2008年05月26日
おバカキャラ
肩の凝らないコラム、気楽なエッセイ。
読者にとっては、簡単に読み飛ばせるような軽い読み物というのは、筆者の本当の文章力が問われる世界ともいえる。
それに関して、いつも 「面白いなぁ!」 と感心させられるのは、『だめんずうぉーかー』 などの著作で知られる倉田真由美さんのコラムだ。

このブログでも、何度か言及したことがあるが、倉田さんの文章の “軽さ” には、鋭利なナイフのような切れ味が隠されている。
たとえば、『週刊朝日』 の連載コラム 「フリドラ男」 の5月16日号。
テーマは、「カレセン」 (枯れたオヤジ好きの女たち) だ。
そこで、彼女は、「枯れたオヤジを好む女たちが増えて、今や、ちょい不良 (ワル) オヤジのムーブメントを超える勢いだが…」 、それを聞いて 「我が世の春が来た」 と勘違いするおやじたちに警鐘を鳴らしている。
いわく、
「枯れた魅力の演出は、ギラギラのちょいワルになるよりはるかに難しい。ちょいワルは洋服や服飾品でかなり近づくことができるが、枯れたオヤジを服装で演出すると、単なる “しょぼいオヤジ” になるのが関の山だ」
なるほど。
「カレセンブーム」 などという言葉を聞くと、私のような 「ちょいワル」 に抵抗のある中途半端オヤジは、「カレセン」 なら可能性があるかも…と一縷の望みを抱いてしまうのだが、この手の幻想をざっくりと切り刻むことにかけて、彼女は容赦しない。
「枯れた魅力とは、相当な地力がないと発揮できない。手間とセンス、そして歴史があって成り立つ。結局は、“モテてきた歴史” が必要だ。
若い頃十分にモテたからこそ、加齢を受け入れる余裕、女にガツガツしない余裕が生まれる」
つまり、男の魅力というのは、「女にガツガツしていない」 ところから生まれるというわけで、言ってしまえば、「いい年したオヤジは、むやみにモテようと思うな」 という結論になる。
こういう文章を読むと、私なんぞはもろに冷や水を浴びせられたような気分になるのだが、しかし、それがけっこう心地よい。
文章の面白さというものに酔わされるからだろう。
本日出た6月6日号では、「おバカキャラ」 がテーマになっている。
クイズ番組などで、無知や珍解答をさらけ出したタレントたちが異様にウケている現状を分析したものだ。
ここでも、鋭い分析がなされている。
おバカキャラといっても、「レベルが中途半端なものはウケない」 というのだ。
「おバカキャラとして人気を得るには、天然の才能が必要だ。普通の人間が知恵を絞って面白いことを言おうとしても、バカの天才が脊髄 (せきずい) 反射で応える一言に及びもつかない」
ここでも、身もフタもない冷厳な事実が、ピシャリと言い当てられている。
「自分の無知と無教養を逆手にとって、おバカキャラで売り出そうと思っても、世間は甘くないぜ」
というわけだ。
さらに、
「ここで重要なポイントは、おバカキャラで人気を博しているのは、基本的に男女とも美男美女ばかりなのだ。愛されるおバカキャラとは “見た目カッコいい” のに、中身が “天然バカ” なのである。ブズブザイクでは、痛々しさが生じる分、笑いに勢いがなくなる」
こういった、臆面もなく言い放つにはちょっと抵抗のある事柄を、グサっと直球勝負してくるところが、倉田さんの真骨頂ともいえる。
それにしても、ドラマでは主役を張れるような美男美女が、賢い人間を演じるのではなく、おバカキャラを売った方がウケるというのは、いったいどういう時代なのだろう。
倉田さんも、「おバカキャラを楽しむには特殊なセンサーが必要で、そのセンサーは若ければ若いほど発達し、逆に高齢者にそれを望むのは無理だろう」
と断定している。
おバカキャラが、日本のお笑い文化を高める存在になったのか、それとも、ただの堕落の象徴か。
「高齢者」 の私には、にわかに判定できない時代が来てしまった。
