町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

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>TOMYさん、よう…
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町田さんこんにちは。…
デルタリンク宮城 鈴木 03/17 11:32
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世界中に5億人を超え…
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町田 03/14 00:28
町田さんご無事で何よ…
s-_-s 03/13 22:55
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町田 03/12 17:43
町田さん。ご無事でし…
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町田 03/08 19:22
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スパンキー 03/07 13:52
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町田 03/03 22:45
町田さん、今日は。…
マッキー旅人 03/03 16:23
>ムーンライトさん、…
町田 02/28 22:42
町田さん。アマゾ…
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>渡部竜生さん、よう…
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答えは風の中

  「フィールドキング」 という伝説のバンコンを開発しているビルダー 「カスタムプロ ホワイト」さん。
 そのオーナー池田健一さんに、ずっと昔からホームページに、『答えは風の中』 というエッセイを連載してもらっています。

 不定期なのですが、もう今回で33回目。
 キャンプの話、素潜りの話、音楽の話。

 池田さんから送られてくる原稿のテーマは、非常に多岐にわたり、今回は何が語られているのやら、いつも楽しみです。

 お話するのは、ほとんど電話だけなのですが、お互いの好きな音楽の話などを始めると、もう止まりません (キャンピングカーの話など、あまりしないのです)。

 池田さんが好きなのはブルース。
 そして、R&B。
 趣味がピタリです!
 日本人のブルース演奏者として海外で有名な大木トオルなどを語らせると、私たちの仲間でも、たぶん、彼の右に出る人間はいないでしょう。

大木トオル

 人間は、どんなところから縁ができるか分かりません。
 そもそも、池田さんが、うちのホームページにエッセイを連載するきっかけとなったのは、クレームの電話からでした。

 「おたくの出しているキャンピングカーの本で、なんでウチのクルマが載らんのですか? どういう編集方針なんですか? 長崎にはビルダーがおらんと思っとったですか?」

 うるせぇオヤジだと思いました。
 もう少し、丁寧な言葉をしゃべれよ…。
 
 でも、話を聞いていると、面白いんですねぇ!
 「ウチの造るクルマは、CCR (クリアデンス・クリアウォーター・リバイバル) なんかを流していると、実に似合うクルマなんです。一度写真を見てくれんですか」

 「ほぉ、CCRですか? ツェッペリンとかとは違うんですね?」
 「ああいう、電気の音をでかくして聞く感じとは違うんです。もっと自然の感触を生かした、ナチュラルな音とマッチングが良いです」

 こういうふうにキャンピングカーを語るビルダーの人と出会ったのは初めてでした。
 そのうち、クレームの話はどこへやら。

 「町田さんも、音楽お好きなんですね。O・Vライトとかどうですか?」
 びっくりです!
 ディープサウスのフレイバーをたっぷり撒き散らすサザン・ソウルの伝説のアーティスト。知る人ぞ知る“ツー好み”のシンガーです。

 こっちも調子にのって、
 「じゃ、ロイ・Cとか、オーティス・クレイもお好き?」
 「ああ、いいですねぇ。泥臭い方が好きです。しょっぱい声が趣味です。だけど、やっぱりトドメを刺すなら、オーティス・レディングです」
 おお! 分かっている人だ。
 なんだか、とってもうれしくなりました。

 こうして、いとも簡単に、エッセイを連載する約束ができました。
 
 池田さんは、音楽だけでなく、焚き火やダイビングの達人。
 豊富な自然体験から生まれるエッセイは、とても自然の彩りの美しさを伝えてくれます。

 最新の原稿が、昨日届きました。
 ぜひ、みなさまもご照覧あれ。
 http://campingcar-guide.com/kaze/033

池田エッセイ海と木 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 04:07 | コメント(4)| トラックバック(0)

ベン・ハー

《 昔の映画の現代的鑑賞法 歴史編5 》
「ベン・ハー」


 歴史映画における不滅の金字塔といってもかまわない、ハリウッド製史劇の最高傑作が 『ベン・ハー』 である。
 シナリオ、映像、キャスト、音楽。
 どれをとっても、他の史劇を完全に凌駕している。

 何度か映画化されたテーマだが、基本的には、ウィリアム・ワイラーが監督を務め、チャールストン・ヘストンが主役に抜擢された1959年の作品にとどめを刺す。

ベンハーDVD

 私は、劇場公開で、この映画を4回ほど見ている。
 テレビで放映されたものを2回。ビデオで1回。DVDで2回。
 さらに、原作の小説も読み、コミック化された漫画も読んだ。
 サントラ盤はレコードを1枚。CDを1枚所有している。

 CGが全盛となった現在、この映画で実現されたスペクタクルシーンを超えるような映像はごまんとある。
 この映画の模型を使った海戦シーンなどは、今の感覚からすれば、つたなくて見ていられない。
 しかし、奴隷が船を漕ぐガレー船内の緊迫感あふれる映像で、水の上に浮かべた船のお粗末さなど吹き飛んでしまう。

ベンハーガレー船

 有名な戦車競争のシーンは、4度目ぐらいに見たときに、撮影車両のタイヤの跡を発見して、興醒めしたことがある。
 しかし、だからといって、あの競技場を埋め尽くす大観衆のボリューム感には、相変わらず圧倒されるばかりだ。
 エキストラに本物の人間を動員するという贅沢感において、これを超える映画は、いまだに登場していない。

ベンハー競技場
 
 思想的には、キリスト教賛美が強く匂う宗教くさい映画だ。
 日本人は、そのしつこさに、ちょっと辟易するところがあるかもしれない。

 しかし、そんなことはどうでもいいと思わせる面白さが、この映画にはある。
 
 ストーリーは実に、波乱万丈な展開を見せる。
 ジュダ・ベン・ハーというユダヤ貴族の青年が、ローマ帝国への反逆を企てたという無実の罪を負わされ、家族は牢獄に幽閉され、自らは奴隷の身に落とされる。
 彼は、ガレー船の漕ぎ手として、鉄の鎖で船に縛り付けられ、背中をムチで打たれながら、船を漕ぐ人生を送ることになる。

 ところが、マケドニア海賊との海戦で船が沈没したとき、船倉から脱出したベン・ハーは、ひょんなことからローマ海軍の提督の命を救う。
 それが縁となって、彼は総督の養子となり、提督の全財産を受け継ぐ身となる。

 不潔で薄暗いガレー船のなかで、奴隷として酷使されていた男が、一夜のうちにローマ貴族の養子となり、ローマ市民の大歓声を浴びて、凱旋パレードの先頭に立つという落差が、観客のアドレナリンの噴出量を高める。

ベンハー戦車2

 地位と名誉と富を回復した彼は、いよいよ、自分を無実の罪に陥れた相手を求めて、復讐のためにユダヤの地に帰る。
 そして、あの有名な戦車競争のシーンへ…

ベンハー戦車競争

 この映画で忘れてならないのは、ミクロス・ローザによる音楽だ。
 特に 「ベン・ハー序曲」 (テーマ曲) は、いまだにスペクタクル映画のテーマはこうであらねばならないという代表例として挙げることができる。
 他にも、「愛のテーマ」、「ユダヤに還る」、「ローマンマーチ」、「勝利の行進」など、それ自体が独立した曲として聞けるような名曲ばかり。

 私が、大スピーカーの前で、最大ボリュームで聞いてみたいと思うアルバムは、いまだにレッド・ツェッペリンの1枚目と、この 「ベン・ハー」 のサントラだけなのだ。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 02:52 | コメント(0)| トラックバック(0)

便利さの中の貧困

 便利さが浮き上がらせた 「貧困」 というものがある。
 『週刊文春』 7月5日号では、ネットカフェ難民の生活を、自ら体験してみたレポーターの手記が掲載されていた。

 そのレポーターは、昼は日雇いの派遣業務をこなし、夜はネットカフェで泊まる生活を10日間続けてみたという。
 「ネットカフェのナイトパック料金は、8時間で1,500円。店内は完全個室で、ネットにテレビ、漫画や雑誌は使い放題読み放題。飲み物も無料。一泊の料金としては格安だ」
 と、その記事は伝える。

 この宿泊料の時間単価が格安かどうかは別として、現在ネットカフェが、簡易的な宿泊施設として利用される率は、日増しに高まっているという。
 確かに、この施設は、仮眠を取るには実に便利だ。

 私も、酔っ払って、駅の階段から転げ落ち、終電を逃して、ネットカフェで泊まったことがある。

 その施設は、まだ新設されたばかりだったのか、隅々まで清潔で、居心地は良かった。
 飲み物も無料だったし、シャワーもあった。

 しかし、受付に誰もいないような、静まり返った雰囲気。
 コンパートメントが、獄舎のように等間隔で並んでいる情景など、どこか薄ら寒い気分にさせられたことも事実だった。
 長期間、こういうところに滞在すると、とてつもない孤立感を味わいそうな気がした。


 現在、テレビなどを見ていても、このネットカフェを宿泊場所とするフリーターが激増しているという報道番組が流れない日がない。

 アパートなどを借りると、月々の家賃を払う前に、敷金・礼金などのまとまった資金が必要となる。
 そのような資金的な余裕のない、その日暮らしのフリーターにとっては、まずネットカフェは、緊急用の施設として、最低限の宿泊スペースを保証してくれる。

 問題は、一度そういう生活に入ってしまうと、なかなか抜け出すことが難しいところにあるらしい。

 週刊文春のレポーターはいう。
 「1日働けば、少なくとも 『松屋』 で豚めしが食べられ、銭湯にも入れて、ネットカフェで夜も過ごせる。
 ベルトコンベアに乗って移動するモノのように、毎日毎日、それはそれで不便なく生きていける。
 この生活が一生回り続けられるはずはないのだが、永遠に続くような錯覚すら受ける」

 このようなレポートがなされるたびに、
 「彼らは根性がないだけだ」
 「やる気のない本人が招いた自業自得だ」
 と、非難する論説が登場する。

 その多くは、すでに安定した生活収入を確保した中高年から発せられるものだが、同じ年くらいの若者からも、こういう声があがる。
 格差の広がりは、世代と関係なく、広く蔓延してきたような印象を受ける。


 ネットカフェに依存しなければならないフリーターの急増には、様々な要因が考えられるだろうが、その最大のものは、やはり雇用関係の変化だ。

 バブル崩壊後、各企業は、その生き残りをかけてコスト削減に励んだ。
 コスト削減を実現するときに、いちばん手っ取り早く思いつく方法は、人件費の圧縮である。
 正社員の数を減らし、いつでも契約を切ることのできる派遣社員を増やすことによって、各企業はその負担を軽くするように務めた。
 
 あおりをくらったのは若者だ。
 フリーターを 「根性なし!」 と排撃する人たちは多いが、そういう意見を展開する人たちが見てきた経済構造と、今の経済構造は決定的に違っていることを知るべきだろう。

 徹底したコスト削減は、不況を乗り切るために採用された市場原理主義の方針とも見合う。

 おりしも、IT長者たちが時代の脚光を浴び、
 「会社が儲けて何が悪い?」
 と、声高に訴える経営者たちが“カッコいい”ともてはやされる風潮が生まれ、それによって、儲けることに励むすべての行為に、足かせがなくなった。

 こうして、「コスト意識」 というものの捉え方が変わった。

 コスト意識は、経済活動に携わる人間においては、すべての者が持たなければならない宿命である。
 「儲ける (インカムの増大) だけでなく、ムダなものは減らす」
 という気持ちを高めていくことが、コスト意識なのだが、そのムダなものの中に、本来コストとして考えてはならないものまで含まれるようになってしまったのだ。

 マナーやモラルである。
 マナーやモラルはお金にならない。それどころか、そんなものに関わりあっていたら、体力も、気力も、時間もムダになる。
 こうして、人間を人間たらしめる最低限の秩序も風化していく。

 このいびつな 「コスト意識」 が、企業のみならず、家庭の主婦に至るまで浸透してきたのが、今の時代だという気がする。

 昨日今日のニュースで、ニセ牛肉コロッケを販売していた会社が、水道代を節約するために、肉の解凍に雨水を使っていたという報道がなされた。

 別にそれが身体に影響を与えるのでなければ良いではないか、と思う人もいるかもしれないが、どこか暗澹たる気持ちになる。
 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 12:08 | コメント(8)| トラックバック(0)

ヴォクシー&ノア

 トヨタ自動車の新型ミニバン 「VOXY」 & 「NOAH」 の発表会がありました。

BOXYNOAH発表会1 BOXYNOAH発表会2

 2001年の11月に発表された1代目に続き、2代目。
 いつのまにか、6年の歳月が経っていたんですね。

 初代は、取り回しがよく、扱いやすいサイズのミニバンとして、かなりの好評を博しましたが、この2代目は、それに輪をかけて 「扱いやすさ」 を追求したのだとか。

 5ナンバーサイズですが、けっこうスタイリッシュです。

ノア横 ボクシー横
▲ノア                ▲ボクシー

 「bBのお父さんって感じ」
 会場で眺めていた女性記者から、チラッとそんな声も。

 シートアレンジが実に豊富です。
 特に、チャイルドシートを使うときの 「チャイルドケアモード」 というのが好評でした。
 セカンドシートの左右の各シートを、レバー操作ひとつで、簡単に外側に60度回転させることができます。
 それによって、チャイルドシートの乳幼児の乗せ降ろしが、格段に楽に…。(広報資料より)
 …おっと、その写真を撮ったはずなのに、どこに画像が行ったのやら。スミマセン明日UPです。

 このチャイルドシートのシステムには、その場に居合わせた若いジャーナリストも唸っていました。
 「おれ、○○(ライバル会社のミニバン) に乗っているんだけど、こりゃ考え直しちゃうなぁ」
 さすが、トヨタさん! 狙いどころを外していません。

 サードシートがまた憎い!
 レバー操作ワンタッチで (実際はツーモーション)、パタッと背もたれが前に倒れ、すかさずそれが跳ね上げになります。

VOXYNOAHリヤ

 運転席は、こんな感じ。

VOXYNOAH運転席

 私のような、キャンピングカーに肩入れしている編集者としては、チトつらいミニバンの誕生です。
 ヴォクシー5人乗りの 「TRANSーX」、ノアの 「YY」 では、3分割のデッキボードを使うことによって、フルフラットのベッドスペースまで出来てしまいます。
 プリーツカーテンもしっかりオプションに。

 キャンピングカーのようなシンクやコンロはなくても、車中泊ならこれで十分と感じる人々も、さらに増えるかもしれませんね。
 困ったなぁ…
 お値段は、239万円から。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:54 | コメント(0)| トラックバック(0)

預言者ホリエモン

 ホリエモンこと、堀江貴文氏の報道がマスコミから途切れて久しい。
 しかし、最近のニュース番組などを見ていると、なんだか、ホリエモンの言っていたとおりの世の中になってきたなぁ…と、つくづく思うことがある。

 私は、かつて堀江氏がいろいろな媒体で発言するのを見たり、聞いたりするたびに、「大変な時代が来たものだ」 と、ちょっと驚かされ、感心させられたことがたびたびあった。

 2005年の 『オフレコ』 (Vol.1) という雑誌で、堀江氏はインタビュアーの田原総一郎氏の質問に対し、こう答えている。

 ちょっと再現。
【田原】 (インターネット事業など、楽天さんが進めているような仕事をそのまま継続するよりも) …堀江さんはもっと自分のオリジナリティを出されたらいいのではないですか?
【堀江】 オリジナリティということに興味を感じていないんですよ。
【田原】 あ、そう?
【堀江】 だって、仕事になぜオリジナリティが必要なんですか? 仕事は儲かればいいのではないんですか?
【田原】 インターネットを通じて儲けようとするならば、ほかの業者よりも優れたものを追求して、それをアピールするのは当然のことだと思いますが…
【堀江】 それはオリジナリティではないでしょう。みんなそういうことを 「オリジナリティ」 と表現するけれど、アホだと思う。
 オリジナリティに訴えなくても、差別化する手段などいっぱいある。資本力とか技術力で、きちっと差別化していけばいい。
 オリジナリティなんか、何一つ必要ないですよ。良いものをそのままパクればいいだけだから。
【田原】 堀江さんが、そういうことをいうとガッカリする人もいるだろう。
【堀江】 ガッカリすること自体がおかしいですよ。みんな、なんでそんなにオリジナリティが好きなんですか? 他人より10秒早く思いついただけで、それを 「オリジナリティ」 などと評価すること自体に意味がないですよ。
 誰かが 「すごいアイデアを思いついた!」 というとき、世の中では、少なくとも3人が同じことを同時に思いついていると、昔から言われているでしょ。
 今の情報社会は、アイデアのもとになる原料みたいなものが、インターネットで、一瞬にして手に入る。だから、いいアイデアは同時に100万人が思いついているかもしれない。オリジナリティそれ自体には、僕は価値がないと思っている。

 少し長い引用になったけれど、私はこの対談の記事を読んで衝撃を受け、それをノートに書き写した。
 なんか、大変な時代になってきたもんだ、という気がしたからだ。

 長いこと出版に携わっていると、「オリジナリティ」 というものが、一番大切だという意識に、骨の髄まで染まってしまう。戦後教育そのものが、「個性が大事」 と教え続けてきた。

 その“大切な”オリジナリティというものを、あっけらかんと否定する人が出てきたということが、脅威でもあり、新鮮でもあった。
 
 たぶんに挑発的な発言をすることは、堀江氏のクセで、その表現スタイルに腹を立てる人は多い。
 しかし、その言い方がシャクに触っても、それに反論できるかというと、なかなかそれができない。

 もう少し、先ほどの対談を続けてみよう。

【田原】 堀江さんが考える 「良い会社」 とはどんなものなんですか?
【堀江】 会社は儲けるための組織なのだから、設ける会社が良い会社に決まっているじゃないですか。だから、社員の能力は、すべて 「数字」 で判定しています。
【田原】 人間的に良いヤツとか、忠誠心なんてあんまり関係ない?
【堀江】 そんなの、だってゴマすっていれば誰だって良く見えるじゃないですか。
 しかし、数字はウソをつかないので、経営者は数字だけ管理していれば、それ以外のものに気をつかわなくてすむ。

