2011年04月28日
新ブログのご案内
今回の投稿を最後に、新しいブログへ移行します。
同じブログサービスを行っているホビダスさんのリニューアルブログです。
アドレスは下記の通り。
どうぞ、今までどおりお立ち寄りください。
http://campingcar.shumilog.com/
今後ともよろしくお願い申しあげます。

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http://campingcar.shumilog.com/
今後ともよろしくお願い申しあげます。
2011年04月27日
久々の更新です
昨晩、 『キャンピングカー スーパーガイド 2011』 の最後のデータを印刷所に収めた。
長らくブログの更新を怠っていたのも、入稿のことで頭がいっぱいになり、 「とてもブログどころではない……」 という気持ちが強かったからだ。
毎度のことだけど、この時期は、てんやわんや。
先に出した校正刷りはどんどん上がってくる。
それを横目でにらみながら、一方では、入稿前の新規原稿も書く。
集めた画像ファイルの中から写真を選ぶ。
ないものは取り寄せる。
家には帰らない。
風呂には入らない。
夜中の3時か4時には、会社の床にマットを敷き、下着を着替えることもなく、寝袋に潜り込む。
温かい季節になると、冬の間は影を潜めていたムシも床を這いずり回るようになる。
こちらがじっとしていると、彼らが頭の周りをかすめるように通り過ぎていく姿が想像できるのだが、でも気にならない。
こちらも汚れ具合では、ムシと大同小異であるからだ。
ブログの最後の更新日が4月の12日。
「ちょいとサボる」 ……ぐらいの気持ちだったのに、いつの間にやら2週間経ってしまった。
最後のブログタイトルが、 「3・11以降」 。
思えば、3・11というのは、ちょうど 『キャンピングカー スーパーガイド2011』 の原稿を書き始めたぐらいのタイミングに当たる。
やはり、原稿を書くときの気分が、例年とは大きく違った。
自分の感情のおもむくままに書き散らすブログの原稿と、キャンピングカーの使い勝手や構造に触れる仕事の原稿とでは、扱う世界が大きく異なる。
キャンピングカーのレイアウトや装備類の解説を書く作業は、被災地の深刻な報道の流れとは切り離して進めることもできる。
それでも、気分のどこかで、その両者を大きく切り離すことができなかった。
特に、書きながら自分で引っかかったのは 「快適」 という言葉だった。
キャンピングカーは、利用者のあらゆる 「快適さ」 を追求する形でここまで成熟してきた。
「快適な寝心地を約束するフルフラットベッド」
「快適な温度を保つFFヒーター」
「快適な冷気をもたらしてくれるルーフエアコン」
「快適な人の動線を確保するレイアウト」
キャンピングカーの特性を表現するときのキータームとして、 「快適」 という言葉は外すことができない。
しかし今回ほど、その言葉が “しっくり” しなかったことはなかった。
「この車に約束された快適な空調は……」 などと書きながら、一方では、被災地の避難所で、寒さに震えながら耐えている人たちの映像が記憶から離れなかった。
そして、一方では、原発事故で大きく浮上してきた 「人類に残されたエネルギー資源」 という問題が頭にこびり付いてしまい、キーボードを打つ手が止まった。
「われわれが今の世の中で “快適さ” を求めるということは、未来の他者から “快適さ” を奪うことではないのか?」
そんな意識も浮かんだりして、迷いながらの原稿書きだった。
しかし、途中からハタと気がついた。
キャンピングカーで実現される 「快適」 さというのは、すべてビルダーや利用者たちによって、その車の中だけで個別に作り上げられる創造的な 「快適」 なのだ。
決して、東電の原発からおこぼれを預かって、垂れ流しているという自覚もなく消費される 「快適」 さとは違うのだ。
あるクルマでは、ルーフをソーラーパネルで埋めて、そこから備蓄される自然エネルギーで冷蔵庫やIH調理器を回そうという試みを震災以前から導入し、キャンピングカーの新しい流れを作ろうとしていた。

また別のクルマでは、高性能バッテリーを2個用意して、電気回路を2系統に分け、一方では照明や水ポンプ、ベンチレーターを作動させることに回し、もう一つは1.5kWのインバーターを介して、セパレートエアコンや電子レンジを駆動させるという試みを実現していた。
それらは、もちろん創造者たちの知恵を絞った工夫と、度重なる実験によって実用化に至ったものばかりである。
つまり、 「快適さ」 を手に入れるためには、いかに智恵をふり絞り、工夫を凝らさなければならないのかという意識の上に成り立った “快適” なのだ。
ただ、その快適さは、はかない。
でも、それがいい。
高機能サブバッテリーと高性能インバーターを組み合わせて使えるエアコンの駆動時間は、走行充電しないかぎりは5時間程度に過ぎない。
だから、その5時間が 「貴重な5時間」 となる。
今まで、電源を差し込むだけで無尽蔵に電気が供給されると思い込んでいたわれわれの怠惰な脳を刺激してくれる5時間となるのだ。
キャンピングカーは、われわれに 「未来を考えさせてくれるクルマ」 となる。
原稿を書いているうちに、それは確信となった。
昔から、様々なキャンピングカーで進められてきた断熱対策も、これからは違った文脈で捉えられるようになるだろう。
断熱を徹底化させることでエアコンやヒーターの効きも大きく変わる。
それが、有限の資源を少しでも未来の人類に残すことに貢献するようになるかもしれない。
そんなことをあれこれ考えながら制作した 『キャンピングカー スーパーガイド2011』 。
配本日は5月20日の予定。
地方の書店に出回るのは、遅くとも5月24日~25日ぐらいになると思う。
発売が、自分でも楽しみなのだ。
PS
ところで、このブログもホビダスさんの新ブログに移行します。
新しいアドレスは、
http://campingcar.shumilog.com/
今後ともよろしく。
長らくブログの更新を怠っていたのも、入稿のことで頭がいっぱいになり、 「とてもブログどころではない……」 という気持ちが強かったからだ。
毎度のことだけど、この時期は、てんやわんや。
先に出した校正刷りはどんどん上がってくる。
それを横目でにらみながら、一方では、入稿前の新規原稿も書く。
集めた画像ファイルの中から写真を選ぶ。
ないものは取り寄せる。
家には帰らない。
風呂には入らない。
夜中の3時か4時には、会社の床にマットを敷き、下着を着替えることもなく、寝袋に潜り込む。
温かい季節になると、冬の間は影を潜めていたムシも床を這いずり回るようになる。
こちらがじっとしていると、彼らが頭の周りをかすめるように通り過ぎていく姿が想像できるのだが、でも気にならない。
こちらも汚れ具合では、ムシと大同小異であるからだ。
ブログの最後の更新日が4月の12日。
「ちょいとサボる」 ……ぐらいの気持ちだったのに、いつの間にやら2週間経ってしまった。
最後のブログタイトルが、 「3・11以降」 。
思えば、3・11というのは、ちょうど 『キャンピングカー スーパーガイド2011』 の原稿を書き始めたぐらいのタイミングに当たる。
やはり、原稿を書くときの気分が、例年とは大きく違った。
自分の感情のおもむくままに書き散らすブログの原稿と、キャンピングカーの使い勝手や構造に触れる仕事の原稿とでは、扱う世界が大きく異なる。
キャンピングカーのレイアウトや装備類の解説を書く作業は、被災地の深刻な報道の流れとは切り離して進めることもできる。
それでも、気分のどこかで、その両者を大きく切り離すことができなかった。
特に、書きながら自分で引っかかったのは 「快適」 という言葉だった。
キャンピングカーは、利用者のあらゆる 「快適さ」 を追求する形でここまで成熟してきた。
「快適な寝心地を約束するフルフラットベッド」
「快適な温度を保つFFヒーター」
「快適な冷気をもたらしてくれるルーフエアコン」
「快適な人の動線を確保するレイアウト」
キャンピングカーの特性を表現するときのキータームとして、 「快適」 という言葉は外すことができない。
しかし今回ほど、その言葉が “しっくり” しなかったことはなかった。
「この車に約束された快適な空調は……」 などと書きながら、一方では、被災地の避難所で、寒さに震えながら耐えている人たちの映像が記憶から離れなかった。
そして、一方では、原発事故で大きく浮上してきた 「人類に残されたエネルギー資源」 という問題が頭にこびり付いてしまい、キーボードを打つ手が止まった。
「われわれが今の世の中で “快適さ” を求めるということは、未来の他者から “快適さ” を奪うことではないのか?」
そんな意識も浮かんだりして、迷いながらの原稿書きだった。
しかし、途中からハタと気がついた。
キャンピングカーで実現される 「快適」 さというのは、すべてビルダーや利用者たちによって、その車の中だけで個別に作り上げられる創造的な 「快適」 なのだ。
決して、東電の原発からおこぼれを預かって、垂れ流しているという自覚もなく消費される 「快適」 さとは違うのだ。
あるクルマでは、ルーフをソーラーパネルで埋めて、そこから備蓄される自然エネルギーで冷蔵庫やIH調理器を回そうという試みを震災以前から導入し、キャンピングカーの新しい流れを作ろうとしていた。

また別のクルマでは、高性能バッテリーを2個用意して、電気回路を2系統に分け、一方では照明や水ポンプ、ベンチレーターを作動させることに回し、もう一つは1.5kWのインバーターを介して、セパレートエアコンや電子レンジを駆動させるという試みを実現していた。
それらは、もちろん創造者たちの知恵を絞った工夫と、度重なる実験によって実用化に至ったものばかりである。
つまり、 「快適さ」 を手に入れるためには、いかに智恵をふり絞り、工夫を凝らさなければならないのかという意識の上に成り立った “快適” なのだ。
ただ、その快適さは、はかない。
でも、それがいい。
高機能サブバッテリーと高性能インバーターを組み合わせて使えるエアコンの駆動時間は、走行充電しないかぎりは5時間程度に過ぎない。
だから、その5時間が 「貴重な5時間」 となる。
今まで、電源を差し込むだけで無尽蔵に電気が供給されると思い込んでいたわれわれの怠惰な脳を刺激してくれる5時間となるのだ。
キャンピングカーは、われわれに 「未来を考えさせてくれるクルマ」 となる。
原稿を書いているうちに、それは確信となった。
昔から、様々なキャンピングカーで進められてきた断熱対策も、これからは違った文脈で捉えられるようになるだろう。
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それが、有限の資源を少しでも未来の人類に残すことに貢献するようになるかもしれない。
そんなことをあれこれ考えながら制作した 『キャンピングカー スーパーガイド2011』 。
配本日は5月20日の予定。
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今後ともよろしく。
2011年04月12日
3・11以降

脚本家の宮藤官九郎は、
「3月11日以前に書いた台本が、別のものに思える」
と言った。
その気持ちがとてもよく分かるような気がする。
たぶん物書きの多くが、そのようなことを感じているのだろう。
いや、ほとんどの日本人が、漠然とそう感じているでのはなかろうか。
「3・11 以前」 と 「3・11 以降」 では、日本人の意識のなかに、 (大げさにいえば) 「明治維新以前」 と 「明治維新以降」 とか、あるいは 「太平洋戦争以前」 と 「太平洋戦争以降」 ぐらいの断層が生まれているような気もする。
もちろん 「日本人は変わっていない」 という人もいる。
それも分かる。
時代の変化というのは、そんなに簡単に見えるようなものでもない。
しかし、10年ぐらいのスパンで眺めると、
「あの日以来、日本は変わった」
と眺めるような視点が生まれているだろう。
なぜかというと、今回の災害が諸外国に与えた影響が大きいからだ。
日本人は、外国の評価や評判が耳に届くようになってから、ようやく自国の状況に気づくという傾向があるが、これもその一例のように思う。
たとえば、80パーセントの電気を原発に頼っているフランスでは、原発反対の市民運動が盛り上がっているという。
80パーセントも電気を供給する原発を廃止したら、それこそパリなどは原始時代の闇に戻る。
それでもいいという人々が生まれてきている。
福島の原発事故の波紋は、世界の人々に原発への不安を感じさせただけでなく、原発を廃止した場合のエネルギー供給はどうなるのか、という問題意識も植え付けることになった。
そういった意味で、 「3・11」 というのは世界中の人々に、とりわけ先進国の国民に、電力と化石エネルギーの上に築かれた近代文明というものを、再度問い直すきっかけを与えたのだと思う。
だから、これは悲惨な自然災害であると同時に、ひとつの文明史的な出来事でもあるように思う。
このような諸外国の人々が感じた 「時代の変化」 が、再び日本に戻ってきたとき、日本人の意識の底に、ようやく3・11の意味が定着するような気がする。
2011年04月05日
人類に残された資源
福島・原発事故の影響が広がるにつれ、 「自然エネルギー」 の見直しを訴える識者が増えてきた。
これを機に原子力発電所を廃止して、危険性のない太陽光発電や風力発電などに切り換えていこうというわけだ。
しかし、反論も多い。
それらの自然エネルギーでは、とても現在の生活レベルを支えきれないという。
反論を試みる人たちの多くは、原発の運転を止めれば経済成長の低下は免れないことを主張する。
そして、国民はすぐに原発の再起動を望むだろうとも。
その根拠は、
「人間には、現在手に入れている便利さや快適さを放棄することができない」
からだという。
そして、 「安易に自然エネルギーを口にする学者や文化人は、そのエネルギー量の乏しさを想像できないのではないか?」 と嘲笑する識者もいる。
そうかもしれない…とも思う。
自分でも、 「便利な生活を見直そう」 などと口では言っているものの、それを言葉にして言えるのは、快適な冷暖房に恵まれた住環境にいるからこそであって、実際に快適さを放棄しなければならなくなったとき、いつまでもきれい事を言っているわけにはいかないような気もしてくる。
だが、一方で、そろそろ人類は大きな決断をしなければならない時が迫ってきているようにも感じる。
だから今回の大震災とそれに続く原発事故は、将来のエネルギー問題を、誰もが 「自分の問題」 として受け止めなければならないことを突きつけたようにも思う。
そして、我々に突きつけられているエネルギー問題や環境問題とはいったい何なのか? それをもう一度問い直す契機をつかんだような気もする。
そのことを考えると、いつも思い出す1冊の本がある。
三崎浩士という人が書いた 『エコカーは未来を救えるか』 (ダイヤモンド社) という本だ。

