2008年03月09日
拳銃の報酬
《 昔の映画の現代的鑑賞法 8 》
「拳銃の報酬」
小さい頃、何度か親父に映画に連れていったもらったことがある。
しかし、記憶に残っているのは、この一本しかない。
『拳銃の報酬』
原題は、「ODDS AGAINST TOMORROW (明日に賭ける)」
ギャング映画だ。

お袋が、
「あなた、家の中でごろごろしていないで、休日なのだから、子供を遊園地にでも連れて行ったら」
などと、親父を焚きつけたのだろう。
お袋がこのように指示を出さないかぎり、親父は、子供に対しては不器用な男であり続けた。
私たちは、人もまばらな午後の電車に揺られて、新宿に出た。
「ピストル映画でも観るか?」
親父にとって、ギャング映画も西部劇も、みな “ピストル映画” だった。
彼が、本当にそういう映画を好きだったのかどうか、分からない。
たぶん、子供はみな、ピストルを撃ち合う活劇映画を好むはずだ…ぐらいの認識だったのだろう。
私は、素直な笑いを顔に浮かべたかどうか。
なにしろ、どんな会話を交わしたことやら、とんと思い出せない。
おそらく、2人ともぎこちなく並んで歩いていただけだと思う。
日頃、子供と遊ぶ時間が取れない親父の、思いっきり不器用な休日だった。
当時の新宿は、まだ田舎臭かった。
新興都市の猥雑さはあっても、田舎の寂しさがたぶんに残っていた。
それでも、東口には中村屋があったり、紀伊国屋書店があったりして、それなりに活気があった。
しかし、西口には発展のかけらもなく、駅前に居酒屋や喫茶店があったかと思うと、そのままダラダラととりとめもなく住宅街につながっていた。
高層ビルなどは陰も形もない。
夕空を飛ぶカラスが、そのまま山にでも帰っていくような景色が広がっていた。
商店街が途切れる一角に、「場末」 という言葉がぴったりの映画館があった。
『拳銃の報酬』 という看板がかかっていた。
親父にとって、おあつらえ向きの “ピストル映画” だった。
休日の物憂い午後。
客の入りもまばらだった。
このとき観た 『拳銃の報酬』 は、後に 「フィルム・ノワール」 の傑作とまでいわれるほど、マニアックなファンの間で評判となった。
監督は、ロバート・ワイズ。
後に、「ウエストサイド・ストーリー 」、「サウンド・オブ・ミュージック」 の監督として知られることになる。
主役は、黒人歌手のハリー・ベラフォンテと、白人俳優のロバート・ライアン。
この2人が、元警察官の老人の仲介により、銀行強盗の仲間としてタッグを組むことになる。

ハリー・ベラフォンテの役は、キャバレーの歌手。
しかし、彼は、別れた妻子への生活費の支給も思うようにいかず、競馬の借金もかさんで、暗黒街のボスから、「金を返さないと妻子に危害を加える」 と脅されている。
一方のロバート・ライアンは、殺人の前科があるため就職も思うようにいかず、情婦に養われながら鬱屈した日々を送っている。
金が欲しくてうずうずしている2人。
(というよりも、今の状況から抜け出したくて仕方がない2人)
そういう状況を察した元警察官の老人が、彼らに銀行強盗のアイデアを持ちかける。
しかし、ロバート・ライアン演じる中年男は、大の黒人差別主義者。
「黒人が仲間に加わるなら、俺はやらない」
と、老人に駄々をこねる。
一方、黒人のハリー・ベラフォンテは、そういう人種差別主義者に、激しい憎悪を燃やす。
最初から、波乱含みの人選なのだが、この計画には、どうしても黒人が加わる必要がある。

つまり、狙った銀行は、6時になると数人の従業員を残しただけでシャッターを閉めてしまうのだが、その15分後には、レストランから運び込まれる夜食を仕入れるために、一瞬だけ裏口を開ける。
その夜食を届けるのが、いつも決まった黒人の給仕。
ハリー・ベラフォンテがそいつに成りすまして、開いたドアをからまんまと銀行に入ってしまおうというのが、元警官の老人が立てた計画だったのだ。
計画は、結局ロバート・ライアンの人種差別が災いして、破局に至る。
しかし、子供心に、ものすごく印象に残った映画だった。
モノクロームの映像と音楽がよかった。
音楽を担当したのは、MJQ。
ピアニストのジョン・ルイスが、わざわざこの映画のために、テーマ曲 「ODDS AGAINST TOMORROW」 を書いている。

