。
 料金設定は未定だが、金額は500円程度。
 場内には電気 (50A) 、水道、水洗トイレも完備しているので安心。

 ▼ 管理棟。中にはトイレ、水道、電源も完備
キャンピングパーク27スーパーハウス

 
 入り口近くには、清涼飲料水の自動販売機もあるし、ヘッドで走って5~6分のところには、ファミレス、コンビニ、ガソリンスタンドもたくさん揃っている。

 晴れた日には、西の方角にでっかい富士山。
 場内から見ると、富士山の正面にちょうど鉄塔が一本立ちはだかって邪魔しているのだが、その一点を除けば、ロケーションも悪くない。

 降旗さんが期待しているのは、ここがユーザー同士の交流の場になってくれることだ。
 今後は、ここでキャンプ大会を年に3~4回開きたいという。

 「うちのお客さんの9割は、トレーラーがはじめてというお客さんなんですよ。当然、すぐには仲間ができない。
 そこで、キャンプ大会を開くことによって、情報交換の輪をつくりたいわけです。
 仲間ができればトーイングに対する不安などもなくなるし、新たな楽しさや面白さも発見できる。
 ベテランの人たちの使い方を見れば参考になることもあるでしょうし、旅の情報も得られるでしょう」

 降旗さんは、そういう大会を開くことによって、今までトレーラーユーザーの底辺を広げてきた。
 
 しかし、会場が定まっていない場合は、候補地を選ぶだけでも一苦労。
 大会に使うキャンプ道具などを運んで、会場まで往復したりすることが大きな負担になったことも。

 「しかし、ここなら本社から400mなので、準備が楽。お客様のドタキャン、ドタ参加にも柔軟に対応できます。
 会場に車両が入りきらなかった場合は、ヘッドだけ本社に置いて、歩いてパーティに参加してもらってもいいのです」

 今週の土日 (15~16日) 、まず最初のユーザー大会が行われるという。
 約40家族、120~130人ほどの参加者が見込まれるそうだ。

 「アトラクションとして、トレーラーの車庫入れコンテストなんかも面白いかな…」
 と、降旗氏はにんまり。

キャンピングパーク27広場

 場所は、本社からクルマで1~2分 (歩いて5分) 。
 東名・厚木インターで降りた場合は、今まで右折していた 「田村十字路」 をそのまま直進して、「コジマ電気」 の角を右折。
 カーナビに打ち込む場合の目印は 「神田高校」 。
 「キャンピングパーク27」 は、その神田高校の斜め前だ。

campingcar | 投稿者 町田編集長 19:29 | コメント(0)| トラックバック(0)

疫病神の相棒

 誰だって、最悪の時期ってのを経験していると思うんだよね。
 俺の学生時代の終わり頃が、まさにそれでよ。

 大学生活も4年目を迎えようとする頃ね。
 否が応でも、将来を見つめなければならない時期が来てたんだけど、就職活動も含めて、将来の設計なんか、何一つやってなかったわけ。
 自分が何をやりたいのか、何になりたいのか。それだって、はっきりしたものがなかったのね。

 だから、授業にも出ずに、昼間から喫茶店でボケッとしてたり。
 部屋で陰気にレコード聞いたり。
 たまに街に出ても、夕焼けばかり眺めていたりとか。
 学生の最後は、そんな生活だったの。

夕焼け1

 だから、たまにクラスのやつらと会うと別世界なんだよね。
 「損保はまぁまぁだけど、やっぱ銀行は厳しいな…」
 とかさ。
 みんな就職のことしか話してないの。

 俺なんか落ちこぼれ扱いなのよ。
 クラスメイトの真面目な女なんかはさ、俺が遊びほうけてるの知っているから、軽蔑を通りこして、同情してくれるわけ。
 
 「人間なんかのきっかけがあれば立ち直れるのよ」
 なんて、忠告してくれてさ。
 よけいなお世話だと思ったけど、さすが不安になってね。

 不安になると、発奮して 「真人間」 になるタイプもいるんだけど、俺は逆でさ。
 不安を見つめないように、見つめないように…って、自分で自分を騙して生きていたんだね。