著者は、いすゞ自動車のバスの企画開発に従事したエンジニアで、この本も、自動車社会の未来を展望するという視点に立って書かれている。
しかし、それだけにとどまらず、人類の文明の行く末を示唆していて、なかなか興味深い。
だが、そのトーンは一貫してペシミスティックな色に染め上げられている。
1998年に出版されたもので、すでに世に出てから13年が経過している。
だから、その時点での知見は、その後大きく書き換えられ、今はもう少し楽観的な観測が主流になっているのかもしれない。
しかし、この本が環境問題の本質を突いていると思うのは、13年も前に、
「本当の環境問題とは、CO2や大気汚染物質の増大から生まれる “地球の温暖化” などではなく、エネルギー資源の枯渇だ」
と喝破したところにある。
現に、ここに来て、地球温暖化説に対する反論も多く出回るようになった。
つまり、文明の廃棄物による環境汚染が温暖化を進めるという説は、原子力発電を推進しようとする人々の捏造した “神話” に過ぎない、と唱える識者が現れるようになったのだ。
その人たちの言い分はこうだ。
「原発推進派の人たちは、化石燃料を燃やす火力発電よりも原発の方がクリーンエネルギーだと言って、政府や文化人に圧力をかけた。そして、その理屈を決定づけるために、むりやり温暖化説をデッチあげた。
しかし、それは詭弁だった。事実、大気汚染が温暖化を進めたという科学的な根拠は何もない」
私には、その事の真偽を確かめるほどの知識も教養もない。
それに関しては、この本の著者である三崎氏も、
「太古から地球は温暖化と寒冷化を繰り返しており、人間の活動とは関係なく、大気中のCO2濃度が濃くなった時代には温暖化に向かうという説もある。
しかし、将来後悔しないためにも、いま人為的な理由で温暖化を進めると思われることには対策を立てていた方がよい」
と言うにとどめている。
著者はいう。
「それよりも深刻なのは、エネルギー供給が途絶することである。エネルギー資源が枯渇するにしたがって否応なく経済も縮小することになるが、同時にCO2排出も、廃棄物も化学物質も減少し、環境問題は自然と “解決” の方向に向かうだろう。
今日の自動車は、大気汚染をはじめとする環境問題の元凶としてとらえられているが、それはエネルギーの供給が続くと仮定した場合の話であって、本当の自動車の危機はエネルギー資源の枯渇にある」
これに対し、その後 “脱化石燃料” への取り組みが進み、自動車においてもEV (電気自動車) やエタノールなどを代替燃料とする研究と実用化が加速した。
我々はそれに対する希望も持っている。
しかし、著者はそれらの代替燃料の実用性において、当時、次のような観測を抱いている。
まず電気自動車 (EV) 。
「確かに、電気自動車は “究極の自動車” である。化石燃料枯渇後のエネルギー源は電力しかないからだ。
電気自動車の心臓であるモーターは、運転が静かでなめらか。
低速からトルクが得られる。
排気ガスを出さない。
停止時に無駄なエネルギーを消費しない (アイドリングが要らない) などのメリットがある。
しかし、エネルギーを蓄えておくバッテリーを搭載しなければならない。
これが重い。
小型車クラスの電気自動車でも一般に300~400kgの電池を搭載する。70リットルのガソリンを積んだときのタンクの重さはおよそ52kgだが、ガソリンと同じエネルギー量を出そうとすると、その蓄電池は15.6トンになる。この重さは大型観光バスの車両総重量に匹敵する。
充電にも時間がかかる。標準の充電時間は8時間である。
リサイクルも難しい。
電気自動車はバッテリーと半導体の塊である。ヒューズボックスやハーネスなどの一般の電装品は金属部品、銅銭、電子部品、プラスチックを選り分けるのが難儀である。
また、バッテリーの処分も大きな問題となる。
一つは大量の酸性液体の処理。
一つはカドミウムや鉛などの有毒物質の処理。
さらに、現時点で後46年分しかないという鉛資源の枯渇という問題も加わり、バッテリー搭載に対する問題は山積みされている。
いずれにせよ、石油燃料が供給される間は、電気自動車の大きな市場は形成されない。コミューターや電動大八車という形での普及は考えられるが、輸送の効率向上の鍵となるトラックやバスを電池で走らせることなどできない」
そう書かれてから13年。
今は、バッテリーの軽量化に対する取り組みも行なわれ、ここで挙げられた数値はかなり変わってきているのではないかと思うのだが、それでも電気自動車の普及には、あまたの高いハードルが設けられているということは、これで分かる。
では、食糧素材から採れるエタノールを燃料に使ったものはどうか?
「これは再生可能なバイオマス (生物) から生産できる。しかし、バイオマスエネルギーは、将来の人口爆発とエネルギー不足による食糧危機と必ず衝突するだろう。
アメリカではトウモロコシからエタノールを製造する試みがあるが、得られるエネルギーに対して投入するエネルギーは1.4倍という試算がある。サツマイモから作るものは2倍である」。
ならば、天然ガス燃料はどうか?
「天然ガス自動車は、90年代に入って開発に拍車がかかり、低公害化と代替エネルギー性の両面から期待されている。
低公害でいえば、CO、NOx、炭化水素などの排出量が格段に少ない。PMもCO2も少ない。マイナス20~30℃でも始動できる。
デメリットは、燃費が悪く航続距離が短い。ボンベがかさばる。インフラ整備が追いつかない。
現在は新規の発見量が年間生産量を上回っているから薔薇色の炎が灯っているが、世界が一斉に天然ガスにシフトしていけばその寿命は一気に縮まる。
現在タクシーで普及しているLPG車も、LPGが石油の精製過程で採取されるガスなので、石油枯渇と同時に姿を消していく」
う~ん…。だんだん絶望的な気分が広がっていく。
では、最近話題のソーラーカーというのはどうなのか?
「ソーラーカーは、発電しながら走行できるところが従来の電気自動車とは異なる。
しかし、太陽電池は膨大なエネルギーを生み出すことができない。たぶんに “太陽の恵みで走る” というイメージ的なものが、長年人間のDNAに刷り込まれた神話的象徴性と共鳴したエコロジカルな自動車という感じだ。
そもそも太陽エネルギーには限界がある。
晴天時に、地表が受ける太陽エネルギーは1㎡当たり、最大1kWである。太陽電池の変換効率を15パーセントとすると、1㎡当たりの発電出力は、0.15kWだ。これは馬力に還元すると0.2馬力である。
もし、200馬力ぐらいの動力性能を得ようとしたら、1,000㎡ (約300坪) の広さが必要となる。観光バス1台に搭載してもようやく6馬力 (原付バイク並み) にしかならない。
さらに、日照は気象条件や季節によって変わり、夜は光りが届かない。夜や雨天時にも走行しようと思えば、蓄電池を搭載しなければならない。
もし、太陽電池で火力発電所が供給するのと同じ電力をまかなうとなると、東京都と神奈川県のすべてを電池で埋め尽くしてもまだ足りない。
さらに、太陽電池の出力が落ちないようにその表面をこまめに掃除する必要がある。とても現実的ではない。しかも耐用年数は30年でしかない。半導体なのでリサイクルもできない」
最後に、自動車燃料の話から少しずれるが、肝心の原子力についての著者の意見を聞いてみよう。
「原子力の未来も決して明るくない。地下資源のウランそのものが有限だからだ。
ウランのうち燃料となるのはウラン235であるが、天然ウランにはこの235が0.7パーセントしか含まれておらず、残りの99.3パーセントを占めるウラン238は燃料にならない。
ただ、高速増殖炉があれば、軽水炉では燃料にならないウラン238をプルトニウム239に変えて燃料にすることができる。そうすれば、ウラン235の10倍の働きをする。
しかし、プルトニウムは発癌性や毒性が強く、しかも放射性廃棄物の処理の問題も出てくる」
この意見が、現在の原子力発電の状況を伝えるものなのかどうか不勉強な私にはよく分からないが、ざっと読む限り、どうも原子力も、究極の救世主にはならないようだ。
要するに、著者は、石油に替わるさまざまな代替燃料が開発されても、石油のような高効率なエネルギーには、人類は二度とめぐり会えないだろうと言いたいのだ。
石油が燃料として合理性を持っていたのは、エネルギー密度が高いこと、燃料が液体で取り扱いやすく、燃料タンクの形を自由にできること、燃料の後始末が要らないという様々なメリットがあったからだ。
では著者は、原油の枯渇が見えてきたときの人類の未来をどのように考えているのだろうか。
「エネルギー危機が見えてくるのは、2030年頃あたりだろうといわれている。現在57億の世界の人口は、21世紀半ばには100億に達すると予想され、そうなればエネルギー危機の到来が早まることも考えられる。
専門家たちは、 『遠い将来ではあるが、いずれは自動車はなくなるだろう』 、 『人々は日が暮れたら水を飲んで寝る生活になるだろう』 と言い合っている」
これが、この著者の描く未来図だ。
なんだか、200~300年後の首都高速には、のんびりと馬車が走っていそうなイメージが浮かんでくる。
はて、ここまで読まれた方は、どう思われるだろうか?
そろそろ、私の感想を述べるときかもしれない。
実際、この著者がいうように、石油の代替燃料が石油ほどの高効率をもたらすことは期待できないだろうし、新しいエネルギー源の研究開発に、驚くほどのイノベーションを見ることもありえないだろう。
たぶん、エネルギー政策の転換は、国際社会の利害調整やら、研究開発機関の予算枠との絡みなども考慮に入れながら、 “畳の目を数えるように” 少しずつ前進していくだけだと思う。
だが、まだ時は残されている。
自動車の運用に関してのみいうならば、結局は、私たちが資源の無駄づかいをすることなく、残る資源を有効利用する手だてを考えながら、新エネルギー開発までの時を稼ぐしかない。
そのためには、自動車の車種選びや利用方法も再検討されなければならないかもしれない。
自動車を利用しているときの状態をつぶさに見ていくと、燃料を消費しているときというのは、必ずしも走っているときだけとは限らない。
冷暖房を使うために、アイドリング状態のまま車内で過ごすこともあるだろう。昨年の夏のような猛暑が訪れる傾向が強まってくると、車内のエアコンを切ることに躊躇せざるを得ないというのも人情だ。
だが、そこで、車外温が車内温に影響を及ぼさないようなボディ構造の自動車を選択するという手もある。
具体的には、ボディの壁面、床、天井などに断熱材を封入した車種を選ぶということだ。
これらの断熱材の効果は思った以上に高い。車内に残ったままちょっと休憩するときでも、断熱材入りの自動車なら、夏場には木陰に入れて、窓から涼風を招き入れるだけでもかなり快適に過ごすことができる。
また冬期に暖房を得ようとする場合も、FFヒーターという暖房装置があれば、エンジン停止時においてもクリーンな空調による暖房を得ることができる。FFヒーターにはサーモスタットが付いているので、設定温度を境に自動的にON・OFFを繰り返してくれる。
それだけでも、無駄な燃料を使用せずに済む。
さらに、旅行の宿泊先で、ちょっとした買い物、食事など出かけるとき、いちいちクルマを使わずに、自転車などを利用すれば、かなりガソリンを節約できる。
そういうときのことを考え、自転車などを車内に積み込めるだけの収納庫キャパシティのあるクルマや、サイクルキャリアを無理なく付けられる構造のクルマを選んでおけば安心だ。
ソーラーパネルによる太陽光発電に関していえば、確かに現状ではそのエネルギー備蓄量は微々たるものかもしれない。
しかし、それだって車両のルーフにパネルを積んでおけば、微弱な電気量でまかなえる車内の電化製品の補助としては十分に有効だ。
そのためには、パネルを積めるだけの広さと安定性を持ったルーフ形状のクルマが必要となる。
また、これからは、自動車旅行のスタイルにも考慮しなければならなくなるだろう。
むやみに走り回るのではなく、満足できる目的地を選んで、ゆっくり滞在するというのも、これからの自動車旅行には大事なことになるだろう。
それには、車内で寝泊まりすることも想定して、寝るときには必ず熟睡が保証されるフルフラットベッドが作れるような自動車を選ぶことも検討しなければならない。
さらに、自動車内で仕事をしなければならないケースも考慮して、恒常的にパソコンぐらいは使えるような自動車が望ましい。
そうなるとAC電源の安定供給が前提となるが、それを見越して、サブバッテリーを搭載し、インバーターで駆動する電気回路を搭載した自動車が不可欠となる。
あるいは緊急用の発電機を搭載しておくのもいい。そのときは、あらかじめ発電機搭載スペースが用意されているクルマが理想的だ。
もちろんキャンプ場などに入れば、たいていAC電源が完備しているから、それを使うという手もあるだろう。
以上のような条件を完璧に満たしているのがキャンピングカーだ。
私たちはまだ、これから乗るクルマを選択するだけでも、ずいぶんエネルギー資源の温存に寄与することができる。
資源は有限である。
しかし、時はまだ残されている。
今ある資源を効率よく大事に使いながら、新エネルギーの研究開発に期待していくしかない。
これを機に原子力発電所を廃止して、危険性のない太陽光発電や風力発電などに切り換えていこうというわけだ。
しかし、反論も多い。
それらの自然エネルギーでは、とても現在の生活レベルを支えきれないという。
反論を試みる人たちの多くは、原発の運転を止めれば経済成長の低下は免れないことを主張する。
そして、国民はすぐに原発の再起動を望むだろうとも。
その根拠は、
「人間には、現在手に入れている便利さや快適さを放棄することができない」
からだという。
そして、 「安易に自然エネルギーを口にする学者や文化人は、そのエネルギー量の乏しさを想像できないのではないか?」 と嘲笑する識者もいる。
そうかもしれない…とも思う。
自分でも、 「便利な生活を見直そう」 などと口では言っているものの、それを言葉にして言えるのは、快適な冷暖房に恵まれた住環境にいるからこそであって、実際に快適さを放棄しなければならなくなったとき、いつまでもきれい事を言っているわけにはいかないような気もしてくる。
だが、一方で、そろそろ人類は大きな決断をしなければならない時が迫ってきているようにも感じる。
だから今回の大震災とそれに続く原発事故は、将来のエネルギー問題を、誰もが 「自分の問題」 として受け止めなければならないことを突きつけたようにも思う。
そして、我々に突きつけられているエネルギー問題や環境問題とはいったい何なのか? それをもう一度問い直す契機をつかんだような気もする。
そのことを考えると、いつも思い出す1冊の本がある。
三崎浩士という人が書いた 『エコカーは未来を救えるか』 (ダイヤモンド社) という本だ。
著者は、いすゞ自動車のバスの企画開発に従事したエンジニアで、この本も、自動車社会の未来を展望するという視点に立って書かれている。
しかし、それだけにとどまらず、人類の文明の行く末を示唆していて、なかなか興味深い。
だが、そのトーンは一貫してペシミスティックな色に染め上げられている。
1998年に出版されたもので、すでに世に出てから13年が経過している。
だから、その時点での知見は、その後大きく書き換えられ、今はもう少し楽観的な観測が主流になっているのかもしれない。
しかし、この本が環境問題の本質を突いていると思うのは、13年も前に、
「本当の環境問題とは、CO2や大気汚染物質の増大から生まれる “地球の温暖化” などではなく、エネルギー資源の枯渇だ」
と喝破したところにある。
現に、ここに来て、地球温暖化説に対する反論も多く出回るようになった。
つまり、文明の廃棄物による環境汚染が温暖化を進めるという説は、原子力発電を推進しようとする人々の捏造した “神話” に過ぎない、と唱える識者が現れるようになったのだ。
その人たちの言い分はこうだ。
「原発推進派の人たちは、化石燃料を燃やす火力発電よりも原発の方がクリーンエネルギーだと言って、政府や文化人に圧力をかけた。そして、その理屈を決定づけるために、むりやり温暖化説をデッチあげた。
しかし、それは詭弁だった。事実、大気汚染が温暖化を進めたという科学的な根拠は何もない」
私には、その事の真偽を確かめるほどの知識も教養もない。
それに関しては、この本の著者である三崎氏も、
「太古から地球は温暖化と寒冷化を繰り返しており、人間の活動とは関係なく、大気中のCO2濃度が濃くなった時代には温暖化に向かうという説もある。
しかし、将来後悔しないためにも、いま人為的な理由で温暖化を進めると思われることには対策を立てていた方がよい」
と言うにとどめている。
著者はいう。
「それよりも深刻なのは、エネルギー供給が途絶することである。エネルギー資源が枯渇するにしたがって否応なく経済も縮小することになるが、同時にCO2排出も、廃棄物も化学物質も減少し、環境問題は自然と “解決” の方向に向かうだろう。
今日の自動車は、大気汚染をはじめとする環境問題の元凶としてとらえられているが、それはエネルギーの供給が続くと仮定した場合の話であって、本当の自動車の危機はエネルギー資源の枯渇にある」
これに対し、その後 “脱化石燃料” への取り組みが進み、自動車においてもEV (電気自動車) やエタノールなどを代替燃料とする研究と実用化が加速した。
我々はそれに対する希望も持っている。
しかし、著者はそれらの代替燃料の実用性において、当時、次のような観測を抱いている。
まず電気自動車 (EV) 。
「確かに、電気自動車は “究極の自動車” である。化石燃料枯渇後のエネルギー源は電力しかないからだ。
電気自動車の心臓であるモーターは、運転が静かでなめらか。
低速からトルクが得られる。
排気ガスを出さない。
停止時に無駄なエネルギーを消費しない (アイドリングが要らない) などのメリットがある。
しかし、エネルギーを蓄えておくバッテリーを搭載しなければならない。
これが重い。
小型車クラスの電気自動車でも一般に300~400kgの電池を搭載する。70リットルのガソリンを積んだときのタンクの重さはおよそ52kgだが、ガソリンと同じエネルギー量を出そうとすると、その蓄電池は15.6トンになる。この重さは大型観光バスの車両総重量に匹敵する。
充電にも時間がかかる。標準の充電時間は8時間である。
リサイクルも難しい。
電気自動車はバッテリーと半導体の塊である。ヒューズボックスやハーネスなどの一般の電装品は金属部品、銅銭、電子部品、プラスチックを選り分けるのが難儀である。
また、バッテリーの処分も大きな問題となる。
一つは大量の酸性液体の処理。
一つはカドミウムや鉛などの有毒物質の処理。
さらに、現時点で後46年分しかないという鉛資源の枯渇という問題も加わり、バッテリー搭載に対する問題は山積みされている。
いずれにせよ、石油燃料が供給される間は、電気自動車の大きな市場は形成されない。コミューターや電動大八車という形での普及は考えられるが、輸送の効率向上の鍵となるトラックやバスを電池で走らせることなどできない」
そう書かれてから13年。
今は、バッテリーの軽量化に対する取り組みも行なわれ、ここで挙げられた数値はかなり変わってきているのではないかと思うのだが、それでも電気自動車の普及には、あまたの高いハードルが設けられているということは、これで分かる。
では、食糧素材から採れるエタノールを燃料に使ったものはどうか?
「これは再生可能なバイオマス (生物) から生産できる。しかし、バイオマスエネルギーは、将来の人口爆発とエネルギー不足による食糧危機と必ず衝突するだろう。
アメリカではトウモロコシからエタノールを製造する試みがあるが、得られるエネルギーに対して投入するエネルギーは1.4倍という試算がある。サツマイモから作るものは2倍である」。
ならば、天然ガス燃料はどうか?
「天然ガス自動車は、90年代に入って開発に拍車がかかり、低公害化と代替エネルギー性の両面から期待されている。
低公害でいえば、CO、NOx、炭化水素などの排出量が格段に少ない。PMもCO2も少ない。マイナス20~30℃でも始動できる。
デメリットは、燃費が悪く航続距離が短い。ボンベがかさばる。インフラ整備が追いつかない。
現在は新規の発見量が年間生産量を上回っているから薔薇色の炎が灯っているが、世界が一斉に天然ガスにシフトしていけばその寿命は一気に縮まる。
現在タクシーで普及しているLPG車も、LPGが石油の精製過程で採取されるガスなので、石油枯渇と同時に姿を消していく」
う~ん…。だんだん絶望的な気分が広がっていく。
では、最近話題のソーラーカーというのはどうなのか?
「ソーラーカーは、発電しながら走行できるところが従来の電気自動車とは異なる。
しかし、太陽電池は膨大なエネルギーを生み出すことができない。たぶんに “太陽の恵みで走る” というイメージ的なものが、長年人間のDNAに刷り込まれた神話的象徴性と共鳴したエコロジカルな自動車という感じだ。
そもそも太陽エネルギーには限界がある。
晴天時に、地表が受ける太陽エネルギーは1㎡当たり、最大1kWである。太陽電池の変換効率を15パーセントとすると、1㎡当たりの発電出力は、0.15kWだ。これは馬力に還元すると0.2馬力である。
もし、200馬力ぐらいの動力性能を得ようとしたら、1,000㎡ (約300坪) の広さが必要となる。観光バス1台に搭載してもようやく6馬力 (原付バイク並み) にしかならない。
さらに、日照は気象条件や季節によって変わり、夜は光りが届かない。夜や雨天時にも走行しようと思えば、蓄電池を搭載しなければならない。
もし、太陽電池で火力発電所が供給するのと同じ電力をまかなうとなると、東京都と神奈川県のすべてを電池で埋め尽くしてもまだ足りない。
さらに、太陽電池の出力が落ちないようにその表面をこまめに掃除する必要がある。とても現実的ではない。しかも耐用年数は30年でしかない。半導体なのでリサイクルもできない」
最後に、自動車燃料の話から少しずれるが、肝心の原子力についての著者の意見を聞いてみよう。
「原子力の未来も決して明るくない。地下資源のウランそのものが有限だからだ。
ウランのうち燃料となるのはウラン235であるが、天然ウランにはこの235が0.7パーセントしか含まれておらず、残りの99.3パーセントを占めるウラン238は燃料にならない。
ただ、高速増殖炉があれば、軽水炉では燃料にならないウラン238をプルトニウム239に変えて燃料にすることができる。そうすれば、ウラン235の10倍の働きをする。
しかし、プルトニウムは発癌性や毒性が強く、しかも放射性廃棄物の処理の問題も出てくる」
この意見が、現在の原子力発電の状況を伝えるものなのかどうか不勉強な私にはよく分からないが、ざっと読む限り、どうも原子力も、究極の救世主にはならないようだ。
要するに、著者は、石油に替わるさまざまな代替燃料が開発されても、石油のような高効率なエネルギーには、人類は二度とめぐり会えないだろうと言いたいのだ。
石油が燃料として合理性を持っていたのは、エネルギー密度が高いこと、燃料が液体で取り扱いやすく、燃料タンクの形を自由にできること、燃料の後始末が要らないという様々なメリットがあったからだ。
では著者は、原油の枯渇が見えてきたときの人類の未来をどのように考えているのだろうか。
「エネルギー危機が見えてくるのは、2030年頃あたりだろうといわれている。現在57億の世界の人口は、21世紀半ばには100億に達すると予想され、そうなればエネルギー危機の到来が早まることも考えられる。
専門家たちは、 『遠い将来ではあるが、いずれは自動車はなくなるだろう』 、 『人々は日が暮れたら水を飲んで寝る生活になるだろう』 と言い合っている」
これが、この著者の描く未来図だ。
なんだか、200~300年後の首都高速には、のんびりと馬車が走っていそうなイメージが浮かんでくる。
はて、ここまで読まれた方は、どう思われるだろうか?
そろそろ、私の感想を述べるときかもしれない。
実際、この著者がいうように、石油の代替燃料が石油ほどの高効率をもたらすことは期待できないだろうし、新しいエネルギー源の研究開発に、驚くほどのイノベーションを見ることもありえないだろう。
たぶん、エネルギー政策の転換は、国際社会の利害調整やら、研究開発機関の予算枠との絡みなども考慮に入れながら、 “畳の目を数えるように” 少しずつ前進していくだけだと思う。
だが、まだ時は残されている。
自動車の運用に関してのみいうならば、結局は、私たちが資源の無駄づかいをすることなく、残る資源を有効利用する手だてを考えながら、新エネルギー開発までの時を稼ぐしかない。
そのためには、自動車の車種選びや利用方法も再検討されなければならないかもしれない。
自動車を利用しているときの状態をつぶさに見ていくと、燃料を消費しているときというのは、必ずしも走っているときだけとは限らない。
冷暖房を使うために、アイドリング状態のまま車内で過ごすこともあるだろう。昨年の夏のような猛暑が訪れる傾向が強まってくると、車内のエアコンを切ることに躊躇せざるを得ないというのも人情だ。
だが、そこで、車外温が車内温に影響を及ぼさないようなボディ構造の自動車を選択するという手もある。
具体的には、ボディの壁面、床、天井などに断熱材を封入した車種を選ぶということだ。
これらの断熱材の効果は思った以上に高い。車内に残ったままちょっと休憩するときでも、断熱材入りの自動車なら、夏場には木陰に入れて、窓から涼風を招き入れるだけでもかなり快適に過ごすことができる。
また冬期に暖房を得ようとする場合も、FFヒーターという暖房装置があれば、エンジン停止時においてもクリーンな空調による暖房を得ることができる。FFヒーターにはサーモスタットが付いているので、設定温度を境に自動的にON・OFFを繰り返してくれる。
それだけでも、無駄な燃料を使用せずに済む。
さらに、旅行の宿泊先で、ちょっとした買い物、食事など出かけるとき、いちいちクルマを使わずに、自転車などを利用すれば、かなりガソリンを節約できる。
そういうときのことを考え、自転車などを車内に積み込めるだけの収納庫キャパシティのあるクルマや、サイクルキャリアを無理なく付けられる構造のクルマを選んでおけば安心だ。
ソーラーパネルによる太陽光発電に関していえば、確かに現状ではそのエネルギー備蓄量は微々たるものかもしれない。
しかし、それだって車両のルーフにパネルを積んでおけば、微弱な電気量でまかなえる車内の電化製品の補助としては十分に有効だ。
そのためには、パネルを積めるだけの広さと安定性を持ったルーフ形状のクルマが必要となる。
また、これからは、自動車旅行のスタイルにも考慮しなければならなくなるだろう。
むやみに走り回るのではなく、満足できる目的地を選んで、ゆっくり滞在するというのも、これからの自動車旅行には大事なことになるだろう。
それには、車内で寝泊まりすることも想定して、寝るときには必ず熟睡が保証されるフルフラットベッドが作れるような自動車を選ぶことも検討しなければならない。
さらに、自動車内で仕事をしなければならないケースも考慮して、恒常的にパソコンぐらいは使えるような自動車が望ましい。
そうなるとAC電源の安定供給が前提となるが、それを見越して、サブバッテリーを搭載し、インバーターで駆動する電気回路を搭載した自動車が不可欠となる。
あるいは緊急用の発電機を搭載しておくのもいい。そのときは、あらかじめ発電機搭載スペースが用意されているクルマが理想的だ。
もちろんキャンプ場などに入れば、たいていAC電源が完備しているから、それを使うという手もあるだろう。
以上のような条件を完璧に満たしているのがキャンピングカーだ。
私たちはまだ、これから乗るクルマを選択するだけでも、ずいぶんエネルギー資源の温存に寄与することができる。
資源は有限である。
しかし、時はまだ残されている。
今ある資源を効率よく大事に使いながら、新エネルギーの研究開発に期待していくしかない。
2011年04月03日
ザ・ウォーカー
BS放送で、 『ザ・ウォーカー』 という映画を見た。
核兵器も含めた大規模戦争により、文明が崩壊した未来世界の話だ。
生き残った人々が、崩落したビルの中で、乏しい物資を奪い合うようにしながら生活している。
街は、撤去されない瓦礫が散乱したまま。
どうやら、その状態がもう何十年も続いているらしい。
無秩序な街を仕切っているのは、暴力にものを言わせて市民を脅かしながら見せかけの秩序を維持しているボス。
そのボスに従う、いかにもチンピラギャングという風貌のヤクザな男たち。

