2009年04月02日
忘れえぬ女(人)
たまに、風呂に入るために、家に帰る。
久しぶりに、夜の電車に乗った。
「WBCって、日本が勝ったの?」」
…ってなくらい、浦島太郎的な生活をしているので、電車に乗ると新鮮だ。
吊り革につかまって、何気なく車内吊りの広告を見ていたら、4月4日から 「Bunkamura ザ・ミュージアム」 で、ロシアの 『 トレチャコフ美術展 』 が開かれるという広告が載っていた。
「ああ、時代が一回りしたのかな…」
と思った。
昔…といっても、1993年のことだ。
上野の東京都立美術館で、やはり 「トレチャコフ美術展」 が開かれて、カミさんと観にいったことがったあったからだ。
やはり、同じ季節だったろうか。
その日は雨の休日で、上野の森の新緑が雨に煙って濃い影をつくっていて、美術館に入る前から、すでに絵画の世界を歩いているような日だった。
トレチャコフというのは、帝政ロシア時代の画商の名前で、当時の帝政ロシア画壇アカデミズムに反抗した “革命派” の絵画集団を支援した人の名である。
当時、そういう革命派の画家たちを 「移動派」 と呼んだらしい。
なんで、 「移動派」 なのかというと、それには訳があったようだ。
当時のロシア画壇というのは、ヨーロッパ文化志向の政府方針により、イタリア古典絵画の手法をそのまま踏襲する絵画が主流だった。
しかし、そこには、帝政ロシアの貴族政治の下であえいでいた庶民の生活は描かれなかった。
「移動派」 は、その手法ではロシアの現状を描写することができないと画壇の主流派と決別して、ロシアの腐敗した貴族政治を風刺したり、農民や一般大衆の悲惨さをテーマにした絵を描き始めた。
「移動派」 という名称は、彼らが絵画を一部の特権階級のサロンから解放し、村から村へと自分たちの作品を移動させながら展覧会を行ったことに由来している。
だから、彼らの描く絵画は、一般に 「ロシア・リアリズム」 などともいわれる政治性の濃い絵画であった。
彼らの描く絵のテーマは、権力と癒着した僧侶階級の腐敗だったり、プロレタリアートの過酷な労働の状況を克明に写し取るといった、メッセージ性の強いものばかりだった。
実は正直、昔この手の絵画が嫌いだった。
あまりにも直接的な政治的メッセージが、なんだか底が浅いような気がしたからだ。
それまでは、政治風刺や権力批判などというテーマを盛り込んだ絵画は二流の絵画だという思い込みを持っていた。
しかし、実際のロシア・リアリズムに接してみると、自分が持っていた先入観とは少し違うかな…という印象を持った。
紋切り型のメッセージ性というのは確かにあるけれど、それが 「悪いことか?」 という気もしたのである。
政治性が強く出ているので美学が後退している…なんていう見方をするよりも、当時展開された歴史的 「瞬間」 に立ち会っている! という衝撃をそのまま感受した方がいいのではないか…と思ったのだ。
「ロシア・リアリズム」 と言われるだけあって、政治性も濃いけれど、描写力も迫真的だ。
実際、本物の絵画の前に立ってみると、実にリアルである。
メッセージの部分に誇張があるとはいえ、ディテールは、まぎれもなく100年も前のロシアで展開された歴史の一瞬が凍結されたまま保存されている。
もちろん絵画は作者のイスピレーションで構成されるのだから、それがそのまま事実であるわけはないのだか、こういう素朴なリアリズムの 「豪速球」 迫ってこられると、歴史の一瞬に立ち会っているという素直な感動がわき起こってくる。
それともうひとつ、ロシアの風俗が面白い。
人々の着るもの、街、村の景色。特に貴族階級の婦女子の衣服。
ヨーロッパというよりアジアに近く、かといって中国でもモンゴルでもない独特の装束は見ていて飽きない。
玉葱型の屋根を持つクレムリン宮殿独特の建築様式もじっくり見るとなんとも奇妙だ。
こういう文化様式はどうして生まれてきたのだろう…と、考えれば考えるほど興味が湧いてくる。
