町田の独り言 キャンピングカーのガイド本を編集する町田が語るよもやま話

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幸せだなぁ

 駅裏のヤキトリ屋で、生ビール一杯飲んで、2皿食べたヤキトリがうまかった。
 その味を思い出しながら、自転車を漕いで帰宅中、ふと漏らした独り言。
 「幸せだなぁ」

生ビール

 自分でそれに気づいて、苦笑い。
 俺の 「幸せ」 も、ずいぶん小さくなったもんだ。

 …でも、きっと、そういうことなのだろう。

 今の自分が幸せかどうか測るバロメーター。
 それは、うまいものを食った後とか、人と楽しい時間を過ごした後とか、困難な仕事を達成した後などに、とりあえず、 「幸せだなぁ」 とつぶやいて、それが自嘲でもなく、皮肉でもなく、反語でもなく、心底そう思えたら、間違いなく、それは幸せな状態なのだ。

 幸せって、そういうものだし、
 そんなもんでしかない。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:08 | コメント(0) | トラックバック(0)

斎藤道三の最期

 何度も読み返す本というのがある。
 特に小説など、ある感銘を受けた情景が浮かんでくると、
 「また、あそこが読みたいな」
 という気分になり、その部分だけを拾い読みすることがある。

 司馬遼太郎の書いた 『国盗り物語』 の題3巻。
 斎藤道三 (さいとう・どうさん) の最期を描いたシーンなどは、もう何度読んだか分からない。

国盗り物語3巻

 戦闘の模様を描いた章なのだが、美しいのである。
 「勇壮」 とか 「雄渾 (ゆうこん) 」 、 「凄絶」 などといった “汗くさい” 美しさではない。

 朝日にきらめく山々の新緑。
 光の粒子が飛び散る川面 (かわも) 。

 そういうありきたりの自然の情景が、死を覚悟した斎藤道三の目を通して描かれることによって、涙が出るほど、ため息が出るほど美しく輝きだす瞬間を読者は手に入れることができるのだ。

 「これが、俺が最後に眺める風景か…」

 そういう感慨を持った斎藤道三の目に映る風景は、緑にあふれた野山だけでなく、自分に向かって突進してくる敵の姿ですら美しい。

 最初に読んだとき、
 「ああ、小説家って、すごいなぁ!」
 と単純に驚いた。


 斎藤道三は、織田信長の正妻となった濃姫の父、つまり信長の舅 (しゅうと) ということで知られる人物だが、歴史好きの人間にとっては、信長以上に面白い人物である。
 一介の油商人として京で財をなしてから美濃に流れ、権謀術策をめぐらして、美濃の国主である土岐頼芸 (とき・よりよし) をたらしこみ、やがては彼を追放して、美濃一国を手に入れる。
 その成り上がりぶりのすさまじさには並ぶ者がなく、 「下克上」 を文字どおり地でいく人物といえる。

 しかし、道三については謎に包まれた部分も多く、その素性がどのようなものであったかは諸説ある。
 最近では 「道三」 という独立した人物はおらず、親子2代で美濃を手に入れた人物を一人にまとめて伝説化したのではないか、という仮説すらあるようだ。

 司馬さんは、この謎に満ちた道三を主人公に選び、梟雄 (きょうゆう) とさげすまれていたこの人物に、陽気に人を騙し、あっけらかんと国を盗んでいく魅力的なキャラクターを与えた。
 
 そういった意味で、この “司馬道三” は架空の人物なのだが、その人となりを、まったく一から創造しなければならなかったがゆえに、司馬さんは、自分の作り上げた道三の心の裏まで細心に描き込むことができた。

 その道三が最後の戦いを前にして、自分の人生をどう振り返ったか。
 この 「斎藤道三の最期」 を描いた章は、全4巻の 『国盗り物語』 のなかでも、ひときわ光る章になった。

NHKの国盗り平幹二郎

 「陰暦四月といえば、樹 (き) の種類の多い稲葉山がさまざまな新緑で輝く」

 という書き出しで、この 『血戦』 と名付けられた章は始まる。
 その稲葉山のふもと長良川の手前に布陣した2千の道三軍は、川を挟んで、その数倍に当たる斎藤義竜 (さいとう・よしたつ) の軍と対峙する。

 斎藤道三と斎藤義竜。

 親子なのだ。

 しかし、道三の子として育った義竜は、ある日、自分の本当の父は、道三が放逐した土岐頼芸 (とき・よりよし) であることを知る。

 なんと 「父」 と信じてきた道三こそ、実は、自分の本当の父を美濃から追い出し、美濃という国を奪い取った大悪人だったのだ。
 真相を知った義竜の怒りは収まらない。

 一方、道三にしてみれば、尾張の織田、駿河の今川といった強敵に囲まれ、今にも滅びそうだった美濃をここまで強国にしたのは誰ぞ、という思いがある。
 美濃の国主が土岐家のままでいたら、とおの昔に美濃などという国は滅んでいたわい。

 道三には道三の自負があるのだ。

 だが、すでに家督を義竜に譲り、隠居暮らしを始めていた道三には、戦うにも自分の兵がなかった。
 ようやく集めたのが2千。
 美濃の国主を継いだ義竜の擁する兵力の5分の1程度にすぎない。

 すでに道三は、この長良川を自分の “死に場所” と決めていた。
 そして、 「三十数年前、美濃に流れてきてこのヨソ者」 のために、その最期を共にしようとする者が2千人もいたことに感動している。

 その2千の道三軍の頭上に、朝が来る。

 「やがて夜があけ、朝霧のこめるなかを弘治二年四月二十日の陽 (ひ) がのぼりはじめた。
 朝の陽の下に、対岸の風景がにぎやかに展 (ひら) けはじめた。
 雲霞 (うんか) の軍勢といっていい。
 おびただしい旗、指物 (さしもの) が林立している。それらの背後、義竜の本陣のある丸山には、土岐源氏の嫡流 (ちゃくりゅう) たることをあらわす藍色 (あいいろ) に染められた桔梗 (ききょう) の旗が九本、遠霞 (とおがすみ) にかすみつつひるがえっていた。
 『やるわ』
 と、道三は苦笑した」

 この “苦笑した” という表現が、なんとも道三の胸中を巧みに描き出して見事だ。
 道三は、自分が訓練し、自分が指揮して、ここまで育ててきた美濃軍団の偉容をはじめて “敵” の視点から眺めたわけだ。
 そして、今は敵味方に分かれている義竜に対しても、一時は親子の情を交わした仲だ。
 だから、この 「やるわ」 という苦笑いには、7割方の悔しさと3割ほどの愛がこもっている。

 やがて、
 「風は西に吹き、その前面の青い霧のなかから、敵の先鋒六百が、銃を撃ち槍の穂をきらめかせて突撃して」 くる。

 それを見て、道三は、
 「ほう、美しくもあるかな」
 とつぶやくのである。
 彼には、敵の色とりどりの具足、形さまざまな旗指物が、極彩色の絵屏風のように感じられのだ。

 「美濃へきていらい、数かぎりとなく戦場をふんできたが、常に必死になって戦ってきたため、それを色彩のある風景として観賞したことがなかった。心にゆとりがなかったのであろう」

 そう思う道三の姿を、司馬さんは、
 「なにやら紅葉狩りにでもきて四方 (よも) の景色をうちながめている老風流人ののんきさがあった」 と書く。
 
 もちろん戦上手の道三のこと。
 ただ手をこまねいて敵の突撃を待ちかまえていたわけではない。

 道三は、
 「床几 (しょうぎ) から立ち上がり、采 (さい) を休みなく振り、五段に構えた人数をたくみに出し入れしつつ、最初は鉄砲で敵の前列をくずし、その崩れをみるや、さかさず槍組に突撃させ、敵の中軍が崩れ立ったと見たとき、左右の武者のなかから誰々と名指しして三人を選び、
 『敵将の首をあげてこい』
 と、手馴れた料理人のような落ち着きようで、ゆっくりと命じた」
 
 そして、采配通りの展開となり、道三は、
 「わが腕をみたか」
 と、笑いながら腰をたたくのである。

 そのときの道三の心境を、司馬さんはこう書く。
 
 「たしかに勝った。が、道三は、この一時的な戦勝がなんの意味もなさないことを知っていた。
 (しかし、多少は息がつける)
 それだけのことだった」

 この 「多少は息がつける」 という道三の心境は、いったいどんなものであったのだろう。
 今日執行されるはずだった死刑が、明日に延期になったと知らされた死刑囚の心境に近いのだろうか。

 毎回ここを読むたびに、
 (しかし、多少は息がつける)
 という言葉に涙してしまう。

 そして、自分の実人生において、ものすごく絶望的な展開になったとき、
 「多少は息がつける」
 とつぶやくのがクセになった。 

 一息つけたことで、助かるわけではない。
 しかし、この絶望的な状況のなかで、 「一息つく」 瞬間を与えられたというのは、どれほどありがたいことか。
 そんなふうに思ってしまうのだ。

 話を道三に戻す。

 緒戦を華々しく飾ったとしても、多勢に無勢、
 やがて、道三方の兵は、大半が討ち取られていく。

 それでも道三は、松林の中の床几に腰を下ろし、ただ一人、いまだ三軍を指揮しているような傲然とした表情で最期の時を迎えようとしている。

 その姿を、かつて部下として仕えていた敵方の武将が発見する。
 すでに死を決意していた道三は、型どおりの手合わせを行っただけで、あっけなく討ち取られる。

 討ち取った武将は、
 「死体の首を掻き切り、持ち上げようとしたが、どうしたはずみか、首を抱えたまま足をコケに滑らせて地に手をついた。
 この挿話 (そうわ) 、別に意味はない。
 道三の首はそれほど重かった。武者一人をころばすほどに重かったという、のちの風聞がでるタネになった」

 これが斎藤道三の最期である。
 稀代の風雲児の最期を語るとき、司馬さんのなんとつれないことか。
 感傷や詠嘆を廃した、なんとそっけない終わり方か。
  
 しかし、ある意味で、なんと道三らしい終わり方か。

 一介の油売りとして、いわば 「無」 から身を起こし、美濃という大国を手に入れ、さらに天下を狙うという華麗な夢を見た男が、最後はまた 「無」 に還っていく。
 そういう無常観がジワっとこみ上げてくるような、終わり方である。

 『国盗り物語』 の3巻は、このあと信長を主人公とした話に引き継がれていく。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 17:57 | コメント(0) | トラックバック(0)

天地人と歴女誕生

 「歴女 (れきじょ) 」 という言葉を、またマスコミが流行らせようとしている。
 歴史に興味を持った女性という意味らしい。

 今まで、本屋の歴史関連書籍のコーナーを訪れるのは圧倒的に男性であったが、この半年から女性客が増え始め、今は男性客と女性客の比率が半々ぐらいになったという報告もある。
 また、日本各地の旧跡・史跡を訪れる女性客も増加の一途をたどっているとも。
 『戦国無双』 や 『戦国BASARS』 といったゲームの影響のほか、NHKの大河ドラマ 『天地人』 などの影響も見られるとか。

 ホントかな…。
 と、にわかに信用できないたちなので、それらのレポートを一応疑ってはみるものの、先週の日曜日久しぶりに 『天地人』 を観ていたら、…さもありなん…という気もした。

 出てくる若い俳優が、みな女性の好感度を得やすいイケメンぞろいなのだ。

 安全で、人の良さそうな雰囲気を丸出しにする主役の直江兼続を演じる妻夫木聡君を筆頭に、バサラな雰囲気もある石田三成を演じる小栗旬、 『ルーキーズ』 で人気の出た城田優が精悍な真田幸村を演じるなど、なるほど、 「歴女」 と称する女性たちが名乗りを挙げそうな、華やかなキャスティングに徹している。

直江兼続(妻夫木)

 しかも、彼らの演技が、かつてのアイドル系俳優たちの演技と違って、妙に板に付いている。ドラマとして見ていて面白いのだ。
 シナリオがまた憎い。
 彼らはみな男臭さを全面に出すのではなく、女性に対して優しい紳士だ。
 「ひとりの女の命も救えずに、なにが武士 (もののふ) だ!」
 などと叫んだりする。

 「女性の人権」 などという思想が全くなかったあの戦国時代に、そんなことを叫ぶ武士がいるもんか…などと突っ込みも入れたくなるが、まぁ、話の流れの中では、そんなセリフも自然に聞こえてしまう。
 時代劇も女性指導型のストーリーが重んじられる時代になったのだなと痛感した。

 しかし、彼らイケメン若手俳優たちの演技が光る背景には、彼らを引き立てるベテラン男優たちの存在があることを忘れてはならない。

 豊臣秀吉を演じる笹野高史、徳川家康を演じる松方弘樹、千利休を演じる神山繁。
 これらの渋みのある役者たちの名演技があってこそ、あのドラマに趣 (おもむき) が出ていることは間違いない。

 自分の好みからいうと、徳川家康の嫌らしさと不気味さを見事に演じきる松方弘樹が一番。
 大河ドラマの歴代家康役で、たぶん最も成功した家康ではないのか。
 彼が登場するだけで、画面全体がビシっと締まるのだ。

 笹野高史の、欲深さと狡猾さと度量の大きさを感じさせる秀吉役もすごい。
 「嫌なヤツ」 と思わせた直後に、思わずホロリとさせたりする緩急自在さがこの役者の真骨頂。
 日本には、まだまだうまい俳優がいっぱいいるな…と感じさせた。

 食えない男…の凄さを演じるという意味で、千利休を演じる神山繁も素敵。
 千利休という人は、高潔な芸術家という側面と、野心に満ちた功利的な政治家の両面を持つ人物だが、その二面性が見事に伝わってきて、 「ああもうピッタリ!」 とうなるほどの名演技。

 『天地人』 、けっこう堪能できた。
 松方弘樹、笹野高史、神山繁などといった (自分好みの) 贅沢な役者が一堂に会するドラマというのも、最近他の局ではみることができない。

 史実を度外視したいい加減なシナリオで、時には腹が立つこともあるけれど、ドラマとしてはけっこういい線いっているのではないか。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 21:48 | コメント(0) | トラックバック(0)

マイケルの死

 ニュースで 「マイケル・ジャクソン急死」 の第一報を受けても、自分には特別の喪失感というものが湧かなかった。
 音楽に関心のある者にとっては大変な事件だろうけど、ファンには申し訳ないくらい冷静でいられる。

 もちろんそれなりの感慨はある。
 しかし、かつてジョン・レノンが暗殺されたり、コルトレーンが死亡したり、あるいはジェームズ・ブラウンが亡くなったときに感じたような 「ひとつの時代が終わった」 という詠嘆は訪れなかった。

マイケル画像01

 マイケルの全盛期といわれる80年代初頭。
 あれだけのポップシーンを盛り上げたスーパースターであったにもかかわらず、自分はマイケルに対しては冷淡であったのか、レコードやCDをついぞ1枚も買ったことがなかった。
 もちろん 『スリラー』 や 『ビートイット』 という大ヒット曲は、当時FM放送から流れてきたものをテープに落として、何度も聞いている。
 でもレコードまで買い揃えたいと思わなかった。
 なぜだろう。

 70年代ソウルミュージックの愛好家という立場なら、アフリカ系アメリカ人のポップシンガーであるマイケル・ジャクソンは絶対支持しなければならないアーチストであったはずである。
 しかし、その気にならなかったのは、彼の音楽を聞いていて、彼にはソウルミュージックやR&Bへのリスペクトが薄いと感じたせいかもしれない。

 当時、ソウルミュージックやR&Bにリスペクトを抱いていたのは、マイケルよりもスタイル・カウンシルやシャーデー、ホール&オーツ、ポール・ヤング、シンプリー・レッドなどの非黒人系ミュージシャンたちの方だった。
 そのためか、 「買うのだったら彼らのアルバムを…」 ということになり、自分の購買リストからマイケルは自然とこぼれ落ちていった。


 マイケル・ジャクソンも、最初から今のスタイルを築き上げていたわけではない。
 モータウンレコードからデビューしたジャクソン・ファイブの時代は、彼はベタなR&Bを歌っていた。 (デビュー曲の 『帰って欲しいの』 は今でも名曲だと思っている)

 しかし、その後ソロになってからのマイケル・ジャクソンの音楽は、R&Bを脱して、どんどん普遍的なロック・ポップス化への道をひた走った。

 だからこそ逆に、彼は広範な音楽ファンの心を捉えることができたのだろうし、それがゆえに、ポップミュージック界の大スターになれたのだと思う。
 彼が自分のルーツである黒人音楽にこだわっていたら、たぶん今日のような名声も人気も確立されていなかったに違いない。

マイケル画像01

 彼がR&Bから普遍的なポップス路線へと進んでいった過程は、まさに彼の鼻が高くなり、肌が白くなっていく過程と一致する。

 詳しくは知らないのだが、彼が成形手術で鼻をどんどん高くしていったのは、 「父親の顔に似ていくのが嫌だったからだ」 とか。

 彼が兄弟で構成されたR&Bグループ 「ジャクソン・ファイブ」 のリードボーカリストとしてデビューしたのは、父親の仕掛けだったといわれる。
 父親は、彼にスターとしての地位と人気を与えたが、代わりに経済的な収奪や自由の拘束、虐待などをほしいままにしていたとも伝えられている。

 そのへんの真相は芸能情報に譲るとして、少なくとも、彼が自分の父親に代表される伝統的な黒人社会を嫌悪していたことは確かなことだと思う。

 しかし、だからといって、彼が白人社会から歓迎されたわけではない。
 白人のファンは、 「ポップス界のキング」 という抽象的なスターを愛しただけで、 「歌のうまい黒人少年」 を愛したわけではなかった。
 幼い頃から芸能界の裏表を見てきたマイケルには、そのへんの事情もよく分かっていたのだろう。

 芸能界の 「トップスター」 であるという宙に浮くような危うい場所だけが自分を支える唯一の力であると知った彼は、私生活においても、ことさら芝居じみた方法で自分のスター性を訴えるパフォーマンスを繰り返していくしかなかった。

 その繰り返しに疲れた自分を癒してくれる場所というものが、彼にはあったのだろうか。

 「ピーターパン・シンドローム」 などという言葉で伝えられる 「無垢な少年性へのこだわり」 というのが、それに当たるかもしれない。

 とにかく、彼は物心がついた時には、もう 「スター」 だったのだ。それ以外の生き方を知らないのだ。
 「スター」 の苛酷さに嫌気がさしたとき、そこから脱却できる人生のイメージとして、自分の記憶にすら残っていないような幼児期を思い描かなければならないというのは、人間としてなかなか辛いものがあるように思う。

 度重なる整形も、過度に摂取されたドラッグも、彼の内面に抱え込まれた辛さを想像してやらないと理解できないかもしれない。

 いま思えば、彼が安らぎの場として確保した自分の宮殿の名が 「ネバーランド」 (どこにもない場所) であるというのは、何か暗示的な気がする。

 マイケル・ジャクソンの評価は、彼の音楽を 「音」 として聞くか、 「映像」 として見るかの違いにもよるかもしれない。

 私たちの世代にとって、洋楽とは、まずラジオから流れてくるものだった。
 その音が気に入れば、レコード屋に買いにいく。
 ミュージシャンの顔かたちや衣装などを知るのは、音楽雑誌を通じてであった。

 しかし80年代に入ると、洋楽の急激なプロモーションビデオ化が始まった。
 音楽情報は 「音」 よりも 「映像」 から入るものへと変質した。

 マイケル・ジャクソンはその時代のスターである。
 だから、現在彼のファンを自認する人たちは、その音楽と同時に、あのムーンウォークに代表される肉体表現の芸術性に痺れた人たちではないかと思う。

 実際に、映像として眺めるマイケル・ジャクソンのダンスには、確かに 「人の子」 を超越した、ミューズの神の化身とも思えるような躍動美が備わっている。
 彼の音楽は、あのダンスと一体となってはじめて人を圧倒する力を得るようになっているのかもしれない。

 そう思うと、自分にはまだマイケルに対する理解力が不足だったのかなとも感じる。

 とにかく冥福を祈りたい。
 合掌


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 16:31 | コメント(0) | トラックバック(0)

夏の広がり

 「夏」 というのは、季節のことを指すのではなく、 「広がり」 を暗示するときの別名ではないかと思うことがある。
 「春」 とか 「秋」 という言葉に、広がりは感じられない。
 さらに 「冬」 という言葉には、背を丸めて首を縮めるという印象が絡んできて、より一層 「広がり」 とは結びつかない。

 しかし、「夏」 という言葉には、海や山で遊ぶというイメージが刷り込まれているせいもあって、言葉の背後にとんでもなく広大な世界が広がっているという印象があるのだ。

 「夏の午後」 といえば、暑さと同時に、生き物の気配すら途絶えたような静寂が広がっていく雰囲気があるし、 「夏の夜」 といえば、トロリとした闇の深さが足元を浸すような気分になる。

夜のやしの木

 「夏」 は、目に見えている世界の彼方に、もう一つの別の世界が口を開けていることを暗示する特別な季節である。

 自分がそんな思いを抱くようになったのは、一つの演劇がきっかけとなっている。
 文字どおり、 『夏』 というタイトルの劇だった。

 1960年代の末頃。
 たぶん、まだ高校生ではなかったかと思う。
 誰かと一緒に見に行ったと思うが、それが誰だったのか思い出せない。
 どうして、そういう劇を見に行くことになったのか。
 それも定かではない。

 つまり、劇にまつわる周辺の記憶はすっぽりと抜け落ちているのに、「夏」 を感じたという印象だけは、強烈なものとなって残っているということだ。

 場所は東京・新宿。
 劇場名は 『蠍座 (さそりざ) 』 。
 商業的な成功をめざす劇場では採り上げてもらえないような、前衛的な演劇、実験的な映画を専門的に扱う小劇場だった。

 小劇場公演というのははじめてだったので、客席に座ったときは、そのあまりにもシンプルな舞台設定に目が飛び出るほど驚いた。

 それまで、「劇」 というのは、舞台上の役者を遠く離れた客席で眺めるものだという思い込みがあった。
 しかし、蠍座の舞台は、そういう演劇の常識を180度ひっくり返すものだった。

 まずステージがないのである。
 もちろん、幕などもない。
 出番を待つ役者が隠れるような場所もない。

 一応、ステージらしきスペースはあった。
 しかしそれは、客席最前列の前にかろうじて空けられた “通路” のようなもので、もし劇が始まれば、最前列の客は、セリフと同時に吐かれる役者の吐息すら顔に浴びることになるだろうと思われるような “舞台” だった。

 演じられたのは、ロマン・ヴェンガルテンという人が書いた 『夏』 。
 演出家は、当時日本でも活躍していたフランスの演出家ニコラ・バタイユ。
 主役は加賀まりこだった。
 その加賀まりこが客席の前に設けられた狭い空間で、ほとんど一人でセリフをしゃべっていた。

加賀まりこ01
▲ 「小悪魔」 と呼ばれて人気を博した若き日の加賀まりこ

 ところが、これが凄いのだ。
 冬の公演だったというのに、舞台の奥から濃密な 「夏」 の匂いがどんどん溢れ出し、それが止まらないのだ。

 舞台装置なんて単純なのである。
 照明器具を備え付けるための足場のようなパイプに、人工の葉っぱをたくさん絡み付けたものが置かれているだけなのだ。

 それが “夏の森” を表現しているわけだが、そのチープでシンプルな舞台装置から、熱帯のアマゾンに広がっているような 「夏」 が押し寄せてくる。
 役者の足元を照らす、直径1mほどのスポットライトですら、物憂い午後を暗示する夏の木漏れ日のように見えてくる。

 観ているうちに、濃密な夏がねっとりと肌に絡みつき、鼻孔から脳内に侵入し、身体中の細胞を夏の漿液 (しょうえき) に満たしていった。
 演劇というものの 「魔法」 をはじめて知った。

 舞台装置がシンプルならばシンプルなほど、逆に、役者の演技やセリフが 「魔術化」 する。
 加賀まりこさんは、客全員に 「ほら夏よぉ~!」 という催眠術をかけていた。

 それ以来、自分には、現実の 「夏」 と同時にイリュージョン (幻影) の 「夏」 が存在するようになった。

 イリュージョンの夏は、いつまで経っても常夏である。
 イリュージョンの夏では、時計が午後を指したまま止まっている。
 イリュージョンの夏の朝には、夜よりもさらに深い闇が訪れる。

 夏は文学が生まれる季節であり、詩が育つ季節だと思う。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 18:55 | コメント(0) | トラックバック(0)

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 タバコの自動販売機を見つけ、セブンスターのスーパーライトを買おうと思って、足を止める。
 自動販売機の前では、先客が一人。

 間もなく定年退職…といった風情の地味なスーツを来た初老のサラリーマンが定期入れの中身を覗きながら、何やらぶつぶつ。

 自動販売機からは自動音声で、 「タスポを表示してください」 というアナウンスが流されている。

タスポ
 
 未成年へのタバコの販売を抑制するために、新しく導入されたタスポ制度。
 これが 「面倒くさい」 と悪評で、自販機からのタバコ販売は激減しているという。
 初老のサラリーマンは、どうやら定期入れの中からそのタスポを探しているらしいのだ。

 「タスポを表示してください」
 と機械はいい続ける。

 いらつくオジサンとは対照的に、機械の方はますます沈着冷静に、抑揚を抑え、声を低めて、
 「タスポを表示してください」 
 
 オジサン、
 突然、大きな声で、
 「うるせぇ!」

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 家路に向かう通勤客の姿が目立つ夕刻6時。
 取材をひとつ終えて、やきとりが食いたくなり、取材先の家があった駅の周辺をうろうろ。
 駅裏の住宅街を少し入ったところに、おあつらえ向きの安そうな店が一軒。

 近所のご隠居と思える先客が一人。
 そのご隠居をカウンターに座らせて、旦那がギャンブルにうつつを抜かしている間、けなげに店を切り盛りしているという風情の、ちょっと疲れた感じのママさんが話し相手を務めている。

 食器棚の上に飾られたテレビでは、お笑いコンビがファミレスの全メニュー90品目を完食するという番組をやっていた。
 満腹になって、不快感丸出しの表情になっても、さらに出された料理を腹に詰め込んでいくお笑いコンビ。
 「もう食えねぇ。何で俺がこれ食わなきゃいけねぇのよ」
 「あと2食だ。頑張ろう」
 励まし合う2人。

 やきとりを焼きながら、そのテレビを見ていたママさん。
 「アホらし」
 と一言。

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 信号のない住宅街の交差点。
 深夜になって雨がやみ、かわりに風が吹いた。
 開いたままのビニール傘が、その交差点をぐるぐると踊っている。

 通り過ぎる通行人は、ほとんどその傘に無頓着。

 ただ、それを見ていた一匹のノラ猫だけが、毛を逆立てて、
 「お前、怪しい!」
 とばかりに、フゥーっとにらみつけた。

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ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 11:57 | コメント(8) | トラックバック(0)

独女の時代?

 世に 「婚活 (こんかつ) 」 という言葉が定着した時代というのは、どんな時代かというと、 「婚活」 を目指さない人々が、マーケットのキーを握る時代になったということである。

 一つのムーブメントが起きると、その流れに乗る人、乗らない人双方の意識にさざ波が立つ。
 人間の消費行動というのは、ブームが起こればそのブームに乗ろうとする人々だけで促進されるわけではない。
 ブームが起きることによって、それと異なるライフスタイルを目指す人たちも生まれるわけで、そこにまた別のマーケットが生まれる可能性がある。

 こういうことにマスコミは目敏くて、 『AERA』 の6月29日号では、   「 “独女マイ消費” 不況知らず」 というタイトルを掲げて、シングルライフを楽しむ女性たちの消費行動を特集していた。

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 世の中 「婚活」 ブームで、シングル女性の結婚願望がどんどん高まっているように思えるが、その一方で、なんらかの事情で結婚できなかったり、あるいは離婚したり、さらに人生に結婚以外の価値を見出そうという女性たちも輩出している。

 『AERA』 を見ると、そういう “独女” (シングルウーマン) たちは、同年代の既婚女性の2.7倍も、外食や洋服の購入にお金をかけているという。
 2008年に総務省がまとめた 「勤労者の単身女性」 の収支バランスでは、手取り収入の半分が 「食費」 「居住費」 「その他」 に当てられていたとも。

 注目するのは 「その他」 。
 ここに 「理美容」 「交際費」 など、生活を楽しむ、趣味を持つ、ゆとりを得るという人生をエンジョイするためのあらゆる消費が集中しているという。

 不況、給料カット、リストラなどと雇用をめぐる社会情勢が一向に明るさを取り戻せない状況のなかで、 “独女” たちの消費行動は、日本経済をけん引していくほどの活力に満ちている。
 …というような観測が、『AERA』 の特集で試みられていたように思う。

 とにかく、上野千鶴子さんの 『おひとりさまの老後』 という本が社会現象化したせいもあるのか、シングル女性の生き方にやたらとスポットライトを当てる企画が多くなった。

 私は以前から、シングル女性のキャンピングカーライフというものもありかな…と思っていた。
 もちろん現状では、キャンピングカー市場は圧倒的にファミリーかシニア夫婦で占められている。
 そのため、キャンピングカーメディアで展開される各業者さんの広告展開も、基本的にシニア夫婦とファミリーを中心に構成されるものが多く、シングルという視点を打ち出すときは、「男がきままにくつろげる書斎」 的な扱いにとどまるものだった。

 このような家族中心キャンペーンというのは、確かに 「キャンピングカーは家族の絆を強めるもの」 という発想に基づくものなので当然といえば当然なのだが、時にはメインストリームとは少し離れたところで起こっている動きに注目することも、新しい販売戦略を思いつく上で大事なことだと思う。

 『AERA』 の特集では、週末は一人で海に行ってウインドサーフィンを堪能する女性や、一人でスキーを楽しむ女性たちの颯爽としたシングルライフが紹介されていた。
 しかし、それは記事だけにとどまるものだった。

 このようなシングル女性の “一人遊び” をビジュアル的にカッコよく捉えるという視点がまだ日本のデザインにはない。
 また、そこにカッコよさを感じる消費者も育っていない。

 ハバナのバーで、独りで海を眺めながらフローズンダイキリを飲むヘミングウェイのカッコよさを理解するデザイナーたちはいても、同じ状況で女性をカッコよく見せる手法をまだ知らない。

 つまり、「温かい家族愛」 的な発想からは生まれてこないシャープさが、日本の広告界…特にキャンピングカー業界の広告には欠けていると思うのだ。

 既婚女性の2.7倍も、洋服の購入や理美容にお金をかけているといわれる彼女たちは、商品や広告展開を見る視点もシビアだ。イメージだけのカッコ良さなどには騙されないが、イメージ喚起力の乏しい宣伝の商品も信じない。

 独身女性の目にとまるような広告展開が行われるようになったときが、この業界の広告デザインのレベルが上がったときだと思う。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 12:03 | コメント(4) | トラックバック(0)

BL漫画にハマる

 BL…ボーイズ・ラブが、とかく話題として採り上げられる。
 最近のニュースでは、 「亡くなられた栗本薫さんはボーイズラブの教祖だった」 などと紹介されたりしたのがいい例だろう。

 ボーイズ・ラブとは、一般的に 「男性の同性愛を描く女性向けの小説や漫画」 のことを指す。
 古典としては、竹宮恵子氏の漫画 『風と木の詩 (うた) 』 が有名。
 さらに古い時代になると、小説では森茉莉の 『戀人たちの森』 、 『枯葉の寝床』 などがある。

 なぜ、男性の同性愛を描いた小説や漫画が、一部の熱狂的な女性ファンを持つようになったのか。
 それに対する分析は、いろんなところで、いろんな人から成されているけれど、まずその前に、
 「BL (ボーイズ・ラブ) は女性だけのものか?」
 という問を発してみたい。
 というのは、この私が “あるBL” にとことんハマった時期があったからだ。

 男がハマれば、 「ストレートなホモってことじゃない?」 と言われそうだが、いやいや、ホモとかゲイとかいう嗜好を離れ、BLって、本当に切ないのだ。

 男女の恋愛は、やがて結婚というステップを踏み、子供も生まれ、生産社会に貢献するという “祝福” に至るシナリオが用意されている。
 しかし、結婚、出産に永遠に至ることがないBLは、純度 「100%の恋愛」 に終始するしかない。
 つまり、社会から “祝福される” という落としどころを完全に喪失した愛の形であり、それゆえピュアで美しい。

 ただし、そのピュアな美しさは、常に相手を食らい尽くすような魔性と背中合わせになっている。
 「お前が不幸になるのなら、俺も一緒に不幸になる」
 という一体感とともに、
 「お前が、俺と別れて幸福になることは許さない」
 というハードな愛の規律も貫かれているのだ。

 このようなBLの美しさと恐ろしさを、日本の古代史の中で描ききったのが、山岸凉子の 『日出処の天子』 (ひいづるところのてんし) であった。

日出処の天子表紙01

 わぁ、世の中にはこんなに美しい漫画があったのか!
 目からウロコだった。
 それまでレディスコミックの類は手に取ったこともなかったので、10年に1度とか20年に1度ぐらいの衝撃を受けてしまった。
 そして、この作品を知った年は、ほぼ1年間スルーで、これにハマりっぱなしだった。

 きっかけは、確かカミさんが、レンタルコミック屋さんから借りてきた1冊だったかと思う。
 「ふ~む…なにこれ? 聖徳太子の話?」
 って感じで、パラパラと2~3ページ繰っているうちに、やめられなくなった。

 美しいのである。
 そこに出てくる厩戸王子 (うまやどのおうじ) の姿が。
 まずそのビジュアルに、ピュアに萌えた。

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 単に “美少年” というのではないのだ。
 なにしろ、ここで描かれる聖徳太子は、英明な聖人君子という世間一般の通念をあざ笑うかのような、 「ホモで邪悪な超能力者」 という設定なのだから、人に見せないときの素顔に魔性が宿る。

 その表情が凄い。
 美少女と見まがうばかりの美少年が、一転して夜叉、羅刹 (やしゃ、らせつ) の表情となる。
 しかし、それがまた美しい。
 山岸凉子の筆力には、ほとほと感服するしかなかった。

 ところで、この厩戸王子の恋の相手は誰なのか?
 古代史では、天皇家転覆を謀ったとして悪人扱いされる蘇我氏3代のうちの2代目、蘇我毛人 (そがのえみし) である。
 もちろんこの漫画が扱っている時代においては、蘇我氏は天皇家の対立者ではなく、まだ天皇家をサポートする大臣一族でしかない。

 その蘇我氏の2代目である毛人は、後に天皇家を超えようとした不遜者という扱いを受けてしまうけれど、漫画では誠実・温厚な性格で、誰に対しても優しい常識人として描かれている。
 ま、それだけが取り柄の “凡人” なのだが、そういう凡人を、魔界の帝王である厩戸王子が恋してしまうという不釣り合いさがミソなのだ。

 その気になれば、人を呪い殺すなど朝飯前という魔力を持つ厩戸王子が、毛人の気持ちだけは独占できないと、自分の無力感にうちひしがれて、さめざめと泣いたりする。

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 悲しみをたっぷり吸い込んだ細い肩。
 うちひしがれた細いうなじ。
 そういうシーンから、ホモッ気やサドッ気のない男性の下半身をも疼かせるような、濃密なエロスが漂ってくる。

 といっても、そこに性的な描写が描かれているわけではない。
 直接的に性を暗示するような画像は一切登場しない。
 にもかかわらず、ここに登場する厩戸王子は、ものすごいエロい。
 たぶん今の言葉でいう 「萌え」 に近いものを感じていたのだと思う。

 で、このハードカバーにして全5巻に及ぶ恋のドラマは、厩戸王子が毛人を諦めることによって、静かに、ひっそりと幕を閉じる。

 最後の大使いのカットが雄大だ。
 見開きいっぱいを使って、随 (中国) への使者を乗せて玄界灘を渡る大型船が描かれている。

 その使者が、中国の皇帝に届けるものとして携えているのが、
 「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を送る。つつがなきや…」
 という、先進国の中国に日本の気概を伝え、アジア史の舞台に日本が登場したことを記す、あの有名な手紙なのだ。

 この勇壮なラストシーンの隅の方に、その文をしたためている成人した厩戸王子のカットが小さく添えられている。

 その姿に、もうバイセクシャルな妖しさは認められない。
 表情にも、秋の風のような静けさが漂っている。

 歴史上の聖徳太子は、この時、華々しい自分の時代が始まるスタート台に立ったことになる。
 しかし、漫画の中の厩戸王子は、毛人への愛を諦めて精神の砂漠を生きる道を選ぶ。

 聖徳太子の輝かしい業績とは、実は彼のニヒリズムからもたらされたものだという味わい深い省察が、山岸凉子の漫画にはある。

 すごい作品と出会ったものだ…と思い、貸し本で読むのがもったいなくなり、さっそく本屋に買いに行った。
 それも、保存用のハードカバーの全集。
 そして、日頃読み歩くためのソフトカバーの全集。
 その2種類を買い揃えた。

