町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

最近の記事
新ブログのご案内
04/28 17:06
久々の更新です
04/27 19:06
3・11以降
04/12 09:56
人類に残された資源
04/05 10:18
ザ・ウォーカー
04/03 00:53
島尾敏雄・贋学生
04/02 03:45
日本人は変わるか
03/31 01:36
渚にて
03/26 02:03
テレビは終わった
03/23 00:23
明かりの果ての闇
03/21 08:05
東電を怒る父さん
03/18 17:00
深い言葉
03/16 09:53
何かが変わった
03/15 00:06
災害時のキャンカー
03/13 16:18
大地震
03/12 13:16
ジュリアンオピー
03/11 02:35
親孝行ビジネス
03/08 20:02
OMCの北斗
03/07 00:18
アレクサンドリア
03/05 15:49
AtoZのバンビ
03/03 20:36
かるキャン
03/02 18:39
ハーレーの魔力
02/28 21:59
パークウェイ
02/23 18:59
CG880
02/20 13:11
忙しいぞぉ!
02/18 22:01
都市型キャンプ場
02/09 23:55
ファビュラス日本
02/07 19:32
老人の孤独
02/06 20:36
「都会」 の匂い
02/05 01:53
エジプトでは何が?
02/04 15:44
同人雑誌仲間
02/03 00:20
自己啓発ビジネス
02/01 02:10
ノスタルジー
01/30 05:23
夫婦の会話の危機
01/28 23:58
その一服は必要か
01/24 23:40
荒野の炎
01/23 19:43
山口冨士夫の精神
01/22 03:11
焚き火で育つ感性
01/20 19:55
キャンカー1人旅
01/19 01:37
車中泊の社会実験
01/17 15:40
個人の時代
01/16 11:50
細くなるネクタイ
01/13 20:32
映画アバター
01/12 20:07
若者の考える商売
01/11 14:36
パリッシュの絵画
01/09 04:00
300万アクセス
01/08 12:15
不思議な青空
01/07 21:04
TV・新聞の凋落
01/06 19:44
中国ルネッサンス
01/05 20:19
ベルイマン・沈黙
01/04 21:33
出来事いろいろ
01/03 02:43
謹賀新年
01/01 00:48
オールドマン
12/30 18:53
好奇心の力
12/29 14:28
「孤独死」の原因
12/27 20:17
廃墟のある島
12/26 02:48
遠いクリスマス
12/25 01:06
ロビン・フッド
12/24 03:48
地獄の電車
12/23 11:35
バッグス・バニー
12/22 02:59
正義の話をしよう
12/19 23:46
空気人形
12/18 13:10
ジジイ同士の酒
12/17 04:32
世界ゲーム革命
12/14 02:47
ハイマー懇親会
12/13 16:11
ガールズキャンプ
12/12 23:48
イタリアをめざせ
12/10 15:15
外来種の驚異 Ⅱ
12/09 00:41
外来種の脅威とは
12/08 20:46
Kポップの台頭
12/07 01:19
うつろひ
12/06 01:21
海老蔵さんの悲劇
12/05 01:07
追悼ジョンレノン
12/03 04:52
「個性化」のワナ
11/30 04:13
戦うブログ
11/29 04:09
子供の自然体験
11/28 04:50
RV好きの芸能人
11/26 01:01
胃の中にヘビ
11/25 16:12
消えた秋
11/22 14:14
歌謡ブルースの謎
11/20 04:29
おひとりさま時代
11/19 00:33
3行で総てを語る
11/18 00:15
塔の形而上学
11/17 02:04
裕次郎スナック
11/15 23:10
自然は子供を養う
11/12 20:28
おれ、ねこ
11/10 01:19
NHK車中泊報道
11/09 17:17
お台場パラダイス
11/08 20:34
伝える力
11/05 00:12
お台場ショー迫る
11/04 02:02
昔は戻らない
11/03 02:11
電子タバコ
11/02 00:04
一般国道の不思議
10/29 18:25
酒場放浪記
10/26 22:25
名古屋RVショー
10/25 19:25
ハイマーカー322
10/21 12:31
猫会議
10/21 00:05
飽きるという知恵
10/20 01:28
ロボット兵器
10/19 02:52
最近のコメント
突然の書き込み失礼…
最近の流行 05/12 00:01
はじめまして~文…
すまそ 05/08 16:44
>TJさん、ようこそ…
町田 04/28 13:47
>TJさん、ようこそ…
町田 04/28 12:06
便利+楽=快適、これ…
TJ 04/28 10:05
町田さん久しぶり…
motor-home 04/28 06:07
やはり、時代の変化・…
TJ 04/21 02:27
私はこのところ「自然…
磯部 04/12 14:52
>aki さん、よう…
町田 04/12 10:18
何度も投稿ボタンを押…
aki 04/08 10:57
>aki さん、よう…
町田 04/08 09:13
今のVWに乗り換える…
aki 04/07 15:19
>雷さん、ようこそ。…
町田 04/06 15:20
>ミペット@倉庫の肥…
町田 04/06 13:46
>JoeCoolさん…
町田 04/06 11:06
キャンピングカーは、…
雷 04/05 21:37
率直に言うと、研究所…
ミペット@倉庫の肥やし保存中 04/05 20:10
町田さま度々失礼…
JoeCool (in Peanuts) 04/05 12:56
>aki さん、よう…
町田 04/05 11:14
今のこの国の空気、ど…
aki 04/04 10:32
>solocarav…
町田 04/01 11:08
>JoeCool さ…
町田 04/01 10:32
>ムーンライトさん、…
町田 04/01 09:56
>赤い屋根さん、よう…
町田 04/01 08:53
「心に届く言葉」・・…
solocaravan 03/31 23:23
今回のように社会全体…
雷 03/31 23:05
米国では9.11の前…
Jo 03/31 11:21
米国では9.11の前…
JoeCool 03/31 11:19
米国では9.11の前…
JoeCool 03/31 11:05
そうだ、普遍性だ。…
ムーンライト 03/31 09:31
町田さんおはようござ…
赤い屋根 03/31 07:50
>おおきに! さん、…
町田 03/30 15:47
>雷さん、ようこそ。…
町田 03/30 14:57
>雷さん、ようこそ。…
町田 03/30 14:33
町田編集長さん こん…
おおきに! 03/29 08:29
今回の震災では、各局…
雷 03/28 21:22
本作品のリメイクであ…
雷 03/28 21:09
>おおきに! さん、…
町田 03/23 19:54
町田編集長さん こん…
おおきに! 03/23 07:48
>s-_-s さん…
町田 03/23 01:19
>ムーンライトさん、…
町田 03/23 00:46
人間は電気によって闇…
s-_-s 03/22 22:55
追記です。先ほど…
ムーンライト 03/22 14:24
数日前、市内の大型ス…
ムーンライト 03/22 12:24
>ブタイチさん、よう…
町田 03/22 03:09
お久しぶりです。町田…
ブタイチ 03/21 22:54
>鈴木様、ようこそ。…
町田 03/19 23:12
>ムーンライトさん、…
町田 03/19 22:35
今日、店からはじめて…
デルタリンク宮城 03/19 19:40
この「東電を怒る父さ…
ムーンライト 03/19 11:45
>ゆんたさん、ようこ…
町田 03/19 09:11
言葉に出して誰かに代…
ゆんた 03/19 07:50
>鈴木 様本当に…
町田 03/18 00:00
町田さん、ご心配あり…
デルタリンク宮城 03/17 20:52
>鈴木様コメント…
町田 03/17 16:04
>TOMYさん、よう…
町田 03/17 14:39
町田さんこんにちは。…
デルタリンク宮城 鈴木 03/17 11:32
こんばんは、町田さん…
TOMY 03/16 20:23
世界中に5億人を超え…
フェイスブック 03/15 11:30
>s-_-s さん、…
町田 03/14 00:28
町田さんご無事で何よ…
s-_-s 03/13 22:55
>ムーンライトさん、…
町田 03/12 17:43
町田さん。ご無事でし…
ムーンライト 03/12 16:25
>YAMAさん、よう…
町田 03/12 13:33
シンプルな風景画、い…
Yama 03/11 12:14
>渡部竜生さん、よう…
町田 03/10 02:33
>キャンピングカーと…
渡部竜生 03/09 14:02
>スパンキーさん、よ…
町田 03/08 19:22
いいですね、北斗。久…
スパンキー 03/07 13:52
>マッキー旅人さん、…
町田 03/03 22:45
町田さん、今日は。…
マッキー旅人 03/03 16:23
>ムーンライトさん、…
町田 02/28 22:42
町田さん。アマゾ…
ムーンライト 02/24 10:29
>渡部竜生さん、よう…
町田 02/19 05:42
>小平の福ちゃん様、…
町田 02/19 05:31
>matsumoto…
町田 02/19 05:18
>solocarav…
町田 02/19 05:03
>el さん、ようこ…
町田 02/19 04:50
>旭川の自称美女さん…
町田 02/19 04:14
幕張ではお世話になり…
渡部竜生 02/19 00:58
ご無沙汰しております…
小平の福ちゃん 02/19 00:03
お久しぶりです。ma…
matsumoto 02/14 07:35
ぜひ実現させたいアイ…
solocaravan 02/11 20:59
だいぶ経ってからのコ…
旭川の自称美女 02/11 11:51
町田さん、こんにちは…
el (エル) 02/11 11:11
>TOMY さん、よ…
町田 02/10 00:21
こんばんは、町田さん…
TOMY 02/09 21:45
>ムーンライトさん、…
町田 02/09 15:38
>ゆんた さん、よう…
町田 02/09 14:48
>Joe Cool …
町田 02/09 13:46
>磯部さん、ようこそ…
町田 02/09 11:54
「ゆんたさん」の文章…
ムーンライト 02/09 11:46
>TJさん、ようこそ…
町田 02/09 11:22
色々なことを考えまし…
ゆんた 02/09 06:36
同居していて5年前に…
JoeCool 02/08 16:01
最初に、このブログを…
磯部 02/08 05:14
写真で見る限り「FA…
TJ 02/07 21:20
>aki さん、よう…
町田 02/03 00:58
人生にドーピングはな…
aki 02/01 10:07
最近のトラックバック
ザ・バンド
12/11 09:46
鉄道の魅力、立体的に
09/10 07:38
関越高速道・・・寄居…
07/24 09:18
女性目線で見たキャン…
03/05 10:18
かるキャン 画期的な…
02/26 06:14
「くるま旅くらし読本…
02/06 10:22
言葉にならない
01/13 20:10
電動ポルシェ!?その…
10/31 09:50
路地裏
08/18 09:49
「すべての男は消耗品…
08/17 20:24
ガマの油
06/15 21:53
「ガマの油 」ちょっ…
06/15 07:58
52nd
04/25 21:52
007 カジノ・ロワ…
02/02 01:18
関西(大阪・京都・神…
01/30 05:21
【ネットができる宿|…
01/05 19:52
4輪&2輪
09/22 16:41
『秘伝 大学受験の国…
09/19 03:09
LPガスボンベ
07/26 11:37
ロス
05/28 22:39
テスト
05/28 22:36
大阪キャバクラnig…
04/26 20:37
キャバクラ/ニューク…
04/09 17:32
キャバクラ嬢ご用達し…
03/14 14:32
気になるキャンピング…
03/08 07:08
キャバクラ求人-Ag…
02/23 14:41
キャバクラ情報誌クラ…
02/22 19:14
No6 LPガスの充…
02/14 14:47
大阪キャバクラブログ
01/20 21:35
御当地!プルバック・…
12/20 00:53
カップヌードル
08/09 01:54
【キャンピングカー】…
08/05 16:23
【キャンピングカー】…
08/05 16:20
村松友視の「淳之介流…
08/04 11:11
荒井千暁著『職場はな…
06/29 22:35
元ちとせ/千の夜と千…
04/15 01:55
軽自動車エッセのうる…
03/26 08:21
カーナビの渋滞回避?…
03/10 20:07
車中泊なら虫の心配い…
03/07 18:35
こんなキャンピングカ…
03/07 03:56
キャンピング&RVシ…
03/02 01:17
キャンピング&RVシ…
02/23 18:45
キャンピング&RVシ…
02/18 06:43
キャンピング&RVシ…
02/17 00:23
ZECC(ゼック) …
02/15 23:27
トイレどうする?
02/15 10:25
キャンピング&RVシ…
02/10 21:46
新古車
02/04 17:19
軽自動車キャンピング…
01/25 13:10
ブレードランナー
01/14 12:03

カーたび機構

 東京モーターショー (10月26日~11月11日) の会場で 「新しいクルマの旅を進める」 という提案を掲げたブースを発見。
 覗いてみることに。

カーたび1

 「新しいクルマの旅?」 … 「くるま旅!」

 なにやら、日本RV協会さんの提唱している 「くるま旅 = キャンピングカーの旅」 を思い出させるようなフレーズではありませんか。

 展示パネルに近づくと、クルマの旅を楽しむためのサービスをぞくぞくと提案・発信するシステムが誕生…というような説明があった。

 さっそく、その場にいらっしゃった若いスタッフに質問。

 「これは何ですか」
 「自動車旅行を楽しむ方への情報配信サービスです」
 「???」

 要は、クルマ旅行の途中で、
 「急に雨が降ってきたので、予定を変更したい」
 あるいは、
 「予定した時間より早く着いたので、ぽっかり時間が空いてしまった」
 
 …などという時、どう対応すれば楽しい時間が過ごせるか。
 そういうアドバイスを授けてくれるシステムだそうだ。

 たとえば…
 「××地域ならば、地元のお祭りが行われています」
 「○○地域ならば、ちょうど村の畑の収穫時期なので、収穫体験を楽しみたい旅人を募集中です」
 …などというリアルタイム情報を流すのだとか。

 そのような速効性のあるインフォメーションを含め、クルマ旅行を豊かにしてくれる情報を満載した 「情報配信サービス」 をしてくれるシステムができあがりつつあるらしい。

 では、いったい、どうやったら、そういう情報をキャッチできるのか。
 説明を担当された方は、次のように話してくれた。

 「基本的には、ダウンロード機能付きのカーナビ、通信カーナビ、ETCと携帯電話の連動配信などで、キャッチできるようにしたいと思っています。
 ナビ付き車両をお持ちでない方は、全国のガソリンスタンドの拠点などでも情報配信をしていただくようなことも検討中です」

 おお、素敵じゃない!
 そんな、うれしいこと、一体どなたが進めていらっしゃるのだろう。

 自動車旅行推進機構さん
 …略して「カーたび機構」

 日本観光協会さん、博報堂さんなどが推進母体となり、トヨタ自動車さん、日本自動車連盟さん、近畿日本ツーリストさん、JTBさんなどという企業・団体約15~16グループの協力を得て、今年の4月に発足した機構だという。

カーたび2

 説明員を務められた 「カーたび機構」 の入江さんの話を聞こう。

 「現在、旅行の交通手段に自動車を利用されている方は6割を超えています。ところが、自動車旅行を楽しまれる方々が旅の途中で情報を得ようとしたとき、それに答えられるシステムが今までありませんでした。
 “カーたび” では、そういう情報を、今までありがちだった広告情報とは異なる信頼度の高いものとして、配信したいのです。

 しかし、この “カーたび” は、ただの情報配信だけにとどまらないシステムであるところに特徴があります。
 たとえば、今 “グリーンツーリズム” などという旅のスタイルが脚光を浴びています。里山や農家を訪ね、そこで地の料理を食べたり、収穫体験を楽しむという旅のスタイルが流行っているわけです。

 このグリーンツーリズムを体験された方が、その地を気に入り、再度訪れるとポイントが貯まる。ポイントが加算されると何かの特典が得られる。
 そのようなシステムを構築していけば、人と人の交流も生まれ、地域の活性化も生まれます」

 なるほど! それはいいアイデア。
 だけど、ふと疑問…
 そういう情報はタダなのか?