 こういう堀江氏の発言の根底には 「新自由主義」(市場原理主義) の思想そのものが反映されていると見てよいだろう。

 「儲けてなぜ悪い?」
 これに面と向かって反論するのが、たいへん難しい世の中になってきたと思う。
 そして、現に、世の中は、この堀江氏が2005年の対談で発言したような色合いをますます強めている。

 オリジナリティがなぜ必要なのか? 良いものがあればパクればよいではないか、という発言を示すような例は、たとえば中国のニセディズニー・キャラクターやニセブランド品の例を挙げるまでもなく、世界中に蔓延しそうな勢いを示している。
 
 「儲かる会社が良い会社だ」 という発言は、ニセ牛肉コロッケなどの事件を例に採るまでもなく、日本のあちらこちらで、その悪例を生み出してきている。

 それに対して、「企業倫理」 とか 「社会のモラル」 などという概念を持ち出しても、もうどこまで実効性がある分からない状態になってきている。

 2006年の週刊新潮では、故池田晶子さんが、その連載コラムで、
 「人間がいよいよ壊れてきた」
 と書き出してから、
 「金を儲けるために人を押しのけるのも当たり前なのか?
  人生は金がすべてなのか? 
  そういう根本的な疑問そのものが、人々から失せてしまったのではないかと感じる」
 と述べている。
 
 しかし、私は、「金がすべて」 という思想は、資本主義が基本的に人間に強いる一般的な思考様式で、それは、今に始まったものではないと考えている。

 ただ、今までは各地域ごと、あるいは職場ごとに、強固な地縁共同体や職能共同体が存在し、それが資本主義運動の 「抵抗体」 として機能していたため、 「金がすべて」 という考え方に、歯止めがかかっていたに過ぎないと思っている。

 そのような地縁・職能共同体が、20世紀後半から世界を席巻した経済のグローバル化にともなって消滅し、資本主義の地金が出てきただけなのだ。

 資本の運動は、地縁社会を均質に均 (なら) し、国境を越え、世界に広がろうとする。
 現政権の目指す 「美しい国」 というようなこぢんまりした概念を、資本の運動は軽々と超えていく。

 現に堀江氏は、日本にいることに何も未練がないことを、2004年9月10日号の「週刊朝日」 の座談会のなかで表明している。

【堀江】 日本の政治家は、地域 (国や地方) にからめ取られる存在なので、自分の理想を追求するのは無理ではないかと思っている。
 (僕たち) 商売人は、日本がダメになったら、もっと元気な国に行けばいいと思って仕事をしている。(中略) 僕は面倒くさがりなので、(政治のような) ステップ・バイ・ステップではなく、ジャンプ・アップを目指している。人間には、がんばって全精力を費やせる時間など限られている。

 結果的に、堀江氏は、世界にジャンプ・アップすることができなかった。
 しかし、ホリエモンの開けたパンドラの箱は、まだ、誰もそれを閉めようとする人間がいない。

  
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 01:55 | コメント(6)| トラックバック(0)

HERO(英雄)

《 昔の映画の現代的鑑賞法 歴史編4》
「HREO (英雄) 」


 『HERO(英雄)』 は、秦の始皇帝暗殺をテーマにしたアクション史劇 (2003年公開)。
 チャン・イーモウ監督がメガホンを取り、ジェット・リー、トニー・レオン、チャン・ツィイーなど、中国・香港を代表するスターたちが華麗な演技を競う、アジア初の本格的 大型 娯楽映画だ。

HERODVD

 ワイヤーワークによる空中チャンバラに魅力を感じない私としては、公開時にこれを観る気になれなかった。
 しかし、今回DVDで観て、
 「これは凄い映画だ」
 と認めざるを得なくなった。

《空中戦の美しさ》

 この映画では、主人公たちが演じる格闘シーンは、すべてワイヤーワークによる、重力の法則を無視した空中戦になっている。

 剣士たちは、跳躍しながら身体を反転させ、矢のような速さで剣を繰り出す。
 映画というより、劇画かアニメの世界だ。

 人の肉が切れる音まで再現した黒澤明風のチャンバラでもう驚いていた私のような世代の者は、こういう映像にリアリティを感じることは少ないだろう。
 しかし、劇画、アニメ、コンピューターゲームに親しんでいる世代にとっては、むしろなじみ深い映像だと思う。

 彼らが求める劇画やゲームの世界では、超人的な体力を持つ異能の武闘家たちが主人公となる。
 その武闘家たちの動きを、幼児期から視覚文化として取り込んできた人々にとっては、“空飛ぶ剣術家”でなければ、「強さ」 や 「たくましさ」 を実感できないかもしれない。

 しかし、私がこの決闘シーンに感心したのは、劇画やゲームの手法が取り入れられていたからではない。
 その動きが、洗練された美しさに満ちていたからだ。

 昔の映画では、決闘シーンといえば 「緊張感」 や 「迫力」 が要求された。
 しかし、ここでは、それらに代わって 「優美」 とか 「洗練」 といった概念の方が重視されている。

 跳躍する剣士たちは、まるで空中でダンスを踊っているように見える。
 滞空時間の長い彼らの飛翔は、時には止まっているようにも見え、そこには東洋的な静けささえ湛えられている。

 虚空を飛んでいく闘いとは、実は、想念のなかの闘いなのだ。

 実力が伯仲しているとき、決闘する2人は、対峙しあったまま動かない。
 碁や将棋の名人が対戦するときのように、相手の繰り出す20手先、30手先まで読み合おうとする。
 2人の“意識の闘い”が、映像として表現されたとき、空中の乱舞となるのだ。

 その剣士たちの動きに合わせ、華麗な衣装が空を流れ、風が枯葉を踊らせ、湖面がしぶきを上げる。
 それを見ていると、資本主義文化の最先端をいく、化粧品やファッション関係の洗練されたCMを見ているような気分になる。
 それでいて、そこには東洋哲学的な 「諸行無常の響き」 すら漂っている。

《意外と骨太のテーマ設定》

HERO2

 アクションの美しさを見せるだけの映画かというと、そうではない。
 テーマもはっきりしている。

 この映画は、「統治」 とは何なのか? を問う、政治哲学を披露したドラマなのだ。

 中国を統一し、のちの始皇帝となる秦王は、他国の王たちからは残虐な侵略者とみなされていたが、秦王には世界を統一するビジョンがあった。

 しかし、彼のビジョンはあまりにも雄大すぎて、他国民どころか、自国の臣民にも理解できなかった。
 むしろ、彼を殺そうとした暗殺者だけが、逆に彼の雄大なビジョンを理解していたという設定である。
 
 暗殺者たちは、秦王のビジョンに共感しながらも、彼を殺すべきか、生かすべきか煩悶する。
 秦王には、民を愛するという心が欠けており、天下を取った後は、手のつけられない暴君となることも予想された。
 そうなれば、秦王の政権が誕生したときには、民を苦しめる独裁国家が生まれることになる。

 しかし、秦王には、他のどの王よりも早く、戦乱の世を治め、平和な統一国家をつくる力もある。

 秦王は、中国の民からすれば、“もろ刃のつるぎ”なのだ。

 そこで、暗殺者たちは 「民を愛する」 心さえ持ち合わせれば、秦王の統治は万全であるというメッセージを、「暗殺をほのめかす」 行為のなかで、伝えようとする。

 秦王の抽象的な政治理念を、シナリオは分かりやすく要約している。
 秦王と暗殺者の間で、こんな会話のやりとりがある。

 暗殺者が、
 「趙 (ちょう) という国には、一つの文字を表現するのにも、たくさんの書体があります」
 と語る。
 すると、秦王は、
 「それは不便なこと。書体などはひとつで十分だ。ワシが天下を取ったならば、不必要な書体をすべて消し去ってやる」
 と答える。

 一見、文化の多様性を認めない暴君の発言とも取れるが、文字や度量衡を統一することは、国家事業の要 (かなめ) である。
 秦王は、国家統治の原則を述べたまでのことなのだ。

 秦という国家が採った苛烈なまでの法治主義も、ここでは分かりやすく描かれている。
 自分の政治理念に理解を示した暗殺者の命を、秦王はむしろ救いたいと思う。
 しかし、法に背いた者を裁かなければ、臣民に法というものを遵守させることはできない。
 
 秦王は、苦渋の選択の後に、暗殺者に死を賜 (たま)う。
 むずかしい政治理念の話を、子供にも分かりやすく描いたシナリオといえよう。

《変りつつある中国映画》

 10年ほど前、中国映画の 『三国志』 を観たとき、娯楽作品としては完成にほど遠いものを感じた。
 京劇的に様式化された俳優たちの演技も稚拙だったし、セットや衣装も貧しかった。戦闘シーンなどもお粗末なものだった。

 しかし 『HERO』 はもう違う。
 映像的な洗練度においては、もはや日本が負けているような気もする。
 この映画には、新しい映像技術を身に付けて、それに見合った映像美を想像した中国人の自信がみなぎっている。

 今は、ブランド品などの 「真似っ子」 をたくさん世に送り出し、知的財産権の意識が希薄だと顰蹙を買っている中国だが、もし中国映画が、かつてのハリウッド映画とは違ったスタイルの映画文化を築き始めたら、きっと世界の脅威となるに違いない。

 詩情豊かな映像を実現するためには、その背景となる風景も大切になる。
 なにしろ、中国は、その映像美を保証してくれるロケ地に事欠かない。

 広大な自国領内には、熱帯雨林もあれば、砂漠もある。
 世界的な高さを誇る山脈もあれば、上海のような“未来都市”もある。

 現に、この映画では、かつてのシルクロードの入口あたりを思わせる、茫漠たる砂漠が登場する。
 その荒涼たる砂漠の映像が、剣士たちの孤独な心情を雄弁に物語っていた。

 中国古代史を愛する人ならば、ここに描かれた砂漠の映像に、そのかなたに広がる幻の都の楼蘭を思い描いたり、西域に旅発つ張騫 (ちょうけん) や三蔵法師の後姿を重ね合わせたかもしれない。

 こういうロケーションは、どう逆立ちしたって、日本国内では見出せない。
 願わくば、いま経済発展を最優先しているかの国が、これ以上の自然破壊を進めないことを祈るばかりだ。
  
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 23:40 | コメント(0)| トラックバック(0)

200字で終わる世界

 ある本を読んでいたら、最近の編集者は、著者に原稿を頼むとき、「ひとつのテーマは200字以内でお願いします」というリクエストが多いという話が出てきた。
 200字を超えると、読者から
 「読みにくい」
 「何を言っているのか、分からない」
 というクレームが殺到するからだという。

 その本の著者はいう。
 「200字だと、物事を説明するときの理由や背景などに言及できない。ただ結果を述べる“標語”のような文章になってしまう」
 
 しかし、編集者がいうには、それでいいのだとか。
 「むずかしいことなど、誰も考えたくないし、興味もない。ただ、結論が分かりやすく書いてあればいい」

 本づくりの現場は、今そうなってきているらしい。

 理由、背景、構造、原理。
 そういうものがくどく述べられているより、とりあえず、今何をすればいいのか、その答が明確に表示されているものが売れる。
 そういう社会ができつつある
 …のだそうだ。

 それは、本の世界だけではないらしい。
 ゲームの世界でもしかり。

 ゲームといえば、かつては 「ドラゴンクエスト」 や 「ファイナルファンタジー」 のようなロールプレイングゲームが人気を誇っていた。
 しかし、最近急激に売上を伸ばしているのは、「脳トレ」に代表されるような実用ゲーム。
 ゲームの中でトレーニングすることで、 「脳年齢が若返る」 というようなものが主流。

 RPGのような、時間をかけて、ゲームの中の主人公を少しずつ成長させながら、冒険をしていくというゲームは、今や 「まどろっこしい」 と思われるようになってきたのだそうだ。

 あるゲーム開発者は、
 「とにかく、これから開発するゲームは、分かりやすくて、すぐに結果が出て、その結果に対して過剰にほめられるという要素がないとダメ」
 と語っている…という話が、その本で紹介されていた。

 本やゲームの市場がそういう色に染め上げられてきたというのは、本当のことなのだろうか。
 もし、そうだとしたら、なぜそのようになってきたのだろうか。

 むずかしい話は、私には分からない。
 ただ、なんとなく、変な世の中になってきたなぁ…という思いは強い。 
 
 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 03:31 | コメント(10)| トラックバック(0)

ロッキー2

 「ロッキー2」 といっても、シルベスター・スタローンが演じる映画  「ロッキー」 ではありません。

ロッキー2

 横浜にあるキャンピングカー販売店の 「ロッキー」 さんのことです。
 それが 「ロッキー2」 となったのは、以前営業の中心となって活躍していた村山周太郎さんが、ショップの責任者となったからなんですね。

 村山氏

 「ロッキー」 といえば、アメ車中心の品揃えというイメージがありましたが、「ロッキー2」 を主宰する村山さんは、これからは国産車を中心とした品揃えを充実させていきたいと語ります。

 すでに、展示場にはAtoZさんの 「アミティ」 の新車が展示され、アズマさんの 「ラ・クーン」 なども置かれる予定です。
 AtoZさんの商品も、アズマさんの商品も、静岡方面から来られたお客さんは、今までは東京都心部を抜けて埼玉の展示場に行かねばなりませんでしたが、これで、神奈川でも見られるようになりそうです。

 「今いちばんやりたいことは?」
 と、村山さんに尋ねたところ、
 「バーベキュー場をつくりたい」 とのこと。

 クルマを買うか、その修理という目的がなければ、来られないような展示場ではなく、
 「ちょっと遊びに…」
 という軽い気持ちで、お客さんが集まってくれるような店にしたい、と村山さんは張り切っています。

 そのためには、気の合ったお客さん同士で、パーティが開けるようなバーベキュースペースは、ぜひ必要。
 「今は、まだ計画中なんですけど…」
 と、村山さんは、それ以外にも面白そうな企画をたくさん話してくれました。
 
 楽しい、夢のある展示場になりそうです。 
 
campingcar | 投稿者 町田編集長 00:24 | コメント(0)| トラックバック(0)

アレクサンドル・ネフスキー

《 昔の映画の現代的鑑賞法 歴史編 3 》
「アレクサンドル・ネフスキー」


 『アレクサンドル・ネフスキー』 は、巨匠セルゲイ・エイゼシュタインが、1938年に発表した歴史映画。

アレク

 物語は13世紀。ロシアに侵略しようとするドイツ騎士団を、ロシアの英雄アレクサンドル・ネフスキー公が叩きのめすという話だ。

 スターリン時代につくられた映画らしく、ドイツ騎士団の悪者ぶりが徹底的に描かれている。
 赤ん坊を、悪魔に捧げる生け贄のように、火の中に投げ捨てるなど、ドイツ騎士団の極悪非道ぶりは、それが、ナチスドイツの脅威をイメージしていることは明らか。
 しかし、当時、ドイツと 「不可侵条約」 を結んでいたソ連は、1941年までは、その公開を小規模な上映にとどめていたとも聞く。

 アレクサンドル・ネフスキーが活躍した時代というのは、ロシアはモンゴルの従属下にあった。
 ネフスキー公は、そのモンゴル政権の保護下において、「大公」 としての地位を保全してもらった人である。

 しかし、映画では、彼がモンゴルと対等の立場に立っていたように描かれている。
 モンゴルの使者と向き合うネフスキー公は、実に尊大だ。
 それに対し、蒙古側の使者は、白人から見た“アジア人的な卑しさ”をふんだんに漂わしている。そんな描き方で、なんとかロシアの体面を保とうとしていたことが分かる。

 映像そのものは、エイゼシュタインらしさが発揮されていて見応えがある。
 特に、凍結した湖上で戦うシーンなど、馬の疾走感が素晴らしい。
 白い馬具と白マントで身を固めたドイツ騎士団が突撃していくところをずっとローアングルで追い続ける映像などは見事。

 惜しむらくは、そこに被さる音楽が (プロコフィエフなのだが)、小学校の運動会にでも流れていそうな曲に聞こえてしまうこと。
 緊張感あふれるはずの戦闘シーンが、体育祭になってしまう。

 チャンバラのシーンでは、戦士たちが機械仕掛けの人形のように、一定のリズムを保ちながら、単調に剣を振り回している演出にも、時代を感じた。
 まぁ、昔の戦闘シーンというのは、皆このような感じだったが…。

 この映画は、40年前に劇場公開された時に見ている。
 冷戦構造の真っ只中で見たときは、ソビエト共産主義の図式的なプロパガンダがけっこう目に付いた。
 すなわち、国を敵に売るような卑怯な大商人 (資本家) が登場し、勇気ある農民たち (労働者) がそれに反発して英雄 (党) を担ぎ出す。英雄 (党) は大衆の先頭に立って、大商人たちを駆逐し、侵略者たち (資本主義諸国) から国を守る。

 実に分かりやすい 「共産主義革命」 の寓意になっている。
 
 しかし、今回DVDで見ると、政治的プロパガンダの匂いはあっても、それを 「くさい」 とは感じなかった。
 共産主義が歴史として、過去のものとなり、それを成立させていた背景も崩壊したからだろう。

 いつの間にか、ポスト冷戦時代の感性に染まっていた自分に気づく。

 
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 23:52 | コメント(0)| トラックバック(0)

クラフト新展示場

 モーターホームのメンテナンス工場として知られる 「クラフト」 さんから、この6月2日に新展示場をオープンするという連絡をいただいたのは、5月の末。
 
 オープニングイベントを欠席して、礼を欠いてしまったが、ようやくご挨拶に上がることができた。

 第三京浜の港北IC(神奈川県)からそれほど遠くない場所なのだが、あわて者の私は、展示場ではなく、お邪魔したのは工場。
 社長の木村さんの奥様にクルマで誘導してもらい、そこから走って7分ほどの展示場に、やっとたどり着くことができた。