 関西方面に出張で出たときは、日程をやりくりして、日帰りで奈良まで飛び、法隆寺などを見に行ったし、アパートの押入のふすまが破れたときは、ふすまを貼り替える代わりに、厩戸王子の漫画を模写して、そこに貼った。

 この時期、聖徳太子にまつわる歴史書なども読み漁ったけれど、脳裏に浮かんでくる画像は、いつも山岸凉子の厩戸王子であった。
 聖徳太子の業績や歴史的役割などをアカデミックに解説するいろいろな研究書を読んでも、一つとして 「ホモで邪悪な超能力者である厩戸王子」 に勝る魅力を感じたものはなかった。

 漫画が史実を歪曲してしまう。
 そんなことが起こるとしたら、それはこのようなとんでもない傑作コミックが登場したときのことだろうと思った。

 しかし、近年はむしろ 「聖徳太子」 の実在を疑う考え方が、学会の主流であるという。
 あの有名な旧1万円札の肖像画も、現在は聖徳太子を特定したものではないというのが一般的な見方で、教科書からも 「聖徳太子」 という名前が削除されたときく。

 日本文化の原型を整えた不滅の偉人として、お札にまで刷り込まれて親しまれた聖徳太子が、いま急速に謎めいた霧に包まれようとしている。

 その霧の奥では、山岸凉子の厩戸王子が、嫣然 (えんぜん) と妖しげな微笑みを浮かべていそうに思える。



音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 11:08 | コメント(2) | トラックバック(0)

小説を書く難しさ

 小説というのは、書くのが難しい。
 エンターティメントとして楽しむ書籍には、 「小説」 のほかに 「エッセイ」 とか 「コラム集」 、「評論集」 などといったものもあるが、 「小説」 だけが特権的な顔をして “のさばって” いられるのは、やはり書くのが難しいからだと思う。

 これは、技術的なことを言っているのではなく、作家にとって、書いたものの自己評価が難しいという意味である。

 エッセイや評論というのは、書いた人間の自己評価と世間の評価の開きが少ない。
 まがりなりにもエッセイとか評論は、どんなに私的な世界を書こうとも、一応 「社会分析」 や 「自己分析」 という客観的視点が必要となるため、書き手が荒唐無稽な妄想だけで突っ走るわけにはいかない。
 そのため、作家と読者の間に “共通理解事項” が成立しやすく、作品の出来不出来に関しても、作家と読者の評価がそんなに大きく開くことがない。

 しかし、小説というのは、書いた人間の自己評価と世間の評価の間に、ものすごく開きが出てしまうジャンルだ。
 なにしろ、小説というのは、神がかり的な心理状態の中で書かざるを得ない場合があって、神がかりになっているときは、どんな人間にも 「自分は天才だぁ!」 と思える瞬間が訪れるからだ。

 そういう発狂に近い瞬間がなければ、読者を引きづり込むような魔力も生まれないところに小説の 「やっかいさ」 があり、そこが、他の読み物とは大きく異なるところだ。

小説家に訪れる狂気

 作者を襲うデーモニッシュな瞬間は、天才的な作家にも、凡人にも等しく訪れる。
 凡人でも、ノッて書いている時は古今東西の天才作家と肩を並べた心境になれるというところに、作家志望の人が後を絶たない理由があるかもしれない。

 それゆえ、小説というのは、自己評価と世間の評価の間におそろしい開きが生じる。
 で、たいていの場合、書いた人間の自己評価の方が、世間の評価よりはるかに高い。
 この落差が少ない人たちだけが、かろうじて職業作家として食べていけるような仕組みになっている。

 …てな、ことを書く以上、 「お前はどうなんだ?」 って言われそうなので、正直に書くけれど、もうかなり昔、実は小説を書いて雑誌の新人賞に応募したことがある。

 書いているとき、
 すごいぞ、俺って!
 よくこんなストーリーを思いついたな。しかも、うまく展開しているじゃないか。ひょっとして、俺って天才?
 …なんて有頂天だった。

 で、「俺がこれで新人賞でも取ったら、世間の見方が変わるかしら? 俺の本がそのうち本屋に並ぶようになって、見知らぬ人からサインなどねだられるようになるのかしら?」

 書いているうちから、そういう妄想が頭の中を回り出す。

 当然のことながら、そのような名誉欲とか現世的な人気などといった浅ましいことを意識しているかぎり、作品そのものに人を惹きつける力など宿るわけもなく、結果は900人くらいの応募者のうち、その上位100人内に入るのが精いっぱいだった。(確か70何番目かなんかで、一応 「2次予選通過者」 という枠内に入っていたと思う)

 全応募者の1割の中に食い込んだのだからいいじゃないか。
 …と思う反面、自分の妄想においては新人賞獲得が “当然” だったので、結果を見て落ち込んだ。
 やっぱ俺にはこっちの方の才能はないらしい。
 …と見切りをつけ、それ以降、小説からはあっさりと撤退した。

 そのとき、自分の10番ぐらい先に、後に直木賞作家として知られる高名な作家のペンネームがあったことを思い出す。
 今でこそ、日本の誇る直木賞作家の一人だが、その人にも、このような新人賞募集に小説を投稿していたという修業時代があったかと思うと、感慨深い。

 自分の場合、それから小説を書こうという気持ちはなくなった。
 やっぱり、あれは 「神に才能をめでられた」 人たちの作品を読んで楽しむもので、自分で書くものではない。
 ただ、自分で少しだけ書いてみた結果、世間一般の小説に対して 「面白いか面白くないか」 を判別する自分なりの基準ができた…という気はする。 


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 21:33 | コメント(4) | トラックバック(0)

女が強いワケ

 オフィス街の昼下がり。
 歯医者に行ったついでに、お好み焼き屋でランチの 「麦とろ定食」 を食べていたときだ。

 隣のテーブルでは、昼間から鉄板でヤキソバを焼く主婦4人が盛り上がっていた。
 「うちの旦那が来年65だからさ。いよいよ年金が入ってくるのよ」
 「ああ、うちももう直ね」
 …というような会話を交わしているところをみると、奥様方の年齢もいちおう60代をクリアしているのだろう。

 何の集まりなのか分からないけれど、とにかく、皆やたら元気だ。
 よく飲み (…といってもウーロン茶だけど) 、よく食べ、よくしゃべる。 

 盗み聞きしようと思ったわけではないが、彼女たちのおおらかなしゃべりが、自然に耳に入ってくるので、ついつい聞いてしまった。

 「年金が入るようになるとさ、男ってとたんにシビアになるから、今のうちから自由になるお金をしっかり確保しておかないとダメよ」
 「へそくりね」
 「それって常識じゃない」
 「大丈夫よ。うちは昔から生涯小遣いは4万円。それ以上はどんなことがあっても融通できませんからって、しっかり言い聞かせてあるから」

 う~む。
 奥様が家計をしっかり管理しているという昨今の家庭事情が、ここでも貫かれている感じだ。

 旦那さんの小遣いが 「4万円」 というところがリアルだ。
 各種の調査によっても、だいたい今時のサラリーマン家庭の旦那の小遣いは4万円から4万2~3千円の間らしい (うちはもっと安いけど…) 。

hai!

 どこかの週刊誌で、 「アラフィ男の哀しい小遣い」 とかいう特集をやっていたけど、アラフィ…つまりアラウンドフィフティ (45歳~54歳) くらいの男性が奥様から得られる小遣いは、 「ランチを500円以内で済ます」 ことを前提として計算されているらしく、そこで取材された男性の中には、 「週に2回は駅構内の立ち食いソバで済ませていますね。安くて量があるし…」 というような、リアリティ溢れるレポートも掲載されていた。

 その週刊誌の記事によると、今のアラフィ男の一番の “夢” というのは、
 「一人の部屋がほしい」
 「気兼ねなくタバコを吸いたい」
 とかいったものらしい。
 う~む。
 なんとも “夢” のない夢だ。


 「サイフのヒモを奥さんが握るようになった」 といわれて久しい。
 カネを握るということは、権力を握るということと同義だから、今の 「家庭」 の実質的な支配者は 「奥様」 ということになる。
 いったいいつ頃から、どうして、そうなったのだろうか。

 「それは日本が豊かになったからだ」
 という人がいる。
 「戦後、とにかく今日食べていくのが精いっぱい」
 という時代、夫婦のどちらがサイフのヒモを握るかなどという問題は、どうでもよかった。
 お金が入れば、それは家庭を維持する資金として夫婦・親子に平等に分配された。

 ところが、1964年の東京オリンピックあたりを境に、日本がだんだん豊かになっていく。
 日本の豊かさは、洗濯機や掃除機といった家電の発達とシンクロしたから、専業主婦が携わる家事が少しずつ楽になるとともに、主婦に、家計を維持するためのノウハウを考案する時間が生まれる。

 80年代になると、政府が内需拡大の音頭を取るようになる。
 新製品や贅沢品を買うことが、国を繁栄させることにつながるという風潮が生まれ、消費することが美徳であるというモラルが誕生するようになる。

 こういう個人消費を促進する時代風潮のなかで、主婦たちは、 「何をどのように買えば、賢い買い物になるのか」 という “消費のプロフェッショナル” になるスキルを身につけていく。

 そのような動きに、旦那さんたちは完全に乗り遅れた。
 旦那たちは、会社の利潤追求やコスト削減には骨身を削って知恵を絞るワザを覚えさせられたが、家庭に戻ってまで経営のプロになろうとは思わなかった。
 その頃になると、すでにどの家庭でも 「経営のプロ」 である主婦層が育っていたからである。

 男にとっても、家の煩わしいマネッジメントを奥さんが肩代わりしてくれることは楽だった。その方が毎晩気楽に飲み歩けるし、休日はゴルフに通えた。
 それでいて、男たちは小遣いに不自由することはなかった。

 なぜかというと、バブルまでの日本では会社の社交費がさんざん使えたからだ。不思議なことに、日本のサラリーマンのお父さんたちは、自分の小遣いで遊んだり、飲み食いする必要がない時代を持っていたのだ。
 (余談だけど、今までの日本の男たちの趣味がみな画一的なのは、接待費で遊べる分野でしか遊ばなかったからだ)


 で、お父さんたちが、経営権も含め家庭のリーダーシップを奥様から取り戻そうと思っても、それはもう無理だろう。
 個々の家庭では、それが可能になる家もあるだろうけれど、それは例外的な家庭になるのではなかろうか。

 なんといったって、奥様方の方には “ネットワーク” という強力な武器がある。
 長年に渡って築いてきた地域コミュニティ、子供の同窓コミュニティ、趣味の会といった生きた情報交換が活発に交わされるネットワークがある。

 「うちの旦那がこんな文句を言ってきた」
 と一人の奥様が、そのネットワーク内で相談を持ちかければ、
 「あ、そういうときはこういう対応がいい」
 と、即座にあちこちからノウハウが伝授される。
 ノウハウの伝授に留まらず、共感や支援のエールがふんだんに贈られる。

 現に、お好み焼き屋でヤキソバを食べていた主婦たちの会話は、こんな風に進んでいった。
 「やっぱさぁ、食事を作ってあげたときにはさぁ、男なら “美味しい” の一言ぐらい言うのが義務よね」
 「そうそう。黙ったまま平然と口に運んでいる姿を見ると、腹が立つわよね」
 「でね、何か言ったら? と言ったらね、何も言わないことこそ “美味しい” と思っている証拠で、不味いと思ったらそう言うよ、だって」
 「サイテー!」

 そうなのである。
 この女性たちの 「共感の嵐」 こそ、彼女たちの活力を生んでいるのである。

 こういう主婦層のネットワークに対し、旦那の方は、会社のネットワークを失うと、もう何も残っていないというのが現状ではなかろろうか。 

 さぁ、旦那さんたち、どうすればいいのだろう。
 長年フェミニズムの論客としてならしてきた社会学者の上野千鶴子さんは、こういう。
 「奥様が旦那を大事にしてくれないといって、男性が寂しがるのは自業自得。女に気を使ってもらうのが当たり前と思っていた反動。
 寂しいと思うなら、女にサービスするしかない。少なくとも一緒に食事をして楽しいと思われる相手にならないと」

 ここに旦那族が生き延びていくヒントがありそうだ。
 「つまりチャーミングな旦那になれ」
 ということだ。
 
 経済的に自立した女性にとって、結婚相手は 「生活資金の供給者」 である必要がなくなった。
 つまり、 「カネならあるぞ、どぅだぁ!」 という武器が、男に使えなくなったわけだ。

 では、今時の主婦層は、旦那に何を求めるようになったのか。
 「エンターティメント性である」
 という人がいる。

 確かに、芸能界では、お笑い系の男性にやたら結婚話が多い。

 「いっしょにいると楽しそう、面白そう」
 こいつが、今の女性の結婚観の根幹を占めているとか。

 けど、それは男性にとっては、意外としんどい条件かもしんない。
 自分のキャラクターとはまったく合わない 「お笑い芸」 なんかを無理して身につけている男性って、ハタから見ていても痛いものな。




コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 14:44 | コメント(2) | トラックバック(0)

塩野七生の海賊話

 “腰痛” を理由 (いいわけ?) に、しばらくパソコンを覗く生活から遠ざかっていた代わりに、けっこう本は読んだ。
 その頃、夢中になって読んでいたのは塩野七生さんの 『ローマ亡き後の地中海世界』 だ。

ローマ亡き後下 ローマ亡き後上 

 自分は、歴史の中に出てくる 「海賊の話」 が大好きなので、テーマは願ったり適ったり。
 海賊というと、 『パイレーツ・オブ・カリビアン』 以降、17世紀のカリブ海賊が有名だけど (…今はソマリアの本物の海賊の方が有名だけど) 、7世紀頃から16世紀頃に地中海を暴れ回った海賊たちの話も本当に面白い。

 塩野七生さんも、きっとこういう海賊たちに魅せられているのだろう。
 彼らが、罪のない人たちに乱暴狼藉を働くことを道徳的に批判する視点をしっかり持ちながら、そのふてぶてしい大胆さや、組織づくりの巧妙さ、人を食ったような調子の良さを余すところなく生き生きと描き切っている。

 自分の “読書室” というのは、通勤のための電車内なのだけれど、
 「本を読むために電車に乗るのが楽しみ」
 という倒錯した心境になるほどなのだ。

 この時代の海賊というのは、主に北アフリカのアルジェ、チュニスあたりを根城にしたイスラム系海賊のことを指すのだが、彼らの襲撃からキリスト教側の住民を守るために構成されたロードス島騎士団なども、イスラム船となると、海賊船、商船のみさかいなく襲って金品を強奪していたというから、どっちもどっちである。

 どちらにも 「正しい神の教えを守る」 という一神教的な理想主義が背景にある。
 イスラム海賊たちには、自分たちが海賊行為を行うのはイスラム教の布教活動を促進するためだという大義名分があり、キリスト教側にも同じ布教のためという大義名分がある。
 
 「だからバカバカしい」
 と一神教的な偏狭さを断罪するのは簡単だが、海賊の頭目たちともなれば、そういう “大義名分” を題目として唱えながらも、それを巧妙に利用する打算や合理的な現実感覚を身につけており、そのしたたかさに、どうやら塩野さんは面白さを感じているようなのだ。

 どちらの勢力にもスターがいる。
 イスラム海賊側には、 「赤ヒゲ」 という異名を取るハイレディンをはじめ、その配下のドラグー、さらにウルグ・アリ。
 キリスト教側には、ジェノバ出身の傭兵隊長であるアンドレア・ドーリアやドードス島騎士団を率いたヴァレッテ。
 
 面白いのは、イスラム海賊として名を成した大海賊たちが、みな元はキリスト教徒のヨーロッパ人であったこと。
 ウルグ・アリなどは、幼い頃にイスラム海賊に拉致されてガレー船の漕ぎ手にされながらも、そこで頭角を表し、イスラム教に改宗してからは数隻の海賊船を率いる頭領にのし上がり、やがてはオスマン・トルコ海軍の提督まで登り詰める。

 当時のオスマン・トルコ帝国というのは、ヨーロッパ型の専制政治などは足元にも及ばないほどスルタンが絶対権力を振るう独裁政権でありながら、庶民でも能力のある者は門地や宗教の壁を超えて、様々な要職に就くことができた。
 貴族階級と庶民との間に立ちふさがる壁が絶対的だったヨーロッパ社会に比べ、トルコ側には世襲に基づく身分差別はなかった。

 塩野さんはマキャベリの書物からよく次のような言葉を引用する。
 「オスマン・トルコでは、スルタン以外の人間は、大臣から羊飼いに至るまですべてスルタンの “奴隷” である。
 しかし、すべてが奴隷であるということは、そこには身分差別がないということだ」

 つまり、当時のオスマン帝国の社会では、自分の才覚ひとつでいくらでも活躍の場をつくり出せる人間がいっぱいいたということになる。 
 ハイレディンもウルグ・アリも、キリスト教の土地に生まれて、そのまま暮らしていたら、今日名が残るような人間にはなっていなかっただろう。

 門地や家柄が 「人間」 を決めていた当時のヨーロッパ社会のくびきを離れ、海流や風の向きを読むことの巧みさだけを頼りに、自由に地中海を航海していた男たちの話は本当に面白い。
 具体的な描写などほとんどないのに、潮風と陽光にさらされて赤銅色に染まる彼らの精悍な顔つきまで、はっきりと脳裏に浮かんでくる。

 それと同時に、これまた一言も触れられていないけれど、ガレー船に閉じこめられた奴隷たちの糞尿にまみれた不衛生な生活環境まで見えてくる気がする。

ガレアス船
 
 塩野さんは、昔からクルーザーなどでよく地中海世界を回っていたというから、海の描写や、海側から描いた町の描写が実にうまい。
 普通のヨーロッパ旅行者が飛行機、バス、鉄道などを通じて陸路から観光地に入るのとは違い、彼女には海から町に入っていく視点がある。

 地中海世界で、沿岸に接した町というのは、飛行機や鉄道が敷設されるまでは、みな海側が 「玄関」 だったのだ。
 だから、海から町を眺めなければ、その本当の姿は見えない。
 
 ヨーロッパや北アフリカの観光においても、彼女の本を読んでいると新しい見方が生まれそうだ。

 好きな本と出会えるって、本当に幸せだと思う。



音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 17:37 | コメント(0) | トラックバック(0)

小説になって本物

 ある乗り物文化が、どれだけ人々の生活の中に定着化しているかどうかを測るバロメーターがひとつある。
 それは、その乗り物が 「小説」 の中に登場したかどうか? 
 …である。

 自動車はいうに及ばず、船、飛行機、鉄道などには、それぞれ傑作小説が残っている。
 自動車なら、たとえば五木寛之さんには自動車小説集があるし、古今東西のハードボイルド小説には、クルマそのもののうんちくに数ページを費やすなんていうのがザラにある。

 船を舞台にした小説ともなれば 『蟹工船』 などが最近は脚光を浴びたけれど、古典をあげれば 『白鯨』 、 『宝島』 などの名作が目白押し。
 
 航空機小説となると、古典として有名なサン・テクジュペリの 『夜間飛行』 をはじめとして、これも第二次世界大戦ものから、現代のジェット戦闘機をテーマにしたものまで数えればきりがない。

 鉄道が鍵を握る有名作となれば、アガサ・クリスティの 『オリエント急行殺人事件』 を筆頭に、これまた枚挙にいとまがない。

 では、キャンピングカーがテーマとなるような小説はあるのか?
 …となると、ないんだなぁ、これが…。
 (少なくとも、自分の得ている情報の範囲にはない)

 かろうじてジョン・スタインベックの 『チャーリーとの旅』 があるが、あれは小説というより、作者のアメリカ分析を試みるためのエッセイという趣 (おもむき) に近い。

 キャンピングカーが絡んだ小説というのがない理由は、自動車、鉄道、船舶などに比べると普及度が低く、それを扱ってもマーケット的な広がりを期待できない…というのが一つ。
 また、キャンピングカーの基礎知識を持っている作家が少ないというのもあるだろう。

 さらには、キャンピングカーは家族単位のレジャーに使う 「平和な乗り物」 というイメージが強いから、 “手に汗握るアクション小説” などの小道具として使いにくいという理由もありそうだ。

 TVや雑誌で採り上げられるキャンピングカー特集を見ていると、“家族や夫婦で和気あいあい” という切り口のものばかり。
 もちろん、そこにキャンピングカーの意義があるのだけれど、家族や夫婦で使う乗り物であるならば、対立や葛藤まで含めて、ホームドラマ以上に面白く扱える人間模様が生まれているはずなのだ。
 ドラマの脚本家たちは、 「家庭」 の中にドラマを見つけることは得意でも、キャンピングカーの中のドラマには思いを馳せることがないらしい。

 いずれにせよ、本格的なキャンピングカー小説というのが登場しないのは、乗り物の中での普及度が低いという一言に尽きそうだ。

 しかし、TVや雑誌にキャンピングカーが採り上げられる頻度も高くなり、それをきっかけに関心を持つ人々も増加している今日このごろ。そろそろ、その手の小説が出てきても良さそうに思える。

宇筒原キャンプ場3

 ふと真剣になって考えると、キャンピングカーの中というのはドラマの宝庫なのだ。

 まずホームドラマの舞台としても、キャンピングカーは格好の場となる。
 例えば、長年連れ添った夫婦が、旦那さんの定年を機にキャンピングカーの長旅を始めたとしよう。
 たぶん 「運転席+1部屋」 というような限られた室内で、夫婦がずっと隣り合わせに移動しながら生活するというのは、はじめての経験となるはずだ。

 そういう旅を始めてみると、
 「俺たちには共通の会話ってものないんだな…」
 などと気づく夫婦もいるかもしれないし、
 「あ、あなたそんな素敵な考え方を持っていたの!」
 と、お互いに相手の中に未知なるものを発見して気持ちがリフレッシュされるかもしれない。
 もうそういう設定だけで、十分にドラマが発生するじゃないか。

 もしスリリングな展開に持っていきたいときは、奥さんが 「食事の用意でも…」 と思って食器棚を開けると、そこに見たこともない女性用のマグカップが…
 とかね。


 キャンピングカーを使った男の一人旅なんていうテーマもいい。
 主人公は、定年退職した独り暮らしの中年。
 失われいく “日本の原風景” などをスケッチすることを趣味かなんかにして、全国を回っている。
 ところが彼は現職時代は、凄腕のデカだったのだ。

 気に入った町や村があると、しばらく長逗留するのだが、いつもそこで事件に遭遇。
 地元の警官でも解決できない難事件を難なく解決してしまう。

 犯人の行動を監視する張り込みの舞台にキャンピングカーを使っていいし、捜査を助けるための小道具が何でも収納庫に収まっているなんていう設定もあり。

 口の堅い関係者から秘密の話を聞き出すときに、キャンピングカーの室内をうまく使って、相手の気持ちを解きほぐす…なんてのはどうだ?

 「最近ペットボトルのお茶しか飲んだことがないですか? たまにはお湯を沸かしてお茶を飲みましょうよ。いい煎茶を仕入れてあるんです。
 なあに、この車載のコンロに火をつければ、すぐにお湯が湧きますから。
 ところで、殺された重吉さんには、確か一人息子がいましたよねぇ?」
 …とかさ。

 “キャンピングカー刑事” なんて荒唐無稽だけど、まぁ、タクシーの運転手をしている元刑事が主役のサスペンスドラマなんてのもあるくらいだからさ。

 誰か書かないかなぁ…。
 キャンピングカー小説。
 もし、そういう小説がうっかり直木賞でも取ったりしたら、どんな広告よりも効果のある宣伝になること間違いなしなんけどさ。 


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 11:40 | コメント(6) | トラックバック(0)

遠大な計画

 たぶん、井上靖さんの小説かエッセイに出てきたエピソードだったかと思う。
 ひょっとしたら、司馬遼太郎さんか。
 原典を明らかにしないまま書くと信憑性を損ねることになるとは思うが、
 「遠大な計画」
 というものが、どういうものであるのか。
 それを象徴的に語る格好の例として、ときどき人に紹介する話がある。

 古代中国の墓堀泥棒の話だ。

 エジプトのピラミッドのように、絶大な権力を持つ王が残した墳墓には、財宝が山のように埋められているというのは、古代から庶民の間でも常識だった。
 だから、それを盗もうとするために、ありとあらゆる手口が使われたという。

 古代中国においてもしかり。
 秦の始皇帝クラスの権力者ともなれば、その陵墓に、生前と同じぐらいの生活ができるほどの富を埋めた。
 そういう財宝を、誰にも気づかれず、確実に盗み出す方法はあるのか。

 ある。
 …ということを、その小説に出てくる主人公は知るのである。

 主人公がどんな人間だったか、とんと記憶がないのだけれど、要は彼が田舎の一軒家を訪れるわけである。
 古代中国の貧しい農家だ。
 ろくに食べるようなものすらない家に、主人公は世話になる。
( このあたりは記憶の欠如を想像で補っているので、原典と異なっている可能性大!)

 そこの家族は、昼間は荒れた土地を耕して、ささやかな耕作物を作っている。
 しかし、夜になると、みんなで家の下にトンネルを掘っているのである。

 主人公が 「何をしているのだ?」 と聞くと、その家のオヤジが 「王様の墓のなかに眠っている財宝を盗むんだよ」 と答えるのである。

 「王様の墓だって? いったいどこにあるんだよ?」
 と主人公は、見渡す限りの平原を見つめて尋ねる。
 「あの山の向こうさ」
 オヤジはこともなげに答える。

 「………」
 主人公はそこで絶句。

匈奴10

 確かに、山の向こう側には王家の墓がある。
 そして、墓の周辺には警護の兵士が充満していて、庶民には近づくもできない。
 だからといって、こんな遠くから掘っていれば、山の麓にたどり着くまでに死んでしまうだろう。

 主人公は 「こいつ、気は確かか?」 と疑う。
 オヤジは、主人公の気持ちを察知してニヤリと笑う。

 「もちろんオレの代で財宝を手に入れようとなんて思っちゃいないよ。
 だけどオレが死ねば、今度は息子が穴を掘る。
 息子が死ねば、孫が掘る。
 そのうち、俺の家族の誰かが莫大な財宝を手に入れる」

 話はそこで終わるわけだが、このくだりには 「遠大な計画」 とはどういうものかというエッセンスが凝縮しているように思う。

 「さすが、中国人は考えることがデッカイやぁ!」
 …と感嘆する人もいるだろうし、
 「家族への信頼とはそういうものか」
 …とうなずく人もいるかもしれないし、
 「夢を実現するための努力」
 …といったものを感じる人いるかもしれない。

 でも、私はこの話を 「ビジネスと文化」 の話としてときどき引き合いに出す。
 つまり、キャンピングカー販売ならキャンピングカー販売といったビジネスが、なかなか思うように進展しないと嘆く人がいたときに、それが目に見える成果をもたらすまでには、携わる人たちの 「父、子、孫」 といった3世代ほどの継続的な努力が必要だ…という例として、この話を持ち出す。

 今の世の中、 「一世代で儲けられる」 という話が多すぎる。
 世で人気のある 「サクセスストーリー」 は、みな一世代で成功した人の話ばかりだ。
 しかし、一世代でボロ儲けできるような商売は、その一世代だけで終わる可能性だってある。
 ビジネスとして継続する力は、そこで扱われる商品が 「文化」 として定着することによって生まれる。
 文化として定着するには、それこそ父、子、孫といった3世代ほどのサイクルが必要になる。

 文化というのは、
 「ほら、このバーナーは使いやすいだろう。しかも、壊れにくい。こいつはお爺ちゃんも使っていたヤツで、他のものとはここの細工が違っていてね…」
 という形で、受け継がれていくものだ。

 今キャンピングカー産業においては、業界的にも市場として、ようやく父から子に移りかけているぐらいの頃かな…と思ったりする。

 この前、 『日本のキャンピングカーの歴史』 という資料を編纂するために、日本RV協会の前会長であった増田英樹氏を取材したとき、彼がこんなことを言っていた。
 「30年ほど前にこの仕事を始めて、その時気づいたのは、自分たちより年上のお客さんがまったくいないということだったのね。
 考えてみれば当たり前のことで、当時、僕ら以上の年齢の大人は、キャンピングカーがある生活なんて想像したこともなかったんだよ」

 この話からも分かるとおり、キャンピングカーを売るという商売そのものが、日本ではたかだか30年くらい前に発生したばかりなのだ。
 産業としては、オヤジが王様の陵墓に向かって、最初のトンネルを掘り出し、ようやく息子がそれを手伝い始めたぐらいのタイミングなのだ。

 業界の皆様、 「パイが小さい」 とか、アセることはないんじゃないんでしょうか。
 だって始まったばかりなんだもの。

 こういうことは、泥棒の 「たとえ話」 で話しちゃまずかったのかもしれないけれど。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 10:43 | コメント(2) | トラックバック(0)

80年代的感性

 村上春樹の 『1Q84』 が社会現象となるくらい売れているようだ。
 1984年の時代を扱った小説だという。

村上1Q84
 
 なぜ1984年なのか。
 その小説自体まだ読んでいないので、中身まで語ることはできないけれど、私は村上春樹とほぼ同年代なので、なぜ彼が1980年代にこだわるのか、その気分だけは分かる気がするのだ。

 たぶん、村上春樹には自分の 「青春」 が二つあるのではないか。
 ひとつは、肉体年齢の若い時期に訪れる、世間一般でいうところの 「青春」 。
 そしてもう一つは、精神が成熟することによって、世界が再び新鮮なものに見えてきたときに感じる 「青春」 。

 村上春樹は、おそらく1980年代に、「世界」 をもう一度自分の手元に手繰り寄せたのだ。
 そして、あの時代の不思議な輝きが、 「なぜ自分にとって魅力的に思えるのか?」 、それを自分自身に問う作業を行なっているのではなかろうか。

 その気持ちは私にもあるのだ。
 私は1950年代の生まれだから、 「60年代文化・70年代文化」 のなかで “青春” を費やしてきた。
 だから、感受性の核となるようなものは 「60年代文化・70年代文化」 によって形成されたはずなのだが、なぜかそれ以上に、 「80年代文化」 が自分の感受性の核に横たわっているように思う。

みなとみらいビルの水の影

 80年代を過ごしたのは自分が30歳代のときだった。
 結婚して子供もいた。
 だから、仕事に関わる知識や情報の取得は別として、いわゆる 「一般教養」 的な “お勉強” はとっくに卒業している年齢のはずだった。

 しかし、実はこの時期が、自分の生涯の中でもっとも “お勉強” なるものに励んだ時代だった。
 とにかく夢中で本を読んで、大事だと思われたフレーズには赤ペンで印を付け、深夜には読書日記をつけ、興味を抱いた著者には、仕事にかこつけてアポを取って会い、その談話はテープにとって取材記録として残した。

 なんでそんなことをしていたか。
 面白かったからである。

 “お勉強” などにほとんど縁のない高校・大学時代を送り、一般教養も専門知識もまったく身につけずに社会に出てしまった自分が、遅ればせながら、30代に入ってはじめて勉強の面白さに気がついたのだ。

 時代が良かった。
 時は折しもニューアカ時代。
 「ニューアカデミズム」 とマスコミに称された一連の文化ムーブメントが、時代の精神を表現するものとして脚光を浴びていた。

 当時26歳だった京大助手の浅田彰が 『構造と力』 で評判を取って以来、中沢新一の 『チベットのモーツァルト』 などが人気を博し、フェミニストとして上野千鶴子が活動を開始し、既成のアカデミズムの傍流にいた研究者たちに、一気にスポットライトが当たった。

構造と力

 それまで、戦後の知識人として評価されていた小林秀雄、丸山真男、吉本隆明といった人気者の仕事以外に、山口昌男、中村雄二郎といったサブカルに言及できる学者の仕事ぶりにも注目が集まり、文学では柄谷行人、映画では蓮見重彦らがカリスマ評論家としてもてはやされるようになった。

 これらの思想家たちは、それまでの学問や教養というものとは一線を画した世界を披露することで自分の発言力を高めようとした人たちであったから、とにかくその主張が、一から十まで目新しかった。
 私などは、彼らが書くもの、しゃべること全て対し 「へぇーそうかいな!」 と、目からウロコの連続だった。

 「今まで見てきた世界が、まったく違うものに見えてきた」

 そんな経験を持ったのは、生まれてはじめてだった。

みなとみらい遠景

 今日、この 「ニューアカ」 現象は揶揄 (やゆ) の対象にしかなっていない。
 それにカブれた人も、それを外から批判した人も、今や 「ニューアカ」 という言葉を使うのは侮蔑的な文脈の場合だけに限られている。
 ニューアカブームというのは、基本的に商業主義の先端と結びついた現象で、資本主義の要請から生まれたものに過ぎないという人もいる。
 また、単に軽薄なだけであり、スノッブ (俗物的) で、ナルシスティックで、自己顕示欲の強い人種のみに支持された風潮だという人もいる

 でも、そんな批判は私にはどうでもいい。
 勝手にほざいてろ、と思う。
 自分が 「面白い」 と思えることに没頭できることが、意義のあることなのだから。

 「ニューアカ」 と称される作家たちの本を読み漁るうちに、自分は “世界” を2度見ることになった。
 1度目は、親・学校・会社などから教育を受けることによって見ることのできた世界。
 そして2度目は、30代になって、自分で本を読むことによって発見した世界。

 この2度目に見えた 「世界」 として、現実的に目の前に展開されたのが 「80年代」 の光景なのである。
 80年代の諸風景が自分の感性の原点となったのは、たぶん、80年代に 「世界が新しく見えた」 という体験をしたからだと思う。

 80年代というのは、非常に多義的な時代で、ムーブメントや流行などに関しても、否定的に見ようとおもえばいくらでも否定的に眺められるし、肯定的に評価しようと思えば、いくらでも肯定的な視点が生まれてくる時代であった。

 一般的には、 「バブルの興隆期」 として見られ、華やかだが、軽薄で、底が浅く、“泡” のようにはかない時代とされることが多い。
 また、 「60年代、70年代にはあった人間の温かみが失われ、殺伐とした無味乾燥時代の始まり」 と捉える人もいる。

 しかし、そうとばかりいえるかどうか。

 80年代はすべてが 「両義的」 だ。
 “はかなさ” の裏には透明度の高い哀しみがあり、軽薄さの影には、奇抜なパロディと巧妙なアイロニーが生まれていた。

 80年代現象には、常に良い評価と悪い評価が、常に背中合わせにくっ付いている。
 そういう時代の美意識もまた 「両義的」 にならざるを得ず、従来グロテスクなものと忌み嫌われたもの中に 「美」 があったり、美的と評価されていたものにメスを入れたら、 「退屈」 という膿みが吹き出してきたなどという発見がよくあった。

 たとえば、映画 『エイリアン』 の中に出てくるグロテクスなエイリアン像や、彼らが乗っていた奇怪な宇宙船に 「美」 を見いだすという精神は、80年代に生まれてきたものだし、クラフトワークやYMOのような無機的なデジタルビートに 「美」 を感じるような感受性も、80年代に生まれてきたものだ。
 村上春樹の 「読者を突き放すような冷たい文体」 が、なぜか叙情的に感じられたりするのも、80年代からの現象といえるだろう。

 また、ガラスと鉄の近代的なビルに覆われた都市空間が、物質的で非人間性な抑圧空間ではなく、幻想的で哀愁をたたえた遊戯空間として認知するような考え方も80年代に生まれた。
 リドリー・スコットが描いた 『ブレードランナー』 の近未来都市 (2019年のロサンゼルス) などは、まさに80年代の美意識が生み出した都市美の典型である。

ブレードランナー未来シティ

 こういう80年代的な光景が自分の感性の中に根を降ろし始めると、どんな時代のアートや映画を見ても、いつのまにか 「80年代の眼差し」 で見てしまうことがある。
 たとえば、ミケランジェロ・アントニオーニの一連の60年代映画や、ジョルジョ・デ・キリコの40年代絵画などに接しても、私はそこに80年代の匂いを嗅ぐ。彼らの無機的で人工的な風景の中に、きわめて80年代的な孤独感・寂寥感といったものを見出してしまう。

キリコ05

 「心の原風景」 という言葉があるけれど、たいていの人にとって、 「原風景」 とは幼少期に見た光景のことを意味する。それは 「最初に見た世界」 だからだ。

 でも私には、幼少期に裸足で駆け回った赤土の風景と、社会人になってから見つけた宙に浮遊する高層ビルの二つの 「原風景」 がある。
 竹やぶの隙間から漏れてくる夕陽も美しいが、光の刃物となって地に突き刺さるガラスのビルの反射も美しい。

 前者は、自分の生の体験から見えた世界像。
 後者は、80年代になって見えた世界像。
 そのどちらも、自分にとっては真実であるように思う。




コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 17:30 | コメント(2) | トラックバック(0)

何度も蘇る記憶

 ラーメンとかうどんを食べるとき、10回のうち8回くらい記憶の底から浮上してくる思い出がある。
 それは学生時代、放課後の校庭で、一人の友だちが語った何気ない一言なのだ。

 「カネがなくて一つしか選べない時にさぁ、チャーハンとラーメンだったらどっち食う? 
 おれは断然ラーメン。
 だってラーメンには汁があるからさぁ、そいつまで飲み干すとけっこうお腹いっぱいになるじゃない?」


中華オープンキッチン2

 それから30年以上経つ。
 そしていまだに、ラーメンとかうどんを食べようとすると、この友人の声が頭の中に鳴り響く。

 これはいったいどういう意味があるのだろう?
 精神分析などが得意な人に、一度読み解いてもらおうと思っているのだけれど、まぁ、そんなに難しい理由があるわけでもなさそうだ。

 要は、その友人の言葉に、若い私はよほどの衝撃を受けたのだ。
 それは、一生を支配するほどの衝撃だったのだ。

 どういう衝撃か。

 それまで私は、人間というのは、お腹がすいたときにラーメンよりもチャーハンを選択するものだと信じて疑わなかったのだ。
 深い理由はないのだが、「麺より米の方が腹持ちがする」 という一般通念をたぶん信じていたのだろう。
 そして経験的にも、お腹がすいた状態で中華食堂に入ったときは、ラーメンよりはチャーハンを選ぶことで満足していたのだろう。

 だから、「チャーハンよりはラーメンの方が満腹感を得られる」 という指摘は、晴天のへきれきだった。
 「バカなことを言うヤツだ」
 と、その時は思ったのだけれど、それと同時に、 
 「人間には、いろんなことを考えるヤツがいるもんだ」
 と感心もしたのだ。

 でも、もしかしたら、それは自分にとって、 「人間の多様性」 を知る最初の出来事だったのかもしれない。
 難しくいえば、自分の価値観の 「枠外にいる人間」 の発見だったのだろう。

 一見、何の意味もなさそうな記憶でも、何度も何度もよみがえってくる記憶というのは、その人間にとって 「何かの意味を持っている記憶」 だという。
 意味があったからこそ、心の底に刻印を残したのだとか。

 チャーハンよりラーメンを選ぶ友人の一言は、まさに運命の一言だったのだ。

 どういう運命なのかということは、自分でもよく分からないのだが、今の私が、ここでこうしているのも、その一言のせいであるのかもしれないのだ。 


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 18:35 | コメント(2) | トラックバック(0)

お久しぶりっす!

