町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

最近の記事
新ブログのご案内
04/28 17:06
久々の更新です
04/27 19:06
3・11以降
04/12 09:56
人類に残された資源
04/05 10:18
ザ・ウォーカー
04/03 00:53
島尾敏雄・贋学生
04/02 03:45
日本人は変わるか
03/31 01:36
渚にて
03/26 02:03
テレビは終わった
03/23 00:23
明かりの果ての闇
03/21 08:05
東電を怒る父さん
03/18 17:00
深い言葉
03/16 09:53
何かが変わった
03/15 00:06
災害時のキャンカー
03/13 16:18
大地震
03/12 13:16
ジュリアンオピー
03/11 02:35
親孝行ビジネス
03/08 20:02
OMCの北斗
03/07 00:18
アレクサンドリア
03/05 15:49
AtoZのバンビ
03/03 20:36
かるキャン
03/02 18:39
ハーレーの魔力
02/28 21:59
パークウェイ
02/23 18:59
CG880
02/20 13:11
忙しいぞぉ!
02/18 22:01
都市型キャンプ場
02/09 23:55
ファビュラス日本
02/07 19:32
老人の孤独
02/06 20:36
「都会」 の匂い
02/05 01:53
エジプトでは何が?
02/04 15:44
同人雑誌仲間
02/03 00:20
自己啓発ビジネス
02/01 02:10
ノスタルジー
01/30 05:23
夫婦の会話の危機
01/28 23:58
その一服は必要か
01/24 23:40
荒野の炎
01/23 19:43
山口冨士夫の精神
01/22 03:11
焚き火で育つ感性
01/20 19:55
キャンカー1人旅
01/19 01:37
車中泊の社会実験
01/17 15:40
個人の時代
01/16 11:50
細くなるネクタイ
01/13 20:32
映画アバター
01/12 20:07
若者の考える商売
01/11 14:36
パリッシュの絵画
01/09 04:00
300万アクセス
01/08 12:15
不思議な青空
01/07 21:04
TV・新聞の凋落
01/06 19:44
中国ルネッサンス
01/05 20:19
ベルイマン・沈黙
01/04 21:33
出来事いろいろ
01/03 02:43
謹賀新年
01/01 00:48
オールドマン
12/30 18:53
好奇心の力
12/29 14:28
「孤独死」の原因
12/27 20:17
廃墟のある島
12/26 02:48
遠いクリスマス
12/25 01:06
ロビン・フッド
12/24 03:48
地獄の電車
12/23 11:35
バッグス・バニー
12/22 02:59
正義の話をしよう
12/19 23:46
空気人形
12/18 13:10
ジジイ同士の酒
12/17 04:32
世界ゲーム革命
12/14 02:47
ハイマー懇親会
12/13 16:11
ガールズキャンプ
12/12 23:48
イタリアをめざせ
12/10 15:15
外来種の驚異 Ⅱ
12/09 00:41
外来種の脅威とは
12/08 20:46
Kポップの台頭
12/07 01:19
うつろひ
12/06 01:21
海老蔵さんの悲劇
12/05 01:07
追悼ジョンレノン
12/03 04:52
「個性化」のワナ
11/30 04:13
戦うブログ
11/29 04:09
子供の自然体験
11/28 04:50
RV好きの芸能人
11/26 01:01
胃の中にヘビ
11/25 16:12
消えた秋
11/22 14:14
歌謡ブルースの謎
11/20 04:29
おひとりさま時代
11/19 00:33
3行で総てを語る
11/18 00:15
塔の形而上学
11/17 02:04
裕次郎スナック
11/15 23:10
自然は子供を養う
11/12 20:28
おれ、ねこ
11/10 01:19
NHK車中泊報道
11/09 17:17
お台場パラダイス
11/08 20:34
伝える力
11/05 00:12
お台場ショー迫る
11/04 02:02
昔は戻らない
11/03 02:11
電子タバコ
11/02 00:04
一般国道の不思議
10/29 18:25
酒場放浪記
10/26 22:25
名古屋RVショー
10/25 19:25
ハイマーカー322
10/21 12:31
猫会議
10/21 00:05
飽きるという知恵
10/20 01:28
ロボット兵器
10/19 02:52
最近のコメント
突然の書き込み失礼…
最近の流行 05/12 00:01
はじめまして~文…
すまそ 05/08 16:44
>TJさん、ようこそ…
町田 04/28 13:47
>TJさん、ようこそ…
町田 04/28 12:06
便利+楽=快適、これ…
TJ 04/28 10:05
町田さん久しぶり…
motor-home 04/28 06:07
やはり、時代の変化・…
TJ 04/21 02:27
私はこのところ「自然…
磯部 04/12 14:52
>aki さん、よう…
町田 04/12 10:18
何度も投稿ボタンを押…
aki 04/08 10:57
>aki さん、よう…
町田 04/08 09:13
今のVWに乗り換える…
aki 04/07 15:19
>雷さん、ようこそ。…
町田 04/06 15:20
>ミペット@倉庫の肥…
町田 04/06 13:46
>JoeCoolさん…
町田 04/06 11:06
キャンピングカーは、…
雷 04/05 21:37
率直に言うと、研究所…
ミペット@倉庫の肥やし保存中 04/05 20:10
町田さま度々失礼…
JoeCool (in Peanuts) 04/05 12:56
>aki さん、よう…
町田 04/05 11:14
今のこの国の空気、ど…
aki 04/04 10:32
>solocarav…
町田 04/01 11:08
>JoeCool さ…
町田 04/01 10:32
>ムーンライトさん、…
町田 04/01 09:56
>赤い屋根さん、よう…
町田 04/01 08:53
「心に届く言葉」・・…
solocaravan 03/31 23:23
今回のように社会全体…
雷 03/31 23:05
米国では9.11の前…
Jo 03/31 11:21
米国では9.11の前…
JoeCool 03/31 11:19
米国では9.11の前…
JoeCool 03/31 11:05
そうだ、普遍性だ。…
ムーンライト 03/31 09:31
町田さんおはようござ…
赤い屋根 03/31 07:50
>おおきに! さん、…
町田 03/30 15:47
>雷さん、ようこそ。…
町田 03/30 14:57
>雷さん、ようこそ。…
町田 03/30 14:33
町田編集長さん こん…
おおきに! 03/29 08:29
今回の震災では、各局…
雷 03/28 21:22
本作品のリメイクであ…
雷 03/28 21:09
>おおきに! さん、…
町田 03/23 19:54
町田編集長さん こん…
おおきに! 03/23 07:48
>s-_-s さん…
町田 03/23 01:19
>ムーンライトさん、…
町田 03/23 00:46
人間は電気によって闇…
s-_-s 03/22 22:55
追記です。先ほど…
ムーンライト 03/22 14:24
数日前、市内の大型ス…
ムーンライト 03/22 12:24
>ブタイチさん、よう…
町田 03/22 03:09
お久しぶりです。町田…
ブタイチ 03/21 22:54
>鈴木様、ようこそ。…
町田 03/19 23:12
>ムーンライトさん、…
町田 03/19 22:35
今日、店からはじめて…
デルタリンク宮城 03/19 19:40
この「東電を怒る父さ…
ムーンライト 03/19 11:45
>ゆんたさん、ようこ…
町田 03/19 09:11
言葉に出して誰かに代…
ゆんた 03/19 07:50
>鈴木 様本当に…
町田 03/18 00:00
町田さん、ご心配あり…
デルタリンク宮城 03/17 20:52
>鈴木様コメント…
町田 03/17 16:04
>TOMYさん、よう…
町田 03/17 14:39
町田さんこんにちは。…
デルタリンク宮城 鈴木 03/17 11:32
こんばんは、町田さん…
TOMY 03/16 20:23
世界中に5億人を超え…
フェイスブック 03/15 11:30
>s-_-s さん、…
町田 03/14 00:28
町田さんご無事で何よ…
s-_-s 03/13 22:55
>ムーンライトさん、…
町田 03/12 17:43
町田さん。ご無事でし…
ムーンライト 03/12 16:25
>YAMAさん、よう…
町田 03/12 13:33
シンプルな風景画、い…
Yama 03/11 12:14
>渡部竜生さん、よう…
町田 03/10 02:33
>キャンピングカーと…
渡部竜生 03/09 14:02
>スパンキーさん、よ…
町田 03/08 19:22
いいですね、北斗。久…
スパンキー 03/07 13:52
>マッキー旅人さん、…
町田 03/03 22:45
町田さん、今日は。…
マッキー旅人 03/03 16:23
>ムーンライトさん、…
町田 02/28 22:42
町田さん。アマゾ…
ムーンライト 02/24 10:29
>渡部竜生さん、よう…
町田 02/19 05:42
>小平の福ちゃん様、…
町田 02/19 05:31
>matsumoto…
町田 02/19 05:18
>solocarav…
町田 02/19 05:03
>el さん、ようこ…
町田 02/19 04:50
>旭川の自称美女さん…
町田 02/19 04:14
幕張ではお世話になり…
渡部竜生 02/19 00:58
ご無沙汰しております…
小平の福ちゃん 02/19 00:03
お久しぶりです。ma…
matsumoto 02/14 07:35
ぜひ実現させたいアイ…
solocaravan 02/11 20:59
だいぶ経ってからのコ…
旭川の自称美女 02/11 11:51
町田さん、こんにちは…
el (エル) 02/11 11:11
>TOMY さん、よ…
町田 02/10 00:21
こんばんは、町田さん…
TOMY 02/09 21:45
>ムーンライトさん、…
町田 02/09 15:38
>ゆんた さん、よう…
町田 02/09 14:48
>Joe Cool …
町田 02/09 13:46
>磯部さん、ようこそ…
町田 02/09 11:54
「ゆんたさん」の文章…
ムーンライト 02/09 11:46
>TJさん、ようこそ…
町田 02/09 11:22
色々なことを考えまし…
ゆんた 02/09 06:36
同居していて5年前に…
JoeCool 02/08 16:01
最初に、このブログを…
磯部 02/08 05:14
写真で見る限り「FA…
TJ 02/07 21:20
>aki さん、よう…
町田 02/03 00:58
人生にドーピングはな…
aki 02/01 10:07
最近のトラックバック
ザ・バンド
12/11 09:46
鉄道の魅力、立体的に
09/10 07:38
関越高速道・・・寄居…
07/24 09:18
女性目線で見たキャン…
03/05 10:18
かるキャン 画期的な…
02/26 06:14
「くるま旅くらし読本…
02/06 10:22
言葉にならない
01/13 20:10
電動ポルシェ!?その…
10/31 09:50
路地裏
08/18 09:49
「すべての男は消耗品…
08/17 20:24
ガマの油
06/15 21:53
「ガマの油 」ちょっ…
06/15 07:58
52nd
04/25 21:52
007 カジノ・ロワ…
02/02 01:18
関西(大阪・京都・神…
01/30 05:21
【ネットができる宿|…
01/05 19:52
4輪&2輪
09/22 16:41
『秘伝 大学受験の国…
09/19 03:09
LPガスボンベ
07/26 11:37
ロス
05/28 22:39
テスト
05/28 22:36
大阪キャバクラnig…
04/26 20:37
キャバクラ/ニューク…
04/09 17:32
キャバクラ嬢ご用達し…
03/14 14:32
気になるキャンピング…
03/08 07:08
キャバクラ求人-Ag…
02/23 14:41
キャバクラ情報誌クラ…
02/22 19:14
No6 LPガスの充…
02/14 14:47
大阪キャバクラブログ
01/20 21:35
御当地!プルバック・…
12/20 00:53
カップヌードル
08/09 01:54
【キャンピングカー】…
08/05 16:23
【キャンピングカー】…
08/05 16:20
村松友視の「淳之介流…
08/04 11:11
荒井千暁著『職場はな…
06/29 22:35
元ちとせ/千の夜と千…
04/15 01:55
軽自動車エッセのうる…
03/26 08:21
カーナビの渋滞回避?…
03/10 20:07
車中泊なら虫の心配い…
03/07 18:35
こんなキャンピングカ…
03/07 03:56
キャンピング&RVシ…
03/02 01:17
キャンピング&RVシ…
02/23 18:45
キャンピング&RVシ…
02/18 06:43
キャンピング&RVシ…
02/17 00:23
ZECC(ゼック) …
02/15 23:27
トイレどうする?
02/15 10:25
キャンピング&RVシ…
02/10 21:46
新古車
02/04 17:19
軽自動車キャンピング…
01/25 13:10
ブレードランナー
01/14 12:03

トンでも検索 Ⅱ

  検索エンジンを使ってお越しいただく読者の「検索ワード」を調べてみると、読者がどのような情報を求められているのか、また世の中の関心が、どのような方向に向いているのか、およその傾向が分かって面白い。
 今回は、昨年暮れに書いた「トンでも検索用語」の最近の傾向をレポートしてみたい。

 このブログにおいては、やはり圧倒的に多いのが、軽自動車キャンピングカーに関するアクセスである。

 「軽キャンカー」
 「軽自動車キャンピングカー」
 「小型キャンピングカー」

 …などという検索ワードでお越しいただいた方は、この1月だけでも約500件。昨年からの累計では、3,000アクセスを超える。
 それだけのご要望をいただきながら、このテーマでは思うような情報発信ができていないのは面映いかぎり。
 今後、こちらにも力を入れていきたい。

 それと同じくらい、最近増えてきたのは、団塊の世代とキャンピングカーを絡めた情報に対する検索。

 「退職夫婦 趣味 団塊」
 「団塊世代 キャンピングカー 背景」
 「団塊の世代の旅行形態」

 2007年に入って、団塊世代の定年退職が始まることを反映してか、昨年暮れあたりから、こういう検索がめっきりと増えてきた。
 ただ、団塊の世代というのは、それなりの悩みも抱えているらしく、

 「団塊 妻が夫を捨てるとき」
 「団塊世代 足りない」

 などという言葉の入力で、お越しいただいた方もいる。
 「妻が夫を捨てるとき」という検索ワードもリアルだが、「足りない」というのはどういう意味なのだろうか。
 「お金が足りない」
 「妻への配慮が足りない」
 「良識が足りない」
 いろいろ考えさせられるような含みもあって、かえって身につまされる。

 相変わらず、東京・町田市の情報を求められる方々も迷い込んで来られる。

 「町田第一小学校ってどんな学校」
 「町田在住 女性社長」
 「町田を舞台にした小説」
 「メイド喫茶町田」

 単に「町田カラオケ」、「町田串揚げ」というシンプルな検索から、より進化(?)した感じだ。

 アカデミックなテーマに関する検索もバラエティに富んできた。

 「バウハウスに至るモダンデザインの展開」
 「西欧において体型的な衣装が始まった理由」
 「タイタニックとアールデコ映画」
 「アメリカ 60年代 スタインベック 大量消費」
 「ニッチ商品 多様化 ロングテール」
 「ロココ文化とは」

 こういう情報を求められる方に対しては、満足なお答えはできていないと思うが、このブログがなんらかのヒントになってくれればうれしい。

 しかし、ここ最近の傾向として、いちばん驚いているのは、「混浴温泉の盗撮」に絡むアクセスが、ものすごい勢いで伸びていることだ。

 「混浴温泉 写真 女」
 「温泉 裸 盗撮スポット」

 これは昨年暮れに、群馬県の宝川温泉を取材で撮影したという記事を書いたことが影響している。
 その記事では、
 「昔は、取材記者に場内を撮影させたこともあったが、盗撮が社会問題になってきた今では、それは無理だろう」
 と書いたつもりだった。

 ところが、この「混浴温泉 盗撮」という言葉に、多くの方が騙された(?)らしい。
 たいていの方は、このブログを開かれてガッカリされたと思うが、こちらは急なアクセスの増加にびっくり。
 盗撮の犯罪性やモラルの問題があれだけマスコミなどで取り上げられたというのに、潜在的な部分では、男性の欲望の構造が少しも変っていないことを示唆する例かもしれない。

 一方、理解に苦しむような検索ワードも、相変わらずまぎれ込んで来る。
 最近の“不思議ワード”は、
 
 「クマ惑星少女映画」

 そういう映画でもあるのだろうか。
 ちなみに、私もこの言葉で検索してみたが、該当する情報は何もなく、もちろん私のブログにもたどり着くことはなかった。
 誰か、謎のクマ惑星少女を探してくれぇ!