 「そこは検討中なんですよ (笑) 」
 と入江さん。

 「ほんの小額の利用料をいただく形になるかもしれません。それがどういう払込システムになるかも、まだ検討されていません。
 しかし、仮に有料配信だとしても、できるかぎり利用料金を抑え、それ以上の大きなメリットを享受してもらえるようにしたいと考えています」

 現在は、そのサービス内容を豊かにさせるためのコンテンツの充実を図っている段階だという。
 そのようにして集まってきたコンテンツを 「カーたび機構」 がデータベース化して各企業などに提供。
 そのデータベースを、今度は各企業が様々な手法を通じてドライバーに提供するという構想だそうだ。

 すでに、各自治体・企業などが 「クルマ旅行」 に関わる無数のコンテンツをウェブを中心に提供し始めている。
 その中には、前述した 「グリーンツーリズム」 を体験できる村々や、その他の旅館・ホテル情報、グルメ情報のデータベースが広範に用意されている。

 しかし、まだ足りないように思った。
 たとえば、キャンピングカーユーザーが安心して泊まれるような宿泊情報のコンテンツなどはまだ用意されていない。

 コンテンツを充実させるためのパートナーがまだ足りないことは、「カーたび機構」 さんも十分に承知されているようだ。

 「来年になれば、充実したサービスを提供できる具体的なプランが固まっているはずです。本格的な稼動は2009年からをイメージしていますので、お楽しみに」
 と、説明担当員の方は胸を張った。

 「カーたび機構」
 皆さまも覚えてあげてください。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 02:51 | コメント(0)| トラックバック(0)

シンポジウムUP

 日本RV協会 (JRVA) さんが開かれたシンポジウム 「より良きくるま旅を目指して」 の討議内容が、協会さんのホームページにアップされました。

 今回のシンポジウムは、私も企画段階から少しお手伝いさせていただいたので、ついでに、議事録をまとめるという大役を仰せつかったのですが、いやぁ、大変。
 責任重大な仕事だったので、少し緊張したことも報告しておきます。

シンポジウム全体

 つたないテキストをまとめて、協会さんにお渡ししただけなのですが、ホームページを運営されているスタッフが、実にきれいなページにまとめられたので、とても見やすい構成になりました。

  http://www.jrva.com/camping/manner/symposium1.html

 上記のアドレスをクリックされると、トップページが開かれます。
 そのトップページを読むだけで、およその概略がつかめます。
 さらに、詳しい内容を知りたい方は、ページ下の 「続きはこちらを…」 をクリックすると、当日の討議の内容を流れに沿って把握できるようになっています。

 最初に増田英樹JRVA会長の基調報告があり、
 中島祥和さん (ジャーナリスト)
 山本馬骨さん (作家・ユーザー代表)
 蒲生 哲 さん (キャンプ場支配人)
 田中昭市さん (JRVA広報部長)
 の講演が続きます。

 そのあとに、
 ① 「ゴミ問題をどう解決するか」
 ② 「マナー違反とは何か」
 ③ 「宿泊場所をめぐる討議」
 という3テーマに沿って、会場からの意見も含めたディスカッションが展開されています。

 このシンポジウムの後、ここで討議された内容に関して、キャンピングカー販売サイドの方々の感想を、いろいろな場所で聞く機会がありました。

 とても面白い反応が見られました。

 ひとつは予想したとおり、ここで一部の方が発言された内容は、極端に走りすぎて、RV協会が進めている 「くるま旅」 を阻害することになるのではなかろうか、というものでした。

 具体的には、「日本全国に、無断で無料で宿泊できるような場所などないのだ」 という中島祥和さんの意見をめぐってのものでした。

 「いま多くのキャンピングカーユーザーは、全国の道の駅などを利用して気軽な旅行を楽しんでいる。そして一部の人たちを除けば、むしろマナーを守っている人の方が多い。
 中島さんの発言は、そういう人々の活動に水を注すようなものだ。それでは、多くのキャンピングカーユーザーは納得しないだろう」
 というわけです。

 非常に、この意見はよく分かります。

 しかし、それはそれとして、中島さんのような、いわばキャンピングカー業者でもなければユーザーでもない方からの忠告を聞けるというのは、とても良いことなのだと、この発言を肯定的に評価される業者さんもいらっしゃいました。

 「われわれキャンピングカーを売る者は、メディアやユーザーも含めて、キャンピングカーの価値を最初から絶対的なものとして信じている人間の意見しか聞くことができない。
 キャンピングカーを外部から客観的に見つめている人たちとは、仕事を通じて出会うことなどないのだ。
 それでは “井の中のカワズ” になってしまう。今回のシンポジウムは、われわれ自身が、外側にいる人たちの視線を意識するための良いチャンスとなった」

 そうおっしゃる販売サイドの方もいらっしゃいました。

 私は、こういうように、二つに割れるような感想が出てきたところに、シンポジウムが成功した手応えを感じます。
 シンポジウムとは、「考える場」 なのですから、誰もが同じ感想を抱いて終わるようなことなどないはずです。

 後は、マナー問題・ゴミ問題、あるいは宿泊場所の問題をめぐって、どのような解決策が模索されるのか。
 RV協会さんが設立される専門委員会に期待したいところです。

 シンポジウムの議事録はかなり長いものですが、お読みになられた方のなかで、ご意見・ご感想をお持ちの方は、ぜひそれをうかがわせてください。 

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:22 | コメント(6)| トラックバック(0)

名古屋ショー速報

 ポートメッセ名古屋で開かれている 「名古屋キャンピングカーフェア」 のホット情報をお届けします。

名古屋ショー会場
 
 なにしろ、ドでかい1号館。
 初日の昨日は、パッと見たところ、「人が少ないぞ!」 という印象だったのですが、それは会場が広いからだったんですね。
 個別のブースを覗くと、どこも大入り満員。
 しかも商談用のテーブルは、ほとんどお客さんで埋まり、キャンピングカーブームはやっぱり本当に来ているな…という手応えが感じられました。

 ▼テレビ東京からは取材も

テレビ東京取材

 ▲インタビューに答えるJRVA田中広報部長

 テレビ = 「日本のキャンピングカーは、世界のレベルではどのへんに位置するんですか?」
 広報部長 = 「欧米に比べるとマーケットの規模はとても小さいのですが、種類はものすごく豊富で、どんどん新しいものが開発されています。
 そういった意味で、日本は世界のキャンピングカーの “実験室” といった感じがしますね」
 
 …ほぉ、そうなんだ! 
 勉強になりました。

 キャンピングカーの展示ばかりでなく、楽しいイベントも目白押し。
 
 ▼フリークライミング体験

フリークライミング

 ▼Tom兼松さんによるJazz Live

Tom兼松Jazz

 このほかに、スポーツサイクル試乗コースが設けられていたり、クラフト教室が開かれていたりと、会場は遊びのメニューが盛りだくさん。
 屋外ではウェイクボードのデモ、ダッチオーブンCOOK OFF会、スモーク料理試食会も開かれていました。

 キャンピングカー展示も、新車ラッシュです。

 ▼まずは、ロータスRV販売さんの 「e-GEAR (イーギア) 」 。
 ルーフにボートを背負っています!

イーギア外形 イーギアリヤ

 後ろに回ると、船外機が!
 このディスプレイからも分かるように、「マリン仕様」 なんですね。
 「軽キャンカーのデパート」 といった品揃えを誇るロータスさんならではの新意匠です。

 ディスプレイに使われている小型ボートは、外洋に漕ぎ出るのは無理ですが、波の静かな港の中などでは十分に使えます。
 ボートのオプションにはセールも用意されているそうで、帆を張れば、ちょっとした “ミニディンギー” 。

 室内がまた凝ってます。

イーギア丸窓 イーギアベッド

 丸窓ですよぉ!
 まさに 「マリン仕様」 。
 家具の質感の高さがこのクルマの売りです。軽キャンカーとしては一歩先を行ったクオリティと、収納能力の高さがこのクルマを特徴づけています。
 
 ▼お次は、アム・クラフトさんの 「コンパス・レガロ」 。

レガロ外形 レガロ

 コンパスシリーズの中でも、特に 「2人旅」 に特化した仕様です。

レガロ室内 レガロリヤ

 エントランス付近に広い空間を取り、「ゆったり感」 を演出。大きめのギャレーを設定して、その中に、ツインサブバッテリー、大型冷蔵庫、電子レンジなどをシステマティックに格納しています。
 
 リヤ側は二の字シート。
 背もたれをシートの間に埋めるだけで、あっという間のベッドメイク。
 リヤコンパートメントはクローゼットなのですが、トイレを置けばトイレルームとしても使えます。
 
 白木調の家具で明るさを演出。女性好みの柔らかな色合いのシート地もお洒落感を高めています。

 ▼バンテック新潟さんも、思い切った意匠の新バンコンを投入しました。
 ブランド名は 「VR」 。
 Van Revolution (バンレボリューション) という意味です。

VR外形 VRシート

 基本は1ナンバーもしくは5ナンバーのトランポ。
 しかし、この展示車のようにポップアップルーフを架装して、ギャレーを設ければ、8ナンバー登録もOK。

VR内装 VR内装2

 標準シートはサプリオが装着されるのですが、スーパーGLのオリジナルシートのままでいいという人には、レスオプションで対応してくれます。
 もちろんお値段は、その分安くなってお買い得。

 それにしても、ブラック&ホワイトの色使いはなかなか大胆。トランポ系バンコンのトレンドを意識した造りに徹しています。

 ▼ミスティックさんは、「トネリコ」 のニュータイプをデビューさせました。
 「トネリコ・ブリティッシュバージョン」

トネリコB外形 トネリコシート1

 同社の人気バンコン 「ウィンピュアJ’s」 においても、英国風の内装デザインが追加されて好評を博しましたが、トネリコにおいても、その流れが踏襲されました。

 基本はトランポなのですが、ちょっと見てください、この家具の質感の高さ。
 モダンデザインが主流になりつつある日本のキャンピングカーシーンで、頑固 (!) に伝統の味にこだわっています。
 濃い目の家具と、落ち着いた色合いのシート地が絶妙にマッチング。
 これ、トランポ?
 …てな感じのインテリアです。
 そこに、ミスティックさんらしいこだわりが発揮されて、粋です!
 
トネリコカーゴ トネリコシート2

 ▼リンエイさんは、大阪ショーで登場させた 「ゴミ楽 (ゴミラック)」の進化系をリリースしています。
 前回が試作モデルだとしたら、これは市販モデル。
 レールもさらに太く補強され、荷台も5㎝広げられました。

リンエイゴミ楽

 いま問題になっている 道の駅などにおける 「不当なゴミ投棄」 もこれで解決。
 ゴミ楽の上に設定されているBOXの容量は115リットル。1週間分ぐらいのゴミを収納できるそうです。
 ゴミ用BOXを載せないときは、自転車などを積むキャリアにもなります。

 ▼下は、リンエイさんならではのフィアマのキットを使った 「電動オーニング」 。
 雨の降った日など、車内にいたままオーニングを広げることができます。
 しかも、オーニングとボディの隙間から漏れる雨を防ぐための隙間ゴム付き。 「くるま旅」 の達人を自負するリンエイ田辺社長の真骨頂が発揮されています。

リンエイ電動オーニング

 まだまだお伝えしたいネタはたくさんあるのですが、今日のところはこれで失礼。

campingcar | 投稿者 町田編集長 06:31 | コメント(0)| トラックバック(0)

名古屋ショー

 10月27日 (土)~28日 (日)は、「名古屋キャンピングカーフェア」 が開催されます。

名古屋フェア

 昨日は、東京モーターショーを見てきたばかり。今日はこれから名古屋に移動です。
 来月は、もうお台場のショー。

 秋が深まると同時に、イベントが続きます。

 今、道中、車内で聞く音楽を選び終わったところ。

 今日の “目玉” はこいつですね。
 「ASIAN2」 の 「Country Road 」 。

カントリーロード1

 夏にテレビで流れていたCMを見て、すっかり気に入ってしまいました。
 地平線の見える広大な大陸を走ているような、おおらかなサウンドに魅せられています。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 18:24 | コメント(2)| トラックバック(0)

モーターショー

 東京モーターショー2007が開催されました。
 乗用車がメインのショーなので、あまりキャンピングカーファンの期待に応えるような車両がないように思われがちですが、どっこい! なかなか興味深い車両がいろいろと展示されています。

 ▼まず最初は、トヨタ車体さんの 「ヴォクシー バイトレック」 。
 本格的なキャンピングカーではありませんが、フルフラットになるベッドがあり、大容量のリヤラゲッジスペースがあり…で、ちょっとしたライトキャンパー。
 
ヴォクシーバイトレ外形 ヴォクシーバイトレ1

 セカンドシートが電動操作で前向き、後ろ向き、フラットベッドの3パターンを簡単に展開。

ヴォクシーバイトレ2 ヴォクシーバイトレ3 

 リヤのベッドマットは、折りたたむとテーブルにもなります。
 ノアのキャンパー仕様ともいうべきYYのいわば 「発展形」 といえるクルマですが、今のところ市販の計画はなし。ただし、お客様の反応を見て、市販化も検討するとか。

ヴォクシーバイトレ4 ヴォクシーバイトレ5

 ▼お次は、日産車体さんの 「SR-Ⅱ」 です。
 今回のモーターショーに出展された車両のなかで、「唯一のキャンピングカー」 。
 ルーフ架装が施され、天井高が2m以上あります。余裕のヘッドクリアランスで、車内の移動も楽々。

SRⅡ外形 SR2内装

 ▼ちょっと変わったところで、ペットの入浴とトリミングの出張サービスを行う 「モバイルトリマー」 (トヨタ車体) 。
 キャンピングカーではありませんが、給水設備を備えたキャンパーコンセプトのクルマです。

モバイルトリマー1 モバイルトリマー2

 ▼同じくトヨタ車体さんの 「トランス ピット」 。
 競技用バイクなどのトランスポーターを務めます。

トランスピット1 トランスピット2

 ▼日産のコンセプトカーとして好評だった 「NV200」 。
 収納式のカートリッジがスライド式で、外に飛び出すようになっています。
 ビジネスカーとして開発されたようですが、もちろん遊びグルマとしての機能も十分。

NV2001 NV2002

 ▼三菱ふそうからも、画期的なコンセプトモデルが登場。
 「キャンター エコ-D」 。
 ハイブリッド技術を駆使して 「静かでクリーン」 なダンプを実現。
 しかし、「顔」 がカッコいいですね。
 キャンピングカーのベース車として欲しいくらいです。

キャンターエコD1 キャンターエコD2

 ▼キャンピングカーファンにはおなじみの 「ベバスト」 のブース。

ベバスト1 ベバスト2
 
 ▼ちょっと、話題のクルマも…。
 噂の 「GT-R」。
 とにかくいつ行ってもカメラマンが集中していて、撮影が大変でした。

GTR1 GTR2

 ▼こちらは、トヨタの 「レクサス LF-A」 。

LFーA1 LF-A2

 ▼光岡の 「おろち」 はやっぱり凄い!

