2007年10月01日
激動の1980年代
最近、テレビのワイドショーなどで、やたらと1980年代が取り上げられるようになった。
私が、この1980年代という時代を、特に気にしているせいかもしれないが、この時代の風俗や流行を再発掘しているような番組が、とても目に付く。
なぜだろう?
「2007年問題」 などといわれた 「リタイヤする団塊世代」 にターゲットを合わせた商品企画が一段落し、各企業が、その次の世代にマーケットを広げようとしているからかもしれない。
しかし、そういうマーケティング的な思惑とは別に、この時代は激動期だったと思う。
1980年代というと、表面的には、バブルに浮かれた 「天下泰平」 の時代という印象がある。
だが、この時代の変化の方が、団塊の世代が青春を送った60年代や70年代よりも大きい。

1980年代に、世界が大きく変った。
もちろん、日本も変った。
1980年に突入した瞬間、ビートたけしは、 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 というギャグを飛ばした。
志村けんは、「カラスなぜ鳴くの?」 という童謡をおちょくって、 「カラスの勝手でしょ」 と歌った。
どちらのギャグも大うけした。
信号を無視しても、みんなの合意ならば平気という “大衆” が誕生し、 「鳴くもわめくも、オレのルールはオレが決める」 という “個人” が出現した瞬間だった。
つまり、一時代前までに厳然と存在した 「人間はこうあらねばならない」 という大原則が、ふわぁ~っと軽いものになって、
「とにかく笑えればいいじゃん」
「とにかく、オレが心地よければいいじゃん」
という、オレ流の価値観で世界を再構築していく精神風土が準備されたことを意味する。
この時代から、カラオケが大流行する。
「次の歌は、オレが、オレが、オレが…」
歌は、聴くものから、歌う時代へ。
当時、私もまた、新曲を仕入れては、当たり前のようにカラオケで歌いまくっていたのだが、考えてみれば、これはとんでもない時代の変化だった。
…と、今になって思う。
この時代の変化を、もう少し具体的に見てみよう。
エンターティメントの分野に注目してみると、1983年に 「東京ディズニーランド」 が開園し、任天堂のファミコンが登場した。
子供たちの遊び場が、野原や放課後の運動場から、高度に洗練されたバーチャルな空間に移行していく時代が、そこから始まった。
子供たちの遊ぶ環境が変ると同時に、大人たちの消費構造が変った。
1981年には、 「不思議、大好き」 というキャッチを全面に謳ったパルコのCMが脚光を浴びた。
翌82年になると、それが 「おいしい生活」 に変る。
つまり、生活に必要な物資を買わせるための消費から、生活に必要でない物を買わせる消費に、供給側がシフトしたのが、80年代だった。
世界に目を転じると、80年代末には、東欧の独裁政権が倒され、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終焉して、世界の総資本主義化が始まった。
それまで、 “良識派” 知識人を自認する文化人が、精神的な拠りどころとしていたマルクス主義も、すでに時代遅れの権威でしかなかったことを露呈させる事件が、次々と勃発した。
イデオロギーの支配力が無化されるとともに、政治的立場を表現する 「右翼」 「左翼」 という言葉も、あっけなく形骸化した。
つまり、何が言いたいかというと、団塊の世代が歩んできた60年ほどの年月のなかで、1980年代ほど、時代の 「空気」 が一変した時代はないはずなのだ。
学生運動が盛んだった60年代や、高度成長の繁栄に酔いしれた70年代以上に、80年代こそが、団塊の世代にとって本当の意味での 「激動の時代」 だったのだ。
テレビのワイドショーが、のきなみ、団塊世代から離れて、その後の世代が青春を送った80年代を採り上げ始めたのは、ひょっとしたら、
「もう団塊の世代には、政治的にも経済的にも、世の中をリードしていくようなパワーがない」
と、見限ったからかもしれない。
1980年代の 「大変化」 を見ることなく、いつまでも60年代と70年代を 「変革の時代」 と見なしている団塊世代がいたとしたら、確かに 「もう終わり!」 と見限られてしまうのも、いたしかたないかもしれない。
私が、この1980年代という時代を、特に気にしているせいかもしれないが、この時代の風俗や流行を再発掘しているような番組が、とても目に付く。
なぜだろう?