 「競馬 ブラックミュージック 介護」
 
 これも謎の検索ワードだ。
 この三つの関連がまるで分からない。
 それとも、これは「この三題話でコントでも作れ」というリクエストなのだろうか。

 相変わらず「ミニスカートのスナックママ」に絡んだものも続いている。

 「スナックママと○○○○(個人名)」
 「俺バツイチとスナックママ」

 こちらの世界は、ますます“深みにハマってきた”感じもする。

 「スナックママが客のことを好きと言った」

 という検索ワードもあった。
 書き込んだ方が、どういう心境で、何を知りたかったのか、手に取るように分かる。
 たぶん(推測するに)、スナックのママさんから、「好きよ」という告白を受けたのだろう。
 それは本気なのか?
 それとも営業用のお世辞なのか?
 その真意を探るために、私のブログまでお越しいただいたのは身に余る光栄である。
 ただ、お役に立つような回答がなかったと思うので、ごめんなさい。
 こちらからメッセージを送ることはできないが、「頑張れ!」と言いたくなってしまう。

 今回の『傑作賞』は、次のものに決定!

 「大塚愛の足のサイズが写ってる画像」

 う~ん…。意味がよぉーく分からないのだけれども、なんとなくこの言葉には、おかしみが漂っている。

 しかし、どうしてここまでたどり着けたのかは、まったくもって不明。大塚愛さんや足のサイズがテーマとなるような記事は、一度も載せたことがない。

 ちなみに、私も「大塚愛 足のサイズ」で検索をかけてみたが、30~40ページをめくっただけでは、ここにたどり着くことはなかった。
 前回と同じシメ方になるが、
 「遠路はるばる、ご苦労様でした」
 と言ってあげたい。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 03:37 | コメント(4)| トラックバック(0)

赤信号でも渡れ

 交差点で、歩行者として信号待ちしているとき、はるか遠くまで見渡しても、クルマの姿が見えないときがある。
 信号を無視して、歩いて渡ることは充分に可能だ。

 さて、あなたは、その場合、渡りますか?
 それとも、信号が青になるまで待ちますか?

信号機

 昔、こういう状況で、職場の同僚と議論したことがある。
 その男は、本当に、人と論争するのが好きな人間だった。
 特に、酔ったときなど、日頃の自分の主張をひるがえしてまでも、他人の言うことに反対するための議論を挑んだ。
 要するに、ディベートが趣味なのだ。

 その男と信号待ちをしているとき、
 「渡りましょうよ、クルマが来ないんだから」
 と、うながされた。

 渡ってもよかったのだ。
 私たちは急いでいたから。
 しかし、同じように信号待ちをしている、幼児を連れた母親がいた手前、私は、
 「青になるまで待とうよ」
 と返事した。

 「なぜです?」
 議論好きの彼の目が光った。

 「だって、子供が見ているじゃないか。その子供が、“お母さん、あの人たち赤信号で渡っていったよ”などと言い出したら、お母さんの立場がなくなるじゃないか」
 
 私はハマってしまったのだ。
 彼の術中に。
 「それはおかしいですよ! だから日本の子供たちはダメになってしまう」
 と、彼は言い始めた。
 「信号が、赤だろうが青だろうが、渡ることが危険なのか、危険じゃないのか。人間は、幼いうちから自分で判断する能力を身に付けなければいけない」

 交差点の前で議論が始まった。

 信号が変って、歩き出しながら、今度は、私が彼の意見に反論を加えた。
 「幼児の認識力というのは、訓練された大人のものとは違う。特にクルマのスピードの捉え方が、大人と子供では異なる。
 危険かどうかの判断は、ある程度ルールに則った生活を繰り返していくうちに身に付くものだ。だから、ルールを無視するような行動を、大人がとってはいけないんだよ」

 待ってました! とばかりに、彼は食い下がってきた。

 「ルールが正しいという大人の思い込みこそ、子供をダメにしてしまうんですよ。信号を無視しても安全な状況があるということを、子供に判断させることこそ、大人の義務です。
 ルールに従っていれば身が守られる、などと教えることは大人の怠慢だ。それではいつまで経っても、子供は自主的な判断力を身に付けることができない。
 だから、日本人は不意の天変地異に見舞われたとき、サバイバルする力が身に付かないんです」

 その議論は、そこでうやむやになった。
 私は、彼の主張することは、まったくの屁理屈だと思っている。

 しかし、その屁理屈には、奇妙な説得力もある。
 いまだに、
 「あいつの言っていたことも、一理あるよな…」
 と、信号待ちしているときに、よくそのことを思い出す。
 皆さんは、どう思われますか?

 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 02:32 | コメント(6)| トラックバック(0)

TOKIO

 キャンピングカーで地方を旅するようになって、最初のうちは、
 「日本ってなんて暗い国なんだろう」 と思った。

 田舎を走っていると、日が沈むと闇に覆われる土地が多い。
 地方都市に入っても、繁華街を抜けると、ほとんど明かりも漏れてこないような民家が続く。
 東京しか知らなかった私は、最初のうちは、その暗さがとても寂しいもののように思えた。

 しかし、違った。
 東京が 「異常」 であることに気づいた。
 東京の夜の明るさは、とてつもなく、奇妙な、異様な明るさだったのだ。

 東京の夜景1

 まだ、キャンピングカーを知らず、乗用車で都内を遊びまわっていた頃、東京は刻々と刺激的な街に変貌していた。
 特に、夜の東京の変りぶりはすさまじかった。
 イルミネーションのデザインがどんどん洗練されていき、昼とはまったく違った表情を現す街が現れるようになっていった。
 私の記憶では、ちょうど80年代に入った頃である。

 「都市の遊戯化」 というのだろうか。
 小さなテーマパークのようなスポットが、その頃の東京には、あちらこちらに吹き出すようになったのである。

 80年代の中頃、東名高速の用賀インターを降りた環八沿いに、 「デニーズ」 と 「プレストンウッド」 、そして 「イエスタディ」 という3軒のレストランがほぼ同時に建てられたことがあった。

用賀プレストンウッド
▲ プレストンウッド

 アメリカのホワイトハウスを彷彿とさせるような、白亜の建物が並び、いずれもアーリーアメリカン調のデザインが施され、 「アメリカが空から飛んできた」 という感じの異空間が創造された。

 新しいモノ好きな若者がそこに群がるようになり、駐車場には、白いソアラやシーマが順番待ちして列をつくるようになった。

 美しいといえば、美しい。
 虚しいといえば、虚しい。
 環八沿いに生まれた 「アメリカ村」 は、夢の美しさと、夢の頼りなさを同時に持った、ゲーム空間のようなエリアだった。

 あれは何だったのか。

 今は跡形もない、プレストンウッドとイエスタディが並んでいた環八を通るたびにそう思う。

 あの頃の東京は、一瞬だけ、飛んだのである。
 着地点を見定めることもなく、飛んで、思い切り虚空を駆け昇り、そして泡のように消えた。

 1980年の1月にシングルカットされた沢田研二の 『TOKIO』 は、上昇気流に乗って、夜空に舞い上がる東京の姿を、いみじくも的確に表現した歌となった。

 空を飛ぶ、街が飛ぶ、雲を突き抜け星になる。
 火を吹いて、闇を裂き、スーパーシティが舞い上がる。

 電飾衣装にパラシュートを背負って、そう歌う沢田研二は、実態から逸脱したものがリアリティを持ち始める 80年代 そのもののように思えた。
 そこに描かれる浮遊感とゴージャス感は、まさにその後に到来するバブル時代の気分を、ものの見事に先取りしていた。

東京の夜景2

 詞をつくったのは糸井重里だが、今さらながら、彼の時代を先取りするセンスには舌を巻かざるを得ない。
 バブルを呼んだのは、まさにこの歌自体だったかもしれないとすら思う。

 『TOKIO』 の歌詞には、次のような一節もある。
 …欲しいものなら何もかも手に入る。
 …海に浮かんだ、光の泡。

 この歌が、よく 「バブルの精神を体現する」 といわれるときに、引用されるフレーズだ。

 泡のように消えることが美しい。
 そういう感性は、モノを次から次へと生産し続けるためには、片端から消費しなければいけないという、あの時代の感覚を反映している。
 消費という概念に美意識が結びつき、 「消費の美学」 などという言葉が大手を振っていたのも、80年代の特徴だったように思う。

 だが、その消費の美学は、地球の温暖化、エネルギー資源の枯渇、大量のゴミの排出など、さまざまな副産物を後の時代に残した。

 今、キャンピングカーで明かりの少ない地方都市を走り抜けるとき、私はそこに、安らぎを見出している。
 でも、あのとき 『TOKIO』 と呼ばれたい異様な東京の姿も、 「何だったのだろう?」 という疑問とともに、いまだに記憶のかなたから甦ってくる。

 関連記事 「沢田研二のTOKIO」


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:36 | コメント(6)| トラックバック(0)

月代

 お正月以来の完全休養日。やぁ、寝ました。
 いま、目がさめた。
 23:10。
 今日の唯一の生産的な活動というのは、床屋に行ったこと。

 首を左右に振ったときに、バサっと髪が目にかぶさると鬱陶しくてしょうがないんですけど、なかなか床屋に行く余裕がなかった。

 「いつまでも、前髪を垂らした元服前の少年というわけにもいかねぇしな…」
 なんて、カミさんに言ってたら、
 「そうね。もう月代(さかやき)の似合う年だしね」
 って、言われた。

 月代…。
 頭のてっぺんを剃りあげる武士のヘアスタイルのことだけど、別に他意はないよね。カミさん。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:25 | コメント(0)| トラックバック(0)

似ている3人

 自分とそっくりの人間が、この世には3人いるといわれている。
 しかし、たった3人しかいないのか?
 …という気もする。

 私などは、カミさんから、
 「ビートたけし、前田吟、武田鉄也に似ている」とよく言われる。
 それだけで、もう3人いる。
 自分自身は、速水もこみちなどにも、うつむいて笑うときなどは似ているのではないかと思っているが、そういうと、カミさんは動揺するのか、鼻でせせら笑う。
 しかし、内心は、きっとカミさんだって、そう思っているに違いない。

 もし、似ている者同士の3人が、道で偶然に出会ったりしたら、どうなるのだろう。

【A】 あ、お前、オレじゃねぇか?
【B】 そう言うあんたこそ、オレだよねぇ?
【C】 ちょっと待ってくださいよ。あなたちこそ、オレなんでしょ?
【A】 少し落ちつこうぜ。よく整理しないと…。みんな黙っていろよ。
【B】 早い話が、オレはオレなんだけど、あんたたちは何なのさ?
【C】 だから言ったでしょ。オレたちこそオレなのよ。
【A】 みんなオレ、オレっていうなよ! ますます混乱するじゃねぇか。
【B】 つまり、みんなオレってことよ。
【C】 早くそういえばよかったのに。

 もし、これが、偶然同じ場所で、それぞれデートの待ち合わせをしていたら、どうなるんだろう。

【女1】 ごめん! 待たせたぁ? …あれ、なんで3人いるの?
【 A 】 知らねぇよ、こいつら。みんなオレに成りすましているだけだよ。
【女2】 ごめん! 遅れちゃって。あら、コレどういうこと?
【 B 】 オレも、わけ分かんねぇんだよ、こいつら何なんだか…
【女3】 ごめん! 電車が遅れて…。まぁ、あなたはどこ?
【 C 】 ここ、ここ。今日は、オレも混乱しちゃってさぁ。
【 A 】 さぁ、メシ食いに行こうか。
【女1】 ちょっと待ってよ。あんた本物なの?
【 A 】 本物に決まってんだろ! さぁ行くぞ。
【 B 】 待てよ、それはオレの女だろ。いちばん可愛い子取りやがって。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 13:39 | コメント(2)| トラックバック(0)

司馬文学のリズム

 司馬遼太郎の文体は、ロックンロールだ。
 黙読していても、言葉の転がり方が、実に軽快だ。
 読んでいると、気分がうきうきと高揚し、血液中のアドレナリンが毛穴から、いっせいに吹き出して来るような錯覚に襲われる。
 たとえば、こんな感じ。

……元亀元年二月。
  城下にえたいの知れぬ男が入ってきた、といううわさは、その日のうちに広まった。
  いやもう、傍若無人。
  ちょうど城外の長良川畔で、諸国の博労 (ばくろう) があつまる馬市が立っていたが、
  「この馬はなんぼじゃ」
  と、その怪漢が野太くきいた。
   金二枚よ。
  と、博労がいうと、「やすいのう。あとで旅館へ曳いてこい。あまりは
酒でもくらえ」
  と、むぞうさに金をつかみ出し、なんと金で五枚、ちゃらりと投げ捨て
た。
  (狂人か)
  と、みな思ったのはむりはない。

尻啖え孫市」本

 雑賀孫市の活躍を描いた 『尻啖え (くらえ) 孫市』 の書き出しである。
 冒頭の2~3行から、もうこの作者ならではの、独特のリズムがある。

……元亀元年二月。

 という体言止めで終わる短いフレーズをポンと投げて、後はあっさり改行している。
 このわずか7字だけ突出した書き出しは、後に続く言葉と断絶している分、響きが新鮮だ。
 まるでギターがイントロのワンフレーズを弾いたあと、ふっ、と一呼吸おいてリズムセクションがスタートするというような、あのモダンブルースの小気味よさが出ている。

 次に続く文にも仕掛けがある。

……城下にえたいの知れぬ男が入ってきた、といううわさは、その日のうちに広まった。

 何の変哲もない文だが、よく注意すると、
 「入ってきた」 と 「といううわさ」 の間に、えもいわれぬタイミングで、読点がポツンと入っている。
 些細なことだが、ここで、ロックンロールのアフタービートのような“タメ”が生じているのだ。

 アフタービートとは、4拍子の3拍目に強拍を置いた黒人音楽独特のリズム形式だが、その効果は舞踏性をもたらすことにある。
 リズムに 「ねばり 」 と 「揺れ」 が生まれるのだ。

 つまり、マーチのような2拍子型のリズムが、頭に強拍を置くことで、大地を前進していく水平感覚を呼び起こすのに比べ、後ろにアクセントが来るアフタービートは、聞く人間に上下動感覚を呼び起こし、ダンスに臨むような気分をもたらせてくれる。

 司馬遼太郎の文体は、読む人間に、体が踊りだすような躍動感を呼び起こすという意味で、このアフタービートのバイブレーションを持っている。

 その心地よい刺激に、ときどきシンコペーションやブレイクというアクセントが導入され、変幻自在な変化の妙を見せる。

 さきほどの引用文では、
……いや、もう傍若無人。
 というところが、ブレイクに当たる。

 ここで、リズムがスパっと途切れ、聞かせどころのワンフレーズが朗々と響きわたるという計算がなされている。
 『尻啖え孫市』 の書き出しは、ロックンロールの古典 「ロングトール・サリー」 のメロディに乗せて朗読しても、きっと合うはずだ。

 司馬さんが、なぜそういう文章の音響効果に、独特のセンスを発揮できたのか。
 ひとつのヒントがある。
 若い頃、岩波文庫の 『歎異抄』 を、声を出して読んだそうだ。

 「はじめは目でよんでいたんです。そうしましたら、さっぱりわかりませんね。あるとき音読したら、よくわかった。なるほど昔の人は音読していたんだ、ということに気がついて、その後ずっと音読でやりました」 (文春文庫 『手掘り日本史』 )

 つまり、目で読むと、論理的・知的に理解しようとする心が働くから、文の行間にある<ひびき>というものにまで、注意が届かない。
 しかし、<ひびき>を伴なったとき、はじめて書物から伝わってくるものがある。
 そういうことらしい。

 このあたりに、司馬文学の独特のリズム感が生まれてくる秘密がありそうだ。

 よい作家になるための条件はいろいろあると思うが、
 「耳がいい」
 ということも、その一つに入るのではなかろうか。
 彼の使う擬態語を調べてみると、いずれも普通の人間の耳ではとらえられない不思議な音を拾っている。

 「鉄砲の音が、山腹ではねかえり、しゃああん、と反響した」
 「金を、ちゃらりと投げ捨てた」
 「ホタ、ホタと膝をうった」

 どれもありきたりの擬態語のようでいて、類例がない。
 鉄砲の音が反響するなら、普通は 「しゃーん」 であり、「しゃああん」 と 「あ」 を二つ続けない。
 また、金が落ちる音は、せいぜい 「ちゃらん」 だろう。
 ハタと膝をうつ、という言葉はよく聞くが、「ホタ、ホタ 」 という音は聞いたことがない。