おろち1 おろち2

 まだまだ、画像はいっぱいあるのですが、今日のところはこれまで。
 東京モーターショーは、11月11日 (日) までの開催です。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 22:43 | コメント(2)| トラックバック(0)

ベンツフォーラム

 10月22日 (月) に、メルセデス・ベンツ シンポジウム 「持続可能で事故のない車社会を目指して」 が開催された。

 テーマは、ずばり 「21世紀の自動車社会はどうなるんだ?」 。

 エネルギー源の枯渇、地球温暖化問題など、ここのところ地球環境をめぐる議論が活発化してきたなか、自動車も今のままでは存続できないという見方も強まっている。

 石油に代わる燃料としてバイオ燃料が脚光を浴びた瞬間、早くも食料問題とバッティングする一方、地球温暖化に鋭く警鐘を鳴らしたアル・ゴア氏がノーベル平和賞を受賞するなど、今の時代は 「環境負荷の低減」 という視点がなければ何も語れないような雰囲気になっている。
 そのなかで、自動車に対する評価も、年々厳しいものになりつつある。

 世界に冠たるメルセデス・ベンツが、はたして 「環境」 というテーマに、どういう答を用意しているのか。
 このシンポジウムへの興味は尽きない。

 いやぁ、一流企業のシンポジウムというのは、やはりすごいもんだ、と妙に感心してしまうのは、まず会場。
 今をときめく六本木・東京ミッドタウンのミッドタウンホール。
 受付の雰囲気は、何かのレセプション会場のよう。

 聴講者は300~400人はいるのだろうか。
 自動車関連産業の優秀そうな社員から、有名ジャーナリストに至るまで、多士済々の人が群れ集い、人々の熱気が場内に渦を巻いているようだ。

 プレゼンテーションを行うダイムラー側の首脳陣からは第一線で活躍するトップ技術者が3名。それにドイツ本国で交通工学を研究している研究家が加わる。
 
 日本側のパネラーとしては、トヨタ自動車の技監である渡邉浩之氏。洞爺湖サミットに向けてのクールアースアンバサダーに就任したキャスター木場弘子女史。
 モデラーを務めるのは、環境問題にも精通したモータージャーナリストの清水和夫氏。
 そうそうたるメンバーといえよう。

 各講演者の話は、とてもスリリングで示唆的なものだったが、諸氏の話で共通に認識されたことは、「2020年から30年くらいにオイルピークが訪れる」 ということだった。
 つまり、石油の生産量がピークに達するというもの。
 
 その後は当然減産となる。
 というより、イージーオイル…簡単に採掘できるオイルがなくなってしまう。
 残るは、海底深く眠る油田や、凍土の下の油田など、採掘コストがとても見合わぬような油田でしかない。

 一方、石油依存のエネルギー構造は、CO2 (二酸化炭素) 排出量の増大を招き、いま大きな問題となっている地球温暖化の促進を招きかねない。

 CO2の排出は、自動車だけの問題に限らず、社会的な規模で見る必要があるとシンポジウムでは説く。
 CO2の排出比率は、
 発電によるもの34パーセント
 産業によるもの23パーセント
 家庭から生じるもの19パーセント
 交通によるもの24パーセント

 この 「交通」 による排出量24パーセントのうち、自動車によるものは12パーセントだそうだ。
 
 自動車交通だけでなく、人々のライフスタイルそのものを変えなければならないという、深刻な事態が発生しているといえよう。

 このように、自動車交通を含め、広い分野での 「脱石油化」 が、人類の大きな課題となっていることが浮き彫りにされたわけだが、では、脱石油化への有効なプランニングはあるのだろうか。

 ここでは、メルセデス・ベンツらしい、自動車産業からのアプローチが示された。
 
 すなわち、よりクリーンで効率的なディーゼルエンジンの開発。
 そして、ディーゼル並みの効率化を達成するガソリンエンジンの開発。
 当然それプラス、ハイブリッド化というオプションが加わる。

 このようなパワートレーンの改良と同時に、空力のさらなる改善、軽量化の促進など、自動車技術の総合的な見直しが必要となる。
 さらに食糧事情を悪化させない、より効率的なバイオマス燃料の開発も合わせて進めなければならない。
 それらの課題は、ある程度の成果を収めつつあるという感触はあるようだ。

 しかし、それでもまだ抜本的な解決へのプロセスは提示されていない。
 いま述べた処方箋は、いずれも化石燃料の存続を少しでも先に延ばそうという “延命策” でしかない。

 完全な 「脱石油化」 は、どのようにしたら達成されるのか。

 トヨタ自動車の技監である渡邉氏は、バイオに依存できるのは全エネルギーの20~30パーセント程度だろうという見解を示す。
 その先で必要となってくる技術は、電気自動車や燃料電池車を実用化する技術とか。
 当然、それらの代替燃料車が走る世界を構築するには、インフラの整備も大きなテーマとなろう。

 そのあたりになってくると、ヴィジョンはできあがったが、実用化へのプロセスは 「問題山積み」 との感もあった。

 でも、まだあきらめてはいけない。
 人類に残された時間は少ないかもしれないが、地球上に生活する人間一人ひとりの小さな努力で、時間は無限に引き延ばされる可能性はある。

 パネラーの一人、木場弘子女史は語る。
 「アイドリングを5分短くする」
 「ふんわりとアクセルをスタートさせる」
 「むやみな加速をしない運転を心がける」

 このようなエコドライブを、地球上のドライバー全員が心がけることで、とてつもない量の石油燃料の温存と、CO2の排出低減が達成されるのだとか。

 「我慢を強いられるという気持ちがある限り、人々に省エネ意識は根付かない」
 と木場女史はいう。
 
 楽しさが感じられてこそ、人々は動く。
 エコドライブにも楽しさは存在するし、将来開発されてくるエコカーにも、新しいドライビングプレジャーは存在する。

 ドライバーの意識改革も必要になってきたことを強く感じたシンポジウムだった。

関連記事 「クルマ社会の未来」
関連記事 「バイオは反環境?」


 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 22:34 | コメント(6)| トラックバック(0)

光の記憶

 友人の太田益美さんから、メールが届いた。
 「光の記憶」

 福井県の 「金津創作の森」 で行われている 「環境芸術祭 IN あわら」 で、彼がそういう名前の作品を発表したという。

太田益美作品1

 メールに、その作品の画像が添付されていた。
 森の中に、材木を配置して、「木々に内包される光」 を表現したとのこと。

 草の上に、「光」 が飛び散っている。
 あたかも、手前の木が突如 「生命」 をみなぎらせて、エネルギーを発散したかのように見える。

 それでいて、「森の静けさ」 を感じさせる超越的な静謐感がひたひたと漂ってくる。
 モダンアートの極致を行くようでいて、太古の森の神秘的な輝きが表現されているように思う。

 下は、岡山空港の近く、岡山リサーチパークの先に立てられている太田さんの作品。
 岡山名産の 「桃」 をモチーフにしたものという。

太田益美作品2

 こちらの作品も、メタリカルな光を放つ人工物でありながら、虚空を渡る 「風の匂い」 がする。 

 太田さんには、本の装丁もたくさんお願いした。
 代表作は、徳大寺有恒さんの 『ダンディー・トーク』 。

徳大寺ダンディートーク 

 自動車評論家の徳大寺さんが、初めて自動車から離れ、自分の趣味やファッションを語った書となった。
 当時、担当編集者だった私は、それまでの徳大寺さんの主要著作とはまったくテイストの異なる、とびっきりお洒落な本にしたかった。
 
 しかし、その本が、私の最初の単行本だったので、装丁を担当してくれるデザイナーを一人も知らなかった。
 
 そんなとき、彫刻家の太田さんが、「やってみましょうか」 と話しかけてくれたのである。

 素敵なデザインの本が生まれた。

 和書にはない洋書のサイズを選び、表紙は4色カラーを使いながら、あえてモノトーンで処理した写真を採用した。
 横浜の元ニューグランドホテルの玄関やバーでロケしたグラビアを使い、あたかも外国でロケしたような画像を演出した。

 このとき徳大寺さんの姿を撮ったのは、当時私の会社に所属していたカメラマンだったが、その写真と、それを取り込んだデザインの美しさによって、徳大寺さん自身から、「俺を200パーセントぐらいカッコよく見せてくれた本になったよ」 と、大いにお褒めいただいた。

 私が、太田さんに大いに感謝したことは言うまでもない。
 
 太田さんには、これからも素敵なアートをいっぱいつくってもらいたい。 

 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:37 | コメント(2)| トラックバック(0)

鬼のいぬまに洗濯

 いやぁ、カミさんがクラス会の一泊旅行。
 私は、一人でお留守番。
 イッヒッヒ…
 この日を心待ちにしていたんだ。 
 日頃やりたくても、やりづらいことをやるチャンスだ。

 まず洗濯。

 私は、昔から自分の下着ぐらいは、自分で洗うようにしているのだが、これをカミさんは嫌う。
 理由は、
 「これ見よがしに洗濯なんか始めちゃって、それって、私が家事をサボっていることへの、当てこすり?」

 次に台所の食器洗い。

 これも、
 「食べたらすぐ洗いモノなんか始めなくてもいいじゃないのよ。それって、家事をサボっているっていうことに対するイヤミなの?」

 カミさんの名誉のために言っておくが、決して家事などサボる女性ではない。
 むしろ、家事などは、旦那に押し付けてはいけないという、古典的なモラルが身に付いている昔風の 「良妻賢母」 型女性なのだ。

 ただ、そういう 「けなげな意識」 と実践との間に、多少のタイムラグがある。

 まぁ、いろいろ忙しいことをしている人だからしょうがないのだけれど、流しの中に山のように溜まった食器類の中にうずもれたご飯茶碗を探して、それを取り出して、いちいち洗ってからご飯を盛るというのが、多少面倒くさいな…と思うときが、ときどきある。
 ご飯茶碗ぐらいは、せめて炊き立てのご飯を、サッと真っ白な茶碗に盛れるような体勢をいつも維持していたいものである。

 一人で留守番となると、そういう日頃やりづらい作業をやるチャンス!

 洗い物して、洗濯して、クリーニング屋に行って、部屋の掃除をして、車椅子生活の義母を散歩に連れて行って、もう絵に描いたような “理想の旦那さん” を装って、夜がくれば、いよいよ、秘密の遊び場に…

 イッヒッヒ…

 駅前の立ち飲み屋。
 「夕刊フジ」 にも紹介されたことのある飲み屋で、安くて、食い物がうまくて、しかも店員の接客姿勢がすがすがしくて、とても気にっている場所に腰を落ち着けて…といっても、立ち飲みなので、「腰を落ち着ける気分」 で、今日の家事の成果を一人でかみ締めながら、焼酎のお茶割をじっくり飲んで、イッヒッヒ…。

 鬼のいぬまに洗濯。

 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 10:32 | コメント(0)| トラックバック(0)

カラオケパーティ

 夜はカラオケパーティでした。
 なにしろ、すごいんだ! このRVランドさんの展示場の一角にあるカラオケハウス。
 ソースだけで、パソコン、DVD、ハードディスク、店舗用カラオケシステム (260万円!) の4種類が使用できます。
 収録されている曲は56,000曲。

RVランドカラオケ1

 スピーカーは3セット。
 重低音から高音域までワイドレンジの迫力伴奏がとどろきわたります。

 歌もメロディラインの入っていないプロ用と素人用ほか、コーラス付き、ハモリのパート付き、デュエットの相手付きとなんでもござれ。
 通信カラオケ並みですね。

 阿部社長のお得意は、
 Jウォーク 「何も言えなくて…夏」
 財津和夫 「サボテンの花」
 山下達郎 「クリスマス・イブ」

 この日は、沢田知加子の 「会いたい」 を聞かせてくれました。

 なにしろ、お年より20歳ぐらい若い世代の歌ばかり。
 それが、またうまいんだぁ!
 リズム感がいいんですね。
 この年の老人 (失礼!) があまり得意でないアフタービートのノリがしっかり身に付いています。
 (相当練習しているんだろうな…)

RVランドカラオケ2
▲かまやつの 「どうにかなるさ」 を歌っている小生

 歌はいいな。
 しばらくぶりに歌って、すっかり刺激され、帰りのコマンダーで、三橋美智也、小林旭、村田英雄をしっかり練習しながら帰りました。 
 
 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:28 | コメント(0)| トラックバック(0)

ひとりのくるま旅

 「ふたりのくるま旅」
 リンエイさんのバンコンブランドではないが、今この 「二人旅」 が、キャンピングカー業界のキーワードになっている。

 子育てが終わった熟年夫婦が、仲良くキャンピングカーを使った長期旅行を楽しむ。
 そういう風潮が台頭し、そういう仕様のクルマが造られ、そして実際に、そういうクルマが売れている。

公園の二人

 …が、待てよ

 と思わざるを得ない。
 ひとつのブームのさなかで、次のブームを読むのがジャーナリストのクセである。

 「二人のくるま旅」 がさらに普及して飽和点に達すると、その次は、どんな流れが見えてくるのだろうか。

 『くるま旅くらし心得帳』 という本を書かれた山本馬骨さんのブログを拝読すると、次のようなことが書かれていた。

 「旅していると、一人旅の男性を多く見かける。連れ合いを亡くされての一人旅の方もおられるが、カミさんと考えが合わず、一緒に旅ができなくて、やむなく一人旅という方が案外多いらしい」

 別のところでは、こんな話を聞いた。
 「定年退職してさぁ、女房孝行しようと思ってキャンピングカー買ったんだよ。だけど一緒に旅行に出たら、女房こう言うんだよ。 “あんた話題のない人だったのね” 」

 その奥さんは、それ以降、旦那と一緒に旅行に行かないどころか、映画にも買い物にも同行することを渋るようになってしまった。
 会社勤めの時代に、奥さんに対し 「おい、お茶」 以外の言葉をかける訓練を怠ったツケが回ったのだろう。

 奥さんとの 「二人旅」 を実現するためには、旦那さん側の意識変革も必要である。
 話題を見つける努力、旅行中の家事の分担や、相手の自由を尊重する気配りなど、在職中には考えなかったような気遣いが要求されるようになる。

 それに失敗すると、奥さんは 「くるま旅」 から離れていく。
 そして、
 「気をつけて遊んでらっしゃいね。家のことはしばらく心配しなくていいのよ」
 と、体よく追い払われることになる。

 そういう 「オヤジ一人旅」 族が、ジワジワと増えている気配もあるのだが、一方、自ら求めて 「一人旅」 を楽しむ男性も増えているのだ。

河口湖コマンダー泊

 現に、仲の良いご夫婦としての旅行記をまとめ、「二人旅」 のメッセンジャーとして活躍されている山本馬骨さん自身が、先ほどのブログでは次のようなことを書かれている。

 「…実は、私は一人旅をしたいと思っている。
 決して二人旅に飽きたということではないのだが、なぜかこのごろ一人旅をしてみたいと思う。 (中略)
 一人旅が、二人旅の窮屈さから開放される旅だなどとは全く思っていない。
 一人旅で何か家内に内緒の良いこと (悪いこと?) をしようなどとも思ってもいない。
 にもかかわらず、一人旅がしてみたい」

 ご承諾もいただかないまま、勝手に引用してしまったが、「二人旅」 の達人ですら、たまに襲ってくる 「一人旅」 の誘惑には、勝てなくなることがあるようだ。

 先日のタコスキャンプで知り合いになった平山カッチさんも、会場での座談で、こんなことを言っておられた。

 「今日は、子供と家内は子供会のディズニーランド行きと重なって、今日は私一人なんですわ」
 「それじゃ、お寂しいでしょう」
 と私。
 「いや、ここだけの話 (笑)、気楽でいいわ」

 そうなのだ。
 男の一人旅には、また、それなりの気楽さというものがあるのだ。

 私は、「一人旅」 マーケットというものが、これから生まれてくる予感を強く抱いている。
 それにいち早く気づいたホテルやキャンプ場が勝ちだ。
 孤独な (というか、逃げ出してきた) 男たちが、独りでいることを楽しんだり、あるいは独り者同士が声を掛けあうスペースを持っている施設は伸びる。

 ・コールマンのヴィンテージアイテムなどを集めた、趣味語りの場を設けたキャンプ場
 ・真空管アンプとレコード針で音を聞かせるオーディオルームを備えたペンション …etc.
 
 つまり、「女はこういう趣味が分からないですねぇ」 (苦笑い)
 という、独り者たちが、お互いに卑屈にならなくてすむ程度のちょっとハイブローなテイストは、そういう施設には必要だ。
 ハタから見て、「一人旅も悪くないな…」 と思わせる情景をつくってあげないと、ハニカミ屋のオヤジたちは寄り付かない。

 しかし、“お洒落 路線” を煙たがる人たちもいる。
 その場合は、赤ちょうちん、モツ煮込み、ヤキトリ、ホッピー路線もいいかもしれない。
 今のオフィス街から消えた、ノスタルジックな 「ガード下文化」 。
 キャンピングカーを買えるぐらいの年になった男たちは、これがまた、たまらなく懐かしい。

 BGMとして、グループサウンズや拓郎、泉谷、かぐや姫をずっと流しておくのもいいんじゃないか?

 男は見栄張りだから、「キャンピングカーなのに一人で泊まるのはカッコ悪い」 と思いがち。ファミリーで満杯になっているキャンプ場など、金があっても行きたくはない。
 だから、そういうオヤジたちに、“言い訳” を用意してやれるような施設は伸びるだろう。

バーカウンター
 
 防音施設付きで、夜通し音楽の聞けるバーを持ったキャンプ場なんていいよねぇ。
 深夜にコルトレーンの 「バラード」 なんかゆったり聞きながらウィスキーが飲めたら、最高じゃない?