その街に、主人公 (デンゼル・ワシントン) が、ある目的を持った旅の途中に寄る。
なんで、こんな映画がこの時期にテレビ放映されるのか。
震災の生々しい記憶が人々に心にとどまっているうちに放映すれば、人々の関心を引きつけられるとでも思ったのか。
それはいいとして、つまらない映画だと思った。
最後はどうなるのか? という関心だけで見続けてしまったけれど、時間の無駄だった。
ここ10年ぐらいか、ハリウッド映画では新手の “人類滅亡物語” がやたら多く作られている。
2007年の 『アイ・アム・レジェンド』
2008年の 『地球が静止する日』
2009年の 『ノウィング』
2010年の 『ザ・ロード』 ……
人類滅亡の原因は、細菌だったり、宇宙人だったりとかいろいろだけど、繰り返し繰り返し描かれるのは、荒涼とした瓦礫の世界とバイオレンス。
そういう映画を全部見たわけではないけれど、基本的には、絶対安全な場所に身を置いている観客が、 「あんな世の中になったら大変ね」 と、安堵しながら映画館を出るという作品になっている。
『ザ・ロード』 は原作を読んだだけだが、まさにバイオレンスの極致というようなストーリーだった。
荒廃した地球上のあっちこっちに、乏しい物資を奪い合う無法者のコミュニティが形成され、その連中に見つかったヨソ者は惨殺されて “食料” にされてしまうだけ。
いよいよ食べるものが無くなると、今度は同じコミュニティの弱者から食料にされてしまう。
『ザ・ウォーカー』 という映画でも、人肉食を匂わせるエピソードが出てくる。
そこには、
「人間は生き延びるためには、同胞の肉すら食う動物なのだ」
という冷酷な “哲学” が信じられているようでもある。
なぜ、アメリカ人たちは、こういう冷徹なストーリーを好むのか?
たぶん、キリスト教の教義が影を落としているのだろう。
つまり、 「人間はもともと罪深い存在なのだ」 という……。
「だから、神に帰依して、罪を免じてもらわなければならない」
最近のハリウッド映画の人類滅亡ものは、新手の布教活動なのかもしれないとすら思う。
つまり、 「最後の審判」 というビジョンは、相変わらず欧米人の精神構造に深く染み込んでいるということが分かる。
現に、 『ザ・ウォーカー』 は (ネタバレごめん!…だが) 、聖書が重要な役割を果たしている。
主人公は、たった1冊の聖書を届けるために、ひたすら広大なアメリカの原野を歩いていく。
ただただ 「西」 に向かって。
どこの誰に、その聖書を届けるのか?
何のために届けるのか?
それは主人公にも分かっていない。
ただ、神が 「それがお前の使命だ」 と心にささやいたのだという。
人もクルマも通らない原野を、彼はずっと歩き続ける。
だから 『ザ・ウォーカー』 なのだ。
そして、いくたの危機を乗り越え、彼はその使命を果たす。
めでたし…、めだたし…。
だけど、腑に落ちない。
神は、その一冊の聖書を目的地に届けさせるために、その主人公が何人もの人間を殺していくのを、黙って容認するのか?

