2010年02月09日
人気の北海道旅行
北海道観光の人気は高い。

北海道は、昔から日本人の旅行先として根強い人気を保っており、2009年にJTBが行なった 「今年の夏の日本の旅行先」 調査では、32パーセントの男女が、その年に行く旅行先を 「北海道」 と答え、2位の 「沖縄」 (16パーセント) を大きく引き離したそうだ。
また、(財) 日本交通公社がまとめた 「旅行者動向2008」 では、自然や景勝地を見て回る 「自然観光」 と、おいしいものを食べる 「グルメ旅行」 の項目において、北海道が他を大きく抜いて1位に輝いているという。

そのような人気エリアの北海道だが、旅行者の滞在日程でみるかぎり、北海道観光の日程は、短縮傾向にあるといわれている。
北海道経済部観光局が2009年に調査した結果によると、1999年度に 「3泊4日」 の旅行を楽しんだ観光客が38.8パーセントいたのに対し、2007年度においては、それが26.4パーセントに減少。
逆に、1999年では29.6パーセントであった 「2泊3日」 の客は、2007年では46.1パーセントに達したらしい。
つまり、 「行ってはみるが、すぐ帰る」 という傾向が強まっているという。
このような観光客の旅行日程が短縮化されるなかで、唯一、旅行日程をどんどん伸ばしている旅行スタイルがある。
それが、 「キャンピングカー旅行」 である。

▲ 名寄市のふうれん望湖台キャンプ場
日本RV協会 (JRVA) が定期的に発行しているプレス・インフォメーション (日本RV協会通信) によると、キャンピングカーユーザーの62.7パーセントが、北海道では 「1週間以上、2週間以内」 という長期旅行を楽しんでいることが判明したという。
この調査は、RV協会が、2009年10月から約2ヶ月にわたって同協会のホームページにアクセスしたユーザー273人を対象に行ったもので、
「ここ数年、北海道を旅した日程がどれくらいであったか?」
ということを、1週間以内、2週間以内、3週間以内、1ヶ月以内、2ヶ月以内、3ヶ月以内、さらに長期、という7段階にわたって尋ねたもの。
それによると、一番多い回答は 「 (1週間以上) 2週間以内」 で40.3パーセント (110人) であったという。
2位は 「1週間以内」 で37.4パーセント (102人) 。
3位は 「3週間以内」 の7.7パーセント (21人) 。
さらに 「3週間以上」 という回答を寄せた人も14.7人パーセント (40人) いたらしい。
一般観光客の旅行日程が 「3泊4日」 から 「2泊3日」 へと減少しつつあるなかで、キャンピングカーユーザーの 「1週間を超えて3週間にも及ぶ」 という旅行日程は、確かに長い。

▲ 小樽市 「宏楽園」 の温泉
これはやっぱり、北海道とキャンピングカーの相性の良さを反映したものといえそうだ。
北海道は、なにしろ大自然を擁した広い大地に恵まれた土地。
道もまっすぐで広く、外国のような景観が連続する。
しかも、本州に比べると、比較的キャンプ場の宿泊料が安く、なかには無料のキャンプ場もたくさんある。
そのため、キャンピングカー専門誌では、毎年夏が近づくと 「北海道特集」 を組むものが多く、ユーザーの間には、すっかり 「北海道はキャンピングカーの聖地」 というイメージが形成されている。

▲ 当別町 「道民の森一番川キャンプ場」
同リリースによると、このようなキャンピングカーユーザーを招へいすることは、北海道の観光振興施策とも合致するという。
北海道観光局では、やや陰りを見せている観光客数に歯止めをかけるために 「ゆとりツーリズム」 などのキャンペーンを提案し、積極的に観光客誘致の対策を進めている。
その具体的な対策として、 「地域の観光商品の企画・開発の促進」 とともに、 「複数市町村にまたがる新たな “滞在型観光地” づくり」 が盛り込まれているとも。

ある程度広いエリアにわたっての “滞在型観光地” がどんどん具体化されれば、それはキャンピングカーユーザーの便宜を図ることにつながり、またそれによってキャンピングカー客が増加すれば、北海道の観光産業が活性化する、…と同リリースはいう。
キャンピングカーユーザーの北海道旅行の日程の延長化傾向は、観光資源を存分に生かした北海道旅行の未来を予感させる。
詳しくはJRVAホームページへ。
北海道は、昔から日本人の旅行先として根強い人気を保っており、2009年にJTBが行なった 「今年の夏の日本の旅行先」 調査では、32パーセントの男女が、その年に行く旅行先を 「北海道」 と答え、2位の 「沖縄」 (16パーセント) を大きく引き離したそうだ。
また、(財) 日本交通公社がまとめた 「旅行者動向2008」 では、自然や景勝地を見て回る 「自然観光」 と、おいしいものを食べる 「グルメ旅行」 の項目において、北海道が他を大きく抜いて1位に輝いているという。
そのような人気エリアの北海道だが、旅行者の滞在日程でみるかぎり、北海道観光の日程は、短縮傾向にあるといわれている。
北海道経済部観光局が2009年に調査した結果によると、1999年度に 「3泊4日」 の旅行を楽しんだ観光客が38.8パーセントいたのに対し、2007年度においては、それが26.4パーセントに減少。
逆に、1999年では29.6パーセントであった 「2泊3日」 の客は、2007年では46.1パーセントに達したらしい。
つまり、 「行ってはみるが、すぐ帰る」 という傾向が強まっているという。
このような観光客の旅行日程が短縮化されるなかで、唯一、旅行日程をどんどん伸ばしている旅行スタイルがある。
それが、 「キャンピングカー旅行」 である。

▲ 名寄市のふうれん望湖台キャンプ場
日本RV協会 (JRVA) が定期的に発行しているプレス・インフォメーション (日本RV協会通信) によると、キャンピングカーユーザーの62.7パーセントが、北海道では 「1週間以上、2週間以内」 という長期旅行を楽しんでいることが判明したという。
この調査は、RV協会が、2009年10月から約2ヶ月にわたって同協会のホームページにアクセスしたユーザー273人を対象に行ったもので、
「ここ数年、北海道を旅した日程がどれくらいであったか?」
ということを、1週間以内、2週間以内、3週間以内、1ヶ月以内、2ヶ月以内、3ヶ月以内、さらに長期、という7段階にわたって尋ねたもの。
それによると、一番多い回答は 「 (1週間以上) 2週間以内」 で40.3パーセント (110人) であったという。
2位は 「1週間以内」 で37.4パーセント (102人) 。
3位は 「3週間以内」 の7.7パーセント (21人) 。
さらに 「3週間以上」 という回答を寄せた人も14.7人パーセント (40人) いたらしい。
一般観光客の旅行日程が 「3泊4日」 から 「2泊3日」 へと減少しつつあるなかで、キャンピングカーユーザーの 「1週間を超えて3週間にも及ぶ」 という旅行日程は、確かに長い。

▲ 小樽市 「宏楽園」 の温泉
これはやっぱり、北海道とキャンピングカーの相性の良さを反映したものといえそうだ。
北海道は、なにしろ大自然を擁した広い大地に恵まれた土地。
道もまっすぐで広く、外国のような景観が連続する。
しかも、本州に比べると、比較的キャンプ場の宿泊料が安く、なかには無料のキャンプ場もたくさんある。
そのため、キャンピングカー専門誌では、毎年夏が近づくと 「北海道特集」 を組むものが多く、ユーザーの間には、すっかり 「北海道はキャンピングカーの聖地」 というイメージが形成されている。
▲ 当別町 「道民の森一番川キャンプ場」
同リリースによると、このようなキャンピングカーユーザーを招へいすることは、北海道の観光振興施策とも合致するという。
北海道観光局では、やや陰りを見せている観光客数に歯止めをかけるために 「ゆとりツーリズム」 などのキャンペーンを提案し、積極的に観光客誘致の対策を進めている。
その具体的な対策として、 「地域の観光商品の企画・開発の促進」 とともに、 「複数市町村にまたがる新たな “滞在型観光地” づくり」 が盛り込まれているとも。
ある程度広いエリアにわたっての “滞在型観光地” がどんどん具体化されれば、それはキャンピングカーユーザーの便宜を図ることにつながり、またそれによってキャンピングカー客が増加すれば、北海道の観光産業が活性化する、…と同リリースはいう。
キャンピングカーユーザーの北海道旅行の日程の延長化傾向は、観光資源を存分に生かした北海道旅行の未来を予感させる。
詳しくはJRVAホームページへ。
2010年02月08日
ツィッター
最近よく耳にする 「ツィッター (Twitter) 」 。
これがよく分からん。
マスコミが話題にしているのを見ると、今や、 「あなたの周りの人間はみな始めてますよぉ~」 ってな言いっぷりなんだけど、ごくごく少ない私の “周りの人間” に聞いてみたら、一人もそんなことを始めていなかった。
もっとも、私が日常的に接している人たちというのは、病院で冬眠しているクマと、いま介護施設に入っている義母と、犬だけなので、彼らはそもそもインターネット以前の生き物だから、参考にならない。
では、電車に乗っている人たちはどうなんだろう?

どうやら、携帯電話からでもできるらしいので、きっとみんなやっているんだろうなぁ…と思って、通勤電車の中で、携帯 (っぽい機器) をピコピコしている人たちのモニターを、そぉっと覗き込んだりするが、たいていゲームをやっていて、ツィッターとはほど遠い感じだ。
すこーし知ってそうな会社の同僚に尋ねみたら、
「140字までの “つぶやき” ですよ」
と教えてもらった。
なんだよ? それ…
こういうときは、Wikipedia に頼るしかないんだけど、それを読むと、
「個々のユーザーが 『ツイート (つぶやき) 』 を投稿することで、ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービス」 って、まず最初に書かれているんだけど、 “ゆるいつながり” という意味が、よく分からん。
「君、だれ?」
「通りすがりの者です」
「じゃ元気でね」
…そんなことなんだろうか?
ウィキをもう少し読んでみると、
「例えば 『ビールが飲みたい』 というつぶやきに対し、それを見たユーザーが何らかの反応をすること」
…ってあるんだけど、どういう反応なのだろう。
もし、私が誰かのツイートを受け取り、 「ビールが飲みたい」 って言われても、
「あ、そう」
「勝手に飲めば」
の二つの反応しか思い浮かばない。
もしそこで、こっちが 「いいねぇ! 」とか言ったとして、 「あ、じゃご一緒しましょう! 今どこ? …当方、25歳で、友だちからは綾瀬はるかに似ていると言われます」 なんて返事が来たら、まず最初に 「怪しい!」 と思うだろうし。
で、ツィッターの特徴は、 「リアルタイム性にある」 っていわれるんだけど、普通に仕事している人が、 「オレ、いま決算報告作成中。もうすぐ完了」 とか、そんなにしょっちゅう “つぶやく” 時間があるのだろうか。
分からないなりに想像するに、まず私が思うのは、 “ウザいなぁ…” ってこと。
「神田××町の角のコーヒー屋は、雰囲気がよくって、とってもおいしい」
とか、誰かにつぶやかれても、…そんなところに行くことも滅多にないしなぁ…と思うのが関の山なんだけど、そういうもんでもないのかしら?
きっと私なんかの古い感性では理解できない面白さってのがあるんだろうな。
そういう形で人と人がつながるって、もしかしたら、とっても素敵なことなのかしら。
人と人が 「心を通い合わせる方法」 ってのが変ってきているのかしら。
ツィッターは何が面白いのか。
ツィッターは今後ブログやHPを超えるWEBコミュニケーションツールに成長するのだろうか。
ツィッターが普及した社会というのは、どういう社会なのだろうか。
誰か分かっている人、教えてくんない?
これがよく分からん。
マスコミが話題にしているのを見ると、今や、 「あなたの周りの人間はみな始めてますよぉ~」 ってな言いっぷりなんだけど、ごくごく少ない私の “周りの人間” に聞いてみたら、一人もそんなことを始めていなかった。
もっとも、私が日常的に接している人たちというのは、病院で冬眠しているクマと、いま介護施設に入っている義母と、犬だけなので、彼らはそもそもインターネット以前の生き物だから、参考にならない。
では、電車に乗っている人たちはどうなんだろう?
どうやら、携帯電話からでもできるらしいので、きっとみんなやっているんだろうなぁ…と思って、通勤電車の中で、携帯 (っぽい機器) をピコピコしている人たちのモニターを、そぉっと覗き込んだりするが、たいていゲームをやっていて、ツィッターとはほど遠い感じだ。
すこーし知ってそうな会社の同僚に尋ねみたら、
「140字までの “つぶやき” ですよ」
と教えてもらった。
なんだよ? それ…
こういうときは、Wikipedia に頼るしかないんだけど、それを読むと、
「個々のユーザーが 『ツイート (つぶやき) 』 を投稿することで、ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービス」 って、まず最初に書かれているんだけど、 “ゆるいつながり” という意味が、よく分からん。
「君、だれ?」
「通りすがりの者です」
「じゃ元気でね」
…そんなことなんだろうか?
ウィキをもう少し読んでみると、
「例えば 『ビールが飲みたい』 というつぶやきに対し、それを見たユーザーが何らかの反応をすること」
…ってあるんだけど、どういう反応なのだろう。
もし、私が誰かのツイートを受け取り、 「ビールが飲みたい」 って言われても、
「あ、そう」
「勝手に飲めば」
の二つの反応しか思い浮かばない。
もしそこで、こっちが 「いいねぇ! 」とか言ったとして、 「あ、じゃご一緒しましょう! 今どこ? …当方、25歳で、友だちからは綾瀬はるかに似ていると言われます」 なんて返事が来たら、まず最初に 「怪しい!」 と思うだろうし。
で、ツィッターの特徴は、 「リアルタイム性にある」 っていわれるんだけど、普通に仕事している人が、 「オレ、いま決算報告作成中。もうすぐ完了」 とか、そんなにしょっちゅう “つぶやく” 時間があるのだろうか。
分からないなりに想像するに、まず私が思うのは、 “ウザいなぁ…” ってこと。
「神田××町の角のコーヒー屋は、雰囲気がよくって、とってもおいしい」
とか、誰かにつぶやかれても、…そんなところに行くことも滅多にないしなぁ…と思うのが関の山なんだけど、そういうもんでもないのかしら?
きっと私なんかの古い感性では理解できない面白さってのがあるんだろうな。
そういう形で人と人がつながるって、もしかしたら、とっても素敵なことなのかしら。
人と人が 「心を通い合わせる方法」 ってのが変ってきているのかしら。
ツィッターは何が面白いのか。
ツィッターは今後ブログやHPを超えるWEBコミュニケーションツールに成長するのだろうか。
ツィッターが普及した社会というのは、どういう社会なのだろうか。
誰か分かっている人、教えてくんない?
2010年02月07日
ウルフボーイ
ちょっと “カミさんの入院ネタ” が最近多くなりすぎてしまった。
怒られた。
「あんた、ちょっとブログで何書いているの?」
と、今日洗濯物の交換に行ったとき、カミさんがまなじり吊り上げて怒るのだ。
近年あまり連絡を取らなかったような人たちが、最近不意に見舞いに来たり、励ましのメールを送ってきたりするようになったのだという。
いいことじゃない!
…と思うのだけれど、
「ご主人も、牛丼ばっかり食べていて大変ね。身体壊しちゃうんじゃない?」
とか、みな口々に言うらしい。
カミさんにとっては、
「???」
…なんだけれど、
相手は、 「ご主人のブログに書いてあったわよ」 というのだそうだ。
「だいたいあなたは、ウソばっかり書いている」
と、カミさんはいう。
はじめて会った人から、こう言われたことがあるという。
「クマみたいっていうけれど、ぜんぜんそんなことないですよね。可愛らしい方なのに…」
そう言われて、カミさんは、最初は 「????」 だったけど、すぐに、私のブログでは、自分が 「クマ」 と表現されていることに思い至ったらしい。

怒ったこと、怒ったこと。
そのときは、後ろ足で立ち上がり、前足をグルグル振り回して、威嚇しながら、天に向かって吼えた。
その恐怖が忘れられず、それから3日ほどは、家の廊下を抜けるときも、スズを鳴らしながら歩いた。
…ってなことを書くから、また怒られるんだろうな。
確かに、自分でもウソが多いと思う。
特に、私生活をテーマにしたときは、1のことを10ぐらいに誇張するし、10のことは170倍ぐらい大げさに言う。
もともとウソつき人間なのである。
ウルフボーイ (狼少年) なのだ。
ことあるごとに、 「狼が来たぞぉー!」 ってウソをついて、ついに村人たちにそっぽを向かれた少年の話があるけれど、その話をはじめて聞いたとき、 「あ、オレだ」 と思った。
でも、自分ではウソを言っているつもりではなくて、“創作活動” のつもりなんだけどね。
つまり、ウソではなくて、ホラ。
聞いている人が楽しければ、それでいいじゃん…っていう気分が、どこかにある。
その手で何人オンナを泣かせたことやら。
(↑) もちろんウソね。
ここからは、ちょっとマジになって書くけれど、実は、業界の方を中心に、個人的なメールや電話で、たくさんの励ましをいただいた。
また、このコメント欄に、励ましのコメントをお寄せいただいた方もいらっしゃった。
それらをまとめてプリントアウトして、カミさんのところに持っていった。
読んで、カミさんが涙ぐんだものもある。
ありがとうございました。
本当にお礼を言いたい。
怒られた。
「あんた、ちょっとブログで何書いているの?」
と、今日洗濯物の交換に行ったとき、カミさんがまなじり吊り上げて怒るのだ。
近年あまり連絡を取らなかったような人たちが、最近不意に見舞いに来たり、励ましのメールを送ってきたりするようになったのだという。
いいことじゃない!
…と思うのだけれど、
「ご主人も、牛丼ばっかり食べていて大変ね。身体壊しちゃうんじゃない?」
とか、みな口々に言うらしい。
カミさんにとっては、
「???」
…なんだけれど、
相手は、 「ご主人のブログに書いてあったわよ」 というのだそうだ。
「だいたいあなたは、ウソばっかり書いている」
と、カミさんはいう。
はじめて会った人から、こう言われたことがあるという。
「クマみたいっていうけれど、ぜんぜんそんなことないですよね。可愛らしい方なのに…」
そう言われて、カミさんは、最初は 「????」 だったけど、すぐに、私のブログでは、自分が 「クマ」 と表現されていることに思い至ったらしい。
怒ったこと、怒ったこと。
そのときは、後ろ足で立ち上がり、前足をグルグル振り回して、威嚇しながら、天に向かって吼えた。
その恐怖が忘れられず、それから3日ほどは、家の廊下を抜けるときも、スズを鳴らしながら歩いた。
…ってなことを書くから、また怒られるんだろうな。
確かに、自分でもウソが多いと思う。
特に、私生活をテーマにしたときは、1のことを10ぐらいに誇張するし、10のことは170倍ぐらい大げさに言う。
もともとウソつき人間なのである。
ウルフボーイ (狼少年) なのだ。
ことあるごとに、 「狼が来たぞぉー!」 ってウソをついて、ついに村人たちにそっぽを向かれた少年の話があるけれど、その話をはじめて聞いたとき、 「あ、オレだ」 と思った。
でも、自分ではウソを言っているつもりではなくて、“創作活動” のつもりなんだけどね。
つまり、ウソではなくて、ホラ。
聞いている人が楽しければ、それでいいじゃん…っていう気分が、どこかにある。
その手で何人オンナを泣かせたことやら。
(↑) もちろんウソね。
ここからは、ちょっとマジになって書くけれど、実は、業界の方を中心に、個人的なメールや電話で、たくさんの励ましをいただいた。
また、このコメント欄に、励ましのコメントをお寄せいただいた方もいらっしゃった。
それらをまとめてプリントアウトして、カミさんのところに持っていった。
読んで、カミさんが涙ぐんだものもある。
ありがとうございました。
本当にお礼を言いたい。
2010年02月06日
家事デー
土曜日というのは、けっこう (個人的に) 忙しい日なのだ。
いちおう会社が休みの日なので、 “家事デー” と決めている。
一週間分の溜まった家事を集中的にこなす。
布団を乾して、台所の洗い物をして、シンクを磨き、何回かに仕分けた洗濯物を日に乾したり乾燥機にかけたり、古新聞をまとめて結束し、風呂の栓を抜いて湯船を洗って、その間にカミさんの病院に行って、洗濯物を交換し、病院食も飽きただろうから、ちょっとしたおかずを買って、夕方それを持って病院に…ってなことをしていると、もう夜になる。
そんなことをしているうちに、ようやく家庭内の “コスト” というものに気づくようになった。
恥かしい話である。
今まで何も気にせず洗濯物を乾燥機にブチ込んでいたけれど、 「こんな天気が良いんだから、日に乾せばいいじゃん…」 ってなことに、遅まきながら気づく。
新聞だって、朝飛び起きて、深夜に帰ってくると、まったく読まない新聞も出てくる。
今までは、カミさんが読んでいるなら、それでいいじゃん…と思っていたけれど、今だと、誰も読まなかった新聞をそのまま捨てることに、ものすごく心が痛む。
休みの日に集中して読む…ったって、全部目を通すわけにもいかんしね。
暖房だって、もう一部屋でいいんだから、お昼頃の陽の光が回っている時間帯は、パソコンのある自分の部屋にはこもらず、陽の差すリビングで過ごすようになった。
そうすりゃ、温かいから、暖房しなくてもいい時間帯が生まれる。
▲ リビングから見えるわが家のプール
…ってなわけないか。
エコロジーってのも、結局そういうことなんだろう。
「地球資源を効率的に使う社会を実現するにはどうしたらいいか」
なんてことを、個人レベルで、机上の空論として語っていても、な~んも進展しない。
社会変革を議論の俎上に乗せて、ムーブメントをつくることも大切かもしれないけれど、そういう個人が、私生活で無駄なエネルギーを垂れ流していたら、まったく意味がない。
大河の流れを、指一本でせき止めようということに近いけれど、結局それしかないように思う。
家事をすべてカミさんに任せっきりだと、そういうことに気が回らなかった。
「オレは仕事して稼いでいるんだぞ!」
…だから、家庭内の切り盛りはお前の仕事だろ? ってな威張った意識が、やはり自分にもあったのね。
反省。
いちおう会社が休みの日なので、 “家事デー” と決めている。
一週間分の溜まった家事を集中的にこなす。
布団を乾して、台所の洗い物をして、シンクを磨き、何回かに仕分けた洗濯物を日に乾したり乾燥機にかけたり、古新聞をまとめて結束し、風呂の栓を抜いて湯船を洗って、その間にカミさんの病院に行って、洗濯物を交換し、病院食も飽きただろうから、ちょっとしたおかずを買って、夕方それを持って病院に…ってなことをしていると、もう夜になる。
そんなことをしているうちに、ようやく家庭内の “コスト” というものに気づくようになった。
恥かしい話である。
今まで何も気にせず洗濯物を乾燥機にブチ込んでいたけれど、 「こんな天気が良いんだから、日に乾せばいいじゃん…」 ってなことに、遅まきながら気づく。
新聞だって、朝飛び起きて、深夜に帰ってくると、まったく読まない新聞も出てくる。
今までは、カミさんが読んでいるなら、それでいいじゃん…と思っていたけれど、今だと、誰も読まなかった新聞をそのまま捨てることに、ものすごく心が痛む。
休みの日に集中して読む…ったって、全部目を通すわけにもいかんしね。
暖房だって、もう一部屋でいいんだから、お昼頃の陽の光が回っている時間帯は、パソコンのある自分の部屋にはこもらず、陽の差すリビングで過ごすようになった。
そうすりゃ、温かいから、暖房しなくてもいい時間帯が生まれる。
▲ リビングから見えるわが家のプール
…ってなわけないか。
エコロジーってのも、結局そういうことなんだろう。
「地球資源を効率的に使う社会を実現するにはどうしたらいいか」
なんてことを、個人レベルで、机上の空論として語っていても、な~んも進展しない。
社会変革を議論の俎上に乗せて、ムーブメントをつくることも大切かもしれないけれど、そういう個人が、私生活で無駄なエネルギーを垂れ流していたら、まったく意味がない。
大河の流れを、指一本でせき止めようということに近いけれど、結局それしかないように思う。
家事をすべてカミさんに任せっきりだと、そういうことに気が回らなかった。
「オレは仕事して稼いでいるんだぞ!」
…だから、家庭内の切り盛りはお前の仕事だろ? ってな威張った意識が、やはり自分にもあったのね。
反省。
2010年02月05日
JキャビンFC
軽トラックにキャンパーシェルを載せるという、MYSミスティックの 「Jキャビンミニ」 が登場したとき、多くの人は、デフレ時代の低価格路線を狙った商品設定だと思ったかもしれない。

▲ JキャビンミニFC
地方の軽トラ普及率は高い。
その軽トラをベース車として、遊びに行くときだけキャビンを積載しようというニーズは確かにあるだろう。
そうすれば、キャンピングカーとして架装されたクルマを新たに購入する必要がない。
買うのはキャンパーシェルの部分だけ。
コストパフォーマンスは無類によい。
…ならば、ひとつ買ってみようか。
Jキャビンミニとは、そう計算した人々を狙った商品なのだろう…と分析した人は、
「いい狙いどころだな」
と感心したかもしれない。

しかし、Jキャビンミニを構想したMYSの佐藤正社長の思惑は、もう少し別のところにあった。

彼は、まず最近の軽トラックの上級グレードの驚くほどの走行性能の改善に注目した。
「食わず嫌いでした。乗ってみてはじめて分かった。
こんなに走りに余裕があり、かつ刺激的な走行フィールを持った乗り物だとは思わなかったんです。
軽トラというのは、もしかしたら、今までの自動車のカテゴリーを大きく揺るがすものなのかもしれない」
佐藤さんは、そう感じたという。

低コストで乗れる。
小回りが利く。
駐車スペースを取らない。
そのようなエコロジカルな特性には収まりきらない、とてつもない魅力が軽トラにはある…と、佐藤さんは読んだのだ。
その魅力を一言でいうと、 「走りのビート感」 。
「たとえばスバルなんかの軽トラに、このJキャビンミニを積載しますよね。
すると、カツン、カツン、カツンと乾いたビートを刻んで、感性を刺激する走りが生まれるんですよ。まさにフォービートかエイトビートという感じ…」
それは、ハーレーの、タンタンタンという3拍子のリズムにも拮抗するような、胸を騒がす 「生命の鼓動」 なのだとか。
だから、この軽トラをベースにしたJキャビンミニシリーズは、走る楽しみにおいても、従来のキャンピングカーとは一線を画する 「次世代RV」 なのだと佐藤さんは位置づける。
ならば、その肝心のシェルの部分にも、 「次世代RV」 を語るにふさわしい “意匠” を考案しなければならない。
単なる 「コストパフォーマンスに優れたキャンピングカー」 と見なされるのではなく、持つこと自体を誇れるような、究極のデザインを試みなければならない。
そういう思いが 「形」 となって結実したのが、この 「JキャビンミニFC」 である。

「FC」 とは、ファクトリーカスタムのこと。
佐藤さんの念頭にあったのは、ハーレーのカスタムだった。
ノーマルでさえ強烈な存在感を持つハーレーが、一つひとつクロームメッキパーツを身に付けて輝いていくときに生まれる “際だつ個性” 。
その燦然と輝く 「個性」 を、ファクトリーとして鍛え上げられた自分たちの職人芸で、最高の仕上がりにまで持っていく。
それが 「JキャビンミニFC」 の思想である。
このシェルの扉を開け、中に入っただけで、その 「思想」 に感染しない人はいないはずだ。
ここまで手の込んだ作りを誇るピックアップキャビンというものは、かつて存在したことがなかったのではないか。

まず、丹念に仕上げられた木工家具のグレード感に、人はびっくりするはず。
深い渋みを湛えた美しい塗装。
それが室内に差し込む光の角度によって、微妙な陰影を室内に投げかける。

それとバランスを取るように、対照的な明るさを際だたせるシートの柔和感。
「書斎」 の重厚感と、 「リビング」 の軽快感の絶妙なマッチングが、ここでは試みられている。
ちなみに、シートは、中にチップを入れた3層構造。
座り心地も万全ならば、ベッドメイクしたときの感触も秀逸だ。
壁紙にも、繊細なデザインセンスが発揮されている。
竹を組んだように見えるアジアンテイスト・デザイン。
ヨーロッパのリゾートとはひと味違う、アジア風高級リゾートの涼しげな感触が、この壁紙素材から伝わってくる。

インバーターで回すエアコン (オプション) には、省電力タイプのものが採用されているので、少ない電力でも相当な涼風が約束されるという。
そこから流れ出る風が、アジアデザインの壁紙をかすめるとき、中でくつろぐ人は、窓の外に、ヤシの木陰の向こうに広がるインド洋か東シナ海を夢想するかもしれない。
照明は、あえて流行のLEDを使わず、蛍光灯も避けて、昔ながらの電球を使った。
そこにも “こだわり” があり、ランプのような光がもたらす自然な温かみを狙ったのだという。

小物入れも豊富。
趣味にこだわる人は、自分にとって大切な “秘密のアイテム” をそっと貯め込んでおきたくなるもの。
大人の風格を備えながらも、男が 「少年に還る」 ときの楽しさを、このクルマは失っていない。

「コストを度外視しても、凝りに凝ったものをつくってみたかった」 という佐藤さん。
そこに実現されたものは何だったのだろう。
私は、 「男が自分の “精神” に出会う場」 だと思った。
自分がどこから来たのか
自分はどこへ行こうとしているのか
自分とは何か
忙しい日常生活の中で、忘れてしまった 「自分を問う心」 。
そのような 「問い」 は、日常性を超える異次元空間でなければ生まれない。
自分が、キャンピングカーの中にいることすら忘れるような、至上の愉楽を約束する空間があってこそ、生まれる 「問い」 なのだ。

もちろん、そのような 「問い」 に、本当の答などない。
それでも、答を求めながら、この贅沢な空間で、ゆっくり自分の好きな酒を飲み、好きな音楽を聞く。
(佐藤さんなら、そこでフジコ・ヘミングのピアノ曲を聞くことだろう)
そして、答を求め続け、けっきょく分からないままに、快適なベッドの上に、酔った身体を横たえる。
ほのかなランプの光が、火照った頬を優しく撫でていくのを感じながら、いつしか眠りの底に落ちていく。
「幸せ」 ってのは、そういうものだ。
JキャビンミニFCは、その 「幸せ」 を約束してくれるクルマだ。

▲ JキャビンミニFC
地方の軽トラ普及率は高い。
その軽トラをベース車として、遊びに行くときだけキャビンを積載しようというニーズは確かにあるだろう。
そうすれば、キャンピングカーとして架装されたクルマを新たに購入する必要がない。
買うのはキャンパーシェルの部分だけ。
コストパフォーマンスは無類によい。
…ならば、ひとつ買ってみようか。
Jキャビンミニとは、そう計算した人々を狙った商品なのだろう…と分析した人は、
「いい狙いどころだな」
と感心したかもしれない。
しかし、Jキャビンミニを構想したMYSの佐藤正社長の思惑は、もう少し別のところにあった。
彼は、まず最近の軽トラックの上級グレードの驚くほどの走行性能の改善に注目した。
「食わず嫌いでした。乗ってみてはじめて分かった。
こんなに走りに余裕があり、かつ刺激的な走行フィールを持った乗り物だとは思わなかったんです。
軽トラというのは、もしかしたら、今までの自動車のカテゴリーを大きく揺るがすものなのかもしれない」
佐藤さんは、そう感じたという。

低コストで乗れる。
小回りが利く。
駐車スペースを取らない。
そのようなエコロジカルな特性には収まりきらない、とてつもない魅力が軽トラにはある…と、佐藤さんは読んだのだ。
その魅力を一言でいうと、 「走りのビート感」 。
「たとえばスバルなんかの軽トラに、このJキャビンミニを積載しますよね。
すると、カツン、カツン、カツンと乾いたビートを刻んで、感性を刺激する走りが生まれるんですよ。まさにフォービートかエイトビートという感じ…」
それは、ハーレーの、タンタンタンという3拍子のリズムにも拮抗するような、胸を騒がす 「生命の鼓動」 なのだとか。
だから、この軽トラをベースにしたJキャビンミニシリーズは、走る楽しみにおいても、従来のキャンピングカーとは一線を画する 「次世代RV」 なのだと佐藤さんは位置づける。
ならば、その肝心のシェルの部分にも、 「次世代RV」 を語るにふさわしい “意匠” を考案しなければならない。
単なる 「コストパフォーマンスに優れたキャンピングカー」 と見なされるのではなく、持つこと自体を誇れるような、究極のデザインを試みなければならない。
そういう思いが 「形」 となって結実したのが、この 「JキャビンミニFC」 である。
「FC」 とは、ファクトリーカスタムのこと。
佐藤さんの念頭にあったのは、ハーレーのカスタムだった。
ノーマルでさえ強烈な存在感を持つハーレーが、一つひとつクロームメッキパーツを身に付けて輝いていくときに生まれる “際だつ個性” 。
その燦然と輝く 「個性」 を、ファクトリーとして鍛え上げられた自分たちの職人芸で、最高の仕上がりにまで持っていく。
それが 「JキャビンミニFC」 の思想である。
このシェルの扉を開け、中に入っただけで、その 「思想」 に感染しない人はいないはずだ。
ここまで手の込んだ作りを誇るピックアップキャビンというものは、かつて存在したことがなかったのではないか。

まず、丹念に仕上げられた木工家具のグレード感に、人はびっくりするはず。
深い渋みを湛えた美しい塗装。
それが室内に差し込む光の角度によって、微妙な陰影を室内に投げかける。

それとバランスを取るように、対照的な明るさを際だたせるシートの柔和感。
「書斎」 の重厚感と、 「リビング」 の軽快感の絶妙なマッチングが、ここでは試みられている。
ちなみに、シートは、中にチップを入れた3層構造。
座り心地も万全ならば、ベッドメイクしたときの感触も秀逸だ。
壁紙にも、繊細なデザインセンスが発揮されている。
竹を組んだように見えるアジアンテイスト・デザイン。
ヨーロッパのリゾートとはひと味違う、アジア風高級リゾートの涼しげな感触が、この壁紙素材から伝わってくる。

インバーターで回すエアコン (オプション) には、省電力タイプのものが採用されているので、少ない電力でも相当な涼風が約束されるという。
そこから流れ出る風が、アジアデザインの壁紙をかすめるとき、中でくつろぐ人は、窓の外に、ヤシの木陰の向こうに広がるインド洋か東シナ海を夢想するかもしれない。
照明は、あえて流行のLEDを使わず、蛍光灯も避けて、昔ながらの電球を使った。
そこにも “こだわり” があり、ランプのような光がもたらす自然な温かみを狙ったのだという。

小物入れも豊富。
趣味にこだわる人は、自分にとって大切な “秘密のアイテム” をそっと貯め込んでおきたくなるもの。
大人の風格を備えながらも、男が 「少年に還る」 ときの楽しさを、このクルマは失っていない。
「コストを度外視しても、凝りに凝ったものをつくってみたかった」 という佐藤さん。
そこに実現されたものは何だったのだろう。
私は、 「男が自分の “精神” に出会う場」 だと思った。
自分がどこから来たのか
自分はどこへ行こうとしているのか
自分とは何か
忙しい日常生活の中で、忘れてしまった 「自分を問う心」 。
そのような 「問い」 は、日常性を超える異次元空間でなければ生まれない。
自分が、キャンピングカーの中にいることすら忘れるような、至上の愉楽を約束する空間があってこそ、生まれる 「問い」 なのだ。

もちろん、そのような 「問い」 に、本当の答などない。
それでも、答を求めながら、この贅沢な空間で、ゆっくり自分の好きな酒を飲み、好きな音楽を聞く。
(佐藤さんなら、そこでフジコ・ヘミングのピアノ曲を聞くことだろう)
そして、答を求め続け、けっきょく分からないままに、快適なベッドの上に、酔った身体を横たえる。
ほのかなランプの光が、火照った頬を優しく撫でていくのを感じながら、いつしか眠りの底に落ちていく。
「幸せ」 ってのは、そういうものだ。
JキャビンミニFCは、その 「幸せ」 を約束してくれるクルマだ。
2010年02月04日
岡林信康の時代
NHKの歌番組 『SONGS』 で、岡林信康を見た。
実は、彼の顔を映像を通じてまじまじと見たのは、これがはじめてだった。
1946年生まれだというから、もう60代半ば。
どこにでもいる “おっちゃん” の顔だったが、さすがにいい顔をしていた。
時代の寵児のような扱われ方をして、周囲の期待や評価と自分自身とのギャップに悩み、音楽活動から足を洗って田舎で隠遁生活を送ったこともあるという。
苦労もいろいろあったのだろうが、その苦労が刻まれていない表情がいい。
若い頃の映像や写真も紹介されていたが、意外と無防備のボンボン風の顔つきの人で、ちょっとびっくりした。
当時の音楽雑誌に登場していた顔やレコードジャケットの顔から、どこか凄みを漂わせたカリスマ風の男だと思い込んでいたのだ。
放送禁止となるような歌をいくつもつくり出し、時代に激しく抗議した男。
そんな自分におののき、周囲の過剰な期待におびえて、逃げ出したくなる男。
どちらも真実だったのだろう。
時代的には、私は、岡林信康の歌をほぼリアルタイムでフォローした世代である。
とりたてて熱心なファンではなかったが、彼の歌は、いつも自分の生活の中に流れていた。
友だちの下宿を訪れ、ギターを弾きながら酒を飲むぐらいが唯一の娯楽だった時代。サントリーホワイトを、氷も入れず、水道の水で薄めながら、友だちの弾く 「チューリップのアップリケ」 を聞いた。
ガード下の飲み屋では、学生運動をやっていた先輩たちがコップ酒をあおりつつ、 「山谷ブルース」 を口ずさむのを聞いていた。
小学校からつきあいのあった旋盤工の友だちが、給料日におごってくれた日、公園の夜道を、 「友よ」 歌いながら肩を並べて歩いた。
あまりにも岡林的な生活の中にいたので、それは 「歌」 ではなく、 「空気」 だった。
「空気」 だから、感傷もない。
それらの歌を、いま歌ったとしても、センチな気分も湧かない。
しかし、 『SONGS』 という番組で、あらためて彼の歌を聞いてみて、彼がかつてつくった歌が、今の時代にも十分に耐えられるものであることを知った。
派遣切りが横行する今の過酷な格差社会が、 「山谷ブルース」 の時代と酷似してきた、などというつもりはない。
彼の歌に、きわめて日本人特有の “詠嘆” のようなものが感じられたからだ。
「山谷ブルース」 には、
「どうせ、どうせ、山谷のドヤ住まい…」 という歌詞が出てくる。
あるブログを読んでいたら、日本人が使う 「どうせ」 という言葉のニュアンスは、外国人は分かりにくいものだろうという表現が出てきた。
それは 「皮肉でも、絶望でも、怒りでもなく、この世界を希望のないかたちで受け入れつつ、 “自分はここにいてはいけないのではないか” という嘆きをカタルシスに変えてゆく心の動きからこぼれ出る言葉……」 なのだそうだ。
岡林の 「山谷ブルース」 を聞いていたら、きっとそういうことなんだろうな…という気がした。
『SONGS』 は、岡林と美空ひばりの交友に中心が当てられたつくりになっていた。
田舎に隠遁し、畑を耕しながら、自給自足の生活をしていた岡林は、自分一人で生き抜くことの辛さをはじめて知り、日本人の心を支え続けてきた演歌の深さに目覚めたという。
そんな岡林のつくった1曲の演歌を、美空ひばりが認める。
美空ひばりは美空ひばりで、彼のつくった演歌に、今までの演歌産業の現場では触れることのなかった “失われた青春” というフォークの叙情を嗅ぎとったのかもしれない。
二人の間に友情が芽生え、歌を通じた心の通い合いが生まれる。
番組では、その当時、美空ひばりが岡林に作曲を託した歌があったことを伝える。
歌詞をつくった美空ひばりは、その歌詞にメロディーをつける人間として、岡林以上の人はいないと判断したらしい。
しかし、岡林は、その歌詞を託された当時、 「歌にならない」 と思ったという。
歌には 「死の谷を越えて飛び続けるひばり」 などという歌詞が登場し、その暗さを、当時29歳だった岡林は受け止め切れなかったのだそうだ。
ひばり没後20年にして、ようやく彼は、その詞に曲をつける。
『麦畑の鳥』 と題されたその歌は、演歌やフォークともまた違った、静謐な哀しみに包まれた、透明度の高い曲だった。
彼は、美空ひばりの曲ばかりで固めたカバーアルバムも出したという。
レコーディングに参加した面々の顔ぶれが意外だった。
山下洋輔や細野晴臣も加わったというから、およそ単なる演歌のアルバムではないことがすぐに分かる。
その中の1曲、 「悲しき口笛」 が山下洋輔のピアノを背景に披露された。
ジャズのアレンジが施されたせいもあるのだが、なんとも 「都会的」 な歌になっていた。
「都会的」 という言葉は誤解を招きやすいかもしれない。
今の東京や大阪のような都会にはない 「都会」 といえばいいのだろうか。
かつての西田佐知子とか、フランク永井の持っていた 「都会性」 。
都会に、まだ 「裏町」 や 「場末」 という甘く危険な香りを放つスペースがあった時代の 「都会性」 。
大人だけが楽しめる、ちょっと排他的な快楽の匂いがかすめる 「都会性」 。
そんな、今はどこの都会からも消えた幻の都会の匂いが、岡林の歌った 「悲しき口笛」 には感じられた。
プロテストソングから、演歌の道をたどり、今、さらにそこから別の進化を遂げようとしている岡林信康。
かつては、必ず 「フォークの神様」 という枕詞で語られた岡林信康が、ようやくその枕詞から解放された姿を見たような気がした。
岡林信康の 「時代」 とは、まさにこの 「現代」 のことだと思った。
2010年02月02日
山本馬骨氏の新著
『くるま旅くらし心得帳』 (新風舎 2006年) の著書を持つ山本馬骨氏が、その続編ともいうべき 『くるま旅くらし読本』 を発行された。
といっても、前著の出版を引き受けた会社がなくなってしまったため、今回は著者ご自身の手による手作り製本。

“手作り” といえども、しっかりした無線綴じで製本されたていねいな仕上がりで、ところどころ美しい写真が挿入され、巻末には紙色を変えて 「付録」 がつけられるという、贅沢な本になった。
ただ、凝ったつくりのため、量産はできず、初版は20部だとか。
その貴重な1冊を昨日お送りいただいた。
素晴らしい本である。
前著はプロの出版社から発行されたものであったため、本の体裁は整っていたが、大量生産品の匂いが強かった。
しかし、今回は、装丁の色合いといい、誌面構成といい、中の写真といい、心のこもったつくりになっていて、 「アート」 の風格が漂う素敵な本になっている。

もちろん、内容的にも深みが増している。
「60歳からのくるま旅くらしの楽しみ方」 というサブタイトルからも分かるとおり、リタイヤされた方々のキャンピングカーライフのノウハウを伝授した本であるが、単なるノウハウ本とは違って、 「セカンドライフとどう向き合うか」 という、人生そのものを問う著者の眼差しが、なんとも鋭く、かつ温かい。
第一章の 「定年後という人生」 という章を読んだだけで、早くも著者の透徹した視線の確かさに、居住まいを正すような気分になる。
「現役時代に、自分の好きなことを好きなようにやって来られた人は、恵まれた人だと思います。
しかし、そのような人はほとんどいない、というのが私の見解です。
自由な意思決定を行えるような立場にいた人でも、自由な意思決定が許される場面など、ほとんどなかったというのが実態のような気がします。
しかし、定年後の人生は自分自身が主役になり、自分の自由意思で、その行き方を判断し、決めてゆくことが可能なのです」
定年を間近に控えた人で、このような言葉に触れて、心がときめかない人がいるだろうか。
ようやく、自分の人生を手に入れられると、心が “はやる” ではないか。
しかし、著者は続けて、このようにも言う。
「ところが、この自分で主役となって物事を決めていくというヤツは、なかなか厄介なのです」
つまり、自分が主役になったとたん、何をしたらいいのか、それがなかなか見つからないものなのだ…ということを、馬骨さんは自分の経験と照らし合わせて語る。
ここには、哲学者をいつも悩ませた 「自由とは何か」 という普遍的な問題に迫る洞察が潜んでいる。
さらに、素晴らしいなぁ…と思って、思わずアンダーラインを引いてしまった文章があった。
「旅は発見である」 と書かれたあとの文章は、こう続く。
「旅くらしでは、新発見というよりも再発見ということが多いように思います。
今まで解っていたこと、あるいは観ていたつもりでいたことも、時間をかけてじっくり観たり聴いたりしてみると、今までとは違った新たな感慨に触れることが多いのです。
駆け足の観光旅行では、ほんの上っ面だけしか見ていないものです。
だからスピードを落とせば落とすほど、 “再発見” の可能性が高まります。
スピードを落としても、失う時間よりも獲得する時間の方が多いように思えます」
“スロートラベル” といわれるキャンピングカー旅行の真髄を、これほどまでに的確に表現した文章があっただろうか。
結局、どんなに時間をかけて日本一周をしたとしても、 「再発見」 の目を持たない旅行は、何ももたらさない。
本著は、その 「再発見」 の目をどうやって育てていくのか。それについて語っているような本でもあるのだ。

かといって、難しい本ではない。
基本的には、キャンピングカーを使った長い旅を、安全に、健康に、楽しく続けるための“指南書”であり、そのための鮮やかなヒントが、宝石箱につまった宝石のように、キラキラと散りばめられた本である。
馬骨氏は、キャンピングカーを使った 「くるま旅くらし」 が、高齢化の進むこれからの社会では老人医療の負担を軽減するという視点を明確に打ち出しており、キャンピングカーライフがいかに心身の 「健康維持」 をもたらすかという分析は、傾聴するに値する。
「くるま旅くらし」 というものが、どういうものであるか。
手っ取り早く知りたい人は、巻末に集められた付録の 「くるま旅くらしに関する何でもQ&A」 を見ることをお薦めする。
ここには、車種選びから、装備品目の使い方、泊まる場所の選び方から、ゴミ処理に至るまで、馬骨氏の豊富な経験から得られた貴重なノウハウがぎっしり詰まっている。
おそらく、これだけ徹底したノウハウ集は、専門誌に掲載されることもないと思う。

ところどころのページに彩りを添える、奥様の撮られた写真も美しい。
長い時間をかけた旅だから撮ることのできたベストショット集。
贅沢な本である。

▲ 山本馬骨 夫妻
送料・手数料込みで、1,000円。
お問い合せは、直接、馬骨さんのブログに 。
http://blog.goo.ne.jp/vacotsu8855
といっても、前著の出版を引き受けた会社がなくなってしまったため、今回は著者ご自身の手による手作り製本。
“手作り” といえども、しっかりした無線綴じで製本されたていねいな仕上がりで、ところどころ美しい写真が挿入され、巻末には紙色を変えて 「付録」 がつけられるという、贅沢な本になった。
ただ、凝ったつくりのため、量産はできず、初版は20部だとか。
その貴重な1冊を昨日お送りいただいた。
素晴らしい本である。
前著はプロの出版社から発行されたものであったため、本の体裁は整っていたが、大量生産品の匂いが強かった。
しかし、今回は、装丁の色合いといい、誌面構成といい、中の写真といい、心のこもったつくりになっていて、 「アート」 の風格が漂う素敵な本になっている。
もちろん、内容的にも深みが増している。
「60歳からのくるま旅くらしの楽しみ方」 というサブタイトルからも分かるとおり、リタイヤされた方々のキャンピングカーライフのノウハウを伝授した本であるが、単なるノウハウ本とは違って、 「セカンドライフとどう向き合うか」 という、人生そのものを問う著者の眼差しが、なんとも鋭く、かつ温かい。
第一章の 「定年後という人生」 という章を読んだだけで、早くも著者の透徹した視線の確かさに、居住まいを正すような気分になる。
「現役時代に、自分の好きなことを好きなようにやって来られた人は、恵まれた人だと思います。
しかし、そのような人はほとんどいない、というのが私の見解です。
自由な意思決定を行えるような立場にいた人でも、自由な意思決定が許される場面など、ほとんどなかったというのが実態のような気がします。
しかし、定年後の人生は自分自身が主役になり、自分の自由意思で、その行き方を判断し、決めてゆくことが可能なのです」
定年を間近に控えた人で、このような言葉に触れて、心がときめかない人がいるだろうか。
ようやく、自分の人生を手に入れられると、心が “はやる” ではないか。
しかし、著者は続けて、このようにも言う。
「ところが、この自分で主役となって物事を決めていくというヤツは、なかなか厄介なのです」
つまり、自分が主役になったとたん、何をしたらいいのか、それがなかなか見つからないものなのだ…ということを、馬骨さんは自分の経験と照らし合わせて語る。
ここには、哲学者をいつも悩ませた 「自由とは何か」 という普遍的な問題に迫る洞察が潜んでいる。
さらに、素晴らしいなぁ…と思って、思わずアンダーラインを引いてしまった文章があった。
「旅は発見である」 と書かれたあとの文章は、こう続く。
「旅くらしでは、新発見というよりも再発見ということが多いように思います。
今まで解っていたこと、あるいは観ていたつもりでいたことも、時間をかけてじっくり観たり聴いたりしてみると、今までとは違った新たな感慨に触れることが多いのです。
駆け足の観光旅行では、ほんの上っ面だけしか見ていないものです。
だからスピードを落とせば落とすほど、 “再発見” の可能性が高まります。
スピードを落としても、失う時間よりも獲得する時間の方が多いように思えます」
“スロートラベル” といわれるキャンピングカー旅行の真髄を、これほどまでに的確に表現した文章があっただろうか。
結局、どんなに時間をかけて日本一周をしたとしても、 「再発見」 の目を持たない旅行は、何ももたらさない。
本著は、その 「再発見」 の目をどうやって育てていくのか。それについて語っているような本でもあるのだ。
かといって、難しい本ではない。
基本的には、キャンピングカーを使った長い旅を、安全に、健康に、楽しく続けるための“指南書”であり、そのための鮮やかなヒントが、宝石箱につまった宝石のように、キラキラと散りばめられた本である。
馬骨氏は、キャンピングカーを使った 「くるま旅くらし」 が、高齢化の進むこれからの社会では老人医療の負担を軽減するという視点を明確に打ち出しており、キャンピングカーライフがいかに心身の 「健康維持」 をもたらすかという分析は、傾聴するに値する。
「くるま旅くらし」 というものが、どういうものであるか。
手っ取り早く知りたい人は、巻末に集められた付録の 「くるま旅くらしに関する何でもQ&A」 を見ることをお薦めする。
ここには、車種選びから、装備品目の使い方、泊まる場所の選び方から、ゴミ処理に至るまで、馬骨氏の豊富な経験から得られた貴重なノウハウがぎっしり詰まっている。
おそらく、これだけ徹底したノウハウ集は、専門誌に掲載されることもないと思う。
ところどころのページに彩りを添える、奥様の撮られた写真も美しい。
長い時間をかけた旅だから撮ることのできたベストショット集。
贅沢な本である。

▲ 山本馬骨 夫妻
送料・手数料込みで、1,000円。
お問い合せは、直接、馬骨さんのブログに 。
http://blog.goo.ne.jp/vacotsu8855
2010年02月01日
ホワイトカントリ-
『答は風の中』 というWEBエッセイを連載されている九州の 「カスタムプロホワイト」 の池田さんから、最新キャンピングカー情報が送られてきた。
長年、ハイエースやキャラバンをベースに 「フィールドキング」 シリーズを作成してきた池田さん。
今回は思い切って、軽キャンピングカーに挑戦したという。
その名は 「ホワイトカントリー」 。
30年ほど前、はじめてキャンピングカーを造り始めた頃に考えていた名前なのだそうだ。

ベース車両はホンダ・アクティ。
鮮やかにペイントされたツートンのボディが、なんとも可愛く、なんとも斬新。
リヤパネルが、ボディ同色のプラスチックパネルで窓埋めされており、なかなか凝った仕上がりぶりだ。

エクステリアにも力が入っているが、内装を見ると、さらにびっくり。
ハイセンスに仕上げられた木工家具が架装され、4ナンバー登録の軽キャンパーとは思えない充実ぶりだ。

リヤゲートを開けると、右側には、フィールドキングゆずりのムク材を使ったミニキッチン。軽には少し贅沢と思える中型のホーローシンクに、本格的なフォーセット。
シンク下には、13リットルの給水タンクが標準装備。
シンクの左側には、小型のカセットコンロがこぢんまりと収まっている。
排水タンクの設置も可。

ボディ左側は、収納棚とフライングテーブル。
(本棚には、しっかりと 『キャンピングカースーパーガイド』 を収めてくれてますねぇ。ありがとうございます!)

ルーフ内側にはキルト素材のフルトリム (厚さ10mm) が施され、断熱・防寒対策と、美観の演出を引き受けている。
よく見ると、リヤ扉の内側にも、しっかりウッドが張られている。
こりゃもう 「部屋」 ですな。

運転席の頭上には、たっぷりとした容量が確保されているルーフ収納が設定されている。
その容量、約180リットル。
これは、フロント部の傾斜が比較的ゆるく、かつルーフ高がたっぷり取られたホンダ・アクティの特徴を生かしたところから生まれた。
ここには、コンロ、寝袋 (2~3人分) 、やかん、フライパン、ナベなどがすんなりと収納できるという。

ベッドマットはなし。
じゃ、どこで寝るの? …となるのだが、代わりにモンベルの登山用エアマット (1800×500mm) が二つ用意されている。
寝るときに膨らませることになるが、たたんでしまえば、1人分が牛乳瓶くらいなので、無類に空間効率が高まる。
ベッドマットがないため、このクルマがトランスポーターとしての役目を負わされるときは、荷物の積み込みも楽になり、かつ積載容量も確保される。
ちなみに、室内高は最大1200mm。くつろぐには何の不満もないゆったりスペースが実現されている。
オシャレなのは、車両ドアパネルの加工。
トリム生地と同系統の色調に仕上げられ、ちょっと 「軽」 とは思えない質感が生まれている。
インパネもすごい!
ここもドアパネルと同色に塗装され、室内のカラーコーディネイトは万全だ。

気になるお値段は、なんと80万円 !?
ただし、これは架装費だけの価格。
ベース車両は別で、持ち込み架装も可。
でも、リアルウッドの手の込んだ家具を多用したハイグレードな室内架装が80万円というのは、なんともリーズナブルな設定ではなかろうか。
4ナンバーの 「アクティ」 と、5ナンバーの 「バモス」 の価格差が約70万円ほどであることを考えると、その価格差を架装費で吸収しようという 「ホワイトカントリー」 の戦略は、うまいところを突いているようにも思う。
この80万円の架装費に、シートカバー、ツートン塗装、プラスチックパネル、4スピーカー、カーテンなどをプラスして、だいたい115万円程度だとか。
この写真を送ってくださった池田さんに電話取材を試みた。

池田さんは、お客様に選んでもらうときに、 「軽しか買えない」 という選択ではなく、 「この軽が欲しい!」 というものを目指したのだという。
また、 「大きなクルマに乗って見栄を張ることに少し飽きて、軽自動車の利便性と、軽自動車の経済性を合理的に判断できるクレバーな人たちに見てもらいたい」 とも。
年間5~6台しか生産しない同社の営業方針は、大量生産・大量販売の正反対をゆくものだ。
だからこそ、少量生産の意味をしっかり訴えていきたいという。
それは、内装クロス張りから木工家具製作、さらにボディ改造から塗装まで、1人でコツコツ仕上げるところから生まれる 「職人の味」 を “売る” こと。
「たぶん、全国のビルダーの中で、現場に関わる時間でいえば、私は一、二を争う働き者だと思いますよ」
と池田さん。
毎日8時間。
それを1年300日、休むことなく自分の手を使い、働き続けた。
その歴史が30年あるということは、これまでの累積労働時間数が7万2,000時間。
「それだけの経験を積めば、職人としての腕を売り物にしたって、少しは許されるでしょう」
と池田さんは笑う。
彼はその “職人の腕” に、さらにカヌー、ダイビング、キャンプ、焚き火 (?) などのアウトドア体験をプラスして、自分のクルマを練り上げてきた。
もともと、バックパックに荷物を詰め込んで、山登りやヒッチハイクの旅を楽しんできた人である。
今回の 「ホワイトカントリー」 も、そんな自分の生き方の原点に戻った “作品” なのだそうだ。
モンベルのエアマットを使うというのも、荷物をコンパクトにたたんで収納するバックパッカーの習慣をそのまま反映したもの…だとか。
今度の 「ホワイトカントリー」 は、そのようなライフスタイルを貫いてきた池田さんの原点でもあり、同時にその集大成だという。
「サイズ」 は軽でも、 「志」 は巨大モーターホーム。
そんなクルマだと言いたげに、電話の向こうの声が、明るく笑った。
長年、ハイエースやキャラバンをベースに 「フィールドキング」 シリーズを作成してきた池田さん。
今回は思い切って、軽キャンピングカーに挑戦したという。
その名は 「ホワイトカントリー」 。
30年ほど前、はじめてキャンピングカーを造り始めた頃に考えていた名前なのだそうだ。
ベース車両はホンダ・アクティ。
鮮やかにペイントされたツートンのボディが、なんとも可愛く、なんとも斬新。
リヤパネルが、ボディ同色のプラスチックパネルで窓埋めされており、なかなか凝った仕上がりぶりだ。
エクステリアにも力が入っているが、内装を見ると、さらにびっくり。
ハイセンスに仕上げられた木工家具が架装され、4ナンバー登録の軽キャンパーとは思えない充実ぶりだ。
リヤゲートを開けると、右側には、フィールドキングゆずりのムク材を使ったミニキッチン。軽には少し贅沢と思える中型のホーローシンクに、本格的なフォーセット。
シンク下には、13リットルの給水タンクが標準装備。
シンクの左側には、小型のカセットコンロがこぢんまりと収まっている。
排水タンクの設置も可。
ボディ左側は、収納棚とフライングテーブル。
(本棚には、しっかりと 『キャンピングカースーパーガイド』 を収めてくれてますねぇ。ありがとうございます!)
ルーフ内側にはキルト素材のフルトリム (厚さ10mm) が施され、断熱・防寒対策と、美観の演出を引き受けている。
よく見ると、リヤ扉の内側にも、しっかりウッドが張られている。
こりゃもう 「部屋」 ですな。
運転席の頭上には、たっぷりとした容量が確保されているルーフ収納が設定されている。
その容量、約180リットル。
これは、フロント部の傾斜が比較的ゆるく、かつルーフ高がたっぷり取られたホンダ・アクティの特徴を生かしたところから生まれた。
ここには、コンロ、寝袋 (2~3人分) 、やかん、フライパン、ナベなどがすんなりと収納できるという。
ベッドマットはなし。
じゃ、どこで寝るの? …となるのだが、代わりにモンベルの登山用エアマット (1800×500mm) が二つ用意されている。
寝るときに膨らませることになるが、たたんでしまえば、1人分が牛乳瓶くらいなので、無類に空間効率が高まる。
ベッドマットがないため、このクルマがトランスポーターとしての役目を負わされるときは、荷物の積み込みも楽になり、かつ積載容量も確保される。
ちなみに、室内高は最大1200mm。くつろぐには何の不満もないゆったりスペースが実現されている。
オシャレなのは、車両ドアパネルの加工。
トリム生地と同系統の色調に仕上げられ、ちょっと 「軽」 とは思えない質感が生まれている。
インパネもすごい!
ここもドアパネルと同色に塗装され、室内のカラーコーディネイトは万全だ。
気になるお値段は、なんと80万円 !?
ただし、これは架装費だけの価格。
ベース車両は別で、持ち込み架装も可。
でも、リアルウッドの手の込んだ家具を多用したハイグレードな室内架装が80万円というのは、なんともリーズナブルな設定ではなかろうか。
4ナンバーの 「アクティ」 と、5ナンバーの 「バモス」 の価格差が約70万円ほどであることを考えると、その価格差を架装費で吸収しようという 「ホワイトカントリー」 の戦略は、うまいところを突いているようにも思う。
この80万円の架装費に、シートカバー、ツートン塗装、プラスチックパネル、4スピーカー、カーテンなどをプラスして、だいたい115万円程度だとか。
この写真を送ってくださった池田さんに電話取材を試みた。
池田さんは、お客様に選んでもらうときに、 「軽しか買えない」 という選択ではなく、 「この軽が欲しい!」 というものを目指したのだという。
また、 「大きなクルマに乗って見栄を張ることに少し飽きて、軽自動車の利便性と、軽自動車の経済性を合理的に判断できるクレバーな人たちに見てもらいたい」 とも。
年間5~6台しか生産しない同社の営業方針は、大量生産・大量販売の正反対をゆくものだ。
だからこそ、少量生産の意味をしっかり訴えていきたいという。
それは、内装クロス張りから木工家具製作、さらにボディ改造から塗装まで、1人でコツコツ仕上げるところから生まれる 「職人の味」 を “売る” こと。
「たぶん、全国のビルダーの中で、現場に関わる時間でいえば、私は一、二を争う働き者だと思いますよ」
と池田さん。
毎日8時間。
それを1年300日、休むことなく自分の手を使い、働き続けた。
その歴史が30年あるということは、これまでの累積労働時間数が7万2,000時間。
「それだけの経験を積めば、職人としての腕を売り物にしたって、少しは許されるでしょう」
と池田さんは笑う。
彼はその “職人の腕” に、さらにカヌー、ダイビング、キャンプ、焚き火 (?) などのアウトドア体験をプラスして、自分のクルマを練り上げてきた。
もともと、バックパックに荷物を詰め込んで、山登りやヒッチハイクの旅を楽しんできた人である。
今回の 「ホワイトカントリー」 も、そんな自分の生き方の原点に戻った “作品” なのだそうだ。
モンベルのエアマットを使うというのも、荷物をコンパクトにたたんで収納するバックパッカーの習慣をそのまま反映したもの…だとか。
今度の 「ホワイトカントリー」 は、そのようなライフスタイルを貫いてきた池田さんの原点でもあり、同時にその集大成だという。
「サイズ」 は軽でも、 「志」 は巨大モーターホーム。
そんなクルマだと言いたげに、電話の向こうの声が、明るく笑った。
2010年01月31日
音楽酒場
深夜0時を過ぎて、自分の住んでいる町の駅に降り立つと、もうラーメン屋が店を閉じている。
もちろん定食屋も終わっている。
ファミレスはあるが、自転車漕いで行ける距離ではない。
なじみの寿司屋はあるが、酒を飲まないとならない。
残業続きの日々だから、自炊するほどの時間はないし、情熱もない。
ついでに、冷蔵庫の中には何もない。
…ってなことで、深夜に夕飯を食う場所となると、 「すき家」 「吉野家」 「松屋」 。
その3軒を順ぐりに回っていたが、さすが飽きた。
コンビニ弁当は、もっと前に飽きた。
松屋の豚焼肉定食を、ポン酢ダレのさっぱり感でなんとか胃の中に流し込んだ後、不意に、ちょっと酒を飲んで、音楽を聞きたくなった。
寝るのが遅くなると、明朝の出社がきつくなるのは分かっているが、たまにはそんな夜もある。
日頃はあまり足を運ばない駅の北口方面に、音楽を聞かせてくれそうな店が一軒あるのを思い出した。
入ったことはない。
「ソウル、ブルース、ニューオリンズ……」
ってのが、看板にズラズラと列記されている店って、案外入りにくい。
そのうちのどれかが一つだけ表記されていれば、店の中の雰囲気も想像がつきそうなものの、三つ以上連なると、一瞬ちゅうちょして、 「ま、この次ね…」 と背中を向けてしまう。
看板を見るかぎり、店内に流れる音楽は、いちおうアメリカ系…それも南部の匂いが濃そうな雰囲気だけはあるのだが、ローカルな町の “専門店” というのはアテにならないことが多いのだ。
中年オヤジの常連客が、昔の 「南こうせつとかぐや姫」 なんかをボソって聞いていそうで、怖い。
ひとつだけ言えることは、こういう店に、若い客はほとんど来ないということ。
今のヒップホップあたりを聞いている若い層は、 「ソウルミュージック」 「ブルース」 という看板の店にはまず入らない。
その前に、バーで音楽を聞くという習慣がない。
だから、客はオヤジだけ…といっていい。
で、この手の店は、オープンしたての頃は、マスターの “高い志” を買って、看板で謳っているような音楽を好きな人間がぽつりぽつりと来るだろうけれど、毎日来るわけでもないだろうから、自然と近所のオジさんが、寝る前に焼酎いっぱい引っ掛けるか…って感じで集まることが多くなって、 「クリスタルキングの 『大都会』 は懐かしいねぇ、マスターないの?」 となっていく。
で、横浜銀蝿がかかっていたりする。
ま、それでもいいのかな…と、意を決して扉を開けると、80年代風のブリティッシュ・ロックが流れていた。
……ブリティッシュ・ロック?
ま、いいか。
案の定、中年オヤジが二人、カウンターで話しこんでいる。
そこから二つほど席を空けて、カウンターの端に座る。
カウンターの向こう側には厨房があって、その横にはCD棚。
CD棚の横は、レコード棚が壁一面を埋め尽くしていて、音楽ソースだけはふんだんにある店だと分かった。
いくつかのCDジャケットがこちら側を向けて立てかけてあるけれど、最近の新譜は知らないので、どんな音を出すCDなのか想像もつかない。
黒人ミュージシャンのジャケ写が多いので、メインに流す音は黒っぽいんだな…とは見当がついたが、さすがに最近の新譜は知らないので、気後れする。
「何を飲まれますか?」
と、カウンターにズラリ並んだ焼酎ボトルの透き間から顔を覗かせたマスターは、意外と若い感じだった。
カクテルのメニューから 「モスコミュール」 を選んで注文する。
実は、それが何をベースにした、どんな味の酒なのか知らない。
ただ語感で、ちょっと “通ぶって” で見えるかな…と思って頼んだにすぎない。
なんだかコーラを薄めたような酒が出てきて、それを一杯キュッとひっかけたところを見計らったように、カウンターの隣りのオヤジが声をかけてきた。
「すいませんね。持ち込みのCDで」
「…………?」
たぶん、彼が言いたいのは、
「一応、ここはブラックミュージックの店なんだけれど、今は、私が持ち込んだブリティッシュ・ロックのCDをかけてもらっている」
……ということなんだろうな? と、見当をつける。
「いいんですよ。何でも好きですから」
と、こちらも愛想笑いを返すと、
「普段はどういう音楽を聞かれるのですか?」
と、そのオヤジが食い下がってきた。
こういう店は怖い。
さっそく 「通行手形を拝見」 と来るわけか。
「ここから先はマニアの聖域だ。通りたければ手形を見せろ」 ってか?
「ええ、まぁ……分かりやすいブルースとか、あとは70年代のソウル系は、昔は聞いていましたね」
と答えると、すかさず、焼酎ボトルの透き間から、若いマスターが顔を覗かせ、
「何でもリクエストしてください。ブルースはシカゴ系ですか?」
と尋ねてくる。
すごい店だ。
相当コアな客が、レアな音を求めて、ディープな会話を楽しむ店なんだな…と気づいた。
こういう時の “リクエスト” ってのが難しい。
あまりベタ過ぎるとバカにされそうだし、かといって、かすかに知っているマニアック路線だと、その後が続かない。
こういう場面になると、妙に子供っぽく見栄っ張りになる私である。
「オレ、通だろ?」
って、バカバカしいことを自慢したくなるたちなのだ。
で、とりあえず、マジック・サムの 『ウエスト・サイド・ソウル』 をかけてもらうことにした。