コルトレーンバラード

 別に夜中までバーテンがいる必要なんかない。自動販売機の酒とコーヒーがあれば十分。
 
 「そういう施設は、自然との調和を大事にするキャンプ場の理念に反する」 なんていう感覚だと、これからはやっていけない。

 少子化の時代。
 キャンプ場だって、宿泊施設として生き残るためには、いつまでもバーベキューをやりに来るファミリーばかりに頼っていられないんだから。

 バイクで一人旅する中高年ライダーは自然派志向が強いけれど、キャピングカーオヤジは、そうとばかりは限らない。
 特に、テントキャンプを経験せずにキャンピングカーに乗り始めた人のなかにはアーバン志向の人もいる。

 都会を離れると、そういった人々が旅の夜を楽しむ施設がない。

 奥さんに愛想を尽かされ、一人で道の駅に泊まって、コンビニ弁当を食い、テレビを見ているだけじゃ、あまりにも 「独り旅」 は貧しすぎる。

 孤独なキャンピングカーオヤジたちが憩える場所が必要になってくる時代は、すぐそこまで迫っている。

 参考文献 山本馬骨 著 『くるま旅くらしこころえ帳』

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:14 | コメント(14)| トラックバック(0)

旅行者意識の変化

 スローなんとか…という言葉も、もう一時のインパクトがなくなってしまったが、「スロートラベル」 というと、まだなにがしかの意味を持った言葉として迫ってくる。

 ちょっと旧聞になるが、6月23日売りの 『NEWS WEEK』 で、「スローな旅に出かけよう」 という特集が組まれていた。 「これからは環境に優しいスロートラベルが注目を浴びる」 というわけだ。

 要は、「飛行機などを使って観光地から観光地を飛びまわるツァーよりも、列車や徒歩や自転車を使い、旅の目的地を自分で探す “のんびり旅” を楽しもう」 という呼びかけである。

付知川1

 そういう旅を実現することによって、 「旅行者は初めて時間的な制約から自由になり、仕事のプレッシャーなどから解放される」 とか。

 旅の起点となる場所は、 「家庭的なホテル、貸別荘、自己所有の別荘」 。
 そういう宿泊場所とタイアップ企画を進めるアメリカとイギリスの旅行会社の例が紹介されていた。

 なんで、キャンピングカーの旅が入らないのだろう、と思った。

 たぶん、 「飛行機や自動車のような高速移動手段を使わずに…」 という視点を訴えることがテーマだったために、キャンピングカーも 「自動車」 であると解釈され、排除されたのかもしれない。

 しかし、そうだとしたら、ちょっと違うようにも思う。

 一般的な自動車が、「人を乗せる」、「物を運ぶ」 という形で、走り続けていなければ価値を発揮できない乗り物であるのに対し、キャンピングカーは、クルマを止めて、滞在するときにこそ真価を発揮するクルマである。

 つまり、キャンピングカーは乗用車に比べ、 「エネルギーを浪費しない」、 「排ガスなどで環境を汚さない」 という特性の方が目立つクルマなのだ。

 そういった意味で、この特集が追求したかった 「スロートラベル」 という概念は、むしろキャンピングカーの方に当てはまりそうなのだが、編集サイドにそういう認識はなかったらしい。

 …まぁ、それはいいとして、この特集で分析されていたアメリカやヨーロッパのイマドキ旅行者の 「トラベル感覚」 は参考になった。

 「今の旅行者は、旅を一種の自己表現とみている」
 と、その記事は語る。

 たとえば、どこかの田舎に腰を落ちつけて、地元の人々と交流し、珍しい風習を体験するなど、スロートラベルでなければ味わえない旅行が、イマドキ旅行者の心を捉えるという。

 つまり、旅先でみやげ物を買って、写真を撮っただけで満足する受身の人たちは少数派となり、旅先で出会った人々とのインタラクティブ (双方向的) なコミュニケーションを求める人たちが主流になってきたらしい。

 外国の例としては、滞在地のソムリエや芸術家、海洋生物学者といった専門家と触れ合う体験を謳ったツァーには人気があり、考古学者が遺跡めぐりのガイドを務めるツァーなども評判がいいという。

 団塊世代のリタイヤ組が、いま旅行という 「消費」 に注目しているように、アメリカでもベビーブーマー世代の旅行への関心度は高い。

 この世代の人々に共通しているのは、豊かな時代を背景に、10代から海外旅行なども経験している人間が多いということだ。
 そういう彼らは、テレビによく出てくる景色が目の前に展開しているだけでは感激しない。

 「この地に来なければ体験できなかった!」
 「ここに来て初めて達成できた!」
 そういう自分の生きた証 (あかし) を旅に求める人たちが、今後ますます増えそうだと、その特集は予測していた。

 キャンピングカーの旅 = 「くるま旅」 は、新しく求められる旅のスタイルに、いま最も近いポジショニングにいるように思える。

 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 06:15 | コメント(0)| トラックバック(0)

軽い命と重い命

 昼休み
 久しぶりに天ぷら専門店に入って、「アナゴ天丼 味噌汁 お新香付き」 を気張って注文した。
 カウンターに座ると、調理スペースの中が丸見えとなる。

 グッチ祐三によく似た店長が、天ぷら鍋の火を調整しながら、板さん見習い風の若者と世間話をしている。

 「深夜番組の時間帯に流れる××のCM、知ってる?」
 「あ、あれカッコいいっすね。昼間にはやらないんですかね」
 「昼間は、見る層が違うもんな」
 「そっすね」

 見習い風の若者は、店長の話題に話を合わせながら、まな板めがけて、ストン、ストンと、心地よいリズムで庖丁を振り下ろす。
 
 「何切ってんだ?」
 と思ったら、アナゴの首だった。

 若い板さんは、大きなボールの中でグニョグニョ跳ねているアナゴを一匹ずつつかまえては、まな板の上に寝かせ、その首をストンと切り落とす。

 逃げようとするヤツもいるのだが、首に近い方をキュッと握りなおされると、もうアナゴはおとなしくなるしかない。

 ストン

 「あのCMに出てくる女性さぁ、××××にそっくりだろう?」
 「そっすね」
 
 ストン

 世間話の合間に、次々と首を切り落とされていくアナゴたち。

 アナゴが、自分の命運が尽きる5分前に、どのような感慨を持つかは知らない。
 たぶん、ヤツらは何も考えないのだろう。
 ごく一部の、危機管理意識の高いアナゴが、次々と姿を消していく仲間に気づいて不吉な予感に怯えることはあっても、大部分のアナゴは、板さんに首根っこをつかまれたときに、本能的に、ヤバいぞ! と身もだえするだけなんだろう。

 だけど、1個の生命体が、人間のムダ話の合間に、次々とテンポよく消えていくということは、考えてみればすげぇことだ。

 庖丁を振り下ろす板さんは、職人としての 「仕事」 をしているだけのことだが、殺されるアナゴに感情移入すれば、 「CMの話なんかどうでもいいから、少しは、オレの命に敬意を払えよ」 とでも言いたくなるかもしれない。

 何かを主張したいという話ではまったくない。
 「他の生命を殺して食生活をまっとうするなんて、人間はなんて残酷なんだ!」
 というイノセントで、ナイーブで、センチメンタルな感想を述べる気などさらさらない。

 活アナゴの天ぷら、うまいもんな!

 しかし、人間の生命は重いのに、アナゴの生命がこんなに軽いって、どういうことなんだ?
 同じ生命なんだから、「重み」 っていう意味だったら、同じじゃねぇのか?

 自分の飼っているペットに先立たれ、ペットロスで嘆く人は多いけれど、そういう人だって、腕に止まった蚊を叩きつぶすことに、ちゅうちょしない。

 私なんか、ゴキブリを見つけたら、真上から洗剤を垂らして逃げられなくして、ひっくり返ったところを、後ろ手に縛って、股を開かせ、火をつけたロウソクをかざしてロウを垂らし、最後はティッシュで厳重にくるんだ上に、ガムテープでぐるぐる巻きにしてゴミ箱から出られなくしてしまう。

 ゴキブリの命の重さなど考えたこともない人間が、アナゴの命の軽さに驚くというのも奇妙な話だが、その奇妙さを、日頃は自覚したことがない。

 「食物連鎖」 という考え方がある。
 シマウマが草を食べ、そのシマウマをライオンが食べ、ライオンが死んで死体を残すと、それが 「大地の肥やし」 となって、また草が生える。
 そして、それをシマウマが食べる。

 簡単にいうと、そんなようなことだ。
 ま、「生命のリレー」 というわけだね。

 こういう生命のリレーみたいな考えに立つと、どんな生命にも重さの違いはなくなる。一個の 「命」 としてみんなつながっていくからだ。

 ところが、人間は 「文明」 を手にしたことで、「食物連鎖」 の頂点に立ち、他の生き物の 「生命」 を自分の都合で価値付けるようになった。
 豚はおいしいから肉を食べ、ネズミはまずいから叩き殺し、犬は可愛いからペットにしようとか…。

 軽い命と、重い命の差別が生まれた。

 アナゴらよ、お前たちは人間の 「文明」 の犠牲者なのだ!
 …なんて言ったところで、アナゴが喜ぶわけもない。

 せめて食い物に関しては、自分の食を満たすために犠牲になった生命に対して、残さず、おいしく食べてやることが供養になるのだろう。

 アナゴ天丼はうまかった。

オーキャン干物
▲アジの干物 写真と記事は何の関係もありません


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:03 | コメント(4)| トラックバック(0)

またもやシウマイ

 得意ワザがシウマイなのだ。
 キャンプ料理がね。

 といっても、自分で作るわけではない。崎陽軒のシウマイを買ってきて、ただ蒸すだけ。

 クラブキャンプでは、夜のパーティともなると1家族ごとに1品料理を作って持ち寄る形式のものが多い。

 わが家はこれが困ってしまう。
 今さら豚汁でも、シチューでもあるまいといって、得意料理のワザを持たないカミさんと、料理そのもののワザがない私は頭を抱え込んでしまう。

 ニッチを狙って、デザートの白玉ぜんざいなんか車内で作ったりするんだけど、地味だよなぁ。
 「手作りのシフォンケーキです、おひとつどうぞ」
 なんて、見事なデザート出されたりすると、ヒェーッと、あっさりと食べまくる側に回るのみ。

 先日のタコキャンでは、頼みのツナのカミさんすらいないので、開き直った私は、いつもの奥の手で切り抜けることにした。
 シウマイ。
 それも、定番の崎陽軒。

シウマイ

 手抜きとは知りつつ、実は、けっこう私自身がシウマイ狂なのである。
 量産シューマイには、いろいろなメーカーがあって、それぞれ好き好きがあるけれど、私は絶対的に崎陽軒派なのだ。

 なにしろ、40年以上親しんできた味なのだ。
 身体の細胞組織の一部が、崎陽軒細胞になっていて、腹の肉まわりがもう貝柱風味になっている。

 小さい頃、旅行の生き帰り横浜駅を通るのが楽しみだった。
 当時、崎陽軒といえば、本当に横浜駅構内かホームの駅売りしか買えなかった。
 
 列車が横浜のホームに着くと、親父が窓を開けて顔を出し、シウマイ売りのオヤジさんを呼び止めて、よく買ってくれた。

 シウマイそのものも大好きだったが、当時シウマイの箱の中に必ず入っていた 「ひょうちゃん」 という 「醤油さし」 が好きだった。
 ひょうたん型に作られた瀬戸製の小さな容器で、横山隆一の手になる 「顔」 が描かれている。

ひょうちゃん

 その顔が全部違う。
 いったい何十種類あったのか覚えていない。
 
 そいつを貯める。
 貯めるだけでなく、粘土で土台を付け、テーブルの上に立つようにする。
 立つようにするだけでなく、粘土で 「手」 を付けてツマヨウジの槍を持たせ、兵隊さんに仕上げる。

 ひょうちゃん部隊の大行進。
 全部で100個以上は集めたと思う。

 崎陽軒のシウマイは、食事であり、おやつであり、遊びの素材集めだった。

 最近は、比較的横浜以外のデパ地下なんかでも手に入るようになった。
 今回のタコキャン持ち寄り一品料理のために、真空パックを3箱買った。
 
 そいつを蒸し器に入れて、5分ほど蒸かす。
 皿に盛ってテーブルに並べる。
 
 皆様、手抜きでゴメンナサイなのだが、私自身が好きなのだからしょうがない。

 ありがたいことに、というか、悲しいことに用意したシウマイは、ものの5分でなくなってしまった。
 私の口に入ったのは、かろうじて皿の隅に残った二つだけ。
 
 でも、みんな喜んでくれたならうれしい。

 タコキャンのメンバーさん、次のキャンプでもシウマイが出てきたら、また私だと思ってください。

 ホント手抜きでごめんね。
 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:37 | コメント(2)| トラックバック(0)

タコキャン

 昨日は、タコキャンでした。
 「なんだい? それ…」
 
 タコスキャンプ。
 キャンピングカー販売店の 「TACOS (タコス) 」 さんが主催するユーザーイベントです。

 社長の田代さんとは、「TACOS」 がまだ 「グローバル国立営業所」 と名乗っていた時代からの付き合いなので、私もタコキャンのメンバーとしては、もう古い方になるのですが、出席率はあまりいい方ではありません。

 今回で37回目とか。
 そのうち、私が出席したのは、その半分ぐらいでしょうか。

 今回は久しぶりの参加になったので、実はちょっと緊張気味。
 メンバーも、新しい方々が相当加わったという話だったので、顔見知りの方がどれだけいらっしゃるか。
 なんだか、初めてキャンピングカーを買ったユーザーの気分です。

 でも、会場に着いたら、顔なじみの方がけっこういらっしゃったので、一安心。

タコキャン3

 会場は、山梨県・北杜市明野町にある 「ハイジの村」 前駐車場でした。
 やぁ、ロケーション抜群!
 目の前には、豊かな田園風景が広がり、その向こうには、デーンとそびえる八ヶ岳。
 こういう素晴らしいロケーションを味わえるのが、キャンピンカーの旅の良いところです。

タコキャン1 タコキャン2

 ただ、キャンプ場ではない 「公共の駐車場」 。
 今マナー問題などで、道の駅やスポーツ公園などの駐車場でキャンプすることが問題視されているさなか、主催者側の気のつかい方も大変なものでした。

 駐車場を管理している北杜市と綿密な交渉を続けて、使用許可をとり、参加者にも 「ゴミ持ち帰り」 を呼びかけ、使用後の掃除の徹底も働きかけて、くれぐれも騒音などで、周辺に迷惑をかけないように注意を促がしていました。
 
 さらに、キャンプスペースの入口には、
 「私たちは、北杜市から正式の許可をもらって使用しています」
 という内容を書いた張り紙まで。

 そこまで徹底することが要求される時代になったようです。

タコキャン5

 駐車場管理者の方がお見えになり、きちんとした使用が心掛けられていることを確認して、ニコニコ顔で帰っていかれた様子が印象的でした。
 駐車場使用料は、1台あたり1,000円。
 それでも、市にとっては臨時収入になるのか、
 「また利用してください」
 とのことでした。

 今回、私はカミさんも犬もいない単独行。
 夫婦・家族連れが多いイベントなので、ヤモメは肩身がせまいな…などと思っていたところ、いましたよ、仲間が…。
 
 千葉から来られた平山さん。
 「私も今日は独りなんで、夜は一緒に飲みましょう」
 と、誘ってくれました。

 平山さんが、焼いてくれる焼き鳥なんぞを、私は手伝うことなく勝手に頬張りながら、キャンピングカー談義。
 ブログにも書けないウチワ話をゴニョゴニョ。

タコキャン4 タコキャン7

 宴たけなわとなったタイミングで、平山さんが車内から持ち出してきたのはフォークギター。
 まずは、誰でも知っている懐かしのフォークから…ということで、「神田川」、「22歳の別れ」 など、見事なイントロから入って、絶妙のカッティングで渋いノドを聞かせてくれます。
 いつのまにか、ギャラリーが周囲に集まって、ミニコンサート。

 ここで、タコ社長 (田代氏) の飛び入り。
 得意のブルースハープを取り出して、平山さんのバックを務めます。
 演奏曲目はだんだんロックビートになって、キャロルのレパートリーへ。

 「君はファキモキベイビー、いかれてるヨー」

 平山さんが、田代さんのソロパートをつくってあげると、そのリズムに合わせ、暮れなずむ八ヶ岳の空の下、タコ社長のファンキーなハープが鳴り響きます。

 周囲にまったく民家もなく、夜ともなると、道路を走るクルマの姿も見えなくなる場所。
 早い時間の歌声ぐらいは大目に見てもらいましょう。

 タコキャンは楽しいですね。
 進行を務められた会長さん、副会長さん。
 お疲れさまでした。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 01:28 | コメント(4)| トラックバック(0)

ケイタイのムコウ

 久しぶりに、終電に近い電車で帰った。
 東京の山点線は、この時間帯、特に金曜日は朝の通勤ラッシュ以上に混む。

 朝のラッシュと違うことは、駅に着いて、人が乗り降りするときに、
 「キャー!」
 「オゥー!」
 という、喚声が車内に響きわたること。

 仕事帰りに、お酒を飲んでいる人たちが多く、しかも仲間同士で乗り込んでくるため、みなとてつもなくハイテンションだ。

 その騒がしい終電まぎわの車内で、私の隣りに座った青年が、突然、携帯電話で会話を始めた。

 年恰好から察するに、今年の4月ぐらいにサラリーマンになったばかりという感じの若者だ。
 仕事に就いて、ようやく半年。
 このくらいの若者は、スーツを着ていても、まだ身体がスーツになじんでいないからすぐに分かる。