この主人公。
銃を撃てば100発100中。
山刀を奮えば、バッタバッタと死体の山。
それでいて、至近距離から銃で撃たれても、生き延びてしまうのだ。
この男には “神の加護” による不死身の生が与えられているから、他人の死には無頓着だといわんばかりに。
そういう人間が、 「人類の文明の復興」 を託されるという設定が、なんかうすら寒い。
不思議だ。
キリスト教の神さまって、そういう神さまだったの?
キリストって、 「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」 と言った人ではなかったの?
どうも、この映画を作った人たちは、そこから間違っていたようにも思う。
この映画には、 “人間” がいない。
神と、聖書の教えをすでに知らない “無知な動物たち” がいるだけ。
なぜなら、大規模戦争が終わったあと、人類は戦争を起こさせた原因が聖書にあったとして、残存するあらゆる聖書を焼き尽くしたことになっているからだ。
だから、 “正しい教え” はこの世から姿を消し、残った人類の心は荒廃し、すでに聖書すら知らない若者がたくさん生まれているという話になっている。
そういう設定にリアリティがあるとはまったく思えないが、逆にいうと 「聖書がなければ人心は荒廃する」 という制作者たちの思い込みで作られた映画であるということが、そこに露呈している。
同じ核戦争による人類の滅亡を描いた 『渚にて』 (1959年) では、 「人間はなんてバカなことをしてしまったのだ…」 という嘆きは語られるが、そこに神の意思を認める志向はなかった。
あくまでも、人間の犯した過ちに、人間が自ら責任を取らなければならないという覚悟がほの見えていた。
そこが大きな違いだ。
だから 『渚にて』 は、人間の愚かさと人間の崇高さを同時に描いた、無類の反戦映画となりえた。
しかし、 『ザ・ウォーカー』 には、 「人間の反省」 という視点は出てこない。
タフな肉体と精神に恵まれた、信仰の厚い者だけが結局生き延びるという話。
ハリウッドの娯楽映画は、あきらかに後退している。
核兵器も含めた大規模戦争により、文明が崩壊した未来世界の話だ。
生き残った人々が、崩落したビルの中で、乏しい物資を奪い合うようにしながら生活している。
街は、撤去されない瓦礫が散乱したまま。
どうやら、その状態がもう何十年も続いているらしい。
無秩序な街を仕切っているのは、暴力にものを言わせて市民を脅かしながら見せかけの秩序を維持しているボス。
そのボスに従う、いかにもチンピラギャングという風貌のヤクザな男たち。

その街に、主人公 (デンゼル・ワシントン) が、ある目的を持った旅の途中に寄る。
なんで、こんな映画がこの時期にテレビ放映されるのか。
震災の生々しい記憶が人々に心にとどまっているうちに放映すれば、人々の関心を引きつけられるとでも思ったのか。
それはいいとして、つまらない映画だと思った。
最後はどうなるのか? という関心だけで見続けてしまったけれど、時間の無駄だった。
ここ10年ぐらいか、ハリウッド映画では新手の “人類滅亡物語” がやたら多く作られている。
2007年の 『アイ・アム・レジェンド』
2008年の 『地球が静止する日』
2009年の 『ノウィング』
2010年の 『ザ・ロード』 ……
人類滅亡の原因は、細菌だったり、宇宙人だったりとかいろいろだけど、繰り返し繰り返し描かれるのは、荒涼とした瓦礫の世界とバイオレンス。
そういう映画を全部見たわけではないけれど、基本的には、絶対安全な場所に身を置いている観客が、 「あんな世の中になったら大変ね」 と、安堵しながら映画館を出るという作品になっている。
『ザ・ロード』 は原作を読んだだけだが、まさにバイオレンスの極致というようなストーリーだった。
荒廃した地球上のあっちこっちに、乏しい物資を奪い合う無法者のコミュニティが形成され、その連中に見つかったヨソ者は惨殺されて “食料” にされてしまうだけ。
いよいよ食べるものが無くなると、今度は同じコミュニティの弱者から食料にされてしまう。
『ザ・ウォーカー』 という映画でも、人肉食を匂わせるエピソードが出てくる。
そこには、
「人間は生き延びるためには、同胞の肉すら食う動物なのだ」
という冷酷な “哲学” が信じられているようでもある。
なぜ、アメリカ人たちは、こういう冷徹なストーリーを好むのか?
たぶん、キリスト教の教義が影を落としているのだろう。
つまり、 「人間はもともと罪深い存在なのだ」 という……。
「だから、神に帰依して、罪を免じてもらわなければならない」
最近のハリウッド映画の人類滅亡ものは、新手の布教活動なのかもしれないとすら思う。
つまり、 「最後の審判」 というビジョンは、相変わらず欧米人の精神構造に深く染み込んでいるということが分かる。
現に、 『ザ・ウォーカー』 は (ネタバレごめん!…だが) 、聖書が重要な役割を果たしている。
主人公は、たった1冊の聖書を届けるために、ひたすら広大なアメリカの原野を歩いていく。
ただただ 「西」 に向かって。
どこの誰に、その聖書を届けるのか?
何のために届けるのか?
それは主人公にも分かっていない。
ただ、神が 「それがお前の使命だ」 と心にささやいたのだという。
人もクルマも通らない原野を、彼はずっと歩き続ける。
だから 『ザ・ウォーカー』 なのだ。
そして、いくたの危機を乗り越え、彼はその使命を果たす。
めでたし…、めだたし…。
だけど、腑に落ちない。
神は、その一冊の聖書を目的地に届けさせるために、その主人公が何人もの人間を殺していくのを、黙って容認するのか?
この主人公。
銃を撃てば100発100中。
山刀を奮えば、バッタバッタと死体の山。
それでいて、至近距離から銃で撃たれても、生き延びてしまうのだ。
この男には “神の加護” による不死身の生が与えられているから、他人の死には無頓着だといわんばかりに。
そういう人間が、 「人類の文明の復興」 を託されるという設定が、なんかうすら寒い。
不思議だ。
キリスト教の神さまって、そういう神さまだったの?
キリストって、 「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」 と言った人ではなかったの?
どうも、この映画を作った人たちは、そこから間違っていたようにも思う。
この映画には、 “人間” がいない。
神と、聖書の教えをすでに知らない “無知な動物たち” がいるだけ。
なぜなら、大規模戦争が終わったあと、人類は戦争を起こさせた原因が聖書にあったとして、残存するあらゆる聖書を焼き尽くしたことになっているからだ。
だから、 “正しい教え” はこの世から姿を消し、残った人類の心は荒廃し、すでに聖書すら知らない若者がたくさん生まれているという話になっている。
そういう設定にリアリティがあるとはまったく思えないが、逆にいうと 「聖書がなければ人心は荒廃する」 という制作者たちの思い込みで作られた映画であるということが、そこに露呈している。
同じ核戦争による人類の滅亡を描いた 『渚にて』 (1959年) では、 「人間はなんてバカなことをしてしまったのだ…」 という嘆きは語られるが、そこに神の意思を認める志向はなかった。
あくまでも、人間の犯した過ちに、人間が自ら責任を取らなければならないという覚悟がほの見えていた。
そこが大きな違いだ。
だから 『渚にて』 は、人間の愚かさと人間の崇高さを同時に描いた、無類の反戦映画となりえた。
しかし、 『ザ・ウォーカー』 には、 「人間の反省」 という視点は出てこない。
タフな肉体と精神に恵まれた、信仰の厚い者だけが結局生き延びるという話。
ハリウッドの娯楽映画は、あきらかに後退している。
2011年04月02日
島尾敏雄・贋学生
今回の東日本大地震が起こる直前にアップしようと思っていたブログ原稿がある。
しかし、あの大震災の直後、その原稿を公表する気にはとてもならなかった。
「それどころじゃないだろう」
と自分は思ったのだ。
しかし、先ほどちょっと読み返してみて、妙に今の状況を語っているような気もした。
公表していいのかどうか、いまだ迷っているけれど、とりあえず、書いたときの原文をそのまま載せてみる。
…………………………………………………………………………………
いちばん危機が迫った社会というのは、一見、平和な相貌をしている。
大地は豊かな恵みを人間に与え、物資は潤沢に整い、時間はのんびりと流れ、人々の声は明るい。
ちょうど、太平洋戦争直前の日本がそうだった。
今のわれわれは、あの戦争の悲惨な結末を知っている。
だから、戦争が近づいてきたことに対し、多くの人々が不安な思いに駆られていたと思い込みがちになる。
だが、必ずしもそうではない。
戦争は、平和な相貌に彩られた社会の中で、ひっそりと身を隠してネズミに近づく猫のように、静かに迫っていたのだ。
「危機」 とは、およそそのようなものだ。
最近、島尾敏雄の書いた 『贋学生』 (講談社文芸文庫) という小説を読んでいて、ふとそんなことを考えた。
昭和25年に発表された小説である。
著者が昭和11年頃に通っていた長崎高商時代の思い出を核とした物語で、前半は、授業をサボって、友人2人と諌早、長崎、島原、雲仙などを旅行したときの “思い出話” という体裁を取っている。

主人公の 「私」 は、友人たちと長崎の海の夕凪を楽しみ、町の食堂でオムレツに舌鼓を打ち、旅館の仲居さんの色っぽい仕草にどぎまぎする。
描かれる情景は、どれも古き良き時代の日本の風情をしっとりとたたえ、出会う人たちはみな人情味に溢れ、主人公たちは、旅の楽しい思い出を次々と蓄積していく。
しかし、文学者としての島尾敏雄の感性は、そのような平和な日本に、夕暮れの影のように忍び寄る戦争の気配を見逃してはいない。
市民の生き方や思想傾向をチェックする “移動警察 (特高) ” の刑事が、電車の中で自分たちを見張っているのではないかと怯え、戦争の気配を察して退去した外国人が置き去りにした犬が、野良犬として哀れな姿をさらしていることに、やりきれなさを感じたりする。
が、それは、必ずしも、 「明確な不安」 という形をとっていない。
旅行から帰ってきた主人公は、校庭で、三八式歩兵銃を担いで軍事訓練に励むが、それは 「気持ちの良い汗をかく戦争ごっこ」 でしかない。
軍事訓練が終わると、学生たちは街に出て、映画館や喫茶店に寄り、カフェやおでん屋で雑談にふける。
確実に近づいてくる戦争は、ここでは、夏の終わりに、かすかに漂う秋の気配として感知されるだけなのだ。
色づいていた秋の木々が、いつの間にか葉を落としていたことに気づいた時の、いわれのない不安。そのような、微妙な 「空気の変化」 としてのみ描かれるに過ぎない。
だから、そのような 「日常生活の中に見え隠れする不安」 は、一見すると、学生という中途半端な身分を生きている 「私」 の不安定さから来るものであり、思春期特有の過剰な自意識の産物であるとも取れる。
本当は、この話を小説としてまとめた時の島尾敏雄は、特攻魚雷艇の指揮官として出撃命令を待っていた人間であり、死を覚悟した人間の心の揺れ動きを見つめる体験を持っている。
だから、彼は、戦争が忍び寄る時代の 「危機」 を、いくらでもそれらしい言葉で表現することができたはずなのだ。
しかし、この小説は、そういう言葉では語られなかった。
そこに、私は逆に、戦争が忍び寄ってくる時代の 「空気」 というものを教えてもらったように思う。
平和な日常の中に漂う、漠たる不安。
それを、島尾敏雄は、友人の一人である 「木乃」 という学生から受ける “言葉にならない違和感” を通して表現する。
木乃は、知らないうちに主人公に近づいてきた同じ学校の学生である。
彼は、およそ、 「知的なもの」 を感じさせない男でありながら、主人公たちが持ち合わせていない 「世間知」 を身につけた人間である。
主人公は、木乃を好きになれない。
本能的に、自分たちとは別人種だと感じる。
最初に会った時の木乃の印象は、
「紺のユカタを、歌舞伎の女形のように、胸元まできっちりと合わせ、人間というより、紫のかたまりが、ぼうっと入ってきた」
というもので、すでに人間から逸脱した何かを感じさせる存在として描かれている。
「いやなヤツだ。この人とはつき合うべきではない」
主人公の 「私」 は、そう直感する。
しかし、いつの間にか、私生活のすべてが木乃のペースで進むようになり、彼の巧妙なウソ …ということは後で分かるのだが、そのウソに巻き込まれて、最後は主人の友人や、実の父親や妹まで、奇妙な体験を重ねるようになる。
だが、ウソをつきまくって、周りの人々を狂奔させる木乃の目的が、果たして何であったのか、それは最後まで 「謎」 のまま残される。
彼は天性の詐欺師であったが、その詐欺行為には “営利” の匂いはまったくないのだ。
この木乃という男が、実は贋 (にせ) 学生であることが最後に明かされるのだが、そのことによるストーリー的な面白さよりも、むしろ、その木乃の身辺から流れ出てくる存在論的な不安感そのものが、何よりも、ここでは 「忍び寄る戦争の影」 そのものではなかったのか。
戦争が近づいてきているというのに、あくまでも平和に見える社会の言いようのないグロテスクさ。
その気持ち悪さを、島尾敏雄は、木乃という贋学生のグロテスクさと重ね合わせたのではなかったのか。

もちろん、木乃は、近づく戦争の 「寓意」 ではない。
「暗示」 でもなければ 「比喩」 でもない。
しかし、時代の空気に、どこか 「グロテスクな匂い」 があり、そこには木乃という男が発散する体臭と同質のものがある。
たぶん、そういう形でしか、著者はあの時代を描けなかったのだ。