「あ、いーすね。久しぶりのマジック・サムだな」
と、マスターが嬉々として、レコード棚からそれを引っ張り出す。
「このデルマーク盤の音はいいですね。これと同じ □×※◎△× で、○◎※△× があるのだけれど、そちらは音が全然違うんですよね。もしかしたらテイクが違うのかもしれませんね」
ってなことを言われても、頭の中は 「……?????」 なんだけど、口では、 「そうそう! そうなんだよね」 …で、早くも (汗!)
そんな冷や汗タラタラのこっちの心境に頓着することなく、マスターの話がよどみなく続く。
「マジック・サムは、映像がほとんど残ってなくて、わずかに ※◎×△※ のライブと、 □※◎×△ のコンサートの二つがあるんですけど、この前、画像でその □◎※△×○の ステージを見る機会があって、なんと、 ○◎×※△ のギターを弾いていたんですよ。思わずびっくり…」
頭の中は、ますます 「……???????」 。
だけど、口では、 「ホントですかぁ! そりゃすごい」
マスターの話はさらに続く。
「デルマークだと ※○□×◎× …… ◎□※○ …… マジック・サム は □※○◎×で … バディ・ガイみたいな ○□※◎×◎ じゃなくて ◎×※□◎で ……」
「へぇー、そりゃすごい! やっぱりね! ほぉ…」
何が “やっぱり” なのか、自分でも分からない。
早くも腰が引けてきちゃって、帰るタイミングを見はからっていたら、隣りのブリティッシュ・ロックのCDを持ち込んできたオヤジが、すかさず、
「いやぁ、ボクは、今日はイギリスの音を聞いていたんですけど、ホントはアメリカ南部のソウル・ミュージックが好きで、 ◎×△※□ とか、 ×◎□※○ とか、シル・ジョンソンとか、 □×◎○※× とか、好きでしてね」
オヤジが並べた名前で、かろうじて理解できた固有名詞が、 「シル・ジョンソン」 。

「あ、私もシル・ジョンソンとか、好きですね」
(……ああ、言っちゃった)
「そうですかぁ! 話が合うな」
(……合わねぇよ)
「じゃ、 ○×◎×□※ とか、 ※□◎○×※□ とか、オーティス・クレイとかもお好きでしょ?」
と言われて、唯一オーティス・クレイだけは分かったから、
「オーティス・クレイいいですねぇ! あのしょっぱい声って、ホントため息出ちゃいますねぇ」
(……ああ、また言っちゃった)

すると、オヤジ。
「おお、今日は酒がうまいなぁ! マスター、次オーティス・クレイかけてね」
そうなると、自分もこういうしかない。
「いいですねぇ! 私も聞きたかったところです。今日は楽しいなぁ」
話を合わすのだけはうまい私だけど、たいてい、そのあとで後悔する。
(帰れなくなっちゃったじゃねぇのよ…)
で、「Trying To Live My Life Without You,Baby …」 のリフのところは、そのオヤジと、テーブル叩いてリズムを取りながら、合唱になっちゃった。
その後、アン・ピーブルス、アル・グリーン、フィリップ・ミッチェル…ってなベタベタの70年代サザン・ソウルをさんざん聞いて、やばいじゃん……夜中の2時だよ。
帰りぎわ、マスターがわざわざ扉の外まで見送りにきて、
「あのね、一昨年に出たアル・グリーンの新譜、これすごいんですよ。今日聞いていただきたかったんですけどね」
という。

「アル・グリーンって、牧師さんやってんでしょ?」
「いや、それがもうずいぶん前に世俗の世界に帰ってきたんですよ。声なんかも、まったく衰えてなくて。
たぶんね、周りのスタッフがいいんでしょうね。
何気なく聞くと、昔のハイ・サウンドのままで、変り映えしないように聞こえるんですけど、昔のものと聞き比べてみるとハッキリ違いが分かります。
演奏者が若い。しかも、いい感覚持ってます。
おそらくドラムスのチューニングなんか相当時間をかけたんじゃないかな。
ちょっと聞くと、ハワード・グライムスのドラミングをよく捉えている。
だけど、よく聞くと全く高度なんですね。今の時代の音なんですよ」
「ヘェー、そうなんだ! じゃ、次はそれを聞きに来るね」
「ええ、もうぜひ! お待ちしています」
……さぁて、もう1回、自分はこの店に来るか?
今日みたいな感じだと、疲れちゃうしな。
でも、きっと行くよ。オレのことだもん。
もちろん定食屋も終わっている。
ファミレスはあるが、自転車漕いで行ける距離ではない。
なじみの寿司屋はあるが、酒を飲まないとならない。
残業続きの日々だから、自炊するほどの時間はないし、情熱もない。
ついでに、冷蔵庫の中には何もない。
…ってなことで、深夜に夕飯を食う場所となると、 「すき家」 「吉野家」 「松屋」 。
その3軒を順ぐりに回っていたが、さすが飽きた。
コンビニ弁当は、もっと前に飽きた。
松屋の豚焼肉定食を、ポン酢ダレのさっぱり感でなんとか胃の中に流し込んだ後、不意に、ちょっと酒を飲んで、音楽を聞きたくなった。
寝るのが遅くなると、明朝の出社がきつくなるのは分かっているが、たまにはそんな夜もある。
日頃はあまり足を運ばない駅の北口方面に、音楽を聞かせてくれそうな店が一軒あるのを思い出した。
入ったことはない。
「ソウル、ブルース、ニューオリンズ……」
ってのが、看板にズラズラと列記されている店って、案外入りにくい。
そのうちのどれかが一つだけ表記されていれば、店の中の雰囲気も想像がつきそうなものの、三つ以上連なると、一瞬ちゅうちょして、 「ま、この次ね…」 と背中を向けてしまう。
看板を見るかぎり、店内に流れる音楽は、いちおうアメリカ系…それも南部の匂いが濃そうな雰囲気だけはあるのだが、ローカルな町の “専門店” というのはアテにならないことが多いのだ。
中年オヤジの常連客が、昔の 「南こうせつとかぐや姫」 なんかをボソって聞いていそうで、怖い。
ひとつだけ言えることは、こういう店に、若い客はほとんど来ないということ。
今のヒップホップあたりを聞いている若い層は、 「ソウルミュージック」 「ブルース」 という看板の店にはまず入らない。
その前に、バーで音楽を聞くという習慣がない。
だから、客はオヤジだけ…といっていい。
で、この手の店は、オープンしたての頃は、マスターの “高い志” を買って、看板で謳っているような音楽を好きな人間がぽつりぽつりと来るだろうけれど、毎日来るわけでもないだろうから、自然と近所のオジさんが、寝る前に焼酎いっぱい引っ掛けるか…って感じで集まることが多くなって、 「クリスタルキングの 『大都会』 は懐かしいねぇ、マスターないの?」 となっていく。
で、横浜銀蝿がかかっていたりする。
ま、それでもいいのかな…と、意を決して扉を開けると、80年代風のブリティッシュ・ロックが流れていた。
……ブリティッシュ・ロック?
ま、いいか。
案の定、中年オヤジが二人、カウンターで話しこんでいる。
そこから二つほど席を空けて、カウンターの端に座る。
カウンターの向こう側には厨房があって、その横にはCD棚。
CD棚の横は、レコード棚が壁一面を埋め尽くしていて、音楽ソースだけはふんだんにある店だと分かった。
いくつかのCDジャケットがこちら側を向けて立てかけてあるけれど、最近の新譜は知らないので、どんな音を出すCDなのか想像もつかない。
黒人ミュージシャンのジャケ写が多いので、メインに流す音は黒っぽいんだな…とは見当がついたが、さすがに最近の新譜は知らないので、気後れする。
「何を飲まれますか?」
と、カウンターにズラリ並んだ焼酎ボトルの透き間から顔を覗かせたマスターは、意外と若い感じだった。
カクテルのメニューから 「モスコミュール」 を選んで注文する。
実は、それが何をベースにした、どんな味の酒なのか知らない。
ただ語感で、ちょっと “通ぶって” で見えるかな…と思って頼んだにすぎない。
なんだかコーラを薄めたような酒が出てきて、それを一杯キュッとひっかけたところを見計らったように、カウンターの隣りのオヤジが声をかけてきた。
「すいませんね。持ち込みのCDで」
「…………?」
たぶん、彼が言いたいのは、
「一応、ここはブラックミュージックの店なんだけれど、今は、私が持ち込んだブリティッシュ・ロックのCDをかけてもらっている」
……ということなんだろうな? と、見当をつける。
「いいんですよ。何でも好きですから」
と、こちらも愛想笑いを返すと、
「普段はどういう音楽を聞かれるのですか?」
と、そのオヤジが食い下がってきた。
こういう店は怖い。
さっそく 「通行手形を拝見」 と来るわけか。
「ここから先はマニアの聖域だ。通りたければ手形を見せろ」 ってか?
「ええ、まぁ……分かりやすいブルースとか、あとは70年代のソウル系は、昔は聞いていましたね」
と答えると、すかさず、焼酎ボトルの透き間から、若いマスターが顔を覗かせ、
「何でもリクエストしてください。ブルースはシカゴ系ですか?」
と尋ねてくる。
すごい店だ。
相当コアな客が、レアな音を求めて、ディープな会話を楽しむ店なんだな…と気づいた。
こういう時の “リクエスト” ってのが難しい。
あまりベタ過ぎるとバカにされそうだし、かといって、かすかに知っているマニアック路線だと、その後が続かない。
こういう場面になると、妙に子供っぽく見栄っ張りになる私である。
「オレ、通だろ?」
って、バカバカしいことを自慢したくなるたちなのだ。
で、とりあえず、マジック・サムの 『ウエスト・サイド・ソウル』 をかけてもらうことにした。
「あ、いーすね。久しぶりのマジック・サムだな」
と、マスターが嬉々として、レコード棚からそれを引っ張り出す。
「このデルマーク盤の音はいいですね。これと同じ □×※◎△× で、○◎※△× があるのだけれど、そちらは音が全然違うんですよね。もしかしたらテイクが違うのかもしれませんね」
ってなことを言われても、頭の中は 「……?????」 なんだけど、口では、 「そうそう! そうなんだよね」 …で、早くも (汗!)
そんな冷や汗タラタラのこっちの心境に頓着することなく、マスターの話がよどみなく続く。
「マジック・サムは、映像がほとんど残ってなくて、わずかに ※◎×△※ のライブと、 □※◎×△ のコンサートの二つがあるんですけど、この前、画像でその □◎※△×○の ステージを見る機会があって、なんと、 ○◎×※△ のギターを弾いていたんですよ。思わずびっくり…」
頭の中は、ますます 「……???????」 。
だけど、口では、 「ホントですかぁ! そりゃすごい」
マスターの話はさらに続く。
「デルマークだと ※○□×◎× …… ◎□※○ …… マジック・サム は □※○◎×で … バディ・ガイみたいな ○□※◎×◎ じゃなくて ◎×※□◎で ……」
「へぇー、そりゃすごい! やっぱりね! ほぉ…」
何が “やっぱり” なのか、自分でも分からない。
早くも腰が引けてきちゃって、帰るタイミングを見はからっていたら、隣りのブリティッシュ・ロックのCDを持ち込んできたオヤジが、すかさず、
「いやぁ、ボクは、今日はイギリスの音を聞いていたんですけど、ホントはアメリカ南部のソウル・ミュージックが好きで、 ◎×△※□ とか、 ×◎□※○ とか、シル・ジョンソンとか、 □×◎○※× とか、好きでしてね」
オヤジが並べた名前で、かろうじて理解できた固有名詞が、 「シル・ジョンソン」 。
「あ、私もシル・ジョンソンとか、好きですね」
(……ああ、言っちゃった)
「そうですかぁ! 話が合うな」
(……合わねぇよ)
「じゃ、 ○×◎×□※ とか、 ※□◎○×※□ とか、オーティス・クレイとかもお好きでしょ?」
と言われて、唯一オーティス・クレイだけは分かったから、
「オーティス・クレイいいですねぇ! あのしょっぱい声って、ホントため息出ちゃいますねぇ」
(……ああ、また言っちゃった)

すると、オヤジ。
「おお、今日は酒がうまいなぁ! マスター、次オーティス・クレイかけてね」
そうなると、自分もこういうしかない。
「いいですねぇ! 私も聞きたかったところです。今日は楽しいなぁ」
話を合わすのだけはうまい私だけど、たいてい、そのあとで後悔する。
(帰れなくなっちゃったじゃねぇのよ…)
で、「Trying To Live My Life Without You,Baby …」 のリフのところは、そのオヤジと、テーブル叩いてリズムを取りながら、合唱になっちゃった。
その後、アン・ピーブルス、アル・グリーン、フィリップ・ミッチェル…ってなベタベタの70年代サザン・ソウルをさんざん聞いて、やばいじゃん……夜中の2時だよ。
帰りぎわ、マスターがわざわざ扉の外まで見送りにきて、
「あのね、一昨年に出たアル・グリーンの新譜、これすごいんですよ。今日聞いていただきたかったんですけどね」
という。

「アル・グリーンって、牧師さんやってんでしょ?」
「いや、それがもうずいぶん前に世俗の世界に帰ってきたんですよ。声なんかも、まったく衰えてなくて。
たぶんね、周りのスタッフがいいんでしょうね。
何気なく聞くと、昔のハイ・サウンドのままで、変り映えしないように聞こえるんですけど、昔のものと聞き比べてみるとハッキリ違いが分かります。
演奏者が若い。しかも、いい感覚持ってます。
おそらくドラムスのチューニングなんか相当時間をかけたんじゃないかな。
ちょっと聞くと、ハワード・グライムスのドラミングをよく捉えている。
だけど、よく聞くと全く高度なんですね。今の時代の音なんですよ」
「ヘェー、そうなんだ! じゃ、次はそれを聞きに来るね」
「ええ、もうぜひ! お待ちしています」
……さぁて、もう1回、自分はこの店に来るか?
今日みたいな感じだと、疲れちゃうしな。
でも、きっと行くよ。オレのことだもん。
2010年01月30日
日本のRVの歴史
ようやくである。
『日本のキャンピングカーの歴史』 という書籍の発行に漕ぎつけた。
昨日、その表紙の校正が上がった。

見本が上がるのが、2月5日。
約90ページの書籍になった。
もちろん、これが日本のキャンピングカーの歴史を完璧に網羅したものだと言い張るつもりはない。
むしろ、取材しきれなかった部分の方が多い。
しかし、人から人へ、つてをたどって、古い時代のキャンピングカーをご存知の方々には、かなりお会いできたように思う。
かなり高齢な方もいらっしゃったが、お元気なうちに取材できたのはうれしいことだった。
日本のキャンピングカー1号車は、今のところ、画家の桐野江節雄さんが東京マツダに造らせたオート3輪の 「エスカルゴ号」 ということになっている。
しかし、本資料を作成しているうちに、どうやら演歌歌手の田端義夫さんがいすゞ自動車に造らせたバスを改良したキャンピングカーの方が年代的に古いということが分かった。
田端さんの “バスコン” は、昭和30年 (1955年) に造られたということになっている。
今回、その確証を得るために、当時いすゞ自動車にいらっしゃった方にお会いすることができたが、漠然と昭和30年代の初期…というところまでしか分からなかった。
その方が、当時のいすゞのバスを担当されていたスタッフと連絡を取ろうと努力を重ねてくださったが、すでに連絡が取れない人が多かったという。
エスカルゴ号の方は、昭和33年 (1958年) に製作されたことがはっきりしている。
それを確実に裏付ける資料もあるし、その製作に立ち会った人からも話を聞いている。
したがって本書では、暫定的に、このエスカルゴ号をもって 「日本のキャンピングカーの草分け的存在」 という位置づけにした。
その後、現在のようなキャンピングカーのスタイルが生まれるまでには、10年ほど変化の乏しい歳月が流れる。
しかし、その間、ワーゲンベースの輸入キャンパーなども導入されるようになり、それを参考にして、徐々に今のスタイルの車両が姿を見せるようになる。
その大半は、ユーザーが自作したハンドメイドキャンピングカーだった。
70年代に入ると、国産キャンピングカーは、ハンドメイドキャンピングカーの百花繚乱期を迎える。
ワンボックスカーの室内を架装したものから始まり、今のピックアップキャビンの原型ともいえるトラックの荷台にシェルを積載したものまで、様々なスタイルが追及されていった。
それと並行して、アメリカのバニングに影響を受けたカスタムカーのブームがスタートする。
日本のキャンピングカーは、このハンドメイドとバニングの二つの流れにけん引される形で、次第に現在のスタイルを生み出すようになっていく。
そこには、いろいろな人々のドラマがあった。
本書は、 「キャンピングカーの歴史」 と称しながら、人物列伝のおもむきを呈しているようにも思える。
すでに現役を引退された方々から取材するときは、古い写真や資料を見ていただきながら、時間をかけて、少しずつ思い出してもらうような形を取ることも多かった。
しかし、その方の記憶がゆっくりと形を整え、ご本人も忘れていたような過去が蘇えってきたとき、そこには思いがけない感動的な青春ドラマが再現され、しばしば陶然と聞きほれたことも一度や二度ではなかった。
惜しむらくは、この資料を制作中に、 「日本のオートキャンプの父」 ともいわれる日本オート・キャンプ協会の岡本昌光初代専務理事が亡くなられたことだ。
岡本氏は、日本にキャンプ文化を根づかせた最大の功労者だが、また数々のイベントを通じて日本にキャンピングカーを紹介した功績においても、並ぶ者のいない偉業を成し遂げた人である。
岡本氏は、この小冊子の完成を待たずにして亡くなられたが、原稿チェックの段階ではさんざん目を通してもらい、電話を通じて、ほぼ毎日こと細かなアドバイスをいただいた。
氏は、本当にこの資料ができあがるのを楽しみにされていた。
旧友と連絡をとるときも、ことあるごとに、この小冊子が現在制作進行中であることを話題にし、その感想を述べ、できばえを誉めたたえてくれたというから、完成本を直にお渡しできなかったことが本当に残念でならない。
逝去されたのは、昨年の10月11日。享年78歳であった。
また、現在キャンピングカービルダーとして名声を誇る会社の創業者たちの中においても、アム・クラフトの水鳥元社長、セキソーボディの中山元社長らのように、若くして永眠された方々がいる。
本資料は、その方々にも見ていただきたかった本である。
ともあれ、不完全な形かもしれないが、日本のキャンピングカーの流れをたどる原資料のようなものはできあがった。
今後は、取材に漏れた方々の証言もさらに取り入れ、また、これを読まれた未知の読者からの正確な情報もつけ加え、より精度の高い資料集として再構築していくことも念頭に置いている。
『日本のキャンピングカーの歴史』 という書籍の発行に漕ぎつけた。
昨日、その表紙の校正が上がった。
見本が上がるのが、2月5日。
約90ページの書籍になった。
もちろん、これが日本のキャンピングカーの歴史を完璧に網羅したものだと言い張るつもりはない。
むしろ、取材しきれなかった部分の方が多い。
しかし、人から人へ、つてをたどって、古い時代のキャンピングカーをご存知の方々には、かなりお会いできたように思う。
かなり高齢な方もいらっしゃったが、お元気なうちに取材できたのはうれしいことだった。
日本のキャンピングカー1号車は、今のところ、画家の桐野江節雄さんが東京マツダに造らせたオート3輪の 「エスカルゴ号」 ということになっている。
しかし、本資料を作成しているうちに、どうやら演歌歌手の田端義夫さんがいすゞ自動車に造らせたバスを改良したキャンピングカーの方が年代的に古いということが分かった。
田端さんの “バスコン” は、昭和30年 (1955年) に造られたということになっている。
今回、その確証を得るために、当時いすゞ自動車にいらっしゃった方にお会いすることができたが、漠然と昭和30年代の初期…というところまでしか分からなかった。
その方が、当時のいすゞのバスを担当されていたスタッフと連絡を取ろうと努力を重ねてくださったが、すでに連絡が取れない人が多かったという。
エスカルゴ号の方は、昭和33年 (1958年) に製作されたことがはっきりしている。
それを確実に裏付ける資料もあるし、その製作に立ち会った人からも話を聞いている。
したがって本書では、暫定的に、このエスカルゴ号をもって 「日本のキャンピングカーの草分け的存在」 という位置づけにした。
その後、現在のようなキャンピングカーのスタイルが生まれるまでには、10年ほど変化の乏しい歳月が流れる。
しかし、その間、ワーゲンベースの輸入キャンパーなども導入されるようになり、それを参考にして、徐々に今のスタイルの車両が姿を見せるようになる。
その大半は、ユーザーが自作したハンドメイドキャンピングカーだった。
70年代に入ると、国産キャンピングカーは、ハンドメイドキャンピングカーの百花繚乱期を迎える。
ワンボックスカーの室内を架装したものから始まり、今のピックアップキャビンの原型ともいえるトラックの荷台にシェルを積載したものまで、様々なスタイルが追及されていった。
それと並行して、アメリカのバニングに影響を受けたカスタムカーのブームがスタートする。
日本のキャンピングカーは、このハンドメイドとバニングの二つの流れにけん引される形で、次第に現在のスタイルを生み出すようになっていく。
そこには、いろいろな人々のドラマがあった。
本書は、 「キャンピングカーの歴史」 と称しながら、人物列伝のおもむきを呈しているようにも思える。
すでに現役を引退された方々から取材するときは、古い写真や資料を見ていただきながら、時間をかけて、少しずつ思い出してもらうような形を取ることも多かった。
しかし、その方の記憶がゆっくりと形を整え、ご本人も忘れていたような過去が蘇えってきたとき、そこには思いがけない感動的な青春ドラマが再現され、しばしば陶然と聞きほれたことも一度や二度ではなかった。
惜しむらくは、この資料を制作中に、 「日本のオートキャンプの父」 ともいわれる日本オート・キャンプ協会の岡本昌光初代専務理事が亡くなられたことだ。
岡本氏は、日本にキャンプ文化を根づかせた最大の功労者だが、また数々のイベントを通じて日本にキャンピングカーを紹介した功績においても、並ぶ者のいない偉業を成し遂げた人である。
岡本氏は、この小冊子の完成を待たずにして亡くなられたが、原稿チェックの段階ではさんざん目を通してもらい、電話を通じて、ほぼ毎日こと細かなアドバイスをいただいた。
氏は、本当にこの資料ができあがるのを楽しみにされていた。
旧友と連絡をとるときも、ことあるごとに、この小冊子が現在制作進行中であることを話題にし、その感想を述べ、できばえを誉めたたえてくれたというから、完成本を直にお渡しできなかったことが本当に残念でならない。
逝去されたのは、昨年の10月11日。享年78歳であった。
また、現在キャンピングカービルダーとして名声を誇る会社の創業者たちの中においても、アム・クラフトの水鳥元社長、セキソーボディの中山元社長らのように、若くして永眠された方々がいる。
本資料は、その方々にも見ていただきたかった本である。
ともあれ、不完全な形かもしれないが、日本のキャンピングカーの流れをたどる原資料のようなものはできあがった。
今後は、取材に漏れた方々の証言もさらに取り入れ、また、これを読まれた未知の読者からの正確な情報もつけ加え、より精度の高い資料集として再構築していくことも念頭に置いている。
2010年01月29日
ユーガタフレンド
キャロル・キングとジェイムス・テイラーの日本公演があるらしいじゃない。
たぶん観に行っているような余裕もないと思うけれど、白髪頭のキャロルと、頭の禿げ上がったジェイムスが仲良く並んでいる写真を見たら、いい雰囲気だった。

ロックとR&Bの申し子のつもりでいた私だったから、
「オレにはこういう音楽は合わねぇんだ」
と突っ張っていたけれど、結局、当時、ギター弾いていちばん歌っていたのは、彼らの 「ユー・ガッタ・ア・フレンド」 だったり、キャロル・キングの 「ソー・ファー・アウェイ」 だったり、ジェイムスの 「クローズ・ユア・アイズ」 だったりした。
あの感覚は何だったんだろう。
夏の終わった、人気のない避暑地に、静かに午後の木漏れ日が揺れている…という雰囲気だった。
好きだった70年代ソウルが、ただのディスコミュージックになっちゃって、ロックは退屈になっちゃって、 「祭りの季節が終わった」 という空漠とした気分のときに、ふと耳を澄ますと、彼らの音が、舗道を浸す枯れ葉のようにひたひたと鳴っていたんだな。
だから、キャロル・キングやジェイムス・テイラーの曲を聞いたとき、
「あ、もう秋が来ていたんだ」
と、気づいた。
その頃、仲間とバンドを組んで、クリームのコピーをやっていた後輩と親しくなった。
体格の良い男で、縮れたロングヘアで、口元に立派なヒゲをたくわえて…。
見るからに、ロック野郎でさ。
そいつが学園祭なんかで、ジンジャー・ベイカーよろしく派手なドラミングでステージを沸かすと、けっこう音楽にうるさい連中も盛大な拍手を送っていた。
そいつが一度だけ、家に遊びに来たことがある。
なんか、憂鬱そうだった。
「オレ、他のメンバーと、音楽が合わなくなってきてさ」
と、そいつはティーバックの紅茶をすすりながら、ぽつりと言う。
「どういうことよ?」
と聞くと、やにわにそいつが私のギターを取り上げ、ジェイムス・テイラーの 「ファイア・アンド・レイン」 を歌い出したんだ。
ありゃりゃ……お前にも 「秋」 が来ていたんか、…と思った。
二人して、アコースティックな曲ばかり選んで一緒に歌った。
キャット・スティーブンスの 「雨に濡れた朝」 とか、CSN&Yの 「ヘルプレス・ホーピング」 とか、ニール・ヤングの 「ハート・オブ・ゴールド」 だとか。
外では枯れ葉がどんどん舞っていき、弱い光が、地平線の彼方まで届きそうに、長く伸びた日だった。
ジェイムス・テイラーの作った曲は、その透明な光の中を、枯れ葉といっしょに宙にたなびいていた。
ウィスキーでも、ビールでもなく、紅茶が似合う日だな…と思った。
たぶん観に行っているような余裕もないと思うけれど、白髪頭のキャロルと、頭の禿げ上がったジェイムスが仲良く並んでいる写真を見たら、いい雰囲気だった。
ロックとR&Bの申し子のつもりでいた私だったから、
「オレにはこういう音楽は合わねぇんだ」
と突っ張っていたけれど、結局、当時、ギター弾いていちばん歌っていたのは、彼らの 「ユー・ガッタ・ア・フレンド」 だったり、キャロル・キングの 「ソー・ファー・アウェイ」 だったり、ジェイムスの 「クローズ・ユア・アイズ」 だったりした。
あの感覚は何だったんだろう。
夏の終わった、人気のない避暑地に、静かに午後の木漏れ日が揺れている…という雰囲気だった。
好きだった70年代ソウルが、ただのディスコミュージックになっちゃって、ロックは退屈になっちゃって、 「祭りの季節が終わった」 という空漠とした気分のときに、ふと耳を澄ますと、彼らの音が、舗道を浸す枯れ葉のようにひたひたと鳴っていたんだな。
だから、キャロル・キングやジェイムス・テイラーの曲を聞いたとき、
「あ、もう秋が来ていたんだ」
と、気づいた。
その頃、仲間とバンドを組んで、クリームのコピーをやっていた後輩と親しくなった。
体格の良い男で、縮れたロングヘアで、口元に立派なヒゲをたくわえて…。
見るからに、ロック野郎でさ。
そいつが学園祭なんかで、ジンジャー・ベイカーよろしく派手なドラミングでステージを沸かすと、けっこう音楽にうるさい連中も盛大な拍手を送っていた。
そいつが一度だけ、家に遊びに来たことがある。
なんか、憂鬱そうだった。
「オレ、他のメンバーと、音楽が合わなくなってきてさ」
と、そいつはティーバックの紅茶をすすりながら、ぽつりと言う。
「どういうことよ?」
と聞くと、やにわにそいつが私のギターを取り上げ、ジェイムス・テイラーの 「ファイア・アンド・レイン」 を歌い出したんだ。
ありゃりゃ……お前にも 「秋」 が来ていたんか、…と思った。
二人して、アコースティックな曲ばかり選んで一緒に歌った。
キャット・スティーブンスの 「雨に濡れた朝」 とか、CSN&Yの 「ヘルプレス・ホーピング」 とか、ニール・ヤングの 「ハート・オブ・ゴールド」 だとか。
外では枯れ葉がどんどん舞っていき、弱い光が、地平線の彼方まで届きそうに、長く伸びた日だった。
ジェイムス・テイラーの作った曲は、その透明な光の中を、枯れ葉といっしょに宙にたなびいていた。
ウィスキーでも、ビールでもなく、紅茶が似合う日だな…と思った。
2010年01月28日
歯ぎしり
すんでの所で、歯を抜かれるところだった。
なにせ、右側の奥歯が 「物を噛むと痛い」 という状況が2週間も続き、お医者さんから、 「歯の寿命が尽きたので抜くしかない」 と言われていたのだ。
「抜いた方が、かえってしっかり物を噛めるよ」
といわれ、
「はい、了解!」
と潔く答えたものの、いざ抜く日が近づいてくるとなると、去っていく歯がいとおしくなった。
いちおう、自分を50年以上支えてくれた大切な肉体の一部なのである。
この間、文句ひとついうことなく、固いせんべいをかじる辛さにも耐え、煙草のヤニに汚されつつ、じっと堪え忍んできたのだ。
なのに、 「歯なんだから、それが務めだろ」 と思っていたため、 「ありがとう」 の一言もいうことがなかった。
ところが、いざ抜かれると思うと、だんだん 「このビスケットをかじるのもこれが最後だろう…」 などと優しい言葉のひとつもかけてやろうという気になってきた。
すると不思議なことに、奥歯との決別が近づいてくるにつれ、 「痛み」 がなくなってきたのである。
歯の方も、 「抜かれてたまるか」 と、ようやく一念発起して、痛みを自分だけで噛みしめて、主人に伝えないような努力を始めたのかもしれない。
もともと、虫歯で弱くなった歯ではなかった。
歯ぎしりしているうちに、割ってしまった歯なのである。
人からは、けっこうおっとりした温厚な性格だと思われている私だが、実は、けっこうイライラする人間である。
で、ストレスが溜まると、つい無意識のうちに、ギリギリと歯を擦り合わせている。
「歯を食いしばって耐える」 といえばカッコいいが、要するに歯ぎしりの多い人間だったのだ。
そのために、若いときは、 「縦横比」 でいえば 「縦」 が長い、江戸時代の殿様のような瓜ざね顔の骨格だったが、年をとるとともにアゴ系の骨が発達し、横幅の方がどんどん拡張していった。
今じゃラグビーボールを地面に置いたときのような骨格になってしまっている。
それほど、奥歯を擦り合わせて “鍛えて (?) ” いたわけだが、ある日突然、ガリッという鮮やかな音とともに、その歯が口の中で破裂した。
びっくりした。

まぁ、大昔は虫歯になったこともある歯で、中に詰め物が入れてあるだけだから、歯そのものは薄くなっていた。
そこに、当時としては、めっちゃストレスのかかる仕事を抱えていたため、そのプレッシャーを一身に受けていた歯が、ついにギブアップしたというわけだ。
歯医者に行ったら、 「中高年には多いんですよ。いろいろ辛いことがあるでしょうから」 と同情された。
で、そのとき修理した歯がまた痛くなり、いよいよ抜く日になって、歯科医の診療シートに座ったのだけれど、歯を抜く専門の先生が見るところによると (歯科医も分業制が発達してきたのだろうか?) … 「痛みがないなら抜くこともないですねぇ」 という。
「本当にダメになるまで、騙しだまし、使ってみましょうか」
と言われて、歯の掃除だけして帰ることにした。
だけど、歯が生き残っても、本体の方が先にくたばる可能性だってあるんだから、どうすりゃいいのやら…
帰りぎわに、 「顎関節症の症状を改善するために」 というチラシを渡された。
歯よりも 「顎 (アゴ) 」 のケアをしろということらしい。
そこには、
・ 「歯のくいしばりが必要な、重い物を持ち上げる動作は避けてください」
・ 「精神的な緊張の持続は、症状を悪化させることがあるので、30分ごとに緊張を解放し、リラックスすることが必要です」
・ 「上下の歯を常時接触させてはおくのは良くありません。絶えず上下の歯を接触させている人は、顎関節にも常に力がかかります」
……ってなことが記されていた。
これは大変なことになった!
…と、またしても歯をギシギシ擦り合わせてしまった。
習慣となったものは、なかなか治らない。
なにせ、右側の奥歯が 「物を噛むと痛い」 という状況が2週間も続き、お医者さんから、 「歯の寿命が尽きたので抜くしかない」 と言われていたのだ。
「抜いた方が、かえってしっかり物を噛めるよ」
といわれ、
「はい、了解!」
と潔く答えたものの、いざ抜く日が近づいてくるとなると、去っていく歯がいとおしくなった。
いちおう、自分を50年以上支えてくれた大切な肉体の一部なのである。
この間、文句ひとついうことなく、固いせんべいをかじる辛さにも耐え、煙草のヤニに汚されつつ、じっと堪え忍んできたのだ。
なのに、 「歯なんだから、それが務めだろ」 と思っていたため、 「ありがとう」 の一言もいうことがなかった。
ところが、いざ抜かれると思うと、だんだん 「このビスケットをかじるのもこれが最後だろう…」 などと優しい言葉のひとつもかけてやろうという気になってきた。
すると不思議なことに、奥歯との決別が近づいてくるにつれ、 「痛み」 がなくなってきたのである。
歯の方も、 「抜かれてたまるか」 と、ようやく一念発起して、痛みを自分だけで噛みしめて、主人に伝えないような努力を始めたのかもしれない。
もともと、虫歯で弱くなった歯ではなかった。
歯ぎしりしているうちに、割ってしまった歯なのである。
人からは、けっこうおっとりした温厚な性格だと思われている私だが、実は、けっこうイライラする人間である。
で、ストレスが溜まると、つい無意識のうちに、ギリギリと歯を擦り合わせている。
「歯を食いしばって耐える」 といえばカッコいいが、要するに歯ぎしりの多い人間だったのだ。
そのために、若いときは、 「縦横比」 でいえば 「縦」 が長い、江戸時代の殿様のような瓜ざね顔の骨格だったが、年をとるとともにアゴ系の骨が発達し、横幅の方がどんどん拡張していった。
今じゃラグビーボールを地面に置いたときのような骨格になってしまっている。
それほど、奥歯を擦り合わせて “鍛えて (?) ” いたわけだが、ある日突然、ガリッという鮮やかな音とともに、その歯が口の中で破裂した。
びっくりした。
まぁ、大昔は虫歯になったこともある歯で、中に詰め物が入れてあるだけだから、歯そのものは薄くなっていた。
そこに、当時としては、めっちゃストレスのかかる仕事を抱えていたため、そのプレッシャーを一身に受けていた歯が、ついにギブアップしたというわけだ。
歯医者に行ったら、 「中高年には多いんですよ。いろいろ辛いことがあるでしょうから」 と同情された。
で、そのとき修理した歯がまた痛くなり、いよいよ抜く日になって、歯科医の診療シートに座ったのだけれど、歯を抜く専門の先生が見るところによると (歯科医も分業制が発達してきたのだろうか?) … 「痛みがないなら抜くこともないですねぇ」 という。
「本当にダメになるまで、騙しだまし、使ってみましょうか」
と言われて、歯の掃除だけして帰ることにした。
だけど、歯が生き残っても、本体の方が先にくたばる可能性だってあるんだから、どうすりゃいいのやら…
帰りぎわに、 「顎関節症の症状を改善するために」 というチラシを渡された。
歯よりも 「顎 (アゴ) 」 のケアをしろということらしい。
そこには、
・ 「歯のくいしばりが必要な、重い物を持ち上げる動作は避けてください」
・ 「精神的な緊張の持続は、症状を悪化させることがあるので、30分ごとに緊張を解放し、リラックスすることが必要です」
・ 「上下の歯を常時接触させてはおくのは良くありません。絶えず上下の歯を接触させている人は、顎関節にも常に力がかかります」
……ってなことが記されていた。
これは大変なことになった!
…と、またしても歯をギシギシ擦り合わせてしまった。
習慣となったものは、なかなか治らない。
2010年01月27日
リコルソSS
2月の幕張ショーに出展予定の新車、アネックスさんの 「リコルソSS」 をご紹介。

「リコルソSS」 は、今注目の日産NV200をベースにしたライトキャンパー。
本格的なキャンピング装備を組み込んだものというよりも、日帰りドライブだけでも十分に楽しめる “手軽な旅行車” という位置づけの車両である。
だから、 「キャンピングカー」 という仰々しい呼び方をせずに、アネックスでは 「ミニマムRV」 と呼ぶ。
今回、送っていただいた資料は、なんと社内で討議された 「コンセプトメイク」 のメモ。
本来なら、それを翻訳する形でこちらが記事化するのだけれど、今回は、ビルダー内部でどのように新車開発の議論が進められるのか、その様子が伝わってくるものなので、原案に近い状態のものを掲載させてもらうことにした。

《 トレンド分析 》
【現状】
・ 大型車から小型車への流れが世界的に見られる。
・ ハイブリット車の販売が好調。
・ PLAZA 大阪において、小型車の引き合いが多くなっている。
・ 二酸化炭素削減のニュースが頻繁に流れる。
【今後の読み】
小型のキャンピングカー。しかも低燃費。
《 キーワード設定 》
【スマート】
大きなエンジン、大きな車体、いかにも燃費の悪そうな車は賢い選択といえないのではないかと疑問を感じ、低燃費車がこれからのスマートな車だとお考えの方にアピール。
【スモール】
バブルなんてとっくの昔に過去のもの。 “いつかは○ラ○ン” というフレーズも過去のもの。背伸びするのではなく身の丈 (たけ) にあった暮らしを楽しみたい。
【ちゃんと】
チープな作りは好まない。
センス良く、しっかりした品質のもの。

【エコ】
地球に対してローインパクトな車。
《 コンセプトのABC 》
【A、顧客】
・ 50代以上のご夫婦。
・ 旅行は好きだけれど、キャンピングカーを買うほど入れ込んではいない。
・ 自宅の駐車スペースはごく普通の乗用車でちょうどの大きさ。
・ ミニバンと同程度の予算。
・ 軽四では満足しきれない。
【B、提供する便益】
お二人で使うにはちょうど良い大きさ。普段の足にも十分抵抗感なく使える。
【C、確たる理由】
・ 全長4400mm×全高1800mm程度。
・ 車両本体価格 270万円未満 (税込み)
・ エンジンは1600cc、コンパクトカーと同じレベル。
・ 乗車姿勢も自然。 (ハイエースは座席位置が高すぎる)

《 ストーリー 》
【起】 異常気象などが頻発し、二酸化炭素による地球温暖化の影響が心配されています。
【承】 そして、二酸化炭素の排出量の中でも大きな比率を占めるのが自動車です。
【転】 私たちキャンピングカーに関わるものとして、何かできることはあるのでしょうか?
【結】 ANNEXが、21世紀の地球を考えて提案するミニマムRV……RICORSO-SS。

……なるほど。スタッフ会議などでは、新車のイメージをこういうふうに練り上げていくのだな…と分かる。
基本的には、雑誌などを制作する編集会議と変わらない。
まず、時代の流れを分析。
次に近未来社会 (のマーケット) を予想。
そして、キーワードを固め、ターゲットユーザー (雑誌なら読者層) を定める。
商品開発というのは、みなそのように進んでいくのだけど、この 「リコルソSS」 の場合は、比較的、開発陣の “思想的練り上げ” の部分に比重がかけられていると感じた。
つまり、商品にまつわる “物語” をつくろうとしていることが伝わってくる。
それが、たとえば、 「キーワード設定」 に表れた次のようなフレーズ。
「バブルなんてとっくの昔に過去のもの。 “いつかは○ラ○ン” というフレーズも過去のもの。背伸びするのではなく身の丈 (たけ) にあった暮らしを楽しみたい」
ここで行われようとしているのは、ハイグレードなライフスタイルを盲目的に極めようとする上昇志向からの 《決別》 である。
高度成長からバブルの時代にかけて、 「豊かな生活」 とは、常に 「まだ実現されていないもの」 だった。
だからこそ、それが人々の勤労意欲をドライブするエネルギーとなり、日本の経済発展の駆動力となった。
しかし、 「今はそのような時代なのか?」 という問いかけが、この 「キーワード設定」 には含まれている。
すでに、先進国では、モノがあり余っていたのではないか?
にもかかわらず、先進国の大企業は、消費者に一種の “精神的飢餓” のようなものを与え、 「足りていても満たされない」 という擬似的な欲望のループに消費者をハマらせていたのではないか?
そして、そのような近代社会の資本主義的な前進運動が、逆に人と自然を疲弊させ、「本当の豊かさ」 を見失わせていたのではないか?
そういう眼差しが、このアネックスさんの新車開発メモからは感じられる。

「身の丈にあった暮らしを楽しみたい」 というこのキャンピングカーの思想は、ことなかれ主義とか、縮み志向などといった発想とはまったく無縁である。
逆に、 「今の生活の中から、新しい豊かさを探そうよ」 という、発想の転換を示唆するインパクトが秘められている。
キャンピングカーが新しいライフスタイルを創るという信念がなければ、こういう発想は生まれない。
幕張ショーでは、まずアネックスさんに座布団一枚!

「リコルソSS」 は、今注目の日産NV200をベースにしたライトキャンパー。
本格的なキャンピング装備を組み込んだものというよりも、日帰りドライブだけでも十分に楽しめる “手軽な旅行車” という位置づけの車両である。
だから、 「キャンピングカー」 という仰々しい呼び方をせずに、アネックスでは 「ミニマムRV」 と呼ぶ。
今回、送っていただいた資料は、なんと社内で討議された 「コンセプトメイク」 のメモ。
本来なら、それを翻訳する形でこちらが記事化するのだけれど、今回は、ビルダー内部でどのように新車開発の議論が進められるのか、その様子が伝わってくるものなので、原案に近い状態のものを掲載させてもらうことにした。

《 トレンド分析 》
【現状】
・ 大型車から小型車への流れが世界的に見られる。
・ ハイブリット車の販売が好調。
・ PLAZA 大阪において、小型車の引き合いが多くなっている。
・ 二酸化炭素削減のニュースが頻繁に流れる。
【今後の読み】
小型のキャンピングカー。しかも低燃費。
《 キーワード設定 》
【スマート】
大きなエンジン、大きな車体、いかにも燃費の悪そうな車は賢い選択といえないのではないかと疑問を感じ、低燃費車がこれからのスマートな車だとお考えの方にアピール。
【スモール】
バブルなんてとっくの昔に過去のもの。 “いつかは○ラ○ン” というフレーズも過去のもの。背伸びするのではなく身の丈 (たけ) にあった暮らしを楽しみたい。
【ちゃんと】
チープな作りは好まない。
センス良く、しっかりした品質のもの。
【エコ】
地球に対してローインパクトな車。
《 コンセプトのABC 》
【A、顧客】
・ 50代以上のご夫婦。
・ 旅行は好きだけれど、キャンピングカーを買うほど入れ込んではいない。
・ 自宅の駐車スペースはごく普通の乗用車でちょうどの大きさ。
・ ミニバンと同程度の予算。
・ 軽四では満足しきれない。
【B、提供する便益】
お二人で使うにはちょうど良い大きさ。普段の足にも十分抵抗感なく使える。
【C、確たる理由】
・ 全長4400mm×全高1800mm程度。
・ 車両本体価格 270万円未満 (税込み)
・ エンジンは1600cc、コンパクトカーと同じレベル。
・ 乗車姿勢も自然。 (ハイエースは座席位置が高すぎる)
《 ストーリー 》
【起】 異常気象などが頻発し、二酸化炭素による地球温暖化の影響が心配されています。
【承】 そして、二酸化炭素の排出量の中でも大きな比率を占めるのが自動車です。
【転】 私たちキャンピングカーに関わるものとして、何かできることはあるのでしょうか?
【結】 ANNEXが、21世紀の地球を考えて提案するミニマムRV……RICORSO-SS。
……なるほど。スタッフ会議などでは、新車のイメージをこういうふうに練り上げていくのだな…と分かる。
基本的には、雑誌などを制作する編集会議と変わらない。
まず、時代の流れを分析。
次に近未来社会 (のマーケット) を予想。
そして、キーワードを固め、ターゲットユーザー (雑誌なら読者層) を定める。
商品開発というのは、みなそのように進んでいくのだけど、この 「リコルソSS」 の場合は、比較的、開発陣の “思想的練り上げ” の部分に比重がかけられていると感じた。
つまり、商品にまつわる “物語” をつくろうとしていることが伝わってくる。
それが、たとえば、 「キーワード設定」 に表れた次のようなフレーズ。
「バブルなんてとっくの昔に過去のもの。 “いつかは○ラ○ン” というフレーズも過去のもの。背伸びするのではなく身の丈 (たけ) にあった暮らしを楽しみたい」
ここで行われようとしているのは、ハイグレードなライフスタイルを盲目的に極めようとする上昇志向からの 《決別》 である。
高度成長からバブルの時代にかけて、 「豊かな生活」 とは、常に 「まだ実現されていないもの」 だった。
だからこそ、それが人々の勤労意欲をドライブするエネルギーとなり、日本の経済発展の駆動力となった。
しかし、 「今はそのような時代なのか?」 という問いかけが、この 「キーワード設定」 には含まれている。
すでに、先進国では、モノがあり余っていたのではないか?
にもかかわらず、先進国の大企業は、消費者に一種の “精神的飢餓” のようなものを与え、 「足りていても満たされない」 という擬似的な欲望のループに消費者をハマらせていたのではないか?
そして、そのような近代社会の資本主義的な前進運動が、逆に人と自然を疲弊させ、「本当の豊かさ」 を見失わせていたのではないか?
そういう眼差しが、このアネックスさんの新車開発メモからは感じられる。
「身の丈にあった暮らしを楽しみたい」 というこのキャンピングカーの思想は、ことなかれ主義とか、縮み志向などといった発想とはまったく無縁である。
逆に、 「今の生活の中から、新しい豊かさを探そうよ」 という、発想の転換を示唆するインパクトが秘められている。
キャンピングカーが新しいライフスタイルを創るという信念がなければ、こういう発想は生まれない。
幕張ショーでは、まずアネックスさんに座布団一枚!
2010年01月26日
不況に強いRV
(社) 日本オート・キャンプ協会さんが発行される月刊紙 『オートキャンプ』 には、RVランドの阿部和麿さんが執筆される 「Campingcar Critique」 という連載エッセイが掲載されている。

今日それが送られてきたので読んでみたら、なかなか面白いことが書かれていた。
その一部を要約してちょっとご紹介してみたい。
『キャンピングカー・クリティーク第38回』
「キャンピングカーは不況に強いか?」 by 阿部和麿

「100年に1度」 といわれるほどの構造的不況が続く中、米国ビックスリーが凋落したり、トヨタ自動車が赤字経営を計上するなど、キャンピングカーと関連が深い自動車産業が、みな荒波にもまれたごとく苦しい航海を続けている様子が伝わってきた。
「自動車が売れない」 という嘆きを耳にしない日がないほど乗用車の営業不振の続く時代に、キャンピングカーとて例外ではないと思われる方は多いはずだ。
もちろんこの業界も苦しいことには変わりない。
ただあくまでも “感触” に過ぎないのだが、どうも乗用車を求めるお客様と、キャンピングカーを求めるお客様では 「客層」 が違うのではないかと思うときがある。
ご来店いただくお客様からは、不思議なことに、 「不況」 や 「デフレ」 に絡むような会話というのがほとんど出ない。
それよりも、 「この閉塞的で、うるおいのない時代に、せめてキャンピングカーで元気を取り戻そう」 という期待のようなものを、お客様のお話から感じることが多い。
考えてみれば、バブルが崩壊してすでに20年。
この間、いっとき景気が回復したように見えた時期もあったが、総じて、もう高度成長時代のような右肩上がりの上昇カーブを描いて経済が繁栄することのない時代を日本人はずっと生きてきた。
きっと、この間に人々の考え方が変わったのだ。
長引く不況を立て直そうと、政治面や経済面での試行錯誤がドタバタと繰り返されているうちに、誰もが気づいたのだ。
「立て直す前の暮らし方というのが、ひょっとしたら無理な暮らし方だったのではないか?」 と。
バブルの時代には、本来、商品の品質を表現するはずだった 「ブランド」 が、いつの間にか、所有者の見栄や虚栄を満足させるための 「記号」 として機能し、持っている人が、持っていない人に見せびらかすだけで、 「金持ち」 と 「ビンボー人」 の差がつくような風潮が生まれた。
そして、その風潮は不況の時代に入ってからも 「勝ち組」 「負け組」 と形を変えて、ますます猖獗を極めた。
そのことに、誰もが嫌気を感じてきたのがいまの時代なのだ。
いま人々が求めている生活は、人に見せびらかすために背伸びする生活ではなく、自分や自分の家族の満足が得られる生活である。
不況の20年を経験して、人々は、ようやく背伸びをしないことの心地よさに気づいたのだ。
そのことは、近年 「売れなくなったモノ」 を見てみれば分かりやすい。
たとえば、乗用車でいえば、かつては若者の憧れのマトであったスポーツカーのようなクルマに人気が集まらないという。
それは、そのクルマのスポーツカーの部分の人気が衰えたからではない。 「カッコいいだろ!」 と所有者に背伸びさせた部分の人気が落ちているのである。
キャンピングカーは、 「贅沢なお金持ちのクルマ」 のように思われることが多いが、実際に購入される方々で、そんな意識を持っている人たちはほとんどいない。
むしろ安い経費で、家族と満足を共有できる道具。人に見せびらかすクルマの対極の位置にあるものという認識を持っている。
だから、ステータスとして成功してきたような乗用車がそっぽを向かれるような時代になっても、ステータスで勝負してきたわけではないキャンピングカーは、比較的、人々の目線に 「好意の情」 がこもるように見えるときがある。
JAC(日本オート・キャンプ協会)発行 『Auto Camp』 第167号より
「キャンピングカー・クリティーク 第38回」
今日それが送られてきたので読んでみたら、なかなか面白いことが書かれていた。
その一部を要約してちょっとご紹介してみたい。
『キャンピングカー・クリティーク第38回』
「キャンピングカーは不況に強いか?」 by 阿部和麿
「100年に1度」 といわれるほどの構造的不況が続く中、米国ビックスリーが凋落したり、トヨタ自動車が赤字経営を計上するなど、キャンピングカーと関連が深い自動車産業が、みな荒波にもまれたごとく苦しい航海を続けている様子が伝わってきた。
「自動車が売れない」 という嘆きを耳にしない日がないほど乗用車の営業不振の続く時代に、キャンピングカーとて例外ではないと思われる方は多いはずだ。
もちろんこの業界も苦しいことには変わりない。
ただあくまでも “感触” に過ぎないのだが、どうも乗用車を求めるお客様と、キャンピングカーを求めるお客様では 「客層」 が違うのではないかと思うときがある。
ご来店いただくお客様からは、不思議なことに、 「不況」 や 「デフレ」 に絡むような会話というのがほとんど出ない。
それよりも、 「この閉塞的で、うるおいのない時代に、せめてキャンピングカーで元気を取り戻そう」 という期待のようなものを、お客様のお話から感じることが多い。
考えてみれば、バブルが崩壊してすでに20年。
この間、いっとき景気が回復したように見えた時期もあったが、総じて、もう高度成長時代のような右肩上がりの上昇カーブを描いて経済が繁栄することのない時代を日本人はずっと生きてきた。
きっと、この間に人々の考え方が変わったのだ。
長引く不況を立て直そうと、政治面や経済面での試行錯誤がドタバタと繰り返されているうちに、誰もが気づいたのだ。
「立て直す前の暮らし方というのが、ひょっとしたら無理な暮らし方だったのではないか?」 と。
バブルの時代には、本来、商品の品質を表現するはずだった 「ブランド」 が、いつの間にか、所有者の見栄や虚栄を満足させるための 「記号」 として機能し、持っている人が、持っていない人に見せびらかすだけで、 「金持ち」 と 「ビンボー人」 の差がつくような風潮が生まれた。
そして、その風潮は不況の時代に入ってからも 「勝ち組」 「負け組」 と形を変えて、ますます猖獗を極めた。
そのことに、誰もが嫌気を感じてきたのがいまの時代なのだ。
いま人々が求めている生活は、人に見せびらかすために背伸びする生活ではなく、自分や自分の家族の満足が得られる生活である。
不況の20年を経験して、人々は、ようやく背伸びをしないことの心地よさに気づいたのだ。
そのことは、近年 「売れなくなったモノ」 を見てみれば分かりやすい。
たとえば、乗用車でいえば、かつては若者の憧れのマトであったスポーツカーのようなクルマに人気が集まらないという。
それは、そのクルマのスポーツカーの部分の人気が衰えたからではない。 「カッコいいだろ!」 と所有者に背伸びさせた部分の人気が落ちているのである。
キャンピングカーは、 「贅沢なお金持ちのクルマ」 のように思われることが多いが、実際に購入される方々で、そんな意識を持っている人たちはほとんどいない。
むしろ安い経費で、家族と満足を共有できる道具。人に見せびらかすクルマの対極の位置にあるものという認識を持っている。
だから、ステータスとして成功してきたような乗用車がそっぽを向かれるような時代になっても、ステータスで勝負してきたわけではないキャンピングカーは、比較的、人々の目線に 「好意の情」 がこもるように見えるときがある。
JAC(日本オート・キャンプ協会)発行 『Auto Camp』 第167号より
「キャンピングカー・クリティーク 第38回」
2010年01月25日
てんてこまい
2月12日より幕張メッセで開催される 「キャンピング&RVショー」 に間に合わせる発行物が二つ、ともに明日のデータ入稿日が重なってしまって、てんてこまい。
今日は、近年ちょっとないあわただしさだ。
そういうのが重ならないように、しっかり仕事の配分を考えるのが 「編集長」 の務めなんだけど、ほら、編集員は私一人だからさ。
編集長の私が、 「これ、もっと仕事せんか!」 と怒鳴っても、編集員の方の私は、
「そんなこと言ったって、腹減りましたし…」
「今日はもう眠うてかなわんですわ」
……ってな感じで編集室をエスケープしてしまう。
そんなことを繰り返しているうちに、両方の締め切りが、じわじわと重なって、火の車。
いつもの悪いクセなんだけど。
あわただしい…というのは、作業量のことじゃないんだね。
頭の切り換えポイントが増えていくことなんだね。
作業量はそれほどでもないんだけど、異なる媒体が二つ並行して締め切りを迎えるということは、気分的に煩雑。
ひとつの校正に目を通していると、別の方の仕事で、画像のスキャニング作業が残っていることを思い出し、古いアルバム引っぱり出して、
「この人、若いときはパンチパーマだったんだ、へぇ…」 とか、しばらく古い写真をしげしげと見入ったりして、あ、いけね、もうこんな時間。こっちの校正があと10ページ……とかさ。
で、このデータ入稿が終わると、もう本誌の編集作業に突入なのよ。まったなし。
その間に、こまい単発の仕事があと二つ。
…んわけで、新車速報やるつもりやったけれど、今日はちょっとゴメンナサイ。
今日は、近年ちょっとないあわただしさだ。
そういうのが重ならないように、しっかり仕事の配分を考えるのが 「編集長」 の務めなんだけど、ほら、編集員は私一人だからさ。
編集長の私が、 「これ、もっと仕事せんか!」 と怒鳴っても、編集員の方の私は、
「そんなこと言ったって、腹減りましたし…」
「今日はもう眠うてかなわんですわ」
……ってな感じで編集室をエスケープしてしまう。
そんなことを繰り返しているうちに、両方の締め切りが、じわじわと重なって、火の車。
いつもの悪いクセなんだけど。
あわただしい…というのは、作業量のことじゃないんだね。
頭の切り換えポイントが増えていくことなんだね。
作業量はそれほどでもないんだけど、異なる媒体が二つ並行して締め切りを迎えるということは、気分的に煩雑。
ひとつの校正に目を通していると、別の方の仕事で、画像のスキャニング作業が残っていることを思い出し、古いアルバム引っぱり出して、
「この人、若いときはパンチパーマだったんだ、へぇ…」 とか、しばらく古い写真をしげしげと見入ったりして、あ、いけね、もうこんな時間。こっちの校正があと10ページ……とかさ。
で、このデータ入稿が終わると、もう本誌の編集作業に突入なのよ。まったなし。
その間に、こまい単発の仕事があと二つ。
…んわけで、新車速報やるつもりやったけれど、今日はちょっとゴメンナサイ。
2010年01月24日
マックレー新型車
東京の幕張で開かれる 「キャンピング&RVショー」 が近づくにつれ、キャンピングカーメーカーの新車情報がいろいろともたらされてきた。
すでに、いくつかの最新情報を入手しているので、逐次公開していきたい。
今回は、マックレーさんが展示する新型フルコン (クラスА) のイラストをご紹介。
Wow カッコいい!
全長は約7m。
ベース車は公表されていないが、エンジン出力、走行安定性、架装性のどれをとっても、間違いなく一級品とのこと。
漏れ聞くところによると、エンジンは3リッター、150馬力のディーゼルターボとの情報も。
ただ、幕張ショーに間に合うのは、外形のみなのだそうだ。
もちろん塗装、カラーリングは完了する予定なので、 「国産最強フルコン」 といわれるこの新型車の偉容をたっぷり眺めることはできる。

まずサイドビュー。
風の流れを考えたルーフ曲面のラインが素晴らしい。
図にはデュアルルーフエアコンが設定されているが、実際に要望があれば、デュアルエアコンの装着も可能らしい。
これは、室内が相当広くなるので、夏場は、エアコン1台では冷房効果が十分には得られないだろうという判断から来るものだろう。
ちなみに、このデュアルエアコン駆動を想定したサイン波5.5kWの専用発電機も開発中だという。
バンクの張り出しを持たないクラスАとはいえ、運転席の頭上にはたっぷりと容積が取られているのが特徴。
当初はプルダウンベッドの設定が考えられていたらしいが、運転席上にある程度のヘッドクリアランスが取れているため、バンクベッドの設定も考慮されているという。

「クラスАは顔が命!」
フロント部分も大迫力。
いかにも、クラスАらしい風格がにじみ出ている。
この図から、ベース車を推測できた人はいるかな?
リヤ部。
テールランプ回りの意匠が斬新。
リヤパネルの処理がどんな形になっていくのか楽しみだ。

室内がどのようなレイアウトになるのか分からないのだが、開発者に教えていただいたのは、
「軽くて重厚な雰囲気が醸し出せる、付板仕様の最上級家具を使用する」
というところまで。
どうやら、サンプルとしてのレイアウトは組むけれど、基本的にはレイアウトフリーという形で、顧客の希望を取り入れたスタイルを実現していく意向のようだ。
特筆すべきことは、4輪ともスマイルファクトリーがこのクルマ専用に開発したハイスペックバージョンの 「キャンサス」 を装着するというもの。
4輪独立制御となり、減衰力は8段階調整。ストローク調整も可能というマニアックなものだという。
とっても期待できる1台。
もう少し詳しい情報が入り次第、逐一ご紹介します。
すでに、いくつかの最新情報を入手しているので、逐次公開していきたい。
今回は、マックレーさんが展示する新型フルコン (クラスА) のイラストをご紹介。
Wow カッコいい!
全長は約7m。
ベース車は公表されていないが、エンジン出力、走行安定性、架装性のどれをとっても、間違いなく一級品とのこと。
漏れ聞くところによると、エンジンは3リッター、150馬力のディーゼルターボとの情報も。
ただ、幕張ショーに間に合うのは、外形のみなのだそうだ。
もちろん塗装、カラーリングは完了する予定なので、 「国産最強フルコン」 といわれるこの新型車の偉容をたっぷり眺めることはできる。

まずサイドビュー。
風の流れを考えたルーフ曲面のラインが素晴らしい。
図にはデュアルルーフエアコンが設定されているが、実際に要望があれば、デュアルエアコンの装着も可能らしい。
これは、室内が相当広くなるので、夏場は、エアコン1台では冷房効果が十分には得られないだろうという判断から来るものだろう。
ちなみに、このデュアルエアコン駆動を想定したサイン波5.5kWの専用発電機も開発中だという。
バンクの張り出しを持たないクラスАとはいえ、運転席の頭上にはたっぷりと容積が取られているのが特徴。
当初はプルダウンベッドの設定が考えられていたらしいが、運転席上にある程度のヘッドクリアランスが取れているため、バンクベッドの設定も考慮されているという。

「クラスАは顔が命!」
フロント部分も大迫力。
いかにも、クラスАらしい風格がにじみ出ている。
この図から、ベース車を推測できた人はいるかな?
リヤ部。
テールランプ回りの意匠が斬新。
リヤパネルの処理がどんな形になっていくのか楽しみだ。

