2008年07月01日
撮影術にめざめる
誰でも簡単に写真が撮れる時代になった。
カメラも進歩し、一般の人が楽しむカメラでは、「露出の計測」 とか 「焦点合わせ」 って何のこと? …的な機種ばかりとなった。
だから逆に、今の時代では、良い写真を撮るためのコツもあいまいになっている。
…というようなことを気づかされた “カメラ講習会” があった。
先週の日曜日、地域のコミュニティの集まりで、「プロのカメラマンが教える楽しい写真の撮り方」 というような講習会が開かれた。
「会場」 が家から1分という好アクセスであったし、入場無料ということもあって、いそいそと出かけた。
受講者は、みな旅行先で家族の記念撮影を行うぐらいのアマチュアの方ばかり。
露出計など見たことがない人がほとんどという感じである。
こういう時、講師となる方は、テーマ選びに困ると思う。
簡易的なカメラを扱う限り、プロが教えるほどの技術的テクニックというのはあまりないからだ。
せいぜい 「写真を撮るときの心構え」 という精神論を説いて場を持たせるしかない。
しかし、その講師の方は、やる気が違った。
「写メールを楽しむにはどうしたらいいかしら」
というオバちゃんオジちゃんを相手に、光源と被写体の位置、それによって変化する露出の関係、望遠レンズと広角レンズの構造的な違いなど、
「おっと写真の専門スクールか?」
と思わせるハードな講義をいきなり始めたのだ。
しかも、知らない人が聞いても解るような、面白い話として。
私の頭脳は 「理科系」 か 「文化系」 かといわれると、そのどちらでもない。
「気分系」 である。
世の中を数理的な構造体として捉える知能もなければ、哲学や文学の課題として捉える感性もたいしてない。
「今日の昼飯はカレーよりラーメンかなぁ…」
という程度の、気分的な思考に流されながら日々を生きている。
およそ理科系の対極にあるといえる。
そういう頭脳の持ち主には、もう 「絞り」 と 「シャッター速度」 の因果関係を把握することすら難しい。
仕事上、さんざん写真は撮っていたけれど、被写体を切り取るときの判断基準はすべて 「気分」。
いちおう一眼レフをマニュアルモードで使っているけれど、
「こんな環境でこのセッティングだと、オーバー気味だったな…」
「こういう場合はアンダーだったよな…」
という、まったくもって経験則だけが頼りの危なっかしい撮影者だったのだ。
そういう自分が、今回の講習会で目が覚めた!
講師の方の説明によって、カメラに関わる光学的な世界の立体構造が見えてきたのだ。
写真の世界というのは、徹底的に理詰めの世界である。
芸術写真などを見ていると、「表現者の感性だけがすべて」 のような錯覚に陥るが、画像の後処理も含め、作品そのものは、かなり工業的なプロセスを経て完成されていく。
説得力を持つ画像を撮るには、そういうプロセスまで理解した理詰めの訓練が必要となる。
「理詰め」 といっても、基本的には “この世の成り立ち” を工学的に把握するだけのことだから、言われてみれば 「あ~そういうことか」 の世界でもある。
ということで、いろいろ勉強できた1日となった。
…が、その勉強の成果をここで披露しようと思っても、残念ながら、私には理科系的な表現力がない。
で、「気分系」 の頭脳で表現できることだけを、思い出しながら書く。
まず、印象に残った話のひとつ。
「プロのカメラマンの撮った料理の写真は、たいてい美味しそうに見えるのに、同じ料理を素人が撮っても、なぜ美味しそうに見えないのか」
「腕の違い」
といってしまえば、身もフタもない。
「プロの撮った料理の写真を見るとき、盛りつけたお皿などの “影の位置” に注目してほしい」
と講師の方はいう。
「たいてい影が手前側に来ているはず」
つまり、光源は料理の向こう側にあるというのだ。
「美味しそうな料理というのは、実はすべて逆光で見たものなのです」
ほぉ…?
