2008年02月21日
R&B本の名著
『レコード・コレクターズ』 3月号の特集は、「SOUL/FUNK BEST100」 だった。
60~70年代にリリースされたソウル、ファンクの名盤100を、評論家たちの投票によって決めるという企画。
買わずにいりゃりょうか!

『オートキャンパー』 の3月号も一緒に買ったのだが、こういう特集を組んでいる雑誌を手に入れたときは、やはり 『レコ・コレ』 のソウル特集の方から先に開いてしまう。
昼休み、いつものカフェでホットドッグを頬張りながら、『レコード・コレクターズ』 のページをぱらぱらとめくると、評論家先生たちの選んだ1位は、マービン・ゲイの 「ホワッツ・ゴーイン・オン」 。

当然といえば、当然。
異論はない。
こういう人気アルバムが上位に来ると、うるさ型の論客あたりがしかめっ面をする様子が目に浮かぶが、ごく自然な成り行きだと思う。
私は、黒人音楽評論家でも何でもないので、自分がインパクトを受けた曲を中心にするしか物事を考えられない。
そうなると、私が選んでも、これが1位なのだ。
夜の冷気が漂う自分の部屋で、突然FENから流れた来た 「ホワッツ・ゴーイン・オン」 を聞いたときは、脳天がしびれて、鳥肌が立った。
それは自分の “音楽体験” のみならず、“人生体験” においても、決定的なターニングポイントになった。
これからは、こういうモノを 「美しい!」 とする基準を自分のなかに確立していこう、と自分に言い聞かせた。
後になって、このアルバムの芸術性の高さ、思想性の深さがあちこちの評論で採り上げられたが、そういうものに接する以前に、直感的に 「こいつは凄い!」 ということが、何の予備知識もなく理解できた。
3位がオーティス・レディングの 「オーティス・ブルー」
4位がスティービー・ワンダーの 「インナーヴィジョンズ」
8位がダニー・ハサウェイの 「ライブ」
……アルバム持ってる、持ってる!
14位、スライ&ザ・ファミリースタンドの 「暴動」
17位、カーティス・メイフィールドの 「スーパーフライ」
18位、オージェイズの「裏切り者のテーマ」。
20位、アイズレー・ブラザーズの 「ヒート・イズ・オン」

……持ってる、持ってる!
で、赤ペンを手にしてチェックしたら、ベスト100のなかで、自分が持っているアルバムは29枚だった。
ちょっと意外。
なんだか60枚ぐらいは持っていそうに思えたのだが、評論家先生たちの嗜好とは少しズレた感じ。
挙げられたアーチストのものはたくさん持っていても、選ばれたアルバムが違ったりする。
シングル盤やベスト盤、オムニバス盤で買ったものも多いので、それは当然アルバムチャートには入らない。
数人の論者が同じことを書いていたが、60~70年代初期までのR&B・ソウルミュージックは、オリジナルアルバムより、曲単位で動いていたために、アルバムとして選ぶのは難しい、という。
そうだと思う。
同じ時期のロックには、アーチストたちがアルバム単位で自分たちの音楽性を打ち出すコンセプトアルバムの思想が芽生えていた。
ベトナム戦争などの影響もあって、ロックの方が、時代に向かい合うための思想や戦略を意識する必要に迫られていたからだろう。
それに対して、R&Bは、ナンパとパーティの音楽だった。
少なくも、私にとっては、ディスコの重い扉の向こうで鳴り響く “不良の巣窟” で流れる音楽だった。
だから、私はR&Bを、「アーチストの芸術性」 とかいう理屈抜きで、この曲の場合はここでターンを決めて、次に2ステップで前に出る…という肉体の音楽として聞いていた。
当然、そういう音楽は、1曲単位で完結してしまう。
フォートップスの 「リーチアウト・アイル・ビー・ゼア」
サム&デイブの 「ホールド・オン・アイム・カミング」
アーチ-・ベルズ&ドレルズの 「タイトンアップ」

