2008年02月20日
ウィネベーゴF17
日本で第1回 「キャンピングカー展示会」 が開かれた1970年 (昭和45年) 。そこに出展されたキャンピングカーのほとんどは、ヨーロッパのワーゲンキャンパーなどを参考にして、素人が見よう見まねで作り上げたハンドメイドキャンピングカーだった。
この時代、まだ日本に本格的なキャンピングカーメーカーというのは登場していなかった。
しかし、キャンピングカー先進国であるアメリカでは、もうこのような立派なモーターホームが北米中を走り回っていた。

ウィネベーゴF17
幕張で開かれた 「キャンピング&RVショー」 会場にて、ニートRVが展示したこのクラシックモーターホームは、そこに満を持して持ち込まれたどの新型キャンピングカーよりも異彩を放っていた。
「あ、こんなレトロな新車が造られたんだ」
「お父さん、変わったクルマ。でも値段がついていない」
「これ、どこかで見たぞ。なんかの映画で使われたクルマだよ」
通りすがりの見学客が足を止めて、眩しいものを見上げるように、語り合う。
「ウィネベーゴのアスペクトを目立たせるために、隣りに置いたのに、みんなこっちの方に注目してしまう」
ニートRVの猪俣常務は、通りがかった私を呼び止めて、そう苦笑いした。
このF17が日本にやってきた1970年という年は、大阪万国博覧会 (エクスポ70) が開かれ、よど号ハイジャック事件があり、三島由紀夫が割腹自殺した年だった。
名古屋ではケンタッキーフライドチキン1号店が開店し、東京の銀座には歩行者天国が登場した。
「走れコータロー」 や 「戦争を知らない子供たち」 などというヒット曲が生まれた。
だが、今となっては、そういう出来事を知らない人々の方が増えている。
それから38年経っているからだ。
しかし、その38年という年月の経過をものともしない、このウィネベーゴF17の堂々たる風格には恐れ入るばかり!
スタイルなどは、スティルバーグの描くSF映画に出てくる乗り物のように斬新だ。

このモーターホームが、どういう経緯で日本に入ってきたかは、これを所有するニートRVさんでも把握できないという。
しかし、このクルマは、まぎれもなくモーターホームの歴史を語るときには無視することのできない貴重な財産である。
なにしろ、アメリカンモーターホームのリーディングカンパニーである「ウィネベーゴ社」 が開発した、最初のクラスAシリーズのうちの1台だからだ。
F17の 「F」 はフォードシャシー。「17」 は17フィートを意味する。
当時のクラスAシリーズの中では、フォードシャシーはこの1台限りで、他はみなダッジシャシーだったという。
最長モデルは27フィート。これはその中の一番小さいモデルだ。
初代オーナーは、道の狭い日本でも支障なく使えるように、この最小モデルが選んだのかもしれない。
ニートRVがこの貴重な 「宝物」 を手に入れたのは、1年ほど前。
トレーラーで運ばれて工場にたどりついたときは、ボロボロの状態だったという。
エンジン、ミッションは使いものにならず、内装もところどころ腐っていた。
ニートRVでは、これを再び動かせるような状態にするために、パーツ作りから始めなければならなかった。
この機種のオルタネーターなどは既にないから、他のものを流用して加工する。
内装の部材なども、調達できないものは、当時のカタログなどと照らし合わせて、なるべくオリジナルに近いものを作り出した。
営利には直接結びつかない作業だ。
しかし、ニートRVは、ウィネベーゴの日本総代理店として、伝統ある 「ウィネベーゴ文化」 を東洋において継承するという使命感に燃えて、この作業に心血を注いだ。
「おそらく本国においても、もうこのような完璧な状態で保存されているものは1台もないでしょう」
と、猪俣氏は推測する。

それにしても、40年近い歳月をくぐり抜けたクルマを、よくここまで復活させたものだと思う。
室内に入ると、最近のキャンピングカーには見られない独特のぬくもりが感じられる。
もちろん、既に量産システムを整備しつつあったウィネベーゴ社が造りだしたものであるから、工業製品には変わりないのだが、手作りの雰囲気をたっぷりたたえた温かさがある。

レイアウト的な特徴は、サイドパネルを背にして向かい合うリヤダイネット。トレーラーの雰囲気だ。
三方の窓から陽射しが降り注ぐから、そこに座る家族は、さぞや明るいダイネットを享受したことだろう。

