2008年06月18日
マイルにまいる
《 モーターホームでアメリカを走る 8 》

英米文化圏の 「マイル、フィート、ガロン」 表示は、「キロメーター、センチ、リットル」 感覚に慣れた人間を戸惑わせるため、私などはこれに接すると、「わぁ、異文化圏に来た…」 という実感がこみ上げてくる。
もともと英米のヤードポンド法は、日本の尺貫法と同じく、人間の身体ベースに基づいて制度化された度量衡だった。
たとえば1フィート (約30.48㎝) というのは、人間の足の寸法から得られた単位だ。
日本人の基準でいうと、かなり大足だが、まぁ、体格のいい英米人だと、別にびっくりするほどのことではないのかもしれない。
1マイルというのは、この1フィートの “一千歩” を意味する。
右足と左足を交互に一歩ずつ前に出すのを 「1回」 と数え、1000回進むと 「1マイル」 。
こう考えると、実に合理的だ。
物差し類の持ち合わせがなくても、自分の身体感覚だけで、およそのサイズや距離がつかめる。
「地球の子午線の4000万分の1」 などという、およそ現実感覚から外れたメートル法を考えついたフランス人とはそこが違う。
歴史的にみても、フランス人は抽象的な 「数学モデル」 で世界を見ようとするが、イギリス系の人々は 「経験則」 で世界を捉える。
その差が、度量衡に対する思想の差として現れている。
フランス起源のメートル法に慣れた日本人は、この英米流の “合理性” になじむまでには時間がかかる。
この度のアメリカ・モーターホームツァー。
走ること3日目ぐらいにして、ようやくマイルの感覚に慣れた。
それにともなって、到着時間も読めるようになったきた。
都市部を離れると、信号もなければ渋滞もない。だから、自分のいま走っているクルマのスピードで、およその到着時間が推定できるのだ。
「あと60マイル」 などという表示が出れば、約1時間。
「あと100マイル」 などという表示が出れば、およそ2時間
途中、町などを抜けることもあるので、スピードは上がったり下がったりするが、およその計算ができるようになってきた。
ガロンの感覚にも慣れた。
アメリカでは、給油するときのガソリン量はすべてガロン表示となる。
ガスステーションにたどり着くと、どこの給油所でも、
「3.98」
「3.99」
などという数値が掲げられている。
「1ガロン=3.99ドル」 …などという意味だ。
これが、高いか安いか、だんだん見る目が慣れてきた。
「1ガロン3.99ドル」 といえば、日本でいえば 「リッター105円~110円」 。
レギュラーガソリンが170円などと言われるようになった日本と比べると、信じられないくらい安い。
アメリカのガソリン税率はわずか12パーセント程度だというから、安いのも道理だが、それでも、ここ5年の間に3倍近い値段につり上がったという。
だから、アメリカ人のカーライフに異変が起こっているという話も聞く。
週末はクルマを使わず、家でごろごろテレビを見ながら日曜日を過ごす人が増えているらしい。

▲ アメリカのスタンドはほとんどセルフ。クレジットカードで支払うシステムになっている。

▲ アリゾナ・ユタの旅を終えてからちょっと走ったカリフォルニアでは、すでに4ドルを超えたスタンドがたくさんあった。
ガソリン高騰時代といわれながらも、アメリカ人は自動車依存のライフスタイルをにわかに転換できないようだ。
なにしろ、道路、町の構造がすでに自動車を前提とした設計になっている。
特にハイウェイ沿いでは、道路と町は、もう最初から一体なのだ。
たとえば、(もしかしたら州によって違うのかもしれないが) 、アリゾナなどのインターステートハイウェイには、基本的に日本のサービスエリア・パーキングエリアに相当するようなものがない。
その代わり、道路沿いに隣接して、至るところにハイウェイ利用客を対象としたフード店・給油所・スーパーなどが設けられている。
これらの “休憩スポット” は、手前に 「FOOD EXIT」 などの看板が出ているので、すぐ見つけられる。
その案内板に従って、ハイウェイを降りると、レストラン、ファーストフード店、スーパーマーケット、ガスステーション (給油所)、銀行などが効率よくまとまった小さな 「商店街」 が出現する。
これらのミニタウンにある店舗は、近隣の住人にも利用されているようだが、やはりハイウェイ通行者が主な客筋なのだろう。旅の通過点として分かりやすいように、みなおしなべて一様のつくりになっている。
その雰囲気は、日本の新興住宅街にあるスーパーマーケットに似ていなくもない。清潔で爽やかだが、人工的で無機質だ。