こういう曲は、ディスコのミラーボールの下で聞くものであったから、最初のうちはアルバムジャケットすら見たことがなかった。
高校生のとき、隣りのクラスの女の子を誘ってディスコに行った。
びっくりした。
セーラー服姿しか見せたことがない彼女が、唇を赤く塗って、揺れるミニスカートから見事な脚をさらし、黒人顔負けのステップを踏んでいた。
あまりもの華麗な足さばきに、おじけづいた。
「町田君、踊らないの?」
と、言われたって、とても彼女のステップに足を合わせる勇気が出ない。
リーゼントで決めた横浜・横須賀系の男たちが、フロアで踊る彼女に話しかけるのを、情けなく見守るしかなかった。
「俺も、踊りがうまくならなければ…」
私にとって、R&B・ソウルミュージックというのは、そういう生々しい欲望やら恍惚感やら焦燥感と一体となった、「欲情の音楽」 としてスタートした。
そうやって聞いているうちに、少しずつ “理屈” の方も追いついてきた。
素晴らしい本にもたくさんめぐり会った。
ひとつは、紺野慧 (こんの・とし) さんが書かれた 『ソウルミュージック・イン・ジャパン』 (73年刊)。
まだ、ソウルミュージックが市民権を得るかなり前。
彼は、福生ベースの近くのブラックバーに入り浸り、そこに集まる黒人たちと一緒になって、最先端のブラックミュージックを堪能する喜びを手に入れる。

おそらくこの本が、日本でソウルミュージックという音楽を独立したジャンルとして捉えた最初の本ではなかったかと思う。
彼はソウルミュージックを、部屋の中のオーディオを通して聞く音楽ではなく、黒人兵と一緒にソウルフードを食べて、彼らが戦争がもたらす軋轢の中で悩んだり、国に残した恋人への思慕でセンチになったりするときの音楽として捉えた。

彼は言う。
「僕にはひとつの偏見がある。それは黒人音楽、とりわけソウル・ミュージックは、黒人たちが力強く息づいている世界で聴くことこそが最も楽しく、すばらしいものであるということだ。
それはジェームズ・ブラウンやアル・グリーンを聞いて、そのオフ・ビートにのって腰が動き出さない人にはぜったいに分からないということである」
この本は、すぐさま私のバイブルになった。
ミーハーな私は、その本を読んでから3日後ぐらいに、自分も福生ベースまで遊びに行ったように記憶している。
本場物のソウルミュージックの素晴らしさを描いた本としては、白石かずこさんの 『ブラックの朝』 (74年刊) を挙げてもいい。

彼女は、ジョン・コルトレーンとジェームズ・ブラウンを等価に捉える。
片や前衛ジャズを求道的に追求したジャズの聖人。
片や野卑で挑発的なステージで、大衆の熱狂を誘い出す煽情的なエンターティナー。
しかし、どちらも 「暴風雨のように、心を打ち叩き、雷のように咆哮し、瞬時、息もできぬほどにエキサイトさせる魂 (ソウル) の叫び」 だという。
彼女は、知識も教養もある詩人だが、後頭部でモノをいう人間 (つまりモノを書いたり、考えたりする人間) の対極にあるものとして、ブラックミュージックを捉えた。
私は、彼女の本から、ソウルミュージックのエモーションを表現するときの言葉を数多く教わった。
決定的だったのは、松本隆さんの 『微熱少年』 (75年刊) だった。
この本は、彼の音楽遍歴を綴った本だが、途中からソウルミュージックの賛歌に変る。
それまで、松本さんというのは、「はっぴいえんど」 のドラマー兼作詞家というぐらいの認識しかなかったのだが、この本を読んで、彼に対する印象が変わった。