 「しゃああん」
 「ちゃらり」
 「ホタ、ホタ」

 このような、独特のオリジナル擬態語を創造できる力というのは、日常の中の音を拾うセンスに長けているということであり、それはとりもなおさず、「耳のよさ」 を証明することになる。
 よい音楽家の条件のひとつに、「耳のよさ」 があるとしたら、司馬遼太郎は、音楽家になっても、一流になっていたかもしれない。

 司馬さんは、「独自の史観をうち立てた作家」 として、理念的なとらえ方をされることの多い人だが、見逃していけないことは、ロックンローラーとしての司馬遼太郎であり、ポップミュージシャンとしての司馬遼太郎である。

 関連記事 「斎藤道三の最期」
 関連記事 「テロリスト歳三」

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 19:44 | コメント(4)| トラックバック(0)

異次元の乗り物

 3本同時進行で抱えていた制作物のひとつが、今日やっと納品。
 国産のバンにそれを詰め込んで、クライアントさんのところまで、東名高速を西へ。

 それにしても、久しぶりに普通の自動車に乗った。
 「地を這うような」車高でびっくり!
 トヨタのプロボックスバンをして、「地を這う…」という表現は奇異に聞こえるかもしれないが、昨年から、日常の足としてキャンピングカーを使っていた(使わざるを得なかった)自分にとって、久しぶりに運転した普通の自動車は、異次元の乗り物だった。

 まず、隣りに並んだ自動車で、見上げるものはあっても、見下ろすクルマがない。
 ルームミラーが使える。
 ときどきウィンカーとワイパーを間違える。
 ま、これは私のキャンピングカーが左ハンドルがゆえの習慣なので、特殊事情かもしれないが、ドアを開けて運転席に座るとき、お尻を乗り上げるのではなく、沈み込ませるという感覚も新鮮だった。

 運転中にラジオを聞いたのも、久しぶりのことだった。
 自分のクルマでは、走り始めるとすぐに音楽CDなどを流してしまう。
 だけど、オーディオのないクルマだったので、ラジオしか聞けなかった。

 ところが、これが面白い。
 デーモン小暮が、悪魔の旅行論を語っている。
 アフリカや南米には、若いうちに行っておけ、としゃべっている。
 コンビニまで歩いて5分が普通だと思っている若者は、何もない土地に行ってカルチャーショックを受けてこいという。
 そういうショックは、年をとってから受けても疲れるだけ。
 若いうちでなければ吸収できない体験をすることが、後の人生を豊かにするとか。

 とっても当たり前の、とても良いことを言っている。
 どこが悪魔の旅行論なのか、よく分からない。

 別の局ではラーメンの話。
 今年は、汁なしソバが流行るそうだ。トッピングがチーズだとか、バジルだとかいうラーメンもどんどん創作されている。
 メンマやナルトといった古典的な具は、今や縮小傾向にあるという。
 ほんまかいな。
 古いラーメンが好きな私にはショック。

 往復4時間。
 久しぶりに普通の自動車を運転した私にとっては、なんだか1ヶ月分ぐらいの知的な刺激を受けたような1日だった。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 19:53 | コメント(4)| トラックバック(0)

後ろ姿に宿る真実

 人間には、顔の後ろに眼がない(もっとも、あったら大変だ)。だから自分の後ろ姿を見ることができない。
 まぁ、顔に眼が付いていても、それで自分の顔を見るということはできないわけだから、人間って、意外と自分の姿を捉えることができない動物だ。

 それでも顔は、かろうじて鏡で見ることができる。
 しかし、背中などになると、これはもう、誰かに写真でも撮ってもらって見るしかない。

 「背中にその人の人生が表れる」
 などという表現があるが、それは、それだけ背中が無防備な状態にさらされているからだろう。

 背中ですら確認するのがたいへんなのに、ましてや、眼の真後ろにある後頭部なんて、さらにどのような変化が進んでいるのか、気づくまでになかなか時間がかかることがある。

 私が、自分の後頭部に異変が生じていることを知ったのは、自分の後ろ姿を写真で撮ってからのことである。

 ホテルのバーから、そのガラス窓を通して、外に広がる夜景を撮るという仕事があった。日本RV協会さんが提唱している「湯YOUパーク」の取材中のことである。
 
 バーでくつろぐ人間の姿も撮りたかった。
 後ろ姿でいいのだが、お客さんを使うわけにはいかなかったので、カメラを三脚で固定し、自分がモデルになって、ウェイターさんに、シャッターだけ押してもらうことにした。

 で、できあがった画像を念入りにチェックしていると、どんな角度から撮ったものでも、必ず自分の後頭部に光が入っている。 
 光線を細く絞った白色の光が、小さな点となって、鋭く後頭部を直撃している。

 「こんな位置にスポットライトがあったかな…? めざわりなライトだ!」
 と舌打ちしながらも、同時に不吉な予感が頭をかすめた。

 その画像をカミさんに見せると、無言である。
 しばらくたって、
 「可哀想だから、今まで言わなかったの」

 …おい、お前、それはどういう意味だ?

 うかつにも、言われて初めて、自分の後頭部を念入りに撫でてみた。
 確かに、感触がある。
 手で触ると、頼りなく、さびしく、悲しくなるような、あるの種の感触が…。
 
 その画像は、実は、このブログのある記事で使っている。
 だけど、それがどこか、ここでは…なんとなく言いたくない。
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 20:54 | コメント(8)| トラックバック(0)

今がピークだ

 「上海がすごい。世界一の超高層ホテル『グランド・ハイアット・シャンハイ』の88階にある展望台からの眺めは、この世のものとは思えない。地平線の彼方まで高層ビルの海だ」
 
 昨日発売された「サンデー毎日」の連載エッセイで、作家・作詞家のなかにし礼さんがそう書かれていた。
 私は、上海という街に行ったことはないが、この記事を読んだり、ときおりテレビのCMなどで流される情景から察すると、上海という街はすごいらしい。

 なかにし礼さんは、さらに次のようにレポートしている。
 「夜ともなると、建物というより街全体に照明とイルミネーションがほどこされ、息を飲むように美しい。
 光の中へ飲み込まれるようにして南京東路の繁華街へ入っていくと、そこもまた光の渦だ。赤や黄色、原色の看板や建物が、ネオンサインとなって輝き、ひしめている。
 若者も大人も楽しげに歩いている。うつむいて歩いている人はいない」

上海夜景

 この描写から分かるように、上海の夜の光景は、ニューヨークやラスベガス、東京以上に華やかなものらしい。

 しかし、なかにしさんは、こうも伝えている。
 「この景色は異常だ。過剰だ。ここまでやるか?
 中国人が地球の温暖化を加速させているという言葉を最近よく耳にするが、あながち間違いではないと思う」
 
 エッセイには、上海の電力消費に対するしっかりした疑義も盛り込まれている。
 しかし、にもかかわらず、なかにしさんは、この街のイルミネーションの輝きを、
 「息を飲むほど美しい」
 と認めざるを得ないことを、正直に告白している。

 私たちは、いま消費文明のピークにいる。
 人類史のなかでも、これほど優雅で美しい文明を持てた時代はなかったのではあるまいか。

 しかし、それは「ピーク」なのだ。

 ジェレミー・レゲットという石油企業のコンサルタントを務めた人が書いた著作によると、人類に残された石油の埋蔵量は、もう1兆バレルしかないという。
 これがどのくらいの量かというと、産出量が頂点に達するポイント(これをピーク・オイルと呼ぶ)は、遅くとも10年以内に確実に訪れると書かれている。
 ピークポイントが訪れると、あとは減産ということになる。
 石油が枯渇する時代が、目に見えてきたということだ。

 地球の温暖化がようやく国際問題になりつつあるが、それは「杞憂の心配だ」という学者もいる。
 なぜなら、温暖化が進む前に、エネルギー源の枯渇の方が早く訪れるからだそうだ。

 イルミネーションの輝きは、誰にでもすぐ見える。
 しかし、石油の枯渇は、誰にも見えない。

 寒い部屋に暖房が必要だとは、誰もがすぐに理解できるが、情報として教えられた「地球の危機」を、肌で理解することはむずかしい。

 今「人類は岐路に立たされている」とよく言われる。
 しかし、昔からずっと、人類は岐路にばかり立ってきた。
 今度は何度目の「岐路」なのだろか。

 夜キャンピングカーの室内に電気を灯すとき、サブバッテリーから供給される電力の限界を計算できる人は、室内を照らしてくれる明かりを非常に貴重なものと思えるだろう。
 キャンプ場で夜を迎えれば、ランタンの明かりが驚くほど美しく見えるはずだ。
 小さなことの大事さに気づくことが、大きな問題を考えるときの想像力を養う力になるように思う。
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 16:48 | コメント(2)| トラックバック(0)

グーグルとは何か

 昨晩のNHKスペシャルで、米国の「グーグル」を特集した番組を放映していた。
 グーグルといえば、一般的にはパソコンの検索エンジンを運営する会社という認識が浸透している。

 しかし、この番組では、グーグルが開発した検索エンジンが、今アメリカ社会の構造をどのように変えているのか、そして、さらにこの地球上に、どのような消費社会が誕生しようとしているのか、それを余すところなく伝えていて興味深かった。

 番組によると、今アメリカでは消費者の8割が、商品を購入するときの情報収集を、検索エンジンに頼っているという。
 商品を売る企業としては、当然その検索エンジンの上位ページに、自社のHPがランクアップされることを望むようになる。
 その上位ページに企業名を載せるための、さまざまな戦略を請け負うプロも誕生するようになる。
 アメリカの消費社会の構造が根本的に変わりつつあることを、番組は伝えていた。

 しかし、さらに興味深かったのは、個人情報のすべてをグーグルに管理させてしまう個人というものが、すでにアメリカで誕生しているという事実である。
 個人に関するものなら、預金残高から買い物記録に至るまで、すべてグーグル側の記録簿に登録してしまう。

 もちろん、グーグルの情報管理を全面的に信頼したうえでの話だろうが、大事な個人情報に関わるメモ類のようなものを身辺に置かないことで、逆にセキュリティの保証が得られる。
 とんでもない時代が来たように思えた。

 グーグルが、それまでに登場したIT企業といかに違うか。
 すでに昨年話題になった梅田望夫さんの『ウェブ進化論』や『ウェブ人間論』でも、それはさんざん語り尽くされている。

ウェブ進化論

 梅田さんの言葉を借りれば、グーグル以前のIT企業がやってきたのは、ネットの「こちら側」の開発であったが、グーグルは初めて、パソコンの「あちら側」の開発に着手し、そして、それを成功させたということになる。

 「こちら側」と「あちら側」とは何か。

 パソコンの「こちら側」というのは、あくまでもパソコンの前に座っている利用者から見た「こちら側」という意味である。
 つまり、目の前にモニターがあり、マウスやキーボードの周辺機器があり、ネットにアクセスして得られた情報や自分の制作物は、主に自分のパソコンのハードディスクに保存するという、従来のスタイルがこれにあたる。

 しかし、この「こちら側」に情報を蓄積しているかぎり、幾何級数的に増えていく情報のなかで、自分にって必要なものをストックしていくだけでも、めまぐるしい機器の入れ替えが必要となってくる。
 ハードディスクの容量を増やし続けなければならないだろうし、さらに、多量の情報を高速で処理する高性能パソコンを入手しなければならなくなる。増えすぎた情報をCDなどに落とすのも手間だ。
 
 しかし、それは既存のIT企業の望むところであった。
 なぜなら、それこそが、今までのIT企業の収益構造になっていたわけで、そうであるがゆえに、各企業は「こちら側」のシステムを強化する方向でしか、ものごとを進めてこなかった。

 グーグルは、初めてパソコンの「あちら側」に目を向けた企業だった。
 「あちら側」とは、今まで「こちら側」に貯め込んでいた情報をすべてグーグル側が保存し、利用者は、単にそれにアクセスするだけでいいというシステムのことをいう。

 たとえば、グーグルが管理するGメールというメールサービスは、今まで個人が保存していた電子メールを、すべてグーグルが用意したスペースで預かろうというものだ。
 その保存容量は、1ユーザーについて1ギガバイト。
 それが、無償で、各ユーザーに用意されている。

 必要な情報をハードディスクにストックするという、今までの個人の情報管理術に関しても、グーグルはそれに代わるものとして、想像を絶するほどのスケールの「情報提供システム」を構築した。
 
 それだけでなく、その情報の精度の高さを選り分け、読者が求める情報として最適かどうかをコンピューターが独自の判断でページランクする検索エンジンを開発した。

 同社では、30万台のコンピューターが日々刻々と更新されるウェブサイトの情報をすべて取り込んで解析し、30億のウェブ上の文章にインデックスを付け、毎秒数千のリクエストに応えて、365日、24時間体制で情報を発信しているという。
 グーグルは、「近い将来、検索エンジンに引っかからない情報は、この世に存在しなくなる」とまで豪語する。

 しかし、昨日のNHKの番組では、突然グーグルの検索エンジンから自社のHPを外されてしまった企業の経営者も登場していた。
 その経営者は、「社会的な不正を行ったわけでもなく、グーグルに悪意を示した覚えもない。なぜグーグルの検索エンジンから外されたのか不明だ」
 として、その理由を開示する訴訟を起こした。
 
 グーグルの言い分は、
 「検索ワードの選択は、すべてコンピューター独自の判断によるアルゴリズムで決定されるため、人為的な理由はない」
 と突っぱねたそうである。

 もとより、その真相などわれわれに分かるはずもない。
 明晰なようでいて、その実、まだ闇の部分も残したグーグルの姿をかいま見ることもできて、面白い番組だった。
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 12:13 | コメント(6)| トラックバック(0)

どうなる? 日本

 いい女が二人。
 背格好も同じくらいで、ともに体型がスラリとしている。
 着ているコートもセンスがいいし、顔立ちも上品だ。
 ファッション誌のモデルが、並んだまま誌面から飛び出し、地上に降り立ったような感じだ。

 その二人が、終電まぎわの品川駅前にたたずんで、同じようなしぐさでタバコを吸っていた。
 タバコを挟む指先が、見とれてしまうほどきれいだった。

 そして、ほどなく、二人とも同時にタバコを地面に投げ捨てた。
 洒落れたシューズのつま先で、二人は舞踏のターンでも決めるように、小粋に吸殻を踏みつぶした。

 ……美しく、優雅に、日本は汚れていく。
 
 彼女たちも気づかないうちに。
 通り過ぎる人たちも、見逃してしまううちに。

 この先の日本は、どうなっていくのだろう。

青山のブティーク
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 18:27 | コメント(4)| トラックバック(0)

猫型人間の悲劇

 「人間には、猫型と犬型がいる」
 と別のブログに書いたら、そこで寄せられたコメントが圧倒的に、猫型人間からのものであった。

 コメントを、お寄せいただいた方々の言い分を聞くと、
 「犬は仲間意識が強く、人間の家族の仲間入りをしたがる。しかし、自分は群れない。一匹狼だ。だから猫型である」
 という意見が多かった。

 狼は犬科だから、猫の“一匹狼”ってのも何か変だな…とは思うけれど、そういう揚げ足取りはやめて、素直に意見を拝聴すると、確かに、猫は“一匹狼”である。 
 家族の団らんに、決して仲間入りしない。
 家の中で飼っていても、呼ぶと、知らんふりしているくせして、呼ばないとじゃれついてくる。
 ジコチューな生き物だ。

▼のら猫              ▼飼い犬
野良猫 飼い犬

 では、犬型というのは、どういう人間なのだろうか。
 私は、本物の犬も飼っているので、すぐ分かる。
 目と目が合うと、大喜びで、ニコニコ飛んでくるやつだ。

 うちのカミさんなんか、典型的な犬型だ。
 目と目が合うと、一目散に飛んでくる。
 だけど、シッポを振っているわけでもないし、ニコニコしているわけでもない。
 たいてい、
 「あんたコレ捨てて」
 と、飛んでくる。

 その場合のコレは、時として、トイレットペーパーでくるんだ犬のウ×チだったり、自分が食べたピーナッツの殻だったりする。
 こっちは、ハイハイと愛想よくシッポを振る。
 そこで反乱など起こすと、即座に鎮圧される。

 自分はさしあたり、猫型なんだろうな…と思う。

 群れない
 マイペース
 シニカル
 よく前足で顔を洗う
 ヒゲがまばらにしか生えない

 そういう孤高の精神を胸に秘めた、気高い猫型人間のつもりなのだが、カミさんに言わせると、猫は猫でも、「熊猫」なんだそうだ。
 そりゃ、お前、パンダだろうが…。
 と、思うのだけれど、
 「ブタが熊猫に昇格しただけでも、ありがたいと思いなさい」
 ぐらいに突き放されてしまう。
 
