2008年06月17日
地平線という謎
《 モーターホームでアメリカを走る 7 》
眼下に広がる断崖絶壁に足がすくみ、キン○○ がスースー風にさらされる経験をした高所恐怖症男の私は、翌日、今度は柵が設けられたビューポイントを探して、朝日を浴びるグランドキャニオンにチャレンジすることにした。
グランドキャニオンの朝日は、この時期5時40分ごろに昇る。
5時起床。
飯も食わず、料金を入れた封筒を、無人のRVパークのポストに投函し、再びモーターホームに乗り込む。
現地に着くと、日の出前だというのに、もう観光客の姿がひしめきあっていた。
モーターホームは駐車場には入れないので、昨日と同じように、道ばたに縦列駐車を試みる。
車体が長いと、こういうときに一苦労。
うまく止められても、乗用車に前後をぴったりサンドイッチされると、今度は出るに出られない。
幸い、適当な間隔で止まっているクルマの列にうまく入り込むことができた。
グランドキャニオンとは、コロラド川を挟んで、東西に446㎞の広がりを見せる壮大な渓谷のことをいう。観光地化されていないノース・リムと、いろいろな展望ビューが整備されているサウス・リムに分かれているが、我々が訪れたのは、サウス・リムでも最も観光地化が進んだマーサポイント。
ここで久しぶりに日本語をたくさん聞いた。
日本人の団体ツァー客たちが、カメラ片手に、日の出を待っているところだった。
「30分後にはここに集合してください」 と叫ぶインストラクターの前に行儀よく並び、「やっぱ昼間の景色とは違ってへん?」 などとささやき合うオバちゃん方に混じって、渓谷に向けてカメラをかざす。
ところどころに柵が設けられている場所を選んだので、昨日違って、若干心に余裕が生まれる。

▲ 天地創造を思わせる朝日の光が深い谷を照らす。その荘厳な景色から目を後ろに転じると、観光客の波また波。
渓谷の断崖が陽の光りに照らされて、赤く輝き始めると、周囲からワァオーという喚声がどよめく。その景観を背景に、観光客が次々と記念写真を撮り合う。
やっぱりここに来ることは、誰にとっても 「大いなる」 記念なのだ。グランドキャニオン! よくも名づけたり。

▲ ラバに乗って、トレッキングコースを降りる乗馬ツァーもある。さすがアメリカ人は、西部劇になじんでいるせいか、乗馬スタイルがサマになる。
それにしても、この断崖絶壁をラバの背に揺られておりるとは…。ラバが足を踏み外したら、人馬もろとも天国行き。

▲ 「今日も1日が無事に終わりますように…」
目を細めて祈るラバ
観光客がその瞬間を待ちわびた日の出の時間が終わると、周囲から次第に人の声が遠ざかっていく。見物客の多くは、朝日を鑑賞するというスケジュールを消化すると、次の観光ポイントに移っていく。
朝日を見物する客が立ち去り、昼の観光ツァーで訪れる人たちが来るまでの一瞬だけ、谷を静寂が包む。
人気が途絶えると、グランドキャニオンは、それが生まれた太古の時間に戻ったような表情を見せる。
この光景を最初に目にした人間は、いったい何を感じたのだろう。
発見したのは、太古に凍てついたベーリング海峡を渡ってきたネイティブアメリカンたちだろうが、彼らはここを 「人間が足を踏み入れることすら畏れ多い神々のすみか」 と思ったことだろう。
はるか後になって、この光景を目にしたヨーロッパ人たちも、きっと地上に突出した 「神域」 を感じたに違いない。
ここにそびえ立つ岩々は、みな雄弁だ。
じっと眺めていると、岩のひとつひとつが、どれも物語を持っているように思えてくる。
ギリシャのパルテノン神殿を思わせる岩もあれば、インド神話に出てくる伽藍のような山もある。
実際、ヒンズー教のヴィシュヌ神にちなんだ 「ヴィシュヌ・テンプル」 と名づけられた山などは、遠くから眺めると、頂上に寺院が建立されているように見える。
人類の文明史には一度も登場したことのない風景なのに、どこか懐かしい。
その奇妙なデジャブ感が、このグランドキャニオンの最大の魅力となっている。

