2009年06月29日
マイケルの死
ニュースで 「マイケル・ジャクソン急死」 の第一報を受けても、自分には特別の喪失感というものが湧かなかった。
音楽に関心のある者にとっては大変な事件だろうけど、ファンには申し訳ないくらい冷静でいられる。
もちろんそれなりの感慨はある。
しかし、かつてジョン・レノンが暗殺されたり、コルトレーンが死亡したり、あるいはジェームズ・ブラウンが亡くなったときに感じたような 「ひとつの時代が終わった」 という詠嘆は訪れなかった。

マイケルの全盛期といわれる80年代初頭。
あれだけのポップシーンを盛り上げたスーパースターであったにもかかわらず、自分はマイケルに対しては冷淡であったのか、レコードやCDをついぞ1枚も買ったことがなかった。
もちろん 『スリラー』 や 『ビートイット』 という大ヒット曲は、当時FM放送から流れてきたものをテープに落として、何度も聞いている。
でもレコードまで買い揃えたいと思わなかった。
なぜだろう。
70年代ソウルミュージックの愛好家という立場なら、アフリカ系アメリカ人のポップシンガーであるマイケル・ジャクソンは絶対支持しなければならないアーチストであったはずである。
しかし、その気にならなかったのは、彼の音楽を聞いていて、彼にはソウルミュージックやR&Bへのリスペクトが薄いと感じたせいかもしれない。
当時、ソウルミュージックやR&Bにリスペクトを抱いていたのは、マイケルよりもスタイル・カウンシルやシャーデー、ホール&オーツ、ポール・ヤング、シンプリー・レッドなどの非黒人系ミュージシャンたちの方だった。
そのためか、 「買うのだったら彼らのアルバムを…」 ということになり、自分の購買リストからマイケルは自然とこぼれ落ちていった。
マイケル・ジャクソンも、最初から今のスタイルを築き上げていたわけではない。
モータウンレコードからデビューしたジャクソン・ファイブの時代は、彼はベタなR&Bを歌っていた。 (デビュー曲の 『帰って欲しいの』 は今でも名曲だと思っている)
しかし、その後ソロになってからのマイケル・ジャクソンの音楽は、R&Bを脱して、どんどん普遍的なロック・ポップス化への道をひた走った。
だからこそ逆に、彼は広範な音楽ファンの心を捉えることができたのだろうし、それがゆえに、ポップミュージック界の大スターになれたのだと思う。
彼が自分のルーツである黒人音楽にこだわっていたら、たぶん今日のような名声も人気も確立されていなかったに違いない。

彼がR&Bから普遍的なポップス路線へと進んでいった過程は、まさに彼の鼻が高くなり、肌が白くなっていく過程と一致する。
詳しくは知らないのだが、彼が成形手術で鼻をどんどん高くしていったのは、 「父親の顔に似ていくのが嫌だったからだ」 とか。
彼が兄弟で構成されたR&Bグループ 「ジャクソン・ファイブ」 のリードボーカリストとしてデビューしたのは、父親の仕掛けだったといわれる。
父親は、彼にスターとしての地位と人気を与えたが、代わりに経済的な収奪や自由の拘束、虐待などをほしいままにしていたとも伝えられている。
そのへんの真相は芸能情報に譲るとして、少なくとも、彼が自分の父親に代表される伝統的な黒人社会を嫌悪していたことは確かなことだと思う。
しかし、だからといって、彼が白人社会から歓迎されたわけではない。
白人のファンは、 「ポップス界のキング」 という抽象的なスターを愛しただけで、 「歌のうまい黒人少年」 を愛したわけではなかった。
幼い頃から芸能界の裏表を見てきたマイケルには、そのへんの事情もよく分かっていたのだろう。
芸能界の 「トップスター」 であるという宙に浮くような危うい場所だけが自分を支える唯一の力であると知った彼は、私生活においても、ことさら芝居じみた方法で自分のスター性を訴えるパフォーマンスを繰り返していくしかなかった。
その繰り返しに疲れた自分を癒してくれる場所というものが、彼にはあったのだろうか。