クラフト展示場外 クラフト店内様子

 出迎えてくださったのは、元アイシィー・トレックスを主宰されていた戸川聰さんと、クラフトの社長の木村さん。

戸川聰氏1 クラフト木村社長
▲戸川さん             ▲木村社長

 このクラフト展示場は、モーターホーム文化の育成を目標に、木村さんが、長年の盟友である戸川さんにその大役を任せた、いわばRV情報の発信基地。

 オフィス内には、最新液晶モニターが設置され、貴重な米国RVIAの活動を知らせるDVD、カナダーのビルダーの広報ビデオ、B.C.ヴァーノンを例に採ったモーターホームのプロモーションDVDなどが、常時映し出されている。
 
 さらに、カナダを代表するトリプルE社が製作した初期クラスAモデルの絵ハガキなど、日本のモーターホーム文化を根づかせた戸川さんならではの貴重なコレクションも展示されている。

 なんといっても、このショップの売りは、目利きの戸川さんによって選び抜かれた貴重なモーターホームパーツの数々。
 展示スペースは小さいながら、高品質のセワホース、オーニングを支えるためのタイダウンフックキット、特別に製造されたFRP用ポリッシュ (非売品) など、モーターホームライフを豊かにするための厳選された小道具が美しくディスプレイされている。

クラフトセワホース クラフト用品2 

 最新型のLEDマーカーランプ。お洒落な蛍光灯。美しい光沢を放つクローム製の混合栓。
 機能UPが図られると同時に、お洒落度もUPするという品路添えが、なんとも個性的だ。

クラフト用品2 クラフト用品4

 それほど広い敷地でもないのに、入口前には、大型モーターホームが楽に入れるようなスペースがしっかり確保されている。
 「お客様が、ダンプや給水を目的に立ち寄られても、いつでも停めていただけるように」 するための配慮だという。

 ダンプ用のホールが3箇所。給水用の水道が2箇所。
 こういう設定は、いかにも北米系モーターホームを長年手がけてきたショップらしい配慮だ。

 なにしろ、工場が近いので、メンテナンス作業も容易。
 不具合が出た車両を持ち込む場合は、まずこの展示場で相談をし、しかるのちに、工場で対応することになる。

 展示場と工場の距離は、普通に走って6~7分。
 アイシィー・トレックスの創業期から、そのメンテナンスを専門的に手掛けてきた 「クラフト」 だけに、モーターホームのことなら、まず任せておいて安心。

 アクセスとして近いのは、第三京浜の港北IC。
 そこから10分。
 東名自動車道の場合は、横浜・青葉IC。15分。
 定休日は金曜日。

 オフィスの裏には、閑雅な庭園風の空き地が広がり、目の覚める様な青をたたえた紫陽花が真っ盛りだった。

 関連記事 「Mr.モーターホーム」

campingcar | 投稿者 町田編集長 04:01 | コメント(4)| トラックバック(0)

トロイ

《 昔の映画の現代的鑑賞法 歴史編2 》
「トロイ」

 
 2004年に公開された 『トロイ』 は、CGによって一大スペクタクルシーンを実現するという、最近のハリウッド史劇の動向を反映する映画だ。
 興行的にも成功した 『グラディエイター』 の流れをくんだ作品といえよう。

トロイDVD 

 確かに、エーゲ海を東進するギリシャ船隊が、水平線まで埋め尽くしている映像は、さすがにCGでなければ描けない世界だと驚嘆する。

 しかし、今から50年ぐらい前につくられた 『トロイのヘレン』 という同テーマの映画と比べて進歩があったのか、というと微妙。

 むしろ 『トロイのヘレン』 の方が、映像的緊張感では勝っていたという気がする。
 軍隊が隊伍を整えて行進するシーン。
 攻城車がゆるゆると城壁に迫るシーン。
 巨大な木馬が、城内に迎え入れられるシーンなど、あきらかに 『トロイのヘレン』 の方が、スペクタクル映画のツボを押さえた映像になっていた。

トロイのヘレンDVD

 例えば 『トロイのヘレン』 では、木馬が城門に入ってくるときなどは、思いっきり仰角で捉える。
 それによって、木馬の巨大さを強調しようというカメラワークである。

 ギリシャ軍の行進を横から捉える映像でも、下からあおるカットを多用する。俯瞰で押さえれば、エキストラの数が乏しいときは、それがバレてしまう。
 しかし、仰角で写せば、それをカバーできる。
 CGに頼ることに慣れた現代の監督がおろそかにしがちな、小さなことの積み重ねによって迫力を演出するという、昔の映画の凄さをあらためて感じた。

《ブラピはアキレスになれなかった》

 今回の『トロイ』 においては、何よりも致命的なのはキャスティングだ。
 まず、アキレス役のブラッド・ピットが、アキレスになりきれていない。
 アキレスというキャラクターは、闘争本能とプライドだけで動いている戦闘マシーンのような存在で、いわば暴力の神。
 頭脳は単純なのだが、その無垢さが神の世界に通じるという、ちょっと現代人にはいないタイプの人間だ。

ブラピのアキレス

 ところが、身体的構造も精神構造も、現代人以外の何ものでもないブラッド・ピットが、このアキレスをやってしまったのが間違い。
 彼は、この映画のために筋トレに励んで5㎏体重を増やしたというが、甲冑を身につけようが、麻布を体に巻きつけようが、ぜんぜん古代人の匂いが漂ってこない。

 ロックスターになることを夢見つつ、いたずらに齢 (よわい) を重ねてしまったニューヨークの裏町に住むクリーニング屋の店員という印象なのだ。

 一方、トロイ側の雄であるヘクトル (エリック・バナ) も魅力に乏しい。
 まず眉がタレているのがいただけない。
 ヒゲの密度も薄いので、「ヒゲを蓄えている」 という容貌ではなく、「剃り忘れている」 という印象。

 これも古代の英雄像からはほど遠く、東欧あたりの地方都市で、細々とした生活を営む、独身の電気工事の主任という感じだ。

 この2人が、トロイの城壁を背にして決闘する場面は、全編のハイライトになるはずなのだが、クリーニング屋と電気工事の主任のケンカじゃなぁ…。

 私がこの2人のキャストを与えられた監督なら、彼らには現代人の衣装を着せ、ネバダ州あたりを古びたアメ車でさまよいながら、時に争い、時に友情で結ばれる、若者同士のロードムービーにシナリオを書き換えるだろう。

 で、トロイとギリシャを代表する両英雄が戦うとしたら、やっぱりここは、かつての 「ジョー・フレーザー VS マイク・タイソン」 的なマッチョ同士がにらみ合うシーンにならなければいけない。

《やっぱスタローンでしょう!》

 そういった意味で 『ロッキー1』 あたりを演じていた頃のシルベスター・スタローンと、『ターミネーター1』 あたりのシュワルツネッガーが対決していたら、見応えがあったと思う。

 実際、古代ギリシャの壷絵に描かれるアキレスは、スタローン的な風貌と肉体を持っている。
 脳細胞が足りない (バカだ!) けれど、闘争本能のおもむくままに、身体が機械的に動いてく (それゆえに神々しい!) という役柄では、スタローンの右に出る者はいない。

アキレス像

 なんとか及第点の演技をしていたのは、オーランド・ブルーム演じるパリスだが、黒髪は×。
 パリスが美しい金髪の若者であったことは、古典文学の常識である。

 良かったのは、トロイの老王プリアモスを演じたピーター・オトゥール。
 少々、歌舞伎風の様式美を感じさせる演技だったが、気品と風格があって、一番の出来だった。

 ではヘレンは?
 まず美女でない。
 王妃という役に必要な気品もない。妖艶さもない。

 こういう役は、かつてのシルビーノ・バンガーノ、あるいはフランソワ・アルヌールといったラテン系美女じゃないとこなせないのかもしれない。
 『トロイのヘレン』 でヘレンを演じていたのは、ロッサナ・ボデスタ。
 まぁ、ラテン美女の典型でした。(ドイツ系女優じゃ無理だろうな)。

《粗雑な脚本でも、面白い映画になった理由》

 ギリシャ連合軍の総大将アガメムノンと、その弟のメネラオスというギリシャ軍の首脳陣たちも魅力薄。
 権力と財宝と女にしか欲望を感じない、下世話な男たちというだけで、将としての高貴さが皆無。

 もっとも、これは脚本にも問題がある。
 だいたい 「全ギリシャを手に入れるのが、俺の夢だ!」
 なんて、粗雑なセリフを、アガメムノンに語らせる脚本なんてありか?
 
 逆にいうと、ひどい脚本にもかかわらず、話をドラマチックに盛り上げたのは、原作の凄さだという言い方もできる。

 アガメムノンがトロイ陥落と同時に殺されたり、アキレスの恋人がトロイの王女だったりと、かなり原作の改編が目立つ箇所もあったが、おおむねは、原作に忠実に描かれている。
 だから、話は無類に面白い。
 やっぱり、3000年以上も人類に読み継がれてきた古典の力は偉大だ。

 復讐に燃えるアキレス。
 家族愛を貫くヘクトル。
 権勢欲におぼれるアガメムノン。
 盲目の恋におちたパリス。
 罪の意識に怯えるヘレン。
 子を失う悲しみに耐えるプリアモス。
 そして、狡知によってサクセスを手に入れるオデッセウス。
 
 愛、不倫、戦い、復讐、死別、謀略。
 人類がドラマのテーマとして思いつきそうなものは、この 『イリアス』 1作の中に、すべて盛り込まれている。

《ギリシャ版 「平家物語」》

 栄養栄華を誇ったひとつの王族が滅びる様 (さま) を描いたという意味で、『イリアス』 は日本の 『平家物語』 にも似ている。

 貴族文化のきらびやかさを身につけ、肉親同士のこまやかな愛情で結ばれていた平家を滅ぼしたのは、粗暴なパワーと権勢欲を体の髄まで沁みこませた、野蛮な東国武者たちだった。

 美しい化粧を施した平家の公達 (きんだち) たちが、荒々しい源氏武者の手にかかって、次々と首を取られていく様子を眺めるのは、哀れを催す。
 だからこそ、ドラマとして盛り上る。

 『イリアス』 も、温かい家族愛で結ばれていたトロイ王族を、残忍なギリシャ人が攻め滅ぼすという平家物語スタイル。

 滅びゆくものへの挽歌というのは、洋の東西を問わず、感動ドラマを成功させるための必勝パターンなのかもしれない。

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 03:11 | コメント(0)| トラックバック(0)

いい旅を!

 第三京浜に乗って、帰りは東名。
 横浜近辺を、1日中ウロウロした。
 「クラフト」 さんの新展示場に挨拶に行って、「ロッキー」 さんを訪問した。
 足は、自分のキャンピングカー。

 午後4時頃、東名・港北のパーキングエリアで一休み。
 リヤドアを開けて、窓も全開。
 天井のルーベントを回すと、車内の風が一気に動き出す。

 売店で買ったハンバーグ弁当を、ダイネットテーブルの上に広げ、遅い昼飯。

 開け放たれたリヤドアから、車内を覗いている人がいる。
 作業衣を着た、パンチパーマのおじさんと目が合った。
 向こうがニヤリと笑った。
 人なつっこい目だ。

 飯を頬張りながら、こちらもニヤリと笑う。
 「どうぞ」
 と私は言った。
 クルマの中の様子を知りたがっていることが、すぐに分かったからだ。

 「いいんですか」
 と、パンチおじさん。まったく悪びれた様子もなく、網戸を開けて入ってきた。
 第一声。
 「こりゃ、家だね」

 サイドソファに腰を下ろしたパンチさんの目が、珍しいものを見るように、バンクから運転席、トイレルームへと動いていく。
 「この部屋は何ですか?」
 視線が、トイレルームのところで止まった。
 
 「そこ、トイレとシャワーです。もっとも、シャワーなんてほとんど使いませんけれど」
 コンパートメントの中を知りたがっている様子だったので、扉を開けてあげた。
 
 「ビジネスホテルだね、まったく…」
 好奇心で、目が輝いている。

 「しかし、広いね。長さはどのくらいですか」
 「5mを切ってます。だけど、バックエントランスだと、中が広く見えますね」
 「ほぉ…」
 
 本当に、楽しそうに感心する人だ。
 
 「どちらまで旅に?」
 と聞かれた。

 仕事で回ってきた…というのも、おかしいので、
 「まぁ、北の方にでも」
 と、あいまいにボカした。

 そりゃ、いい!
 という感じで、目が笑っている。

 パンチおじさんが出て行ったので、私は売店まで戻り、リポビタンDを一本買って、トイレでおしっこをして、クルマに戻った。

 パンチおじさんが、トラックに乗って、出て行くところだった。
 運転席側の窓を開け、
 「いい旅を」
 とパンチさんが手を振った。

 「気をつけて」
 私もリポビタンDを握ったままの手を振った。

   
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 01:08 | コメント(2)| トラックバック(0)

キングアーサー

《 昔の映画の現代的鑑賞法 歴史編 1 》

 私のコレクションのひとつに、歴史映画のDVD集めというのがあります。
 老後の楽しみとして、ぽつぽつと買い集めていたものが、チリも積もればなんとかで、結構たまりました。
 大昔に、リアルタイムで観たものあり、DVDを手にして初めて観るものあり。
 関わり方は様々なのですが、共通しているのは、古代ギリシャ・ローマの話、中世の騎士物語、日本の戦国ドラマや、アメリカの西部劇。
 基本的に、馬がたくさん出てくる映画です。

 たまに用事のない休日などに、それらを眺めては、馬の走るシーンを堪能しています。

 ブログネタがないときなど、その感想をつづってみたいと思うようになりました。
 もうまったく個人の趣味の話なので、興味をお持ちでない方は、この企画が出てきたときは、飛ばしてお読みくださいませ。

 ちなみに、原則的にすべてネタバレです。最後のドンデン返しがある映画でもネタバレで進めますから、ご注意を。

「キングアーサー」

 アーサー王と円卓の騎士。
 西欧人には、とてもなじみ深いテーマで、昔から何度も映画化されている。 『キャメロット』、『エクスカリバー』 などが有名だ。

キングアーサーDVD

 今回採り上げたのは、2004年制作のもの。
 ネットのレビューなど読むと、「面白くない」という批評もあって、さほどの期待もなくDVDを見始めたが、近年の歴史モノのなかでは、『トロイ』 や 『キングダム・オブ・ヘブン』 より面白かった。
 
 なにしろ、設定が意表を突いている。
 前代未聞の新解釈なのだ。

《えっ! アーサーってローマ人?》

 「アーサー王」 といえば、長らく中世の人間だと思われていたが、この映画で描かれるアーサー王は、ローマ時代の人間であり、ローマ帝国からブリテン島の警護を任された 「ローマ軍の指揮官」 なのだという。
 従ってアーサーは、ローマ軍将校のような甲冑に身を固めて登場する。

 最初ポスターやCM画像を見たとき、このローマンスタイルのアーサー王にはものすごい違和感を感じた。
 しかし、映画制作者に言わせると、
 「アーサー王伝説は、紀元1500年頃に成立したと思われがちだが、実際は、それより1000年も古い話だという証拠が出てきた」
 とのこと。
 「この映画で描いたことの方が真実に近い」
 と自信たっぷりの様子。
 
 ホントかしら? 
 と思いつつも、その説には、無性に好奇心がそそられてしまう。

 まず、「アーサー王は、ローマ人の父と、ブリテン人の母を持つ混血児だった」
 と、この映画は述べる。
 父は、れっきとしたローマ貴族だったが、母がブリテン人のため、アーサーは、「ローマの教養」 と 「ブリテンの武勇」 の両方を理解する人間として成長していく。

 ところが、ブリテン人はみな教養の低い野蛮人。
 それに物足りなさを感じる青年アーサーは、その対極にある 「教養人の都」 としてのローマにますます憬れを抱くようになる。

 しかし、実際にローマ帝国から派遣されてくる司教や貴族たちは、みな尊大で、現地人に対する差別意識が強く、狡猾で、残忍。
 彼らは、ブリテン人を人間とは思わぬような扱いをして、アーサーを失望させる。

 ここで描かれるローマは、図式的にいえば、
 「古い権威」
 「硬直した秩序」
 「抑圧」 の象徴であり、
 それに対するブリテンは、
 「新興勢力」
 「自由と平等」
 「人間愛」
 を象徴している。
 実に、分かりやすい。

 アーサーは、数々のローマ人と実際に会った結果、自分が心に描いていたローマは、すでに存在していないことを知る。
 しかし、それでもまだ、父が愛していたローマに対する忠誠心も捨てることができない。
 
 悩むアーサー。
 ローマ軍の守備隊長であるアーサーが、ローマを捨て、ブリテン王として独立する日が来るのか?
 そこらへんが見所となる映画だ。

《円卓の騎士の秘密》

 ブリテン島を守るローマ軍の隊長である若きアーサーには、彼につき従う忠実な部下たちがいた。
 有名な 「円卓の騎士」 たちだが、彼らはローマ人でも、ブリテン人でもなかった。
 なんと、黒海北岸に暮らすアジア系の遊牧民 (サルマタイ人) だというのである。

 実際に、5世紀頃のイギリスに駐屯していたローマ兵のなかには、ヨーロッパ東部から中央アジアにかけて遊牧していた民族が組み込まれていたという文献や考古学的資料が発見されたらしい。

 しかし、それがアーサー王の円卓の騎士たちだとは!
 前代未聞の仰天解釈のひとつだろう。

 映画のなかでは、「憂愁の美剣士」 であるはずのトリスタンが、アジア顔で登場し、モンゴル騎兵のような甲冑をつけ、ヨーロッパの直刀ではなく、アジア遊牧民の湾刀を持って戦っている。
 その隣りには、ローマ軍人の甲冑をまとったアーサーが並ぶ。

 トリスタンがアジア騎兵だなんて…。
 カルチャーショックで頭がくらくらしそうな設定だ。

 「円卓の騎士たちがサルマタイ人である理由ははっきりしている」
 と、映画制作者は言いたげだ。

 歩兵中心の戦いが繰り広げられていた古代の北ヨーロッパには、元来、騎馬戦術の伝統がなかった。
 にもかかわらず騎士 (ナイト) と呼ばれる戦士団が誕生したのは、騎馬民族の伝統が注入されたからだ…と。