▲ 手前にあるのは 「神像」 か? はるかかなたに 「ビシュヌ・テンプル」 。

グランドキャニオンを出て、次の目的地モニュメントバレーへ向かう。
途中、64号線沿いに店を構えているネイティブアメリカンの土産物屋の前で休憩。
グランドキャニオンの東の外れあたりになるのか、ところどころ渓谷の雰囲気を残した景色が残っている。
それにしても、このフラット感はどうだ!
人間の目は、180度の視界を持つといわれるが、その180度内のどこを探しても、山や丘陵の姿が見当たらない。
まばらな潅木の生えたフラットな大地が、ただひたすら続くだけなのである。

▲ 視界に入るのは、くっきりとした地平線のみ。気が遠くなるような風景だ。
概して、アリゾナ州からユタ州に至るグランドサークル一帯には天に向かって伸びるものがない。この地域では、山や丘ですら、その頂上は航空母艦の甲板みたいにまっ平らだ。
だから、基本的にここでは、目に見える世界は二つしかない。
天と地だ。
その天と地の境界を、地平線がどこまでも水平に伸びていく。
どうして、こんな単調な世界が生まれたのだろう。
目の前にある光景が、あまりにもシンプルすぎて、逆に謎めいて見えてくる。
きっと、宇宙を造形したといわれる神様が、うっかりつくり忘れてしまったに違いない。
いわば神の手も届かなかった風景。
そう思って眺めていると、なんだか、「天地創造」 が始まる前の光景に立ち会ったような気になってくる。
小林氏が、
「昼メシ時でもあるし、ここで簡単な腹ごしらえをしませんか?」
というので、駐車スペースの一角にクルマを収め、お湯を沸かしてインスタントコーヒーを作り、パンにバターを付けて食べる。
ダイネットテーブルの窓から先には、神も文明も手をつけなかった永遠の荒野が広がる。
窓を開けると、乾いた風がかすかな砂の匂いを運んだ。
こういう場所でコーヒーを飲むとは思わなかった。