彼は、生粋のソウルフリークだったのだ。
「はっぴいえんど」 の創り出す世界に対して、私は、知的で醒めた白人的センスを感じていたが、松本さんは黒人音楽に触れることで、常に 「微熱状態」 の中にいたらしい。
彼は徹底して、ソウルミュージックを 「都市の音楽」 として捉えた。
私のソウルミュージック観が形成されたのは、この松本さんの影響によるところが大きい。
松本さんは、『微熱少年』 のなかで、
「ウエストコースト系の白人によるロックが自分にとって終わったと感じた頃、マービン・ゲイのホワッツ・ゴーイン・オンが、眼前に新鮮な驚きを与えながら未知の光条を放っていた」
と書いている。
日本を代表する作詞家の松本さんと自分を比べるわけにはいかないが、その一点に関する限り、同じ時代に、同じ地平に立っていたんだ…と思う。
名著といえば、チャールズ・カイルが書いた 『都市の黒人ブルース』 (相倉久人訳 68年刊) を忘れるわけにはいかない。
この本では、アメリカ黒人音楽がどのように発生し、どのように発展し、どういう思想展開を遂げていったかということがアカデミックに追求されている。
黒人音楽独特の音階であるブルーノートなどに関しても詳しく解説されている。
さっき、この本を久しぶりに手にとってみたら、やたら赤線が引いてあって、書き込みがあった。
ほとんど忘れていた本だったが、当時は自分なりに必死に勉強していたようだ。
60年代後半から70年代初期にかけて、ソウルミュージックが日本でも新しい音楽潮流を切り開こうとしたとき、それと同時に、素晴らしい評論集がたくさん生まれた。
それが相互に、黒人音楽文化を支えあった。
自分は幸せな時代を生きたと思う。