室内がどのようなレイアウトになるのか分からないのだが、開発者に教えていただいたのは、
「軽くて重厚な雰囲気が醸し出せる、付板仕様の最上級家具を使用する」
というところまで。
どうやら、サンプルとしてのレイアウトは組むけれど、基本的にはレイアウトフリーという形で、顧客の希望を取り入れたスタイルを実現していく意向のようだ。
特筆すべきことは、4輪ともスマイルファクトリーがこのクルマ専用に開発したハイスペックバージョンの 「キャンサス」 を装着するというもの。
4輪独立制御となり、減衰力は8段階調整。ストローク調整も可能というマニアックなものだという。
とっても期待できる1台。
もう少し詳しい情報が入り次第、逐一ご紹介します。
2010年01月23日
荒野の思想
「荒野」 に惹かれる。
2年ほど前にレンタルモーターホームを運転して、アリゾナ、ユタ一帯に広がるグランドサークルを旅したことがあったが、途中、クルマを止めて写真を撮ったのは、 「荒野」 の画像ばかりだった。
視界を遮る物が一つもない、恐ろしいばかりのフラットな土地が出てくると、私は道路脇に止めたクルマから降り、地平線を眺め、写真を撮った。
同行したカミさんは、私がその風景から何を感じているのか、ほとんど理解できなかったようだ。
当然かもしれない。
私自身が、よく分からないのだから。
昔から、 「荒野」 に惹かれた。
それが、なんだか自分の 「ふるさと」 のような気がするのだ。
だから、 「荒野にたたずんで叫んでいる預言者」 という旧約聖書的なイメージに、何か自分の原点があるように感じることがある。
預言者が、何を叫んでいるのか分からない。
それはただの音であって、言葉としては聞こえない。
その音を、人は 「風」 と呼ぶのだろう。
荒野を飽きずに眺めている私に向かって、
「あなたの内面には、とても寂しいものが沈んでいるに違いない」
と、カミさんはいう。
そう言われても、自分に思い当たるフシはない。
強いていえば、 「風」 の歌を聞きたいだけなのかもしれない。
都会を行き交う 「言葉」 は常に “意味” を伴うけれど、荒野を舞う 「言葉」 は、ただの 「風」 でしかない。
言葉の原点は荒野にあり、言葉の行き着く先も、また荒野でしかありえない。
坂口安吾という作家の書いたものを、ほとんど読んだことがなかった。
若いときに、『堕落論』 と、 『白痴』 を読んだくらいか。
あまり意味が分からなかったし、それほど面白いとも思わなかった。
しかし、最近、坂口安吾を論じた批評家の “安吾論” を読んでいて、ハッとしたことがある。
安吾は、 「荒野」 を 「ふるさと」 と言っているというのだ。
安吾の 『石の思い』 というエッセイの中に、こんなくだりがある、とその批評家はいう。
「安吾が、北原武夫 (小説家) に、風景のよい温泉はないかと尋ねられて、新鹿沢温泉を教えたところ、北原が憤慨して帰ってきたという話がある。
それは 『浅間高原にあり、ただ広漠たる涯のない草原で、樹木の影もないところ』 だったからである。
安吾は、 『北原が、あまり本気になってその風景の単調さを憎んでいるので、そのときはじめて自分の好む風景には一般性がないのではないかと疑い始めた』 と書いている」
そこまで読んで、私は、 「あ、同類がいる」 と思った。
そして、私なら、坂口安吾の勧めている温泉を、きっと気に入っただろうと思った。
安吾の作品のタイトルには、よく 「風」 とか 「木枯らし」 という言葉が使われるらしい。
『木枯の酒倉から』
『風博士』
『風と光と二十の私と』……
安吾を語った批評家はいう。
「風とは、いうまでもなく空気の運動である。われわれは空気を空気としてつかめないので、それを風で把握する。
ギリシャにおいても、インドにおいても、古代から 『精神』 というのは、もともと息とか風のことをいった。
『インスピレーション』 というのは、空気を吹き込むことを意味する。
そういう精神的な営為が 『風』 としてとらえられてきた」
つまり、安吾は、形がない…にもかかわらず、感じられるもの、現実的なものを 「風」 と呼んだ、という。
安吾が、その 「風の吹く荒野」 を 「ふるさと」 といったのは、どういうことなのだろう。
安吾の 「ふるさと」 という言葉は、とっても不思議な使われ方をしている。
それは私たちが通常使う 「ふるさと」 という言葉から、さらに遠いところに向かっている。
少なくとも、 「ふるさと」 という言葉にこもる 「温かみ」 や 「懐かしさ」 のようなものが、安吾の 「ふるさと」 からはストンと抜け落ちている。
『文学のふるさと』 という安吾のエッセイでは、冒頭にシャルル・ペローの有名な童話 『赤頭巾』 が引用されているらしい。
子供向けに、ハッピーエンドに仕立てられた童話と違って、原作はもっとシンプルだという。
可愛い女の子が、森の中のおばあさんを見舞いに行く。
それをおばあさんに化けた狼が、ムシャムシャと食べてしまう。
原作はそこでストンと終わってしまう。
それを引用して、安吾は次のように書く。
「私たちは、いきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで、戸惑いながら、しかし、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない 『ふるさと』 を見ないでしょうか」
ここで突然出てくる 「ふるさと」 は、ほとんどの読者を戸惑わせる。
しかし、この感じが、私にはよく分かる。
そこは、 「風の吹いている荒野」 なのだ。
共同体の教訓話に回収される前の、つまり 「物語」 という構造に収拾される前の、さらにいえば、 「言葉」 としての説明を獲得する前の、人間が何かに出遭う瞬間の 「驚愕」 (= ときめき) が、そこに現れているように思う。
人は、はじめて出遭った事件には、どう対処していいのか分からない。
誰かに教えられ、あるいは似通った事例を研究し、何度か経験を重ねることによって、ようやく 「事件」 は 「解決可能な問題」 として認識される。
しかし、安吾が問題としているのは、 「どう対処していいのか分からないような」 、最初に遭遇する事件なのだ。
経験も、知識も、教養も通用しない 「事件」 。
いわば、裸になった人間が、たった独りで見つめなければならないような 「事件」 。
それと向かい合う場所が、安吾にとっての 「ふるさと」 なのだ。
いわば、経験や、知識や、教養の 「外部」 にある場所。
つまり、 「言葉」 が生まれる前の場所。
そこに安吾は、 「静かで、透明な、切ないふるさと」 を見る。
すべての言葉は、そこから立ち現れて、またそこへ還って行く。
私が感じる 「荒野」 にも、そんなイメージがある。
2010年01月22日
理想のエコカー
「未来の自動車」 という話になると、現在はEV (電気自動車) が一躍その主役に踊り出た感じだ。
ハイブリッド車に力を入れているトヨタなども、 「ハイブリッドならばEVに移行するのも簡単」 という理屈を打ち出し、次世代カーがEVに集約されていくという “未来図” を否定していない。
しかし、作家の楡周平さんは、 「究極のエコカーは植物由来のエタノールで走るハイブリッド車である」 といってはばからない (週刊朝日1月22日号) 。

楡さんは、 『ゼフィラム』 というエコカー開発競争をテーマにした小説を上梓したばかりだが、その小説を書くために取材したデータを総合すると、 「EVが究極のエコカーだ」 という判断には疑問符がつくという。
なぜなら、 「EVはドライバーにとってはCO2 を出さないクルマのように思えるが、それを駆動するための電力供給を考えると、全体としては膨大な発電量を必要とし、決してCO2 を減らすことにはならない」 …からだという。
全世界のCO2 排出量のうち、発電によるものは46パーセントを占める。
それは、水力発電や原子力発電などよりも、圧倒的に火力発電の割合が大きいからだ。
このような状況を放置している限り、EVが最終的なエコカーだとは断言できないと、楡さんはいう。
では、何がベストかというと、それが 「サトウキビを原料としたエタノールで走るハイブリッド車」 なのだそうだ。
エタノールは、4年ほど前にガソリンの代替燃料として脚光を浴びて以来、ブラジルで実用化に踏み切られたほか、アメリカでもエタノールを含む混合燃料を使えるクルマが販売されるなど、一時は “脱石油” 時代の救世主のように扱われたことがある。
しかし、基本的に農作物に頼る燃料であるがゆえに、食糧供給とバッティングするおそれもあり、地球人口が増えるにしたがって、エタノールの量産は食糧危機につながるのではないかと警戒する声も出てきた。
そのため、ガソリンの代替エネルギーとしては、一歩引いた感じではあったが、楡さんはそれでもエタノールを推奨する根拠を、次のように述べる。
まず、サトウキビからエタノールを産出する方法がなぜいいかというと、サトウキビが成長するときに生じる光合成によって、CO2 を吸収して酸素に戻す効果が期待できるからだという。
「いまはCO2 の排出削減ばかりに目がいっていますが、一方でCO2 を酸素に変える植物が急激に減っているという現実があります。
排出削減だけでなく、同時にCO2 を酸素に戻す循環サイクルを立て直さないと、ザルで水をすくうようなものになってしまう」
と、楡さんは語る。
現在、世界のCO2 の大きな吸収源となっている南米アマゾンの熱帯雨林は、毎年四国の1.5倍という恐ろしい勢いで消失しつつあるという。
それは、現地の人たちが、焼き畑農業などで生計を立てるしかないという状況があるからで、こうした現実を放置しておけば、地球からCO2 を酸素に変える機能がなくなってしまう、と楡さんは恐れる。

だから、そのアマゾンの “焼かれていく土地” をサトウキビ畑に変え、そこにエタノール工場をつくるというのが、楡さんの構想なのだ。
これらの農場と工場を整備することによって、現地の人たちの雇用を創出し、焼き畑をしなくてもいいような生活環境を整える。
そのことによって、酸素の発生量を確保し、同時にエタノール・ハイブリッド車の力でCO2 を削減する。
それが、エコカーの 「最終回答」 だと、楡さんはいう。
エタノールをつくる際に必要となる熱や電力は、副産物であるサトウキビの搾りカスを燃やしてつくる。
だから、無駄も出ない。
また、EVを普及させるためのインフラ整備には、巨額の予算が必要となるが、エタノールならば、既存のガソリンスタンドを多少改良するだけで使えるので、インフラ整備のコストもかからない。
そのような話を聞くと、何から何まで “良いことづくめ” のように思えるエタノールだが、はて、そのようなシナリオがスムースに進展していくものなのかどうか。
次世代のクルマが 「エコカー」 になっていく未来図だけははっきりしているが、それがどのような形のものになっていくかは、まだ予断を許さないといった状況のようだ。
ハイブリッド車に力を入れているトヨタなども、 「ハイブリッドならばEVに移行するのも簡単」 という理屈を打ち出し、次世代カーがEVに集約されていくという “未来図” を否定していない。
しかし、作家の楡周平さんは、 「究極のエコカーは植物由来のエタノールで走るハイブリッド車である」 といってはばからない (週刊朝日1月22日号) 。
楡さんは、 『ゼフィラム』 というエコカー開発競争をテーマにした小説を上梓したばかりだが、その小説を書くために取材したデータを総合すると、 「EVが究極のエコカーだ」 という判断には疑問符がつくという。
なぜなら、 「EVはドライバーにとってはCO2 を出さないクルマのように思えるが、それを駆動するための電力供給を考えると、全体としては膨大な発電量を必要とし、決してCO2 を減らすことにはならない」 …からだという。
全世界のCO2 排出量のうち、発電によるものは46パーセントを占める。
それは、水力発電や原子力発電などよりも、圧倒的に火力発電の割合が大きいからだ。
このような状況を放置している限り、EVが最終的なエコカーだとは断言できないと、楡さんはいう。
では、何がベストかというと、それが 「サトウキビを原料としたエタノールで走るハイブリッド車」 なのだそうだ。
エタノールは、4年ほど前にガソリンの代替燃料として脚光を浴びて以来、ブラジルで実用化に踏み切られたほか、アメリカでもエタノールを含む混合燃料を使えるクルマが販売されるなど、一時は “脱石油” 時代の救世主のように扱われたことがある。
しかし、基本的に農作物に頼る燃料であるがゆえに、食糧供給とバッティングするおそれもあり、地球人口が増えるにしたがって、エタノールの量産は食糧危機につながるのではないかと警戒する声も出てきた。
そのため、ガソリンの代替エネルギーとしては、一歩引いた感じではあったが、楡さんはそれでもエタノールを推奨する根拠を、次のように述べる。
まず、サトウキビからエタノールを産出する方法がなぜいいかというと、サトウキビが成長するときに生じる光合成によって、CO2 を吸収して酸素に戻す効果が期待できるからだという。
「いまはCO2 の排出削減ばかりに目がいっていますが、一方でCO2 を酸素に変える植物が急激に減っているという現実があります。
排出削減だけでなく、同時にCO2 を酸素に戻す循環サイクルを立て直さないと、ザルで水をすくうようなものになってしまう」
と、楡さんは語る。
現在、世界のCO2 の大きな吸収源となっている南米アマゾンの熱帯雨林は、毎年四国の1.5倍という恐ろしい勢いで消失しつつあるという。
それは、現地の人たちが、焼き畑農業などで生計を立てるしかないという状況があるからで、こうした現実を放置しておけば、地球からCO2 を酸素に変える機能がなくなってしまう、と楡さんは恐れる。
だから、そのアマゾンの “焼かれていく土地” をサトウキビ畑に変え、そこにエタノール工場をつくるというのが、楡さんの構想なのだ。
これらの農場と工場を整備することによって、現地の人たちの雇用を創出し、焼き畑をしなくてもいいような生活環境を整える。
そのことによって、酸素の発生量を確保し、同時にエタノール・ハイブリッド車の力でCO2 を削減する。
それが、エコカーの 「最終回答」 だと、楡さんはいう。
エタノールをつくる際に必要となる熱や電力は、副産物であるサトウキビの搾りカスを燃やしてつくる。
だから、無駄も出ない。
また、EVを普及させるためのインフラ整備には、巨額の予算が必要となるが、エタノールならば、既存のガソリンスタンドを多少改良するだけで使えるので、インフラ整備のコストもかからない。
そのような話を聞くと、何から何まで “良いことづくめ” のように思えるエタノールだが、はて、そのようなシナリオがスムースに進展していくものなのかどうか。
次世代のクルマが 「エコカー」 になっていく未来図だけははっきりしているが、それがどのような形のものになっていくかは、まだ予断を許さないといった状況のようだ。
2010年01月21日
RVの広報とは
昨日、あるキャンピングカーメーカーの広告デザインと広報を担当をされている方と、昼食をともにする機会があった。
話題が、キャンピングカー業界の広報のあり方というテーマになった。
仕事でヨーロッパを訪れる機会の多い方なので、向こうでは、キャンピングカーがいかに人々の生活と密着しているかという話を教えていただくことができた。
休暇制度の問題、都市開発の問題、教育の問題。
切り口は多様な方向に広がったが、話の中で見えてきたのは、日本にはまだキャンピングカーを 「文化」 として捉える視点が確立されていないということだった。
キャンピングカーが 「文化」 として根づくということは、キャンピングカーが人間の暮らし方に与える影響とか、社会の中で果たす役割などといったものが、ことさら宣伝したり、啓蒙したりしなくても、自然に浸透している状態を指す。
つまり、メーカーやメディアが、 「キャンピングカーっていいよぉ!」 と強調しなくても、 「そんなこと分かってらぁ」 と、みんなが思っている社会が自然にできあがっていることを意味する。
歴史の違い、といってしまえば、それまでかもしれない。
欧米では、キャンピングカーの歴史が乗用車の歴史とほぼ同時にスタートしたのに比べ、日本のキャンピングカーの歴史は、その半分程度でしかない。
人々の生活を潤す道具というのは、時間が経過すればするほど社会の中にも浸透し、その意義やら効能が、 「文化」 として人々の暮らしの中に定着する。
そういう社会では、ことさら “キャンピングカーの意義” などを強調しなくても、各部品の機能部分の優劣だけを論じるようなクールなジャーナリズムが成立する余地がある。
しかし、日本のキャンピングカーは、まだ 「文化」 として成熟していないから、今は 「みんなみんな! こっち見てぇ!」 というホットな 「広報」 が必要なんだ…という方向に話が進んだ。
ただ、キャンピングカー業界やメディアが、キャンピングカーの意義や効能を宣伝していれば、それだけで普及していくのか? というと、それだけでは足りない…というふうに、話の方向が新しい角度に向けて舵を切った。
やはり、それはインフラ整備や都市計画などとも無関係ではない。
キャンピングカーに乗っている人たちが、 「これはいい道具だよ」 と納得しても、その “いい道具” を活用し切れるほど、今の日本のインフラ整備が進んでいるかというと、とてもじゃないが、満足できるレベルに達していない。
「ヨーロッパはそこが違う」 と、その人は言う。
ひとつは、都市型キャンプ場の整備という発想が日本にはない。
パリ郊外には、地方からキャンピングカーでロングバケーションを楽しむために集まってくるキャンプ場などがしっかり整備されていて、キャンプ場の前にある駅から地下鉄に乗れば、2駅か3駅ほどでオペラ座に着く。
ドイツなどでは、古城めぐりを楽しむ地方からのキャンピングカーユーザーを想定して、無料で、長時間クルマを止めておける広い駐車場が確保されている。
もちろん、キャンピングカーユーザーの便宜を図るインフラが整備されるかどうかは、キャンピングカーの普及度がモノをいう。絶対数が少なければ、一部の利用者がどのように声を張り上げても、それは 「ニーズ」 として認められない。
しかし、欧米では、行政が率先してキャンピングカーユーザーの便宜を先取りするような形で、インフラ整備を進めてきたことも事実なのだ。
それは、 「観光産業の育成」 という、しっかりした国家的目標が確立されていたからだ。
だから、日本のキャンピングカー業界の広報のあり方として、これからは、ユーザー層にターゲットを当てるだけではなく、行政にも認めてもらえるような、一段進化したものでなければならない、という話になった。
つまり、今後は、新しい都市開発の基本計画に、キャンピングカーユーザーのニーズを取り込んでもらえるような資料やらデータを揃えて、行政にしっかり提出できるかどうか。
そして、そのようなインフラを実現することが、地域の観光産業や地場産業を活性化させることにつながることを、どう実証できるか。
そのようなことを行政に理解してもらえるだけの実態調査と理論構築が必要。
キャンピングカー業界も、そろそろそういう研究やデータ取りを始めなければならない時期に差し掛かっている。
昼食の後のコーヒータイムでは、そんな話になった。
雑談になったとき、ヨーロッパの町造りの話になり、やはり、ここでも塩野七生さんの著書に話が飛んだ。
ちょっと驚いた。
実は、昨年の暮れ、やはりあるキャンピングカー販売店の社長さんと話していて、塩野七生さんの話になったことがあったからだ。
つまり、ヨーロッパの都市開発や交通社会のモデルプランというのは、 「古代ローマからの贈り物」 だと年末にお会いした社長さんは語られたのである。

もちろん、それは塩野七生さんの 『ローマ人の物語』 (全15冊) を読まれた感想からきたものであった。
古代ローマが、地中海をぐるりと囲む大帝国を建設したときに、まず一番最初に手をつけたのはインフラ整備だった。
それが道路であり、公共の建築物だった。
彼らが征服地の異民族に教えたものは、 「都市計画」 だったのだ。
古代ローマ帝国が各民族に伝えた理念は、宗教でもなく、政治哲学でもなく、町と道路の造り方であったということは、要するに、彼らの統合理念には、物質的な裏付けがあったということである。
ヨーロッパ人たちが、自分たちの文化に自信を持っているのは、キリスト教の絶対性とか、近代合理主義の普遍性に対する信仰があるからだけではない。
「自分たちの暮らし方こそ、万人の幸せにつながる」
という現実的な手応えを、都市計画の成功から信じられたからである。
それこそ、ローマ帝国の遺産である。
……というような話を、昨年の暮れ、あるキャンピングカー販売店の社長さんと交わしたことがあった。
昨日、昼食をともにした方も、似たような視点で、ヨーロッパの都市計画と交通事情を語られた。
聞くと、その方も塩野七生の大ファンであると言う。
キャンピングカー業界で 「塩野七生を好きだ」 という方に、この短い期間の中で、2人もお会いしたことになる。
話題が、キャンピングカー業界の広報のあり方というテーマになった。
仕事でヨーロッパを訪れる機会の多い方なので、向こうでは、キャンピングカーがいかに人々の生活と密着しているかという話を教えていただくことができた。
休暇制度の問題、都市開発の問題、教育の問題。
切り口は多様な方向に広がったが、話の中で見えてきたのは、日本にはまだキャンピングカーを 「文化」 として捉える視点が確立されていないということだった。
キャンピングカーが 「文化」 として根づくということは、キャンピングカーが人間の暮らし方に与える影響とか、社会の中で果たす役割などといったものが、ことさら宣伝したり、啓蒙したりしなくても、自然に浸透している状態を指す。
つまり、メーカーやメディアが、 「キャンピングカーっていいよぉ!」 と強調しなくても、 「そんなこと分かってらぁ」 と、みんなが思っている社会が自然にできあがっていることを意味する。
歴史の違い、といってしまえば、それまでかもしれない。
欧米では、キャンピングカーの歴史が乗用車の歴史とほぼ同時にスタートしたのに比べ、日本のキャンピングカーの歴史は、その半分程度でしかない。
人々の生活を潤す道具というのは、時間が経過すればするほど社会の中にも浸透し、その意義やら効能が、 「文化」 として人々の暮らしの中に定着する。
そういう社会では、ことさら “キャンピングカーの意義” などを強調しなくても、各部品の機能部分の優劣だけを論じるようなクールなジャーナリズムが成立する余地がある。
しかし、日本のキャンピングカーは、まだ 「文化」 として成熟していないから、今は 「みんなみんな! こっち見てぇ!」 というホットな 「広報」 が必要なんだ…という方向に話が進んだ。
ただ、キャンピングカー業界やメディアが、キャンピングカーの意義や効能を宣伝していれば、それだけで普及していくのか? というと、それだけでは足りない…というふうに、話の方向が新しい角度に向けて舵を切った。
やはり、それはインフラ整備や都市計画などとも無関係ではない。
キャンピングカーに乗っている人たちが、 「これはいい道具だよ」 と納得しても、その “いい道具” を活用し切れるほど、今の日本のインフラ整備が進んでいるかというと、とてもじゃないが、満足できるレベルに達していない。
「ヨーロッパはそこが違う」 と、その人は言う。
ひとつは、都市型キャンプ場の整備という発想が日本にはない。
パリ郊外には、地方からキャンピングカーでロングバケーションを楽しむために集まってくるキャンプ場などがしっかり整備されていて、キャンプ場の前にある駅から地下鉄に乗れば、2駅か3駅ほどでオペラ座に着く。
ドイツなどでは、古城めぐりを楽しむ地方からのキャンピングカーユーザーを想定して、無料で、長時間クルマを止めておける広い駐車場が確保されている。
もちろん、キャンピングカーユーザーの便宜を図るインフラが整備されるかどうかは、キャンピングカーの普及度がモノをいう。絶対数が少なければ、一部の利用者がどのように声を張り上げても、それは 「ニーズ」 として認められない。
しかし、欧米では、行政が率先してキャンピングカーユーザーの便宜を先取りするような形で、インフラ整備を進めてきたことも事実なのだ。
それは、 「観光産業の育成」 という、しっかりした国家的目標が確立されていたからだ。
だから、日本のキャンピングカー業界の広報のあり方として、これからは、ユーザー層にターゲットを当てるだけではなく、行政にも認めてもらえるような、一段進化したものでなければならない、という話になった。
つまり、今後は、新しい都市開発の基本計画に、キャンピングカーユーザーのニーズを取り込んでもらえるような資料やらデータを揃えて、行政にしっかり提出できるかどうか。
そして、そのようなインフラを実現することが、地域の観光産業や地場産業を活性化させることにつながることを、どう実証できるか。
そのようなことを行政に理解してもらえるだけの実態調査と理論構築が必要。
キャンピングカー業界も、そろそろそういう研究やデータ取りを始めなければならない時期に差し掛かっている。
昼食の後のコーヒータイムでは、そんな話になった。
雑談になったとき、ヨーロッパの町造りの話になり、やはり、ここでも塩野七生さんの著書に話が飛んだ。
ちょっと驚いた。
実は、昨年の暮れ、やはりあるキャンピングカー販売店の社長さんと話していて、塩野七生さんの話になったことがあったからだ。
つまり、ヨーロッパの都市開発や交通社会のモデルプランというのは、 「古代ローマからの贈り物」 だと年末にお会いした社長さんは語られたのである。
もちろん、それは塩野七生さんの 『ローマ人の物語』 (全15冊) を読まれた感想からきたものであった。
古代ローマが、地中海をぐるりと囲む大帝国を建設したときに、まず一番最初に手をつけたのはインフラ整備だった。
それが道路であり、公共の建築物だった。
彼らが征服地の異民族に教えたものは、 「都市計画」 だったのだ。
古代ローマ帝国が各民族に伝えた理念は、宗教でもなく、政治哲学でもなく、町と道路の造り方であったということは、要するに、彼らの統合理念には、物質的な裏付けがあったということである。
ヨーロッパ人たちが、自分たちの文化に自信を持っているのは、キリスト教の絶対性とか、近代合理主義の普遍性に対する信仰があるからだけではない。
「自分たちの暮らし方こそ、万人の幸せにつながる」
という現実的な手応えを、都市計画の成功から信じられたからである。
それこそ、ローマ帝国の遺産である。
……というような話を、昨年の暮れ、あるキャンピングカー販売店の社長さんと交わしたことがあった。
昨日、昼食をともにした方も、似たような視点で、ヨーロッパの都市計画と交通事情を語られた。
聞くと、その方も塩野七生の大ファンであると言う。
キャンピングカー業界で 「塩野七生を好きだ」 という方に、この短い期間の中で、2人もお会いしたことになる。
2010年01月20日
ローマで語る
また、本買っちゃったぁ。
カネもないというのに。
読む時間もないというのに。
机の上には、読んでもいないような本がどんどん 「バベルの塔」 みたいに積み重なっていく。
今日買ったのは、この2冊。
『日本の難点』 宮台真司 (幻冬舎新書)
『ローマで語る』 塩野七生×アントニオ・シモーネ (集英社)
本を買うときは、事前にレビューなど読んで、めぼしをつけて書店に行くこともあるけれど、ほとんど店頭で “出会い頭の事故” みたいに買ってしまうことが多い。
手にとってみて、買うか買わないを決める目安は、まずランダムにページをめくってみて、自分のハートにビシッと届くフレーズがあるかどうか。
たまたま開いたページなんだけど、この2冊は “ビビビッ” と来るものがあった。
宮台さんの本を買うのははじめて。
雑誌などでは、よく目にする人だけど、いまいちどういう人なのか分からなかった。
でも、この人の本を手にとってみたら、
「これオモシロソー!」
と思ったフレーズが出てきたのだ。
「僕は自分が昔ナンパ師をしていた縁で、ナンパカメラマン (ハメ撮りカメラマン) とはほぼ全員顔見知りでした。
その僕が断言しますが、彼らの中にいわゆるイケメンは一人もいませんでした。
理由は簡単。女性はナンパの現場ではむしろ二枚目を警戒します。
鬼畜なんじゃないかと (笑) 。
ナンパ師に多いのはイケメンタイプじゃなく、人畜無害なタイプです」
…ってなことを言う人なのかぁ。
と、宮台さんに対して、一気に興味…というか、親近感が湧いた。
「人間界 (人倫の世界) では因果性の帰属ではなく、選択性の帰属によって、主体=自己決定性が認定される」 …みたいなことばかり言う人かと思っていたから。
東浩紀さんと並んで、時の人である。
1冊ぐらい読んでみよう。
もう1冊は、歴史読み物の大御所・塩野七生さんと、アントニオ・シモーネさんという若き映画人との対談集。
パッと見て、 「ちょっと作りが軽そうだなぁ…」 と思ったけれど、手にとってみて、驚いた。
対談の相手は、塩野さんの息子さんだったのだ。
で、パラパラと拾い読み。
けっこういい感じ。
決して “親バカ” 対談になっていない。
対談というよりも、あの塩野さんがインタビュアーとなって、映画のプロに、その作品の意味やら意義やら、見どころなどを取材している感じなのだ。
しかし、その質問は鋭い。
塩野さんもまた、映画にはうるさい人だからだ。
ところが、さすが塩野女史の息子さんである。
映画の観方に筋が通っている。
たとえば、ルキノ・ヴィスコンティの 『地獄に堕ちた勇者ども』 。
アントニオ君は、こういう。
「この映画では、ナチの将校たちの服が、単純に美的に決まっている。
ボクは思うんですが、ナチに関することはすべて醜悪として決めつけるのでは、もうボクたちの世代は納得しないのではないか。
美しいことは美しい、と認めたうえでナチズムと対決したほうがよいのではないかと思うのです。
ナチの将校服は、どこの国のものよりも美的に優れているのは事実なんですから。
それに、人間にとってほんとうに危険な存在は、醜い悪魔よりも美しい悪魔であることは、キリスト教でも認めている」
タブーに対して、ずばりと踏み込んでいく勇気。
バランス感覚に富んだ判断力。
塩野さんの分身を見ているようだと思った。
もちろん、そこのところを、パラっと拾い読みしただけで、すぐレジへ。
塩野家のことは、詳しくは知らないのだけれど、確か、お医者さんである旦那さんとは離婚していると思った。
つまり、彼女はその後シングルマザー。
なのに…というか、だからこそ…というべきか、お互いが同じ境遇を生きる 「同志」 として、親子を超えた知性人同士の対話が成立していると思った。
塩野さんに、最初に取材を申し込んだのは、もう20年ぐらい前のことになる。
当時、トヨタ自動車のPR雑誌を編集していて、発表されたばかりの 「セルシオ・デビュー記念号」 をつくることになった。
なにせ、トヨタが欧州高級車と肩を並べる “高級車” をはじめて世に出すわけだ。
「気合を入れた1冊をつくってほしい」
と広報部から言われていた。
編集会議の席上、 「高級とは何か? というテーマで、超有名人にエッセイを書いてもらうことにしよう」 と決まった。
そのとき頭にすぐ浮かんだのが、塩野七生さんだった。
で、意を決して、塩野さんに原稿を頼むことにした。
当時、彼女はまだローマではなく、フィレンツェを活動拠点にしていた。
電話をかけて、ルルルルルっとコールが鳴って、とにかく人が出たから、
「ミセスシオノ、プリーズ」
と言ってみた。
すると、 「ハイ」 という日本語。
いきなりご本人が出てきてビックリした。
で、こちらは自動車会社のPR誌の編集部だけど、今度 “高級車” を出すので、高級とは何かというテーマで原稿を書いてくれないか、と断られることを覚悟で、頼んでみた。
「原稿はダメ」 と言われたが、結局塩野さんとお会いできたのは、テーマが 「自動車」 だったからだ。
ちょうど、息子さん (先ほどのアントニオ君) が免許を取る年頃になったのだという。
「だから、どんなクルマを選べば良いのか、日本でクルマに詳しい人がいたら、尋ねてみたいと思っていたところなの。
そういう人との対談ならいいわよ」
やったぜぇ!
天にも昇る気持ちとは、このことかと思った。
で、彼女が対談の相手として指定してきたのが、 『間違いだらけの車選び』 で一世を風靡した徳大寺有恒さんだった。
これもラッキーだった。
ちょうどその頃、うちの会社で、徳大寺さんの 『ダンディー・トーク』 というエッセイ集を刊行したばっかりだったからだ。
この本は、われわれの制作していたPR誌の連載をまとめたもので、クルマよりも、ファッション、ライフスタイル、音楽などをテーマにしたエッセイ集だった。
それを、徳さんがちょっと “ダンディー” に語る。
連載中から好評で、徳大寺氏の新しい境地を開いたものとして、業界的にも話題になった読み物だった。
さっそく塩野さんのいるフィレンツェに、その 『ダンディー・トーク』 という本を送ることを約束し、日程の調整に入った。
対談の場は、塩野さんが来日したときの定宿である、銀座の 「帝国ホテル」 。
いちおう部屋としてはスィートを予約した。
当日の徳大寺さんが素敵だった。
ダークグレイのディナージャケットに、ピンクのシルクのタイ。
同色のポケットチーフ、薄いグレーのペンシルストライプのスラックス。
「これ、塩野さんと会うと思って、急いで作らせたんだが、おとといやっと間にあったんだ」
どうだい似合うかい? といった感じで、ちょっと照れて、笑う。
そんな少年ぽいところが徳さんにあって、実にほほえましい。
待つこと10分。
「突然」 といった感じで、部屋の入り口に塩野さんがふぁっと現れた。
妖精のような現れ方だった。
ケープを身にまとっている。
すっごく素敵である。
すかさず徳さん、塩野さんの肩からケープを取って、ダンディーな紳士ぶりを発揮した。
はたで聞いていても、楽しい対談だった。
ただ、まとめるのに苦労した。
話題は 「高級車」 をはるかに離れ、ローマ帝国の発展の秘密、ルネッサンスの意味、イタリア人の気質といったように、めまぐるしいほど変転していったからだ。
まさに、塩野ワールド全開であった。
後日、
「対談をまとめた原稿をチェックしてほしいのだが…」
と、フィレンツェに電話をかけとき、
「見なくていいわよ、別に…。
私は徳大寺さんという人と会ってみて、信用のおける人だと判断しましたから、原稿に関しては、徳大寺さんがOKを出されたら、私の方もOKということにします」
という返事だった。
度量の大きい人だった思った。
結局、その原稿は、塩野さんのチェックを受けずに雑誌に載った。
それが、彼女の意にかなった原稿だったのかどうか、いまだにちょっと自信がない。
徳大寺さんが、 「いいよ!」 と明るく答えてくれたことだけが、せめてもの救いだった。
肝心の、息子さんのクルマ選び。
対談後の雑談で、そこに話が及んだが、徳大寺さんが何と答えたか、実はあまり記憶がない。
アウトビアンキだったか、フィアット・パンダだったか。
フェラーリ、マセラッティ系でないことだけは確かだ。

アントニオ・シモーネ君が、実際にどんなクルマを選んだかは、知らない。
しかし、塩野さんとアントニオ君の対談集を手にとって、真っ先に思い出したのは、そのことだった。
2010年01月19日
パワースポット
「パワースポット」 が、かなり脚光を浴びている。
今年の正月明け、芸能界の大物同士のカップルが、米国アリゾナのセドナで極秘デートを楽しんでいたことが話題になったが、そのセドナがネイティブアメリカンの聖地として有名な 「パワースポット」 だったからだ。
パワースポットとは、その場所に入ると 「不思議な霊力が心身に広がり、パワーがみなぎってくる」 場所のことをいう。別名 「スピリチュアル・スポット」 。
2007年に、レンタルモーターホームで米国アリゾナ州、ユタ州などを回ったことがあった。
当初のスケジュールには 「セドナ行き」 も含まれていたが、日程の調整がつかず、セドナは諦めた。
今から思うとちょっと残念である。
テレビで紹介されたセドナは、神秘的な光景に包まれた不思議な感触を伝える土地柄に思えた。行けばなにがしかの感応を得られたかもしれない。
芸能界経由で話題性を集めた 「パワースポット」 だが、このブームは、別に今に始まったことではない。
すでに7~8年ほど前から、女性向けの旅行企画では、このような場所を組み込んだツァーの人気が高まっていることが知られていた。
そのような場所の人気が高まってきたことが確認されたのは、女性誌の連載がきっかけだったらしい
当時、マガジンハウスの女性誌 『Hanako WEST』 の編集長を務めていた北脇朝子さんは、日本のパワースポットをめぐる紀行 「スピリチュアル・トラベル」 を2003年から1年間連載した。
北脇さんは、都会の喧噪を離れて神社仏閣を回ると、 「気持ちが浄化され、何か“気”のようなものがチャージされる」 という自らの体験を元に連載をはじめたのだが、連載が始まると、それを求める読者の反応が意外といいことに気がついたという。
当時は、エステ、温泉、風水、カウンセリングなど、女性たちが追い求める “癒し” が多様化していた時期。
パワースポットも、その流れに乗ったのだ。
その風潮を採り上げた、あるメディアの記事では、
「 『パリにも行ったし、沖縄にも行った。週末の京都にも飽きた』 という旅行好きの “負け犬” が目新しさを感じているのだろう」
と分析されていた。
「負け犬」 という言葉が、今となってはもう時代を感じる。
今だったら 「婚活」 に励んでいそうな女性が、やるせない独り身の時間をつぶすときの旅行イメージを記者氏は思い描いていたのかもしれない。
その時代、パワースポットとして取り上げられていた場所は、海外ではペルーのマチュピチュ、アメリカのセドナ、イギリスのストーンヘンジ、オーストリアのエアーズロックなど、原住民文化が色濃く残る場所や、謎の多い古代の遺跡群だった。
国内では、山形の月山、富士山、伊勢神宮、三重県の熊野地方、鹿児島の屋久島、沖縄の斎場御嶽・久高島などが挙げられた。
その後いくつかの候補地がつけ加えられたかもしれないが、基本的にこれらのパワースポットは、現在も変わらないのではなかろうか。
パワースポットを体験したことのある女優さんによると、 「バリとかスペインのイビサに行くと、大地の力が自分の中を駆け抜けていくような、電気が走るような感覚になる」 という。
また、 「エベレストのふもとでは、 “大地のゆりかご” ともいえるような、ふわんとした感覚を味わったし、沖縄の海では、海の微生物が体中の毛穴から入ってきて、悪いところを治してくれるという感覚があった」 とも。
「ある場所には霊力がある」
という発想は、人類が古来より思い抱いていたに違いない。
それを、現代社会に復活させたのは、60年代の終わりに米国で起きたヒッピー文化だったという。
その文化が日本に伝わる中で、70年代から90年代はじめにかけて、自己啓発セミナーやチャネリングといった 「精神世界」 をテーマにする出版物や愛好家集団のイベントとして浸透していった。
それが、江原啓之氏が繰り広げるような、現在のスピリチュアルブームにまでつながっていく。
作家の荒俣宏さんは、
「誰もが認めるようなパワースポットというのは、その場所の物理的な状況の上に、人間の文化が重なっている」
と、かつて語った (AERA 2005年10月31号) 。
「エルサレムのゴルゴダの丘も、人が口づけをしたり、跪いたりしているのを見ているうちに、特別な力のある場所だと思えてくる」 …のだとか。

▲ パワースポットとしての資格も十分、アメリカのモニュメントバレー
ナバホ族の聖地
同誌のなかで、臨床心理学者の河合隼雄さんは、 「今の人間は “大地の力” を感じる場所から遠ざけられた生活をしているからだろう」 とブームを分析する。
ネイティブアメリカンのナバホ・ネーションなどを訪れると、 「そこには魂の風景が広がっている」 と河合さんは感じるそうだ。
近代科学的世界観は、そういう 「大地を感じる風景」 を無視してきた。
その反動が、現代人のパワースポットへの思いを強くさせているのではないかという。
芸能レポーターの梨元勝さんは、芸能界にパワースポットに惹かれるタレントが多いことを、次のように分析する。
「芸能人がスピリチュアルに惹かれるのは、それだけ芸能界が不安定だからである」 (週刊朝日2010年1月29日号) 。
彼はいう。
「歌がずば抜けてうまい、演技抜群といわれても、即スターになれるとは限らない。チャンスも必要だし、人脈も重要だ。
いってみれば、 “偶然 (フロック) ” の世界なのだ。
スターになっても、いつ、その座が脅かされるか分からない。
これも、トップで活躍する者の不安感につながる」
だから、精神面へのパワーや、自分では分からない判断などを、彼らは “スピリチュアル” に求める。
梨元さんの分析は、あくまでも芸能人のみを対象にしたものだが、このような 「漠たる不安」 が増大する傾向は、一般社会にも相当浸透しているような気する。
私自身は、霊感が乏しい性格のため、たぶん 「パワースポット」 と呼ばれる場所に着いても、そんなにパワーがもらえないのではないかという気がしている。
しかし、有名でも何でもない場所に、ときどき “異次元の空気” を感じることがある。
それは 「パワーがみなぎる」 というのとは少し違って、 「ここに人間が入ってはいけないのではないか?」 という 《畏れ》 のようなものとして感知される。
何が、そのような気持ちにさせるのかは、よく分からない。
たぶん、きっかけは単純なものだ。
それは 「霊感」 のようなものではなく、昔どこかで観て、何かを感じた映画や絵画の記憶のようなものが甦っているのではないかという気がしている。
あるいは、小説などを読んだときに浮かんだ情景が、現実の世界に投影されていることもありうる。
昔、キャンピングカーの旅の途中、山奥で、渇水して乾上がった湖を眺めたことがあった。
青々とした樹木が生えている一線を超えると、その下に、生の気配の枯れた荒れた地層がむき出しになって、湖底の方に傾斜していた。

それを見て、実際には行ったことも、見たこともない、予言者がさまよう旧約聖書の中に出てきそうな 「荒野」 を感じた。
大げさにいえば、日常生活では感じることのない 「超越的な気配」 をかぎ取った。
そこでPキャン (←死語!) をもくろんでいた私は、急いで車外に出した椅子とテーブルをしまい込み、そそくさとその地を後にした。
「聖なる地」 を汚してはならないという、 《畏れ》 に近い気分に襲われたからだ。
それ以来、パワースポットは、それぞれの個人に応じた形で、さまざまな場所に出現すると思うようになった。
今年の正月明け、芸能界の大物同士のカップルが、米国アリゾナのセドナで極秘デートを楽しんでいたことが話題になったが、そのセドナがネイティブアメリカンの聖地として有名な 「パワースポット」 だったからだ。
パワースポットとは、その場所に入ると 「不思議な霊力が心身に広がり、パワーがみなぎってくる」 場所のことをいう。別名 「スピリチュアル・スポット」 。
2007年に、レンタルモーターホームで米国アリゾナ州、ユタ州などを回ったことがあった。
当初のスケジュールには 「セドナ行き」 も含まれていたが、日程の調整がつかず、セドナは諦めた。
今から思うとちょっと残念である。
テレビで紹介されたセドナは、神秘的な光景に包まれた不思議な感触を伝える土地柄に思えた。行けばなにがしかの感応を得られたかもしれない。
芸能界経由で話題性を集めた 「パワースポット」 だが、このブームは、別に今に始まったことではない。
すでに7~8年ほど前から、女性向けの旅行企画では、このような場所を組み込んだツァーの人気が高まっていることが知られていた。
そのような場所の人気が高まってきたことが確認されたのは、女性誌の連載がきっかけだったらしい
当時、マガジンハウスの女性誌 『Hanako WEST』 の編集長を務めていた北脇朝子さんは、日本のパワースポットをめぐる紀行 「スピリチュアル・トラベル」 を2003年から1年間連載した。
北脇さんは、都会の喧噪を離れて神社仏閣を回ると、 「気持ちが浄化され、何か“気”のようなものがチャージされる」 という自らの体験を元に連載をはじめたのだが、連載が始まると、それを求める読者の反応が意外といいことに気がついたという。
当時は、エステ、温泉、風水、カウンセリングなど、女性たちが追い求める “癒し” が多様化していた時期。
パワースポットも、その流れに乗ったのだ。
その風潮を採り上げた、あるメディアの記事では、
「 『パリにも行ったし、沖縄にも行った。週末の京都にも飽きた』 という旅行好きの “負け犬” が目新しさを感じているのだろう」
と分析されていた。
「負け犬」 という言葉が、今となってはもう時代を感じる。
今だったら 「婚活」 に励んでいそうな女性が、やるせない独り身の時間をつぶすときの旅行イメージを記者氏は思い描いていたのかもしれない。
その時代、パワースポットとして取り上げられていた場所は、海外ではペルーのマチュピチュ、アメリカのセドナ、イギリスのストーンヘンジ、オーストリアのエアーズロックなど、原住民文化が色濃く残る場所や、謎の多い古代の遺跡群だった。
国内では、山形の月山、富士山、伊勢神宮、三重県の熊野地方、鹿児島の屋久島、沖縄の斎場御嶽・久高島などが挙げられた。
その後いくつかの候補地がつけ加えられたかもしれないが、基本的にこれらのパワースポットは、現在も変わらないのではなかろうか。
パワースポットを体験したことのある女優さんによると、 「バリとかスペインのイビサに行くと、大地の力が自分の中を駆け抜けていくような、電気が走るような感覚になる」 という。
また、 「エベレストのふもとでは、 “大地のゆりかご” ともいえるような、ふわんとした感覚を味わったし、沖縄の海では、海の微生物が体中の毛穴から入ってきて、悪いところを治してくれるという感覚があった」 とも。
「ある場所には霊力がある」
という発想は、人類が古来より思い抱いていたに違いない。
それを、現代社会に復活させたのは、60年代の終わりに米国で起きたヒッピー文化だったという。
その文化が日本に伝わる中で、70年代から90年代はじめにかけて、自己啓発セミナーやチャネリングといった 「精神世界」 をテーマにする出版物や愛好家集団のイベントとして浸透していった。
それが、江原啓之氏が繰り広げるような、現在のスピリチュアルブームにまでつながっていく。
作家の荒俣宏さんは、
「誰もが認めるようなパワースポットというのは、その場所の物理的な状況の上に、人間の文化が重なっている」
と、かつて語った (AERA 2005年10月31号) 。
「エルサレムのゴルゴダの丘も、人が口づけをしたり、跪いたりしているのを見ているうちに、特別な力のある場所だと思えてくる」 …のだとか。
▲ パワースポットとしての資格も十分、アメリカのモニュメントバレー
ナバホ族の聖地
同誌のなかで、臨床心理学者の河合隼雄さんは、 「今の人間は “大地の力” を感じる場所から遠ざけられた生活をしているからだろう」 とブームを分析する。
ネイティブアメリカンのナバホ・ネーションなどを訪れると、 「そこには魂の風景が広がっている」 と河合さんは感じるそうだ。
近代科学的世界観は、そういう 「大地を感じる風景」 を無視してきた。
その反動が、現代人のパワースポットへの思いを強くさせているのではないかという。
芸能レポーターの梨元勝さんは、芸能界にパワースポットに惹かれるタレントが多いことを、次のように分析する。
「芸能人がスピリチュアルに惹かれるのは、それだけ芸能界が不安定だからである」 (週刊朝日2010年1月29日号) 。
彼はいう。
「歌がずば抜けてうまい、演技抜群といわれても、即スターになれるとは限らない。チャンスも必要だし、人脈も重要だ。
いってみれば、 “偶然 (フロック) ” の世界なのだ。
スターになっても、いつ、その座が脅かされるか分からない。
これも、トップで活躍する者の不安感につながる」
だから、精神面へのパワーや、自分では分からない判断などを、彼らは “スピリチュアル” に求める。
梨元さんの分析は、あくまでも芸能人のみを対象にしたものだが、このような 「漠たる不安」 が増大する傾向は、一般社会にも相当浸透しているような気する。
私自身は、霊感が乏しい性格のため、たぶん 「パワースポット」 と呼ばれる場所に着いても、そんなにパワーがもらえないのではないかという気がしている。
しかし、有名でも何でもない場所に、ときどき “異次元の空気” を感じることがある。
それは 「パワーがみなぎる」 というのとは少し違って、 「ここに人間が入ってはいけないのではないか?」 という 《畏れ》 のようなものとして感知される。
何が、そのような気持ちにさせるのかは、よく分からない。
たぶん、きっかけは単純なものだ。
それは 「霊感」 のようなものではなく、昔どこかで観て、何かを感じた映画や絵画の記憶のようなものが甦っているのではないかという気がしている。
あるいは、小説などを読んだときに浮かんだ情景が、現実の世界に投影されていることもありうる。
昔、キャンピングカーの旅の途中、山奥で、渇水して乾上がった湖を眺めたことがあった。
青々とした樹木が生えている一線を超えると、その下に、生の気配の枯れた荒れた地層がむき出しになって、湖底の方に傾斜していた。
それを見て、実際には行ったことも、見たこともない、予言者がさまよう旧約聖書の中に出てきそうな 「荒野」 を感じた。
大げさにいえば、日常生活では感じることのない 「超越的な気配」 をかぎ取った。
そこでPキャン (←死語!) をもくろんでいた私は、急いで車外に出した椅子とテーブルをしまい込み、そそくさとその地を後にした。
「聖なる地」 を汚してはならないという、 《畏れ》 に近い気分に襲われたからだ。
それ以来、パワースポットは、それぞれの個人に応じた形で、さまざまな場所に出現すると思うようになった。
2010年01月18日
主夫の仕事
例年この時期は、休日にも出勤し、場合によっては会社に泊まり込むことすらあるというのに、今年は休日には休みをしっかり取って、家にいる。
といっても、じっとしているわけではない。
カミさんのパジャマとか下着なんかを洗濯して、それを入院している病院に届け、代わりのものを引き取ってくる。
メールで、 「寿司のような酢飯が食べたい」 という伝言が入れば、それを街まで買いに行き、洗濯物と一緒に届ける。
なにしろ、極端に食欲が落ちている状態なので、 「モノを食べたい」 という連絡は、とても貴重な連絡なのだ。
寿司を買いに行く途中で、今度は、義母が入所している介護施設から、携帯に連絡が入る。
義母がレンタルしている車椅子がレンタル期間を過ぎて返却しなければならないということらしく、介護施設と相談して、代わりの車椅子をどう調達するか算段する。
買い物からいったん家に戻ると、昼飯の時間。
「少し野菜が足りないか…」 とか思って、昨日スーパーから買ってきたビニール袋に入った野菜のミジン切り袋から取り出して、肉野菜炒めのようなものを作る。
すぐに火を通すと水気が多くなるので、洗ってからザルに入れて、少し水気を落とす。
野菜炒めに取り掛かる前に、 「そうだ、パジャマを乾燥機にかけるだけでは雑菌が払拭しきれないだろう」 とか考えて、物干し竿にかけて日光消毒をする。
そうこうしているうちに、息子が救援部隊として、日曜の夜にまた家に来てくれるという連絡が入る。
ならば…ということで、夜のメニューはカレーを考えて、病院の帰りに材料を買ってくることにする。
カレーといったって、ただの中村屋のレトルト。
しかし、スーパーでカレー用の牛肉の角切りを買い、近くの 「オリジン弁当」 でジャーマンポテトを買って、肉とジャガイモを塩コショウで味つけをして、ルーの中に混ぜる。
それだけで、 「レストランの味」 。
これは私も息子も大好物なのだ。
頭の中が、コマネズミのようにくるくる回転していく。
身体も敏捷に動く。
それが、けっして嫌ではない。
家庭内の家事をすべて執り行うというほどのことではないが、そのような 「主夫業」 じみたものをあくせく果たしているうちに、今まで会社でこなしてきた 「仕事」 というものが、いかに “抽象的なもの” であったかということが、よく分かった。
仕事一途に邁進してきた旦那さんが、退職して家に閉じこもるようになると、現実生活の手がかりを失って、呆然としてしまう…というような話をよく聞くが、それは、そもそもサラリーマンのデスクワークというものが実生活とは縁のない抽象的なものに過ぎないのに、そこにリアリティを感じていたからではないのか?
もちろん、会社にいるときは、そのようなことにまったく気づかない。
むしろ、自分が日々こなしている 「仕事」 の方が、専業主婦などが執り行う 「家事」 よりも、はるかに生々しく、具体的なものであるかのように思う。
だけど、仕事を通じて顔を合わせているような人々というのは、やはり日常生活からは遠い。
クライアントの顔など思い浮かべて、 「いい仕事をすれば、あの人が喜んでくれるだろうな…」 とかいう具体的な手触りももちろん 「仕事」 にはあるけれど、日光消毒したふかふかのパジャマを一刻も早くカミさんに届けたというせっぱ詰まったような具体性には及ぶべくもない。
「家事」 というものは、常に 「家族」 という人類の最小単位の共同体からはみ出ることはない。
常に、日々肌を接しているような人間のためのものでしかない。
だからこそ逆に、目的も、行動自体も、けっこうリアル。
そして、相手が喜んでくれるときの表情なども、ものすごい具体性をもって、脳裡に刻まれる。
それに比べると、全世界を相手に儲けるような仕事であったとしても、それがデスクワークの場合は、やはり文字通り机上の出来事だ。
「家事」 というのは、それを期待してくれている人がいて、はじめて成り立つものだ。
たぶん、 「家事が面倒に思えてくる」 というのは、生活エネルギーが枯渇してきたときだろう。
「家族が喜んでくれる」 という手応えを失うと、人の生活エネルギーは枯渇する。
家事がおろそかになっている家庭というのは、その家事を担当している人間の責任だけではないかもしれない。
家事の恩恵を与っている人たちが、家事をこなしてくれる人のありがたみを感じないと、その家の構成員全員の生活エネルギーが枯渇するように思う。

「家事」 が一段落して、BSでNHKの 『龍馬伝』 を観る。
いいなぁ。
あまり期待していなかったけれど、見始めると、悪くない。
弱い龍馬。
学ぶ龍馬。
今までのスーパーヒーローと違う龍馬がいる感じ。
だけど、将来 “ドデカイことをしそうだ” という予兆を感じさせるシナリオ。
NHKはやっぱりドラマづくり、うまくなったんではないか?
昔の、アイドルだけ主役に抜擢していればこと足れりという、退屈な極彩色の絵巻物から脱皮したように思う。
『龍馬伝』 、案外イケルかも。
といっても、じっとしているわけではない。
カミさんのパジャマとか下着なんかを洗濯して、それを入院している病院に届け、代わりのものを引き取ってくる。
メールで、 「寿司のような酢飯が食べたい」 という伝言が入れば、それを街まで買いに行き、洗濯物と一緒に届ける。
なにしろ、極端に食欲が落ちている状態なので、 「モノを食べたい」 という連絡は、とても貴重な連絡なのだ。
寿司を買いに行く途中で、今度は、義母が入所している介護施設から、携帯に連絡が入る。
義母がレンタルしている車椅子がレンタル期間を過ぎて返却しなければならないということらしく、介護施設と相談して、代わりの車椅子をどう調達するか算段する。
買い物からいったん家に戻ると、昼飯の時間。
「少し野菜が足りないか…」 とか思って、昨日スーパーから買ってきたビニール袋に入った野菜のミジン切り袋から取り出して、肉野菜炒めのようなものを作る。
すぐに火を通すと水気が多くなるので、洗ってからザルに入れて、少し水気を落とす。
野菜炒めに取り掛かる前に、 「そうだ、パジャマを乾燥機にかけるだけでは雑菌が払拭しきれないだろう」 とか考えて、物干し竿にかけて日光消毒をする。
そうこうしているうちに、息子が救援部隊として、日曜の夜にまた家に来てくれるという連絡が入る。
ならば…ということで、夜のメニューはカレーを考えて、病院の帰りに材料を買ってくることにする。
カレーといったって、ただの中村屋のレトルト。
しかし、スーパーでカレー用の牛肉の角切りを買い、近くの 「オリジン弁当」 でジャーマンポテトを買って、肉とジャガイモを塩コショウで味つけをして、ルーの中に混ぜる。
それだけで、 「レストランの味」 。
これは私も息子も大好物なのだ。
頭の中が、コマネズミのようにくるくる回転していく。
身体も敏捷に動く。
それが、けっして嫌ではない。
家庭内の家事をすべて執り行うというほどのことではないが、そのような 「主夫業」 じみたものをあくせく果たしているうちに、今まで会社でこなしてきた 「仕事」 というものが、いかに “抽象的なもの” であったかということが、よく分かった。
仕事一途に邁進してきた旦那さんが、退職して家に閉じこもるようになると、現実生活の手がかりを失って、呆然としてしまう…というような話をよく聞くが、それは、そもそもサラリーマンのデスクワークというものが実生活とは縁のない抽象的なものに過ぎないのに、そこにリアリティを感じていたからではないのか?
もちろん、会社にいるときは、そのようなことにまったく気づかない。
むしろ、自分が日々こなしている 「仕事」 の方が、専業主婦などが執り行う 「家事」 よりも、はるかに生々しく、具体的なものであるかのように思う。
だけど、仕事を通じて顔を合わせているような人々というのは、やはり日常生活からは遠い。
クライアントの顔など思い浮かべて、 「いい仕事をすれば、あの人が喜んでくれるだろうな…」 とかいう具体的な手触りももちろん 「仕事」 にはあるけれど、日光消毒したふかふかのパジャマを一刻も早くカミさんに届けたというせっぱ詰まったような具体性には及ぶべくもない。
「家事」 というものは、常に 「家族」 という人類の最小単位の共同体からはみ出ることはない。
常に、日々肌を接しているような人間のためのものでしかない。
だからこそ逆に、目的も、行動自体も、けっこうリアル。
そして、相手が喜んでくれるときの表情なども、ものすごい具体性をもって、脳裡に刻まれる。
それに比べると、全世界を相手に儲けるような仕事であったとしても、それがデスクワークの場合は、やはり文字通り机上の出来事だ。
「家事」 というのは、それを期待してくれている人がいて、はじめて成り立つものだ。
たぶん、 「家事が面倒に思えてくる」 というのは、生活エネルギーが枯渇してきたときだろう。
「家族が喜んでくれる」 という手応えを失うと、人の生活エネルギーは枯渇する。
家事がおろそかになっている家庭というのは、その家事を担当している人間の責任だけではないかもしれない。
家事の恩恵を与っている人たちが、家事をこなしてくれる人のありがたみを感じないと、その家の構成員全員の生活エネルギーが枯渇するように思う。
「家事」 が一段落して、BSでNHKの 『龍馬伝』 を観る。
いいなぁ。
あまり期待していなかったけれど、見始めると、悪くない。
弱い龍馬。
学ぶ龍馬。
今までのスーパーヒーローと違う龍馬がいる感じ。
だけど、将来 “ドデカイことをしそうだ” という予兆を感じさせるシナリオ。
NHKはやっぱりドラマづくり、うまくなったんではないか?
昔の、アイドルだけ主役に抜擢していればこと足れりという、退屈な極彩色の絵巻物から脱皮したように思う。
『龍馬伝』 、案外イケルかも。
2010年01月17日
聖マタイの招命
土曜日の夜、家にいるときは、テレビ東京の 『美の巨人たち』 をよく観る。
毎回、内外の絵画、彫刻、建築などからひとつの作品を採りあげ、そこに秘められた “ドラマ” を描き出すという番組なのだけれど、ミステリ仕立てに作られたシナリオが面白いし、それを語る俳優・小林薫さんのナレーションが素敵。
抑揚を抑えて、淡々と語るナレーションなんだけれど、小林薫さんがドラマで演じる役柄のように、どこか人を食ったような、とぼけた味わいもあり、それでいて、語る対象に対する敬意と愛情に貫かれていて、秀逸な語り口であるように思う。
「芸術」 というジャンルを扱う番組は、やたら教養主義的な権威主義が表に出てしまうものだが、この番組だけは、しっかりエンターティメントやっていると思う。
1月16日に放映された番組では、カラヴァッジオの 『聖マタイの招命』 という絵が採りあげられていた。
ナレーションで 「しょうめい」 と何度も連呼されたのに、最初その意味が分からなかった。
証明?
照明?
正銘?
…と、いろいろ漢字を思い浮かべてみたが、テロップが出て 「招命」 だと分かる。
ところが、私のワープロの変換ではこの漢字が出てこない。
ネットで調べてみたら、 「教会で、主に牧師になることを指す言葉」 だとか。どうやら宗教用語のようだ。
で、この 『聖マタイの招命』 という絵は、マタイという男が、キリストの要請 (招命) に応じて宗教者としての道を歩む、そのきっかけとなるシーンを描いた絵らしい。

特徴的なのは、登場人物たちを、キリストが生きた古代の風俗で描くのではなく、カラヴァッジオが生きた時代の人々の風俗で描いたこと。
それも、みなカラヴァッジオの友人たちや、街でスカウトされた人たちがモデルとして使われたという。
そのことによって実現された徹底したリアリズムと、光と影のコントラストを強調した技法は、後のベラスケス、レンブラント、ルーベンスに多大な影響を与えたと伝えられている。
『聖マタイの招命』 は、そのような光と影を立体的に描くヨーロッパ絵画の技法を、最も初期の段階で完成させた作品のひとつだということだった。
小林薫さんが、その絵を視聴者に見せながら、語る。
「さて、この絵の中で、はたしてマタイはどこにいるのでしょう」
この番組は、常にそのような “謎解き” の面白さで、視聴者を引っ張っていく。
シナリオは、まずキリストの指差す方向 (↓) に視聴者を注目させる。

すると、絵の中央に描かれたヒゲのオヤジ (↓) が、
「え、私?」
と自分で、自分のことを指差す。

で、長いこと、この絵の解釈では、そのヒゲオヤジがマタイだとされてきた。
しかし、近年の研究では、そのオヤジのさらに左側で、キリストの招命などには無関心に、うつむいたまま、一心不乱にカネを勘定している若者 (↓) だといわれるようになったのだとか。

この絵は、キリストが収税所に立ち寄って、マタイに声をかけるところを描いた作品で、座っているのはみな収税所の役人たちである。
貧乏人からも厳しく税を徴収する彼らは、当時は 「罪人」 と同じように、人々から忌み嫌われ、さげすまれていた。
そのため、キリスト以外の宗派の宗教指導者たちは、彼らを 「救われない者」 と見定め、信仰者として教育することをハナっから嫌っていたらしいが、キリストは、 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」 として、収税者たちの間にも、積極的に分け入っていったという。
で、マタイは、その “ありがたい” キリストの招命にもかかわらず、キリストには目もくれず、テーブルの上に散らばったカネを一心不乱に勘定しているというわけだ。
カラヴァッジオは、なぜそのようなマタイを描いたのか。
「カラヴァッジオ自身が、まさにマタイのような男だったからだ」 と番組は、小林薫さんに、そう語らせる。
カラヴァッジオは、その鋭い写実主義的な技法で、 「天才」 の名をほしいままにした画家だが、 「神の恩寵」 を無視することの多い罪深い男だったという。

激情型の彼は、日常生活では、問題を起こしっぱなしだった。
酒場では、しょっちゅう他のお客に議論をふっかけ、喧嘩を起こし、暴力沙汰で逮捕されることなど日常茶飯事だったという。
1606年には、ついに賭博の掛け金をめぐって殺人事件を起こし、ローマから逃亡。
マルタ島に移ってからも、やはり暴力沙汰で投獄され、脱獄してシチリア、ナポリを転々としていたと伝えられている。
日常生活では、地獄の劫火に焼かれながら過ごすカラヴァッジオだが、ひとたび絵筆を取ると、同時代のどんな画家よりも 「人間の真実」 に迫る、恐ろしいほどリアルな世界を描き続けた。
だから、 「キリストの招命を受けて改心する男のドラマは、自分以外の画家には描けない」 という強い思いが、カラヴァッジオにはあっただろう、と番組は説明する。
絵の中に描かれた、カネ勘定に励むマタイの横顔は、よく見ると、動揺しているようにも、泣いているようにも見える。