読者にとっては、簡単に読み飛ばせるような軽い読み物というのは、筆者の本当の文章力が問われる世界ともいえる。
それに関して、いつも 「面白いなぁ!」 と感心させられるのは、『だめんずうぉーかー』 などの著作で知られる倉田真由美さんのコラムだ。
このブログでも、何度か言及したことがあるが、倉田さんの文章の “軽さ” には、鋭利なナイフのような切れ味が隠されている。
たとえば、『週刊朝日』 の連載コラム 「フリドラ男」 の5月16日号。
テーマは、「カレセン」 (枯れたオヤジ好きの女たち) だ。
そこで、彼女は、「枯れたオヤジを好む女たちが増えて、今や、ちょい不良 (ワル) オヤジのムーブメントを超える勢いだが…」 、それを聞いて 「我が世の春が来た」 と勘違いするおやじたちに警鐘を鳴らしている。
いわく、
「枯れた魅力の演出は、ギラギラのちょいワルになるよりはるかに難しい。ちょいワルは洋服や服飾品でかなり近づくことができるが、枯れたオヤジを服装で演出すると、単なる “しょぼいオヤジ” になるのが関の山だ」
なるほど。
「カレセンブーム」 などという言葉を聞くと、私のような 「ちょいワル」 に抵抗のある中途半端オヤジは、「カレセン」 なら可能性があるかも…と一縷の望みを抱いてしまうのだが、この手の幻想をざっくりと切り刻むことにかけて、彼女は容赦しない。
「枯れた魅力とは、相当な地力がないと発揮できない。手間とセンス、そして歴史があって成り立つ。結局は、“モテてきた歴史” が必要だ。
若い頃十分にモテたからこそ、加齢を受け入れる余裕、女にガツガツしない余裕が生まれる」
つまり、男の魅力というのは、「女にガツガツしていない」 ところから生まれるというわけで、言ってしまえば、「いい年したオヤジは、むやみにモテようと思うな」 という結論になる。
こういう文章を読むと、私なんぞはもろに冷や水を浴びせられたような気分になるのだが、しかし、それがけっこう心地よい。
文章の面白さというものに酔わされるからだろう。
本日出た6月6日号では、「おバカキャラ」 がテーマになっている。
クイズ番組などで、無知や珍解答をさらけ出したタレントたちが異様にウケている現状を分析したものだ。
ここでも、鋭い分析がなされている。
おバカキャラといっても、「レベルが中途半端なものはウケない」 というのだ。
「おバカキャラとして人気を得るには、天然の才能が必要だ。普通の人間が知恵を絞って面白いことを言おうとしても、バカの天才が脊髄 (せきずい) 反射で応える一言に及びもつかない」
ここでも、身もフタもない冷厳な事実が、ピシャリと言い当てられている。
「自分の無知と無教養を逆手にとって、おバカキャラで売り出そうと思っても、世間は甘くないぜ」
というわけだ。
さらに、
「ここで重要なポイントは、おバカキャラで人気を博しているのは、基本的に男女とも美男美女ばかりなのだ。愛されるおバカキャラとは “見た目カッコいい” のに、中身が “天然バカ” なのである。ブズブザイクでは、痛々しさが生じる分、笑いに勢いがなくなる」
こういった、臆面もなく言い放つにはちょっと抵抗のある事柄を、グサっと直球勝負してくるところが、倉田さんの真骨頂ともいえる。
それにしても、ドラマでは主役を張れるような美男美女が、賢い人間を演じるのではなく、おバカキャラを売った方がウケるというのは、いったいどういう時代なのだろう。
倉田さんも、「おバカキャラを楽しむには特殊なセンサーが必要で、そのセンサーは若ければ若いほど発達し、逆に高齢者にそれを望むのは無理だろう」
と断定している。
おバカキャラが、日本のお笑い文化を高める存在になったのか、それとも、ただの堕落の象徴か。
「高齢者」 の私には、にわかに判定できない時代が来てしまった。
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