2007年01月29日
TOKIO
キャンピングカーで地方を旅するようになって、最初のうちは、
「日本ってなんて暗い国なんだろう」と思った。
田舎を走っていると、日が沈むと闇に覆われる土地が多い。
地方都市に入っても、繁華街を抜けると、ほとんど明かりも漏れてこないような民家が続く。
東京しか知らなかった私は、最初のうちは、その暗さがとても寂しいもののように思えた。
しかし、違った。
東京が「異常」であることに気づくようになった。
東京の夜の明るさは、とてつもなく、奇妙な、異様な明るさだったのだ。

まだ、キャンピングカーを知らず、乗用車で都内を遊びまわっていた頃、東京は刻々と刺激的な街に変貌していた。
特に、夜の東京の変りぶりはすさまじかった。
イルミネーションのデザインがどんどん洗練されていき、昼とはまったく違った表情を現す街になっていった。
私の記憶では、ちょうど80年代に入った頃である。
「都市の遊戯化」というのだろうか。
小さなテーマパークのようなスポットが、その頃の東京には、あちらこちらに吹き出すようになったのである。
80年代の中頃、東名高速の用賀インターを降りた環八沿いに、「デニーズ」と「プレストンウッド」、そして「イエスタディ」という3軒のレストランがほぼ同時に建てられたことがあった。
アメリカのホワイトハウスを彷彿とさせるような、白亜の建物が並び、いずれもアーリーアメリカン調のデザインが施され、「アメリカが空から飛んできた」という感じの異空間が創造された。
新しいモノ好きな若者がそこに群がるようになり、駐車場には、白いソアラやシーマが順番待ちして列をつくるようになった。
美しいといえば、美しい。
虚しいといえば、虚しい。
環八沿いに生まれた「アメリカ村」は、夢の美しさと、夢の頼りなさを同時に持った、ゲーム空間のようなエリアだった。
あれは何だったのか。
今は跡形もない、プレストンウッドとイエスタディが並んでいた環八を通るたびにそう思う。
あの頃の東京は、一瞬だけ、飛んだのである。
着地点を見定めることもなく。
飛んで、思い切り虚空を駆け昇り、そして泡のように消えた。
1980年の1月にシングルカットされた沢田研二の『TOKIO』は、上昇気流に乗って、夜空に舞い上がる東京の姿を、いみじくも的確に表現した歌となった。
空を飛ぶ、街が飛ぶ、雲を突き抜け星になる。
火を吹いて、闇を裂き、スーパーシティが舞い上がる。
電飾衣装にパラシュートを背負って、そう歌う沢田研二は、実態から逸脱したものがリアリティを持ち始める80年代そのもののように思えた。
そこに描かれる浮遊感とゴージャス感は、まさにその後に到来するバブル時代の気分を、ものの見事に先取りしていた。