そこには、酒に酔えば必ず暴力沙汰を引き起こす自分の弱さと、絵筆を取ったときの自分の強さの両極の中で生きた画家自身の表情が、悲しみを込めながらも、冷徹に描かれているように感じられる。
マタイは、結局キリストの信頼に応えられる弟子となり、その言行を 「マタイ伝」 として記し、後世にキリストの教えを忠実に残すことになる。
そして、後にエチオピアで、キリストの教えを広めている最中に、当時の王の怒りを買い、刺客に殺されて殉教したと伝えられている。
カラヴァッジオも、その絵画技法が円熟味を増した30代後半に、マラリアに侵され、短い生涯を閉じる。
「マタイ伝」 (マタイによる福音書) は、新約聖書におさめられた四つの福音書のひとつだが、イエス・キリストという人物の容赦ない激しさ、理論の曖昧さを許さない厳しさを余すところなく伝える書であるともいわれている。
たとえば、
「私が来たのは、地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
私は、人をその父に、娘を母に、嫁を姑に、敵対させるために来たのだ」
というような、一見、家族共同体を否定するようなイエスの教えは、当時の弟子たちを驚かせ、彼らにも容易には理解されなかっただろうと言われている。
しかし、そのような激しさは、ある意味、弟子たちに 「自分を突き放すような」 絶対的なものに触れる契機を与えた。
「人間を超える」 という概念が西洋で生まれのは、そのことと無縁ではないはずだ。
マタイは、そのことに敏感に気づいた弟子の一人であり、そのマタイを描いたカラヴァッジオも、それに気づいた画家の一人かもしれない。
カラヴァッジオは、酔って人に暴力をふるうという、自分の 「人間としての弱さ」 を、絵画を絶対的な世界に高めることによって超えようとした画家であるように思う。
参考記事 「荒野のディラン」
毎回、内外の絵画、彫刻、建築などからひとつの作品を採りあげ、そこに秘められた “ドラマ” を描き出すという番組なのだけれど、ミステリ仕立てに作られたシナリオが面白いし、それを語る俳優・小林薫さんのナレーションが素敵。
抑揚を抑えて、淡々と語るナレーションなんだけれど、小林薫さんがドラマで演じる役柄のように、どこか人を食ったような、とぼけた味わいもあり、それでいて、語る対象に対する敬意と愛情に貫かれていて、秀逸な語り口であるように思う。
「芸術」 というジャンルを扱う番組は、やたら教養主義的な権威主義が表に出てしまうものだが、この番組だけは、しっかりエンターティメントやっていると思う。
1月16日に放映された番組では、カラヴァッジオの 『聖マタイの招命』 という絵が採りあげられていた。
ナレーションで 「しょうめい」 と何度も連呼されたのに、最初その意味が分からなかった。
証明?
照明?
正銘?
…と、いろいろ漢字を思い浮かべてみたが、テロップが出て 「招命」 だと分かる。
ところが、私のワープロの変換ではこの漢字が出てこない。
ネットで調べてみたら、 「教会で、主に牧師になることを指す言葉」 だとか。どうやら宗教用語のようだ。
で、この 『聖マタイの招命』 という絵は、マタイという男が、キリストの要請 (招命) に応じて宗教者としての道を歩む、そのきっかけとなるシーンを描いた絵らしい。

特徴的なのは、登場人物たちを、キリストが生きた古代の風俗で描くのではなく、カラヴァッジオが生きた時代の人々の風俗で描いたこと。
それも、みなカラヴァッジオの友人たちや、街でスカウトされた人たちがモデルとして使われたという。
そのことによって実現された徹底したリアリズムと、光と影のコントラストを強調した技法は、後のベラスケス、レンブラント、ルーベンスに多大な影響を与えたと伝えられている。
『聖マタイの招命』 は、そのような光と影を立体的に描くヨーロッパ絵画の技法を、最も初期の段階で完成させた作品のひとつだということだった。
小林薫さんが、その絵を視聴者に見せながら、語る。
「さて、この絵の中で、はたしてマタイはどこにいるのでしょう」
この番組は、常にそのような “謎解き” の面白さで、視聴者を引っ張っていく。
シナリオは、まずキリストの指差す方向 (↓) に視聴者を注目させる。

すると、絵の中央に描かれたヒゲのオヤジ (↓) が、
「え、私?」
と自分で、自分のことを指差す。

で、長いこと、この絵の解釈では、そのヒゲオヤジがマタイだとされてきた。
しかし、近年の研究では、そのオヤジのさらに左側で、キリストの招命などには無関心に、うつむいたまま、一心不乱にカネを勘定している若者 (↓) だといわれるようになったのだとか。

この絵は、キリストが収税所に立ち寄って、マタイに声をかけるところを描いた作品で、座っているのはみな収税所の役人たちである。
貧乏人からも厳しく税を徴収する彼らは、当時は 「罪人」 と同じように、人々から忌み嫌われ、さげすまれていた。
そのため、キリスト以外の宗派の宗教指導者たちは、彼らを 「救われない者」 と見定め、信仰者として教育することをハナっから嫌っていたらしいが、キリストは、 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」 として、収税者たちの間にも、積極的に分け入っていったという。
で、マタイは、その “ありがたい” キリストの招命にもかかわらず、キリストには目もくれず、テーブルの上に散らばったカネを一心不乱に勘定しているというわけだ。
カラヴァッジオは、なぜそのようなマタイを描いたのか。
「カラヴァッジオ自身が、まさにマタイのような男だったからだ」 と番組は、小林薫さんに、そう語らせる。
カラヴァッジオは、その鋭い写実主義的な技法で、 「天才」 の名をほしいままにした画家だが、 「神の恩寵」 を無視することの多い罪深い男だったという。

激情型の彼は、日常生活では、問題を起こしっぱなしだった。
酒場では、しょっちゅう他のお客に議論をふっかけ、喧嘩を起こし、暴力沙汰で逮捕されることなど日常茶飯事だったという。
1606年には、ついに賭博の掛け金をめぐって殺人事件を起こし、ローマから逃亡。
マルタ島に移ってからも、やはり暴力沙汰で投獄され、脱獄してシチリア、ナポリを転々としていたと伝えられている。
日常生活では、地獄の劫火に焼かれながら過ごすカラヴァッジオだが、ひとたび絵筆を取ると、同時代のどんな画家よりも 「人間の真実」 に迫る、恐ろしいほどリアルな世界を描き続けた。
だから、 「キリストの招命を受けて改心する男のドラマは、自分以外の画家には描けない」 という強い思いが、カラヴァッジオにはあっただろう、と番組は説明する。
絵の中に描かれた、カネ勘定に励むマタイの横顔は、よく見ると、動揺しているようにも、泣いているようにも見える。

そこには、酒に酔えば必ず暴力沙汰を引き起こす自分の弱さと、絵筆を取ったときの自分の強さの両極の中で生きた画家自身の表情が、悲しみを込めながらも、冷徹に描かれているように感じられる。
マタイは、結局キリストの信頼に応えられる弟子となり、その言行を 「マタイ伝」 として記し、後世にキリストの教えを忠実に残すことになる。
そして、後にエチオピアで、キリストの教えを広めている最中に、当時の王の怒りを買い、刺客に殺されて殉教したと伝えられている。
カラヴァッジオも、その絵画技法が円熟味を増した30代後半に、マラリアに侵され、短い生涯を閉じる。
「マタイ伝」 (マタイによる福音書) は、新約聖書におさめられた四つの福音書のひとつだが、イエス・キリストという人物の容赦ない激しさ、理論の曖昧さを許さない厳しさを余すところなく伝える書であるともいわれている。
たとえば、
「私が来たのは、地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
私は、人をその父に、娘を母に、嫁を姑に、敵対させるために来たのだ」
というような、一見、家族共同体を否定するようなイエスの教えは、当時の弟子たちを驚かせ、彼らにも容易には理解されなかっただろうと言われている。
しかし、そのような激しさは、ある意味、弟子たちに 「自分を突き放すような」 絶対的なものに触れる契機を与えた。
「人間を超える」 という概念が西洋で生まれのは、そのことと無縁ではないはずだ。
マタイは、そのことに敏感に気づいた弟子の一人であり、そのマタイを描いたカラヴァッジオも、それに気づいた画家の一人かもしれない。
カラヴァッジオは、酔って人に暴力をふるうという、自分の 「人間としての弱さ」 を、絵画を絶対的な世界に高めることによって超えようとした画家であるように思う。
参考記事 「荒野のディラン」
2010年01月16日
あちこちボロボロ
身体のあちこちで、メンテナンスを必要とする箇所が出てきた。
会社の健康診断を引き受けている診療所から 「胆のうのを再検査する」 という通知をもらったので、その検査に行ったついでに、頑張って、 「歯科」 と 「内科」 と 「皮膚科」 にも顔を出した。
いわば、車検整備のついでに、いろいろ疲弊したパーツを交換しておくか…という心境である。
で、まず 「胆のう」 なんだけど、超音波検査をしたところ、どうやら胆のう内にポリープがあるらしいのだ。
そいつが、
「大きくなるのか、増えるのか、今のところ分からない」
と、検査技師がいう。
「ガンですかねぇ?」
と聞くと、「判断するのは医師だから、先生が診て、いつの日か、また連絡が入るでしょう」 とのこと。
冗談じゃねぇよ、この前大腸のポリープを取ったばかりだっていうのに。
ま、診療所に来たついでだということで、歯科にも診察券を出して、歯を見てもらった。
今年になってから、右の奥歯が痛い。
モノを噛むと痛いのだが、しばらくすると、治る。
どうやら虫歯ではなさそうなのだが、歯茎の病気だと、もっとヤバそうだ。
で、歯科医に診てもらったら、歯の根そのものが、もう限界に来ているのだとか。
そこは何度か治療した歯で、その歯の周辺はみな削り取られてしまい、いわばその歯だけが、田んぼの中の一本足の案山子 (かかし) 状態で、奥歯全体にかかる重みを支えてきたんだけれど、その踏ん張りにも、とうとう限界が来ているという。
「抜いた方がいいんでしょうか?」
と尋ねると、
「抜くか抜かないかは、患者さん次第。この歯がそのうちどうなるのか、今は見当もつかない。飛びあがるほど痛くなる人もいれば、まったく平気な人もいるし、虫歯ではないので、痛くなければ放っておいてもいいのだけど…」
と、なんとも、頼りないというか無責任というか…って感じのご返事。
「先生は、どちらが正しい処置と思われますか?」
と聞くと、
「そのうち化膿してばい菌が入って、顔が腫れることもあるだろうから、そりゃ抜いた方がいいでしょ」
…だって。
そうなら、早くそう言ってよ!
意を決して、 「抜きます!」 と宣言して、抜歯の日の予約を入れた。
次は、皮膚科に行った。
これは、もう慢性的に私に巣食う病魔のひとつ 「水虫」 の薬をもらうためである。
これからは、しばらく仕事が忙しいということを理由に、強引に薬を3本出してもらうことにした。
時間があったので、 「内科」 にも行った。
喉がイガラっぽい。
咳が出る。
完全に、風邪の初期症状なので、風邪薬をもらおうと思った。
美人の女医さんだ。
マスクをしているので口元の感じは分からないけれど (マスクを取ったら口が耳まで裂けて…ってことはないだろうけれど) 、目元だけ見ていると、きれいな人だった。
風邪をわざと長引かせて、もう一度診察してもらうことを心に誓った。
そういえば、先ほどの皮膚科の先生も女医さんだったのだけれど、そのときは女医かどうかなど、まったく意識にのぼらなかったのはなぜだろう?
診療所を出ると、夕暮れだったけれど、まだ表通りには陽が射していた。
仕事をいっぱい抱えているのに、急に会社に戻るのが嫌になってしまった。
風邪もひいているし、胆のうにガンを抱えているし、水虫だし、どう見ても重病人の資格は十分だ。
スタンドカフェで、コーヒー一杯飲んで、一休みして、そのまま家に帰ることにした。

会社の健康診断を引き受けている診療所から 「胆のうのを再検査する」 という通知をもらったので、その検査に行ったついでに、頑張って、 「歯科」 と 「内科」 と 「皮膚科」 にも顔を出した。
いわば、車検整備のついでに、いろいろ疲弊したパーツを交換しておくか…という心境である。
で、まず 「胆のう」 なんだけど、超音波検査をしたところ、どうやら胆のう内にポリープがあるらしいのだ。
そいつが、
「大きくなるのか、増えるのか、今のところ分からない」
と、検査技師がいう。
「ガンですかねぇ?」
と聞くと、「判断するのは医師だから、先生が診て、いつの日か、また連絡が入るでしょう」 とのこと。
冗談じゃねぇよ、この前大腸のポリープを取ったばかりだっていうのに。
ま、診療所に来たついでだということで、歯科にも診察券を出して、歯を見てもらった。
今年になってから、右の奥歯が痛い。
モノを噛むと痛いのだが、しばらくすると、治る。
どうやら虫歯ではなさそうなのだが、歯茎の病気だと、もっとヤバそうだ。
で、歯科医に診てもらったら、歯の根そのものが、もう限界に来ているのだとか。
そこは何度か治療した歯で、その歯の周辺はみな削り取られてしまい、いわばその歯だけが、田んぼの中の一本足の案山子 (かかし) 状態で、奥歯全体にかかる重みを支えてきたんだけれど、その踏ん張りにも、とうとう限界が来ているという。
「抜いた方がいいんでしょうか?」
と尋ねると、
「抜くか抜かないかは、患者さん次第。この歯がそのうちどうなるのか、今は見当もつかない。飛びあがるほど痛くなる人もいれば、まったく平気な人もいるし、虫歯ではないので、痛くなければ放っておいてもいいのだけど…」
と、なんとも、頼りないというか無責任というか…って感じのご返事。
「先生は、どちらが正しい処置と思われますか?」
と聞くと、
「そのうち化膿してばい菌が入って、顔が腫れることもあるだろうから、そりゃ抜いた方がいいでしょ」
…だって。
そうなら、早くそう言ってよ!
意を決して、 「抜きます!」 と宣言して、抜歯の日の予約を入れた。
次は、皮膚科に行った。
これは、もう慢性的に私に巣食う病魔のひとつ 「水虫」 の薬をもらうためである。
これからは、しばらく仕事が忙しいということを理由に、強引に薬を3本出してもらうことにした。
時間があったので、 「内科」 にも行った。
喉がイガラっぽい。
咳が出る。
完全に、風邪の初期症状なので、風邪薬をもらおうと思った。
美人の女医さんだ。
マスクをしているので口元の感じは分からないけれど (マスクを取ったら口が耳まで裂けて…ってことはないだろうけれど) 、目元だけ見ていると、きれいな人だった。
風邪をわざと長引かせて、もう一度診察してもらうことを心に誓った。
そういえば、先ほどの皮膚科の先生も女医さんだったのだけれど、そのときは女医かどうかなど、まったく意識にのぼらなかったのはなぜだろう?
診療所を出ると、夕暮れだったけれど、まだ表通りには陽が射していた。
仕事をいっぱい抱えているのに、急に会社に戻るのが嫌になってしまった。
風邪もひいているし、胆のうにガンを抱えているし、水虫だし、どう見ても重病人の資格は十分だ。
スタンドカフェで、コーヒー一杯飲んで、一休みして、そのまま家に帰ることにした。
2010年01月15日
老人の文化がない
日本には、つくづく 「老人の文化」 というものがなかったなぁ … と思う。
いや、あったよ。
確かに昔から 「老人」 の概念定義みたいなものがあって、老人になったらどう生きるか … みたいな処世訓じみた文化はあった。
「60にして、耳に従う」
「70にして、心の欲するところに従って矩 (のり) をこえず」 とかね。
そのような儒教とか、江戸期の農村共同体で培われた倫理とかから来る文化はあったけど、現代社会になってからは、老人たちに、 「老人って何だろう?」 って考えさせるような文化はなかったと思う。
だけど、団塊の世代が大量老人になる時代を迎えて、いよいよ、今の時代に 「老人の文化」 がないってことが、どれほど彼らを戸惑わせてしまうか。
それは、彼らにとっても、下の世代にとっても厄介な問題だ。
今や、「60にして、コンビニで万引きす」 「70にして、家をゴミ屋敷と化して、隣人と争う」
ってな時代だからね。
ひとえに、 「老人になったら何を考えるべきか」 という文化がないからこうなる。
たとえば、老人になってから解る絵画とか、文学とか。
そんなものがあってもいいわけ。

「若い時には理解できませんでしたけど、この歳になると、素晴らしさが見えてきますなぁ」
とかいうのが、いろいろなジャンルにあっていいはずなんだ。
だけど、戦後一貫して、CM戦略でも、サブカルチャーでも、 「新しさ」 と 「若さ」 だけを称揚してきたから、そいつが育っていない。 (資本主義経済の宿命だけどさ) 。
だから、団塊の世代は、いまだに、自分たちが若い頃体験した 「文化」 を、そのまま引き摺るしかない。
彼らは、相変わらずジーンズを穿いたり、 「ラブ&ピース」 みたいなTシャツ着て、往年のスターたちのフォークコンサートに行ったりしているけれど、それは 「彼らの世代の文化」 であって、 「老人の文化」 じゃないものね。
団塊の世代って、もしかしたら日本人のなかで、はじめて 「自分は老人なのか?」 って問わなければならない世代なのではないか?
彼らは、戦前から戦後にかけて伝えられた 「老人的処世術」 みたいなものを、ケッ! とか無視してきた世代だから、つぅーか 「老人的処世術」 そのものを知らない世代だから、 「老人とは、かくかくしかじかのモノである」 という概念が頭の中に最初っから、ない。
今ようやくその人たちが、肉体年齢としての “老人” を迎える歳になり、若い頃に吸ってた空気とか感じた気分とかをベースにしながら、 「自分たちの老人文化」 を急造しようとしているところなのだ。
そこで何が行われているかというと……。
「身体」 と 「精神」 の切り離し。
衰えゆく身体から、精神の 「若さ」 を切り離すという手品が行われるようになった。
「いつまでも少年の心を保って」 とか、
「人生死ぬまでチャレンジ」 とか、
「青春に年齢はない」 とか…さ。
ま、そりゃ分かるよ、気持ちはね。
オレだって、今年はついに 「還暦」 を迎えるんだからさ。
だけど、彼らがいう 「若さ」 って、自信たっぷりの若さなのね。
功なり名を遂げた 「今の自分」 を投影した若さだから、なんかご都合主義的だし、聞いていると空々しい。
それが証拠に、本物の 「若さ」 を目にすると、
「今の若者には覇気 (はき) がない」
「若者は、面倒なことを嫌がる」
「耐える力がない」 とか、すぐ年寄り反応が出てしまう。
で、やたら “活力” が、若さのバロメーターだと思っている人たちが多い。
「昨晩4発! 相手が若いと、男はやっぱ燃えるね。 『パパ60歳なんて思えない!』 … なんて言われちゃってさ、ガッハハハ!……。で、このサプリメントがいいよ。今晩試してみる? バイアグラより効くよ」
…とかね。
アンチエージングとかいって、エステとか、白髪染めとかに凝っている人も多いしな。
でも、もう止めようよ、そろそろ、そういうのは。
「若さ」 って、求めて得られるもんじゃないんだよ。
努力したって老人のままの人もいるし、努力しなくても 「若い」 老人もいる。
それに、 「若い」 かどうかを判断するのは自分ではなく他人だし、第一、 「若い」 ことがいいことなのか、どうなのか。それすらも決まったわけではない。
老人が胸を張る 「ニセモノの若さ」 というものが、いちばん下の世代から見ると滑稽なのね。
ウスら寒いというかさ。
その 「ニセの若さ」 で、今の若者と、堂々と張り合っていける?
外見的に … じゃないよ。
たとえば I T とかの知識とか、アニメとかゲームの映像感覚とか、聞いている音楽とか、それらをすべて含めた世界観で。
無理だよね。
…オレもそうだけど。
だって、そういう世界が、日常的に、もう身の回りにないもんね。
そういう世界に対して、 「そば打ちだったらオレの体力は負けないよ」 は、ないだろ?
本当の 「老人の文化」 ってのは、そういう 「ニセの若さ」 の断念・放棄からしか生まれない。
じゃ、どうすればいいのか?
ニセモノじゃなくて、もう一度 「ホンモノの若さ」 と取り戻すことなの。
つまり、若いってことは、経験も乏しいことだし、モノを知らないことだし、人から教わらなければ何も分からない …って感覚を取り戻すことなのね。
そこから、ホントの 「老人の文化」 が生まれると思う。
要は、 「説教する人間」 から、 「教わる人間」 への転換。
これが大事なんだなぁ。
第一、人に教えるモノなんて、もう今のほとんどの老人は持っていない。
「経験がある」 とか威張っても、今までの経験がこんなにも通用しなくなってしまう時代を迎えてしまうと、もう 「経験を主張する」 こと自体が “痛い” 。
だから、
・ 恥ずかしいと思わず、若い人に教わる。
・ 先入観を持たず、今の流行や風潮の意味するものを見つめる。
・ 「批評性」 が出てしまう自分を慎む。
この3点を守っていれば、やがてそういう人たちの中から、若い人にも誇れる 「老人の文化」 が生まれてくると思う。
年寄りの持っている 「経験」 が、ようやく生きるのもその時。
時代を流れる空気や、人の心を読みとるには、昔ながらの言葉でいう 「謙虚さ」 が必要なんだね。
その人の持っている 「知識」 とか 「経験」 に対し、他人が敬意を払うかどうかは、すべてその人の持っている 「謙虚さ」 によって決まる。
それだけは、古びることのない永遠の 《公理》 だね。
いや、あったよ。
確かに昔から 「老人」 の概念定義みたいなものがあって、老人になったらどう生きるか … みたいな処世訓じみた文化はあった。
「60にして、耳に従う」
「70にして、心の欲するところに従って矩 (のり) をこえず」 とかね。
そのような儒教とか、江戸期の農村共同体で培われた倫理とかから来る文化はあったけど、現代社会になってからは、老人たちに、 「老人って何だろう?」 って考えさせるような文化はなかったと思う。
だけど、団塊の世代が大量老人になる時代を迎えて、いよいよ、今の時代に 「老人の文化」 がないってことが、どれほど彼らを戸惑わせてしまうか。
それは、彼らにとっても、下の世代にとっても厄介な問題だ。
今や、「60にして、コンビニで万引きす」 「70にして、家をゴミ屋敷と化して、隣人と争う」
ってな時代だからね。
ひとえに、 「老人になったら何を考えるべきか」 という文化がないからこうなる。
たとえば、老人になってから解る絵画とか、文学とか。
そんなものがあってもいいわけ。

「若い時には理解できませんでしたけど、この歳になると、素晴らしさが見えてきますなぁ」
とかいうのが、いろいろなジャンルにあっていいはずなんだ。
だけど、戦後一貫して、CM戦略でも、サブカルチャーでも、 「新しさ」 と 「若さ」 だけを称揚してきたから、そいつが育っていない。 (資本主義経済の宿命だけどさ) 。
だから、団塊の世代は、いまだに、自分たちが若い頃体験した 「文化」 を、そのまま引き摺るしかない。
彼らは、相変わらずジーンズを穿いたり、 「ラブ&ピース」 みたいなTシャツ着て、往年のスターたちのフォークコンサートに行ったりしているけれど、それは 「彼らの世代の文化」 であって、 「老人の文化」 じゃないものね。
団塊の世代って、もしかしたら日本人のなかで、はじめて 「自分は老人なのか?」 って問わなければならない世代なのではないか?
彼らは、戦前から戦後にかけて伝えられた 「老人的処世術」 みたいなものを、ケッ! とか無視してきた世代だから、つぅーか 「老人的処世術」 そのものを知らない世代だから、 「老人とは、かくかくしかじかのモノである」 という概念が頭の中に最初っから、ない。
今ようやくその人たちが、肉体年齢としての “老人” を迎える歳になり、若い頃に吸ってた空気とか感じた気分とかをベースにしながら、 「自分たちの老人文化」 を急造しようとしているところなのだ。
そこで何が行われているかというと……。
「身体」 と 「精神」 の切り離し。
衰えゆく身体から、精神の 「若さ」 を切り離すという手品が行われるようになった。
「いつまでも少年の心を保って」 とか、
「人生死ぬまでチャレンジ」 とか、
「青春に年齢はない」 とか…さ。
ま、そりゃ分かるよ、気持ちはね。
オレだって、今年はついに 「還暦」 を迎えるんだからさ。
だけど、彼らがいう 「若さ」 って、自信たっぷりの若さなのね。
功なり名を遂げた 「今の自分」 を投影した若さだから、なんかご都合主義的だし、聞いていると空々しい。
それが証拠に、本物の 「若さ」 を目にすると、
「今の若者には覇気 (はき) がない」
「若者は、面倒なことを嫌がる」
「耐える力がない」 とか、すぐ年寄り反応が出てしまう。
で、やたら “活力” が、若さのバロメーターだと思っている人たちが多い。
「昨晩4発! 相手が若いと、男はやっぱ燃えるね。 『パパ60歳なんて思えない!』 … なんて言われちゃってさ、ガッハハハ!……。で、このサプリメントがいいよ。今晩試してみる? バイアグラより効くよ」
…とかね。
アンチエージングとかいって、エステとか、白髪染めとかに凝っている人も多いしな。
でも、もう止めようよ、そろそろ、そういうのは。
「若さ」 って、求めて得られるもんじゃないんだよ。
努力したって老人のままの人もいるし、努力しなくても 「若い」 老人もいる。
それに、 「若い」 かどうかを判断するのは自分ではなく他人だし、第一、 「若い」 ことがいいことなのか、どうなのか。それすらも決まったわけではない。
老人が胸を張る 「ニセモノの若さ」 というものが、いちばん下の世代から見ると滑稽なのね。
ウスら寒いというかさ。
その 「ニセの若さ」 で、今の若者と、堂々と張り合っていける?
外見的に … じゃないよ。
たとえば I T とかの知識とか、アニメとかゲームの映像感覚とか、聞いている音楽とか、それらをすべて含めた世界観で。
無理だよね。
…オレもそうだけど。
だって、そういう世界が、日常的に、もう身の回りにないもんね。
そういう世界に対して、 「そば打ちだったらオレの体力は負けないよ」 は、ないだろ?
本当の 「老人の文化」 ってのは、そういう 「ニセの若さ」 の断念・放棄からしか生まれない。
じゃ、どうすればいいのか?
ニセモノじゃなくて、もう一度 「ホンモノの若さ」 と取り戻すことなの。
つまり、若いってことは、経験も乏しいことだし、モノを知らないことだし、人から教わらなければ何も分からない …って感覚を取り戻すことなのね。
そこから、ホントの 「老人の文化」 が生まれると思う。
要は、 「説教する人間」 から、 「教わる人間」 への転換。
これが大事なんだなぁ。
第一、人に教えるモノなんて、もう今のほとんどの老人は持っていない。
「経験がある」 とか威張っても、今までの経験がこんなにも通用しなくなってしまう時代を迎えてしまうと、もう 「経験を主張する」 こと自体が “痛い” 。
だから、
・ 恥ずかしいと思わず、若い人に教わる。
・ 先入観を持たず、今の流行や風潮の意味するものを見つめる。
・ 「批評性」 が出てしまう自分を慎む。
この3点を守っていれば、やがてそういう人たちの中から、若い人にも誇れる 「老人の文化」 が生まれてくると思う。
年寄りの持っている 「経験」 が、ようやく生きるのもその時。
時代を流れる空気や、人の心を読みとるには、昔ながらの言葉でいう 「謙虚さ」 が必要なんだね。
その人の持っている 「知識」 とか 「経験」 に対し、他人が敬意を払うかどうかは、すべてその人の持っている 「謙虚さ」 によって決まる。
それだけは、古びることのない永遠の 《公理》 だね。
2010年01月14日
不思議な味の味噌
夢の話なんだけどさ。
夕べ、寝る前に、ちょっとYOU・TUBEでドラマっぽい画像を見ているうちに、そのまま眠くなって寝てしまったの。
で、それから後に見た夢なんだけど、目が醒めてからも、しばらく変な気分でさ。
夢の話って、本人は 「面白いだろ」 と思って人に話すんだけど、聞いている人間にとっては、それほど面白いと思わないことが多いんだよね。
これも、そんなもんかもしんないけれど、あまりにもリアルに脳裡に刻まれているんで、ちょっと書いてみる。
少し怖い話だけどね。
夢の中で、自分は、どこかの海岸ばたに広がる町のジジイになっているわけ。
で、 “みやげ物屋 兼 食堂” という店の縁台に腰掛けたまま、海を見つめながら、味噌をなめて、昼間から酒を飲んでいるの。
食堂のつくりってのは、時代劇に出てくる 「茶屋」 の雰囲気でね。
それが、海を見下ろす国道沿いにあって、景色はいいのよ。
実は、その食堂のオーナーというのがオレなの。
でも、今は引退して、悠悠自適なのね。
孫かなんかいてさ、
「おじいちゃん、また味噌だけで酒飲んでいる。お母さんが、いろいろなモノを食べないと体に悪いって言ってたよ」
なんて、オレにいうわけ。
でも、 「大丈夫じゃ、この味噌は栄養価が高いのじゃ」 とかニコニコ笑って、孫に答えているわけね。
その味噌というのは、うちの店で開発されたオリジナル味噌で、それを考案したのはオレなの。
それが観光客の間に、じわじわと評判になって、今じゃ大都市からもわざわざその味噌を買うために、ドライブしてくるお客が後を絶たなくて、それでオレの店は、けっこう儲かっているんだけど、でも、わざとパッケージングなんかは、昔の竹の皮かなんかで包んだものにして、 「無添加ですから購入したらなるべく早くご賞味ください」 なんてラベル貼って、売っているわけね。
だけど、それがまた評判になって、クールボックスみたいなものまで持参してくる熱心な客が多いのよ。
オレはそういうお客の姿を眺めながら、縁台に腰掛けて、昼間から酒飲むのが楽しみなの。
そこで、パァッと画面が変ってさ、少年時代のオレになっているわけ。
5人ぐらいの仲間と、味噌蔵のそばで遊んでいるんだよね。
オレの家が持っている蔵なんだね。
蔵の裏は、見事な竹林が続いていてさ。

なんでも、 「竹林の間を通ってくる風」 に味噌を詰めた樽をさらしておくと、味噌から変な匂いが抜けて香りがよくなる…っていうんだよね。
それで、代々味噌を作っているオレの家は、竹林のそばに蔵を建てているわけね。
(もちろん夢の中の情報だからさ、現実的な根拠なんて何もないんだけどさ)
で、蔵の周りには、空いた樽かなんかがゴロゴロ転がっていて、その樽の上を 「竹林を抜けた風」 が優しくなでていて。
オレの友だちは、みんな、その空いた樽かなんかにもぐり込んだりして、かくれんぼをしているわけよ。
鬼になったやつが、隠れている仲間を4人ほど見つけて、最後の4人目がオレなのかな。
あと1人だけが樽の中に隠れているわけ。
その樽も、どの樽なのか見当がついているのね。
誰かが、 「上から味噌、詰めちゃおうか」 って意地悪く笑って、目配せしたの。
で、俺たち4人は、 「よ~し!」 ってんで、新しい樽の中に詰まっていた味噌を、最後に隠れていたやつの上からばんばん放り込んで、隠れていたやつが 「やめてよ」 って泣いても許さないで、ぎゅうぎゅう味噌を詰め込んで、出られなるくらいペタペタと押しつぶしてさ。
そして 「へへへ…」 とか笑いながら、放っておいてしまったの。
で、しばらく経って戻ってきたんだけど、味噌を押しのけて這い上がってきた気配がなくてさ。
急いで、味噌をかき出してみたんだけど、そいつ、もう窒息死しているわけ。
みんな、やべぇーっと思ったけど、4人とも同時にうなづきあって、この味噌樽を、蔵の中で古い樽が並んでいる場所のいちばん奥に入れちゃおうってことになったの。
なんか怖い話でしょ。
自分で思い出しても、いい気分じゃないものね。
似たような少年事件が、現在でもときどき起こるしさ。
やがて、オレは、成人して、味噌屋と食堂を継いでさ。
そのうち、昔、友だちを詰め込んだ樽のことを思い出してさ。
こっそりと開けてみたら、もう死体も融けてしまって、見た感じは何でもないのね。
本当だったら、骨なんかが残っているんだろうけれど、夢だから、そんなものも、きれいさっぱり融けているの。
指ですくって、そいつを舐めてみたら、なんとも不思議な、いい味がするんだよね。
しかも、香りも、なんかいいわけよ。
そのとき、はじめてさ、「竹林の風に味噌の樽をさらす」 …っていう意味が、オレにわかったの。
ああ…そういうことだったのかァ……って。
「これを売ろう!」
と、とっさにひらめくわけ。
で、売り出したら大評判。
それが、今の店の隆盛につながっているわけだけど、オレの住んでいる町では、毎年、小さな子供が 「神隠し」 に遭うって騒がれていてね。
ま、その “犯人” ってのが、オレなわけでさ。
目が醒めて、すぐ浮かんできたのが、この夢のことなの。
だけど、最初はそれが夢だとは思わなくてさ。
夕べ、怖いドラマをYOU・TUBEで観たな … なんて思いながら、しらばく寝床の中で、その記憶をたどっていたけれど、 「まてよ…」 と、ふと思って、そんなドラマ、別に観ていないじゃん…ってことに気づいてさ。
ああ、夢か…と思ったのだけれど、嫌な気分がこみ上げてきたのは、なんだか、それがはじめて見た夢でもないような気がしてきたからなのね。
前にも、そっくり同じような夢を見ている……。
起きてからそう思うと、トリハダが立つように、ぞっとしてさ。
その衝撃で、けっこうそのまま記憶に焼きついたんだろうね。
耳の奥で、竹林の中を過ぎていく風の音が鳴っているようでさ。
「前世」 とかいう話は、ほとんど信じていないけど、オレにもなんかあんのかなぁ。
実際に味噌をつくっている人たちには、申し訳ないような話で、ごめんなさいね。
夕べ、寝る前に、ちょっとYOU・TUBEでドラマっぽい画像を見ているうちに、そのまま眠くなって寝てしまったの。
で、それから後に見た夢なんだけど、目が醒めてからも、しばらく変な気分でさ。
夢の話って、本人は 「面白いだろ」 と思って人に話すんだけど、聞いている人間にとっては、それほど面白いと思わないことが多いんだよね。
これも、そんなもんかもしんないけれど、あまりにもリアルに脳裡に刻まれているんで、ちょっと書いてみる。
少し怖い話だけどね。
夢の中で、自分は、どこかの海岸ばたに広がる町のジジイになっているわけ。
で、 “みやげ物屋 兼 食堂” という店の縁台に腰掛けたまま、海を見つめながら、味噌をなめて、昼間から酒を飲んでいるの。
食堂のつくりってのは、時代劇に出てくる 「茶屋」 の雰囲気でね。
それが、海を見下ろす国道沿いにあって、景色はいいのよ。
実は、その食堂のオーナーというのがオレなの。
でも、今は引退して、悠悠自適なのね。
孫かなんかいてさ、
「おじいちゃん、また味噌だけで酒飲んでいる。お母さんが、いろいろなモノを食べないと体に悪いって言ってたよ」
なんて、オレにいうわけ。
でも、 「大丈夫じゃ、この味噌は栄養価が高いのじゃ」 とかニコニコ笑って、孫に答えているわけね。
その味噌というのは、うちの店で開発されたオリジナル味噌で、それを考案したのはオレなの。
それが観光客の間に、じわじわと評判になって、今じゃ大都市からもわざわざその味噌を買うために、ドライブしてくるお客が後を絶たなくて、それでオレの店は、けっこう儲かっているんだけど、でも、わざとパッケージングなんかは、昔の竹の皮かなんかで包んだものにして、 「無添加ですから購入したらなるべく早くご賞味ください」 なんてラベル貼って、売っているわけね。
だけど、それがまた評判になって、クールボックスみたいなものまで持参してくる熱心な客が多いのよ。
オレはそういうお客の姿を眺めながら、縁台に腰掛けて、昼間から酒飲むのが楽しみなの。
そこで、パァッと画面が変ってさ、少年時代のオレになっているわけ。
5人ぐらいの仲間と、味噌蔵のそばで遊んでいるんだよね。
オレの家が持っている蔵なんだね。
蔵の裏は、見事な竹林が続いていてさ。

なんでも、 「竹林の間を通ってくる風」 に味噌を詰めた樽をさらしておくと、味噌から変な匂いが抜けて香りがよくなる…っていうんだよね。
それで、代々味噌を作っているオレの家は、竹林のそばに蔵を建てているわけね。
(もちろん夢の中の情報だからさ、現実的な根拠なんて何もないんだけどさ)
で、蔵の周りには、空いた樽かなんかがゴロゴロ転がっていて、その樽の上を 「竹林を抜けた風」 が優しくなでていて。
オレの友だちは、みんな、その空いた樽かなんかにもぐり込んだりして、かくれんぼをしているわけよ。
鬼になったやつが、隠れている仲間を4人ほど見つけて、最後の4人目がオレなのかな。
あと1人だけが樽の中に隠れているわけ。
その樽も、どの樽なのか見当がついているのね。
誰かが、 「上から味噌、詰めちゃおうか」 って意地悪く笑って、目配せしたの。
で、俺たち4人は、 「よ~し!」 ってんで、新しい樽の中に詰まっていた味噌を、最後に隠れていたやつの上からばんばん放り込んで、隠れていたやつが 「やめてよ」 って泣いても許さないで、ぎゅうぎゅう味噌を詰め込んで、出られなるくらいペタペタと押しつぶしてさ。
そして 「へへへ…」 とか笑いながら、放っておいてしまったの。
で、しばらく経って戻ってきたんだけど、味噌を押しのけて這い上がってきた気配がなくてさ。
急いで、味噌をかき出してみたんだけど、そいつ、もう窒息死しているわけ。
みんな、やべぇーっと思ったけど、4人とも同時にうなづきあって、この味噌樽を、蔵の中で古い樽が並んでいる場所のいちばん奥に入れちゃおうってことになったの。
なんか怖い話でしょ。
自分で思い出しても、いい気分じゃないものね。
似たような少年事件が、現在でもときどき起こるしさ。
やがて、オレは、成人して、味噌屋と食堂を継いでさ。
そのうち、昔、友だちを詰め込んだ樽のことを思い出してさ。
こっそりと開けてみたら、もう死体も融けてしまって、見た感じは何でもないのね。
本当だったら、骨なんかが残っているんだろうけれど、夢だから、そんなものも、きれいさっぱり融けているの。
指ですくって、そいつを舐めてみたら、なんとも不思議な、いい味がするんだよね。
しかも、香りも、なんかいいわけよ。
そのとき、はじめてさ、「竹林の風に味噌の樽をさらす」 …っていう意味が、オレにわかったの。
ああ…そういうことだったのかァ……って。
「これを売ろう!」
と、とっさにひらめくわけ。
で、売り出したら大評判。
それが、今の店の隆盛につながっているわけだけど、オレの住んでいる町では、毎年、小さな子供が 「神隠し」 に遭うって騒がれていてね。
ま、その “犯人” ってのが、オレなわけでさ。
目が醒めて、すぐ浮かんできたのが、この夢のことなの。
だけど、最初はそれが夢だとは思わなくてさ。
夕べ、怖いドラマをYOU・TUBEで観たな … なんて思いながら、しらばく寝床の中で、その記憶をたどっていたけれど、 「まてよ…」 と、ふと思って、そんなドラマ、別に観ていないじゃん…ってことに気づいてさ。
ああ、夢か…と思ったのだけれど、嫌な気分がこみ上げてきたのは、なんだか、それがはじめて見た夢でもないような気がしてきたからなのね。
前にも、そっくり同じような夢を見ている……。
起きてからそう思うと、トリハダが立つように、ぞっとしてさ。
その衝撃で、けっこうそのまま記憶に焼きついたんだろうね。
耳の奥で、竹林の中を過ぎていく風の音が鳴っているようでさ。
「前世」 とかいう話は、ほとんど信じていないけど、オレにもなんかあんのかなぁ。
実際に味噌をつくっている人たちには、申し訳ないような話で、ごめんなさいね。
2010年01月13日
アイデンティティ
「アイデンティティ」 という言葉がある。
「自己同一性」 と訳すのだろうか。
自分が自分であることを確認するための根拠というべきものを、概してそう称する。
こういう言葉があるということ自体、人間は 「自分が自分である」 ということを確認するのが難しいということを物語っているように思える。
そもそも 「自分」 という意識はどこから生まれてくるのかというと、それはすべて 「記憶」 からでしかない。
朝、目覚めたときに、 「あ、寝過ぎた、遅刻だぁ!」 とか思って飛び起きるのは、昨日まで自分が 「会社」 や 「学校」 に通っていた記憶がよみがえるからであり、家に帰ってきた旦那さんを、奥さんが 「お帰りなさい」 と出迎えるのは、朝その旦那を家から送り出したという記憶が残されているからだ。
要は、人間が、生まれてきたときから一貫して 「自分で在り続ける」 という意識を保証するものは、結局は 「累積した記憶」 だけなのである。
だから、記憶が失われると、自分が自分でいることの根拠も失うことになり、それが 「アイデンティティの危機」 といわれるものの中でも最大のものとなる。
夢が怖いのは、それが時々自分の記憶とは異なる 「生の断面」 を垣間見せるからだ。
記憶の古層に沈んだ、意識せざる自分の 「生」 に触れることは、人間が 「狂気」 に近づく瞬間でもある。
記憶は、日々五感を通じてインプットされる情報の蓄積から生まれる。
その場合、すべての情報をストックする容量は脳にはないから、当然プライオリティーにもとづいて、取捨選択される。
プライオリティーを決めるのも、また記憶である。
自分にとって、何が 「快」 で、何が 「不快」 だったか。
その判断基準に基づいて、 「快」 であるものは美しく、優しく、温かい記憶として美化され、 「不快」 であるものは、それが二度と起こらないようにと願う生物としての自己保存衝動の規制が働いて、誇大にネガティブな印象が強調され、それぞれの序列を与えられて、記憶のファイルに保存される。
その記憶のファイルが 「データベース」 として機能し、次から入ってくる外界情報を分類して整理する。
いずれにせよ、人間の記憶は、取り出しやすいように 「脚色」 がなされているのだ。
その 「脚色」 の案配が、その人間のキャラクターを形成しているといっていいのだけれど、もともと 「記憶」 そのものが、インプットされたときの原型を “変形して” 保存したものだから、安定感に乏しい。
だから、記憶をベースにした 「アイデンティティ」 というものが、しっかり確立されて固定化されるということは永遠に起こり得ない。
逆にいうと、それが人間の “豊かさ” を保証するものになっているようにも思う。
自分が誰からも承認されないという孤独感とか、自分の中に見ず知らずの人格が宿ってしまったような驚愕に耐えることによって、それと引き替えに、人はまたひとつ新しい 「世界」 を見る。
だから、変っていける。
新しく見えた世界は、日々データベース化されていく記憶に、新しい検索システムとして加わっていく。
「揺るがない自己」 というものがあるとしたら、それは 「信念の強さ」 などというものではなく、案外、記憶のデータベースの “貧しさ” によるものかもしれない。
つまり、身も蓋もなくいえば、「揺るがない自己」 というのは貧しい自己なのだ。
今そこにいる、あなた。
自信を喪失し、何を頼りに生きたらいいのか、途方にくれているあなた。
あなたこそ、「豊かさ」 に触れているわけよ。
2010年01月12日
モニター見過ぎて
モニター見過ぎて目がショボショボ。
朝の6時に目を覚まし、今の時間に至るまで、パソコンの画面を見つめっぱなしの1日だった。
その間、席を立ったのは、メシを食うときと、トイレに行くときと、風呂に入ったときだけ。
1日中、家で、仕事の原稿を書いていた。

文章を書くことへの苦痛はないのだけれど、目がいうことをきかない。
いつの間にか、モニターの文字がかすんでいることに気づく。
そうすると、しばし天井を見上げたり、目をつぶったりして、視力の回復を待つ。
だけど、時間がもったいないので、テキトーに切り上げて、またモニターに向かうのだけれど、どんどん文字がかすれて、霧の中に漂うようになってしまう。
そういうときは、風呂に入るといいようだ。
気のせいかもしれないが、湯船に浮かぶ蒸気が、ドライアイ症状に陥った目を潤してくれるようにも思う。
仕事の原稿を書いているのは楽しい。
しかし、書き始めるまでに、取材したメモや情報を整理しておく必要がある。
実は、それが少し面倒。
その重苦しさもあって、メモの整理に入る前に、ついつい爪を切ったり、パソコン脇のテレビをザッピングしたり、床のゴミを拾ったり、加湿器の水を補充したりしてしまう。
だけど、取材した情報の整理が終わってしまえば、あとは一気。
読者対象も訴求項目も定まっている原稿だから、書きながらあまり考え込むことがない。
ブログの原稿を書くときは、まったくこれと逆。
面白そうなテーマが浮かんだときは、そそくさと書き始める。
しかし、途中から悩むことが多い。
往々にして、書いているうちに、結論が、最初に考えたものとまったく逆になったりすることが起こるのだ。
しかも、逆になってしまった方が、読み返すと文章の整合性が取れているように思えたりもする。
そうなると、考え込む。
最初に浮かんだ結論どおりに書き直すか。
それとも、このまま突っ走るか。
(案外、いい加減なんである)
だから、入口に入るのは億劫だけど、出口までは真っ直ぐに走れる仕事の原稿と、入口は楽だが、出口を探して迷うブログの原稿では、かなり書き方が変る。
ブログの原稿では、言葉一つ一つのイメージ喚起力を大事にしたいと思っている。
仕事の原稿では、文章のよどみない流れを大事にしている。
イメージ喚起力とは、音楽でいうシンコペーションと同じで、よどみなく流れる文章に、ちょっと歩調を狂わせるようなアクセントを入れると、効果が出るような気がする。
同じ言葉でも、 「 」 (カッコ) に入れたり入れなかったりすることで生まれる言葉の差別化。
体言止めを多用する箇所と、そうでない箇所の対比の妙。
ズラズラと長い文章を続けた後で、ひと言だけポツンと置く単語の効果。
そんなようなもの。
わぁ、またブログに時間を取られてしまった!
それでは、このまま明け方まで。
朝の6時に目を覚まし、今の時間に至るまで、パソコンの画面を見つめっぱなしの1日だった。
その間、席を立ったのは、メシを食うときと、トイレに行くときと、風呂に入ったときだけ。
1日中、家で、仕事の原稿を書いていた。
文章を書くことへの苦痛はないのだけれど、目がいうことをきかない。
いつの間にか、モニターの文字がかすんでいることに気づく。
そうすると、しばし天井を見上げたり、目をつぶったりして、視力の回復を待つ。
だけど、時間がもったいないので、テキトーに切り上げて、またモニターに向かうのだけれど、どんどん文字がかすれて、霧の中に漂うようになってしまう。
そういうときは、風呂に入るといいようだ。
気のせいかもしれないが、湯船に浮かぶ蒸気が、ドライアイ症状に陥った目を潤してくれるようにも思う。
仕事の原稿を書いているのは楽しい。
しかし、書き始めるまでに、取材したメモや情報を整理しておく必要がある。
実は、それが少し面倒。
その重苦しさもあって、メモの整理に入る前に、ついつい爪を切ったり、パソコン脇のテレビをザッピングしたり、床のゴミを拾ったり、加湿器の水を補充したりしてしまう。
だけど、取材した情報の整理が終わってしまえば、あとは一気。
読者対象も訴求項目も定まっている原稿だから、書きながらあまり考え込むことがない。
ブログの原稿を書くときは、まったくこれと逆。
面白そうなテーマが浮かんだときは、そそくさと書き始める。
しかし、途中から悩むことが多い。
往々にして、書いているうちに、結論が、最初に考えたものとまったく逆になったりすることが起こるのだ。
しかも、逆になってしまった方が、読み返すと文章の整合性が取れているように思えたりもする。
そうなると、考え込む。
最初に浮かんだ結論どおりに書き直すか。
それとも、このまま突っ走るか。
(案外、いい加減なんである)
だから、入口に入るのは億劫だけど、出口までは真っ直ぐに走れる仕事の原稿と、入口は楽だが、出口を探して迷うブログの原稿では、かなり書き方が変る。
ブログの原稿では、言葉一つ一つのイメージ喚起力を大事にしたいと思っている。
仕事の原稿では、文章のよどみない流れを大事にしている。
イメージ喚起力とは、音楽でいうシンコペーションと同じで、よどみなく流れる文章に、ちょっと歩調を狂わせるようなアクセントを入れると、効果が出るような気がする。
同じ言葉でも、 「 」 (カッコ) に入れたり入れなかったりすることで生まれる言葉の差別化。
体言止めを多用する箇所と、そうでない箇所の対比の妙。
ズラズラと長い文章を続けた後で、ひと言だけポツンと置く単語の効果。
そんなようなもの。
わぁ、またブログに時間を取られてしまった!
それでは、このまま明け方まで。
2010年01月11日
ローズガーデン
村野ミロは、桐野夏生のメジャー作家デビューを飾る 『顔に降りかかる雨』 のヒロインとして誕生した女性・私立探偵である。
このミロは、2作目の 『天使に見捨てられた夜』 でも活躍し、チャンドラーの創出したフィリップ・マーロウのように、桐野夏生のその後の作品をスルーで飾るメインキャラクターになるかのように思われた。
クールで、頭の切れもよくて、大胆で。
村野ミロは、そういう、ハードボイルドミステリーの主役を務めるにふさわしい性格を持ちながら、同時に、制御できない自分の弱さと自己嫌悪を内に抱え、それを押し殺しながら、あくどい個性を持つ人々と冷静に渡り合う。
まさに、古典的なハードボイルドヒーローの定型を与えられたミロだが、それまでのハードボイルドヒーローと異なるところは、よくドジを踏むこと。
それも、他者の情状を酌量しすぎて、ビジネスとしての事件解決を放棄してしまうという 「弱さ」 から来るドジが多い。
そこがミロの “愛すべき欠点” となり、小説の主人公としては、読者の感情移入を受け入れやすいキャラクターになっていたといえるだろう。
ところが、桐野夏生が、 『OUT』 や 『柔らかな頬』 という今までのミステリーの規範を破るような、人間の根源的な強さ、弱さ、恐ろしさを描く作家になってからは、誰にも愛された村野ミロというキャラクターも、変貌を遂げる。
ミロがデビューした1993年の 『顔にふりかかる雨』 のミロと、2002年の 『ダーク』 に登場するミロは別人のようだ。
『ダーク』 に登場するミロには、もはや内なる弱さを仮面で隠し、クールに物事に対処しようとするハードボイルドヒーローの面影はない。
義父の突然死を目撃しながら、助けもせずにその情景を凝視し、時には犯罪にも染まり、レイプされた結果によって生まれた幼児の手を引きながら、ヤクザや警察組織の追求を交わして逃避行をもくろむ女性に変っている。
初期の作品で表現された 「強がる弱い女」 から完全に脱却した 「荒ぶる女」 がそこにいる。
その変貌の謎は、にわかに読者には伝わらない。
しかし、ひとつだけ、そのミロの変貌の秘密を明かす、重要な短編集がある。
2000年に発表された 『ローズガーデン』 だ。
短編集 『ローズガーデン』 は、村野ミロが登場する四つの短編で構成されている。
そこに収録された作品は、基本的にサスペンスをベースにして、初期ミロの面影を濃密に残したエンターティメント色の強いものが中心となっている。
ただ、ひとつだけ、例外的な作品がある。
表題にもなった、書き下ろしの 『ローズガーデン』 だ。
初出一覧を見ると、この短編だけが、 『OUT』 『柔らかな頬』 を経た後の作品だということが分かる。
それ以外の3篇が、 『顔に降りかかる雨』 、 『天使に見捨てられた夜』 に見られるハードボイルド小説のテイストを引きずっているものだとしたら、 『ローズガーデン』 だけは異質だ。
主人公のミロは、まだ探偵となる前の高校時代の姿をはじめて読者の前にさらすのだが、それは、自分だけの特異な世界に閉じこもる不思議な少女としてのミロである。
どちらかというと、この後に書かれる 『ダーク』 に登場するミロに近いのだが、 『ダーク』 のミロともまた違う “捉えどころのなさ” がある。
“ミロシリーズ” の中でも、ひときわ謎の多い女になっているのだ。
それは、この作品が、ミロの元夫であった河合博夫の視点で描かれているからでもあるが、私には、 『顔に降りかかる雨』 のミロから 『ダーク』 のミロに至るまでの間に位置するミロを、作者が十分な性格づけを行わないまま書き始めたからではないか、とも思えるのだ。
いわば 「エアスポット」 に落ちたミロである。
しかし、だからこそ、ここに登場するミロは、他のシリーズに出てくるミロとは一線を画する、深い 《闇》 を抱えている。
その 《闇》 はまた、男の情熱も、欲望もすべて吸収しながら、けっしてその出口を指し示すことのないブラックホールでもある。
評論家の池上冬樹氏は、この作品が出た当時の書評欄で、この 《闇》 を 「カオス (混沌) 」 という言葉で表現した。
至言であると思う。
カオスとは、豊饒なるものの “錯綜状態” を示すものだからだ。
貧相なものは、決してカオスにはならない。
『ローズガーデン』 は、あたかも主人公の博夫が、ミロを回想しながら分け入っていく東南アジアの熱帯雨林のように、豊饒で、濃密で、混沌としていて、めくるめくような官能性を秘めた作品なのである。
そして、そこには、一般的な 「物語」 の構造に回収されることのない、人間の剥き出しの 「生」 の揺らぎがほの見えている。
たとえていえば、他のミロシリーズが、テレビの 「サスペンス劇場」 の原作として脚色されてしまう “分かりやすさ” を持っているのに対し、 『ローズガーデン』 だけは、かたくなに、TVドラマに脚色されることを拒否している。
万人が納得いくつくりにならざるを得ないテレビではなく、ひとつの 「世界観」 を持った映画監督の手になるフィルムの世界でなければ、どうしても再現できないような広がりを示しているのだ。
言葉を変えていえば、 「地平線」 を見ることのない国内で撮影されたドラマと、 「地平線」 を背景に持つ海外の原野でロケされたドラマの違いとでもいっていいだろう。
もちろん、インドネシアというエキゾチックな舞台設定が与えられたことから受ける印象もあるだろうが、それ以上に、この作品はテーマそのものが日本離れしている。
主要な登場人物はみな日本人なのに、昔のフランス映画のような濃密な快楽の追求がテーマになっている。
つまり、 「男は、愛する女の身体を手に入れたときよりも、その相手の身体をむさぼりながら、心を手に入れらないことに気づくとき、最も官能的な思いに浸される」 という、伝統的なフランス文学やフランス映画に貫かれた 《公理》 を忠実になぞった作品なのだ。
その 《公理》 には、いくつかのパターンがある。
ひとつは、 “裏切る悪女” というファムファタールの系譜。
もうひとつは、不倫。
たとえ相思相愛の仲になったといえども、どちらか、あるいは双方に家庭があった場合、相手の 「心」 を完全に手中に収めるには、 「家庭」 が障害となる。
愛の言葉を交し合う濃密な時間の中でも、相手の心に、もしかしたら自分の家庭のことが影を落としているかもしれないという焦燥から、不倫の恋人たちは脱出することができない。
もうひとつある。
「相手の心」 が、自分の心とのスケールの違いによって読めない場合。
もしそれが、相手の女性が、愛とは別の目的で自分を利用しているかもしれない…というのなら、それは “悪女” の系譜に入る話となる。
しかし、博夫とミロの関係は、二人の心の 「大きさ」 の違いとして表れる。
ミロの心は、博夫が包摂するには大きすぎる、というか、深すぎる 《闇》 を抱えている。
だから、ミロの愛情をたっぷり受けているように思える瞬間があっても、博夫の心は、その 《闇》 の奥底までは届かず、逆に、ミロの心の底から浮かび上がる妖しくも恐ろしい官能性だけを手に入れることになる。
それは、男が受ける究極の 「快楽」 と 「悲劇」 に彩られるしかないようなものだ。
『ローズガーデン』 の主役を務める博夫は、仕事のために、インドネシアの大河の中を、小さなボートで、ジャングルの集落目指して遡っている。
すでにミロとは離婚して、もう2人の間を法的に拘束しあう絆はない。
しかし、博夫の心の中には、いまだにミロに対するうずくような未練が燃え盛っている。
むしろ、別れたからこそ、失われたものへの執着がつのるのだ。
だが、考えてみれば、高校生のミロを、彼女と肉体関係のあったその義父から奪ったときから、自分はミロの何かを獲得したことがあったのだろうか。
そう思う博夫の懊悩が、密林に囲まれた河を遡っていく自分に、ミロと自分の関係を考え直すきっかけを与える。
博夫は、ミロの不幸の根源を探そうとする。
そこには、どうしても、ミロが嫌悪しながらも義父との交わりを続けなければならなかったという異様な関係が浮かび上がってくる。
それは、ミロの精神を、孤独で歪 (いびつ) なものに変えたかもしれない。
しかし、女のざっくり開いた傷口をなめることは、意のままにならぬ女を恋する男にとっては、蜜の味。
そして、それによって切り裂かれる自分の傷口を覗き込むのは、それにもまさる快楽。
そこには、サディズムとマゾヒズムが渾然一体となった桃源郷がある。
だが、それも、今は失われてしまっている。
博夫は、喪失感と、いまだ消すことのできない官能のうづきを胸に秘めたまま、濁流の彼方に広がる熱帯雨林を見つめ続ける。
この博夫が見つめるインドネシアの自然には、おそらく、1980年に日本でも公開された映画 『地獄の黙示録』 のイメージが重ねられているはずである。
(あるいは、その原作となったジョセフ・コンラッドの 『闇の奥』 の世界が反映されているかもしれない)
あの映画に描かれたアジアこそ、ヨーロッパ人的な視線で眺められたアジアである。
エキゾチックな謎と無気味さに満たされたアジア。
冒険心をくすぐる危険な魅力を秘めたアジア。
迷路のような奥行きをほのめかすアジア。
それは、19世紀から20世紀初頭にかけての、欧米諸国の植民地争奪戦の時代に培われたアジア像といってもかまわない。
その後、こういうアジアに対する視線は 「オリエンタリズム」 と名づけられ、侵略と収奪を前提に対象化されたアジア観として批判されるようになった。
帝国主義時代のイデオロギーで粉飾された、強引な作意による虚構のアジア像だというわけだ。
しかし、そのヨーロッパ人たちが描いた虚構のアジア像はまたなんと妖しげな魅力を放っていることか。
ダヴィッドの描くトルコ王宮のハーレムの画像を持ち出すまでもなく、謎めいたエキゾチシズムに彩られたアジアという構造は、実に官能的な胸騒ぎを起こさる。
そこには、帝国主義時代を迎えたヨーロッパ人が、長い間文明的に劣等感を抱き続けてきたアジアに対し、 「かつて高嶺の花だった女を奴隷におとしめて犯す」 というサディスティックな思いを抱いていた事実が浮かび上がってくる。
ここに描かれたインドネシアは、そのような、どこかヨーロッパ文化のバタくささに彩られたアジアだ。
非文明的で、非衛生的で、危険で、平気で裏切りそうで、それでいて豊饒で、優雅で、無欲で、無類にエロチック。
まさに、かつてのヨーロッパ人のサディズムの対象になりそうなアジアといっていい。
実際には、その時代のアジアの自然は、アジア的な視点で眺めれば、もっとエコロジカルな宗教性を帯びていていたはずなのだ。
ところが、あえて桐野夏生は、博夫に目に、かつてのヨーロッパ人が見たアジアの自然を見つめさせる。
そうする必然性があったのだ。
なぜなら、そのようなサディズムとマゾヒズムが混在するヨーロッパ的な (とりわけフランス文学的な) 視線でみたアジアの快楽を、熱帯雨林を見つめる博夫の目に焼き付けたかったからである。
そして、その豊かな官能性を秘めた熱帯アジアの河と密林が、そのままそっくり、博夫が愛してきたミロを象徴していることを、博夫に教えたかったのだ。
博夫たちの乗る船が次第に上流に近づき、周りの密林が険しさを増す頃、博夫ははじめて、自問する。
「俺はどこに行く?」
ミロから離れるためにやってきたインドネシア。
しかし、それこそ、実はミロを求めながら、それと決別する旅であったことが、ここで微妙に暗示される。
その後の博夫がどうなったか。
それが桐野夏生のデビュー作 『頬にふりかかる雨』 に描かれている。
博夫の海外出張中の自殺は、ミロの心に、永遠の重しを与えることになる。
博夫の死を、自分はどう受け止めたらよいのか。
その答を模索する懊悩と、博夫への贖罪の意識から、女・私立探偵ミロの彷徨が始まる。
このミロは、2作目の 『天使に見捨てられた夜』 でも活躍し、チャンドラーの創出したフィリップ・マーロウのように、桐野夏生のその後の作品をスルーで飾るメインキャラクターになるかのように思われた。
クールで、頭の切れもよくて、大胆で。
村野ミロは、そういう、ハードボイルドミステリーの主役を務めるにふさわしい性格を持ちながら、同時に、制御できない自分の弱さと自己嫌悪を内に抱え、それを押し殺しながら、あくどい個性を持つ人々と冷静に渡り合う。
まさに、古典的なハードボイルドヒーローの定型を与えられたミロだが、それまでのハードボイルドヒーローと異なるところは、よくドジを踏むこと。
それも、他者の情状を酌量しすぎて、ビジネスとしての事件解決を放棄してしまうという 「弱さ」 から来るドジが多い。
そこがミロの “愛すべき欠点” となり、小説の主人公としては、読者の感情移入を受け入れやすいキャラクターになっていたといえるだろう。
ところが、桐野夏生が、 『OUT』 や 『柔らかな頬』 という今までのミステリーの規範を破るような、人間の根源的な強さ、弱さ、恐ろしさを描く作家になってからは、誰にも愛された村野ミロというキャラクターも、変貌を遂げる。
ミロがデビューした1993年の 『顔にふりかかる雨』 のミロと、2002年の 『ダーク』 に登場するミロは別人のようだ。
『ダーク』 に登場するミロには、もはや内なる弱さを仮面で隠し、クールに物事に対処しようとするハードボイルドヒーローの面影はない。
義父の突然死を目撃しながら、助けもせずにその情景を凝視し、時には犯罪にも染まり、レイプされた結果によって生まれた幼児の手を引きながら、ヤクザや警察組織の追求を交わして逃避行をもくろむ女性に変っている。
初期の作品で表現された 「強がる弱い女」 から完全に脱却した 「荒ぶる女」 がそこにいる。
その変貌の謎は、にわかに読者には伝わらない。
しかし、ひとつだけ、そのミロの変貌の秘密を明かす、重要な短編集がある。
2000年に発表された 『ローズガーデン』 だ。
短編集 『ローズガーデン』 は、村野ミロが登場する四つの短編で構成されている。
そこに収録された作品は、基本的にサスペンスをベースにして、初期ミロの面影を濃密に残したエンターティメント色の強いものが中心となっている。
ただ、ひとつだけ、例外的な作品がある。
表題にもなった、書き下ろしの 『ローズガーデン』 だ。
初出一覧を見ると、この短編だけが、 『OUT』 『柔らかな頬』 を経た後の作品だということが分かる。
それ以外の3篇が、 『顔に降りかかる雨』 、 『天使に見捨てられた夜』 に見られるハードボイルド小説のテイストを引きずっているものだとしたら、 『ローズガーデン』 だけは異質だ。
主人公のミロは、まだ探偵となる前の高校時代の姿をはじめて読者の前にさらすのだが、それは、自分だけの特異な世界に閉じこもる不思議な少女としてのミロである。
どちらかというと、この後に書かれる 『ダーク』 に登場するミロに近いのだが、 『ダーク』 のミロともまた違う “捉えどころのなさ” がある。
“ミロシリーズ” の中でも、ひときわ謎の多い女になっているのだ。
それは、この作品が、ミロの元夫であった河合博夫の視点で描かれているからでもあるが、私には、 『顔に降りかかる雨』 のミロから 『ダーク』 のミロに至るまでの間に位置するミロを、作者が十分な性格づけを行わないまま書き始めたからではないか、とも思えるのだ。
いわば 「エアスポット」 に落ちたミロである。
しかし、だからこそ、ここに登場するミロは、他のシリーズに出てくるミロとは一線を画する、深い 《闇》 を抱えている。
その 《闇》 はまた、男の情熱も、欲望もすべて吸収しながら、けっしてその出口を指し示すことのないブラックホールでもある。
評論家の池上冬樹氏は、この作品が出た当時の書評欄で、この 《闇》 を 「カオス (混沌) 」 という言葉で表現した。
至言であると思う。
カオスとは、豊饒なるものの “錯綜状態” を示すものだからだ。
貧相なものは、決してカオスにはならない。
『ローズガーデン』 は、あたかも主人公の博夫が、ミロを回想しながら分け入っていく東南アジアの熱帯雨林のように、豊饒で、濃密で、混沌としていて、めくるめくような官能性を秘めた作品なのである。
そして、そこには、一般的な 「物語」 の構造に回収されることのない、人間の剥き出しの 「生」 の揺らぎがほの見えている。
たとえていえば、他のミロシリーズが、テレビの 「サスペンス劇場」 の原作として脚色されてしまう “分かりやすさ” を持っているのに対し、 『ローズガーデン』 だけは、かたくなに、TVドラマに脚色されることを拒否している。
万人が納得いくつくりにならざるを得ないテレビではなく、ひとつの 「世界観」 を持った映画監督の手になるフィルムの世界でなければ、どうしても再現できないような広がりを示しているのだ。
言葉を変えていえば、 「地平線」 を見ることのない国内で撮影されたドラマと、 「地平線」 を背景に持つ海外の原野でロケされたドラマの違いとでもいっていいだろう。
もちろん、インドネシアというエキゾチックな舞台設定が与えられたことから受ける印象もあるだろうが、それ以上に、この作品はテーマそのものが日本離れしている。
主要な登場人物はみな日本人なのに、昔のフランス映画のような濃密な快楽の追求がテーマになっている。
つまり、 「男は、愛する女の身体を手に入れたときよりも、その相手の身体をむさぼりながら、心を手に入れらないことに気づくとき、最も官能的な思いに浸される」 という、伝統的なフランス文学やフランス映画に貫かれた 《公理》 を忠実になぞった作品なのだ。
その 《公理》 には、いくつかのパターンがある。
ひとつは、 “裏切る悪女” というファムファタールの系譜。
もうひとつは、不倫。
たとえ相思相愛の仲になったといえども、どちらか、あるいは双方に家庭があった場合、相手の 「心」 を完全に手中に収めるには、 「家庭」 が障害となる。
愛の言葉を交し合う濃密な時間の中でも、相手の心に、もしかしたら自分の家庭のことが影を落としているかもしれないという焦燥から、不倫の恋人たちは脱出することができない。
もうひとつある。
「相手の心」 が、自分の心とのスケールの違いによって読めない場合。
もしそれが、相手の女性が、愛とは別の目的で自分を利用しているかもしれない…というのなら、それは “悪女” の系譜に入る話となる。
しかし、博夫とミロの関係は、二人の心の 「大きさ」 の違いとして表れる。
ミロの心は、博夫が包摂するには大きすぎる、というか、深すぎる 《闇》 を抱えている。
だから、ミロの愛情をたっぷり受けているように思える瞬間があっても、博夫の心は、その 《闇》 の奥底までは届かず、逆に、ミロの心の底から浮かび上がる妖しくも恐ろしい官能性だけを手に入れることになる。
それは、男が受ける究極の 「快楽」 と 「悲劇」 に彩られるしかないようなものだ。
『ローズガーデン』 の主役を務める博夫は、仕事のために、インドネシアの大河の中を、小さなボートで、ジャングルの集落目指して遡っている。
すでにミロとは離婚して、もう2人の間を法的に拘束しあう絆はない。
しかし、博夫の心の中には、いまだにミロに対するうずくような未練が燃え盛っている。
むしろ、別れたからこそ、失われたものへの執着がつのるのだ。
だが、考えてみれば、高校生のミロを、彼女と肉体関係のあったその義父から奪ったときから、自分はミロの何かを獲得したことがあったのだろうか。
そう思う博夫の懊悩が、密林に囲まれた河を遡っていく自分に、ミロと自分の関係を考え直すきっかけを与える。
博夫は、ミロの不幸の根源を探そうとする。
そこには、どうしても、ミロが嫌悪しながらも義父との交わりを続けなければならなかったという異様な関係が浮かび上がってくる。
それは、ミロの精神を、孤独で歪 (いびつ) なものに変えたかもしれない。
しかし、女のざっくり開いた傷口をなめることは、意のままにならぬ女を恋する男にとっては、蜜の味。
そして、それによって切り裂かれる自分の傷口を覗き込むのは、それにもまさる快楽。
そこには、サディズムとマゾヒズムが渾然一体となった桃源郷がある。
だが、それも、今は失われてしまっている。
博夫は、喪失感と、いまだ消すことのできない官能のうづきを胸に秘めたまま、濁流の彼方に広がる熱帯雨林を見つめ続ける。
この博夫が見つめるインドネシアの自然には、おそらく、1980年に日本でも公開された映画 『地獄の黙示録』 のイメージが重ねられているはずである。
(あるいは、その原作となったジョセフ・コンラッドの 『闇の奥』 の世界が反映されているかもしれない)
あの映画に描かれたアジアこそ、ヨーロッパ人的な視線で眺められたアジアである。
エキゾチックな謎と無気味さに満たされたアジア。
冒険心をくすぐる危険な魅力を秘めたアジア。
迷路のような奥行きをほのめかすアジア。
それは、19世紀から20世紀初頭にかけての、欧米諸国の植民地争奪戦の時代に培われたアジア像といってもかまわない。
その後、こういうアジアに対する視線は 「オリエンタリズム」 と名づけられ、侵略と収奪を前提に対象化されたアジア観として批判されるようになった。
帝国主義時代のイデオロギーで粉飾された、強引な作意による虚構のアジア像だというわけだ。
しかし、そのヨーロッパ人たちが描いた虚構のアジア像はまたなんと妖しげな魅力を放っていることか。
ダヴィッドの描くトルコ王宮のハーレムの画像を持ち出すまでもなく、謎めいたエキゾチシズムに彩られたアジアという構造は、実に官能的な胸騒ぎを起こさる。
そこには、帝国主義時代を迎えたヨーロッパ人が、長い間文明的に劣等感を抱き続けてきたアジアに対し、 「かつて高嶺の花だった女を奴隷におとしめて犯す」 というサディスティックな思いを抱いていた事実が浮かび上がってくる。
ここに描かれたインドネシアは、そのような、どこかヨーロッパ文化のバタくささに彩られたアジアだ。
非文明的で、非衛生的で、危険で、平気で裏切りそうで、それでいて豊饒で、優雅で、無欲で、無類にエロチック。
まさに、かつてのヨーロッパ人のサディズムの対象になりそうなアジアといっていい。
実際には、その時代のアジアの自然は、アジア的な視点で眺めれば、もっとエコロジカルな宗教性を帯びていていたはずなのだ。
ところが、あえて桐野夏生は、博夫に目に、かつてのヨーロッパ人が見たアジアの自然を見つめさせる。
そうする必然性があったのだ。
なぜなら、そのようなサディズムとマゾヒズムが混在するヨーロッパ的な (とりわけフランス文学的な) 視線でみたアジアの快楽を、熱帯雨林を見つめる博夫の目に焼き付けたかったからである。
そして、その豊かな官能性を秘めた熱帯アジアの河と密林が、そのままそっくり、博夫が愛してきたミロを象徴していることを、博夫に教えたかったのだ。
博夫たちの乗る船が次第に上流に近づき、周りの密林が険しさを増す頃、博夫ははじめて、自問する。
「俺はどこに行く?」
ミロから離れるためにやってきたインドネシア。
しかし、それこそ、実はミロを求めながら、それと決別する旅であったことが、ここで微妙に暗示される。
その後の博夫がどうなったか。
それが桐野夏生のデビュー作 『頬にふりかかる雨』 に描かれている。
博夫の海外出張中の自殺は、ミロの心に、永遠の重しを与えることになる。
博夫の死を、自分はどう受け止めたらよいのか。
その答を模索する懊悩と、博夫への贖罪の意識から、女・私立探偵ミロの彷徨が始まる。
2010年01月10日
晴れた休日の空
「欠けている」
という事実は、 「満たされている」 時にはよく分からない。
実に当たり前のことだけど、その当たり前のことに、人間はなかなか気づかない。
親とか、健康とか、お金とか。
みな、それが失われたときに 「ありがたみが分かる」 などと言われる。
今日みたいに…つぅーか、もう昨日か。
休みの日に、目が醒めてから、 「家に誰もいない」 って事実に気づくと、ポカっと心に穴みたいなものが空いているのを発見する。
目覚し時計に起こされて、あくせくと通勤の準備に追われるような日はいいんだけどね。
時計の音を聞かず、自然に目が醒めて、普段なら 「なんて幸せな朝…」 と思える日の方が、かえってカミさんがここにいない…という空虚感がドッと襲う。
入院しちゃって、そろそろ1ヶ月を超えるのかな。
車椅子生活の義母と同居していたけれど、仕事が忙しくて、帰りがいつも深夜になるから…っていうことで、しばらく介護施設に入所してもらうことにした。
でも、今から思うと、義母のためにせっせと夕食の支度なんかしたり、欠けた生活品などを買いに、夜中に自転車こいでコンビニに行ったりしていたときの方が、忙しくて、気がまぎれた。
その頃は、 「ええい、この忙しいときに!」 と、内心思わないわけでもなかったけれど、人間わがままだよね。
昼間、少し溜まった新聞持って、洗濯の終わった着替えを持って、カミさんのいる病院に向かった。
いつもの部屋にいない。
個室に変ったのだ。
部屋の外から、そぉっと中を覗くと、ビニールハウスみたいなところに入っている。
本格的な治療が始まったのだ。
治療が始まると、無菌状態にして隔離される、という話を聞いていたけれど、それなんだろうな、と思った。
「再生不良性貧血」 というのは、赤血球、白血球、血小板がみんな適正値から下がってしまう病気らしいけれど、治療の過程で、一時白血球がドカンと下がることがあるのだという。
つまり、雑菌、ウィルスみたいなものに対する抵抗力が、極端に落ちている状態なのだ。
こっちなんか、存在そのものが “ばい菌” みたいなものだから、近づいただけで、相手がシューっと空気の抜けたゴム人形みたいなものになってしまうのではないかと心配してしまう。
部屋の前に用意されたマスクをかけて、手をアルコールで消毒して、おそるおそるドアを開けた。
まぁ、思ったより元気な顔で、安心。
ただ、相変わらずモノが食えないらしい。
ちょうど昼飯時で、おかゆなんかが出てきていたけれど、その半分も胃に入らないという。
でも、見た感じが、そんなにやつれていないので、ホッとする。
「ちっともダイエットが進んでねぇじゃねぇか」
とか、いつものようにバカいって、笑わせて、洗濯物を交換して、部屋を出てきたけれど、病院の外には抜けるような青空が広がっていることが、うらめしい。
昔だったら、こんな3連休、 「温泉でもいくか…」 なんて、そそくさとバスタオルと着替えだけキャンピングカーに放り込んで、遊びに行ってたというのに。