今の “平和な時代” に、どのような危機が紛れ込んでいるのか、それは誰にも分からない。
しかし、これだけ 「平和」 なのに、誰もがそれに安住せず、常に漠たる不安を感じて生きているということは、なんらかのカタストロフ (悲劇的な結末) が迫っていることを示唆しているのではないか。
島尾敏雄の 『贋学生』 をのどかなカフェに座って読みながら、ふと青空を見たりしたときに、そんなことを考える。
…………………………………………………………………………………
これを書いたのは、3月に入ってしばらく経った頃だから、数日後に、世の中が激変する事態になろうとは夢にも思っていなかった。
しかし、 「カタストロフ」 という言葉を自分で使っていたのが妙に引っかかる。
もちろん、大地震のような自然災害をこのときはまったく意識していなかった。
ただ、漠たる不安があった。
一見平和に見える世の中に、こっそりヒタヒタと忍び寄る “危機” 。
実は、多くの日本人はそれを予感していたのではないかと、今になって思う。
だから、天地が動転するような未曽有の混乱の中でも、日本人は諸外国が驚嘆するような冷静さを身につけていられたのかもしれない。
太平洋戦争が勃発する前の日本は、ある意味で、今と同じような擬似的な 「平和」 があった。
しかし、それが “グロテスク” な平和だったことを、島尾敏雄は見抜いていた。
大震災が起こる前の日本の “平和” も、そのときと同じような臭いを放っていたのかもしれない。
ただ、それを言葉にする力を誰も持っていなかった。
今ようやくその “言葉” を、誰もが発見したのかもしれない。
しかし、あの大震災の直後、その原稿を公表する気にはとてもならなかった。
「それどころじゃないだろう」
と自分は思ったのだ。
しかし、先ほどちょっと読み返してみて、妙に今の状況を語っているような気もした。
公表していいのかどうか、いまだ迷っているけれど、とりあえず、書いたときの原文をそのまま載せてみる。
…………………………………………………………………………………
いちばん危機が迫った社会というのは、一見、平和な相貌をしている。
大地は豊かな恵みを人間に与え、物資は潤沢に整い、時間はのんびりと流れ、人々の声は明るい。
ちょうど、太平洋戦争直前の日本がそうだった。
今のわれわれは、あの戦争の悲惨な結末を知っている。
だから、戦争が近づいてきたことに対し、多くの人々が不安な思いに駆られていたと思い込みがちになる。
だが、必ずしもそうではない。
戦争は、平和な相貌に彩られた社会の中で、ひっそりと身を隠してネズミに近づく猫のように、静かに迫っていたのだ。
「危機」 とは、およそそのようなものだ。
最近、島尾敏雄の書いた 『贋学生』 (講談社文芸文庫) という小説を読んでいて、ふとそんなことを考えた。
昭和25年に発表された小説である。
著者が昭和11年頃に通っていた長崎高商時代の思い出を核とした物語で、前半は、授業をサボって、友人2人と諌早、長崎、島原、雲仙などを旅行したときの “思い出話” という体裁を取っている。
主人公の 「私」 は、友人たちと長崎の海の夕凪を楽しみ、町の食堂でオムレツに舌鼓を打ち、旅館の仲居さんの色っぽい仕草にどぎまぎする。
描かれる情景は、どれも古き良き時代の日本の風情をしっとりとたたえ、出会う人たちはみな人情味に溢れ、主人公たちは、旅の楽しい思い出を次々と蓄積していく。
しかし、文学者としての島尾敏雄の感性は、そのような平和な日本に、夕暮れの影のように忍び寄る戦争の気配を見逃してはいない。
市民の生き方や思想傾向をチェックする “移動警察 (特高) ” の刑事が、電車の中で自分たちを見張っているのではないかと怯え、戦争の気配を察して退去した外国人が置き去りにした犬が、野良犬として哀れな姿をさらしていることに、やりきれなさを感じたりする。
が、それは、必ずしも、 「明確な不安」 という形をとっていない。
旅行から帰ってきた主人公は、校庭で、三八式歩兵銃を担いで軍事訓練に励むが、それは 「気持ちの良い汗をかく戦争ごっこ」 でしかない。
軍事訓練が終わると、学生たちは街に出て、映画館や喫茶店に寄り、カフェやおでん屋で雑談にふける。
確実に近づいてくる戦争は、ここでは、夏の終わりに、かすかに漂う秋の気配として感知されるだけなのだ。
色づいていた秋の木々が、いつの間にか葉を落としていたことに気づいた時の、いわれのない不安。そのような、微妙な 「空気の変化」 としてのみ描かれるに過ぎない。
だから、そのような 「日常生活の中に見え隠れする不安」 は、一見すると、学生という中途半端な身分を生きている 「私」 の不安定さから来るものであり、思春期特有の過剰な自意識の産物であるとも取れる。
本当は、この話を小説としてまとめた時の島尾敏雄は、特攻魚雷艇の指揮官として出撃命令を待っていた人間であり、死を覚悟した人間の心の揺れ動きを見つめる体験を持っている。
だから、彼は、戦争が忍び寄る時代の 「危機」 を、いくらでもそれらしい言葉で表現することができたはずなのだ。
しかし、この小説は、そういう言葉では語られなかった。
そこに、私は逆に、戦争が忍び寄ってくる時代の 「空気」 というものを教えてもらったように思う。
平和な日常の中に漂う、漠たる不安。
それを、島尾敏雄は、友人の一人である 「木乃」 という学生から受ける “言葉にならない違和感” を通して表現する。
木乃は、知らないうちに主人公に近づいてきた同じ学校の学生である。
彼は、およそ、 「知的なもの」 を感じさせない男でありながら、主人公たちが持ち合わせていない 「世間知」 を身につけた人間である。
主人公は、木乃を好きになれない。
本能的に、自分たちとは別人種だと感じる。
最初に会った時の木乃の印象は、
「紺のユカタを、歌舞伎の女形のように、胸元まできっちりと合わせ、人間というより、紫のかたまりが、ぼうっと入ってきた」
というもので、すでに人間から逸脱した何かを感じさせる存在として描かれている。
「いやなヤツだ。この人とはつき合うべきではない」
主人公の 「私」 は、そう直感する。
しかし、いつの間にか、私生活のすべてが木乃のペースで進むようになり、彼の巧妙なウソ …ということは後で分かるのだが、そのウソに巻き込まれて、最後は主人の友人や、実の父親や妹まで、奇妙な体験を重ねるようになる。
だが、ウソをつきまくって、周りの人々を狂奔させる木乃の目的が、果たして何であったのか、それは最後まで 「謎」 のまま残される。
彼は天性の詐欺師であったが、その詐欺行為には “営利” の匂いはまったくないのだ。
この木乃という男が、実は贋 (にせ) 学生であることが最後に明かされるのだが、そのことによるストーリー的な面白さよりも、むしろ、その木乃の身辺から流れ出てくる存在論的な不安感そのものが、何よりも、ここでは 「忍び寄る戦争の影」 そのものではなかったのか。
戦争が近づいてきているというのに、あくまでも平和に見える社会の言いようのないグロテスクさ。
その気持ち悪さを、島尾敏雄は、木乃という贋学生のグロテスクさと重ね合わせたのではなかったのか。

もちろん、木乃は、近づく戦争の 「寓意」 ではない。
「暗示」 でもなければ 「比喩」 でもない。
しかし、時代の空気に、どこか 「グロテスクな匂い」 があり、そこには木乃という男が発散する体臭と同質のものがある。
たぶん、そういう形でしか、著者はあの時代を描けなかったのだ。
今の “平和な時代” に、どのような危機が紛れ込んでいるのか、それは誰にも分からない。
しかし、これだけ 「平和」 なのに、誰もがそれに安住せず、常に漠たる不安を感じて生きているということは、なんらかのカタストロフ (悲劇的な結末) が迫っていることを示唆しているのではないか。
島尾敏雄の 『贋学生』 をのどかなカフェに座って読みながら、ふと青空を見たりしたときに、そんなことを考える。
…………………………………………………………………………………
これを書いたのは、3月に入ってしばらく経った頃だから、数日後に、世の中が激変する事態になろうとは夢にも思っていなかった。
しかし、 「カタストロフ」 という言葉を自分で使っていたのが妙に引っかかる。
もちろん、大地震のような自然災害をこのときはまったく意識していなかった。
ただ、漠たる不安があった。
一見平和に見える世の中に、こっそりヒタヒタと忍び寄る “危機” 。
実は、多くの日本人はそれを予感していたのではないかと、今になって思う。
だから、天地が動転するような未曽有の混乱の中でも、日本人は諸外国が驚嘆するような冷静さを身につけていられたのかもしれない。
太平洋戦争が勃発する前の日本は、ある意味で、今と同じような擬似的な 「平和」 があった。
しかし、それが “グロテスク” な平和だったことを、島尾敏雄は見抜いていた。
大震災が起こる前の日本の “平和” も、そのときと同じような臭いを放っていたのかもしれない。
ただ、それを言葉にする力を誰も持っていなかった。
今ようやくその “言葉” を、誰もが発見したのかもしれない。
2011年03月31日
日本人は変わるか

東北・関東大震災が起こってから、ほぼ3週間。
震災被害地のレポートを続けていたテレビも、福島県の原発事故の状況解説と、日本経済の行く末の解析などに軸足が移り始めている。
テレビのニュースを見ていると、現に、パーツの供給ができなくなって、商品生産が難しくなった工場がたくさん出てきたなどという報道が多くなった。
たぶん、これから多くの日本人にとって、自分の生活基盤に対する不安がきっと大きな問題になっていくだろう。
一方、テレビと違って週刊誌は、編集 → 印刷 → 流通という手間がかかる分、発売されるまでにタイムラグがあって、今、ようやく震災の生々しい状況を伝える記事が満載されるようになった。
それらの報道記事と一緒に、レギュラー執筆陣たちのエッセイ、コラムでは書き手が今回の震災で何を感じ、何を考えたかを伝え始めようとしている。
それらを読む限り、やっぱり、何かが変わってきたように思う。
『AERA』 では、連載を続けてきた演出家の野田秀樹が、同誌の 「放射能がくる」 という特集内容が 「風評被害を拡大する無責任な企画である」 と批判し、エッセイの連載を自ら打ち切った。
そして、その批判内容を、 『AERA』 の方も連載最後の記事として堂々と掲載した。
やっぱり、何かが変わってきている。
批判、中傷、非難なども含め、メディアに飛び交う言論の中で、どこに “真実” があるのか、それをどう発見すればいいのか。
そういったことを、原点に立ち戻って、もう一回考え直そうという空気みたいなものが生まれてきたような気がする。
雑誌などにコラムを寄せるレギュラー執筆陣の原稿を読んでもそう感じるし、ブログなどに自分の身辺雑記のようなものを綴っていたアマチュアの人たちが書くものを読んでも、同様に感じる。
戦争以外で1万人以上の犠牲者を出し、現代文明の象徴であった原子力発電所をもあっけなく崩壊させた今回の震災に見舞われ、さらに計画停電で光のない生活を経験した多くの人が、自分の生き方を問い直すことを迫られている。
大げさにいえば、そんな感じ。
その問い直しの “網目” をろ過された言葉でなければ、誰にも信用されない。
何かを発言する場合でも、変わった意見を述べて人に認められたいとか、目立ちたいとかいうパフォーマンスが通じなくなった、と言い換えてもいいかもしれない。
プロ、アマ問わず、文章を書いて誰かに読んでもらいたいと思っている人たちには共通して、そのような気持ちがあるように思うのだ。
「一過性のものだよ」
という人もいるかもしれない。
「衝撃が大きいからみな動揺しているだけで、そのうち日常性が復活すれば、みな元の精神状態に戻る」
そういう意見も、聞こえてきそうな気がする。
そうかもしれない、とも思う。
しかし、違うようにも思う。
少なくとも、今の自分は違う。
実は、私のブログというのは、その日その日ネタを見つけて書いているわけではなかった。
ブログなど書く時間もなくなる忙しい時期が来ることを考慮して、時間のあるときに書き貯めておいたものを小出しにアップしていたに過ぎない。だから、3月11日の震災に見舞われる前に、準備していたいくつもの原稿があった。
ところが、それをもうアップする気が起こらない。
あれだけの震災に直面してしまうと、それまでに書いていたものの大半が、もう人の心に届かない原稿になってしまったように思うのだ。
逆に、人の書いたもので、 「心に届かない」 記事を多く発見してしまう。
今までは、そんなふうに他人の文章を読んだことがなかったのに、あれ以来、人の文章を読む基準も変わってしまったような気がする。
何も、今回の地震や原発事故に関して、
「自分の感想や意見を述べていないとダメだ」
と言いたいのではない。
テーマなどはどうでもいい。
「人の心に届く言葉を書いているか?」
ただ、そのことだけに関心が向かっている。
つまり、 “普遍性” を獲得しているか?
ということなのだ。
人々の個別な生活感や信条を超えて、どんな人間にも等しく届く言葉を持っているかどうか。
今、プロの物書きに問われているのは、そのことだという気がする。
文体なんて、“おちゃらけ” であってもかまわない。
書いている内容が、不謹慎であってもかまわない。
そういうことではなく、 “考える態度” の真剣さ。自分を見つめ直す視線の厳しさ。
それが、問われているように思う。
それに関しては、普通の人々の方が敏感だ。
今回の震災を通じて、被災を免れた人たちの多くが、被災された方々に対し、
「自分には何ができるのだろうか?」
と自分自身に問うている様子が、いろいろなところから伝わってくる。
自分自身への問いかけ。
これはたいへん重要なことだと思う。
今まで “空気を読み” 、人の意見に逆らわず、周りから “浮いている” と非難されることを恐れて自分の意見を抑えていた人たちが、ようやく 「自分に何ができるか?」 を問うようになったのだ。
「誰か」 に対して、 「自分は何ができるか?」 と問うことは、そこに、自分以外の 「誰か」 、つまり 「他者」 を見出したことを意味する。
つまり、地震や津波で被災されたり、原発事故の危機に見舞われている人たちの苦しい生活を “わが事のように” 感じ、その人たちに対して、「今の自分は無力だ」 と考える人たちが出てきたことを意味する。
そのような認識の変化は、ともすればわが国にも蔓延しそうになっていた、
「自分さえ幸せならば、他人はどうなってもいい」
という風潮を押し流すものになるのではなかろうか。
多くの人たちが、今こう言っている。
「自分は被災していないが、被災地の方々の生活を思うと、胸が痛む」
自分には、何もできないが、でも、なんとかしてあげなければいけない人たちがいる。
そういう気持ちが生まれるところから 「他者の発見」 が始まるように思う。
そして、 「他者」 を見出したときに、 “普遍” に至る道が開けるように思う。
2011年03月26日
渚にて
巷に流れる 「放射能汚染」 の話を聞くたびに、思い出す映画がある。
アメリカ映画の 『渚にて』 ( On the beach ) だ。
1959年にスタンリー・クレイマー監督が撮った (当時の) 近未来SF映画で、まさに地球規模の “放射能汚染” がテーマになっている。

1964年に勃発した (…ことになっている) 「第三次世界大戦」 の核被害によって、北半球の人類は滅亡。
南半球は、直接の被爆をまぬがれたが、死の灰が南半球まで及んでくるのは時間の問題という、せっぱ詰まった状況に置かれたオーストラリアが、この映画の舞台となる。
核爆発の時に、たまたま深海に潜っていたアメリカ海軍の潜水艦が1隻だけ助かり、死の灰を逃れて、オーストラリアの軍港にたどり着く。
ストーリーは、その潜水艦の艦長であるグレゴリー・ペックと、彼がパーティで知り合った地元のオールドミス (エバ・ガードナー) との淡くて短い恋愛を軸に、 “ゆるやか” に展開する。
それに絡んで、オーストラリア海軍の若い将校夫婦や、核開発にも関わったことのある科学者たちのサブストーリーが散りばめられていく。

もともとは、ネビル・シュートの小説を映画化したもので、分類でいうと、核戦争後の地球を描いたSFものということになるのだが、地球滅亡ものでおなじみの、大げさなパニックシーンを見せる映画ではない。
むしろ、地味だ。
だから、核戦争の非情さが、逆に浮かび上がってくる。
このあたりは、原作の静謐なタッチを、映画もよく踏襲している。
南半球で暮らす人々にも、もう残された月日は、あと5ヶ月。
オーストラリアの科学者たちが立てる希望的観測は、ひとつひとつ打ち砕かれていく。
迫り来る核汚染を防ぐ手立てがすべて失われてしまったことに、オーストラリアの人々も気づき始める。
身近に迫る死の恐怖に、自暴自棄になる人々も出てくる。
しかし、一方で、残された最後の時間を、せいっぱい “人間らしく生きよう” と決意し直す人もいる。
世界の滅亡が秒読みになったとき、人々は無秩序な暴徒と化するのか、それとも、生きている限りは人間の尊厳を保ち、秩序正しい社会を維持しようとするのか。
この映画は、人類が直面する究極の問いかけを投げかけているようにも思える。
画面では、死を覚悟したオーストラリア国民が、パニックに陥ることなく、休日には渓谷のマス釣りを楽しみ、海岸で海水浴をして、自動車レースを楽しもうとする情景が描かれる。
豊かな緑に囲まれた牧場。
帆に風をはらんで海原を駆けるヨット。
家族や仲間で楽しむ川原のバーベキュー。
それがこんなに美しく、いとおしいものだとは !!
観客は、いつしか 「滅亡する人類」 の視点で風景を見つめていることに気づく。
驚くべきことは、その 「ありふれた平和な風景」 の描き方なのだ。
単に、「美しい風景」 や 「優しい風景」 というのであれば、撮影機器や画像処理のテクニックが進歩した現代映画の方が、優れた風景を再現できるはずだ。
ただ、そこに 「かけがえのない…」 という哀切感を盛り込むことができるかどうか。
平和な日常生活がいかに貴重であるかを訴える映像は、CGのテクニックをいかに研ぎ澄ましたところで、実現できるものではない。
それは、「ありふれた生活」 を一瞬のうちに崩壊させてしまう、戦争のむごたらしさを経験した人間の視線からしか生まれてこない。
1950年代は、まだ第二次大戦の惨禍が、人々の胸に強烈な印象として残っていた時代だったのだ。
逆にいえば、戦争がもたらした悲しみと苦しみをリアルな体験として持っていた人たちがいたからこそ、作れた映画だったのだ。
ラストシーンでは、再びアメリカ兵たちが潜水艦に乗り込み、故郷のアメリカ大陸に帰るところが描かれる。
すでに、北半球に 「アメリカ」 という国はない。
あるのは、高層ビルが墓石のように取り残された、無人の大地でしかない。
それでも、彼らは、「どうせ死ぬなら、最後は故郷で眠りたい」 と、人影の絶えた北米大陸に戻っていく。

