2008年03月11日
マニュアルの功罪
ある対談集で、演出家の野田秀樹氏と、サッカーライターの金子達仁氏が、こんなことを語り合っていた。
「若い子を集めて芝居のオーディションをやったんです」
と、まず野田氏が語る。
「…そうしたら、とにかくみんないい子だった。僕が大きな声を出してくれと言うと、必死になって大きな声を出すんだもん。
僕が俳優の立場で同じことを言われたら、絶対にものすごく小さな声でしゃべると思う。
でないと、みんなと一緒になっちゃって、アピールできないじゃない?
自分から何かを仕掛けるクセがないというのかなあ、今の若い人たちにはすごく無防備な素直さみたいなものを感じる」
野田秀樹氏は、そういって、日本の若者たちの 「個」 の希薄さを憂う。
彼は、その原因のひとつに、『ピア』 から始まったマニュアル文化の浸透があると指摘する。
「たとえば、京都に行くとすると、すでに情報誌がいっぱいあって、どこに泊まって何を食べたらいいかが全部書いてある。
ホントだったら、知人に聞くなり地元の人に聞くなりっていうコミュニケーションが必要になってくるはずなんだけど、マニュアルがあれば、そういうのが一切不要になっちゃう」
ここで野田氏が 「マニュアル」 というものを持ち出してきたのは、なかなか慧眼だという気がする。
そもそもマニュアルとは何なのか?
それは、作業現場の指導者が、指導に関するコストの削減と、業務の効率化を促進させるために考えついたものにほかならない。
指導者がいちいち生徒と質疑応答を繰り返して業務内容を修得させていくのは、はなはだ非能率的である。
そこで、教育期間を十分に与えることのできない未熟者に、熟練者と同じ仕事内容を達成させるために考案されたものが、マニュアルである。
それは、意味を問うことなく、命令だけが細目化された体系といっていい。
もともとが、未熟者のあやふやな意思決定を排除するためのものなのだから、マニュアルの世界には、「個人」 が入ることが最初から許されていない。
金子氏は、野田氏のインタビューを追えた後の感想にこう書いている。
「人間が、自分の感情なり経験に基づいて他人に何かを伝えようとしたら、伝えられた側は “なぜこの人はそう言うのだろう” と考える。
そこで想像力が鍛えられるし、この世には、自分と違った考え方をする人間がいるということを、当たり前のように実感することができる。
だが、マニュアルは想像力を刺激しない。
以前よりはるかにマニュアルというものの増えた社会で生きる日本人が、以前と比べると想像力を失っているのも無理からぬことだと思う」
「マニュアル」 に対して、「レシピ」 が必要だと金子氏はつけ加える。
「ハンバーガーショップにはマニュアルしかない。しかし、一流のレストランにはレシピがある。
マニュアルは、作り手の想像力や個性の介在を許さない。いつ誰がつくっても同じものができるようにとの狙いによって生まれたものだからである。
レシピは違う。
優れたレシピは、素材のバラつきを補い、いつもと同じ味を提供するために必要な作り手の経験と想像力を要求する」
マニュアルとレシピ
言葉の遊びのように取る人がいるかもしれない。
しかし、市場原理主義的な経済がますますその隆盛を極め、格差社会が明瞭な広がりを見せ始めている今日、その違いを意識することは重要だ。
生き残りをかけた各企業は、仕事の効率化を図るために、ますます人間の “マニュアル化” を進めていくだろう。
私たちは、レシピを持たなければならない。

「若い子を集めて芝居のオーディションをやったんです」
と、まず野田氏が語る。
「…そうしたら、とにかくみんないい子だった。僕が大きな声を出してくれと言うと、必死になって大きな声を出すんだもん。
僕が俳優の立場で同じことを言われたら、絶対にものすごく小さな声でしゃべると思う。
でないと、みんなと一緒になっちゃって、アピールできないじゃない?
自分から何かを仕掛けるクセがないというのかなあ、今の若い人たちにはすごく無防備な素直さみたいなものを感じる」
野田秀樹氏は、そういって、日本の若者たちの 「個」 の希薄さを憂う。
彼は、その原因のひとつに、『ピア』 から始まったマニュアル文化の浸透があると指摘する。
「たとえば、京都に行くとすると、すでに情報誌がいっぱいあって、どこに泊まって何を食べたらいいかが全部書いてある。
ホントだったら、知人に聞くなり地元の人に聞くなりっていうコミュニケーションが必要になってくるはずなんだけど、マニュアルがあれば、そういうのが一切不要になっちゃう」
ここで野田氏が 「マニュアル」 というものを持ち出してきたのは、なかなか慧眼だという気がする。
そもそもマニュアルとは何なのか?