 胴回りが太い。
 動きがノソノソしている。
 いっつも、何か食べている。
 
 だから「熊猫だ」というわけだが、それは、体形と動作でしか人間を判断していないということだ。

 普通、「犬型・猫型」などと人間を分類するとき、もう少し、その人間のメンタリティとか、キャラクターのようなものを問題にするべきだと思うのだが、カミさんには、私をあまり「人間」として評価する意欲や興味がないのかもしれない。

 最近は、犬までカミさんに感化されてきたのか、私に向かってシッポを振る回数が、目に見えて減ってきた。
 気のせいか、目つきまで刺々しい。
 「こら熊猫、シッシ!」という感じなのだ。

 そのうち、
 「これ捨てて」
 なんて、自分のウ×チをトイレットペーパーでくるみ、鼻先を使って、私に転がすようになるかもしれない。

 犬型のカミさんと、本物の犬が結束した、わが家の「犬・犬連合」は日増しに勢力を増していく。
 2匹の犬に囲まれた猫型人間の日々はつらい。
 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 17:21 | コメント(4)| トラックバック(0)

退屈が怖いマリー

 ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』が、明日からロードショーとなる。
 どんな映画になるのかな。
 主演がキルスティン・ダンスト。
 ちょっと、自分の描いていたイメージと違う。

 でも、歴史映画好きの自分としては、この映画も外せない。
 もっとも、超多忙を極める今の生活では、劇場公開中に見る時間はつくれない。
 たぶん、これも夏ごろに、DVDを借りたりすることになるのだろう。

映画マリーアントワネット1

 フランス革命で命を散らした、悲劇の王女として、マリー・アントワネットの名前を知らない人は、まずいないと思う。

 「民衆はパンが食べられなくて、みな困っています」
 と侍従からの報告を受けたとき、
 「それなら、ケーキを食べればいいのに」
 と言ったとか(言わないとか…)で、贅沢ざんまいに明け暮れた、無知な王女という烙印を押されてしまったアントワネット。

映画マリーアントワネット2 

 アホな貴族の典型として、冷笑されることが多い人なのだけれど、私としては、革命を起こした庶民たちよりも、むしろ贅沢ざんまいに明け暮れた「アホな貴族たち」の文化の方に興味がある。

 この物語の舞台となるベルサイユ宮殿。
 ルイ14世の時代、世界の富が集まった場所だ。
 そのベルサイユ宮殿で、ルイ14世の治世が終わったあたりから生まれてきた文化を「ロココ」といった。

 ロココ文化とは優美、洒脱、繊細というエレガントな部分と、退廃、倦怠というアンニュイな部分が交じり合った独特の文化で、絵画にせよ、工芸品にせよ、美しいが砂上の楼閣のような、危うさを秘めていた。
 「もうこの先がない、どんづまりの場所」
 そういうはかなさが漂うのだ。
絵画ダイアナ 絵画フラゴナール
 
 そのはかない美しさこそ、フランス革命の動乱を前にした貴族文化の最後の残照だったともいえる。

 革命の足音が近づいてきても、それを感知する感受性そのものが欠けている若いアントワネットはいう。
 「私は、退屈することが一番恐ろしい」

 すべてが過不足なく満たされた人間にとって、「退屈」こそが最大の恐怖なのだ。
 18世紀の宮廷社会を生きた貴族たちは、退屈に直面しないためには、朝から晩まで、舞踏会で踊り続けるしかなかった。

 しかし、そこには華やかさはあっても、ときめきも高揚もない。
 華麗な意匠の裏側には、それを支える何の精神もない。
 優美で、洗練されたロココ文化が、同時に退廃と倦怠を秘めているのは、その裏側で、「退屈」という虚無が口を開けていたからだろう。

 革命の波に飲み込まれる直前まで、優雅な舞踏をやめなかったフランス貴族社会は、まさに氷山に突き進む豪華客船タイタニック号のようなものだったのかもしれない。

 ロココ文化は、その貴族社会の消滅とともに、革命という嵐によって一瞬のうちに吹き飛ばされる。
 巨木が切り倒されるようにではなく、シャボン玉の泡のように消える。
 その軽さが悲しい。

 マリー・アントワネットは、後世に何の業績も残さなかった平凡な王女だったが、ロココの精神を100%体現した人だったがゆえに、その名を永遠に歴史にとどめることになった。
 そういう純度100%のアホさは、ある意味で、得がたい「気高さ」に通じる。
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 19:40 | コメント(2)| トラックバック(0)

虎と龍

 クレイジー・ケン・バンドが好きだ。
 いいねぇ!

 特に、横山剣さんの、あのふてぶてしい不良ぶりと、ふと見せる少年のようなはにかみ。
 悪ぶったしぐさの隙間からこぼれる、鋭い知性。
 おちょくり精神のあい間に見せる、求道者のようなマジメさ。
 それらのアンバランスさが、とても面白い。

クレイジーケンsoulpunch

 彼らのつくった曲のなかで、やっぱり特別に秀逸だと思えるのは、『タイガー&ドラゴン』 。
 この曲がブレイクしたのは、2005年に同タイトルを冠した連続ドラマがスタートしてからだが、もちろんコアなファンの間では、それ以前から評判になっていた。

 私もまた、ドラマが始まる前から、この歌にノックアウトされていた。
 たまたまカーラジオで聞いたんだけれど、歌手名も曲名も分からない。

 しかたがなくて、CD屋のお兄ちゃんの前で、歌うしかなかった。
 「俺の話を聞けぇ!」
 …って歌、知りません?
 
 どのCD屋でもスタッフは首をかしげるばかり。
 
 ようやく手に入れて、何度も何度も聞いたよ。
 3年ほど経った今も、あいかわらずこの曲は強烈なインパクトを放ち続けていると思う。

t

 歌の内容は、横須賀で遊び回っていた男が、昔の女に寄せる思いを中心に展開していく。

 主人公は、元暴走族といった雰囲気の男で、今も虎と龍 (タイガー&ドラゴン) の刺繍を背中にあしらったスカジャンを着ている。
 言葉づかいから察するに、不良グループでもリーダー格の雰囲気があり、ケンカなどにも自信を持っていそうだ。

 その男が、(たぶん携帯電話で) 自分の女を呼び出すところから、歌は始まる。
 「三笠公園でお前を待っているから、今すぐ来いよ」
 男は命令する。
 しかし、その声やしゃべり方は、決して楽しそうではない。
 女がグズっているのかもしれない。
 
 どうやら二人の間には、ブランクがあるらしい。
 「あの頃みたいに、ダサいスカジャン着て、お前を待っているから」
 と、男が目印となる自分の衣装を説明しているところから、そう察することができる。

 男の心は不安定に揺れ動いている。
 彼は、今の自分から抜け出そうとしているのかもしれない。
 現役バリバリの不良だったら、自分の着ている服を 「ダサい」 とはいうまい。
 自分の衣装をさめた目で見る男の視線から、彼がいま転機に立っている気配が伝わってくる。

 しかし、一向に思いどおりにならない女に対し、
 彼は、「俺の話をきけぇ!」 と叫ぶ。

 だが、叫んだところで、それが何の効力も持たないことを、彼は知っている。
 命令は、「5分だけでもいい」 という条件つきとなり、
 さらに、「2分だけでもいい」 という哀願に変わる。
 かつて男が持っていた主導権が、今は女の方に移っていることを、歌詞ははっきりと伝えている。

 しかし、この男は、いったい女に何を話したいのだろう。
 歌詞では、「お前だけに本当のことを話すから」 としか表現されていない。
 
 本当のこととは何か。

 「お前が好きだ」 という告白だろうか。
 「戻って来い」 という哀願だろうか。
 あるいは、
 「不良から足を洗うつもりだ」 とでもいうのだろうか。
 それとも、
 「俺は日本人じゃないんだ」
 などというヘビーなカミングアウトなのだろうか。

 しかし、いずれにせよ、男が重みを感じているほどには、女が男の話に興味をもっていない気配が伝わってくる。

 男が大事にしている 「本当のこと」 は、みすぼらしく踏みにじられ、都会の地面を漂うゴミとなって、転がっていく。

 これはもう立派な文学である。
 これほど、人間の “無力感” というものを生々しく表現した歌は、そう滅多にあるものではない。

 さらに、この歌詞には、人間の想像力をフルに働かせるような、“ふくみ” がいっぱいある。

 よく聞いてみると、実は、この歌が恋愛の歌なのかどうかも分からないのだ。
 「お前」 と呼ばれる相手が女性かどうか、それだって確定されたわけではない。
 不良の親が、同じ道をたどりそうな息子を説教する歌だと説明されれば、そんな風にも聞こえてくる。

 主人公は、
 「お前が愛した横須賀の海に、優しく抱かれて、泣けばいいだろう」
 と、海を一緒に眺めることで、その相手と心が通じ合うことに一縷の望みを託す。

 しかし、その海は、「電気クラゲが浮かぶ、どす黒くよどんだ海」 である。

 そういう、荒涼とした海を冷静に見つめている主人公は、自分の希望が壊れていく結末まで、完全に読みきっている。
 絶望的なラストを暗示しておきながら、主人公を、破局の寸前で宙吊りにしたまま 「エンド・タイトル」 を流すという、昔のフランス映画のような終わり方だ。

 これだけの仕掛けを盛り込むことができる横山剣さんという人は、相当の才人だという気がする。
 で、私は3年くらい前から、この曲をカラオケのシメに使っているのである。

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 20:40 | コメント(2)| トラックバック(0)

絶品バイキング

 風光明媚な観光地として知られる静岡県・浜名湖に「浜名湖レークサイドプラザ」というリゾートホテルがある。
 ここでも、「湯YOUパーク」が利用できる。

レークサイド夕景

 このホテルの駐車場泊システムはちょっと変わっていて、湯YOUパークの利用料金というのは取らない。
 その代わり、施設内のレストランで食事を取ることが条件となる。

 ホテル側のもくろみも、よく分かる。
 その食事がおいしいからだ。
 つまり、リピーターの定着を狙っているということが読み取れる。

 和食のレストランと、洋食バイキングがあるのだが、このバイキングで出された料理は、確かに絶品だった。
 正直、バイキングという料理形式にあまり期待していなかったのだが、食べ始めると止まらなくなった。健康に問題を抱えている人、要注意だ。

レークサイド料理 レークサイド調理人

 特に、パスタ系のソース、サラダのドレッシング、シチューなど、ソース系が抜群。
 お酒もそこそこに、食べることだけに専念してしまった。

 翌朝、散歩していた老夫婦と挨拶を交わしたとき、
 「このホテルは味がいいからね」
 と、料理の感想を述べていたことが印象的だった。

 ここを訪れたのも、もう3年ぐらい前のことなので、その後変わっているかもしれないが、3年前に舌が記憶した味は、いまだに空腹を覚えたときに生々しく甦ってくる。

 ロケーションもなかなか。
 リゾートホテルだけあって、場内にはエキゾチックなヤシや棕櫚の木などがいっぱい植えられている。
 南欧風の屋根瓦に被われたレストラン棟、白い椅子の並んだ芝生広場など、湖に面したエリアには、絵に描いたような南国リゾートの風景が広がっている。

レークサイドテラス

 湖畔には、観光用のパワーボートを係留するスペースもあって、そういう情景を眺めながら犬の散歩などをしていると、少しだけ“お金持ち気分”になれる。
 ただ、門のある入り口近くまで歩いてしまうと、わりと見慣れた、どこにも有りげな民家が並ぶ風景が目に入ってくる。

レークサイドボート

 お風呂は和風。
 「南欧風リゾートはどうした?」
 という、このチグハグ感がたまらない。
 しかし、泉質は良好。
 天然温泉にたっぷり浸かって、ほてった体を湯の外にさらせば、浜名湖を渡る風が空気のシャワーとなって、身体中に降り注ぐ。

レークサイド温泉

 ここはバーも良かった。
 カウンター越しに、浜名湖の夜景が広がる。
 カミさんとボソボソと話ながら飲んでいたら、行儀の良いバーテンダーさんが、退屈しないようにと、ウィスキーのモルトの話などをしてくれた。

 ブレンドウィスキーというのは、年代もののシングルモルトの樽から、少しずつ選り分けて、ベストのものを調合して出来上がるんだそうだ。
 そのようなブレンドウィスキーを開発するプロがいて、ブレンダーと呼ばれている。

 ウィスキーをつくる前に、そのプロは、食事もストイックにコントロールし、酒もタバコも断って、自分の舌がもっとも鋭敏に働くような体調管理に入る。
 そうして、仙人のような無我の境地に入り、神業を発揮して、モルトの樽の酒を選り分けていく。

 私と、カミさんは、お互いに
 「へぇー!」
 「へぇー!」
 を連発して、バーテンさんの話に聞きほれた。

 夜、自分のキャンピングカーに戻ってきて、さらに酒盛りを続けていたら、リボンをつけたブタを散歩させているカップルを見つけた。
 ブタのペットというのも、珍しい。
 ブタの肌の白さと、ピンクのリボンがとても似合っていた。
 キャンピングカーの旅は、何と出会うか分からないから面白い。

レークサイドの車中泊
旅&キャンプ | 投稿者 町田編集長 20:43 | コメント(2)| トラックバック(0)

テラスの微風

 ホテルや旅館の駐車場に、キャンピングカーで泊まるという「湯YOUパーク」。
 キャンプ場で自炊するのにも疲れた…
 道の駅で休むのにも飽きた…
 長距離旅行をしていると、1日ぐらいはアクセントというか、刺激が欲しくなる。

 そんなとき、この湯YOUパークは実にいい。

 小樽市の「宏楽園」という旅館の湯YOUパークを、カミさんと一緒に利用したのは、もう3年ぐらい前になる。
 稚内で行われたイベントの取材旅行も兼ねて、少しゆったりしたスケジュールの旅を企画し、寄り道をしながら本州の陸路を延々と走った。

 キャンプ場で泊まるのは北海道に入ってからと決めていたので、高速道路のSA、道の駅、フェリー埠頭なんかで短い仮眠を取りながら、本州を北上した。
 2人とも、そろそろ少し贅沢な温泉などを楽しみたい心境になっていた。

宏楽園の風呂1

 で、予約を入れたのが、この宏楽園

 「湯YOUパーク大歓迎! 食事は敷地内に焼肉レストランもあるし、コンビニも隣りにあるから、食材の心配もなし」
 とのこと。
 しかし、私たちは無性に和食が食べたくなっていた。
 「残念ながら、和食となると、部屋にお泊りのお客様にしか出せないんです」
 という。

 よし、じゃぁ、思い切って泊まってしまえ! ということになった。
 たまには浴衣がけで、露天風呂に繰り出し、タタミの上に寝そべって、ひじ枕でテレビを見る。
 そんな一晩があってもいいじゃないか。

 庭園を見ながら、並木道を走るアプローチはよし。
 少し古風な、落ちついた旅館の玄関が見えてくる。

宏楽園の玄関 宏楽園の駐車場

 ただ、駐車場が狭い。
 乗用車を前提にしてつくられたコマ割なので、大型キャンピングカーはけっこう厳しい。
 幸い、小型キャブコンなので、なんとか乗用車1台分に区切られた駐車スペースにクルマを押し込むことができた。

 「これで、よく湯YOUパークのパートナーとして名乗り出たものだな…」
 と思いながらチェックインしたのだが、後で聞いてみると、並木道に入る前に、だだっ広い駐車場が別にあるとのこと。
 なっとく。

 ロビーに面してカフェテリアがあり、それが庭に張り出したテラスにつながっている。
 このテラスが素敵だ。
 ホワイトペイントに塗られた柵の形も、テーブルの格好も、どことなくレトロチック。
 しかし、テーマパーク的なレトロではなく、天然レトロの味わいがある。
 昭和初期の文士たちが、原稿を書くついでに避暑にやってきて、テーブルに原稿用紙などを広げて…結局何も書かずにボンヤリしている、なんていう情景が目に浮かんでくる。

 白塗りの柵を越えて、北海道の短い夏を教えるような、どこかひんやりした微風が、ここちよく頬をかすめる。

宏楽園の昼テラス

 迷路のような渡り廊下を通って、部屋へ。
 キャンピングカーのベッドで寝る夜がしばらく続くと、やっぱ、タタミの部屋の感触がとても新鮮。
 さっそく浴衣に着替えて、風呂に。

宏楽園の風呂2

 「野趣に富んだ露天風呂」
 と謳われていたが、風呂の周りには、ホントに林しか見えない。
 手入れするタイミングがズレたのか、ちょっと“荒れている”という気配もあって、逆にそれが、ロシア文学に出てくる「郊外の避暑地」的な匂いを放っている。
 トルストイとか、ドストエフスキーといった巨匠ではなく、チェーホフとかの小説に出てくる雰囲気だ。

 やっぱ、北に来たんだなぁ…と、しみじみ思いながら、ヒグマのように風呂の水をかき分けて、岩の上で夕涼み。

 思い焦がれていた贅沢な和食を、上げ膳・据え膳で堪能したあと、また、夜のテラスに。

 星空の下のテラスが、またいい。
 夢のなかに出てくる、幻の劇団の舞台のように見える。
 
 幕はとっくに上がっているのに、役者は誰も出てこない。
 私は、観客もいない席に独りで座って、劇が始まるのを待っている。
 時が死んだような静寂のなかで、夜風だけが頬をなでていく。

宏楽園の夜テラス
旅&キャンプ | 投稿者 町田編集長 19:16 | コメント(0)| トラックバック(0)

ドタヘン

 今やっと、わが家にたどり着きました。Hu… 2:30。
 なにしろ、今日印刷所に持ち込む制作物に、ドタンバの変更が入ったもので。
 「あそこを、こういうふうに変えられないかな?」
 と、クライアントさん。
 「ええ! もう校正も終わっとりますがな」
 「そこをなんとか」

 編集部に衝撃が走りました。
 もう、上の下への大騒ぎ。
 …といっても、私ひとりなもので、孤独に大あわてしていただけなんですけどね。

 テキストの書き直しで、8時間。
 デザイナーさんに、レイアウト変更指示で、2時間。
 代理店さんと、打ち合わせで5分。
 飯くって、15分。

 時は矢のように過ぎていく。

 こういう日はついていないものです。
 夜の帰り道、自転車置き場まで、歩きながら、カバンの中をいくら手探りで探しても、自転車のキーがない。

 キーを抜き忘れたのかな?
 よくあるんです、ボケ症候群が始まっているもので。

 自転車盗られてねぇかな…。
 心配で、小走りに自転車置き場に向かって一目散。

 予感が当たるものなんですね。
 ない!