関連記事 「ロスのコンサート」
60~70年代にリリースされたソウル、ファンクの名盤100を、評論家たちの投票によって決めるという企画。
買わずにいりゃりょうか!
『オートキャンパー』 の3月号も一緒に買ったのだが、こういう特集を組んでいる雑誌を手に入れたときは、やはり 『レコ・コレ』 のソウル特集の方から先に開いてしまう。
昼休み、いつものカフェでホットドッグを頬張りながら、『レコード・コレクターズ』 のページをぱらぱらとめくると、評論家先生たちの選んだ1位は、マービン・ゲイの 「ホワッツ・ゴーイン・オン」 。
当然といえば、当然。
異論はない。
こういう人気アルバムが上位に来ると、うるさ型の論客あたりがしかめっ面をする様子が目に浮かぶが、ごく自然な成り行きだと思う。
私は、黒人音楽評論家でも何でもないので、自分がインパクトを受けた曲を中心にするしか物事を考えられない。
そうなると、私が選んでも、これが1位なのだ。
夜の冷気が漂う自分の部屋で、突然FENから流れた来た 「ホワッツ・ゴーイン・オン」 を聞いたときは、脳天がしびれて、鳥肌が立った。
それは自分の “音楽体験” のみならず、“人生体験” においても、決定的なターニングポイントになった。
これからは、こういうモノを 「美しい!」 とする基準を自分のなかに確立していこう、と自分に言い聞かせた。
後になって、このアルバムの芸術性の高さ、思想性の深さがあちこちの評論で採り上げられたが、そういうものに接する以前に、直感的に 「こいつは凄い!」 ということが、何の予備知識もなく理解できた。
3位がオーティス・レディングの 「オーティス・ブルー」
4位がスティービー・ワンダーの 「インナーヴィジョンズ」
8位がダニー・ハサウェイの 「ライブ」
……アルバム持ってる、持ってる!
14位、スライ&ザ・ファミリースタンドの 「暴動」
17位、カーティス・メイフィールドの 「スーパーフライ」
18位、オージェイズの「裏切り者のテーマ」。
20位、アイズレー・ブラザーズの 「ヒート・イズ・オン」
……持ってる、持ってる!
で、赤ペンを手にしてチェックしたら、ベスト100のなかで、自分が持っているアルバムは29枚だった。
ちょっと意外。
なんだか60枚ぐらいは持っていそうに思えたのだが、評論家先生たちの嗜好とは少しズレた感じ。
挙げられたアーチストのものはたくさん持っていても、選ばれたアルバムが違ったりする。
シングル盤やベスト盤、オムニバス盤で買ったものも多いので、それは当然アルバムチャートには入らない。
数人の論者が同じことを書いていたが、60~70年代初期までのR&B・ソウルミュージックは、オリジナルアルバムより、曲単位で動いていたために、アルバムとして選ぶのは難しい、という。
そうだと思う。
同じ時期のロックには、アーチストたちがアルバム単位で自分たちの音楽性を打ち出すコンセプトアルバムの思想が芽生えていた。
ベトナム戦争などの影響もあって、ロックの方が、時代に向かい合うための思想や戦略を意識する必要に迫られていたからだろう。
それに対して、R&Bは、ナンパとパーティの音楽だった。
少なくも、私にとっては、ディスコの重い扉の向こうで鳴り響く “不良の巣窟” で流れる音楽だった。
だから、私はR&Bを、「アーチストの芸術性」 とかいう理屈抜きで、この曲の場合はここでターンを決めて、次に2ステップで前に出る…という肉体の音楽として聞いていた。
当然、そういう音楽は、1曲単位で完結してしまう。
フォートップスの 「リーチアウト・アイル・ビー・ゼア」
サム&デイブの 「ホールド・オン・アイム・カミング」
アーチ-・ベルズ&ドレルズの 「タイトンアップ」
こういう曲は、ディスコのミラーボールの下で聞くものであったから、最初のうちはアルバムジャケットすら見たことがなかった。
高校生のとき、隣りのクラスの女の子を誘ってディスコに行った。
びっくりした。
セーラー服姿しか見せたことがない彼女が、唇を赤く塗って、揺れるミニスカートから見事な脚をさらし、黒人顔負けのステップを踏んでいた。
あまりもの華麗な足さばきに、おじけづいた。
「町田君、踊らないの?」
と、言われたって、とても彼女のステップに足を合わせる勇気が出ない。
リーゼントで決めた横浜・横須賀系の男たちが、フロアで踊る彼女に話しかけるのを、情けなく見守るしかなかった。
「俺も、踊りがうまくならなければ…」
私にとって、R&B・ソウルミュージックというのは、そういう生々しい欲望やら恍惚感やら焦燥感と一体となった、「欲情の音楽」 としてスタートした。
そうやって聞いているうちに、少しずつ “理屈” の方も追いついてきた。
素晴らしい本にもたくさんめぐり会った。
ひとつは、紺野慧 (こんの・とし) さんが書かれた 『ソウルミュージック・イン・ジャパン』 (73年刊)。
まだ、ソウルミュージックが市民権を得るかなり前。
彼は、福生ベースの近くのブラックバーに入り浸り、そこに集まる黒人たちと一緒になって、最先端のブラックミュージックを堪能する喜びを手に入れる。