それは、作業現場の指導者が、指導に関するコストの削減と、業務の効率化を促進させるために考えついたものにほかならない。
指導者がいちいち生徒と質疑応答を繰り返して業務内容を修得させていくのは、はなはだ非能率的である。
そこで、教育期間を十分に与えることのできない未熟者に、熟練者と同じ仕事内容を達成させるために考案されたものが、マニュアルである。
それは、意味を問うことなく、命令だけが細目化された体系といっていい。
もともとが、未熟者のあやふやな意思決定を排除するためのものなのだから、マニュアルの世界には、「個人」 が入ることが最初から許されていない。
金子氏は、野田氏のインタビューを追えた後の感想にこう書いている。
「人間が、自分の感情なり経験に基づいて他人に何かを伝えようとしたら、伝えられた側は “なぜこの人はそう言うのだろう” と考える。
そこで想像力が鍛えられるし、この世には、自分と違った考え方をする人間がいるということを、当たり前のように実感することができる。
だが、マニュアルは想像力を刺激しない。
以前よりはるかにマニュアルというものの増えた社会で生きる日本人が、以前と比べると想像力を失っているのも無理からぬことだと思う」
「マニュアル」 に対して、「レシピ」 が必要だと金子氏はつけ加える。
「ハンバーガーショップにはマニュアルしかない。しかし、一流のレストランにはレシピがある。
マニュアルは、作り手の想像力や個性の介在を許さない。いつ誰がつくっても同じものができるようにとの狙いによって生まれたものだからである。
レシピは違う。
優れたレシピは、素材のバラつきを補い、いつもと同じ味を提供するために必要な作り手の経験と想像力を要求する」
マニュアルとレシピ
言葉の遊びのように取る人がいるかもしれない。
しかし、市場原理主義的な経済がますますその隆盛を極め、格差社会が明瞭な広がりを見せ始めている今日、その違いを意識することは重要だ。
生き残りをかけた各企業は、仕事の効率化を図るために、ますます人間の “マニュアル化” を進めていくだろう。
私たちは、レシピを持たなければならない。

絶妙レシピ、オリジナル、個性が生き残らないと世の中何が楽しいのかわからなくなりそうな気がするのは・・・TJだけですかね!?
毎回楽しくそして、「成程、、」という感想を
持ちながら読んでいる一人です。
さて、今回の日本人の行動や思考のマニュアル化に対してですが、学校関係者の責任は大だと反省します。例えば、ご存じのように学校教育には文科省からだされた学習指導要領があります。存在自体問題があるとは考えません。なんらかの基準は絶対必要ですから。問題はそれへの対処の仕方です。教師が、それを金科玉条のごとく絶対真理と考えるのです。
全く吟味することがないのです。なぜこうなのだろうとも考えないのです。(誤解しないでくださいね。私は批判のための批判をしているわけではありませんよ。学習指導要領は必要ですから。文科省ぎらいではありません。)
つまり、批判、吟味しない「マニュアル」なんです。私は不思議でした。この人は学習指導要領を一言一句鵜呑みにしているなあ。
変な人が増えてきたなあと思っていました。
この人は機械じゃないのかなあ。これじゃ今に日本中の教師がロボットやコンピューターに変わったっておかしくないやと思ったもんです。いやもしかしたら、すでに密かに進行しているかもしれません。
日本中の教師いや、日本人一人一人が自分の中に基準をしっかりもって、マニュアル、その他を吟味していったらいいレシピがたくさんできると思います。わたしも、しっかりした考え方がほしいです。
そんな世の中が早くくるといいですね。
マニュアルというのは、実は受け入れる方も楽なんですね。考えなくてもすむわけですから。
だから、誰もが持っているブランド品を身につけていれば、とりあえず、そのブランドが保障する「趣味性」「階層」「時代性」などを他人と共有できるわけで、まぁ、自分の本当の個性とは何か? 自分の趣味はいいのか悪いのか…などと考えなくてもすみます。
でも、色々なことを考えるのが、「個性」だろうと思うので、ブランドを身に付けるときも、せめて、その良さを自分の言葉で語れるようにしたいですね。
TJさんのおっしゃることは、まったくもって、その通りです。
いつも、鋭い視点で時代の問題点を浮き彫りにするコメントをいただき、ありがとうございまず。l
今回の「学習指導要領」を、まったく吟味することなく、一言一句をオウム返しする教師の例など、とても考えさせてもらう例のように思います。
おっしゃるように、「マニュアル」そのものが悪いわけではないのかもしれません。その運用の仕方に問題があるわけですね。
マニュアルか、レシピか。
カタバミさんからのコメントをいただき、それは、与えるほうの問題ではなく、受け手側の問題であるように感じました。
ものを考えながら仕事を進める人は、個性のないマニュアルからも、自分だけのレシピを盗み取るかもしれませんからね。
おっしゃる意味、よく分かります。
これだけ複雑な世の中になってくると、どうしても作業手順を確立して浸透させる意味において、どんな現場においてもマニュアルが必要になります。
それは当たり前のことでしょうね。
ただ、野田さんも、金子さんも、TJさんも、カタバミさんも、そして私も「それだけじゃないよ」と言いたかったのです。
いろいろな意見や見方があるというのは刺激になりますね。コメントありがとうございました。