2008年04月23日
群集の人
昼休み。
駅前まで歩き、本屋で八重洲出版さんの 『キャンピングカーアルバム』 を入手。ついでに、新書版コーナーで、『姜尚中の青春読書ノート』 という本を見つけて買う。

姜尚中 (カン・サンジュン) さんという人は、テレビ討論会などで見るかぎりは、舌鋒鋭い論客というイメージがある。
しかし、何かの雑誌で映画の感想を述べている記事を読み、そのあまりにも感性豊かな小粋な批評記事に感心したことがある。
国際政治などを語る以上に、美的センスに優れた記事を書ける人という印象を持った。
カフェに入り、コーヒーとホットドッグをカウンターに並べながら、パラパラとページをめくった。
「はじめに」 という章で、
「私は論客に思われているようだが、そうではありません」
と姜さんは、自分でもそう書いている。
「むしろ臆病な小心者で、人前で話をするのにも人一倍気をつかう方だ」
という。
「それなのに、日々刻々と動いていて、この先どう転ぶか分からないようなアクチュアルな問題に、批判されるリスクを承知で、首を突っ込もうとしている」
その後の文章が、妙に心に残った。
「私はこのように考えています。それでも人には、この先どう転ぶかわからなくても、決断しなければならないときがあるのだ、と」
う~む…
そこでいったん本を閉じて、外の風景を見た。
なんだか、よく分かるのだ。この気分。
先が見えたものに関しては、人間は決断しやすい。
逆に見えないと、決断できない。
だけど、本当は “どう転ぶかわからないこと” に関して 態度を決めることを 「決断する」 というのだ。
そんな当たり前のことに、妙に納得してしまう。
なんだか、今日まで自分は 「決断を回避する臆病な人生を送ってきた」 かのように感じられてしまった。
またページを開いて、続きを読む。
「 『例外』 は 『常態』 を照らし出すといいます。つまり、いざというときに、人も社会もその本質を露にするわけです。ギリギリの決断を強いられる時に、どんなスタンスを取るかで、その人の知識や経験だけでなく、もっと深い、人となりや生き方に根ざす信条や価値が問われているのです」
ま、よく聞くような、当たり前のことが書かれている。
しかし、その 「当たり前のこと」 が、実に新鮮に、脳みその隙間に水が染み渡るように流れ込んで行く。
ここしばらく、こういう読書を経験していなかったからだろうな…と思う。
仕事でも何でも、あることに意識を集中している期間が長く続くと、それ以外の領域に疎くなってしまうことがある。
今の時期の自分がそうであるように思う。
しばらく、本には目を通さず、ずっと街の中を流れる人の姿をボォーッと眺めていた。
頭の中はからっぽでありながら、無意識のうちに姜さんの書いた言葉を反芻している。
活字に目を向けなくても、それも 「読書」 のうちなのかもしれない。
ふと、エドガー・A・ポーが書いた 『群集の人』 という短編小説を思い出す。
もう30年ほど前に読んだ本なので、細部は忘れてしまった。
しかし、大意は次の通り。
大病を患って、なんとか一命を取り戻した主人公が、野外に椅子・テーブルを並べたカフェの一隅に腰かけて、道行く人の流れを見つめている。
徐々に健康が回復しつつあるという、少し物憂い安堵感が、主人公の心を満たしている。
主人公の目に映る人々の姿は、とりとめもなく、バラバラに動いているように見えながら、それでも一定の秩序に則った動きに見える。
しかし、突然、そこに動きも目つきも尋常ならざる一人の老人が登場。
主人公は、その老人の妙な動きに好奇心を覚える。
「あの男は、何を目的として、どんな生活を送っている何者なのか」
主人公は、カフェの席を立ち、その男を追跡する。
…推理小説の創始者といわれるエドガー・A・ポーの作品だけに、その先がなかなか面白いのだが、そのことよりも、冒頭の、大病を患って回復期を迎えた主人公の 「少し物憂い安堵感」 という感覚が、なんだか今の自分の気分にピタリと合う。
何もしないということの怠惰な “心地よさ” が全身に広がっていく。
人の流れの向こうには、早くも新緑を宿した街路樹と青い空。