映画の中では、オーストラリアの国民歌謡 「ワルチング・マチルダ」 (↓) が効果的に使われる。
フォークダンスの伴奏曲のような明るく陽気な曲で、映画のテーマ曲でもあり、また人々が野外パーティを楽しむときの合唱歌としても使われる。
無邪気な明るさを湛えた曲調が、映画のテーマとは合わない。
しかし、その陽気なメロディが、途中から涙が出そうなくらい悲しく響いてくる。
同じ曲でも、それを歌なしで演奏すると、レクイエムの響きを持つのだ。
オーストラリアの港を発ったアメリカの潜水艦は、そのレクイエムに送られて、深海へと潜航を開始する。
静かな終わり方に、反戦への祈りと、戦争によって失われたあらゆるものへの追悼が込められているように思う。

戦争と、自然災害を一緒に語ることはできない。
しかし、今回の東日本大震災のことを思うと、それまで気にもとめていなかった 「ありふれた平和な生活」 が、いかにかけがえのない大切なものであったかということが、よく実感できる。
人間にとって、「核」 というものは、本当に必要なものなのか。
「核の平和利用」 という美名のもとに、私たちは何かを見過ごしてきたのではなかったか。
原子力発電抜きには、もう世界の産業構造を維持することはできないという意見は多いが、それは 「絶対的な安全」 が保証される範囲内の議論に過ぎない。
そのような産業構造そのものが、すべてのエネルギー源が “有限である” という認識を共有しなければならない21世紀的な思想と合致するのかどうか。
化石燃料を燃やして発電する火力発電が時代の趨勢と合わないのは確かなことだが、原子力発電の基盤となるウラン235もまた同様に、資源としては有限なのだ。データによると、ウランの可採年数も、たかだか100年といわれている。
原子力発電の絶対的な安全基準が確立される前に、ウランの採掘が困難になることもありうるかもしれない。
そして、それ以前に、人類の多くが放射能汚染にさらされるような重大事故が起きる可能性は、これで皆無とはいえなくなった。
映画 『渚にて』 が問いかけたテーマは重い。
アメリカ映画の 『渚にて』 ( On the beach ) だ。
1959年にスタンリー・クレイマー監督が撮った (当時の) 近未来SF映画で、まさに地球規模の “放射能汚染” がテーマになっている。
1964年に勃発した (…ことになっている) 「第三次世界大戦」 の核被害によって、北半球の人類は滅亡。
南半球は、直接の被爆をまぬがれたが、死の灰が南半球まで及んでくるのは時間の問題という、せっぱ詰まった状況に置かれたオーストラリアが、この映画の舞台となる。
核爆発の時に、たまたま深海に潜っていたアメリカ海軍の潜水艦が1隻だけ助かり、死の灰を逃れて、オーストラリアの軍港にたどり着く。
ストーリーは、その潜水艦の艦長であるグレゴリー・ペックと、彼がパーティで知り合った地元のオールドミス (エバ・ガードナー) との淡くて短い恋愛を軸に、 “ゆるやか” に展開する。
それに絡んで、オーストラリア海軍の若い将校夫婦や、核開発にも関わったことのある科学者たちのサブストーリーが散りばめられていく。

もともとは、ネビル・シュートの小説を映画化したもので、分類でいうと、核戦争後の地球を描いたSFものということになるのだが、地球滅亡ものでおなじみの、大げさなパニックシーンを見せる映画ではない。
むしろ、地味だ。
だから、核戦争の非情さが、逆に浮かび上がってくる。
このあたりは、原作の静謐なタッチを、映画もよく踏襲している。
南半球で暮らす人々にも、もう残された月日は、あと5ヶ月。
オーストラリアの科学者たちが立てる希望的観測は、ひとつひとつ打ち砕かれていく。
迫り来る核汚染を防ぐ手立てがすべて失われてしまったことに、オーストラリアの人々も気づき始める。
身近に迫る死の恐怖に、自暴自棄になる人々も出てくる。
しかし、一方で、残された最後の時間を、せいっぱい “人間らしく生きよう” と決意し直す人もいる。
世界の滅亡が秒読みになったとき、人々は無秩序な暴徒と化するのか、それとも、生きている限りは人間の尊厳を保ち、秩序正しい社会を維持しようとするのか。
この映画は、人類が直面する究極の問いかけを投げかけているようにも思える。
画面では、死を覚悟したオーストラリア国民が、パニックに陥ることなく、休日には渓谷のマス釣りを楽しみ、海岸で海水浴をして、自動車レースを楽しもうとする情景が描かれる。
豊かな緑に囲まれた牧場。
帆に風をはらんで海原を駆けるヨット。
家族や仲間で楽しむ川原のバーベキュー。
それがこんなに美しく、いとおしいものだとは !!
観客は、いつしか 「滅亡する人類」 の視点で風景を見つめていることに気づく。
驚くべきことは、その 「ありふれた平和な風景」 の描き方なのだ。
単に、「美しい風景」 や 「優しい風景」 というのであれば、撮影機器や画像処理のテクニックが進歩した現代映画の方が、優れた風景を再現できるはずだ。
ただ、そこに 「かけがえのない…」 という哀切感を盛り込むことができるかどうか。
平和な日常生活がいかに貴重であるかを訴える映像は、CGのテクニックをいかに研ぎ澄ましたところで、実現できるものではない。
それは、「ありふれた生活」 を一瞬のうちに崩壊させてしまう、戦争のむごたらしさを経験した人間の視線からしか生まれてこない。
1950年代は、まだ第二次大戦の惨禍が、人々の胸に強烈な印象として残っていた時代だったのだ。
逆にいえば、戦争がもたらした悲しみと苦しみをリアルな体験として持っていた人たちがいたからこそ、作れた映画だったのだ。
ラストシーンでは、再びアメリカ兵たちが潜水艦に乗り込み、故郷のアメリカ大陸に帰るところが描かれる。
すでに、北半球に 「アメリカ」 という国はない。
あるのは、高層ビルが墓石のように取り残された、無人の大地でしかない。
それでも、彼らは、「どうせ死ぬなら、最後は故郷で眠りたい」 と、人影の絶えた北米大陸に戻っていく。

映画の中では、オーストラリアの国民歌謡 「ワルチング・マチルダ」 (↓) が効果的に使われる。
フォークダンスの伴奏曲のような明るく陽気な曲で、映画のテーマ曲でもあり、また人々が野外パーティを楽しむときの合唱歌としても使われる。
無邪気な明るさを湛えた曲調が、映画のテーマとは合わない。
しかし、その陽気なメロディが、途中から涙が出そうなくらい悲しく響いてくる。
同じ曲でも、それを歌なしで演奏すると、レクイエムの響きを持つのだ。
オーストラリアの港を発ったアメリカの潜水艦は、そのレクイエムに送られて、深海へと潜航を開始する。
静かな終わり方に、反戦への祈りと、戦争によって失われたあらゆるものへの追悼が込められているように思う。

戦争と、自然災害を一緒に語ることはできない。
しかし、今回の東日本大震災のことを思うと、それまで気にもとめていなかった 「ありふれた平和な生活」 が、いかにかけがえのない大切なものであったかということが、よく実感できる。
人間にとって、「核」 というものは、本当に必要なものなのか。
「核の平和利用」 という美名のもとに、私たちは何かを見過ごしてきたのではなかったか。
原子力発電抜きには、もう世界の産業構造を維持することはできないという意見は多いが、それは 「絶対的な安全」 が保証される範囲内の議論に過ぎない。
そのような産業構造そのものが、すべてのエネルギー源が “有限である” という認識を共有しなければならない21世紀的な思想と合致するのかどうか。
化石燃料を燃やして発電する火力発電が時代の趨勢と合わないのは確かなことだが、原子力発電の基盤となるウラン235もまた同様に、資源としては有限なのだ。データによると、ウランの可採年数も、たかだか100年といわれている。
原子力発電の絶対的な安全基準が確立される前に、ウランの採掘が困難になることもありうるかもしれない。
そして、それ以前に、人類の多くが放射能汚染にさらされるような重大事故が起きる可能性は、これで皆無とはいえなくなった。
映画 『渚にて』 が問いかけたテーマは重い。
2011年03月23日
テレビは終わった
残業夜食用に買ってきた弁当を食いながら、テレビのスイッチを入れた。
唖然とした。
夜8時台の番組で、NHK以外、この震災について触れている番組がひとつもない。
大半が、作り置きの…というか、あらかじめ録画撮りしていたバラエティ番組ばかりなのだ。
相も変わらず飽食を煽るようなグルメ番組。
裸のふんどし姿の男性を後ろから撮って、ひな壇の芸人たちが笑い転げる番組。
テレビ局としては、スポンサーのCMを消化しないかぎり、営業がジリ貧になるという思惑があるのかもしれないが、たぶん、テレビは自分で自分の首を絞めたと思う。
これを機に、 「テレビ」 というメディアから離れていく人々が絶対いる。
「テレビは、もう私たちの必要とする情報を流してはくれない」
きっと、そう思い込んだ人が少なからずいるだろう。
いま被災地で、どのようなことが起こっているのか。
どのような風景が広がっているのか。
どんな苦しみを抱えた人たちがいるのか。
それについて答えてくれるテレビ報道は、ほとんどない。
一方で、流通が滞り、部品調達もままならず、工場や事業所を閉鎖する企業もうなぎ登りになっている。
資金繰りがうまくいかず、経営難に陥る中小企業も多数に及ぶだろう。
被災地ではなくとも、計画停電が長引くようになると、産業そのものもズタズタになるだろう。
日本人全体の生活や、日本人の全体の意識が変わるかもしれないというせっぱ詰まった状況のなかで、しかしそのことに思いを巡らしているようなテレビ局はほとんどない。
1995年。
下り坂を歩みながらも、まだバブルの余韻が甘く気怠く残っていた日本を、完全に打ちのめしたのが、あの阪神淡路大震災だった。
あれ以降、日本は完全に変わった。
日本人が誇る高機能なメガ都市と、それを支える最新技術が、もろくも崩れさった現場を見て、日本人は否が応でも、自分たちの信じてきた都市文明やそれに依拠してきた社会的諸集団の危うさを実感した。
それは、その後の景気低迷の重苦しさが垂れ込める時代のプロローグとなった。

おそらく、今回の震災も、日本人の精神構造を大きく変える出来事となるだろう。
ただ、それが、さらなる暗い混迷の時代に日本を引きずり込んでいくのか、それとも、案外これを契機に、被災地の復興と、閉鎖感に窒息しそうなっていた日本人の心の復興が重なっていくのか、それは今は分からない。
だから、被災地の真実を知りたい。
そこに生きる人々が、何を苦しみ、何に希望を見出そうとしているのかを知りたい。
テレビは、それを伝えてくれない。
レポーターを派遣して、被災地のルポを試みたテレビ局はたくさんあった。
しかし、 “報道のプロ” を派遣した局は、 (私が見ているかぎりは) ひとつもない。
報道のプロとは、局のおかかえレポーターやアナウンサーのことをいうのではない。
「現場では、医療品も燃料も乏しく、悲惨な状況が続いています」
などとカメラに向かってしゃべる人が、報道のプロとは限らない。
“悲惨な状況” とは何なのか?
それを、先入観抜きに冷徹に観察し、自分の脳髄でその意味を咀嚼し、自分の言葉で語れる人。
それをひとまず 「報道のプロ」 と言おう。
たぶん、そのような人は、今のテレビ関係者にはいないだろう。
当たり前である。
これまでの思考の枠組みを超えたものに、われわれは遭遇してしまったからだ。
それを語るのは、平和な世の中で有名人のスキャンダルを暴いていたワイドショーのコメンテーターたちの手には余る仕事だ。
ならば、人間の悲劇を専門に扱うような小説家や、常に生死の境をさまよっている戦場カメラマンや、死と生を真剣に考え続ける哲学者をレポーターとして派遣してもいいのではないか。
要は、被災者の気持ちを、自分の心の苦しみとして語れる言葉を持った人たち。
そういう “鍛えられた言葉” を持っている人たちが、この間、どこのテレビにも登場しなかった。
出てきたのは、相変わらずの、とりあえずのレトリックだけは豊富に持っている “しゃべりのプロ” だけ。
多くの日本人が、 “鍛えられた言葉” を語れる人間の声に耳を傾けようとしているときに、さっさとそれを放棄したテレビには、もう明日はないかもしれない。
テレビは終わった。
唖然とした。
夜8時台の番組で、NHK以外、この震災について触れている番組がひとつもない。
大半が、作り置きの…というか、あらかじめ録画撮りしていたバラエティ番組ばかりなのだ。
相も変わらず飽食を煽るようなグルメ番組。
裸のふんどし姿の男性を後ろから撮って、ひな壇の芸人たちが笑い転げる番組。
テレビ局としては、スポンサーのCMを消化しないかぎり、営業がジリ貧になるという思惑があるのかもしれないが、たぶん、テレビは自分で自分の首を絞めたと思う。
これを機に、 「テレビ」 というメディアから離れていく人々が絶対いる。
「テレビは、もう私たちの必要とする情報を流してはくれない」
きっと、そう思い込んだ人が少なからずいるだろう。
いま被災地で、どのようなことが起こっているのか。
どのような風景が広がっているのか。
どんな苦しみを抱えた人たちがいるのか。
それについて答えてくれるテレビ報道は、ほとんどない。
一方で、流通が滞り、部品調達もままならず、工場や事業所を閉鎖する企業もうなぎ登りになっている。
資金繰りがうまくいかず、経営難に陥る中小企業も多数に及ぶだろう。
被災地ではなくとも、計画停電が長引くようになると、産業そのものもズタズタになるだろう。
日本人全体の生活や、日本人の全体の意識が変わるかもしれないというせっぱ詰まった状況のなかで、しかしそのことに思いを巡らしているようなテレビ局はほとんどない。
1995年。
下り坂を歩みながらも、まだバブルの余韻が甘く気怠く残っていた日本を、完全に打ちのめしたのが、あの阪神淡路大震災だった。
あれ以降、日本は完全に変わった。
日本人が誇る高機能なメガ都市と、それを支える最新技術が、もろくも崩れさった現場を見て、日本人は否が応でも、自分たちの信じてきた都市文明やそれに依拠してきた社会的諸集団の危うさを実感した。
それは、その後の景気低迷の重苦しさが垂れ込める時代のプロローグとなった。