 さらに、5世紀頃のブリテン島には、このような異民族の戦士たちを束ねていた隊長に 「アウストゥーリア」 (ラテン読み) という人物がいて、それをイギリス風に言い直せば 「アーサー」 になると。

 う~ん…
 真偽のほどは分からないが、源義経がジンギスカンになったという話よりは、少しは信憑性が高そうにも思える。

 彼らは、もとが騎馬戦士なのだから、乗馬術に長けているだけでなく、馬上で弓を射るのも巧み。
 剣を振りかざして突進すれば、その破壊力はすさまじく、敵が反撃に出れば、身をひるがえして遁走するのも上手。

 相手が歩兵だけならば、5~6騎だけで、その10倍以上の敵を翻弄してしまう。
 ヨーロッパにおける 「騎士」 はこうして生まれた。
 …という映画なのである。

《評価は様々》

 というわけで、非常に楽しめた作品だったが、なぜかネットの風評などを拾っていくと、意外と冷めた評価が多い。
 「話がむずかしすぎて退屈」
 「人の名前が覚えきれない」
 「テーマがはっきりしない」

 自分にとっては、「話は単純。テーマも明快」 な映画なのだが、そうは感じない人もいっぱいいるらしい。

 一方、多少歴史好きと思えるような人でも、こう言っている。

 「アーサー王のイメージが狂った。もっとファンタジーっぽいものを期待したが、雰囲気が暗すぎた」

 私には、この映画がディズニー風に味付けされた 「おとぎ話の中世」 ではなかったところが面白かったのだけれど、人の感じ方は様々だなぁ…と思う。

 もっとも、アーサーを演じたクライブ・オーヴェン自身が地味だという感じもする。
 CM画像では、ランスロットを演じるヨアン・グリフィズと並んでいたが、どう見ても、ヨアンの方が主人公に見えてしまう。

 映画が進行していくと、クライブの演技力によってアーサーの存在感が強まるようになり、それほど不自然な感じはなくなる。
 それでも、ときどき役所広司の顔とダブってしまう。
 そのときに、『シャル・ウィ・ダンス』 の軽さが漂う。

 もっとも、そう感じるのは、私だけなんだろうけれど。 
 
 
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 22:45 | コメント(0)| トラックバック(0)

なぜ「?」なのか

 本は好きなので、時間があれば本屋に寄る。
 特に、価格も手頃で、携帯にも便利な新書本が好き。
 時間がないときでも、新書本のコーナーには立ち止まり、とりあえず興味を引きそうな本があるかどうか、チェックしている。

 ところが、最近、ふと奇妙に感じることがある。
 タイトルを眺めると、見事に、みな同じようなタイトルが並んでいるのだ。

 書名の語尾が、「…か?」、で終わる本が、実に増えている。
 いったい、いつから新書のタイトルは、「…か?」で終わるようになったのか?

 ことの初めは、
 『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』
 という本を見つけたところから始まった。

 わぁ、面白そう! …と思って、手を伸ばすと、すぐ近くに、
 『ろくろ首の首はなぜ伸びるのか』
 という本があった。

怪獣ガギグゲ ろくろ首伸びる

 おぉ、こっちも面白そうと思ったら、
 『ピアノはなぜ黒いのか』 という本も目にとまった。
 
 ありゃりゃん?

 どんどん出てきた。

 『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』
 『若者はなぜ3年で辞めるのか?』
 『職場はなぜ壊れるのか?』
 『なぜ日本人は劣化したのか』
 『人はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』
 『行列ができる店はどこが違うのか?』
 『 「頭がいい人」 は脳をどう鍛えたか』
 『ホワイトカラーは給料ドロボーか?』
 『江戸っ子はなぜ蕎麦なのか?』
 『人はなぜ宗教を必要とするのか』
 『女は男のどこを見ているのか』
 『若者はなぜ 「決められない」 のか』
 『森林浴はなぜ身体にいいか』
 『なぜ美人ばかり得をするのか』

 面白がってノートに取ってみたが、まだまだ続く気配なので、バカらしくてやめてしまった。

 私が編集者になりたての頃、タイトルというのは、その本の本質をズバリ「要約」したものだと、先輩に教えられた。

 たとえば、ジャガーというイギリス車のことを、ダンディズムという視点から見つめた本を出すとしたら、
 『ジャガーに見るダンディズムの精神』
 とか、
 『英国流ダンディズムの頂点を極めた車』
 などというタイトルが良しとされた。

 反対に、
 『ジャガーはなぜダンディなのか?』
 などと提案すると、即座に先輩から 「バカやロー!」 だった。

 しかし、どうやら時代は変わったようだ。
 今の私なら、
 『ジャガーに見るダンディズムの精神』 よりも、
 『ジャガーはなぜダンディなのか?』 の方を買ってしまう。

  
 このように、「なぜ……なのか?」 という問は、シンプルながら、人間の心を揺さぶる力がある。
 人間は、本来 「謎」 というものが好きな動物で、お説教は嫌いでも、クイズはみんな好き。
 「なぜ……なのか?」
 という書名は、人間に本来備わっている 「ヤジウマ精神」 を実に巧妙にくすぐるタイトル設定なのだ。

 しかも、タイトルからある程度の答を想像できる読者は、自分の頭のなかに浮かんだ答が正しいかどうか。
 そいつを確認したくなって、ついつい手に取ってしまう。
 こういう書名を考えた人たちの戦略的な巧みさを、そこから感じることができる。

 
 しかし、いくらそうだからといっても、ちょっとやり過ぎではないのか? という気がしないでもない。

 ちなみに、『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』 という本は、パラパラめくってみると、言葉のサブリミナル効果を論じた本で、商品にどんなブランド名をつければ消費者の心に残るのかという、マーケティングの観点から捉えた商品論としても使えそうな本だった。

 それはそれで、ユニークな書だと思うけれど、ゴジラやキングギドラの名前の由来や、キャラクターまで知りたかった自分としては、ちょっと肩すかし。

 1人でも多くの購買者に手に取ってもらうという意味で、この手のタイトル本は成功していると言わねばならないが、こういう手法ばかりに頼っているわけにもいかないだろう。

 こういうタイトルに引かれる読者は、謎かけに対して、すぐ答が用意されていないと、放り出すのも早い。
 それに、流行り過ぎて、いささかインパクトに欠けてきたというきらいもある。
 昔からの読書人を自認するような人たちからは、「軽い」と見られてしまうこともあろう。

 『なぜ新書本は 「?」 で終わるようになったのか?』

 そんな本が出てきても、私はもう手に取らないかもしれない。
 

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 19:21 | コメント(6)| トラックバック(1)

ブログの力

 6月17日付のブログで 「マナー違反へ警鐘」 というタイトルで、道の駅や高速道路のSA・PAで休息するキャンピングカーのマナーの問題を取り上げた。
 このブログを読んでくださる方のご意見をうかがいたかったので、呼びかけをしたところ、思わぬたくさんの方々からコメントをいただくことができた。

 正直、ちょっとびっくり。
 堅苦しいテーマにもかかわらず、コメントをいただいた方々の真剣な思いが伝わってきて、呼びかけをしたこちらの責任の重さのようなものすら感じた。
 
 辛口のものもあり、具体的な提案に満ちたものもあり、とても参考になった。
 ブログというのは、個人のちょっとした趣味のようなものを伝えればいいのであって、面白く読んでくださる方がいれば、それで満足…という気持ちでいたけれど、使い方によっては、「ジャーナル」として機能するんだな…ということを強く感じることができた。
 コメントをくださった方々には、あらためてお礼を述べたい。

 ちょっとうれしかったのは、このブログにコメントを頂いた方々が、それぞれご自分のブログにても、このテーマでご自分の考えを述べられていること。(matsumotoさん、軽コロさんありがとうございます)
 そして、さらに、そこでのコメント欄を通じて、別の読者の方々と意見交換している様子が見られたこと。

 そのなかの軽コロさんのコメントで、
 「モノというのは、買っても使いこなせない人にとってはゴミ。しかし、使いこなせる人にはとても貴重なもの。買う前に、自分でそれを使いこなせるのかどうかを想像する力が必要」
 という言葉が、とても印象に残った。

 そういうメッセージが、このブログをきっかけに、いろいろなところで発信されているって、すごいと思う。
 ブログって、なんかとても大きな力があるように思えてきた。

 いいかげんなこと、書けませんね。
 うれしいような、身が引き締るような…
 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 23:20 | コメント(0)| トラックバック(0)

吉行淳之介の洒脱

 村松友視氏の 『淳之介流 やわらかい約束』 (河出書房新社) という本が登場したせいか、ここのところ、ちょっとした吉行淳之介ブームだ。

淳之介流
 
 期を同じくして、ちくま文庫からも、彼の生前最後の単行本となった 『懐かしい人たち』 というエッセイ集が文庫化されたという。

 いろいろな雑誌でも、彼の若い頃の写真が掲載され、本人のことを知らない女性たちからも、
 「あら、いい男」
 などと評判を取っているという話も聞く。

吉行画像

 しかし、今、この作家の名前を知っている若い人がどれだけいるかというと、ほとんどの人は知らないように思う。
 女優の吉行和子さんのお兄さんであるといった方が、まだ、通りがいいかもしれない。

 村上春樹は、10年ほど前に、『若い読者のための短編小説案内』 で、吉行淳之介の 「水の畔り」を採りあげたが、そのときすでに、大半の若い読者は、村上春樹は読んでいても、吉行淳之介の本など読んだことがなかったらしい。

 もっとも、吉行淳之介という作家は、いちばん知名度が高かった時代においても、読者によって好悪の感情がはっきり分かれる人だった。

 よく思わない人は、教育関係者やPTA職員などを務める人に多かった。
 なにしろ、娼婦の館に入りびたる主人公を描いた小説で、芥川賞を取った作家である。
 作品世界には、「性」 を商いとする女性たちが数多く登場する。
 そこには、「愛のないセックス」が描かれることも多い。

 当時、ヨシユキといえば、今でいうフーゾクの最先端を描く作家というイメージが一部にはあった。

 実際、読んでみれば、小説の舞台はそういう場所であっても、描かれる世界はまったく違うものであることはすぐ分かる。
 作品を読んだ人と、読まずに先入観で判断した人との間に、これほど評価の差がついた作家は、そう多くはあるまい。

 私は中学生の頃、この作家に夢中になり、カノジョすらできないうちから、「女性の言動とその心は、往々にして裏腹である」 などということを理解する小生意気な少年になった。

 もっとも、ガキの精神状態で、男と女の世界が本当に理解できるわけはなく、
 「男は、本当にホレた女の前では、何もいえなくなってしまうものだ」
 という、ごく当たり前の一般論を、さも吉行淳之介の作品から勉強したように錯覚していたに過ぎない。
 
 少年だった頃の私には、吉行淳之介の小説というのは、男と女の間に緊張の糸が張りつめたとき、その糸の強さ、弱さ、美しさ、切なさなどを描き分ける小説のように思われた。
 そして、カノジョができるような年頃になってからは、彼の作品は恋のノウハウを伝授する指南書として機能した。

 しかし、「それは違うのよ」 と、語ってくれた女性がいる。
 社会学者の上野千鶴子さんだった。
 「吉行淳之介の作品から、女を学ぶことは難しい」
 という。

 20年ほど前だったか。
 自動車メーカーの広報誌を編集していた私は、自動車評論家の舘内端さんと上野さんの対談を企画したことがあった。

 当時、上野さんは京都にお住まいだった。
 対談が終わって、京都行きの新幹線に乗る時間が来るまで、私は、新横浜近くの喫茶店で、上野さんに雑談のお相手をしていただいた。

 なぜか、吉行淳之介の話題になった。
 上野さんがいうには、
 「彼は、男と女の関係を上手に書く作家だという定評があるけれど、彼の描く世界に女は存在しない。
 描かれているのは、すべて男の自意識ばかり。女性を書けない作家である」
 当時、バリバリのフェミニストとしてならしていた上野さんらしい発言だった。

 「なのに、頭が良くて、感性の鋭い男ほど、吉行マジックにだまされてしまう」
 彼女はそう言って、私に苦笑いを投げかけた。
 それは、私に対するお世辞のようにも取れ、少しうれしいような、複雑な気分になった。

 その言葉で目が覚めたというわけではないが、その頃から、吉行淳之介は私のアイドルではなくなった。
 でも、その後も、あいかわらず私に影響力を与えつづけた作家であったことにはかわりない。

 今、また巷で 「吉行復活」 の声が流れるたびに、こういう作家は、もうこの世に出てくることはあるまい、という気持ちを新たにする。

 彼は、作品を離れた人間として評価されるとき、「粋」 だとか、「洒脱」、「都会的」 などとという修辞語で飾られることが多い。
 しかし、「粋」 とか 「洒脱」 とかいう感覚は、その感覚が人々の共有財産として生きていた時代が終われば、消える。

 吉行本人も、よくエッセイで書く有名な話がある。

 ある酒場で、1階から2階へ上がるとき、吉行淳之介は、1階で客の相手をしていた馴染みのホステスのお尻をそぉーっと撫でてから階段を上がった。
 しばらくして、その撫でられたホステスが、2階に駆け上ってきて大声を出した。
 「さっき、私のお尻を撫でたのは誰?」

 彼女は、抗議に来たわけではない。
 「あんなに上手に触る人がどんな人なのか、確かめに来たの」
 というわけだ。

 「女性のお尻の触り方は難しい」 と、吉行は書く。
 「腿 (もも)、膝 (ひざ) 3年、尻8年」とも。
 
 「桃、栗3年、柿8年」という標語をもじったダジャレだ。
 女性の腿と膝を触って、相手をうっとりさせるには、3年の修行が必要。
 お尻はさらに難しく、8年かかる、というのである。

 だが、このような話は、もう現代では通用しない。
 セクハラか、痴漢以外の何ものでもない。
 このような冗談話を、みんなで笑える土壌というものが、今はない。
 
 しかし、この感覚が、男にとっても女にとっても 「洒脱」 だと感じられた時代が過去にはあったのだ。
 そこには、大人の笑いというものがあったように思う。

 
 「ちょいワルおやじ」 のブームで、遊び心をわきまえたお洒落なオヤジというのが、あいかわらず脚光を浴びている。
 しかし、吉行淳之介的な 「洒脱」 というのは、それらの 「ちょいワルオヤジ」 のお洒落とは永遠に交わることはないだろう。

 「ちょいワルおやじ」 系メディアが、どこかで家庭外恋愛をほのめかしたとしても、それは、社会が許す規範のなかでの逸脱だ。

 吉行淳之介的な逸脱というのは、 「社会」 と 「反社会」 のはざまにある。
 社会の規範などという退屈なものは、まっぴらご免。
 しかし、その規範に真っ向から非難を浴びせたりするのは、さらにヤボ。

 彼は、1960~70年代の、世の中の成長神話に与することもなければ、それに異を唱える 「進歩的文化人」 の仲間に名を連ねることもなかった。

 「右」 でも 「左」 でもなく、「社会」 でも 「反社会」 でもない、綱渡りするようなポジショニングを見出し、その綱の上で遊ぶことが、吉行淳之介の 「洒脱」 であったように思う。

 彼にとっての 「洒脱」 は、「恥を知る」 ということであったが、その 「恥を知る」 という心境を、直接的なメッセージとしてではなく、小説などでコソッと打ち明けるところに、彼の独自の境地があった。

 自分の思想を声高に発表することが、知識人としての使命と信じられていた60~70年代。
 彼は、そのような進歩的文化人たちに対し、心の中で、「恥を知れ」 とつぶやいていたような気がする。

 こういう感性をもっている人を、現役のモノ書きのなかに探すことは、非常に難しい。

 吉行淳之介が再び採りあげられる時代が来たということは、逆にいえば、吉行的な生き方が存在する余地が完全に失われた時代が来た、ということかもしれない。

 なくなったからこそ、見えてくるものもあるのだ。

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 17:01 | コメント(0)| トラックバック(1)

マナー違反へ警鐘

 入梅宣言が下された日本列島ですが、広い範囲にわたって晴れ間の広がったこの土日。キャンピングカーでフィールドに出られた方々も多かったと思います。
 
 夏休みも1ヵ月後にひかえ、楽しい行楽のシーズンが近づいてきましたが、観光地に人が増え始めるこの季節というのは、駐車場での生活ゴミの不当投棄など、様々な問題が噴出してくる時期ともいえましょう。

 実は、道の駅や高速道路のSA、PAなどで、利用者のマナー違反、モラルの低下に警鐘を鳴らす論説が登場しました。

 7月10日号の 『カー&ドライバー』 誌(6月10日発売) では、ジャーナリストの中島祥和さんが、「こちら地球偵察衛星」 というコラムのなかで、この問題を取り上げています。

 そのコラムによると、ワンボックスカーを改造した簡易キャンピングカーなどで、定年後に日本一周を企画するような夫婦が増え、それをマスコミも称揚するようになったが、道の駅やサービスエリアで過ごす彼らの生活を見ると、目にあまるものがある、というのです。

 記事を読むと、群馬県のある温泉街の道の駅で、何日も同じクルマが駐車場を占拠し、「ラーメンのような食べ物の汁を土手にぶちまけたり、山の方にゴミを捨てようとしたり、溜まった生活ゴミを平気でゴミ箱に押し込んでいる」 とか。

 また、中島さんは、同様の趣旨の論説を、ネット版のスポーツ報知のコラム 『ムダ道中世界一周』 でも展開されています。
 
 中島さんは、『カー&ドライバー』 の記事のなかで、これらのマナー違反の利用者たちを 「路上生活者のテントを、ワンボックスに替えたような雰囲気」 と表現され、
 「このまま放置しておくと、“新・クルマ難民増殖”みたいなことになりかねない」
 と、結ばれています。
 
 私は、この記事を読んで、少し考えました。
 確かにマナー違反をしているキャンピングカーユーザーがいたのだろうとは思いますが、多くのキャンピングカーユーザーは、むしろ普通乗用車ユーザー以上に、道の駅でのゴミ処理や不当な長期宿泊などには神経をつかっていると、信じています。