不思議なことに、エントランスドアが、右と左に二つ設定されている。
猪俣常務は、左側のエントランスドアは、おそらく日本で付けられたものだろうという。
左側にドアがないと、日本の車検は通らない。
そのため、左側のパネルをくり抜いて、新たにドアが追加されることになった。
便利といえば便利だが、そこだけオリジナル仕様でないため、どことなく不自然な感じがしないでもない。

「今から思えば、日本で最初にこれを買った人には、頭が下がります。当時、円はそうとう安かった。
しかも、その時代はまだ贅沢税として、こういう商品には物品税がかけられていた。とても高い買い物だったでしょう。
まだ、キャンピングカーなどが日本で十分な認知を受けていない時代。こういうクルマを使うためのキャンプ場なども整備されていなかったはず」
このクルマを買った初代オーナーが、何を思いながら、どう使ったか。
想像するだけで感慨深いものがあると、猪俣氏は語る。
もちろん、米国ウィネベーゴ本社の人たちも、自分たちの造った初期のクラスAがこのように保存されていることを知れば、日本人以上に感慨深いものを感じるに違いない。
この時代、まだ日本に本格的なキャンピングカーメーカーというのは登場していなかった。
しかし、キャンピングカー先進国であるアメリカでは、もうこのような立派なモーターホームが北米中を走り回っていた。
ウィネベーゴF17
幕張で開かれた 「キャンピング&RVショー」 会場にて、ニートRVが展示したこのクラシックモーターホームは、そこに満を持して持ち込まれたどの新型キャンピングカーよりも異彩を放っていた。
「あ、こんなレトロな新車が造られたんだ」
「お父さん、変わったクルマ。でも値段がついていない」
「これ、どこかで見たぞ。なんかの映画で使われたクルマだよ」
通りすがりの見学客が足を止めて、眩しいものを見上げるように、語り合う。
「ウィネベーゴのアスペクトを目立たせるために、隣りに置いたのに、みんなこっちの方に注目してしまう」
ニートRVの猪俣常務は、通りがかった私を呼び止めて、そう苦笑いした。
このF17が日本にやってきた1970年という年は、大阪万国博覧会 (エクスポ70) が開かれ、よど号ハイジャック事件があり、三島由紀夫が割腹自殺した年だった。
名古屋ではケンタッキーフライドチキン1号店が開店し、東京の銀座には歩行者天国が登場した。
「走れコータロー」 や 「戦争を知らない子供たち」 などというヒット曲が生まれた。
だが、今となっては、そういう出来事を知らない人々の方が増えている。
それから38年経っているからだ。
しかし、その38年という年月の経過をものともしない、このウィネベーゴF17の堂々たる風格には恐れ入るばかり!
スタイルなどは、スティルバーグの描くSF映画に出てくる乗り物のように斬新だ。
このモーターホームが、どういう経緯で日本に入ってきたかは、これを所有するニートRVさんでも把握できないという。
しかし、このクルマは、まぎれもなくモーターホームの歴史を語るときには無視することのできない貴重な財産である。
なにしろ、アメリカンモーターホームのリーディングカンパニーである「ウィネベーゴ社」 が開発した、最初のクラスAシリーズのうちの1台だからだ。
F17の 「F」 はフォードシャシー。「17」 は17フィートを意味する。
当時のクラスAシリーズの中では、フォードシャシーはこの1台限りで、他はみなダッジシャシーだったという。
最長モデルは27フィート。これはその中の一番小さいモデルだ。
初代オーナーは、道の狭い日本でも支障なく使えるように、この最小モデルが選んだのかもしれない。
ニートRVがこの貴重な 「宝物」 を手に入れたのは、1年ほど前。
トレーラーで運ばれて工場にたどりついたときは、ボロボロの状態だったという。
エンジン、ミッションは使いものにならず、内装もところどころ腐っていた。
ニートRVでは、これを再び動かせるような状態にするために、パーツ作りから始めなければならなかった。
この機種のオルタネーターなどは既にないから、他のものを流用して加工する。
内装の部材なども、調達できないものは、当時のカタログなどと照らし合わせて、なるべくオリジナルに近いものを作り出した。
営利には直接結びつかない作業だ。
しかし、ニートRVは、ウィネベーゴの日本総代理店として、伝統ある 「ウィネベーゴ文化」 を東洋において継承するという使命感に燃えて、この作業に心血を注いだ。
「おそらく本国においても、もうこのような完璧な状態で保存されているものは1台もないでしょう」
と、猪俣氏は推測する。
それにしても、40年近い歳月をくぐり抜けたクルマを、よくここまで復活させたものだと思う。
室内に入ると、最近のキャンピングカーには見られない独特のぬくもりが感じられる。
もちろん、既に量産システムを整備しつつあったウィネベーゴ社が造りだしたものであるから、工業製品には変わりないのだが、手作りの雰囲気をたっぷりたたえた温かさがある。
レイアウト的な特徴は、サイドパネルを背にして向かい合うリヤダイネット。トレーラーの雰囲気だ。
三方の窓から陽射しが降り注ぐから、そこに座る家族は、さぞや明るいダイネットを享受したことだろう。
不思議なことに、エントランスドアが、右と左に二つ設定されている。
猪俣常務は、左側のエントランスドアは、おそらく日本で付けられたものだろうという。
左側にドアがないと、日本の車検は通らない。
そのため、左側のパネルをくり抜いて、新たにドアが追加されることになった。
便利といえば便利だが、そこだけオリジナル仕様でないため、どことなく不自然な感じがしないでもない。
「今から思えば、日本で最初にこれを買った人には、頭が下がります。当時、円はそうとう安かった。
しかも、その時代はまだ贅沢税として、こういう商品には物品税がかけられていた。とても高い買い物だったでしょう。
まだ、キャンピングカーなどが日本で十分な認知を受けていない時代。こういうクルマを使うためのキャンプ場なども整備されていなかったはず」
このクルマを買った初代オーナーが、何を思いながら、どう使ったか。
想像するだけで感慨深いものがあると、猪俣氏は語る。
もちろん、米国ウィネベーゴ本社の人たちも、自分たちの造った初期のクラスAがこのように保存されていることを知れば、日本人以上に感慨深いものを感じるに違いない。