お次は、義母のいる介護施設に。
途中のスーパーで、リクエストされていたヘアオイルを買う。
病院も、施設も、自転車で行ける距離なので、助かる。
広々とした談話室で、他の老人たちがテレビを見ている大テーブルの片隅に座り、折り紙で鶴を折っていた。
色とりどりの鶴が、その一ヶ所だけ、花畑のようなにぎわいを見せていた。
「煩悩を取り払うには、鶴を折るのが一番」
と、義母はいう。
心を込めて折ると、頭と尻尾のところが、ピンと張り詰めたように真っ直ぐになるのだとか。
建物のいちばん上にある陽の当たる談話室までエレベーターで上がり、並んで座って、紫色のシルエットになっている富士山を見た。
「ここの食べ物は、本当においしい。しっかりした調理人がこしらえているらしく、味付けもいい」
と、缶ジュースを飲みながら、義母がいう。
「それはよかったですね」
と胸をなでおろす。
そして、もう何度聞いたか分からない、少女時代に食べて感激したというシュークリームの話を聞く。
で、 「ここが笑いどころだな」 と思えるところで、いつものように笑ってあげる。
それでも、その話が新鮮に思えた。
なんだか、離れてしまった方が、心が通い合うような気がする。
本当に寂しいな…と思ったのは、正月休みに “応援部隊” として帰ってきた息子が、休みが明けて、家を出て行ったとき。
やつも自活するようになって、ここのところ滅多に顔を見せなかったけれど、 「ちょっと家がピンチ」 というと、しっかり戻ってきてくれる。
相変わらず、口は悪い。
特に、カミさんを辛らつにからかう。
ま、オレゆずりなんだけどね。
でも、黙って、家を掃除して、溜まった食器の洗い物をして、洗濯をしてくれた。
正直、ありがたいな…と思った。
やつの帰りぎわ、昔だったら、したこともなかったけれど、わざわざ玄関を出て、街路灯に照らされてシルエットになった息子の後ろ姿を、通りまで出て、そっと眺めた。
声はかけなかったけれど、夜道を駅方向に向かって歩くその背中を見て、たくましくなったな…と思う反面、まだ子供だった頃の、小さな背中を思い出した。
困ったことがひとつ。
息子になついた犬が、やたら寂しくなったらしく、息子の姿を求めて、ドアの内側から遠吼えすること。
夜、抱いて寝てやっているんだけど、オレじゃダメみたい。
という事実は、 「満たされている」 時にはよく分からない。
実に当たり前のことだけど、その当たり前のことに、人間はなかなか気づかない。
親とか、健康とか、お金とか。
みな、それが失われたときに 「ありがたみが分かる」 などと言われる。
今日みたいに…つぅーか、もう昨日か。
休みの日に、目が醒めてから、 「家に誰もいない」 って事実に気づくと、ポカっと心に穴みたいなものが空いているのを発見する。
目覚し時計に起こされて、あくせくと通勤の準備に追われるような日はいいんだけどね。
時計の音を聞かず、自然に目が醒めて、普段なら 「なんて幸せな朝…」 と思える日の方が、かえってカミさんがここにいない…という空虚感がドッと襲う。
入院しちゃって、そろそろ1ヶ月を超えるのかな。
車椅子生活の義母と同居していたけれど、仕事が忙しくて、帰りがいつも深夜になるから…っていうことで、しばらく介護施設に入所してもらうことにした。
でも、今から思うと、義母のためにせっせと夕食の支度なんかしたり、欠けた生活品などを買いに、夜中に自転車こいでコンビニに行ったりしていたときの方が、忙しくて、気がまぎれた。
その頃は、 「ええい、この忙しいときに!」 と、内心思わないわけでもなかったけれど、人間わがままだよね。
昼間、少し溜まった新聞持って、洗濯の終わった着替えを持って、カミさんのいる病院に向かった。
いつもの部屋にいない。
個室に変ったのだ。
部屋の外から、そぉっと中を覗くと、ビニールハウスみたいなところに入っている。
本格的な治療が始まったのだ。
治療が始まると、無菌状態にして隔離される、という話を聞いていたけれど、それなんだろうな、と思った。
「再生不良性貧血」 というのは、赤血球、白血球、血小板がみんな適正値から下がってしまう病気らしいけれど、治療の過程で、一時白血球がドカンと下がることがあるのだという。
つまり、雑菌、ウィルスみたいなものに対する抵抗力が、極端に落ちている状態なのだ。
こっちなんか、存在そのものが “ばい菌” みたいなものだから、近づいただけで、相手がシューっと空気の抜けたゴム人形みたいなものになってしまうのではないかと心配してしまう。
部屋の前に用意されたマスクをかけて、手をアルコールで消毒して、おそるおそるドアを開けた。
まぁ、思ったより元気な顔で、安心。
ただ、相変わらずモノが食えないらしい。
ちょうど昼飯時で、おかゆなんかが出てきていたけれど、その半分も胃に入らないという。
でも、見た感じが、そんなにやつれていないので、ホッとする。
「ちっともダイエットが進んでねぇじゃねぇか」
とか、いつものようにバカいって、笑わせて、洗濯物を交換して、部屋を出てきたけれど、病院の外には抜けるような青空が広がっていることが、うらめしい。
昔だったら、こんな3連休、 「温泉でもいくか…」 なんて、そそくさとバスタオルと着替えだけキャンピングカーに放り込んで、遊びに行ってたというのに。
お次は、義母のいる介護施設に。
途中のスーパーで、リクエストされていたヘアオイルを買う。
病院も、施設も、自転車で行ける距離なので、助かる。
広々とした談話室で、他の老人たちがテレビを見ている大テーブルの片隅に座り、折り紙で鶴を折っていた。
色とりどりの鶴が、その一ヶ所だけ、花畑のようなにぎわいを見せていた。
「煩悩を取り払うには、鶴を折るのが一番」
と、義母はいう。
心を込めて折ると、頭と尻尾のところが、ピンと張り詰めたように真っ直ぐになるのだとか。
建物のいちばん上にある陽の当たる談話室までエレベーターで上がり、並んで座って、紫色のシルエットになっている富士山を見た。
「ここの食べ物は、本当においしい。しっかりした調理人がこしらえているらしく、味付けもいい」
と、缶ジュースを飲みながら、義母がいう。
「それはよかったですね」
と胸をなでおろす。
そして、もう何度聞いたか分からない、少女時代に食べて感激したというシュークリームの話を聞く。
で、 「ここが笑いどころだな」 と思えるところで、いつものように笑ってあげる。
それでも、その話が新鮮に思えた。
なんだか、離れてしまった方が、心が通い合うような気がする。
本当に寂しいな…と思ったのは、正月休みに “応援部隊” として帰ってきた息子が、休みが明けて、家を出て行ったとき。
やつも自活するようになって、ここのところ滅多に顔を見せなかったけれど、 「ちょっと家がピンチ」 というと、しっかり戻ってきてくれる。
相変わらず、口は悪い。
特に、カミさんを辛らつにからかう。
ま、オレゆずりなんだけどね。
でも、黙って、家を掃除して、溜まった食器の洗い物をして、洗濯をしてくれた。
正直、ありがたいな…と思った。
やつの帰りぎわ、昔だったら、したこともなかったけれど、わざわざ玄関を出て、街路灯に照らされてシルエットになった息子の後ろ姿を、通りまで出て、そっと眺めた。
声はかけなかったけれど、夜道を駅方向に向かって歩くその背中を見て、たくましくなったな…と思う反面、まだ子供だった頃の、小さな背中を思い出した。
困ったことがひとつ。
息子になついた犬が、やたら寂しくなったらしく、息子の姿を求めて、ドアの内側から遠吼えすること。
夜、抱いて寝てやっているんだけど、オレじゃダメみたい。
2010年01月09日
金融とキリスト教
島田裕巳 (しまだ・ひろみ) 氏が書いた 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』 (文春新書) は、グローバル化した現代の金融資本主義には、ユダヤ・キリスト教の世界観がそのまま反映されていると指摘した、実に刺激的な書である。
抜け目なく利潤を追求する金融資本主義と、愛や倫理を説くキリスト教は、一見、相反するもののように思える。
しかし、島田氏がいうには、そのような金融資本主義的な理念こそ、ユダヤ・キリスト教思想の反映なのだという。
考えてみれば、現在の経済システムそのものともいえる資本主義が勃興したのは、イギリスやネーデルランド地帯といった北ヨーロッパの、それも信仰心の篤 (あつ) いプロテスタント信者の多い地域である。
広い意味での 「商業」 ならば、ヨーロッパに限らず、イスラム諸国でも、中国でも、インドでも盛んだった。
商業の歴史は、資本主義の歴史よりも古く、それこそ人類の歴史そのものといっていいほど古い。
なのに、なぜ近世の北ヨーロッパだけに、資本主義は生まれたのか。
考えてみると、これはなかなか興味深いテーマである。
《 神の見えざる手 》
多くの経済史をひもとくと、資本主義の起源を、イギリスの産業革命による大規模な技術革新と、労働力の確保に求める説が多い。
しかし、それだけではあるまい。
やはり、資本主義をデザインしようとした人たちのモチベーションには、なんらかの 「世界観」 が反映されていたはずである。
その資本主義のメンタリティーというものを考えるとき、本書はひとつの重要なヒントを提示しているように思える。
まず、島田氏は、現在の経済学の根幹ともなったアダム・スミス (1723年生) を代表とする古典主義経済学そのものが、キリスト教的な教義をそのまま援用したものだという。
古典派経済学では、「市場」 というものを、次のように捉える。
すなわち、物が流通する 「市場」 には、自動調整機能というものが備わっており、各局面において不均衡が生じることはあっても、最終的には需要と供給の均衡がとれるものとなり、富の分布も公平に行きわたる。
その自動的に均衡がとれるような働きを、一般的に 「神の見えざる手」 と称し、そこに、全知全能の 「神」 の力が 「市場」 に投影されているというキリスト教神学の影を見ることができる…と氏はいう。
宇宙をコントロールできるのは、神だけである。
需要と供給が不均衡にせめぎ合う 「市場」 も、正しく見ると神の正確な手さばきによって運営されている。
そのように 「市場」 というものを見る視点において、すでにキリスト教は独自の商業観を獲得していた。
《 労働は “罰” だった 》
資本主義を生み出した人々の心に、プロテスタント系キリスト教徒の倫理観を見出したのは、マックス・ヴェーバー (1864生) である。
彼の基礎文献ともいえる有名な 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 においても、島田氏はユニークな分析を試みる。
ヴェーバーが、資本の蓄積をプロテスタントの禁欲的な労働に求めたことはあまりにも有名だが、それはプロテスタントたちが、獲得した財産を消費に回すことを神から禁じられ、節約こそ美徳であると奨励されたからこそ可能になったという。
「つかうことなく、貯まる一方の金」
ヴェーバーは、そこに資本の原始的蓄積を認めた。
このヴェーバーの着想に、 「人間は神から労働を “強制させられた” 」 という聖書の指摘が作用していることに島田氏は着目する。
キリスト教とユダヤ教の共通の聖典である 「創世記」 に、有名なアダムとイブの話がある。
2人は、 「エデンの園」 という神から与えられた楽園で、何一つ不自由のない暮らしを営んでいた。

ところがある日、イブは、蛇 (悪魔の使い) にそそのかされ、神から食べることを禁じられていた “智恵の実” を食べてしまう。
それを知って怒った神は、アダムとイブを楽園から追放し、ついでに永遠の生命も取り上げ、 「死」 を運命づけるとともに、生きる糧を得るための 「労働」 を強制する。
つまり、キリスト教における 「労働」 は、人間が神から指図された “強制労働” なのである。
「強制労働」 であるからには、神は常に監視しているはずだ。
だから、一時もサボってはならない。
神の許しを乞うためには、歯を食いしばっても、身体に血がにじんでも、 「労働」 を手放してはならない。
ここにプロテスタント系キリスト教の独特の 「労働観」 がうかがえる。
すなわち、「神の意志」 を知り得ない人間にとって、労働に励むことこそ、神の慈悲にすがる唯一の方法であるという考え方が、ここに表れている。
《 キリスト者としてのマルクス 》
このようにして、資本主義を準備する原資の蓄積がなされていくわけだが、暴走し始めた資本主義は、アダム・スミスたちの古典派経済学者が夢見たような、予定調和に満ちた幸せな経済原則を実現しなかった。
世界でいち早く資本主義システムを樹立したイギリスにおいては、富を蓄積する資本家と、貧困にあえぐ労働者の階級対立が生まれ、アダム・スミスの唱えたような富の分配が自動的に調整される理想的な市場とはかけ離れた経済現象が出現した。
ユダヤ系ドイツ人であるカール・マルクス (1818年生) は、そのような資本主義の非人間性を指摘し、悲惨な社会を現出させる資本主義社会がいつまでも続くわけがないと主張して、共産主義社会の到来を予言する。
マルクスは、驕 (おご) れる資本家たちの 「労働者からの搾取」 が極限まで進み、社会が成り立たなくなった時点において、資本主義は終焉すると予測した。
そして、そのあとに到来する共産主義社会こそ、人類に最終的な幸福を約束する社会であると宣言した。
このような発想に、島田氏は、キリスト教的な 「終末論」 の影を見る。
「マルクス主義」 というと、宗教とはもっとも相反する思想だという先入観を持つ人は多いが、島田氏は、その鼻祖であるマルクスの中に潜むキリスト教的 「教養」 を見逃さなかった。
キリスト教においては、人間は 「最後の審判」 という避けられない日が到来することを宿命づけられている。
すなわち、アダムとイブ以来の 「原罪」 を背負う罪深い人間は、いつしか神の裁きを受け入れなければならず、天国に行くか地獄に堕ちるかを審判される 「最後の日」 を迎える。
▲ 最後の審判図
このような 「終末論」 は、背徳に染まった人間たちを、神が洪水を使って滅ぼそうとする 「ノアの箱船」 の話に始まり、業火に焼かれる 「ソドムとゴモラの町」 の話に至るまで、聖書のあらゆるところに記述されている。
島田氏は、このような 「終末論」 を常に教養として語り継いできた欧米人の社会では、危機的な事態を 「終末論的」 に解釈する心理的な回路が、しっかりと形成されているという。
したがって、恐慌による資本主義の経済破綻というのも、キリスト教の 「終末論」 をなぞったものとされ、その神の罰を受け入れ、悔い改めることによって、新しい資本主義社会が再生されるというヴィジョンが、欧米人の資本主義的イメージの根幹を成しているというのだ。
このように考えると、マルクスの唱える、 「ブルジョワ支配による資本主義の終焉」 と、その後に訪れる 「労働者主体の共産主義社会による再生」 も、そっくりキリスト教が説く 「腐敗した民の滅亡」 と 「選ばれた民の再生」 の話法をなぞったもののように見えてくる。
マルクスの唱えた 「共産主義」 が、当時の資本家たちを怖がらせたのは、そこに提示された革命のヴィジョンが、資本家たちに、キリスト教徒にとっては身近な 「神の裁き」 を予感させたからかもしれない。
《 破壊された現代のバベルの塔 》
民を常に監視し、その信仰心をチェックし、驕り高ぶる人間を見逃さずに処罰するというユダヤ・キリスト教の神の特徴は、現代のアメリカ社会においても貫かれている。
2001年に起こった 「9・11世界同時多発テロ」 で、ニューヨークの貿易センタービルがハイジャックされた航空機の突入によって破壊されたとき、アメリカ人の中には 「バベルの塔」 の崩壊を感じた人が多かったという。

聖書に記述されるバベルの塔の説話は、ある時、人間たちが神のいる天まで至ろうとして、巨大な塔を建設する話だ。
神は、それを 「思い上がった人間の不遜な行為」 と受け取る。
そして、塔を建設する人々がコミュニケーションを取れないように、彼らが話す言葉をバラバラに分けてしまい、中途で挫折するように仕向けた。
この話が、世界の言語が多様化した起源だとされるわけだが、ここにも、アダムとイブの話、ノアの箱船の話と共通した、 「人間の罪」 に敏感な神の視線を感じることができる。
貿易センタービルというのは、アメリカの資本主義の隆盛を象徴する建物だった。
その倒壊は、資本主義の恩恵に酔いしれて贅沢を極めた人類が迎える 「小さな終末」 でもあった。
貿易センタービルの倒壊によって、 「バベルの塔」 を想起した人々が多かったということは、それだけアメリカ社会が、聖書のメンタリティに満たされた社会であることを物語っているといえよう。
《 抗議としての原理主義運動 》
島田氏は、最近ひんぱんに使われるようになった 「原理主義」 という言葉にも注目する。
もともとこれは、20世紀のはじめ、キリスト教のなかで、聖書に対して徹底して忠実であろうとする運動に対して用いられた言葉だった。
しかし、聖書は古代に記されたものなので、そこには古代社会における生活が反映されている。
そのため、現代の社会ではそのままでは適用できない部分が多い。
ところが、原理主義者たちは、その点を無視し、あくまでも聖書の記述に忠実であろうとする。
学校でダーウィンの 「進化論」 を教えることに反対し、現存するすべての生物は神のつくったままの姿でこの世に誕生したと主張する例などは、原理主義者の思想が端的に表れている部分かもしれない。
このような原理主義の浸透に、島田氏は、現代のアメリカ社会で広がる経済格差の影響を見る。
アメリカで、キリスト教原理主義を信奉する人たちには、必ずしも社会的、経済的に恵まれているとはいえない下層の白人 (プアホワイト) が多く含まれている。
すなわち、キリスト教原理主義運動には、今のアメリカ資本主義社会が生み出した経済格差への 「抗議」 というメッセージが潜んでいると見ていいかもしれない。
この 「原理主義」 思想は、イスラム世界にも飛び火し、1979年にイランでイスラム革命が勃発したとき、イスラム教信徒の中においても、聖典である 『コーラン』 の教えに忠実であろうとする動きを生んだ。
そして、そこから 「イスラム原理主義」 という思潮が生み出されることになった。
その思潮に染まった一部の人間たちが、過激なテロ活動を行って世界を震撼させることになるのだが、実はこれもまた、アメリカ流の資本主義文化がグローバル化したことに対するカウンター行動と解釈することができる。
このように、キリスト教原理主義やイスラム教原理主義が台頭したことによって、 「原理主義」 という言葉が経済概念にも応用され、 「市場原理主義」 という言葉を定着させることになった。
氏は、 「経済の市場原理主義と、宗教の原理主義の台頭は、同時代的な現象だ」 という。
《 世界の終末への恐怖と期待 》
氏の指摘で重要なことは、このようなキリスト教的な資本主義観が、経済のグローバル化にしたがって、非キリスト教文明社会までをも巻き込む 「世界恐慌」 を生み出す素因になりかねないという見方を提示したことだ。
たとえば、このたびの世界的金融危機の原因となったサブプライムローンの崩壊から、リーマンブラザースの経営破綻へと進んだ金融恐慌は、市場における 「神の見えざる手」 を信仰するユダヤ・キリスト教圏に生きる人々の願望が生み出したものだという。
要するに、アメリカの金融思想というのは、
「市場には自動調整機能というものが備わっており、放っておいても需要と供給のバランスが調整され、富の分布が公平に行きわたる」
という古典派経済学に表現されたキリスト教的世界観が、現代社会に復活したものだというのだ。
市場は、全知全能の神がコントロールしているのだから、人間が手を加えるのはむしろ 「改悪」 につながる、…ということなのだろう。
そういうビジネス感覚を持つ欧米企業家のメンタリティーというものは、キリスト教文化の浸透度の薄い日本人には、理解できないだろうと、氏は語る。
さらに、現在の資本主義原理が、そのような世界観に裏打ちされているかぎり、この現在の世界を覆っている経済的苦境から、どこの国も脱することは難しいという。
なぜなら、彼らは、「市場を神のコントロールにゆだねる」 という発想のほかに、 「終末からの再生」 というヴィジョンにも抗しがたい執着を持っているからだ。
彼らの終末への 「恐れ」 は、終末への 「期待」 でもある。
アメリカのキリスト教徒の中には、自分だけはその終末の後に訪れる 「新世界」 の住民になれるという思い込みの中で生きている人が多いという。
つまり、金融経済が、このような米国人のキリスト教的なメンタリティーに支えられている限り、その破綻と崩壊は再現なく繰り返されることになる。
《 神なき日本型資本主義 》
氏は、現在のような経済危機の再発を阻止する二つの 「資本主義像」 に注目している。
ひとつは、無制限な利益の追求や、過剰な投資を抑制する機能を盛り込んだイスラム金融である。
そして、もうひとつは、神の実在を前提とせずに、 「神なき資本主義」 を育てあげた日本人の資本主義である。
イスラム金融は、富者が貧者に施しを与える 「喜捨」 の精神をバックグランドに据え、基本的に 「利子の発生しない融資」 をシステム化したものだ。
これは、従来の金融概念を根本から変える発想であり、行き詰まりを見せてきたキリスト教的な金融資本主義とは異なる新しい金融思想ともいえよう。
ただ、一部の地域には定着してきたものの、全体的には試行錯誤の段階で、これがイスラム圏の金融システム全体を救済する力を持つものかどうか、にわかに判定しがたい。
一方の日本型資本主義というのは、欧米の資本主義とは異なる路線を貫きながら、それを成功させた稀有の 「資本主義」 といっていいだろう。
日本の会社組織は、江戸期以来の 「農村共同体」 をモデルに据え、構成員同士の助け合いを重んじながらも、同時に、一部の者に突出した権力や資金を集中させないような洗練されたシステムを築き上げてきた。
一部のエリート層だけに巨額の報酬が集中し、しかも一般社員のリストラやレイオフをあっさりと断行するアメリカ型の会社組織と比べると、日本型の会社組織の方が、はるかに格差社会を是正する可能性を秘めたものであることは間違いない。
しかし、 「失われた10年」 以降、派遣社員の採用でしのいできた日本の会社の足腰は相当弱っており、しかも国自体が、少子高齢化や人口減少という特殊な問題を抱えている現状では、日本型資本主義が健全な形で復活するかどうかは、未知数である。
ただ島田氏が、イスラム金融と並べて、日本型資本主義の可能性に期待を寄せていることを知ることは、かすかながら 「希望の光」 に触れた気になる。
島田氏のこの著述が、どれだけ世界経済の真相に迫っているのかどうか、専門家でない私には分かりようもないが、現在の金融主導型経済の本質を考えるとき、ひとつの重要な見方を提示していることは間違いないと思う。
2010年01月08日
現代経済学の限界
朝のテレビで、あるニュースキャスターが 「経済の立て直し」 を今の政府に要求していた。
「なんとかしろ! 自殺者が年間3万人もいる。キレイゴトはもういい! 国民がちゃんと生きていけるような生活を保証しろ」
そう叫んでいた。
そして、
「人々が安心と安定を手に入れられる政策を、今からドーンと打ち出してもらいたい」
と締めくくった。
それを見て、こう思った。
「お前が打ち出してみろよ」
「今の政治に意見しているだけで、問題は解決するのかい?」
「マスコミってのは、ただ政府に文句を言っているだけでいいのかい?」
「今そうしゃべっているお前は、この先どう生きていくつもりなのよ?」
「テレビを見ている視聴者に対し、マスコミから訴える提案というのはないのかよ?」
結局、政権は交代したけれど、マスコミは何も刷新されていないことが分かった。
ワイドショーで繰り広げられるキャスターやコメンテーターたちの政界レポートは、 「民主党」 という言葉を 「自民党」 に置き換えれば、しゃべっている内容は4~5年前とほとんど変わらない。
はっきりいうと、今の経済問題を、政治家たちに解決させるなんて、もう不可能な時代に入ってきている。
マスコミは、そこのところを見極めていない。
結局、個人が 「どう生きていくのか?」 という問題を、個々人で考えていかなければならない時代になってきているのだ。
この世界的な大不況を克服するために、どこの国の政府もあらゆる方法を使って、経済システムの再構築を試みている。
日本だけでなく、アメリカでも、ヨーロッパ諸国においてもしかり。
しかし、そのどこが、それに成功したというのか?
株価が多少浮き沈みすることはあっても、結局、もう1960年代のような華々しい経済成長を謳える国なんて、どこにもありはしない。
それは、今までの経済理論がすべて立ち行かなくなってきたような状況を迎えているからである。

もともと、欧米人の経済観は、 「放っておけばうまくいく」 という根強い楽観主義に支えられてきた。
19世紀のイギリスに生まれた古典経済学などという考え方がそのひとつである。
これは、
「市場というものは、国家や政府が介入しなくても自己調整能力があり、放っておいても “神の見えざる手” によって、うまい案配に調和していくものである」
という考え方に基づいた主張だった。
しかし、実際には、どこの国でも、富の分配に片寄りが生まれ、人々の間に 「階級対立」 ともいえる経済格差が生まれることになった。
このような傾向に異を唱えて、共産主義革命を目指したのがマルクス主義だったが、資本主義システムの中でこれを是正しようとしたのが、いわゆるケインズ理論。
ケインズは、古典派経済学と、その理論をより精緻に練りあげた新古典派経済学を批判し、
「現代社会においては、放っておいても均衡のとれた市場などが生まれるわけはない。
政府はしっかりと市場をコントロールし、不況が訪れたときには積極的に財政出動などをして景気を刺激し、さらに公共事業を活発に行って、雇用を生み出す努力をすべきだ」
と主張した。
戦後のほとんどの資本主義国家では、このケインズの主張を採り上げ、それによって経済の安定と技術の進歩を獲得し、人類は空前の繁栄を謳歌するまでに至った。
ところが、強欲に走ったイギリスとアメリカの資本主義は、このケインズ型の経済政策によって生じた財政赤字を一挙に取り戻すことを試みた。
イギリスのサッチャー首相が手を染め、アメリカのレーガン大統領によって完成された 「新自由主義」 的な経済政策がそれである。
これは、ケインズ以前の古典主義・新古典主義経済の理屈を蒸し返すもので、要は、政府による市場へのコントロール操作をやめ、再び古典主義経済のようにあらゆる規制を取り払って、企業家たちのやりたいように任せようという政策であった。
以降、アメリカの経済政策は野放しになった。
つぅーか、儲かるものなら何でもアリという風潮が台頭することになった。
いわゆる現在の金融資本主義が、ここから生まれてくる。
しかし、その結果、世界はどうなったか?
「リーマンショック」 に代表されるように、高度に発達した金融社会は、それが破綻したときの恐ろしさを世界中に見せることになった。
そもそも、金融資本主義が、合理的で科学的だと信じ込んでしまう感覚が間違っていたのかもしれない。
たとえば、金融工学が発達することによって注目されるようになった 「デリバティブ」 (金融派生商品) という商品がある。
このデリバティブは、投資先を一つに絞ったときに生じるリスクを回避させるため、短期金融商品や債権や株式を組み合わせて、リスクを分散化させるために商品化されたものだが、一方では、少ない資金でも多額な資金運用を可能にするという側面を持ち、またたく間に巨額の利益を得ることを可能にした。
これが、実はクセモノだった。
デリバティブは、金融工学の専門家たちが、複雑な統計的なデータをもとに、高度な数学的な技法を用いて解析を行っているように見えるため、素人にはものすごく信用度の高い商品に思えてしまう。
しかし、いったん金融危機に見舞われてしまうと、もう専門家でも資産の喪失を止められなくなってしまう。
この4~5年猛威を振るった 「市場原理主義」 は、昨年のリーマンショック以降、このような金融危機を生む元凶と目されるようになり、さすがに声高に主張する声はどこからも聞かれなくなった。
だが、金融崩壊が世界にもたらした傷の爪痕は、なかなか癒えない。
この大不況が脱出できる経済政策はあるのだろうか?
多くの国民は、政府にそれを期待しているだろう。
しかし、はっきりいうと、特効薬は一つもない。
昔だったら、ここでケインズ政策の出番だった。
景気を刺激するための 「減税」 および 「財政出動」 と、雇用を促進するための 「公共事業の振興」 である。
だが、そのための財源がない。
日本ばかりでなく、先進国のどこも似たり寄ったりだ。
かつては、不況が訪れたときには、財政出動によって景気を刺激するだけでよかった。
そうすれば、経済が活況を取り戻し、税収も増え、財政出動で減った分だけの財源を賄うことができた。
だが、それは、経済が右肩上がりで成長を続け、それにともなって人口が拡大していく時代の話である。
それとまったく反対の方に向かっているのが、今の日本だ。
こうなると、社会を 「閉塞感」 が覆う。
あらゆる面で 「先が読めない」 という状態が続き、その不安感が、人々の消費を鈍らせる。
その結果、モノが売れず、企業の体力が弱くなり、企業は社員のリストラや給料カットでしのがなくてはならなくなる。
そうなると人々の生活はさらに圧迫され、ますますモノを買わなくなる。
これが世にいう 「デフレスパイラル」 の構造だ。
では、そこから脱出する方法はあるのか?
ひとつは、時代の先を見ようとして不安になるのだから、もう先など読まないことだ。
そもそも、こういう状況では、もう人間が 「先を予測する」 のは無理。
アメリカとソ連が東西に分かれてにらみ合っていた冷戦時代までは、まだ地球上の民族は 「国民国家」 単位で経済活動を行っていたから、先が読めた。
ところが、冷戦が終結し、ソ連や東欧の社会主義陣営までが市場経済を取り入れるようになると、市場が一気に地球規模にまで拡大することになり、その “先読み” を不可能にした。
このようなグローバル経済の世の中では、ひとつの国の経済危機が、思いもかけないような早さで世界に飛び火し、どこで、どのような影響が出てくるのか、そう簡単に読めないようになってしまう。
もともと経済というのは、人間の欲望によって駆動されるものである。
「カネが欲しい」 「うまいものを食いたい」 といった人々の欲望の総和が、その民族や国家単位の経済活動となって世の中を動かしてきた。
そのような国家単位で 「経済」 を見るだけなら、国家を構成する民族のキャラクターが経済活動にも反映されるから、多少は 「先が読めた」 。
しかし、グローバル経済は、文化、宗教、言語、教育レベル、経済格差などすべてが異なる人々のおびただしい欲望によって駆動されていく。
そこに、各国の企業の複雑な思惑が絡む。
今や世界最先端のテクノロジーを一夜にしてくつがえすようなイノベーションは、どんな国から起こるか分からない。
グローバル経済の世界では、 「敵」 も 「味方」 も存在せず、ただ 「競争相手」 だけがめまぐるしく変わるカオス (混乱) が渦巻いている。
そのカオスを、今の経済学で解き明かそうというのは、ちょっと無理なのだ。
グローバル経済の行く末を 「見る」 ということは、どんな優秀な経済学者でも不可能に近い。
そのようなカオスの中においても、人間の 「欲望」 というものが一定程度の形を整えているのなら、まだ分かりやすい。
ところが、一人の人間がいつも同じ欲望を抱くということなどありえない。
人の行動は、必ずしも合理的ではない。
人の欲望も、定形性がない。
要するに、それらは数値には還元できないものだったのだ。
それなのに、数学や統計学の手法を用いた数理経済学や金融工学は、そのような人間の欲望をベースにした経済行動を、あたかも可視的で計測可能のようなものとして扱った。
データ化して数値化されたものは、確かに一見、実証性の高い科学のように見える。
しかし、それが “見せかけ” だったことは、今度の米国サブプライムローンの破綻から生まれたリーマンブラザースの崩壊、それによる世界危機へ至る流れの中で実証されてしまった。
そう考えると、 「経済学」 などという学問が成立する方が不思議に思えてくる。
「占い」 とどこが違うのだろう?
テレビに出てくる経済学者たちは、みな筮竹 (ぜいちく) などを持ってグニャグニャかき回していた方がサマになりそうだ。
しかし、絶望するのはまだ早い。
どうすればいいのかというと、結局は無駄なものにお金をつかうしかない。
テレビなどで、家計やりくり番組を見ていると、 「経済に明るい」 とかいうオバさまが出てきて、賢い消費とか、倹約の方法とか教えてくれるけれど、逆なのだ。
今の世の中では “無駄” と思われるようなところに、ドーンとお金を放出するのがいいのだ。
「無駄なもの」 につかうというのは、浪費という意味じゃない。
もちろん、それも時には大切なことかもしれない。
しかし、そういう意味ではなく、 「心が豊かになるもの」 にお金を投資するということなのだ。
本を買って読む。
好きな映画をさんざん観る。
キャンピングカーを買って旅行に出る。

要するに、 「すぐに成果の出ないもの」 に投資する。
今日や明日に投資額を回収しようという発想はだめ。
そのことを、今の経済社会は忘れている。
今の経済学は、数理経済学や金融工学が中心となっている。
これは、人間の心に生じる 「解明できないもの」 を無視することによって発展してきた学問体系である。
すなわち、 「儲け」 にならないもの、数値化できないものを排除して成立する思考様式だ。
具体的にいうと、 「哲学」 と 「倫理」 を置き去りにした学問である。
だから、金融経済が主流になる世の中になると、道徳とか倫理とか、文化とかいうものへの関心がどんどん薄らぐような環境が生み出されてくる。
そうなれば、世の中が殺伐としたものに感じられてくるのは、当たり前である。
今の時代に、人々が感じる 「不安感」 というのは、経済現象の先行きが見えないところから来るというよりも、むしろ、人々がお互いの “人間味” が読めなくなってしまったことに由来するといった方が正しい。
もともと、経済学というのは、お金を中心に考える学問なのだから、本来ならば人間の欲望の解明などと密接に関わり合う、広い意味での 「人間学」 であったはずだ。
そういう人間学のようなものは、すぐには答が出ない。
代わりに、それに打ち込むことによって、 「今」 が充実する。
「先」 を読んで、少しでも人より有利に立とうなどと考えるよりも、 「今」 を生きた方がいい。
「今の自分」 を豊かにするものに、積極的に投資する。
そうして金を環流させていくしかない。
「今」 を充実させることに力を入れた方が、結果的に、より良い将来を招き寄せることになるはずだ。
関連記事 「デフレの脱却法」
「なんとかしろ! 自殺者が年間3万人もいる。キレイゴトはもういい! 国民がちゃんと生きていけるような生活を保証しろ」
そう叫んでいた。
そして、
「人々が安心と安定を手に入れられる政策を、今からドーンと打ち出してもらいたい」
と締めくくった。
それを見て、こう思った。
「お前が打ち出してみろよ」
「今の政治に意見しているだけで、問題は解決するのかい?」
「マスコミってのは、ただ政府に文句を言っているだけでいいのかい?」
「今そうしゃべっているお前は、この先どう生きていくつもりなのよ?」
「テレビを見ている視聴者に対し、マスコミから訴える提案というのはないのかよ?」
結局、政権は交代したけれど、マスコミは何も刷新されていないことが分かった。
ワイドショーで繰り広げられるキャスターやコメンテーターたちの政界レポートは、 「民主党」 という言葉を 「自民党」 に置き換えれば、しゃべっている内容は4~5年前とほとんど変わらない。
はっきりいうと、今の経済問題を、政治家たちに解決させるなんて、もう不可能な時代に入ってきている。
マスコミは、そこのところを見極めていない。
結局、個人が 「どう生きていくのか?」 という問題を、個々人で考えていかなければならない時代になってきているのだ。
この世界的な大不況を克服するために、どこの国の政府もあらゆる方法を使って、経済システムの再構築を試みている。
日本だけでなく、アメリカでも、ヨーロッパ諸国においてもしかり。
しかし、そのどこが、それに成功したというのか?
株価が多少浮き沈みすることはあっても、結局、もう1960年代のような華々しい経済成長を謳える国なんて、どこにもありはしない。
それは、今までの経済理論がすべて立ち行かなくなってきたような状況を迎えているからである。

もともと、欧米人の経済観は、 「放っておけばうまくいく」 という根強い楽観主義に支えられてきた。
19世紀のイギリスに生まれた古典経済学などという考え方がそのひとつである。
これは、
「市場というものは、国家や政府が介入しなくても自己調整能力があり、放っておいても “神の見えざる手” によって、うまい案配に調和していくものである」
という考え方に基づいた主張だった。
しかし、実際には、どこの国でも、富の分配に片寄りが生まれ、人々の間に 「階級対立」 ともいえる経済格差が生まれることになった。
このような傾向に異を唱えて、共産主義革命を目指したのがマルクス主義だったが、資本主義システムの中でこれを是正しようとしたのが、いわゆるケインズ理論。
ケインズは、古典派経済学と、その理論をより精緻に練りあげた新古典派経済学を批判し、
「現代社会においては、放っておいても均衡のとれた市場などが生まれるわけはない。
政府はしっかりと市場をコントロールし、不況が訪れたときには積極的に財政出動などをして景気を刺激し、さらに公共事業を活発に行って、雇用を生み出す努力をすべきだ」
と主張した。
戦後のほとんどの資本主義国家では、このケインズの主張を採り上げ、それによって経済の安定と技術の進歩を獲得し、人類は空前の繁栄を謳歌するまでに至った。
ところが、強欲に走ったイギリスとアメリカの資本主義は、このケインズ型の経済政策によって生じた財政赤字を一挙に取り戻すことを試みた。
イギリスのサッチャー首相が手を染め、アメリカのレーガン大統領によって完成された 「新自由主義」 的な経済政策がそれである。
これは、ケインズ以前の古典主義・新古典主義経済の理屈を蒸し返すもので、要は、政府による市場へのコントロール操作をやめ、再び古典主義経済のようにあらゆる規制を取り払って、企業家たちのやりたいように任せようという政策であった。
以降、アメリカの経済政策は野放しになった。
つぅーか、儲かるものなら何でもアリという風潮が台頭することになった。
いわゆる現在の金融資本主義が、ここから生まれてくる。
しかし、その結果、世界はどうなったか?
「リーマンショック」 に代表されるように、高度に発達した金融社会は、それが破綻したときの恐ろしさを世界中に見せることになった。
そもそも、金融資本主義が、合理的で科学的だと信じ込んでしまう感覚が間違っていたのかもしれない。
たとえば、金融工学が発達することによって注目されるようになった 「デリバティブ」 (金融派生商品) という商品がある。
このデリバティブは、投資先を一つに絞ったときに生じるリスクを回避させるため、短期金融商品や債権や株式を組み合わせて、リスクを分散化させるために商品化されたものだが、一方では、少ない資金でも多額な資金運用を可能にするという側面を持ち、またたく間に巨額の利益を得ることを可能にした。
これが、実はクセモノだった。
デリバティブは、金融工学の専門家たちが、複雑な統計的なデータをもとに、高度な数学的な技法を用いて解析を行っているように見えるため、素人にはものすごく信用度の高い商品に思えてしまう。
しかし、いったん金融危機に見舞われてしまうと、もう専門家でも資産の喪失を止められなくなってしまう。
この4~5年猛威を振るった 「市場原理主義」 は、昨年のリーマンショック以降、このような金融危機を生む元凶と目されるようになり、さすがに声高に主張する声はどこからも聞かれなくなった。
だが、金融崩壊が世界にもたらした傷の爪痕は、なかなか癒えない。
この大不況が脱出できる経済政策はあるのだろうか?
多くの国民は、政府にそれを期待しているだろう。
しかし、はっきりいうと、特効薬は一つもない。
昔だったら、ここでケインズ政策の出番だった。
景気を刺激するための 「減税」 および 「財政出動」 と、雇用を促進するための 「公共事業の振興」 である。
だが、そのための財源がない。
日本ばかりでなく、先進国のどこも似たり寄ったりだ。
かつては、不況が訪れたときには、財政出動によって景気を刺激するだけでよかった。
そうすれば、経済が活況を取り戻し、税収も増え、財政出動で減った分だけの財源を賄うことができた。
だが、それは、経済が右肩上がりで成長を続け、それにともなって人口が拡大していく時代の話である。
それとまったく反対の方に向かっているのが、今の日本だ。
こうなると、社会を 「閉塞感」 が覆う。
あらゆる面で 「先が読めない」 という状態が続き、その不安感が、人々の消費を鈍らせる。
その結果、モノが売れず、企業の体力が弱くなり、企業は社員のリストラや給料カットでしのがなくてはならなくなる。
そうなると人々の生活はさらに圧迫され、ますますモノを買わなくなる。
これが世にいう 「デフレスパイラル」 の構造だ。
では、そこから脱出する方法はあるのか?
ひとつは、時代の先を見ようとして不安になるのだから、もう先など読まないことだ。
そもそも、こういう状況では、もう人間が 「先を予測する」 のは無理。
アメリカとソ連が東西に分かれてにらみ合っていた冷戦時代までは、まだ地球上の民族は 「国民国家」 単位で経済活動を行っていたから、先が読めた。
ところが、冷戦が終結し、ソ連や東欧の社会主義陣営までが市場経済を取り入れるようになると、市場が一気に地球規模にまで拡大することになり、その “先読み” を不可能にした。
このようなグローバル経済の世の中では、ひとつの国の経済危機が、思いもかけないような早さで世界に飛び火し、どこで、どのような影響が出てくるのか、そう簡単に読めないようになってしまう。
もともと経済というのは、人間の欲望によって駆動されるものである。
「カネが欲しい」 「うまいものを食いたい」 といった人々の欲望の総和が、その民族や国家単位の経済活動となって世の中を動かしてきた。
そのような国家単位で 「経済」 を見るだけなら、国家を構成する民族のキャラクターが経済活動にも反映されるから、多少は 「先が読めた」 。
しかし、グローバル経済は、文化、宗教、言語、教育レベル、経済格差などすべてが異なる人々のおびただしい欲望によって駆動されていく。
そこに、各国の企業の複雑な思惑が絡む。
今や世界最先端のテクノロジーを一夜にしてくつがえすようなイノベーションは、どんな国から起こるか分からない。
グローバル経済の世界では、 「敵」 も 「味方」 も存在せず、ただ 「競争相手」 だけがめまぐるしく変わるカオス (混乱) が渦巻いている。
そのカオスを、今の経済学で解き明かそうというのは、ちょっと無理なのだ。
グローバル経済の行く末を 「見る」 ということは、どんな優秀な経済学者でも不可能に近い。
そのようなカオスの中においても、人間の 「欲望」 というものが一定程度の形を整えているのなら、まだ分かりやすい。
ところが、一人の人間がいつも同じ欲望を抱くということなどありえない。
人の行動は、必ずしも合理的ではない。
人の欲望も、定形性がない。
要するに、それらは数値には還元できないものだったのだ。
それなのに、数学や統計学の手法を用いた数理経済学や金融工学は、そのような人間の欲望をベースにした経済行動を、あたかも可視的で計測可能のようなものとして扱った。
データ化して数値化されたものは、確かに一見、実証性の高い科学のように見える。
しかし、それが “見せかけ” だったことは、今度の米国サブプライムローンの破綻から生まれたリーマンブラザースの崩壊、それによる世界危機へ至る流れの中で実証されてしまった。
そう考えると、 「経済学」 などという学問が成立する方が不思議に思えてくる。
「占い」 とどこが違うのだろう?
テレビに出てくる経済学者たちは、みな筮竹 (ぜいちく) などを持ってグニャグニャかき回していた方がサマになりそうだ。
しかし、絶望するのはまだ早い。
どうすればいいのかというと、結局は無駄なものにお金をつかうしかない。
テレビなどで、家計やりくり番組を見ていると、 「経済に明るい」 とかいうオバさまが出てきて、賢い消費とか、倹約の方法とか教えてくれるけれど、逆なのだ。
今の世の中では “無駄” と思われるようなところに、ドーンとお金を放出するのがいいのだ。
「無駄なもの」 につかうというのは、浪費という意味じゃない。
もちろん、それも時には大切なことかもしれない。
しかし、そういう意味ではなく、 「心が豊かになるもの」 にお金を投資するということなのだ。
本を買って読む。
好きな映画をさんざん観る。
キャンピングカーを買って旅行に出る。
要するに、 「すぐに成果の出ないもの」 に投資する。
今日や明日に投資額を回収しようという発想はだめ。
そのことを、今の経済社会は忘れている。
今の経済学は、数理経済学や金融工学が中心となっている。
これは、人間の心に生じる 「解明できないもの」 を無視することによって発展してきた学問体系である。
すなわち、 「儲け」 にならないもの、数値化できないものを排除して成立する思考様式だ。
具体的にいうと、 「哲学」 と 「倫理」 を置き去りにした学問である。
だから、金融経済が主流になる世の中になると、道徳とか倫理とか、文化とかいうものへの関心がどんどん薄らぐような環境が生み出されてくる。
そうなれば、世の中が殺伐としたものに感じられてくるのは、当たり前である。
今の時代に、人々が感じる 「不安感」 というのは、経済現象の先行きが見えないところから来るというよりも、むしろ、人々がお互いの “人間味” が読めなくなってしまったことに由来するといった方が正しい。
もともと、経済学というのは、お金を中心に考える学問なのだから、本来ならば人間の欲望の解明などと密接に関わり合う、広い意味での 「人間学」 であったはずだ。
そういう人間学のようなものは、すぐには答が出ない。
代わりに、それに打ち込むことによって、 「今」 が充実する。
「先」 を読んで、少しでも人より有利に立とうなどと考えるよりも、 「今」 を生きた方がいい。
「今の自分」 を豊かにするものに、積極的に投資する。
そうして金を環流させていくしかない。
「今」 を充実させることに力を入れた方が、結果的に、より良い将来を招き寄せることになるはずだ。
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2010年01月07日
NAVI 誌休刊
自動車雑誌の 『NAVI (ナビ) 』 が、4月号 (2月26日発売) をもって休刊するという小さな記事を、たまたま開いた新聞紙面の片隅に見つけた。
かつての愛読誌のひとつであった。
創刊は1984年。 『カーグラフィック』 (二玄社) の姉妹誌のような形で登場し、カーグラよりも思想、政治、社会現象、風俗などにコミットする割合を高めた雑誌だった。
レギュラー執筆陣やゲスト出演者も豪華で、徳大寺有恒氏、舘内端氏などの人気ジャーナリストが毎回寄稿するか、座談会 (NAVI TALK) に出席。
他にも、栗本慎一郎、浅田彰などのニューアカ系学者たち、矢作俊彦、村上春樹、田中康夫などの人気作家たちの原稿やインタビューが、いつもにぎにぎしく誌面を飾る異色のカー雑誌だった。
80年代をにぎわした “ハイソカーブーム” などに対し、いちばん適切で鋭い論評を加えたのは同誌ではなかったか。
自動車評論を、社会時評を加えた 「読み物」 に仕立てた手腕はたいしたものだと…と今でも思う。
もっとも、私は、創刊当時からしばらくは読んだものの、ここ20年ほどは手に取ることがなかった。
基本的に、愛読していたのは、初代の大川編集長が勤めていた時代のものまでである。
鈴木編集長に代わってからのものは、私の仕事が乗用車を離れてキャンピングカーに移ったこともあって、次第に手に取る機会がなくなってしまった。
だから、休刊の記事を眺めたとき、 「あ、まだ続いていたのか…」 という醒めた感慨しか湧かなかったが、それでも、一抹の淋しさは感じる。
休刊の理由は、 「不況による広告・販売の低迷による採算割れ」 と伝えられていた。
「休刊」 という言葉は、事実上の 「廃刊」 を意味する。
雑誌としての看板を下ろすということである。
やむを得ないだろうな…と感じる。
自動車の販売不振が取り沙汰されるようになった現在、その影響は、媒体にまで及んでいる。
自動車の情報を 「雑誌」 から入手するという発想が、すでに現代の若者にはない。
若者は、その自動車そのものにすら、もう興味がない。
エンスーオジサンたちの読者層は残っていると思うが、かつての 『NAVI』 誌の “上から目線” っぽい説教くささに耐えきれなかった人たちは、いつしか別の雑誌に逃れたように思う。
創刊当時から、同誌の人文色の強いエリート主義を嫌う人は多かった。
(私は好きだったけれど…)
ニューアカブームという時代のサポートがあったから、あの編集方針を支える読者層もいたのだろうが、ニューアカムが、バブル退潮と同時に泡として消えてからは、 「人文系エリート主義」 そのものが、どこか場違いなところに置かれた “座りの悪い置物” のように敬遠されていった。
その後、人文系出版物の人気も一気に急落。
今や、古書店に行っても、人文科学書などは値が付かないどころか、引き取ってももらえない状況が続いている。
自動車ブームの沈静化。
人文系学問の衰退。
『NAVI』 誌は、時代の二つの逆風をもろに被ったといえる。
もっとも、90年代に入ってからの同誌は、高級ファッションブランドとのタイアップグラビアなどにスペースを割き、広告収入の増収を目指して路線転換を図ったと言われているが、その頃のものにはあまり目を通していないので、状況が分からない。
目を通しもせずに、当てずっぽの予測で書くのは失礼なことだが、たぶん、 「ジャンフランコ・フェレのわかる男はランチャを愛す」 ってな感じのタイアップ企画が堂々と誌面にまかり通ったのではなかろうか。
もし、そうだとしたら、かつての 「NAVI TALK」 で、さんざん冷静な分析をやってのけた 「商品の記号的消費」 とかいうやつを、地でいってしまったことになる。
「アルファロメオは、アルマーニを着こなす男を選ぶ」
…みたいなアプローチは、デザインもコピーも、オシャレであればあるほど古びるのも早い。
5年経てばギャグにしかならない。
ファッションブランドとタイアップする怖さはそこにある。
読者に飽きられるのも早いのだ。
『カーグラフィック』 は、エンスーの本棚を飾る資料として生き残れても、『NAVI』 は、その時点で、使い捨て雑誌になるしかなかったのかもしれない。
まぁ、そうはいっても、創刊当時の 『NAVI』 が、新しい自動車像を思想的文脈に置き換えて表現した功績は大きかった。
そのために、私にとっては手放せない雑誌となった。
自動車を考える新しい材料をもらったし、使えそうなキャッチは、一部を改編してパクったりもしたこともあった。
この雑誌は、クルマのハードな部分を真摯に愛する一部の読者を逃してしまったかもしれないが、一方で、クルマに対してジャーナリスティックな視点で挑もうという読者を多数巻き込むことに成功した。
確実に、ひとつの時代はつくった雑誌である。
だから、ファッションブランドに依存しなければならなくなった時代が来たときに、自動車雑誌としての 『NAVI』 の使命は終わっていたのかもしれない。
編集に携わった方々には、本当にご苦労様でした、といいたい。
2010年01月06日
バンドのウェイト
正月の3日だったか、何気なくチャンネルをBS-TBSに合わせたら、 『SONG TO SOUL』 (永遠の1曲) で、ザ・バンドの 「ウェイト」 を取り上げていた。
はじめて観た番組だったけれど、幸運だった。
「ウェイト」 は、1968年に作られた 『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』 に収録された曲である。
ザ・バンドのアルバムとして個人的に好きなのは、2枚目の 『ザ・バンド』 である。
しかし、この 「ウェイト」 が入っているだけでも、1枚目の 『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』 の偉大さは発揮されていると思う。
「ウェイト」 は、その味わい深いイントロが印象的な曲で、枯れた感じの素朴なヴォーカルと、土臭い演奏が交じり合った何とも形容しがたい曲である。
わざと素人臭く、ヘタにやっている。
そんな説明でもおかしくないような、微妙なズレが全編に漂っている。
ドラムスとベースの微妙なズレ、コーラスのズレ。
もちろん、計算し尽くされた上での演奏だが、そのラフな味わいが、いかにも丸太小屋の部屋で、ランプの明かりを囲んで迎える夜のように、しみじみとした寂しさと、温かさを伝えてくる。
印象としては、典型的なアメリカン・トラディショナル音楽。
だが、よく聞いてみると、いわゆるカントリーでもなければ、フォークでもなく、この世のどこにもないような音なのである。
なのに、なぜ、西部開拓民たちの夕餉 (ゆうげ) の祈りにも似た宗教的敬虔さと、家族愛のような温かみと、荒野を眺めるときの寂しさのようなものが漂ってくるのか。
それが不思議でならなかった。
最初に聞いたのは、映画の中だった。
『イージーライダー』 の挿入歌として、旅の途中で知り合ったヒッピーを乗せたピーター・フォンダとデニス・ホッパーの3人が並んで、アメリカの荒野をひたすら走るときの背景に流れていた。
『イージーライダー』 は、疾走するバイクの姿を撮り続けたロード・ムービーだから、ステッペンウルフの 「ボーン・トゥ・ビー・ザ・ワイルド」 のようなアップテンポの曲が似合う。
しかし、一番バイクの走行感をかもし出していたのは、このドタドタしたドラムスが特徴的な、ミディアムテンポの 「ウェイト」 だったのだ。
文明生活を嫌って、ならず者のように逃げていく3人のバイク野郎の姿が、この曲を被せられることによって、何か神々しいようなきらめきを帯びる。
この曲がなかったら、あの連中が迎える最後の悲劇も、意味をもたなかったかもしれない。
「ウェイト」 のおかげで、ドラッグと走る快感だけに酔いしれた “ただのヒッピー” が、資本主義の荒野から最初に逃げ出そうとした 「殉教者」 になれたのだから。
その映画を観た学生の頃、友達たちとスキーに行ったことがある。
スキーを知らなかった自分は、スキーパンツも何も用意せず、ジーンズのまま、スキー場のレンタルスキーを借りて滑った。
転んでびしょびしょになり、一気に嫌になった。
2日目はゲレンデには出ないで、昼間から温泉に入り、後は一人でギターを弾いていた。
大部屋で雑魚寝するようなホテルだったと思うが、一緒に来た友達の中に、アメリカ人のカップルがいた。
彼らがなぜ、その日スキーをしなかったのか、今ではもう覚えていないが、3人でギターを弾いて遊んだ。
二人が目を輝かしたのは、私が 「ウェイト」 を弾き始めたときだ。
「ユーはこの曲知っているのか? 名曲だ」
カップルの男の方が、例の 「テイク・ア・ロード・オフ、ファニー」 のリフレインのところで、ハモリを入れた。
練習もしたわけではないので、まったくハモリにならなかったけれど、その “たどたどしさ” が、逆にザ・バンドっぽい雰囲気を漂わすことになった。
楽しい時間だった。
「ウェイト」 の歌詞の解釈については、さまざまな議論があるという。
「ナザレ」 「モーゼ」 「ルカ」 などという固有名詞が出てくるところを見ると、なにやら旧約聖書の物語が歌われているような感じもするが、歌詞の意訳をいろいろ眺めてみると、別に宗教的な歌ではない。
ただ、哲学的な解釈がいろいろ立ち並ぶ詞らしく、かなり興味深い 「ウェイト論」 のようなものを展開しているブログもある。
私は、あまり歌詞の世界にはとらわれないので、音として、 「ウェイト」 の絶妙なアンサンブルに引き込まれている。
『SONG TO SOUL』 では、もう白髪のジジイとなったガース・ハドソンが、ピアノの鍵盤に倒れこむような姿勢で、 「ウェイト」 の一部を弾いた。
そして、 「バッハのコラールがいかに完璧であり、研究されるべきものであるか」 、 「ポール・サイモンは、どのようにして賛美歌から 『アメリカの歌』 を生み出したのか」 などということをしゃべった。
彼は、はじめて聞いた人でも、 「どこかで聞いてきた曲だ」 と思わせるように、この曲を演じたという。
たぶん、それは白人の子供たちが、日曜日に教会のミサに訪れて聞いた賛美歌のように、黒人の子供たちなら、黒人教会で歌われたゴスペルのように、小さい頃からなじんだ音なのだろう。
番組を観ていて、 「ウェイト」 に感じた宗教的なものの匂いの秘密に、ようやく触れたような気分になった。
私は、キリスト教とは何の縁もゆかりもない文化の中で生きている。
だけど、その音のベースとなった分厚いやつらの 「文化」 の迫力にはやはり圧倒される。
最初に聞いてから、すでに40年経とうとしている。
▼ 『イージーライダー』 の中の 「ウェイト」
2007年に、この道をモーターホームで走った。感激!
関連記事 「60年代のロック」
2010年01月05日
車はなぜ売れない
『自動車はなぜ売れなくなったのか』 (小宮和行・著 PHP研究所) という本を読んでいると、この問題には、世界的な視野に立った場合と、国内固有の問題に分けて考える必要があることが分かる。
世界的な視野で考えれば、象徴的なのは、米国ビックスリーの崩壊。
アメリカの自動車販売のピークは2000年で、この年の年間販売台数は、1,781万台。これは、過去最高の記録なのだという。
それが2008年には、1,324万台。
2000年のピーク時から400万台も落ち込んでしまった。
販売が失速してきた理由のひとつは、08年の7月に、1バレル147.27ドルに達した原油の高騰だった。
これはその後急激に値が下がり、今やそのような “高騰時代” があったことなど夢の世界の出来事のように思えるが、アメリカの消費者に、根強い 「アメ車不信」 を生むことになった。
特に、フルサイズバンや大型ピックアップトラックの燃費の悪さには、昔からアメリカ国民も気づいていたが、ガソリンが安い国柄でもあったため、深刻な問題には至らなかった。
それが08年夏のガソリン高騰で、ようやくアメリカ国民も、自国の自動車の燃費の悪さに深刻な不満を抱くようになる。
しかし、米国でクルマが売れなくなった最大の要因は、サブプライムローンの破綻であると、筆者の小宮氏は説く。
サブプライムローンが何であるかを今さら解説する必要もないと思うが、かいつまんでいうと、 「信用力の低い人」 向けの高金利住宅ローンのことで、低所得者のために、最初の数年間は金利を低く設定して借りやすくし、その後徐々に金利を高めて、最終的には10パーセント超となる仕組みのことをいう。
このローンが、2006年ごろから返済の遅延が目立つようになってきた。
やがて、ローン返済の延滞者が続出。貸し出した住宅融資専門会社の経営も次第に悪化するようになる。
ついには、ローン支払いの焦げ付きが至るところで発生するようになり、 「住宅バブル」 が崩壊した。
それが何で米国の自動車販売の不振に直結するかというと、そこに独特の金融社会を築きあげてきたアメリカの特色が見えてくる。
「住宅バブル」 の崩壊は、アメリカでは、金融機関の破綻をも意味した。
というのは、サブプライムローンが小口証券化されていて、ほかの金融機関や投資家に転売されていたからだ。
サブプライムローンの崩壊で、最初に犠牲になった金融機関は、ベアー・スターンズ社。
そして、次が 「リーマンショック」 なる言葉を生んだリーマン・ブラザーズである。
リーマンの負債額は、当時の日本円で約64兆5,000億円にのぼるものだったといわれ、いかにその破綻が大規模な損失を生んだかということが分かる。
それにしても、いったいなぜ金融機関でもない自動車産業が経営不振に陥ったのか?
小宮氏は、その事情を次のように説明する。
「米国は、日用品から食品購入まですべてカードで行い、ローンを多用するローン社会である。
新車購入でも約7割がローンを利用している。
ところが、住宅ローンの焦げつきが増加して、自動車購入ローンの審査基準が厳格になり、それが、自動車の買い替え需要を大幅に減退させることになった。
とりわけサブプライム層は、自動車を 『買いたくても買えない』 という事態に陥った。
その層で、ローンの審査基準をクリアできた人たちは、前年の67パーセントより大幅に落ちて、23パーセントしかなかったという」
このようなアメリカにおける自動車の販売不振は、ビックスリーだけを襲ったわけではなかった。
アメリカで新工場を建設、もしくは計画していた日本のトヨタ、ホンダなども直撃する。
日本メーカーにとって辛かったのは、米国における自動車市場の縮小だけでなく、 「円高ドル安」 という為替相場の逆風も浴びたことだった。
世界に冠たるトヨタ自動車が、 「赤字経営」 になるまで状況が厳しくなったのは、このようなアメリカマーケットの突然の縮小が大きく影響したことが挙げられる。
以上が、アメリカを中心とした世界市場における 「車が売れなくなった」 理由であるが、国内市場だけをとってみると、さらに深刻な事情が浮かび上がってくる。
そのひとつが、 「若者の車離れ」 に象徴される国内マーケットの縮小である。
小宮氏はいう。
「今の日本の若者の自動車に対する意識は、クルマ離れどころではなく、最初から興味ゼロ=無関心といった若者も多い。
現代の若者にとって、クルマはステータスでも何でもない。
彼らにとって、クルマは、必ずしも生活必需的な価値ではなく、必要な場合は親のクルマを使ったり、友人のクルマを借りたりしてまかなっている」
もちろん、若者のクルマ離れの背景には、クルマを購入したくても買えないという、今の日本の若者たちが抱えている経済格差の問題がが大きく横たわっている。
しかし、氏は同時に、若者たちの心理的な側面にもスポットライトを当てる。
すなわち、若者たちの 「価値観」 に大きな変化が生じているというのだ。
「クルマが好き、カッコいい、いつかは手に入れたい」 というマインドを持つ若者が急激に減少している、と氏は見る。
クルマには、購入費のほかに、ガソリン代、駐車場代、税金、車検代などという維持費がかかる。
昔の “若者” は、その維持費がかかることを覚悟の上で、クルマを取得したいという情熱に突き動かされて、購入に踏み切った。
しかし、もはやそのような情熱を持つ若者は少ない。
それは、いったい何を意味しているのだろうか。
氏はいう。
「今の若者の人生観は、ひょっとして日本の価値観を大きく変えるかもしれない。
クルマ文明に対するパラダイム変化が訪れようとしているのかもしれない。
そしてこのパラダイム変化は、産業論ではなく、生態論、文明論として語れるだろう。
自動車産業に対して、新世代人間たちから需要喚起に向け、鋭い切っ先が突きつけられているのかもしれない」
いかにしたら、彼らにクルマの魅力を再発見してもらう手立てが生まれるのか。
その明確な答は、本書においても明確に追求されているわけではない。
自動車産業に関わる人たちにとっては、深刻な時代が始まろうとしているように見える。
ただ、 「今」 という時代が、大きなパラダイムシフトを迎えようとしているのだとしたら、 「自動車」 を、文明論として語る視点はこれから絶対に必要になってくるはずだ。
関連記事 「20年後の車社会」
関連記事 「欲しがらない若者」
関連記事 「新しいモノの秘密」
2010年01月04日
涙もろい老人
「歳をとると涙もろくなる」
という現象を、老人の感受性の豊かさと誤解する人がいるが、あれは逆に、感性が平板になってしまい、類型的な情緒に反応しやすくなるからだ……という話がある。
そういった意味では、私も確実に老人化している。
酒飲んでテレビを観たりしていると、ふと涙ぐんでいる自分がいたりする。
BSで、ビートルズのジョン・レノンがビートルスを結成する前に在籍した 「クーリーメン」 というバンドのドキュメントをやっていた。
ジョン・レノンはそのバンド活動をやっている最中に、ポール・マッカートニーと知り合う。
そのことでジョンは、自分の在籍する 「クオリーメン」 とはるかにレベルの違う才能を持ったミュージシャンがいることを知る。

