2008年03月06日
じゃんけんの文化
ゲームやスポーツを始めるとき、その先攻・後攻を決めたりするときに、日本人はよくジャンケンを使う。
それに対し、欧米ではコインをトスして、その裏表で決めたりする。
どうってことのない習慣のようだけど、ジャンケンの勝ち負けに従う民族と、コインの裏表に従う民族って、それだけで、モノを考える基本がまるっきり違うように思いません?
まずコインの方だけど、表が出るか裏が出るか、その確率はそれぞれ50パーセント。
そして、結果が出るまで、人間が関与できる場面はまったくない。 「運を天に任せて…」 という言葉がぴったりの、厳格で公平なスタイルだ。
だから、コインの決定には、
「それが神のご意志ならば、何の不満がありません」
と、潔く従うしかない。
こういう表と裏だけの世界で生きてきた人たちは、シロクロをはっきりさせることが好き。
「正義」 と 「悪」 も単純な二元論に還元する傾向がある。
自分たちが 「正義」 であるならば、敵対する相手は無条件に 「悪」。
コインの表と裏は、神の光に照らされ表側と、闇に閉ざされた裏側という宗教的構造をも象徴している。
それに対して、ジャンケンというのは、実に人間臭い。
「グー」 「チョキ」 「パー 」の選択肢のうち、何を選び取るかは100パーセント人間側にゆだねられている。
そして、相手のクセなどを知っていた場合は、その心理を読んで「裏をかく」 といった、高等芸を発揮できる余地が残されている。

さらに、タイミングをずらして後出しするなど、きわどいテクニックが試みられることもある。これは厳格な一神教の精神風土からは、なかなか生まれてこない発想のように思える。
善・悪の二項対立を象徴するようなコイントスの発想に比べると、ジャンケンは最初から三すくみだ。
グーの正義はパーに通ぜず、パーの正義はチョキに否定される。
絶対的勝者がいない。
「悪も場合によって善となり、善もまた場合によって悪となり…ゴニョゴニョ」
という禅問答の世界に入っていく。
だから、こういう融通無碍 (ゆうずうむげ) なジャンケンの精神を好む民族は、シロクロをはっきりさせることが苦手。
「それじゃちょっと、グーさんの意向を聞いてみて」、
「次にパーさんと調整して」、
「最後はチョキさんにまとめてもらいましょうか」
などと、案件をたらい回しにするのが、得意。
お互いに憎み合おうが、うらみ合おうが、表面上は仲良くかけ声合わせて、
「ジャンケンポン!」
ジャンケンの持つこういう柔軟性は、「腹芸」 、「根回し」 、「談合」 といった日本人の得意ワザとも相性がいいようにも思える。
このジャンケンが、世界でいちばん普及した国は日本だという。
起源については日本起源説と中国起源説がある。何をオリジンと考えるかで、解釈が違ってくるらしい。
欧米人がこのジャンケンを知ったのは、数10年ほど前に過ぎないという説もあるようだが、確証はない。
芳沢光雄 (桜美林大学) 教授の研究によると、ジャンケンの「グー」 、「チョキ」 、「パー」 では、グーを出す人が最も多く、チョキが最も少ないのだとか。
人間は、警戒心を持つと拳を握る傾向があるので、グーの比率は多くなり、反対に、チョキは指の動きが複雑になるため、それをとっさに出すのが面倒なので比率も小さくなる。
…ほんとかいな。
ちなみに、芳沢教授がゼミナール学生725人を集めて、のべ11,567回のじゃけんデータを取ったところ、
グーの出た回数は4,054回、
パーは3,849回、
チョキは3,664回であったという。
それに対し、欧米ではコインをトスして、その裏表で決めたりする。
どうってことのない習慣のようだけど、ジャンケンの勝ち負けに従う民族と、コインの裏表に従う民族って、それだけで、モノを考える基本がまるっきり違うように思いません?
まずコインの方だけど、表が出るか裏が出るか、その確率はそれぞれ50パーセント。
そして、結果が出るまで、人間が関与できる場面はまったくない。 「運を天に任せて…」 という言葉がぴったりの、厳格で公平なスタイルだ。
だから、コインの決定には、
「それが神のご意志ならば、何の不満がありません」
と、潔く従うしかない。
こういう表と裏だけの世界で生きてきた人たちは、シロクロをはっきりさせることが好き。
「正義」 と 「悪」 も単純な二元論に還元する傾向がある。
自分たちが 「正義」 であるならば、敵対する相手は無条件に 「悪」。
コインの表と裏は、神の光に照らされ表側と、闇に閉ざされた裏側という宗教的構造をも象徴している。
それに対して、ジャンケンというのは、実に人間臭い。
「グー」 「チョキ」 「パー 」の選択肢のうち、何を選び取るかは100パーセント人間側にゆだねられている。
そして、相手のクセなどを知っていた場合は、その心理を読んで「裏をかく」 といった、高等芸を発揮できる余地が残されている。
さらに、タイミングをずらして後出しするなど、きわどいテクニックが試みられることもある。これは厳格な一神教の精神風土からは、なかなか生まれてこない発想のように思える。
善・悪の二項対立を象徴するようなコイントスの発想に比べると、ジャンケンは最初から三すくみだ。
グーの正義はパーに通ぜず、パーの正義はチョキに否定される。
絶対的勝者がいない。
「悪も場合によって善となり、善もまた場合によって悪となり…ゴニョゴニョ」
という禅問答の世界に入っていく。
だから、こういう融通無碍 (ゆうずうむげ) なジャンケンの精神を好む民族は、シロクロをはっきりさせることが苦手。
「それじゃちょっと、グーさんの意向を聞いてみて」、
「次にパーさんと調整して」、
「最後はチョキさんにまとめてもらいましょうか」
などと、案件をたらい回しにするのが、得意。
お互いに憎み合おうが、うらみ合おうが、表面上は仲良くかけ声合わせて、
「ジャンケンポン!」
ジャンケンの持つこういう柔軟性は、「腹芸」 、「根回し」 、「談合」 といった日本人の得意ワザとも相性がいいようにも思える。
このジャンケンが、世界でいちばん普及した国は日本だという。
起源については日本起源説と中国起源説がある。何をオリジンと考えるかで、解釈が違ってくるらしい。
欧米人がこのジャンケンを知ったのは、数10年ほど前に過ぎないという説もあるようだが、確証はない。
芳沢光雄 (桜美林大学) 教授の研究によると、ジャンケンの「グー」 、「チョキ」 、「パー」 では、グーを出す人が最も多く、チョキが最も少ないのだとか。
人間は、警戒心を持つと拳を握る傾向があるので、グーの比率は多くなり、反対に、チョキは指の動きが複雑になるため、それをとっさに出すのが面倒なので比率も小さくなる。
…ほんとかいな。
ちなみに、芳沢教授がゼミナール学生725人を集めて、のべ11,567回のじゃけんデータを取ったところ、
グーの出た回数は4,054回、
パーは3,849回、
チョキは3,664回であったという。
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