「レストランなどで食事するとき、テーブルに当たる光は食べる人の後ろ側から来るのではなく、それとは逆の天井側から来ていますよね。これが料理を美味しく見せるコツなんです」
つまり、料理から立ちのぼる温かそうな湯気、影と光りが交じりあった微妙な陰影。
そういうものは、すべて逆光の中で浮かび上がるというのである。
逆に、正面から光を当てると被写体が平板になり、細かい陰影がみな飛んでしまう。
素人が、正面からストロボを当ててテーブルの料理を撮っても 「美味しそう」 に見えないのは、それが理由なのだとか。
はいはい、経験的によく分かりますよ!

▲ 「ダメ写真」 の典型的な例。昨日と同じ画像でゴメン。
「レンブラント・ライト」 という話も出た。
17世紀のオランダの画家レンブラントにまつわる話だ。
彼はさまざまな肖像画を描いたが、どれも実に 「いい表情」 を残している。
その秘密も、やはり光源にあった。
「レンブラントの肖像画には独特の光りの当て方がある」
という。
それは、顔の斜め前方45度あたりに光源を置くというもの。
つまり、その角度から人間の顔に光りを当てると、鼻の影が頬のあたりに落ちて、実に彫りの深い、陰影に富んだ表情になるのだとか。
「このレンブラント・ライトを意識して、家族や友人のポートレイトを撮られると、とてもいい写真になると思います」
ヘヘェェェ……。
どれも、写真に深い興味を抱いている方なら先刻ご承知の話なのかもしれないけれど、はじめて聞いた自分としては、とても参考になる。

▲ レンブラント・ライトを使ったレンブラントの自画像
「何かご質問は?」
と、最後に講師の方に水を向けられたが、疑問に思ったことがあっても、それを理系の言葉で伝える力がない。
で、そういうのはあきらめて、
「暗い場所で写真を撮るとき、三脚の持ち合わせがなくても手ブレを起こさないコツはありますか?」
という非頭脳的な質問をすることにした。
そういう肉体的な質問に対しても、親切な答が返ってきた。
まず、カメラに紐が付いている場合、その紐をぐるぐると手首に巻き付けてしまう。そうすると、指で支えなくても、カメラが手首にしっかり固定される。
それだけでも、かなり手ブレを抑えることになるのだとか。
また、指の腹でシャッターを押すことをひかえる。
指の腹というのは意外と力があり、押した瞬間にカメラ自体を揺らしてしまう。
そうではなく、爪の先でそぉ~っと押す。
さらに、電柱でも壁でも、寄り掛かれるものがあった場合は、積極的にそういうものを利用して体を固定する。
どれも無意識のうちに少しずつ採り入れていたものだが、あらためて体系的に教えてもらうと “身に沁みる” 。
無意識にやっているものは、やったりやらなかったりと統一性に欠けるからだ。
今のカメラは手ブレ補正でも何でも付いているけれど、自分が使っているのはわりと原始的な一丸レフ。
そういうカメラを使っている人間にとっては、とてもありがたい講義だった。
「地域のコミュニティー活動」 も、いろいろ役に立つもんだ。
カメラも進歩し、一般の人が楽しむカメラでは、「露出の計測」 とか 「焦点合わせ」 って何のこと? …的な機種ばかりとなった。
だから逆に、今の時代では、良い写真を撮るためのコツもあいまいになっている。
…というようなことを気づかされた “カメラ講習会” があった。
先週の日曜日、地域のコミュニティの集まりで、「プロのカメラマンが教える楽しい写真の撮り方」 というような講習会が開かれた。
「会場」 が家から1分という好アクセスであったし、入場無料ということもあって、いそいそと出かけた。
受講者は、みな旅行先で家族の記念撮影を行うぐらいのアマチュアの方ばかり。
露出計など見たことがない人がほとんどという感じである。
