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金融とキリスト教

金融恐慌とユダヤ・キリスト教

 島田裕巳 (しまだ・ひろみ) 氏が書いた 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』 (文春新書) は、グローバル化した現代の金融資本主義には、ユダヤ・キリスト教の世界観がそのまま反映されていると指摘した、実に刺激的な書である。

 抜け目なく利潤を追求する金融資本主義と、愛や倫理を説くキリスト教は、一見、相反するもののように思える。

 しかし、島田氏がいうには、そのような金融資本主義的な理念こそ、ユダヤ・キリスト教思想の反映なのだという。

 考えてみれば、現在の経済システムそのものともいえる資本主義が勃興したのは、イギリスやネーデルランド地帯といった北ヨーロッパの、それも信仰心の篤 (あつ) いプロテスタント信者の多い地域である。

 広い意味での 「商業」 ならば、ヨーロッパに限らず、イスラム諸国でも、中国でも、インドでも盛んだった。
 商業の歴史は、資本主義の歴史よりも古く、それこそ人類の歴史そのものといっていいほど古い。

 なのに、なぜ近世の北ヨーロッパだけに、資本主義は生まれたのか。

 考えてみると、これはなかなか興味深いテーマである。

神の見えざる手

 多くの経済史をひもとくと、資本主義の起源を、イギリスの産業革命による大規模な技術革新と、労働力の確保に求める説が多い。

 しかし、それだけではあるまい。
 やはり、資本主義をデザインしようとした人たちのモチベーションには、なんらかの 「世界観」 が反映されていたはずである。

 その資本主義のメンタリティーというものを考えるとき、本書はひとつの重要なヒントを提示しているように思える。

 まず、島田氏は、現在の経済学の根幹ともなったアダム・スミス (1723年生) を代表とする古典主義経済学そのものが、キリスト教的な教義をそのまま援用したものだという。

アダム・スミス

 古典派経済学では、「市場」 というものを、次のように捉える。

 すなわち、物が流通する 「市場」 には、自動調整機能というものが備わっており、各局面において不均衡が生じることはあっても、最終的には需要と供給の均衡がとれるものとなり、富の分布も公平に行きわたる。

 その自動的に均衡がとれるような働きを、一般的に 「神の見えざる手」 と称し、そこに、全知全能の 「神」 の力が 「市場」 に投影されているというキリスト教神学の影を見ることができる…と氏はいう。

神の見えざる手

 宇宙をコントロールできるのは、神だけである。
 需要と供給が不均衡にせめぎ合う 「市場」 も、正しく見ると神の正確な手さばきによって運営されている。

 そのように 「市場」 というものを見る視点において、すでにキリスト教は独自の商業観を獲得していた。

労働は “罰” だった

 資本主義を生み出した人々の心に、プロテスタント系キリスト教徒の倫理観を見出したのは、マックス・ヴェーバー (1864生) である。

マックス・ヴェーバー

 彼の基礎文献ともいえる有名な 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 においても、島田氏はユニークな分析を試みる。

 ヴェーバーが、資本の蓄積をプロテスタントの禁欲的な労働に求めたことはあまりにも有名だが、それはプロテスタントたちが、獲得した財産を消費に回すことを神から禁じられ、節約こそ美徳であると奨励されたからこそ可能になったという。

 「つかうことなく、貯まる一方の金」

 ヴェーバーは、そこに資本の原始的蓄積を認めた。

 このヴェーバーの着想に、 「人間は神から労働を “強制させられた” 」 という聖書の指摘が作用していることに島田氏は着目する。

 キリスト教とユダヤ教の共通の聖典である 「創世記」 に、有名なアダムとイブの話がある。
 2人は、 「エデンの園」 という神から与えられた楽園で、何一つ不自由のない暮らしを営んでいた。

アダムとイブ01

 ところがある日、イブは、蛇 (悪魔の使い) にそそのかされ、神から食べることを禁じられていた “智恵の実” を食べてしまう。
 それを知って怒った神は、アダムとイブを楽園から追放し、ついでに永遠の生命も取り上げ、 「死」 を運命づけるとともに、生きる糧を得るための 「労働」 を強制する。