 そういうときって、必ず “相棒” ができるんだよ。
 
 俺と同期で入学したんだけど、年は三つも上ってヤツ。
 二浪して、さらに二年生と三年生の頃に滑っているから、年は上でも学年は俺より下なのね。

 そいつ、俺以外に友だちができなかったの。
 
 相手かまわず、そいつが繰り出す話題というのは、
 「中国の吉林省を独立させて、満州国を再建しよう」
 とか、
 「東南アジアに渡って、怪傑ハリマオの意志を継ごう」
 なんていう、荒唐無稽のバカ話でさ。
 ユーモアにもなっていないから、みんなヤツの思考回路が解らないために後ずさりしちゃうわけ。だから、一人で浮きまくってさ。

 だけど、俺には、妙にそれが合っていたんだよね。ヤツがうそぶくタワゴトがさぁ、現実から目を逸らそうとしていた俺には心地よかったのよ。
 
 俺だって、いちおう将来の 「夢」 ってのはあったわけ。
 音楽を聞くのだけは好きだったから、 好きな音楽を流す店でもやりながら、“音楽評論家” ってヤツを目指してみたいな…なんてことを思っていたわけ。

 だけど、「夢」 ってのは、それに向かって何か始めて、はじめて 「夢」 であってさ。何もしない限り、それは 「逃げ」 っていうのよね。

 で、とにかく逃げ回っているときは、
 「CIAに洗脳の技術を教わって、新興宗教をつくろう」
 なんていうヤツのザレ言が、アヘンのように効いてくるわけ。
 正常な神経がだんだん麻痺してさ、投げやりな生活を送ることが平気になっていくのね。

 そいつはナンパが趣味なのよ。
 
 二人で街を歩いていても、そいつ、不意に気がそぞろ…っていう瞬間があるのよね。
 …どうしたのかな?
 と思っていると、
 もう、ツツツッて先に進みだしてさ。前を歩いている女の子たちに、
 「お茶飲まない?」
 「散歩しない?」
 なんて、話しかけてんのよ。

 で、毎回同じパターンなんだわ。
 向こうだって喉も渇いていなければ、歩くのに疲れている時だってあるわね。
 後は、「学生ですか? 社会人ですか?」
 とかね。
 キャッチセールスの勧誘じゃねぇっての。

 でも、変な本だけはしっかり読んでいるヤツでさ。役に立たない知識ばっかり持ってるのよ。
 マダガスカル島に棲むシファカという名の猿は 「シファカ」 と鳴くとかね、オランダには 「スケベニンゲン」 という町があるとか。
 雑学オタクっていうんだろね。

 しかし、ナンパされた女の子はさぁ、
 「ギゼーのピラミッドの高さ知ってる?」
 なんて言われたって、キョトンとしちゃうよね。

 その女の子たちと居酒屋で飲んだりするだろ?
 そいつ、突然立ち上がってさぁ、黒田節を踊りだしたり、ヒットラーの口調で演説を始めたりするの。
 毎日が学芸会みたいなヤツなのよ。
 当然、たいていの女の子たちはそのノリに乗り切れなくて、居酒屋を出たところでバイバイになっちゃうんだわ。

 で、二人とも振られて、また街をさまよい出してさ。

 結局、今日も振られた…っていう挫折感もあったのかもしんないけど、いきなり道ばたに身を投げ出して、マンホールの蓋にキスしたりするんだよ。
 「シェークスピアは偉大だぁ!」
 とか叫びながらね。
 こっちは訳が分かんねぇし、もちろん通行人は唖然とするわね。

 運動がからっきしだめなヤツで、当然ケンカなんかも弱いんだけど、なぜか酔うと気が大きくなるタイプでね。
 よせばいいのに、大学の空手部だという三人組にケンカ売ってさ。夜の繁華街でね。

 俺は気づかなかったんだけど、すれ違うときにヤツの肩かなんかが相手に当たったらしいのよ。
 「しっかり歩け、こら!」
 とか言われたもんだから、そいつ立ち止まって振り向いてさぁ。
 「ぶつかっておいて、コラとはなんだ!」
 なんて、仁王立ちになってんのよ。