▲ クオリーメン時代のジョン・レノン (中央)
事実上、そこで 「クオリーメン」 のメンバーはお払い箱になってしまうわけだが、BSの番組では、もう頭の白いジジイとなった 「クオリーメン」 のメンバーが 、「俺たちはジョンと出会って幸せだった」 と、昔のメンバーを集めて 「ビートルズ」 を回顧する活動を再開していることを伝えていた。
「いいなぁ…」
と思いながら、冷凍ハンバーグを解凍して、それをツマミに酒を飲みながら、ボロっと目頭が熱くなってしまった。
ダメだなぁ…と自分で思う。
オレは確実に年とっている。
だって、NHKの 『龍馬伝』 を見たって、同じようにジワ~っとしてしまうのだ。

坂本龍馬という歴史上の人物が、司馬遼太郎の小説 『竜馬がゆく』 によって、かなり誇張されて喧伝されているという事実があるにせよ、NHKが、龍馬という人物をどう料理するかという、その意気込みが伝わってきて、それはそれでいいなぁ…と思ったのだ。
第1回の放映を観て、けっこう楽しかった。
明らかに、司馬遼太郎の 『竜馬がゆく』 とは違った “龍馬像” を描こうとしていることが分かった。
司馬 “竜馬” は、すでに龍馬の完成形を念頭に描いて描かれている。
しかし 『龍馬伝』 は、龍馬が 「龍馬」 になる前の葛藤を描いているように感じた。
今までの “龍馬” を語る人は、みな批評家になるしかない。
「司馬さんの作品の中の龍馬はこう描かれているけれど、本当の龍馬はこうで…」 ってなところで、醒めた分析が介入してしまう。
だけど 『龍馬伝』 の龍馬は、 「もしかしたら、自分と重なり合う部分があるかも…」 と、誰にとっても等身大の龍馬を描くところからスタートしているように思える。
もちろんベタな脚本だし、役者の演じ方も類型的。
でも、 「話」 としてうまくできていた。
やっぱNHKのドラマ作りは上手くなったなぁ…と思う。
きっと 「史実を無視した設定」 とかいう良識的な人たちからのクレームがいっぱい入るだろうけれど、関係ねぇよな。
「ドラマ」 が史実と違うのは、当たり前じゃねぇ。
逆に言いたいよね。
「あんたたちの知っている “史実” ってなんなのさ?」 って。
年末年始は忙しかった。
夕方、タクシーを呼んで、カミさんと同乗して病院に送り届けた。
さっきまで、カミさんがいたリビングには、もう 「人の気配」 がない。
ツマミを自分で作って、酒飲んで、テレビ観て、またまた酔っ払ってしまった。
そんな場所で、ベタなテレビ番組を観て、涙ぐんだりしている自分がいる。
関連記事 「坂本龍馬の実像」
という現象を、老人の感受性の豊かさと誤解する人がいるが、あれは逆に、感性が平板になってしまい、類型的な情緒に反応しやすくなるからだ……という話がある。
そういった意味では、私も確実に老人化している。
酒飲んでテレビを観たりしていると、ふと涙ぐんでいる自分がいたりする。
BSで、ビートルズのジョン・レノンがビートルスを結成する前に在籍した 「クーリーメン」 というバンドのドキュメントをやっていた。
ジョン・レノンはそのバンド活動をやっている最中に、ポール・マッカートニーと知り合う。
そのことでジョンは、自分の在籍する 「クオリーメン」 とはるかにレベルの違う才能を持ったミュージシャンがいることを知る。
▲ クオリーメン時代のジョン・レノン (中央)
事実上、そこで 「クオリーメン」 のメンバーはお払い箱になってしまうわけだが、BSの番組では、もう頭の白いジジイとなった 「クオリーメン」 のメンバーが 、「俺たちはジョンと出会って幸せだった」 と、昔のメンバーを集めて 「ビートルズ」 を回顧する活動を再開していることを伝えていた。
「いいなぁ…」
と思いながら、冷凍ハンバーグを解凍して、それをツマミに酒を飲みながら、ボロっと目頭が熱くなってしまった。
ダメだなぁ…と自分で思う。
オレは確実に年とっている。
だって、NHKの 『龍馬伝』 を見たって、同じようにジワ~っとしてしまうのだ。
坂本龍馬という歴史上の人物が、司馬遼太郎の小説 『竜馬がゆく』 によって、かなり誇張されて喧伝されているという事実があるにせよ、NHKが、龍馬という人物をどう料理するかという、その意気込みが伝わってきて、それはそれでいいなぁ…と思ったのだ。
第1回の放映を観て、けっこう楽しかった。
明らかに、司馬遼太郎の 『竜馬がゆく』 とは違った “龍馬像” を描こうとしていることが分かった。
司馬 “竜馬” は、すでに龍馬の完成形を念頭に描いて描かれている。
しかし 『龍馬伝』 は、龍馬が 「龍馬」 になる前の葛藤を描いているように感じた。
今までの “龍馬” を語る人は、みな批評家になるしかない。
「司馬さんの作品の中の龍馬はこう描かれているけれど、本当の龍馬はこうで…」 ってなところで、醒めた分析が介入してしまう。
だけど 『龍馬伝』 の龍馬は、 「もしかしたら、自分と重なり合う部分があるかも…」 と、誰にとっても等身大の龍馬を描くところからスタートしているように思える。
もちろんベタな脚本だし、役者の演じ方も類型的。
でも、 「話」 としてうまくできていた。
やっぱNHKのドラマ作りは上手くなったなぁ…と思う。
きっと 「史実を無視した設定」 とかいう良識的な人たちからのクレームがいっぱい入るだろうけれど、関係ねぇよな。
「ドラマ」 が史実と違うのは、当たり前じゃねぇ。
逆に言いたいよね。
「あんたたちの知っている “史実” ってなんなのさ?」 って。
年末年始は忙しかった。
夕方、タクシーを呼んで、カミさんと同乗して病院に送り届けた。
さっきまで、カミさんがいたリビングには、もう 「人の気配」 がない。
ツマミを自分で作って、酒飲んで、テレビ観て、またまた酔っ払ってしまった。
そんな場所で、ベタなテレビ番組を観て、涙ぐんだりしている自分がいる。
関連記事 「坂本龍馬の実像」
2010年01月03日
紅白の矢沢永吉
大晦日の紅白歌合戦で、突然、矢沢永吉が出場したことが、あちこちで話題になっているようだ。
私もびっくりした。
なんせ、今まで紅白出場をかたくなに拒否してきた伝説の人だったからね。
通路の両側をびっしり埋めた関係者が拍手する中を、舞台に向かって歩いていく姿がカッコよかった。
もちろん事前に打ち合わせをした演出なんだろうけれど、あの不敵な…見方によっては照れているような笑みを浮かべて、局の通路を大股で歩く姿は、矢沢じゃなければかもし出せない雰囲気だった。
「存在感」
そういう言葉がぴったりの人だ。
キャロルがはじめてテレビに出たときの衝撃は、いまだに忘れられない。
確か、 『リブヤング』 という番組だったと思う。
ビートルズが、まだリバプールのキャバーンクラブとかハンブルクのライブハウスで演奏していた時代のように、黒の革ジャンとパンツを身に付け、 “不良” っていう雰囲気を全身から発散させて、テレビモニターの向こう側にいるお坊ちゃんお嬢さんをにらみつけるように、 『ルイジアンナ』 と 『ヘイタクシー』 を歌ったのを見て、日本にも、ついに本格的なロックンロールバンドが出現したと思った。
もうその翌日には、彼らのアルバムを求めて、レコード屋に走った。
『ヘイタクシー』 は単純な3コードのブルースなので、弾くのも簡単。
小指で5弦、6弦を押さえてブギのリズムを刻むと、ギター一本でも、ロックンロールの味が出る。
だから、いまだにギターのある飲み屋なんかで盛り上がった時には、ちょこっと歌う。
永ちゃんもカッコいいと思ったけれど、当時は (…その後いろいろと矢沢とゴタゴタがあった) ジョニー大倉が好きだった。
ジョニーの英語は怪しげな発音なんだけど、舌っ足らずのちょっと甘い声で、歌をうまくリズムに乗せる。
1枚目のアルバムは何度も聞いた。
オリジナルとカバーが半々だったと思うが、チャック・ベリーの 『ジョニーBグッド』 なんかはオリジナルも凌駕して、他のアーチストが手掛けたカバーなども寄せ付けぬ、完璧な演奏だった。
矢沢永吉のグイグイとドライブしていくベースが、特に印象に残る曲だった。
キャロルはいまだに好きなバンドだ。
糸井重里がまとめた矢沢永吉の最初の自伝 『成りあがり』 も、いまだに名著だと思う。
矢沢永吉が故郷を離れ、ロックスターを目指して上京し、 (なぜか横浜で汽車を降りてしまって) 、貧しい暮らしを続けながら、キャロルを結成し、そして解散に至るまでの話なんだけど、もう、その “語り口” だけで酔える。
矢沢のアンプラグドのしゃべりを、コピーライターの糸井がアンプのように増幅し、 「ロックンロールを生きる」 ということがどういうことなのか、ものの見事に伝え切ったと思う。
ただ、こう言っちゃ矢沢ファンには怒られるのかもしれないけれど、キャロルを解散して、ソロになってからの矢沢永吉には、それほど魅力を感じなくなった。
歌が、ロックンロールではなく、歌謡曲になってしまったように感じられたからだ。
しかし、古くからの矢沢ファンの人と話すと、 「だから日本でメジャーになれた」 という。
アメリカのロックンロールのカバーや、その雰囲気だけでまとめたオリジナルだけだったら、日本ではこれほどまでの人気を維持できなかっただろう、とそのファンは言う。
「矢沢ファンの多くは、矢沢永吉の “音” を求めているのであって、向こうのパクリのようなロックンロールのまねごとを求めているのではないからね」
そうかもしれない…とも思った。
でも、それは、私の “趣味” ではないのだ。
ソロになってからの矢沢永吉は、 「ビッグ」 になることは確かに目指しただろうけれど、 「ロックンロール」 というものを置き去りにしてきたように思う。
ロックンロールというのは、何よりも 「腰」 が乗っていく音楽で、拳を振り上げて、コンサート会場の 「天井」 を目指す音楽ではないのだ。
武道館のような、何万人という聴衆を集められる格式の高い会場で奏でる音楽ではなくて、横浜のちっぽけなライブハウスのようなところで、他人の腰とぶつかりながら、自分のステップを踏む場所を確保しながら聞くような音楽なのだ。
そんなわけで、キャロルを解散してからの矢沢永吉とは一時は距離をとってしまったけれど、ある時、何かのドラマで、彼が役者を演じていたのを見た。
いい味が出ていた。
うまい演技ではなかったと思うが、すでに今の彼が持っている 「存在感」 のようなものが圧倒的な迫力を持って、セリフを発しない表情にも漂っていた。
「音楽家」 というより、 「人間」 として成長してきたんだな…と思った。
紅白歌合戦では、司会の中居正広から、 「なんで出場する気になったんですか?」 と聞かれたことに対し、
「だって紅白が60年を迎えるというじゃない。それは記念すべきことだから」
というふうな返事をしていた。
たぶん、還暦を迎えた自分の姿と重ね合わせたのだろう。
そういう年を迎えて、 「矢沢も丸くなった」 という人もいるかもしれない。
でも、そうじゃないね。
ツッパリに磨きがかかったのだ。
彼は、おそらく周りが評価するほど、大胆不敵な男ではない。
繊細で、慎重で、用意周到な人だと思う。
彼の 「ビッグスター宣言」 は、あくまでも営業行為としてのツッパリである。
いろいろなインタビューにおいても、自伝の 『成りあがり』 においても、終始ぎりぎりのところまで突っ張った発言を繰り返してきた矢沢永吉。
しかし、ツッパリもここまで練り込まれてくると、もう 「荘厳」 としか言いようがなくなる。
このブログにコメントを寄せてくれた motor-home さんが、矢沢&イチロー対談のことを報告してくれたけれど、矢沢は、 「常にチャレンジしている人間は、相手に対して上から目線で臨まない」 といったそうだ。
相手の年齢、学歴などに関係なく、常に 「同じ目線」 でぶつかっていく。
いい言葉だと思う。
ツッパリは、どんな人間にとっても、しょせん演技。
だけど、ツッパリも60歳まで貫き通すと、 「人と接するときの芸」 にまで昇華する。
「他者」 に向かって自己を演技しているうちに、その 「他者」 が見えてくるのかもしれない。
そうなれば、ツッパリも哲学になる。
そういうものを持っている男を、ホンモノの 「カッコいい男」 といってもいい。
2010年01月02日
飲み正月

毎年繰り広げている “ただの正月” なんだけれど、なんか不思議な気分。
「家族って、こんなに温かいものなんだっけ?」
今さらながら、そんな感慨にジワっと浸っている。
やっぱ、病人を一人抱えているということは、 「家族」 そのものの考え方を少し変える。
いつもなら、カミさんが、 「お雑煮できたわよ」 と声かけて、 「あいよ~」 と、ぞろぞろ家族がダイニングに集まってくるのだけれど、なにしろ今のカミさんは台所に立っても、身体が思うように動かない。
だから、今年は食材の買出しから、料理、洗いモノまで、年末年始の休みに帰ってきた息子と私で、手分けして行っている。
カミさんは、リビングのテレビの前に座ったまま、 「悪いねぇ」 と頭を下げるだけ。
しかし、そういう感謝の気持ちを表明されるだけで、逆に、今までカミさんにすべての家事を任せていたことに対する “ありがたみ” みたいなものを感じてしまう。
息子は息子で、細やかな神経をつかう。
自分が 「神経をつかっている」 ように見せると、親たちに負担がかかるだろうという気づかいがあって、ことさらさりげなく振舞っているけれど、その気づかいの形が手にとるように分かる。
だから、こっちもヤツのやりたいように放っておく。
会話の流れは、ただのバカ話。
だけど、そこに、 「この温かい雰囲気がいつまでも続くといいね」 という、みんなの祈りのようなものが漂っている。
一度だけ、カミさんが、 「私もう治らないかもしれない。命が長くないのかもしれない」 と涙ぐんだ瞬間があった。
息子がひと言、 「うるせぇな」 と笑った。
「うざってぇよ」 という表情とぞんざいな言葉の裏に、 「オレたちに任せておけよ、治してやるから」 というメッセージがこもっているように感じられた。
妙な励ましの言葉をかけられるより、そんなひと言に救われることが、人間にはあるのだ。
カミさんの顔に一瞬にして笑顔が戻った。
今どきの若者は、本当にセンシティブ。
気づかいを、 「気づかい」 として相手に感じさせない術に長けている。
そんな様子を眺めながら、昼間っから、ひたすら酒を飲んでいる。
テレビからは、年末に収録したお手軽な “作り置き” のお笑い番組ばかりしか流れていないというのに、何も考えず、それをぼんやり眺めているのが幸せ。
「幸せ」 は、簡単に手が届く範囲のところに、ひっそりと転がっている。
そいつに気づくか、気づかないだけの話なのかもしれない。
2010年01月01日
50代最後の元日
寅年の年が明けました。
皆さん、どんな新年を迎えましたか。
今年は、私にとって節目の年であります。
なんたって、「還暦」 だもんね。
いよいよあと数ヶ月で、60歳だからね。
でも、実感ねぇんだよな…
若い頃、60歳の男って、えらいジジイに思えた。
見た感じが若くても、 「60」 っていう年齢を聞くと、それだけで、その人が、 「もうあたしゃジジイだよ」 って語っているように感じられた。
でも、そのくらいの年齢になれば、人生経験も豊富になっているから人の気持ちも読めて、知識も蓄えられているから世の中もよく見えて……。
そんなイメージを抱いていたけれど、自分がその年を迎えるとなると、ぜ~んぜん!
見えるのは、自分の未熟な部分ばかりで、ホントにイヤになっちゃう。
若者の 「未熟」 はまだ可能性が含まれているから許されるけれど、年寄りの 「未熟」 は救いようがないよ。
だから、外観とか、会話の内容なんかで、オレの印象を、
「お若いですねぇ!」
なんておだててくれる人がいるけれど、そう言ってくれた人には申し訳ないんだけどさ、 それほどそういう言葉では浮かれないの。
歳相応の分別とか、貫禄とかがねぇ、ってことだもんな。
もちろん、 「老け過ぎですねぇ」 なんて言われるよりはいいけどさ。
では、どう言われたらうれしいか…というと、
たとえば、
「今を生きてますねぇ」
とかいう感じのやつ。
結局60年生きてきて、仕事人生40年として、その40年間、自分は (一応は) ジャーナリストのつもりで生きてきたわけ。
「ジャーナリスト」 っていう言葉も、すっごく、こっ恥ずかしいけれど、まぁ、…許してもらって…、ジャーナリストってのは、結局、 「あわて者」 じゃないと務まらないと思うのね。
文学者とか批評家とかっていう人たちは、じっくり物事を考えなければいけないけれど、ジャーナリストってのは、本来 「あわて者」 なの。
森の向こうにたなびく煙を見て、やや火事かな? 焚き火かな? と、とっさに、どっちかに決めてしまう人間のことをいうわけ。
で、 「ジャーナリスト」 ってのは、その煙を見ながら走り出してさ、火事か焚き火か分からないうちから、 「火の気は森林一体に広がりそうです。この火事の原因は煙草の火の不始末によるものと思われ…」 なんて、メモを取り始める人間のことなの。
だから、意外と 「軽薄人間」 が多いんだね。
でも 「今」 というものに敏感であり続けるには、そういう軽薄さを維持していかなければならないわけ。
文学者や批評家のように、 「モノの本質をじっくりと見極めてから…」 なんて構えていると、 「今」 は逃げちゃうんだから。
もちろん、それでいい、と言うつもりはない。
「軽薄」 であっても、冷静に考えて、間違っていたことが分かったら、みんなに素直に謝れる感覚を持てるかどうかが、一流と二流を分ける境目になると思う。
だけど、自分が 「間違っていた」 ことなんか、人間はなかなか認めないんだよね。
たいてい誰かのせいにしちゃう。
「紛らわしい焚き火なんかすんなよ。火事だと思っちゃうじゃねぇか!」
とかね。
オレなんか、いつもそう。
だから、 いつまで経っても 「未熟で二流」 。
ま、バタバタしても、今年は60歳。
別にたいした感慨もないけれど、少しだけ、ここまで歩んできた人生というのを振り返る年齢になったかもしれません。
皆様、今年もよろしく。
2009年12月31日
深夜のシャーデー
シャーデー姉さん、カッコよすぎ!
みんな見た?
昨日の晩…というか、今朝っていうか、BS2で2時から3時半までやったシャーデーの 「黄金の洋楽ライブ」 。
デビューしてから25年目なんだってさ。
…つぅーってことは、もう50歳?
だけど、彼女の場合、 「歳」 ってのを超越しているよね。
永遠の “乙女” だな。
素晴らしいステージだった!
ちょっとだけ見て、すぐ寝るつもりだったけれど、見ているうちにどんどん引き込まれてしまって、冷蔵庫の中からジンロを取り出して、それを伊藤園の 「お~いお茶・濃い味」 で割って、ガンガン飲み始めてしまったよ。
シャーデー・アデュは、オレにとって 「女神」 なの。
80年代の “音” で、いちばん印象に残った音は何? って聞かれたら、間違いなくシャーデーの 『ダイアモンド・ライフ』 を挙げたい。
あのアルバムは、本当に何度も聞いた。
聞いて、聞いて、…夢の中でも鳴っていた。
彼女が原曲をつくり、彼女のバンドがアレンジして奏でる音は、R&Bへのリスペクトがちゃんとこもっていて、そこにジャズの洗練さが加わり、それでいて、誰にも追従できないようなシャーデーの音が確立されていて、本当に刺激的。
シャーデー・アデュは、若い頃マービン・ゲイとか、カーティス・メイフィールドをさんざん聞いた人らしい。
分かるよ、それ。
70年代ソウルの、最高のエッセンスを体現していたアーチストたちに憧れた人の求める 「音」 は、すぐ分かる。
ネオンまたたく都会の夜の熱さを訴えながら、夜明けの冷気のようにクール。
そこに、コップに垂らした一滴のインキのように広がっていくアンニュイ。
男が一人でバーで酒を飲んだりするとき、とりあえずシャーデーが流れていれば、どんな男でもカッコがつく。
で、BSでやっていたこのライブでも、 「スムース・オペレーター」 のような、ホントに気がおかしくなるくらい聞いた曲を流してくれたおかげで、ついに、ジンロの瓶のラッパ飲みになってしまったよ。
とにかく、ステージの構成がカッコいいの。
バンドマンたちの衣装や照明も含め、昔のブルーノートレーベルのジャケットみたいに、シンプルだけどモダンアートしてます! …っていう雰囲気なんだな。
その洒落た演出でまとめられたステージの上を、白く輝く衣装に包まれたシャーデーが、空から舞い降りた天女のように、この世の女には真似できないような、謎に包まれた微笑を投げかける。
とにかく色っぽいんだ。
白に銀のラメの入ったステージ衣装なんだけれど、おヘソがはっきり見えてさ。
背中は、お尻の線まで見えそうでさ。
ものすごく下品に言っちゃうと、 “抱きてぇな…” って思わせる衣装なんだけど、それでいて、 「絶対手が届かない」 という超越性をはらんでいるのね。
つまり 「エロス」 が 「聖化」 されているって感じ。
分かる?
あれ、あれだよ。
邪馬台国の卑弥呼みたいなもの。
「卑弥呼。鬼道につかえ、よく衆を惑わす」 ってやつ。
セクシーで、ミステリアスで、恐ろしくって、美しくて。
男の心をとろかせるようでいて、実は、男から最も遠いところにいる女。
そういう女を知ってしまった男というのは、報われない愛に生きる悲劇と恍惚を、同時に手に入れることになるんだね。
シャーデー姉さん、カッコいい!
そんなわけで、一人で盛り上がって、したたかに酔って、でも朝一に起きて、外泊許可をもらったカミさんをタクシーで病院に迎えに行って…。
大晦日の朝は、そんな感じで迎えました。
皆さんの迎える新年が幸多かりしことを祈ります。
▼ スムース・オペレーター
関連記事 「歌姫シャーデー」
2009年12月30日
大掃除が間に合う
正月休みなので、息子が帰ってきた。
やぁ、助かった。
なにせ、火の車だったからね。
あんまりも家の中がひどかったから、ヤツも落ち着けないと思ったらしく、大掃除をやってくれた。
2年間も廊下にほったらかしにしていた積み重なった段ボール箱の中味を点検し、使える皿とかコップは洗って、ゴミは捨てて。
古新聞や古雑誌を束ねて、廊下に積み上げて。
散らかっていた夏物のシャツとか靴下を拾い集めて、洗濯機に入れて。
おかげで、なんとか廊下に “通路” ができた。
後は、10年ぐらい触ったこともなかった台所の換気扇を磨いて。
布団を乾して、風呂を洗って。
ヤツが家の掃除をしてくれているので、こっちはカミさんの病院にいって、外泊の相談をすることができた。
なんせ、カミさんの病気ってのは、赤血球、白血球、血小板が、三つとも正常値より低いっていう難病。特に免疫力が低下しているらしいので、ばい菌がヤバイんだそうだ。
私なんか存在そのものが “ばい菌” みたいなものだから、同じ空気を1時間も一緒に吸ったら、卒倒しちゃうかもしんねぇ。
…ってんで、家の中でもマスクでもしなきゃいけねぇのかな…って悩んでいる。
でも、息子のおかげで、掃除が間に合ってホッとしている。
憎ったらしいのは犬なんだな。
今まで、私ばかり追い掛け回していたくせして、息子が帰ってくると、私なんか見向きもしない。
名前を呼んでも、うわの空。

で、息子の後ばかりピョンピョン跳ねながら追い掛け回している。
尻尾なんか、ちぎれんばかりに力強く振ってさ。
やっぱメス犬だよ、若い男の方が好きなんだろうな。
私が抱き上げようとすると、その手を振り解き、股の下をくぐりぬけて、息子に向かって駈けていくんだから、やぁ~な犬。
カミさんは3泊4日だけの外泊だけど、まぁ、正月は、久しぶりに親子で団らん。
でも、憎ったらしい犬は、部屋の中に入れてやんない。
やぁ、助かった。
なにせ、火の車だったからね。
あんまりも家の中がひどかったから、ヤツも落ち着けないと思ったらしく、大掃除をやってくれた。
2年間も廊下にほったらかしにしていた積み重なった段ボール箱の中味を点検し、使える皿とかコップは洗って、ゴミは捨てて。
古新聞や古雑誌を束ねて、廊下に積み上げて。
散らかっていた夏物のシャツとか靴下を拾い集めて、洗濯機に入れて。
おかげで、なんとか廊下に “通路” ができた。
後は、10年ぐらい触ったこともなかった台所の換気扇を磨いて。
布団を乾して、風呂を洗って。
ヤツが家の掃除をしてくれているので、こっちはカミさんの病院にいって、外泊の相談をすることができた。
なんせ、カミさんの病気ってのは、赤血球、白血球、血小板が、三つとも正常値より低いっていう難病。特に免疫力が低下しているらしいので、ばい菌がヤバイんだそうだ。
私なんか存在そのものが “ばい菌” みたいなものだから、同じ空気を1時間も一緒に吸ったら、卒倒しちゃうかもしんねぇ。
…ってんで、家の中でもマスクでもしなきゃいけねぇのかな…って悩んでいる。
でも、息子のおかげで、掃除が間に合ってホッとしている。
憎ったらしいのは犬なんだな。
今まで、私ばかり追い掛け回していたくせして、息子が帰ってくると、私なんか見向きもしない。
名前を呼んでも、うわの空。
で、息子の後ばかりピョンピョン跳ねながら追い掛け回している。
尻尾なんか、ちぎれんばかりに力強く振ってさ。
やっぱメス犬だよ、若い男の方が好きなんだろうな。
私が抱き上げようとすると、その手を振り解き、股の下をくぐりぬけて、息子に向かって駈けていくんだから、やぁ~な犬。
カミさんは3泊4日だけの外泊だけど、まぁ、正月は、久しぶりに親子で団らん。
でも、憎ったらしい犬は、部屋の中に入れてやんない。
2009年12月29日
ちょっと昔話を
「自動車が売れない」 という話をあちこちで聞くにつけ、胸が痛くなるような、ちょっと感慨深い気持ちになる。
自分は 「自動車の世紀」 を生きて来てしまった…という思いがあるからだ。
もちろんちょっと大げさな言い方だ。
なにせ自動車は、現代文明の 「華」 だ。
もし、 「近代」 と 「現代」 の分かれ目を設けるとしたら、自動車の 「誕生前」と 「誕生後」 に分けるのが一番分かりやすいのではないかと思えるくらい、自動車が現代文明と産業に与えた影響は大きい。
とても、私なんかのちっぽけな人生と比べるべくもない。
それでも、自分の人生を振り返ってみると、結局、自動車のいちばんドラマチックな転換点をすべてリアルタイムで見てきたという印象が強い。
日本の自動車産業が、日本の基幹産業といわれるまで成長し、しかも世界の頂点に登り詰めていくまでのドラマを眺め、そして今、構造的な大不況のなかで、自動車産業が日本のすべての産業が抱える苦境を代表するような形で、荒れる波涛の先端を進んでいる様子を眺めている。
今まで見てきたものを振り返ると、なんかそんな歴史を複雑な思いで目にしている 「自分」 がいる。
20代の半ばに、自動車メーカーのPR誌の編集部に身を置いた。
1970年代の中頃だった。
当時の自動車業界は、ちょうど排ガス規制と公害問題に揺すぶられて、あえいでいた。
ちょっと前まで、トヨタ2000GTが注目を集め、スカイラインGTが人気を博し、ベレGやヨタハチが若者たちの憧れの的だった…というような華々しい世界があったというのに、状況は一変していた。
その頃自分が携わっていた雑誌を見ると、やたら 「公害防除」 とか 「排ガス規制へのメーカーの対応姿勢」 などという言葉が並んでいる。
おびただしい交通事故の犠牲者が出るようになって、 「安全運転の心構え」 とか 「飲酒運転の危険度」 などという特集も多かった。
PR誌という性格もあっただろうけれど、 「自動車は社会悪の元凶」 などという世論に対抗する必要もあって、乗ることの楽しさとか、使うときの利便性などを訴える余力すらなかったという感じがする。
防戦一方だったのだ。
風向きが少し変わったのは、ちょうどトヨタがソアラを出した頃あたりか。

▲ 初代ソアラ (ウィキペディアより)
「アウトバーンで欧州車と互角に走れるクルマ」 というのが、売りの一つで、そういうクルマを宣伝するという感覚が、当時はとても奇異なものに感じられた。
「走り」 をメインに打ち出すのって、アリ?
今から思うと奇妙な感慨だったが、自分の仕事にようやく 「風が通った」 という思いを持った。
まだまだ米国ビックスリーは雲の上。
それでも、 「壊れない」 「燃費がいい」 などという日本車の性能に注目し、アメリカ人の中にも、徐々に日本車に乗り替える人が出てきた…なんてことが話題になる時代。
日本車が海外で高い評価を受けるようになったとかいうニュースに接し、 「へぇ、日本もやるもんだ」 なんて素朴に喜んだりした。
自分のやってる仕事に、 「なんとなく日が当たるようになってきた」 と感じたのがその頃だった。
急にモータースポーツの企画も増え、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットにも通うようになった。
プレス証を腕に巻き、タイヤ交換や給油のドラマをピット側から覗き込む快感に酔いしれた。
耐久レースなどでは、まだまだ国産マシンは外国勢にかなわなかったけれど、それでも日本の自動車メーカーの技術がレース界でも発揮できる手応えを感じ、日本車が完走しただけでも、 「すげぇなぁ」 と素直に感動した。
それから後は、日本の自動車産業のサクセスストーリーを眺める仕事になった。
高性能エンジンを積んだスタイリッシュな市販車が次々と誕生し、PR誌の仕事も多忙を極めるようになっていく。
それぞれのクルマが消費者に与える華麗な 「ストーリー」 を考案し、メーカー広報部と広告代理店との会議の席上で、編集方針のプレゼンを行う。
歯の浮くような過剰なキャッチが、次々とすんなりと通ってしまう祝祭的な空間に身を置くことの心地よさ。
バブルの華やかさは、クルマ業界も包んだ。
あの頃、クルマが別なものになっていた。
「記号的商品」
というやつ。
自動車は、生活必需品ではすでになく、 「シーマは功なり名を遂げたはぐれ狼的な事業者のサクセスの記号」 とか、 「白いマークⅡはワンランク上の生活レベルを目指す中産階級の記号」 などという言説が、自動車雑誌の座談会で堂々と述べられる時代を迎えていた。
時はニューアカデミズムの大繁栄の時代で、自動車を語る切り口にも、記号論やら脱構築やらというポストモダンの言論が満ち溢れていた。
郊外のリゾートホテルを借り切って、数日にわたって繰り広げられた某タイヤメーカーのレセプションは、さながらロココ時代の宮廷の舞踏会のようだった。
クライアントにお金があったので、タレントやら、俳優やら、小説家やら、あらゆる有名人をどんどん特集読み物のゲストに迎えた。
この頃、高名な自動車評論家と、ヨーロッパ在住の歴史作家の対談なども企画したり、交通安全などというテーマでも、話題の人類学者を起用したり、とにかく自分では 「自動車の社会的地位を高める」 企画ばかり組んでいたように思っていたが、その背中を後押ししたのは、バブルの熱気だったかもしれない。
だから、それに酔う自分がいる一方、危うさも感じていた。
クルマが、所有者の生身の “身体” から離れ、一種の化け物みたいに、人に憑依 (ひょうい) するような傾向も生まれてきたからだ。
「麻布、六本木界隈でナンパするクルマは、BMW以上じゃなきゃダメ」 とか、 「ゴルフ仲間にちょっと優越する気分を持つには、クラウン、セドグロじゃ役不足」 とかいう記事が自動車雑誌の誌面に踊るようになり、 「バカか!」 と思った。
それに近いことを自分でもしていたわけだけど、クルマによって 「自己実現」 しようという風潮が、ものすごく単純な形で台頭してきているのを見て、この業界ヤバイぞ…と思うようになった。
案の定、バブル崩壊が地すべりのように自動車業界を洗い、自動車をめぐる浮っついた言論は、文字通り、空中を舞うシャボン玉のように消えた。
その頃が自分の転機だったかもしれない。
古巣のPR誌を離れ、オートキャンプとキャンピングカーの媒体に移ったのだ。
まったく別の世界が待っていた。
キャンピングカー屋のオヤジさんたちは、大手メーカーの広報部員やアルマーニを着た広告代理店の営業マンたちが語るような、流ちょうな美辞麗句を何も知らなかった。
世界戦略もなければ、市場分析もなかった。
代わりに、手作りの技術を極めたときの達成感、顔が見える顧客に対しストレートに自分の 「作品」 を語るときの喜び、自然の中でキャンプを繰り広げるときの解放感。
そんな、生きた、血の通った楽しみ方をみんなが持っていた。
ある意味で、学歴も職歴も関係ない世界だった。
どれだけキャンピングカーに興味があるのか、それをどう言葉にするのか。
それだけが総てを決めるような世界だったのだ。
その中で、会社や大企業の看板を背負うことなく、自分一人の力量で仕事を請け負うときの辛さと面白さを学んだ。
気づいてみると、乗用車のPR誌を作っていた時代よりも、もうこちらの方に身を置く時間の方が長い。
思えば、ある意味でどっぷりとクルマに浸かった人生だった。
仕事だけでなく、いつの間にか自分が乗り継いだクルマも、キャンピングカーを含めて7台に及ぶ。
ドアを閉めたときに、ペネペナと薄紙みたいな音を立てるクルマもあったし、6発のツインカムを搭載した韋駄天のクルマもあった。
だけど、その7台のうち、一番気に入っているのが、いま自分の乗っているキャンピングカー。
こういうクルマに出会えたのも、こちらの仕事に移った恩恵だと思っている。
その間に、自動車の世界は、まれにみる構造的不況の中であえいでいる。
かつてそこが “古巣” だった自分にとっては、人ごとのように思えない。
だから、キャンピングカーを沈没させてはいけない、と強く思う。
たいした力もないくせに……なんだけど。
自分は 「自動車の世紀」 を生きて来てしまった…という思いがあるからだ。
もちろんちょっと大げさな言い方だ。
なにせ自動車は、現代文明の 「華」 だ。
もし、 「近代」 と 「現代」 の分かれ目を設けるとしたら、自動車の 「誕生前」と 「誕生後」 に分けるのが一番分かりやすいのではないかと思えるくらい、自動車が現代文明と産業に与えた影響は大きい。
とても、私なんかのちっぽけな人生と比べるべくもない。
それでも、自分の人生を振り返ってみると、結局、自動車のいちばんドラマチックな転換点をすべてリアルタイムで見てきたという印象が強い。
日本の自動車産業が、日本の基幹産業といわれるまで成長し、しかも世界の頂点に登り詰めていくまでのドラマを眺め、そして今、構造的な大不況のなかで、自動車産業が日本のすべての産業が抱える苦境を代表するような形で、荒れる波涛の先端を進んでいる様子を眺めている。
今まで見てきたものを振り返ると、なんかそんな歴史を複雑な思いで目にしている 「自分」 がいる。
20代の半ばに、自動車メーカーのPR誌の編集部に身を置いた。
1970年代の中頃だった。
当時の自動車業界は、ちょうど排ガス規制と公害問題に揺すぶられて、あえいでいた。
ちょっと前まで、トヨタ2000GTが注目を集め、スカイラインGTが人気を博し、ベレGやヨタハチが若者たちの憧れの的だった…というような華々しい世界があったというのに、状況は一変していた。
その頃自分が携わっていた雑誌を見ると、やたら 「公害防除」 とか 「排ガス規制へのメーカーの対応姿勢」 などという言葉が並んでいる。
おびただしい交通事故の犠牲者が出るようになって、 「安全運転の心構え」 とか 「飲酒運転の危険度」 などという特集も多かった。
PR誌という性格もあっただろうけれど、 「自動車は社会悪の元凶」 などという世論に対抗する必要もあって、乗ることの楽しさとか、使うときの利便性などを訴える余力すらなかったという感じがする。
防戦一方だったのだ。
風向きが少し変わったのは、ちょうどトヨタがソアラを出した頃あたりか。

▲ 初代ソアラ (ウィキペディアより)
「アウトバーンで欧州車と互角に走れるクルマ」 というのが、売りの一つで、そういうクルマを宣伝するという感覚が、当時はとても奇異なものに感じられた。
「走り」 をメインに打ち出すのって、アリ?
今から思うと奇妙な感慨だったが、自分の仕事にようやく 「風が通った」 という思いを持った。
まだまだ米国ビックスリーは雲の上。
それでも、 「壊れない」 「燃費がいい」 などという日本車の性能に注目し、アメリカ人の中にも、徐々に日本車に乗り替える人が出てきた…なんてことが話題になる時代。
日本車が海外で高い評価を受けるようになったとかいうニュースに接し、 「へぇ、日本もやるもんだ」 なんて素朴に喜んだりした。
自分のやってる仕事に、 「なんとなく日が当たるようになってきた」 と感じたのがその頃だった。
急にモータースポーツの企画も増え、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットにも通うようになった。
プレス証を腕に巻き、タイヤ交換や給油のドラマをピット側から覗き込む快感に酔いしれた。
耐久レースなどでは、まだまだ国産マシンは外国勢にかなわなかったけれど、それでも日本の自動車メーカーの技術がレース界でも発揮できる手応えを感じ、日本車が完走しただけでも、 「すげぇなぁ」 と素直に感動した。
それから後は、日本の自動車産業のサクセスストーリーを眺める仕事になった。
高性能エンジンを積んだスタイリッシュな市販車が次々と誕生し、PR誌の仕事も多忙を極めるようになっていく。
それぞれのクルマが消費者に与える華麗な 「ストーリー」 を考案し、メーカー広報部と広告代理店との会議の席上で、編集方針のプレゼンを行う。
歯の浮くような過剰なキャッチが、次々とすんなりと通ってしまう祝祭的な空間に身を置くことの心地よさ。
バブルの華やかさは、クルマ業界も包んだ。
あの頃、クルマが別なものになっていた。
「記号的商品」
というやつ。
自動車は、生活必需品ではすでになく、 「シーマは功なり名を遂げたはぐれ狼的な事業者のサクセスの記号」 とか、 「白いマークⅡはワンランク上の生活レベルを目指す中産階級の記号」 などという言説が、自動車雑誌の座談会で堂々と述べられる時代を迎えていた。
時はニューアカデミズムの大繁栄の時代で、自動車を語る切り口にも、記号論やら脱構築やらというポストモダンの言論が満ち溢れていた。
郊外のリゾートホテルを借り切って、数日にわたって繰り広げられた某タイヤメーカーのレセプションは、さながらロココ時代の宮廷の舞踏会のようだった。
クライアントにお金があったので、タレントやら、俳優やら、小説家やら、あらゆる有名人をどんどん特集読み物のゲストに迎えた。
この頃、高名な自動車評論家と、ヨーロッパ在住の歴史作家の対談なども企画したり、交通安全などというテーマでも、話題の人類学者を起用したり、とにかく自分では 「自動車の社会的地位を高める」 企画ばかり組んでいたように思っていたが、その背中を後押ししたのは、バブルの熱気だったかもしれない。
だから、それに酔う自分がいる一方、危うさも感じていた。
クルマが、所有者の生身の “身体” から離れ、一種の化け物みたいに、人に憑依 (ひょうい) するような傾向も生まれてきたからだ。
「麻布、六本木界隈でナンパするクルマは、BMW以上じゃなきゃダメ」 とか、 「ゴルフ仲間にちょっと優越する気分を持つには、クラウン、セドグロじゃ役不足」 とかいう記事が自動車雑誌の誌面に踊るようになり、 「バカか!」 と思った。
それに近いことを自分でもしていたわけだけど、クルマによって 「自己実現」 しようという風潮が、ものすごく単純な形で台頭してきているのを見て、この業界ヤバイぞ…と思うようになった。
案の定、バブル崩壊が地すべりのように自動車業界を洗い、自動車をめぐる浮っついた言論は、文字通り、空中を舞うシャボン玉のように消えた。
その頃が自分の転機だったかもしれない。
古巣のPR誌を離れ、オートキャンプとキャンピングカーの媒体に移ったのだ。
まったく別の世界が待っていた。
キャンピングカー屋のオヤジさんたちは、大手メーカーの広報部員やアルマーニを着た広告代理店の営業マンたちが語るような、流ちょうな美辞麗句を何も知らなかった。
世界戦略もなければ、市場分析もなかった。
代わりに、手作りの技術を極めたときの達成感、顔が見える顧客に対しストレートに自分の 「作品」 を語るときの喜び、自然の中でキャンプを繰り広げるときの解放感。
そんな、生きた、血の通った楽しみ方をみんなが持っていた。
ある意味で、学歴も職歴も関係ない世界だった。
どれだけキャンピングカーに興味があるのか、それをどう言葉にするのか。
それだけが総てを決めるような世界だったのだ。
その中で、会社や大企業の看板を背負うことなく、自分一人の力量で仕事を請け負うときの辛さと面白さを学んだ。
気づいてみると、乗用車のPR誌を作っていた時代よりも、もうこちらの方に身を置く時間の方が長い。
思えば、ある意味でどっぷりとクルマに浸かった人生だった。
仕事だけでなく、いつの間にか自分が乗り継いだクルマも、キャンピングカーを含めて7台に及ぶ。
ドアを閉めたときに、ペネペナと薄紙みたいな音を立てるクルマもあったし、6発のツインカムを搭載した韋駄天のクルマもあった。
だけど、その7台のうち、一番気に入っているのが、いま自分の乗っているキャンピングカー。
こういうクルマに出会えたのも、こちらの仕事に移った恩恵だと思っている。
その間に、自動車の世界は、まれにみる構造的不況の中であえいでいる。
かつてそこが “古巣” だった自分にとっては、人ごとのように思えない。
だから、キャンピングカーを沈没させてはいけない、と強く思う。
たいした力もないくせに……なんだけど。
2009年12月28日
バニングとは何か
「キャンピングカーの歴史」 を詳しく述べる資料というものがわが国には少ないのだが、もっと少ないのは 「バニングの歴史」 を語る資料だ。
キャンピングカーは、今や日本でも一大産業として成長を遂げつつあるが、バニングの方は専門業者の数も少なくなり、どちらかというと、 “過去の遺物” のように見られがちである。
しかし、日本のキャンピングカーがここまで成長してこれたのは、バニングのおかげといえなくもないのだ。
なぜなら、国産キャンピングカーは、途中までバニングと同じ進化の系をたどってきたのであり、現在の国産ビルダーの中には、バニングメーカーとしてスタートを切った業者も少なくない。
初期のバニングを愛した人たちとは、いったいどのような人たちだったのか。
また、キャンピングカーに比べ、バニングはなぜ途中で成長を止めてしまったのか。
そのようなバニングの生きた歴史を語れる貴重な人間の一人に、井上章英 (いのうえ・あきひで) さんがいる。

▲ 井上章英さん
知る人ぞ知る 『キャンプカーマガジン』 の編集長さんである。

▲ 「キャンプカーマガジン」 最新号
井上さんは、実は現在のお仕事に就かれる前に、あの有名なバニング雑誌である 『カスタムCAR』 の編集長を勤めていた時期がある。
この夏のことであったが、バニングに関して、井上さんから当時の貴重な思い出話を聞く機会があった。
ここで、その一部をご紹介する。
《 「カスタムCAR」 の創刊と発展 》
【町田】 井上さんが 『カスタムCAR』 を手掛けられていた時期は、いつ頃だったのですか?
【井上】 『カスタムCAR』 の編集部に入ったのは1988年でしたね。36歳でした。それから2000年の3月まで。12年間その仕事を続けました。
雑誌自体は、1978年 (昭和53) に創刊されていました。最初は 『ピットイン』 の増刊という形で出したのですが、けっこう評判がよくて、すぐに定期刊行になりましたね。

▲ 「カスタムカー」 最新号
【町田】 カスタムカーの編集部に入られたときは、どんなお気持ちだったのですか?
【井上】 当時僕は、 『ピットイン』 のような普通の乗用車雑誌の編集を担当していたんですよ。
だから、 『カスタムCAR』 に入ったときは、ちょっとカルチャーショックでしたね。
【町田】 どういう意味で?
【井上】 普通の自動車雑誌というのは、自動車メーカーなどが発信する情報を、僕らがまとめて、それを読者に提供するわけですから、編集部と読者との距離が離れているわけです。極端な話、情報はこちらからの一方通行で、読者の顔が見えにくい状況なんですね。
ところが、 『カスタムCAR』 という雑誌が伝える情報は、ある意味、読者が発信する情報なんです。
ということは読者 = 取材対象者ということで、編集部と読者の間には双方向の情報の流れが出来ていたんですね。
つまり、バニングは原則的にワンオフ製作ですから、 “造り手 (メーカー) ” は “お客さん” そのものであり、同時にそれが雑誌の読者でもあるわけです。
【町田】 となると、誌面構成にも読者の意向がかなり反映されてくるわけですね?
【井上】 そうです。 『カスタムCAR』 というのは、いわゆる 「読者が作る雑誌」 の典型だったんですよね。読者と編集部の連絡がものすごく密な雑誌だったんですよ。
「あの企画が面白かった」 、 「次はこれを取り上げたら?」 というような読者からの感想やら提案がダイレクトに編集部に伝えられてくるんですね。
土日になると、必ずどこかでバニングクラブのイベントやツーリングがありましたから、その取材のために、前日から会場に入り、酒など飲みながら交流を持つわけです。
そこで次の号の企画が決まるとかね。
そんなふうにユーザーが熱心に支持してくれたおかげで、編集部とユーザーのつながりの強い雑誌に成長していったわけです。
その代わり、編集にタッチした12年間は、ほとんど休みがなしでしたけどね。
【町田】 でも、そういう体験は貴重ですね。読者の注目度の高い雑誌をつくれるなんて幸せですね。
【井上】 ええ。みんな雑誌の隅から隅まで、しっかり目を通してくれるわけですよ。
たとえば、イベントなどの記事で、写真で紹介しているクルマとはまったく関係ない、その背景に小さく写った別のクルマのアルミホイールのメーカーがどこなのか? そんな問い合わせまでよくもらいました。

《 バニングユーザーの実像 》
【町田】 バニングに情熱を傾けていた人たちというのは、どういう人たちだったんですか?
【井上】 基本的には求人雑誌の 『ガテン』 で求人しているような職業の人たちがメインでしたね。よく “ガテン系” なんていっていましたけれど、バブルの建設ラッシュで、金回りのよくなった若い職人さんが多かったですね。年齢的には20代の前半ぐらいでしょうか。
【町田】 ベース車でいうと、どういう車種に乗っている人が多かったんですか?
【井上】 僕がやっていた頃は、6割方ぐらいがハイエース、キャラバンといったワンボックスカーでした。
【町田】 ベース車は、持ち込み架装だったんですか?
【井上】 持ち込み架装もあったけれど、基本は中古車のバンがベース。
80年代の後半まではハイエース・スーパーロングの72系か、60系のロング。キャラバンのE23、E24もけっこう流行っていました。
しかし、その後100系のハイエースが出て、流れがガラッと100系ハイエース中心になりましたね。
僕が辞めてからは、そういうワンボックス系のバニングが4割ぐらいに減って、アメリカのトラッキンやホットロッド、ローライダーのような車種を掲載する比率が増えたように思います。
面白いもんでね、同じ 『カスタムCAR』 の読者といっても、バニングに乗っている読者はアメリカン・カスタムとかホットロッド、トラッキンなどの記事を読むけれど、アメリカン・カスタムやホットロッドに興味のある人たちは、バニングの記事をあまり読まないんですね。
アメリカン・カスタムが好きな人たちは、バニングが持つ独特な、日本的なテイストが嫌いだったんでしょうね。逆に言いえば、バニングのユーザーたちは、クルマをカスタムするということに、とても貪欲だったのではないでしょうか。