 私もまたそうなのだが、日頃、ラフな衣装に慣れてしまった人間は、スーツが要求する体の動きに波長を合わせるまでに日数がかかる。
 スーツで歩いていても、体の動きは、学生時代のラフな衣装のまんまという若いサラリーマンはたくさんいる。

 逆に、スーツしか着てこなかった中高年サラリーマンが、いきなりカジュアルウエアに着替えても、なんだかぎこちなく見えて、みすぼらしい。
 スーツ恐ろしや。
 話が逸れた。

 とにかく、そのサラリーマン青年が、周りの嬌声や怒号に負けないくらい大きな声で、カバンから取り出した携帯電話で、誰かとしゃべり始めたわけだ。

 「車内での携帯電話はマナーモードに切り替え、通話はご遠慮ください」
 などと、よく車内放送が繰り返されるのだが、彼はまったくおかまいなし。

 私は本を読んでいたが、彼の声の大きさに集中できなくなり、ついつい、その電話の内容に聞き耳を立てることに相成った。

 「そうなの? それは大変だね。疲れたでしょ。大丈夫?」

 言葉づかいは意外とていねいだし、表情はにこやかで優しい。
 相手は仲間か、彼女か。

 「もう無理しなくていいから。時間遅いしね。わかった、ハッハッハ」

 とてもフレンドリーな会話が流れている感じだが、なぜかこの最後のハッハッハが気になった。

 乾いている。
 演劇の舞台に立った下手な役者の笑い声みたいに、乾いているのだ。

 「また、こちらから連絡入れるから。メール出していいかな? え、時間帯によってはヤバい? そうか、そうか。……というわけね。ハッハッハ」
 
 またしても、ハッハッハのところで、無理している様子が伝わってくる。
 
 「それじゃ、またね、それじゃね…、うん、それじゃね、またね、うん、それじゃ…」
 と執拗に繰り返された後に、ようやくその電話は終わった。

 あっ! と思った。
 通話中に見せた好青年の表情が、電話を切ったとたん、戦場で敵兵を惨殺した兵士のような、陰惨な顔に変ったからだ。

 あげくの果てに、ポロリと出た独り言は、
 「…ったく、クソが…」
 
 ああ、この青年は苦労しているな、と思った。
 「…ったく」 と舌打ちしなければならないような相手に、彼は、最後まで気をつかって、忍耐強く、精いっぱい優しい声をつくり、必死に対応していたのだ。

 友人に対しても、これだけ気をつかわなければならない人間関係って、そうとう疲れると思う。

 携帯電話をカバンに収めた彼は、手持ち無沙汰になったのか、雑誌を取り出して、漫然とそれを眺め始めた。
 それはコミックでも、パソコン誌でも、プロレス誌でもなく、就職情報誌だった。

 そういう雑誌を、物憂そうに眺めている姿から、なんとなく、彼が今の職場に失望している風情が伝わってくる。

 ま、こんなふうに、一方的に観察されて、勝手な憶測だけで記事を書かれたら、当の青年にとっては迷惑な話かもしれない。

 しかし、彼の電話中と電話後の態度の落差に、今の時代を生きる若者に共通したつらさがにじみ出ているような気がした。

 本音でしゃべると、相手を傷つけてしまうと思い、人に気をつかうだけでも、もうズタズタになってしまう神経。
 そんな若者たちに、今の社会は過酷すぎる。
 
 格差社会
 市場原理優先
 ハケン社員時代
 勝ち組、負け組

 最近マスコミで踊っている言葉は、すべて若者の職場環境を直撃しているような言葉ばかりだ。

 若者の就職状況が好転したと見る向きもあるが、それは一部の優良企業だけの話だろう。
 正規雇用してくれる職場もなく、その日暮らしのフリーターを余儀なくされている若者はいぜんとして多い。
 今の若者は器用だから、そういう生活にも順応できる能力も持っている。

 でも、順応できてしまうということが、悲劇の始まりかもしれない。
 若者の多くは、このやり場のない気持ちを、お互いに遠慮しあって、仲間同士に伝えることもあきらめているようにも思える。

 電車の中で、携帯電話の向こう側に、ハッハッハと乾いた声を送り出した若者は、その声を、誰に届けようとしたのだろうか。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:38 | コメント(0)| トラックバック(0)

頑張れキャンプ場

 現在の日本のオートキャンプ場は、はたしてキャンピングカーが宿泊しやすいシステムになっているのだろうか。
 
 先月の27日に、日本RV協会 (JRVA) さんが主催したシンポジウム 「より良きくるま旅を目指して」 のなかで討議されたテーマのなかに、この問題があった。

JRVAシンポジウム4

 キャンピングカーが 「キャンプ」 だけを目的としたものであるならば、キャンプ場は、諸設備の整った合法的宿泊システムとして、実に理想的だ。
 電源が確保された場所も多く、セキュリティの保証もあり、トイレや給水設備も整っている。ほとんどの施設には温水シャワーが完備している。

 しかし、実際にキャンプ場を利用しているキャンピングカーユーザーは少ない。
 それは、RV協会さんの 「キャンピングカー白書」 においても、オート・キャンプ協会さんの 「オートキャンプ白書」 においても指摘されている。

 では、キャンプ場で宿泊しないキャンピングカーユーザーたちは、どこで寝泊りしているのか。
 それが、道の駅だったり、高速道路のSA・PAであったり、スポーツ公園の駐車場であったりと、いわゆる “公共の駐車場” であったために、現在のマナー問題、ゴミ問題を引き寄せる原因が生まれた。

 シンポジウムでは、このマナー問題、ゴミ問題について、大いに議論が交わされたわけだが、そもそもそういう問題が発生してきた根本の原因は、キャンピングカーの泊まる場所として、どういう施設がふさわしいかという議論が十分になされないまま、今日に至ってしまったということが挙げられる。

 もちろん、そのこともシンポジウムの席上では、大きな問題として取り上げられた。
 道の駅の一部に、電源サービスなども整えたキャンピングカー宿泊施設をつくってもらい、有料ながらリーズナブルな料金設定で、合法的に認めてもらおうという意見。
 それよりも、現在の各キャンプ場にお願いを出して、もっとキャンピングカーユーザーが使いやすいシステムを構築してもらう方が有効だという意見。

 それ以外にも、様々な意見が提出されたが、大きく分けると、その二つの意見が際立って注目された。

 この二つの主張は、一見対立するように見えながら、キャンピングカーが単なる 「キャンプ」 のためのツールから脱皮して、今は広い意味での 「自動車旅行」 のツールとして成長してきたという認識だけは共有していた。

 私は、これからの時代に生き残れるキャンプ場というのは、いち早くそういう認識が一般的になってきていることに気づいたキャンプ場ではないかと思っている。

 詳しくは、ここで語らない。
 その代わり、討議の詳細そのものを、できるだけ多くの方に読んでいただこうと思っている。 

 実は、今このシンポジウムの討議内容をまとめているところだ。
 シンポジウムを企画する仕事の一部をお手伝いさせてもらった行きがかり上、RV協会さんから、その議事録を編纂するという大役を仰せつかった。

 うまくまとめられたかどうか、自信はないが、一応パネラーの方々をはじめ、会場から討議に参加された方全員の発言も収録して、それぞれ内容をチェックしていただいた上で、掲載のご承諾をいただいた。

 近々それを公表できる運びとなるはずなので、多くの方々のご意見をうかがいたいと思う。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 02:10 | コメント(14)| トラックバック(0)

辛口性格診断

 昼休み、会社のデスクで 「白身フライのり弁」 380円なり、を食べながらネットをふらふらさまよっていたら、偶然 「辛口性格診断」 というサイトが目に飛び込んできた。
 信じていないクセに、占いとか、血液型性格判断といった話が好きなタチである。

辛口性格診断

 白身フライを頬張りつつも、ムラムラと好奇心が湧いた。
 
 口上を読むと、「エゴグラフに基づいて当社が独自開発した性格診断テスト」 だとか。
 なんじゃらほい。

 「人の言葉をさえぎって、自分の考えを述べることがある」
 「礼儀や作法にうるさい方だ」
  …………
 てな設問が25問ならび、それぞれ、

 「非常に当てはまる」
 「当てはまる」
 「どちらともいえない」
 「あまり当てはまらない」
 「まったく当てはまらない」
 という五つの答から選んでいく。

 で、私の診断結果は…というと、

 【総評】 「あなたは大人です。冷静な判断力があり、うまく世の中を渡っていけそうです」
 と、ご託宣が下った。

 さらに読むと、
 「計算高い性格なので、ともすると “冷たい”、“面白みがない” と見られることがあります」
 だって。

 なんだか気にさわる表現だなと思って、もう一度テストのタイトルを見てみると、確かに 「辛口」 と書いてある。

 さらに診断を読むと、
 「あなたは仕事とプライベートの切り替えが上手で、会社人間になりにくく、チームで仕事をするより、自分の技能や知識を生かして、専門職として活躍する方が向いています」
 なんて書いてある。

 会社勤めを30年間きっちりこなしている私のことを、まるで分かっていない診断だと思ってもみたが、まぁ、いつの間にか1人で編集の仕事をやっているわけだから、当たっていないこともない。

 次に 【恋愛について】 という欄を見る。

 「すべてスマートなあなたは、恋愛もスマートです。プライドが非常に高いため、自分から追いかけるスタイルは好まず、追いかけて来た相手を慎重に値踏み・選別しながらクールな恋愛を楽しみます」

 誉められてんだか、けなされてんだか。

 「もし、自分が気になる相手がいた場合は、うまく仕組んで相手に追いかけさせるでしょう。しかし、相手の反応がない場合は、さっさとあきらめます。そもそも人生における恋愛の位置づけが非常に低いのが特徴です」

 おいおい!
 なんだか、とても 「嫌な性格」 って言われている感じじゃないのよ。
 こんな診断、とてもカミさんには見せられない。

 【交友関係・ネットワーク】 ってところでは、次のような指摘が…

 「文化的な活動を好むあなたは、体を動かしたり、自然の中で生活したりといったことは苦手です。かわりに本を読んだり、ファッションに凝ることに興味を感じます」

 げぇ! まがりなりにも、キャンピングカーやキャンプに関連した仕事をしているわけである。
 「自然の中で生活したりといったことは苦手です」
 なんて言われた日にゃ致命的じゃないか。

 「本を読んだり、ファッションに凝ったり…」
 っていうところだって、本は読むけど、ファッションセンスはからっきしダメだしなぁ…。

 さらに致命的なことは、「モノに興味がない」 って指摘。
 
 このテストでは、各項目ごとに、全体の平均値と、それに対する本人の嗜好値が比較できるような結果が表示される。
 
 それによると、
 60パーセントの人が 「買い物好き」 と答えるなかで、私の 「買い物好き」 指数は、わずか38パーセント。
 「人の持っている物が欲しくなる」 と答える人が23パーセントを占めるうち、私の 「欲しくなる」 度はたったの2パーセント。

 「新製品は他人より早く試す」 では、平均値28パーセント中、12パーセント。
 「ブランド好き」 の人が全体の25パーセントいるなかで、私の指数はたった8パーセント。

 やれやれ…。モノオンチ、モノ無関心が暴露されてしまったわけだ。

 物欲度が低いところが清々しい、なんて喜んではいられない。
 これは、「モノの価値が判定できん」 という、キャンピングカーライターとしての信頼性を一気に低下させるような診断だといえる。

 最後に 【芸能人・有名人ならこのタイプ】 というオマケがあった。

 誰なんだ? と思って読むと、中田英寿が、私に似ているんだとか。
 逆か…
 私は中田英寿タイプなんだそうだ。

 「常に冷静にキラーパスを狙い、ゴールを決めても決してはしゃいだりしないその姿勢は、“フィールドの王様” にふさわしい貫禄を漂わせています」

 ほぉ、当たっている!
 とニンマリしたら、中田英寿ってもう現役じゃねぇじゃん。
 このデータ、いったいいつ作られたんだ?

 概して、このテスト。自分にとって好ましい診断とも思えなかったが、冷静に振り返ってみると、妙に当たっているところもあって、存外、自分の真実をえぐり出された気がしないでもない。

 もう一回テストしてみて、同じ結果が出たら信じてみるか。

 今度は自分を正直に見つめるつもりで、設問をよ~く考えながらワンモアトライしてみた。
 
 じゃーん! まったく違う結果が出てくるじゃん!
 なんだコレ?

 次に出てきた私の性格は、
 「人に気をつかい過ぎて自分のキャラをはっきり出せず、損をする性格です」
 ってさ。

 「合理的で計算高い」 私は、わずか10分後に、別人格に変身したのである。

 皆様も、話のネタにトライしてみてはいかがでしょう。
 http://www.jmrlsi.co.jp/cgi-bin/ego/diagform.pl


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:39 | コメント(0)| トラックバック(0)

いたずらジジイ

 藤原智美さんの 『暴走老人』 という本が評判になっているらしい。
 私は、まだ読んでいないけれど、読んだ人の話によると、キレた老人がチェーンソーでコンビニに殴り込みをかけたり、徒党を組んで暴れたりする例がたくさんあるんだとか。
 
暴走老人

 昨日だったか、おとといだったか、70歳を超えた老女が、シャベルカーを運転して、気に入らぬ隣人の家に突入を図ったというニュースもあった。

 いやはや、とんでもない時代になったものだ。

 「暴走ジジイ」 にも困ったもんだが、
 「いたずらジジイ」 というのもいる。
 私のことだ。

 もっとも、私のいたずらは、今のところ妄想だけにとどまっているので、実害を受けた人はいないのだが、いつなんどき、妄想をそのまま実行してしまうか分からないので、自分でも怖い。

 どんないたずらか。
 よく、電車の中なんかで、バカァーっと口を開けたまま眠りコケている人がいる。
 あのナイル川のカバみたいな大口を見ると、ついムラムラと、私はその口の中に、キャラメルか梅干などを放り込んでみたくなる。

 もちろん、実行すると、飲み込んだ人が窒息死したりして大変だから、かろうじて妄想だけに踏みとどまっている。

 しかし、電車の吊り革なんかをつかんで立っている時、目のまえにバカァーッと大口開けて、イビキをかいているオヤジがいたりすると、
 イヒヒヒ…
 キャラメル放り込んだら、どうなるだろう…

 という邪悪な欲望がこみ上げてきて、いても立ってもいられなくなる。
 きっと、女子高校生のスカートの下に、手鏡なんかかざす病気の人も、同じような欲望を抱えて苦しんでいるに違いない。

 昔から、邪悪ないたずらが大好きで、学校の先生には怒られ、親にはさんざんしぼられ、そうとう不遇の幼少期を送った。 

 小学生の頃、授業中にもう一人の生徒と一緒に、理科室に実験用具を取りに行かされたことがある。
 試験管だったか、顕微鏡だったか忘れたが、カビ臭い理科室に2人で入った時、その奥にたたずんでいた人間の白骨模型がやけに不気味に思えて、教材を手にしたら、さっさと逃げ出しくなった。

 そういうときに限って、邪悪な思いつきがヒラヒラとひらめいてしまう。
 一緒に来たヤツを、ここに閉じ込めたら、どんなに面白いだろう!