おそらく、今回の震災も、日本人の精神構造を大きく変える出来事となるだろう。
ただ、それが、さらなる暗い混迷の時代に日本を引きずり込んでいくのか、それとも、案外これを契機に、被災地の復興と、閉鎖感に窒息しそうなっていた日本人の心の復興が重なっていくのか、それは今は分からない。
だから、被災地の真実を知りたい。
そこに生きる人々が、何を苦しみ、何に希望を見出そうとしているのかを知りたい。
テレビは、それを伝えてくれない。
レポーターを派遣して、被災地のルポを試みたテレビ局はたくさんあった。
しかし、 “報道のプロ” を派遣した局は、 (私が見ているかぎりは) ひとつもない。
報道のプロとは、局のおかかえレポーターやアナウンサーのことをいうのではない。
「現場では、医療品も燃料も乏しく、悲惨な状況が続いています」
などとカメラに向かってしゃべる人が、報道のプロとは限らない。
“悲惨な状況” とは何なのか?
それを、先入観抜きに冷徹に観察し、自分の脳髄でその意味を咀嚼し、自分の言葉で語れる人。
それをひとまず 「報道のプロ」 と言おう。
たぶん、そのような人は、今のテレビ関係者にはいないだろう。
当たり前である。
これまでの思考の枠組みを超えたものに、われわれは遭遇してしまったからだ。
それを語るのは、平和な世の中で有名人のスキャンダルを暴いていたワイドショーのコメンテーターたちの手には余る仕事だ。
ならば、人間の悲劇を専門に扱うような小説家や、常に生死の境をさまよっている戦場カメラマンや、死と生を真剣に考え続ける哲学者をレポーターとして派遣してもいいのではないか。
要は、被災者の気持ちを、自分の心の苦しみとして語れる言葉を持った人たち。
そういう “鍛えられた言葉” を持っている人たちが、この間、どこのテレビにも登場しなかった。
出てきたのは、相変わらずの、とりあえずのレトリックだけは豊富に持っている “しゃべりのプロ” だけ。
多くの日本人が、 “鍛えられた言葉” を語れる人間の声に耳を傾けようとしているときに、さっさとそれを放棄したテレビには、もう明日はないかもしれない。
テレビは終わった。
2011年03月21日
明かりの果ての闇
連休の合間、久しぶりに家に帰った。
終電前だった。
会社から駅に向かう道路が暗い。
節電のために、街路灯も最小限の明かりに絞っているからだ。
クルマの交通量も少なく、歩いている人の姿もまばらだ。
駅構内に入っても、相変わらず明かりが乏しい。
なぜか、それが心地良かった。
今までそういうことに気づかなかった。
「東京の夜」 は、いかに無意味な明かりが多かったか、ということが分かる。

昔、 『全国キャンプ場ガイド』 の編集に携わっていたとき、自分のキャンピングカーで、いろいろなキャンプ場を訪ねた。
途中、夜がふけてから地方都市を横切ることもある。
田舎に行けば行くほど、街の明かりは乏しくなる。
「日本はなんて暗い国だったのか…」
そのときはそう思った。
しかし、しばらく走り回っていて、突然、気づいた。
「これが普通なんだ」
恥ずかしいことに、自分の住んでいる東京の夜が “異常だ” ということを知らなかった。

明かりこそ、都市文明の指標だ。
いつのまにか、そんな誤解が自分の中に助長していたように思う。
隅々までくまなく照らす明かりは、 「影」 の部分をつくらない。
しかし、 「影」 を排除することによって、私たちは何かを失った。
実は、 「影」 の部分があってこそ、現れる世界というものがある。
平安京の昔。
当時、日本最大の街であった京の都ですら、日のかげった建物の影には、鬼や妖怪が跳梁跋扈 (ちょうりょうばっこ) した。
それは、 “近代科学” が生まれていなかったためとは限らない。
むしろ、 「闇への敬意」 が生んだ文化だといっていい。
昭和の世になってからも、それは残った。
蛍光灯が普及するまで、裸電球の貧しい明かりをともした街の店先の奥には、通行人には知りえぬ家主の生活があり、そこでは、様々な悲喜劇が繰り広げられていることを想像させた。
「影」 は、この世には “視界の中に入らない世界” があるということを教える。
その世界を観るには、肉体の眼のほかに、心の眼が必要だということを教える。
しかし、隅々までくまなく照らす明かりに慣れた眼には、もう、肉眼で見えたモノ以外の姿を捉えることができない。

「闇の向こうに、知らない何かがたたずんでいる」 という感覚。
それを失ったときに、世の中はすべて平板で奥行きを失ったものとなり、おのれの目に見えるものしか信じられないという錯覚を生む。
そして、それは、人間の傲慢さの温床となる。
終電前だった。
会社から駅に向かう道路が暗い。
節電のために、街路灯も最小限の明かりに絞っているからだ。
クルマの交通量も少なく、歩いている人の姿もまばらだ。
駅構内に入っても、相変わらず明かりが乏しい。
なぜか、それが心地良かった。
今までそういうことに気づかなかった。
「東京の夜」 は、いかに無意味な明かりが多かったか、ということが分かる。
昔、 『全国キャンプ場ガイド』 の編集に携わっていたとき、自分のキャンピングカーで、いろいろなキャンプ場を訪ねた。
途中、夜がふけてから地方都市を横切ることもある。
田舎に行けば行くほど、街の明かりは乏しくなる。
「日本はなんて暗い国だったのか…」
そのときはそう思った。
しかし、しばらく走り回っていて、突然、気づいた。
「これが普通なんだ」
恥ずかしいことに、自分の住んでいる東京の夜が “異常だ” ということを知らなかった。
明かりこそ、都市文明の指標だ。
いつのまにか、そんな誤解が自分の中に助長していたように思う。
隅々までくまなく照らす明かりは、 「影」 の部分をつくらない。
しかし、 「影」 を排除することによって、私たちは何かを失った。
実は、 「影」 の部分があってこそ、現れる世界というものがある。
平安京の昔。
当時、日本最大の街であった京の都ですら、日のかげった建物の影には、鬼や妖怪が跳梁跋扈 (ちょうりょうばっこ) した。
それは、 “近代科学” が生まれていなかったためとは限らない。
むしろ、 「闇への敬意」 が生んだ文化だといっていい。
昭和の世になってからも、それは残った。
蛍光灯が普及するまで、裸電球の貧しい明かりをともした街の店先の奥には、通行人には知りえぬ家主の生活があり、そこでは、様々な悲喜劇が繰り広げられていることを想像させた。
「影」 は、この世には “視界の中に入らない世界” があるということを教える。
その世界を観るには、肉体の眼のほかに、心の眼が必要だということを教える。
しかし、隅々までくまなく照らす明かりに慣れた眼には、もう、肉眼で見えたモノ以外の姿を捉えることができない。

「闇の向こうに、知らない何かがたたずんでいる」 という感覚。
それを失ったときに、世の中はすべて平板で奥行きを失ったものとなり、おのれの目に見えるものしか信じられないという錯覚を生む。
そして、それは、人間の傲慢さの温床となる。
2011年03月18日
東電を怒る父さん
たまにだけど顔を出す、地元のお寿司屋さんがある。
店にお客がいれば、深夜の2時頃まで営業しているので、この季節、終電ぎりぎりに帰る私には、他の店が閉じてからでも夕食が取れるありがたい店なのだ。

いつもは午前を回ってから顔を出すのだが、この日は珍しく、9時過ぎぐらいにノレンをくぐった。
6人掛けのカウンターのうち、5席が埋まっていた。
そのうちの4席は、中学生ぐらいの兄妹を伴った家族によって占められていた。
真ん中に座った大柄のお父さんが、生ビールのジョッキを傾けながら、握り寿司をバクバク食っている。
食い、かつ大声でよくしゃべる。
「トーデンのバカヤロめ! もううちは電気料なんか払わねぇぞ」
と、店中に響きわたる大声で、お父さんは怒っている。
トーデン。
もちろん、今回の巨大地震による津波で、原子力発電所の事故を起こした、あの 「東電」 だ。
で、このお父さん。
放射能危機を招いた東電の危機管理能力を怒っているのかと思ったら、ちょっと違うようだ。
その東電の原発事故によって、ヨーロッパに行く飛行機が飛ばなくなったことを怒っているらしい。
なんでも家族4人で、楽しみにしていたヨーロッパ旅行に行くまぎわだったという。
それが、今日 (…計画停電のせいなのかよく分からないけれど) 飛行機が飛ばなくなって、旅行をキャンセルせざるを得なくなった。
で、 「腹が立つ!」 と、お父さん、生ビールをうまそうにゴクリ!
そして、左右に座らせた子供たちに、
「お前たち、ホラもっと食わんのか? 今のうちだぞ」
とせき立てる。
今のうち……!?
確かに、東北の漁港が壊滅状態になったので、魚市場でも鮮魚の量が少なくなってきたとは聞いている。
だから、ネタの新鮮な寿司は、これからしばらく食えなくなるかもしれない。
そういう意味で、 「今のうち」 と言ったんだろう。
現に、店主が 「今日はあまり仕入れられなかった」 と告白するガラスケースのネタも、食い盛りの子供たちを抱えたその家族がバクバク食うために、どんどん少なくなっていく。
しかし、文句はいえない。
店主が、その4人家族の注文をこなすのに必死になって握っている様子が、カウンター越しに見えるからだ。
こっちは後から来た身だから、順番は守るつもりでいる。
狙っていたネタが、ガラスケースから消えていくのを見ても、じっと我慢するしかない。
で、このお父さん、時事放談も好きらしい。
「だいたい政府の危機能力がゼロだよ。文化系のバカどもが原発のことも分からずに、トーデンの言いなりになっているから、こういうことになるんだ」
さらに、こうも。
「これで、もう米軍に “帰れ”なんていっている社会党の連中も分かったことだろうな。
結局、日本は米軍にずっと助けられてきたのよ。
今回も災害の復興に力を尽くしているのは、米軍と自衛隊だけだからな」
う~ん……。
まず、今の日本に “社会党” ってあったっけ?
復興に力を尽くしているのは “米軍と自衛隊” だけだっけ?
このお父さんの社会認識はどうなっているのかな?
突っ込みを入れるほどの気力もないし、相手もこの店の常連らしいから、黙ってうなずいて聞くふりをする。
ま、こういうお父さんは、けっこう世にいっぱいいるのかもしれない。
生ビールをごくごく飲んで、寿司をバクバク食って、
「東電のバカヤロ! 政府は無策だ!」
とののしる人々が。
別に、このお父さんの意見が間違っているとも思わない。
ある意味、常識的な意見なのかもしれない。
でも、今回の災害について、自分にはまったく被害の及ばない安全な場所に身を置いて (しかも、美味いもの食いながら) 、正義の代弁者を気取って、誰かを批判するって、ちょっと恥ずかしくねぇ?
ことの当否よりも、そのことがちょっと鼻についた。
それでも、そんな親子が席を立つとき、
「じゃお気をつけて」
と笑顔で挨拶を送る自分が、哀しい。
ま、俺も同類かもしれないけどね。
店にお客がいれば、深夜の2時頃まで営業しているので、この季節、終電ぎりぎりに帰る私には、他の店が閉じてからでも夕食が取れるありがたい店なのだ。
いつもは午前を回ってから顔を出すのだが、この日は珍しく、9時過ぎぐらいにノレンをくぐった。
6人掛けのカウンターのうち、5席が埋まっていた。
そのうちの4席は、中学生ぐらいの兄妹を伴った家族によって占められていた。
真ん中に座った大柄のお父さんが、生ビールのジョッキを傾けながら、握り寿司をバクバク食っている。
食い、かつ大声でよくしゃべる。
「トーデンのバカヤロめ! もううちは電気料なんか払わねぇぞ」
と、店中に響きわたる大声で、お父さんは怒っている。
トーデン。
もちろん、今回の巨大地震による津波で、原子力発電所の事故を起こした、あの 「東電」 だ。
で、このお父さん。
放射能危機を招いた東電の危機管理能力を怒っているのかと思ったら、ちょっと違うようだ。
その東電の原発事故によって、ヨーロッパに行く飛行機が飛ばなくなったことを怒っているらしい。
なんでも家族4人で、楽しみにしていたヨーロッパ旅行に行くまぎわだったという。
それが、今日 (…計画停電のせいなのかよく分からないけれど) 飛行機が飛ばなくなって、旅行をキャンセルせざるを得なくなった。
で、 「腹が立つ!」 と、お父さん、生ビールをうまそうにゴクリ!
そして、左右に座らせた子供たちに、
「お前たち、ホラもっと食わんのか? 今のうちだぞ」
とせき立てる。
今のうち……!?
確かに、東北の漁港が壊滅状態になったので、魚市場でも鮮魚の量が少なくなってきたとは聞いている。
だから、ネタの新鮮な寿司は、これからしばらく食えなくなるかもしれない。
そういう意味で、 「今のうち」 と言ったんだろう。
現に、店主が 「今日はあまり仕入れられなかった」 と告白するガラスケースのネタも、食い盛りの子供たちを抱えたその家族がバクバク食うために、どんどん少なくなっていく。
しかし、文句はいえない。
店主が、その4人家族の注文をこなすのに必死になって握っている様子が、カウンター越しに見えるからだ。
こっちは後から来た身だから、順番は守るつもりでいる。
狙っていたネタが、ガラスケースから消えていくのを見ても、じっと我慢するしかない。
で、このお父さん、時事放談も好きらしい。
「だいたい政府の危機能力がゼロだよ。文化系のバカどもが原発のことも分からずに、トーデンの言いなりになっているから、こういうことになるんだ」
さらに、こうも。
「これで、もう米軍に “帰れ”なんていっている社会党の連中も分かったことだろうな。
結局、日本は米軍にずっと助けられてきたのよ。
今回も災害の復興に力を尽くしているのは、米軍と自衛隊だけだからな」
う~ん……。
まず、今の日本に “社会党” ってあったっけ?
復興に力を尽くしているのは “米軍と自衛隊” だけだっけ?
このお父さんの社会認識はどうなっているのかな?
突っ込みを入れるほどの気力もないし、相手もこの店の常連らしいから、黙ってうなずいて聞くふりをする。
ま、こういうお父さんは、けっこう世にいっぱいいるのかもしれない。
生ビールをごくごく飲んで、寿司をバクバク食って、
「東電のバカヤロ! 政府は無策だ!」
とののしる人々が。
別に、このお父さんの意見が間違っているとも思わない。
ある意味、常識的な意見なのかもしれない。
でも、今回の災害について、自分にはまったく被害の及ばない安全な場所に身を置いて (しかも、美味いもの食いながら) 、正義の代弁者を気取って、誰かを批判するって、ちょっと恥ずかしくねぇ?
ことの当否よりも、そのことがちょっと鼻についた。
それでも、そんな親子が席を立つとき、
「じゃお気をつけて」
と笑顔で挨拶を送る自分が、哀しい。
ま、俺も同類かもしれないけどね。
2011年03月16日
深い言葉
朝、なにげなくテレビのスイッチを入れたら、地震災害に見舞われた人が、焼け野原のような大地にたたずんで、インタビューに答えていた。
津波で町全体が壊滅的な被害を受けた土地らしく、千人を超える遺体が発見された場所だという。
報道記者の差し出すマイクに向かって、その人はこみ上げる悲しみに耐えかねたように、深くため息をついた。
そして、泥と瓦礫に埋まった大地を見回してから、
「自分には命があるから、まだいい。命さえあれば、あとはなんとかなる」 と答え、笑顔をつくった。
重みのある “笑顔” だった。
自分の持てるものをすべて失い、何人もの知人を失った、涙の果ての笑顔だったのだろう。
その人たちの供養のためにも、 「自分は生き抜いてやる」 という覚悟の笑顔のような気がした。
「命さえあれば、あとはなんとかなる」
という言葉は、まだ何も失っていない自分を、打ちのめしたと同時に、励ました。
たぶん、私には、その人の言葉の100分の1も実感できていない。
過不足なくモノがあふれる時代を生きてきて、足りないものが出てくるたびに悲観的な未来を思い描いていた私には、まだこの言葉の持つ重みが “体感的” に把握できていない。
しかし、その言葉の深さは分かる。
心に残る言葉は、シンプルでも、その底は果てしなく深い。

