2008年07月15日
分かりやすい文章
文章を書くというのは、いたく気が滅入る作業だ。
とりかかる前に、気合いがいる。
ブログのように、自分の身体 (からだ) が保っている “リズム” のままに書く文章は別だが、事務的な報告書に近い文体のものを書くときは、その淡々としたリズムに身体が乗っていくまで、様々な 「儀式」 が必要になる。
お茶を飲む。
首を回してみる。
ネットで、ちょっと気になった用語を検索する。
耳かきでで、耳掃除をする。
爪を切る。
だらだらと無意味な作業を繰り返しつつ、気合いが身体に満ちていくのを待つ。
かくして、会社に着いてパソコンを開いてから、およそ1時間は何もしない時間が過ぎていく。
給料泥棒のようなものだ。

文章を書くとき、いちばん大事なことは 「分かりやすい」 ことだと思う。
プロの物書きが書いた文章を読むと、
「あ、オレだったらこういう言葉でお茶を濁しちゃうのに、こんな言葉を使ってらぁ…」
と感心することがある。
とにかく、難しい内容をやさしく表現する言葉を、彼らはたくさんストックしている。
漢語を平仮名に代えるというようなことではない。
今の時代を生きる大半の人々が共通のイメージを抱けるような言葉を探す感性。
プロはそういう言葉を探し出す感覚に長けている。
時として、それがあまり耳慣れない難しい漢語であっても、ふと気づくと、すでに新聞や週刊誌に頻繁に出てくる言葉だったりする。
そういう漢語は、古めかしいように見えても、外来語まんまのカタカナ言葉以上のパワーを秘めている。
そういう漢語を見つけ出す嗅覚を持つことも、プロには必要なことなのだろう。
そもそも、漢語は 「場所」 を取らない。
限られた文字スペースの中で伝えたい言葉をたくさん表現しなければならないときは、漢語に頼るしかない。
「バラエティ」 を学芸会、「ワイドショー」 を紙芝居、 「コメンテーター」 をお調子者などと言い換えれば、それぞれ2~3文字程度の省スペースが実現できる。
漢語は、実にエコロジカルな言葉なのだ。
これと正反対の言葉が、スタグフレーション、イノベーション、バランスシート、ラップアカウントサービス、インセンティブ…とかいった舌を噛みそうなカタカナ言葉。
こういう言葉だけで原稿を埋めているライターというのは、省資源的な要請からもっとも遠い位置にいる物書きだ。
同じように、2字ぐらいで収まる漢語を、わざわざ5文字ぐらの平仮名言葉に直してトクトクとしている連中がいる。
漢語を平仮名言葉に置き換えれば読みやすいと錯覚しているような (官公庁的な) 文章は、逆に古臭くて、何を言いたいのかも分からないことが多い。
言葉は生きている。
だから時には流行語も大事。
特に、ブログのように 「速報性が命」 というような読み物の場合は、「明日には価値が半減する」 というスピード感を出すためにも、流行り言葉の使い捨て感覚を生かした方が生き生きとしてくる。
結局、「分かりやすい」 ということは、時代の空気を身体が吸っているかどうかということに関わってくる。
政治家の書く文章や演説が分かりにくいのは、彼らが、時代の空気を身体で吸っていないからだ。
「昨今の逼迫した経済状況を鑑みるならば、国民的合意が自然発生的に形成されうるという楽観的な観測を唾棄すべきものと肝に銘じ、鋭意、国民の先頭に立って火中の栗を拾うかのごとく勇猛なる熱意を奮い立たせ、断固たる不退転の意志を胸に納め、猪突猛進する獅子のごとく、これに当たらなければならないと深く決意する次第でございます」
こんな答弁なんか、誰も聞かない。誰も読まないって。
で、今やっている仕事が、ともすればこの政治家答弁になりそうな文章で記事をまとめる作業なんだけど、こいつを (そういう文体の風格を維持しながら) いかに、分かりやすく、面白く書くか。
これに頭をひねらせている。
難しい。
でも、「気合い」 が入ってくると、めちゃ面白い。
…って、ここまで書いたら、突然気合いが入ってきた!
で、このブログ原稿は、ちょっとファイルに保存して、後でコピペでアップ。
それでは、仕事に復帰します!
