2009年11月17日
「激突」のスリル
スティーブン・スピルバーグの幻のデビュー作ともいわれる 『激突』 を観た。

この映画は、1972年に、スピルバーグが25歳のときに制作したもので、後に 『ジョーズ』 によって創造された新しい “戦慄” の実験場となった作品である。

『ジョーズ』 で新しいスリルとサスペンスの手法を確立したスピルバーグは、さらに、 『インディー・ジョーンズ』 、 『ジュラシック・パーク』 と続くヒット作で、その名を不動のものにする。
『激突』 は、その “巨匠” の名称を欲しいままにするスピルバーグのデビュー作だから、早いうちから伝説化された 「幻の作品」 として語られてきた。
だから、あえてストーリーを紹介するまでもないと思うのだが、簡単に要約すると、のろのろ運転をしているタンクローリーに業を煮やした男 (主人公) が、そのタンクローリーを追い越したところ、相手の運転手に逆ギレされ、しつこく追い回されるという話である。

それだけで、この映画が低予算でつくられたB級映画であることが分かる。
もともとテレビドラマ用につくられた作品で、アメリカでは劇場公開もされていないという。
観客はまず、そのあまりにもシンプルな設定に驚く。
登場人物はというと、いろいろなエキストラはたくさん出てくるが、基本的には主人公のセールスマンただ一人。
使われる大道具は、乗用車1台と、タンクローリー1台だけ。
これだけの設定で1時間29分のドラマを、観客に最後まで飽きさせことなく描き切ってしまうわけだから、確かに凄い作品には違いない。

ただ、見終わって、漠然と期待していたものとは違った映画だったように思えた。
まず、設定にリアルさを感じなかった。
というのは、日本ではありえない話だからである。
タンクローリーが乗用車をどこまでも追い回すことは、対向車もほとんどなく、地平線の果てまで一直線の道が続くようなアメリカ大陸だからこそ可能になる。
日本で同じことをやろうとしたら、すぐ渋滞に巻き込まれるか、あっという間に民家に飛び込むかのどちらかになってしまう。
本当に面白い映画ならば、そういうロケーションのローカリティなどを感じさせないものなのだが、画面を見つめているうちに、ついついそんなことを考えてしまうということは、それだけ自分が熱中していなかったという証拠になる。
実はこの映画、昔からいろいろなレビューを見ていたから、
「トラックの運転手の顔が最後まで分からない」
とか、
「主人公を追い回す動機がはっきりしない」
という話に期待を寄せていた。
だから、タンクローリーがじわじわっと不条理な怪物になっていく瞬間を今か今かと待ちわびていたのである。

しかし、そのタンクローリーが怪物に生まれ変わる “変身の時” はついに訪れることはなく、タンクローリーは最後まで、ただの 「暴走トラック」 のまま終わった。
そこには映画的な 「スリル」 はあるものの、それは、 「異界」 に触れたときの言葉を失うようなスリルではなく、つい悲鳴が上がってしまうカーチェイスのスリルであり、巨大なトラックが迫るときの物量感から受けるスリルである。
ある意味で、ハリウッド製アクション映画の常道がここでも繰り返されていたといえよう。
低予算で仕上げたB級ドラマも、高コストでつくらたハリウッド大作も、テンションの高め方においては、基本的に変わらない。
どんなにそのトラックの存在が不条理に描かれても、そこからは、心を震撼させるほどの恐怖というものが何も迫り出してこない。
スピルバーグという人の個人的な資質なのか、あるいは民族・文明・風土的な資質なのか分からないけれど、ヨーロッパ映画のアントニオーニやベルイマンたちがその作品の中にしのばせる、 《世界》 の崩壊に立ち会うような存在論的な怖さというものがここにはない。