 俺、やべぇと思ったよ。
 だって相手の三人組は、全員ずんぐりむっくりの体形を学ランで包み、そろって坊主刈り。
 空手か柔道をやっていることが一目瞭然なのにさ。

 こりゃまずい…って思ったから、ヤツの腕を引いて逃げ出そうとしたんだ。
 そしたら、三人組の一人がものすごい速さで。俺の進路をふさいでさ。
 「ふざけんなよ。てめぇらの方からケンカを売って逃げるのはありかよ」
 ってすごむのよ。

 俺ももう覚悟してさ。ケガしない前に通行人が仲裁に入ってくれることを期待して、
 「そこを開けないと、痛い目にあうぜ」
 って切り返したんだ。
 
 すごいジョークだよな。俺たち二人は身体も貧弱で、着ているものもナンパ系のヘロヘロシャツ。
 相手は、タッパも横幅が俺たちの倍ぐらいありそうで、特攻服みたいな学ラン姿。
 どう見たって最初から勝負はついてるわね。

 気づくと、俺の身体がもう宙に浮いてるの。
 三人組の一人が俺のエリ首つかんで、宙に持ち上げているのさ。
 それを合図に、残りの二人が手際よく左右に分かれ、一人は拳を腹に入れる役目。
 もう一人は足でスネを蹴る役目。
 実に見事な分業体制でさ。逃げようにも、エリ首つかんだヤツが離さないから身体が動かないのよ。

 で、俺一人が三人組にボコボコにされている間、ケンカのきっかけをつくった相棒は何をしていたと思う?

 自分はけっして殴られないような遠くの場所で、
 「話せば分かる、話せば分かる」
 って叫んでいるだけなの。

 何を話すつもりなんだか…
 情けねぇったらありゃしないよ、まったく。

 そいつのおかげで、パトカーに乗せられて警察に連行されたこともあったよ。
 いつもブラブラしていた公園の近くに廃屋のようなアパートがあってさ。
 例によって酔っ払った相棒は中に侵入して、片っ端からドアを蹴りつけていたわけ。
 「アチョー!」
 とか叫んで飛び跳ねていたから、たぶんブルース・リーにでもなったつもりだったんだろうね。

 したら、その廃墟のようなアパートに居住者がいたんだよ。
 いきなりバラバラっと住人たちが出てきてさ、
 「警察呼べ! 警察よべ!」
 とか叫ぶわけ。

 住居不法侵入。器物破損。

 本来なら刑事事件になるところ、酔った上でのいたずらりであり、初犯であることから始末書にサインするだけで、なんとか放免。

 …ったく、俺にとっては疫病神みたいな相棒でよ。

 でも、そいつ死んじゃったんだ。
 休みに故郷に帰っている間にね。

 なんでも田舎の青年団に混じって、村歌舞伎の舞台なんかに立っていたらしい。
 セリフを喋りながら、倒れたんだって。
 舞台の上で、そうとう緊張してたんだろうな。
 脳の血管が切れたんだって。

 悲しいけれど、舞台の上で倒れるなんて、そいつらしいと思ったよ。

 こうして、最後の相棒もいなくなっちゃったわけ。

 でも、それからなんだよ。
 ようやく、「これじゃいけねぇ」 って思い始めたのは。
 
 俺、普通の人間として普通の仕事をする生活に、すごいプレッシャーを感じたいたんだね。
 でも、そいつが死んで開き直ったのよ。

 「てめぇの夢があるなら、そいつにチャレンジしてもいいじゃねぇか」  ってね。
 「たとえ、世間が認めてくれるような会社人間にならなくても、自分の好きなことやってみろよ」
 そう思えるようになったの。

 で、俺、みんながまっとうな就職して、立派な仕事をするようになるのを見届けるように、レストランのアルバイトを始めることになったんだよ。

 アルバイトしながら、店の経営ってのを勉強して、カネを貯めて、いつかはブラックミュージックを流す店を持って…なんてね。
 そして、音楽に関わるような原稿なんかもいっぱい書いて、最後はモノ書きになって。

 そんなことを、俺に決心させるために、あの相棒は死んじまったのかな…なんて、今では思う。
 あいつが、俺のダメな部分てのを全部吸い取るように持っていって、バカバカしいことたくさんやって面白かったろ? って言い残していったのかな…って。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:56 | コメント(4)| トラックバック(0)