 久しぶりの更新となりましたが、この間、日頃顔を合わせたこともない旧友などから、かなり個人メールや電話などをいただきました。
 「おい、お前腰が痛いって、大丈夫か?」
 と心配してくれるような問い合わせばかり。

 「何で知ってるの?」
 と尋ねると、
 「だってそう書いたっきりブログの更新がないじゃないのよ」
 というわけです。

 誰も “同窓会” のような会合じゃないと会う機会のない人たちばかり。
 日頃連絡を取り合ったことがないので気づかなかったのですが、このブログを読んでくださる知人がいっぱいいたということなんですね。
 
 うれしい…と思う気持ちが湧く反面、実はそれがけっこうプレッシャーになり、いやぁ…なんていいわけをすればいいのかという気持ちもあって、ますますブログ更新に戸惑いを感じたというのも事実です。

 いろいろな人たちのアドバイスもあって、腰痛の対応方法というものをしっかり教えてもらいました。
 それで健康状態はほぼ完璧に戻ったのですが、いったん気持ちが遠のくと、気分的なモチベーションを取り戻すためには多少のきっかけが必要になります。

09CSguide表紙

 そんな大きなきっかけとなったひとつが、カスタムプロホワイトの池田さんが書かれるエッセイ 『答は風の中』 。
 今回のテーマに、この5月に発行した 『キャンピングカースーパーガイド2009』 の感想が述べられていました。

 ほぉ…と本を作った自分もため息が出そうな上手な感想文なので、そちらに飛ぶように設定しました。

 『答は風の中』 vol.040 「退屈」 こそ究極の贅沢

 また、このブログにいつもコメントをいただくムーンライトさんからも、アマゾンの書評に素敵なレビューを寄せていただきました。
 こちらも制作者冥利に尽きるようなありがたいレビューです。

 amazon 『キャンピングカースーパーガイド2009』

 うれしいなぁ…。
 これらの感想がいただける本というのは、本当に幸せな本です。
 お二方には、この場を借りて御礼申し上げます。

09CSガイド巻頭特集2

 また、この間コメントをいただいたTJ様、ブタイチ様、TOMY様。
 本当にありがとうございました。

 お返事が遅くなりましたが、皆様の励ましに満ちた厚意には心から感謝しております。

 そうそう、個人的に励ましのメールや電話をくれた方々にも、
 「おう、元気になったでや!」
 と、この場を借りてご報告いたします。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 21:18 | コメント(0) | トラックバック(0)

イテテッ!

 体の不調をブログで訴えるようになってしまったら、そのブログも終わり、と自分では思っているので、あまり書きたくはないんだけど……、
 今度は 「腰」 である。

 もうこれで2週間、腰にコルセットを巻いて出勤。
 寝るときもそれを外すのが不安。

 2週間ほど前に 『キャンピングカースーパーガイド 2009』 が会社に搬入されるというので、置き場所を作るために、昨年のガイドブックを20冊ほどを抱えて、4階の階段を上がり下りしただけで、腰をやられてしまった。
 痛い…というか、だるい…というか。

イテテッ!

 ま、そのうち治るだろう…とタカをくくって、翌日は昼から夕方まで中腰で本の梱包作業を行ったのがいけなかったのかもしれない。
 夜になったら、腰の痛さが増してきて、体を折り曲げることができなくなってしまった。
 床に落ちたものを拾うのにも、腰を折るのではなく、身体を真っ直ぐにしたまま膝を折ってモノを拾うという案配だ。

 特に痛いのは、椅子から立ち上がるとき。
 長時間座っていると、なおさら立ち上がるときが辛い。
 
 …で、立って歩き始めると、別にそれほど痛みは感じなくなる。
 座り続けるのがまずいようだ。

 だから、家では長時間座って目を使うパソコンを開かなくなってしまった。

 それから2週間。

 痛さはやわらいできたというものの、だるさは残っている。
 コルセットで締め付けておかないと、また “ギクッ” ときそうで、とても不安。

 そういえば、昨年もちょうど今頃、蜂窩織炎 (ほうかしきえん) という病気で1週間ほど入院していた。
 どうもこの季節は、体調不良に見舞われる季節らしい。

 しかし、昨日アタリから、椅子から立ち上がるときのダルさも引いてきた。
 もうちょっとの辛抱かな。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 18:41 | コメント(7) | トラックバック(0)

09ガイドの評判

 新しく出た 『キャンピングカースーパーガイド2009 』 。
 なかなか評判がいいようだ。

09CSguide表紙

 …といっても、「贈呈」 という形で送った関係者からの感想なので、悪く言うはずはないのだが、その人たちから送られたメール、電話、ファックスなどでは、
 「いい本になったね」
 と、すべての方から一応の評価をいただいた。

 お世辞だな…と分かっていても、やっぱりうれしい。

09CSガイド見開き01
 
 なお、全国の書店で、10冊規模で置いて下さる書店さんは、下記の通りです。
 もちろん、これ以外の書店さんでも、1冊から3~4冊という規模で扱ってくれています。

【東京】
中央区/八重洲ブックセンター
千代田区/有隣堂秋葉原
千代田区/三省堂有楽町店
お茶の水/丸善お茶の水
豊島区/リブロ池仕入
渋谷区/紀伊國屋南店
渋谷区/紀伊國屋渋谷店
渋谷区/有隣堂恵比寿
玉川/紀伊國屋玉川店
新宿区/紀伊國屋本店
江東区/紀伊國屋豊洲店
品川区/未来屋品川店
品川区/有隣堂目黒店
町田市/有隣堂町田
立川市/オリオンルミネ
立川市/オリオンノルテ

【北海道】
札幌市/CF美しが丘店
札幌市/CFミュンヘン
札幌市/CF新川通り店
札幌市/Rなにわ


【東北】
仙台市青葉区/丸善アエル店

【関東】
千葉市/三省堂SOGO
千葉市/未来屋マリンピ
高崎市/未来屋高崎店
前橋市/紀伊國屋前橋店
越谷市/未来屋レイク店
流山市/紀伊國屋流山店
越谷市/未来屋レイク店
さいたま市/紀伊國屋埼玉店
横浜市/有隣戸塚モデ
横浜市/東口有隣堂
横浜市/有隣堂本店
横浜市上大岡/八重洲ブックセンター京急
横浜市/西口有隣堂
藤沢市/藤沢有隣堂

【中部】
浜松市/未来イオン市野
名古屋市西区/フタバTワンダ
西春日井郡/紀伊名古空港店
岡崎市/未来イオン岡崎

【関西】
木津川市/未来屋高の原
摂津市/西日本DC
大阪市/旭屋なんばCI
都島区/紀伊國屋京橋店
北区/旭屋本店ビル

【中国・四国】
福山市/啓文社PP店

【九州】
福岡市/紀ゆめ博多店
福山市/フタバA福山本
佐賀市/紀伊國屋佐賀店
熊本市/蔦屋書店三年坂
鹿児島市/ミスミオプシア
那覇市/宮脇沖縄本店

 アマゾンでも紹介されています(↓)。
 下記をどうぞ。

 『 キャンピングカースーパーガイド2009 』

 足を運んだ書店さんで見つからなかった場合は、アマゾンからもご購入になれます。

 よろしくお願い申しあげます。

campingcar | 投稿者 町田編集長 12:33 | コメント(2) | トラックバック(0)

09ガイドの発送

09CSguide表紙

 朝、会社に 「キャンピングカー スーパーガイド2009」 の発送用分がトラックで納品されました。
 広告を出稿いただいたり、原稿の校正もお手伝いしていただいたりと、いろいろお世話になったキャンピングカー業者さんに、掲載見本として発送する分です。

 約140冊。
 昼過ぎから、それを封筒に詰め、宅配便のシールを貼って、梱包作業にとりかかり、今ようやく宅配便業者さんに引き取ってもらったところ。

 インスタントコーヒーのカップを下げて、デスクに戻り、
 「ふぅ…」
 と一息入れて、ようやくブログを開いています。

 毎年、この作業が終わると、
 「ようやく手を離れた…」
 という心境になります。

 それにしても、最後の校正を終えて、印刷・製本にかかる日数が3週間。
 今年はゴールデンウィークが中に入ったとはいえ、だいぶ時間がかかってしまいました。
 でも、電話やメールで、
 「新しいガイドが発売されるのはいつですか?」
 と、読者の方々から聞かれるたびに、
 「ああ、待って下さる方がいらっしゃるのだな」
 と、うれしくなります。

 重い本の束をあちこち運びながらの作業で、腰に疲労が溜まってしまい、今はちょっと虚脱状態なんですが、明日から、また新しいスタートです。


campingcar | 投稿者 町田編集長 20:10 | コメント(5) | トラックバック(0)

5月15日に発売

 皆様、お待たせしました。
 今週5月15日 (金曜日) は 『キャンピングカースーパーガイド 2009』 の発売日です。
 ただし、15日というのは配本日…すなわち書籍が書店さんに届けられる日ということなので、早ければその日のうちに書棚に並びますが、確実なのは16日 (土) 以降かもしれません。

09CSguide表紙

 編集部特選の “お薦めキャンピングカー” だけは、見開き2ページを使って、詳細に報告していますが、それ以外のキャンピングカーも、 「1車種をきっちり1ページで紹介していく」 という基本コンセプトは例年と同じです。

09CSガイド単ページ01 09CSガイド単ページ02

 ただ、今回は本のサイズを変えて、横幅をА4ワイド版に広げたので、見開き2ページでは写真スペースも拡大されて、より迫力が増しました。

09CSガイド見開き01

 また、 「文字が小さくて読みづらい」 というお声を頂戴したこともありましたので、今年は文字の大きさを拡大。老眼鏡を必要としている方々にも、目に優しい誌面構成を考えました。

 基本的にどのキャンピングカーも、開発担当者から直にコンセプトを聞き、その開発の狙いや自信のほどを記録した詳細なメモを基に記事構成されています。
 また、編集部が重きをおく特徴的なポイントは、 「編集部はココを見た!」 というコーナーで採り上げています。

 画像に関しても、編集部で撮った画像だけでなく各ビルダーさんが用意している画像も同時にチェックさせてもらい、同じ角度のものでも、情報が正確に伝わるような方をチョイスしています。

 さらに、装備品目やオプション品目に関しては、キャンピングカーを扱うショップさんにPDFファイルをお送りして確認を取ってありますので、完璧な情報精度を誇るデータになっています。 

 また、巻頭特集のページでは、
 「自社のキャンピングカーを通じて何を実現したいのか」
 というテーマで、取材中に印象に残った話をされた方々のインタビュー集をまとめました。
 大げさにいうと、“開発哲学” ですね。

09CSガイド巻頭特集人々01

 今やキャンピングカーは、 「便利で楽しいビークル」 という概念を超えて、利用者の美意識や人生設計にまで影響を与える重要なアイテムにまで成長するようになりました。

 この特集では、そういうテーマに自覚的になって開発に臨んだ方々の談話を、なるべく “話の勢い” が通じるように、生きた会話のスタイルで収録してみました。

 また、もう一つの巻頭特集では、昨年レンタルモーターホームでアメリカ西南部を回ったときの印象記をまとめてみました。

09CSガイド巻頭特集2
 
 乗用車でモーテルや都市部のホテルで泊まるのとは違った、キャンピングカーを使った旅行で感じたアメリカ西南部の “素顔” 。
 そこに現れた大地と空だけで構成される 「むき出しの自然」 を眺めていただき、キャンピングカー旅行の原点を感じてもらえれば幸いです。

 巻末特集では、日本RV協会さんからのご依頼をいただいて広報誌を制作させていただいている関係上、今年もその内容を転載しています。

 テーマは 「RV世界会議」 。

 日本のRV (キャンピングカー) が、現在世界のRV業界からはどのような評価を得ているのか。
 また、日本人のRVライフは、世界の人々のRVライフと比べてどのような特徴があるのか。
 そのような詳細データは今まで日本になかっただけに、まだRV協会さんの広報誌を読まれていない方には興味深い読み物になっているのではないかと思います。

 価格は、なんと1890円 (消費税込み) 。
 “大幅” とはいえませんが、昨年の2,100円より若干下げて、お求めやすい定価設定になるよう企業努力いたしました。

 今週末は、ぜひ書店さんを訪ねてみてください。
 本書を置いてある有力書店さんのリストは入手でき次第、ここでも公表したいと思っています。


campingcar | 投稿者 町田編集長 19:14 | コメント(2) | トラックバック(0)

反省しろ、コラ!

 それにしても、なんざんしょうねぇ。
 私なども、もうじき60歳の大台が近づくようになりまして、つらつらと思うのですけれど、ここ最近の世の中の変わりようがすさまじくてですねぇ、もう私などは、どう考えたらいいのか分からないような時代になってまいりましたねぇ。

 いえいえこれは老人の繰り言ですので、あまり気にとめることもなく聞き逃してくだされば結構なんですが、なんていうんでしょうねぇ…最近のお嬢さま方の元気の良いこと。

 まぁ、私どもの若い頃は “ケンカを売る” というのは男の世界のものであって、女性の方がケンカを売るということがあったとしても、それは相手も女性である場合に限られていたように思っていたんですけれども、最近は違うんですねぇ。

 女が男にケンカを売る。

 そういう光景が日常化されてきた感じがいたしまして、もう、私などは唖然としてしまうわけですが、そういうのは、今の日本ではもう当たり前なんでしょうかねぇ。

 いえいえ、「そういう女性が悪い」 と言っているわけでは全くないんですよ。
 ただね、私らの若い頃はそういう光景を日常的に見ることがあまりなかったわけで、もうずいぶん世の中が変わったもんだなぁ…と、私などは歳を取ってしまったなぁ…と。ただただ、そういう感慨に耽ってしまうというわけなんですね。

 え? 何の話か? って。
 いえいえ、これはね、電車の中で見かけた光景なんですけどね、もうずいぶん前の話になりますけど、ちょうどまだ寒さの厳しい2月頃のことでしたかね。

 千葉県の幕張で大きなキャンピングカーのショーがあるというので、それを見物しようと思って、電車に乗っていたときのことなんですよ。

 通勤ラッシュも一段落して、席もぽつぽつ空いてるという、まぁ、のどかな時間帯の電車だったんですが、…私の前にね、若い女性の方が座っておりましてね、
 …どういうお仕事なのか…まぁ、飛び込みの販売セールスか何かのお仕事なんでしょうね。伝票とか地図を交互に眺めて、いろいろ段取りを思案されていたようなんですわ。

 それがねぇ、ちょうど大きな川を越えたあたりの駅でしたっけねぇ、扉が開いて、一人の若い男性が飛び込んで来られたんですわ。
 でも、ちょっと勢いがつきすぎたのか、その男性が座っておられた若い女性の足でも踏んでしまったようなんですわ。

 その男性は…というとね、野球帽などをかぶった遊び人風の方でね、あまり礼儀作法などに頓着されないという風情の方だったんですよ。
 それでも、若い女性の足を踏んだということが分かったので、
 「すいません」
 と、小声で謝ったようなんですわ。

 しかし、そのあとがすごかったんですよ。
 その女性、何と答えたと思います?

 いえいえ、答える代わりにね、いきなり足をグルリと回して、その男性のすねを思いっきり蹴り上げたんですわ。
 バキッ! と音が出るくらいの勢いだったので、正面に座っていた私もビックリしちゃいましてね。

蹴り001

 しかし、あまりにも意表を突いた女性の行動に、蹴られた男性の方も、きょとんとしているわけなんですわ。
 一瞬、何が起こったのか分からなかったんでしょうねぇ。

 まぁ、なんていうんでしょうねぇ、その男の人、しばらく呆然とその女性の顔を見つめておりましたけれど、
 「これは怒ったことを相手に伝えた方がいいぞ」
 と、ようやく脳から発した意志表示の伝達が顔の神経につながったのか、目に怒りの色を浮かべて、女性ににらみつけたんですわ。

 で、男性がその女性の横顔に視線を向けていることが、気配で伝わったんでしょうなあ。
 その女性、はじめて男性の方に顔を向けましてね、

 「なんだよ、ウザいなぁ」

 もうドラマのセリフみたいにドスの利いた男言葉で返したんですわ。

 まぁ、見ると普通のOLさんなんですよ。
 それもちょっと美人でね。
 少し目がきつそうという印象はありましたけれど、別に、背中に入れ墨彫って、角刈りの男性に貢いでいるという風情でもないし、会社からしっかり1ヶ月単位でお給料を頂いている感じの、どこにでもいるようなお嬢さんなんですね。

 ところが、口を開くと、出てくる言葉がすごいんですわ。
 「汚らしい目をこっちに向けるなよ。うるせぇんだよ」

 こうなると、男性の方が気後れしてしまうんでしょうかね。

 「何も蹴ることはないだろ。ちゃんと謝ったじゃねぇかよ」
 と、男も言葉に凄みを利かせようとしているのは分かるんですが、多少声がうわずっているんですよ。

 それに対して、若いお嬢さんの方が迫力あるんですね。

 「てめぇがトロいから足踏むんだろ。反省しろよ、コラ!」

 もう、字ズラだけ読むと…ねぇ、これ眉に剃りを入れた突っ張り兄ちゃんのセリフですよね。
 それが、まだ24~25というきれいな女性の口から出てくるというのが、なんざんしょうねぇ…、もう劇画の世界というか、アニメの世界というか。

 「だからといって、蹴ることはねぇだろ。やりすぎだろ」
 男の方も必死なんですけど、どうも、言葉に力がないんですよ。もう気後れしているのが分かるんですね。

 それに対して、女性のなんと雄弁なことか。
 「蹴られるようなノロマが何いってやがんでぇ。いちいちウザイんだよ。腐った魚みたいな目でドロンとにらむんじゃねぇよ」

 男同士だったら、ここで胸ぐらのつかみ合いということになるんでしょうけれど、まぁ相手が女だということで、男の方もこらえたんでしょうな。

 しかし、言論戦となると、言葉の “手数” では負けるな…と男の方も分かったようで、その後しばらく、彼も「目に力を込めて」、一生懸命女性の横顔をにらみ付けていたんですが……、

 まぁ、この勝負は女性の一本勝ちですな。

 そのお嬢さんは、男なんて眼中にないという落ち着いた表情で、さっきまで没頭していた伝票と地図のにらめっこを始めたんですわ。
 もう鮮やかなほど 「お前なんかこの世に存在しない」 という無視ぶり。

 普通、素人は、ケンカを収めようとするときの方が、逆に動揺を漂わせてしまうんですね。
 ところが、彼女には一切それが見えないのね。
 感情のないロボットのようなシレっとした顔つきに戻っているんですね。
 こりゃ、相当ケンカ慣れしているな…と思ったんですけどね。

 で、その若い男性はというとですね、「こりゃ勝負あった」 と思ったんでしょうなぁ。
 次の駅が来ると、さっとホームに降りちゃいましたよ。

 もちろん座っている女性は何事もなかったように、去っていく男を完全無視。

 かくして、幕張に向かう電車は、また元のお昼前ののんびり感を漂わせた平和な電車に戻ったわけですけど、ま、驚いちゃいましたね。最近の若い女性の度胸の良さには。

 まぁ、こういう女性の方々が増えてきた日本の社会というのは、……どうなんざんしょうねぇ。
 こういう現象は、日本がたくましくなっていくことの前兆なのか、それとも荒廃していくことの予兆なのか。
 もう年老いた私などには、そこのところの判断が本当につかなくなってしまいましたねぇ。



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 10:55 | コメント(2) | トラックバック(0)

小さな災難

 行楽には絶好の日程に恵まれたGWだったが、5連休ついにどこにも行かずに終わってしまった。
 自分のキャンピングカーのマイナートラブル (…АC電源取入口のフタが外れてどこかに消えたこと) にも対処し、オイル交換もすませたばかりというのに、ちょっと残念。

 連休の遠出をひかえたかったのは、『キャンピングカースーパーガイド2009』 の編集が大詰めになる頃から感じていた “左腕の痺れ” が一向に収まる気配がないからだ。
 
 ようやく時間が取れて、連休が始まる直前に病院に行った。
 病状を訴えると、「首のレントゲンを撮りましょう」 ということになった。

 こちらは “脳梗塞” を疑って、頭のCTスキャナを撮ってもらうことを念頭に置いていたので、「首」 というのは意外だった。
 でも、お医者さんの見立てはさすが。
 首の骨のひとつが劣化して、「隙間が狭くなっている」 というのである。
 それによって神経が圧迫されて、それが痺れとなって感じられるというのだ。
 正式にいう 「頚椎炎」 。

 痺れがあるだけならいいけれど、首を曲げる角度によっては痛みが走る。
 パソコンを打っていると痺れの程度が強まる気がして、連休はほとんどパソコンにタッチするのをやめにした。

 …んなわけで、連休明けで出社して、今日はじめて久しぶりのパソコンを開いてみたという状況。

 こうやってキーボードを操作していても、いや、…別になんともないですな。
 少しは回復したのかな。

 もうひとつ災難。
 
 これも連休直前の出来事だったが、駅構内にあるカレー屋でカレーを食べていたところ、歯にガリっと当たったものがあった。

ガリッ!

 お米の中に石でも混じっていたのか?
 …と思って、歯に当たったものを取り出してみると、石ではなく、小さな金属片。
 虫歯の治療に使われる歯の詰め物と思われる。

 嫌だな…と思って、そっと店員に、
 「こんなものが入っていたけれど」
 と、小さな声で告げると、
 「申し訳ございません。新しいものに取り替えます」
 と新しいカレーを調達してくれた。

 店を出て、
 「それにしても、なぜ虫歯の詰め物がカレーの中に入ったのだろう。誰かのいたずらだろうか」
 …などと考えながら歩いていると、自分の奥歯の方が、なんとなくスースーと風通しがいいことに気がついた。

 舌を回して奥歯を撫でてみると、舌先がはっきりと “穴ボコ” を感知した。

 なんのことはない。
 気づかないうちに自分の歯の詰め物が取れてしまい、それを自分で噛んでしまったのだ。

 「カレー屋に申し訳ないことをしたな…」
 と思うと同時に、
 …あの金属片を取っておけばよかったな…と後悔した。
 どうせ歯医者に行くことになるだろうから、その詰め物を保存しておけば流用できるかもしれない、と考えたからだ。

 歯形に合わせて、新しい詰め物ができあがるまでにはけっこう日数を要する。
 だから、外れたものを持っていれば、それを手直しするだけで、すぐはめ直してもらえる。

 そう思ったんだけれど、いずれにせよ、今は手元にないのだからしょうがない。

 いやはや、身体の不調を訴えるようなことが重なってくると、つくづく歳をとったなぁ…と思う今日この頃であります。


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 16:24 | コメント(4) | トラックバック(0)

幻の町の幻の銭湯

 子供がまだ小さかった頃、よく一緒に銭湯に通った。
 もちろん家に風呂もあったのだが、やはり銭湯の広々した空間がもたらす独特の解放感が心地よく思えたからだ。

 家の近くの銭湯に行くときは、歩いたり、自転車に乗る。
 少し離れた街の銭湯に行くときは、クルマまで使った。

 ちょっと熱めの湯に浸かり、頭に手ぬぐいなど載せて、富士山などの壁絵を眺める。

銭湯の富士山001

 銭湯の中には、露天風呂まで備えたところもあり、ちょっとした温泉気分も味わえる。
 身体が温まったら、縁せきの岩の上に座り、夜風に身体をさらす。
 風呂から上がれば、扇風機の前に座り、コーヒー牛乳かヤクルトを飲む。

 それが私と息子の銭湯の楽しみ方だった。

 あるとき、隣町の銭湯を探しているとき、偶然にも不思議な一角に出た。
 人気のない静かな住宅街のど真ん中に、古びた銭湯があり、その周辺だけが、小さな町になっていたのだ。

 町といっても、5~6軒の商店街を抜けると、そこから先はストンと切って落とされたように、静まり返った家々が濃い闇に包まれて眠っている。住宅街というより、森の感じに近い。

 銭湯の周辺だけが、村の神社の夜祭りにように、わずかな灯りが集まっている。

 銭湯の隣りには、昭和30年代の風情を感じさせる小さなマーケットがあり、店先に野菜や果物、その奥に乾物などを並べられている。
 店を照らす蛍光灯がやけに薄暗いために、黄色い裸電球が吊るされているような古めかしさが漂ってくる。

 その隣りには、屋台の焼き鳥屋が店を構えていて、小さなコンロの上に置かれた焼き鳥から、静かに煙が上がっている。
 のれんの陰に顔を隠した店主は、客も来ないのに、ていねいに串をひっくり返している。

 「純喫茶」 などという古風な呼び方がふさわしい昔風の喫茶店もある。
 喫茶店の出窓には、ホコリのかかったスパゲティのロウ細工の見本が置かれ、時間が止まったような印象を与える。
 店の窓の奥からは明かりが漏れてくるのだが、中に人がいるのかどうか、定かではない。

 町は全体的に活気が乏しい。
 店の前を横切る人の姿も、影絵のようにぼんやりしている。
 影絵の主人公が、ふと振り向くと、みな猫か狐のような顔をしているのではないかとさえ思えてくる。

狐のお面

 まるでおとぎ話の世界にさまよいこんだ気分になり、私も息子もその町の珍しさに惹かれ、銭湯に入る前に、その小さな町を一回りしたくらいだった。 

 「 “ここ過ぎて悲しみの町” だね」
 と息子がいう。
 
 昔、淋しい風景の中を一緒にドライブしたとき、私がふと口に出した言葉を覚えていたのだ。
 確か、太宰治の小説の中に出てくるフレーズだったと思う。

 この息子は奇妙な小僧で、幼い頃、遊びから帰ってきたときに開口一番、
 「さっき、町外れのおじさんがいたよ」
 などと教えてくれることがある。

 “町外れのおじさん” が、どういうおじさんなのか、彼にも説明ができない。
 しかし、その言葉に、なんともいえぬ趣き (おもむき) が込められていて、面白い。
 そういう小僧だから、こういう町は楽しくて仕方がないようだ。 

 銭湯の中も不思議な雰囲気だった。
 ちょっと山里の湯治場的な空気が流れている。
 旧家の天井のハリのような木材が、脱衣所の上に覆い被さり、床には、脱衣した着物を入れるための竹を編んだカゴが黒光りした板敷きの上に置かれている。

 湯に浸かってじっとしていると、まるで丸一日かけて、山奥の温泉まで旅してきたような気分になった。

つげ義春画01 

 私たちは、その銭湯を 「ここ過ぎて悲しみのお風呂」 と名づけ、それから何回か通った。

 もちろん、今はもう行っていない。
 それから15~16年ほど経つ。
 おとぎの話の町は、まだ残っているのだろうか。
 
コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 10:34 | コメント(2) | トラックバック(0)

オスマン・トルコ

 でっかい仕事が一応片付いたので、今、仕事とはまったく無縁の本を読み始めている。
 塩野七生さんの 『ローマ亡き後の地中海世界』 。
 中世の地中海を舞台にした海賊たちの話だ。

 こういうのが好きなのだ。
 思えば、去年の今ごろも、ブログのテーマは塩野さんの本だったように思う。
 彼女の著作には、“広大な拡がり” が感じられる。
 心が鳥になって上空に舞い上がり、空の上から地平線や水平線を眺めるという、のびやかな開放感が得られる。

 そんなわけで、久しぶりに塩野さんの本を紹介したいと思うけれど、今日はその中でも自分のお気に入りの一冊。
 『コンスタンチノープルの陥落』 について。

イスタンブール001

《 コンスタンチノープルの陥落 》

 トルコのイスタンブール市が、まだ 「コンスタンチノープル」 と呼ばれ、ギリシャ正教を唱えるビザンチン帝国の首都だった時代があった。
 15世紀に、それを当時のオスマン・トルコ帝国が攻め落とし、コンスタンチノープルは、やがてイスタンブールと名を変えて、トルコの首都として今日に至る。

 このコンスタンチノープルの陥落について専門的に書かれた読み物として、現在日本語で読めるものでは、塩野七生氏の 『コンスタンチノープルの陥落』 (新潮社) と、スティーブン・ランシマンの 『コンスタンチノープル陥落す』 (護雅夫訳 みすず書房 在庫切れ) の二つを読むことができる。

コンスタンチノープルの陥落001 コンスタンチノープル陥落す001
▲ 塩野七生 著    ▲ ランシマン 著

 塩野版は物語調で書かれ、ランシマン版は学術レポートのような文体で描かれているが、両者とも臨場感に富んでいて無類に面白い。

 ただ、小説のような構成を取る塩野版に比べ、年代記的に記述を重ねていくランシマン版の方は、前半がやや退屈である。
 特に、トルコによる包囲が始まるまでの、ビザンチン側とトルコ側がそれぞれ抱えていた政治上の問題点などを詳述するところは、わざわざ2章も割く必要があるのかと思えるほど冗長に感じられる。

 しかし、ランシマン版では、その “退屈さ” が、実は包囲戦が始まる前の緊張感を高めるための伏線になっていることも見逃せない。

 コンスタンチノープルという都市が置かれていた状況。
 オスマン・トルコという国家の成り立ち。
 そういうものを解説しながら、包囲戦が始まる前に、トルコ側がどういう準備を進めていたか。
 また、それを察知して、ビザンチン帝国側はどのように対応したか。

 いさささか学術解説書的な叙述ではあるが、読者はその経緯を知ることによって初めて包囲戦の意味を理解し、「これからスリリングな事件が始まろうとしている」 という実感をつかむことができる。

コンスタンチノープル城壁001
▲ 難攻不落を誇ったコンスタンチノープルの3重の城壁

《 物語性の強い塩野版 》

 一方、塩野版は、最初から映画や小説を思わせるようなエンターティメントの華やかさに読者を包み込んでいく。
 調査報告書のようなランシマンの記述と違い、塩野版においては、包囲戦が始まる前の状況は、すべて複数の登場人物の目によって、カメラがとらえた画像のように紹介される。

 語り部として登場する人間は、実にさまざまだ。
 コンスタンチノープルに神学を学びに来た西欧の留学生。
 その町に居留して交易を営む商人。
 あるいは、イスラム教徒の反乱軍を鎮圧するためというスルタンの援軍要請を受けて馳せ参じ、現地に着いてから 「コンスタンチノープル攻略」 の意図を知らされて戸惑うキリスト教騎士団の隊長。
 そしてスルタンの私生活を目の当たりにしてきた小姓。

 章が変わるごとに、異なる立場にいる人間が、それぞれ 「ボスポラス海峡を挟んで、トルコ帝国とビザンチン帝国の間に何が起ころうとしているのか」 を語り始める。

 しかし、彼らによるレポートがあまりにも具体的なために、かえってそこで展開される話が、実話ではなく、作者の想像の産物に過ぎないのではないか…という気分にさせてしまう。

 もちろん最終章で、ここに登場した人物が、実はこの戦いの 「記録」 を残した人たちであることが判明する。
 その時点で、読者は 「なるほど!」 と膝を打つ。
 それでも前半に受けた 「つくり話っぽい」 印象までは解消しきれない。

 塩野七生氏は、おそらく映画 『アメリカン・グラフティ』 に出てくる最後のテロップのような効果…すなわちエンドタイトルともに、若者たちの10年後の生活が解説され、ベトナム戦争で死んだ人間なども紹介されて観客がしんみりした気分になる…という効果を狙ったのかもしれないが、この本ではむしろ、登場人物たちが記録を残した人であることを先に出すべきだったろう。

 …とはいえ、この2冊は面白さの性質がそれぞれ違うので、結局両方読むのが一番ということになる。

《 メフメト2世の描き方で分かる作家たちの狙い 》

ランシマンと塩野七生の最大の違いは、メフメト2世の描き方に表れている。そこに2人の作家の生まれた風土、文化、歴史観の違いを見ることもできるかもしれない。

メフメト2世肖像
▲ トルコ史ではあまりにも有名なメフメト2世

 コンスタンチノープルが陥落するという事件は、メフメト2世という、21歳のたったひとりの若者の野心によって引き起こされた。
 この出来事が衝撃的なのは、その若者が、当時の西アジアで最強国家であったオスマン・トルコの専制君主として、数百万という人々の生殺与奪の権利を意のままに握っていたということに尽きる。

 1000年の歴史を誇り、当時は世界で最高の文化を持った大都市 (コンスタンチノープル) が、ひとりの青年のきまぐれによって消滅するということは、議会制民主主義の伝統を重んじるヨーロッパで育った人間から見ると、「非合理」 と 「野蛮」 の極みであっただろう。

 ランシマンの記述を読んでいると、彼が征服者メフメト2世に対して、公正かつ客観的な視点を維持しながらも、ヨーロッパ知識人がアジア的な専政君主政に抱く侮蔑感から免れてないように思える。

 ランシマンの手になるメフメト2世は、革新的な発想と古典的教養を同時に備え、卓越した洞察力に恵まれながらも、猜疑心が強く、残忍で、自分の意にそぐわない家臣たちを何のためらいもなく処刑する人間として描かれている。

 残忍でわがままな君主は西欧にもたくさんいただろうが、ランシマンが注目したのは、君主に処刑されることを当たり前として容認する人々を生んだアジアの精神風土そのものだった。

 スルタンに深夜呼び出されただけで、処刑を覚悟し、財貨をこぼれるばかりに盛った銀の盆をうやうやしく捧げる宰相。
 無様な戦いぶりを見せたというだけで鞭打ちの刑を受け、私有財産もすべて没収されて、乞食に身を落とす海軍司令官。

 スルタンに仕える人たちは、宰相であれ奴隷であれ、スルタンの気分ひとつであっという間に消されてしまう存在である。
 しかし、トルコ帝国の高官たちは、そのこと自体が理不尽だという意識を持たない。近世以降のヨーロッパ人が獲得した 「人権」 や 「平等思想」 などが入り込む余地のない世界だ。

 そこに、ヨーロッパ人であるランシマンは、庶民が王権を倒すフランス革命などを経験した自分たちとの違いを意識したことだろう。

はためくトルコ旗

《 メフメト2世の実像とは? 》

 塩野七生はランシマンとは違って、西欧人の独断と偏見から自由になり、世界史のなかの一人の 「英雄」 としてメフメトを位置づけるという作業を行っている。

 塩野氏は、西欧史の文脈では 「無意味だった」 とされるコンスタンチノープル征服も、「その後のトルコの発展を考えれば極めて当然の行為だった」 と正統に評価することをためらわない。