革命前の19世紀帝政ロシアは、ひょっとした人類史上まれにみる不思議な国家空間を形作っていたのではなかろうか。
西洋近代的な衣装をまとった古代アジア的専制政治。
フランス的教養で染められたはずの貴族文化の中にはびこる、魔術や呪術。
科学とオカルト、インターナショナリズムと土俗主義。
そんなものが渾然一体となって渦巻いていたのが革命前のロシアだ。
ドフトエフスキーは、非ユークリッド幾何学の 「平行線は無限延点で交わる」 という公理に刺激を受けて、その “無限延点” という彼方に、神の立つ場所を確信したというが、あの時代のロシアは、数学や科学の最先端の成果と、神学やメルヘンがひとつの坩堝の中で溶け合って、国民全体がものすごい創造的パワーに振り回されていた時代なのかもしれない…と思う。
今回の 「トレチャコフ美術展」 では、クラムスコイ 「忘れえぬ女 (ひと) 」 が目玉になるらしい。

馬車に乗る一人の貴婦人が、傲慢と思えるほどの眼差しで、路上にいる人間を見下ろしている絵だ。
「移動派」 のような画家たちからすれば、憎むべき貴族階級のいやらしさを身に帯びた女性のように見えたのかもしれない。
しかし、この絵が注目されたのは、一見 “傲慢” な彼女に瞳の奥に宿された、どうしようもない憂い。
その瞳の奥に、涙が描き込まれていると指摘する人もいる。
彼女は何者なのか。
モデルは誰なのか。
なぜ悲しんでいるのか。
すべては謎であるらしく、そのために 「ロシアのモナリザ」 とも呼ばれているそうな。
実は、この女性を見ていると、自分は、どうしても、もう死んでしまったペットのクッキーを思い出す。
絵に描かれた彼女には失礼なのかもしれないけれど、自分にとっては、この女性はクッキー (↓) なのだ。
http://campingcar.blog.hobidas.com/archives/article/63382.html
今の仕事が一段楽したら、自分はもう一度 “クッキー” に会いにいってこようと思っている。
久しぶりに、夜の電車に乗った。
「WBCって、日本が勝ったの?」」
…ってなくらい、浦島太郎的な生活をしているので、電車に乗ると新鮮だ。
吊り革につかまって、何気なく車内吊りの広告を見ていたら、4月4日から 「Bunkamura ザ・ミュージアム」 で、ロシアの 『 トレチャコフ美術展 』 が開かれるという広告が載っていた。
「ああ、時代が一回りしたのかな…」
と思った。
昔…といっても、1993年のことだ。
上野の東京都立美術館で、やはり 「トレチャコフ美術展」 が開かれて、カミさんと観にいったことがったあったからだ。
やはり、同じ季節だったろうか。
その日は雨の休日で、上野の森の新緑が雨に煙って濃い影をつくっていて、美術館に入る前から、すでに絵画の世界を歩いているような日だった。
トレチャコフというのは、帝政ロシア時代の画商の名前で、当時の帝政ロシア画壇アカデミズムに反抗した “革命派” の絵画集団を支援した人の名である。
当時、そういう革命派の画家たちを 「移動派」 と呼んだらしい。
なんで、 「移動派」 なのかというと、それには訳があったようだ。
当時のロシア画壇というのは、ヨーロッパ文化志向の政府方針により、イタリア古典絵画の手法をそのまま踏襲する絵画が主流だった。
しかし、そこには、帝政ロシアの貴族政治の下であえいでいた庶民の生活は描かれなかった。
「移動派」 は、その手法ではロシアの現状を描写することができないと画壇の主流派と決別して、ロシアの腐敗した貴族政治を風刺したり、農民や一般大衆の悲惨さをテーマにした絵を描き始めた。
「移動派」 という名称は、彼らが絵画を一部の特権階級のサロンから解放し、村から村へと自分たちの作品を移動させながら展覧会を行ったことに由来している。
だから、彼らの描く絵画は、一般に 「ロシア・リアリズム」 などともいわれる政治性の濃い絵画であった。