物を買わない若者

 ある週刊誌に、最近の20代の若者は、極端に消費を渋る傾向があるというレポートが掲載されていた。

 その記事によると、現在クルマを持っている20代は、13.0パーセントで、2000年の調査で示された23.6パーセントを大きく下回っているという。
 また、旅行への意欲に関しては、6年前に418万人だった20代の海外旅行者は、06年には298万人に縮小し、6年間で約120万人減となった(JTB調べ)。

 クルマに関していえば、
 「ガソリン代や維持費がムダ。それに、家にあるクルマをたまに使っていれば用が済む」
 旅行に関していえば、
 「今は、テレビやネットなどで、どんな地域の情報も手に入る。わざわざ面倒な思いをして、自分で出向かなくても…」
 そう答える若者の意見が紹介されていた。

 「自動車」 と 「旅」 。
 その二つに関わるキャンピングカーという存在は、20代の若者からはまったくそっぽを向かれているという状況にあるのかもしれない。

 こういう傾向に関して、自動車会社や旅行会社は危機感を深め、それぞれ連携して、自動車旅行のメリットをアピールするような企画をいろいろと模索しているようだ。

 しかし、若者が 「消費の開拓者」 の位置から降りるようになった背景には、なかなか複雑な問題が横たわっている。

 ひとつは、格差社会が目に見えるような形で広がってきて、すでに 「下流」 に甘んじている若者は、高卒や三流大卒では出世もムリと分かるようになってきたこと。
 だから、可処分所得の範囲で、つつましげに生活することが常識化してきている。
 
 また、今の若者は親にパラサイトすることに抵抗がないため、親の資産が活用できるうちは、なるべくそれに頼ろうとする傾向があること。

 そういう背景が横たわっていることを、その週刊誌の記者はレポートしていた。
 ついこの前まで、ホリエモンのような上昇志向の人間がもてはやされていたのに、もうそれが遠い昔のような時代が訪れているという。

 こういう事例を挙げると、すぐ 「若者の無気力さ」 を断罪する意見が続出してくるような気がする。

 しかし、私は、チョイと複雑な気分。
 もしかしたら、若者の 「消費意欲の減退」 は、実は地球のセオリーにかなった選択なのかもしれないと、思うからだ。

 今までの文明社会の消費構造は、地球の有限なエネルギー資源を消費する形で進行してきた。
 具体的には、化石燃料の消費、鉱物資源の消費……等々。
 その結果として、CO2の過剰放出が招く地球の温暖化、バイオエネルギーへの依存度を高めた結果の食糧事情への不安など、さまざまな問題を引き起こすようになった。

 だから、若者の 「選択」 は、地球を守ろうとする無意識の良心を反映していると読めないこともないのだ。

山の画像

 消費が停滞すれば、もちろん産業は萎縮する。
 だから、どの企業も例外なく、若者の消費欲を喚起するためのさまざまな方策を模索するだろう。
 しかし、従来の方法論に則った消費欲の喚起は正しいのか?

 何も、エネルギー資源の過剰消費だけが、産業を育成する唯一の方法とは限るまい。
 自動車を売るなら、むやみに暴走するだけのドライブよりも、エコドライブの方が楽しいとアピールする方法だってあるだろう。
 旅行事業を振興させるためには、モニターだけに頼ったバーチャルな 「旅行」 より、やはり本物の旅行の方が精神力を高めるという視点を強調しなければならないだろう。

 若者の消費欲を喚起するには、商品を広報するための 「哲学」 の転換が求められる時代が来ているのかもしれない。

関連記事 「欲しがらない若者」




コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 21:19 | コメント(2)| トラックバック(0)

大子グリンヴィラ

 12月初旬の土日、RVランドさんのオーナーズキャンプ大会が開かれた。
 会場となったのは、「大子広域公園オートキャンプ場グリンヴィラ」 。

 1年ぶりにこの場所に来て、あらためてすごいキャンプ場だな…と思った。

大子サイト全景 大子売店

 ゆっとりしたサイトと行き届いた設備。
 センターハウスの充実した機能。
 お風呂も本格的ならば、コテージも豪華だ。

大子風呂 大子コテージ

 キャンピングカーユーザーにありがたいのは、ダンプステーションを完備しているだけでなく、カセットトイレ専用の処理施設もあること。

トイレ処理棟 大子カセットトイレ処理

 もちろんこのキャンプ場には、最初から優れた施設を持つ高規格キャンプ場としてスタートしたというアドバンテージがある。
 関東では真っ先に、(社) 日本オート・キャンプ協会の 「五つ星」 の認定を受けたというのも、その恵まれた施設内容が評価されたという部分はあったろう。