「ピーターパン・シンドローム」 などという言葉で伝えられる 「無垢な少年性へのこだわり」 というのが、それに当たるかもしれない。
とにかく、彼は物心がついた時には、もう 「スター」 だったのだ。それ以外の生き方を知らないのだ。
「スター」 の苛酷さに嫌気がさしたとき、そこから脱却できる人生のイメージとして、自分の記憶にすら残っていないような幼児期を思い描かなければならないというのは、人間としてなかなか辛いものがあるように思う。
度重なる整形も、過度に摂取されたドラッグも、彼の内面に抱え込まれた辛さを想像してやらないと理解できないかもしれない。
いま思えば、彼が安らぎの場として確保した自分の宮殿の名が 「ネバーランド」 (どこにもない場所) であるというのは、何か暗示的な気がする。
マイケル・ジャクソンの評価は、彼の音楽を 「音」 として聞くか、 「映像」 として見るかの違いにもよるかもしれない。
私たちの世代にとって、洋楽とは、まずラジオから流れてくるものだった。
その音が気に入れば、レコード屋に買いにいく。
ミュージシャンの顔かたちや衣装などを知るのは、音楽雑誌を通じてであった。
しかし80年代に入ると、洋楽の急激なプロモーションビデオ化が始まった。
音楽情報は 「音」 よりも 「映像」 から入るものへと変質した。
マイケル・ジャクソンはその時代のスターである。
だから、現在彼のファンを自認する人たちは、その音楽と同時に、あのムーンウォークに代表される肉体表現の芸術性に痺れた人たちではないかと思う。
実際に、映像として眺めるマイケル・ジャクソンのダンスには、確かに 「人の子」 を超越した、ミューズの神の化身とも思えるような躍動美が備わっている。
彼の音楽は、あのダンスと一体となってはじめて人を圧倒する力を得るようになっているのかもしれない。
そう思うと、自分にはまだマイケルに対する理解力が不足だったのかなとも感じる。
とにかく冥福を祈りたい。
合掌
音楽に関心のある者にとっては大変な事件だろうけど、ファンには申し訳ないくらい冷静でいられる。
もちろんそれなりの感慨はある。
しかし、かつてジョン・レノンが暗殺されたり、コルトレーンが死亡したり、あるいはジェームズ・ブラウンが亡くなったときに感じたような 「ひとつの時代が終わった」 という詠嘆は訪れなかった。
マイケルの全盛期といわれる80年代初頭。
あれだけのポップシーンを盛り上げたスーパースターであったにもかかわらず、自分はマイケルに対しては冷淡であったのか、レコードやCDをついぞ1枚も買ったことがなかった。
もちろん 『スリラー』 や 『ビートイット』 という大ヒット曲は、当時FM放送から流れてきたものをテープに落として、何度も聞いている。
でもレコードまで買い揃えたいと思わなかった。
なぜだろう。
70年代ソウルミュージックの愛好家という立場なら、アフリカ系アメリカ人のポップシンガーであるマイケル・ジャクソンは絶対支持しなければならないアーチストであったはずである。
しかし、その気にならなかったのは、彼の音楽を聞いていて、彼にはソウルミュージックやR&Bへのリスペクトが薄いと感じたせいかもしれない。
当時、ソウルミュージックやR&Bにリスペクトを抱いていたのは、マイケルよりもスタイル・カウンシルやシャーデー、ホール&オーツ、ポール・ヤング、シンプリー・レッドなどの非黒人系ミュージシャンたちの方だった。
そのためか、 「買うのだったら彼らのアルバムを…」 ということになり、自分の購買リストからマイケルは自然とこぼれ落ちていった。
マイケル・ジャクソンも、最初から今のスタイルを築き上げていたわけではない。
モータウンレコードからデビューしたジャクソン・ファイブの時代は、彼はベタなR&Bを歌っていた。 (デビュー曲の 『帰って欲しいの』 は今でも名曲だと思っている)