詞をつくったのは糸井重里だが、今さらながら、彼の時代を先取りするセンスには舌を巻かざるを得ない。
バブルを呼んだのは、まさにこの歌自体だったかもしれないとすら思う。
『TOKIO』の歌詞には、次のような一節もある。
…欲しいものなら何もかも手に入る。
…海に浮かんだ、光の泡。
この歌が、よく「バブルの精神を体現する」といわれるときに、引用されるフレーズだ。
泡のように消えることが美しい。
そういう感性は、モノを次から次へと生産し続けるためには、片端から消費しなければいけないという、あの時代の感覚を反映している。
消費という概念に美意識が結びつき、「消費の美学」などという言葉が大手を振っていたのも、80年代の特徴だったように思う。
だが、その消費の美学は、地球の温暖化、エネルギー資源の枯渇、大量のゴミの排出など、さまざまな副産物を後の時代に残した。
今、キャンピングカーで明かりの少ない地方都市を走り抜けるとき、私はそこに、安らぎを見出している。
でも、あのとき『TOKIO』と呼ばれたい異様な東京の姿も、「何だったのだろう?」という疑問とともに、いまだに記憶のかなたから甦ってくる。
「日本ってなんて暗い国なんだろう」と思った。
田舎を走っていると、日が沈むと闇に覆われる土地が多い。
地方都市に入っても、繁華街を抜けると、ほとんど明かりも漏れてこないような民家が続く。
東京しか知らなかった私は、最初のうちは、その暗さがとても寂しいもののように思えた。
しかし、違った。
東京が「異常」であることに気づくようになった。
東京の夜の明るさは、とてつもなく、奇妙な、異様な明るさだったのだ。
まだ、キャンピングカーを知らず、乗用車で都内を遊びまわっていた頃、東京は刻々と刺激的な街に変貌していた。
特に、夜の東京の変りぶりはすさまじかった。
イルミネーションのデザインがどんどん洗練されていき、昼とはまったく違った表情を現す街になっていった。
私の記憶では、ちょうど80年代に入った頃である。
「都市の遊戯化」というのだろうか。
小さなテーマパークのようなスポットが、その頃の東京には、あちらこちらに吹き出すようになったのである。
80年代の中頃、東名高速の用賀インターを降りた環八沿いに、「デニーズ」と「プレストンウッド」、そして「イエスタディ」という3軒のレストランがほぼ同時に建てられたことがあった。
アメリカのホワイトハウスを彷彿とさせるような、白亜の建物が並び、いずれもアーリーアメリカン調のデザインが施され、「アメリカが空から飛んできた」という感じの異空間が創造された。
新しいモノ好きな若者がそこに群がるようになり、駐車場には、白いソアラやシーマが順番待ちして列をつくるようになった。
美しいといえば、美しい。
虚しいといえば、虚しい。
環八沿いに生まれた「アメリカ村」は、夢の美しさと、夢の頼りなさを同時に持った、ゲーム空間のようなエリアだった。
あれは何だったのか。
今は跡形もない、プレストンウッドとイエスタディが並んでいた環八を通るたびにそう思う。
あの頃の東京は、一瞬だけ、飛んだのである。
着地点を見定めることもなく。
飛んで、思い切り虚空を駆け昇り、そして泡のように消えた。
1980年の1月にシングルカットされた沢田研二の『TOKIO』は、上昇気流に乗って、夜空に舞い上がる東京の姿を、いみじくも的確に表現した歌となった。
空を飛ぶ、街が飛ぶ、雲を突き抜け星になる。
火を吹いて、闇を裂き、スーパーシティが舞い上がる。
電飾衣装にパラシュートを背負って、そう歌う沢田研二は、実態から逸脱したものがリアリティを持ち始める80年代そのもののように思えた。
そこに描かれる浮遊感とゴージャス感は、まさにその後に到来するバブル時代の気分を、ものの見事に先取りしていた。
詞をつくったのは糸井重里だが、今さらながら、彼の時代を先取りするセンスには舌を巻かざるを得ない。
バブルを呼んだのは、まさにこの歌自体だったかもしれないとすら思う。
『TOKIO』の歌詞には、次のような一節もある。
…欲しいものなら何もかも手に入る。
…海に浮かんだ、光の泡。
この歌が、よく「バブルの精神を体現する」といわれるときに、引用されるフレーズだ。
泡のように消えることが美しい。
そういう感性は、モノを次から次へと生産し続けるためには、片端から消費しなければいけないという、あの時代の感覚を反映している。
消費という概念に美意識が結びつき、「消費の美学」などという言葉が大手を振っていたのも、80年代の特徴だったように思う。
だが、その消費の美学は、地球の温暖化、エネルギー資源の枯渇、大量のゴミの排出など、さまざまな副産物を後の時代に残した。
今、キャンピングカーで明かりの少ない地方都市を走り抜けるとき、私はそこに、安らぎを見出している。
でも、あのとき『TOKIO』と呼ばれたい異様な東京の姿も、「何だったのだろう?」という疑問とともに、いまだに記憶のかなたから甦ってくる。

東京をはじめとする“首都圏”の郊外に住宅が拡散していく状況のなかで、消費の場も拡大していきましたね。
山田太一の『岸辺のアルバム』などというドラマが、郊外に拡散していく家族の状況をよく表現していましたね。
80年代を懐古する動きは、近年また高まっているようです。
『アエラ』の先週号では、「今の時代はつまらない。あの時代の方が楽しかった」という声をたくさん集めた特集を組んでいました。
一部、音楽でも風俗でも、80年代に回帰している現象が起こりつつあるともいいます。
ホント、世の中どうなっていくのか。
まさにTJさんのおっしゃる通りのイメージでしたね。
う~ん! 言い得て妙です。
>「山の中の渓流に生きる魚のように生きたい」
これも、TJさんのアメリカでの拠点があったればこそ、現実感を伴なって浮かんでくる発想のように思います。
東京や日本を離れて、広い世界からものを眺めることも大切ですね。
ザベストテンに出ていたTOKIOの方なんですね
パラシュート付けて沢田研二が・・・なつかしいです。
それでは!
そうですよね、今TOKIOといえば、城島、山口、国分、松岡、長瀬ですよね。
結構ジャニースTOKIOも好きです。SMAPより地味な感じもしますけど、みんなバラエティも役者もできるし、楽器もできる。庶民的な雰囲気がいいな。
「タイガー&ドラゴン」に出ていた長瀬も良かったし、昔、矢沢栄吉や佐々木小次郎に扮していた松岡も悪くなかった。
でも、パラシュートの沢田研二も印象的でしたね。
それでは!