 しかし、オープンして以来、常にキャンプ系メディアの高評価を独占し、キャンパーの人気を独り占めしてきた理由は、単に施設内容の充実だけでは語れない。
 そこには、優れた施設をより効果的に利用者に供させるスタッフたちの努力があったのだ。

 大子広域公園オートキャンプ場グリンヴィラは、平成14年に茨城県がつくった公営キャンプ場である。

 公営キャンプ場は、基本的に自治体の税金でその運営がまかなわれるために、概して、顧客サービスに対する意識が乏しいと指摘されたり、接客態度も 「お役人的」 と言われることがある。
 採算を重要視しなくてもいいために、そういう経営姿勢でも是認されてしまうという面があるからだろう。

 その点、大子広域公園グリンヴィラは、公営らしからぬ運営ぶりが際立っていた。
 スタッフ一同が、常に様々なイベントを考案し、自分たちでアイデアを練り上げながら、来場者へ提案していく。

RVランド大子尻相撲 RVランド大子料理

 スタッフ全員が、常に場内の隅々の施設を点検し、使い勝手のさらなる向上や新しいアイデアの投入に心を砕いている。

 ホームページ・ブログなどの更新頻度を高め、常にきめ細やかな情報発信を行って、ファンを獲得していく。

 さらに、「キャンプ文化」 の原点もしっかり研究しようという姿勢もおろそかにしてはいなかった。
 センターハウスには、「キャンプの歴史」 を紹介するパネル展示コーナーがあり、それを見ているだけで、日本にいつキャンプライフが紹介されて、どのように発展していったかという歴史をたどれるようになっていた。

 このパネル展示では、明治時代のキャンプ風景やらオートキャンプが普及してきた時代の貴重な写真が公開され、そのコーナー自体が 「キャンプ博物館」 のような様相を呈していた。

大子歴史展示パネル1 大子歴史展示パネル2
 ▲ オートキャンプの歴史展示パネル

 これらの活動を眺めていると、このキャンプ場のスタッフが、キャンパーに喜んでもらえるアイデアを不断に練り続けるだけでなく、「オートキャンプ文化」 を、日本に定着させようという情熱を持っていることも伝わってくる。

 そういうスタッフたちの積極性を引き出してきたのも、このキャンプ場のスタート時からその運営を任されていた支配人、小松和人さんの力だった。

大子小松支配人
 
 小松さん自身が、キャンプが大好き。
 少ない休みを利用して、お子さんと一緒に自分のキャンプ場でテントを張ることもあれば、他のキャンプ場にも遊びに行く。
 「大子」 で試みられる数々のイベントの企画、施設の見直しなどは、常にそういう姿勢を貫く小松さんの 「キャンパー」 としての嗅覚が働いたものだ。

 私が携わっている 『キャンピングカー super ガイド』 という本では、キャンピングカーを紹介するページの他に、「キャンプ場」 紹介コーナーがある。
 キャンピングカーの宿泊場所として、オートキャンプ場を推進していきたい私としては、なるべく多くのキャンプ場を紹介していきたいと思うのだが、キャンプ場経営者のなかには、キャンピングカーユーザーの来場を好まない人もいる。

 理由は、主に、
 「アプローチロードやサイトが狭いから」
 という物理的なものが大半だが、なかには、
 「キャンピングカーオーナーは横柄だから」
 という理由を、こそっとこぼす人も、いないわけではない。

 しかし、小松さんは、最初からキャンピングカーの利用率を高めることが、これからのキャンプ場運営の鍵を握るということを見抜いていた人だった。
 キャンピングカーユーザーは、テントキャンパーよりも悪天候のキャンセル率が低い。
 また、定年退職を迎えたキャンピングカーユーザーを誘致することは、平日の稼働率を上げることにもつながる。