 ただ、メフメト2世に対する西欧人の過小評価を是正したいという気持ちが強過ぎたのか、彼を颯爽とした若者として描き過ぎたという印象も受ける。
 ランシマンが描いたメフメトの残虐性を語るエピソードも、塩野版ではかなり後退している。
 ランシマン本を先に読んでしまうと、そこが若干物足りない。
 時にはランシマンのような意地悪な見方の方が、逆にメフメトの個性をうまく描き出すこともあると思う。

 塩野氏とランシマンの視点の違いは以下のエピソードを紹介するときの書き方の違いからよくうかがえる。

 メフメト2世の側近に、彼の父の代から宰相を務めるハリル・パシャという重鎮がいた。
 ハリルは、これまで何度も提唱されたトルコ側のコンスタンチノープル征服に対しては強固な反対論を唱える論客だった。

 実利主義者のハリルは、コンスタンチノープルという都市が軍事的にはトルコにとって何の脅威にもならないこと。逆に、同都市に商売上手のベネチア人やジェノバ人が居留しているからこそトルコとの交易も順調に運んでいることを理由に、コンスタンチノープルを奪うことはトルコの利にならないと主張する人間だった。

 当然、「栄えある征服者」 としての自分を夢見るメフメト2世にとって、実利を説くハリルの存在は目の上のタンコブとなる。
 しかし、宮廷内におけるハリルの支持者は多く、諸外国の高官たちもハリルには厚い信頼を寄せているので、専制君主のメフメトですら、この宰相の意向を無視するわけにはいかない。

 だがメフメトは、ある晩、ついにコンスタンチノープルを征服する意志があることをハリルに告げる。

 このシーンを塩野氏は、メフメトが、「先生、あの町を私にください」 と、声を押し殺して、静かに語ったと描いている。
 彼の冷酷な意志と、底知れぬ不気味さを表現しようという書き方だ。

 それに対し、ランシマンは 「師よ。われにコンスタンチノープルを与えよ!」 と叫んだと表現している。

コンスタンチノープル城壁003

 二人がどのような原典に依拠したか分からないが、私はランシマンの方を採る。直感的に 「叫んだ」 と思えてしかたがないのだ。
 叫ばないにしても、叫ぶような高圧な態度で、専制君主らしく居丈高に命令したことだろう。

 ランシマンによると、メフメト2世は独裁者の常で、気まぐれによって家臣を振り回すことにためらいを感じる人間ではなかったという。
 そうだとすれば、夜中にハリルを呼び出したのも、不意に襲ってきた興奮に耐えきれなくなったからだ。
 高揚した気分のままハリルに決意を打ち明けようとするメフメトには、塩野氏が描くように、沈着冷静に取りつくろう余裕があったとは思えない。

 ランシマンは、メフメト2世が傷つきやすいただの若者であったことを見逃さない。
 絶対的な権力を行使している最中にも、彼は、家臣が持っている 「経験」 が自分には欠けているという思いを忘れることはなかったという。

コンスタンチノープル城壁002
▲ 金角湾を望むトルコ側の砲台

 金角湾における海戦のとき、メフメトが海の中にまで馬を乗り入れ、声をからして船長たちを指揮したが、それに耳を貸そうとする船長は一人もいなかったとランシマンは書く。
 「陸戦ならいざ知らず、海戦や船の操作についてスルタンは何の知識も持っていないことを、船長たちは知っていたからである」

 メフメトは、この時ふがいない船長たちに憤る姿勢を見せながら、内心は自分の非力さに傷ついていたという。
 こういうところにランシマン本の面白さがある。
 彼はメフメトの未熟な部分や偏狭な性格と、世界史的に傑出した名君であった部分を公平に描き分けている。

 それに対して塩野版で描かれるメフメトは、年上の大臣たちをも恐れさせる絶対君主の相貌を帯びる。
 彼は、沈黙を守っているときですら神秘的なカリスマ性を漂わせ、激怒したときには、鬼神をもひれ伏させるような怖ろしさを発揮する人物だったされる。
 ちょっとカッコよすぎである。劇画の主人公のような感じだ。

 メフメト2世の描き方に関しては、家臣に対して強権的に振る舞いながらも、内心は自分の幼さに悩んでいたというランシマン的な把握の方に、軍配を上げたい。

 しかし、それ以外の叙述となると、さすがにストーリーテラーとしての技量は塩野氏の方が上。
 「小説家」 でもある彼女の描写力は、「研究家」 ランシマンの上を行っていると言わざるを得ない。

ガレー船002

 ベネチア船が櫂を一斉に揃えて、動き出す瞬間の描写。
 あるいは、トルコ親衛隊イエニチェリの一糸乱れぬ行軍の様子。
 城壁の上に勢ぞろいして、トルコ側を威嚇するビザンチン側の高官たちの姿。
 トルコ兵たちが歌う、エスニックな軍歌の響き…。

 読者を目撃者に仕立ててしまうような臨場感の出し方においては、塩野氏の方に1日の長がある。
 このようなテーマをそこまで書き込める日本人は、氏以外にはいない。
イエニチェリ001 イエニチェリ002
▲ スルタンの親衛隊 「イエニチェリ」 。“新兵” という意味。キリスト教徒の子供たちをさらって、無理やりイスラム教に改宗させて作り上げた軍隊。家族から切り離された存在であったため、スルタンに対する忠誠心は絶大であったという。当時の世界最強軍。
 
《 追記 》

 メフメト2世の人生をたどっていくと、日本の織田信長によく似たところが多々あるように思える。
 まず、どちらも専政君主の子として生まれながら、その存立基盤が不安定で、王位継承の前に、その兄弟・親族を殺害しなければならなかった。

 また両者とも、最初のうちは父の代から使えていた家臣たちからその能力を評価されず、白眼視されていた。
 そのため周囲に対する猜疑心が強く、恨みをじっとため込む執念深い性格が形成されたいった。

 信長が、若い頃の自分に楯突いた家臣への恨みをずっと心の奥に潜ませ、晩年その家臣たちを追放したように、メフメトも自分の方針に従わなかった宰相たちを後になって処刑している。
 家臣に愛されるよりも、恐れられる君主を目指したというところも、2人に共通している。

 また、古い伝統に縛られることを嫌い、新しい物が好きだったところもそっくり。特に火器に異様な関心を示したところが似ている。

 信長が前代未聞の3000挺という鉄砲を集めて、長篠の会戦に臨んだように、メフメトも、ハンガリーの技術者であるウルバンに、世界初の巨大大砲を造らせるなど、ともに火器において軍事史を書き換えるような出来事をつくっている。

 船を使ったユニークな軍事行動を行うところも似ている。
 信長は、銃撃戦に耐えられる鉄板張りの船を建造して、周囲を驚かせたが、メフメトも、封鎖された金角湾のなかに艦隊を突入させるため、船を荷台に乗せて山越えを行うなど、常人の意表を突くアイデアを披露した。

 性愛においても2人は男色・女色の両刀使い。
 ファッションに関しても互いに派手好み。
 両者とも国際派であり、西欧の絵画や文物を好んだ。

 要の東西を問わず、歴史の中に傑出した営みを残した 「英雄」 というのは、どこか似ている。
 「闇」 の部分が濃いだけ、「明」 の部分も輝きを増すということを、この2人は教えてくれているのかもしれない。


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音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 12:30 | コメント(0) | トラックバック(0)

信号で止まる虎

 昨日の日曜日は、久しぶりの休日。
 木々の緑がキラキラとまぶしく、まるで 「新緑の初夏」 ともいえそうな好天気だった。
 散歩のついでに、自動車免許の更新を行ってきた。

 運転免許証というのは4年ごとの更新になるわけだが、この4年間のうちにいろいろ変わってしまったなぁ…という思いを持つ。

 まず、手続きがものすごく簡素になった。
 以前は書類の書き込みが面倒だったので、時間のない時は代書屋に頼んでいたのだが、もうそれも必要ないくらい書類申請が簡単になった。

 免許証そのものも変わった。
 偽変造免許を防止するために、免許証自体がICカード化されていたのだ。
 まったく知らなかった。

 新しい免許証では、本籍地などがICチップ内に記録されるために、表面上はシークレットになる。それらを読みとるためには、4桁の暗証番号を二つ入力しなければならない。
 この4年の間に、ずいぶん進化したものだ。


 1時間ほどの講習を受けたのだけれど、その内容も、最近の交通事情の変貌を遂げていることを教えてくれた。

 ここ数年、お年寄りの歩行者の事故がものすごく増えているのだそうだ。
 その中でも、自動車の免許証を持っていない老人…つまりは、運転経験のないお年寄りが事故に遭遇する率が非常に高いという。

 どういうことかというと、彼らは自分で運転を経験していなから 「クルマの特性」 というものがよく分からない。
 たとえば、ブレーキをかけてからクルマが止まるまでの制動距離というものを知らない。
 そのため、ドライバーが自分の姿を確認したら、その瞬間にクルマがピタっと止まるものだと思い込んでいるという。

 また、認知症が重くなってくると、現在の交通事情を把握する能力がどんどん失われてしまい、そのために車道への飛び出しが増えるということも、これはどこか別のところで聞いた。

 重度の認知症になると、現在の記憶はどんどん失われていくにもかかわらず、子供時代の “感覚” だけは生き残る。
 今の高齢者たちが幼年時代だった頃は、道路には横断歩道もなければ、信号もなかった。
 それでも、交通量が少なかったから、たいした事故も起こらなかった。

 横断歩道のないところを平然と横切る老人というのは、自分が子供に還っていることに気づかない人々だという。


 一方、子供の交通安全にも、ひとつの課題があるようだ。

 講習を担当した教官の方が、最後にこんな話をつけ加えた。

 「子供が信号を無視して道路を飛び出すのは、たいてい大人の責任である」 というのだ。
 つまり、大人たちは、口では、
 「信号をしっかり守りなさい。青は歩け、赤は止まれだからね」
 などと言いながら、自分たちは、クルマの通らない交差点では平気で信号を無視して、横断してしまう。

 子供たちは、そういう大人の姿をしっかり見ているのだ…とも。

 こういう話を聞くたびに、必ず思い出すエピソードがひとつある。

 それは、かつて職場の同僚と議論した 「信号無視の是非」 をテーマにしたディベートだった。

 ディベートの相手は、私にこう言った。

 ………… 子供たちに “信号のルールを守ろう” などと強制し過ぎるから、かえって信号無視をするクルマに子供がはねられたりするのだ。
 だから、必要なのは、“信号を守ろう”というルールの強制ではなく、“今は横断歩道を渡れるかどうか?” を判断する能力を養わせることだ。

 そもそも、左右の視界にクルマが1台もないのにもかかわらず、そこを 『渡るな!』 というのは、いかにも非合理的な考えだ。
 そういう考え方の根底には、国民をルールで縛って管理しやすくさせるという権力側の魂胆が反映されている。
 そういう考え方に慣らされると、自分で危機管理のできない人間になってしまう。

 仮に、自動車を、密林に棲む虎のような大型の肉食獣に例えてみよう。
 『今は青だから渡ります』
 と言ったところで、虎は子供の前で止まってくれるだろうか?

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 大自然のかたわらに住む住人たちは、個々の動物にはそれぞれ臨界距離というものがあり、どういう状況なら動物が襲ってくるのか、どういう状況なら大丈夫か、そういうものを学ばせて、子供が自分で判断できるように仕向けている。

 だから、“信号を守ろう”という安直な社会的ルールを押しつけることは、都会人・文明人の怠慢であり、それは人間の自発的な危機管理能力を殺すことつながっている ………


 もちろん、これは詭弁である。
 これを唱えた本人も、あえてディベートのための立論であることを自分でも承知している。

 しかし、何年経っても、いまだに信号の前で立ち止まると、この議論を思い出すということは、よほど自分にとって “何か意味のあること” だったに違いない。
 
 おそらく、ここには、単なる 「交通社会のルール」 という意味にとどまらない “教育のあり方” 、あるいは “共同体と個” という問題を考えるときの、本質的なものが横たわっているような気がする。
 皆さんは、どう思われますか?



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 18:33 | コメント(8) | トラックバック(0)

今風ジャズ喫茶

 印刷・製本の過程で、「出張校正」 というものがある。
 初稿に赤字を入れて、それが正しく反映されているかどうかをチェックする校正だ。
 なぜ 「出張」 なのかというと、初稿校正をチェックしたものからどんどん印刷工程に回して行くために、印刷所まで出向いて校正をするからである。

 『キャンピングカースーパーガイド 2009』 も、ようやくその出張校正の段階まで漕ぎつけた。

 で、昨日がその 「出張校正」 の日だった。
 夕方16:00時から初稿の直しが出るという段取りだったので、15:40頃、印刷所のある駅までたどりついた。
 
 ちょっと時間が早い。
 
 「コーヒーブレイク」 でも取るか…
 と、駅の周辺を散策していたら、『ジャズ喫茶』 という看板を見つけた。

 言葉の響きそのものが懐かしい。

 60年代から70年代初期にかけて、日本の大都市圏には、「ジャズ喫茶」 なるものが乱立していた。
 特に、東京の新宿あたりには、10軒以上あったと思う。

 狭い階段を降りていくと、分厚い扉があり、それを開けると、耳をつんざくようなサックスの咆哮が空気を揺るがし、
 「ここは騒音テストの実験室か?」
 と、はじめての人なら勘違いするというのが、典型的な “ジャズ喫茶” のたたずまいだった。
 
 室内はひたすら暗い。
 夜霧がたなびくように煙草の煙が充満し、奥の方はかすんで見えない。
 コーヒーは、高くて、苦くて、まずい。
 「私語禁止」 などという張り紙が堂々と張ってあったりする。

 そこに出入する人間は、たいてい、神経質そうな音楽青年あるいは文学青年で、沈思黙考する風情で、ひたすら流れる音に耳を傾けるか、あるいは分厚い書籍に一心不乱に目を通しているような人間ばかりだった。

 “モテない男” の溜まり場だったように思う。

 そういう喫茶店が、バブルの時代まで生き延びられるわけはなく、80年代になると、“名門” といわれるジャズ喫茶が軒並み店をたたんでいった。

 だから、『ジャズ喫茶』 という看板を見つけたとき、時間が20年くらい逆戻しになったような気分になった。

 出張校正のために、印刷所が用意してくれた時間まで20分しかなかったが、ためらわず、ドアを開けて中に入った。

 窓ガラスの面積が大きいため、室内はやたらと明るい。
 椅子・テーブルは、デパートの家具売り場に並ぶようなモダニズム様式のデザインで統一され、やたらとトレンディ。
 壁に埋め込まれたでっかいJBLのスピーカーと、窓際に並ぶ30㎝LPのジャケットがなければ、若い女性たちが、「ちょっとスィーツを食べながらおしゃべり…」 したくなるような、清潔で、上品なインテリアだった。

 音も適度に絞ってあって、昔だったら “野獣の雄たけび” を連想した金管楽器の咆哮が、清流のせせらぎのように聞こえた。

 客は?
 ……と眺め回してみると、これまた30年~40年前に、薄暗い 「ジャズ喫茶」 の片隅で、ひがな一杯のコーヒーをちびちび舐めながら時間を過ごしていたと思われる青年が、そのままオヤジになったという人ばかり。

 優雅なジャケットにアスコットタイなど絡ませたりして、今は “功なり名を遂げた” 人生を送っている人たちが、青春時代を回顧するために集まってきたという風情だった。

 店主は50代の白髪頭の品の良いオヤジで、カウンターの常連客を相手に、にこやかにジャズやオーディオの話題を提供しているところを見ると、きさくで饒舌な人という感じだ。

 昔のジャズ喫茶には、無口で恐い店主が多くて、リー・モーガンの 「サイドワインダー」 などリクエストすると、
 「うちはロック喫茶じゃないんだから」
 とか、
 オスカー・ピーターソンなどをリクエストすると、
 「ナイトクラブにでも行ったら」
 なんて言ったものだ。

 しかし、この店の店主は、いかにも愛想がいい。
 お客がレジでお金を払うと、
 「またお越しください」
 と、ていねいに頭を下げて、わざわざドアを自分で開けたりしている。

 時代が変ったな…と思った。

 その店主が、コーヒーを運んできたとき、
 自分もちょっと “社交性” を発揮して、
 「いま流れているミルト・ジャクソンなかなかいいですね」
 と、お愛想を言った。
 「ええ、やっぱりMJQでやっているときと、ソロでやっているときは全然違いますね。ソロでやると、すごくエモーショナルでファンキーですものね」
 と、こちらが尋ねた10倍以上の答が返ってきた。
 ああ…やっぱりジャズが好きな人なんだな、と思った。

ブルートレインポスター
 ▲ 店の壁には、ブルーノート盤の 「ブルートレイン」 のジャケットを引き伸ばしたフレーム付きポスターが立てかけられていた。 

 出張校正が始まる前だったので、わずか20分ほどで店を出たのだけれど、気持ちのよい時間を過ごした。
 こういう形でジャズ喫茶が復活するのは、とても良いことだと思う。

 だけど、何かが違う。
 …と、かすかに思う。

 ジャズさえあれば、女なんていらねぇ…
 という、あの自虐が反転して高揚していくときの気分。

 こぎれいなスーツに身を固めた大人たちなんか信用できるかよ…
 と、未熟さの裏っ返しから生まれる反発心が沸騰していくときの激情。

 昔の暗くて、汚くて、うるさいジャズ喫茶には、そういう 「負の意識」 をプラスに反転させるような魔術性があった。
 その店には、そういったものが生まれてくる余地がなかった。
 
 かつてのジャズ喫茶が持っていた 「祝祭的な空間」 は、もう今の都会の中には必要なくなったのだろう。
 今の大都市は、いわば “毎日が祝祭” 。
 そうなれば、明るく、清潔で、万人が心地よいという環境が大事になる。
 ジャズもまた、万人の音楽を目指すようになったのかもしれない。 

 近年、小じゃれたカフェや和風創作料理などを自称するダイニングでは、やたらBGMとしてジャズが使われるようになった。

 即興性の強いジャズは、あまりメロディに対するこだわりがない。
 だから、耳を傾けるのもよし。
 聞き流しながら、雑談にふけるのもよし。
 「大人のムード」 を演出するときに、ジャズは格好の “環境音楽” になる。
 だから、昔に比べると、今の方がはるかにジャズを耳にする機会は増えている。

 ただ、それはジャズにとっていいことなのか、どうか。

 昔風のジャズ喫茶がなくなって、ジャズの魔術性が薄れていくことと、ジャズが和風ダイニングのBGMで使われるようになったことは、相関関係にあるような気がする。 



コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 13:21 | コメント(4) | トラックバック(1)

ネズミの社交性

 一人っ子なのである。
 だから、基本的に一人遊びが得意。

 居酒屋の片隅で、話し相手もいなく、黙々と酒など飲んでいるのが、全然苦痛じゃない。

 数学者の森毅さんが面白いことを言っていたけれど、
 「一人っ子は協調性があまりないけれど、その足りない分を、社交性で補う」
 …っていうんだよね。
 当たり!
 と思った。

 協調性と社交性は、似たような感じがするけれど、中身はまったく別もの。

 人の群のなかに混じって、苦労して、協力し合って、ひとつの成果を出していくのが 「協調性」 。
 それに対して、 「社交性」 ってのは…

 やぁやぁ元気、いやぁしばらく! 
 お、楽しそうだねぇ、素晴らしいですね。
 それ、私にも頂戴ね。じゃ…またね。

 …と、調子よく他人の成果をヘロっと自分のものにして、自分に都合よく立ち去るのが社交性。

 ま、自分にはそういう傾向がある。

 社交性というのは、弱者の武器だ。
 力もなくて、気が弱い人間が、自分の身を守ろうとするときに発達する。
 恐竜の時代に、森の中でひっそりと暮らし始めたほ乳類の智恵だ。

 ジュラ紀とか白亜紀といった恐竜全盛時代に生まれた小さなほ乳類は、草原の中にエサを探しに行くことができない。
 行けば、恐竜にパクっと食われて、自分がエサになってしまう。

 だから彼らは、周囲の情報を取り込むために、聴覚・嗅覚といった情報収集器官をフルに働かせて、仲間同士のコミュニケーションを密にし、恐竜の脅威から身を守ろうとした。

 そいつがわれわれ人類の 「社交性」 の母胎となった。

 …って、ホントかね。
 いま思いついたヨタ話だけどさ。

 だけど、社交性ってのは、周囲の動きに敏感になることから生まれるのは確かだ。
 「人の顔色をうかがう」 とか、
 「ゴマを擦る」 とか。
 そういう姑息な気づかいが身に付くことで、社交性が育つ。
 つまり、今の自分が置かれている状況では、何が危機で、何が面白いのか。そういうことに敏感な精神が 「社交性」 の母胎となるのだ。


 自分にもそういう傾向があって、一人で黙々と居酒屋で酒を飲んでいても、耳だけダンボで、周りの情報収集だけは抜け目ない。

飲み屋瓶

 「あんたもういい加減にこれ以上飲むのをやめなよ。体を壊してまで飲むんだったら意味ないんだから」
 …って言っているのは、カウンターの隣りに腰掛けている水商売上がり風のおバアさん。

 「てぇやんでぇ。俺は飲みてぇんだよ、今晩は。てめぇ帰りたければ一人で帰ればいいだろ」
 …って息巻いているのは、定年退職して、いかにもやることがない日々が続いて鬱屈していそうなオジイさん。

 一見、夫婦の会話のようにみえるけれど、
 「あんたんとこの奥さんに、またワタシ怒鳴られるのもう嫌だよ。ねぇ、もう帰ろうよ。夜も更けてきたんだからさ。医者に止められたんだろ、酒…」
 …ってなことをオバアさんがいうからには、なんだかワケ有りのカップルのようにも思える。

 「関係ねぇだろ。俺が生きようが死のうが、俺が決めることだ」
 「バカだねぇ、死んじまったら、残されたワタシはどうなるのよ」

 いくつになっても、男はガキだね。
 でも、この会話、ちょっとした場末の 「人生劇場」 じゃないのよ。
 さぁ、続きはどうなるの?

 ……と、舞台で繰り広げられる役者の演技を楽しんでいたら、いきなりこっちにも役が振られた。
 「ねぇ、人に気をつかって酒飲んでたって楽しくねぇでしょ? ねぇ」
 オジイさんが振り向いて、こっちに向かって話しかけてくるのだ。
 応援部隊の出動よろしくね、っていう心境なんだろな。

 こっちは森の中でコソコソ生きているほ乳類だから、こういうときの対応にも抜かりはない。

 「でも、心配してくださる人がそばにいることが、人間には大事なことですから。奥様のお言葉にも耳を傾けてあげないと…」
 …ってな、三流週刊誌の人生相談の答みたいなものが、シレっと口をついて出てくるのが、オレなんだな。

 ここで 「奥様」 って言葉を使うのがミソ。
 仮に、オバアさんが “奥様” であろうとなかろうと、関係ない。
 話の流れを読んで、そのオバアさんが “奥様” の役目を務めようとしているという気持ちを汲んであげることが肝心だからだ。

 案の定、オレがそう答えたら、「そうよ、そうですよねぇ」 と、オバアさん上機嫌。
 で、オジイさんの方も、オバアさんが笑顔になれば、それはそれで、まんざらでもないんだな。

 これでそのカップルも円満。

 でも、そういう社交性を発揮する自分って、ホントに太古の森でイジイジ暮らしていたネズミみたいなもんだと、自分では思っているんだけどね。



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 00:37 | コメント(4) | トラックバック(0)

5月15日発売!

 『キャンピングカースーパーガイド 2009』。
 5月15日発売となりました。

09-guide
 
 当初のもくろみよりは、ちょっと発行が伸びてしまった理由は4月19日のブログにも書きましたが、伸びたから安穏としていられると思ったら、やっぱり結構きつかった。

 というのは、 「どうせ伸びるなら…」 と、けっこう欲張って掲載件数なども増やしてしまったんですね。

 そうしたら、…なんのことはない。
 やっぱり締め切りギリギリじゃありませんか。

 でも、まぁ、いい本になったかな…。
 画像がみんなきれいなんですね。

 ちょっと秘密があります。

 うちにはレタッチ&画像加工の名人がいて、昼間の明るさを、間接照明の映える夜の室内に。
 逆に、窓の外の暗さは、陽光あふれるアウトドアの世界に…なんてことが朝飯前のスタッフがいるんですね。
 
 だから、写真を選んでから、
 「窓の外を公園にする」
 なんてメモしておくと、
 ……ひゃあ! 窓の外には人混みばかり溢れるショー会場の写真などが、そよ風吹き抜ける芝生広場に変わっていたりするわけで。

 全部の写真にそのような加工しているわけではないのですが、イベント会場で撮った写真で、窓から車内を覗き込んでいるお父さんの顔が消えて、緑の植え込みが広がる公園になっていたりする写真はけっこうあります。

画像修正前001 画像修正後002 
▲ Before              ▲ After

 それにしても、デジタル時代の画像加工はすごいところまで来ましたね。
 「あの写真がこんなになっちゃうのかぁ…」

 校正刷りを見ているだけで、けっこうこっちも楽しめます。



campingcar | 投稿者 町田編集長 10:30 | コメント(0) | トラックバック(0)

女性の一人遊び

 この前、大阪の阪急食堂街にある立ち飲みの串揚げ屋で、一人でタコハイ飲んでいたら、隣りにフラッと立ったのが、24~25歳というOL風。

松葉

 あとから彼氏でも来るのかな…と思っていたら、一人で生ビールをグビっと空けて、
 「エビとレンコン、キスね…」
 なんて一人で頼んで、一人でほうばっているわけさ。

松葉揚げ

 昨日は昨日で、駅前の吉野屋で豚丼食っていたら、やはり隣りに座ったのが、若いOL風の女性で、
 「牛丼並み。つゆダクで下さい」
 なんて、いっちょうまえに頼んでいるんだな。

 最近やたらと飲食店に一人で入ってくる女性が多くなったように思う。 
それも、吉野屋とか、立ち飲み屋とか、オヤジが集まるような場所に。

 昔は、女性が一人でオヤジの多い飲食店に入るってのは、けっこう勇気がいることだったらしい。
 ジロジロ眺められるからだ。

 若い子の場合は、
 「彼氏募集中かな? 男に声掛けられるのを待ってんだろうか…」
 なんて、無遠慮な視線で見つめられるし、
 年配の女性の場合は、
 「離婚したのか? それとも行かず後家か?」
 なんて、男たちのよけいな好奇心にさらされる。

 しかし、そんな男たちの視線をものともしない若い女性が増えた感じがする。

 いつだったか、週刊誌を読んでいたら、 「一人カラオケ」 を楽しむ女性が増えてきたという記事が載っていた。

 取材された女性の談話では、
 「人と一緒だと、みんな知ってる曲やノリのいい曲じゃないと、場が盛り下がるじゃないですか。
 だから、なかなか好きな曲が歌えないんですよ。
 そのストレスを晴らすために、別の日に一人で行くんです」
 …ってなことらしい。
 
 一人でフレンチを食べに行く女性も多いらしい。
 「一人ならば、行きたいと思ったときにすぐ行けるし、自分のペースで食べられる。
 寂しいなんて思ったことはない。
 一人の方が “味” に集中できるし、自分の時間は友だちや恋人とではなく、自分のためだけに使いたい」
 そんな談話も紹介されていた。

 つまり、恋人がいないから…とか、友だちがいないから…という消極的な “一人遊び” ではなく、積極的に “一人遊び” を楽しむ女性が増えたってことのようだ。

 そういう彼女たちは、口々にこう言うそうだ。
 「声をかけないでほしい」

 どうも男の方の意識が遅れているらしいんだな。
 「居酒屋のカウンターでひとりで飲んでいると、オヤジは 『失恋したの?』 と聞いてくるし、大学生グループは 『寂しくないの~?』 って。
 本当にウザっぽい。
 ほっといてほしい!」

 その気持ちホントによく分かる。

 オレだって、一人でバーのカウンターでしみじみ飲んでいるとき、
 「すみません、ちょっとだけお話し相手になってくれますか?」
 なんて、若い子に声かけられなくないし、
 「ねぇ、素敵な横顔ね」
 なんて、中年の女性にも声かけられたくもないもんな。

 ましてや、
 「お一人で飲んでいらっしゃる雰囲気が、どことなく寂しげで、それでいて凛とした風情があって、今晩は素敵な方と隣り合わせになったわ。
 いっぱいご馳走していいかしら?」

 なんて言われたら、オレは即座に席を立って店を変える。
 …ぐらいの気持ちで、いつもいるのだけれど、幸いなことに、今まで一度もそんなことがないからホッとしている。

 で、何が言いたいかというと、“ひとり上手” な女性が増えてくると、そのうち、キャンピングカーで一人旅を始める女性も増えてきそうな気がするわけ。

 昔、このブログで、
 「キャンピングカー旅行では夫婦の2人旅が増えたが、その次に増えそうなのは、オヤジの一人旅じゃなかろうか」
 なんて書いたことがあったけど、どうやらその前に 「女性の一人旅」 の方が先に来るかもしれない。

 「クルマの中で一人で寝るなんて危ない」
 とか思われそうだけど、キャンピングカーってのはカーテンさえ閉めてしまえば、中にどんな人間が乗っているかなんか、外からはまったく見えない。

 列車やバスを使って一人旅をするよりも、むしろキャンピングカーの方が、案外安全な女性の一人旅をサポートするかもしれない。
 カップルや家族連れでにぎわうホテルに、一人で泊まるのは気後れすることもあるだろうけれど、クルマの中で気楽に寝ていれば、そんな気づかいも必要ないしね。

 もし、そういう風潮が台頭してくれば、またひとつキャンピングカーが変わる。
 どんな風に変わるか?
 おそらく、ファミリー仕様で、奥様の気持ちを優先して…
 なんてこと以上に、徹底的に変わる。

 面白い時代になってきた。 



ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 09:05 | コメント(0) | トラックバック(0)

新ショップ速報

 昨日の18日から今日の19日にかけて、日本各地でキャンピングカーを販売する新店舗が続々オープンしました。
 これだけ集中的に、新しい店舗が開店するというのも、近年はなかったこと。
 この業界、なかなか元気なようです。

 もちろん、今回発行する 『キャンピングカースーパーガイド 2009』 には、どの情報もしっかり載っています。

 今日は大サービス!
 発行される前ですけど、出し惜しみせずに、その収録記事の一部を抜粋して紹介してしまいましょう。
 
 昨日オープンしたばかりだというのに、記事では、
 「早くも地元のキャンピングカーファンの間では憩いの場となっている」
 なんて書いてあるお店もあります。
 「明るく、爽やかな展示場の室内には…」
 とかね。
 実際に、現場取材もしていないのに、さも “見てきたかのような” な記事を書くわけですから、編集者って、ウソつきですね!


 ええ、では、…この18日ではないのですが、4月4日にオープンした 「AtoZ鈴鹿店」 の記事から。

AtoZ (エートゥゼット) 鈴鹿店

三重県鈴鹿市磯山3-10-3
TEL.059-367-7373 / http://www.atozcamp.com/
定休日:毎週水曜日 / 営業時間:10:00~18:00

AtoZ鈴鹿店01

《 中部、近畿、阪神方面からもアクセス良好 》

 新名神高速道路の草津田上IC~亀山JCTが開通したために、京都、神戸、大阪北方面からのアクセスが一挙に便利になった鈴鹿地方。
 この地方の発展性を見込んだかのようなタイミングでオープンしたのが、AtoZのこの鈴鹿営業所だ。
 電車の便にも恵まれた場所で、近鉄名古屋線の磯山駅から徒歩で5分。国道23号線に面していて分かりやすい。
 品揃えはアミティ、アーデン、アレンなどといったオリジナルの人気商品が中心となるが、バンテック新潟やオートショップアズマ、ビークルの車種も展示される。

《 アクセス 》

 東名阪自動車道の鈴鹿IC、もしくは亀山ICを出て、鈴鹿サーキット方向へ。近鉄名古屋線の磯山駅が近く、駅から徒歩5分。鈴鹿・亀山ICからは車で40~50分。国道23号線沿い。

《 主な取り扱い車種 》

 アーデン、アーデンショート、アルファ、アレン、アミティ、アミティLX、アミティRRなど。バンコンではアンナ、アメリアの他、バンテック新潟のVR470、オートショップアズマ、ビークルの人気車も。


Camping Car Station (アールブィビックフット社) 函館店 & 北斗店

北海道北斗市七重浜4-40-1(函館店)/北海道北斗市七重浜5-3-1(北斗店)
TEL. 0138-49-5558 (函館店) / 0138-48-0151 (北斗店)
http://www.ccs-rv.com/
定休日: 毎週火曜日 (祝祭日の場合は営業)
/営業時間:10:00~20:00

CCS北斗店
▲ CCS北斗店

《 新しくレンタカーのショップも開店 》

 一面ガラス窓に囲まれた明るいショールームの中には、RVビックフット社のオリジナル製品がずらりと勢ぞろい。
 屋内展示場なので、冬でも快適にクルマを見学することができる。
 地方の展示場ではなかなか見ることができないバスコンが揃っていることもこの店の特長のひとつ。
 ショップ内にサービス工場が併設されているので、メンテナンスやパーツ取り付けなどを気軽に頼むことができる。
 この春からはレンタカー業務を中心に行うショップ (北斗店) もオープンしたので、北海道観光の時に利用したい。

《 アクセス 》

 函館江差自動車道・函館ICを出て、国道5号線を函館市内方向へ。函館ICから5分。フェリーターミナルからも5分。函館空港からクルマで約20分

《 主な取り扱い車種 》

 RVビックフットのオリジナル=シエル、シェリト、ザナドゥー、パラドール、グランディーネ、エポックμの2ルームやtypeXなどのバスコンを中心に、バンコンのオルベット、B&B、ビックフットμほかトレーラーのニワドーなど。


キャンピングカープラザ東京

埼玉県入間市二本木1281-2
TEL.04-2936-6635 / http://www.campingcar-rv.com
定休日: 毎週火曜日 / 営業時間:10:00~19:00

キャンピングカープラザ東京店001

《 アネックスの全商品を扱う関東の拠点 》

 アネックスの特約店である 「キャンピングカープラザ東京」 が、この春埼玉県の入間市にオープンした。
 国道16号線、青梅街道、圏央道、中央道さらには関越道と、多方面からのアクセスが良好で、気楽に見学に行くには理想的な場所といえる。
 関西を中心に活躍するアネックスの新車が関東地区でもゆっくり見られる貴重なショップとあって、早くも東京首都圏のアネックスファンの憩いの場としての評判を獲得している。
 オフィスも、アネックスの都会的なデザインセンスのキャンピングカーによく似合う洒落たもの。
 キャンピングカーにおいてはこの道20年のベテラン木村店長が、クルマ選びの相談からアウトドアライフの妙味まで、何でも楽しく応対してくれる。
 木村氏は、知る人とぞ知る野外料理の達人。特に 「スープの神様」 の異名を採る人だけに、野外料理のレクチャーを受けてみるのもまた一興。キャンピングカーの買取にも力を入れているので、優良中古を探すのにもいい。

《 アクセス 》


 圏央道の入間ICから国道16号線を八王子方面へ3.4km走ると左側に展示場。空色の 「キャンピングカープラザ」 の看板が目印

《 主な扱い車種 》

 主な取り扱い車種は、アネックスの特約店としてキャブコンのリバティLE58・LE52・FS58、FS52、ネビュラ、クラウドのほか、バンコンのリコルソ、ウィズ、ファミリーワゴン、ファミリーワゴンSタイプ、ストリート、ストリートデュオ、ウロボロス、ポケットなど。
 ほかに優良中古車の品揃えも充実している。
 またキャンピングカーの買取も行なっており、「オーナーの愛車へのこだわりをプラス査定する」 という方針で、良心的な査定を行っている。


 そのほか、この18日オープンしたショップでは、仮店舗ながら、ファーストカスタムの 「札幌ショールーム」 があります。
 こちらは屋内展示場なので、雨が降った日や、暑い日、寒い日など気候の悪い状態でも、安心してクルマを見学できるのが特徴。
 札幌市中央区南30条西11-1-13 / TEL.011-522-5215

 他に、この25日にオープンするのが、ナッツRV 「太宰府インター店」 。
 福岡県太宰府市水城2-10-1 / TEL.092-918-7272

 もちろん、この2店舗も、本誌にはばっちり収録。

 キャンピングカー業界は、この春空前の新店舗ラッシュ。
 マーケットの広がりが背景にあるということでしょうね。
 個々の店舗に関しては、実際に取材したときに、また詳しく紹介します。


campingcar | 投稿者 町田編集長 13:13 | コメント(0) | トラックバック(0)

また深夜の夕食だ

 ついさっき…夜中の3時だけど、カップ麺と奇陽軒のポケットシュウマイ (6個入り) の夕食を済ませ、インスタントコーヒーを飲みながら、相変わらず夜中のデスクで校正作業に従事している町田です。