▲ ダイネットテーブルの向こうには、永遠の荒野が広がる。
眼下に広がる断崖絶壁に足がすくみ、キン○○ がスースー風にさらされる経験をした高所恐怖症男の私は、翌日、今度は柵が設けられたビューポイントを探して、朝日を浴びるグランドキャニオンにチャレンジすることにした。
グランドキャニオンの朝日は、この時期5時40分ごろに昇る。
5時起床。
飯も食わず、料金を入れた封筒を、無人のRVパークのポストに投函し、再びモーターホームに乗り込む。
現地に着くと、日の出前だというのに、もう観光客の姿がひしめきあっていた。
モーターホームは駐車場には入れないので、昨日と同じように、道ばたに縦列駐車を試みる。
車体が長いと、こういうときに一苦労。
うまく止められても、乗用車に前後をぴったりサンドイッチされると、今度は出るに出られない。
幸い、適当な間隔で止まっているクルマの列にうまく入り込むことができた。
グランドキャニオンとは、コロラド川を挟んで、東西に446㎞の広がりを見せる壮大な渓谷のことをいう。観光地化されていないノース・リムと、いろいろな展望ビューが整備されているサウス・リムに分かれているが、我々が訪れたのは、サウス・リムでも最も観光地化が進んだマーサポイント。
ここで久しぶりに日本語をたくさん聞いた。
日本人の団体ツァー客たちが、カメラ片手に、日の出を待っているところだった。
「30分後にはここに集合してください」 と叫ぶインストラクターの前に行儀よく並び、「やっぱ昼間の景色とは違ってへん?」 などとささやき合うオバちゃん方に混じって、渓谷に向けてカメラをかざす。
ところどころに柵が設けられている場所を選んだので、昨日違って、若干心に余裕が生まれる。
▲ 天地創造を思わせる朝日の光が深い谷を照らす。その荘厳な景色から目を後ろに転じると、観光客の波また波。
渓谷の断崖が陽の光りに照らされて、赤く輝き始めると、周囲からワァオーという喚声がどよめく。その景観を背景に、観光客が次々と記念写真を撮り合う。
やっぱりここに来ることは、誰にとっても 「大いなる」 記念なのだ。グランドキャニオン! よくも名づけたり。
▲ ラバに乗って、トレッキングコースを降りる乗馬ツァーもある。さすがアメリカ人は、西部劇になじんでいるせいか、乗馬スタイルがサマになる。
それにしても、この断崖絶壁をラバの背に揺られておりるとは…。ラバが足を踏み外したら、人馬もろとも天国行き。
▲ 「今日も1日が無事に終わりますように…」
目を細めて祈るラバ
観光客がその瞬間を待ちわびた日の出の時間が終わると、周囲から次第に人の声が遠ざかっていく。見物客の多くは、朝日を鑑賞するというスケジュールを消化すると、次の観光ポイントに移っていく。
朝日を見物する客が立ち去り、昼の観光ツァーで訪れる人たちが来るまでの一瞬だけ、谷を静寂が包む。
人気が途絶えると、グランドキャニオンは、それが生まれた太古の時間に戻ったような表情を見せる。
この光景を最初に目にした人間は、いったい何を感じたのだろう。
発見したのは、太古に凍てついたベーリング海峡を渡ってきたネイティブアメリカンたちだろうが、彼らはここを 「人間が足を踏み入れることすら畏れ多い神々のすみか」 と思ったことだろう。
はるか後になって、この光景を目にしたヨーロッパ人たちも、きっと地上に突出した 「神域」 を感じたに違いない。
ここにそびえ立つ岩々は、みな雄弁だ。
じっと眺めていると、岩のひとつひとつが、どれも物語を持っているように思えてくる。
ギリシャのパルテノン神殿を思わせる岩もあれば、インド神話に出てくる伽藍のような山もある。
実際、ヒンズー教のヴィシュヌ神にちなんだ 「ヴィシュヌ・テンプル」 と名づけられた山などは、遠くから眺めると、頂上に寺院が建立されているように見える。
人類の文明史には一度も登場したことのない風景なのに、どこか懐かしい。
その奇妙なデジャブ感が、このグランドキャニオンの最大の魅力となっている。
▲ 手前にあるのは 「神像」 か? はるかかなたに 「ビシュヌ・テンプル」 。
グランドキャニオンを出て、次の目的地モニュメントバレーへ向かう。
途中、64号線沿いに店を構えているネイティブアメリカンの土産物屋の前で休憩。
グランドキャニオンの東の外れあたりになるのか、ところどころ渓谷の雰囲気を残した景色が残っている。
それにしても、このフラット感はどうだ!
人間の目は、180度の視界を持つといわれるが、その180度内のどこを探しても、山や丘陵の姿が見当たらない。
まばらな潅木の生えたフラットな大地が、ただひたすら続くだけなのである。
▲ 視界に入るのは、くっきりとした地平線のみ。気が遠くなるような風景だ。
概して、アリゾナ州からユタ州に至るグランドサークル一帯には天に向かって伸びるものがない。この地域では、山や丘ですら、その頂上は航空母艦の甲板みたいにまっ平らだ。
だから、基本的にここでは、目に見える世界は二つしかない。
天と地だ。
その天と地の境界を、地平線がどこまでも水平に伸びていく。
どうして、こんな単調な世界が生まれたのだろう。
目の前にある光景が、あまりにもシンプルすぎて、逆に謎めいて見えてくる。
きっと、宇宙を造形したといわれる神様が、うっかりつくり忘れてしまったに違いない。
いわば神の手も届かなかった風景。
そう思って眺めていると、なんだか、「天地創造」 が始まる前の光景に立ち会ったような気になってくる。
小林氏が、
「昼メシ時でもあるし、ここで簡単な腹ごしらえをしませんか?」
というので、駐車スペースの一角にクルマを収め、お湯を沸かしてインスタントコーヒーを作り、パンにバターを付けて食べる。
ダイネットテーブルの窓から先には、神も文明も手をつけなかった永遠の荒野が広がる。
窓を開けると、乾いた風がかすかな砂の匂いを運んだ。
こういう場所でコーヒーを飲むとは思わなかった。
▲ ダイネットテーブルの向こうには、永遠の荒野が広がる。

いつかこんなところに行ってみたいです。
大自然でも大都会(駐車場が辛いか??)でも気の赴くままを借景に過ごせるキャンピングカー、最高ですね。
私は当面、子供の思い出の中の借景にキャンピングカーが残るような旅を続けます。
こちらこそ、はじめまして。
さっそく雷さんのブログも拝見させていただきました。
実はこのサイトは、最近検索エンジンで「キャンピングカー 事故」をグーグルで探していたときに、偶然見たことがあります。
「ああ、あのときのブログの方…」 って、すぐ分かりました。
とても充実したブログを運営されていますね。
ときどきお邪魔します。
今後ともよろしくお願い申しあげます。