そんなことを知ったのは、ずっと後のことだが、たぶんこの映画で、私はジャズという音楽を初めて意識したことになる。
それは、子供が知らない大人の世界を感じさせる音楽だった。
この映画が、とても強い印象として残ったのは、人種差別という社会派的なテーマとは関係なく、
「ああ…大人って辛いんだ」 という思い。
「生きることって、悲しいんだ」 という思い。
でも、大人の辛さと悲しさには、「陰影がある」 といったような、様々な思いを抱いたからだ。
それは、コントラストの強いモノクロの映像と、クールなジャズの響きがもたらしたものだと思う。
音楽が画面に及ぼす支配力は強い。
買い物客であふれるニューヨークの映像も、ワルツでも流れていれば、人々が舞踏を楽しんでいるように見えるだろうが、クールなジャズがかかると、華やいだ人々の笑顔の裏に、けだるい孤独が浮かび上がる。
都会に生きる人間の、砂を噛むようなやるせなさ。
同じ生活が続いていくことの、とりとめのなさ。
今の生活から脱出したいという、身をよじるような焦燥感。
そういう主人公たちの切実感が、テーマ曲 「ODDS AGAINST TOMORROW」 の暗い甘さとともに、胸の奥にまで忍び寄ってきた。
映画を観終わった後、私と親父はどうしたのだろう。
中村屋にでも寄って、カレーでも食べたのだろうか。
親父が、この映画をどう思ったか分からない。
たぶん、映画の感想を語り合うほど、私は言葉を持っていなかったし、親父の方も、なにがしかの感想を抱いたとしても、それを子供が理解するとは思っていなかっただろう。
だいぶ後になって、私はこの映画のテーマ曲の入ったMJQのアルバムを手に入れた。
自分がジャズというものに最初に触れた、記念すべきアルバムだと思ったからだ。
しかし、私は、この映画のこともテーマ曲のことも、親父の前で話すことはなかった。
アルバム自体は親父が死んだ今も、時々、思い出したように聞く。
自分で買ったアルバムなのに、親父からのプレゼントであるように感じることがある。
「拳銃の報酬」
小さい頃、何度か親父に映画に連れていったもらったことがある。
しかし、記憶に残っているのは、この一本しかない。
『拳銃の報酬』
原題は、「ODDS AGAINST TOMORROW (明日に賭ける)」
ギャング映画だ。
お袋が、
「あなた、家の中でごろごろしていないで、休日なのだから、子供を遊園地にでも連れて行ったら」
などと、親父を焚きつけたのだろう。
お袋がこのように指示を出さないかぎり、親父は、子供に対しては不器用な男であり続けた。
私たちは、人もまばらな午後の電車に揺られて、新宿に出た。
「ピストル映画でも観るか?」
親父にとって、ギャング映画も西部劇も、みな “ピストル映画” だった。
彼が、本当にそういう映画を好きだったのかどうか、分からない。
たぶん、子供はみな、ピストルを撃ち合う活劇映画を好むはずだ…ぐらいの認識だったのだろう。
私は、素直な笑いを顔に浮かべたかどうか。
なにしろ、どんな会話を交わしたことやら、とんと思い出せない。
おそらく、2人ともぎこちなく並んで歩いていただけだと思う。
日頃、子供と遊ぶ時間が取れない親父の、思いっきり不器用な休日だった。
当時の新宿は、まだ田舎臭かった。
新興都市の猥雑さはあっても、田舎の寂しさがたぶんに残っていた。
それでも、東口には中村屋があったり、紀伊国屋書店があったりして、それなりに活気があった。
しかし、西口には発展のかけらもなく、駅前に居酒屋や喫茶店があったかと思うと、そのままダラダラととりとめもなく住宅街につながっていた。
高層ビルなどは陰も形もない。
夕空を飛ぶカラスが、そのまま山にでも帰っていくような景色が広がっていた。
商店街が途切れる一角に、「場末」 という言葉がぴったりの映画館があった。
『拳銃の報酬』 という看板がかかっていた。
親父にとって、おあつらえ向きの “ピストル映画” だった。
休日の物憂い午後。
客の入りもまばらだった。
このとき観た 『拳銃の報酬』 は、後に 「フィルム・ノワール」 の傑作とまでいわれるほど、マニアックなファンの間で評判となった。
監督は、ロバート・ワイズ。
後に、「ウエストサイド・ストーリー 」、「サウンド・オブ・ミュージック」 の監督として知られることになる。
主役は、黒人歌手のハリー・ベラフォンテと、白人俳優のロバート・ライアン。
この2人が、元警察官の老人の仲介により、銀行強盗の仲間としてタッグを組むことになる。
ハリー・ベラフォンテの役は、キャバレーの歌手。