アダムとイブ02

 つまり、キリスト教における 「労働」 は、人間が神から指図された “強制労働” なのである。

 「強制労働」 であるからには、神は常に監視しているはずだ。
 だから、一時もサボってはならない。
 神の許しを乞うためには、歯を食いしばっても、身体に血がにじんでも、 「労働」 を手放してはならない。

 ここにプロテスタント系キリスト教の独特の 「労働観」 がうかがえる。

 すなわち、「神の意志」 を知り得ない人間にとって、労働に励むことこそ、神の慈悲にすがる唯一の方法であるという考え方が、ここに表れている。

キリスト者としてのマルクス

 このようにして、資本主義を準備する原資の蓄積がなされていくわけだが、暴走し始めた資本主義は、アダム・スミスたちの古典派経済学者が夢見たような、予定調和に満ちた幸せな経済原則を実現しなかった。

 世界でいち早く資本主義システムを樹立したイギリスにおいては、富を蓄積する資本家と、貧困にあえぐ労働者の階級対立が生まれ、アダム・スミスの唱えたような富の分配が自動的に調整される理想的な市場とはかけ離れた経済現象が出現した。

 ユダヤ系ドイツ人であるカール・マルクス (1818年生) は、そのような資本主義の非人間性を指摘し、悲惨な社会を現出させる資本主義社会がいつまでも続くわけがないと主張して、共産主義社会の到来を予言する。

カール・マルクス

 マルクスは、驕 (おご) れる資本家たちの 「労働者からの搾取」 が極限まで進み、社会が成り立たなくなった時点において、資本主義は終焉すると予測した。
 そして、そのあとに到来する共産主義社会こそ、人類に最終的な幸福を約束する社会であると宣言した。

 このような発想に、島田氏は、キリスト教的な 「終末論」 の影を見る。

 「マルクス主義」 というと、宗教とはもっとも相反する思想だという先入観を持つ人は多いが、島田氏は、その鼻祖であるマルクスの中に潜むキリスト教的 「教養」 を見逃さなかった。

 キリスト教においては、人間は 「最後の審判」 という避けられない日が到来することを宿命づけられている。

 すなわち、アダムとイブ以来の 「原罪」 を背負う罪深い人間は、いつしか神の裁きを受け入れなければならず、天国に行くか地獄に堕ちるかを審判される 「最後の日」 を迎える。

最後の審判
▲ 最後の審判図

 このような 「終末論」 は、背徳に染まった人間たちを、神が洪水を使って滅ぼそうとする 「ノアの箱船」 の話に始まり、業火に焼かれる 「ソドムとゴモラの町」 の話に至るまで、聖書のあらゆるところに記述されている。

 島田氏は、このような 「終末論」 を常に教養として語り継いできた欧米人の社会では、危機的な事態を 「終末論的」 に解釈する心理的な回路が、しっかりと形成されているという。

 したがって、恐慌による資本主義の経済破綻というのも、キリスト教の 「終末論」 をなぞったものとされ、その神の罰を受け入れ、悔い改めることによって、新しい資本主義社会が再生されるというヴィジョンが、欧米人の資本主義的イメージの根幹を成しているというのだ。

 このように考えると、マルクスの唱える、 「ブルジョワ支配による資本主義の終焉」 と、その後に訪れる 「労働者主体の共産主義社会による再生」 も、そっくりキリスト教が説く 「腐敗した民の滅亡」 と 「選ばれた民の再生」 の話法をなぞったもののように見えてくる。

 マルクスの唱えた 「共産主義」 が、当時の資本家たちを怖がらせたのは、そこに提示された革命のヴィジョンが、資本家たちに、キリスト教徒にとっては身近な 「神の裁き」 を予感させたからかもしれない。