「2007年問題」 などといわれた 「リタイヤする団塊世代」 にターゲットを合わせた商品企画が一段落し、各企業が、その次の世代にマーケットを広げようとしているからかもしれない。
しかし、そういうマーケティング的な思惑とは別に、この時代は激動期だったと思う。
1980年代というと、表面的には、バブルに浮かれた 「天下泰平」 の時代という印象がある。
だが、この時代の変化の方が、団塊の世代が青春を送った60年代や70年代よりも大きい。
1980年代に、世界が大きく変った。
もちろん、日本も変った。
1980年に突入した瞬間、ビートたけしは、 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 というギャグを飛ばした。
志村けんは、「カラスなぜ鳴くの?」 という童謡をおちょくって、 「カラスの勝手でしょ」 と歌った。
どちらのギャグも大うけした。
信号を無視しても、みんなの合意ならば平気という “大衆” が誕生し、 「鳴くもわめくも、オレのルールはオレが決める」 という “個人” が出現した瞬間だった。
つまり、一時代前までに厳然と存在した 「人間はこうあらねばならない」 という大原則が、ふわぁ~っと軽いものになって、
「とにかく笑えればいいじゃん」
「とにかく、オレが心地よければいいじゃん」
という、オレ流の価値観で世界を再構築していく精神風土が準備されたことを意味する。
この時代から、カラオケが大流行する。
「次の歌は、オレが、オレが、オレが…」
歌は、聴くものから、歌う時代へ。
当時、私もまた、新曲を仕入れては、当たり前のようにカラオケで歌いまくっていたのだが、考えてみれば、これはとんでもない時代の変化だった。
…と、今になって思う。
この時代の変化を、もう少し具体的に見てみよう。
エンターティメントの分野に注目してみると、1983年に 「東京ディズニーランド」 が開園し、任天堂のファミコンが登場した。
子供たちの遊び場が、野原や放課後の運動場から、高度に洗練されたバーチャルな空間に移行していく時代が、そこから始まった。
子供たちの遊ぶ環境が変ると同時に、大人たちの消費構造が変った。
1981年には、 「不思議、大好き」 というキャッチを全面に謳ったパルコのCMが脚光を浴びた。
翌82年になると、それが 「おいしい生活」 に変る。
つまり、生活に必要な物資を買わせるための消費から、生活に必要でない物を買わせる消費に、供給側がシフトしたのが、80年代だった。
世界に目を転じると、80年代末には、東欧の独裁政権が倒され、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終焉して、世界の総資本主義化が始まった。
それまで、 “良識派” 知識人を自認する文化人が、精神的な拠りどころとしていたマルクス主義も、すでに時代遅れの権威でしかなかったことを露呈させる事件が、次々と勃発した。
イデオロギーの支配力が無化されるとともに、政治的立場を表現する 「右翼」 「左翼」 という言葉も、あっけなく形骸化した。
つまり、何が言いたいかというと、団塊の世代が歩んできた60年ほどの年月のなかで、1980年代ほど、時代の 「空気」 が一変した時代はないはずなのだ。
学生運動が盛んだった60年代や、高度成長の繁栄に酔いしれた70年代以上に、80年代こそが、団塊の世代にとって本当の意味での 「激動の時代」 だったのだ。
テレビのワイドショーが、のきなみ、団塊世代から離れて、その後の世代が青春を送った80年代を採り上げ始めたのは、ひょっとしたら、
「もう団塊の世代には、政治的にも経済的にも、世の中をリードしていくようなパワーがない」
と、見限ったからかもしれない。
1980年代の 「大変化」 を見ることなく、いつまでも60年代と70年代を 「変革の時代」 と見なしている団塊世代がいたとしたら、確かに 「もう終わり!」 と見限られてしまうのも、いたしかたないかもしれない。

なるほど! そういわれてみると、アナログからデジタルへの以降という感覚がありましたね。あの頃は…。
「デジタル」という言葉だけで、何か「新しいもの」という雰囲気が伝わってくるような受け止められ方をしていたように思います。
80年代というのは、前半は70年代的な暗い気分を引きずっていて、後半はまったく違うバブルのり!
不思議な10年でした。
その「個性」を尊重する動向が、哲学まで失う結果を生んでいるような感じもしますが。
たしか、「不思議、大好き」というキャッチを謳ったのは、西武だったと思います。
「個性」 という言葉が、とてつもなく意味を持つようになったのは、確かに80年代からでしょうね。
今から思うと、「個性」 という言葉が尊重されるほど、時代と人間が本当の個性を失い始めた時代だったのではないかと思うようになりました。
「不思議、大好き」 というキャッチは一世を風靡しましたね。
あれは、糸井重里が西武系のパルコの依頼で作ったキャッチだったかと記憶しています。
「不思議」 という “未知の世界” へのときめきが、初めて意図的なマーケット戦略で取り上げられたという時代の転換点を示すような出来事のように思えます。
また、いろいろコメントを寄せください。