2008年06月14日
ルート66伝説
《 モーターホームでアメリカを走る 5 》
「1926年、イリノイ州のミシガン湖畔からカリフォルニア州サンタモニカ海岸を結ぶ、USハイウェイとして誕生したルート66は、全長2448マイル、八つの州と三つのタイムゾーンを走り抜けるマザーロードである」
と、『荒野をめざす - 魂のハイウェイ・ルート66』 の著者 東理夫さんは書く。
そいつを、自分で走ってみる。
これは、ある一定の世代…1960年代にテレビ番組 『ルート66』 を観ていた人間たちにとって、共通した願いであるかもしれない。
まさに、私がそうである。

▲ アメリカのベビーブーマー世代と日本の団塊世代の伝説となっているテレビドラマ 『ルート66』 。
カラオケでも、よく 「ルート66」 を歌う。
「If you plan to motor west…」
で始まるこの歌は、のっけからジャズっぽくハネて、無類にカッコいい。
途中の歌詞がむずかしい。
通過する地名が、せわしなく短い楽節の中に詰まってくる。
Now you go through ST,Louis Japlin'Missouri
And Oklahome city is mighty pretty
You'll see Amarillo, Gallup New Mexico
Flagstaff,Arizona Don't forget Winona Kingmen Barstow
San bemadino …
ここが、いつもトチるところだ。
舌をかみそうになる。
たいていムニョムニョとごまかす。
しかし、ギャラップニュメキシコ!
のフレーズがうまく決まると、胸がすっきりする。
早朝6時。
パンとコーヒーの簡単な朝食をすませ、スライドルームをインにして、「オアシスRVパーク」 を後にした私たちは、いよいよルート66を目指した。
93号線をひたすら南下。
95号線との分岐点あたりから、次第に荒涼としたアメリカの大地が広がっていく。まばらな潅木の生えた赤茶けた大地が、果てしなくどこまでも伸びている。
どんなに走っても、空と地面を分ける、ただ一本の線しか見えない。
その線が地平線なのか、それともなだからな稜線を保った丘陵なのか、今までそういう景色に接したことないので、それがにわかに判別しがたい。

▲ 果てしなく続く荒野の一本道。
映画 「イージーライダー」 やパイオニアの 「ロンサムカーボーイ」 のCMにイカれた世代としては、たまりませんな。

▲ 荒涼とした大地にぽつりと浮かぶ 「STOP」 の標識。
こういう映像が好きで、気がつけば、どこでも 「STOP」 を撮っていた。
10時過、観光の名所フーバーダムに寄って休憩。

▲ フーバーダムで、“にわか愛車” となったジャンボリー31Mをパチリ。
ここでは写真を撮っただけで、さらに先を急ぐ。
今日1日で、ルート66の一部を見てから、さらにグランドキャニオンまでの約280マイルの距離を消化しなければならない。
…といっても、それがどれくらいの距離なのか。㎞数で換算すると約450㎞という数字になるが、アメリカの交通感覚がまだつかめないので、にわかに実感が湧かない。
14時頃、ついに歌に出てくるキングマンの町に入った。
木々の木漏れ日が午後の歩道に涼しげな影を落としている典型的なアメリカの小都市だった。
平和すぎて、退屈にも感じられる静かな街並みが続く。
しかし、市内を注意深く眺め回してみると、町のいたるところに 「ヒストリックルート66」 という案内標識が掲げられていることに気づく。
ここから次のセリグマンに至る道は、往年のルート66の面影が残るエリアとして、観光スポットとしても有名なロードなのだ。

▲ おなじみの標識
人気のない市内を一巡して、「パワーハウス・ビジターセンター」 という看板のかかった駐車場にモーターホームを乗り入れる。
何の建物か?
中は 「ルート66」 のミュージアムだった。
若干湿った空気が、薄暗い床の上を這っていた。

▲ ルート66ミュージアムの外観 (左) と、室内を彩るネオン (右) 。
展示物は、ルート66がアメリカにもたらした文化的・経済的影響などを示したパネルなど、地味でアカデミックな感じのものが多く、そのせいか、観光客の姿もまばらだ。
何気なく覗いたガラスケースの中に、ちょっと感動的なものを発見した。
東理夫さんの書かれた 『荒野をめざす - 魂のハイウェイルート66』 が陳列されているではないか。