 ここんところ、たまにブログを書くと、やたら夜中に仕事をしているという報告ばかり。

 じゃ、昼間寝てんのかい?
 …っていわれそうだけど、いえいえ、昼間もしっかり仕事をしてますよ。
 たまにうたた寝はしているけどね。

 今日はちょっと残念なご報告。
 今、作業中の 『キャンピングカースーパーガイド2009』 ですが、発売日がコールデンウィーク明けになってしまいました。

 なんとか、GW前に書店に並ばせたいと思って、不眠不休で編集作業を続けてきたのですが、連休前はムリとのこと。

 実は、今回から発売元さんが変わり、新しい発売元さんからの発行になります。
 その新しい発売元さんが、ムックコードを取る予定で動いていらっしゃったのですが、どうやらムックコードの取得が間に合わないらしく、今回は書籍コードの発売になります。

 …といっても、本の体裁が変わるわけではないんですけどね。

 ムックよりは書籍の方が、書店さんに置かれている期間が長いので、本を探す人には便利かもしれません。
 しかし、作る方としては、見本出しが早まる分、締め切りがタイトになります。
 つまり、書籍としてGW前に出すには、今日あたりがもう見本出しの刻限なんですね。

 そりゃちょっとムリだわなぁ…。
 ムックだったら間にあったんですけどね。

 …というわけで、書籍扱いとなったために、GW前の発行を断念せざるを得なくなりました。

 発売日は、5月15日 (金曜日) の予定です。
 
 もう原稿は全部書き上げて、初稿の90%も出ていて、ほとんど本はできているというのに、さらに1ヶ月後に発行が伸びるというのは、編集者としてはちょっと残念ですけど。

 申し訳ないなぁ…と思うのは、キャンピングカーを製作したり販売したりしている会社の人たち。
 皆さん、私が一人で取材して、記事書いて、校正やっているのを知っているので、校正のお手伝いをしてくれるんですね。

 印刷所から刷り出し用のページが作られると、それをPDFファイルにして、各事業者に目を通してもらっているのです。
 その段階で、価格や装備類、記事中のミスがあったら連絡してもらうようにしています。

 そのため、きわめて情報精度の高い本にはなるのですが、皆さん春のイベント続きの忙しい季節なので、なかなか原稿チェックの時間が取れないんですね。
 だから無理して時間をとってもらったにもかかわらず、本の発行が遅れるというのは本当に申し訳ない…という気分になります。  

 でも、発売日が伸びることが分かったので、ちょっと欲張って、特集部分を増やしました。
 昨年、アメリカをモーターホームで回ったときの印象をまとめたエッセイのようなものを書き足しました。

モニュメントバレー14

 ちょっと気取った文芸的な記事になっちゃいましたけれど、今までにはなかったようなアメリカ紀行になったのではないかと思っています。  


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 04:12 | コメント(6) | トラックバック(0)

足が…

 ここに書く話でもないし、書く本人も嫌だけど、読む人はもっと嫌だろうけれど、足がさぁ…。

 ……臭くて。

 もう5日も家に帰っていないで、風呂にも入っていないから、自分の足の臭いで死にそう。
 毎晩、皮膚洗浄綿で丁寧にふき取って、脂っけは拭き取っているんだけど、それでもさぁ、デスクの下から臭ってくるわけ。

 そばに寄ってくる人はたまらないと思うけれど、まぁ、幸い、だだっぴろい部屋で仕事をしているのは、たいてい自分ひとりだから、他人の迷惑になっていないのが、せめてもの救い。

 で、今 『キャンピングカースーパーガイド 2009』 の初稿の校正中。
 一生懸命記事を書いたつもりでいたけれど、読んでみると、まだまだ不満なところがある。
 やはり、 「そのクルマを買う人間」 の立場からすると、完璧じゃない部分もある。

 たとえば、「あ、このクルマ良さそう。買ってみようかな…」 って、自分でそんな気分に成り切って校正していて、「あ、バンクベッドは子供用の広さしかない」 って書いてあるけれど、実際にどのくらいの寸法なんだろう…って、読んでいくと、……書いてなかったりするんだな…、これが。

 まぁ、文章のスペースも、装備欄のスペースも限られているから、すべてをフォローするのは難しいけれど、できるだけ、正確な印象だけは伝えたいと思う。

会社デスク001

 本当は、1車種で4~5ページは必要かもしれないと感じる。
 
 書ききれない部分は、そのうちブログでもアップするつもりですので、こちらもお見逃しなく。

 それでは、夜明けまで、もう少し…

 
ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 03:10 | コメント(0) | トラックバック(0)

短編集を出します

 今、 『キャンピングカーsuperガイド』 の2009年版の締め切りまぎわで、ずっと原稿を書いているのだけれど、まぁ…たいへん!
 ブログの更新も滞りがちになっているのはそのため。

 まぁ、あと残り数ページというところまで漕ぎつけたんだけどね。
 一方では、先に印刷所に出した原稿の初稿が山のように出てきていて、校正しながら新規原稿も書くという…もう、てんやわんやですがな。

会社デスク001

 だけど、自分でいうのも何だけど、今度の本はきっと読んだら楽しいと思う。
 だって、自分で書いて読み返してみても、面白いんだもん。

 基本的に1ページに1車種を紹介する構成だから、ブログのようにテキストに多くの分量をかけられない。
 だから、文章の量を削ってそのクルマの本質をずばり言い当てる言葉を探していくのだけれど、それをうんうん唸りながら探していくと、自然にひとつの 「物語」 になっていく。

 機能的な特徴を説明する箇所でも、
 「ここを操作して、こう使うと、こうなって…」
 とだらだら書いていくわけにはいかないので、短いセンテンスの中でギュッと圧縮する。
 そうやって言葉の量を節約していくと、どうしても物語にならざるを得ないのだ。

 だから、今回の本は、キャンピングカーを素材とした 「短編集」 だ。

 ショーの会場で、あるビルダーの社長さんが、新入社員に私を紹介してくれたことがある。
 その口上が、
 「こちらは、日本一美しいキャンピングカーの記事を書くライターさん…」
 というものだった。

 そのとき、素直に 「うれしい!」 と思った。

 昔、自動車評論家の徳大寺有恒さんと一緒に仕事をしていたことがある。
 ある雑談の最中、彼はこんなことを言っていた。

 「僕のやっていることはね、基本的にエンターティメントなの。世間は自動車評論だと思っているかもしれないけれど、僕は評論を書いているという自覚はないの。
 だって、いかにこのクルマは機能が優れていると訴えたところで、数字を羅列しただけでは、本質は伝わらない。
 それを乗り手に伝えるのは、結局 “物語” の力なんだよ。
 スロットルを開けたときに、ペダルからつま先に伝わる反応をどう描くか。
 そいつを官能的に表現する力がなければ、評論家にはなれても、作家にはなれない」

 当時、若かった私には、何のことかよく分からなかったけれど、今は少しずつその案配というものが理解できるようになった。   

 ……ってなことを書いて、少し気分転換。
 で、また 「短編小説集」 の続きを書きます。

ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 23:13 | コメント(9) | トラックバック(0)

欧州車の深い快楽

 キャンピングカーの世界では、国産ビルダーの間で、日本市場を意識した日本的なデザインを追求しようという傾向が強くなってきた。
 ようやく、日本においても、欧米的なキャンピングカー文化とは異なる日本独自のキャンピングカー文化というものが育ちつつある…という感慨を持つ。

 しかし、その一方で、輸入車の 「ディープな快楽」 というものを理解する日本人が少しずつ減っていくような寂しさも感じる。

 乗用車もそうだが、キャンピングカーも、それを造った民族の美意識、哲学、価値観などが反映されている。
 それは、ボディや家具を構成する素材や形状を分析しただけでは、見えてこないものだ。
 特にヨーロッパ車のように、長い歴史を通じて形成されてきたものは、文字どおり 「歴史」 を知らないと、本当のことが見えない。

 たとえば、本場ヨーロッパの高級キャンピングカーが持つ、あの恐ろしいような 「快楽」 というものを、まだ日本人は知らない。

 …というか、目の前に提示されても、それを理解することができない。 

 私たちのような、キャンピングカージャーナリズムで生きている人間も、ヨーロッパの高級車を見ると、いとも簡単に 「豪華」 とか 「優美」 とか 「贅沢」 などと形容してしまうが、ふと 「本当の豪華ってものを分かってんの?」 と、自分自身で問うことがある。

ホビー内装01

 たぶん、自分も十分に理解していないかもしれないが、ヨーロッパ車のゴージャス感というものは、商人資本主義以来の500年の蓄積によってもたらされたものだということぐらいは分かる。
 その場合の 「資本主義」 とは、アフリカの希望峰を超えて東洋の富をあさりに行ったり、大西洋を超えて新大陸から金銀を持ち出すという、ヨーロッパ人たちの 「略奪」 を合法化した重商主義経済のことをいう。

 ヨーロッパ先進国というのは、そのような植民地支配を通して、世界の富を強奪するようにかき集め、それによって壮麗な文化を切り開いた。
 それは、けっして誉められたものではないだろう。
 むしろ、被征服者たちの犠牲の上に花開いた “悪の文化” ともいえる。

 しかし、そのような文化には、 「血を吸った文化」 の猛々しさと眩さ (まばゆさ) があり、触れた者をトロリと誘惑する、熟れた果実のような芳香がある。
 そして、自分を大人と思える……すなわち 「偽善者」 であることを自覚した人間だけが味わえる、背徳的な悦びが隠されている。

ヴェルサイユ宮殿01

 このような華麗な資本主義文化を成立させる原動力となったものは、いったい何だったのだろう。

 マックス・ウェーバーの主張した、プロテスタント的な倫理が資本主義の精神を形成したという洞察に異を唱えた学者として、ヴェルナー・ゾンバルトがいるが、彼は、資本主義を発展させた推進力は、 「恋愛」 だと唱えた。

 つまり、18世紀になって花開いたフランス宮廷文化における華麗な 「恋愛ごっこ」 が、資本主義の勃興をうながしたというのである。

 この時代、パリのヴェルサイユ宮殿を中心に繰り広げられた貴族たちの宴では、貴婦人たちや女官たちの歓心を買うために、男たちはあらんかぎりの豪華な文物を手に入れて、女たちにプレゼントした。

 プレンゼントの品々には、全欧州の金銀細工や宝石のたぐいは言うに及ばず、東洋や新大陸の珍奇で貴重な工芸品など、ありとあらゆる世界の富がかき集められた。

 それらの金銀細工や宝石を加工する産業が各地に勃興し、ヨーロッパの製造業は著しく成長した。
 中国や日本の陶器が上流階級の家庭でコレクションされるようになると、それをヒントに、マイセンをはじめ、ヨーロッパ中に磁器工場がつくられるようになった。

マイセンの食器02

 また、貴族のファッションを構成する素材として、レース製品が欠かせないものとなり、フランドル地方のレース編みは、その緻密さと美しさを評価されて、上流階級の間で飛ぶように売れた。

 そのような文物が溢れかえった時代の 「恋愛」 とは、どんなものであったか。

 ヴェルサイユ宮殿で、歴代の王族や貴族の “恋人” として名を馳せた貴婦人たちの呼称を見れば、彼らの恋愛模様というものがよく見えてくる。

 「シャトルー公爵夫人」
 「ポンパドゥール侯爵夫人」
 「デュバリー伯爵夫人」

 みな、それぞれ夫を持つ立派な主婦たちである。

ポンパドゥール夫人肖像01
 ▲ ポンパドゥール夫人 肖像

 彼女たちは、夫を持つ身でありながら、時の権力者たちに取り入るための魅力を存分に発揮して愛人に収まり、夜毎のパーティやサロンを切り盛りして、華麗なる宮廷文化の華を咲かせた。

 貴族たちが群集うの宮廷では、 「結婚」 というものは何も意味しなかった。
 夫人たちは、それぞれ夫とは別の王侯貴族の愛人となることを当たり前のように求め、男たちは、妻とは別の貴婦人たちを当たり前のように恋人とした。
 「不倫」 という言葉すら、何の意味も持たなかった。

 人々が求めたのは、一瞬のきらめきに、すべてを託す忘我の快楽。
 あでやかな官能。
 ゲームとしての恋。

ヴーシェ絵画01

 平民の娘でも、美貌と才覚に恵まれれば、時の最高権力者の愛妾にもなれる。
 そういう筋道を、ポンパドゥール夫人がつけてからは、男女の関係は一気にアナーキーになった。

 性愛、富、権力。
 人間が快楽と感じるもののすべてが、この時代に合体した。
 フランスを中心とするヨーロッパの恋愛文化には、基本的にこのような精神が息づいている。

 かつて作家の五木寛之は、ヨーロッパ社会の中で 「F1」 というスポーツがどのようなものであるかを、こう書いた。

 「F1は、お子様連れで家族ぐるみで楽しみにゆく場ではない。あのエンジン音は、柔らかい幼児の鼓膜には良い影響を与えないはずだ。
 そこは、不倫だの、危険な情事だのと世間から雑音が入ることをものともしない人々が、愛人を連れてゆくような場所なのである」

 アンモラルな表現だが、まちがいなく五木寛之は、ヨーロッパ社会の伝統的な恋愛文化を念頭において、これを書いている。

 ヨーロッパのキャンピングカーというのも、こうした流れの中で造り上げられたものだという。

 元日本オート・キャンプ協会の専務理事を務められた岡本昌光氏は、著書 『キャンプ夜話』 の中で、イギリス国立自動車博物館に保管されているキャンピングトレーラーの第1号といわれる車両を目にして、こう語る。

 「その最古のトレーラーの室内には、貴族の応接間のような格調高い家具が置かれ、窓飾りや、カーテン、壁紙、ジュータンまでもが 『オリエント急行』 のレストランのような豪華な雰囲気を漂わせていた。
 貴族たちは、動く別荘としてキャンピングカーを使い、自分の領地の景色の良い所に置いた。
 彼らはたくさんの召使いや、給仕、料理人を使い、大テーブルには山海の珍味を並べ、美女たちを招待し、最高の酒を味わった」

 この記述を読むと、最古のトレーラーといわれるものが、フランスで華開いたロココの精神の延長線上にあることは明らかだ。
 
 その流れは今も続く。
 たとえば、ホビーのエクセルシオールの天井カーブを見ていると、まるでヴェルサイユ宮殿の天井をそのまま縮小したのではないかとすら思えてくる。

ヴェルサイユ宮殿01 ホビー内装01
 ▲ ヴェルサイユ宮殿 /ホビー・エクセルシオール

 欧州車デザインのキータームは、 「エレガンス」 である。
 これも、貴族文化の流れをくむ言葉だ。
 「優美」 「気品」 「優雅」 …などと訳されるけれど、本来は差別意識の強い言葉だ。

 恋をゲームのように遊んだロココの貴族たちは、何よりも野暮ったさを嫌った。

 「まじめな恋や、一途 (いちず) な恋というのは野暮ったい」

 だから、“まじめにならない浮気” こそがエレガントなゲームとなる。
 彼らが使う 「エレガンス」 という言葉には、そういう響きがある。

 そのような恋を楽しむ場所として、彼らは、自分たちの暮らすスペースを精いっぱいエレガントな意匠で飾った。

 その 「快楽空間」 というものが、どのようなものであったか。

 映画を例に取れば、ルキノ・ヴィスコンティの描く数々の映画に登場する人物像、その背景となる舞台、扱われる文物などに余すところなく描かれている。
 『イノセント』 や 『ルードヴィヒ』 、『山猫』 などという映画には、ヨーロッパ貴族たちが呼吸していた濃密な生活空間の空気が、見事に映像化されている。

ヴィスコンティ「イノセント」
 ▲ ヴィスコンティの 『イノセント』

ヴィスコンティ「ルードヴィヒ」
 ▲ ヴィスコンティの 『ルードヴィヒ』

 現在のヨーロッパ高級キャンピングカーを見ると、さすがにヴィスコンティの映画に出てきそうなバロック、ロココ的なケバケバしさというものは影を潜めている。

ハイマーSクラス02

 内装デザインはモダンになり、中にはSF映画の舞台ともなりそうな未来志向の室内空間を形成しているものもある。
 そして、時代のテーマを忠実に反映したエコロジーコンシャスの装備類や素材などをふんだんに投入し、爽やかで健康に満ちあふれたクルマ造りを志向しているように見える。

ハイマーSクラス04

 想定されるユーザー層は、あくまでも健全な家族であり、幸せな老夫婦。
 そこには、遊戯的な愛を交わし合ったロココの愛人たちの姿は見えない。

ハイマー03

 しかしドッコイである。
 彼らは、そう簡単に 「恋愛空間」 としてのキャンピングカーを手放してはいない。

 ときめき。
 誘惑の蜜の味。
 吐息の熱さ。

 そいつを、目立たないように、こっそりと、しかし確実に、キャンピングカーに忍び込ませている。

ハイマー06

 それは、時には、女体のくびれを連想させるコンソールボックスのアールかもしれないし、セクシーなデザインを与えられたハイネックのフォーセットかもしれない。

ハイネックフォーセット

 それらの形が、見た者をムズムズ…とさせるのは、それを考えたデザイナーにも、営業マンにも、使うユーザーにも、恋愛文化の伝統がもたらす “ムズムズ感” が分かっているからである。
 欧州高級車の 「色気」 というものは、すべてそこから放たれてくるものといえる。


campingcar | 投稿者 町田編集長 01:58 | コメント(6) | トラックバック(0)

眠くないのだ!

 いやぁ、一睡もしないで、20時間連続で原稿を書いた。
 『キャンピングカースーパーガイド2009』  の特集部分。

 昨年版は 「大人のキャンプ場」 というテーマで、シニアカップルなどが、ゆったりくつろげるキャンプ場というのを特集したけれど、今年のテーマは 「キャンピングカーの未来を拓く人たち」 。
 
 昨年から今年の春にかけて、ビルダーや販社の人たちと話しているうちに、みんなの考え方が少しずつ変ってきたことに気づいたからだ。
 ひと言でいうと、それぞれテーマというものに向き合って、自分たちのキャンピングカーが日本の未来に…あるいは人々の幸せにどう関るのか、ということを真剣に取り組み始めてきたと思えたからだ。

 これはぜひ特集にしなければならない…とは思いつつ…、やっぱりキャンピングカーの車種紹介の方に時間をかけてしまう。
 だから、今年は巻頭特集をおっぽり出す形で作業を進めてきたけれど、もう初稿がバンバン出てきているタイミングで、いつまでも特集ページをほったらかしにしていくこともできない。

 で、土曜の夜から日曜の夕方まで、誰もいない部屋で、ぶっ通しで原稿書き。

編集室1

 気が張っていると、眠くならない。
 普段飲んでいるカフェイン飲料も、むしろ飲まなくて平気。

 で……、その後、ことさら仮眠するでもなく、結局この時間になってもまだ眠くないのだ。
 そろそろ、30時間ゼロ睡眠で来ているけれど、いったいどこまでいくのやら。
 ギネスブックにでもチャレンジするかね。

 ……んなわけで、ブログもちょっと滞りがちではありますけれど、平にご容赦を。
 コメントくださった方々にも返信していないのですが、ごめんなさい。
 しっかり読んではおります。
 少し落ち着いたらまとめて返信いたします。 


ヨタ話 | 投稿者 町田編集長 02:36 | コメント(6) | トラックバック(0)

忘れえぬ女(人)

 たまに、風呂に入るために、家に帰る。
 久しぶりに、夜の電車に乗った。

 「WBCって、日本が勝ったの?」」
 …ってなくらい、浦島太郎的な生活をしているので、電車に乗ると新鮮だ。

 吊り革につかまって、何気なく車内吊りの広告を見ていたら、4月4日から 「Bunkamura ザ・ミュージアム」 で、ロシアの 『 トレチャコフ美術展 』 が開かれるという広告が載っていた。

 「ああ、時代が一回りしたのかな…」
 と思った。

 昔…といっても、1993年のことだ。
 上野の東京都立美術館で、やはり 「トレチャコフ美術展」 が開かれて、カミさんと観にいったことがったあったからだ。

 やはり、同じ季節だったろうか。
 その日は雨の休日で、上野の森の新緑が雨に煙って濃い影をつくっていて、美術館に入る前から、すでに絵画の世界を歩いているような日だった。

 トレチャコフというのは、帝政ロシア時代の画商の名前で、当時の帝政ロシア画壇アカデミズムに反抗した “革命派” の絵画集団を支援した人の名である。
 
 当時、そういう革命派の画家たちを 「移動派」 と呼んだらしい。
 なんで、 「移動派」 なのかというと、それには訳があったようだ。 

 当時のロシア画壇というのは、ヨーロッパ文化志向の政府方針により、イタリア古典絵画の手法をそのまま踏襲する絵画が主流だった。
 しかし、そこには、帝政ロシアの貴族政治の下であえいでいた庶民の生活は描かれなかった。

 「移動派」 は、その手法ではロシアの現状を描写することができないと画壇の主流派と決別して、ロシアの腐敗した貴族政治を風刺したり、農民や一般大衆の悲惨さをテーマにした絵を描き始めた。

 「移動派」 という名称は、彼らが絵画を一部の特権階級のサロンから解放し、村から村へと自分たちの作品を移動させながら展覧会を行ったことに由来している。

 だから、彼らの描く絵画は、一般に 「ロシア・リアリズム」 などともいわれる政治性の濃い絵画であった。
 彼らの描く絵のテーマは、権力と癒着した僧侶階級の腐敗だったり、プロレタリアートの過酷な労働の状況を克明に写し取るといった、メッセージ性の強いものばかりだった。
 
 実は正直、昔この手の絵画が嫌いだった。
 あまりにも直接的な政治的メッセージが、なんだか底が浅いような気がしたからだ。
 それまでは、政治風刺や権力批判などというテーマを盛り込んだ絵画は二流の絵画だという思い込みを持っていた。

 しかし、実際のロシア・リアリズムに接してみると、自分が持っていた先入観とは少し違うかな…という印象を持った。

 紋切り型のメッセージ性というのは確かにあるけれど、それが 「悪いことか?」 という気もしたのである。 

 政治性が強く出ているので美学が後退している…なんていう見方をするよりも、当時展開された歴史的 「瞬間」 に立ち会っている! という衝撃をそのまま感受した方がいいのではないか…と思ったのだ。

 「ロシア・リアリズム」 と言われるだけあって、政治性も濃いけれど、描写力も迫真的だ。

 実際、本物の絵画の前に立ってみると、実にリアルである。
 メッセージの部分に誇張があるとはいえ、ディテールは、まぎれもなく100年も前のロシアで展開された歴史の一瞬が凍結されたまま保存されている。

 もちろん絵画は作者のイスピレーションで構成されるのだから、それがそのまま事実であるわけはないのだか、こういう素朴なリアリズムの 「豪速球」 迫ってこられると、歴史の一瞬に立ち会っているという素直な感動がわき起こってくる。

 それともうひとつ、ロシアの風俗が面白い。
 人々の着るもの、街、村の景色。特に貴族階級の婦女子の衣服。

 ヨーロッパというよりアジアに近く、かといって中国でもモンゴルでもない独特の装束は見ていて飽きない。
 玉葱型の屋根を持つクレムリン宮殿独特の建築様式もじっくり見るとなんとも奇妙だ。

 こういう文化様式はどうして生まれてきたのだろう…と、考えれば考えるほど興味が湧いてくる。
 
 革命前の19世紀帝政ロシアは、ひょっとした人類史上まれにみる不思議な国家空間を形作っていたのではなかろうか。

 西洋近代的な衣装をまとった古代アジア的専制政治。
 フランス的教養で染められたはずの貴族文化の中にはびこる、魔術や呪術。
 科学とオカルト、インターナショナリズムと土俗主義。
 そんなものが渾然一体となって渦巻いていたのが革命前のロシアだ。

 ドフトエフスキーは、非ユークリッド幾何学の 「平行線は無限延点で交わる」 という公理に刺激を受けて、その “無限延点” という彼方に、神の立つ場所を確信したというが、あの時代のロシアは、数学や科学の最先端の成果と、神学やメルヘンがひとつの坩堝の中で溶け合って、国民全体がものすごい創造的パワーに振り回されていた時代なのかもしれない…と思う。

 今回の 「トレチャコフ美術展」 では、クラムスコイ 「忘れえぬ女 (ひと) 」 が目玉になるらしい。

クラムスコイ作忘れえぬ人

 馬車に乗る一人の貴婦人が、傲慢と思えるほどの眼差しで、路上にいる人間を見下ろしている絵だ。
 「移動派」 のような画家たちからすれば、憎むべき貴族階級のいやらしさを身に帯びた女性のように見えたのかもしれない。

 しかし、この絵が注目されたのは、一見 “傲慢” な彼女に瞳の奥に宿された、どうしようもない憂い。
 その瞳の奥に、涙が描き込まれていると指摘する人もいる。

 彼女は何者なのか。
 モデルは誰なのか。
 なぜ悲しんでいるのか。

 すべては謎であるらしく、そのために 「ロシアのモナリザ」 とも呼ばれているそうな。
 
 実は、この女性を見ていると、自分は、どうしても、もう死んでしまったペットのクッキーを思い出す。
 絵に描かれた彼女には失礼なのかもしれないけれど、自分にとっては、この女性はクッキー (↓) なのだ。
 http://campingcar.blog.hobidas.com/archives/article/63382.html

 今の仕事が一段楽したら、自分はもう一度 “クッキー” に会いにいってこようと思っている。



コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 04:11 | コメント(0) | トラックバック(0)

夜明けのR&B

 静まり返った会社の部屋で、独り70年代SOULミュージックを聴きつつ、原稿を書いている。

ホワッツ・ゴーイング・オン01

 明け方の5時。
 『キャンピングカー スーパーガイド2009』 の締め切りまであとわずか。
 もうじき会社の裏を走る私鉄の始発が動き出す。

 眠気を追いやるために、身体はカフェイン漬け。
 30分おきにインスタントコーヒーを飲んでいるし、 「眠気ざまし」 の内服液も必需品。
 いろいろ試してみたが、ゼリア新薬工業というところの 「ポンツシン内服液」 というのが一番効くようだ。  

 「使用上の注意」 というところに、 「してはいけないこと」 というのが書いてあって、 「コーヒーやお茶などのカフェインを含有する飲料と同時に服用しないでください」 と書いてあるのだけれど、全然気づかずに、コーヒーを飲む合間にガンガン飲んでいた。
 
 併用するとどうなるのだろう?
 胃でも悪くなるのだろうか。

 今のところなんともない。
 鈍感な身体にできていることを、親か神に、感謝しなければならない。

 それにしても、結局、また同じ音楽を聞いてしまう。

 スピナーズの 『アイル・ビー・アラウンド』 。
 メインイングリーンディエントの 『独りにしないで』 。
 ステイプルシンガーズの 『レッツ・ドゥ・イット・アゲイン』 。
 テッド・テイラーの 『オンリー・ザ・ロンリー・ノウ』
 チャイライツの 『オー・ガール』 。
 スモーキー・ロビンソンの 『ベイビー・カム・クローズ』 ……

 演歌も、Jポップも、ロックも、ジャズもさんざん聞いてきたけれど、最後はこのへんにたどり着く。

 とうとう、音楽に関してはな~んにも進歩しなかった。

 なんのことはない。
 20代の初めにのめり込んだ音に、結局、一生支配されてしまったわけだ。

 「70年代ソウル」 …というと、マービン・ゲイがいて、スティービー・ワンダーがいて、スタイリスティックスがいて、アル・グリーンがいて…と、なんだか黒人音楽の豊饒期という感じがするけれど、考えてみると、ごく短い間でしかなかった。

 たぶん、その黄金期は '72年から '74年までの2年間である。

グラディス・ナイト01
 
 この時期、黒人音楽が、突然閃光を放った。
 それまでのポップでダンサナブルな音楽からするりと身をかわし、艶やかな陰影と先鋭的な批評性を携えた、大人が観賞するに堪えうる音楽に生まれ変わった。

 自分はディスコ小僧だったから、60年代のジェームス・ブラウン、サム&デイブ、ウィルソン・ピケット、テンプテーションズ、フォートップス・シュープリームスの方に身体がなじんでいる。

 しかし、そのあたりの曲は、聞けばなつかしく身体がスィングするけれど、しょせんはナツメロ。

 だけど70年代ソウルは、心がスィングする。

 そして、それを聞いていると、この都会の片隅のどこかには、いまだ自分が経験したこともないような贅沢な恋が待っていて、そのまま死んでもかまわないようなディープな快楽が口を開いていて、そこにハマったらもう後に戻れなくなるに違いない。
 …という感じの胸騒ぎが、胸をかきむしるのだ。

セーヌ左岸の恋01

 この時代のR&Bだけに存在する不思議なゴージャスさ。
 泡がツブ立つシャンパンのような華やかさと、チョコレートのようなビターな甘さ。
 それでいて、鋭利な刃物で身を切られるような冷たさ。
 人なつっこい優しさの奥に秘められた不良のふてぶてしさ。

 そういった感触が、「70年代SOUL」 という音楽からこぼれ出てくる。

 この時代の音は、ざわめくパーティ会場で聞いても似合うし、朝の冷気の中で、独りで聞くのにも合う。

街01

 そういう音楽性というのはどこから来たのだろう?
 …と、いまだに不思議に思う。

 70年代当初のアメリカ社会では、あいかわらず黒人たちは差別の中であえいでいたが、彼らは、少しずつ身につけた経済力を背景に、政治的な差別とは関係ないところで、自分たちの楽しみ方を見出しつつあった。

 彼らは、白人のモテ方とは違うモテ方を知ったし、白人の快楽とは違う快楽を知った。
 それまで、白人のように振る舞わないとバカにされると怯えていた彼らは、自分たちの縮れた髪に抱いていた劣等感をかなぐり捨て、わざと縮れ髪を頭上高く盛り上げるアフロヘアにして、路上を闊歩した。

 そんな彼らが見たアメリカの風景は、同じ景色を見ても、彼らのオヤジやオフクロが見ていた風景とは違って見えたはずだ。

 「70年代SOULミュージック」 は、たぶんそういう景色を見た人間たちがつくり出した音楽なのだ。

 だから、音そのものに、 「未知」 だった世界が開けてきたときの新鮮なときめきがある。

 20代のはじめに、この音に接した自分もまた、70年代ソウルミュージックのなかに、 「新鮮なときめき」 があることを知った。

 そして、50代もそろそろ終わろうとしているこの年になっても、この音を聞くと 「新鮮なときめき」 が襲ってくる。
 涙が流れるほど、暴力的に。

アメリカのハンバーガー屋

 70年代SOULミュージックは、衰退するのも早かった。
 70年代も半ば以降になると、ディスコミュージックの全盛期がやってくる。

 それは健康的で楽しい音楽だったが、それだけだった。

 ディスコビートが 「世界言語」 化して、民族や文化を超えて普遍化したときに、何かが終わった。
 それは、白人社会の快楽とは違った 「快楽」 を見出した黒人の若者たちが、そのうち、その刺激にも慣れ、自分たちの見出した新しい世界に無頓着になったのと同じタイミングだった。

 SOULミュージックは、またただのダンス音楽に戻った。

 だから私は、突然雲間が切れて、地上にまばゆい光が差し込んだような 「70年代初期のSOUL」 を聞き続ける。
 それは、あの時代だけに生まれた奇跡のように思える。


音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 05:00 | コメント(5) | トラックバック(0)

クエスト雅

 昨年開かれた 「RV世界会議」 で、日本を代表するバンコンとして写真で紹介され、世界のRV関係者の注目を集めたクエスト。
 障子と畳という伝統的な日本文化のエッセンスを採り入れた室内造形に、欧米風のRVがスタンダードだと信じていた人たちは大いに好奇心を刺激されたという。

 そのクエストのベース車をスーパーロングからコンパクトな標準ボディに替えたのが、この 「クエスト雅 (みやび) 」  (バンテック新潟)

クエスト雅外装01

 全長・全幅が短くなった分、狭い市街地や温泉街を走り抜けるときもストレスが溜まらなくなった。
 にもかかわらず、和室空間の雰囲気はスーパーロングモデルとまったく変わらず。優雅な温泉旅館に泊まってのんびりする時の、あの落ち着き感が踏襲されている。

クエスト雅内装01大

 そのような、日本旅館でくつろぐ時の快適性を実現するために、FFヒーターから電子レンジ、インバーター、クローゼット、大型換気扇、傘立てに至るまで、すべてが標準装備されている。装備面でも手抜かりのないクルマだ。

クエスト雅内装04

 スーパーロングモデルと違うところは、セカンドシートが廃されて、代わりに機能的なキッチンスペースが設けられたこと。それによって、和室との一体感も強まり、コンセプトもより明瞭になった。
 和室部分からもアクセスできるミラー付きクローゼットがあるため、室内で着替えることも可能。掘りごたつが使える床下収納空間も広々している。

クエスト雅02

 畳と障子で構成される和室風キャンピングカーというのは、過去にも何度か試されたことがあったが、そのほとんどは実験の域を出なかった。
 しかしクエストシリーズは、まれにみる完成度を高め、見事に商品としての自立性を発揮している。
 その理由は、緻密な縦横比の計算に基づいたバランス感覚の良さと、作り込みの緻密さがものをいっているからだ。
 世界に誇れる日本のキャンピングカーが誕生したと思う。

クエスト雅照明

 お値段は。4,935,000円から

※ 『 キャンピングカー スーパーガイド 2009 』 より一部を抜粋。

 
campingcar | 投稿者 町田編集長 10:48 | コメント(2) | トラックバック(0)

手作り用キット

 ハンドメイドキャンピングカーに取り組む人が、また増えているという。
 今のように、キャンピングカービルダーがこれほど多くなかった時代。すなわち1970年代頃は、日本のキャンピングカーは、ほとんどが手作りキャンピングカーだった。

 その後、80年代から90年代にかけて、日本のビルダー数が増えていくに従って、質の高い量産キャンピングカーが安く出回るようになり、ハンドメイドキャンピングカーは一時の勢いを失っていく。

 しかし、ここのところ長引く不況の影響を受けてか、キャンピングカーを安く手に入れるために、再び自分でキャンピングカーを作ろうという人が増える傾向にあるのだそうだ。

 そんなタイミングを見計らってか、大手キャンピングカービルダーのバンテックから、200系ハイエース・スーパーロング用の手作りキャンピングカーキット 「D-BOX」  が発売された。

バンテックキット001

 なにしろ、国産ビルダーとしては、生産規模においても商品クオリティにおいても日本でトップと謳われるバンテック。
 そこが開発したキットには、どういう特徴があるのだろう。
 また、その狙いは何なのか?
 バンテックの開発部に所属する中島宇一郎さんに、話を聞いてみた。

バンテック中島氏01
 ▲ 中島宇一郎さん

【町田】  キットを手掛けるようになったのは、どういう理由からですか?
【中島】  ひとつには、キャンピングカーの普及を目指して…ということが大きいですね。
 いろいろなお客様の話を聞いていると、
 「キャンピングカーが欲しいけれど、まだお金の余裕がないから買えない」
 とか、
 「もう少しお金が貯まってから…」
 と話される方が実に多いんですね。
 そういう方々の要望に応えて、少しでも買いやすい価格帯のクルマを提供したいという気持ちは当然あるのですが、価格を抑えるにも限度があるんですね。
 特に、工賃の部分はこれが目一杯。
 …だったら、お客様に工賃をご負担いただいて、こちらは材料だけを提供するような形をとれば、お安く提供できるのかなと…」

バンテックキット002

【町田】  バンテックさんは、こういうキットの販売は初めて?
【中島】  いえいえ、日本にキャンピングカーが普及し始めた頃、うちでは2000キット以上のキットを販売しているんですよ。
 今回も、そのときの経験を生かして商品開発していますね。

【町田】  実際に、完成車を買うのと、このキットを買って自分で組み立てるのでは、どのくらいの差が出るのですか?