大子ユーザー7 RVランド大子ユーザー4


 そういう経営的な判断が働いたのだろう。
 私が携わっている 『キャンピングカー super ガイド』 の 「キャンプ場紹介コーナー」 でも、小松さんは真っ先に支持を表明して、積極的に支援してくれた人だった。

 その小松さんが、近々 「大子広域公園グリンヴィラ」 を辞めるかもしれないというウワサを耳にした。

 直接、本人に尋ねてみた。
 「ま、そういう流れが濃厚になりまして…」
 と、ちょっぴり寂しげな表情だ。

 何があったのかは知らない。
 でも、小松さんがいなくなった 「大子」 なんて想像ができない。
 公営キャンプ場の支配人ながら、まるで民営キャンプ場のオーナーのような意識を持って、絶対的な人気と莫大な収益を確保してきた小松さん。

 このキャンプ場を大事にしている多くのファンも、小松さんのその接客センスを愛してきたのだ。 
 なんとか、辞めるのを思いとどまってほしいものだ。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 15:19 | コメント(4)| トラックバック(0)

LPGの充填

 キャンピングカーは家庭と同じように、電気、ガス、水道といったライフラインを基本的に持っている。

 ところが、キャンピングカーの場合、家庭と違ってこのライフラインを使いこなすためには、「チャージ」 が必要となる。
 電気の場合は、走行充電やAC電源に接続するという方法があるし、発電機、ソーラーパネルという手もある。

 水道は、まぁ、給水タンクにホースで水を注げばいい。

 けっこう大変なのはガスだ。

 大型輸入車やレギュラーサイズのキャブコン、それにトレーラーなどの場合、その多くはLPG (液化石油ガス) に頼っている。
 私のクルマも、コンロとボイラーはLPGのお世話になるわけだが、旅行先でガスが欠乏したときなど、この充填がけっこう面倒くさい。

 まず、充填所というものが、ガソリンスタンドのように、走っていればどこでもすぐ見つかるというものではない。
 地方の小さな町に行くと、酒屋さんなどがLPGを販売していたりするが、そういう小売店には充填機能がないため、飛び込みで駆け込んでも、まず断られることが多い。

 仮に、そこが充填を引き受けてくれたとしても、結局は元売の充填所から充填を受けるため、当日その場で充填してくれることはまず期待できない。

LPGボンベ

 そこで、充填所が併設されたガス販売店に行くことになるが、困ったことに、そういう店は、土日が休みであったり、営業終了時間が早かったりすることもあって、ちょいと苦労する。

 そういう事情を反映して、小型キャブコンなどでは 「脱LPG化」 が進行している。コンロなども、調達の楽なカセットガスで対応すればいいとなれば、構造用件を満たすために付いてくるカセットコンロで十分。
 調理器具としては電磁調理器を搭載するような車両も増えてきているので、LPGへの依存度はかつてより少なくなってきた。
 
 今の私のクルマは、FFヒーターが 「軽油燃焼式」 であるため、以前のLPGヒーターのときよりはガスの消費量が減ったので助かっている。
 冷蔵庫は一応3ウェイだが、キャンプ場で使う頻度が高いので、現地に着くとACに切り替える。
 だから、ガスを使うのはコンロが中心。

 それでも、キャンプ中にまったくコンロを使わないというときはないので、出かけるたびに少しずつガスは消費する。

 購入して、そろそろ5年。
 ボンベの耐圧検査の時期も近づいている。
 あれは、最初のボンベを購入した時に刻印された年月から、6年に1回検査を受けることが義務づけられている。

 この6年ごとの検査を繰り返し、20年を過ぎると、今度は1年ごとに容器の耐圧を調べなければならない。
 この 「1年ごと」 というのは、昭和の時代に作られたボンベのことで、平成期のものは2年という話もある。
 
 まぁ、実際には20年以上同じボンベを使うというケースは稀かもしれないけれど、ともすれば忘れがちなことなので、耐圧検査のことを思い出すたびに、ちょいと面倒な気分になる。
 充填場所と検査場は異なることが多いので、ボンベを預けても、すぐに検査を受けたものが返ってくるわけでもない。
 
 キャンピングカーって、けっこう気ぜわしい。
 でも、その気ぜわしさが、逆に、仕事から受ける気ぜわしさを紛らわせてくれるから不思議だ。
 多くの人がキャンピングカーのとりこになるのも、そういう効果を知っているからかもしれない。