▲ 東理夫 著 「荒野をめざす」
今回ルート66を走るときの参考書として、スーツケースの底に沈ませてきた本だった。
それと同じものが、異国のミュージアムのガラスケースの中に眠っていたとは…。
感無量。
いったいどんな日本人がここにそれを寄贈したのやら。
それとも、このミュージアムのスタッフが、本の評判を聞きつけて、わざわざ日本から取り寄せたのだろうか。
確かに、あの本はルート66を走る気分を表現した本としては出色の出来だった。おそらくアメリカ人の中にも、ここまで思い入れを込めた読み物を創造した人間はいないのではあるまいか。
東さんは、ルート66がインターステートハイウェイ40の出現によって、その役目を終えたことを、「アメリカのひとつの時代の終わり」 だと表現する。
インターステーハイウェイが整備されることによって、大量輸送と、スピードアップと、仕事の効率化が何よりも優先される時代が来た。
それと歩調を合わせるように、ルート66を走っていた時代の人たちが大事にしていた何かが、失われた。
60年代に、日本でもアメリカでも一世を風靡したテレビドラマ 『ルート66』 は、ルート66が全盛を誇っていた頃、その道を旅する2人の青年が、行く先々の町で、人と触れ合い、人情を知り、成長していく物語だった。
いまだ出会ったことのない未知の人が、自分に 「幸せ」 をもたらせてくれる。
人々が無邪気に、それを信じることができた若いアメリカ。
そういうアメリカが、ルート66の衰退とともに姿を消す。
時代の終わりを 「道路」 が象徴するなんて、いかにも自動車文明の国アメリカらしい話だ。
ビジターセンターを出て、モーターホームに乗り込もうとした瞬間、ブォーというマンモスの鳴き声のような音が大地を揺るがした。ミュージアム横を、汽笛を鳴らした貨物列車が通過するところだった。

▲ ロングトレイン・ラニング。見えづらいだろうけれど、右の方。
その光景を何気なく見ていたが、いつまで経っても列車の行列は終わらない。5分ぐらい経過したところで、やっと最後部の列車が現れた。
ロングトレイン・ラニング。
ドゥービーブラザースの歌を思い出した。
東理夫さんの 『荒野をめざす - 魂のハイウェイルート66』 にも、このロングトレイン・ラニングを、キングマンとセリグマンの間の道で見物したことが記されている。
彼の本には、「その通過には10分かかった」 と書かれている。
ルート66ヒストリックロードを、セリグマンの町に向けて走る。

▲ ひたすらセリグマンへ
前方の道が、水を撒いたように濡れている。
しかし、そこまでたどりつくと、何もない。
水溜りは、さらにその先に移動している。
「逃げ水」 だ。
涼しげな風情を帯びた幻の水溜り。
東理夫さんも、本の中でこの逃げ水に触れている。
「ルート66を追う旅は、逃げ水を追う旅のようだ」 と。
途中ピーチスプリングスという小さな町で遅い昼食を取った。
レストランの中にいる客は、同じようなレンタルモーターホームで旅をしている中年カップルだけだった。

▲ ピーチスプリングのレストラン。レンタルモーターホームの先客がいた。
メニューから 「BBQ&ベーコンハンバーガー」 というのを選んでオーダーする。
ネイティブアメリカンの血を感じさせるウェイトレスが、しきりに 「サイドオーダーは要らないのか?」 と尋ねてくる。ハンバーガーだけしか頼まない人間なんて信じられないといった表情なのだ。
「ノーサイドオーダー、オンリーハンバーガー」
というと、変った人たちね…とでも言いたげな笑顔を浮かべて奥に去っていった。
概してアメリカ人は大食である。
フライドライス (炒飯) などを頼んでも、日本の3倍の量がある。うっかりコーラなどをテイクアウトすると、それこそ日本のペットボトルの1リットル容器ほどのカップを手渡されることもある。
ここのハンバーガーの大きさにもびっくり。本体そのものがデカい上に、添えつけのフライドポテトの量が尋常ではない。つくづくサイドオーダーなど頼まないでよかったと思った。

▲ ハンバーガーの単品がディナーのような盛り付けで出てくる。
結局、ポテトを食べる前にお腹がギブアップし、残りのポテトは発泡スチロールの容器をもらって持ち帰りにした。
陽が中天からやや西に傾いた頃、セリグマンの町に入った。
ここはキングマンと同じ 「ルート66の町」 といえども、だいぶ観光地化されている。
▲ 1960年代の時代を凍結したセリグマンの街並み
土産物屋の庭先には、古いアメ車がわざと野ざらし状態で置かれているなど、意識的にオールドタイムを演出している気配がある。
流れる音楽も60年代あたりのロック。ルート66の旅は、アメリカ人の間でも 「センチメンタル・ジャーニー」 なのだ。