【中島】  たとえば、最近私たちが出した新車で 「フレア」 というバンコンがありますが、その車両本体価格が378万円。
 それを実際に取得するとなると、登録費が別にかかるので、約400万円ぐらいになります。
 ところが、このキットを買っていただいて、ご自分でキャンピングカーを組み立てられる場合は、ざっというと、80万円くらい安く仕上げることができます。
 内訳で言いますと、まずベース車 (ハイエースバン) の料金が値引きを入れて、だいたい200~210万円。
 そして、キットの料金が59万8,000円。
 それに梱包料、送料が多少それに加わります。
 それでも、完成車に比べて、大雑把に80万円程度の差はつきますね。
 少し贅沢したいということで、バッテリー、ヒーターといった充実装備を加味していっても、お客様が負担する額は300万円ぐらい…といったところでしょうか。
 もしベース車を新車で買った場合は、それに取得税や重量税がかかりますから、登録費用が20万円ぐらい加算されますけれど、それでもおよそ320万円。
 登録費用も入れて目一杯高くなった状態でも、300万円台の前半で堂々たるキャンピングカーを所有できます。

バンテックキット003

【町田】 しかし、価格が安いのはいいけれど、作るのが面倒くさいというお客さんもいるでしょうね。
【中島】 そういう方には、弊社で組み立て済みの完成車を販売することもできます。
 しかし、補償に関しては、あくまでもキットとしての補償しかできませんけれど…。
 でも、せっかくですから、“作る喜び” というのも味わってみることをお勧めします。
 というのは、このキットはもうプラモデルの感覚で組み立てられるんですよ。
 工具も、基本的にはマイナスのドライバーが一本あれば十分。
 家具がすべて 「組み立て済み」 になっているんですね。
 天井の吊り棚から、ベッド兼用のシート、テーブル、サイドカウンター、ベッド用マットなど、すべて完成されたユニットになっているんです。

バンテックキット005

【町田】  吊り棚なんかは、どうやって付けるのですか?
【中島】  吊り棚などにもブラケットが付いているので、窓枠のところとルーフのフランジのところに引っかけるだけなんです。
 だから、ハンドメイドとはいいつつも、お客様はただ 「設置するだけ」 でいいんですね。
 しかも、全工程が写真付きの組み立て説明書によって、つぶさに分かるようになっていますし、8ナンバー登録するための改造申請書も付いています。
【町田】  至れり尽くせりですね。

【中島】  床には、すべて家具を固定するためのマーキングがなされていて、それに応じて穴も空いていますから、家具位置を決めるも簡単です。
 その穴に専用のナットを埋めてもらって、それに対して家具側のピンを差し込む。
 そして、家具を固定してピンを差し込んだら、マイナスドライバーでキュッと締めてあげれば、めでたく完了。
 それだけで、すべての家具がしっかり固定ができるようになっています。

バンテックキット004

【町田】  実に簡単ですね。
【中島】  ええ。ただシートベルトの取り付けだけは、やはり保安基準と安全上の問題から床に止めるというわけにはいかないものですから、ボディを貫通する穴を空けていただく必要がありますね。
 その作業だけには、電動ドリルが必要となりますが、それ以外はマイナスドライバーが一本あれば問題ありません。

【町田】  そんなに簡単に組み立てられるのに、家具にはバンテックさん自慢の家具がそっくり使えるというのが魅力ですね。
【中島】  ええ。組み立てるのはお客様であっても、できあがったクルマのクオリティはバンテックの工場から出てくる完成品と変わらないということを訴えていきたいですね。

バンテックキット006

【町田】  バンテックさんには充実した品数を誇るパーツセンターさんもあるわけですから、ユーザーは手作りを楽しみながら、自分のクルマに合ったパーツ探しも楽しめるということになりますね。
 団塊の世代には手先の器用な人が多いから、彼らがリタイヤした後の趣味として、「キャンピングカー作り」 っていうのが流行るかもしれないですね。
【中島】  そうですね。自分好みのクルマに仕上げていくというのは、ハンドメイドでしか味わえませんものね。



campingcar | 投稿者 町田編集長 00:22 | コメント(0) | トラックバック(0)

バルミィ

 大森自動車のバルミィというバンコンは、日本のバンコンデザインのひとつの到達点を示すようなクルマだと思う。

バルミィ外形01

 そのインテリア造形は、一見キャンピングカーには見えない。
 どこかクルーザーか、高級ホテルの室内のような雰囲気が漂っている。

バルミィ内装01大

 特に、09年の春に発表された新型モデルは、基本レイアウトは前モデルのものをほぼ踏襲していたが、シート素材にざっくりした感触を生かした平織りを採用し、未来的なデザインの室内に、少しレトロな味わいを導入していた。
 それがちょうど、このモデルから投入されたLED照明の間接照明的な光の中で、50年代から60年代頃に作られた映画に出てくる“超モダン住宅”のインテリアのように見えた。

バルミィメイン1

 その時代の人々が考えていた近未来というのは、今の人々が心の中に描くような終末論的な彩りに染められた未来像とは異なり、明るく希望に満ちたものだった。

 当時の人々が、思い描いていた奇抜でカッコいい 「未来」 。
 それが、時間の波のくぐり抜けて、眼前に現れているのを見ると、私などの世代は若い頃に見た光景を思い出し、鼻孔いっぱいに甘酸っぱい香りが広がっていくのを感じる。

 この 「レトロ感覚」 と 「未来感覚」 が不思議に融合した不思議な味わい。
 そこに、このバルミィの独自性があると思う。

大森太朗氏01
 ▲ 大森自動車 大森太朗さん

 設計・開発を担当した宮永さんは、特にそういうことを意識したわけではないと語っていたが、 「他のバンコンにはない意匠を創案して、ブランド化を図りたい」 という思いはあったという。
 その意図はうまく実現され、バルミィというクルマをひときわ個性的な輝きで彩ることになった。

宮永氏01
 ▲ 大森自動車 宮永京介さん

 デザインの遊びが先行したバンコンのような書き方になったが、実は、かなり使い勝手を考慮した、実用性の高いクルマであることにも触れなければならない。

 このクルマの特長は、リヤシートの展開が自在なこと。
 通常は横向き3人掛けシートになっているが、上下2段の大型ベッドにもなり、すべて跳ね上げると、キッチンスペースや荷室が広がるという妙味を見せる。

バルミィ08

 マルチルームの扉などにも二つ折り扉が採用されており、開閉する時も場所を取らない。
 また、扉を二つ折りの状態で使うと、 「リビング部」 と 「寝室&キッチン」 を分ける間仕切りとしても機能するために、プライバシーの部分をさらすことなく、ゲストをリビングに招き入れることができる。

バルミィ05

 もうひとつのポイントは、運転席・助手席のシートバックを利用したリクライニングソファ。
 そのままの状態でも対面ダイネットを構成するが、マットを埋め込むだけで変形コの字ラウンジにもなり、フロアベッドにもなるという自在な組合せが可能で、リビングスペースの使い勝手を無類に向上させている。

バルミィ3

 キッチンも楕円型シンクを組み込んだ素敵なデザインでまとめられ、蓋をするとカウンターとして使える。

 このクルマにおいては、デザインの斬新さは、すべて使い勝手の合理性を追求した結果から生まれている。
 そういうバンコンが出てきたことを思うと、日本のキャンピングカーもようやく成熟期に入ってきたのかもしれないという気がする。

バルミィメイン01


 お値段は4,442,000円から。
 
campingcar | 投稿者 町田編集長 05:38 | コメント(0) | トラックバック(0)

ガマの油に出る車

 役所広司さんが自ら主演して、監督も務める 『ガマの油』 が、今年の6月6日に公開されるという。
 すでに試写会も行なわれ、記者発表も開かれて、ホームページも立ち上がっている。

ガマの油スチール01

 で、この映画を、なんでこのブログで紹介するかというと、どうやら、これが日本では最初の、本格的なキャンピングカーを使った 「ロードムービー」 になるという話があるからだ。

 役所さんの役は、数台のパソコンを使うだけで、短期の株売買で何億円も稼ぐというデイトレーダー。
 そういう仕事を、何のためらいもなく続けていたのだが、息子 (瑛太) の交通事故をきっかけに、次第に人生観が変わっていく。
 そして、何かを求めるように、息子の友人だった若者 (澤屋敷純一) を相棒に伴って、放浪の旅に出る。
  
 その放浪の旅に使われるクルマがキャンピングカー。
 …といっても、ただのキャンピングカーではない。

 ウィネベーゴF17

ガマの油のF17_1

 1970年に日本にやってきた米国ウィネベーゴ社のクラスAモーターホームなのだ。
 もちろん、本国においても、もう現役で走っている車両はないだろうと言われるほどの希少価値のクルマ。今年の幕張キャンピングカーショーで、ニートRVのブースで展示されていたから、来場した人の中には記憶にとどめている人もいるかもしれない。

 で、なんで、このクルマが映画に?

 …というわけだが、どうやらこの映画の構想を練った役所さんの頭の中には、最初から 「キャンピングカーを使った旅」 というイメージがあったらしい。

 そこで、どんなキャンピングカーがいいのか。
 役所さんは、いろいろとキャンピングカーについて調べたのかもしれない。

 デイトレーダーの仕事をしながら旅を続けるという企画なので、まずテーブルの上にパソコンを何台か置いても狭苦しくない車両が求められた。
 当然、ゆったりしたアメリカンモーターホームなどが念頭に浮かんだのではないだろうか。

 いろいろ探しているうちに、役所さんが訪れたのは、千葉県のニートRVの展示場。
 ところが、どうもイメージにぴったり来るモーターホームがない。

 で、ふと展示場を見回したときに、目に入ったのが、この40年も前に造られたF17であったそうな。

F17外装02

 「あ、あれがいい。あれを貸してくれませんか?」
 と頼み込んだ役所さんに、困ってしまったのはニートRVのスタッフたち。

 「いや、あれは…本来なら博物館にでも保存するべき貴重な車両で、われわれも “腫れ物に触る” ように大切に扱っているクルマで…」
 と最初は断ったそうなのだが、役所さんはこのクルマを見て、ますます構想が豊かに広がってしまったらしい。

 そして、ついに貸し出しが決定。
 さらに、ニートRVの人々を困らせたのは、車内で撮影するとき、カメラの引きが足りないから、バスルームのところを撤去していいか?
 という相談を持ちかけられたことだそうだ。

F17内装01

 ええっ !?
 アメリカでも “天然記念物” 的な扱いの受けるくらいのクルマなのに!

 …と、最初はそれも断ったそうだが、芸術を創ろうとする人間の意志は固く、 「現状復帰」 を条件に、車内の改造も許可したという。

ガマの油のF17_2

 この映画の試写会を見たニートRVの猪俣慶喜常務はいう。

 「キャンピングカーをテレビや映画に使いたいという申込みは今までもよくあったのですが、たいていは、ほんの1カットか2カット出る程度。
 しかし、今回は本当に “クルマが主人公” 。
 映画の3分の1は、このモーターホームが登場します」

 古いモーターホームとはいえ、それによって、キャンピングカーを知らない人たちにとっても、 「モーターホームの旅」 がどんなものであるかを、よく伝える映画になっているらしい。

 「あれは映画としても素晴らしい! きっとヒット間違いなしですよ」
 と、猪俣常務。

ガマの油のF17_3

 映画の公式サイト (http://gama-movie.com/) を見ると動画が張られており、その最初のシーンには、確かに、役所広司さんの後ろにウィネベーゴF17が道ばたにしっかりと停まっているのが見える。
 そして、動画の最後には、役所さんが、F17の室内でパソコンを叩いているシーンも登場する。

 関連記事 「ウィネベーゴF17」


 
音楽&映画&本 | 投稿者 町田編集長 21:59 | コメント(8) | トラックバック(2)

粋なRVとは

 最近の世の中で分かりづらくなっている概念のひとつに、「粋」 がある。

粋 (いき)

 三省堂の 『大辞林』 によると、粋とは、 「気性、態度、身なりがあか抜けてしていて、さっぱりとしており、自然な色気が感じられること」 とある。
 さらには、 「遊里・遊興に精通していること」 という項目も加えられているから、 「色っぽさ」  への理解が根底にある概念であることもつけ加えていいかもしれない。

 江戸文化から出てきた言葉だから、たぶん江戸町人の間で理想とされた精神構造なのだろう。
 そう思って、あらためてこの言葉を噛みしめてみると、イケメンの歌舞伎役者などが、切れ長の目を光らせて、キセルの灰をさらりと盆に落としたりする情景が浮かんだりする。

 ところが、この 「粋」 が、現代社会ではなかなか通じない。

 言葉としては残っていても、その言葉が成立した時代とはだいぶ違ったニュアンスのものになっているように思う。
 「あか抜けた」 とか 「さっぱりした」 といった情感は、今でもその言葉の中から嗅ぐことはできるが、 『大辞林』 が触れているような 「自然な色気」 といったものは、かなり後退している。

 その理由は、日本の現代社会においては、 「あか抜けてさっぱりしている」 感覚と、 「自然な色気」 というものが両立していないからだ。

 「さっぱり」 路線を目指したものは、いつのまにか 「爽やか」 、「清潔」 、「健康」 といった文脈にからめ取られ、冒険のない退屈な生き方を奨励する思想に行き着いてしまう。
 逆に 「色気」 路線をたどると、卑猥でエゲツない風俗文化に埋没し、ずぶずぶと退廃の極みに沈んでいく。

 この2極分解が起こったあたりから、たぶん、日本人は 「粋」 という感覚を失ってきたのだろうと思う。

 ところが、アメリカ人などは、案外この 「粋」 の感覚をつかんでいるのではないか、という人がいる。
 キャンピングカービルダー 「カトーモーター」 の社長、加藤次己智さんだ。

 加藤さんがアメリカで暮らしていた頃の体験を聞かせてくれたことがある。

カトーモーター加藤氏(車内)
 ▲ カトーモーター 加藤次己智さん

 「アメリカ人の間では、男女を問わず、最高の誉め言葉として通用するのは “セクシー” という言葉なんですよ。You are sexy …というと、“あなたは本当に素晴らしい魅力がある”という意味なんです」

 つまり、加藤さんは、アメリカ人が使う 「セクシー」 という言葉の響きに、日本の 「粋」 に近いニュアンスを嗅いだらしいのだ。

 彼らは 「セクシーだ」 と誉められると、男なら 「ハンサム」 、女なら 「ビューティフル」 などと言われるよりも率直に喜ぶという。

 「ハンサム」 といえば、向こうでは、外見の良さに頭の良さが加味された程度の言葉でしかない。
 同じように 「ビューティフル」 というのも、外形的な美しさを表明するに過ぎない。
 しかし、 「セクシー」 という言葉には、人の心をときめかせ、辺り一面にさざ波を広げていくような力があるのだそうだ。

 もちろんそこには、性的な情感を喚起するという意味も含まれるが、それ以上に、 「洗練された」 とか 「あか抜けた」 という意味があって、そこにこの言葉としての価値が生まれているという。

 ところが、日本では、男が女に 「セクシーだね」 というと、 「やらせろよ」 という表現になり、女が男に 「セクシーよ」 といえば、 「お相手するからバッグを買ってね」 という意味になってしまう。

 要するに、日本では「粋」という言葉もあいまいならば、「セクシー」 という感覚も誤解されて伝わっていると、加藤さんはいう。

 加藤さんが、なぜそのような話を私に始めたかというと、要するに、キャンピングカーに 「粋」 の精神を取り込む方法はあるのか。そしてまた、それをユーザーに理解してもらう方法があるのか…という問題を抱えていたからだ。

カトーモーター加藤氏

 以前から加藤さんは、カトーモーターで造っているキャンピングカーを、メディアの人たちが 「高級」 、「上質」 などという言葉で飾ってくれることを、うれしいと思う反面、どこか違うように感じていた。

 「高級」 や 「上質」 では、何かが欠けている。
 少なくとも、それらの言葉には、わくわく感、ぞくぞく感、うっとり感が含まれていない。
 自社製品の中に、 「わくわく感」 やら 「うっとり感」 を追求し、少しはそれを実現してきたように思っている加藤さんは、そのことをうまく伝える言葉が見つからず、広告のキャッチ考えるときなども、いつも考えあぐねていた。

カトーモーターオークサイドロイヤル01大

 かろうじてイメージの中にあったのは、 「色気」 という言葉。
 しかし、その言葉をストレートに使うと、日本ではどこか下品な響きが漂ってしまう。
 そんなとき出会った言葉が、 「粋」 であり、アメリカ人たちが使う 「セクシー」 であったという。

 こうして、加藤さんは、 「粋」 について、古典落語なども研究しながら、さらにその意味を調べていくようになった。

 分かってきたのは、粋というのは見た感じのことだけを言うのではなく、人の態度や意志としても存在するということだった。

 つまり、 「粋」 の反対が 「野暮」 だとしたら、加藤さんは、少なくとも野暮なクルマは造りたくないし、野暮な宣伝はしたくない、と思うようになった。

 どういうクルマが野暮かというと、 「価格が安い」 ことだけが取り柄となるような、造り手の志が感じられないようなクルマ。
 ブームとなったレイアウトだけを採り入れて、ブームが去れば絶版にしてしまうような節操のないクルマ。
 そういうクルマは野暮なので、自分では造りたくないという。

 また、宣伝の仕方においても、一般的に普及している技術を、ことさら 「うちの専売特許」 だと誇張するような野暮な宣伝もしたくないとも。
 技術というものは、製品のクオリティを支える “黒子” であり、本来ならば、表舞台には立たないものだ、というのが彼の持論だ。

 もちろん、カトーモーターにも、他社に先駆けて力を入れて開発してきた技術があり、声を大にしてその効力を訴えたいというものがある。
 しかし、そのような技術を宣伝するとしたら、それは 「さりげなく、さっぱりと」 行うことがあか抜けているし、洒落ているのではなかろうか…

 加藤さんはそういうセンスを大事にしたいというのだが、そのセンスをどうお客さんに伝えればいいのか。なかなか、その方法が見つからないという。

オークサイドロイヤルテーブル

 確かに、 「粋」 という感覚的なものを、キャンピングカー造りの中に生かすのはとても難しいことだし、それを言葉で伝えることは、さらに難しい。

 しかし、加藤さんは、とても “良い問題” に直面しているように思った。
 たぶん、日本にキャンピングカーを普及させるという課題の中で、いま一番問われているところがそこの部分なのだ。

 つまり、 「粋」 という言葉に代表されるような感覚的で抽象的な概念を、日本のビルダーも、またメディアの方も掘り下げることなく、今日まで来てしまったのだ。

カトーモーター車内メイン01

 私が思うに、カトーモーターさんのキャンピングカーは、そうとう昔から 「粋」 という基準を確立していた。
 しかし、私も含め、キャンピングカージャーナリズムはそれを表現する言葉を持たなかった。

 同社のキャンピングカーは、常に精緻をきわめた木工家具の出来映えを特徴としていたので、私なども記事を書くときは、長い間 「精度の高い木工家具が創り出す贅沢な空間」 などと、通りいっぺんの言葉で飾っていた。

オークサイドロイヤル001

 しかし、 「粋」 という観点から見てくると、また違った相が現れてくる。

 カトーモーターのクルマには、目立たないところにも、しっかりとしたこだわりが貫かれ、こだわりの蓄積が内装全体としてまとまったときには他車には追従できないような、華が生まれ、洒落が匂い、色気が漂ってくる。

 人は、まったく同じ物を見せられたとしても、言葉によって説明が加えられた物と、そうでない物では見え方が違ってくることがある。
 スポットライトの当て方で、舞台に立つ役者の表情が変わるように。

 たとえば、同社の造り出すクルマを 「粋」 という光の中で見てみると、ベッドを支えるポールを埋めるために設けられた木枠などが、突然、機能を超えたアートとして立ち上がってくるのが分かる。
 断熱効果と密閉性を得るために設けられた窓の木枠なども、それが外の風景を絵画に見立てたときの額縁として見えるようになる。

 言葉の力はバカにできない。

 加藤さんは、いまキャンピングカーというものに異なる角度からスポットライトを当て、それによって、キャンピングカーを語る新しい言葉を開拓しようとしているように思う。

カトーモーター002

コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:44 | コメント(0) | トラックバック(0)

ダブスターの物語

 キャンピングカーの商品開発や広告展開の 「ブランド化」 、つまり 「物語性」 の付与が始まっていると前回書いたが、そのひとつの例として、デルタリンクさんの手掛けた 「ダブスター」 というキャンピングカーがある。

dabster外形001

 ハイエースのロングバン・ワイドボディを使い、お洒落なシートやアーバンデザインの家具を投入した “遊び心” に満ちたバンコンである。
 
 ちょっと車高を落としたローダウン仕様。
 デイトナのアルミホイール。
 その風情には、どこかストリート系のファッションにも通じるカスタムカーのテイストがにじみ出る。

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 運転席周りにも、凝ったデザインが施されている。
 シートは、スポーティな印象をかもし出すレザーとパンチングレザーを組み合わせたダブルステッチ&ハードシングルステッチ仕上げ。

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 さらには、 「DVDヘッド」 という見た目のデザイン性と実用性を追求したオリジナルヘッドレストが装着され、ノーマル車との違いを歴然と主張する。

 DVDとは、 「DELTA VAN DESIGN = デルタバンデザイン」 の意味。
 デルタリンクのオリジナル性を主張する新しい 「バンデザイン」 を謳ったものだ。

DVDロゴ01

 このバンコンが、なぜ 「物語性」 を秘めた 「ブランド」 として機能するのか。

 そこには、このクルマの企画を練った山田秀明社長の、ブランド構築に対する並々ならぬ決意と情熱が注ぎ込まれているからだ。

デルタリンク山田氏02

 山田さんは、商品がブランドとして立ち上がるためには、もちろんイメージ戦略が重要であることもしっかり認識している。
 しかし、それだけでなく、ブランドとして機能するためには、商品そのものがしっかりした目的を持ち、その目的に応じた実用性、堅牢性、信頼性を確保することが先決であることも知っている。

 ダブスターが秘めた実用性、堅牢性、信頼性とは何なのか。

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 一見、このクルマはカスタムの流れを汲んだ、ストリートユースを目的としたシティカーのように見える。 
 そういうクルマが、今の若者の嗜好を満たし、キャンピングカーとは違った分野で支持を集めているということも、山田さんはマーケティング調査によって把握している。

 しかし、キャンピングカービルダー&ディーラーとして、商品開発に取り組んできた山田さんにとって、外せないものがあった。

 それは、 「遊ぶ」 「泊まる」 「積む」 というキャンピングカーとしての基本的な機能。
 それがなければ、どんなに若者が憧れるカッコいいバンをリリースしても、自分にとっては意味がないという決意がある。

 つまり、ダブスターというクルマは、山田社長自身がそのクルマを使うことで獲得される、大きな 「夢」 を盛り込んだバンコンなのだ。

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 夢とは何か。

 「僕が学生時代からヨットが好きで、それが縁となってこのキャンピングカーの世界に入ってことは、知っている人も多いかもしれません。
 でもね、本当にやりたかったのはサーフィンなの。
 若い頃、湘南の海に通って、ずっと波乗りをやっていたんですよ。
 しかし、当時はサーフィンブームで人口も多かったし、良い波が来たら、パドルのうまい人がみな先に行って、その波を取ってしまう。
 僕のような駆け出しの若者は、なかなか波が取れないわけ。
 そんな悔しい思いが、ヨットの方に向かわせたけれど、今でもやりたいのはサーフィン」
 と語る山田さん。

千葉の海サーフィン

 ずばり、ダブスターというクルマは、彼がやりたかったサーフィンを実現するときのイメージをベースに造られたバンコンなのだ。

 「このクルマができる前には、それをサーフィンの基地とするために、新しいサーフボードも作っていたんですよ。
 千葉に新しいデルタとしての拠点を作ったのも、あそこならサーフィンのメッカである九十九里に近いという計算もあった」

 山田さんの趣味は、サーフィンだけとは限らない。
 スノーボード。
 そして、バイク。
 そういう遊びのギアを搭載して、 「アウトドアライフを自由に楽しむ」 というイメージが、開発の最初の段階から存在した。

 だから、一見シティ派風に見えるダブスターのインテリアには、実はハードな使用に耐えられるさまざまな工夫が凝らされている。

 フロアには、サーフボード、ジェットスキー、バイクなどを搭載することを前提に、耐候性・耐磨耗性を備えた重歩行用のクッションフロアが使用され、カーペットには、防水効果が高く保温性、断熱性にも優れたアルセポリを裏地に使ったものが採用されている。

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 家具は、傷に強いメラミンを全面的に採用し、モールは、衝撃に強いエボキシ樹脂の削り出し。
 しかし、その出来映えは、新たに塗装したかように自然な仕上がりを見せて、得もいわれぬ高級感を漂わせている。

 目に見えないところに、そっと隠された実用性と堅牢性。

 この都会派的な装いに満ちたお洒落なバンは、ハードなアウトドアユースに耐えられる実力を内側に秘めているのである。

デルタリンク山田氏01

 「スポーツギアを搭載することを前提としたトランポは、みな機能をむき出しにした “素朴さ” を売りにしているようなところがありますよね。
 でも、僕はそれがいやだったんですよ。
 街を走るときは、やはりそれなりにソフィストケイトされた華やかさを発揮したいし、彼女とデートするときの “恋愛空間” としての夢は維持しておきたい」

 そういうデザインコンセプトを持ったバンコンが、すなわち 「デルタバンデザイン」 。 

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 40歳代の後半を迎えようとしている山田さん。
 しかし、若者たちに混じってサーフィンやスノボーを楽しむことに、彼はまったくためらいを持たない。
 そのためにキャンピングカーの世界に接しているという自負もある。

 開発者の夢を存分に託された商品というのは、放っておいても艶 (つや) がこぼれ出る。
 そこにオーラが生まれ、見る人や使う人に感動を与えることも、山田さんは見抜いている。
 そして、それが、ブランド化には不可欠の 「物語」 によって生まれることを、誰よりも、山田さん自身がよく知っている。

 「ダブスター」 とは、華やかな街の夜景を堪能し、そして海や山のナチュラルな素顔にも接したいという、山田秀明さんの欲張った “生きざま” を投影したひとつの 「物語」 なのだ。

ダブスター看板01

campingcar | 投稿者 町田編集長 01:21 | コメント(0) | トラックバック(0)

ブランドとは物語

 キャンピングカーの造り方、売り方が変わってきたという印象を持つ。
 最近のことだ。
 何がどう変わったのか?

 どこのビルダーも 「ブランド」 というものを意識するようになってきた。

 もちろん、 「ブランド」 という言葉から連想するものは人さまざまで、この言葉を口にする人たちは、それぞれ自分なりのイメージを抱いていると思うけれど、私なりに、この言葉を解釈すると、それは 「物語」 ということに尽きる。

 つまり、読者を魅了し、その世界に引きずり込み、次のページをめくる時に、未知の世界に踏み込むようなドキドキ感を与えるもの。
 そのような力を与えるものを 「物語」 と呼んでいいだろう。

 世にブランドとして認められた品々もまた、みな固有の 「物語」 を持っている。

 たとえば、ルイ・ヴィトンは、創業期はただのトランク工場に過ぎなかったが、トランクの上に布地を張るというアイデアを生み出し、さらに、創業期が馬車の時代であったことに注目して、
 「馬車の荷台に載せても壊れないバッグ」
 「濡れても平気な革製品」
 という物語を作り、それを伝説化したことによってブランド化に成功した。

 フェラーリが自動車の中のブランドとして輝き続けているのも、その背後に背負った物語の力だ。

 レースに情熱を傾けていたエンツォ・フェラーリは、サーキットで陣頭指揮を執るときは、安全なマージンを取って完走することよりも、車体が砕け散ろうが1位に向かって爆走することを常に目指し、それをイタリア人のプライドだと誇示した。

フェラーリ01
 ▲ テスタロッサ

 そのような、エンツォ・フェラーリのレースに賭ける情熱。
 「美しいものは速い」 という狂気としか思えないような信念。
 それが 「物語」 となって、フェラーリというブランドの輝きを作っているのである。

フェラーリ02 

 トヨタの送り出したプリウスというハイブリッド車がブランドになったのも、同じ原理が働いている。
 世界でも最も早くハイブリッド車の量産化に成功したトヨタは、これを徹底して 「クリーン」 「エコ」 「省エネ」 という文脈のなかで喧伝した。

 ラッキーなことに、それがハリウッドの大スターたちに注目された。

 「これからの世は、環境を大切にする意識を持たないと人気を維持できない」 と感じたスターたちは、それまで、大型リムジンで乗り付けていたようなアカデミー賞の授賞式などにも小型のプリウスで乗り付け、観客やメディアに向かって、 「自分は環境意識の高い俳優である」 というイメージを植え付けようとした。
 そういう役者の中には、レオナルド・ディカプリオ、オーランド・ブルーム、キャメロン・ディアスなどの名が含まれていたという。
 これなども、プリウスが獲得した 「物語」 の例といえるだろう。

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 ▲ ディカプリオ

 マーケティングの世界では、よく 「needs (ニーズ = 必要) 」 という言葉に対して、 「wants (ウォンツ = 欲求) 」 を対比させる。
 「物語」 というのは、この 「ウォンツ」 に属するものだ。

 つまり、食欲を満たすために、とりあえず街の弁当屋で買った弁当を食べるというのが 「ニーズ」 。
 それに対し、高級レストランに行って、ビルの夜景などを眺めながらワインを楽しみ、フランス料理を食べる…というのがウォンツ。

 お腹に入ってしまえば、どちらもただの “栄養素” に過ぎないが、後者には消費を楽しむ 「ストーリー」 が存在している。
 大げさにいえば、そこには 「ライフスタイル」 の創造がある。

 キャンピングカーというのは、実は最も 「物語」 を作りやすいところに位置する商品である。
 今までこの業界から、そのような 「物語性」 を打ち出した広告展開がなされてこなかったのは、製品としての成熟度…つまりは、機械的な完成度を高める途上にあったからである。

 開発技術や製作技術が躍進している間は、広告戦略やパブリシティ戦略においても、技術の向上によって達成できた部分を拡大するようなアプローチが中心となる。
 技術的な完成度が上がってこないかぎり、 「物語」 の展開などに智恵を絞る余裕は生まれないからだ。

 ところが、ここ最近のキャンピングカー業界からは、そのような技術主義から少しずつ離れ、 「ライフスタイルの提案」 や 「雰囲気づくり」 に力点を置いた商品展開や広告戦略が増えてきた。

 その傾向は、キャブコンよりバンコンに顕著だ。

 日本のキャブコンはまだ発展途上の段階にあり、技術的な完成度を高めるためには、ベース車と架装部分の連携においても、いくつか乗り越えなければならない課題を残している。
 当然、キャブコンの開発者たちは、個々の課題に取り組むことで精いっぱいとなり、その課題をクリアしていくプロセスが、広告戦略やパブリシティ展開の軸になっている。

 しかし、ベース車をさほどいじることのなバンコンの場合は、キャブコンに先駆けて、自動車部分が抱える問題点からフリーとなった。
 そのことによって、バンコンビルダーたちには、 「ブランドとして生き残るにはどうしたらいいか?」 という次なるステップを考える余裕が生まれた。

 こうして、現在、日本のバンコンビルダーの中では、かなり意図的に 「ブランド化」 を目指している会社が生まれており、そのうちの何社かは、 「物語」 の作り方に関心を示しつつある。

 ただ、CM戦略として 「物語」 を取り込もうという試みは、今に始まったことではない。
 実は、1980年代の末期、電通のスタッフたちの間で 「ストーリー・マーケティング」 という手法が編み出されたことがある。

 こういう考え方の背景には、この当時に流行ったボードリヤールなどの記号論の影響があった。
 この時代、 「商品には使用価値のほかに、記号的価値がある」 というような言説がマーケッターや広告代理店の間に大流行して、各企業のCMが一斉にイメージ広告化したことがあった。

 コップひとつ売るのにも、 「お洒落なコップは、水を飲む道具ではなく、インテリアを飾るアートだ」 といった意味付けがなされ、コップの “物語性” がむりやりに高められて、食器コーナーの棚に置かれていたコップはインテリア家具のコーナーに移ったりもした。

 しかし、このストーリー・マーケティング的な広告展開は、バブルの崩壊と同時に廃れてしまう。
 バブルが破れて、夢から醒めた人たちは、商品としての実態がないものが、どんな 「物語」 にくるまれようが、そのことの無意味さを分かってしまったからだ。

 しかし、キャンピングカーは、バブル期のストーリー・マーケティングで 「物語性」 を付与された商品群とは大いに異なる。

 その時代に 「物語」 の体裁を与えられた商品のほとんどは、実態とは縁もゆかりもない 「心地よいイメージ」 だけにくるまれた無内容なものばかりだったが、キャンピングカーには実態がある。
 
 ユーザーが、 「乗って」 「遊んで」 「泊まって」 という実体験の中で、すでにそれぞれの 「物語」 を醸成しているような商品なのだ。

 だから、キャンピングカービルダーが 「物語」 を構築するのはすごく簡単。
 すでに、ユーザーが獲得している 「世界」 に、雰囲気のよい演出や美しい映像を加味するだけで十分だからだ。
 そこに提案者のちょっとした 「哲学」 が込められていれば、もう完璧。

 たぶん、ここ1~2年の間に、キャンピングカーの商品展開や広告手法には大きな変化が訪れるはずだ。
 私はそれを興味深く観察していきたいと思っている。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 00:04 | コメント(2) | トラックバック(0)

父が老いた日

 父親というのは、息子に何を教えてやれるのだろう。

 よく、テレビや雑誌の有名人インタビューなど見ていると、
 「……そういう厳しさってのは、父から学びましたね」
 などと言っている人を見かけるが、ホントかな? っていう印象を持つことがある。

 父親を語るとき、とりあえずそう言っておけばカッコがつくので、ポロっと口から出ちゃったけれど、本当は、
 「……そういうだらしなさってのは、父から学びましたね」
 と思っている人だって、けっこういるに違いない。

 何が言いたいかというと、もし自分がどこかの雑誌とか新聞からインタビューを受け、
 「町田さんが、お父さまから教えられたものって何ですか?」
 などと聞かれたら、はて、…なんて答えるだろう? と思ったからだ。

 なーんにも浮かばないのだ。

 もちろん、私の親父は立派な勤め人で、世間的にも、人の尊敬だって集めるような仕事をしていたけれど、
 「親父のあの一言が、俺の人生を変えた!」
 なんていうドラマチックな思い出を、何も残してくれなかった。

 ただ、親父から学んだと思えることが、一つだけある。

 麻雀 (マージャン) だ。
 親父の趣味といえば、これしかなかった。
 
 正月などに親戚縁者の家に遊びに行ったときも、やぁやぁ、まぁまぁ、久しぶり…とかいう挨拶が終わり、お茶を一杯飲んだらマージャンが始まっていた。

麻雀01

 家にも、マージャンをやる客たちが大勢集まった。

 休日になると、親父の4畳半の仕事部屋は “雀荘 (じゃんそう) ” になり、昼間から、チー、ポン、ロン…とかいうかけ声が家中に響きわたった。

 その部屋で4卓のメンバーを集めたことがある。
 わずか4畳半に、計12人の人々がひしめき合ったわけだ。
 満員電車の中にいるような状態で、ほぼ1日過ごすのだから、ストレスだってそうとう溜まるだろうに、集まっている連中は嬉々としていた。

 そんなにマージャンって面白いのか?