 私は、さっさと自分だけ部屋を出て、外から鍵をしめ、何食わぬ顔で教室に戻った。
 「××君は?」
 と先生に尋ねられ、私は、「トイレに寄るそうです」 なんて、シレッと答えたのである。

 さらに悪質なのは、閉じ込めたことを、自分でも忘れてしまったことだ。

 休み時間になり、閉じ込められた生徒が理科室の中でワンワン泣いているところを発見され、学校中が大騒ぎとなった。

 先生からはコッテリしぼられ、呼び出されうちの親は、「また、しでかしたんですか」 と哀しいくらいにペコペコ頭を下げ、その日の私の夕飯はお預けとなった。

 成人してからは、いたずらはしょっちゅう思いついても、さすがに人の迷惑を考えて、実行に移すことはなくなった。
 
 今のところ、最後にして最大のいたずらは、カミさんにプロポーズしてしまったことだ。
 あまりにも、このいたずらは見事に決まって、自分の方があわてた。
 
 いたずらだったんだ…なんていまさら言おうものなら、フトン叩き100回打ちはまぬがれない。
 どうか神様、うちのカミさんが、このブログを読みませんように。

 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 01:54 | コメント(6)| トラックバック(0)

欲望BLOWUP

《 昔の映画の現代的鑑賞法5 「欲望 BLOWUP」 》

 ミケランジェロ・アントニオーニが1966年に発表した 『欲望 BLOW UP』 は、ミステリアスな映画である。

欲望DVD

 まず、主人公 (デビッド・ヘミングス) が何者なのかということが、一切語られない。
 画面展開を通じて、彼が職業カメラマンであることは分かるのだが、それ以外のことに関しては、観客はまったく教えてもらうことができない。

欲望BLOWUP0033

 第一この主人公には固有名がない。
 パンフレットなどの解説では 「トーマス」 となっているが、映画の中では、その名で彼が呼ばれることは一度もないし、自分でも名乗らない。

 次に私生活がない。
 彼が仕事場として使っているスタジオは、画面に頻繁に登場するのに、彼の住んでいる家は描かれないし、妻や子供がいるかどうかも分からない。

 行動も謎だらけだ。
 …というか、きまぐれだ。
 たとえば、閑静な住宅街にクルマを止め、いきなりクラクションを鳴らして周囲の反応を伺うのだが、なぜそのようなことをするのか、何を求めたのか。映画は何も説明してくれない。

欲望BLOWUP0023

 有名な、ヤードバーズのライブ演奏が挿入されるシーンでは、主人公はジェフ・ベックが観客に向かって投げた壊れたギターのネックを、他の客ともみ合いながら必死になって手に入れる。
 しかし、店の外に出てしまうと、ゴミを捨てるように、それを路上に放り出して歩き出す。

欲望BLOWUP023

 彼の行動と行動の間にはまったく連続性がないし。感情の推移が実にデジタルで、その内面は不気味なほど空虚だ。

《公園で殺人はあったのか?》

 この謎だらけの主人公が、これまた、謎に包まれた事件に巻き込まれる。

 彼は公園を散歩しているとき、そこでたわむれている1組のカップルを発見する。
 身なりのきちんとした初老の紳士と、上品な中年女性 (バネッサ・レッドグレープ) のカップルだ。
 2人は、人気のない公園で、秘密の逢瀬 (おうせ) を楽しんでいるように見える。

欲望BLOWUP0005

 主人公は、木の陰に体を隠しながら、彼らの姿を盗み撮りする。
 女がそれに気づき、フィルムを返せと迫ってくる。

欲望BLOWUP0006

 主人公は、未現像の別のフィルムを彼女に渡して安心させ、スタジオに戻って、撮ったばかりのフィルムを現像する。

欲望BLOWUP0014

欲望BLOWUP0007

 プリントされた写真を壁に貼り、その出来栄えをチェックしようとしたとき、彼はその画像に、どことなく奇妙なものを感じる。

 女の視線が不自然なのだ。
 その視線が気になった彼は、暗室に戻り、今度は女性の視線が向けられた茂みの部分をアップしてみる。
 拳銃を持った男が、茂みの中に潜んでいるようにも見える。

欲望BLOWUP0016

 次に、女が一人で立っている写真をチェックする。
 すると、その足元にうずくまっている影のようなものが、先ほどまで抱き合っていた初老の紳士の死体のようにも見えてくる。

 再び暗室に戻った彼は、今度は、女の足元に横たわる影の部分を拡大していく。
 
 もしかしたら自分は、偶然、殺人現場を撮影してしまったのかもしれない!
 その思いが、主人公を興奮させる。

欲望2

 ところが、彼は、自己矛盾に直面することになる。
 写真というのは、拡大していけばいくほど粒子が粗くなり、モザイク画のようなものに近づいていく。
 つまり、「真実」 に迫ろうとすればするほど、「真実」 が遠のいていくという逆説に、彼は出合ってしまう。

 急いで公園に戻ってみるが、そこにはもう誰もいない。
 もちろん、死体などどこにもない。

 陰気な曇り空
 風にそよぐ木の葉
 濡れたような緑に染まった生々しい芝生
 音のない世界が広がっていく。

欲望BLOWUP0025

 この公園の不気味で美しい映像は、まさにアントニオーニでなければ描けない世界だろう。

 「写真で見たものは、ただの錯覚か?」

 あいまいな気持ちのままスタジオに戻ると、留守の間に、プリントした写真が誰かに持ち去られている。
 もちろん、現像したフィルムも同時になくなっている。

 自分が見たものは、現実なのか錯覚なのか。
 それを判定する材料すら主人公から失われていく。

《謎のパントマイム団》

 映画はこのあと、あのあまりにも有名なラストシーンに向かって進んでいく。

 殺人事件を目撃したという意識もだんだん曖昧なものになり、自分の判断にも自信を失ってしまった主人公は、取りとめもなく、テニスコートのある公園を歩いている。

 奇声を発するたくさんの男女を乗せたオープンカーが、彼を追い抜いていく。
 全員がカーニバルの道化のような化粧をしている。

欲望BLOWUPパントマイム団

 道化の一団は、公園のテニスコートの前でクルマを止め、一組の男女がコートの中に入って、パントマイムのテニスを始める。

欲望パントマイム団0026

 もちろんボールもラケットも実在しない。
 にもかかわらず、フェンスに張りついた仲間たちは、架空のボールを追って、視線を振り子のように動かしている。

 主人公は、フェンスによりかかったまま、物憂い (ものうい) 視線で、その様子を眺める。

 打ったボールがフェンスを越えたらしい。
 主人公の足元に転がってきたボールを投げ返してくれと、見えないラケットを抱えた女がせがむ。

欲望パントマイムのテニス

 彼は、そのバカバカしい願いに応じるのだろうか、応じないのだろうか。

 一瞬ちゅうちょした後で、主人公は架空のボールを拾い上げ、それをコートの中に投げ返すふりをする。

欲望パントマイムテニスへの返球

 返球されたボールを受け取ったを一座は、再びテニスを始める。

 すると、
 コーン、コーン……

 不思議なことに、主人公の耳に、最初はかすかに、しかし次第にはっきりと、コート内を弾むボールの音が聞こえてくる。

 その音に、ハービー・ハンコックが奏する主題曲が突然かぶさり、エンドタイトルが画面に浮かびあがる。

欲望エンドタイトル

 さて、この映画は、いったい何を観客に訴えようとしたのだろうか。
 すでに多くの評論家が、40年の長きにわたって、様々な意見を残している。

 特に、ラストシーンが象徴的な意味合いを強く匂わせているため、1960年代においては、「人間の意識が変れば、今まで見えなかった真実も見えてくる」 という意識変革のドラマとして見られたようだ。

 60年代といえば、カルチャーをしのぐ勢いで、サブカルチャーが台頭し、さらに性解放が進んで、ドラッグ文化が若者の間に浸透するなど、「意識の変革」 というキーワードさえ繰り出しておけば、どんなものにも通用した。

 だが、この映画を読み解くためには、もう少し違ったアプローチを試みなければならない。
 つまり、従来の 「映画論」 の枠組みを一度捨てる必要がある。
 それは、映画を 「文学」 として語る手法をあきらめるということだ。

《これは絵画なのだ》

 結論を先にいうと、『欲望』 における謎は、アントニオーニ監督がこの作品を 「映画」 としてではなく 「絵画」 として完成させたところから生まれている。
 多くの評論家はそれに気づかず、この作品を映画 (文学) のロジックで解明しようとした。
 当然それは、謎をますます深めるだけのこととなった。

 同じ映像芸術でも、「映画」 と 「絵画」 は違う。
 映画は、映像の連なりとはいえ、たぶんに言語的だ。どんな作品にもストーリーというものが存在し、ストーリーがある限りは、言語でその流れを解説することができる。

 しかし、絵画は違う。
 その絵に描かれた対象物を特定するだけなら、誰にでもできる。
 だが、そこから先は解説できない。

 たとえば、ゴッホの麦畑の絵を思い浮かべればいい。

麦畑
 
 描かれたものは、白昼の麦畑と、その上を舞うカラスの群れに過ぎない。
 だが、そう語ったところで、この絵からあふれ出てくる狂気に満ちた美しさは、誰もが、簡単に説明できるようなものではない。

 アントニオーニ監督はそのような作品として、この 『欲望』 をつくり出したのだ。

 この作品で絵画を目指したアントニオーニは、実際に、撮影する対象においても、絵画の技法を取り入れている。

 彼は、主人公がプロペラを買う骨董屋を登場させるとき、建物の壁が気に入らないといって、持ち主にお金を払って壁の色を塗り替え、さらに、道路の色まで塗り替えた。

 謎の男女がたわむれる公園では、なんと、その木の幹から一つ一つの葉に至るまで、ハケを使ってペイントを施している。
 
 つまり、あの作品に登場する 「自然」 は、アントニオーニが一人の画家になって、文字どおり絵の具によって再構築した 「自然」 なのである。

欲望人気のない裏通り

 その作為的な 「自然」 の改変によって、たとえば、風に揺れる公園の樹木は、カスパール・フリードリッヒが描く樹木のような、不思議な生命感を漂わせるものなったし、人通りが途絶えたロンドンの新興住宅街は、エドワード・ホッパーの描く寂しい街並みの空虚感を手に入れることになった。

フリードリッヒ絵画 ホッパー絵画1

 白ペンキで塗られた家のある街角は、モンパルナスを描いたユトリロの絵を思い出させるし、無機的で大胆なインテリアで統一されたスタジオは、それそのものが、モンドリアンたちが描く抽象画になっている。

欲望白ペンキの家

 また、ラストシーンでパントマイムの一座が繰り広げる幻のテニスの映像は、アンリ・ルソーの描くフットボールの情景につながっている。

ルソーの絵画

欲望パントマイムの一座のテニス見物

《クローズアップの恐るべき真実》

 この作品が、「映画」 ではなく 「絵画」 であることをはっきり主張しているのが、公園の男女写真を、主人公がスタジオで拡大していくシーンだ。

 映画の世界では、小さなものを大きく拡大して見せる手法をクローズアップという。
 このクローズアップこそ、モンタージュと並んで近代映画が発見した最も先鋭的な映像表現といわれるものだ。

欲望BLOWUP0016

 しかしアントニオーニは、映画の可能性を広げたクローズアップという手法が、それを徹底させると、逆に、映画そのものを解体してしまうことに着目した。
 前述したように、フィルム画像といういものは、細部を拡大していけばいくほど粒子が荒れてしまい、抽象画のようなものになってしまう。

 写実映像が、「絵画」 に変容するというスリリングな瞬間に、アントニオーニがどれだけ魅了されたかは、この映画の原題が 「BLOW UP (拡大) 」 であるということからも推測できる。 

 主人公の不可解な行動も、この作品を 「絵画」 として捉えると説明がつく。

 主人公は、気のおもむくままに写真を撮り、気まぐれに仕事を選び、行動には一貫性がなく、過ぎた時間に拘泥せず、明日に希望を持たない。

 そのような、時間感覚の崩れた人間を主人公にすることで、アントニオーニ監督は、時間の流れを前提とする 「映画の文法」 を解体しようとしたのだ。

 主人公が、ジェフ・ベックが放りなげたギターのネックを必死に求めながら、いざ手にすると、それを路上に放り投げるシーンが 「不可解な行動」 の代表例としていつも話題になるが、それは映画的な文法にとらわれるからそう見えるだけの話である。

欲望BLOWUP023

 このシーンは、主人公にとってネックが必要だった時間帯と、それが無意味となる時間帯の不連続性 (断絶) を表現しているに過ぎない。

 映画の文脈では、この二つの行為を結ぶ時間は、一直線につながっている。
 しかし、絵画では、「ネックを拾う男」 と 「ネックを捨てる男」 という、2枚のタブローがあるという見方になる。

 その2枚の絵では、時間が断絶しているだけでなく、主人公の価値観すら断絶している。
 ジェフ・ベックが投げ捨てたギターのネックは、アンダーグラウンドのロックカフェにおいては 「至宝」 のような価値を持つが、ウィンドウショッピングを楽しむメインストリートの住人たちにとっては、「木屑」 でしかない。

《沈黙のテニスの意味》

 ミステリアスだと評判をとったラストシーンも、この作品が 「絵画」 であることを理解すれば、そのメッセージは意外とシンプルなものである。

欲望パントマイム団0026

 幻のテニスを演じるグループが、パントマイムの一座であることに注目してもらいたい。

 彼らのテニスはパントマイムであるために、観客の声援も審判のホイッスルも登場しない。
 つまり、その沈黙が、「絵画」 の寓意になっている。

 絵画の世界では、観客の声援も審判のホイッスルも、その絵を鑑賞する人間の 「脳内」 にしか存在しない。

 テニスコートに弾む幻のボールの音は、この作品を 「絵画」 として認識したときに初めて聞こえてくる 「脳内の音」 なのだ。


 アントニオーニ映画 「太陽はひとりぼっち」

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 01:20 | コメント(0)| トラックバック(0)

メガネ女

 メガネをかけている女性に弱い。
 うちのカミさんは、メガネをかけている。
 残業なんかで、家に帰るのが遅くなる日は、必ず帰宅時間を事前に連絡しなければならない。
 正確にだ。
 許容範囲は、せいぜい10分。

 そうしないと、
 「申告した時間より15分も遅いじゃないの! いったいどこをほっつき歩いていたんだ、このカッパ」
 スイマセン、自転車を漕いでいるうちに足をくじいてしまいまして…
 「夕ご飯なんか、もうありませんからね!」

 …ということを書くつもりではなかった。
 メガネをかけている女性に弱い
 という話ね。

 「弱い」 という意味は、だらしなく目じりが下がってしまう、という意味だ。
 朝の民放のワイドショー 「とくダネ!」 のコメンテーターとして出てくる高木美保さんなんて、きれいだなぁ…といつも見とれてしまう。
 彼女の場合は、メガネが、むしろその美貌を強調するアクセントとして機能している。 (メガネを取ると美人には見えないという意味ではない。念のため)

高木美保さん

 メガネ顔で出演していた菅野美穂さんのドラマを見たことがあったが、日頃あまり関心のあった女優さんではなかったにもかかわらず、 「けっこう美人じゃないか!」 と妙に感心してしまった。
 (これも、メガネがないと美人に思えなかったという意味ではない。念のため)

 少し前だと、メガネは美貌を損なうという意識が強かったのか、みなコンタクトレンズをはめていた。
 しかし、最近は、堂々とメガネ顔でテレビに出演してくるタレントや歌手が増えた。

 けっこう気にいってるタレントさんが、くわばたりえ さん。
 私にはとても美人に見えるのだけれど、他の男性はどうだろう。
 オレ的には、ファンだ。

くわばたりえ

 でも、やっぱり一番の 「憧れの人」 は平野レミさんだ。
 めちゃめちゃお茶目。
 もう、ホントに無造作に、あっけらかんと手際よく料理を作っていく、あの底抜けの明るさ。

平野レミさん

 で、あの美貌。
 オレ的には、完璧な人だ。

 メガネ顔に興奮するという男は、どうやら私だけではないようだ。
 
 その証拠に、故意に集めているつもりはまったくないのに、なぜか私の秘密の本棚に自然に溜まっていくエロ雑誌に、けっこうメガネ女が登場する。
 
 メガネは 「知性と教養」 の象徴。
 そのような知性派 (?) の女性が、動物的な劣情にあえぐ!
 そういうギャップが、一部のイヤシイ男性の性的嗜好をくすぐるのだろうか。
 
 私には、そういう感覚はまったくないのだけれど、偶然そういうシチュエーションの画像を発見したときは、たまに作り手に同情して、「共感してやろうか」 という気を起こしてやることもある。

 最近、「彼氏とデートするときは、目が悪くないのにメガネをかけていくの」 と話してくれた女性がいた。
 メガネをかけたり外したりするだけで、自分のキャラクターが様々に変化するのが、楽しいという。
 その変化に合わせて、相手の彼も、今まで見せなかったような反応を示してくれるようになったとか。

 いったい、その彼がどんな 「反応」 を見せてくれるようになったのか。
 彼女がメガネをかけたり外したりする時が、ベッドの中なのか、食事の席であるのかを聞き漏らしたので、その実態は分からない。