 ガスの充填に関しては、最近、それを拒否されたというユーザーさんの証言を多少聞くようになった。

 実は、そのことに関して、いくつかのLPG会社などに聞き取り調査を試みてみた。
 ガス会社によって、微妙に見解が異なっている。
 だから、詳細は今の段階では述べられない。
 いずれ、詳しいことが分かり次第、このブログでも紹介してみたい。

 関連記事 「LPGの充填拒否」

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 21:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

大子でキャンプ

 RVランドさんのオーナズキャンプにご招待され、大子広域公園オートキャンプ場 「グリンヴィラ」 に行ってきました。

RVランド全景2

 2日間とも好天に恵まれ、絶好のキャンプ日和。
 夏の入道雲を思わせるような、元気の良い雲が青空に映えて、なんとも気持ちの良い休日でした。

RVランドオーナーズcamp2 
 
 この日集まったのは、約90家族。
 日本最大級の展示規模を誇るRVランドさんのオーナーたちだけあって、国産キャブコン、バンコン、バスコン、アメ車、ヨーロッパ車、トレーラーと、車種の豊かさにも目を見張るものがあります。
 あの広いグリンヴィラを貸切にしてもサイトからクルマが溢れ、駐車場に宿泊するクルマもいっぱいあったわけですから、この大会の規模の大きさが分かろうというものです。

RVランドオーナーズcamp1 

 楽しいイベントも目白押し。

 ▼ アウトドア料理コーナー。
RVランド大子料理

 ▼ 子供の部、大人の部と分かれた 「お尻相撲大会」 。
RVランド大子尻相撲

 ▼射的
RVランド大子射的

 そのほか、家族仮装大会。
 豪華商品が当たる ○×クイズ
 キャンドルライト作り…

 とにかく、時間を空けずに、会場のどこかでは必ずイベントが行われており、参会者に退屈を感じさせないプログラムが組まれていたことは特筆モノです。

 いちばん盛り上がったのは、なんといっても夜のアトラクション。
 昼間行われた 「お尻相撲」 の決勝戦が行われ、その次が 「家族仮装大会」

RVランド仮装大会1

 出てきた家族の方々があまりにも芸達者。
 思わずRVランドのスタッフに、
 「芸人の方々を呼んだんですか?」
 と尋ねてしまいました。

 「いえ、みな普通の仕事をしているオーナーさんたちですよ」
 との答え。
 う~ん…。ここの客層は、層が厚い。
 そんな風に、妙に感心してしまいました。

 ▼ メインステージ横には 「RVバー」 も開店。

RVランド大子酒
 
 日本酒、焼酎の名ブランドがずらりと並び、それが無料で飲み放題。
 私の知っているブランドは、日本酒では 「久保田」、「八海山」、「景虎」、焼酎では 「魔王」 ぐらいだったのですが、酒好きの人には目が飛び出るような名品がズラリとのこと。

 取材に来れられた 「オートキャンパー」 誌の松本さんは、大の日本酒党らしく、「とにかく通好みの酒をよくこれだけ集めたもの」 と感心されていました。
 で、その松本さん。すっかり 「RVバー」 の専属スタッフに成り代わり、お酒を求めに来られたお客さんに、
 「甘口をお望み? それとも辛口? 辛口だったら、ちょっとコレを舐めてみて。気に入ったらコップにお注ぎしましょう。滅多に飲めない酒ですよ」
 と、日本酒の伝道師を務めていらっしゃいました。