彼らの描く絵のテーマは、権力と癒着した僧侶階級の腐敗だったり、プロレタリアートの過酷な労働の状況を克明に写し取るといった、メッセージ性の強いものばかりだった。
実は正直、昔この手の絵画が嫌いだった。
あまりにも直接的な政治的メッセージが、なんだか底が浅いような気がしたからだ。
それまでは、政治風刺や権力批判などというテーマを盛り込んだ絵画は二流の絵画だという思い込みを持っていた。
しかし、実際のロシア・リアリズムに接してみると、自分が持っていた先入観とは少し違うかな…という印象を持った。
紋切り型のメッセージ性というのは確かにあるけれど、それが 「悪いことか?」 という気もしたのである。
政治性が強く出ているので美学が後退している…なんていう見方をするよりも、当時展開された歴史的 「瞬間」 に立ち会っている! という衝撃をそのまま感受した方がいいのではないか…と思ったのだ。
「ロシア・リアリズム」 と言われるだけあって、政治性も濃いけれど、描写力も迫真的だ。
実際、本物の絵画の前に立ってみると、実にリアルである。
メッセージの部分に誇張があるとはいえ、ディテールは、まぎれもなく100年も前のロシアで展開された歴史の一瞬が凍結されたまま保存されている。
もちろん絵画は作者のイスピレーションで構成されるのだから、それがそのまま事実であるわけはないのだか、こういう素朴なリアリズムの 「豪速球」 迫ってこられると、歴史の一瞬に立ち会っているという素直な感動がわき起こってくる。
それともうひとつ、ロシアの風俗が面白い。
人々の着るもの、街、村の景色。特に貴族階級の婦女子の衣服。
ヨーロッパというよりアジアに近く、かといって中国でもモンゴルでもない独特の装束は見ていて飽きない。
玉葱型の屋根を持つクレムリン宮殿独特の建築様式もじっくり見るとなんとも奇妙だ。
こういう文化様式はどうして生まれてきたのだろう…と、考えれば考えるほど興味が湧いてくる。
革命前の19世紀帝政ロシアは、ひょっとした人類史上まれにみる不思議な国家空間を形作っていたのではなかろうか。
西洋近代的な衣装をまとった古代アジア的専制政治。
フランス的教養で染められたはずの貴族文化の中にはびこる、魔術や呪術。
科学とオカルト、インターナショナリズムと土俗主義。
そんなものが渾然一体となって渦巻いていたのが革命前のロシアだ。
ドフトエフスキーは、非ユークリッド幾何学の 「平行線は無限延点で交わる」 という公理に刺激を受けて、その “無限延点” という彼方に、神の立つ場所を確信したというが、あの時代のロシアは、数学や科学の最先端の成果と、神学やメルヘンがひとつの坩堝の中で溶け合って、国民全体がものすごい創造的パワーに振り回されていた時代なのかもしれない…と思う。
今回の 「トレチャコフ美術展」 では、クラムスコイ 「忘れえぬ女 (ひと) 」 が目玉になるらしい。

馬車に乗る一人の貴婦人が、傲慢と思えるほどの眼差しで、路上にいる人間を見下ろしている絵だ。
「移動派」 のような画家たちからすれば、憎むべき貴族階級のいやらしさを身に帯びた女性のように見えたのかもしれない。
しかし、この絵が注目されたのは、一見 “傲慢” な彼女に瞳の奥に宿された、どうしようもない憂い。
その瞳の奥に、涙が描き込まれていると指摘する人もいる。
彼女は何者なのか。
モデルは誰なのか。
なぜ悲しんでいるのか。
すべては謎であるらしく、そのために 「ロシアのモナリザ」 とも呼ばれているそうな。
実は、この女性を見ていると、自分は、どうしても、もう死んでしまったペットのクッキーを思い出す。
絵に描かれた彼女には失礼なのかもしれないけれど、自分にとっては、この女性はクッキー (↓) なのだ。
http://campingcar.blog.hobidas.com/archives/article/63382.html
今の仕事が一段楽したら、自分はもう一度 “クッキー” に会いにいってこようと思っている。
コメント
この記事へのコメントはありません。