▲ インターステートハイウェイの 「FOOD」 の看板。「バーガーキング」 「ウィンディ」 などのファーストフードショップの案内が見える。
そこに入るとスーパー、レストランなどが集まったスモールタウンが。機能は日本の高速道路のSAと同じ。
自動車がないと暮らしていけないアメリカ人は、その自動車を便利に安全に走らせるために、けっこう意外なルールを守っている。
たとえば、真っ昼間から走行中にヘッドライトをつけるなどという習慣もそのひとつ。
日本と違って、乾燥した風土のアリゾナ州、ユタ州では、昼間の視界は実に良好だ。遠くでかすかにうごめくものでも、まず見逃すことがない。
それなのに、こちらでは真っ昼間からライトを点灯して、自分の存在を堂々と誇示するクルマが多い。
こんなに視認性の良い土地柄なのに、なんで真っ昼間からみんなライトをつけるのか。
最初のうちはよく理解できなかった。
しかし、地平線のかなたに消えていく一直線の道を走り続けていくうちに、次第にその意味が分かってきた。
ヘッドライトを付けているクルマは、「対向車だぞ」 ということを知らせているのだ。
遠近法の消失点のような直線路のかなたに、ポツリと黒い影が浮かび上がる。
それが対向車なのか、それとも同じ車線を走る先行車なのか、それが分かるようになるまでには、気の遠くなるような時間がかかる。
その影が少しずつ大きくなってくれば、それはこちらに向かっているクルマなのだが、対向車だと見分けがついてからも、その距離は一向に縮まらない。
このじれったいような長さは、日本ではなかなか経験できないものだ。