 しかし、中島さんがご指摘されたとおり、キャンピングカーが普及してくると、確かに、このようなマナーやモラルをわきまえない身勝手なユーザーも増えることは予想されますね。
 
 そうなると、中島さんがコラムの中で予想しているように、やがて 「キャンピングカー入場お断り」 などという立て札を掲げる道の駅などが増えてくることは明白です。

ゴミ立て札

 キャンピングカーユーザーの中には、ゴミトンなどを工夫して車両に取り付け、旅行中の生活ゴミの不当投棄をしないように心がけている人が多数おります。
 そういう人たちの努力を無駄にしないためにも、ゴミの不当投棄やマナーに反する長期宿泊をしている人たちへ、なんらかの注意を投げかけることは大事なことかもしれません。

 キャンピングカーの良さ、素晴らしさを社会に理解してもらうには、まず社会に認めてもらうためのルールを確立する必要があるでしょう。
 キャンピングカーユーザーは、乗用車のオーナーたちに範をたれるぐらいの存在であってほしいものです。
 
 このマナーの問題について、皆さんのお考えを聞かせていただきたく思います。
 なかには、サービスエリアなどにゴミを投棄するのは、利用料金を払っている利用者の権利ではないか? というふうに考える方もいらっしゃるかもしれません。
 そういう反対意見でも結構です。
 様々な観点からの意見が多くなれば、それだけ、問題解決のヒントの数も増えるように思います。

 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 06:13 | コメント(14)| トラックバック(0)

アメリカに行くか

 東理夫さんの作品集のなかで、『あの車に逢いたい』 という短編集がある。
 ノスタルジックなアメ車がいろいろと登場し、それらに絡む人間模様をあっさりと描いた、鉛筆画のような小説集だ。

あの車に逢いたい

 この中の 「だからカムバック、シェーン」 という一編がことのほかお気に入りだった。

 不法入国したメキシコの青年と、ハーレーにまたがって放浪する独り者のアメリカ人が、国境近くの砂漠で出会い、短い会話を交わして別れていくという、それだけの話なのだが、乾いた風の匂いやサボテンの香りまでが、活字の間から立ち昇ってくる。

 何度も読んだ挙げ句、最後には、そいつを朗読してテープに吹き込み、適当な段落を区切って、音楽を入れたオリジナルテープを作った。

 会話が中心となる小説だったので、役者でもない私は、話し言葉の部分を構成するのが容易ではない。
 しかも登場人物は2人。

 メキシコ青年の声は地声で。
 アメリカ人の方は、すこしダミ声で。
 俳優が台本を素読みするぐらいの練習が必要となった。

 でも、結果は自分としても満足のいくものとなった。
 なんといっても、文章の間に、自分の好きな音楽を入れられるというのが、創作欲を満たしてくれた。
 頭の中のイメージとしては、映画 『パリ、テキサス』 や 『ロングライダース』 があったので、ほとんどの曲は、それらのサントラを担当したライ・クーダーのものを使った。

 そのテープを、独りで長時間ドライブするときに聞いていたのだが、ある日、ちょっと他人の反応も確かめたくなり、カミさんが隣りにいるときに流してみた。

 しばらく沈黙して聞いていたカミさん。
 「ねぇ、ラジオのニュース聞かない?」

 がっかり。
 こういう趣味は、やはり自己満足の世界に閉じ込めておくに限ると知った。

 いつかは、自分でステアリングを握って、アメリカを走ってみたい。
 昔からそう思っていた。
 でも、自分が走りたいのは、都市部の観光地ではなく、何もない空っぽの中西部の道だ。
 そういう気分は、まずカミさんは分かってもらえそうもない。

 そのときは、独りで行くことになるのかなぁ…

 そう思っていたところ、援軍が現れた。
 離れて暮らしている息子が、帰ってきたときに、「アメリカを走りたいなら、オレが運転手を務めてもいいよ」
 と言い出したのだ。

 やつは1年ほどハワイに行っていたので、左ハンドルのステーションワゴンやピックアップもさんざん運転し、右側通行にも慣れているらしい。

 やつが高校生だった頃、2人だけで、2週間ほどかけて北海道をキャンピングカーで回ったことがある。
 クルマの故障などにも見舞われた珍道中だったが、いまだに、そのときの思い出は忘れられないと言う。

 今ではキャンプに誘ってもめったについて来ないが、たまに気が向くと運転手を申し出てくる。
 免許取立ての頃、やつは、乗用車すら満足に運転できないクセして、5速マニュアルのギャラクシーの運転を買って出た。
 それがいたく面白かったらしい。
 今でも、キャンピングカーの運転だけは好きなのだ。
 相棒としては、願ったりかなったりの存在だ。


 アメリカを走るイメージが具体的に固まってきたのは、アメリカ旅行をテーマにしたサイトを運営される方々が、相次いで登場してきたことも大きい。

 いずれも、このホビダスに参加されている方で、1人は、レンタルモーターホームによるアメリカツァーをコーディネートされているmotor-home氏。
 motor-home氏は、レンタルモーターホームの旅の楽しさ、その手続きのノウハウなどをホームページで克明に紹介されているばかりではなく、今年の夏休みは、家族を伴って、ご自分でもルート66の旅をご予定とか。
 文章もお上手なので、ブログも面白い。

ルート66標識

 もう1人は、やはりホビダスで 「アメリカ奥の細道」 を連載されているブタイチ氏。
 ブタイチ氏は、自らハーレーでルート66を走破し、その記録を画像と粋な文章でレポートされている。
 テキストも洒落ているが、写真がまた素晴らしい。

アメリカ奥の細道1 アメリカ奥の細道2

 「そうそう! オレが見たいのは、こういう風景なんだよなぁ」
 と、ため息が出そうな、お気に入り画像がふんだんに出てくる。

アメリカ奥の細道ハーレー1

 こういう画像を見ると、無性にハーレーにも乗りたくなる。
 年をとったし、体も鍛えていないので、実際に振り回すことはあきらめているが、こういう画像はいつも手元に置いておきたい。カスタムバイクに憬れる 『イージーライダー』 の世代なのだ。

 motor-home氏やブタイチ氏のブログを読み、さらに、オート3輪のキャンピングカーでアメリカ、メキシコを回った桐野江氏の本も読み、今のマイブームは「アメリカツーリング」。
 
 後はホントに、お金だけだな。

(画像はいずれもブタイチさんのブログ 「アメリカ奥の細道」 からお借りしました)

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 02:30 | コメント(4)| トラックバック(0)

リンエイという店

 バンコンのトップビルダーとして揺るぎない地位を確立しているリンエイ・プロダクト

リンエイショップ

 しかし、不思議なビルダーだ。
 ショップの看板ともなるような、代表的車種というものが見当たらない。

 「ふたりのくるま旅」 という大ヒット商品があるじゃないか、という人もいるだろう。
 では、「ふたりのくるま旅」 とはどんなクルマなのか?

 このブランドには、誰もがすぐにイメージできる“形”というものがない。
 あったとしても、人によって、様々な 「ふたりのくるま旅」 のイメージが浮かんでいるはずだ。

 現在、「ふたりのくるま旅」 は、ハイエースのスーパーロングにも、ワイドにも、ナローにも存在する。
 キャラバンもOK。ボンゴも可。
 かつてはグランドハイエースや、ベンツ313CDIの 「ふたりのくるま旅」 があった。

 構造の異なるどんなベース車でも問題にしない不思議な商品構成は、いったいどういう狙いに基づくものなのだろうか。
 営業の第一線に立っている営業部長の梶原朗達さんに、リンエイの意図するものをうかがってみた。

リンエイ梶原氏

 梶原さんによると、
 「リンエイというビルダーは、ひとつの車名がワンブランドを代表するようなクルマ造りをしていない」
 という。
 その理由は、
 「お客様の望むものは、どんなものでも造れてしまうから」
 なのだそうだ。

 現在、リンエイの車種構成は、シリーズとして大きく2種類。レイアウトとしては18種類。
 それぞれ具体的なレイアウト図を掲載する形で、カタログやホームページでも紹介されている。
 だから、実は、緻密なセグメントによる体系的な車種構成は完成している。

 「しかし、それもあまり意味がない」
 と梶原氏。

 「カタログに掲げた中の一つのモデルをご注文いただいたとしても、そのお客様とゆっくり話していると、その人の使用目的、趣味嗜好なども分かってきて、希望される仕様の深いところまでイメージできるようになります。
 すると、必ずしも、最初に選んだモデルがベストとも限らない場合も出てくるんですね。
 だから、18番までしかなかったレイアウトパターンに、19番目がつけ加えられることもあります」

 このショップでは、まず相談ありきなのだ。
 ここを訪れたときは、積極的に自分の希望を表明した人が勝ちだ。

リンエイ車種1 リンエイ車種2

 釣りをしたい
 サーフィンをしたい
 冬場はスキーが中心
 普段は仕事、休日はキャンプ
 移動ホットドッグ屋をやりたい
 母親の介護用クルマが欲しい

 顧客の様々な希望を忠実に聞き入れるとなると、100の注文が入れば、100通りの仕様が生まれることになる。

 リンエイは、それをやり切るビルダーだ。
 …と梶原部長は胸を張る。

 現在リンエイは、ハイエースに乗っている、あるいは乗ろうとしている多くの人たちに、
 《ハイエースのクオリティアップを目指す店》
 という看板を掲げようとしている。
 「お客様をキャンピングカーユーザーだけに限定していない」
 というのだ。

 ハイエースにもっと荷物を積みたいと考えている人
 それを使って商売を始めようと思っている人
 乗り心地の向上を求めている人
 快適なベッドを必要としている人

 ハイエースに関しては、どんな相談も受けられるように、スタッフも常日頃からデータを集め、勉強していると梶原氏はいう。

 そして、そういう相談のなかから出てきたリクエストをもとに、200系ハイエース専用のオリジナルパーツなども、すでに数多く開発されている。
 たとえば、乗り心地の向上を実現するソフトライドサスペンション。
 バネ下重量を軽減するオリジナルアルミホイール。

 荷物の積載容量を増やすルーフラック。
 リヤのはめ殺しの窓を開閉を実現した左右のクォーターウィンドウ。

 シニアユーザーの乗降をサポートする数々のアシストグリップ。

リンエイアシスト棒2 リンエイアシスト棒1

 そして電動ステップ。

リンエイステップ1 リンエイステップ2

 「うちが考えているキャンピングカーというのは、キャンプだけを目的としたクルマではないのです。
 キャンプにも、それ以外の遊びにも、仕事にも、買い物にも使えるジョウヨウシャを目指しています」
 と語る梶原氏だが、ジョウヨウシャという言葉には、「乗用車」 ではなく、「常用車」 という字を当てたい、というユーモアも忘れない。

 だから、リンエイの改造車には、8ナンバー登録にならない 「キャンピング車」 というものも数多く存在する。
 4ナンバー、3ナンバー登録の状態で、ノーマル車にはない快適なベッド機構だけを整えたものを製作するなどというのは、同社のもっとも得意とするところだという。
 
 あるいは逆に、貨物車登録となるバンを8ナンバー登録にすることによって、現在は市場に存在しない小型ワンボックス“ワゴン”を実現することもある。

 リンエイの製品を愛する顧客層は、実に広い。
 サーフィン、モトクロスを愛するスポーツ愛好家。
 建築現場を生活の拠点とする建設業系ユーザー。
 2人のクルマ旅を求めるシニアカップル。
 移動販売車で仕事する自営業者。

 そういう人たちが、遊びにも、仕事にもオールラウンドに使えるクルマ。
 その質を、限りなく向上させていくことが、リンエイという店の使命だという。
 
 となると、ユーザーの望みが果てしなく続く限りは、クルマとしての完成形も、先へ先へと伸ばされていくことになる。

 こういうビルダーの製品を紹介しなければならないキャンピングカーメディアとしては、頭が痛い。
 普通のキャンピングカーなら、まず車名を挙げ、そのレイアウトを紹介し、装備類とオプション類を列記すれば、ひとまず紹介記事が完成する。

 しかし、リンエイのクルマだけは、そのパターンが通用しない。
 何をどのように書けば、読者に分かってもらえるのやら。

 毎年、『キャンピングカー super ガイド』 の編集時期が迫る頃、リンエイさんの記事を書かねばならない時間が近づいてくるたびに、憂鬱になる。

07ガイド表紙
campingcar | 投稿者 町田編集長 01:00 | コメント(2)| トラックバック(0)

硫黄島からの手紙

 遅ればせながら、この春に話題になった 『硫黄島からの手紙』 をようやくDVDで見ることができた。
 
 クリント・イーストウッド監督、なかなかやるもんだ。
 あっという間の2時間半だった。

硫黄島DVD
 
 日本の旧帝国軍人には、偏狭な思想にとらわれた残忍な将校が多かったという話はいろいろなところで聞くし、映画やドラマにもさんざん出てくる。
 
 持ち場を離れた部下を見つけると、即座に 「卑怯者!」 と叫び、日本刀を抜いて斬り殺すような軍人たちだ (この映画では、中村獅童がそれを上手に演じていた)。
 
 このような常軌を逸した日本軍を描くとき、多くの映画監督は、必要以上にグロテスクな演出に傾く。

 真珠湾攻撃をテーマにした 『パールハーバー』 という映画は、その典型であった。
 あの映画においては、日本軍の作戦会議が、なぜか小学生たちがタコ揚げをしている野原で行われていた。
 将官たちが居並ぶ軍議の席は、陣幕で囲まれ、「皇国」 「大和魂」 などと書かれた幟 (のぼり) が、戦国時代の旗指物のようにはためいている。

 真珠湾攻撃の前夜。
 出撃前の日本人パイロットは、みな艦内のベッドに正座して、中国の道教の神像のようなものに向かって、狂信的な祈りをささげている。

 旗艦の司令室では、いかにも東洋人らしい細い目をした副官が、艦長(南雲長官?) に向かって、
 「うまくいきそうですな」
 と、ほくそ笑む。

 こういう映画と比べると、『硫黄島からの手紙』 は、まったく次元の異なる映画であることが分かる。

 反戦映画ではない。
 人道主義映画でもない。
 お涙ちょうだいに流れていない。

 なのに、これほど戦争の悲惨さが伝わってくるとは。
 つまり、これは渡辺兼や伊原剛志などが演じるプライドを持った軍人たちと、プライドを知らない軍人たちの対立を軸に据えて、戦争の愚劣さを描くという映画だったのだ。
 
 軍人としてのプライドとは何か?
 それは、自分を 「プロの軍人だ」と自覚することである。
 では、プロの軍人とは、どういう人間なのか。

 目的を遂行するために、おのれの英知をしぼり出す人間のことをいう。
 つまり、この硫黄島の戦いにおいては、いかに戦いの見せ場をつくるかではなく、いかに島を守り抜くかを、冷静に、合理的に考えられる人間のことを指す。

 渡辺兼が演じる栗林中将は、この硫黄島に赴任したときの演説の第一声として、兵士の「玉砕」を禁じる。
 「1日でも長く生きのび、最後まで責任ある戦闘を遂行せよ」
 プロとしては、当然のことを言ったまでだ。

 ところが、この栗林中将の発言は、一兵卒には理解できても、軍人教育を受けてきた下士官たちには、かえって理解できない。

 彼らには、「皇軍は、俘虜の辱めを浮くるよりも死を選べ」 という大本営の訓戒が、骨のずいまで沁み込んでいるからだ。

 死守すべき持ち場を敵に奪われたら、その責任をとって、自決することこそ軍人の美学ではないのか?