 舌打ちしつつ、交番へ。

 で、途中で思い出したんです。
 今日は、自転車に乗ってきてねぇや。
 朝、あまりにも寒かったもので。
  
 青息吐息の1日でした。 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:53 | コメント(2)| トラックバック(0)

目覚めると富士山

 キャンピングカーで移動しながら、ホテルや旅館の温泉施設が使えるという便利な旅行スタイルがある。
 日本RV協会(JRVA)が提唱している「湯YOUパーク」というシステムだ。
 
 寝泊りは、ホテルや旅館の駐車場に止めた自分のキャンピングカー。
 そして、フロントで受付を行い、そのホテルの入浴施設だけをリーズナブルな料金で使わせてもらうというのが、このシステムのメリットだ。

▼湯YOUパークを歓迎している静岡県・日本平ホテル
日本平ホテル玄関 日本平ホテルメインロビー

 湯YOUパーク料金は、ホテルによって異なるが、たいてい2,000円~2,100円程度。
 なかには、300円~500円ぐらいの入浴料ですむところもある。

 もちろん、湯上りにラウンジでビールを飲んだり、ロビーでテレビを見ながらくつろぐ…なんてことも、宿泊客と同じようにできる。
 場合によっては、レストランで食事することも可能。
 その場合は、予約が必要となるところが多いが、受け付け時の申し込みだけで食事を取れるホテルもある。

 ただし、この湯YOUパークというシステムを利用するには、条件がある。
 日本RV協会と連携を取っている「くるま旅クラブ」に所属することが前提となる。

 「くるま旅クラブ」というのは、RV協会の主導によってつくられたユーザー組織で、これまたリーズナブルな入会金と年会費で、さまざまな特典が保証される。湯YOUパークは、その特典のひとつとして考えていい。

 私は、この湯YOUパークというシステムをときどき使っている。
 キャンプ場などを転々としていると、たまには豪壮なお風呂に浸かって、リッチな夕食などを楽しみたいという欲望が芽生えることがある。
 旅にアクセントを付ける意味においても、私にとってはありがたいシステムなのだ。

 既に何度か訪れているのが、静岡県にある「日本平ホテル」。
 ここは、なんといっても、ロケーションが素晴らしい。
 芝生が広がるホテルの中庭に立つと、眼下に駿河湾。そしてその向こうには雄大な富士山。
 なにしろ、日本観光地百選の第1位に輝いたという日本平の絶景を、このホテルの庭園が独り占めしているのだ。

日本平庭園_昼 日本平お風呂
▲日本平ホテルのお風呂(右) 残念ながら温泉ではない。

 昼間眺める景色も素晴らしいが、夜、ライトアップされた庭園のかなたに広がる夜景も素晴らしい。
 街の明かりと星空が、明るさを競うようにまたたき合う光景は、そうやたらと見られるものではない。

日本平夜景

 ここは食事もおいしい。
 フレンチと日本料理、それと懐石料理専門のレストランがあるが、私はまだ「青桐」という懐石の店しか入ったことがない。
 いつもここで満足してしまうので、次に寄ったときも、ここになってしまう。

日本平青桐 日本平バー1

 そして、食べた後は、スカイラウンジバーで一服。
 目の前に、広大なガラス窓が映画のスクリーンのように広がっている。
 そのガラスに反射する店内のライトと、その向こうに広がる街の夜景が、光のモザイクとなって、玄妙なアート空間を形づくっている。

日本平バー2

 腕のいいバーテンダーのつくった極上のカクテルを味わい、後は自分のキャンピングカーに戻って寝るだけ。

 ホテルの贅沢さをむさぼり尽くし、払うのは、入浴料と食事代と、飲み物代だけ。
 翌日からは、またコンビにの海苔弁当が続く旅となるが、ゴージャスな1晩を味わうだけでも、心はリッチ。

 このような贅沢さを楽しむときは、あまりセコいことは考えない方がいいように思う。
 一度ここで、中庭までキャンピングカーを乗り入れて、テーブルを出して食事をとっているファミリーを見たことがあった。
 湯YOUパークがスタートしたばかりのころだから、当時は許されたのかもしれないが(今は禁止)、あまりいい光景ではなかった。

 そのご家族の方には、本当に申し訳ない表現になるが、「貧しさ」を感じた。
 彼らがクルマを止めた位置は、絶景を楽しむには最適なビューポイントだったが、そこにはクルマを1台しか止めることができない。
 ご本人たちにとっては、とても満足できただろうが、もし他の湯YOUパーク利用者たちが、それを見たらどう思うだろう。

 「私たちだって、そっちへ移動したい」
 という気持ちを持つ人が出てきたら、不公平感も生まれるのではなかろうか。

 キャンプ場と同じように、湯YOUパークを利用するときにも、ルールとマナーはついて回る。
 これから、ホテルや旅館を利用して、このようなスタイルの旅を楽しむユーザーも増えてくるだろう。
 ユーザー同士がお互いに気を遣いあい、マナーを守っていくことは、ますます大事になっていくように思える。
  
旅&キャンプ | 投稿者 町田編集長 18:24 | コメント(2)| トラックバック(0)

始めてから半年Ⅱ

 昨日に続き、ブログを始めてから半年になった感想を少し綴りたいと思います。
 いやぁ、なんだか励ましのコメントをたくさんいただき、感激しました。
 それも含めて、今の心境などを少し…。

 今、団塊の世代がキャンピングカーに熱い視線を注いでいるというデータが、実際にまとめられてきて、かなり注目を集めているようです。
 私自身も、いろいろなキャンピングカーイベントを回っていて、中高年層が増えていることを感触として感じています。

 「定年退職後に、夫婦でキャンピングカーを使った日本一周」
 そんな夢が、実際に多くのシニア層から語られるようになりました。

 そういう流れは、実に自然だし、実際にわが家は、定年退職こそしていないものの、旅行といえば、今は「夫婦と犬」がセットになったキャンピングカー旅行が中心です。

 それは結構楽しいもので、カミさんも犬(…はどうだか分からないけれど…)も、私が自由に休みが取れる日がくることを心待ちにしています。

 ただ、ふと思うのですが、「夫婦とキャンピングカー」がセットになったとしても、それが即、楽しい旅行になるのかどうか、また別問題です。
 楽しい旅行を実現するためには、もうひとつ、絶対的な条件が必要なのではないでしょうか。

 それは何かというと、夫婦の会話です。
 日本人の夫婦は、語り合わなくても以心伝心、あうんの呼吸で、意思が通じ合っていればよし、というところがありまして、2人が何を語り合うかということに対して、あまり頓着してきませんでした。
 でも、それはやっぱり貧しいと感じます。

 正直にはっきり書くと、日頃から夫婦間で豊かな会話が成立していないと、2人でキャンピングカー旅行なんかしたって、決して楽しい思い出なんかつくれないはずです。

 実は、このブログでテーマにしているような話題は、ほとんど私とカミさんが、日頃語り合っているようなものばかりです。
 もちろんカミさんは、
 「また、あのおしゃべりが、知ったかぶりして、わけの分からんことをゴニョゴニョと話している。ツバなどテーブルに飛ばさなければいいけど…」
 という気持ちで、うわの空で聞いていることの方が多いのですが、たまに関心あるテーマの場合は、
 「え、何だって? 今の話だけ、もう一度最初から話すことを許す」
 と、ときに耳を傾けてくれることもあります。

 そこで、もう一度ビデオを再生するように、同じ展開で笑いをとり、同じところでオチをつけるという労を惜しまぬ忍耐さえあれば、まぁ、会話は成立ですね。

 で、何が言いたいかというと、
 このブログでは、キャンピングカーライフをテーマにしながらも、今しばらくは、そこで繰り広げられる夫婦の「会話」の方を中心に展開していこうと思っているのです。

 そのためには、キャンプやアウトドアだけでなく、普通の旅行やグルメに関する話題も必要になるでしょうし、音楽や、映画や、読書の話もネタになるでしょう。
 だから、このブログは、カミさんと一緒にキャンピングカー旅行するときのネタのストックとして書いているようなものだといえるかもしれません。

 そして、それは、うちのカミさんと同じように、それまでキャンプやキャンピングカーも知らなかった未知の読者へのメッセージにもなるように思っています。

 20年間、キャンピングカーの世界にお世話になってきて、そこでご飯が食べられるようになった私が、せめて少しでも、その世界に恩返しできることがあるとしたら、まだキャンピングカーを知らない人たちに、その素晴らしさを伝えることだろう。
 そんなブログにしていければいいな…と考えています。
 
 だから、キャンピングカーの情報だけを発信するのではなく、おかしなコントや、音楽の話や、本の話なども“エサ”にして、キャンピングカーを知らない読者が、パクッとかぶりつくのを待っている。
 そんなつもりで記事を書いています。

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 19:45 | コメント(10)| トラックバック(0)

始めてから半年

 ブログに携わるようになり、ほぼ半年を迎えることができた。
 正直にいうと、まぁ、「三日坊主のクセによく続いているよ」
 と思わないでもない。

 しかし、なぜ今まで続いたかというと、自分にとって新しい発見を次々ともたらせてくれるネット世界の凄さに、いつの間にかグイグイと引き寄せられていった、という言い方もできる。

 ペーパーの出版物に携わっていた自分としては、何から何まで、この世界は異次元の領域だった。
 まず、情報発信が、信じられないほどローコストでできる。
 原稿を書くという労力を計算に入れないかぎり、ほとんどゼロコストで情報を発信できるというのは、印刷費や宣伝費などの問題に追いまくられていた自分にとっては信じられない世界だった。

 もちろん、情報発信はゼロコストであるが、収益も当然ゼロ。
 しかし、出版物の市場を持つ身としては、これを広報・宣伝活動の一環として位置付けることも可能だから、ある意味で、出版物を広報する場合の宣伝コストがゼロに近づいたと考えることもできる。

 次に、新鮮だったのは、読者の反応がダイレクトに、しかもスピーディに伝わってくること。
 これも最初のうちは驚いた。

 ある記事で、キャンピングカーのビルダー名を間違えたままUPしたことがあった。
 ところが、その10分後ぐらいに、
 「この記述には誤りがあります」
 というコメントが入ってきた。(ブルーサンダーさんありがとう!)

 こんなびっくりしたことは、ペーパー媒体を20年ぐらい経験して一度もなかった。
 書籍や雑誌として流通するペーパー媒体の場合は、仮に、読者から間違いを指摘する電話がかかってきたとしても、その“間違い情報”が読者のもとに届くまでのタイムラグを計算すると、かなり日数的なズレが生じる。
 速報性を特徴とする新聞でも、半日か1日。
 書籍の場合は、1ヶ月以上かかることもある。

 ところが、たったいま書いた記事の反応が、10分後に返ってくるというのは、天地がひっくり返るような衝撃だった。

 さらに、書いた記事に励ましのコメントを寄せていただく方が出現したことも、最初は驚きだった。
 これもペーパー媒体では経験しなかったことだ。

 書籍の場合は、人の情感に強く訴えかける小説のようなものでないかぎり、
 「良かった」
 「考えさせられた」
 「面白かった」
 などという感想が、手紙などの形で届くことが、まずない。

 たまにあるのはクレームで、以前、『全国キャンプ場ガイド』を編集していたとき、
 「○○キャンプ場がとても良いという記事を鵜呑みにして行ったら、管理人の態度が横柄で、気分が悪かった。どう責任をとってくれるのだ?」
 などという手紙をよくもらった。
 従って、私などには、コメント=クレームという印象の方が強い。
 
 だから、最初のうちは、ブログでも同じようなものだと思っていた。
 今でこそ、いろいろと温かいコメントをいただけることが分かってきたので、気分的に落ちついてきたが、しばらくはコメント通知が入るたびに、それを開くのが怖かった。

 しかし、一方、最近は別の“怖さ”も感じるようになった。
 「こんないい加減な情報を流していて、いいのだろか?」
 という、不安である。

 ブログの場合は、一人で記事を書いて、それを一人でUPすることができる。
 その手軽さが、これほどの隆盛を極めるきっかけとなったのだが、一人でUPできるということは、記事内容をチェックするのも、自分一人ということになる。
 その段階で、その個人が間違った情報を正しいと思い込んでいる場合は、処置なしになってしまう。

 書籍はいったん世に出したら、間違いが発見されても回収することができない。
 もし、回収するとなったら、そこに多大なコストが発生し、下手をすると、出版社そのものがつぶれてしまうこともありうる。
 だから、書籍はそのようなミスが出ないように、チェック機関も厳重とならざるを得ない。

 しかし、個人で管理するブログは、チェックの厳重さから解放される代わりに、記事内容の間違いもそのまま流通してしまう。
  
 「怖い」と思い始めたのは、そこのところである。
 現に、塩野七生さんの記事を書いたとき、
 「ローマに国際電話をかけ…」
 などとうっかり書いてしまったが、その後に出てきたメモを見ると、電話をかけたところは、ローマではなく、フィレンツェであることが分かった。

 そのような単純なミスを、それと気づかないまま大量に流しているのではないかと思うと、とても怖くなる。

 さらに怖いという思いは、自分の記事のお粗末さに気づくときにもこみ上げてくる。
 たとえば、検索エンジンを開くと、たまに自分のブログが上がっているのを見ることがある。
 その記事が、書籍を紹介したり、その感想を述べるようものであった場合は、自分の記事の前後も、他のブロガーの記事で埋められているのが普通だ。

 自分の書いた感想文の前後を挟んでいるヨソの記事を覗いてみると、たいていの場合、赤面して、すぐ自分の記事を降ろしたくなる。
 自分では、一定レベルの水準をクリアした感想文だと思っても、それは井の中のカワズ。
 この世界には、さらにその本を深く理解し、それを美しい文章で綴っている人たちがたくさんいる。

 そういう人たちの記事に挟まれると、「身のほどを知らない」自分の厚かましさが、とても怖く思えてくる。
 自分の思考の水準が、どの程度のものなのか。
 それも、ブログが教えてくれるように思う。 
 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 20:11 | コメント(12)| トラックバック(0)

心のアメリカ旅行

 いつかは、レンタルモーターホームなどを借りて、アメリカの中西部を旅してみたい。
 そう思っている。
 西海岸には2度行ったことがあるが、いずれも都市を見ただけ。
 何もない荒野の風景を知らない。