破壊された現代のバベルの塔

 民を常に監視し、その信仰心をチェックし、驕り高ぶる人間を見逃さずに処罰するというユダヤ・キリスト教の神の特徴は、現代のアメリカ社会においても貫かれている。

 2001年に起こった 「9・11世界同時多発テロ」 で、ニューヨークの貿易センタービルがハイジャックされた航空機の突入によって破壊されたとき、アメリカ人の中には 「バベルの塔」 の崩壊を感じた人が多かったという。

バベルの塔

 聖書に記述されるバベルの塔の説話は、ある時、人間たちが神のいる天まで至ろうとして、巨大な塔を建設する話だ。

 神は、それを 「思い上がった人間の不遜な行為」 と受け取る。
 そして、塔を建設する人々がコミュニケーションを取れないように、彼らが話す言葉をバラバラに分けてしまい、中途で挫折するように仕向けた。

 この話が、世界の言語が多様化した起源だとされるわけだが、ここにも、アダムとイブの話、ノアの箱船の話と共通した、 「人間の罪」 に敏感な神の視線を感じることができる。

 貿易センタービルというのは、アメリカの資本主義の隆盛を象徴する建物だった。
 その倒壊は、資本主義の恩恵に酔いしれて贅沢を極めた人類が迎える 「小さな終末」 でもあった。

 貿易センタービルの倒壊によって、 「バベルの塔」 を想起した人々が多かったということは、それだけアメリカ社会が、聖書のメンタリティに満たされた社会であることを物語っているといえよう。

9・11世界同時多発テロ貿易センター

抗議としての原理主義運動

 島田氏は、最近ひんぱんに使われるようになった 「原理主義」 という言葉にも注目する。
 もともとこれは、20世紀のはじめ、キリスト教のなかで、聖書に対して徹底して忠実であろうとする運動に対して用いられた言葉だった。

 しかし、聖書は古代に記されたものなので、そこには古代社会における生活が反映されている。
 そのため、現代の社会ではそのままでは適用できない部分が多い。

 ところが、原理主義者たちは、その点を無視し、あくまでも聖書の記述に忠実であろうとする。

 学校でダーウィンの 「進化論」 を教えることに反対し、現存するすべての生物は神のつくったままの姿でこの世に誕生したと主張する例などは、原理主義者の思想が端的に表れている部分かもしれない。

 このような原理主義の浸透に、島田氏は、現代のアメリカ社会で広がる経済格差の影響を見る。

 アメリカで、キリスト教原理主義を信奉する人たちには、必ずしも社会的、経済的に恵まれているとはいえない下層の白人 (プアホワイト) が多く含まれている。

 すなわち、キリスト教原理主義運動には、今のアメリカ資本主義社会が生み出した経済格差への 「抗議」 というメッセージが潜んでいると見ていいかもしれない。

 この 「原理主義」 思想は、イスラム世界にも飛び火し、1979年にイランでイスラム革命が勃発したとき、イスラム教信徒の中においても、聖典である 『コーラン』 の教えに忠実であろうとする動きを生んだ。
 そして、そこから 「イスラム原理主義」 という思潮が生み出されることになった。

 その思潮に染まった一部の人間たちが、過激なテロ活動を行って世界を震撼させることになるのだが、実はこれもまた、アメリカ流の資本主義文化がグローバル化したことに対するカウンター行動と解釈することができる。

オサマ・ヴィンラディン

 このように、キリスト教原理主義やイスラム教原理主義が台頭したことによって、 「原理主義」 という言葉が経済概念にも応用され、 「市場原理主義」 という言葉を定着させることになった。

 氏は、 「経済の市場原理主義と、宗教の原理主義の台頭は、同時代的な現象だ」 という。

世界の終末への恐怖と期待

 氏の指摘で重要なことは、このようなキリスト教的な資本主義観が、経済のグローバル化にしたがって、非キリスト教文明社会までをも巻き込む 「世界恐慌」 を生み出す素因になりかねないという見方を提示したことだ。