 そう思う下士官たちは、ひそかに栗林中将のことを、
 「死ぬのが怖いため、アメリカにしっぽを振る弱虫」
 とののしる。

 しかし、クリント・イーストウッド監督は、渡辺兼の演じる栗林中将の生き方を通じて、次のようなメッセージを伝えようとしていることが分かる。

 プロであるかぎりは、生きる望みが完全に絶たれるまでは、生きのびることに全力を費やせ。
 それは、戦争にかぎらない。何においてもだ。
 最後まであきらめるな。
 あきらめることに美学を付与して、カッコつけるな。

 アメリカ人として…ではなく、映画人のプロとして、クリント・イーストウッドはそう語っているように見える。

硫黄島画像

 硫黄島の戦いが、孤立無援の勝ち目のない戦いであることは、栗林中将には最初から分かっていたらしい。
 連合艦隊が壊滅したという情報をすでに得ていたからだ。

 しかし、この硫黄島が落ちれば、この滑走路は、アメリカ軍の本土空襲のために使われる。
 彼は、少しでも島の陥落を遅らせるために、小高い山の内部をくり抜き、堅固なトーチカを造って立てこもる。

 だが、その防衛線もズタズタに分断され、武器・弾薬も尽きる。
 大本営から 「撤退」も 「降伏」 も禁じられたこの戦場では、いつかは兵士たちは死なねばならない。

 「死なねばならない時を迎えたとき、せめて兵士たちに、その死に意味があったことを伝えることが上官の務め」
 栗林中将はそう思う。

 「諸君がこれまで、粘り強く戦い抜いたおかげで、国に残った家族たちも、ちょうどその分だけ、生きのびることができた」

 中将はそう語ったうえで、最後の最後に、兵士たちの先頭に立って、“バンザイ突撃”を敢行する。

 そこには、ヒロイックな高揚感もなければ、センチメンタルな悲壮感もない。

 栗林中将は、あっけなく敵弾に撃たれ、ぶざまに死んでいく。
 しかし、それが軍人としての責務を果たした、本人にとって悔いのない死に方であったことがしっかり伝わってくる。

 プロの監督が描いた、プロの軍人の映画であった。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 00:34 | コメント(2)| トラックバック(0)

怖い話

 私は、幽霊のたぐいなどにはなかなかお目にかかることがない、まったくもって非スピリチュアルな人間である。
 しかし、合理的な説明はつくけれど、怖いと感じた体験はいっぱいある。

 実は、昨日の深夜、別のブログで小池真理子さんのホラー小説 『墓地を見下ろす家』 の紹介記事を書いている途中、コントローラーなどには指一本触れていないテレビのスイッチが突然入り、画面が7チャンネルを映し出した。

小池「墓地」

 もちろん番組などをが映っているわけではなく、横に揺れる白い線が、謎めいたメッセージでも伝えるかのように揺れているだけだった。

 しかし、ちょうどホラー小説の紹介記事で、主人公の身に降りかかる怪奇現象をあれこれ紹介しているタイミングだったけに、さすがにびっくり。
 ブログもそこそこに、布団をかぶって寝てしまったが、これだって、きっと合理的な説明がつくはずだ。

 そういう状況に対し、静電気がたまって、ホコリがどうして…などと科学的に解説していた番組をどこかで見たような記憶もある。
 だから、電気の知識にある人には、まったく怪異現象でもなんでもないのかもしれない。

 ただ、科学に暗い私は、ひたすらふとんを被って寝てしまうしかなかった。


 合理的な説明は可能だけど、やっぱり怖かったという体験をしたことは、昔もある。
 まだ、学生だった頃の話だ。

 家から歩いて20分ほどの距離に、親友の下宿があった。
 その部屋で、夜中の2時、3時までレコードを聴いたり、酒を飲んだり、しゃべりあったりして過ごす。
 当時そんなことが日課のように続いていた。

 明け方に近い、朝の4時頃だったろうか。
 友だちの下宿を出ると、あたり一面の濃霧だった。

 街路灯の明かりが、ぼんやりと水蒸気の中に拡散して、電球の位置すらよくつかめない。

 前方に人影が揺れていた。
 今と違って、都会でも、明け方近くまでふらついている人間は珍しい時代。
 ましてや、そこは住宅街が途切れて、公園が始まる人気のない場所で、昼間でも一人歩きの女性は、別のにぎやかな道に迂回するというほど淋しい道だった。
 そこを深夜に歩く人間は、よほどの剛胆な者に限られていた。

 相手の足が遅いのか、こちらの歩くペースが速いのか、その距離が少しずつ縮まっていく。

 女性のようだ。
 髪の毛が、肩を通りこして、背中まで達しているように見える。
 普通、こんな時間に家路に向かう女性であるならば、もっと急ぎ足になるだろうに。
 このゆったりしたペースは何だ?
 だんだん好奇心がわいてくる。

 距離が近づくにつれ、霧が邪魔しても、少しずつ相手の輪郭線がはっきりと見えてくる。
 
 手ぶらだ。
 バッグのたぐいを持っていない。両手をダラリと下にさげている。
 なんか変だ。

 足が細い…
 人間の足だろうか? 2本の割り箸が動いているようにも見える。

 ここまで来たら、どうしても相手の顔を確かめずにはいられなくなった。

 歩調を早め、失礼とは思いながらも、追い抜きざまに、チラッと視線を投げかけた。

 息をのんだ。
 顔が…
 正確にはアゴが、だらりと下に伸び、バストの位置にまで達していたのである。

 ごめん!
 と心の中で叫んで、私はあわてて顔をそむけた。
 落ち着け、と思いながらも、つい足が小走りになる。

 そして、とにかく一番最初に表れた四つ角を右に折れた。

 もちろん彼女が、幽霊や妖怪のたぐいではなことはすぐに分かった。
 しかし、乳房にまで達する長いアゴは、やはり深夜の霧の中で見ると、驚かずにはいられない。

 お化けにでも会ったように、足が小走りになってしまったことは、今でも本当に申し訳ない気持ちでいる。

 
 その後、どんなに夜遅くなってその道を通っても、二度と彼女に会うことはなかった。

 見間違いだったかもしれない。
 彼女が抱えていた何かが、たまたま長いアゴに見えてしまったのかもしれない。
 しかし、そういうような人が、この世の中に生きていることも知っている。

 来る日も来る日も、彼女は、部屋の中で息をひそめ、ひっそりと暮らしていた。
 そして、ある夜、家の周りがものすごい霧で閉ざされていることを知った。
 誰かに会っても、気づかれることはないだろう。
 彼女は、外の空気を吸うために、久しぶりに家を出た。

 手ぶらで歩いていたのはそのせいで、割り箸みたいに細い足は、彼女の運動不足を物語っていたのかもしれない。

 いろいろ想像すると、やるせない気持ちになるが、それから30年も経ってしまうと、おとぎ話の出来事のように思えるときもある。

 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:33 | コメント(2)| トラックバック(0)

新車レポート26

《アミティLX》

 今日はこの6月にデビューしたAtoZさんの 「アミティLX」 をご紹介します。

アミティLX外形 アミティ_liv3
 
 アミティシリーズ。
 ものすごい人気です。
 このブログでも、「アミティ」というワード検索は、1日1件は必ず入ります。
 さっき調べてみたら、6月に入って、この10日間ですでに41件。
 以前「アミティRR」の記事を書いたときは、その直後、1週間で100件近くの検索があったように思います。

 先日行われた 「さいたまキャンピングカー商談会」 会場でも、AtoZさんのアミティコーナーには、かなりの人だかり。
 ヤングファミリーからシニア層まで、広い範囲の見学者を集めているところが印象的でした。

 この人気の秘密は、ひとつはコストパフォーマンスの良さにあるようです。
 このアミティのように、FRPシェルを架装したキャブコンは、断熱性、居住性などにおいて、一般的にバンコンより有利といわれていますが、アミティはそのバンコンよりも価格が安い!

 ハイエースのスーパーロングあたりをベースにしたバンコンの平均的な価格を400万円とすれば、アミティは、全グレードの平均価格が約380万円。ロープライスモデルは349万円に抑えられています。
 バンコンでも、充実した装備のものは500万円近くなりますから、アミティにはずっとお買い得感が出てきます。

 動力性能では、ハイエース主体のバンコン勢より多少落ちますが、その代わり、断熱ボディ、ガラス2重窓、ゆったりダイネット、広いバンクベッドなどキャブコンならではの魅力は十分。
 バンクベッドやリヤベッドがあれば、家族の人数によっては、寝るときにいちいちベッドメイクする必要がないというのも、普通のバンコンではなかなか得られないメリットのひとつですね。

 アミティ人気のもうひとつの秘密は、取り回しの良さ。
 「キャブコンはデカい!」という先入観を、このクルマは払拭しています。
 全長4600㎜。
 「ホンダのステップワゴン (4630㎜) より短い」 というのが売りなんですが、ターニングサークルも4.3mと軽自動車に近く、1950㎜という幅も、ランクル100 (1940㎜) とほとんど変りありません。

 また、AtoZさんがアレン、アンソニーなどで、ボンゴを扱い慣れているということも、商品のクオリティ維持に貢献しているかもしれません。
 特に、アレンにおいて、マツダのサポートを受けて、キャンパー専用の足回りを開発したことが、このアミティにも生きています。

 アレンなどで、すでにボンゴの架装に関する重量配分などのデータも取ったことでしょうから、走りと重量のバランスについても、メーカーがよく分かっている部分があります。
 そんなところも、商品の安定性の維持につながっているかもしれません。

 また、商品構成そのものも、いいところを突いています。
 ヤングファミリーのニーズを的確につかんだリヤ2段ベッド仕様で、まず最大公約数的な市場にがっちり食い込み、次に、シニアの 「2人旅」に特化したRRで、マーケットの幅を広げました。
 そのRRも、真後ろにドアを設けるバックエントランスドアを採用することで話題性を獲得。アミティというクルマの存在感を強くアピールすることになりました。


 では、今回登場した 「アミティLX」 とはどんなクルマなのか。
 勘のいい人は、アラモLXをすぐ思い出したのでは?

 そう! 対面ダイネットとサイドシート。リヤにL型キッチンとトイレ・シャワールームがあるというレイアウトですね。

 それをアミティのボディサイズで実現したのが、この 「アミティLX」。
 …と言いたいところですが、なにせ4.6mボディですから、L型キッチンまで組み込むわけにはいきません。

アミティ_liv5 アミティ_liv2

 というわけで、キッチンはストレートなカウンターキッチン。
 ただ、シンクそのもののサイズはむしろ大きくなって、実用度は増しています。
 配膳スペースも広いので、買い物から帰ってきたときに、ちょっとした荷物を置いたり、食材などを整理するときに実に便利。

アミティ_liv4 アミティ_liv1

 リヤにはトイレ室、ワードローブ、収納庫と、多様な使い方を発揮するマルチルーム。
 
 バンクベッドは1800×1420㎜。
 フロアベッドは1830×1230㎜。
 リヤ2段ベッドの設定はなくても、バンクベッドとフロアベッドで、計大人4名の就寝定員が取れています。

 これでアミティシリーズは、合計3車。
 ファミリー向けのアミティ。
 シニアカップル向けのアミティRR。
 そして、このアミティLX。

 うまいセグメントになりました。
 LXは、アミティとRRの中間的存在として、シニアカップルにもよし。ファミリーでもOK。
 
 要は、リヤ2段ベッドが欲しい人はアミティ。
 2段ベッドの代わりに、トイレルーム・マルチルームが欲しい人はRRか、このLX。

 鉄壁の布陣です。

 お値段は、2WD・CAT(DX) 税込み3,706,500円から。

 なお、エートゥさんのHPでは、渡邉常務がブログを連載中。
 同社の日々の活動状況がよく伝わってきます。

 関連記事 「新車レポート6 アミティRR」

campingcar | 投稿者 町田編集長 01:03 | コメント(0)| トラックバック(0)

新車レポート25

《TANDEM タンデム》

 あいかわらず、バンコンのベース車として、ハイエースはすごい人気です。
 しかし、スーパーロングは少し大きすぎるのではないか?

 最近はそんな声もチラホラ聞こえてきます。
 全長5380㎜。
 全幅1880㎜。
 確かに、このサイズだと、駐車スペースが狭い場合は、入れるのに多少神経をつかうでしょうし、運転に慣れない奥さんが、旦那さんと運転を交代したときには、ちょっと持て余し気味。

 このサイズのキャンピングカーを買うなら、いっそのこと居住性と断熱性に優れるキャブコンでも。
 …と思うけれど、「走り」 を求めるなら、やっぱりノーマルハイエースの動力性能と走行安定性が欲しい。
 そう考える人も多いでしょうねぇ。
 迷うところです。
 
 セキソーボディさんがこのたび開発した 「タンデム」。
 にくい企画です!
 ハイエースのスーパーロングと同じ長さ。
 幅もノーマルのスーパーロングより、10㎝広いだけの1980㎜。
 それでいて、これがキャブコンなんですね。

タンデム_ex1 タンデム_ex2

 数々のボディカットキャブコンを世に送り出してきたセキソーさんならではの好企画です。

 このクルマの狙いは何か?
 ずばり、開発者の中山社長に聞いてみました。

 「これはバンコンなんですよ。サイズはほぼノーマルのスーパーロング。ただ、機能はキャブコン。キャブコンならではの断熱性、居住性、そして大容量の収納庫を備えた“バンコン”と考えていただければ…」

 中山社長は、ハイエースベースのバンコンも手がけているうちに、スーパーロングを買ってしまった人の多くは、日常の足として使うセカンドカーを必要としていることに気づいたとか。

 「どうせセカンドカーが必要になるなら、最初から本格的なキャブコンを買えばよかった」
 そう語るお客さんをずいぶん見てきたそうです。
 
 「だったら、スーパーロングと同じサイズで、キャブコンを造ってしまおう」
 それが、タンデムのモチーフなんですね。

 バンクはありません。

 中山さんは、その理由を次のように語ります。
 「スーパーロングのバンコンを求める人は、やはりノーマルハイエースの走りに期待しているのだろう。
 バンクが付いてしまえば、空気抵抗も受けることになる。重心が高くなるので、安定性も悪くなる。だったら、ひたすらノーマルの状態に近く…」

 そんなわけで、キャブ段差の幅もぎりぎりまで削られています。
 プログレスと同じ原理ですね。
 
 レイアウトは、ずばり 「2人のクルマ旅」。
 壁を背にして対面するというダイネットスタイルです。

タンデム_liv1 タンデム_liv2

 走行中は前向きに座れるシートを好む人も多いのですが、そこはホラ、夫婦2人で使うなら、運転中は助手席、運転席に座って移動するわけで、それなら、止まったときの快適性を優先する横座りシートの方が理想的なわけですね。

 バンクベッドのないタンデムの大きな武器は、リヤの固定ダブルベッド。
 バンクに登るよりずっと楽。
 こういうところに、設計の自由度の高いキャブコンのメリットが生かされています。

 タンデム_room タンデム_kit

 もちろん、ベッド下は大型収納。収納庫というより、「部屋」 ですね、これは。
 電子レンジスペースも効率よくまとめられ、キッチンまわりも、シンプルながら使いやすい設計になっています。
 
 デザイン的に見ても、けっこうカッコいいクルマです。
 全体のフォルムもまとまっていますが、細部を見ても破綻がありません。

 ちょっとした秘密があるようです。
 スカート部分などは、わざわざノーマルのプレスラインから型をとって、オリジナルの形を生かしたのだとか。
 
 「このハイエースを開発したトヨタさんは、グリルまわりやスカートのプレスラインだけでも、巨額の開発費を投入してデザインしているわけでしょ? それがトータルに見たときに、すっきりした形を保つ秘訣になっているわけです。
 いくらボディカットしたキャブコンだとはいえ、専門的にデザインを勉強してきたわけではない私らが、そのへんを安直に変えたところで、きれいな形が出せるわけがない」
 
 と、中山社長は、謙虚に語ります。
 自分勝手に形をつくるよりも、オリジナルの形を保つ方が、数倍面倒なのだとか。

 ボディカットモデルに自信を持っているビルダーだからこそ、いえる言葉かもしれません。

 お値段は、2WDで、5,700,00円。
 4WDで、5,980,000円となっています。

campingcar | 投稿者 町田編集長 02:41 | コメント(0)| トラックバック(0)

新車レポート24

《K-ai(ケーアイ)》

 「町田の独り言」 特別取材班が、埼玉県の戸田ボート場で開かれている 「さいたまキャンピングカー商談会」 へ突撃取材を試みました。
 私が総指揮を採り、カメラ班、インタビュー班を編成 (…まぁ、全部1人なんですけどね)。
 できたてで、湯気の立っている新車をレポートいたします。

 この 「さいたまキャンピングカー商談会」。
 埼玉県のローカルショーと侮るなかれ。
 なにしろ、国内でも有数な国産ビルダーが集中する埼玉県における人気ショー。
 来場者も多く、展示内容も充実していることで有名なビッグイベントです。

 今回も、セキソーボディさんの 「タンデム」
 AtoZさんの 「アミティLX」、「あずさ」
 AZ-MAXさんの 「Kーai」 など、話題性あふれる新車が目白押し。
 実に内容の濃いショーとなりました。

 今日は、まず、AZ-MAX (オートショップアズマ) さんの 「K-ai (ケーアイ)」をご紹介いたしましょう。

ケーアイex1 ケーアイex2 

 軽キャンカーのファンには待望のクルマです。
 なにしろ、今や「軽の名車」という称号すら授けられそうなラ・クーンに続く、キャブコン型の軽キャンカーです。
 しかも、エレベーティングルーフ。

 フィールドライフさんの「トライキャンパーⅡ」に続くエレベーティングルーフの第2弾ということになりますね。
 もっとも、ケーアイは「エレベータールーフ」と名乗っています。
 同じなんですけどね。

 このルーフを採用したため、ケーアイは軽自動車の規格内に収まり、税制上も、軽自動車税の適用を受けられることになりました。

 もちろん、買い物、通勤などの日常的な使い勝手もUP。特に、立体駐車場などへの出入りがグッと楽に。
 
 ところで、なんでポップアップルーフではなく、わざわざ手間のかかるエレベーティングルーフを採用することになったのでしょう。

 開発スタッフの説明によると、やはり、このサイズになると、ポップアップルーフよりも、スペース効率がよくなるのだそうです。前後とも均等に天井高が稼げますから、室内における居住性もバランスよく保たれます。

ケーアイ室内3 ケーアイ室内2

 その代わり、開発には相当神経をつかったようです。
 なにしろ、機構的には複雑になりますから、強度の確保やダンパーの調整などにもいろいろ試行錯誤があったとか。
 当初の予定より開発日数がかかってしまったのも、そんなところに理由があるようです。
 資料によると、エレベーティングルーフ部のベッド面積は1900×1000.
 一応、大人2人が寝られるスペースが確保されています。
 室内高は、1700。なかなかのものです。

ケーアイ運転席 ケーアイ室内1

 レイアウトは、4名でテーブルが囲める対面ダイネットが採用されました。
 さすが、ラ・クーンの姉妹車! 「軽キャンカー」という軽いノリの言葉からは想像できないリッチ感が漂っています。
 運転席・助手席シートも、共生地です。
 キッチンカウンターもいい雰囲気。
 カウンター下には、各10リッターの給排水タンク。
 もちろん、サブバッテリー、走行充電システムもばっちり完備。

ケーアイベッド ケーアイステップ

 フロアベッドの大きさは、1850×1050.
 ルーフベッドと合わせて、とりあえず大人4名が寝られるスペースは確保されていますが、就寝定員のカウントは2+2。
 実際に、このサイズでは大人4名が車内で寝るのは少しきついでしょうね。
 基本は、「夫婦の2人旅」ないしはプラス小さな子供2人というクルマです。
 そうそう。オプションですが、電動ステップ付きでした。
 やったね!