しかし、彼は、別れた妻子への生活費の支給も思うようにいかず、競馬の借金もかさんで、暗黒街のボスから、「金を返さないと妻子に危害を加える」 と脅されている。
一方のロバート・ライアンは、殺人の前科があるため就職も思うようにいかず、情婦に養われながら鬱屈した日々を送っている。
金が欲しくてうずうずしている2人。
(というよりも、今の状況から抜け出したくて仕方がない2人)
そういう状況を察した元警察官の老人が、彼らに銀行強盗のアイデアを持ちかける。
しかし、ロバート・ライアン演じる中年男は、大の黒人差別主義者。
「黒人が仲間に加わるなら、俺はやらない」
と、老人に駄々をこねる。
一方、黒人のハリー・ベラフォンテは、そういう人種差別主義者に、激しい憎悪を燃やす。
最初から、波乱含みの人選なのだが、この計画には、どうしても黒人が加わる必要がある。
つまり、狙った銀行は、6時になると数人の従業員を残しただけでシャッターを閉めてしまうのだが、その15分後には、レストランから運び込まれる夜食を仕入れるために、一瞬だけ裏口を開ける。
その夜食を届けるのが、いつも決まった黒人の給仕。
ハリー・ベラフォンテがそいつに成りすまして、開いたドアをからまんまと銀行に入ってしまおうというのが、元警官の老人が立てた計画だったのだ。
計画は、結局ロバート・ライアンの人種差別が災いして、破局に至る。
しかし、子供心に、ものすごく印象に残った映画だった。
モノクロームの映像と音楽がよかった。
音楽を担当したのは、MJQ。
ピアニストのジョン・ルイスが、わざわざこの映画のために、テーマ曲 「ODDS AGAINST TOMORROW」 を書いている。
そんなことを知ったのは、ずっと後のことだが、たぶんこの映画で、私はジャズという音楽を初めて意識したことになる。
それは、子供が知らない大人の世界を感じさせる音楽だった。
この映画が、とても強い印象として残ったのは、人種差別という社会派的なテーマとは関係なく、
「ああ…大人って辛いんだ」 という思い。
「生きることって、悲しいんだ」 という思い。
でも、大人の辛さと悲しさには、「陰影がある」 といったような、様々な思いを抱いたからだ。
それは、コントラストの強いモノクロの映像と、クールなジャズの響きがもたらしたものだと思う。
音楽が画面に及ぼす支配力は強い。
買い物客であふれるニューヨークの映像も、ワルツでも流れていれば、人々が舞踏を楽しんでいるように見えるだろうが、クールなジャズがかかると、華やいだ人々の笑顔の裏に、けだるい孤独が浮かび上がる。
都会に生きる人間の、砂を噛むようなやるせなさ。
同じ生活が続いていくことの、とりとめのなさ。
今の生活から脱出したいという、身をよじるような焦燥感。
そういう主人公たちの切実感が、テーマ曲 「ODDS AGAINST TOMORROW」 の暗い甘さとともに、胸の奥にまで忍び寄ってきた。
映画を観終わった後、私と親父はどうしたのだろう。
中村屋にでも寄って、カレーでも食べたのだろうか。
親父が、この映画をどう思ったか分からない。
たぶん、映画の感想を語り合うほど、私は言葉を持っていなかったし、親父の方も、なにがしかの感想を抱いたとしても、それを子供が理解するとは思っていなかっただろう。
だいぶ後になって、私はこの映画のテーマ曲の入ったMJQのアルバムを手に入れた。
自分がジャズというものに最初に触れた、記念すべきアルバムだと思ったからだ。
しかし、私は、この映画のこともテーマ曲のことも、親父の前で話すことはなかった。
アルバム自体は親父が死んだ今も、時々、思い出したように聞く。
自分で買ったアルバムなのに、親父からのプレゼントであるように感じることがある。

私は、横浜しか知らないから。
いや、町田さんってホントに都会っ子なんですね!
映画のことはさておき、何故か親父さんとの関係をとても興味深く読んでしまいました。
私も同じような体験をしているので…
私の場合は「妖星ゴラス」という、どうでもいい映画でしたが。
ここに描いた新宿がいつぐらいの新宿なのか、正確にはちょっと分からないのです。「拳銃の報酬」という映画が作られたのは1959年ですから、その年から、もしかしたら、それより数年遅いのか。
いずれにせよ、私が小学生でしたから、1960年の初期までの時代だったことは確かです。
昔の親父たちって、今のお父さんたちと比べると、みな子供に対して不器用だったように思います。
でも、なんかその不器用さに「誠実さ」が伴っていたようにも感じます。
それもまた「いいなぁ…」って、最近は思うようになりました。