 たとえば、このたびの世界的金融危機の原因となったサブプライムローンの崩壊から、リーマンブラザースの経営破綻へと進んだ金融恐慌は、市場における 「神の見えざる手」 を信仰するユダヤ・キリスト教圏に生きる人々の願望が生み出したものだという。

神の見えざる手

 要するに、アメリカの金融思想というのは、
 「市場には自動調整機能というものが備わっており、放っておいても需要と供給のバランスが調整され、富の分布が公平に行きわたる」
 という古典派経済学に表現されたキリスト教的世界観が、現代社会に復活したものだというのだ。

 市場は、全知全能の神がコントロールしているのだから、人間が手を加えるのはむしろ 「改悪」 につながる、…ということなのだろう。

 そういうビジネス感覚を持つ欧米企業家のメンタリティーというものは、キリスト教文化の浸透度の薄い日本人には、理解できないだろうと、氏は語る。

 さらに、現在の資本主義原理が、そのような世界観に裏打ちされているかぎり、この現在の世界を覆っている経済的苦境から、どこの国も脱することは難しいという。

 なぜなら、彼らは、「市場を神のコントロールにゆだねる」 という発想のほかに、 「終末からの再生」 というヴィジョンにも抗しがたい執着を持っているからだ。

 彼らの終末への 「恐れ」 は、終末への 「期待」 でもある。
 アメリカのキリスト教徒の中には、自分だけはその終末の後に訪れる 「新世界」 の住民になれるという思い込みの中で生きている人が多いという。

 つまり、金融経済が、このような米国人のキリスト教的なメンタリティーに支えられている限り、その破綻と崩壊は再現なく繰り返されることになる。

神なき日本型資本主義

 氏は、現在のような経済危機の再発を阻止する二つの 「資本主義像」 に注目している。

 ひとつは、無制限な利益の追求や、過剰な投資を抑制する機能を盛り込んだイスラム金融である。
 そして、もうひとつは、神の実在を前提とせずに、 「神なき資本主義」 を育てあげた日本人の資本主義である。

 イスラム金融は、富者が貧者に施しを与える 「喜捨」 の精神をバックグランドに据え、基本的に 「利子の発生しない融資」 をシステム化したものだ。

 これは、従来の金融概念を根本から変える発想であり、行き詰まりを見せてきたキリスト教的な金融資本主義とは異なる新しい金融思想ともいえよう。

 ただ、一部の地域には定着してきたものの、全体的には試行錯誤の段階で、これがイスラム圏の金融システム全体を救済する力を持つものかどうか、にわかに判定しがたい。

 一方の日本型資本主義というのは、欧米の資本主義とは異なる路線を貫きながら、それを成功させた稀有の 「資本主義」 といっていいだろう。

 日本の会社組織は、江戸期以来の 「農村共同体」 をモデルに据え、構成員同士の助け合いを重んじながらも、同時に、一部の者に突出した権力や資金を集中させないような洗練されたシステムを築き上げてきた。

 一部のエリート層だけに巨額の報酬が集中し、しかも一般社員のリストラやレイオフをあっさりと断行するアメリカ型の会社組織と比べると、日本型の会社組織の方が、はるかに格差社会を是正する可能性を秘めたものであることは間違いない。

 しかし、 「失われた10年」 以降、派遣社員の採用でしのいできた日本の会社の足腰は相当弱っており、しかも国自体が、少子高齢化や人口減少という特殊な問題を抱えている現状では、日本型資本主義が健全な形で復活するかどうかは、未知数である。

 ただ島田氏が、イスラム金融と並べて、日本型資本主義の可能性に期待を寄せていることを知ることは、かすかながら 「希望の光」 に触れた気になる。

 島田氏のこの著述が、どれだけ世界経済の真相に迫っているのかどうか、専門家でない私には分かりようもないが、現在の金融主導型経済の本質を考えるとき、ひとつの重要な見方を提示していることは間違いないと思う。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 02:10 | コメント(8) | トラックバック(0)
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