▲ 気の遠くなるほど真っ直ぐな一本道。そこにポツンと浮かぶ自動車の影は、発見した段階では対向車かどうか分からない。
何がいいたいか。
それほど土地が広いともいいたいし、それほど直線路が長いということもいいたい。
その広大な土地でクルマ同士がすれ違うとき、お互いに対向車であることを少しでも相手に早く伝えるためには、昼間でもヘッドライトを点灯させる必要があったのだ。
もしかしたら、違うかもしれないけれど、私はそう思った。
この広大な大地で暮らす限り、アメリカの人々には自動車抜きでの生活は無理であろう。
通勤に自転車を使おうというエコ思想は、ヨーロッパ人か、アメリカでもニューヨークのような都市圏の住民の発想でしかない。
ガソリン高騰もさることながら、石油資源そのものが枯渇するという時代を迎え、アメリカ人たちはこれからどう生きていくのだろう。
アリゾナの荒野には、再び馬で引く幌馬車が出現するようになるのだろうか。
英米文化圏の 「マイル、フィート、ガロン」 表示は、「キロメーター、センチ、リットル」 感覚に慣れた人間を戸惑わせるため、私などはこれに接すると、「わぁ、異文化圏に来た…」 という実感がこみ上げてくる。
もともと英米のヤードポンド法は、日本の尺貫法と同じく、人間の身体ベースに基づいて制度化された度量衡だった。
たとえば1フィート (約30.48㎝) というのは、人間の足の寸法から得られた単位だ。
日本人の基準でいうと、かなり大足だが、まぁ、体格のいい英米人だと、別にびっくりするほどのことではないのかもしれない。
1マイルというのは、この1フィートの “一千歩” を意味する。
右足と左足を交互に一歩ずつ前に出すのを 「1回」 と数え、1000回進むと 「1マイル」 。
こう考えると、実に合理的だ。
物差し類の持ち合わせがなくても、自分の身体感覚だけで、およそのサイズや距離がつかめる。
「地球の子午線の4000万分の1」 などという、およそ現実感覚から外れたメートル法を考えついたフランス人とはそこが違う。
歴史的にみても、フランス人は抽象的な 「数学モデル」 で世界を見ようとするが、イギリス系の人々は 「経験則」 で世界を捉える。
その差が、度量衡に対する思想の差として現れている。
フランス起源のメートル法に慣れた日本人は、この英米流の “合理性” になじむまでには時間がかかる。
この度のアメリカ・モーターホームツァー。
走ること3日目ぐらいにして、ようやくマイルの感覚に慣れた。
それにともなって、到着時間も読めるようになったきた。
都市部を離れると、信号もなければ渋滞もない。だから、自分のいま走っているクルマのスピードで、およその到着時間が推定できるのだ。
「あと60マイル」 などという表示が出れば、約1時間。
「あと100マイル」 などという表示が出れば、およそ2時間
途中、町などを抜けることもあるので、スピードは上がったり下がったりするが、およその計算ができるようになってきた。
ガロンの感覚にも慣れた。
アメリカでは、給油するときのガソリン量はすべてガロン表示となる。
ガスステーションにたどり着くと、どこの給油所でも、
「3.98」
「3.99」
などという数値が掲げられている。
「1ガロン=3.99ドル」 …などという意味だ。
これが、高いか安いか、だんだん見る目が慣れてきた。
「1ガロン3.99ドル」 といえば、日本でいえば 「リッター105円~110円」 。
レギュラーガソリンが170円などと言われるようになった日本と比べると、信じられないくらい安い。
アメリカのガソリン税率はわずか12パーセント程度だというから、安いのも道理だが、それでも、ここ5年の間に3倍近い値段につり上がったという。
だから、アメリカ人のカーライフに異変が起こっているという話も聞く。
週末はクルマを使わず、家でごろごろテレビを見ながら日曜日を過ごす人が増えているらしい。
▲ アメリカのスタンドはほとんどセルフ。クレジットカードで支払うシステムになっている。
▲ アリゾナ・ユタの旅を終えてからちょっと走ったカリフォルニアでは、すでに4ドルを超えたスタンドがたくさんあった。
ガソリン高騰時代といわれながらも、アメリカ人は自動車依存のライフスタイルをにわかに転換できないようだ。
なにしろ、道路、町の構造がすでに自動車を前提とした設計になっている。
特にハイウェイ沿いでは、道路と町は、もう最初から一体なのだ。
たとえば、(もしかしたら州によって違うのかもしれないが) 、アリゾナなどのインターステートハイウェイには、基本的に日本のサービスエリア・パーキングエリアに相当するようなものがない。
その代わり、道路沿いに隣接して、至るところにハイウェイ利用客を対象としたフード店・給油所・スーパーなどが設けられている。
これらの “休憩スポット” は、手前に 「FOOD EXIT」 などの看板が出ているので、すぐ見つけられる。
その案内板に従って、ハイウェイを降りると、レストラン、ファーストフード店、スーパーマーケット、ガスステーション (給油所)、銀行などが効率よくまとまった小さな 「商店街」 が出現する。
これらのミニタウンにある店舗は、近隣の住人にも利用されているようだが、やはりハイウェイ通行者が主な客筋なのだろう。旅の通過点として分かりやすいように、みなおしなべて一様のつくりになっている。
その雰囲気は、日本の新興住宅街にあるスーパーマーケットに似ていなくもない。清潔で爽やかだが、人工的で無機質だ。
▲ インターステートハイウェイの 「FOOD」 の看板。「バーガーキング」 「ウィンディ」 などのファーストフードショップの案内が見える。
そこに入るとスーパー、レストランなどが集まったスモールタウンが。機能は日本の高速道路のSAと同じ。
自動車がないと暮らしていけないアメリカ人は、その自動車を便利に安全に走らせるために、けっこう意外なルールを守っている。
たとえば、真っ昼間から走行中にヘッドライトをつけるなどという習慣もそのひとつ。
日本と違って、乾燥した風土のアリゾナ州、ユタ州では、昼間の視界は実に良好だ。遠くでかすかにうごめくものでも、まず見逃すことがない。
それなのに、こちらでは真っ昼間からライトを点灯して、自分の存在を堂々と誇示するクルマが多い。
こんなに視認性の良い土地柄なのに、なんで真っ昼間からみんなライトをつけるのか。
最初のうちはよく理解できなかった。
しかし、地平線のかなたに消えていく一直線の道を走り続けていくうちに、次第にその意味が分かってきた。
ヘッドライトを付けているクルマは、「対向車だぞ」 ということを知らせているのだ。
遠近法の消失点のような直線路のかなたに、ポツリと黒い影が浮かび上がる。
それが対向車なのか、それとも同じ車線を走る先行車なのか、それが分かるようになるまでには、気の遠くなるような時間がかかる。
その影が少しずつ大きくなってくれば、それはこちらに向かっているクルマなのだが、対向車だと見分けがついてからも、その距離は一向に縮まらない。
このじれったいような長さは、日本ではなかなか経験できないものだ。
▲ 気の遠くなるほど真っ直ぐな一本道。そこにポツンと浮かぶ自動車の影は、発見した段階では対向車かどうか分からない。
何がいいたいか。
それほど土地が広いともいいたいし、それほど直線路が長いということもいいたい。
その広大な土地でクルマ同士がすれ違うとき、お互いに対向車であることを少しでも相手に早く伝えるためには、昼間でもヘッドライトを点灯させる必要があったのだ。
もしかしたら、違うかもしれないけれど、私はそう思った。
この広大な大地で暮らす限り、アメリカの人々には自動車抜きでの生活は無理であろう。
通勤に自転車を使おうというエコ思想は、ヨーロッパ人か、アメリカでもニューヨークのような都市圏の住民の発想でしかない。
ガソリン高騰もさることながら、石油資源そのものが枯渇するという時代を迎え、アメリカ人たちはこれからどう生きていくのだろう。
アリゾナの荒野には、再び馬で引く幌馬車が出現するようになるのだろうか。
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