 「○×クイズ」 も大いに盛り上がりました。

 ▼ なんといっても、景品が豪華。

RVランド大子景品

 液晶テレビをはじめ、高級家電から高価なキャンプグッズまで大盤振る舞い。

 いやぁ、いろいろなお客さんとも話す機会があって、とても楽しい日でした。 

RVランド大子ユーザー1 RVランド大子ユーザー2

RVランド大子ユーザー4 RVランド大子ユーザー3

 個々のサイトに訪れるときも、なるべく、取材スタッフと分からないように、さりげなく話しかけてはいたのですが、どこかで面が割れていたんでしょうね。

 「お、この人は、日本でも高名なカメラマンなんだよ。ちょっと俺たちも撮ってよ」
 …なんて。
 
 で、記念写真など撮って、お話を聞いて。
 その場を離れたときに、背中越しに…

 「今の人は、確か日本でも有名なカメラマンなんだよ。なんていったかな、どこかの雑誌の人だよ」

 テヘヘ….
 そんなこと言われた日には、ますます正体を明かせなくなっちゃうじゃないですか。
 第一カメラ専門じゃないしね、俺は…。 

 とにかく、私が参加した今年最後の大イベント。
 楽しかった。
 RVランドさんと、大子広域公園キャンプ場さんには感謝です。

旅&キャンプ | 投稿者 町田編集長 22:41 | コメント(4)| トラックバック(0)

時間の止まる空間

 本来 「人がいるべき場所」 に、誰もいないとき、私たちは不思議な気分にとらわれることがある。
 たとえば、都会の駅のホームで人影が絶えたとき。
 遊園地の観覧車が、人を乗せずに回っているとき。

 そういう光景に接したとき、私たちは 「淋しい、怖い、空虚だ」 …という気持ち以外に、何か別の世界の気配を感じることがある。

インテックス3

 私は、何もない、時間が止まったような場所が好きだ。
 「地上のもの」 が姿を消した空間というのは、言葉を返せば、「地上でないもの」 が密かに降りてきている空間だと思えるからだ。

 もう、20年ぐらい前。
 出張で伊勢の方を回ったついでに、有名な伊勢神宮を参拝したことがある。
 あそこでは、20年ごとに社殿や鳥居を別の場所に移す遷宮が行われる。

 遷宮が予定されているという候補地を見た。
 木々に囲まれただけの、見事なほどに何もない広場だった。
 午後の木漏れ日を映した大地の上を、風だけが舞っていた。

 そのとき、私は勝手に日本神道の本質を理解したような気分になった。
 十字架や仏像のように、コアになるものをシンボライズせずにはいられないキリスト教や仏教と違って、神道の中心にあるものは 「無」 だった。
 そこには、初めから神々などというものも、いなかったのだ。

 「無」 であるからこそ、吹き渡る風が清々しかった。
 その何もない空間は、紛れもなく 「この世とは異なる空間」 だったように思う。

 いつ頃から、そんな風景に惹かれるようになったか分からない。
 たぶん、エドワード・ホッパーという画家の絵を見るようになってからだと思う。

 下の絵は、いずれもホッパーの作品。

ホッパー絵1 ホッパー絵2

 温かい太陽光描かれているのに、どうしてこの二つの絵は、存在論的な不安感を見る者に抱かせるのだろう。
 それは、「不在の空間」 が、とりもなおさず、人の住む世界とは異なる空気に満たされているということを、伝えてくるからだ。

 その 「空気」 の正体が分からない。

 いつの間にか、そんな風景が気になって、自分でも写真を撮るようになった。

ビルの影4

 ▲ ビルに映る建物の影。
 ただそれだけのことなのに、影が生きているように思える。

トンネルの向こう側2

 ▲ どこにでもあるような、トンネル。
 しかし、クルマも人影も、ふと途絶えたとき、その出口は別の世界につながる回路となる。

赤いポスト3

 ▲ 過去の遺物となった赤いポスト。
 現在は、公園の中で、観光客サービスの景観としてのみ機能している。しかし、観光客たちの影がなくなると、ポストは、この世の手紙をあの世に送り始める。

 高速道路のサービスエリアのような、利用目的があいまいなものをことさら排除しようとする合理的な空間においても、「無の空間」 がときどきヌッと顔を出すことがある。

 中央道・談合坂のくだりSA。

談合坂SA2

 ▲ 周囲を壁に囲まれた、ひっそりとしたベンチ。
 取り残されたベンチが、なぜか私に 「人の不在」 を強く語りかけたきた。
 それを見たとき、「誰か」 ではなく、「何か」 が座っているように思えた。

 淋しい風景とは何か。
 
 それは、人影の見えない大自然などではない。
 人のために供された空間に、人の不在を見つけたとき、「淋しい風景」 は生まれる。
 しかし、そのとき、そこには必ず 「人」 以外の、何かが降りてきている。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:16 | コメント(4)| トラックバック(0)
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