こういう時、講師となる方は、テーマ選びに困ると思う。
簡易的なカメラを扱う限り、プロが教えるほどの技術的テクニックというのはあまりないからだ。
せいぜい 「写真を撮るときの心構え」 という精神論を説いて場を持たせるしかない。
しかし、その講師の方は、やる気が違った。
「写メールを楽しむにはどうしたらいいかしら」
というオバちゃんオジちゃんを相手に、光源と被写体の位置、それによって変化する露出の関係、望遠レンズと広角レンズの構造的な違いなど、
「おっと写真の専門スクールか?」
と思わせるハードな講義をいきなり始めたのだ。
しかも、知らない人が聞いても解るような、面白い話として。
私の頭脳は 「理科系」 か 「文化系」 かといわれると、そのどちらでもない。
「気分系」 である。
世の中を数理的な構造体として捉える知能もなければ、哲学や文学の課題として捉える感性もたいしてない。
「今日の昼飯はカレーよりラーメンかなぁ…」
という程度の、気分的な思考に流されながら日々を生きている。
およそ理科系の対極にあるといえる。
そういう頭脳の持ち主には、もう 「絞り」 と 「シャッター速度」 の因果関係を把握することすら難しい。
仕事上、さんざん写真は撮っていたけれど、被写体を切り取るときの判断基準はすべて 「気分」。
いちおう一眼レフをマニュアルモードで使っているけれど、
「こんな環境でこのセッティングだと、オーバー気味だったな…」
「こういう場合はアンダーだったよな…」
という、まったくもって経験則だけが頼りの危なっかしい撮影者だったのだ。
そういう自分が、今回の講習会で目が覚めた!
講師の方の説明によって、カメラに関わる光学的な世界の立体構造が見えてきたのだ。
写真の世界というのは、徹底的に理詰めの世界である。
芸術写真などを見ていると、「表現者の感性だけがすべて」 のような錯覚に陥るが、画像の後処理も含め、作品そのものは、かなり工業的なプロセスを経て完成されていく。
説得力を持つ画像を撮るには、そういうプロセスまで理解した理詰めの訓練が必要となる。
「理詰め」 といっても、基本的には “この世の成り立ち” を工学的に把握するだけのことだから、言われてみれば 「あ~そういうことか」 の世界でもある。
ということで、いろいろ勉強できた1日となった。
…が、その勉強の成果をここで披露しようと思っても、残念ながら、私には理科系的な表現力がない。
で、「気分系」 の頭脳で表現できることだけを、思い出しながら書く。
まず、印象に残った話のひとつ。
「プロのカメラマンの撮った料理の写真は、たいてい美味しそうに見えるのに、同じ料理を素人が撮っても、なぜ美味しそうに見えないのか」
「腕の違い」
といってしまえば、身もフタもない。
「プロの撮った料理の写真を見るとき、盛りつけたお皿などの “影の位置” に注目してほしい」
と講師の方はいう。
「たいてい影が手前側に来ているはず」
つまり、光源は料理の向こう側にあるというのだ。
「美味しそうな料理というのは、実はすべて逆光で見たものなのです」
ほぉ…?
「レストランなどで食事するとき、テーブルに当たる光は食べる人の後ろ側から来るのではなく、それとは逆の天井側から来ていますよね。これが料理を美味しく見せるコツなんです」
つまり、料理から立ちのぼる温かそうな湯気、影と光りが交じりあった微妙な陰影。
そういうものは、すべて逆光の中で浮かび上がるというのである。
逆に、正面から光を当てると被写体が平板になり、細かい陰影がみな飛んでしまう。
素人が、正面からストロボを当ててテーブルの料理を撮っても 「美味しそう」 に見えないのは、それが理由なのだとか。
はいはい、経験的によく分かりますよ!