アメリカのアクション・ホラー系映画では、狂人がナタを振り回すような恐怖は描けても、普通の人間が鋭利なナイフを隠し持って近づいてくるような怖さは描けないのかもしれない。
ただし、それは好みの問題であって、 「狂人の振り回すナタ」 にスリルを求める人たちは、この映画にハリウッド・アクション映画のすべての原型を見出すことだろう。
この映画は、1972年に、スピルバーグが25歳のときに制作したもので、後に 『ジョーズ』 によって創造された新しい “戦慄” の実験場となった作品である。
『ジョーズ』 で新しいスリルとサスペンスの手法を確立したスピルバーグは、さらに、 『インディー・ジョーンズ』 、 『ジュラシック・パーク』 と続くヒット作で、その名を不動のものにする。
『激突』 は、その “巨匠” の名称を欲しいままにするスピルバーグのデビュー作だから、早いうちから伝説化された 「幻の作品」 として語られてきた。
だから、あえてストーリーを紹介するまでもないと思うのだが、簡単に要約すると、のろのろ運転をしているタンクローリーに業を煮やした男 (主人公) が、そのタンクローリーを追い越したところ、相手の運転手に逆ギレされ、しつこく追い回されるという話である。
それだけで、この映画が低予算でつくられたB級映画であることが分かる。
もともとテレビドラマ用につくられた作品で、アメリカでは劇場公開もされていないという。
観客はまず、そのあまりにもシンプルな設定に驚く。
登場人物はというと、いろいろなエキストラはたくさん出てくるが、基本的には主人公のセールスマンただ一人。
使われる大道具は、乗用車1台と、タンクローリー1台だけ。
これだけの設定で1時間29分のドラマを、観客に最後まで飽きさせことなく描き切ってしまうわけだから、確かに凄い作品には違いない。
ただ、見終わって、漠然と期待していたものとは違った映画だったように思えた。
まず、設定にリアルさを感じなかった。
というのは、日本ではありえない話だからである。
タンクローリーが乗用車をどこまでも追い回すことは、対向車もほとんどなく、地平線の果てまで一直線の道が続くようなアメリカ大陸だからこそ可能になる。
日本で同じことをやろうとしたら、すぐ渋滞に巻き込まれるか、あっという間に民家に飛び込むかのどちらかになってしまう。
本当に面白い映画ならば、そういうロケーションのローカリティなどを感じさせないものなのだが、画面を見つめているうちに、ついついそんなことを考えてしまうということは、それだけ自分が熱中していなかったという証拠になる。
実はこの映画、昔からいろいろなレビューを見ていたから、
「トラックの運転手の顔が最後まで分からない」
とか、
「主人公を追い回す動機がはっきりしない」
という話に期待を寄せていた。
だから、タンクローリーがじわじわっと不条理な怪物になっていく瞬間を今か今かと待ちわびていたのである。
しかし、そのタンクローリーが怪物に生まれ変わる “変身の時” はついに訪れることはなく、タンクローリーは最後まで、ただの 「暴走トラック」 のまま終わった。
そこには映画的な 「スリル」 はあるものの、それは、 「異界」 に触れたときの言葉を失うようなスリルではなく、つい悲鳴が上がってしまうカーチェイスのスリルであり、巨大なトラックが迫るときの物量感から受けるスリルである。
ある意味で、ハリウッド製アクション映画の常道がここでも繰り返されていたといえよう。
低予算で仕上げたB級ドラマも、高コストでつくらたハリウッド大作も、テンションの高め方においては、基本的に変わらない。
どんなにそのトラックの存在が不条理に描かれても、そこからは、心を震撼させるほどの恐怖というものが何も迫り出してこない。
スピルバーグという人の個人的な資質なのか、あるいは民族・文明・風土的な資質なのか分からないけれど、ヨーロッパ映画のアントニオーニやベルイマンたちがその作品の中にしのばせる、 《世界》 の崩壊に立ち会うような存在論的な怖さというものがここにはない。
アメリカのアクション・ホラー系映画では、狂人がナタを振り回すような恐怖は描けても、普通の人間が鋭利なナイフを隠し持って近づいてくるような怖さは描けないのかもしれない。
ただし、それは好みの問題であって、 「狂人の振り回すナタ」 にスリルを求める人たちは、この映画にハリウッド・アクション映画のすべての原型を見出すことだろう。

ここいらで、予算がいくらでも取れるだろうスピルバーグにあえて低予算でスピルバーグに新しいスリル表現してもらいたいですけど♂
『激突』 と 『ジョーズ』 のスリルの違いは、まさにTJさんのおっしゃるとおりですね。
そして、それが 『インディージョーンズ』 になって、さらに 『ジュラシック・パーク』 になっていく過程というのもよく分かります。
確かに、低予算という意味では、若いスピルバーグは、あのシンプルな道具立てで、よくあのような映像を撮ったものだとも感心します。
ただ、それとは違った “サスペンス” というものもあって、心理的な恐怖というのは、やはり英国生まれのヒッチコックなどの方がうまいかも…とは思っています。
タンクローリーのドライバーの顔が見えず、ときどき、靴だとか腕だけが見えるんですよね。あの感じ、不気味でしたね。
日常的な生活の中にふと “顔” を現わす不条理というようようなものは、確かによく描けていたように思います。
あのタンクローリーが、古いボンネット型の顔をしていたから怖かったのかな。あれが日本のキャブオーバー型トラックだったら、あの感じは出なかったかもしれませんね。