 窓はペアガラス。シェルおよび床には20㎜の断熱材が。
 やはり、キャブコン型の強みが、そんなところにも発揮されています。

 お値段は、2WDの5速ミッション車で、2,320,500円(税込み)
 4WD・AT車で、2,646,000円(税込み)とのことでした。
 
 近日中にカーゴモデルも出るそうです。

 
campingcar | 投稿者 町田編集長 01:03 | コメント(0)| トラックバック(0)

誰にも話せない旅

 「キャンピングカーで、いちばん印象に残った旅は何ですか?」

 よく、そんなことを尋ねられる。
 テレビにも3回ほど出たことがあるけれど、2度ぐらいそのような質問を受けた。

 しかし、これがなかなか即答できない。
 印象に残った旅というのは、確かにひとつある。
 ところが、それがどのように印象深かったのか。それを説明する言葉が見つからない。
 「え~、え~」 などと言いよどみながら、言葉をさがしているうちに面倒くさくなり、結局、別の旅のことを話してしまう。 

 「印象に残る旅」 というからには、どこで何をしたか? ということが大事になる。
 まがりなりにも、キャンピングカー暦12年ぐらいになるので、旅先で何をしたかという思い出ならば、たくさんある。

 しかし、私にとっていちばん印象深い旅というのは、千葉の犬吠崎で、何もしなかった旅なのだ。
 それも、駐車場にクルマを停め、車内でボケッとしたわずか1時間ほどのこと。

 なのに、「キャンピングカーで快適な時間を過ごしたい」
 と思うとき、いつも真っ先に浮かぶのは、その時の情景なのだ。

 梅雨の中休みともいえるような、青空の広がった初夏の朝。
 「温泉にでも浸かって、昼飯でも食うか」
 という、たったそれだけの打ち合わせで、私とカミさんと犬は、キャンピングカーに乗り込んだ。
 ちょうど3年ぐらい前の話だ。

 走り始めてから、目的地を定めた。
 犬吠崎
 なんとなく、でっかい太平洋が広がっているというイメージが頭に浮かんだからだ。

 そこにたどり着き、立ち寄り湯を提供してくれるホテルを見つけ、湯に浸かって、レストランで食事をし、駐車場に停めていたクルマに戻った。
 
 陽は中天に差し掛かり、地上に影はなかった。
 窓とドアをすべて開け放ち、車内に風を入れた。
 駐車場のいちばん端っこに停めていたおかげで、ダイネット側の窓を開けると、窓の先が水平線とつながった。

海1

 目の覚めるようなブルー。
 車内に入る風すら、青く染まってしまう。

 反対側の窓からは、岬に突き出た、白い砂糖菓子のような灯台が見えた。
 正午の陽ざしを浴びて、今にも溶けそうに宙に浮く灯台を見つめながら、カミさんはペットボトルの「午後の紅茶」を口に含み、私はマイルドセブン・ライトを口にくわえて火をつけ、犬は後ろ足で自分の首をかいた。

 車内を動いていくのは、リヤドアから入って窓から抜けていく風だけ。
 世界がいとなみを止めたような時間が過ぎていく。

 みんな何かをしゃべりたかったのだろうけれど、口をついて出た言葉は、
 ただ、「気持ちいいね…」
 の一言。
 もっとも、犬はそれすらも言わず、目を細めて空を見上げただけだった。

 稚内の空1

 そのとき、ラジカセにテープを入れて、何か音楽を流していたと思う。
 しかし、何の曲を聴いていたか思い出せない。
 BGMなど要らないような時間を過ごしていたのかもしれない。

 たったそれだけの事なのである。

 楽しい旅はもっといろいろあった。
 メニューのたくさん詰まった、「充実した旅」ということになれば、また違った場所の話題になるだろう。
 だけど、カミさんに聞いても、いちばん印象深い旅となると、いつもこの場所の話にたどり着く。

 あれは何だったのだろう。
 いつも不思議な気持ちになる。
 一瞬の白日夢だといわれても、そうか…と思うしかない。

 このことを他人に話すのはむずかしい。
 話せたとしても、誰にも解ってもらえない。
 だから、いちばん印象深い旅というのは、他人には永遠に語れない旅なのだ。

旅&キャンプ | 投稿者 町田編集長 01:32 | コメント(4)| トラックバック(0)

バイオは反環境?

 6月5日付けのブログで紹介した、環境問題をテーマにしたエコカーの本の件に関し、自動車ジャーナリズム系に進んだ先輩から、ご指導(忠告?)をいただいた。

エコカー未来

 「10年前ぐらいの本を紹介する場合は、その内容が今と異なっているケースが往々にしてあるので、当時のデータを引用する場合は、分かる範囲でいいから、最新データや最新の知見もフォローするように」
 というものであった。

 「たかがブログではあるけれど、町田君のブログは、今や社会的な影響力があるからね」
 とも、おだてられ(皮肉られ?)た。

 うれしいやら、怖いやら。

 確かに、環境問題のデータや考え方は、刻々と変化していく。
 健康食品の報道と同じように、脚光を浴びていたテーマが、一夜にしてコロッとネガティブな評価にすり変ってしまうなんてもことも、しょっちゅうある。

 『週刊朝日』 の5月25日号の書評欄では、武田邦彦氏の書いた 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』 という本が採り上げられていた。
 原著を読んでいないので、無責任な孫引きになるが(…また注意されそうだ)、そこには、地球温暖化にまつわる様々なウソ(?)が報告されているという。

 たとえば、「極地の氷が溶けて、海水面が上昇するというのはウソだし、温暖化が環境に必ずしも悪いとはいえない」というのだ。
 また、「人類史上、もっとも強い毒性を持つ化合物などと報道されたダイオキシンは、実のところ毒性も発ガン性もそれほどではない」とも。

 本当のところはどうなんだろうか。

 この本の書評者である永江郎氏は、
 「環境問題は、倫理的、道徳的に声高に訴えると正しそうに聞こえるが、ゆっくり落ち着いて考えなければならない」
 と結んでいる。

 続く6月8日号の 『週刊朝日』 では、連載コラムを執筆している亀和田武氏が、世のエコ賛美に挑戦状を叩きつけた 『週刊プレイボーイ』 の環境特集を大いに称賛している。
 その 『プレイボーイ』 誌によると、
 「バイオガソリンが一般ガソリンより環境に優しいという根拠は、ほとんどコジ付けで、むしろ環境保全に逆行している。
 ボルネオでは、バイオディーゼルの原料として注目されるパーム油を生産するために、島の熱帯雨林は急速に切り開かれ、アブラヤシ農園に造りかえられている」
 という。

 『サンデー毎日』 の6月10日号では、牧太郎氏が、その連載コラムの中で、こう書いている。
 「バイオエタノール用のサトウキビを生産するブラジルの農園では、収穫のときに広大な畑を焼き払うため、サンパウロの市街地に深刻な大気汚染が及んでいる。
 また、農園がサトウキビの単一栽培に切り替わったことにより、森林破壊や食用穀物の減少が問題になってきた」

 つまりバイオ燃料を得るために、森林破壊や食糧不足が生じるという、本末転倒現象があちこちで起こっているというのだ。

 やっかいな問題だ。
 水虫を退治しようとしたら、薬が強すぎて、皮膚がただれてきたというような話だ。

 おりしも、今ドイツのハイリゲンダムで開かれているサミットでは、地球温暖化問題が議論になる一方、会場周辺では反対派のデモも激しさを増している。
 サミット反対派は、環境問題が、アメリカ流グローバリズムの拡大や大企業の利権確保の名目になっていることを糾弾しているのだとか。

 確かに、バイオエネルギー産業は、これからますます大国同士の利権や企業の利益確保の対象としてクローズアップされ、環境保全という本来の役目からどんどんズレていく可能性もある。

 正直、私はこの問題をどう捉えていいのか分からない。

 ただ、人類の歩みがある方向に舵を切ったとき、当然、今までは感じなかった風を受けることは確かだ。

 バイオエタノールなどの研究が進んで、実用化が始まったからこそ、その裏面に潜む弊害が明るみに出てきたともいえる。
 実用化が促進されなければ、その副作用や悪影響が顕在化することもなかったろう。

 石油燃料による環境汚染や、その資源的有限性を克服するためにバイオ燃料が開発されてきたことを思えば、バイオ燃料の安定供給を図りながら、その弊害を是正していくことにこそ、人類の英知を振り向けなければならない。
 …てな、毒にも薬にもならない優等生的な結びで、とりあえず逃げておく。…ヘケッ!

公園の林
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:41 | コメント(4)| トラックバック(0)

エスカルゴ号2

 昨日の話の続きになるが、いま夢中になって読んでいる 『世界は俺の庭だ』 では、エスカルゴ号がついにメキシコに入った。

 その後に、ヨーロッパを回っていくつかの国境を越えた桐野江氏だったが、世界の国境のなかでも、このアメリカとメキシコを隔てる国境ほど、見事に“国境”といえる凄みを持ったものはなかった、という。

 「金網一枚をさかいに、メキシコ側は、水は天まかせで、大地は白く乾いている。その反対のアメリカ側を見れば、こちらは、どんなことをしても水を引いてくるアメリカらしく、一面の緑」

 地続きであるはずの大地が、フェンス1枚をさかいに、まったく違う相貌を現しているのを、桐野江氏はショックに近い感覚で捉えている。

 どの地域の国境なのか、そこに地名はなかったが、なんともすごいイメージが伝わってくる記述だ。

 メキシコ側に入ると、
 「空気自体が粉っぽくなり、不規則なリズムを持って、縦に揺れている感じがする」
 とも書かれている。
 「町に入ると、酒場はもちろん、市場、道路、レストラン、どこへ行っても生の音楽が流れ、人々の話し声は、小鳥のさえずりとハイエナのけんかが入り混じったような不思議ね音色をとどろかす」
 とも。

 そして、赤い花、朱色の屋根がわら、極彩色のポンチョなど、あらゆる色が一瞬も止まることなく、踊り続けている、という。

 初めて目にした未知の土地に対する興奮もあるのだろうけれど、美しい表現だと思う。

 エスカルゴ号は、このようなエキゾチックな町を次々と抜け、サボテンの連なる大地を抜けながら、南へ。

 知人の日本人のいる町に、少しのんびりと逗留することにした。
 時間ができると、酒場に飲みに行った。
 まさに、西部劇に出てくるバーの雰囲気らしい。

 カウンターで飲んでいると、誰かが必ず寄ってくる。
 「日本人ですか?」
 「イエス」
 「では、一杯注いでいいですか?」
 「ありがとう」
 
 これが、1人や2人では終わらない。
 その酒場に居合わせる客が、行列でも作るように、順番を待って、次々と訪れる。
 うれしいけれど、酒は酒だ。
 酩酊してからも、この歓迎は終わることがない。
 断ると、なぜ、自分の順番になると断るのか? という険悪な雰囲気になりそうなことも。

 暑苦しくなるほどの、過度な親切。
 桐野江氏は、文化の違いというものを、まざまざと認識する。


 旅行記には、いろいろなものがある。
 同じメキシコの旅行記でも、村上春樹氏の書いたものは、そこに住む人々と一歩距離を置いた、クールな旅行者の目を通した鋭い観察録だった。
 
 しかし、桐野江氏は、どんな場所でも、人間と接することの面白さから目を背けることがない。
 この本が、40年以上経った今も輝きを放っているのは、人間の体臭が匂ってくるような描写の力だと思う。

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音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 01:07 | コメント(2)| トラックバック(0)

エスカルゴ号の話

 今、日本のキャンピングカーの歴史を調べている。
 この前、このブログでそのことを書いたら、さっそく、国産キャンピングカーの1号車といわれるエスカルゴ号の資料をお貸しくださる方が現れた。

 エスカルゴ号は、1958年(昭和33年)に、洋画家の桐野江節雄氏が、マツダのオート3輪を改造して製作したキャンピングカー。
 桐野江氏は、13歳年下の相棒である神保五生氏を伴って、絵の題材を求め、このクルマでアメリカ、メキシコ、ヨーロッパを回り、その見聞を 『世界は俺の庭だ』 という著作として残した。

 なんと、その本そのものを借りることができた!

世界は俺の庭画像

 奥付を見ると、昭和40年(1965年)8月8日の発行。
 桐野江氏が帰国して、2年後ぐらいに書かれた本であることが分かる。
 定価は390円。
 今アマゾンの古書を検索すると、11,800円の価格が付いている。
 まさに“お宝”をお借りしたことになる。

 さっそく手にとって読み始めた。
 これが、もう面白いのなんの!

 ニューヨーク五番街を走行中、大渋滞のなかで、にわかに尿意を催した桐野江氏。
 しかし、慣れない道を運転中なので、トイレに行く余裕がない。
 ついに、我慢にも限界が…

 わずかにドアを開け、そこから道路に向かって、シャー…
 もちろん、マナーに厳しいニューヨークで、それを警官が見逃すはずがない。

 ピッピッピ!
 「そこの東洋人止まれ!」
 覚悟を決めて、窓から首を出した桐野江氏に、その警官は厳しい表情で、
 「ラジエーターが壊れているぞ。水が漏れている。気をつけて行けよ」
 「あ、分かりました、サンキュー」

 その後の記述がふるっている。
 「エスカルゴ号は空冷なので、ラジエーターなど最初から付いていないのだ。
 オート3輪といういうものを知らないアメリカ人の無知さと優しさに助けられた」
 
 この本で、だいぶエスカルゴ号の様子が分かってきた。
 ベースはマツダの58年型2トン車で、1500cc、43馬力。
 前回のブログでT2000ではないか、とうっかり書いたが、どうやらその1代前のモデルのようだ。

 このオート3輪の荷台に、小さな箱に小分けにして、炊事用具、修理用工具とパーツ一式、着替え、油絵の具、キャンバスなどを収納する。
 その上に板を敷き、そこが寝室&居間。

エスカルゴ室内

 もちろん、シンクのたぐいもトイレもない。
 サンフランシスコに着いた最初の晩は、町の駐車場で寝た。
 最初の晩から、困ったことに気がついたという。
 
 「はて、トイレはどうしよう?」
 駐車場にはトイレもなかった。
 すかさずひらめいたのは、コカコーラの瓶。
 以来、緊急用トイレとして、コカコーラの大型ボトルを使うことになったという。
 これが、国産キャンピングカーの最初の“ポータブルトイレ”ということになるのだろう。

 食事はほとんど自炊だったようだ。
 炊事用具として、持ち込んだ物のリストには、
 2連式のガソリンストーブ、2リットル入りポリエチレン水筒2本、大・中・小三つの鍋。シナ鍋、フライパン、やかん、庖丁、まな板などという記述が見える。
 ほかに、洗濯用のポリエチレンの角箱。
 スーツ、下着、和服。
 そうとう大がかりな準備だ。
 
 さらに、修理用パーツとして、クラッチディスク、ブレーキシュー、ライニング、ピストン、バルブなども用意していったというから、かなりの決意で乗り込んだ様子が伝わってくる。
 
 それに、700本の油絵の具、キャンバス、紙、筆。
 ゴルフクラブ8本、釣竿などという記述もあるので、いったい車内でどんなふうに体を横たえていたのやら。
 収納術に関しては、学ぶところがいっぱいありそうだ。

 オート3輪で海外を回ると言ったとき、国内のお偉いさんのなかには、
 「そんな貧弱な乗り物で海外に出るなど、国辱ものだ」
 と怒った人もいたという。

 しかし、実際にアメリカを走るとモテモテ。
 駐車場に止めるごとに、
 「これは何ていう乗り物だ?」
 と黒山の人だかりとなった。

 「へーい! YOUのクルマは、タイヤを1本落っことしているぜ」
 とジョークをかまし、ニコニコ顔で、追い抜いていくトラックドライバーがいる。

 あるところでは、パトカーがサイレンを鳴らしながら、追いかけてくる。
 「スピード違反をするほど、スピードの出るクルマではないんだがなぁ…」 
 と不安にかられながら、クルマを止めると、
 「俺は、3ヶ月前、ヨコハマにいたぜ」
 たったそれだけを告げるために、警官はエスカルゴ号を止めさせた。

 とにかく、楽しい本だ。

 今、ようやくアメリカのパートを読み終えたところだ。
 これから、メキシコ編。
 この先、どういう展開になるのやら。
 面白くてやめられない。

 関連記事 「エスカルゴ号2」



音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 01:02 | コメント(6)| トラックバック(0)

クルマ社会の未来

 実は、意図的に意識の中に封印して、閉じ込めている書物がある。
 キャンピングカーとはいえ、まがりなりにも自動車の普及を目指す仕事に携わっている自分にとって、この本は、自動車市場の拡大に水を注す危険な(?)書物に思えたからだ。

 その本の名は、
 『エコカーは未来を救えるか?』(三崎浩士・著/ダイヤモンド社)。
 発行されたのは1998年。約10年前。
 自動車産業にとって、環境問題とは何なのか?
 そこに、ズバリと切り込んだのが、この書物だ。

エコカー未来

《終末へのおごそかな予言》

 地球温暖化、エネルギー資源の枯渇、バイオエタノール燃料。

 今でこそ、そのような言葉をニュースで聞かない日はないが、この本が発行された1998年には、経済不況をテーマとする報道・社説のたぐいはごまんと溢れていても、環境問題は、ごく一部の良識的な知識人向けの話題であるかのように、メディアの片隅を遠慮がちに陣取る程度でしかなかった。

 だが、
 1) 地球温暖化は、自動車産業にどのような問題をもたらすのか?
 2) 石油エネルギーは、あと何年持つのか?
 3) バイオエタノールなどの代替燃料は、有効なのか?
 4) 石油エネルギーが枯渇した後の、人類の移動手段はどのように
    なるのか?