モニュメントバレーと直線道路

 いま旅してみたいのは、その何もない荒野だ。
 おそらく、そう思う気持ちの底には、片岡義男のナレーションが入った「ロンサムカーボーイ」のCM画像が潜んでいるのだろう。

 あるいは、『バニシング・ポイント』などという映画に触発されているのかもしれない。
 警察官たちの制止を振り切って、暴走を重ねていく中年陸送屋の話で、当時『イージーライダー』と並んで、反体制ロードムービーの2大傑作とまで言われた映画だった。
 しかし、『イージーライダー』という存在がなければ、ほとんど話題にものぼらなかったと思う。大掛かりなセットを組むこともなく、地味な役者を使って、低コストで仕上げたB級映画の典型だったからだ。

バニシングポイントのGS
▲「バニシング・ポイント」

 しかし、映像は印象的だった。
 画面には、常に「ロンサムカーボーイ」のCMのような景色が広がっていた。

 果てしない荒野を貫く一直線の道。
 ゴーストタウンのように寂れた田舎町。
 サボテンの連なる荒野。

 東から出て西に沈む太陽以外には、視界の中を移動するものは何ひとつないんだろうな…と思わせる、退屈なアメリカ内陸部の風景が、次々と映しだされていた。
 豊かなはずのアメリカが、その中心部に、こんなにも空っぽの世界を抱え込んでいるというのは、なんとも不思議な感じがした。

 そういう風景を切り裂くように、主人公の白いダッジ・チャレンジャーが、パトカーを振り切りながら疾走していく。
 チャレンジャーの野太い排気音に、パトカーのサイレンが絡まり、その映像にアップテンポのロックやR&Bが重なる。

 そう語ると、なにやら騒がしそうな作品に思えるが、実際はクルマの排気音が遠ざかった後の静寂が、身にしみるような映画だった。
 クルマの影が消えた道路には、いつもライ・クーダー風のけだるいギターが、草原を渡る風のように鳴っていた。

バレードライブとエレファントビュート
 
 アメリカの内陸部に広がる空っぽの風景を眺め、風の音だけを聞いて立ち尽くすとき、自分はいったい何を考えるのだろう。
 想像を絶する大地の広さに触れて、自分の卑小さを悟ることになるのだろうか。
 地平線のかなたに消える一本の道を見て、その先に、この地上では見られない別の世界が広がることを夢想するのだろうか。

 息子が社会人として、一人立ちできるようになったら、一緒に旅しようと思っている。


※ 画像の一部は「風景写真壁紙(無料壁紙)」より(海外で撮影した写真・壁紙多数)

音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 20:53 | コメント(4)| トラックバック(0)

君は「男だ!」

 夕べ、このブログで、
 「毎晩、帰りは終電。夕食はいつも深夜の2時」
 なんて、書きながら、それを打ち込んだ直後にパソコンの電源を落とし、シレッと9時半に退社してしまった私である。

 だから、ウソつき人間と呼ばれてしまうのだろう。
 腹も出て、後頭部の頭髪だって、温暖化に見舞われた北極の氷のごとくモーレツに後退しているというのに、気持ちだけは、いつまで経っても初々しい「狼少年」である。

 しかし、たまに早く会社を出ると、いろいろな発見がある。
 まず、駅までの道が明るい。
 店が開いているのだ!
 その店の灯りが、街路を温かく照らしている。
 山奥から人里に降りてきた気分だ。

 それに、歩いている人が酔っ払っていない。
 これも新鮮な発見だった。
 駅のホームに降り立っても、キオスクが開いている。
 新聞もまだ売っている。
 子供の姿も見える。
 「世界の本当の姿は、こうだったのだ!」
 妙に感激する。

 電車に乗って、前の座席を見ると、熱心にコミックを読みふけっている青年がいる。
 秋葉原あたりに出かけて、新作ゲームソフトを買ったあとに、メイド喫茶などに寄ってきた感じの、大人の世界の汚れを知らない風の青年だ。
 たまに早く会社を出ると、日ごろ目にしないような人々に会えて、心がなごむ。

 何のコミックを読んでいるのだろう。
 そうとう熱中している。
 青年の人差し指が、鼻の奥に向かった。
 右側の小鼻が、グイッと広がった。
 彼は、どうやら自分の右手が、鼻の中の掃除を始めたことに、自分で気がついていないようだ。

 どうなるのかな…。
 人差し指が、ついに何かを探り当てたようだ。
 
 「あ…」
 見ている私の方が、息をのんだ。
 鼻の奥から引き出されてきた人差し指が、実に見事なエモノを捕らえたのだ。
 なにしろ、反対側の席に座っている私からもはっきり見える大きさだから驚いてしまう。
 この段階で、彼ははじめて、自分が行っていた行為の意味を把握したらしい。自分の人差し指の先を見つめ、ようやく事の重大さに気づいたようだ。

 私と目が合った。
 とっさのことで、私も目をそらすタイミングを失った。
 私は、青年のバツの悪さが手に取るように分かるから、なんだか可哀想になった。

 しかし、ここからが試練を乗り越えて、たくましくなる大事なチャンスだ。
 がんばれ青年!
 苦境を克服して、立派な成人となれ。

 まず、私ならどうするか。いろいろ考えた。
 順当な方法なら、とりあえずティッシュなどを取り出して、指先の物をぬぐい取り、何気ない風を装って、ポケットなどにしまい込む。

 それが、最も穏便な処理方法であるが、ティッシュを持ち合わせていないということもありうる。
 そうなると、よくある手は、ゴニョゴニョと指先で転がして、少しばかり乾燥させ、人目が切れた時を見はからって、ポンと跳ね飛ばす。
 まぁ、大自然のなかにいるのなら、それも許されるだろう。

 しかし、ここは電車の中だ。
 それに、目の前に、私というしっかりした観察者がいる。

 次の光景を、私は一生忘れることはないだろう。
 青年は、一瞬目をつぶって覚悟を決め、人差し指ごと、ペロッと口にしゃぶってしまったのである。

 あっぱれ! というか、見事というか、信じられないというか。
 悲惨な光景ではあったが、周囲に迷惑をかけないという彼の覚悟に、「男」を感じた。

 「今日は、見事なものを見たよ」
 と、家に帰ってカミさんに、少しリアルに現場を再現しながら話したのだけれど、途中まで聞いていたカミさんは、突然ティッシュの箱を投げつけてきた。
 どうして、女というのは「男気」というものを理解しようとしないのだろう。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 11:30 | コメント(8)| トラックバック(0)

もう少し…

 最近、キャンピングカーネタの情報がなくて、それを楽しみにされている方々には、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 
 実は、ネタはいっぱいあるんですけど、まだ公表できる段階ではないんですね。
 キャンピングカー単体の商品情報ではないのですが、業界のこと、ユーザーのことで、皆さんが「アッ!」と驚いたり、「へぇー?」とのけぞったりする情報をいっぱい抱えています。
 
 しかし、現段階では、まだ未整理のため、外には出せません。
 作業的には、もう少しなので、解禁になれば、このブログでも逐次ご報告いたします。

 まぁ、そんな仕事の納期が、この週末から来週にかけて三つも重なって、てんやわんや状態です。
 まだ、会社に泊まり込みにまで至らないのですが、毎晩帰るのは終電。
 夕食は、深夜の2時頃です。
 ま、仕事そのものが面白いので、全然苦にはならないんですけどね。

 新しいキャンピングカー情報が出せるようになるまで、今しばらく、読書の話とか、音楽の話とか、私個人の趣味の領域の話題で、がまんしていただければ幸いです。
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 21:18 | コメント(0)| トラックバック(0)

蒼き狼と遊牧文化

 森村誠一氏の原作をもとにした、若きチンギスハーンを描いた映画、『蒼き狼~地果て海尽きるまで』が、3月初旬に公開されるという。
 それが傑作であろうが、駄作であろうが、これは絶対的に見ることになるだろう。
 映画そのものよりも、テーマを見逃すことができない。

映画・蒼き狼 ゲーム・チンギスハーンⅣ

 なにしろ、KOEIの「チンギスハーンⅣ」が、生涯もっとも楽しんだゲームになると確信している私なのだ。
 チンギスハーンものであるならば、資料としても、この手の情報は絶対ストックしなければならないという使命感がある。

 とにかく一時期、パソコンゲームの「チンギスハーンⅣ」を中心に人生が回っていたときがあった。それに費やした膨大な時間とエネルギーを換算すると、私は、年に2回のペースで新刊書を出せていただろう。

 その失われた時間を、いまさらとやかく言っても仕方がないのだが、雄大なユーラシアを旅する感覚を魔術のように紡ぎだす、あのゲーム独特の高揚感と、リアル世界での損失を天秤にかけると、少し複雑な気分になる。

 もともと、ユーラシア平原を疾駆する遊牧民族の話が、昔からなによりも好きだった。
 スキタイ、匈奴、フン族、突厥、モンゴル。
 世界史のなかで、モンゴル以外は、いつも主役の地位を獲得することのない彼らだが、本当は、裏で歴史を動かしていたのは彼らだった。

 「遊牧」という文化がなかったら、今の地球はどのような形になっていただろう。
 人類が、もし「農耕」しか知らなかったら、ひょっとして、今の世にエコロジーなどという概念も、生まれていなかったかもしれない。

 「文化」のことを英語で「カルチャー」というが、その語源が「耕す」という意味であることは、よく知られている。
 それほど、農耕が人類の文化発展に貢献したことは間違いないことなのだが、しかし、それは、ある意味で、野に穴をうがち、山を崩し、木を切り倒し、獣を殺して発展してきた文化である。

 特に、北方の乾燥地帯では、農耕は土地に対して壊滅的な打撃を与えた。
 乾燥した土地を耕作地にすると、1~2年はなんとか農作物が育つが、その後は、今まで生えていた草すら生えない、カラカラの砂漠となってしまう。
 それを知らずに、無茶な農業政策を進めた国家は多かった。
 このような農業科学の常識が定着したのは、やっと近代になってからのことである。

 それに対して、「遊牧」は、人間の方を自然に合わせていく文化だった。
 遊牧は、基本的に動物を放し飼いにすることで成り立つ。
 動物は自然のまま放置しておくと、勝手に水飲み場に移動し、季節に応じて豊かな牧草のある場所に移動していく。
 遊牧とは、その動物の自然の習性にしたがって、人間の方が動物に“寄生”していくという生き方だった。

 彼らは、基本的に飼っている動物を殺さなかった。
 もちろん祭礼のときや、賓客をもてなすときは、羊の肉などを調理しただろうが、日常的には、バターやチーズ、ヨーグルトという形で、動物の乳製品を主食とした。

 そのような、動物を「資源」とみなす遊牧民の習性は、その動物たちを生かしておくために、豊かな大地を温存しなければならないという発想に結びつく。

 ユーラシア北方の遊牧騎馬民族が、南方の農耕民族に戦いを挑むのは、自然の恵みを確保する戦いという側面も、持っていたのだろう。
 中国大陸で、3千年の長きにわたって繰り広げられた遊牧民族と、歴代中国王朝の戦いは、エコロジーとカルチャーの戦いであったともいえるかもしれない。

 遊牧民の文化が、現代生活に与えた影響は、乳製品を食べるという習慣以外にも、意外なところまで及んでいる。
 たとえば、ズボン…スラックスを履くという習慣。
 これは、遊牧騎馬民族が、乗馬に適した衣装を考案した結果、生まれてきたものだ。
 同じように、バックル付きのベルトなどというのも、ズボンの発明に付随して誕生した。
 キャンプ好きな人が当たり前に行っている、テントを張った野営なども、遊牧文化が発展させてきたものだ。

 そんな遊牧民族の話が大好きで、そっち方面の本をそうとう集めた。
 小説なら、なんといっても、井上靖さんが描いた『蒼き狼』が素晴らしかった。
 私にとって、『蒼き狼』といえば、やっぱり井上さんの作品の方が、先に浮かぶ。
 井上さんの『敦煌』とか『楼蘭』などの一連の西域シリーズも面白かった。
 古典ではあるが、中島敦さんの『李陵』なども美しい話だった。

 そういう本から得られたシルクロードや、ユーラシア平原への思いは、今もキャンピングカーを運転しているときに、脳裏をかすめる。
 西日を追いかけて、高速道路を走っているときも、
 「あの夕陽は、天山山脈のかなたに沈もうとしているのだろうか」
 とか、
 「タクラマカン砂漠に没しようとしているのだろうか」
 などと空想していると、楽しい。

 キャンプ場でテントを張っているときも、
 「明日はいよいよ玉門関を出て、空に飛ぶ鳥の影なく、地をはう獣の姿なき、砂漠に突入か…」
 などと、むにゃむにゃ独り言をいったりしているが、
 それが楽しい。 
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 19:06 | コメント(10)| トラックバック(0)

ウェブ人間論

《ネット時代に本は生き残るのか?》

 個人的な関心領域の話で恐縮であるが、今なんだかウェブの話ってのに非常に興味があって、そっち関係の本ばかり読んでいる。

 なにせ、私はいちおう出版業界に身を置く人間であるからして、「本」というものの存在が、この先どうなるのか、非常に気になってしまう。
 ネット文化は、本の文化にとって代わるのか?
 仕事の上からいっても、そういう動向に無関心ではいられない。

 そんなところに、ここ最近「ウェブ2.0」だとか、「グーグル」とか、「ロングテール」とか、やたらネットに関係した新しい言葉が飛び交うようになってきて、落ちついていられなくなった。
 そこで、ちょいとネット世界を覗いてみようと思ったわけだけど、いやぁ、不思議な世界だわ。

 こういう世界を覗こうとしたとき、いちばん面映いのは、パソコンの向こう側で何が起こっているのか、モニターの前に座っている限りでは、さっぱり見えないことだ。

 それを理解する手がかりとなったのが、『ウェブ人間論』という本であった。

ウェブ人間論

 これは梅田望夫さんと平野啓一郎さんという、「異分野の二人が徹底討論する!」(同書の帯より)刺激的な対談集である。

 ここに登場する梅田さんは、あの有名な『ウェブ進化論』を著したネット文化論のオーソリティ。
 一方、平野さんは、『日蝕』で在学中に芥川賞を受賞した新進気鋭の若手作家。
 ネットビジネスのコンサルティングも行うウェブのプロと、硬派の純文学をめざす物書きのプロが、劇的な討論を重ねるわけだから、基本的に「ネット」対「本」という形で、議論が白熱していく。
 私としては、非常に気になるところである。

 で、面白かったのは、文学者である平野さんが、将来「本」が存続するかどうかということに対して懐疑的であるのに比べ、ウェブの理解者であるはずの梅田さんが、むしろ「本」の可能性に注目しているところだった。

 梅田さんは、ネット時代になっても、本が生き残る理由のひとつとして、そのパッケージの効率のよさを挙げている。
 手軽に持ち運びができる。
 電源のないところでも読める。
 書き込みもできる。
 保存もしやすい。
 そして何よりもコストが安い。

 それに対して、ウェブ上にあがってくる情報は、長文を読むのに適さない。
 飛ばし読みしようとすると、目や神経にものすごい負担がかかる。
 そして、何よりも困ったことは、この世界には、まだまだネットから情報を得ようなどと考えたことがない、たくさんの読者が存在する。

《本は永久…とはいわないまでも、不滅だ!》
 
 だから、本という商品ないしは文化が、この世から放逐されることは、相当先の世にならないかぎり起こらない、というのが、楳田さんの考えだ。
 実際に、アマゾンが出てきてから、アメリカでは本全体の売り上げが今まで以上に伸びているのだとか。
 ロングテールの観念が浸透するにしたがって、それまで人に知られる機会がなかったような本にまで、人々の関心が向き始めたからだという。

 ただ、活字メディアの電子化が加速されると、情報性だけに依拠している雑誌、新聞というメディアは、将来危うくなるだろうという見方だけは、梅田さん平野さんとも共通した認識になっている。

 「本」か「電子メディア」かという選択は、読者の利便性の問題だけにとどまらない。書き手としての作家の立場も、そこで問われることになる。
 梅田さんは、本を書くことによって、自分の考えていたことが「構造化」できたという。

 ブログやHPで発表する文章は、なによりも速報性とか勢いにおいて、読者にインパクトを与える力は大きい。
 しかし、それはたぶんに思いつきや、ひらめきに頼ったものであることも多い。
 だが、本となれば、細部をもう一度検証し直して、全体の構想を立て直さなければならない。
 その段階で、あやふやな思いつきが鍛え直され、頑強な建築物のように、思考が構造化されていく。
 …と、私は勝手に解釈したのだが、たぶん、そういうことなのだろう。