駅前まで歩き、本屋で八重洲出版さんの 『キャンピングカーアルバム』 を入手。ついでに、新書版コーナーで、『姜尚中の青春読書ノート』 という本を見つけて買う。
姜尚中 (カン・サンジュン) さんという人は、テレビ討論会などで見るかぎりは、舌鋒鋭い論客というイメージがある。
しかし、何かの雑誌で映画の感想を述べている記事を読み、そのあまりにも感性豊かな小粋な批評記事に感心したことがある。
国際政治などを語る以上に、美的センスに優れた記事を書ける人という印象を持った。
カフェに入り、コーヒーとホットドッグをカウンターに並べながら、パラパラとページをめくった。
「はじめに」 という章で、
「私は論客に思われているようだが、そうではありません」
と姜さんは、自分でもそう書いている。
「むしろ臆病な小心者で、人前で話をするのにも人一倍気をつかう方だ」
という。
「それなのに、日々刻々と動いていて、この先どう転ぶか分からないようなアクチュアルな問題に、批判されるリスクを承知で、首を突っ込もうとしている」
その後の文章が、妙に心に残った。
「私はこのように考えています。それでも人には、この先どう転ぶかわからなくても、決断しなければならないときがあるのだ、と」
う~む…
そこでいったん本を閉じて、外の風景を見た。
なんだか、よく分かるのだ。この気分。
先が見えたものに関しては、人間は決断しやすい。
逆に見えないと、決断できない。
だけど、本当は “どう転ぶかわからないこと” に関して 態度を決めることを 「決断する」 というのだ。
そんな当たり前のことに、妙に納得してしまう。
なんだか、今日まで自分は 「決断を回避する臆病な人生を送ってきた」 かのように感じられてしまった。
またページを開いて、続きを読む。
「 『例外』 は 『常態』 を照らし出すといいます。つまり、いざというときに、人も社会もその本質を露にするわけです。ギリギリの決断を強いられる時に、どんなスタンスを取るかで、その人の知識や経験だけでなく、もっと深い、人となりや生き方に根ざす信条や価値が問われているのです」
ま、よく聞くような、当たり前のことが書かれている。
しかし、その 「当たり前のこと」 が、実に新鮮に、脳みその隙間に水が染み渡るように流れ込んで行く。
ここしばらく、こういう読書を経験していなかったからだろうな…と思う。
仕事でも何でも、あることに意識を集中している期間が長く続くと、それ以外の領域に疎くなってしまうことがある。
今の時期の自分がそうであるように思う。
しばらく、本には目を通さず、ずっと街の中を流れる人の姿をボォーッと眺めていた。
頭の中はからっぽでありながら、無意識のうちに姜さんの書いた言葉を反芻している。
活字に目を向けなくても、それも 「読書」 のうちなのかもしれない。
ふと、エドガー・A・ポーが書いた 『群集の人』 という短編小説を思い出す。
もう30年ほど前に読んだ本なので、細部は忘れてしまった。
しかし、大意は次の通り。
大病を患って、なんとか一命を取り戻した主人公が、野外に椅子・テーブルを並べたカフェの一隅に腰かけて、道行く人の流れを見つめている。
徐々に健康が回復しつつあるという、少し物憂い安堵感が、主人公の心を満たしている。
主人公の目に映る人々の姿は、とりとめもなく、バラバラに動いているように見えながら、それでも一定の秩序に則った動きに見える。
しかし、突然、そこに動きも目つきも尋常ならざる一人の老人が登場。
主人公は、その老人の妙な動きに好奇心を覚える。
「あの男は、何を目的として、どんな生活を送っている何者なのか」
主人公は、カフェの席を立ち、その男を追跡する。
…推理小説の創始者といわれるエドガー・A・ポーの作品だけに、その先がなかなか面白いのだが、そのことよりも、冒頭の、大病を患って回復期を迎えた主人公の 「少し物憂い安堵感」 という感覚が、なんだか今の自分の気分にピタリと合う。
何もしないということの怠惰な “心地よさ” が全身に広がっていく。
人の流れの向こうには、早くも新緑を宿した街路樹と青い空。

本業が忙しいとうことは…しあわせなことですからね!
姜尚中さんも素晴らしい方ですね。いつかはハーレーに乗りたいと書いていりゃっしゃる記事を読んだこともあります。
自分にとっては、町田さんの今日のブログのような文章に出会うと…まさに…
>「当たり前のこと」 が、実に新鮮に、脳みその隙間に水が染み渡るように流れ込んで行く。
という感想を持ち…
>ここしばらく、こういう読書を経験していなかったからだろうな…と思う。
という感想を持ちました。
これからも町田ワールドに期待しています。
そんな町田さんの姿を想像してしまいました。
失礼!
来年は、アシスタントでも雇ったらいかがですか?で、町田さんは他を伸ばす!
どうです?いい考えだと思いません?
姜尚中さんが「ハーレーに乗りたい」と書いていらっしゃったことは初めて知りました。
でも、そういう感じの人ですね。
国際政治を語るときよりも、そういう個人的な熱い思いを語っているときの方が、ひょっとして、この人のホンネが語られているのではないだろうか、と思うことがあります。
姜氏とハーレー。
案外似合うかも。
ブタイチさんの “人を見抜くセンス”の鋭さにはいつも脱帽です。
>「刑期を終えて出所したオトコ」…
いやぁ、まさに言い得て妙です。
一番うれしかったのは、床屋に行く時間がやっと取れたこと。オヤジの長髪って、やっぱ冴えないものね。
今は、こざっぱりした頭になっています。