《 バニングカーの特徴 》
【町田】 国産ワンボックス系のバニングの場合、どういう架装例が多かったんですか?
【井上】 まず最初は、基本的なエアロパーツを組み込んで、ホイールを替え、車高を下げる。
次に、座席を取り外して、シャギー絨毯やチンチラの壁紙で内部を貼りめぐらし、シャンデリアとかソファベッドを組み込むわけですね。
外装では、車体にエアブラシ・ペイントを施すのが流行りました。
ペイントのテーマは、ディズニーやドラゴンボールなどのアニメ・キャラか、あとはラッセンの描くイルカが飛び跳ねているようなイラストですね。
人物だと矢沢永吉、工藤静香、中森明菜……。
【町田】 どのようなビルダーのクルマに人気がありましたか?
【井上】 関西では、やっぱり 「オートボディショップたなか」 さん。…今のアネックスさんですね。
田中さんのところは、エアブラシも含めていろいろなアイデアが豊富だったんです。FRP製のハート型の窓をリヤゲートのところに付けたりね。
【町田】 エアブラシの絵は、それぞれの架装メーカーさんが描くわけでしょ? それだけ業界には絵心のある人が多かったわけですか?
【井上】 まぁ、絵心のある人を集めたのでしょうけれど、でもやっぱりその中でもうまい人は限られてくるわけで、田中さんのところは上手でしたね。
ラッセンの、夜の海にイルカが飛び跳ねているような絵柄がアメリカで流行っていた時期に、それを一番最初に日本に持ってきたのは 「ブルーオート」 の青木さんですね。
「ビークル」 さんとか 「АtoZ」 さんなども、今ではキャンピングカーの大御所ですけれど、昔はきれいなバニングをいっぱい造っていましたね。
そのほか、秋田の 「ファーストカスタム」 さんとか、川崎の 「荒木自動車」 さん、埼玉の 「プロット」 さんも有名でした。
後半になってからは、 「ナッツ」 さんのバニングも人気を集めていましたね。
【町田】 井上さんが12年間バニングを見てこられて、最初の方と後半とでは、内装の変化があったのですか?
【井上】 内装素材でいえば、モケットは一貫して人気がありましたけれど、80年代の後半になると、チンチラとか金華山は影を潜めて、代わりに平織りのような、今のキャンピングカーでも使われている素材が出てくるようになりました。
チンチラとか金華山はデコトラの方にいったようです。
レイアウトでいうと、ニの字とかコの字ソファが圧倒的に多かったのですが、後半になると、キャンピングカーのような対面対座も出てくるようになりましたね。
床もシャギージュウタンではなくて、市松模様のクッションフロアとか…。今のキャンピングカーと変わらないようなデザインのものも見るようになりました。
《 その後のバニング 》
【町田】 バニングがいちばん盛んだったのは、いつ頃なんですか?
【井上】 1990年代初めから急激に伸び出して、93、94年ごろがピークかな。90年代終盤からだんだん下火になっていったわけです。
【町田】 下火になった理由は何ですか?
【井上】 いくつかあるんでしょうけれど、架装に高額なお金をかける人たちが出てくるようになったんですね。
最後の方になると、架装費だけで1千万とか1千5百万円などというクルマも出てくるようになったんです。
そうなると、それについてこれなくなった若者が、次第に距離を置くようになったんです。
それと、ほんの一部ですけど、暴走族系の連中がときどき幅を利かせるようになったんですね。
数からいえばほんの一握りなんですけど、やはりそういう連中は目立つわけですよ。
そのために、ただクルマが好きで、仲間とキャンプしたり、海に行くことだけを楽しんでいた若者たちが引いちゃったんですね。
だから可哀想でしたよ。
取材しているとよく分かるんですが、本来のバニング愛好者って、一見やんちゃ風に見えるけれど、みんな良い人間なんですよ。礼儀正しいし、話すと面白い。
だから、世間の一部で誤解されてしまうことは残念でしたね。
【町田】 バニングユーザー同士のクラブキャンプというのは、どういうものだったんですか?
【井上】 基本的には、みんなで集まって、 「お前のいいね」 「俺のはこういうんだよ」 というようなミニ品評会とか情報交換の場でした。
仲のよいメンバーが集まると、みんなで和気あいあいと海に行ったり、キャンプをしたりね。
そのうち結婚して、子供ができたりすると、今のキャンピングカーユーザーの例会と変わらないミーティングになったんじゃないかな。
ただ、室内で調理をするというようなことはなかったですね。それにトイレを付けているクルマも少なかったと思います。
【町田】 それにしても、バニングの初期の頃からその最盛期まで、その流れをメディアの目を通して眺めて来られた証言は貴重なものだと思います。
そういうお仕事、楽しかったでしょ?
【井上】 もちろん。編集者としても、自分でいちばん脂が乗っていた時期でしたから、 『カスタムCAR』 という雑誌は、想い出もやりがいも一番あったし、取材などで深くかかわったバニングという世界には思い入れが強いですね。
関連記事 「バニングの歴史」
キャンピングカーは、今や日本でも一大産業として成長を遂げつつあるが、バニングの方は専門業者の数も少なくなり、どちらかというと、 “過去の遺物” のように見られがちである。
しかし、日本のキャンピングカーがここまで成長してこれたのは、バニングのおかげといえなくもないのだ。
なぜなら、国産キャンピングカーは、途中までバニングと同じ進化の系をたどってきたのであり、現在の国産ビルダーの中には、バニングメーカーとしてスタートを切った業者も少なくない。
初期のバニングを愛した人たちとは、いったいどのような人たちだったのか。
また、キャンピングカーに比べ、バニングはなぜ途中で成長を止めてしまったのか。
そのようなバニングの生きた歴史を語れる貴重な人間の一人に、井上章英 (いのうえ・あきひで) さんがいる。
▲ 井上章英さん
知る人ぞ知る 『キャンプカーマガジン』 の編集長さんである。
▲ 「キャンプカーマガジン」 最新号
井上さんは、実は現在のお仕事に就かれる前に、あの有名なバニング雑誌である 『カスタムCAR』 の編集長を勤めていた時期がある。
この夏のことであったが、バニングに関して、井上さんから当時の貴重な思い出話を聞く機会があった。
ここで、その一部をご紹介する。
《 「カスタムCAR」 の創刊と発展 》
【町田】 井上さんが 『カスタムCAR』 を手掛けられていた時期は、いつ頃だったのですか?
【井上】 『カスタムCAR』 の編集部に入ったのは1988年でしたね。36歳でした。それから2000年の3月まで。12年間その仕事を続けました。
雑誌自体は、1978年 (昭和53) に創刊されていました。最初は 『ピットイン』 の増刊という形で出したのですが、けっこう評判がよくて、すぐに定期刊行になりましたね。
▲ 「カスタムカー」 最新号
【町田】 カスタムカーの編集部に入られたときは、どんなお気持ちだったのですか?
【井上】 当時僕は、 『ピットイン』 のような普通の乗用車雑誌の編集を担当していたんですよ。
だから、 『カスタムCAR』 に入ったときは、ちょっとカルチャーショックでしたね。
【町田】 どういう意味で?
【井上】 普通の自動車雑誌というのは、自動車メーカーなどが発信する情報を、僕らがまとめて、それを読者に提供するわけですから、編集部と読者との距離が離れているわけです。極端な話、情報はこちらからの一方通行で、読者の顔が見えにくい状況なんですね。
ところが、 『カスタムCAR』 という雑誌が伝える情報は、ある意味、読者が発信する情報なんです。
ということは読者 = 取材対象者ということで、編集部と読者の間には双方向の情報の流れが出来ていたんですね。
つまり、バニングは原則的にワンオフ製作ですから、 “造り手 (メーカー) ” は “お客さん” そのものであり、同時にそれが雑誌の読者でもあるわけです。
【町田】 となると、誌面構成にも読者の意向がかなり反映されてくるわけですね?
【井上】 そうです。 『カスタムCAR』 というのは、いわゆる 「読者が作る雑誌」 の典型だったんですよね。読者と編集部の連絡がものすごく密な雑誌だったんですよ。
「あの企画が面白かった」 、 「次はこれを取り上げたら?」 というような読者からの感想やら提案がダイレクトに編集部に伝えられてくるんですね。
土日になると、必ずどこかでバニングクラブのイベントやツーリングがありましたから、その取材のために、前日から会場に入り、酒など飲みながら交流を持つわけです。
そこで次の号の企画が決まるとかね。
そんなふうにユーザーが熱心に支持してくれたおかげで、編集部とユーザーのつながりの強い雑誌に成長していったわけです。
その代わり、編集にタッチした12年間は、ほとんど休みがなしでしたけどね。
【町田】 でも、そういう体験は貴重ですね。読者の注目度の高い雑誌をつくれるなんて幸せですね。
【井上】 ええ。みんな雑誌の隅から隅まで、しっかり目を通してくれるわけですよ。
たとえば、イベントなどの記事で、写真で紹介しているクルマとはまったく関係ない、その背景に小さく写った別のクルマのアルミホイールのメーカーがどこなのか? そんな問い合わせまでよくもらいました。
《 バニングユーザーの実像 》
【町田】 バニングに情熱を傾けていた人たちというのは、どういう人たちだったんですか?
【井上】 基本的には求人雑誌の 『ガテン』 で求人しているような職業の人たちがメインでしたね。よく “ガテン系” なんていっていましたけれど、バブルの建設ラッシュで、金回りのよくなった若い職人さんが多かったですね。年齢的には20代の前半ぐらいでしょうか。
【町田】 ベース車でいうと、どういう車種に乗っている人が多かったんですか?
【井上】 僕がやっていた頃は、6割方ぐらいがハイエース、キャラバンといったワンボックスカーでした。
【町田】 ベース車は、持ち込み架装だったんですか?
【井上】 持ち込み架装もあったけれど、基本は中古車のバンがベース。
80年代の後半まではハイエース・スーパーロングの72系か、60系のロング。キャラバンのE23、E24もけっこう流行っていました。
しかし、その後100系のハイエースが出て、流れがガラッと100系ハイエース中心になりましたね。
僕が辞めてからは、そういうワンボックス系のバニングが4割ぐらいに減って、アメリカのトラッキンやホットロッド、ローライダーのような車種を掲載する比率が増えたように思います。
面白いもんでね、同じ 『カスタムCAR』 の読者といっても、バニングに乗っている読者はアメリカン・カスタムとかホットロッド、トラッキンなどの記事を読むけれど、アメリカン・カスタムやホットロッドに興味のある人たちは、バニングの記事をあまり読まないんですね。
アメリカン・カスタムが好きな人たちは、バニングが持つ独特な、日本的なテイストが嫌いだったんでしょうね。逆に言いえば、バニングのユーザーたちは、クルマをカスタムするということに、とても貪欲だったのではないでしょうか。
《 バニングカーの特徴 》
【町田】 国産ワンボックス系のバニングの場合、どういう架装例が多かったんですか?
【井上】 まず最初は、基本的なエアロパーツを組み込んで、ホイールを替え、車高を下げる。
次に、座席を取り外して、シャギー絨毯やチンチラの壁紙で内部を貼りめぐらし、シャンデリアとかソファベッドを組み込むわけですね。
外装では、車体にエアブラシ・ペイントを施すのが流行りました。
ペイントのテーマは、ディズニーやドラゴンボールなどのアニメ・キャラか、あとはラッセンの描くイルカが飛び跳ねているようなイラストですね。
人物だと矢沢永吉、工藤静香、中森明菜……。
【町田】 どのようなビルダーのクルマに人気がありましたか?
【井上】 関西では、やっぱり 「オートボディショップたなか」 さん。…今のアネックスさんですね。
田中さんのところは、エアブラシも含めていろいろなアイデアが豊富だったんです。FRP製のハート型の窓をリヤゲートのところに付けたりね。
【町田】 エアブラシの絵は、それぞれの架装メーカーさんが描くわけでしょ? それだけ業界には絵心のある人が多かったわけですか?
【井上】 まぁ、絵心のある人を集めたのでしょうけれど、でもやっぱりその中でもうまい人は限られてくるわけで、田中さんのところは上手でしたね。
ラッセンの、夜の海にイルカが飛び跳ねているような絵柄がアメリカで流行っていた時期に、それを一番最初に日本に持ってきたのは 「ブルーオート」 の青木さんですね。
「ビークル」 さんとか 「АtoZ」 さんなども、今ではキャンピングカーの大御所ですけれど、昔はきれいなバニングをいっぱい造っていましたね。
そのほか、秋田の 「ファーストカスタム」 さんとか、川崎の 「荒木自動車」 さん、埼玉の 「プロット」 さんも有名でした。
後半になってからは、 「ナッツ」 さんのバニングも人気を集めていましたね。
【町田】 井上さんが12年間バニングを見てこられて、最初の方と後半とでは、内装の変化があったのですか?
【井上】 内装素材でいえば、モケットは一貫して人気がありましたけれど、80年代の後半になると、チンチラとか金華山は影を潜めて、代わりに平織りのような、今のキャンピングカーでも使われている素材が出てくるようになりました。
チンチラとか金華山はデコトラの方にいったようです。
レイアウトでいうと、ニの字とかコの字ソファが圧倒的に多かったのですが、後半になると、キャンピングカーのような対面対座も出てくるようになりましたね。
床もシャギージュウタンではなくて、市松模様のクッションフロアとか…。今のキャンピングカーと変わらないようなデザインのものも見るようになりました。
《 その後のバニング 》
【町田】 バニングがいちばん盛んだったのは、いつ頃なんですか?
【井上】 1990年代初めから急激に伸び出して、93、94年ごろがピークかな。90年代終盤からだんだん下火になっていったわけです。
【町田】 下火になった理由は何ですか?
【井上】 いくつかあるんでしょうけれど、架装に高額なお金をかける人たちが出てくるようになったんですね。
最後の方になると、架装費だけで1千万とか1千5百万円などというクルマも出てくるようになったんです。
そうなると、それについてこれなくなった若者が、次第に距離を置くようになったんです。
それと、ほんの一部ですけど、暴走族系の連中がときどき幅を利かせるようになったんですね。
数からいえばほんの一握りなんですけど、やはりそういう連中は目立つわけですよ。
そのために、ただクルマが好きで、仲間とキャンプしたり、海に行くことだけを楽しんでいた若者たちが引いちゃったんですね。
だから可哀想でしたよ。
取材しているとよく分かるんですが、本来のバニング愛好者って、一見やんちゃ風に見えるけれど、みんな良い人間なんですよ。礼儀正しいし、話すと面白い。
だから、世間の一部で誤解されてしまうことは残念でしたね。
【町田】 バニングユーザー同士のクラブキャンプというのは、どういうものだったんですか?
【井上】 基本的には、みんなで集まって、 「お前のいいね」 「俺のはこういうんだよ」 というようなミニ品評会とか情報交換の場でした。
仲のよいメンバーが集まると、みんなで和気あいあいと海に行ったり、キャンプをしたりね。
そのうち結婚して、子供ができたりすると、今のキャンピングカーユーザーの例会と変わらないミーティングになったんじゃないかな。
ただ、室内で調理をするというようなことはなかったですね。それにトイレを付けているクルマも少なかったと思います。
【町田】 それにしても、バニングの初期の頃からその最盛期まで、その流れをメディアの目を通して眺めて来られた証言は貴重なものだと思います。
そういうお仕事、楽しかったでしょ?
【井上】 もちろん。編集者としても、自分でいちばん脂が乗っていた時期でしたから、 『カスタムCAR』 という雑誌は、想い出もやりがいも一番あったし、取材などで深くかかわったバニングという世界には思い入れが強いですね。
関連記事 「バニングの歴史」
2009年12月27日
欲しがらない若者
日本社会の停滞を、 “今どきの若者” のせいにする議論が後を絶たない。
「今の若者には覇気 (はき) がない」
「面倒なことを嫌がる」
「耐える力がない」
世の中が閉塞な気分に包まれてくると、そのような議論を目にしたり、耳にしたりする機会がどんどん増えてくる。
フランス文学者の鹿島茂氏は、林真理子氏との対談 (週刊朝日) で、次のように言う。
「今の若い人の行動はみな 『面倒くさい』 で説明できる。語学などは面倒くさいとみんな嫌がる。
旅行でも、出かけるのはみな近場の温泉で、海外旅行も人気が落ちた。外国映画を見る人もどんどん減っている。学生に聞いたら、字幕を読むのが面倒くさいんだって (笑) 」
そして、彼らは、教習所に通って免許を取るのが面倒くさいから、クルマも買わない。
セックスに至るまでの手続が面倒くさいから、女の子もいらない。
練習が面倒くさいから、スポーツもしたくない。
かくして、このような若者が増えたおかげで、 「日本の産業が下降線をたどっている」 という結論が導き出されることになる。
鹿島茂氏との対談相手を務めた林真理子氏は、別のエッセイ (週刊文春 09年11月12日号) でこう書く。
「今の若者たちの気分を表現するときに、いちばんぴったりくる言葉は、 『まったり』 というやつだ。
そんなに無理することはないんだよ、という 『まったり』 気分が日本列島を包んでいる。
海外旅行をして、外国でしんどい思いをしなくたって、国内で安い温泉がいくらでもあるよ。貧乏だっていいじゃん、ユニクロ着て、コンビニ弁当食べてれば、そこそこ暮らしていけるよ。
いいの、いいの、外で苦労することないの。日本の中で、みんなゆったり穏やかに暮らそうね」
若者の “まったり” を奨励しているようでいて、この文章から匂ってくるのは 「皮肉」 。
海外雄飛の夢を捨て、上昇志向も失い、内側にこもるようになった若者たちを憂う心情が、その文章の底に透けて見える。
《 今の若者に上昇志向はあるのか? 》
「常に目標を掲げ、それに向かって絶えず励む」 という生き方は、やはりある程度日本の成長を担った人々が共通して抱く思いのようだ。
60歳になっても現役ロッカーとして生きる矢沢永吉氏は、週刊文春の 『俺がロックだ!』 という連載エッセイでこう語っている。
「60歳で、どういうステージができるか。
やはり 『色気』 が大事。
60になる矢沢が、酒飲む仕草でも、ステージ立っているザマ、もっといえば、この生きてるザマ、これ全部が色っぽかったらいいな、と思う。
オレにはやるべきことがある、オレを待っている人がいる。
そういうことがあると、人はドキドキするじゃない。
そういう気持ちを持ってること自体、もう黙っていてもそこに色気があるよね」
だから、人間は上昇志向を失ったらダメだという。
「神様は優しくない。だから 『やったろか』 を持てる人と、持てない人に分けちゃうんだね。
どんなに物があふれてる時代でも、その時代なりの、上を目指すってことは間違っていない。
上を目指すこと、それをカッコわるい、クサいって、誰が決めたんだ? 誰が言ったんだ?
言ったヤツ、ちょっと来いよ。
お前、国賊だよ。
上を目指すっていう言葉は、百年経っても死語にしちゃダメよ。俺は上を目指すことを忘れない」
たぶん、このような発言から “勇気” をもらい、それを生きる糧 (かて) にしている人々はいっぱいいるんだろうな…と思う。
10人いたら、8人ぐらいがそうじゃないだろうか?
おそらく、それが今の日本ではメジャーなんだろうな、という気がする。
そして、私もまさにそう思う人間の一人だ。
しかし、そういう思考の結果、 「今の若者たちはダメだ」 という結論にもっていく議論は、ことごとく、もう次の時代には通用しないということだけははっきり言っておきたい。
そのような議論は、日本が、世界でも類例のないポスト産業社会的な状況に直面し、文化においても、マーケットにおいても、世界で稀に見る “実験国家” になっているという事実を見逃している。
若者が 「モノを買わなくなったり」 、 「面倒くさいことを要求するサービス財に手を出さなくなったり」 したのは、若者のせいではない。
そういう気分を蔓延させる消費構造が存在するからである。
そして、 「今どきの若者」 というのは、そのような消費構造を、ものの見事に象徴しているともいえるのだ。
《 モノを買わない若者の心 》
「モノが売れない」
という現象は、何を意味するのだろうか。
消費者がモノを買う理由は、主に二つに分けられる。
① 暮らしを維持するための消費。
② 他人との違いを確認するための消費。
① は、言うまでもなく、 「生活必需品」 を購入することである。食料品やらトイレットペーパー、洗剤などといった生活用品を買うための消費はどんな不況下であろうが、この世から消えることはない。
しかし、生活必需品だけを消費するような社会構造では、企業は生き残れない。
そこで、たとえ生活必需品であろうとも、より便利に、より効率的に、よりお洒落に…と、実用性を超えた新しい 「価値」 が付与されることになり、その 「価値」 を駆動力とした新たな消費が喚起されることになる。
テレビモニターがブラウン管から液晶になり、クルマのエンジンがOHCからツインカムになり、携帯電話に写真機能が加わり、住宅の屋根にソーラーパネルが取り付けられるようになったりするというのが、そういう例だ。
あらゆる技術革新というのは、そのような商品の付加価値性を高めるために追求されている。
そして、そのように人々の心に喚起される新たな消費欲が、資本主義経済をドライブ (駆動) していく原動力となっている。
しかし、このような形で絶えず喚起される 「消費欲」 とは、いったい何なのか。
それは、技術革新による商品の 「便利」 さが促がしたもの…のように見えるが、実はもうひとつ別の原理が働いている。
その根底にあるのは、まだ隣近所の人々が持っていない商品を一足先に手に入れる欲望であり、その商品を手に入れることで自己実現をしている自分を確認する喜びなのである。
これが、上記の②でいうところの、 「他人との違いを確認するための消費」 ということになる。
「他人との違いを確認する消費」 においては、 「流行」 は不可欠な要素だ。
周りが身につけているから、自分も乗り遅れてはならない。
周りよりも、一足先にそれを身につければ、他人への優越意識を持てる。
そこでは、商品は、必需品ではあっても、 “差し迫った必要のない必需品” に変化している。
これと並行して、商品の 「ブランド化」 も、 「他人との違い」 を強調する重要な要素となる。
消費者に 「違いの分かる洗練された人」 という意識を持ってもらえれば、商品単価を引き上げることが可能になり、しかもその価格を維持しやすく、企業収益も安定する。
このような 「流行」 や 「ブランド化」 に支えられた 「他人との違いを確認する消費」 を、かつての流行り言葉でいう 「記号的消費」 と言い換えてもいいかもしれない。
現代社会の消費構造は、ほとんどがこの 「記号的消費」 に支えられて、今日の隆盛を保ってきたといえよう。
ところが、成熟社会を迎えた日本においては、そろそろ、その記号的消費が機能しないような時代が訪れようとしている。
それが、 「今どきの若者」 たちが見据えている消費社会の将来の姿なのだ。
つまり、 「モノを買わなくなった若者」 というのは、記号的消費、…すなわち 「他人との違いを確認するための消費」 というものに魅力を感じなくなってきた人たちのことをいう。
彼らは、モノを入手することで他者との 「差別化」 を図るとか、それによって 「自己実現」 を図るというような発想から抜け出た人たちである。
今まで、各企業が新製品を発表する際に、 「これを買えば、このようなライフスタイルが実現します!」 とか 「この商品が、あなたにこのような魅力を付加します!」 などというキャッチに、 「もういいよ…」 とそっぽを向き始めたのが、今どきの若者なのだ。
彼らは、単に “面倒くさがっている” わけでもなく、単に “まったり” しているわけでもない。
今の資本主義社会が消費者に与えようとしている “夢” に飽き飽きしており、そのようなセールスプロモーションに耐えがたい “退屈さ” を感じている人たちだといっていい。
彼らがクルマを買わなくなったのは、クルマという 「機能」 を必要としなくなったからではない。
今までのクルマに付与されてきたモロモロの 「価値 = 記号」 、…すなわち 「速い」 、 「カッコいい」 、 「モテる」 などという 「価値 = 記号」 に魅力を感じなくなったからだ。
海外ブランド品に対する彼らの憧れが急速に消滅しつつあるのも、同じ理由から説明できる。
それを身につけることで 「他者との差別化が図れる」 などという素朴な信仰を信じている若者は、今やほとんどいない。
彼らには、もう 「他者と差別化を図って確認できる自己」 などというプロモーションに飽き飽きしているのだ。
同じように、若者の “酒離れ” も説明できるかもしれない。
酒を飲むことによって交わされる本音トーク。
彼らは、その本音トークそのものに、酒飲みたちの 「肥大化した自己」 を見る。
他者の発言を封じてまでも、自分を主張するオヤジ世代の飲み会の会話は、彼らからみれば、野蛮人の風習のようにしか思えないのだろう。
消費者の 「個」 をひたすら突出させることで消費を促がしてきたような消費構造は、あらゆる局面において、若者たちからそっぽを向かれ始めている。
だから、海外旅行に対しても、 「自分探しの旅」 などという動機づけを行うプロモーションに対しては、彼らはもう魅力を感じない。
五木寛之の 『青年は荒野をめざす』 や沢木耕太郎の 『深夜特急』 に触発されて海外へ向かった若者たちが大勢いたことなど、今や遠い昔の話に過ぎない。
たぶん、これからは自動車販売も、海外旅行の商品化も、 「自己実現」 などとは違ったプロモーションを考えない限り、若者の気持ちを引き戻すことはできないだろう。
《 モノへの渇望はなぜ失われたか 》
そもそも、商品 (モノ) と 「自己」 を結びつけるという発想自体が、彼らには生まれたときから、すでにない。
彼らの極度の 「モノ離れ」 は、何に由来するのだろう。

『欲しがらない若者たち』 (日経プレミアシリーズ) という本を書いた山岡拓氏 (故人) は、そのひとつの原因を、彼らの親世代の育った環境に見る。
現在、10代後半から20代ぐらいの若者の親たちは、80年代のバブル期に、ブランド消費に踊った人たちである。
衣料についていえば、アルマーニのスーツにグッチのビットモカシンの靴といういでたちを好み、見栄やデザイン、さらに生地や仕立ての質などにマニアックなこだわりを見せた世代だ。
住環境においては、空調完備の快適な住居や、ボタンを押すだけで何でもできる各種家電製品、AV機器、クルマ、すべてがあった。
山岡氏はこう書く。
「その子供である今の20代は、幼少期からファッション誌に鍛えられた親が選んだ服を与えられ、小学生の頃から自分で服や雑貨を選べるだけの審美眼を持った。
彼らの前には、選択可能な消費財の情報が膨大なカタログとして並べられ、それを用意した親の影響により、彼らの持つ商品知識は10代のころから極めて豊富になった」
しかし、そのような商品情報の氾濫と、商品選びの審美眼の獲得は、逆に子供たちから、モノへの渇望感を奪うことになった。
彼らは、世界でも類例のないような、商品知識と商品選択のセンスを与えられながら、自分でそれを選び取る必要のない環境の中で育てられたのだ。
したがって、彼らの親の世代がモノを買うことで達成していた 「自己実現」 は、もはや彼らの眼中にはない。
そのような形で獲得された 「自己」 が、結局みすぼらしい “見せびらかし” に過ぎないことを、彼らは自分たちの親や、周りの人々の生活を見ているうちに、それとなく感づいてしまった。
そして、もの心がついた頃、彼らはバブルの崩壊を体験する。
さらに、それ続く脱出口の見えない不況の時代を生きていくことになる。
現在の地球上で、もっとも高度に洗練された商品選択センスを持った人たちが、 「モノが人間の幸せを実現するとは限らない」 という事実に直面することになったわけだ。
だから、彼らがモノを買わないのは、モノの 「価値」 が分からないからではない。
モノそのものの 「価値転換」 が迫られている時代に、相変わらず昔ながらの 「価値感」 に基づいて開発される商品、宣伝される情報、そういったものに幻滅を感じているに過ぎない。
《 社会や親と和解する若者たち 》
では、彼らはモノを買う代わりに、何を求めているのか。
『欲しがらない若者たち』 を書いた山岡拓氏は、今どきの若者たちが示す奇妙な傾向に注目する。
「産地研の調査によると、今の10代後半から20代前半の若者たちは、彼らから10歳上のコギャル世代がよく行っていた地べたにペタンと座るような行動を、わりと冷ややかに見ている。
また、電車内で大声で話すことや、電車の中でキスをすることに違和感や抵抗を覚える人も9割を超えた。
電車の中で携帯電話で話すことへの抵抗感も8割を超えた」
また、山岡氏は、次のような調査にも目を通している。
「2007年の 『若者意識調査』 では、休日に 『ほとんど家にいる』 と答えた20代は43パーセント。その過ごし方も、2000年時の調査よりも比率が高くなったのは、 『家で勉強や読書をする』 という回答だった。
次いで伸びたのは 『掃除や洗濯など家事をする』 という声だった」
さらに山岡氏は、若者たちの多くが親や兄弟といった家族間で頻繁にギフトを交わしあっていることに注目し、親からプレゼントされたものを大事にする若者が昔より多くなったと指摘する。
そして、彼らが、報酬などを意識することなく、ボランティア活動に貢献することに生きがいを見出しているということにも注目している。
なんと、 “良い子” たちが増えてきたことか。
このようなデータを見るかぎり、およそ従来の若者像とは違った人種が台頭しているような印象を受ける。
彼らの、社会や親とフレンドリーな関係を構築しようという意志は、どこから生まれたものなのか。
彼らは、自分たちの先輩である 「若者」 たちがかつて目指した “反逆する青春” 像に、何の価値も見出さなくなったともいえるのだ。
あえて世間の反感をかったり、親や学校が強制する生き方に反発したりすることで、 「自分の存在を確認する」 という思考法が、彼らにはバカバカしいのである。
よくいえば、社会に対して従順。
あるいは、生活形態の保守化。
しかし、言葉を変えれば、もはや彼らは、社会や親と対峙することで確認できる 「自己」 などというものに意義を見出していないともいえる。
そういうことには、なるべく無用なエネルギーを使わず、むしろ社会や親と協調路線を取ることによって、自分にとって居心地の良い環境を整備していく。
彼らの親世代に対するフレンドリーな生活スタイルは、徹底してクールな現状認識に裏打ちされたスマートな処世術なのかもしれない。
《 メールよりは対話 》
モノを買わず、社会規範を守り、親兄弟との関係も上手に調整するという彼らは、この先どういう社会を目指そうとしているのか。
山岡氏は、こういうデータも拾っている。
「今の若者たちは、電子メールのやりとりを活発に行っているように思われているが、2008年の 『若者意識調査』 によれば、20代男女の友人とのコミュニケーション手段で最も多い方法のトップは、直接会って話す (45パーセント) で、携帯電話のメールを10ポイント近く上回った」
山岡氏は、そのことについて、次のような解説を加える。
「今の若者はとてもナイーブで、話す相手の気持ちの動きを気にする傾向が強い。
相手の気持ちの変化を読んで 『シンクロ率』 を高めようとするのが今どきの若年層の大きな特徴だ。
だから、表情や音声などの情報量を増やすため、彼らはメール交換よりも、対面コミュニケーションを求める」
われわれは、 「若者」 というと、すべてのコミュニケーションをメールで済まそうとするようなイメージを抱きがちだが、それは、ここで話題にする若者たちよりは、ひとつ上の世代らしい。
さらに面白いデータがある。
それは、 「子供や次世代に残したいと思うのは何か?」 という調査だ。
これも2008年の 「若者意識調査」 で浮かび上がってきたことらしいが、20代の若者が、次世代に伝えたいと思っていることの1位は、 「日本の伝統文化や季節感」 で、その回答率は4割を超えたという。
山岡氏はいう。
「今の若者たちは、便利な環境で育ったからこそ、その後に知った伝統文化の中に、近代都市社会が見過ごしてきた季節の微妙な変化や、自然と関わることの豊かさを発見したのかもしれない」
このような “今どきの若者” の意識調査から、およそ次のような人物像が浮かび上がって来ないだろうか。
「自己を主張するよりも他者との共振を大事にし、さらに自然や季節感に敏感なセンシティブな人々」
このような人間像は、消費者の周囲に広がっていた 「自然」 や 「季節感」 をつぶして、ひたすら消費者の 「自己実現」 だけを求めてきた今までの消費構造とは相容れない人間像であることは明白だ。
「モノを欲しがらない若者たち」 というのは、これからの日本の産業社会における商品開発や商品情報に対して、新しいコンテンツを要求している人たちなのである。
そのことを見抜けないと、それこそホントに、日本の産業は立ち行かなくなってしまう。
キーワードは、 「家族」 、 「コミュニケーション」 、 「自然」 、 「季節感」 である。
私は、どういう商品が彼らの期待に応えられるかということに対し、すでに答を持っているけれど、それはここでは書かない。
また、いつか…。
「今の若者には覇気 (はき) がない」
「面倒なことを嫌がる」
「耐える力がない」
世の中が閉塞な気分に包まれてくると、そのような議論を目にしたり、耳にしたりする機会がどんどん増えてくる。
フランス文学者の鹿島茂氏は、林真理子氏との対談 (週刊朝日) で、次のように言う。
「今の若い人の行動はみな 『面倒くさい』 で説明できる。語学などは面倒くさいとみんな嫌がる。
旅行でも、出かけるのはみな近場の温泉で、海外旅行も人気が落ちた。外国映画を見る人もどんどん減っている。学生に聞いたら、字幕を読むのが面倒くさいんだって (笑) 」
そして、彼らは、教習所に通って免許を取るのが面倒くさいから、クルマも買わない。
セックスに至るまでの手続が面倒くさいから、女の子もいらない。
練習が面倒くさいから、スポーツもしたくない。
かくして、このような若者が増えたおかげで、 「日本の産業が下降線をたどっている」 という結論が導き出されることになる。
鹿島茂氏との対談相手を務めた林真理子氏は、別のエッセイ (週刊文春 09年11月12日号) でこう書く。
「今の若者たちの気分を表現するときに、いちばんぴったりくる言葉は、 『まったり』 というやつだ。
そんなに無理することはないんだよ、という 『まったり』 気分が日本列島を包んでいる。
海外旅行をして、外国でしんどい思いをしなくたって、国内で安い温泉がいくらでもあるよ。貧乏だっていいじゃん、ユニクロ着て、コンビニ弁当食べてれば、そこそこ暮らしていけるよ。
いいの、いいの、外で苦労することないの。日本の中で、みんなゆったり穏やかに暮らそうね」
若者の “まったり” を奨励しているようでいて、この文章から匂ってくるのは 「皮肉」 。
海外雄飛の夢を捨て、上昇志向も失い、内側にこもるようになった若者たちを憂う心情が、その文章の底に透けて見える。
《 今の若者に上昇志向はあるのか? 》
「常に目標を掲げ、それに向かって絶えず励む」 という生き方は、やはりある程度日本の成長を担った人々が共通して抱く思いのようだ。
60歳になっても現役ロッカーとして生きる矢沢永吉氏は、週刊文春の 『俺がロックだ!』 という連載エッセイでこう語っている。
「60歳で、どういうステージができるか。
やはり 『色気』 が大事。
60になる矢沢が、酒飲む仕草でも、ステージ立っているザマ、もっといえば、この生きてるザマ、これ全部が色っぽかったらいいな、と思う。
オレにはやるべきことがある、オレを待っている人がいる。
そういうことがあると、人はドキドキするじゃない。
そういう気持ちを持ってること自体、もう黙っていてもそこに色気があるよね」
だから、人間は上昇志向を失ったらダメだという。
「神様は優しくない。だから 『やったろか』 を持てる人と、持てない人に分けちゃうんだね。
どんなに物があふれてる時代でも、その時代なりの、上を目指すってことは間違っていない。
上を目指すこと、それをカッコわるい、クサいって、誰が決めたんだ? 誰が言ったんだ?
言ったヤツ、ちょっと来いよ。
お前、国賊だよ。
上を目指すっていう言葉は、百年経っても死語にしちゃダメよ。俺は上を目指すことを忘れない」
たぶん、このような発言から “勇気” をもらい、それを生きる糧 (かて) にしている人々はいっぱいいるんだろうな…と思う。
10人いたら、8人ぐらいがそうじゃないだろうか?
おそらく、それが今の日本ではメジャーなんだろうな、という気がする。
そして、私もまさにそう思う人間の一人だ。
しかし、そういう思考の結果、 「今の若者たちはダメだ」 という結論にもっていく議論は、ことごとく、もう次の時代には通用しないということだけははっきり言っておきたい。
そのような議論は、日本が、世界でも類例のないポスト産業社会的な状況に直面し、文化においても、マーケットにおいても、世界で稀に見る “実験国家” になっているという事実を見逃している。
若者が 「モノを買わなくなったり」 、 「面倒くさいことを要求するサービス財に手を出さなくなったり」 したのは、若者のせいではない。
そういう気分を蔓延させる消費構造が存在するからである。
そして、 「今どきの若者」 というのは、そのような消費構造を、ものの見事に象徴しているともいえるのだ。
《 モノを買わない若者の心 》
「モノが売れない」
という現象は、何を意味するのだろうか。
消費者がモノを買う理由は、主に二つに分けられる。
① 暮らしを維持するための消費。
② 他人との違いを確認するための消費。
① は、言うまでもなく、 「生活必需品」 を購入することである。食料品やらトイレットペーパー、洗剤などといった生活用品を買うための消費はどんな不況下であろうが、この世から消えることはない。
しかし、生活必需品だけを消費するような社会構造では、企業は生き残れない。
そこで、たとえ生活必需品であろうとも、より便利に、より効率的に、よりお洒落に…と、実用性を超えた新しい 「価値」 が付与されることになり、その 「価値」 を駆動力とした新たな消費が喚起されることになる。
テレビモニターがブラウン管から液晶になり、クルマのエンジンがOHCからツインカムになり、携帯電話に写真機能が加わり、住宅の屋根にソーラーパネルが取り付けられるようになったりするというのが、そういう例だ。
あらゆる技術革新というのは、そのような商品の付加価値性を高めるために追求されている。
そして、そのように人々の心に喚起される新たな消費欲が、資本主義経済をドライブ (駆動) していく原動力となっている。
しかし、このような形で絶えず喚起される 「消費欲」 とは、いったい何なのか。
それは、技術革新による商品の 「便利」 さが促がしたもの…のように見えるが、実はもうひとつ別の原理が働いている。
その根底にあるのは、まだ隣近所の人々が持っていない商品を一足先に手に入れる欲望であり、その商品を手に入れることで自己実現をしている自分を確認する喜びなのである。
これが、上記の②でいうところの、 「他人との違いを確認するための消費」 ということになる。
「他人との違いを確認する消費」 においては、 「流行」 は不可欠な要素だ。
周りが身につけているから、自分も乗り遅れてはならない。
周りよりも、一足先にそれを身につければ、他人への優越意識を持てる。
そこでは、商品は、必需品ではあっても、 “差し迫った必要のない必需品” に変化している。
これと並行して、商品の 「ブランド化」 も、 「他人との違い」 を強調する重要な要素となる。
消費者に 「違いの分かる洗練された人」 という意識を持ってもらえれば、商品単価を引き上げることが可能になり、しかもその価格を維持しやすく、企業収益も安定する。
このような 「流行」 や 「ブランド化」 に支えられた 「他人との違いを確認する消費」 を、かつての流行り言葉でいう 「記号的消費」 と言い換えてもいいかもしれない。
現代社会の消費構造は、ほとんどがこの 「記号的消費」 に支えられて、今日の隆盛を保ってきたといえよう。
ところが、成熟社会を迎えた日本においては、そろそろ、その記号的消費が機能しないような時代が訪れようとしている。
それが、 「今どきの若者」 たちが見据えている消費社会の将来の姿なのだ。
つまり、 「モノを買わなくなった若者」 というのは、記号的消費、…すなわち 「他人との違いを確認するための消費」 というものに魅力を感じなくなってきた人たちのことをいう。
彼らは、モノを入手することで他者との 「差別化」 を図るとか、それによって 「自己実現」 を図るというような発想から抜け出た人たちである。
今まで、各企業が新製品を発表する際に、 「これを買えば、このようなライフスタイルが実現します!」 とか 「この商品が、あなたにこのような魅力を付加します!」 などというキャッチに、 「もういいよ…」 とそっぽを向き始めたのが、今どきの若者なのだ。
彼らは、単に “面倒くさがっている” わけでもなく、単に “まったり” しているわけでもない。
今の資本主義社会が消費者に与えようとしている “夢” に飽き飽きしており、そのようなセールスプロモーションに耐えがたい “退屈さ” を感じている人たちだといっていい。
彼らがクルマを買わなくなったのは、クルマという 「機能」 を必要としなくなったからではない。
今までのクルマに付与されてきたモロモロの 「価値 = 記号」 、…すなわち 「速い」 、 「カッコいい」 、 「モテる」 などという 「価値 = 記号」 に魅力を感じなくなったからだ。
海外ブランド品に対する彼らの憧れが急速に消滅しつつあるのも、同じ理由から説明できる。
それを身につけることで 「他者との差別化が図れる」 などという素朴な信仰を信じている若者は、今やほとんどいない。
彼らには、もう 「他者と差別化を図って確認できる自己」 などというプロモーションに飽き飽きしているのだ。
同じように、若者の “酒離れ” も説明できるかもしれない。
酒を飲むことによって交わされる本音トーク。
彼らは、その本音トークそのものに、酒飲みたちの 「肥大化した自己」 を見る。
他者の発言を封じてまでも、自分を主張するオヤジ世代の飲み会の会話は、彼らからみれば、野蛮人の風習のようにしか思えないのだろう。
消費者の 「個」 をひたすら突出させることで消費を促がしてきたような消費構造は、あらゆる局面において、若者たちからそっぽを向かれ始めている。
だから、海外旅行に対しても、 「自分探しの旅」 などという動機づけを行うプロモーションに対しては、彼らはもう魅力を感じない。
五木寛之の 『青年は荒野をめざす』 や沢木耕太郎の 『深夜特急』 に触発されて海外へ向かった若者たちが大勢いたことなど、今や遠い昔の話に過ぎない。
たぶん、これからは自動車販売も、海外旅行の商品化も、 「自己実現」 などとは違ったプロモーションを考えない限り、若者の気持ちを引き戻すことはできないだろう。
《 モノへの渇望はなぜ失われたか 》
そもそも、商品 (モノ) と 「自己」 を結びつけるという発想自体が、彼らには生まれたときから、すでにない。
彼らの極度の 「モノ離れ」 は、何に由来するのだろう。
『欲しがらない若者たち』 (日経プレミアシリーズ) という本を書いた山岡拓氏 (故人) は、そのひとつの原因を、彼らの親世代の育った環境に見る。
現在、10代後半から20代ぐらいの若者の親たちは、80年代のバブル期に、ブランド消費に踊った人たちである。
衣料についていえば、アルマーニのスーツにグッチのビットモカシンの靴といういでたちを好み、見栄やデザイン、さらに生地や仕立ての質などにマニアックなこだわりを見せた世代だ。
住環境においては、空調完備の快適な住居や、ボタンを押すだけで何でもできる各種家電製品、AV機器、クルマ、すべてがあった。
山岡氏はこう書く。
「その子供である今の20代は、幼少期からファッション誌に鍛えられた親が選んだ服を与えられ、小学生の頃から自分で服や雑貨を選べるだけの審美眼を持った。
彼らの前には、選択可能な消費財の情報が膨大なカタログとして並べられ、それを用意した親の影響により、彼らの持つ商品知識は10代のころから極めて豊富になった」
しかし、そのような商品情報の氾濫と、商品選びの審美眼の獲得は、逆に子供たちから、モノへの渇望感を奪うことになった。
彼らは、世界でも類例のないような、商品知識と商品選択のセンスを与えられながら、自分でそれを選び取る必要のない環境の中で育てられたのだ。
したがって、彼らの親の世代がモノを買うことで達成していた 「自己実現」 は、もはや彼らの眼中にはない。
そのような形で獲得された 「自己」 が、結局みすぼらしい “見せびらかし” に過ぎないことを、彼らは自分たちの親や、周りの人々の生活を見ているうちに、それとなく感づいてしまった。
そして、もの心がついた頃、彼らはバブルの崩壊を体験する。
さらに、それ続く脱出口の見えない不況の時代を生きていくことになる。
現在の地球上で、もっとも高度に洗練された商品選択センスを持った人たちが、 「モノが人間の幸せを実現するとは限らない」 という事実に直面することになったわけだ。
だから、彼らがモノを買わないのは、モノの 「価値」 が分からないからではない。
モノそのものの 「価値転換」 が迫られている時代に、相変わらず昔ながらの 「価値感」 に基づいて開発される商品、宣伝される情報、そういったものに幻滅を感じているに過ぎない。
《 社会や親と和解する若者たち 》
では、彼らはモノを買う代わりに、何を求めているのか。
『欲しがらない若者たち』 を書いた山岡拓氏は、今どきの若者たちが示す奇妙な傾向に注目する。
「産地研の調査によると、今の10代後半から20代前半の若者たちは、彼らから10歳上のコギャル世代がよく行っていた地べたにペタンと座るような行動を、わりと冷ややかに見ている。
また、電車内で大声で話すことや、電車の中でキスをすることに違和感や抵抗を覚える人も9割を超えた。
電車の中で携帯電話で話すことへの抵抗感も8割を超えた」
また、山岡氏は、次のような調査にも目を通している。
「2007年の 『若者意識調査』 では、休日に 『ほとんど家にいる』 と答えた20代は43パーセント。その過ごし方も、2000年時の調査よりも比率が高くなったのは、 『家で勉強や読書をする』 という回答だった。
次いで伸びたのは 『掃除や洗濯など家事をする』 という声だった」
さらに山岡氏は、若者たちの多くが親や兄弟といった家族間で頻繁にギフトを交わしあっていることに注目し、親からプレゼントされたものを大事にする若者が昔より多くなったと指摘する。
そして、彼らが、報酬などを意識することなく、ボランティア活動に貢献することに生きがいを見出しているということにも注目している。
なんと、 “良い子” たちが増えてきたことか。
このようなデータを見るかぎり、およそ従来の若者像とは違った人種が台頭しているような印象を受ける。
彼らの、社会や親とフレンドリーな関係を構築しようという意志は、どこから生まれたものなのか。
彼らは、自分たちの先輩である 「若者」 たちがかつて目指した “反逆する青春” 像に、何の価値も見出さなくなったともいえるのだ。
あえて世間の反感をかったり、親や学校が強制する生き方に反発したりすることで、 「自分の存在を確認する」 という思考法が、彼らにはバカバカしいのである。
よくいえば、社会に対して従順。
あるいは、生活形態の保守化。
しかし、言葉を変えれば、もはや彼らは、社会や親と対峙することで確認できる 「自己」 などというものに意義を見出していないともいえる。
そういうことには、なるべく無用なエネルギーを使わず、むしろ社会や親と協調路線を取ることによって、自分にとって居心地の良い環境を整備していく。
彼らの親世代に対するフレンドリーな生活スタイルは、徹底してクールな現状認識に裏打ちされたスマートな処世術なのかもしれない。
《 メールよりは対話 》
モノを買わず、社会規範を守り、親兄弟との関係も上手に調整するという彼らは、この先どういう社会を目指そうとしているのか。
山岡氏は、こういうデータも拾っている。
「今の若者たちは、電子メールのやりとりを活発に行っているように思われているが、2008年の 『若者意識調査』 によれば、20代男女の友人とのコミュニケーション手段で最も多い方法のトップは、直接会って話す (45パーセント) で、携帯電話のメールを10ポイント近く上回った」
山岡氏は、そのことについて、次のような解説を加える。
「今の若者はとてもナイーブで、話す相手の気持ちの動きを気にする傾向が強い。
相手の気持ちの変化を読んで 『シンクロ率』 を高めようとするのが今どきの若年層の大きな特徴だ。
だから、表情や音声などの情報量を増やすため、彼らはメール交換よりも、対面コミュニケーションを求める」
われわれは、 「若者」 というと、すべてのコミュニケーションをメールで済まそうとするようなイメージを抱きがちだが、それは、ここで話題にする若者たちよりは、ひとつ上の世代らしい。
さらに面白いデータがある。
それは、 「子供や次世代に残したいと思うのは何か?」 という調査だ。
これも2008年の 「若者意識調査」 で浮かび上がってきたことらしいが、20代の若者が、次世代に伝えたいと思っていることの1位は、 「日本の伝統文化や季節感」 で、その回答率は4割を超えたという。
山岡氏はいう。
「今の若者たちは、便利な環境で育ったからこそ、その後に知った伝統文化の中に、近代都市社会が見過ごしてきた季節の微妙な変化や、自然と関わることの豊かさを発見したのかもしれない」
このような “今どきの若者” の意識調査から、およそ次のような人物像が浮かび上がって来ないだろうか。
「自己を主張するよりも他者との共振を大事にし、さらに自然や季節感に敏感なセンシティブな人々」
このような人間像は、消費者の周囲に広がっていた 「自然」 や 「季節感」 をつぶして、ひたすら消費者の 「自己実現」 だけを求めてきた今までの消費構造とは相容れない人間像であることは明白だ。
「モノを欲しがらない若者たち」 というのは、これからの日本の産業社会における商品開発や商品情報に対して、新しいコンテンツを要求している人たちなのである。
そのことを見抜けないと、それこそホントに、日本の産業は立ち行かなくなってしまう。
キーワードは、 「家族」 、 「コミュニケーション」 、 「自然」 、 「季節感」 である。
私は、どういう商品が彼らの期待に応えられるかということに対し、すでに答を持っているけれど、それはここでは書かない。
また、いつか…。
2009年12月26日
アトランティス伝
事実かどうか確認できない歴史上の伝説は、人を魅了する。
たとえば、 「アトランティス大陸は本当に存在したのか?」 。
そのような、たぐいの話だ。
特に、海底に沈んだ都市とか王国とかいうのは、 「文明のはかなさ」 みたいなものが漂い、 『平家物語』 風の “諸行無常の響きあり” で、日本人の嗜好にはぴったり。
で、 『アトランティス・ミステリー』 (庄子大亮・著/PHP新書) 。
新進気鋭の歴史学者が書いた、アトランティス大陸の真実に迫る 「謎解き本」 の決定版である。

アトランティス伝説については、いまさら解説する必要もなかろうと思うが、かいつまんでいうと、今から1万2千年も前、大西洋に 「アトランティス」 という強力な国家を擁する大陸があり、地中海世界にまで進出し、大いに繁栄していたが、神罰を受けて、一昼夜にして海中に没した、という話のことをいう。

この説話が、どうして信憑性ありそげに感じられるかというと、それを記したのがギリシャの高名な哲人プラトンであり、しかも 「これは実話だ」 とわざわざ断りを入れているからである。
ところが、このアトランティス大陸についての記述は、プラトンの著作以外に見ることはなく、それだけに、古代よりその実在をめぐって、いくたの議論が繰り広げられてきた。

▲ プラトン
そのような議論が現在まで続いているのは、海洋学的な調査から 「大西洋に沈んだ大陸の痕跡が発見された」 とか、 「大西洋ではなく、これをクレタ島と考えると、あらゆる状況がプラトンの説話と酷似するから、アトランティス伝説はクレタ島に栄えた古代文明のことをいったのだ」 とか、自然科学や考古学の発達にともなって、幾度となく蒸し返されてきたからだ。
その状況は、ちょうど日本の 「邪馬台国論争」 にも似ている。
「邪馬台国論争」 も、 『魏志倭人伝』 の文献的解釈をめぐって、畿内説と北九州説が両立する。
アトランティス伝説も、大西洋への出口を意味する 「ヘラクレスの柱」 (ジブラルタル海峡) という言葉が、ダーダネルス海を指していたなどという説もあって、文献の解釈によって、事実関係が読み替えられる可能性がたくさん出てくる。

そんな古代史のロマンをたっぷり盛り込んだアトランティス伝説に対して、著者は、この本で一気に決着をつけようとする。
つまり、 「アトランティスはなかった」 というのが結論 (…ネタバレでごめん) である。
そして、 「なかった」 という理由を、古代より連綿と続く 「アトランティス実在説」 の不備を懇切丁寧につぶしながら、一つひとつ検証していく。
その調査範囲は、歴史学、文献学、考古学、地質学、海洋学のほとんどのジャンルに及び、この研究が、単なる学者のひらめきや思いつきから来る “仮説” でないということを、重厚な資料の積み重ねによって論証していく。
その手口は、まさに “容疑者リスト” に浮かび上がった怪しい人物たちを一人ひとり外していき、最後に真犯人を突き止める 「ミステリー」 の手法そのままである。
そして、最後に “真犯人” が……。
つまり、なぜプラトンがアトランティス伝説を後世に残したかという、最大の 「謎」 に向かって収斂 (しゅうれん) していく。
そういった意味で、この本は、歴史学に興味を持つ人は当然として、伝奇モノのファン、考古学ファン、さらにミステリファンをも満足させる好著になっている。
しかし…。
かすかな不満を感じる読者はいるだろう。
それは、この本の後半部に、いみじくも著者自身が語っていたことだが、人間は 「謎を謎のまま残しておいた方が幸せである」 という気分を捨てきれないものだからだ。
真実を追究するのが学者の役目だから、著者がこの本を書いたのは、学者としての当然の使命を果たしたまでのことである。
しかし、読者はわがままである。
プラトンの 「真意」 を知ることよりも、 「アトランティスがあったか? なかったか?」 という虚構と現実のはざまに、いつまでもまどろんでいたい人もいる。
著者もまた、そのことを十分に承知している。
そして、…にもかかわらず、自分はなぜこの書を上梓しなければならなかったかというその情熱も、この本ではしっかり吐露されている。
だけど、私の気持ちを正直に書くと、 「そんなに自信たっぷりにアトランティスを否定するなよ」 という気持ちがなきにしもあらず。

この本は、アトランティス大陸の実在を問うということよりも、 「プラトンがなぜこのような話を創作したのか?」 を解明することに力点がかかっている。
つまり、 「強大な帝国が、神罰を受けて海中に没した」 という寓意は、何を意味しているのか、という謎の解明がテーマである。
それはそれで十分に面白いし、かつプラトンの哲学の本質を突き詰める作業にもなっている。
でも、それが分ったところで、アトランティス伝説が秘める、いかがわしくて、謎めいていて、うさんくさい魅力の重みにはかなわない。
難しいところだな…と思う。
人間は、クリアに分析された 「真実」 を愛するのか、それとも、霧に包まれて曖昧模糊とした 「謎」 の方を愛するのか。
たぶん、最後に真相が明かされる 「ミステリー」 が好きなのか、謎そのものが増幅していく 「ホラー」 が好きなのかという読者の好みによっても、評価が分かれるかもしれない。
たとえば、 「アトランティス大陸は本当に存在したのか?」 。
そのような、たぐいの話だ。
特に、海底に沈んだ都市とか王国とかいうのは、 「文明のはかなさ」 みたいなものが漂い、 『平家物語』 風の “諸行無常の響きあり” で、日本人の嗜好にはぴったり。
で、 『アトランティス・ミステリー』 (庄子大亮・著/PHP新書) 。
新進気鋭の歴史学者が書いた、アトランティス大陸の真実に迫る 「謎解き本」 の決定版である。
アトランティス伝説については、いまさら解説する必要もなかろうと思うが、かいつまんでいうと、今から1万2千年も前、大西洋に 「アトランティス」 という強力な国家を擁する大陸があり、地中海世界にまで進出し、大いに繁栄していたが、神罰を受けて、一昼夜にして海中に没した、という話のことをいう。

この説話が、どうして信憑性ありそげに感じられるかというと、それを記したのがギリシャの高名な哲人プラトンであり、しかも 「これは実話だ」 とわざわざ断りを入れているからである。
ところが、このアトランティス大陸についての記述は、プラトンの著作以外に見ることはなく、それだけに、古代よりその実在をめぐって、いくたの議論が繰り広げられてきた。
▲ プラトン
そのような議論が現在まで続いているのは、海洋学的な調査から 「大西洋に沈んだ大陸の痕跡が発見された」 とか、 「大西洋ではなく、これをクレタ島と考えると、あらゆる状況がプラトンの説話と酷似するから、アトランティス伝説はクレタ島に栄えた古代文明のことをいったのだ」 とか、自然科学や考古学の発達にともなって、幾度となく蒸し返されてきたからだ。
その状況は、ちょうど日本の 「邪馬台国論争」 にも似ている。
「邪馬台国論争」 も、 『魏志倭人伝』 の文献的解釈をめぐって、畿内説と北九州説が両立する。
アトランティス伝説も、大西洋への出口を意味する 「ヘラクレスの柱」 (ジブラルタル海峡) という言葉が、ダーダネルス海を指していたなどという説もあって、文献の解釈によって、事実関係が読み替えられる可能性がたくさん出てくる。
そんな古代史のロマンをたっぷり盛り込んだアトランティス伝説に対して、著者は、この本で一気に決着をつけようとする。
つまり、 「アトランティスはなかった」 というのが結論 (…ネタバレでごめん) である。
そして、 「なかった」 という理由を、古代より連綿と続く 「アトランティス実在説」 の不備を懇切丁寧につぶしながら、一つひとつ検証していく。
その調査範囲は、歴史学、文献学、考古学、地質学、海洋学のほとんどのジャンルに及び、この研究が、単なる学者のひらめきや思いつきから来る “仮説” でないということを、重厚な資料の積み重ねによって論証していく。
その手口は、まさに “容疑者リスト” に浮かび上がった怪しい人物たちを一人ひとり外していき、最後に真犯人を突き止める 「ミステリー」 の手法そのままである。
そして、最後に “真犯人” が……。
つまり、なぜプラトンがアトランティス伝説を後世に残したかという、最大の 「謎」 に向かって収斂 (しゅうれん) していく。
そういった意味で、この本は、歴史学に興味を持つ人は当然として、伝奇モノのファン、考古学ファン、さらにミステリファンをも満足させる好著になっている。
しかし…。
かすかな不満を感じる読者はいるだろう。
それは、この本の後半部に、いみじくも著者自身が語っていたことだが、人間は 「謎を謎のまま残しておいた方が幸せである」 という気分を捨てきれないものだからだ。
真実を追究するのが学者の役目だから、著者がこの本を書いたのは、学者としての当然の使命を果たしたまでのことである。
しかし、読者はわがままである。
プラトンの 「真意」 を知ることよりも、 「アトランティスがあったか? なかったか?」 という虚構と現実のはざまに、いつまでもまどろんでいたい人もいる。
著者もまた、そのことを十分に承知している。
そして、…にもかかわらず、自分はなぜこの書を上梓しなければならなかったかというその情熱も、この本ではしっかり吐露されている。
だけど、私の気持ちを正直に書くと、 「そんなに自信たっぷりにアトランティスを否定するなよ」 という気持ちがなきにしもあらず。

この本は、アトランティス大陸の実在を問うということよりも、 「プラトンがなぜこのような話を創作したのか?」 を解明することに力点がかかっている。
つまり、 「強大な帝国が、神罰を受けて海中に没した」 という寓意は、何を意味しているのか、という謎の解明がテーマである。
それはそれで十分に面白いし、かつプラトンの哲学の本質を突き詰める作業にもなっている。
でも、それが分ったところで、アトランティス伝説が秘める、いかがわしくて、謎めいていて、うさんくさい魅力の重みにはかなわない。
難しいところだな…と思う。
人間は、クリアに分析された 「真実」 を愛するのか、それとも、霧に包まれて曖昧模糊とした 「謎」 の方を愛するのか。
たぶん、最後に真相が明かされる 「ミステリー」 が好きなのか、謎そのものが増幅していく 「ホラー」 が好きなのかという読者の好みによっても、評価が分かれるかもしれない。
2009年12月24日
クリスマスデート
クリスマス・イブを最愛の恋人と過ごすという 「クリスマス・デート」 がここ数年、ずいぶん様変わりしてきたらしい。

もう昨年のデータだけど、日経MJから 「若者の意識調査」 というものが公表されたことがある。
それによると、現在30~44歳の既婚者の中には 「20代独身当時にクリスマスにデートした」 人が84パーセントもいるのに対し、現在の20代では、クリスマス・デート経験者が7割を切り、それも 「高級フランス・イタリア料理店」 などに行くケースは目立って減少し、 「居酒屋」 の比率が高くなっているという。
クリスマスの夜を過ごす場所も、都市ホテルやラブホテルが減ってきて、代わりに 「自分または相手の部屋」 が増える傾向にあるとか。
プレゼント品も様変わりを遂げつつあるようだ。
バブル時代の独身男性は、宝飾品、花、バッグなどを相手の女性に贈るのが当たり前で、この傾向が宝飾品販売などをも活気づかせていた。
しかし、最近のプレゼントでは、安価で手軽な商品が主流となり、 「ぬいぐるみやキャラクター商品」 、 「お菓子」 などが多いんだそうだ。
一方、相手がいるいないにかかわらず、クリスマスの夜は、自宅と家族で過ごすという若者も増えてきているらしく、ホテルが企画する年末・年始プランでも、 「家族と一緒にお節料理などを食べるプラン」 などというのが、好調であるらしい。
若者たちのこのような傾向は、すでに各メディアによっていろいろと報道されているけれど、それでも最近の若者たちの意識構造はあまりにも変化が激しくて、時々ついていけないことがある。
たとえば、今の20代の若者たちは 「合コン」 を敬遠しているというようなデータが出てきたときは、正直驚いた。
テレビなどのバラエティ番組を見ていると、あいかわらず 「合コン」 ネタで盛り上がっているものが多いので、合コンは今の “若者文化” の主流であるように感じていたけれど、そうでもないらしい。
「合コンに積極的に出かけるか?」 ということを尋ねたところ、30~44歳既婚者では、 「かつて積極的に出かけた」 と答えた人が16パーセントもいたのに対し、20~24歳の独身者では、7パーセント台に落ちてしまうらしい。
今の若者層は、お酒そのものを飲まなくなっているし、あまり仲の良くない他人に混じって、無理に話題を合わせるなどということが苦手。
さらに、恋愛そのものに手間ヒマやお金をかける意欲自体が低く、異性に気をつかうよりは、気心の知れた同性と過ごしていることを楽だと感じるという。
そういう20歳代の男たちを、世の中では 「草食系」 などと呼ぶ。
そのような草食系から見ると、合コンなどでお目当ての女性に対し、必死に自己アピールをしている男たちというのは、 「カワイソーな人」 とか 「イタい存在」 に見えるらしい。
「あそこまで醜くはなりたくねぇな…」 というのが、草食君たちの美意識なのだ。
彼らには、女を支配するしか念頭にない旧来の 「男文化」 というものに対する蔑視があるようなのだ。
だから、そのような 「男文化」 を象徴するマッチョなもの、男臭いもの、汗くさいものに対する強烈な違和感、嫌悪感を持っている。
われわれのような老齢世代からみると、30代以下の人々はみな 「若者」 にしか見えないのだけれど、どうやら今の20歳代というのは、過去に登場してきたすべての 「若者世代」 と一線を画しているらしい。
彼らは旅行をしない。酒は飲まない。スポーツにも熱中しない。
なによりも、大人たちを困らせているのは、クルマに興味がない。
自動車産業は、国を代表する機関産業であるから、産業としての裾野も広く、就業人口も多い。
その自動車を買ってくれない人たちが増えてしまえば、それは日本経済が立ちゆかなくなることを意味する。
だから、彼らは、ときどき産業社会を生きる先輩たちからは、 「亡国の徒」 のようにいわれることがある。
「日本の経済を縮小させる “危険分子” 」 …であるとか。
しかし、産業社会の方が変わっていかなければ、彼らの真意もニーズも読めない。
たぶん、この若者たちは、今までの 「文化」 も 「マーケット」 もみんな変えていくだろう。
彼らは、ひょっとしたら高度成長期からバブル期に青春を送った60歳代、50歳代、40歳代、30歳代の人々が、自分たちが 「若者」 だったときに見失っていた何かを再発見した人たちかもしれないのだ。
今の日本の文化もマーケットも、彼らの美意識には追いついていないだけなのかもしれない。
たまたまだけど、深夜のNHK・BSを見ていたら、 『マンガ夜話』 で志村貴子の 『青い花』 の特集をやっていた。
ところが、不思議なことが起こった。
あの才気とひらめきに恵まれた夏目房之介、いしかわじゅん、岡田斗司夫というレギュラー陣たちが、 『青い花』 というマンガを前に、ほとんど解説不能に陥ってしまっているのを見てしまったのだ。

志村貴子の 『青い花』 は、女子高生同士の同性愛をテーマにしたマンガなのだけど、若い女性だけでなく、相当数の若い男性読者を持っているらしい。
そのマンガが、なぜ若い女性たちだけでなく、同年代の男子たちをも魅了しているのか。
レギュラー解説者たちは、みなその理由を考えようにも、誰もが今まで使っていた言葉では表現できない世界にブチ当たってしまい、みな説得力を持った発言ができないまま終わってしまった。
手塚治虫なら、あれほど雄弁に語り合えた人たちなのに…。
夏目房之介も、いしかわじゅんも、みな鋭い感覚を持った論客たちだが、彼らをしても、今の10代~20代の女の子や男の子が愛するマンガを語る言葉を、もう持てないのだ。
それは、夏目氏やいしかわ氏が少年だった頃に見たマンガよりも劣っているからか?
私ははじめて見た絵だったけれど、繊細で、上品で、とても優美な線で描かれたマンガだった。
夏目氏たちも、それは認めた。
しかし、そのマンガの持つ現代的な “意味空間” を捉える方法論が、今までのマンガのものとは異なっていることに、彼らが戸惑いを感じているという言い方が正しい。
現役世代として、 『青い花』 を愛読している喜屋武ちあき、村井美樹といったゲストが、 「当たり前のマンガなのに…」 という当たり前さが、団塊世代ぐらいの感性では、捉えきれない。
団塊世代は、 「前衛」 とか 「アバンギャルド」 というものには強いけれど、今の若者世代の意味する 「当たり前」 というものを、どう言語化していいのか分からない。
そういうことを見ても、もう若者たちの間には、今までとは違う文化とマーケットが生まれていると考えざるを得ない。
クリスマス・イブとは関係ない話になってしまった。
続きは、またいつか…。
もう昨年のデータだけど、日経MJから 「若者の意識調査」 というものが公表されたことがある。
それによると、現在30~44歳の既婚者の中には 「20代独身当時にクリスマスにデートした」 人が84パーセントもいるのに対し、現在の20代では、クリスマス・デート経験者が7割を切り、それも 「高級フランス・イタリア料理店」 などに行くケースは目立って減少し、 「居酒屋」 の比率が高くなっているという。
クリスマスの夜を過ごす場所も、都市ホテルやラブホテルが減ってきて、代わりに 「自分または相手の部屋」 が増える傾向にあるとか。
プレゼント品も様変わりを遂げつつあるようだ。
バブル時代の独身男性は、宝飾品、花、バッグなどを相手の女性に贈るのが当たり前で、この傾向が宝飾品販売などをも活気づかせていた。
しかし、最近のプレゼントでは、安価で手軽な商品が主流となり、 「ぬいぐるみやキャラクター商品」 、 「お菓子」 などが多いんだそうだ。
一方、相手がいるいないにかかわらず、クリスマスの夜は、自宅と家族で過ごすという若者も増えてきているらしく、ホテルが企画する年末・年始プランでも、 「家族と一緒にお節料理などを食べるプラン」 などというのが、好調であるらしい。
若者たちのこのような傾向は、すでに各メディアによっていろいろと報道されているけれど、それでも最近の若者たちの意識構造はあまりにも変化が激しくて、時々ついていけないことがある。
たとえば、今の20代の若者たちは 「合コン」 を敬遠しているというようなデータが出てきたときは、正直驚いた。
テレビなどのバラエティ番組を見ていると、あいかわらず 「合コン」 ネタで盛り上がっているものが多いので、合コンは今の “若者文化” の主流であるように感じていたけれど、そうでもないらしい。
「合コンに積極的に出かけるか?」 ということを尋ねたところ、30~44歳既婚者では、 「かつて積極的に出かけた」 と答えた人が16パーセントもいたのに対し、20~24歳の独身者では、7パーセント台に落ちてしまうらしい。
今の若者層は、お酒そのものを飲まなくなっているし、あまり仲の良くない他人に混じって、無理に話題を合わせるなどということが苦手。
さらに、恋愛そのものに手間ヒマやお金をかける意欲自体が低く、異性に気をつかうよりは、気心の知れた同性と過ごしていることを楽だと感じるという。
そういう20歳代の男たちを、世の中では 「草食系」 などと呼ぶ。
そのような草食系から見ると、合コンなどでお目当ての女性に対し、必死に自己アピールをしている男たちというのは、 「カワイソーな人」 とか 「イタい存在」 に見えるらしい。
「あそこまで醜くはなりたくねぇな…」 というのが、草食君たちの美意識なのだ。
彼らには、女を支配するしか念頭にない旧来の 「男文化」 というものに対する蔑視があるようなのだ。
だから、そのような 「男文化」 を象徴するマッチョなもの、男臭いもの、汗くさいものに対する強烈な違和感、嫌悪感を持っている。
われわれのような老齢世代からみると、30代以下の人々はみな 「若者」 にしか見えないのだけれど、どうやら今の20歳代というのは、過去に登場してきたすべての 「若者世代」 と一線を画しているらしい。
彼らは旅行をしない。酒は飲まない。スポーツにも熱中しない。
なによりも、大人たちを困らせているのは、クルマに興味がない。
自動車産業は、国を代表する機関産業であるから、産業としての裾野も広く、就業人口も多い。
その自動車を買ってくれない人たちが増えてしまえば、それは日本経済が立ちゆかなくなることを意味する。
だから、彼らは、ときどき産業社会を生きる先輩たちからは、 「亡国の徒」 のようにいわれることがある。
「日本の経済を縮小させる “危険分子” 」 …であるとか。
しかし、産業社会の方が変わっていかなければ、彼らの真意もニーズも読めない。
たぶん、この若者たちは、今までの 「文化」 も 「マーケット」 もみんな変えていくだろう。
彼らは、ひょっとしたら高度成長期からバブル期に青春を送った60歳代、50歳代、40歳代、30歳代の人々が、自分たちが 「若者」 だったときに見失っていた何かを再発見した人たちかもしれないのだ。
今の日本の文化もマーケットも、彼らの美意識には追いついていないだけなのかもしれない。
たまたまだけど、深夜のNHK・BSを見ていたら、 『マンガ夜話』 で志村貴子の 『青い花』 の特集をやっていた。
ところが、不思議なことが起こった。
あの才気とひらめきに恵まれた夏目房之介、いしかわじゅん、岡田斗司夫というレギュラー陣たちが、 『青い花』 というマンガを前に、ほとんど解説不能に陥ってしまっているのを見てしまったのだ。
志村貴子の 『青い花』 は、女子高生同士の同性愛をテーマにしたマンガなのだけど、若い女性だけでなく、相当数の若い男性読者を持っているらしい。
そのマンガが、なぜ若い女性たちだけでなく、同年代の男子たちをも魅了しているのか。
レギュラー解説者たちは、みなその理由を考えようにも、誰もが今まで使っていた言葉では表現できない世界にブチ当たってしまい、みな説得力を持った発言ができないまま終わってしまった。
手塚治虫なら、あれほど雄弁に語り合えた人たちなのに…。
夏目房之介も、いしかわじゅんも、みな鋭い感覚を持った論客たちだが、彼らをしても、今の10代~20代の女の子や男の子が愛するマンガを語る言葉を、もう持てないのだ。
それは、夏目氏やいしかわ氏が少年だった頃に見たマンガよりも劣っているからか?
私ははじめて見た絵だったけれど、繊細で、上品で、とても優美な線で描かれたマンガだった。
夏目氏たちも、それは認めた。
しかし、そのマンガの持つ現代的な “意味空間” を捉える方法論が、今までのマンガのものとは異なっていることに、彼らが戸惑いを感じているという言い方が正しい。
現役世代として、 『青い花』 を愛読している喜屋武ちあき、村井美樹といったゲストが、 「当たり前のマンガなのに…」 という当たり前さが、団塊世代ぐらいの感性では、捉えきれない。
団塊世代は、 「前衛」 とか 「アバンギャルド」 というものには強いけれど、今の若者世代の意味する 「当たり前」 というものを、どう言語化していいのか分からない。
そういうことを見ても、もう若者たちの間には、今までとは違う文化とマーケットが生まれていると考えざるを得ない。
クリスマス・イブとは関係ない話になってしまった。
続きは、またいつか…。
2009年12月23日
奥様はまず反対
ときどき顔を出している地元の飲み屋さんの忘年会があった。
常連客とその家族も交えたような、気さくで、気楽な会だった。
奥座敷には、1歳ぐらいの赤ちゃんを伴った若夫婦がいた。
常連客である私と同じ年の男性の “娘夫婦” だという。
「こちらね、キャンピングカーの本つくっている人なの」
…と、その彼が、私のことを娘夫婦に紹介した。
「え? キャンピングカー!」
赤ちゃんを抱いていた婿さんの顔が輝いた。
「僕、すごく興味あるんです。欲しいんですよ」
と、婿さんはいう。
「だめだめ、そんな高いもの。それに、私が運転できなくなっちゃう」
と、すかさず奥さんが反対する。
奥さんの口元にはにこやかな笑みが漂っていたが、目には “断固許さない” という気迫がみなぎっている。
きっと、婿さんとの間には、何度も議論があったのだろう。
「いや、高くないって。ハイエースぐらいなら、安いキャンピングカーがナンボだってあるって」
と、婿さんは説得するのだけれど、その 「ハイエース」 という言葉自体が、どうも奥さんにはピンと来ないらしく、
「…んな無理やわ」
と、主張を変えない。
「キャンピングカーが高いって、いくらぐらいだと思っていらっしゃいます?」
と、私はその奥さんに尋ねてみた。
「1,000万円以上でしょ? うちには無理やわ。それに、そんな大きなクルマが入る車庫なんてないし…」
う~む。……なるほど。
この奥さんの反応は、一般的なファミリーが、キャンピングカーというものを考えるときのひとつの典型的なパターンであるかのように思えた。
キャンピングカーにさほど関心を持たない人たちの、 「キャンピングカー」 という言葉から連想されるものは、 「1,000万円を超えたバカでかいクルマ」 というイメージなのである。
だから、 「普通の小型ワンボックスカーのようなキャンピングカーもあるし、軽自動車のものもあるし、200万円代から買えるものだってあります」
とか説明すると、たいていの人は、 「えっ?」 っと不思議そうな顔をする。
どうやら、巷で普及している 「キャンピングカー」 という言葉と、業界の人たちが使う 「キャンピングカー」 という言葉の間には、けっこうな開きがあるようだ。
私はキャンピングカーに乗っているユーザーさんたちにも、よく取材をする。
彼らは、キャンピングカー販売店の人たち以上に商品知識を持っていたりして、話を聞いていると、私などもたじたじとなってしまうことがあるのだけれど、そういうユーザーさんたちとばかりと話をしていると、一般の人々にも相当キャンピングカーというものは認知されているのだろう…と、ついつい錯覚してしまう。
しかし、実際には、 「キャンピングカーにはどんな種類のものがあるのか」 、それすらも知らない人たちの方が圧倒的に多い。
この夏、キャンピングカーショーの会場で、キャンピングカーをまだ購入していない人たちを対象に、何を目的にそのショーに来たのかを調査をしたことがある。
あるファミリーの奥さんはこういう。
「今日はキャンピングカーを見に来たんじゃないんですよ。ハイエースを見に来たの」
ハイエース……?
彼女が指差す “ハイエース” を見てみると、それはハイエースをベースに架装されたバンコンのことだった。
もちろん、それは立派な 「キャンピングカー」 なのだが、彼女の意識では、それは 「キャンピングカー」 ではなく、 「ハイエース」 なのだ。
▲ ハイエースベースのバンコン
で、彼女が 「キャンピングカー」 というものに対して、どういうイメージを抱いているかというと、
「ほら、ああいうの…」
彼女の指差す方向を見てみると、そこにはバンクを張り出したキャブコンがあった。