しかし、その後ソロになってからのマイケル・ジャクソンの音楽は、R&Bを脱して、どんどん普遍的なロック・ポップス化への道をひた走った。
だからこそ逆に、彼は広範な音楽ファンの心を捉えることができたのだろうし、それがゆえに、ポップミュージック界の大スターになれたのだと思う。
彼が自分のルーツである黒人音楽にこだわっていたら、たぶん今日のような名声も人気も確立されていなかったに違いない。
彼がR&Bから普遍的なポップス路線へと進んでいった過程は、まさに彼の鼻が高くなり、肌が白くなっていく過程と一致する。
詳しくは知らないのだが、彼が成形手術で鼻をどんどん高くしていったのは、 「父親の顔に似ていくのが嫌だったからだ」 とか。
彼が兄弟で構成されたR&Bグループ 「ジャクソン・ファイブ」 のリードボーカリストとしてデビューしたのは、父親の仕掛けだったといわれる。
父親は、彼にスターとしての地位と人気を与えたが、代わりに経済的な収奪や自由の拘束、虐待などをほしいままにしていたとも伝えられている。
そのへんの真相は芸能情報に譲るとして、少なくとも、彼が自分の父親に代表される伝統的な黒人社会を嫌悪していたことは確かなことだと思う。
しかし、だからといって、彼が白人社会から歓迎されたわけではない。
白人のファンは、 「ポップス界のキング」 という抽象的なスターを愛しただけで、 「歌のうまい黒人少年」 を愛したわけではなかった。
幼い頃から芸能界の裏表を見てきたマイケルには、そのへんの事情もよく分かっていたのだろう。
芸能界の 「トップスター」 であるという宙に浮くような危うい場所だけが自分を支える唯一の力であると知った彼は、私生活においても、ことさら芝居じみた方法で自分のスター性を訴えるパフォーマンスを繰り返していくしかなかった。
その繰り返しに疲れた自分を癒してくれる場所というものが、彼にはあったのだろうか。
「ピーターパン・シンドローム」 などという言葉で伝えられる 「無垢な少年性へのこだわり」 というのが、それに当たるかもしれない。
とにかく、彼は物心がついた時には、もう 「スター」 だったのだ。それ以外の生き方を知らないのだ。
「スター」 の苛酷さに嫌気がさしたとき、そこから脱却できる人生のイメージとして、自分の記憶にすら残っていないような幼児期を思い描かなければならないというのは、人間としてなかなか辛いものがあるように思う。
度重なる整形も、過度に摂取されたドラッグも、彼の内面に抱え込まれた辛さを想像してやらないと理解できないかもしれない。
いま思えば、彼が安らぎの場として確保した自分の宮殿の名が 「ネバーランド」 (どこにもない場所) であるというのは、何か暗示的な気がする。
マイケル・ジャクソンの評価は、彼の音楽を 「音」 として聞くか、 「映像」 として見るかの違いにもよるかもしれない。
私たちの世代にとって、洋楽とは、まずラジオから流れてくるものだった。
その音が気に入れば、レコード屋に買いにいく。
ミュージシャンの顔かたちや衣装などを知るのは、音楽雑誌を通じてであった。
しかし80年代に入ると、洋楽の急激なプロモーションビデオ化が始まった。
音楽情報は 「音」 よりも 「映像」 から入るものへと変質した。
マイケル・ジャクソンはその時代のスターである。
だから、現在彼のファンを自認する人たちは、その音楽と同時に、あのムーンウォークに代表される肉体表現の芸術性に痺れた人たちではないかと思う。
実際に、映像として眺めるマイケル・ジャクソンのダンスには、確かに 「人の子」 を超越した、ミューズの神の化身とも思えるような躍動美が備わっている。
彼の音楽は、あのダンスと一体となってはじめて人を圧倒する力を得るようになっているのかもしれない。
そう思うと、自分にはまだマイケルに対する理解力が不足だったのかなとも感じる。
とにかく冥福を祈りたい。
合掌
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