とりかかる前に、気合いがいる。
ブログのように、自分の身体 (からだ) が保っている “リズム” のままに書く文章は別だが、事務的な報告書に近い文体のものを書くときは、その淡々としたリズムに身体が乗っていくまで、様々な 「儀式」 が必要になる。
お茶を飲む。
首を回してみる。
ネットで、ちょっと気になった用語を検索する。
耳かきでで、耳掃除をする。
爪を切る。
だらだらと無意味な作業を繰り返しつつ、気合いが身体に満ちていくのを待つ。
かくして、会社に着いてパソコンを開いてから、およそ1時間は何もしない時間が過ぎていく。
給料泥棒のようなものだ。
文章を書くとき、いちばん大事なことは 「分かりやすい」 ことだと思う。
プロの物書きが書いた文章を読むと、
「あ、オレだったらこういう言葉でお茶を濁しちゃうのに、こんな言葉を使ってらぁ…」
と感心することがある。
とにかく、難しい内容をやさしく表現する言葉を、彼らはたくさんストックしている。
漢語を平仮名に代えるというようなことではない。
今の時代を生きる大半の人々が共通のイメージを抱けるような言葉を探す感性。
プロはそういう言葉を探し出す感覚に長けている。
時として、それがあまり耳慣れない難しい漢語であっても、ふと気づくと、すでに新聞や週刊誌に頻繁に出てくる言葉だったりする。
そういう漢語は、古めかしいように見えても、外来語まんまのカタカナ言葉以上のパワーを秘めている。
そういう漢語を見つけ出す嗅覚を持つことも、プロには必要なことなのだろう。
そもそも、漢語は 「場所」 を取らない。
限られた文字スペースの中で伝えたい言葉をたくさん表現しなければならないときは、漢語に頼るしかない。
「バラエティ」 を学芸会、「ワイドショー」 を紙芝居、 「コメンテーター」 をお調子者などと言い換えれば、それぞれ2~3文字程度の省スペースが実現できる。
漢語は、実にエコロジカルな言葉なのだ。
これと正反対の言葉が、スタグフレーション、イノベーション、バランスシート、ラップアカウントサービス、インセンティブ…とかいった舌を噛みそうなカタカナ言葉。
こういう言葉だけで原稿を埋めているライターというのは、省資源的な要請からもっとも遠い位置にいる物書きだ。
同じように、2字ぐらいで収まる漢語を、わざわざ5文字ぐらの平仮名言葉に直してトクトクとしている連中がいる。
漢語を平仮名言葉に置き換えれば読みやすいと錯覚しているような (官公庁的な) 文章は、逆に古臭くて、何を言いたいのかも分からないことが多い。
言葉は生きている。
だから時には流行語も大事。
特に、ブログのように 「速報性が命」 というような読み物の場合は、「明日には価値が半減する」 というスピード感を出すためにも、流行り言葉の使い捨て感覚を生かした方が生き生きとしてくる。
結局、「分かりやすい」 ということは、時代の空気を身体が吸っているかどうかということに関わってくる。
政治家の書く文章や演説が分かりにくいのは、彼らが、時代の空気を身体で吸っていないからだ。
「昨今の逼迫した経済状況を鑑みるならば、国民的合意が自然発生的に形成されうるという楽観的な観測を唾棄すべきものと肝に銘じ、鋭意、国民の先頭に立って火中の栗を拾うかのごとく勇猛なる熱意を奮い立たせ、断固たる不退転の意志を胸に納め、猪突猛進する獅子のごとく、これに当たらなければならないと深く決意する次第でございます」
こんな答弁なんか、誰も聞かない。誰も読まないって。
で、今やっている仕事が、ともすればこの政治家答弁になりそうな文章で記事をまとめる作業なんだけど、こいつを (そういう文体の風格を維持しながら) いかに、分かりやすく、面白く書くか。
これに頭をひねらせている。
難しい。
でも、「気合い」 が入ってくると、めちゃ面白い。
…って、ここまで書いたら、突然気合いが入ってきた!
で、このブログ原稿は、ちょっとファイルに保存して、後でコピペでアップ。
それでは、仕事に復帰します!

>「分かりやすい」 ということは、時代の空気を身体が吸っているかどうかということに関わってくる。
いつも勉強になります。
>「いつも勉強…」などと言われると、かえって恥かしい気分になっちゃいます。
でも、ホントに文章を書くって、エネルギーが要りますよね。特にブタイチさんのブログのような、短い表現の中に、情感と思想を凝縮させるというような作業にはいつも敬服しています。
分かってもわえなければ書いた意味がないのですから。
時代の空気を身体が吸っているかどうかということに関わってくるのですか・・・
う~ん。何か胸に刺さりますねぇ。(笑)
>「大木トオルさん」 に関するレビューなど、ムーンライトさんの新作がありましたら、またご連絡ください。
確か、二度もリクエスト(?)をいただき、恐縮しております。
あの、大木さんについてアマゾンに書いたレビューですが。
「分かりやすくて参考になった」と仰ってくださった方が何人かおられました。
しかし、あのレビューは分かりやすくはありません。
大木さん以外に分かるはずが無い箇所がいくつかあるのです。
大木さんご自身がお読みになるはずはありませんが、あれは大木さんへの手紙のようなものです。(笑)
本当に、文章を書くにはエネルギーが要ります。
短いレビューでも書いた後は抜け殻です。
世界のミスター・イエローブルースを呼び捨てで書いていますしね。
(投稿後、何度も手直しをしています)
まだ書けるものはあるのですが、余程の気合が必要でして、なかなか。
今年、40周年記念CDが発売されるのではと思います。
そのCDを聴いて書かずにいられなくなったら私は気力をふり絞るのでしょうね。
時代になんの関係もなく・・・
たとえ、本人しか分からないチョー個人的な話でも、それが書き手のせっぱ詰まったギリギリのところから生まれてきたのなら、誰の胸にも届く普遍性を持つように思います。
ムーンライトさんが書かれた大木トオルさんのレビューは、そんなギリギリのところから生まれてきたからこそ、「分かりやすくて参考になった」 という方が何人もいらっしゃたのではないでしょうか。
文章のプロだろうが、素人だろうが、書く前にはみんなしんどい気持ちになるように思います。
でも、その壁を打ち破るように 「書かずにいられない」 という衝動がこみ上げてきたとき、なんか、人が呼んで「ふむふむ」 と思える文が誕生するのでしょうね。
40周年記念CDの発売が楽しみですね。
そして、それについてのレビューが誕生することを、こちらも楽しみにしています。