おそらくこの本が、日本でソウルミュージックという音楽を独立したジャンルとして捉えた最初の本ではなかったかと思う。
彼はソウルミュージックを、部屋の中のオーディオを通して聞く音楽ではなく、黒人兵と一緒にソウルフードを食べて、彼らが戦争がもたらす軋轢の中で悩んだり、国に残した恋人への思慕でセンチになったりするときの音楽として捉えた。
彼は言う。
「僕にはひとつの偏見がある。それは黒人音楽、とりわけソウル・ミュージックは、黒人たちが力強く息づいている世界で聴くことこそが最も楽しく、すばらしいものであるということだ。
それはジェームズ・ブラウンやアル・グリーンを聞いて、そのオフ・ビートにのって腰が動き出さない人にはぜったいに分からないということである」
この本は、すぐさま私のバイブルになった。
ミーハーな私は、その本を読んでから3日後ぐらいに、自分も福生ベースまで遊びに行ったように記憶している。
本場物のソウルミュージックの素晴らしさを描いた本としては、白石かずこさんの 『ブラックの朝』 (74年刊) を挙げてもいい。
彼女は、ジョン・コルトレーンとジェームズ・ブラウンを等価に捉える。
片や前衛ジャズを求道的に追求したジャズの聖人。
片や野卑で挑発的なステージで、大衆の熱狂を誘い出す煽情的なエンターティナー。
しかし、どちらも 「暴風雨のように、心を打ち叩き、雷のように咆哮し、瞬時、息もできぬほどにエキサイトさせる魂 (ソウル) の叫び」 だという。
彼女は、知識も教養もある詩人だが、後頭部でモノをいう人間 (つまりモノを書いたり、考えたりする人間) の対極にあるものとして、ブラックミュージックを捉えた。
私は、彼女の本から、ソウルミュージックのエモーションを表現するときの言葉を数多く教わった。
決定的だったのは、松本隆さんの 『微熱少年』 (75年刊) だった。
この本は、彼の音楽遍歴を綴った本だが、途中からソウルミュージックの賛歌に変る。
それまで、松本さんというのは、「はっぴいえんど」 のドラマー兼作詞家というぐらいの認識しかなかったのだが、この本を読んで、彼に対する印象が変わった。
彼は、生粋のソウルフリークだったのだ。
「はっぴいえんど」 の創り出す世界に対して、私は、知的で醒めた白人的センスを感じていたが、松本さんは黒人音楽に触れることで、常に 「微熱状態」 の中にいたらしい。
彼は徹底して、ソウルミュージックを 「都市の音楽」 として捉えた。
私のソウルミュージック観が形成されたのは、この松本さんの影響によるところが大きい。
松本さんは、『微熱少年』 のなかで、
「ウエストコースト系の白人によるロックが自分にとって終わったと感じた頃、マービン・ゲイのホワッツ・ゴーイン・オンが、眼前に新鮮な驚きを与えながら未知の光条を放っていた」
と書いている。
日本を代表する作詞家の松本さんと自分を比べるわけにはいかないが、その一点に関する限り、同じ時代に、同じ地平に立っていたんだ…と思う。
名著といえば、チャールズ・カイルが書いた 『都市の黒人ブルース』 (相倉久人訳 68年刊) を忘れるわけにはいかない。
この本では、アメリカ黒人音楽がどのように発生し、どのように発展し、どういう思想展開を遂げていったかということがアカデミックに追求されている。
黒人音楽独特の音階であるブルーノートなどに関しても詳しく解説されている。
さっき、この本を久しぶりに手にとってみたら、やたら赤線が引いてあって、書き込みがあった。
ほとんど忘れていた本だったが、当時は自分なりに必死に勉強していたようだ。
60年代後半から70年代初期にかけて、ソウルミュージックが日本でも新しい音楽潮流を切り開こうとしたとき、それと同時に、素晴らしい評論集がたくさん生まれた。
それが相互に、黒人音楽文化を支えあった。
自分は幸せな時代を生きたと思う。
関連記事 「ロスのコンサート」

「キャンカーでソウルを聴けば、どこまでも行けそうな気がする」
↑これ、町田さんのキャッチフレーズ!
どうですか?
町田さんの博識は有名(?)ですが、カレッジフォークや歌声喫茶フリークではなく、ソウルっていうギャップが、また、たまらなくグッドなんですよね!
SOULミュージック、やっぱりたまらなく好きですね。一時、本気になってR&B系の音楽ライターみたいなことをやりながら、そういう音楽が流れる店を持ちたいと思っていたくらいです。
でも、今思うと、そうじゃなかったから幸せと感じることもあります。
仕事となったら、案外つまらないかもしれない。
で、今は自分の中に、音楽とキャンピングカーとをつなぐ接点みたいなものを問題意識として持てるから幸せと感じています。
名古屋キャンピングカーフェアを取材するとき、名古屋近辺のトラックドライバーが集まる温泉で一晩明かしたのですが、クルマの中で、独りでソウルミュージックを聞きながら酒飲んで盛り上がっていました。
自分にとって車中泊は常に音楽と供にある。
こんな素敵な時間を持っていいんだろうか…って、いつも感じています。