 メガネは実用の道具から、お洒落のためのアクセサリーに変り、
 さらに、今は男女の仲を取り持つアイテムに。
 面白い時代になったものだ。

 (どこかのメガネ屋、このブログのスポンサーになってくれ! ダメか…)


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:48 | コメント(0)| トラックバック(0)

勝手にしやがれ

《昔の映画の現代的鑑賞法4
 「勝手にしやがれ」 》


 『勝手にしやがれ』 は、ジャン・リュック・ゴダールの代表作ともいえる映画だ。
 なんといっても邦題がいい!
 この映画の本質をずばり表現している。

勝手DVD

 話は単純。
 自動車を盗んで警察を殺してしまった男 (ジャン・ポール・ベルモンド) が、盗品の自動車をパリまで売りに来る。
 しかし、パリに出てきたものの、盗品を扱う地下組織と、なかなか連絡がつかない。
 その連絡がつくまでの、ベルモンドとその恋人との日常生活が映画のほとんどのシーンを占める。

 ベルモンドと恋人は、意味も深みもない、ぶっきらぼうな会話をダラダラと続ける。
 ところが、カットがめまぐるしく入れ替わるので、その会話自体が、ぶつぶつとコマ切れになる。
 つまり、2人の間では深刻であるべき会話なのに、その意味がどんどん軽くなっていく。

 要するに、観客に何かのメッセージを伝えるための会話ではないのだ。

 この映画では、それ以前に通用していた映画的文法がことごとく無視されている。
 たとえば、ベルモンドは恋人の部屋に勝手に転がり込んで、 「もう一度寝ようよ」 とお尻を触りまくる。
 
 女の尻を触るという描写は、それまでの映画だったら性的な意味を暗示するはずだった。
 しかし、ここでは尻を触るという行為が、あたかも背中を掻くように、あくびをするかのように、素っ気ない日常性の中に解消されている。

 一方、尻を触られた恋人は 「ダメよ」 と、ベルモンドの頬をバシリと叩く。

 女が男の頬を叩くのは、それまでの映像的な文法では男への絶望、プライドの回復、叱咤激励といった感情を暗示するときの表現だった。
 しかし、この映画に出てくる女は、反射神経のおもむくままに、腕に止まった蚊をツブすように男を叩く。
 男の方も、叩かれたことすら気づかい感じで、無造作に新聞を読みふける。

 美談美女の顔が大写しになって、甘いキスを交わすハリウッド的恋愛シーンになじんだ観客は、ここに描かれた恋人同士の交流に、なんともいえない不自然な思いを抱いたことだろう。

 しかし、考えてみれば、「映画のような出会い」、 「映画のような恋」、 「映画のような別れ」 があると思う方が、不自然なのだ。

 われわれの日常的なコミュニケーションというのは、たいていはゴダールの描いた男女のような形を取っている。
 誰だって、自分の行為に対する意味など深く考えてはいないし、相手の行為を深く詮索したりはしない。

 日常とは、そういうものだ。
 もし、相手の行為を鋭く詮索したり、自分の心を掘り下げたりするとしたら、それは非日常的な事態に陥ったときである。

 そういった意味で、ゴダール以前の映画は、 「非日常」 ばっかりだったともいえる。
 ゴダールの映像が新しかったのは、はじめて、人間のごく日常的な触れ合いをストレートに描ききったからだ。
 
 われわれは、俳優の動作一つ一つにそれぞれ意味があって、その意味を汲み取らなければ筋がつかめないという、それまでの映画の文法に毒され続けていた。

 しかし、人の行為には、すべて意味があるわけではない。逆に意味のない行為の積み重ねが、その人間の人生をつくっていく。
 ゴダールはこの映画で、そういう事例をクールに積み重ねていったにすぎない。
 
 ラストシーン。
 警察に見つかったベルモンドは、仲間から放り投げられたピストルを、うっかり拾ってしまったばっかりに、警察官に狙撃されてしまう。

 瀕死の主人公のもとに駆けつける恋人。
 ベルモンドは、その恋人の顔をニヤリと笑って見つめ、
 「お前はサイテーだ!」 
 と、一言ほえて死ぬ。

 誤解によって突然奪われてしまった人生。
 虫けらのような死。
 そして、観客が感情移入することのできない、カタルシスのないエンディング。
 この感覚こそ、ゴダールの新しさなのだ。

 それまでの映画では、主人公の死は、時に祖国の救済を意味し、恋人の命の身代わりなどを意味した。
 そういう “意味のある死” になじんだ人たちは、この意味のない死に、強い不条理を感じたことだろう。

 しかし、この不条理の感覚こそ、ヌーベルバーグの時代、サルトルやボーボアールが活躍して、実存哲学が花開いた時代の感受性でもあった。

 この映画が封切られた1959年。これを最初に見た人は、おそらく当時の映画を語る言葉では、この映画を批評できなかったに違いない。
 この 『勝手にしやがれ』 を語るには、それまでの映画に対する言説を捨て、新しい哲学と、新しい言葉が必要だったはずだ。

勝手1
 
 最後に一言。
 この映画の主役を演じたジャン・ポール・ベルモンドという役者には改めて敬服した。
 演技がどうこういう前に、最高にカッコいい。

 見かけはただのチンピラ。
 いつも帽子をアミダに被り、シャツの第二ボタンまでだらしなく外し、分厚い唇には、くわえ煙草を絶やさず、火をつけたマッチも吸殻も、あたりかまわず投げ捨てる。

 マナー最悪
 言葉は乱暴
 人品骨柄最低
 サングラスをかけると、どう見てもヤクザ以外の何者にも見えない。

 しかし、それが実に洒落て見える。
 100パーセント自意識のかたまりのように見えながら、実は100パーセント自己というものに頓着していないという、珍しいタイプの男を演じている。

 この映画の妙なさわやかさは、このベルモンドの演技によってかもし出されている。
 サングラスを取ると、まだ若かったせいか、ちょっとはにかみ屋の育ちの良さそうな表情がこぼれ出る。
 そこが、女の子ふうにいうと 「かわいい!」 。

 ゴダールは、新しい感覚を創造した映像作家かもしれないが、この映画に関しては、ベルモンドの演技に助けられているところが大きいと思えた。

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 02:51 | コメント(5)| トラックバック(0)

キャスターに泣く

 年を取ると、若いときと違って、他人のちょっとしたずさんな行動や習慣にいらだつことが増える。
 で、ジジイ化が進行している私は、このごろ毎朝いらだっている。

 キャスター付きのキャリーバッグというヤツ。
 あれにいらだつ。
 
 電車通勤の私は、毎朝、混雑したターミナル駅を利用しなければならない。
 新幹線や空港に接続する路線が走っている駅なので、旅行者が多い。
 そのため、大きな旅行バッグを抱えて乗り降りする客が、やたら目につく。

 その旅行バッグが、最近はのきなみガラガラと引きずるキャスター付きなのだ。

 私のような反射神経の鈍い…いや違った! 考えごとにふけりながら歩く人間にとって、このバッグは天敵だ。
 電車のドアが開いて降りようとした瞬間に、ほとんど毎日、私はそれに足を取られて転びそうになる。

 そういうバッグには、持ち上げて運ぶための取っ手もついているのだが、誰もそれを掴んで持ち上げようとはしない。

 で、私がそれに足を引っ掛けると、若い女性なんかは、たいてい、
 「私のバッグ汚したでしょ!」
 と痴漢行為・婦女暴行の犯人みっけ! みたいな目でにらんでくる。
 それも、沢尻エリカもぶっ飛ぶような “迫力目線” で迫ってくる。

 沢尻エリカなら、まだ 「カワ怖い」 けれど、たいていの女性は、顔のお造りがそのレベルまで達していないから、ただ 「怖い」 だけ。

 その怖い目つきで、私の方が悪い (…んだけどサァ確かに…) とばかりににらまれると、キャスターバッグ全盛のこの時代に、自分だけが取り残された “よけい者” みたく思えてきて、朝から気が滅入る。

 つぶさに観察すると、混雑した場所でキャスターバッグをずるずる引きずっている人間は、みな共通した特徴があることが分かった。
 男はブ男、女はブス。
 老若男女を問わない。

 顔の造形のことを言っているわけではない。
 心のユルさみたいなものが表情に表れて、間抜けで傲慢な顔になっているのだ。

 混雑した駅のホームでは、誰もが、自分の占有面積をできるだけ小さく絞って、他人を受け入れるスペースを作ってあげるようにしなければならない……はずだ。混み合った場所でキャスターバッグを引っ張ることは、その他人の占有面積まで侵すことになる。

 そういうことに対する無神経さが顔に出てしまうから、男はブ男になり、女はブスになる。

 そもそも、自分が必要だと思う荷物をすべてバッグにぶち込もうとする精神が、たるんでいる。
 旅行に出るならば、荷物を吟味して、ムダな物を省き、少しでもカバンを軽くするように心掛けることが、旅の智恵というものではあるまいか。

 カバンが重くなったら、車輪を付けて地面を転がせばいいという発想は、生活から緊張感を奪い、思考力を減退させ、他人や社会への無関心を増長させる発想だ!

 …と怒ってみたりするわけだが、こういう怒り方が、また自分ではなんともジジイチックだと思わざるを得ない。
 実は、これがまた私を悩ませる。

 他人のずさんな行動を 「たるんでいる!」 といきどおる気持ちの中には、案外、ジジイ特有の愉楽が潜んでいる。

 よく見てみな。
 「公衆道徳が分かっとらん!」 てな感じで、若者を怒っているジジイは、眉をしかめていても、みな楽しそうだ。
 
 そういう 「愉楽の味」 が分かってきた自分を、成熟したと考えるか、老化したと考えるか。
 自分では、なかなか判断がむずかしいところだ。

 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 03:35 | コメント(0)| トラックバック(0)

スナフキンHS

【お勧めキャンカー13 「スナフキンHS」 】

 デルタリンクのオリジナルバンコン 「スナフキン」 に、新しいレイアウトが誕生した。
 L型ラウンジとシークレットキッチンが好評のHKに対し、新型モデルは、対面ダイネットとリヤ常設ベッドを備えたレイアウト。
 その名は、「スナフキンHS-W」 。

スナフキンex

 HSの 「S」 は、企画・製作を担当したデルタリンク新潟の佐久間社長の 「S」 。
 「W」 はダブルベッドの意味。
 「H」 がなんなのか、聞き漏らしてしまった。
 たぶん 「ハイエース」 という意味なのだろう。間違っていたらゴメンナサイだ。

 シークレットキッチンという、キッチンスペースを隠した斬新なコンセプトのHKに比べ、HSの方は実に分かりやすい。
 エントランスドアを開けて、室内を覗き込んだだけで、即座にどういう使い方をすればいいのかが分かる。
 対面ダイネットとリヤ常設ベッドで構成されたレイアウトは、まさにファミリー仕様。

 レイアウト的には見慣れた構造のため、HKを最初に見たときのような強烈なインパクトは受けなかったが、それでも他のバンコンと比べると、内装デザインの見事さ、クオリティ感の高さでは、やはり群を抜いている。デルタリンクが、いかにこの 「スナフキン」 というブランドを大事にしているかが分かる。

スナフ内装1 スナフ内装3

 この対面ダイネットは、ベッドメイクも実に簡単。
 テーブルを、ワンタッチでそのまま下げ、その上に背もたれを置くだけ。

 テーブルの上に乗せるマットの形が、シートのアールにぴったり合うように切られているので、ジグソーパズルをはめ込むように、マットとシートが気持ちよくはまり合う。
 買ってしばらくは、このマットがぴたりとハマるときの快感に酔いしれることになるかもしれない。

 テーブルをマットで埋めた後は、収納庫に収めていた別のマットを通路側にはめ込むだけ。
 これで、1200㎜×1900㎜ほどのフロントベッドが完成。

スナフ内装2

 リヤベッドは、横幅で、1m70はゲットされているので、アダルトのスリーピング定員の数値はカウントできなくても、身長170㎝未満の人なら、2パーソンが横に寝られる。チャイルドなら、オフコース ノープロブラム!
 …俺はルー大柴か?

 リヤベッドの下は、大型収納。
 このあたりも、キャンプ道具などを満載してキャンプ場などに出向くファミリーに喜ばれそうだ。

スナフ内装4

 スナフキンの断熱処理は、ぜひ広報してほしい、とデルタのスタッフは言う。

 アメリカのNASAで開発されたものと同じ断熱効果が得られる断熱材が、壁材として使用されている。空気の層を細かく分けて閉じ込めたエアキャップを真ん中に挟み、その両面をシルバーコーティング。
 そういう断熱素材を使うことによって、断熱効果がものすごく上がったという。

 天井は、建築用断熱材のサニーライト30㎜厚。
 床も、建材用遮音シートと断熱材のサンドイッチによる2重構造。遮音も断熱効果もそれで完璧。

 この写真で紹介したものは、プロトタイプ。
 量産モデルからは、ギャレーカウンターをよりラウンドさせて、人が車内で移動するときの余裕をさらに確保する処置が講じられる。
 また、シューズボックスももう少し絞られ、アシストグリップも設けられて、乗降性の向上も図られるとのこと。
 
 HKとHSが揃い踏みすることによって、スナフキンの鉄壁の布陣が完成した感じ。
 HSの量産タイプが市場に出回る頃には、バンコン界の押しも押されもしないメジャーブランドになっていることだろう。

 関連記事 「スナフキンHK」
 
campingcar | 投稿者 町田編集長 03:13 | コメント(0)| トラックバック(0)

トラベルバン

【お勧めキャンカー12 「トラベルバン」 】

 マリナ'RVは、名門ビルダーである。
 特に、バスコンの開発にかけては、東のRVランドやRVビックフットと並ぶ、西のバスコンプロショップとして、長い歴史を誇っている。
 同社のLキャビンが、バスコンブランドとしての存在感を示しているのは、その伝統の力に負うところが大きい。

 近年、マリナ'RVは、そのバスコン開発で蓄積してきたノウハウをバンコンに投入するようになってきた。
 「キャビンⅡ」 シリーズなどがそれに当たる。
 そこで使われている 「CALA」 、 「リバー」 などというシリーズ名が、バスコンのLキャビンシリーズを踏襲していることからも、それがうかがえる。

 そのマリナ'RVが、このたび 「関西キャンピングカーショー」 でデビューさせた 「トラベルバン」 は、今までのバンコン路線とは、ちょった違った商品設定となっている。

トラベルバン内装4 トラベルバン外装

 キャビンⅡ的なバンコンが、しっかりした車中泊を保証する 「キャンピングカー」 だとすれば、このトラベルバンは、ツーリングを主眼に置いたワゴン感覚の 「トラベルカー」 。
 そこにトランポ的な要素が加わっているのだが、レイアウトの平面図を見る限り、どこのバンコンメーカーも1台はラインナップに加えている代表的なパターンの域を出ていない。

 しかし、パーツごとに細かく観察していけば、そこにはマリナ'RVならではのこだわりが、しっかり貫かれている。

 注目すべきは、セカンドシート。
 見事な本革で縫製されたキャプテンシートが採用されている。
 ホールド感も確保され、ひじ掛けも付いて、ドライバーズシートよりもクオリティ感が高い。

 このキャプテンシートを回転させることによって、サードシートと対面ダイネットを作ることができる。 
 このキャプテンシートは、希望によって 「レカロ」 に変更することも可能。
 そうなると、 「Huu」 に近くなる。

トラベルバン内装1

 サードシートは、背もたれ部分のマットを埋め込めば、そのままフルフラットベッドに早変わり。

トラベルバン内装2 トラベルバンベッド

 さらに、ベッドマットの中央部分を全部取り除けば、その空間がガーゴスペースになる。

トラベルバン内装5

 このあたりのシートアレンジは、マリナ'RVのホームページに動画で紹介されているので、興味のある方は必見。

 ベッドマットにも、マリナ'RVならではのこだわりが見られる。
 同社が、キャビンⅡシリーズなどで、セールスポイントとして強調してきた 「西川ローズ」 の繊維マットが採用されている。

 シート類はブラック。
 フロアはグレー。
 モノトーンを強調するインテリアも、今までのマリナ'RVのテイストとは大いに異なる。
 ビター感を強調した男の味。
 さりげなく、モトクロッサーなどを後ろに積んでいると、似合いそうだ。

 世間に対して、ちょっと牙をむくような、孤独を楽しむ余裕を持ったオヤジたちをターゲットにしたクルマと見た。

campingcar | 投稿者 町田編集長 03:23 | コメント(0)| トラックバック(0)