私は幕張には行っておりませんが、このクラシックモーターホームはあちこちのブログで見かけたので、かなり目立っていたことは想像できます。
私はキャンピングカー初心者で、前からキャンピングカーが欲しいと思って見ていた訳でもないので、逆に古いワーゲンキャンパーなどは新鮮に写ります。
このクラシックモーターホームも値札が付いていれば、売れたんでしょうか。
やっぱり、このモーターホームに関心を持っていらっしゃった方は多いわけですね。本当に目立ちましたから。
確か、『オートキャンパー』 誌の表紙を飾ったこともありましたね。
値札が付いていれば売れたかも分かりません。でも、単なる補修費以外の “文化的な価値” というものも付加されるでしょうから、おそらくニートさんも値段は付けられないでしょうね。
昔のワーゲンキャンパーも、一度フィールドライフさんが補修されたのを見たことがあります。
hosoさんがおっしゃるように、昔のキャンピングカーは味があって、今見ると新鮮ですね。
ニートRVさんの「ウィネベーゴF17」、古き良きアメリカの香りがプンプンしてましたね。1970年から38年後の未来に飛び込んできて、町田さんのコメントのとおりスピルバーグの世界を重ねてしまいました。幕張メッセでのあのインパクトは、2週間経った今でも忘れられません。ニートRVさんにも感謝です。
こういったレトロな物が改めて注目を浴びる今、以前町田さんがブログでも発信されていらっしゃったように、吉田隆志さんの「アメリカン・キャンピング」の復刻版が望まれるところです。
http://campingcar.blog.hobidas.com/archives/article/33613.html
町田さんのお力添えをいただき、発行させましょう!是非、ご協力させていただきます。
吉田隆志さんの 「アメリカン・キャンピング」 の著書の中にも、かなりクラシックなモーターホームの写真が掲載されていましたよね。
…いいなぁ…と思って眺めていました。
単なるノスタルジーだけでなく、くるま旅の原点が色濃く伝わってくるようんば印象を持ちました。
今は、原版が残っていなくても、本をそのままスキャニングして出版するシステムも普及しているようですね。
吉田隆志さんの著書は、逆に、今でこそキャンピングカーライフの原点を探る書籍としてパワーを持ちえているような気もします。
ああいう書籍がまた流通するようになれば、キャンピングカー文化が、さらにしっかりと日本でも根づくことは間違いないように思います。