 今、メディアのキャスターたちが口にしない日のないこれらのテーマは、実は、すでに10年前に書かれたこの本において、すべて展開されている。
 しかも、圧倒的な絶望感に彩られた筆致で。

 この本の主調は、実に暗い。
 「自動車に明るい未来はない。今日のような大規模な自動車社会は二度と出現しない。誰もが自動車を乗りまわせる時代は終焉を迎える」

 まるで、宗教家が、聖書の黙示録でも語るように、おごそかに自動車社会の終末を予言するこの結論は、しかし、決していたずらに人々の不安感を増長させたり、悲観的な世界観を提示するために持ち出されたものではない。

 自動車メーカーの技術者として、長年、省エネ車の研究に携わっていた著者が、「自動車の1日でも長い延命」を模索するなかから出てきたのが、実はこの結論なのである。

《ガソリンエンジンは至高の技術だった》

 まず、筆者は自動車技術者らしく、「内燃機関として、現在のガソリン車・ディーゼル車のエンジン機構に勝る動力装置はほかにない」と断言する。

 筆者は、石油燃料の合理性として、
 1) エネルギー密度が高いこと。
 2) 燃料が液体で取り扱いやすく、燃料タンクの形を自由にできるこ
    と。
 3) 燃料の後始末が要らず、エンジンの始動・停止も簡単であるこ
    と。
    の3点を挙げている。

 いま普及しているガソリン車・ディーゼル車のエンジンは、構造的にも、コスト的にも理想的なものを実現しており、人類の技術史のなかでも最高傑作といえるほどの完成度を示しているとか。

 このガソリン系エンジンの高効率化・ハイブリッド化が進む一方、今は、電気自動車、燃料電池車、天然ガス自動車、アルコール燃料車などの研究も進められている。
 しかし、筆者は、
 「石油燃料が安定供給されるかぎり、ガソリン車・ディーゼル車がそれらのクルマにとって代わられる日は来ない」
 という。

《人類に残された石油はあとどのくらい?》

 それほど完璧な内燃機関であるガソリン・ディーゼルエンジンの最大のネックは何か?

 それは、石油を消費するエンジンだということである。

 筆者はいう。
 「IEA(国際エネルギー機関)の調査によると、2010年には、石油の生産量が現在(1998年)の1.5倍になり、それ以降は需要が逼迫し、2030年に枯渇に向かうことになる。
 石油の埋蔵量は、地質学的に見て推定される原始埋蔵量(7兆バーレル)と、経済的に見て採掘可能な可採埋蔵量(2.2兆バーレル)に分かれる。
 そして、可採埋蔵量は、すでに産出してしまったもの(0.6兆バーレル)と、現在確認されているもの(1兆バーレル)、未発見のもの(0.6兆バーレル)に分かれる」

 ややこしい計算だが、要は、人類に残されている石油は、採掘可能な2.2兆バーレルのうち、未発見のものも含めて、あと1.6兆バーレルしかないというわけだ。
 わずか100年足らずのうちに、人類は石油資源の約3割を消費してしまったことになる。

 この消費率は、年を追うごとに加速度的に高まるため、残りの7割を消費してしまうのに、あと100年もかからないかもしれない。

 この本が書かれた1990年代後半、まだ石油埋蔵の算出には、いくつかの異なる見解があった。
 しかし、2006年になって、オックスフォードで地質学を学び、国際的石油会社でコンサルティングを務めたことのあるジェレミー・レゲットは、その著書 『ピーク・オイル・パニック』 で、
 「人類に残された石油は、あと1兆バーレルに過ぎず、石油生産量がピークに達するのは、ここ10年以内である」
 という予測を立てた。

 これが事実ならば、やがて大パニックは必至である。

《バイオエタノールは信頼できるのか?》

 しかし、化石燃料の代わりとして、トウモロコシ、サトーキビ、大豆などを原料としたバイオエタノールの実用化が急速に進んでいるではないか、という人がいるかもしれない。
 
 この本が世に出た90年代の後半、まだバイオエタノールの実用化は現在のように進んでいなかった。
 だが、著者はすでにバイオエタノールに関しても、疑義を提出している。

 「再生可能なバイオマス(生物)から生産する新しいエネルギー源の開発が急ピッチで進められているが、バイオマスエネルギーは、将来の人口爆発とエネルギー不足による食糧危機と必ず衝突するだろう。
 アメリカではトウモロコシからエタノールを製造する試みがあるが、得られるエネルギーに対し、投入するエネルギーは1.4倍という試算がある。サツマイモから作るには2倍必要となる」

 このエネルギー配分は、もしかしたら現在の技術改良によって、変わっているのかもしれない。
 しかし、砂漠や海底にも眠っている石油資源に比べ、有限な耕地で生産される穀物エネルギーが、寒々しいほど有限であることには変わりない。

《温暖化の前に訪れる危機》

 この書物の斬新な点は、現在、環境問題の筆頭に挙げられている「地球温暖化」などよりも前に、さらに深刻な危機が来ることを指摘していることだ。

 「温暖化とは、化石燃料の使用などによるCO2(二酸化炭素)や、人工のフロンの放出などで、温室効果ガスの濃度が高まり、太陽と地球の間のエネルギー収支のバランスが崩れ、大気温度が上昇することである。
 その結果、海面上昇で水没する地域が発生するほか、熱帯地方特有の疫病の拡大、農作物収穫量や生態系の変化などが生じると予想される。

 しかし、将来の自動車の生命線を握っているのは環境問題ではなく、エネルギー問題である.
 本当の危機は、エネルギーの枯渇によってもたらされる。

 エネルギー資源が枯渇するにしたがって、否応なく経済が縮小するとともに、CO2排出も、廃棄物も化学物質も減少し、環境問題はおのずから“解決”の方向に向かうだろう。
 今日の自動車は、温暖化や大気汚染をはじめとする環境問題の元凶として捉えられているが、それはエネルギーの供給が続くと仮定した場合の話であって、本当の自動車の危機は、エネルギー資源の枯渇にある」

 さらに、悲観的な気持ちにさせるのは、石油だけでなく、石炭、天然ガス、鉄、銅、ウランといった、液化燃料以外の化石燃料や鉱山資源も、いま急速に枯渇しているという指摘。
 石炭の確認埋蔵量は、あと200年分あるが、天然ガスは、あと60年分だとか。

《地には馬車。海には帆船》

 このように、すべてのエネルギー源が枯渇した地球の未来社会はどうなるのだろうか。

 「いずれ人類は、日が暮れたら水を飲んで寝る生活になるだろう」
 と筆者はいう。

 別の専門家によると、
 「地上には馬車が復活し、海には帆船が浮かぶようになる」
 とも。

 まるで、SF小説のディスユートピアの世界が訪れるような印象があるが、しかし、この筆者は、まだ人類の英知への期待を完全に失ったわけではない。

 この本が世に出た1998年の前年、トヨタのプリウスが誕生している。
 
 この国産車初の量産型ハイブリッド車を例に採り、筆者はいう。
 「ハイブリッド車は、停止時はエンジンが停止するので、停車が多いような使い方では燃料の節約が可能だ。
 発信時や部分負荷で走るときは、電気自動車の効率の良さを生かした純電気自動車になる。
 加速時はバッテリーからも電力を供給する。電力はエンジンでつくり出す。外部電源からの充電も可能となる」

 それだけの記述なのだが、ここは、筆者がこの本で唯一肯定的な評価を下している箇所である。

 その言外の含みにおいて、人類は、石油が枯渇する前には、このような時間稼ぎを行いながら、もしかしたら、画期的なエネルギー対策を講じるかもしれない、という思いがあるようにも感じる。
 沈黙を守りながらも、自動車技術者として、祈るような期待を抱いている風情が伝わってくる。

 この本が、良い意味で、作者の予言を裏切ってくれる本であってほしいと思う。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 02:00 | コメント(0)| トラックバック(0)

ちょんまげコント

《鉄砲伝来》

南蛮人

【南蛮人】 私たち、鉄砲もってきました。コレすごい威力。バーン!
【漁  師】 この鉄の棒で殴るってか?
【南蛮人】 違います。遠いところからバーン
【漁  師】 そんな重いもん、遠くまで飛ばんがな
【南蛮人】 違います。この穴からバーン
【漁  師】 何が出るっての?
【南蛮人】 穴からタマ、バーン
【漁  師】 けっ、つまんねぇ! たまにはスドーンとか、バキューンとか
        いえよ


《武田家の密談》

【信玄】 なぁ、勘助。南蛮渡来の鉄砲なるもの、わしらにも手に入らん
      か。
信玄1

【勘助】 は、鉄砲を手に入れましても、火薬に使う硝石がなければタマ
      は撃てません。
勘助1

【信玄】 硝石はどのように作るのだ?
【勘助】 しかとは存じませんが、鷹の爪をみじん切りにして、熱したゴ
      マ油にじっくり溶け込ませるのだと聞きおよびまする。
【信玄】 トウガラシの粉末ではいかんのか?
【勘助】 市(いち)で売るようなものには、そのようなものはございま 
      せん。が、手作りで進めれば、可能かと存じます。
【信玄】 それが首尾よく整ったとしても、実戦で使う場合は、酢としょ
      う油の配分がむずかしいの。
【勘助】 は、しもじもの話によりますれば、まず酢を先に皿に注ぎ、し
      かるのちにしょう油を加え、最後に先ほどの鷹の爪で味付けし
      たゴマ油を垂らすのだと聞きおよびまする。
【信玄】 焼き具合もむずかしかろう。
【勘助】 まず鍋に少量の油を引き、次に茶碗一杯の水を注ぎ、蓋をい
      たしまする。
【信玄】 焼き具合は、どのように測る?
【勘助】 水がなくなれば、首尾よく完了かと。そのときには裏に焦げ目
      がついておりまする。
【信玄】 なるほど。それが餃子を焼くコツか…。酒より白米と合いそう
      だの。
【勘助】 御意(ぎょい)。
【信玄】 ……
【勘助】 ……
【信玄】 …なぁ勘助。しょせん、我らには天下は取れんということか。
【勘助】 …御意… 

  
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:45 | コメント(2)| トラックバック(0)

「炎の門」

 ギリシャ史のテルモピュライの戦いをテーマにした「300」(スリーハンドレッド)が6月9日から上映される。
 西洋チャンバラが好きな私としては、気になる映画だ。

 紀元前400年頃、ギリシャに押し寄せた約8万のペルシャ陸軍を、たった300人のスパルタ兵がテルモピュライという天険の要害で食い止め、全軍玉砕するも、ギリシャが最終的な勝利を得るための、貴重な時間稼ぎをしたという話だ。

300

 「グラディエーター」、「キングアーサー」、「トロイ」、「キングダム・オブ・ヘブン」、「アレキサンダー」などはすべて見てきたので、おそらくこれも見ることになるだろうけれど、映画以上に面白い本を読んでいるため、期待は半分といったところか。

 テルモピュライの戦は、日本ではあまり馴染みがないので、それをテーマにした小説というのは、意外と少ない。
 4年ぐらい前に発売された 『炎の門』(スティーブン・プレスフィールド作・三宅真理訳)は、日本で読めるテルモピュライの戦いの全貌を知るうえで、ほとんど唯一の文献になるのではないかと思っている。

炎の門

 私の“読書室”は、だいたい通勤電車の中だが、この小説を読んでいたときは、通勤電車に乗るが待ち遠しかった。
 それだけ、面白い本だった。

 なんといっても文章がうまい。
 原文も良いのだろうけれど、訳文もこなれていて、昔の翻訳もののようなギコチなさがまったくない。

 次に、この小説の特徴として挙げられるのは、豊かな情報量。
 文化史、風俗史、生活史に対する相当な資料的裏づけがあるのだろう。
 スパルタ人を含めた古代ギリシャ人が、何を食べ、どんなところで寝て、何を恥とし、どんな人生観、宗教観を抱いていたのか。
 それがあたかもホームドラマでも見ているような具体性をもって描かれている。

 特に軍事訓練の描写、戦闘シーンの描写などは、作者が特派員として戦場を駆け回りながら、食い入るようにビデオを回したかのような印象を受ける。

 古代の兵器が、肉体に与える損傷の描写が法医学的な実証性を持ち、なんとも凄絶だ。
 「膝を折ったまま、自分の腹からこぼれ出る内臓を呆然と眺めている兵士」
 なんて表現を読むと、ちょっとなぁ…という気分になるときすらある。
 記録に残ることもなく死んでいく敵兵(ペルシャ兵)に対しても、きっと悲しむ家族がいるだろうな…などと、いらぬ感情移入までさせてしまうような描写だ。

 そういう生々しいリアリティを実現させるために、この作家はきわめて戦略的な手法を採った。
 事件の流れを観察する“目”に徹した語り部をひとり設定したのだ。
 スパルタ兵の従者となって働いていた青年が、ペルシャ兵に捕虜となり、ペルシャ王であるクセルクセスの前で語るという設定なのである。

 これは実に巧妙な手法だ。
 クセルクセス王は、いうまでもなく、言語も文化もギリシャ人とは異なるペルシャ人である。
 当然、スパルタ人のことを知らない。
 そこで、この小説は、スパルタの文化や習慣などを、ペルシャ王に説明するという体裁をとって、ともすれば煩雑になりがちな文化や習慣の解説を、ごく自然な形で読者に提供することに成功した。

 その文体の構成がなかなか見事だ。
 まず読者に耳なじみの強い、現代的な比喩は一切使わない。
 たとえば、司馬遼太郎あたりなら、
 「おそらく、ペルシャ人が体験したものは、現代なら戦闘機による機銃掃射のようなものであったろう」
 などと書くところだが、この作者はそういう表現をしない。
 比喩はすべて、紀元前400年前に、ギリシャ人が見たもの、触ったもの、聞いたものに限られる。

 「海岸から矢が届くほどの距離にある平原」
 「競技場ほどもある天幕」
 「鏡のごとく磨き上げられた楯」
 「大蛇のウロコさながらに、整然と一糸乱れることなく前進する隊列」

 ホメロスの 『イリアス』 を彷彿とさせるような雅(みやび)な比喩が多用されるわけだが、そういう古典的な比喩とかみ合いながらも、「殲滅」、「殺戮」、「虐殺」などという物騒な現代漢語が随所に配され、優雅さを損なうことなく、緊張感を高めている。


 この本のテーマは「男」である。
 「スパルタ以外のポリスは、記念碑と詩をつくる。スパルタは男をつくる」
 という言葉があるらしいが、スパルタの理想とする男とは何であったのか?

 それが、スパルタの男たちに施される軍事訓練の描写から伝わってくる。
 
 機械のように正確に作動する殺人集団になるために、過酷な訓練を受ける少年たち。
 その訓練の途中で脱落する者は、容赦なく切り殺されてしまう。
 武芸より、芸術や文学を好む人間は、このスパルタでは生きていけない。
 近代的な反戦思想家が読んだら、目をむいて卒倒しそうな世界だ。

 そのスパルタ軍を象徴するのが、楯を並べて槍を林立させる密集部隊(ファランクス)である。
 この歩兵戦術は、自分の楯で自分を守るのではなく、常に左隣りの兵を守ることによって成立する。

 もし恐怖に駆られて逃げ出す人間が一人でも出れば、そこがほころびとなって、隊列全体が崩壊する。
 仲間への「責任」がこれほど試される陣形はほかにないだろう。

 個人の人格や生命すら無視するような過酷な訓練は、すべてこの密集隊形を維持させるためのものでしかない。
 スパルタは、この密集隊形の強固さで、全ギリシャ軍隊の頂点に立った。


 最後の戦いを前に、ある上官が部下たちに演説する。
 「今日、お前たちが守らなければならないものは何か?
  それは、スパルタという国家でもなければ、国に残る家族でもない。
  戦士としての名誉や死後の名声でもない。
  守らなければならないのは、自分の楯の左側に並んでいる仲間だ。
  そこにこそ、先に語ったすべてのもの(国家・家族・名誉)がある」

 このような密集歩兵部隊という完璧な「戦闘マシーン」をつくったスパルタは、歴史に何を残したのか。
 作者は、登場人物のひとりであるスパルタ王のレオニダスに、こう語らせている。

 「後世の著述家は、かつてスパルタがあったといわれる村々を訪れ、そこを発掘したあげく、ここにはアテネやテーバイ、コリントにあるような神殿、劇場、記念碑が何もないことを知るだろう。
 そして彼らは伝えるだろう。
 スパルタは遺跡として残るような文化を何ひとつ残さなかったと。
 しかし同胞よ。
 このテルモピュライの戦い…これこそ我がスパルタ人が、後世に残す“遺跡”なのだ」

 最後の戦いは凄惨を極める。
 破滅に向かって絶望的な戦いを続けるスパルタ兵たち。
 しかしその戦闘のなかで、かつてイジメに近い陰湿な処罰を部下に与えた上官が、その部下を死を賭してかばい、主人の死を1秒でも遅らせるために、従者が主人の楯となって、先に死んでいく。

 現在のテルモピュライには、このときのスパルタ兵をたたえる碑文があるという。
 
 「旅人よ、行ってラケダイモン(スパルタ)の民に伝えよ。
  われら国を守りて、ここに眠ると」

 ギリシャ史をひもとくと、必ず出てくる有名な句だ。
 この碑に詠われた300人のスパルタ人は、全滅したが、彼らが演じた死闘は、2,400年経った今でも、映画や小説で繰り返されている。

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 02:10 | コメント(4)| トラックバック(0)

空気が読めない人

 「空気が読めないヤツ」という表現がある。
 3~4年ぐらい前から聞くようになった言葉だと思う。
 人の輪のなかで、1人だけ場違いな行動をとったり、雰囲気を乱すような発言をしておきながら、自分でそのことに気づかない人間のことを指す言葉だ。

natukumo
 
 最初この言葉を耳にしたとき、良い表現だな、と思った。
 言い得て妙で、その言葉を口にする人は、とても繊細な神経を持っているように感じられたものだった。

 しかし、今はこの言葉が嫌いだ。
 その言葉を口にする人たちの多くが、今や「場の雰囲気」どころか、人間の心の動きなどにまったく頓着しない人たちになってしまったように思えるからだ。

 最近はむしろ、「あいつ、空気が読めねぇなぁ…」
 と言われる人の方が、案外正しかったりするケースが増えたように思う。
 人のつながりのなかで、なれ合いを拒否し、むしろ積極的に何かを提案したり、新しいメッセージを発信しようとしている人が、こう呼ばれてしまう気がする。

 そういう積極的な提案や新しいメッセージは、時として、会議の場や遊びの場では、惰性で流れていくことを好む人たちの耳に痛い。
 
 その場合の手っ取り早い口封じに使われる言葉が、最近は、
 「空気の読めないヤツ」
 なのだ。

 この言葉が“生命”を保つのも、あとわずかの間だろうという気がする。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 23:49 | コメント(4)| トラックバック(0)
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