▲ ジェームズ・ディーンやマリリン・モンローがお出迎え。

▲ 「寂しい町」 って雰囲気はなかなか出ている。
モーターホームを道ばたに止め、土産物屋の中を覗き込むと、店の人間に、
「日本人だろ? ここには日本人がいっぱい来るよ」
と話し掛けられた。
「ちょいと来い」 と店の中に引きずり込まれ、見せられたのはアルバム集。中村雅俊をはじめ、テレビでルート66を特集したときの日本人タレントがたくさん載っている。
「昔テレビで放映されたルート66のドラマは、リアルタイムで観たのかい?」 と聞かれる。
ちょっと照れたが、一応 「そうだ」 と答える。
相手は、「うらやましい。俺はそのときにまだ生まれていなかった」
という。
しかし、その “うらやましい” も、どこか観光客向けの営業トークのような気がした。おそらく、そう話かけられて気を良くした中高年の観光客は、アメリカ人の中にも日本人の中にもいっぱいいるに違いない。
営業トークだな…と感じつつも、売店の兄ちゃんとの会話で、ルート66をこの目で確認しているという実感だけは湧いた。

▲ ハーレーライダーにとっても、このルートは聖域。ブタイチさんの 「ルート66の旅行記」 を思い出す
兄ちゃんの口車に乗って、「ルート66」 の道路標識の刺繍を入れたポロシャツをお土産に買う。
25ドル。
同じデザインのものが、キングマンの町で買えば20ドルだったが、そのためにそこまで戻る気にもならない。
この先買う機会もあるまいと思い、25ドル支払って手に入れた。
けっこう気に入ったシャツなので、旅行から帰ってしばらく経った今も、いつ着ようか、まだ悩んでいる。
「1926年、イリノイ州のミシガン湖畔からカリフォルニア州サンタモニカ海岸を結ぶ、USハイウェイとして誕生したルート66は、全長2448マイル、八つの州と三つのタイムゾーンを走り抜けるマザーロードである」
と、『荒野をめざす - 魂のハイウェイ・ルート66』 の著者 東理夫さんは書く。
そいつを、自分で走ってみる。
これは、ある一定の世代…1960年代にテレビ番組 『ルート66』 を観ていた人間たちにとって、共通した願いであるかもしれない。
まさに、私がそうである。
▲ アメリカのベビーブーマー世代と日本の団塊世代の伝説となっているテレビドラマ 『ルート66』 。
カラオケでも、よく 「ルート66」 を歌う。
「If you plan to motor west…」
で始まるこの歌は、のっけからジャズっぽくハネて、無類にカッコいい。
途中の歌詞がむずかしい。
通過する地名が、せわしなく短い楽節の中に詰まってくる。
Now you go through ST,Louis Japlin'Missouri
And Oklahome city is mighty pretty
You'll see Amarillo, Gallup New Mexico
Flagstaff,Arizona Don't forget Winona Kingmen Barstow
San bemadino …
ここが、いつもトチるところだ。
舌をかみそうになる。
たいていムニョムニョとごまかす。
しかし、ギャラップニュメキシコ!
のフレーズがうまく決まると、胸がすっきりする。
早朝6時。
パンとコーヒーの簡単な朝食をすませ、スライドルームをインにして、「オアシスRVパーク」 を後にした私たちは、いよいよルート66を目指した。
93号線をひたすら南下。
95号線との分岐点あたりから、次第に荒涼としたアメリカの大地が広がっていく。まばらな潅木の生えた赤茶けた大地が、果てしなくどこまでも伸びている。
どんなに走っても、空と地面を分ける、ただ一本の線しか見えない。
その線が地平線なのか、それともなだからな稜線を保った丘陵なのか、今までそういう景色に接したことないので、それがにわかに判別しがたい。
▲ 果てしなく続く荒野の一本道。
映画 「イージーライダー」 やパイオニアの 「ロンサムカーボーイ」 のCMにイカれた世代としては、たまりませんな。
▲ 荒涼とした大地にぽつりと浮かぶ 「STOP」 の標識。
こういう映像が好きで、気がつけば、どこでも 「STOP」 を撮っていた。
10時過、観光の名所フーバーダムに寄って休憩。
▲ フーバーダムで、“にわか愛車” となったジャンボリー31Mをパチリ。