オフタイム

【お勧めキャンカー11 「オフタイム」 】

 「オフタイム」 は、話題のエアサス 「Cam Sus キャンサス」 ですっかりおなじみとなった、スマイルファクトリーさんが開発した軽キャンカー 。 
 先月開かれた 「関西キャンピングカーショー」 で、初お目見えを果たしました。

オフタイム外形2
▲ベースはスズキエブリイ

 とはいっても、このクルマが開発されたのは、今年の6月。
 スマイルファクトリーさんの地元島根県を中心とした、ローカルマーケットを意識した商品というわけで、ビッグイベントに出たことはなかったのですが、ネットで評判となり、いわば 「幻の軽キャンカー」 として話題になっていたクルマです。

 何が、評判となったのか。

 ひとつは、充実した標準装備の数々。
 カタログから、ちょっと引用してみましょう。

◆サブバッテリー ◆走行充電システム ◆バッテリーセパレーター ◆500Wインバーター ◆AC100V4連コンセント ◆大人2名就寝用ベッドマット ◆DC12Vシガーライターコンセント ◆清水・排水タンク (各10リットル) ◆シャワーヘッド ◆ギャレー (シンク)+テーブル ◆集中スイッチ ◆助手席背面テーブル ◆マルチシェード ◆ギャレー上ラック ◆ギャレー延長アウターテーブル ◆室内灯
 
 ちょっとしたバンコンレベルの装備品が付いています。

 10リットルの清・排水タンクにギャレーまで付いて、設備はまさにキャンピングカーなのですが、8ナンバー登録ではありません。
 バンベースとワゴンベースがあり、バンは4ナンバー、ワゴンは5ナンバー登録。
 軽自動車税の適用が受けられるため、維持費が安いことが魅力です。

 シンク周りがなかなか充実しています。

オフタイム内装3

 シンク下の水タンクを収めた収納庫の扉を、そのまま持ち上げると、ほら、扉がテーブルに早変り。
 リヤゲートを上げると、シャワーヘッド側に折りたたまれたフライングテーブルも使えるようになります。

 シャワーフォーセットが1.5mほど伸びるので、外部シャワーとしても利用可能です。
 オプションとなりますが、ヒートエクスチェンジャー式の温水設備も用意されています。

 助手席シートを前側に倒すと、その背面にもテーブルが出現。

オフタイム背面テーブル2

 窓を閉じるための工夫も凝らされています。
 カーテン方式ではありません。
 全窓が、マルチシェードの対応になっています。

オフタイム背面テーブル

 このシェードは、スマイルファクトリーさんのオリジナルで、断熱対策もばっちり。内側の生地は、シートと共生地になっていて、なんともお洒落。
 取りつけは、外れやすい吸盤式を避けてフック式 (フロントウィンドウのみ吸盤式) が採用されました。。
 車中泊するときに、全窓にこれを取り付ければ、プライバシーの確保と断熱・防寒効果が得られます。

 エアサスの専門店であるスマイルファクトリーさんだけあって、このオフタイムにもエアサスが用意されています。
 ただし、設定はリヤのみ。
 カムロードに装着したときのような、「劇的!」 というほどの体感的効果はないとのことですが、それでも、装着すると確実に乗り心地が向上するそうです。
 リヤにたくさんの荷物を積載したときや、4名乗車したときなどには、尻下がりも防止します。

 エアサス (Can Sus) 仕様は工賃込みで、プラス72,500円。
 かっ飛び車のJOINターボなどをベース車に選んだときは、お試しあれ。

 装備充実が “売り” のこのオフタイムの価格は、146万円 (バンベース 2WD 5MT) から。
 京都のマックレーさんのお店にも展示車があります。

campingcar | 投稿者 町田編集長 03:57 | コメント(0)| トラックバック(0)

ニューアカの衝撃

 ここ数年、にわかに 「1980年代」 を再考察するような空気がみなぎっている。 (昨日もそう書いた)

 著作では、村田晃嗣氏による 『プレイバック1980年代』 が昨年11月に発行されている。
 その前年には、吉崎達彦氏の 『1985年』。
 ともに、世界的な政治・経済の流れの中で、1980年代という時代に起きた現象の特異性を語っている。

 さらに、この時代をサブカルチャー寄りの視点で解析した本として、原宏之氏の 『バブル文化論 = ポスト戦後としての1980年代』 がある。

 この種の名著として、2004年に発行された大塚英志氏の 『 「おたく」 の精神史 = 1980年代論』 を、ここに加えていいかもしれない。

 なんで、みな1980年代を、今になって語りたがるのか。

 おそらく、上記の本を書かれた方々の共通認識として、現在この世に出現している 「世界」 は、1980年代に用意されたものだという考えがあるからだろう。

 私は1950年の生まれだから、1980年代というのは、ちょうど30歳代と重なる。
 すでに中年の領域に足を踏み入れてしまった歳だったにもかかわらず、80年代という時代を生きた時が、なんだか自分の 「青春」 だったような気分すら持っている。

 「青春」 からしたたり落ちる、甘さと苦さは、分析を許さない。

 だから、現在の視点からこの1980年代を考察する書籍、たとえば村田晃嗣氏の 『プレイバック1980年代』 や、吉崎達彦氏の 『1985年』 などを読んでいても、
 「そりゃ今の視点からこの1980年代を分析すればそうだろうけれど、あの時代に吹いていた風の匂いは、ちょっと違うよねぇ」
 という、漠然とした違和感を感じてしまう。

 1980年代という時代は、私には、まったく訳のわからない時代だった。
 何かが急速に変っていく気配を感じながら、何がどう変っていくのか、そしてその変化が、自分に何をもたらせるのか、まったく見当もつかなかった。 

 時代のなかで、自分の立ち位置を定めるために、とりあえず、私は本を読むことにした。
 …というか、読まずにはいられなかった。

《ニューアカをバカにする人たち》

 当時、26歳の浅田彰 (あさだ・あきら) という京都大学の研究所助手が書いた 『構造と力』 という本が、爆発的なヒットを放っていた。

構造と力

 マスコミは、この浅田の本と、それに続く若い研究者たちの新しい思想書に、 「ニューアカデミズム」 という用語を授け、手アカの付いた既成のアカデミズムを超える 「新しい知」 のあり方を提示するという形で、ひとつのブームをつくろうとしていた。

 こんにち、このニューアカデミズムを縮めた 「ニューアカ」 という言葉を口にすると、その意味を知っている人たちからは、ほとんど侮蔑的な反応しか返ってこない。
 うっかり、その言葉を口に出そうものなら、100倍もの嘲笑と罵倒が浴びせられそうな気配がある。

 しかし、その嘲笑と罵倒こそが、ニューアカの真実の一端を面白く語っているような気がする。
 ニューアカを、侮蔑の対象として語る人たちは、そのことによって、いまだに 「知の特権階級」 でいられるという心理を持っていそうに思える。

 ニューアカ批判を一言で要約すると、次のような言説に代表される。
 
 「ニューアカは、アカデミズムの大衆化・商業化であり、その仕掛けは広告代理店だった。ニューアカは、けっきょく学問や思想をファッションのレベルに堕落させて、その幼稚化・退行化をうながしただけだった」

 このような、ニューアカを一段高みから見下ろす視線に、私は、そういう人たちの持っている無意識のエリート主義を感じざるを得ない。

 ニューアカ批判をする人は、一般の “思想オタク” に限らなかった。
 私が敬愛する故・池田晶子さんも、ニューアカに浮かれた人たちを、 「バカが群れつどっているだけとしか思えなかった」 と酷評していた。

 日本の思想界の大御所といわれる吉本隆明氏は、すでにブームの渦中においても、 「あの人たちは、外国の思想をそのまま導入して、さも自分が考えたように伝えるだけのマネッ子たち」 というような表現で、憎憎しげに否定していた。

 要は、軽佻浮薄。
 ニューアカを批判する人たちの言いたいことは、その一言に集約される。

 そういう気持ちも分かる。
 確かに、ニューアカには、学問の世界をエンターティメント化するような商業主義的な仕掛けで動いていた部分があった。
 それは、当時、企業のPR戦略に加担して、その渦中にいた自分にも見えていた部分だった。

 しかし、ちょうど 「ロハス」 とか 「スローライフ」 などという言葉が、企業の広報戦略として意味を持ったように、ニューアカ的な発想は、その時代が求めていたマーケットの “気分” を説明する体系を備えていたのだ。

 尻軽な私は、さっそくこれに飛びついた。
 そして、 「80年代という時代がどんな時代で、その時代に私はどう関わればいいのか」 という疑問が、これらの読書によって一気に氷解していく感覚を味わった。

《鉄の蝶 = アイアンバタフライ》
 
 浅田彰は、その時代の 「フランス思想」 を独特のセンスで租借 (そしゃく) し、オリジナリティに富んだジャンル分けで再編し、スピーディかつ重厚な文体で、 時代の 「知」 の最先端を鮮やかな手さばきで、かいま見せてくれた。

 私には、正直、浅田が紹介するフランス思想家たちの業績を完全に理解する力がなかったが、彼の 「鋼鉄の羽を持った蝶」 のような文体には、ただただ脳天を直撃されて、酩酊した。

 浅田は、その後も 『逃走論』 、『ヘルメスの音楽』 などで、変幻きわまりなく軽やかな 「知」 の冒険を試みて、ニューアカデミズム・ブームを (本人の意志とは関係なく ) 精力的にけん引していく。

逃走論 ヘルメスの音楽

 その一連の書物からは、「スキゾ」、「パラノ」 などという流行語が生まれ、私は、それらの言葉を、自分がたずさわっていた自動車の広報誌に盛り込んで、当時の編集長に、 「何を言っているのか、さっぱり解らん!」 と、さんざん怒られたりした。

 しかし、流行をつくるような新しい言葉というのは、やがてすぐに陳腐化するにせよ、とりあえず、頭の中をシャッフルしてくれることだけは確かだ。

 軽佻浮薄といわれようが、私は、浅田流ターミノロジー (用語法) を身につけることによって、それまで自分の身にこびり付いていた知識や学問の体系を、いったん思いっきり洗濯することができた。

 現在、ニューアカに対しては批判的な言説が主流であったとしても、浅田彰あたりの戦略眼は、当時はぬきんでていた。
 彼は、高度成長期までの日本を支配していた抑圧的なアカデミズムを、軽々と否定した。
 しかし、それと同時に、資本主義のグローバル化と、テクノロジーの進展によってもたらされる未来社会 (われわれが生きている21世紀) の幼稚化・退行化現象も憂いながら、予想していた。

 彼は、コンピューターテクノロジーの幾何級数的な発展が、ひとつ間違うと、一種の 「体内回帰型の欲望」 を充足させるブラックボックス社会をつくり、そのことによって、ユーザーの幼児的退行化がますます進展することを、すでに80年代に警告している。

《それは 「壁」 ではなく 「扉」 だ》

 今から思うと、浅田彰は、前進するも後ずさりするも困難な隘路に向かって、あえて進もうとしていたのだと思う。
 だから、それゆえにカッコよかった。

 浅田の著作には、「誰も気づかないうちに閉じ込められている “時代の無意識” から、どうやったら抜け出せるか?」 という脱出のイメージが、心躍る言葉で、吹き渡る風のように描かれていた。

 その雰囲気を、自分の言葉に変えていえば、こんな感じだ。

 「お前は、壁ばっかりに囲まれていると思っている。
 しかし、よく見てみろよ。
 その壁には、取っ手があるだろう?
 そこは壁ではなく、ドアなんだ。押してみな。ホラ外の世界が見えただろう」

 私にとって、ニューアカとは、そんなことをささやくもののように思えた。

 結局、今の自分は、そのとき夢中になって本を読んだ30代の遺産を食いつぶしているだけなのである。
 今でも、モノを考えるときの基本的な原点には、ニューアカがある。

 ニューアカの 「教祖」 といわれた浅田彰は、その後ぷっつりと文筆活動をやめ、ごく少量の対談や論文の発表を除けば、思想界のメインストリームにおいて沈黙を守るようになった。

 浅田は、20世紀のうちに、きたるべき21世紀を社会状況と思想の流れをあらかた予想し、そしてそれは、ほぼみな的中した。

 「見るべきほどのものは、すべて見つかな」
 という心境になっているのかもしれない。

 その沈黙が、すがすがしく思える。 

 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 03:58 | コメント(0)| トラックバック(0)

激動の1980年代

 最近、テレビのワイドショーなどで、やたらと1980年代が取り上げられるようになった。
 私が、この1980年代という時代を、特に気にしているせいかもしれないが、この時代の風俗や流行を再発掘しているような番組が、とても目に付く。

 なぜだろう?

 「2007年問題」 などといわれた 「リタイヤする団塊世代」 にターゲットを合わせた商品企画が一段落し、各企業が、その次の世代にマーケットを広げようとしているからかもしれない。

 しかし、そういうマーケティング的な思惑とは別に、この時代は激動期だったと思う。 
 1980年代というと、表面的には、バブルに浮かれた 「天下泰平」 の時代という印象がある。

 だが、この時代の変化の方が、団塊の世代が青春を送った60年代や70年代よりも大きい。

夜のやしの木

 1980年代に、世界が大きく変った。
 もちろん、日本も変った。

 1980年に突入した瞬間、ビートたけしは、 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 というギャグを飛ばした。
 志村けんは、「カラスなぜ鳴くの?」 という童謡をおちょくって、 「カラスの勝手でしょ」 と歌った。

 どちらのギャグも大うけした。

 信号を無視しても、みんなの合意ならば平気という “大衆” が誕生し、 「鳴くもわめくも、オレのルールはオレが決める」 という “個人” が出現した瞬間だった。

 つまり、一時代前までに厳然と存在した 「人間はこうあらねばならない」 という大原則が、ふわぁ~っと軽いものになって、
 「とにかく笑えればいいじゃん」
 「とにかく、オレが心地よければいいじゃん」
 という、オレ流の価値観で世界を再構築していく精神風土が準備されたことを意味する。

 この時代から、カラオケが大流行する。
 「次の歌は、オレが、オレが、オレが…」

 歌は、聴くものから、歌う時代へ。
 
 当時、私もまた、新曲を仕入れては、当たり前のようにカラオケで歌いまくっていたのだが、考えてみれば、これはとんでもない時代の変化だった。
 …と、今になって思う。

 この時代の変化を、もう少し具体的に見てみよう。
 エンターティメントの分野に注目してみると、1983年に 「東京ディズニーランド」 が開園し、任天堂のファミコンが登場した。
 子供たちの遊び場が、野原や放課後の運動場から、高度に洗練されたバーチャルな空間に移行していく時代が、そこから始まった。

 子供たちの遊ぶ環境が変ると同時に、大人たちの消費構造が変った。
 1981年には、 「不思議、大好き」 というキャッチを全面に謳ったパルコのCMが脚光を浴びた。
 翌82年になると、それが 「おいしい生活」 に変る。

 つまり、生活に必要な物資を買わせるための消費から、生活に必要でない物を買わせる消費に、供給側がシフトしたのが、80年代だった。

 世界に目を転じると、80年代末には、東欧の独裁政権が倒され、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終焉して、世界の総資本主義化が始まった。

 それまで、 “良識派” 知識人を自認する文化人が、精神的な拠りどころとしていたマルクス主義も、すでに時代遅れの権威でしかなかったことを露呈させる事件が、次々と勃発した。

 イデオロギーの支配力が無化されるとともに、政治的立場を表現する 「右翼」 「左翼」 という言葉も、あっけなく形骸化した。

 つまり、何が言いたいかというと、団塊の世代が歩んできた60年ほどの年月のなかで、1980年代ほど、時代の 「空気」 が一変した時代はないはずなのだ。

 学生運動が盛んだった60年代や、高度成長の繁栄に酔いしれた70年代以上に、80年代こそが、団塊の世代にとって本当の意味での 「激動の時代」 だったのだ。
 
 テレビのワイドショーが、のきなみ、団塊世代から離れて、その後の世代が青春を送った80年代を採り上げ始めたのは、ひょっとしたら、
 「もう団塊の世代には、政治的にも経済的にも、世の中をリードしていくようなパワーがない」
 と、見限ったからかもしれない。
 
 1980年代の 「大変化」 を見ることなく、いつまでも60年代と70年代を 「変革の時代」 と見なしている団塊世代がいたとしたら、確かに 「もう終わり!」 と見限られてしまうのも、いたしかたないかもしれない。

 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 04:18 | コメント(4)| トラックバック(0)
<<  2007年 10月  >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
ホビダス[趣味の総合サイト]