▲ 「ダメ写真」 の典型的な例。昨日と同じ画像でゴメン。
「レンブラント・ライト」 という話も出た。
17世紀のオランダの画家レンブラントにまつわる話だ。
彼はさまざまな肖像画を描いたが、どれも実に 「いい表情」 を残している。
その秘密も、やはり光源にあった。
「レンブラントの肖像画には独特の光りの当て方がある」
という。
それは、顔の斜め前方45度あたりに光源を置くというもの。
つまり、その角度から人間の顔に光りを当てると、鼻の影が頬のあたりに落ちて、実に彫りの深い、陰影に富んだ表情になるのだとか。
「このレンブラント・ライトを意識して、家族や友人のポートレイトを撮られると、とてもいい写真になると思います」
ヘヘェェェ……。
どれも、写真に深い興味を抱いている方なら先刻ご承知の話なのかもしれないけれど、はじめて聞いた自分としては、とても参考になる。
▲ レンブラント・ライトを使ったレンブラントの自画像
「何かご質問は?」
と、最後に講師の方に水を向けられたが、疑問に思ったことがあっても、それを理系の言葉で伝える力がない。
で、そういうのはあきらめて、
「暗い場所で写真を撮るとき、三脚の持ち合わせがなくても手ブレを起こさないコツはありますか?」
という非頭脳的な質問をすることにした。
そういう肉体的な質問に対しても、親切な答が返ってきた。
まず、カメラに紐が付いている場合、その紐をぐるぐると手首に巻き付けてしまう。そうすると、指で支えなくても、カメラが手首にしっかり固定される。
それだけでも、かなり手ブレを抑えることになるのだとか。
また、指の腹でシャッターを押すことをひかえる。
指の腹というのは意外と力があり、押した瞬間にカメラ自体を揺らしてしまう。
そうではなく、爪の先でそぉ~っと押す。
さらに、電柱でも壁でも、寄り掛かれるものがあった場合は、積極的にそういうものを利用して体を固定する。
どれも無意識のうちに少しずつ採り入れていたものだが、あらためて体系的に教えてもらうと “身に沁みる” 。
無意識にやっているものは、やったりやらなかったりと統一性に欠けるからだ。
今のカメラは手ブレ補正でも何でも付いているけれど、自分が使っているのはわりと原始的な一丸レフ。
そういうカメラを使っている人間にとっては、とてもありがたい講義だった。
「地域のコミュニティー活動」 も、いろいろ役に立つもんだ。

おもしろい講義だったんですね♪聞いてみたかったです。
僕も一眼レフ&ポジフィルムを使ってました。昨年の夏の北海道まで。キャラバン中に電源のトラブルがあり、泣く泣くデジカメのみで撮影しました。一眼のシャッター音、ポジの勝負どころというのは魅力がありますね。でも正直、デジタル一眼が今はほしいところです。安くなったとはいえ、なかなか手がでません。汗
でも最近の手軽なデジカメも動画もたくさん撮れるようになったので、うれしいです。
ところで、今日、Tears In Heaven を撮りました。まだまだですが・・・汗
You Tubeのリンクを入れておきます。またキャンプで聞いてやってください。もちろん、イーグルスも練習しておきます。笑
まあ今考えれば、管理職の道に入ってよかったのかなあと思う時もありますが、今食えているということは正解だったのかもと言い聞かせています。
「Tears In Heaven」も「北海道 2007 夏」もしっかり拝見いたしました。素敵ですネェ!
「Tears …」は、本当にクラプトンのアコースティックギターを聞いているみたいでした。特にBメロ後の間奏部分、よく音を拾えましたね。楽譜に載っているのでしょうか。HORI-Bon!さんみたいにギターが弾けたらいいなぁ…とつくづく思いました。歌もとても繊細な感じが伝わってくるし。次が楽しみです。
「北海道 2007 夏」の動画も良かった。歌が流れて、画像はストップモーション。なんか、よく出来たアート的なCM画像でも観ているような気分でした。
いい作品をどんどん完成させてください。
いろいろとmatsumotoさんの人生行路が見えてきました。いい歳の取り方をされているんですね。
確かに、デジタル技術が発達してきて、純粋にカメラだけで食べていくのはとても厳しい時代になったようです。
でも、若い頃にめいっぱいチャレンジしたことは、生涯自分を支えていく力として残るような気もします。
ダイエットそうとう頑張っていられるようですね。
matsumotoさんのブログを拝読して、こちらも負けないように頑張らないといけないと思いました。
でも、今日の昼は「親子丼」をフルに食ってしまったし、夜は「明太高菜おこわ」も全部たいらげちゃったし、なかなか誘惑に勝てない町田です。