ここでは写真を撮っただけで、さらに先を急ぐ。
今日1日で、ルート66の一部を見てから、さらにグランドキャニオンまでの約280マイルの距離を消化しなければならない。
…といっても、それがどれくらいの距離なのか。㎞数で換算すると約450㎞という数字になるが、アメリカの交通感覚がまだつかめないので、にわかに実感が湧かない。
14時頃、ついに歌に出てくるキングマンの町に入った。
木々の木漏れ日が午後の歩道に涼しげな影を落としている典型的なアメリカの小都市だった。
平和すぎて、退屈にも感じられる静かな街並みが続く。
しかし、市内を注意深く眺め回してみると、町のいたるところに 「ヒストリックルート66」 という案内標識が掲げられていることに気づく。
ここから次のセリグマンに至る道は、往年のルート66の面影が残るエリアとして、観光スポットとしても有名なロードなのだ。
▲ おなじみの標識
人気のない市内を一巡して、「パワーハウス・ビジターセンター」 という看板のかかった駐車場にモーターホームを乗り入れる。
何の建物か?
中は 「ルート66」 のミュージアムだった。
若干湿った空気が、薄暗い床の上を這っていた。
▲ ルート66ミュージアムの外観 (左) と、室内を彩るネオン (右) 。
展示物は、ルート66がアメリカにもたらした文化的・経済的影響などを示したパネルなど、地味でアカデミックな感じのものが多く、そのせいか、観光客の姿もまばらだ。
何気なく覗いたガラスケースの中に、ちょっと感動的なものを発見した。
東理夫さんの書かれた 『荒野をめざす - 魂のハイウェイルート66』 が陳列されているではないか。
▲ 東理夫 著 「荒野をめざす」
今回ルート66を走るときの参考書として、スーツケースの底に沈ませてきた本だった。
それと同じものが、異国のミュージアムのガラスケースの中に眠っていたとは…。
感無量。
いったいどんな日本人がここにそれを寄贈したのやら。
それとも、このミュージアムのスタッフが、本の評判を聞きつけて、わざわざ日本から取り寄せたのだろうか。
確かに、あの本はルート66を走る気分を表現した本としては出色の出来だった。おそらくアメリカ人の中にも、ここまで思い入れを込めた読み物を創造した人間はいないのではあるまいか。
東さんは、ルート66がインターステートハイウェイ40の出現によって、その役目を終えたことを、「アメリカのひとつの時代の終わり」 だと表現する。
インターステーハイウェイが整備されることによって、大量輸送と、スピードアップと、仕事の効率化が何よりも優先される時代が来た。
それと歩調を合わせるように、ルート66を走っていた時代の人たちが大事にしていた何かが、失われた。
60年代に、日本でもアメリカでも一世を風靡したテレビドラマ 『ルート66』 は、ルート66が全盛を誇っていた頃、その道を旅する2人の青年が、行く先々の町で、人と触れ合い、人情を知り、成長していく物語だった。
いまだ出会ったことのない未知の人が、自分に 「幸せ」 をもたらせてくれる。
人々が無邪気に、それを信じることができた若いアメリカ。
そういうアメリカが、ルート66の衰退とともに姿を消す。
時代の終わりを 「道路」 が象徴するなんて、いかにも自動車文明の国アメリカらしい話だ。
ビジターセンターを出て、モーターホームに乗り込もうとした瞬間、ブォーというマンモスの鳴き声のような音が大地を揺るがした。ミュージアム横を、汽笛を鳴らした貨物列車が通過するところだった。
▲ ロングトレイン・ラニング。見えづらいだろうけれど、右の方。
その光景を何気なく見ていたが、いつまで経っても列車の行列は終わらない。5分ぐらい経過したところで、やっと最後部の列車が現れた。
ロングトレイン・ラニング。
ドゥービーブラザースの歌を思い出した。
東理夫さんの 『荒野をめざす - 魂のハイウェイルート66』 にも、このロングトレイン・ラニングを、キングマンとセリグマンの間の道で見物したことが記されている。
彼の本には、「その通過には10分かかった」 と書かれている。
ルート66ヒストリックロードを、セリグマンの町に向けて走る。
▲ ひたすらセリグマンへ
前方の道が、水を撒いたように濡れている。
しかし、そこまでたどりつくと、何もない。