▲ キャブコン
バンコンとかキャブコンなどという、われわれが、ごく日常的に使っているジャンル分けの 「言葉」 自体が、キャンピングカーショーにはじめて来たような人には十分に浸透していないことを痛切に感じた。
われわれの仕事は、すでに、キャンピングカーに関心を持って、多少なりとも研究している人たちを相手にして、機構解説やら、装備の使い方などを論じているに過ぎない。
そこに至るまでの人々に対しては、少しも親切な解説をしてこなかったのかもしれない。
キャンピングカージャーナリズムは、まだまだやるべきことがいっぱい残っているんだなぁ…と改めて思った。
で、飲み屋の忘年会。
私のキャンピングカーの話を聞いているうちに、奥さんの目が輝きだした。
「……ああ、そういうことだったら、1台あってもいいのかもしれない」
と、奥さんの気持ちがかなり軟化してきた。
喜んだのは、婿さん。
「今度、どんなキャンピングカーがお薦めなのか、ぜひ教えてください」
婿さんとは、そういう会話をして、別れた。
常連客とその家族も交えたような、気さくで、気楽な会だった。
奥座敷には、1歳ぐらいの赤ちゃんを伴った若夫婦がいた。
常連客である私と同じ年の男性の “娘夫婦” だという。
「こちらね、キャンピングカーの本つくっている人なの」
…と、その彼が、私のことを娘夫婦に紹介した。
「え? キャンピングカー!」
赤ちゃんを抱いていた婿さんの顔が輝いた。
「僕、すごく興味あるんです。欲しいんですよ」
と、婿さんはいう。
「だめだめ、そんな高いもの。それに、私が運転できなくなっちゃう」
と、すかさず奥さんが反対する。
奥さんの口元にはにこやかな笑みが漂っていたが、目には “断固許さない” という気迫がみなぎっている。
きっと、婿さんとの間には、何度も議論があったのだろう。
「いや、高くないって。ハイエースぐらいなら、安いキャンピングカーがナンボだってあるって」
と、婿さんは説得するのだけれど、その 「ハイエース」 という言葉自体が、どうも奥さんにはピンと来ないらしく、
「…んな無理やわ」
と、主張を変えない。
「キャンピングカーが高いって、いくらぐらいだと思っていらっしゃいます?」
と、私はその奥さんに尋ねてみた。
「1,000万円以上でしょ? うちには無理やわ。それに、そんな大きなクルマが入る車庫なんてないし…」
う~む。……なるほど。
この奥さんの反応は、一般的なファミリーが、キャンピングカーというものを考えるときのひとつの典型的なパターンであるかのように思えた。
キャンピングカーにさほど関心を持たない人たちの、 「キャンピングカー」 という言葉から連想されるものは、 「1,000万円を超えたバカでかいクルマ」 というイメージなのである。
だから、 「普通の小型ワンボックスカーのようなキャンピングカーもあるし、軽自動車のものもあるし、200万円代から買えるものだってあります」
とか説明すると、たいていの人は、 「えっ?」 っと不思議そうな顔をする。
どうやら、巷で普及している 「キャンピングカー」 という言葉と、業界の人たちが使う 「キャンピングカー」 という言葉の間には、けっこうな開きがあるようだ。
私はキャンピングカーに乗っているユーザーさんたちにも、よく取材をする。
彼らは、キャンピングカー販売店の人たち以上に商品知識を持っていたりして、話を聞いていると、私などもたじたじとなってしまうことがあるのだけれど、そういうユーザーさんたちとばかりと話をしていると、一般の人々にも相当キャンピングカーというものは認知されているのだろう…と、ついつい錯覚してしまう。
しかし、実際には、 「キャンピングカーにはどんな種類のものがあるのか」 、それすらも知らない人たちの方が圧倒的に多い。
この夏、キャンピングカーショーの会場で、キャンピングカーをまだ購入していない人たちを対象に、何を目的にそのショーに来たのかを調査をしたことがある。
あるファミリーの奥さんはこういう。
「今日はキャンピングカーを見に来たんじゃないんですよ。ハイエースを見に来たの」
ハイエース……?
彼女が指差す “ハイエース” を見てみると、それはハイエースをベースに架装されたバンコンのことだった。
もちろん、それは立派な 「キャンピングカー」 なのだが、彼女の意識では、それは 「キャンピングカー」 ではなく、 「ハイエース」 なのだ。
▲ ハイエースベースのバンコン
で、彼女が 「キャンピングカー」 というものに対して、どういうイメージを抱いているかというと、
「ほら、ああいうの…」
彼女の指差す方向を見てみると、そこにはバンクを張り出したキャブコンがあった。
▲ キャブコン
バンコンとかキャブコンなどという、われわれが、ごく日常的に使っているジャンル分けの 「言葉」 自体が、キャンピングカーショーにはじめて来たような人には十分に浸透していないことを痛切に感じた。
われわれの仕事は、すでに、キャンピングカーに関心を持って、多少なりとも研究している人たちを相手にして、機構解説やら、装備の使い方などを論じているに過ぎない。
そこに至るまでの人々に対しては、少しも親切な解説をしてこなかったのかもしれない。
キャンピングカージャーナリズムは、まだまだやるべきことがいっぱい残っているんだなぁ…と改めて思った。
で、飲み屋の忘年会。
私のキャンピングカーの話を聞いているうちに、奥さんの目が輝きだした。
「……ああ、そういうことだったら、1台あってもいいのかもしれない」
と、奥さんの気持ちがかなり軟化してきた。
喜んだのは、婿さん。
「今度、どんなキャンピングカーがお薦めなのか、ぜひ教えてください」
婿さんとは、そういう会話をして、別れた。
2009年12月22日
クリスマス・イブ
毎年、この時期になると、山下達郎の 『クリスマス・イブ』 を耳にする機会も増え、それに言及する記事・談話がメディアをにぎわす。

この歌が世に出たのは、1983年。
88年にJR東海のCMのテーマ曲として使われてから、オリコンヒットチャートの1位に輝いたという。
発表してから5年経って、ようやくヒットチャートの1位に登りつめた曲というのも珍しい。
私がこの曲を最初に聴いたのは、場末の地下のスナックのカウンター席であった。
当時その店の常連客で、町外れの喫茶店を経営していた若者がいた。
若者…といっても、とうに30代を迎え、ひょっとしたら40に手が届いていたかもしれない。
寡黙な男で、スナックで飲むときも、酔わないうちは、めったに常連客とも会話を交わすことがない。
いつも自分の店がハネてから、深夜近くに、そのスナックに顔を出す。
そして、何かの恨みでも晴らすかのように、焼酎のお湯割を鬼のように飲み干す。
いつも一人で来ているところを見ると、女っ気がありそうに思えない。
一度だけ、その青年が開いている喫茶店を訪れたことがある。
スナックで顔を合わせていたので、彼は、私の顔を認めて、わずかに笑顔を見せた。
しかし、スナックで隣り合わせたときと同じように、会話はなかった。
店は、意外とこぎれいに手入れが行き届き、テーブルの隅には花が飾られ、女性の好みそうなテーブルクロスが敷かれていた。
彼は丁寧にドリップでコーヒーを落とし、金の吸い口のついたカップに並々と注いで、うやうやしく私に差し出した。
「いい雰囲気ですね」
と、私が店の感想を述べると、
「ええ…」
と、彼は恥かしそうに答えて、それっきり口をつぐんだ。
コクのあるおいしいコーヒーだった。
その彼が、酔った勢いでスナックのステージに立ち、歌った曲が、山下達郎の 『クリスマス・イブ』 だった。
私はそのときはじめて、彼がカラオケで歌うこともあることを知ったのだ。
メロディの美しさに、私は陶然となったが、彼の歌のうまさにも脱帽した。
しかし、それ以上に、あの歌詞に歌われる “主人公” の切ない哀しさが、なによりもその青年の境遇を歌っているようで、身に沁みた。
それを聞きながら、私は、彼のこぎれいな喫茶店は、誰かを待つために作られた店だったのではないかと、ふと思った。
クリスマス・イブが、恋人同士で過ごす夜と決まったのは、いつ頃くらいからか。
私が幼い頃、クリスマス・イブは、家族でひっそりと、しかし温かい気持ちの中で過ごすものだと相場が決まっていた。
それが、いつからか、恋人同士がフレンチ・ディナーを楽しむ夜に変化し、その晩は夜景のきれいなホテルの窓から、二人の幸せを祝福するものとなった。
そいつは、しかし、恋人のいない独身たちには辛い夜ともなった。
イブの日は、連れ合いと楽しむ夜であるという強迫観念が、連れ合いのいない人の惨めさをよけい助長させ、年の押し迫った冬の夜風を、よけい寒いものに感じさせた。
「雨は夜更け過ぎに、雪へと変るだろう…」
というフレーズは、孤独なまま、暗い夜道を家路に向かう人間が聞くと、惨めさで胸が締め付けられるように響く。
「きっと君は来ない。一人っきりのクリスマス・イブ」
そういう歌詞も、祝い事の用意までしながら、訪れる客の来ない孤独なテーブルを前にした人が聞くと、涙を誘う。
私にも、そういうイブが何度もあった。
自分が待っていたわけではない。
家内を、家で待たせていた。
この仕事を始めてから、この20年、年末年始をまともな時間に帰ったことがない。
特に、イブの頃というのは、年明けの仕事のやりくりと連絡に追われ、終電で帰れればいい方。
「今日は、クリスマスケーキをみんなで切る時間に帰るつもり…」
とか言って、朝、家を出ても、そういうときに限って、帰り際に緊急の連絡事項を送らねばならなかったり、校正に目を通さねばならなかったりで、家でメシを食うということをしたことがない。
ようやく深夜に帰宅すると、カミさんは、冷えた食事をテーブルに残したままダイニングでうたた寝。
起こすと、 「今日はテレビでクリスマス・ソング特集をやっていて、それを子供と二人で見ていたから、楽しかったわよ」 と、笑顔で答える。
別にクリスマス・イブだけが特別な日ではないだろうが、そこに “過剰な意味” を見出していた人たちにとっては、その晩を一人っきりで過ごすのは “酷な” 社会が形成されていた時期があった。
今はどうなのだろうか。
昔の “罪ほろぼし” のような気分で、イブの夜は小さなケーキでも買って、カミさんのいる病室を見舞うつもりでいるのだが、果たして、今年もそんな時間がとれるかどうか。
この歌が世に出たのは、1983年。
88年にJR東海のCMのテーマ曲として使われてから、オリコンヒットチャートの1位に輝いたという。
発表してから5年経って、ようやくヒットチャートの1位に登りつめた曲というのも珍しい。
私がこの曲を最初に聴いたのは、場末の地下のスナックのカウンター席であった。
当時その店の常連客で、町外れの喫茶店を経営していた若者がいた。
若者…といっても、とうに30代を迎え、ひょっとしたら40に手が届いていたかもしれない。
寡黙な男で、スナックで飲むときも、酔わないうちは、めったに常連客とも会話を交わすことがない。
いつも自分の店がハネてから、深夜近くに、そのスナックに顔を出す。
そして、何かの恨みでも晴らすかのように、焼酎のお湯割を鬼のように飲み干す。
いつも一人で来ているところを見ると、女っ気がありそうに思えない。
一度だけ、その青年が開いている喫茶店を訪れたことがある。
スナックで顔を合わせていたので、彼は、私の顔を認めて、わずかに笑顔を見せた。
しかし、スナックで隣り合わせたときと同じように、会話はなかった。
店は、意外とこぎれいに手入れが行き届き、テーブルの隅には花が飾られ、女性の好みそうなテーブルクロスが敷かれていた。
彼は丁寧にドリップでコーヒーを落とし、金の吸い口のついたカップに並々と注いで、うやうやしく私に差し出した。
「いい雰囲気ですね」
と、私が店の感想を述べると、
「ええ…」
と、彼は恥かしそうに答えて、それっきり口をつぐんだ。
コクのあるおいしいコーヒーだった。
その彼が、酔った勢いでスナックのステージに立ち、歌った曲が、山下達郎の 『クリスマス・イブ』 だった。
私はそのときはじめて、彼がカラオケで歌うこともあることを知ったのだ。
メロディの美しさに、私は陶然となったが、彼の歌のうまさにも脱帽した。
しかし、それ以上に、あの歌詞に歌われる “主人公” の切ない哀しさが、なによりもその青年の境遇を歌っているようで、身に沁みた。
それを聞きながら、私は、彼のこぎれいな喫茶店は、誰かを待つために作られた店だったのではないかと、ふと思った。
クリスマス・イブが、恋人同士で過ごす夜と決まったのは、いつ頃くらいからか。
私が幼い頃、クリスマス・イブは、家族でひっそりと、しかし温かい気持ちの中で過ごすものだと相場が決まっていた。
それが、いつからか、恋人同士がフレンチ・ディナーを楽しむ夜に変化し、その晩は夜景のきれいなホテルの窓から、二人の幸せを祝福するものとなった。
そいつは、しかし、恋人のいない独身たちには辛い夜ともなった。
イブの日は、連れ合いと楽しむ夜であるという強迫観念が、連れ合いのいない人の惨めさをよけい助長させ、年の押し迫った冬の夜風を、よけい寒いものに感じさせた。
「雨は夜更け過ぎに、雪へと変るだろう…」
というフレーズは、孤独なまま、暗い夜道を家路に向かう人間が聞くと、惨めさで胸が締め付けられるように響く。
「きっと君は来ない。一人っきりのクリスマス・イブ」
そういう歌詞も、祝い事の用意までしながら、訪れる客の来ない孤独なテーブルを前にした人が聞くと、涙を誘う。
私にも、そういうイブが何度もあった。
自分が待っていたわけではない。
家内を、家で待たせていた。
この仕事を始めてから、この20年、年末年始をまともな時間に帰ったことがない。
特に、イブの頃というのは、年明けの仕事のやりくりと連絡に追われ、終電で帰れればいい方。
「今日は、クリスマスケーキをみんなで切る時間に帰るつもり…」
とか言って、朝、家を出ても、そういうときに限って、帰り際に緊急の連絡事項を送らねばならなかったり、校正に目を通さねばならなかったりで、家でメシを食うということをしたことがない。
ようやく深夜に帰宅すると、カミさんは、冷えた食事をテーブルに残したままダイニングでうたた寝。
起こすと、 「今日はテレビでクリスマス・ソング特集をやっていて、それを子供と二人で見ていたから、楽しかったわよ」 と、笑顔で答える。
別にクリスマス・イブだけが特別な日ではないだろうが、そこに “過剰な意味” を見出していた人たちにとっては、その晩を一人っきりで過ごすのは “酷な” 社会が形成されていた時期があった。
今はどうなのだろうか。
昔の “罪ほろぼし” のような気分で、イブの夜は小さなケーキでも買って、カミさんのいる病室を見舞うつもりでいるのだが、果たして、今年もそんな時間がとれるかどうか。
2009年12月21日
ウェブは暇人の物
『ウェブはバカと暇人のもの』 (中川淳一郎・著 光文社新書)
というタイトルの本がある。
なんともまた挑発的な題名をつけたものだと思うが、気楽に読めそうな気がしたので、気分転換にちょうどいいか…ぐらいの気持ちで読み始めた。

著者は、ニュースサイトの編集に携わってる 「ネット漬けの日々を送っている」 人で、 「リアルな現実を、現場の視点から描写」 したという。
それによると、ネット世界というのは、すぐ他人を 「死ね」 「ゴミ」 「クズ」 と罵倒しまくる人か、アイドルの他愛ないブログなどに 「激かわゆす!」 と絶賛コメントを寄せる人か、もしくはミクシィか何かに 「今日のランチはカルボナーラ」 みたいなどうでもいい書き込みをする人ばかりに満たされた 「気持ち悪い世界」 なんだそうだ。
世の中には、インターネットの世界を 「情報革命」 のように持ち上げ、ネットが普及した社会を “人類の理想社会” のように捉えるI Tジャーナリストたちがいるが、実情はおよそかけ離れている、というのが著者の感想である。
そして、ネットに過度な期待を寄せてネット (ウェブ) 戦略に力を入れている企業が増えているが、ほとんどはネットの本質を理解していないために、ことごとくプロモーションに失敗している、という。
…と書くと、この著者はまったくウェブ世界を否定しているかのように見える。
現にサブタイトルが 「ネット敗北宣言」 なのだから、 「ネットなんてあほらし」 というのが、この本の結論であるように思える。
しかし、よ~く読んでみると、この本はネット世界をそのものを否定しているのではなくて、 「ネット世界に対する過剰な期待」 、 「誤った先入観」 、 「見当はずれの神聖化」 を是正するというモチーフに支えられた本であることが分ってくる。
一般的なメディアが、いかにネットを誤解しているか。
その代表的な例が、 「テレビの凋落とネットの隆盛」 という思考法。
昨今、テレビの影響力低下に危機意識を感じたスポンサーが、宣伝費をテレビからネットへシフトする傾向を強めているが、著者はそれをまったくのナンセンスだと言い切る。
というのは、ネットのブログなどで採りあげられる話題の大半は “テレビネタ” であり、アクセスが集中するのも、そのようなテレビネタを扱ったウェブ情報だからだ。
つまり、ネットというのは、基本的にテレビで放映された情報に共感する人たちの “コミュニティ” であり、テレビで糾弾された人や企業を罵倒しあう人々の “社会” であると著者はいう。
もちろん、ネット社会に情報を提供するメディアは、テレビだけではない。
新聞も雑誌もある。
しかし、新聞や雑誌で大スクープになったような記事でも、それがテレビに取り上げられない限り、ネットで話題になることはほとんどない。
その理由を、著者は次のように説明する。
「ネットに頻繁に書き込むようなヘビーユーザーは、テレビを見ても、わざわざカネを払ってまで新聞や雑誌を買わない」
要するに、こういうことだ。
ネットに頻繁にアクセスし、自己顕示欲に駆られたブログを日々更新したり、他人の記事に頻繁にコメントを入れたりしているヘビーユーザーというのは、ネットが安い娯楽であるからそうしているのであり、ネット以外の趣味にお金をかける余裕もなく、その意欲もない。
つまり、お金がかからず、家にいるだけで世間の動きが分るテレビを情報源にしている人々とユーザー層が重なる。
だから、ネットヘビーユーザーというのは、基本的に、持て余すほどの時間に恵まれたヒマな学生、ニート系若者、専業主婦、退職してからパソコンになじんだ発言意欲に富んだ老人ということになる。
一方、現役でバリバリ仕事をこなし、新聞や雑誌を買ってまで貴重な情報を得ようとする忙しい人たちは、そのネタをわざわざ親切にネットに書き込むようなことはしない。
ユーザー層のこういう構造があるために、新聞・雑誌というペーパー媒体の情報がネットで流通する率はきわめて低く、逆に、テレビを情報源とした話題は無尽蔵に広がっていく。
著者はいう。
「ネットによって人々の嗜好・生き方が細分化されたというのはウソである」 。
つまり、ネットは人々の 「行動様式の多様化」 、 「趣味嗜好の細分化」 などを促進するように見えながら、実は人々の 「均一化」 を促がしている……というわけだ。
ネット言論に参加しようとする人々は、テレビで興味を持った話題を詳しく知るために、圧倒的な集客力を持つ 「ヤフートピックス」 で同じニュースを探し、そこからヤフーの担当者が貼ったリンクへ飛ぶ。
結果、同じ情報がぐるぐると回り、同じような感想が無数に乱立する。
だから、テレビ関係者がネットへの危機感を高めているのとは裏腹に、ネットの方がテレビへの依存度を高めているのというのが実情らしい。
著者は、次のような指摘を行う。
「テレビ番組の企画者も、スポンサーも、広告代理店も、あまりにもネットへの研究が足りない」。
そのため、ネットへの過度な期待が広がり、ネットを広告・宣伝媒体にしようともくろむ企業人と広告代理店の間では、次のような会話が交わされる。
「新しい商品を浸透させるには、ブログなどで高密度の情報を発信している人々の注目にとまることが肝心。
そのような、感度が高く、常に流行を気にし、目利きができている人々を巻き込み、彼らをハブ (中心) にして、そこからクチコミを巻き起こすことが大事」
ところが、このような宣伝戦略は、まず成功したためしがない。
成功したように喧伝される例がいくつがあるが、同じ例ばかり採りあげられることを考えると、それがたまたまうまくいった例外的な成功例だからだ。
このことは、ネット発のスターがいないことを考えてみても分る。
ネットから浮上した有名人、スターがどれだけいることか。
ネットでの情報公開がきっかけとなり、本まで出版された例はいくつか挙げることができるが、その存在のほとんどはネットを知らない人たちには知られていない。
逆に、テレビに頻繁に顔を出すタレントのブログは、アクセス数が1日数万件に及ぶ。
つまり、「ネット対テレビ」 という構図をつぶさに見てみると、テレビの影響力の絶大な大きさに比べ、ネットの力は微々たるものでしかない。
だから、企業のネットを通じた広報・宣伝戦略は、ネットの本質を理解しないかぎり、ほとんど意味をなさない。
著者はいう。
「ネットでブランディングは不可能」
多くの企業は、ネットでその商品のブランドを確立しようとするとき、ほとんど雑誌広告やテレビCMをイメージして考えている。
つまり、 「美しく」 、 「カッコよく」 、 「スマートで」 、 「人々に善をもたらし」 、 「遠い憧れであるもの」 。
しかし、ネットで支持されるテーマというのは、 「身近で」 、 「突っ込みどころがあり」 、 「どこかエロくて」 、 「バカみたい」 な企画なのだ。
著者のナマの声を、ちょっと引用。
「ネットは、人々の正直な欲求がドロドロと蠢 (うごめ) いている場所なんです。
たとえば友達と飲んでいるときに、 『このビールはコクがあってノドゴシがスッキリだね』 、 『そうだね、やはり酵母の力が生きているからじゃないかなぁ』 なんて話しますか?
ビールについて居酒屋で語るときは、 『それにしても、ビール飲むとなんでこんなにたくさんションベンが出るんだよ!』 みたいな話をしませんか?」
それが人々の関心事であり、 「語りたい内容」 であり、ネットもこれと同じだ、というわけだ。
要するに、 「ネットは居酒屋だ」 というのが、著者の結論である。
居酒屋のワイザツさ、下品さ、気楽さが、居酒屋に寄りたくなる人たちの求めるものであり、人々はそこで 「タテマエよりはホンネ」 、 「カッコつけよりは、バカさらけ出し」 がまかり通る瞬間を楽しむ。
そこに居合わせる人たちは、時には隣りの席の会話を小耳にはさんでツッコミを入れ、時には議論をふっかけ、最悪ケンカも起こるが、そのような自由奔放な気分に一時だけ酔う。
人々がネットに求めるものも、基本的には変らない。
それが著者の長年の経験から導き出された結論であり、そこに著者の 「失望」 があり、 「落胆」 があり、同時に 「希望」 があり、 「可能性の模索」 があると読んだ。
読み物としては面白かった。
語り口もうまいので、すらすら読めた。2時間程度の読書だったと記憶する。
ただ、私はネットがすべて、この著者のいうような方向で一元化されているとは思わない。
著者のいうことは、ひとつの “傾向” であって、本自体にセンセーショナルな話題性を付与するために、あえてその “傾向” を誇大に採りあげたという感じもする。
現に、私が自分の 「お気に入り」 に採りあげて定期的に閲覧しているネット情報などは、時にテレビどころではなく、雑誌や新聞にも掲載されていない独自情報であったり、書き手のユニークな思想が吐露されているものであったり、読んでいてハッと心を打たれて、リンクを張りたくなったり、引用したくなるものが多い。
居酒屋でも、テレビネタで盛り上がり、タレントの口真似で女性を笑わせている座もあれば、目を吊り上げて環境問題や政治問題を熱く論じている座もある。
人さまざまなんである。
ただ、ネットで商品のブランディングをもくろむ企業人たちは、今の方向を考え直した方がいいという主張は面白かった。
ネットを通じて、ブランディングを進めようと思うのなら、むしろバカ丸出し、突っ込みどころ満載で、 「コケにされることで露出度が上がる」 と割り切らなければならない。
ただし、それがその企業のオエライさんたちの意図する 「ブランディング」 とは異なるかもしれないが…。
そういう著者の主張は、ある意味で、逆にネットの可能性を示唆するものであるかもれしれない。
コケにされても露出度が高まればいい、と割り切る宣伝姿勢があるのなら、それはその企業の立派な 「戦略」 になりうる。
ネット世界には、コケにして嘲笑う人々もいれば、そういう人々に反発して、それとは反対の意見表明をしたがる人々も同じくらい存在する。
そのような “振り子的な運動性” を持つのがネットの特徴だ。
一方的な 「エエカッコシー」 は、ネットの精神ともっとも反するものであるという指摘は、ひとつの教訓であった。
というタイトルの本がある。
なんともまた挑発的な題名をつけたものだと思うが、気楽に読めそうな気がしたので、気分転換にちょうどいいか…ぐらいの気持ちで読み始めた。
著者は、ニュースサイトの編集に携わってる 「ネット漬けの日々を送っている」 人で、 「リアルな現実を、現場の視点から描写」 したという。
それによると、ネット世界というのは、すぐ他人を 「死ね」 「ゴミ」 「クズ」 と罵倒しまくる人か、アイドルの他愛ないブログなどに 「激かわゆす!」 と絶賛コメントを寄せる人か、もしくはミクシィか何かに 「今日のランチはカルボナーラ」 みたいなどうでもいい書き込みをする人ばかりに満たされた 「気持ち悪い世界」 なんだそうだ。
世の中には、インターネットの世界を 「情報革命」 のように持ち上げ、ネットが普及した社会を “人類の理想社会” のように捉えるI Tジャーナリストたちがいるが、実情はおよそかけ離れている、というのが著者の感想である。
そして、ネットに過度な期待を寄せてネット (ウェブ) 戦略に力を入れている企業が増えているが、ほとんどはネットの本質を理解していないために、ことごとくプロモーションに失敗している、という。
…と書くと、この著者はまったくウェブ世界を否定しているかのように見える。
現にサブタイトルが 「ネット敗北宣言」 なのだから、 「ネットなんてあほらし」 というのが、この本の結論であるように思える。
しかし、よ~く読んでみると、この本はネット世界をそのものを否定しているのではなくて、 「ネット世界に対する過剰な期待」 、 「誤った先入観」 、 「見当はずれの神聖化」 を是正するというモチーフに支えられた本であることが分ってくる。
一般的なメディアが、いかにネットを誤解しているか。
その代表的な例が、 「テレビの凋落とネットの隆盛」 という思考法。
昨今、テレビの影響力低下に危機意識を感じたスポンサーが、宣伝費をテレビからネットへシフトする傾向を強めているが、著者はそれをまったくのナンセンスだと言い切る。
というのは、ネットのブログなどで採りあげられる話題の大半は “テレビネタ” であり、アクセスが集中するのも、そのようなテレビネタを扱ったウェブ情報だからだ。
つまり、ネットというのは、基本的にテレビで放映された情報に共感する人たちの “コミュニティ” であり、テレビで糾弾された人や企業を罵倒しあう人々の “社会” であると著者はいう。
もちろん、ネット社会に情報を提供するメディアは、テレビだけではない。
新聞も雑誌もある。
しかし、新聞や雑誌で大スクープになったような記事でも、それがテレビに取り上げられない限り、ネットで話題になることはほとんどない。
その理由を、著者は次のように説明する。
「ネットに頻繁に書き込むようなヘビーユーザーは、テレビを見ても、わざわざカネを払ってまで新聞や雑誌を買わない」
要するに、こういうことだ。
ネットに頻繁にアクセスし、自己顕示欲に駆られたブログを日々更新したり、他人の記事に頻繁にコメントを入れたりしているヘビーユーザーというのは、ネットが安い娯楽であるからそうしているのであり、ネット以外の趣味にお金をかける余裕もなく、その意欲もない。
つまり、お金がかからず、家にいるだけで世間の動きが分るテレビを情報源にしている人々とユーザー層が重なる。
だから、ネットヘビーユーザーというのは、基本的に、持て余すほどの時間に恵まれたヒマな学生、ニート系若者、専業主婦、退職してからパソコンになじんだ発言意欲に富んだ老人ということになる。
一方、現役でバリバリ仕事をこなし、新聞や雑誌を買ってまで貴重な情報を得ようとする忙しい人たちは、そのネタをわざわざ親切にネットに書き込むようなことはしない。
ユーザー層のこういう構造があるために、新聞・雑誌というペーパー媒体の情報がネットで流通する率はきわめて低く、逆に、テレビを情報源とした話題は無尽蔵に広がっていく。
著者はいう。
「ネットによって人々の嗜好・生き方が細分化されたというのはウソである」 。
つまり、ネットは人々の 「行動様式の多様化」 、 「趣味嗜好の細分化」 などを促進するように見えながら、実は人々の 「均一化」 を促がしている……というわけだ。
ネット言論に参加しようとする人々は、テレビで興味を持った話題を詳しく知るために、圧倒的な集客力を持つ 「ヤフートピックス」 で同じニュースを探し、そこからヤフーの担当者が貼ったリンクへ飛ぶ。
結果、同じ情報がぐるぐると回り、同じような感想が無数に乱立する。
だから、テレビ関係者がネットへの危機感を高めているのとは裏腹に、ネットの方がテレビへの依存度を高めているのというのが実情らしい。
著者は、次のような指摘を行う。
「テレビ番組の企画者も、スポンサーも、広告代理店も、あまりにもネットへの研究が足りない」。
そのため、ネットへの過度な期待が広がり、ネットを広告・宣伝媒体にしようともくろむ企業人と広告代理店の間では、次のような会話が交わされる。
「新しい商品を浸透させるには、ブログなどで高密度の情報を発信している人々の注目にとまることが肝心。
そのような、感度が高く、常に流行を気にし、目利きができている人々を巻き込み、彼らをハブ (中心) にして、そこからクチコミを巻き起こすことが大事」
ところが、このような宣伝戦略は、まず成功したためしがない。
成功したように喧伝される例がいくつがあるが、同じ例ばかり採りあげられることを考えると、それがたまたまうまくいった例外的な成功例だからだ。
このことは、ネット発のスターがいないことを考えてみても分る。
ネットから浮上した有名人、スターがどれだけいることか。
ネットでの情報公開がきっかけとなり、本まで出版された例はいくつか挙げることができるが、その存在のほとんどはネットを知らない人たちには知られていない。
逆に、テレビに頻繁に顔を出すタレントのブログは、アクセス数が1日数万件に及ぶ。
つまり、「ネット対テレビ」 という構図をつぶさに見てみると、テレビの影響力の絶大な大きさに比べ、ネットの力は微々たるものでしかない。
だから、企業のネットを通じた広報・宣伝戦略は、ネットの本質を理解しないかぎり、ほとんど意味をなさない。
著者はいう。
「ネットでブランディングは不可能」
多くの企業は、ネットでその商品のブランドを確立しようとするとき、ほとんど雑誌広告やテレビCMをイメージして考えている。
つまり、 「美しく」 、 「カッコよく」 、 「スマートで」 、 「人々に善をもたらし」 、 「遠い憧れであるもの」 。
しかし、ネットで支持されるテーマというのは、 「身近で」 、 「突っ込みどころがあり」 、 「どこかエロくて」 、 「バカみたい」 な企画なのだ。
著者のナマの声を、ちょっと引用。
「ネットは、人々の正直な欲求がドロドロと蠢 (うごめ) いている場所なんです。
たとえば友達と飲んでいるときに、 『このビールはコクがあってノドゴシがスッキリだね』 、 『そうだね、やはり酵母の力が生きているからじゃないかなぁ』 なんて話しますか?
ビールについて居酒屋で語るときは、 『それにしても、ビール飲むとなんでこんなにたくさんションベンが出るんだよ!』 みたいな話をしませんか?」
それが人々の関心事であり、 「語りたい内容」 であり、ネットもこれと同じだ、というわけだ。
要するに、 「ネットは居酒屋だ」 というのが、著者の結論である。
居酒屋のワイザツさ、下品さ、気楽さが、居酒屋に寄りたくなる人たちの求めるものであり、人々はそこで 「タテマエよりはホンネ」 、 「カッコつけよりは、バカさらけ出し」 がまかり通る瞬間を楽しむ。
そこに居合わせる人たちは、時には隣りの席の会話を小耳にはさんでツッコミを入れ、時には議論をふっかけ、最悪ケンカも起こるが、そのような自由奔放な気分に一時だけ酔う。
人々がネットに求めるものも、基本的には変らない。
それが著者の長年の経験から導き出された結論であり、そこに著者の 「失望」 があり、 「落胆」 があり、同時に 「希望」 があり、 「可能性の模索」 があると読んだ。
読み物としては面白かった。
語り口もうまいので、すらすら読めた。2時間程度の読書だったと記憶する。
ただ、私はネットがすべて、この著者のいうような方向で一元化されているとは思わない。
著者のいうことは、ひとつの “傾向” であって、本自体にセンセーショナルな話題性を付与するために、あえてその “傾向” を誇大に採りあげたという感じもする。
現に、私が自分の 「お気に入り」 に採りあげて定期的に閲覧しているネット情報などは、時にテレビどころではなく、雑誌や新聞にも掲載されていない独自情報であったり、書き手のユニークな思想が吐露されているものであったり、読んでいてハッと心を打たれて、リンクを張りたくなったり、引用したくなるものが多い。
居酒屋でも、テレビネタで盛り上がり、タレントの口真似で女性を笑わせている座もあれば、目を吊り上げて環境問題や政治問題を熱く論じている座もある。
人さまざまなんである。
ただ、ネットで商品のブランディングをもくろむ企業人たちは、今の方向を考え直した方がいいという主張は面白かった。
ネットを通じて、ブランディングを進めようと思うのなら、むしろバカ丸出し、突っ込みどころ満載で、 「コケにされることで露出度が上がる」 と割り切らなければならない。
ただし、それがその企業のオエライさんたちの意図する 「ブランディング」 とは異なるかもしれないが…。
そういう著者の主張は、ある意味で、逆にネットの可能性を示唆するものであるかもれしれない。
コケにされても露出度が高まればいい、と割り切る宣伝姿勢があるのなら、それはその企業の立派な 「戦略」 になりうる。
ネット世界には、コケにして嘲笑う人々もいれば、そういう人々に反発して、それとは反対の意見表明をしたがる人々も同じくらい存在する。
そのような “振り子的な運動性” を持つのがネットの特徴だ。
一方的な 「エエカッコシー」 は、ネットの精神ともっとも反するものであるという指摘は、ひとつの教訓であった。
2009年12月19日
坂本龍馬の実像
司馬遼太郎は、 「小説家」 である。
しかし、NHKドラマの 『坂の上の雲』 あたりが話題になっているせいか、ここのところメディアの扱う司馬氏は、文明批評的な視点を持つ 「思想家」 のような扱いを受けている。
確かに、文明批評家としての司馬氏の洞察力は、並みの歴史学者や社会学者などでは太刀打ちできないほど鋭い。
つまり、問題点を抉 (えぐ) り出すジャーナリスティックな切り口に長けているといえよう。
彼の歴史上の人物などに対する省察は、その独特な語り口も相まって、読む者に圧倒的な説得力を突きつけてくる。
だが、その “説得力” は、あくまでも小説家としての才能から生まれてきたものだ。
“司馬マジック” に遭うと、われわれは、彼の描く歴史上の人物をこっそり隣りの部屋から覗き込んでいるような錯覚に陥ることがある。
あるいは、司馬氏がタイムマシンにでも乗り、あたかも歴史上人物たちとサシで本音トークでも交わしてきたかのようなリアリティを感じることがある。
しかし、そのような “リアリティ” は、あくまでも 「小説家」 の筆によってひねり出されたリアリティである。
そこのところを理解しないと、逆に司馬遼太郎の “凄さ” というものを見逃してしまうかもしれない。
司馬氏は、しばしば (← シャレじゃないんだけど…) 、今までネガティブな歴史評価を受けてきた人物や、スポットライトが当たることのない地味な人物を採り上げ、その人物が内側に秘めていた “とてつもない雄大さ” を取り出して、世の歴史的常識をくつがえしてきた。
そして、誰もがそこに描かれた人物像に対し、司馬氏の鋭い洞察力によって掘り起こされた 「本当の姿」 を見た気になった。
しかし、そのほとんどは “つくりもの” である。
司馬氏は、戦国から幕末、ときには天平や平安末期に至るまで、日本史をにぎわせた大半のヒーローを描いているように思われるが、実は、彼は 「小説的な脚色」 が入り込む余地のある人間しか描いていない。
いわば、作家から見て 「おいしい」 人たちだけを描いているのだ。
来年からNHK大河ドラマとして始まる 『龍馬伝』 の坂本龍馬など、まさにその典型かもしれない。

坂本龍馬は、明治維新が実現される前に亡くなった人間であるため、維新を生き残った “元勲” たちのように、近代的な歴史認識に基づいた資料から外されてしまっている。
彼に関して残された伝承および資料は、基本的に江戸期の思想的文脈の中で語られたものであり、そこには、明治政府が導入しようとした 「近代」 のバイアスがかかっていない。
だからこそ、司馬氏にとって、坂本龍馬は 「おいしい人」 だったのだ。
つまり、坂本龍馬が、江戸期の思想的文脈で考えていたことを、近代文明の文脈に置き換えてみたらどうなるのか?
そこに着目したことが、小説家としての司馬氏のセンスの良さを物語っている。
司馬氏は、こう考えたことだろう。
もし、その試みがうまくいけば、たどたどしい土佐方言で語られる龍馬の政治思想は、西洋近代の言葉を駆使した陳腐な政治理念よりも、読者に強力なインパクトを与えるはずだ。
そして、それは、日本人に新鮮な感動を与え、生きる勇気を与えるはずだ。
龍馬が、「わしゃ、この日本を大いに洗濯しよう思っちょる」
とか言えば、読者は、青空の下に白い洗濯物がバァーッっと広がったかのような、爽快な気分に浸れる。
生硬な政治理念を展開するより、こういう表現の方が、はるかに人の心をとろかす。
また、実際の龍馬は、アクターというよりプロデューサー的なものを志向した人であったということも、司馬氏にとっては都合がよかったろう。
それまでの日本史上のヒーローは、ことごとく表舞台で派手な振り付けを披露する役者ばかりだった。
しかし、役者の演じる舞台を本当の意味で運営しているのは、興行資金を工面するプロデューサーである。
経済感覚を重視した 「浪速」 出身の作家であった司馬氏は、そういう経営センスを要求されるプロデューサーの仕事というものをよく理解している人だった。
そしてまた、彼は、そのようなプロデューサーとしての龍馬を描いた評伝が生まれていなかったことにも着目しただろう。
このようにして、土佐の田舎を出て、薄汚れた羽織を着たまま江戸の町をさまよっていた坂本龍馬は、ある日突然、司馬遼太郎という稀代のスカウトマンに声をかけられたわけだ。
「きみきみ! 私の力で、日本一のヒーローになってみる気はないかね?」
司馬氏が 『竜馬がいく』 を発表するまでは、坂本龍馬は、維新前夜に活躍した革命派浪士のうちの、ちょっとだけ名を知られた人物の一人でしかなかった。
それが、 『竜馬がいく』 の社会的反響が大きくなるにつれ、いつのまにか、明治政府ですら持ち得なかったような雄大な構想力を持つ傑物として評価されていく。
そして現在では、各調査機関が行う 「好きな歴史上人物ベスト10」 などというアンケート調査では、必ずベスト5内に入るような有名人になった。
しかし、司馬さんは、そのように加熱していく “龍馬ブーム” を眺めながら、…もちろん小説家としての自尊心は満足させられただろうが…、内心 「やれやれ」 と苦笑いしていたような気もする。
「少し薬が効きすぎたか…」 とすら思っただろう。
私は、司馬さんが、 『竜馬がいく』 の連載中に、龍馬の対極を生きる土方歳三の物語を書かねばならなかった心境がよく分かる。
常に明るく、将来をポジティブに見すえ、ユーモアを解し、人に優しい坂本龍馬。
そういう龍馬のキャラクターは、戦後復興の道を歩んできた日本人が目指す人物像の集大成だった。
だが、そういう “前向きの人間” ばかり描いて喜んでいられる人は、小説家ではない。
司馬氏は、あらゆる面で龍馬とは正反対の生き方を貫いた新選組の土方歳三 ( 『燃えよ剣』 ) を描くことで、小説家としてのバランスを取ったのだと思う。
実在した坂本龍馬が、司馬さんが小説のなかで語ったほど、時代の先を読んだ偉人なのかどうか、実のところ、よく分からない。
司馬氏は、 「明治維新の理念は、坂本龍馬の構想から生まれた」 というような書き方をしているが、もし龍馬がいなくても、龍馬の代わりを誰かが務めていたことは間違いない。
そういった意味で、司馬氏の描く龍馬像は “過大評価” といえなくもないのだが、それでもなお、龍馬が暗殺されずに、明治政府の要職に就いていたらどうなっていたか? と空想する余地は残されている。
もしかしたら龍馬は、その後の明治政府が打ち出したような帝国主義的な国家運営とは異なる指針を示し、そのことによってまったく別種の日本国家が生まれていた可能性だってあるのだ。
そのような想像力の飛躍を楽しめるものを、 「小説」 という。
だから、いま巷に流布している坂本龍馬の人物評は、あくまでも 「小説」 の域を出ない。
…出ないがゆえに、面白い。
司馬遼太郎は、歴史を、 「物語」 として語った作家である。
「物語」 とは、ものごとに 「ひょっとしたら……?」 という視点をつけ加えることをいう。
言葉を変えれば、 「ほら話」 を加えるということにほかならない。
司馬作品の面白さは、結局この 「ほら話」 を語る話芸の巧みさに尽きる。
なかでも 『竜馬がゆく』 は、最大の 「ほら話」 かもしれない。
われわれは、そういう司馬氏の 「ほら話」 の芸を尊重し、ただひたすら、あの気宇壮大かつ奔放な語り口に酔えばいいのだ。
関連記事 「テロリスト歳三」
しかし、NHKドラマの 『坂の上の雲』 あたりが話題になっているせいか、ここのところメディアの扱う司馬氏は、文明批評的な視点を持つ 「思想家」 のような扱いを受けている。
確かに、文明批評家としての司馬氏の洞察力は、並みの歴史学者や社会学者などでは太刀打ちできないほど鋭い。
つまり、問題点を抉 (えぐ) り出すジャーナリスティックな切り口に長けているといえよう。
彼の歴史上の人物などに対する省察は、その独特な語り口も相まって、読む者に圧倒的な説得力を突きつけてくる。
だが、その “説得力” は、あくまでも小説家としての才能から生まれてきたものだ。
“司馬マジック” に遭うと、われわれは、彼の描く歴史上の人物をこっそり隣りの部屋から覗き込んでいるような錯覚に陥ることがある。
あるいは、司馬氏がタイムマシンにでも乗り、あたかも歴史上人物たちとサシで本音トークでも交わしてきたかのようなリアリティを感じることがある。
しかし、そのような “リアリティ” は、あくまでも 「小説家」 の筆によってひねり出されたリアリティである。
そこのところを理解しないと、逆に司馬遼太郎の “凄さ” というものを見逃してしまうかもしれない。
司馬氏は、しばしば (← シャレじゃないんだけど…) 、今までネガティブな歴史評価を受けてきた人物や、スポットライトが当たることのない地味な人物を採り上げ、その人物が内側に秘めていた “とてつもない雄大さ” を取り出して、世の歴史的常識をくつがえしてきた。
そして、誰もがそこに描かれた人物像に対し、司馬氏の鋭い洞察力によって掘り起こされた 「本当の姿」 を見た気になった。
しかし、そのほとんどは “つくりもの” である。
司馬氏は、戦国から幕末、ときには天平や平安末期に至るまで、日本史をにぎわせた大半のヒーローを描いているように思われるが、実は、彼は 「小説的な脚色」 が入り込む余地のある人間しか描いていない。
いわば、作家から見て 「おいしい」 人たちだけを描いているのだ。
来年からNHK大河ドラマとして始まる 『龍馬伝』 の坂本龍馬など、まさにその典型かもしれない。
坂本龍馬は、明治維新が実現される前に亡くなった人間であるため、維新を生き残った “元勲” たちのように、近代的な歴史認識に基づいた資料から外されてしまっている。
彼に関して残された伝承および資料は、基本的に江戸期の思想的文脈の中で語られたものであり、そこには、明治政府が導入しようとした 「近代」 のバイアスがかかっていない。
だからこそ、司馬氏にとって、坂本龍馬は 「おいしい人」 だったのだ。
つまり、坂本龍馬が、江戸期の思想的文脈で考えていたことを、近代文明の文脈に置き換えてみたらどうなるのか?
そこに着目したことが、小説家としての司馬氏のセンスの良さを物語っている。
司馬氏は、こう考えたことだろう。
もし、その試みがうまくいけば、たどたどしい土佐方言で語られる龍馬の政治思想は、西洋近代の言葉を駆使した陳腐な政治理念よりも、読者に強力なインパクトを与えるはずだ。
そして、それは、日本人に新鮮な感動を与え、生きる勇気を与えるはずだ。
龍馬が、「わしゃ、この日本を大いに洗濯しよう思っちょる」
とか言えば、読者は、青空の下に白い洗濯物がバァーッっと広がったかのような、爽快な気分に浸れる。
生硬な政治理念を展開するより、こういう表現の方が、はるかに人の心をとろかす。
また、実際の龍馬は、アクターというよりプロデューサー的なものを志向した人であったということも、司馬氏にとっては都合がよかったろう。
それまでの日本史上のヒーローは、ことごとく表舞台で派手な振り付けを披露する役者ばかりだった。
しかし、役者の演じる舞台を本当の意味で運営しているのは、興行資金を工面するプロデューサーである。
経済感覚を重視した 「浪速」 出身の作家であった司馬氏は、そういう経営センスを要求されるプロデューサーの仕事というものをよく理解している人だった。
そしてまた、彼は、そのようなプロデューサーとしての龍馬を描いた評伝が生まれていなかったことにも着目しただろう。
このようにして、土佐の田舎を出て、薄汚れた羽織を着たまま江戸の町をさまよっていた坂本龍馬は、ある日突然、司馬遼太郎という稀代のスカウトマンに声をかけられたわけだ。
「きみきみ! 私の力で、日本一のヒーローになってみる気はないかね?」
司馬氏が 『竜馬がいく』 を発表するまでは、坂本龍馬は、維新前夜に活躍した革命派浪士のうちの、ちょっとだけ名を知られた人物の一人でしかなかった。
それが、 『竜馬がいく』 の社会的反響が大きくなるにつれ、いつのまにか、明治政府ですら持ち得なかったような雄大な構想力を持つ傑物として評価されていく。
そして現在では、各調査機関が行う 「好きな歴史上人物ベスト10」 などというアンケート調査では、必ずベスト5内に入るような有名人になった。
しかし、司馬さんは、そのように加熱していく “龍馬ブーム” を眺めながら、…もちろん小説家としての自尊心は満足させられただろうが…、内心 「やれやれ」 と苦笑いしていたような気もする。
「少し薬が効きすぎたか…」 とすら思っただろう。
私は、司馬さんが、 『竜馬がいく』 の連載中に、龍馬の対極を生きる土方歳三の物語を書かねばならなかった心境がよく分かる。
常に明るく、将来をポジティブに見すえ、ユーモアを解し、人に優しい坂本龍馬。
そういう龍馬のキャラクターは、戦後復興の道を歩んできた日本人が目指す人物像の集大成だった。
だが、そういう “前向きの人間” ばかり描いて喜んでいられる人は、小説家ではない。
司馬氏は、あらゆる面で龍馬とは正反対の生き方を貫いた新選組の土方歳三 ( 『燃えよ剣』 ) を描くことで、小説家としてのバランスを取ったのだと思う。
実在した坂本龍馬が、司馬さんが小説のなかで語ったほど、時代の先を読んだ偉人なのかどうか、実のところ、よく分からない。
司馬氏は、 「明治維新の理念は、坂本龍馬の構想から生まれた」 というような書き方をしているが、もし龍馬がいなくても、龍馬の代わりを誰かが務めていたことは間違いない。
そういった意味で、司馬氏の描く龍馬像は “過大評価” といえなくもないのだが、それでもなお、龍馬が暗殺されずに、明治政府の要職に就いていたらどうなっていたか? と空想する余地は残されている。
もしかしたら龍馬は、その後の明治政府が打ち出したような帝国主義的な国家運営とは異なる指針を示し、そのことによってまったく別種の日本国家が生まれていた可能性だってあるのだ。
そのような想像力の飛躍を楽しめるものを、 「小説」 という。
だから、いま巷に流布している坂本龍馬の人物評は、あくまでも 「小説」 の域を出ない。
…出ないがゆえに、面白い。
司馬遼太郎は、歴史を、 「物語」 として語った作家である。
「物語」 とは、ものごとに 「ひょっとしたら……?」 という視点をつけ加えることをいう。
言葉を変えれば、 「ほら話」 を加えるということにほかならない。
司馬作品の面白さは、結局この 「ほら話」 を語る話芸の巧みさに尽きる。
なかでも 『竜馬がゆく』 は、最大の 「ほら話」 かもしれない。
われわれは、そういう司馬氏の 「ほら話」 の芸を尊重し、ただひたすら、あの気宇壮大かつ奔放な語り口に酔えばいいのだ。
関連記事 「テロリスト歳三」
2009年12月18日
想像力の時代
円高基調で推移する経済の流れに、輸出関連産業は四苦八苦。
一方、相変わらず内需喚起もままならない。
構造的なデフレはますます深刻化する気配を見せる。
だが、ここのところ、 「もうしょうがないじゃないか」 と、事態を容認するような声が、あちこちから少しずつ聞かれるようになってきた。
あきらめ…というのとは、少し違う。
経済状況が、この先もう好転することがないことを認めたうえで、企業も個人も腹をくくって、 「考え方」 そのものを変えていこうじゃないか。…というのが、 「しょうがないじゃないか論」 の基本的な趣旨なのだ。
嘆いても、何も始まらない。
ならば、この落ち込んだ状態を 「スタート地点」 だと割り切り、そこから何ができるかを 「白紙」 の状態で考えていく。
開き直りといえば、開き直りだが、 「失うもの」 に怯えるよりも、 「獲得できるもの」 を考えていこうという意味では、 「もうしょうがいじゃないか」 という境地から出発することは一歩前進なのかもしれない。
ただ、主張する論者によって、若干のニュアンスの違いが出る。
大別すると2タイプの意見があるようだ。
ひとつは、 「景気後退が常態化すると、会社に頼れないから、個人が自立しなければならない」 と説くような主張。
もちろんこれは、かつての脱サラのようなものを示唆するものではなく、会社に雇われながらも、常に自分自身マネッジメントして、会社が倒産しても困らないようなスキルを身につけておこう…というアドバイスとセットになった主張だ。
具体的な心構えとしては、
① 仕事がうまくいかない理由を、会社の上司や景気などのせいにしない。
② 失敗の理由などの 「言い訳」 をつくらない。
③ 会社の看板で仕事をするのではなく、個人のブランド力を高める。
…などと、わりと正統的な指導が行われているようだ。
もちろん大事なことかもしれないが、別にそれは当然といえば当然なことで、不況とかデフレに関係ないことのように思う。
それとは別に、こういう時代を 「内省の時代」 ととらえ、今まで 「成長」 とか 「膨張」 に向けていた目を、自分の内面に転じて 「心の豊かさ」 を追求しようと説く主張もある。
『悩む力』 などのベストセラーを持つ姜尚中さんなどはそのタイプで、 「自分のライフスタイルを “身の丈” に応じたものに切り替え、外部的な広がりを求めて支出・消費していた生活を、内面強化に向けよう」 と訴える。
彼にいわせると、こういうデフレ時代というのは、 「個人個人が、自分に合った価値観や幸せを問い直すいい時期」 なのだそうだ。

私などは、こういう意見に、わりとスンナリ賛成できる。
ここ数年、日本でもアメリカでも、未曾有の金融危機が経済を襲い、金融エリートたちが一気に凋落し、億万長者が一夜にして破産したりする例を私たちはたくさん見てきた。
それは 「金のために金を回転させる」 という経済感覚の危うさを人々に教え、 「お金は何のためにあるの?」 という問を発生させるきっかけとなった。
つまり、 「幸せをつかむには、何にお金をつかえばいいのか」 という問題意識を、人々の脳裏に浮かび上がらせることになったわけだ。
何に対してお金をつかえば幸せの実現につながるかと考えるとき、それこそ人の数ほど答は出てくるだろうが、私がいいなぁ…と思うのは、 「心を豊かにするもの」 に投資している人。
本なんか買ってじっくり読んでいる人もいいと思うし、映画や音楽の観賞にお金を割いている人もいいと思う。
優雅なバーなんかで、一人でゆったりとウィスキーを楽しんでいる人などにも憧れるし、山の温泉などにのんびりと浸かり、木陰を吹く風の音に耳を澄ましている人なんかも、うらやましいと思う。
自然の中にキャンピングカーで入り、コーヒーなどを飲みながら、鳥の声を聞いている人たちなんかも素敵だなあと思う。
要するに、お金をあくせく使っていない人たち。
つまりは、そのお金で 「時間を買っている」 ような人たちに、私は期待している。
そのような投資がなぜ良いかというと、心が豊かになるからだ。
心が豊かな状態とはどんな状態か?
それは、頭の中が、新鮮な 「想像」 に満たされた状態のことをいう。
それはどんな状態か?
自分なんかを例にとると、たとえば、真っ青な空に、一条のひこうき雲が上昇している光景を見て、ふと荒井由実の 『ひこうき雲』 を連想し、そのメロディーが頭の中に流れ、空の青さと雲の白さの対比に感動すること。
そして、幼いままついえてゆく子供の 「人生」 が何であったかと思い巡らすこと。
そして、命の切なさと、命の輝きに想いを馳せ、それに神妙になること。
…そんなことだ。

想像の世界で遊べる人は、どんな貧しいシチューエーションからもそれに応じた 「物語」 を汲み上げることができるので、少ない投資で、現実以上の豊かさを味わうことができる。
想像力は、鍛えれば鍛えるほど、鋭敏に働くようになる。
想像力の母胎となるのは知的教養だから、それにお金をかければかけるほど、想像力が思い描く世界もますます深く、豊かなものになっていく。
だから、想像力を飛躍させるための投資なら積極的にした方がいい。
得られるものが、どんどん大きくなっていくことが、そのうち自分でも分かるようになってくる。
想像力が豊かになってくれば、人の 「立場」 に立って物ごとを見る目も養われてくるから、相手に対する誤解も減り、優しくもなれる。
自分以外の 「人」 の存在に気づく…とでも言おうか。
「優しさ」 とか 「思いやり」 とか 「謙虚さ」 とかいうのは、他者に対する想像力の産物なのだ。
そして、その想像力が、 「人」 から 「自然」 に向かえば、自然を加工したり、無理やり変形しなくても楽しめる方法も見出されてくる。
山林を伐採して造られた人工的なリゾート施設よりも、あるがままの自然を美しいと感じる感性も生まれてくる。
何もない状態のなかに、豊かな 「物語」 を感じる感性は、ひとえに想像力から生まれてくるのだから、想像力を鍛えることは、人と自然の調和に想いを馳せることにもつながる。

一方、相変わらず内需喚起もままならない。
構造的なデフレはますます深刻化する気配を見せる。
だが、ここのところ、 「もうしょうがないじゃないか」 と、事態を容認するような声が、あちこちから少しずつ聞かれるようになってきた。
あきらめ…というのとは、少し違う。
経済状況が、この先もう好転することがないことを認めたうえで、企業も個人も腹をくくって、 「考え方」 そのものを変えていこうじゃないか。…というのが、 「しょうがないじゃないか論」 の基本的な趣旨なのだ。
嘆いても、何も始まらない。
ならば、この落ち込んだ状態を 「スタート地点」 だと割り切り、そこから何ができるかを 「白紙」 の状態で考えていく。
開き直りといえば、開き直りだが、 「失うもの」 に怯えるよりも、 「獲得できるもの」 を考えていこうという意味では、 「もうしょうがいじゃないか」 という境地から出発することは一歩前進なのかもしれない。
ただ、主張する論者によって、若干のニュアンスの違いが出る。
大別すると2タイプの意見があるようだ。
ひとつは、 「景気後退が常態化すると、会社に頼れないから、個人が自立しなければならない」 と説くような主張。
もちろんこれは、かつての脱サラのようなものを示唆するものではなく、会社に雇われながらも、常に自分自身マネッジメントして、会社が倒産しても困らないようなスキルを身につけておこう…というアドバイスとセットになった主張だ。
具体的な心構えとしては、
① 仕事がうまくいかない理由を、会社の上司や景気などのせいにしない。
② 失敗の理由などの 「言い訳」 をつくらない。
③ 会社の看板で仕事をするのではなく、個人のブランド力を高める。
…などと、わりと正統的な指導が行われているようだ。
もちろん大事なことかもしれないが、別にそれは当然といえば当然なことで、不況とかデフレに関係ないことのように思う。
それとは別に、こういう時代を 「内省の時代」 ととらえ、今まで 「成長」 とか 「膨張」 に向けていた目を、自分の内面に転じて 「心の豊かさ」 を追求しようと説く主張もある。
『悩む力』 などのベストセラーを持つ姜尚中さんなどはそのタイプで、 「自分のライフスタイルを “身の丈” に応じたものに切り替え、外部的な広がりを求めて支出・消費していた生活を、内面強化に向けよう」 と訴える。
彼にいわせると、こういうデフレ時代というのは、 「個人個人が、自分に合った価値観や幸せを問い直すいい時期」 なのだそうだ。
私などは、こういう意見に、わりとスンナリ賛成できる。
ここ数年、日本でもアメリカでも、未曾有の金融危機が経済を襲い、金融エリートたちが一気に凋落し、億万長者が一夜にして破産したりする例を私たちはたくさん見てきた。
それは 「金のために金を回転させる」 という経済感覚の危うさを人々に教え、 「お金は何のためにあるの?」 という問を発生させるきっかけとなった。
つまり、 「幸せをつかむには、何にお金をつかえばいいのか」 という問題意識を、人々の脳裏に浮かび上がらせることになったわけだ。
何に対してお金をつかえば幸せの実現につながるかと考えるとき、それこそ人の数ほど答は出てくるだろうが、私がいいなぁ…と思うのは、 「心を豊かにするもの」 に投資している人。
本なんか買ってじっくり読んでいる人もいいと思うし、映画や音楽の観賞にお金を割いている人もいいと思う。
優雅なバーなんかで、一人でゆったりとウィスキーを楽しんでいる人などにも憧れるし、山の温泉などにのんびりと浸かり、木陰を吹く風の音に耳を澄ましている人なんかも、うらやましいと思う。
自然の中にキャンピングカーで入り、コーヒーなどを飲みながら、鳥の声を聞いている人たちなんかも素敵だなあと思う。
要するに、お金をあくせく使っていない人たち。
つまりは、そのお金で 「時間を買っている」 ような人たちに、私は期待している。
そのような投資がなぜ良いかというと、心が豊かになるからだ。
心が豊かな状態とはどんな状態か?
それは、頭の中が、新鮮な 「想像」 に満たされた状態のことをいう。
それはどんな状態か?
自分なんかを例にとると、たとえば、真っ青な空に、一条のひこうき雲が上昇している光景を見て、ふと荒井由実の 『ひこうき雲』 を連想し、そのメロディーが頭の中に流れ、空の青さと雲の白さの対比に感動すること。
そして、幼いままついえてゆく子供の 「人生」 が何であったかと思い巡らすこと。
そして、命の切なさと、命の輝きに想いを馳せ、それに神妙になること。
…そんなことだ。
想像の世界で遊べる人は、どんな貧しいシチューエーションからもそれに応じた 「物語」 を汲み上げることができるので、少ない投資で、現実以上の豊かさを味わうことができる。
想像力は、鍛えれば鍛えるほど、鋭敏に働くようになる。
想像力の母胎となるのは知的教養だから、それにお金をかければかけるほど、想像力が思い描く世界もますます深く、豊かなものになっていく。
だから、想像力を飛躍させるための投資なら積極的にした方がいい。
得られるものが、どんどん大きくなっていくことが、そのうち自分でも分かるようになってくる。
想像力が豊かになってくれば、人の 「立場」 に立って物ごとを見る目も養われてくるから、相手に対する誤解も減り、優しくもなれる。
自分以外の 「人」 の存在に気づく…とでも言おうか。
「優しさ」 とか 「思いやり」 とか 「謙虚さ」 とかいうのは、他者に対する想像力の産物なのだ。
そして、その想像力が、 「人」 から 「自然」 に向かえば、自然を加工したり、無理やり変形しなくても楽しめる方法も見出されてくる。
山林を伐採して造られた人工的なリゾート施設よりも、あるがままの自然を美しいと感じる感性も生まれてくる。
何もない状態のなかに、豊かな 「物語」 を感じる感性は、ひとえに想像力から生まれてくるのだから、想像力を鍛えることは、人と自然の調和に想いを馳せることにもつながる。