 興味も出てきたし、ヒマもあったので、いつの間にか、マージャン客の後ろに座って、牌 (はい) の流れなどを観察するようになった。

 「あ、おじちゃんのところには、何も描いていない真っ白なヤツが三つも並んでいる!」
 「シー! だめだめみんなに教えちゃぁ」

 ってな、会話を客たちと交わしながら、少しずつマージャンを学んだ。

 親父は、若い頃、仲の良いポン友と組んで、街の怪しげなマージャン屋によくくり出していたらしい。

 「御一人様でも大歓迎」
 などという看板を出している雀荘には、昔は、ギャラリーを装って、仲間に 「通し」 のサインを送る人間がいたりして、そういう連中に囲まれると、ほとんど身ぐるみ剥がされてしまうこともあったという。

 ところが、こちらも2人で組むと対抗できるのだそうだ。
 相手が大きな手を仕掛けていそうなときは、自分たちも呼吸を合わせ、仲間の安い手にわざと打ち込んで、その局を流してしまう。

 そんな武勇伝を日常的に聞いているから、マージャンの裏世界の雰囲気も、子供の頃から覚えてしまう。

 ある日、徹夜マージャンの最中に、親父が具合が悪くなったことがあった。
 ゲームの途中で、 「これ以上やるのが辛い」 と言い出したから、まだ起きていた私も、心配で様子を見にいった。
 あれだけ好きな親父が中断する気になったのだから、よほど体調が悪かったのだろう。

 残された3人は困った。
 もう終電も出てしまった時間なので、帰るあてがない。

 「お前、代わりに打て」
 と、なんと親父は、中学1年生だった私を 「代打ち」 に指名したのだ。

 「いくら負けても、払うのは俺だから、好きなように打て」
 …といって、親父はさっさと寝室に入ってしまった。

 ようやく親父の仲間たちとマージャンを打てるという喜びはあったが、はて困った。
 並べることはできても、役も知らないし、点棒の計算もできない。
 第一、いくらのレートで打っていたのか、そんなことすら見当もつかない。

 残された3人は…というと、これでゲームも続行できるし、しかもカモが入ってきたので、 「チャンス!」 とばかりにニコニコしている。

 打ち始めた頃は、
 「ボク、分からないことがあったら、遠慮しないで聞いていいんだよ」
 「誰かの牌で上がったと思ったら、間違ってもいいから、堂々と言うんだよ」
 …などと、みな優しい。

 しかし、こういうときって、だいたい何も知らない方が勝ったりするものなのである。
 マージャンはツキのゲームであるが、その晩は、恐ろしいほど私はツイた。

 「あ、それ上がりです。当たり…」
 と、手を開くと、ほとんどが満貫だった。
 もちろん、高い手も安い手も分からないから、とにかく無心に上がりの形だけに持っていく。
 そういう邪気のない打ち方が幸いしたのかもしれない。

 優しかった3人は、最後の方になると、もう口すら聞いてくれなかった。

麻雀02

 そんな形で、私はマージャンにハマった。

 学生時代…それも後半の頃は、一番遊んだ時期だったと思う。
 昼は、授業をサボって学校近くの雀荘にくり出し、学生同士のマージャンを打った。

 私の通った学校には、 「全国学生麻雀大会」 などでチャンピオンになったという学生もいたりして、そういう卓で打っている連中には凄みがあった。

 雀荘でも、彼らが囲む卓の周りにだけはギャラリーが集まり、みんな固唾 (かたず) を呑んで、牌の流れを見守っている。
 シーンと静まり返った対局中に、誰かが有効牌を引いたりすると、おぉー! というギャラリーたちの声にならないため息が気配として伝わってきた。

 日頃そういう卓で打っているメンバーが1人でも入ってくると、私たちのレベルでは誰も勝てない。

 ある日、私が1人負けしていた状態を見るに見かねた、そのメンバーの1人が、
 「町田、もし字牌の孤立牌をツモってきたら、とっておけよ」
 と、目配せしたことがある。

 言われるとおり、字牌のツモ牌をとっておいたら、いつのまにか、手の内で大三元ができあがっていた。

 当時は、手積みの時代。
 詰め込みの技術を持っていた人間には、簡単にツモ牌をコントロールすることができたのだ。

 勉強もせずに、学校ではそんなことばかり繰り返していた。

 週末になると、今度は近所のポン友が誘いに来る。
 こっちは社会人マージャン。
 相手は、美容師とか旋盤工、ヤクザ。

 ヤクザといっても、昔から知っていた友だちの兄貴なので、別に怖いことはない。
 そのヤクザの家で開かれる家庭マージャンにときどき招待された。

 スナックのママさんあがりの奥さんが作ってくれた稲荷寿司などをツマミに、酒を飲みながらの “和気あいあいマージャン” がスタートする。

 しかし、さすがに家主が酔ってくると、めちゃくちゃなマージャンになった。

 「おぉっらぁ、当たるもんなら当たってみやがれぇ!」
 まるでドスでも振り回す勢いで、卓に牌を叩きつけてくる。

 そういうときは、さすがに訓練のたまものなのか、この手の人たちは相手をビビらせるのが上手い。
 眼の光り方が尋常ではなくなってくるのだ。
 その勢いに飲まれ、満貫クラスの上がりを何度も見逃したことがあった。
 
 そんなところでマージャンを打っていたから、もう親父の仲間たちと打つマージャンは気楽なものだった。

 ある日、親父と対戦していて、ふと気づいたことがある。

 たぶんチンイツ (清一色) かホンイツ (混一色) 系の手だったのだろう。
 親父は自分の手を見て、少しリーパイ (理牌) し、待ちが分かるように、待ち牌と、他の牌との間を、ちょっとだけ開けたのだ。
 他の牌から切り離されたのが2枚並んだ牌だったから、たぶんリャンメン受けだったのだろう。

 「あ、老いたな」
 と思った。
 そんなことをしなければ、待ちが分からないようになっていたのだ。

 マージャン打ちにも、盛りのときと衰運のときというのがある。
 あれだけ強かったはずの親父が、その頃から、大敗を喫することが多くなった。
 年を取って、勝負に執着する気持ちが薄れていったからだろう。

麻雀01

 私もまた、結局、息子にはマージャンしか教えてやれなかった。

 ただ、これだけは熱心に指導した。
 仕事帰りに息子を呼び出して、居酒屋などに連れていったときも、割り箸の入っていた袋の裏に、ボールペンで牌を描きながら、
 「イースーチーとか、リャンウーパーとかいうのは、いわゆる筋。だけどホントに気を付けなければならないのは、裏筋といって…」

 そんなことを、居酒屋のカウンターで教える父親というのを見たこともない店主から、
 「 (麻雀) 連盟か何かのお仕事ですか?」
 なんて聞かれたこともある。

 しかし、マージャンというのは、ちょっと間を空けてしまうと、もう勝負勘というものが失われてしまうゲームだ。
 ゲームは行えても、牌の流れが読めなくなっているのだ。

 「今、この牌は危ない!」 とか、
 「打つならこれが最後のチャンス」
 とかいったゲームの流れを読む力は、10年も遠ざかってしまうと、もう甦ることはない。

 マージャンから遠ざかって、それこそ10年後ぐらいに、昔のメンバーが集まってマージャンをやろうということになった。

 メンバーが1人足りない。
 そこで、私はまだ高校生だった自分の息子を呼び出すことにした。

 しかし、その日のマージャンは、私の1人負け。
 対戦相手の1人に役満まで振り込んでしまい、その落ち込みをカバーしようと思えば思うほどドツボにハマって、マイナス街道ひた走りとなった。

 ところが、私の負け分を、息子がしっかりカバーしていたのである。
 トータルトップにはならなかったものの、彼は乱戦を勝ち抜いて、私の負け分をフォローしつつ、さらに自分の小遣いまで稼いでいた。

 息子に借りを作ってしまった日だった。

 そのときヤツは、私のことをどう思ったか。
 きっと、
 「老いたな」
 と、心の中でつぶやいたことだろう。



コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 08:05 | コメント(4) | トラックバック(0)

レガード伝説

 もしかしたら、ロデオ以来の “伝説の名車” になるのではないか。
 そんな予感さえ抱かせるすごいクルマの登場である。

 カムロードをベースにしたキャブコンは、レイアウトも装備内容もあらかたのアイデアが出尽くした感があったが、ヨコハマモーターセールスの開発したレガードを見ると、工夫によっては、このシャシーにもまだ豊かな可能性が残されていたのだな…という気がする。

レガード外装01大
 ▲ レガード

 レガードは、居住空間の充実、収納能力の向上、走行安定性の確保などという、それぞれ対処方法の異なる課題を、すべて根底から解決してしまうという途方もないもくろみを持ったキャブコンである。

 まず、そういう発想を持つということ自体が並みのビルダーにはできない。
 ロデオなどの開発で国産キャンピングカー製作の先陣を切り、さらに官公庁や各種企業からさまざまな特装車を受注してきたヨコハマモーターセールスだからこそ、その領域に敢然と足を踏み込んでいくことができたのかもしれない。

 経験は力なり。
 老舗の底力というものを、そこから感じることができる。

レガードリビング01 
 ▲ レガードのリビング

レガードプルダウンベッド01
 ▲ プルダウンベッド

レガード・リヤ2段ベッド01
 ▲ リヤ2段ベッド

 では、居住空間の充実と、荷物などの収納容積の拡大といった相反するベクトルを、このレガードではどう調和させようとしたのか。

 室内面積を単純に追求するだけだったら、リヤオーバーハングを伸ばせばいいということになる。
 しかし、それでは後軸に荷重が集中し過ぎて、走行安定性の確保もままならず、安全性も保てない。

 そこで、ヨコハマモーターセールスの開発陣が考えたのは、ホイールベースそのもののストレッチ (延長) だった。
 そうすれば、後軸に集中する荷重を前軸に分散させることが可能となり、理想に近い重量配分が実現する。もちろん、直進安定性も格段に向上していく。

レガードシャシー02
 ▲ 治具を用いたホイールベースの延長

 ところが、問題も出てくる。
 当然、フレームやドライブシャフトなども延長されることになるので、重量増という問題を抱えることになる。

レガードシャシー01

 そこで、彼らは次の手を考えた。

 もともと、ヨコハマモーターセールスには、地面から上がってくる湿気や水はねを遮断するために、木製床面をFRP製フロアユニットでサンドイッチするという技術がある。
 このフロアユニット機構をさらに緻密化させ、あらかじめ床下収納、タイヤハウス、ステップ、シャワーパン、シートの台座まで一体成形で型取ってしまえば、起伏が多くなった分…つまりリブ構造を採った分、フロア剛性も上がり、サブフレームのコンパクト化が図れるのではないか。
 つまりは、その分、軽量化を詰めていくことが可能となるはずだ。

 …ということで、レガードでは、このフロアユニットを有効活用することによって、スチールフレームなどを削減し、軽量化を押し進めるという手法が採られることになった。

レガードフロアユニット模型01 
 ▲ FRP製フロアユニット

 しかし、レガードの凄みが光るのは、ここから先だ。
 それが、低重心設計。

 キャブコンの走行性を不安定にさせる要因のひとつに、重心高が上がりすぎるというのがある。
 居住空間を水平方向に広げるには、どうしても限度があるために、キャブコンの場合は、バンクベッド、縦長収納庫、さらにはルーフにトランクを積むなど、装備や荷物が垂直方向に積み重なっていく傾向がある。
 当然、重心高が高くなり過ぎた場合は安定性を欠き、走行中のふらつきやコーナリング時の横転なども考えられるようになる。

 ここで、PRP製フロアユニットがレガードに投入されたもうひとつの意味が浮かび上がる。
 このユニットは、低重心設計を追求するためのものでもあったのだ。
 なにしろ、これを設定することによって、室内の一般床面が、フレームの上面から63mmも低位置に設計されたというから、そのもくろみの徹底性をうかがい知ることができる。

レガード外部収納01
 ▲ 低重心設計された各収納庫

 特に収納庫は、のきなみ低重心設計の “洗礼” を受けた。
 2重底となったリヤ大型収納庫の底面などは、ダウンフレーム化することによって一般床面よりも400mm下げられ、リヤ側荷室部分の床面は250mm。ボディ左右の外部収納庫は、一般床面から375mm下げられたという。
 これらの収納スペースの低重心化は、同時に荷物の収納容積の拡大を果たすことになった。

 低重心対策は、それだけではない。
 燃料タンクやスペアタイヤの位置も下方に移設された。
 燃料タンクは標準の高さから50mm。
 スペアタイヤの搭載位置は60mm下げられたというから、ベース車そのものの改良もハンパじゃない。

 バンクを削ぎ落としたのも、軽量化と低重心化を考慮したものであるが、それ以上に、これには風の抵抗をやわらげるという狙いがある。
 ルーフの各コーナーには、R100以上の形状を持たせて、空力特性の向上を図ったというから、何から何まで徹底している。

レガード外装01
 ▲ 空力特性を追求したエアロフォルム

 このような画期的な試みが、何のために行われたのか。
 ヨコハマモーターセールス営業部の平野一幸さんは、それについて、こう語ってくれた。

ヨコハマモーターセールス平野氏01
 ▲ 平野一幸さん

 「レガードは、人間が快適に旅をするには何が必要かという原点に立ち返って開発したクルマなんです。
 たぶん、このクルマが誕生したことによって、キャンピングカーの快適さと安全に対する基準が変わると信じています。
 大きなことをいうと、これから先の社会は、 “モノ” から “ココロ” の時代へと移っていくでしょう。
 そうなると、旅というものが、今以上に人間の心を解放し、人間に豊かな人生を約束するものだという認識が高まっていくでしょう。
 その旅を、いかに快適に、安全に楽しむか。
 レガードはそれへの提言なのです」

レガード外装01

 観光庁も 「ニューツーリズム」 という、地域資源を活用して観光産業を活性化させようという新しい旅のスタイルを国民に呼びかける時代になった。
 レガードというクルマは、そういう社会が実り多きものになることを願った、ヨコハマモーターセールスとしての提案なのだという。

 平野さんは、続けて言う。

 「20世紀までは、道具を進化させれば、人間の幸せも着いてくると信じられた時代でした。
 つまり、道具そのものを複雑にして、その数を増やしていけば、それで人間も安心していられたんですね。
 しかし、その結果、人間は環境に負荷をかけ、有限な資源を無駄に使うことも覚えてしまった。
 もう、そういうプラスにプラスを重ねる思考方法そのものの限界も見えてきたように思うんですよ。
 これからの社会に大切なのは、 “引き算” の思想。
 このレガードは、ベース車のキャパシティを理解した上で、本当に大切な要素を抽出するためには“何を取り除くのか”ということを、引き算で組み立てたクルマなんです。
 …こういう装備を増やせば、さらに便利になるだろうという発想を捨てたんです。
 レガードに投入された技術は、すべてが、大切な要素を抽出するための引き算から導き出された技術です。
 重量を減らす。
 風の抵抗を減らす。
 消費エネルギーを減らす。
 不安定材料を減らす。
 事故を減らす。
 引き算によって、逆に得られる幸せというものがあるはずです。
 それを形に現したものが、このレガードです」

 キャンピングカーは人間の幸せにどう関わっていくのか。
 そういうことについての哲学を持とうとするビルダーが、少しずつだが現れてきたように思う。


campingcar | 投稿者 町田編集長 16:05 | コメント(5) | トラックバック(0)

タコスのWith

 キャンピングカー業界で、女性の店長がいる店となると、まずは増 (ます) ひろ子さんがいる 「TACOS (タコス) 」 が有名。

タコス展示場1 タコス展示場2
▲ タコス展示場

 昨年、新しい展示場を東京・武蔵村山市に構え、社長の田代民雄さんが近くの工場で車両のメンテナンスなどにいそしんでいる間、接客やマスコミへの応対、経理事務などに励んでいる。

 実は、この私もまたタコスクラブのメンバーである関係上、彼女とのつき合いは長い。
 しかし、店長となってからの取材ははじめて。
 同社の新しいオリジナル車 「With (ウィズ) 」 の取材も兼ねて、武蔵村山の展示場を訪ねてみた。

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 ▲ 増ひろ子さん

【町田】  「店長&営業部長」 という重責ですね。大変でしょうけれど、まずはおめでとうございます。
【 増 】  重責だなんて… (笑) 。やっている仕事は昔から同じですよ。
 でも、もう12年もこの仕事を続けているので、キャンピングカーの面白さ、素晴らしさをお客様に伝えること力はつきましたね。

【町田】  ご自分でキャンピングカーを使って旅に行かれることは?
【 増 】  今は残念ながら、本格的なキャンピングカーというものを持っていないんです。
 ステップワゴンに、オーニングとテーブルを取り付けて、旦那さんと一緒にクラブキャンプに行くぐらいで。
 でも、昔は 「チャンプ」 に乗っていましたから、キャンピングカーの旅の面白さというのはよく分かっているんです。
 その頃は、ゴールデンウィークを利用して、10日ほど岐阜、富山、兵庫、広島、小倉あたりまで旅して…。
 本当に楽しかったんですよ。

【町田】  そのクルマをどうして手放しちゃったんですか。
【 増 】  ほら、排ガス規制に引っかかって。
【町田】  それは残念。
【 増 】  だから、下取りのクルマが入ってくると、いつも自分が買う視線で眺めてしまうんですね。
 「あ、このクルマ、絶対自分が乗る!」 …とか (笑) 。
 でも、お客様が欲しがると、やっぱり商品ですから、潔く売らざるを得ない。
 いつもそのジレンマですね。

【町田】  どんなキャンピングカーが好みですか?
【 増 】  私、特にうるさい注文ってないんです。基本的に5mサイズのキャブコンで、個室のトイレがあればいい…という感じなんです。
 そのほかのことは、レイアウトの方に自分の身体を合わせてしまうようなところがあります。
 それよりも、クルマを気に入るということが大事で、気に入ったクルマならば、そんなに使いづらいレイアウトでない限り、私なんかは楽しく使ってしまいますね。

tacosウィズ外形01
 ▲ With (ウィズ)

【町田】  ところで、 「With (ウィズ) 」 という久々のオリジナル車が誕生しましたね。リヤに大きな開口部を持つ大型トランク付き。
 昔から有名だった 「タコス仕様」 の復活ですね。

ウィズバゲッジドア開口部

【 増 】  これはお薦めです! このサイズのキャブコンで、これだけ使い勝手のいい “マルチスペース” を持ったクルマは、そうないと思うんですよね。
 なにしろ、奥行きが1900mm、幅1100mm、高さが1900mm。
 125ccクラスのバイクなら問題なく入りますし、自転車も大丈夫。
 キャンプ道具だって、これぐらいの容量があれば、まず積めないものはない!
【町田】  だいぶトークがお上手になりましたね。

【 増 】  いえいえ… (笑) 。ただ、自分でも欲しいと思うクルマなんですよ。
 自分は個室トイレが欲しい人間なんですけど、これ、リヤのカーゴスペースが引き戸で閉まるので、ポータブルなど置けば、立派なトイレルームになるんですね。
 もちろんベッドにすれば、幅1100mm、長さ1900mmの2段ベッド。
 大柄な私でも、ゆったりと寝られますし、遊びのギアを搭載しなければ、リヤ2段ベッドのクルマともなり、トイレルーム仕様のクルマにもなる…という、まぁ、魔法のクルマ (笑) 。

ウィズリヤ収納スペース01

【町田】  「マルチに使える」 というところが、昔から評判だった 「タコス仕様」 の特徴ですものね。
【 増 】  やっぱり社長の田代の発想がすごいんですよ。特に重量物を載せるときのことを考えて、ウィンチを付けるという発想。
 そのへんは、やっぱり私などには考えつかないことですね。
【町田】  ウィンチはいくらで付くんですか?
【 増 】  オプションで、4万5,000円くらいですね。
 でも、これがあると、いろいろなスポーツギヤを載せたい人とか、ちょっと体力に自信がない女性などは、本当に助かるのではないかしら。

ウィズ外部収納電動車椅子

【町田】  価格的にも魅力的なプライスですよね。
【 増 】  やはり、500万円の前半でナンバーが付いてしまうというのは、お客様にはお買い得感があるのではないかと思うんです。
いっぱい売れるといいな (笑) 。

ウィズ・ダイネット01
 ▲ ウィズ ダイネット

【町田】  ところで、従業員から見た田代社長って、どうですか?
 いつも夜になると飲んだくれている…という印象があるんだけど。

タコス田代社長01
▲ タコス 田代民雄 社長

【 増 】  すごいタフな人ですね。実は、私もよく一緒に飲みにいくんですよ。時には旦那も交えて3人で。
 田代社長は、やっぱり若い頃からバイクやアウトドアでさんざん鍛えてきた人ですから、クルマ造りなども、いつもそれが原点になっているんですね。
 遊んできた人間は、こういうクルマの開発には強みを発揮するということが、そばで見ているとよく分かるんですよ。

【町田】  ああ…。また一緒にキャンプに行きたくなったな。
【 増 】  ええ、ぜひ!

タコス増ひろ子さんVサイン
campingcar | 投稿者 町田編集長 13:20 | コメント(0) | トラックバック(0)

フィールドライフ

 群馬県を拠点とするキャンピングカービルダーの 「フィールドライフ」 さんが、昨年の暮れに新しい工場を設立し、展示場をリニューアルした。
 同社の福島雅邦社長に、その新工場と、装いを新たにした展示場を案内してもらうことができた。

 どの企業も、生産調整を行い、設備投資も控えようとするご時世。
 フィールドライフさんの事業展開は、大胆すぎると思われるところもなきにしもあらず。

 しかし、福島社長は、 「うちが発展することを狙うというよりも、お客様に信頼できる商品とサービスを提供するための当たり前の責務」 と、こともなげに言う。
 そこに、この不況の時代ともいわれる今の情勢下で、それを乗り切ろうとする日本のキャンピングカー業界の力強くも確実な足取りを見ることができた。

 新しい事業展開に着手した福島社長に、その狙いどころと、決意のほどをうかがってみた。

フィールド福島社長01
 ▲ 福島雅邦社長

ルーツ室内=大
 ▲ フィールドライフの看板車種ルーツ・トリップ (室内)

《 充実した工場機能 》

【町田】  新しく工場を建てられた意図はどういうところにあったのでしょう。
【福島】  ひとつは、工場ともなると、やはりFRPなどを削ったりするときの粉塵をお客様に吸わせてしまったりするということも出てくるわけですね。
 社員は、集塵機の前でマスクをするなど防備をするわけですけれど、お客さんはそうでもない。
 だから、あくまでもお客様に迷惑をかけたくなかったということが一つ。
 それと、社内的にいえば、計画生産をする意味においては、工場と展示場を別にすると、工場と販売との収支をしっかり比べたりできるようになるので、目標設定などをやりやすくなるというメリットが生まれますね。

フィールドライフ工場全景01

【町田】  これだけの規模の工場ともなると、日本でも有数なものになると思うのですが、その機能と特徴などを、ちょっとご説明いただけますか?
【福島】  敷地は600坪ぐらいですが、木工家具づくりのブースから、パネルをつくるブース、さらに塗装ブース、組み立てブースなど、基本的にキャンピングカー造りの全行程をまかなえるようになっています。

フィールドライフ工場組み立てブース
 ▲ 組み立てブース。軽キャンパー用で3台収納可能
 
フィールドライフ工場木工ブース
 ▲ 木工ブース。コンピューターでデータ入力して、部材を切り取るNC旋盤が活躍

【町田】  ここで車両のメンテナンスなどもやるのですか?
【福島】  軽整備は展示場の方で行いますが、重整備の場合はこちらに持ち込むことが多いですね。
【町田】  フィールドさんの場合は、単に内装のリフォームや搭載機器のメンテだけでなく、エンジンの積み下ろしまで含む駆動部分の整備もなさいますよね。
 自社工場内でそれだけの整備を行えるキャンピングカーファクトリーというのは、まだ少ないだけに、ユーザーにとっては頼もしいショップだと思えるのですが。

【福島】  レッカー車もあるので、旅の途中に故障してしまった車両に対しても、引き取って面倒を見ることができます。
 さらに、パーツの取り付け、車検、リフォーム…。
 展示場のメンテスペースと、工場の整備機能をフル稼動させれば、まぁ、キャンピングカーに関わるお客様のご要望には、すべて対応できるはずです。

【町田】  工場の新設と同時に、展示場の方もリニューアルされましたね。
【福島】  ええ。これを機に、会社を二つに分けました。
 工場の方は、 「フィールドライフ本社工場」 。展示場は 「キャンピングカーパーク」 という名前で、会社名を 「フィールドライフ販売」 にしました。

フィールドライフ展示場01

《 ユーザーが楽しめる展示場 》

【町田】  展示規模も素晴らしいものですね。ヨーロッパとアメリカの代表的なメーカーのものを揃え、さらに各ビルダーさんの国産車の品揃えも豊富。それにオリジナルが加わって、鉄壁の布陣ですね。

フィールドライフ展示場HPより

【福島】  お客様のご要望も多様化していますからね。ヨーロッパ車としては最高峰のハイマー。アメリカ車では、ニートRVさんが扱うウィネべーゴ。
 世界の一級品を揃えたつもりなんですよ。
 これは、 「常に最高級のモーターホームに触れて刺激を受けてほしい」 という、社員の勉強も兼ねての展示という意味もあります。
 それに、国産車としては、アム・クラフト、インディアナRV、キャンピングカー広島、キャンピングワークス、セキソーボディ、バンテック、ファーストカスタム、レクビィ、ロータスRV販売…。そして当社のオリジナル。
 まぁ、日本でも人気のあるメーカーさんのものは、ほぼ揃えていると思いますね。

フィールドライフ展示場03

【町田】  これだけバラエティに富んだ車種を用意した展示場というのは、最近ではちょっと珍しいくらいですね。
 また、キャンピングカーだけでなく、移動販売車の展示がこれほど多い店というのも、他にはありません。
 それにパーツやアクセサリー関係も充実していますね。
 このような、「キャンピングカーのデパート」 みたいなショップを目指された理由はどんなところにあるのですか?

フィールドライフ展示場02

【福島】  クルマの修理やパーツの取り付けに寄られる方に、とにかく安心したいただきたいということが一つ。
 もう一つは、ここを 「くつろぎの空間」 として楽しんでいただきたいといのがあるんですよ。
 旅の途中にダンプや給水に寄ってもらう。つまり 「旅の中継ステーション」 ですね。
 それだけでなく、ここでキャンプもしてもらう。
 歩いて10分のところに温泉もありますし、食堂やコインランドリーもすぐ近くにあります。
 こういう宿泊システムというものをお客様に提供していくことも、これからはディーラーの責務になっていくのではないかと思っています。

《 団塊世代の参入はこれから 》

【町田】  来店を想定されている 「お客様像」 とはどんなものでしょう。
【福島】  やっぱり目立って増えているのは、団塊の世代あたりに位置する熟年層ですね。
 ただ、彼らが本格的にこの世界に参入してくるのは、もう少し後になるだろうと読んでいるんです。
 というのは、一昨年ぐらいに 「2007年問題」 などといわれて、団塊世代を中心としたマーケットが急激に広がるだろうという観測があったのですが、実際は、それほど力強い動きにはならなかったんですね。
 それには理由があるんです。
 彼らの定年が延長されたり、年金を支給される年齢が65歳なったりして、まだまだ 「現役」 にとどまらざるを得なくなってしまったんですね。
 彼らがこのマーケットに関わるようになるのは、来年、再来年くらいからだろうと思っています。

【町田】  最近のショーでは、新規のファミリー層などの来場も目立ってきていますし、それに団塊世代が加わるようになれば、業界としての展望も開けてきそうですね。
【福島】  逆にいうと、われわれの正念場でしょうね。
 確かに、パイは広がっているように感じますが、今度は、車両を提供しているわれわれの方が、それに合った車両開発をしてきたのか…というと、まだまだ業界としての課題はたくさん残っているように感じます。

《 重量表示はメーカーとしての責務 》

【町田】  どういうことでしょう?
【福島】  ひとつは、 「安全なクルマの提供」 ですね。
 国産車においては、今や各ビルダーさんの安全意識がものすごく高揚してきて、安心して提供できる車両が増えているのですが、まだまだ完全なものとはいえない。
 というのは、 「便利な装備」 「豊かな居住性」 を志向するばっかりに、許容荷重を見たときには、安心できないような車両もぽちぽち散見される傾向もあるからです。
 そういう車両に、もしお客様が許容荷重を超えるような装備をたくさん求められたり、また重量のかさばる荷物をたくさん収納されたりしたら、どうなるか。
 まず、タイヤに負担がかかるでしょうから、バーストなどの問題が出てくる。
 さらに、安定性が損なわれて、転倒などの危険も生じるかもしれない。

【町田】  それは、ビルダーさん方の大きな課題になりますね。
【福島】  ええ。だからうちで開発したクルマには、昨年から 「重量表示」 を明記することにしました。
 「現在このクルマの車両重量はいくらで、あとどのくらいの重量的な余裕があるか」
 そういうことを一目で分かるような表示を心がけました。
 お客様が追加装備を求められたり、たくさんの荷物を収納しようと思った場合、それがあると、自分のクルマの “限界” というものが見えてくるわけですね。
 ビルダーとしては、そういう配慮を示すことがぜひとも必要で、それが事故をなくして、安全なドライブを約束することにつながると思うのです。

【町田】  現状では、まだそれが徹底されていないと?
【福島】  それが業界としての今後の課題ですね。…本来ならば、キャンピングカーのベース車にはそれぞれ許容荷重というものが定められているわけですから、その範囲で架装していれば、足の強化なども特別に必要ないんですね。
 ところが、軸重オーバーを補正するために、強化サスを入れたりしてカバーしようとするところもあります。
 考え方はそれぞれでしょうけれど、走行安定性を増すための強化はいいとして、軸重オーバーを是正するための足回りの補強は、どこか本末転倒ではないか…と、私などは思ってしまうんですけどね。

《 ルーツに見る軽量化の技術 》

【町田】 やはり 「軽量化」 というのは、キャンピングカー開発の大きなテーマですね。フィールドさんのオリジナル車では、どのような対応をなされているんですか?

ルーツ外装01 
 ▲ ルーツ外装

【福島】  ルーツなどの場合は、…あれはマイクロバスのボディをカットして、一応 「セミ・フルコンバージョン」 ともいえる独自のスタイルを追求したクルマですが、バスボディの鉄板を切って、代わりにハイドロバックパネルに架装しただけで、相当の軽量化を達成しているんですね。
 バスとしての総重量は6トンぐらいで、軸の許容は6トンと800kgぐらいあるんですが、ルーツの場合はハイドロバックのおかげで、フル装備で燃料を満タンにしても、4トンぐらいにしかならないんです。
 つまり、約3トンの余裕がある。
 だから目一杯に装備を施しても、走りも快適だし、安定性も高い。

ルーツハイドロバック

【町田】  そのほかの軽量化には、どのような技術を投入されていますか?
【福島】  あとは…当然のことですが、家具なども、中をハニカム構造にして重量を減らしています。
 芯材も、今はアルミに替えて松材を使うようにしました。これも軽量化を狙ってのことですが、もうひとつは水に強いんですよ。
 アルミも確かに軽量化には貢献するのですが、熱伝導率も高いので、芯材として使っていると、グラスファイバーに接しているアルミ部分に結露が生じることがあるんですね。
 そういうことを解消するために、松材を使うようにしたのですが、これは本当に水に強い。
 当社では、もう3ヶ月ぐらい、松材を水に浸けて変化の様子を観察しているのですが、ほとんど水を吸っていないんです。
 そういうように、軽量化と同時に耐久性を維持するための研究も当社は重ねています。
 まぁ、ルーツの軽量化に関しては、すでにハイドロバックパネルを使用することで、相当な軽量化を達成しているわけですから、家具にはそれほど神経質にならなくてもすんでいます。

ルーツ内装01
 ▲ ルーツ内装

【町田】  なるほど。軽量化に関して、フィールドさんが相当の神経を払っていることはよく分かりました。
 タイヤの空気圧チェックなどは、ユーザーの管理する範囲でしょうけれど、許容荷重の問題は、やはりビルダーさんが取り組むべき領域でしょうから、業界としても、より安全なクルマとしての完成度を高める道を歩んでほしいですね。
【福島】  ええ。この度 「日本RV協会」 の会長にも選ばれたことだし、そのへんの課題に対しても、鋭意取り組んでいきたいと思っています。


campingcar | 投稿者 町田編集長 11:17 | コメント(0) | トラックバック(0)

大阪ショー速報

 インテックス大阪で開かれた 「大阪アウトドアフェスティバル2009」 に行ってきました。
 キャンピングカーショーとしては、幕張、名古屋と続く大都市圏の3番目のビッグイベントになったわけですが、ここでも驚いたのは入場者の多さ。
 業者さんたちは、 「こりゃ本当にキャンピングカーブームが到来したのか?」 と驚いているようです。

 しかし、 「見に来られたお客さんは多くても、買いに来られたわけではない」 と、慎重に構える業者さんもいて、思ったほど商談が進んでいるわけでもないことから、やはり長引く不況を深刻に受けとめている方もいらっしゃいました。

 それでも、会場のにぎわいに応えるように、このショーでも見学者の注目を集めるような新型車が多数デビューしました。

《 スナフキンGJ 》

スナフキンGJ01

 まずは、デルタリンクさんオリジナル車 「スナフキンGJ」 。
 GJは 「グレートジャーニー」 の略。
 基本レイアウトは、スナフキンシリーズのSWをベースとしているのですが、ボディ右側に大きく張り出した “出窓” が特徴となっています。

スナフキンGJ02

 この出窓のおかげで、1m88㎝×1m20㎝の横方向のベッドを確保することができたので、大人用の就寝スペースが増えています。
 しかも、窓側にはしっかりしたアクリル窓が装備され、断熱、結露防止が図られています。
 発売記念セールということで、FFヒーター、インバーター、バックアイカメラ、ナビゲーションが標準で、498万円というプライスが掲げられていました。

スナフキンGJ04 スナフキンGJ03

《 チッタ 》

 ロータスRVさんは、新型バンコン 「チッタ」 の投入です。
 こちらも出窓付き。
 ロータスさんは、この出窓に 「ウィンドボックス」 という名称を与えています。

チッタ03

 基本コンセプトは、 「街乗り気楽にワゴンキャンパー」 …というわけで、8人が前向きに座れるワゴン感覚を重視したレイアウトになっています。
 もちろん、対面対座にすれば、足元の広々感も十分なゆったりしたリビングが生まれます。

チッタ01
 
 フロアにはスライドレールが付いていて、セカンド&サードシートを前側に寄せて畳んでしまえば、リヤには広大なラゲージスペースが誕生。
 もちろん、付属のベッドマットを使えば、リヤ部分がハイマウントベッドに早変わり。
 ウィンドボックスのおかげで、リヤサイドにも大人が横に寝られるスペースが確保されています。

 大きな特徴としては、リヤ部の床下を加工して作られたグラスファイバー製の床下収納。スペアタイヤをその中に入れることができますが、タイヤの上にボードを被せても、まだ収納スペースが残ります。

チッタ02

《 プレシャスβ 》

 キャンピングカー広島さんのブースからは、ポップアップルーフを持ったバンコン 「プレシャス」 のニューモデルが登場しました。
 車名は 「プレシャスβ(ベータ) 」 。

プレシャスベータ01

 前モデルに対してレイアウトが大幅に変更され、リヤにはゆったりしたコの字ラウンジが設けられました。
 ここで夫婦2人がのんびりとくつろぐのもよし。
 大勢でワイワイやるのもよし。
 ベッドにすれば、1m85㎝×1m70㎝の広々ベッドが展開します。

 特徴的なのは、室内照明にはすべてLEDが採用されたこと。
 電子レンジとインバーター (1500W) が標準装備されたため、消費電力を抑えようとする意味があるのですが、間接照明としても、このLEDがいい雰囲気をかもし出しています。

プレシャスベータ03 プレシャスベータ02

《 アスカ 》

 キャンピングカーフジワラさんからは、新型ライトエースをベースにしたオリジナルキャブコンの 「アスカ」 がリリースされました。

アスカ01

 バンクを小さく絞ったすらりとしたスタイルが優美です。
 キャブコンでありながら、ファーストカーとしても使えるというのが、このライトエースをベースとしたキャブコンの特徴で、軽自動車キャンピングカーにはない居住性を確保しながら、ボンゴクラスのキャブコンよりも、さらに取り回しが良いという絶妙のポジショニングを獲得しています。

アスカ02 アスカ03

《 バルミィ 》

 地元の 「キャンピングカーフィールドオオモリ (大森自動車) 」 さんが発表したのは、同社の人気バンコン 「バルミィ」 の最新モデル。
 大胆なほどに美しいレイアウトは、もうおなじみのものですが、LED照明などを多用して、電気消費量の削減を図るとともに、照明効果の豊かさを同時に追求しています。

バルミィ01

 このモデルでは、ざっくりした天然素材の味を持つシートと木目調家具を採用して、今までの近未来的なインテリアに 「レトロ」 の味を加味しています。
 インテリアのテイストは、60年代頃の映画に出てくる “超モダン建築” 。懐かしさを伴う未来感覚が横溢していて、なかなか味があります。
 そういうところが、逆に、若い人たちから見ると、ものすごく新鮮な内装に見えるのではないでしょうか。

バルミィ02 バルミィ03

《 かるキャン 》

 参考出品として登場したのが、コイズミさんの 「かるキャン」 という軽自動車キャンパー。

かるキャン02

 軽トラックの上に、FRP製のユニットを取り付けたものですが、ボディ右サイドにスライドアウト機構を持ち、しかもルーフをはね上げると、三角屋屋根を持ったバンガロー風の居住空間が生まれるという面白い試みです。

かるキャン02 

 窓などは、まだ付いていませんでしたが、今後はよりキャンピングカーらしく仕上げていくとか。
 今後の熟成が楽しみです。

かるキャン01

campingcar | 投稿者 町田編集長 18:24 | コメント(6) | トラックバック(0)

ピーズの畑中氏

 日産車をベースにしたキャンピングカーで、その存在感を示している 「日産ピーズフィールドクラフト」 の畑中一夫常務。

ピーズ畑中氏01

 飲み友だちなのである。
 例えば、お台場のキャンピングカーショーでは、会場内で開かれる夕食会にいつも招待してもらい、夜更けまで飲み明かす。
 大阪のショーでは、行きつけの立ち飲み串揚げ屋にくり出し、安焼酎を酌み交わす。

 あごヒゲが自慢の、一見 「野人」 。
 宴の席で話す内容も、たいていヨタ話、ホラ話。

 しかし、ふと真面目な話になると、都会的な明晰さと、奥行きの深いインテリジェンスを感じさせる知的な風貌になる。
 不思議な魅力を湛えた人だ。

 この人との宴の席は、まぁ最初は、業界の動向に対する情報交換などから始まる。
 業界は、ここ数年、団塊の世代にキャンピングカーの魅力を訴求することに力を注いできた。
 しかし、畑中さんは数年前から、その次の訴求対象を模索して、市場分析を行っていた。

 「確実に若い世代の時代が来る! 今の市場調査では、キャンピングカーショーに来る若者の減少や購買欲の低下を嘆いているけれど、その理由を、彼らの所得水準の低下に求めてはならない。
 業界が、彼らにとって、魅力ある商品を創り出していないのではないか。 
 そこで、きっちりとした答を出していけば、この業界は若い世代で溢れかえる可能性がある」