水溜りは、さらにその先に移動している。
「逃げ水」 だ。
涼しげな風情を帯びた幻の水溜り。
東理夫さんも、本の中でこの逃げ水に触れている。
「ルート66を追う旅は、逃げ水を追う旅のようだ」 と。
途中ピーチスプリングスという小さな町で遅い昼食を取った。
レストランの中にいる客は、同じようなレンタルモーターホームで旅をしている中年カップルだけだった。
▲ ピーチスプリングのレストラン。レンタルモーターホームの先客がいた。
メニューから 「BBQ&ベーコンハンバーガー」 というのを選んでオーダーする。
ネイティブアメリカンの血を感じさせるウェイトレスが、しきりに 「サイドオーダーは要らないのか?」 と尋ねてくる。ハンバーガーだけしか頼まない人間なんて信じられないといった表情なのだ。
「ノーサイドオーダー、オンリーハンバーガー」
というと、変った人たちね…とでも言いたげな笑顔を浮かべて奥に去っていった。
概してアメリカ人は大食である。
フライドライス (炒飯) などを頼んでも、日本の3倍の量がある。うっかりコーラなどをテイクアウトすると、それこそ日本のペットボトルの1リットル容器ほどのカップを手渡されることもある。
ここのハンバーガーの大きさにもびっくり。本体そのものがデカい上に、添えつけのフライドポテトの量が尋常ではない。つくづくサイドオーダーなど頼まないでよかったと思った。
▲ ハンバーガーの単品がディナーのような盛り付けで出てくる。
結局、ポテトを食べる前にお腹がギブアップし、残りのポテトは発泡スチロールの容器をもらって持ち帰りにした。
陽が中天からやや西に傾いた頃、セリグマンの町に入った。
ここはキングマンと同じ 「ルート66の町」 といえども、だいぶ観光地化されている。
▲ 1960年代の時代を凍結したセリグマンの街並み
土産物屋の庭先には、古いアメ車がわざと野ざらし状態で置かれているなど、意識的にオールドタイムを演出している気配がある。
流れる音楽も60年代あたりのロック。ルート66の旅は、アメリカ人の間でも 「センチメンタル・ジャーニー」 なのだ。
▲ ジェームズ・ディーンやマリリン・モンローがお出迎え。
▲ 「寂しい町」 って雰囲気はなかなか出ている。
モーターホームを道ばたに止め、土産物屋の中を覗き込むと、店の人間に、
「日本人だろ? ここには日本人がいっぱい来るよ」
と話し掛けられた。
「ちょいと来い」 と店の中に引きずり込まれ、見せられたのはアルバム集。中村雅俊をはじめ、テレビでルート66を特集したときの日本人タレントがたくさん載っている。
「昔テレビで放映されたルート66のドラマは、リアルタイムで観たのかい?」 と聞かれる。
ちょっと照れたが、一応 「そうだ」 と答える。
相手は、「うらやましい。俺はそのときにまだ生まれていなかった」
という。
しかし、その “うらやましい” も、どこか観光客向けの営業トークのような気がした。おそらく、そう話かけられて気を良くした中高年の観光客は、アメリカ人の中にも日本人の中にもいっぱいいるに違いない。
営業トークだな…と感じつつも、売店の兄ちゃんとの会話で、ルート66をこの目で確認しているという実感だけは湧いた。
▲ ハーレーライダーにとっても、このルートは聖域。ブタイチさんの 「ルート66の旅行記」 を思い出す
兄ちゃんの口車に乗って、「ルート66」 の道路標識の刺繍を入れたポロシャツをお土産に買う。
25ドル。
同じデザインのものが、キングマンの町で買えば20ドルだったが、そのためにそこまで戻る気にもならない。
この先買う機会もあるまいと思い、25ドル支払って手に入れた。
けっこう気に入ったシャツなので、旅行から帰ってしばらく経った今も、いつ着ようか、まだ悩んでいる。

>その “うらやましい” も、どこか観光客向けの営業トークのような気がした。
セリグマンに大型バスが到着すると…
わっ~と観光客が降りてきて
どっ~と買い物をし…
すっ~と15分くらいでいなくなったのを思い出しました。
セリグマンの町は、ブタイチさんのコメントどおりの雰囲気が漂う町でしたね。
ルート66を残す街並みというのも、観光地化して、そこから観光収入を得ないと、保存することができないのでしょうね。
まぁ、仕方ないのかな…という思いと、なんかなぁ…という思いが半々でした。