《インターネットには“中央”がない》

 この本は、さらにブログを書くような人たちに対しても、実践的な指南書になっている。
 たとえば、いかにしたら自分の発信した情報を、検索エンジンの上位にあげることができるか。

 梅田さんは、自著の『ウェブ進化論』のタイトルを考えるにあたって、まず徹底的に検索エンジンの組み合わせを考えたらしい。
 すると「ウェブ」というワードと、「進化論」というワードを組み合わせたものが、当時はほとんどなかったのだそうだ。
 それで、『ウェブ進化論』というタイトルならば、そこでトップを取れるとひらめいた…とか。

 この本には、そういう下世話(?)なノウハウもいっぱい散りばめられているのだけれど、この本の本質は、そういうところにあるわけではない。

 あと10年ぐらいのうちに、世界中の図書館に眠っている書物がほとんどスキャンされてしまうという時代を迎えて、人類の文化はどういう方向に進むのか。
 その眩いばかりの変化のゆくえが、ここでは語られている。

 面白かったのは、インターネットというものの本質を解き明かすくだり。
 「インターネットには、それをコントロールできる権力というものが、どこにもない」
 梅田さんはそういう。

 そもそもインターネットは、アメリカが何ものかに攻撃されたとき、それでも動くネットワークが必要だという思想のもとに開発されたものらしい。
 中央があれば、そこが攻撃の対象となる。
 それは避けたい。
 そういう思惑が背景にあるから、インターネットは、そもそもが中央集権の思想とは無縁の、分散の思想で動くものなのだ…そうだ。

 実際、アメリカで9・11同時多発テロが起こったとき、何が起こったのか正確な情報を知りたいと思った人や、家族の安否をいち早く知りたいと思った人の間で、ネットを通じた情報交換がさかんに行われた。
 それがブログの隆盛につながったというのは、有名な話らしい。

《スター・ウォーズ的な世界観が時代を動かす》

 さらに面白いのは、現在このインターネットのインフラを支えているのが、それを、ほとんどビジネスとして捉えることのないボランティア気分の人たちだということ。

 たとえば、あるソフトを開発しようとした場合、今までは、それを企画する企業が自社内にたくさんのプログラマーを抱え、厳正なプロジェクト管理のもとで進行させていた。
 もちろん、そうやって精度を高めたソフトは、その企業だけに利益をもたらすものとなり、最大級の企業秘密となった。

 しかし、今の最先端のソフトの開発はそうなっていない。
 開発途上のソフトの中核部分を、むしろポンとネット上に公開してしまう。
 それを世界中のプログラマーたちが寄ってたかって、新機能を付加し、バグを修正し、完成度を高めていく。
 そこに参加するプログラマーたちは、報酬を求めているわけではない。
 ただただ、「好きで面白い」からやっているに過ぎない。

 これが「オープンソース」という概念で、ネットに少しでも関心のある人たちには、「何を今さら…」という常識中の常識なのだろうが、そういうことを知らなかった私には、とにかく面白い。

 要するに、ビジネスという概念が変わりつつあることを、そこから感じる。
 資本主義に飲み込まれない何かが、いま育ちつつあるように思える。

 実際、アメリカのIT産業の中核を担うシリコンバレーで仕事をしているスタッフたちは、資本主義に荷担することを、
 「ダークサイドに墜ちる」
 といって、(冗談ぽくだが)いましめあっている。

 ダークサイドとは、映画『スター・ウォーズ』に出てくる“悪の帝国軍”の支配する世界だ。
 彼らは、まさに『スター・ウォーズ』的世界観のなかで生きている。
 スタッフたちの会議では、『スター・ウォーズ』に出てくる言葉が飛び交い、実際に、会社の中でライトセーバーを振り回している人もいるらしい。

 この無邪気さが、とてつもない技術革新を生み出す原動力となっていることは、なんだか示唆的だ。
 私のような中高年は、同じSFでも『ブレードランナー』の世界に感情移入する人間が多い。あの『スター・ウォーズ』の、単純な善悪二元論には耐えられないのだ。そのシンプルな世界観は、あまりにも退屈だ。

 しかし、この話を聞くと、ネット社会を生きる若者たちを理解する方法を変えなくてはいけないとも感じられてくる。
 あの『スター・ウォーズ』のシンプルな世界観には、世界を新しく統合するというイメージがある。それは、アンチユートピアを掲げる『ブレードランナー』にはないものだ。

 私から見れば、『スター・ウォーズ』は、悪の帝国軍を破って、善の共和国政府を助けるという、「独裁制」と「民主制」というお定まりの図式にしか見えないのだが、ひょっとしたら、シリコンバレーの中核にいる天才たちは、これを「ニュートン物理学」的な世界観を打破して、「量子力学」的な世界観へ統合していくというイメージと重ね合わせているのかもしれない。
 
 そう思うと、『スター・ウォーズ』が、指し示す政治的な世界像を、退屈だと断定しまうと、見えない世界があるのかもしれないと思った。

《アナロジーが通用しない時代?》

 「いま起こっている新しいことを、アナロジーで理解しようとしてはいけない」
 これは、梅田さんが先に出した『ウェブ進化論』の後書きで、語った言葉だ。
 
 それを読んだとき、ショックでもあり、斬新さも感じた。
 われわれ中高年で、しかも文科系の人間は、理解できない新しいものに接したとき、いままで理解していたものに当てはめて、解釈しがちである。
 特に、古い文化人は、類推…アナロジーで解釈することが得意であり、そのアナロジーの妙で文章を綴り、それをメシのタネにしている人が多い。

 ところが梅田さんは、
 「何かのアナロジーで考えようとするかぎり、ネット世界を丸ごと身体で理解している若い世代の考えを、つかむことはできない」
 と断言する。

 「ネット世界で起こっていることは、古い世代がそれまでの智恵を総動員して、一生懸命に理論武装したところで、理解するには限界があり、おおむね若い世代の持つ可能性に対して、シニカルで悲観的な視線を向ける結果に終わりがちだ」

 この指摘は、重要だと思った。
 自分の若い頃を思い出しても、音楽であり、スポーツであり、小説であり、そこから刺激を得たものを、自分のなかにインプットするときに、いちいちアナロジーの力など借りていなかった。
 それが若さというものなのだろう。

 ただ、人間が何かを思索するときに、結局、最後はアナロジーという手法を手放すことはないように思える。
 現に、シリコンバレーの天才たちは、『スター・ウォーズ』のアナロジーのなかで生きている。

 「アナロジーが通用しない」という梅田さんの発言は、既存社会のパラダイムをベースとしたアナロジーは、その先の時代には通用しない、という、それだけのことではないかと思う。 

 オジさんとしては、結局ウェブの世界で何が起ころうとしているのか、よく解からなかったのだけれど、古い「こだわり」に縛られているかぎり、見えない世界がある、ということが解かっただけでも、収穫だった。
 ま、「本」もしばらく残るという結論だったし、一安心。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 22:48 | コメント(4)| トラックバック(0)

陸軍型人間の憂鬱

 人間には、陸軍向きの人間と、海軍向きの人間がいる。
 その区分でいくと、私は、圧倒的に陸軍向きにできている。
 なにしろ、足が速い。
 中学生のときは、学校対抗の800mリレーで、いつも母校チームのアンカーを務めた。
 走り高跳びも得意だった。
 当時流行していたベリーロールなんて跳び方も、一人で工夫してモノにしていた。
 高校のときは、バスケットボール部に所属して、ベンチを温めることにかけては、ひと一倍の能力を発揮した。

 そんな陸軍能力が抜群の私なのだが、海軍的な能力となると、とたんにトーンダウンせざるを得ない。

 この年になっても泳げないのだ。
 厳密にいうならば、犬かきで2mほど前に進む。
 もちろんクロールも、平泳ぎも、いちおう手足だけはそれらしき動きを模倣することはできる。
 しかし、その場合は前に進まない。
 犬かきだと前に進む。
 まったく海軍には向いていない。

 ところが、夢に出てくる私は、いつも水泳の選手になっている。
 きっと願望とやらが、夢に表れるのだろう。
 夢の中の自分は、いつも声援を浴びながら、競泳のトップに立っている。
 プールのヘリを蹴って、カッコよくターンを決める。
 そして、いつもこむら返りを起こして、目がさめる。

 そんなわけで、昔は、友だち大勢と海に行くと困った。
 泳げないんだから、海なんか行かなければいいのだが、とてつもなく海が好きなのだ。
 だが、さすがに水の中に入ってしまうと、カッコ悪い。
 で、砂浜のデッキチェアに寝そべって、優雅に体を焼いているようなふりをして、時間が過ぎるのを待っている。

 友だち大勢だから、当然女の子もいる。
 「町田く~ん、泳ごう!」
 こう誘われると、つらい。
 「オレはいいよ。いつも家のプールで泳いでいるから」
 精いっぱい、お坊ちゃんの“けだるさ”みたいなものを漂わせながら、たまにそんなことを言ってみるのだが、本気にされると、バレた後でバカにされるので、そのフォローに少し智恵をしぼる。

 「町田くんの家って、お屋敷なの?」
 …と突っ込まれるのを待って、
 「ああ、門から玄関まで100mの並木があるから、冬は落ち葉の掃除で、下男が苦労しているよ」
 …と、冗談だかホントだか分からない風にごまかして、相手を煙に巻く。
 そのうち“家のプール”の話もうやむやになる。

 そんなウソ話ばかりに熱を入れていたから、いまだにそのクセが直らない。
 私は、極端なO脚なのだが、これも、幼い頃から家庭教師付きで乗馬を習っていたため、そうなったことになっている。

 その話を最初にカミさんにしたとき、一瞬だけ信じたようだが、すぐに、
 「あなたの足が、クラの下まで届くはずがないじゃない!」
 と、切り替えされた。
 「オマエこそ、自動車のブレーキペダルまで足が届かないじゃねぇか!」
 と言いたいところだけど、(怖いから)言えない。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 20:05 | コメント(4)| トラックバック(0)

黄昏のルート66

 21世紀文明の原型ができあがったは、1980年代だったという説が、いろいろな分野で、さまざまな形で語られるようになってきた。
 松尾理也氏の書かれた『ルート66をゆく』という著作を読んで、アメリカもまた80年代に大きく変わったという思いをあらたにした。

ルート66標識

 もちろん、松尾氏が書かれたこの著作は、ルート66をたどるノスタルジックな旅行記でもなければ、このルートが全盛を極めた当時と現在の世相を比較する、時代論的な考察でもない。
 ルート66が走るアメリカ中西部の地域に着目し、そこに住む人々の「政治的保守」という心情が、いったいどこから派生してくるのか。
 そこに着眼点をおいた、ユニークで面白い社会学的な書物である。

 しかし、私はその本に書かれていた、
 「ルート66が、1984年に廃止された」
 という一言から、さまざまな思いを馳せることができた。

 ルート66
 この言葉を聞くと、団塊世代は、みなある種の熱い思いをたぎらせるという。
 60年代に日本でも放映された、人気テレビドラマ『ルート66』の思い出が脳裏によみがえるからだろう。
 特に、ジョージ・マハリスが歌った主題化の「ルート66」は、原作者のボビー・トループのバージョンをはじめ、ナット・キングコール、ビング・クロスビー、ローリングストーンズや綾戸智絵のカバーがいずれも話題となり、ポップスの永遠のスタンダードと言われるほどの人気を博した。

 ルート66は、シカゴを起点にカリフォルニアのLAに至るまでの3,900kmの道のことを指す。
 セントルイス、ジョプリン、オクラホマシティ、アマリロ、ギャラップ、フラッグスタッフ、ウィノナ、キングマン、バーストゥ、サンバナディーノ。
 途中を通過する町は、すべて歌の中に歌われており、この曲が好きな私などは、都市名がすべてメロディの形でインプットされている。

 「ルート66」が郷愁を帯びた言葉として感じられるのは、アメリカ人にとってはなおさらのことらしく、60年代に10代を送ったベビー・ブーマーのなかには、この言葉を聞くと、カーラジオから流れる最新のヒット曲(今でいうオールディズ)を聞きながら、ホットロッドを転がしていた時代を思い出す人が多いという。

 ルート66で西に向かうことは、アメリカ人にとってフロンティアの再現だった。
 17世紀から19世紀の西部開拓時代。東海岸の都市生活に見切りをつけた人々は、みな幌馬車に乗って、西を目指した。
 西に向かうということは、厳しい試練を覚悟することでもあったが、同時に希望の獲得でもあった。

 「西に向かえば人生をリセットできる」
 アメリカ人の西部への信仰は、第二次大戦が終わって、兵役から解放された若い米兵たちの心をも捉えた。
 アメリカの黄金時代といわれる1950年。
 ルート66は、うきうきした気分で西を目指した若者たちでにぎわう、米国最大の観光道路だったと、松尾氏は書いている。

 沿道には、ピンクやグリーンの派手なネオンサインを灯したモーテルやレストランが建ち並び、店内にはぴかぴかに輝くジュークボックスが置かれ、そこからはプレスリーの煽情的なロックンロールや、砂糖菓子のように甘くてファンシーなアメリカンポップスが絶えず流れていた。

アメリカの街のネオン

 そのルート66が主役の座を降りたのは、その後に開通したインターステート・フリーウェイ(州間高速道路)にとって代わられたからだ。
 それが1984年ごろのことである。
 やがて、ルート66は、都市間交通の主要道路としての価値を失い、道は分断され、沿道のモーテルやレストランもさびれていくばかりとなった。

 ルート66が使命を終えたといわれる1984年に、アメリカではどんなことが起こっていたのだろう。
 
 この年、アメリカの経常収支赤字は、前年の420億ドルから倍増して、900億ドルに達するという見通しが定まった。
 それに対して、日本の経常収支黒字は、240億ドルに達していた。
 つまり、経済の分野で、「凋落するアメリカ」、「勃興する日本」という図式が、誰にとっても明瞭になる世の中が訪れていたのだ。

 それを象徴的に語ったのが、自動車産業における日米の逆転だった。
 1980年代は、日本車の世界市場でのシェア拡大が顕著になり、「トヨタ式生産方式」に代表される日本型の生産システムが、欧米で注目された時代となった。
 日本の自動車産業は黄金時代を迎え、逆にGM、フォード、クライスラーなどのビック3は、巨額の赤字を計上するはめに陥った。

 1984年には、ホンダ、日産に続き、トヨタ自動車がカリフォルニアでGMとの合弁による現地生産を開始した。
 モータリゼーションの先進国であることを誇りに思っていたアメリカ人が、後進国の日本の力を借りなければ、自動車産業を維持できないことを悟った年が、84年だったといえるかもしれない。

 アメリカ人たちは、1984年になって、豊かな先進国であるはずのアメリカの内部に、実は寒々しい空洞化が進んでいたことを知った。
 奇しくも、この年に、ヴィム・ベンダースが、アメリカの空っぽの風景を描いた『パリ、テキサス』が話題になったのも、偶然とはいえない何かを感じさせる。

 しかし、この時代、実はアメリカは、シリコンバレーに象徴される情報産業研究機関の育成に、全力を投入することで、自国産業の巻き返しを図っていた。
 それが、1990年代になると、誰の目から見てもはっきりしたものになってくる。

 現在、携帯電話とブロードバンドのインフラ面においては、日本が再びアメリカをリードしているという話もある。
 しかし、グーグルをはじめとする、IT産業に革命を起こすほどのパワーを持つ人材を多数抱えた企業が躍進しているという意味で、アメリカの絶対的優位は揺るぎそうもない。
 おそらく、あと10年という短いスパンで、地球の文明は、このアメリカの情報産業の力によって、大きく様変わりしていくだろう。
 
 ルート66が黄昏の果てに消えゆこうとしていたとき、実は、アメリカは新しい文明の黎明期を迎えていたことが、今になってよく見えてくる。

アメリカの黄昏の空
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 20:50 | コメント(2)| トラックバック(0)

エメラルド色の海

 塩野七生さんが、 『ローマ人の物語』 全15巻を完成された。昨日のNHKの番組で、五木寛之氏と対談されているのを見て、それを知った。

 私は、塩野さんの大ファンだが、この作品集だけは、まだ初期の2巻ぐらいしか読んでいない。後は老後のお楽しみなのである。

 老後の楽しみとしてとっておける本など、そう簡単に思い浮かぶものではないが、これだけは確実に (全部読んでいないのに) 、断言できる。
 なぜなら、今まで彼女が書いたもので、裏切られたものがないからだ。