 …というのが彼の持論であって、ライバル社が開発する新車を眺める視線にも、常にそういう意識を絡ませている。

 「アトランティス」 というキャブコンまで開発するようになった同社は、今や幅広い年齢層の顧客を対象とする総合的なビルダーとしての道を歩んでいる。
 しかし、畑中氏が常に考えているのは、 「今の時代が終わった後の、その次に来るもの」 。

アトランティス外装01
 ▲ アトランティス

 アンテナ感度を研ぎ澄ませて、彼は、キャンピングカー以外のカスタムカーの動向を観察する作業も怠りないし、趣味の釣りやジェットスキーなどのフィールドを観察して、アウトドア人口の動向を探ることにも気を配る。

 このような畑中氏の才覚を全面的に信頼して、彼に大きな活躍の場を保証している人物として、同社の田村幸彦社長の存在は大きい。
 田村社長は今のところ、畑中さんの前向きの提案に全面的に信頼を寄せているように思える。
 もちろん、畑中さんも、その信頼を裏切らないように、営業方針の立案においても最大限の注意を払っているように見受けられる。

 周りの状況は、決して彼らにとって甘くはない。
 トヨタハイエースをベースにしたバンコンで埋め尽くされる市場の中で、日産キャラバンを売っていくのは、ハタから見ると、まさに 「孤軍奮闘」 といった感じだ。

グルーヴィー外装01
 ▲ キャラバン・グルーヴィー

 なにしろ、開発されてからだいぶ時間が経ってしまったキャラバンに比べ、後から登場したハイエースは、顧客に与えるインパクトにおいても新鮮さを保っている。

 しかし、畑中氏は、そのへんをまったく気にしていない。
 
 「時代が変わりましたからね。僕らが若い頃は、クルマに注目する視点というのは、まずエンジン出力、ギヤ比、足回りでしたよね。
 だけど、今の人たちは、居住性、ファッション性、使い勝手を重視する。
 つまりね、かつては “付加価値” のようなものとして扱われていた領域が、今の時代では、クルマの “性能” を決める重要なファクターになってきたんですよ。
 要するに、ベース車の機械的な能力よりも、生活空間としての能力が問われる時代になっているんですね。
 そこで勝負するのが、キャンピングカービルダーの仕事だと思いません?」

 …だから、モデルチェンジのサイクルが来るごとに、ころころ変わっていくベース車に振り回されるのではなく、ビルダーとして、いかに魅力ある生活空間をデザインして、それをブランド化するが鍵となるという。

カノン内装01
 ▲ キャラバン・カノン

 …ってな話が進んでいるうちは、2人ともまだ酔いがあまり回っていない。

 が、少しいい気分になって、仕事に関わる話がメンドォーになると、次第に昔ばなしに移っていく。
 この人、キャンピングカーの仕事に関わる前は、モータースポーツの世界で生きていた人なのだ。
 日産プリンスでメカニックをやっているうちにレースの面白さに気づき、プライベートチームを組んで、富士スピードウェイにくり出していたという経歴の持ち主なのである。

 チーム名は 「ランダムカンパニー」 。
 自己主張が強い人間が集まりだったので、いつも統制はバラバラ。
 それが、チーム名の由来になったという。

 「だって、どこそこの “頭” やっていたなんていう夜走 (よばしり) が得意なヤツが平気で入ってきたりするんですよ。もうワケが分かんねぇ… (笑) 」

 そのプライベートチームで、畑中氏は、1200ccの 「110サニー」 をチューニングしてスピードを競った。

サニー1200

 ライバルは、トヨタのスターレット1200。
 同排気量同士のクルマであっても、スターレット勢からは 「TOM'S (トムス) 」 のようなトヨタの支援を受けるショップが参戦し、サニー勢は苦境に立たされる。

 TOM'S仕様のスターレットは、ほぼフルチューン。
 後にトヨタの耐久マシン (グループCカー) まで開発するようになるTOM'Sは、この頃からすでにセミワークスだった。
 にもかかわらず、好成績を収めたのはたいていサニー勢だった。

 この時代、私は畑中さんとは違った立場からレースの現場を見ていた。
 私の方は、彼とは逆に、仕事の取材を通じて 「TOM'S」 に出入りすることが多く、自然とトヨタ側を応援するようになっていた。

 だから、私が最初に買ったクルマも、スターレットST。
 (そのノーマル車に、ステッカーだけはTOM'Sの “トビウオ” を大仰に貼って走り回っていた)

 そのうち、ラリーやレース、ジムカーナの取材がどんどん増え、2T-GエンジンをチューンしたTE27レビンなどを操るラリーストやレーサーのところにも足しげく取材に回るようになった。
 ボアアップ、スープアップなどという言葉も覚え、そういう言葉を使って記事を書くことが面白くてたまらなかった。

スターレットジムカーナ

 今思うと、畑中さんとは、FISCOのピット裏あたりで、すれ違っていたのかもしれない。

富士スピードウェイ01

 …ってな感じの話になってくると、私と畑中さんとの酒宴は、だいぶ盛り上がってきたことになる。

 プライベートチームでレース活動をしていた畑中さんは、やがてプライベーターの限界を感じ、その後は、グラチャンマシンを整備する日産レーシングチームのエンジニアとして活躍するようになる。
 その頃は、ピットに入るマシンのエンジン音を聞くだけで、あと何回転ぐらい回るかもすぐ察知できたという。

 当時、グラチャンのヒーローといえば、日産勢では星野一義、高橋国光、長谷見昌弘。

 「みんな面白いおっちゃんたちでね… (笑) 」
 畑中さんは、いまだに彼らと共にピットの中で過ごしているような気分で語る。

 「なにしろ、あの頃はキャブレターを替えただけで10馬力アップ、マフラー替えただけで5馬力アップ…そういう世界だからさぁ、クルマとチューナーのレスポンスが密でしたよね。
 あの時代のクルマは、いじれば必ず応えてくれたわけじゃない?
 クルマの鼓動が聞こえてきてさ、そのメッセージを感じて、こっちも応えてやるという、まぁ、人とマシンの交流があったよね」

 乾いたマシンの世界にも、人間と同じような “命の躍動” を感じるのが、畑中さんなのである。
 感受性も豊かならば、表現も詩的だ。

 そういう時代のクルマを知っている彼からすると、
 「今はみんなコンピューターチューンになったから、いじれるのは一部の専門家だけ。
 今の若者がクルマに魅力を感じなくなってきたというのも、たぶん、クルマとの対話ができなくなったからだろうね」
 …ということになる。

 だから、「対話のできる」 余地をいっぱい残したキャンピングカーの方が、これからは若者の心を惹き付ける、といういつもの持論になっていく。

 そんな彼でも、会社の方針に従ってキャンピングカーを売る世界に移ったときは、さすがに面食らったそうだ。
 それまで生きてきた世界とは180度違う世界なので、最初は、何をどうすればいいのか見当も付かなかった。

 しかし、すぐにレースの世界と似ていることに気がついた。

 F1のようなものを別にすれば、レース業界もキャンピングカー業界も、裾野は広くとも、頂上までの層が薄いという。

 「広大な裾野を持つ産業というのは、普通は裾野の上にそびえ立つ “峰” も高いんですよ。
 ところが、両方とも峰が形成されずに、すぐフラットなてっぺんに行き着いてしまう」

 そのため、なかなか “うまみ” のある商売にはならない。

 「でもね、逆にいうと、この業界では誰もが “天下を取る” チャンスを持っているということなんですね。
 てっぺんまでの距離が短いから、誰が天下を取ってもおかしくはない」

 まさに、戦国時代のようなもの。

 「ビルダーの社長さんたちの顔を最初に見たとき、ホントみな戦国時代の大名に見えましたもの (笑) 」
 いちばん戦国武将の顔つきに近い畑中さんがそう言うのだから、間違いはない。

ピーズ畑中氏02

 「で、この業界がレースの世界と似ているのはね、社長さんたちがみな一家言を持っていることなんですね。
 レース界では、チューナーたちが、みな自分がこの世界では一番だと思っているんですよ。まさに、ワンパク小僧がそのまま大人になった感じ。キャンピングカー業界もそっくり (笑) 」

 そういう “乱世の時代” が、畑中さんにとっては面白くて仕方がないようだ。

 しかし、女性たちを交えた宴の世界で、彼はいつもそんなことを語っているわけではない。

 「旦那のウソの見分け方」
 「旦那が朝帰りの言い訳に使うベスト3」
 「思わず旦那が惚れ直す、奥様の会話術」

 ……女性週刊誌のネタにでもなりそうな話題をつぎつぎとくり出して、クラブキャンプで焚き火を囲んでいる奥様方の好奇心を、ずばりとワシづかみ。

 女性たちだけでなく、マグカップに焼酎を注いだ男衆も、おもわず身を乗り出して、畑中さんのしゃべりに耳を傾ける。
 ウソがホントか分からぬが、畑中さんの魔術のノリを持った会話術は、酒が回るにつれて、金を取ってもおかしくない 「話芸」 の域まで突き進む。

 「私のことをホラ吹きと呼んでください」
 畑中さんはそう広言する。

 ウソつきは人を不幸にするけれど、ホラ吹きは、人を楽しませる。
 どうやら、そういうことらしい。
 この業界に、一人のエンターティナーが生まれようとしている。


コラム&エッセイ | 投稿者 町田編集長 21:29 | コメント(4) | トラックバック(0)

アムクラフト新車

 今ちょうど 『キャンピングカーsuperガイド2009』 の原稿を書いている最中なので思うのだけれど、一連の作業を通じて感じるのは、日本のバンコンビルダーが新車開発に対して並々ならぬ戦略を立てているということ。

 マーケティングの手法も緻密ならば、ブランド力の高め方も計算しつくしている。
 今、固定客をしっかりつかんで確実にシェアを広げているビルダーというのは、みな市場分析、企画力、デザイン力で、数年前とは比べものにならないくらい緻密な作業を進めている。

 そんなビルダーのひとつに、アム・クラフトさんがいる。

アム・クラフト山口社長01
 ▲ アム・クラフト 山口寿子 社長
 
 同社は、幕張、名古屋と続く春のショーで、 「アウラ」 、 「オーロラ」 という新型車を立て続けにリリースした。
 アウラは、レジアスエースのロングバン・標準ボディのハイルーフ。
 オーロラは、ハイエーススーパーGLワイドボディをポップアップルーフ化 (op.) しているが、どちらもボディサイズとしては、全長5m未満のコンパクトボディを使っている。

 ともに、コンセプトは 「街乗りプラス α」 。
 キャンプにも使えるが、通勤、買い物、子供の送迎、ドライブ、ピクニックという日常の足を意識したものだ。

 そうなると、ベース車はスーパーロングであるよりも、それより短いショートボディである方が説得力を増す。

 狙いは、 「ミニバンイーター」 。
 価格、サイズもできるだけ乗用車メーカーの造るミニバンに近づくような設定にして、ミニバンからの買い替えを狙う。

 もちろん、そういうクルマは、昔からバンコンには多かった。
 ただ、その手のクルマは、価格を下げることと、 「何にでも使える」 という便宜性を優先させようとしたばっかりに、華がなかった。

 では、 「華」 とは何か?
 というと、これは 「機能」 に還元できない領域なので、一言では説明がつかない。
 しかし、アム・クラフトさんの新型車は、その 「華」 の領域に踏み込んで、それを理論化し、計量的に分析し、的確にプレゼンしている。
 プロのワザを感じるのだ。

アウラ外装01
 ▲ アウラ

 アウラというクルマは、ずばり 「女性のハート」 を狙ったものだ。
 同社はこのクルマを開発するにあたり、ユーザーや社員の家族関係から約200人の女性の声を拾い集めたという。

 すごいのは、そこで上がってきた声をストレートに車両開発に採り入れるのではなく、デザイナーを中心に企画会議で討議し、その声を、見栄えのある形に 「翻訳」 したことだ。
 つまり、ユーザーから上がってきた声を 「華」 に置き換えるために、デザインの濾過を試みているのだ。

アウラ内装01
 
 このクルマで “見所” となるところは、リヤゲートを上げたときに、冷蔵庫を格納したキッチンユニットの後ろ側に張り付けられたショッピングカート。

アウラ・ショッピングカート01

 つまり、行楽の帰りにスーパーなどに寄ったとき、このカートを引っぱり出して、翌日に使う食材などを買い込めるようにしている。

 これぞ 「女性の視点」!
 なのに、このカートのデザインが実にヨーロッパ風で、車両のデザインセンスと絶妙にマッチングしている。
 市販のものから探してきたというが、こういうものを選び抜くセンスがすでに他社より一歩先んじている。


オーロラ外装
 ▲ オーロラ

 「オーロラ」 というクルマも、綿密な市場調査から生まれてきていることが分かる。
 これは、ある意味で 「トランポ」 だ。
 ただし、もちろんただのトランポを狙っているわけではない。

 トランポというと、一般的にはバイクやジェットスキーを載せるというスポーツギアのイメージが強い。
 造る方も使う方も、その固定観念からなかなか抜けられない。 
 
 しかし、オーロラはそのようなトランポの発想から飛び出したクルマである。
 むしろ、トランポとして使えるほどの空間を、 「癒し」 「やすらぎ」 「広々感」 に翻訳しようとしたクルマなのだ。

オーロラ内装04

 家具なども、少し濃いめの家具を使い、今までのファンシーでフェミニンなアム・クラフト路線とは一線を画したモダンテイストを貫いている。

 この狙いはどこにあったのか?

 ポップアップルーフを開口すると、それがよく分かる。
 ルーフの内側に埋め込まれたLED照明が、微妙に色を変えて、ルーフの内側をまさに 「オーロラ」 の輝きに変える。
 同社はこれを 「オーロラシステム」 (op.) と呼ぶ。
 もちろん、これは単なる遊び。
 
 しかし、この天井に広がる “大宇宙のパノラマ” を堪能しようしたとき、濃いめにしつらえたモダン調家具類が、夜空を支える地球の大地として浮かび上がるのだ。
 よく計算していると思う。

オーロラ内装01 オーロラ内装02

 こういう仕掛けを 「ギミック」 というのは簡単だ。
 だけど、私などは、ルーフ内の色が変わっていく瞬間を写真で捉えながら、小さなプラネタリュームの中にいるような気分になった。 

 このような遊びは、ガチガチなアウトドア派からは、キャンピングカーの機能とは関係ないと嫌われるかもしれない。
 しかし、こういう部分に 「華」 を感じ、キャンピングカーの面白さを感じる新しい顧客層は確実に育っている。

 アム・クラフトというビルダーは、すでにその新しい顧客層のひしめく大海に、堂々と漕ぎ出していこうとしている。


campingcar | 投稿者 町田編集長 22:44 | コメント(0) | トラックバック(0)

コンクエスト23

 09年に入って、キャンピングカー業界では国産車の勢いが目立つようになってきたが、輸入車の方にもユニークなクルマが登場してきている。
 たとえばボナンザさんが、この春に導入したコンクエスト23。

コンクエスト外装01

 これ、アメ車かな?
 ヨーロッパ車かな?

 ベースシャシーはフィアット。
 シェルの形状は、まさに典型的なヨーロッパ車風アルコーブン。
 だけど、デカールのデザインなどはアメ車っぽいし、それによく見ると、バンク部とボディ側面にアメリカのモーターホームメーカー 「Jayco」 社のマーク。

ジェイコ社マーク

 ついに、ジェイコ社がフィアットを導入?
 仕入れが高いだろうに……。
 だけど、不思議。
 左エントランスに右ハンドル。
 なんだ? これは…。

 と、いろいろ考えてしまったのだが、ボナンザの比留間社長にうかがうと疑問は氷解。
 このモーターホームは、オーストラリア製なのだ。

ボナンザ比留間社長01

 オーストラリアが、近年にわかにRV大国になっているということは、 「RV世界会議」 のレポートなどからも分かっていたが、このような堂々たるモーターホームが造られるようになっていたとは、ちょっと知らなかった。

 その中でも、このコンクエストを造った 「オーストラリア・ジェイコ社」 というのは、全オーストラリアのRV車両の中でも48パーセントのシェアを持つ大メーカーなのだとか。
 アメリカのジェイコ社とは交流はあるものの、独立した資本によって運営されている地元のビッグメーカーであるという。

コンクエスト外装03

 このコンクエストを導入するために、オーストラリアで同車を試乗していた比留間社長は、現地のモーターホームの普及ぶりに目を見張ると同時に、そのベース車にフィアットが浸透していることにも驚いたという。

 で、このコンクエスト23。
 われわれ日本人にとってうれしいのは、まずオーストラリアがイギリス連邦の一国であるために、右ハンドルであるということ。
 しかもオートマ。
 右ハンドルでATというのは、実に商品価値が高い。

コンクエスト右ハンドル01

 シャシーとして使われているフィアットは、リヤワイドトレッドを持つスペシャルバージョン。
 スタンダードのトレッドが1790mmであるのに比べ、このワイドトレッド仕様は1980mm。
 リヤタイヤがボディ枠いっぱいにまで広がっているので、 「踏ん張り」 の良さが、見ただけでも伝わってくる。

コンクエスト外装02

 内装はちょっと不思議なムード。
 レイアウトや家具の作り方は、もろヨーロッパ車なのだが、どことなく微妙にアメリカンな匂いが漂ってくる。
 アメリカのジェイコ社との交流もあるから、アメリカンモーターホームの情報も頻繁に流れてくるからだという。

コンクエスト内装05 コンクエスト内装06

 家具色や内装色はアメ車っぽいし、コンロの辺りの形状もアメリカンだ。
 コンロは4口。
 そのうちの三つはLPGを熱源に使うガスコンロだが、一つだけがIHクッカーになっている。
 時代の波を感じる。

コンクエスト内装08

 ベッドは、ヨーロッパ車風のリヤハイマウントベッド。
 もちろん、その下は大型外部収納。
 ベッドはウッドスプリングが入っているので、通気性もよく、寝心地も十分。

コンクエストリヤベッド コンクエストベッド下収納

 もちろん、オーストラリアだけの創意工夫もある。
 たとえば、エントランスドア。
 表扉の裏側に、格子上の補強が入った網戸が設けられ、さらに、子供が触って開いたりしないように、チャイルドロック機構が備わっている。

コンクエストエントランスドア

 パーツもほとんど自国内で生産されるようになったらしいから、オーストラリア独自のアイデアを盛り込んだパーツもどんどん開発されているらしい。
 
 オーストラリアといえば、おなじみのカンガルーバー。
 だけど、野性のカンガルーが飛び込んで来る心配のない日本で使う限り、現地の大げさなカンガルーバーは必要ないという判断で、小型のものが付けられている。

コンクエストコアラバー

 ボナンザさんでは、これをちょっと可愛く 「コアラバー」 と呼ぶそうだ。
 フロントバンパーの役目をするので、付いていると便利だ。

 オーストラリアのキャンピングカーが正規に日本に導入されたのは、これがはじめて。
 日本のキャンピングカーシーンは、輸入車の方でもバラエティに富んだ品揃えが目立ってきた。

 お値段は、車両本体価格8,980,000円 (税込み9,429,000円) 。


campingcar | 投稿者 町田編集長 20:31 | コメント(4) | トラックバック(0)

断熱と遮熱

 キャンピングカーの冷暖房を考えるとき、ボディを断熱加工することの重要性が、最近とみに認知されるようになってきたが、それと同時に、「遮熱」 という考え方も進めていかなければならない、というビルダーの社長さんがいる。
 RVランドの阿部和麿氏である。

 阿部さんがいうには、人間が体感する 「暑さ、寒さ」 の感覚は、 「遮熱」 によって左右されることが多いのだそうだ。

 「遮熱」 とは、文字通り 「熱を遮る」 ことをいい、正確には 「熱をはね返す」 ことを意味する。
 「断熱」 と違うのは、 「断熱」 が熱を受け止めて、その熱の伝導を遅らせるということを意味するならば、 「遮熱」 は、熱そのものをはね返してしまうことをいう。

 その 「遮熱」 が、なぜキャンピングカーの 「断熱」 と同時に重要になるかというと、それが、熱の移動量の一番多い 「輻射 (ふくしゃ) 」 を遮ることになるからだそうだ。

 理科に強い人ならば、この 「輻射」 という言葉で、すでにピンと来るかもしれない。 
 理系の勉強をサボってきた私には、以下の阿部社長の講義は、はじめて聞くものばかりだった。
 
阿部和麿代表 
 ▲ 阿部和麿氏

【阿部】 人間が 「暑い」 「寒い」 「冷たい」 と感じる温度や熱の伝わり方には、3種類あるんですね。
 その一つは、 「伝導」 です。
 氷などに触れると冷たく感じるのは、氷の温度が指先に伝導されるからです。火にかけたヤカンが熱くなるのも、伝導ですね。

 二つ目は 「対流」 です。
 部屋の中の温まった空気は比重が軽くなって上昇し、冷たい空気は下に回って、部屋全体がかき回されながら温かくなるというのは、この対流の効果が現れるからなんです。

 そして三つ目が、 「輻射」 です。
 これは赤外線などに代表される電磁波による熱のことで、太陽の熱の伝わり方を思い浮かべてもらえれば分りやすいと思うのですが、例えば、天気の良い冬の日など、太陽に当たった身体がポカポカと温かくなりますよね。

 それって、不思議だと思いませんか?
 なぜなら、別に空気そのものが熱くなっているわけではないからです。

 では、なぜ、外気温が人間の体温より低い冬の日でも、人間は太陽に当たると温かく感じるのか。

 それは、太陽の赤外線が、物体と衝突するときに熱を発生するという性質を持っているからなんですね。
 このような熱の伝わり方を 「輻射」 といいます。

 で、この 「伝導」 、 「対流」 、 「輻射」 という熱の伝わり方の中で、私たちが熱量の多寡を一番強く感じるのが、実は最後の 「輻射」 なんですね。
 人間の生活空間の中で、熱の移動量全体を100とすると、 「輻射」 がそのうちの75を占め、 「対流」 が20、 「伝導」 はわずか5だと言われています。

 キャンピングカーの冷暖房を考えるとき、 「遮熱」 という考え方が大事だと言ったのは、 「遮熱」 による対策が、熱の移動量の一番多い 「輻射」 を遮ることになるからです。

 では、具体的に、この 「遮熱」 という考え方は、キャンピングカーにどのように取り入れられているのかというと、……残念ながら、この世界ではまだ大きな成果としては実っていないんですね。

 というのは、この業界では 「遮熱」 に効果のある素材を導入するための研究もまだ途上であるし、またそのような素材があったとしても、コスト高が予想されるからなんです。

 では、その素材とは何か。

 研究によると、 「輻射」 による熱反射率の最も高いものは金属の銀 (シルバー) だといいます。
 その反射率を数値で表すと、99パーセントに及びます。
 2番目は金 (ゴールド) で、その熱反射率は98パーセントになります。

 ですから、金銀で外皮を構成したキャンピングカーがあったなら、さぞや夏は涼しく、冬は暖かいキャンピングカーになることでしょう。

 しかし、これは現実的ではありませんね。
 そのようなキャンピングカーは、一部の大金持ちでも敬遠してしまうでしょう。
 なぜなら、そのような 「走る宝石」 で旅行していれば、盗難や強奪の恐怖にいつも怯えていなければならなくなるからですね。

 幸いなことに、それほど高価でない素材として、私たちは 「アルミ」 という素材を持っています。
 アルミの熱反射率は91パーセントだと言われますから、金銀に及ばないまでも、現実性はぐっと近づいてきます。

 では、キャンピングカーの外装をアルミで被えばいいかというと、そう簡単ではないんですね。
 まず、そのようなボディ技術があまり普及していないため、耐久性への配慮を含めてデータが不足していて、素材そのものも、現状ではコスト高になってしまいます。

 しかし、建築の世界において、遮熱材としてアルミ素材を上手に使う工法が普及しているといいますから、そのように住宅への浸透が進んだ段階で、キャンピングカーに適した使い方の研究も進んでくるでしょう。

 すでに、キャンピングカー以外の自動車においては、観光バスやトラックの一部で、屋根にアルミ的な効果をもたらす銀色の蒸着フィルムを貼ったり、銀色の塗装を施す試みも行われるようになってきました。

 また食品関係においても、このアルミ素材の遮熱性を利用した包装システムが普及してきました。
 コンビニなどで売られているスナック菓子の袋などを見ますと、その大半が、内側にアルミ箔を蒸着した素材を使用して、赤外線などをカットし、品物の劣化を防ぐようになっています。

 このような応用技術がキャンピングカーに採り入れられるようになるには、まだもう少し時間がかかるでしょうけれど、実は、すでにユーザーさんたちは実行しているんですね。

 たとえば、キャンピングカーでは、室内を外気温の変化や結露から守るために、フロントガラスや側面の窓ガラスを “銀マット” などで覆うマルチシェードのようなものが開発されていますが、これを使う方々がどんどん増えています。
 これなど、断熱と遮熱を効果的に行なったものといえるでしょう。

 今後は、各ビルダーさんが 「断熱」 と同時に、 「遮熱」 技術を研究・開拓することになっていくでしょう。
 そうなれば、エアコンやヒーターなどを無制限に使用することを避けることも可能となり、エネルギー資源の確保や、温室効果ガスの削減に寄与するようになるでしょう。

 ……以上、阿部社長の講義、終わり!
 勉強になりました。


campingcar | 投稿者 町田編集長 22:58 | コメント(4) | トラックバック(0)

大人の恋の国

 昔、鹿児島まで旅したことがあった。
 「独り旅」 。
 …といえば、カッコいいのかもしれないが、まぁ、取材。
 つまり、仕事。

 一応、取材するべきものをあらかた取材して、1日だけ日程が余った。
 南に行ってみようかと思った。

 「指宿 (いぶすき) スカイラン」 という看板が出ていたので、それに乗ることにした。

 “スカイライン” という名からは自動車専用ハイウェイという感じが伝わってきたが、実際は片道1斜線の 「信号がない」 というだけの道だった。

 道の途中に現れる展望台に何回か止まって、噴煙を噴く桜島を撮影した。

 不思議な気持ちになった。
 富士山などがあのような噴煙を撒き散らしたりしたら、大変なニュースになるはずなのに、ここに住んでいる人々はそれを日常的な景色として眺め、気にもせずに暮らしている。

桜島噴煙
 
 薩摩人というのは、太っ腹な人たちだ。
 明治維新から西南戦争にかけての時代、鹿児島はほとんど日本国内における 「独立国」 といった体裁を示すが、薩摩人のそういう剛胆さというのは、 “火を噴く山” を町の中に抱えているという風土が生んだものかもしれないと思った。

 指宿スカイラインを走って南に下ってくると、今度は、開聞岳が見え隠れするようになった。
 富士山と似たコニーデ型の美しい山だ。

 ヤシの木などの隙間からみる開聞岳は、なんだか行ったことのないバリ島とか、ハワイとかいった、 “南の楽園” をイメージさせた。

開聞岳02

 幼少の頃、街角に貼られた 『南太平洋』 というミュージカル映画のポスターを見たことがある。
 それを思い出した。

 どんな俳優が出演するどんなストーリーの話なのか。実はいまだによく知らない。
 しかし、そのポスターに秘められた南国の官能というものだけは、ガキの自分にも理解できた。

南太平洋ポスター01

 「南の国には大人の恋がある」
 何の根拠もなく、そう思い込むようになったのは、もしかしたら、そのとき刷り込まれたものかもしれない。
 
 「大人の恋」 を探すために、さらに南下したら、ウナギを見つけた。

 池田湖というところまで来ると、湖岸のボート乗り場やみやげ物屋には、どの店も 「一番大きなウナギ」 という看板が掲げられている。
 「一番…」 が何件も連なっているのだが、そのへんは、お互いにあまり頓着してない様子だ。
 おおらかな土地柄である。

 そのうちの一軒を覗く。
 体長2メートル、胴回り50センチという “お化けウナギ” がいた。
 ウナギというより黒いニシキヘビである。
 顔なんかナマズに近い。

池田湖大ウナギ01

 店の人に聞くと、その1匹で、20人分の蒲焼ができるらしい。
 ただ、味は大味で、まずくて食える代物 (しろもの) ではないという。
 あくまでも観光用。
 うっかり食べたら、一晩中ウナギの夢にうなされそうだ。

 さらに走って南へ。

 目指すは指宿。
 いつのまにか頭の中では、指宿の町が、ミュージカル 『南太平洋』 に出てくるような南国リゾートのイメージに染め上げられている。
 今晩は、そこで 「大人の恋」 を見つけよう。

南太平洋ポスター01

南国の海の夕陽02

 南へ、南へ。
 国境の南へ。

 あたりは典型的な日本の田舎道になった。
 小高い丘陵がうねうねと続き、その間に田畑が広がっている。 
 
 その光景は、日本中どこの田舎にも溢れていそうなものだったが、ただ一点、陽光が違う。
 明らかに、南国の日差しだ。
 夏でもないのに、道の彼方に陽炎でも立っているような気がする。

 坦々とした一本道が続くなか、視線が妙な看板を捉えた。

 「ムー大陸の秘宝館」

 周りが畑だけに、 「ムー大陸」 と大きく出たところが、なにやら 「怪しげ」 で 「妖しげ」 。
 無性に寄り道したくなった。

 看板の指示する矢印通りに進むと、これがとんでもない山の中だった。
 地元のクルマさえ1台も通らない。

 その寂しいワインディング・ロードを、上へ上へと登っていくと、いきなり眺望が開け、人気のない広場の向こうに、なんともいえない奇妙な門が立ちはだかった。

 インド風というのか、イスラム風というのか。
 仰々しい赤い門が、 「寄ってらっしゃい」 とも 「立ち去れ!」 とも、どちらとも取れる風情で、じっと見下ろしてくる。
 テーマパークか?
 遊園地か?
 それとも宗教施設か?

 この摩訶不思議な味わいが、いい感じで、人の好奇心をくすぐってくる。

 門の横の事務所にはスピーカーが備え付けられていて、そこから、初期のコンピューターゲームで使われたようなふわふわした電子音のメロディが流れている。

 クルマを止めておそるおそる事務所 (受付?) の中を覗いてみたが、もとより客などあてにしていないのか、事務所には人っ子一人いない。

 門から中を覗くと、意外に奥行きがあって、山あり、谷ありの公園のようになっている。
 “秘宝館” は山の向こうにでもあるのか、ここからは姿が見えない。

 門から先は “古代ローマのアッピア街道” といった感じの石畳の小道が伸びていて、その彼方の丘の上には、白くピカピカ光る象の彫刻が横たわっている。
 ますますもって、わけが分からなくなる。

ムー大陸秘宝館01

 門の横にこの施設の由来を説明した碑があった。

 読むといよいよ大変な施設であることが分かった。
 なんでも、
 「世界平和の実現のため、3000万年の昔に太平洋に沈んだ理想の仏国土ムー大陸の秘宝を展示」
 …した施設なんだとか。

 ムー大陸が、釈迦が生まれる前はおろか、人類が生まれるまえから仏教の国だと初めて知って、びっくりした。

 よっぽど入ってみようと思ったが、日のあるうちに指宿の町に行きたかったので、残念だったが、あきらめて山道を引き返すことにした。


 陽が西に傾きかけた頃、南九州屈指の温泉街である指宿に着く。

 「ビッグウェンズデー」 級の大波が押し寄せる南国の浜辺をイメージしていたのだが、海岸沿いに並ぶホテル、スナック、ストリップ小屋、ソープランドのたたずまいは、わりと日本のどこでも見られる観光温泉街だった。
 
 ウィークデイのせいか、人の姿もまばら。
 どこかの宿に飛び込んでも、だだっぴろい大広間で、浴衣を着たまま一人で食事をとっている光景が目に浮かんだ。
 
 街並を見ながら走っているうちに、いつのまにか町を出てしまった。

 ……どうするか。

 今から戻れば、鹿児島の町には戻れる。
 やっぱり、旅の最後の夜は、天文館あたりの居酒屋で、さつま揚げに焼酎でも飲みたい。

 南国リゾートの 「大人の恋」 はあきらめて、再び来た道を引き返す。

 途中、ちょっと洒落た喫茶店が見えた。
 田舎の町並みにポツンと立っているモダンな店構えが、周りの景色から浮いている。
 どんな客が入るのだろうと…と、好奇心が湧く。

 店の中には、60年代~70年代のロック・アーチストのLPジャケットやCDが飾られ、心地よいノリのロックが、適度なボリュームで流れていた。

 カウンターでは、40ぐらいの中年のマスターが地元の青年と話していた。
 話題は音楽のことではなさそうだ。

 コーヒーを注文し、しげしげと店内のディスプレイを眺める。
 ニール・ヤング、CCR、バンド。
 古びた30㎝LPのジャケットが、壁いっぱいに飾られている。

アフターザゴールドラッシュ01 band

 マスターの人生が分かりそうだった。
 若い頃 都会の大学でロックの洗礼を受け、それにのめり込み、故郷に戻って、趣味を生かした喫茶店を開く。
 そういう人生設計を描いたんだな…という感じがひしひしと伝わってくるのだ。

 なんとなく (…年齢的にも近そうだったし) 親近感を覚えたので、帰りぎわに、
 「今かかっているのは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングでしょ?」
 と聞いた。

 マスター、こともなげに、 「そうですが…」 (それが何か?) と怪訝そうな表情で見つめ返してくる。
 こんな田舎でロックの話なんかするなんて、お前よっぽど変わりものだなぁ…というような感じなのである。

 ちょっと鼻白んでしまったが、 「ま、いいか…」 と思って、勘定を済ませて外に出る。

 ちょっと休んでいる間に、町はすっかり夕暮れの色に染めあげられていた。
 夕方になると淋しい町だ、この辺は。
 
 さぁて、ひとっ走り。
 天文館で、気の利いた居酒屋でも探し、街の喧騒をサカナに焼酎でも飲もう。

 「大人の恋の国」 が後ろに遠ざかる。
 ふと見上げると、空には早々と一番星。


旅&キャンプ | 投稿者 町田編集長 01:45 | コメント(4) | トラックバック(0)

ヴォーノ

 日本の風土、日本の使用環境に適したキャンピングカーというものを、かなり意識的にデザインしようという流れが、今年ほど顕著に現れてきた年はないように思う。

 そして、そういう新しい流れに乗ったキャンピングカーを見ていると、そこには各ビルダーの、何か吹っ切れたような 「明るさ」 、自信からくる 「華やかさ」 のようなものが、とても強く匂ってくるように思えるのだ。

 この春に開かれた幕張と名古屋のキャンピングカーショーを見ていても、国産メーカーがリリースしてきた新車には、どれもみな 「テーマ」 がはっきりと見えた。

 もちろん、それ以前だって、新車開発というものはテーマをしっかり据えてから進められてきたわけだが、ただ、昔は 「定年退職をするシニア夫婦が増えるから、2人仕様のレイアウトを考えよう」 とか、 「スポーツギアを積む若者が増えてきたからトランポを1台持とう」 といったマーケット動向をにらんだテーマ設定が主流だった。

 しかし、現在リリースされている新車を見ると、単純にマーケットの流れを追っただけの、今までの新車開発とはひと味違う “新味” がどのクルマにも溢れている。
 おそらく、各ビルダーの開発陣の頭の中に、 「キャンピングカー市場の急速な広がり」 というものがイメージされてきたのだと思う。

 だから、そういうクルマには、キャンピングカーを知らない人たちに対しても、 「夢、希望、期待感」 を抱かせるような発想が渦巻いている。

 おそらく、開発者たちが、キャンピングカー製作のプロであるという自意識をいったん捨てて、 「自分がキャンピングカーを知らない人間だとしたら、キャンピングカーに何を期待するのか」 …そういう原点に立ち返って車両開発に臨んだからだと思う。

 その例のひとつを見てみよう。
 ここに、レクビィさんがこの春投入した 「ヴォーノ」 という新車がある。
 まず、下の写真を見ていただきたい。

ヴォーノ室内011

 ちょっとした大型バスコンか、輸入車でしか見られないような、優雅でのびのびとしたL字ソファのラウンジが広がっている。
 景色の良い場所にクルマを止め、このラウンジにゆったりと腰掛けて、煎れ立てのコーヒーなど飲んだりしたら、さぞやリッチな時間を楽しむことができるだろう。
 きっと、誰もがそう思うだろう。

 だけど、こういうリビングを実現しているキャンピングカーというのは、さぞや高価で、車体もどっしりした大きさを誇るようなクルマなんだろうな…。
 次に訪れるのは、そういう感慨かもしれない。

 で、下の写真を見ていただきたい。

ヴォーノ外装01
 
 ハイエースでも一番小さくて取り回しのいい、ナローボディの標準ルーフなのだ。
 このインパクトはすごい。
 狭い住宅街をスルスルと通り抜けることを得意とするようなコンパクトボディの中に、大型輸入車でしか実現できないような、 「ゆとり」 「贅沢感」 「くつろぎ感」 を盛り込んでしまったのだ。

 こういう発想はどこ