塩野七生ローマ人物語 塩野七生海の都

 塩野さんの作品は、緻密な資料研究を積み重ねて描かれた 『海の都の物語』 のような歴史研究書から、粋な男の生き様を説く 『男たちへ』 のようなエッセイ集に至るまで、すべて洒落ている。

 ため息が出るような文体である。
 レトリックの美しさという意味では、これ以上のお手本となるような文章はないというくらいの名文で、それを吸飲するだけで、私はどんな美酒におぼれる以上に酔ってしまう。

 特に好きな 『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』 などは、もう4回も読み返しているし、それ以外に気に入った著作は、最低2回読み直している。
 もちろん、全作品を読破している。

塩野七生0071
▲ チェーザレ・ボルジアを書いた当時の塩野氏

塩野七生チェーザレ・ボルジア

 昔、自動車メーカーの広報誌を編集していた頃、
 「高級車とは何か?」
 というテーマで、特集を組んだことあった。
 
 原稿をいただく一人の作家は決まっていた。
 当時、私が編集を担当して2冊ほど世に出した 『ダンディー・トーク』 というシリーズの著者である徳大寺有恒さんだった。
 これは、私が担当編集者であったことも幸いし、快諾を得ることができた。

徳大寺有恒ダンディー・トーク

 もう一人の執筆者がなかなか決まらなかった。
 できれば、自動車の世界とは無関係な人、それも超ビックな人の原稿が欲しかった。

 高級車というものを、自動車の領域で書いてもらうのは専門家の徳大寺さんに任せ、「高級」 というものの概念そのものを、しっかり説明できる人がほしかった。

 私は、塩野七生さんに的を絞り、彼女の作品を出していた出版社に連絡を取ってフィレンツェの連絡先を聞き出し、国際電話をかけた。

 断られて元々と開き直った気分だったが、電話口に出た塩野さんは、原稿はダメだといいながらも、対談ならOKだと、あっさりと引き受けてくださった。

 しかも、同じ企画の中で原稿をもらうことになっていた徳大寺さんを対談相手に指名してきたのは、偶然とはいえ、びっくりした。

 これはラッキーだった。

 たまたま息子さんが自動車免許を取られたばかりで、親としてどんなクルマを薦めればよいのか、 『間違いだらけの車選び』 を書いていた徳大寺さんに尋ねてみたいという意向があったということが、幸いしたのかもしれない。

 対談の打ち合わせをするために、東京の帝国ホテルのロビーで塩野さんと待ち合わせをしたとき、むしろ電話をかけたとき以上に、私は緊張していた。

 突然、ふわっと登場した塩野さんは、とても美しかった。
 若さからくる美貌とはまた違った、知性の輝きがまぶしい光となるような美しさで、それが体全体から、オーラのように滲み出ていた。

 打ち合わせの場所として、ロビー横のカフェテリアを予定していた私の思惑をあっさりとかわし、彼女は、
 「私の部屋にこない?」
 と誘った。

 ドキドキした。
 お互いに初対面なのである。

 氏素性もよく分からないはずの私を、いくらホテルの部屋だとはいえ、密閉されたプライベート空間に招き入れるとは。
 彼女の度量の大きさに感服した。

 しかし、それでもまだ戸惑っていた私の胸のうちを察したのか、
 「あら、フォーカスなんかに撮られないから大丈夫よ」
 と、大人の女の笑顔を見せた。

 「フォーカス」 というのは、当時発行されていたゴシップネタを得意とする写真週刊誌で、有名人がよく盗撮されて、物議をかもしていた雑誌のことである。

 打ち合わせを終えて、私は、1冊だけカバンの中に忍ばせていた彼女の著作を差し出し、サインを所望した。
 『愛の年代記』 という短編集だった。

 そのなかに収録されていた 「エメラルド色の海」 という短編を、私はこよなく愛していたのである。

塩野七生愛の年代記 塩野七生黄金のローマ

 オスマン・トルコと、キリスト教国家が対立していた地中海世界を舞台とした短い話で、極悪非道な振る舞いを続けるトルコ海賊の首領に、イタリアの小国の伯爵夫人が恋をしてしまうという話である。
 
 たった1回だけ、それも、その小国の女王になりすますという不自然な会見ながら、ウルグ・アリと名乗るトルコ海賊の挨拶を受けた伯爵夫人は、深い衝撃に打たれた。

 野蛮で下品な男を想像していた伯爵夫人は、目の前にいる男が、流ちょうな南イタリア語をしゃべり (彼は元はイタリア人だから) 、紳士としての気品を身につけ、貴族のような優雅さと、大胆不敵な男らしさを漂わせる、魅力的な人物であることを悟った。

 海賊の夫人に対する礼儀作法は、どのキリスト教徒の男よりも洗練され、会話は機知に富み、浅黒い肌に光る瞳は、海に生死を賭けている男特有の官能美に溢れていた。

 海賊の持っていた美質は、自分の夫も含め、夫人の周りにいるキリスト教徒の男たちが、すべて失ってしまったものばかりだった。

 会見を終え、夫人に見事なエメラルドをプレゼントしたウルグ・アリは、夫人の胸に熱い炎をともしたまま、優雅に立ち去る。

 海賊船隊が港を出て行くときの描写が美しい。

ガレー船04

 船の左右に並んだオールの先が、水鳥が飛び立つときのように、いっせいに宙に浮き上がったかと思うと、次の瞬間、ふわりと海面に落ちる。

 黄金色に染まる海を、船足を速めて、外洋に漕ぎ出て行くトルコ船隊。

 「その先には、エメラルド色に輝くという、南の海があるのだろうか…」

 夫人は、生まれてはじめて、かけがえのないものを失うときの瞬間というものを自覚する。

 伯爵夫人は、そのたった1回の出会いを大切な思い出として胸の奥深くしまい込んだまま、孤独な宮廷生活を送る。
 敵対する異教徒の、しかも “卑しい” 海賊に恋をしたなどと打ち明ける相手が、宮廷の中にいるはずもない。

 誰もが、 “無知で野蛮な” 海賊をだまし通した夫人の胆力を賞賛するが、そのことで、夫人はいっそう傷ついていく。

 一方、海賊の首領ウルグ・アリは、やがてトルコ正規海軍の提督として、全キリスト教徒の軍隊から憎まれる存在となって、地中海世界に君臨する。

 しかし、彼もまた、二度と会うことのなかった伯爵夫人に、キリスト教徒の騎士が胸に秘めるような尊敬の念を、生涯抱きつづける。

 一度だけ、イタリア商人を介して、海賊から秘密の贈り物がそっと届く。
 ヨーロッパ社会では手に入らないような、見事な刺繍に彩られたエメラルド色の布地だった。

 伯爵夫人は、周りの侍女たちをみな引き下がらせ、床に広げた布地に体を投げ出して、少女のように号泣した。

 南イタリアに残る伝説をベースに、塩野さんが華麗なタッチで描ききった珠玉の物語である。

 この話を最初に読んだとき、もう 「ロマンチック」 という言葉は、この話のためにあるような言葉だと、私には思えたものだった。

 私は、その後、自分が海賊ウルグ・アリであるような思いでいる。
 たった一度だけの機会であったが、あのとき、自分の部屋に招き入れて楽しい話を聞かせてくれた塩野七生さんは、私にとって、 「エメラルド色の海」 に登場する伯爵夫人のように、生涯まぶしく輝き続ける人だからだ。

 関連記事 「チェーザレ・ボルジア 優雅なる冷酷」
 関連記事 「本屋を覗く」


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 18:43 | コメント(8)| トラックバック(0)

ドッグカフェ紹介

 長崎県にあるキャンプ場「龍頭泉いこいの広場」より、画像メールが送られてきました。
 犬と一緒に場内を散歩した後に、一緒に休憩できるドッグカフェ「HOT PLACE」が、昨年11月にオープンしたという連絡です。

ホットプレイス室内画像1 ホットプレイス犬座り7

 この「いこいの広場」は、ドッグランコートを備えたキャンプ場として、地元でもなかなかの人気キャンプ場。
 そのドッグランコートも、大型犬用とは別に、小型犬用のものも用意されており、小さな犬を連れた飼い主でも、安心して愛犬をコート内に放すことができます。

いこいの広場全景_1 いこいの広場ドッグランコート

 ドッグカフェ「HOT PLACE」は、管理棟の一部を改良したもので、ログ風に丸太を組んだ壁に、木を削りだしたテーブル。さらに丸太を平らに切った椅子など、どこもかしこも「木の香り」でいっぱい。
 自然のなかで憩う気分が満喫できて、実に落ちつきます。

ホットプレイステーブルと椅子 ホットプレイステーブル

 このインテリアの雰囲気!
 どこかで、これに似た室内を持ったキャンピングカーを見たことはありませんか?
 そうです!
 あのカスタムプロホワイトが制作した「フィールドキング」とそっくりです。
 なにせ、インテリアを担当したのが、ホワイトの池田さんだからです。

フィールドキング外装いこい フィールドキング内装いこい

 天然木をたっぷり使ったフィールドキングは、「木のぬくもり」を味わえるバンコンとして大人気。
 「自然と人間がクルマの中で出会う空間」として評価され、いろいろなメディアからも注目されています。
 「HOT PLACE」は、それをキャンプ場で実現した、“建物版のフィールドキング”といっていいのかもしれませんね。
 池田さんはエッセイ「答は風の中」も綴られていて、ご自分のHPで公開しています。
 豊かな詩情を、ちょっぴり辛口な文明批評に絡めて、独特の文章を展開されています。

 店内に飾られた「HOT PLACE」という看板も、もちろん池田さんの手作り。
 お店を担当しているのは、池田さんの奥様です。とってもおいしいコーヒーを入れてくれます。
 BGMには、ときどき懐かしいR&Bがかかることもあります。ホワイト池田さんの趣味なんですね。

ホットプレイス看板 池田氏顔 

 この「いこいの広場」キャンプ場には、他にも楽しい施設がいっぱい。
 たとえば、五右衛門風呂(写真 下)。
 釜の下で薪を焚いて、お湯を温めるんですね。
 なんともいえない湯加減が快適です。
 この五右衛門風呂は、いこいの広場の管理人である村田さんをはじめ、関係者たちの手作りなんですね。よくできています。

いこい五右衛門外 いこい五右衛門中

 ほかに「ツリーハウス」なんてのもあります(写真 下)。
 これも村田さんたちが、仲間と一緒に楽しみながら作ったオリジナル品。
 これ、バンガローとして予約ができるんですよ!
 大人でも、少しやんちゃな冒険少年に戻った気分でたっぷり楽しめます。

いこいの広場ツリーハウス外 いこいの広場ツリーハウス中
 
 夜は、焚き火も!
 焚き火を眺めていると、電気やガスとは違った明るさと温かさが感じられて、人と人とのつながりも、とても貴重に思えてきます。

いこいの広場炉 キャンプファイア

 キャンピングカーの旅で、長崎に出向いたときには、皆さまもぜひ一度。

※ 龍頭泉いこいの広場
   長崎県東彼杵郡東彼杵町中岳郷1535
   電話:0957-47-1654

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 19:10 | コメント(2)| トラックバック(0)

本業はDJ

 私の本業は、フリーのディスクジョッキーである。
 ローカルラジオ局で音楽番組を担当し、自分でシナリオを書いて、選曲もし、マイクの前でしゃべっている。

 …というウソを、たった一人の人だけが、信じ込んでいる。
 近所の飲み屋さん(というか寿司屋さん)でよく顔を合わせる、クマさんだ。

葵寿司入り口

 クマさんは、めっぽう音楽情報に強い。
 得意分野は、1960年代から70年代ぐらいのリバプールサウンズ。
 もちろん、ビートルズ、ストーンズなども入るのだけれど、お好みは、その一時代だけもてはやされた感じの、懐かしいグループたち。
 アニマルズ、ビージーズ、デイブ・クラークファイブ、ハーマンズ・ハーミッツ。
 このへんのメジャーは当然として、
 キンクス、ジェリーとピースメーカーズ、ハニーカムズ。
 なんていう渋いところも、お好きだ。
 メンバーの名前や顔をすべて把握しているだけでなく、誰がどこでいつ、どんな女性にフラれたか。
 そんな芸能誌ふうのネタまでしっかりフォローしている。

 たまたま店のカウンターで隣同士に腰掛け、そのへんの会話で一気に盛り上がった。

 酔っていた。
 で、つい口が滑った。
 「ねぇ、クマさん。ゲストとして招くからさぁ、今度ボクがやっている音楽番組に出てみない?」
 ああ!
 なんていうことを口走っちゃったんでしょうね。

 もちろんクマさんの目が輝いた。
 一度ウソが口をついて出てしまうと、次々と邪悪な妄想が頭のなかにひらめいて止まらなくなる私なのである。

 「地方局だから、週に1回なんだけど、ディレクターと幼なじみなんで、時間のある時にそっちに行って、夜はそいつと酒飲んで、翌日スタジオに入って、何回分かを録音してるわけ」
 それまで考えてもみなかったようなウソ話が、立て板に水のごとくスルスルと言葉になっていく。

 「クマさんみたいなモノ知りが、マイクの前でしゃべったら、きっとファンからのハガキもいっぱい来るだろうな」
 「ダメだよ。オレ人前ではうまくしゃべれないんだよ。きっと、あがっちゃうだろうなぁ」
 クマさん、すっかりその気である。

 家に帰って、酔いが醒めて、なんて罪なことをしてしまったのかと、身ぶるいするほどの後悔に襲われた。

 が、酔ってクマさんの隣りに座ると、また病気が始まる。
 「今度さぁ、マージービートの特集やるからさぁ。クマさんが出演するときには、クマさんが得意な曲を中心にしたシナリオを書くよ」
 「悪いねぇ。メモして渡すよ」

 店のマスターや他の常連客は、私がキャンピングカーの本をつくっている人間だと知っているから、ニヤニヤしながらなりゆきを見守っている。
 なかには、
 「ボクもそのローカル番組聞いてみたいな。こっちでは聞けないんですか?」
 などと、シレッと私をたきつける客までいる。

 それを聞いて、クマさんも、
 「そうだね。録音テープなどはないの?」
 とノッてくる。

 しかたなく、家でニセのDJテープをつくるはめになった。
 取材で使っているモノラルテープレコーダーに、適当にしゃべりを入れて、CDから音楽をとる。

 それをクマさんに渡すと、
 「やぁ、あれ、すごかったねぇ! 選曲も解説もバツグンだねぇ」
 と、次の日に会ったクマさん大喜び。

 仕方なく、続編のテープもまたつくる。
 こうやって、ウソがだんだん雪だるま式に大きくなっていく。

 酔うと、思いつきだけで何でもしゃべるくせに、家に戻ると後悔また後悔。
 「善良な人間をだまして遊んで、オマエ何が面白いの?」
 と私の良心が、私を責める。
 
 でも、ひょっとしたらクマさんの方も、私のウソを見抜いていながら、その場の会話を楽しんでいるだけかもしれない。
 その証拠に、どこの局の、なんて番組で、自分はいつ出演させてもらえるのか、そういうことを、いっさい尋ねてこない。

 それをいいことに、性懲りもなく、私はニセDJ番組のテープを作り続ける。
 そしてクマさんは、さも面白そうに、その感想を聞かせてくれる。
 
 ただ、このことを公表していいものかどうか…。
 願わくば、クマさんが、人のブログを読む習慣などを持たない人であることを祈るばかりだ。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 16:14 | コメント(4)| トラックバック(0)

ハッピーnewイヤー

 ブログを書き始めて、はじめてのお正月です。ここにお越しいただいた方、コメントをお寄せいただい方、昨年は本当にありがとうございました。
 大晦日と元旦は久しぶりの2連休を取るつもりです。

 さっきやっと年賀状を書き終わり、お風呂から上がったところです。
 年も改まったので、2ヶ月ぶりに体を洗い、半年ぶりに髪を洗い、1年ぶりに歯も磨いたので、さっぱりしました。
 自分で磨いた浴槽は、やっぱり気持ちがいいですねぇ!

 今、カウントダウンTVを見ながらようやく一杯始めたところ。
 これから久しぶりに小僧が帰ってくるので、今夜は徹夜で飲み明かすのかなぁ。
 明日は、義母も交えて家族麻雀です。
 
 今年もよろしくお願い申し上げます。
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 01:58 | コメント(12)| トラックバック(0)
<<  2007年 1月  >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
ホビダス[趣味の総合サイト]