津波で町全体が壊滅的な被害を受けた土地らしく、千人を超える遺体が発見された場所だという。
報道記者の差し出すマイクに向かって、その人はこみ上げる悲しみに耐えかねたように、深くため息をついた。
そして、泥と瓦礫に埋まった大地を見回してから、
「自分には命があるから、まだいい。命さえあれば、あとはなんとかなる」 と答え、笑顔をつくった。
重みのある “笑顔” だった。
自分の持てるものをすべて失い、何人もの知人を失った、涙の果ての笑顔だったのだろう。
その人たちの供養のためにも、 「自分は生き抜いてやる」 という覚悟の笑顔のような気がした。
「命さえあれば、あとはなんとかなる」
という言葉は、まだ何も失っていない自分を、打ちのめしたと同時に、励ました。
たぶん、私には、その人の言葉の100分の1も実感できていない。
過不足なくモノがあふれる時代を生きてきて、足りないものが出てくるたびに悲観的な未来を思い描いていた私には、まだこの言葉の持つ重みが “体感的” に把握できていない。
しかし、その言葉の深さは分かる。
心に残る言葉は、シンプルでも、その底は果てしなく深い。
2011年03月15日
何かが変わった
一夜にして、何かが変わった。
東北と関東を襲った巨大地震のあと、世の中のムードが一気に変わったように感じる。
災害の映像が連日CM抜きでTVから流れ、人々の日常生活も混乱に陥っているという特殊な環境が続いているせいだとは思うが、メディアやネットの論調から、浮薄な “批評” が影を潜めた。
庶民の味方の振りをして無責任な放談に終始する政治評論家たちの漫談や、タレントたちの人の揚げ足を取るような文明批評が消えた。
もちろん、それは今だけのことかもしれない。
しばらく経って、ある日、テレビをつけたら、相変わらず無責任な政治放談とおちゃらけバラエティが復活していて、雑誌のたぐいは、政局とタレントのスキャンダルを追っているのだろう。
しかし、ここ数日のメディアの報道やネット言論を見ている限り、明らかに 「何かが変わった」 兆しが見える。
それは、死者が1万人を超えるかもしれないという大惨事が起こっているのに、
「おちゃらけは不謹慎だ!」
……という感じのものでもない。
たぶん、この災害を機に、小才の利いた評論家の “耳障りのいい” 言い回しとか、アドリブ上手なタレントの反射神経的なギャグが、一気に色あせたのだと思う。
今、人々が求めているのは、足が地に着いた言葉だ。
言い回しの妙で人を面白がらせる言葉ではなく、現実問題として、いまだ電気のつかない暗闇の中で、身内を探し求めている人々の声の重さに拮抗できる言葉だ。
実は、すでにそういう言葉を、人々はもうかなり前から希求していたのではなかったか?
いたずらに人をおちょくったり、けなしたり、過度に持ち上げてみたり、痛いところを突っ込んだり……。
そういう小手先の会話の “芸” ではなく、 「聞くに足る言葉」 。
テレビのひな壇を仰々しく飾るコメンテーターたちの、 「思いつき批評」 ではなく、その人たちですら沈黙を守らざるを得ないような、身の引き締まる言葉。
そういうものを無意識のうちに求めていた人々の、心の奥底に溜まっていた感情が、たまたま今回の巨大地震を機に、マグマのように噴き出したという気がする。
これが、…たとえば福島県の原子力発電所の事件だけだったら、状況はそんなに変わらなかったかもしれない。
自然災害が発端になったにせよ、原発の問題は 「人間の危機管理能力の問題」 であり、 「政府の対応の問題」 であり、すなわち “人為的なミス” として、今までのような浮薄な批評・批判にさらされただけだったろう。
しかし、今回の東北、関東、北海道までをも巻き込んだ大惨事は、まさに人間の人為的なミスなどに還元されない 「人間を超えたものの力」 によってもたらされた。つまり、人間が同じ人間を批判したり、嘲笑したりする行為を空しくさせるような “力” が現れた。

大自然の圧倒的なパワーは、いわば 「善悪の彼岸」 にある。
それは、誰のせいでもないし、誰に責任があるわけでもない。
要するに、批評や批判の “外” にある世界が現れたのだ。
私たちは、これまで、そのような世界を語る言葉を持っていなかった。
悪いことも良いことも、みんな 「人のせい」 にしていれば、事足りていたわけだから。
人間の管理能力を超えた大自然の猛威に対しては、人間はただ泣くしかない。
そして、この世から消えてしまったものたちに向かって、心を傾けて追悼するしかない。
聞くに足りる言葉は、そのような 「言葉を失った場」 から生まれる。
東北と関東を襲った巨大地震のあと、世の中のムードが一気に変わったように感じる。
災害の映像が連日CM抜きでTVから流れ、人々の日常生活も混乱に陥っているという特殊な環境が続いているせいだとは思うが、メディアやネットの論調から、浮薄な “批評” が影を潜めた。
庶民の味方の振りをして無責任な放談に終始する政治評論家たちの漫談や、タレントたちの人の揚げ足を取るような文明批評が消えた。
もちろん、それは今だけのことかもしれない。
しばらく経って、ある日、テレビをつけたら、相変わらず無責任な政治放談とおちゃらけバラエティが復活していて、雑誌のたぐいは、政局とタレントのスキャンダルを追っているのだろう。
しかし、ここ数日のメディアの報道やネット言論を見ている限り、明らかに 「何かが変わった」 兆しが見える。
それは、死者が1万人を超えるかもしれないという大惨事が起こっているのに、
「おちゃらけは不謹慎だ!」
……という感じのものでもない。
たぶん、この災害を機に、小才の利いた評論家の “耳障りのいい” 言い回しとか、アドリブ上手なタレントの反射神経的なギャグが、一気に色あせたのだと思う。
今、人々が求めているのは、足が地に着いた言葉だ。
言い回しの妙で人を面白がらせる言葉ではなく、現実問題として、いまだ電気のつかない暗闇の中で、身内を探し求めている人々の声の重さに拮抗できる言葉だ。
実は、すでにそういう言葉を、人々はもうかなり前から希求していたのではなかったか?
いたずらに人をおちょくったり、けなしたり、過度に持ち上げてみたり、痛いところを突っ込んだり……。
そういう小手先の会話の “芸” ではなく、 「聞くに足る言葉」 。
テレビのひな壇を仰々しく飾るコメンテーターたちの、 「思いつき批評」 ではなく、その人たちですら沈黙を守らざるを得ないような、身の引き締まる言葉。
そういうものを無意識のうちに求めていた人々の、心の奥底に溜まっていた感情が、たまたま今回の巨大地震を機に、マグマのように噴き出したという気がする。
これが、…たとえば福島県の原子力発電所の事件だけだったら、状況はそんなに変わらなかったかもしれない。
自然災害が発端になったにせよ、原発の問題は 「人間の危機管理能力の問題」 であり、 「政府の対応の問題」 であり、すなわち “人為的なミス” として、今までのような浮薄な批評・批判にさらされただけだったろう。
しかし、今回の東北、関東、北海道までをも巻き込んだ大惨事は、まさに人間の人為的なミスなどに還元されない 「人間を超えたものの力」 によってもたらされた。つまり、人間が同じ人間を批判したり、嘲笑したりする行為を空しくさせるような “力” が現れた。

大自然の圧倒的なパワーは、いわば 「善悪の彼岸」 にある。
それは、誰のせいでもないし、誰に責任があるわけでもない。
要するに、批評や批判の “外” にある世界が現れたのだ。
私たちは、これまで、そのような世界を語る言葉を持っていなかった。
悪いことも良いことも、みんな 「人のせい」 にしていれば、事足りていたわけだから。
人間の管理能力を超えた大自然の猛威に対しては、人間はただ泣くしかない。
そして、この世から消えてしまったものたちに向かって、心を傾けて追悼するしかない。
聞くに足りる言葉は、そのような 「言葉を失った場」 から生まれる。
2011年03月13日
災害時のキャンカー
各メディアは、その大半がいまだ大地震報道で占められている。
被災地の生活基盤が完全に復旧するようになるには、そうとう長い期間を必要とするだろう。
もし、ライフラインがすべて止まったら、わが家はどうするか。
カミさんと話してみた。

とりあえず、うちの場合は駐車場に止めたキャンピングカーの中に避難するだろう、ということになった。
小さなキャンピングカーなので、中に立てこもっても、せいぜい4~5日で “落城”の運命かもしれない。
でも、4~5日ぐらいなら、なんとか “籠城” できそうだ。
生活用水は、満タン約100リッターぐらいは積める。
普段は、満タンまで積むことはないが、約100リッターを確保していれば、飲み水は別として、いろいろな用途に使える。
タンクを清浄していないので、さすがに飲料に使うには不安がある。
それだって、いざとなったら、それを飲むしかないかもしれないが、できれば避けたい。
ガスは、LPGボンベがあるので、お湯を沸かしたりするぐらいなら、満タンになっていれば、かなり持つ。
カセットコンロも積んでいるし、カートリッジの予備も何本か備蓄しているので、カップ麺などで食いつなぐことはできる。
少しでも温かい食事が作れれば、それを近所の人たちに配ってあげることもできる。

冷蔵庫は、昔ながらの3ウェイ方式。LPガス、DV12V、AC100Vの三つが使えるというもの。
AC電源の供給が途絶えても、LPガスを使って作動させることができる。
電子レンジもあるので、冷凍品を温めるぐらいなら、それを活用すれば大丈夫。
ただ、キャンピングカーに一般的に搭載される電子レンジはAC電源に頼るものが多いから、ACの供給が途絶えたときは、サブバッテリーとインバーターに頼ることになるが、やはり長時間の使用には耐えられない。発電機を持っていれば別だが、たいていの場合、まず電気の供給がネックになりそうだ。

幸いなことに、うちのキャンピングカーは、電子レンジに関しては12V対応なので、AC電源を引く必要がない。
作動させるときにエンジンを回しておけば、まず心配ない。
冷凍品を保管していた人々がそれを持ち寄って来れば、温めてあげることぐらいなら、いくらでも対応できる。
大事なのはトイレだ。
大都市のトイレは、ほとんど水洗トイレになっているので日頃の衛生は保たれるかもしれないが、水道が止まったときは、それが逆作用をもたらす。
汚物が溜まっても、流せない。
そうなると、田舎のボットントイレの方が、まだ融通がきく。
わが家のキャンピングカーはトイレ付き。
しかも、トイレ室は個室になっているので、女性も安心して使える。
だから、近所の人で、トイレ処理に困っている人がいれば、(数日ぐらいなら) それも使ってもらうことができる。
トイレは、 「カセット式」 と呼ばれるもので、便器下のタンクに汚物を溜める構造になったもの。
しかも水洗。
小さなタンクに洗浄用の水を溜めるだけなので、無尽蔵に使えるわけではないが、いちおう使用後に便器を洗い流せるので、衛生的には安心だ。
また、便器とタンクの間にはフタが付いているので、タンクの臭気が上に登ってくることもない。
汚物を溜め込み過ぎると、夏場などには臭気が漏れることがあるが、そういうときのためにキャンピングカー専用消臭剤も売られている。
最近は、箱型のキャンピングカー (キャブコン) でもトイレ機能をオプション設定にしているクルマが増えた。
確かに、道の駅や高速のSA・PAにはトイレが完備しているし、キャンプ場に泊まれば、まずトイレの心配はない。
そのため、キャンピングカーのトイレ機能は昔ほど重要視されなくなったが、自然災害などによって、都市の水道機能がマヒしたときなどは、キャンピングカーのトイレが大いに役に立つだろう。
ただタンク容量には限度がある。大型のカセット式のもので5~6日は持ったことがあったが、基本的には廃棄する場所があってのトイレであり、それを越すと衛生上の問題も心配。
それでも、あるとないでは大違い。
地震が発生した金曜日には、渋滞の中を11時間かけて家に戻ったが、途中尿意を催したとき、ちょっと路肩に止めて車内のトイレを使った。
ありがたいものだと思った。
もっとも、普段は、カミさんと一緒に旅行するときの私の “喫煙スペース” になっているだけだけど。
暖房は、FFヒーターでまかなえる。
これは自動車燃料がそのまま使える暖房形式なので、燃料 (軽油) を満タンにしておけば、かなり持つ。
もっとも、FRPボディの壁材の中に断熱素材が封入されているので、車内の温度そのものがそれほど外気温の影響を受けない。
家にいるよりも、暖房の熱源は省略できるかもしれない。
近所の小さな子どもやご老人が暖を取りたいというときなど、どんどん集まってくれればいい。

寝る場所にも困らない。
バンクベッドとフロアベッドをフルに活用すれば、大人3~4人までならゆったりと寝られる。
シュラフは積みっぱなし。
後は、家から毛布だの布団を運び込めば、寝るときの心配はない。
このように、フル装備に近いキャンピングカーが1台あるだけで、蓄えさえあれば、数日の籠城は可能だ。
しかし、それでも、すべてのエネルギー源が切れれば、ただの “箱” 。
やはり、最後は、助け合う人同士の連帯が大事。
今回の地震報道を見ていると、人と人のつながり以上に、災害を乗り切る力はないということを痛感する。
被災地の生活基盤が完全に復旧するようになるには、そうとう長い期間を必要とするだろう。
もし、ライフラインがすべて止まったら、わが家はどうするか。
カミさんと話してみた。
とりあえず、うちの場合は駐車場に止めたキャンピングカーの中に避難するだろう、ということになった。
小さなキャンピングカーなので、中に立てこもっても、せいぜい4~5日で “落城”の運命かもしれない。
でも、4~5日ぐらいなら、なんとか “籠城” できそうだ。
生活用水は、満タン約100リッターぐらいは積める。
普段は、満タンまで積むことはないが、約100リッターを確保していれば、飲み水は別として、いろいろな用途に使える。
タンクを清浄していないので、さすがに飲料に使うには不安がある。
それだって、いざとなったら、それを飲むしかないかもしれないが、できれば避けたい。
ガスは、LPGボンベがあるので、お湯を沸かしたりするぐらいなら、満タンになっていれば、かなり持つ。
カセットコンロも積んでいるし、カートリッジの予備も何本か備蓄しているので、カップ麺などで食いつなぐことはできる。
少しでも温かい食事が作れれば、それを近所の人たちに配ってあげることもできる。
冷蔵庫は、昔ながらの3ウェイ方式。LPガス、DV12V、AC100Vの三つが使えるというもの。
AC電源の供給が途絶えても、LPガスを使って作動させることができる。
電子レンジもあるので、冷凍品を温めるぐらいなら、それを活用すれば大丈夫。
ただ、キャンピングカーに一般的に搭載される電子レンジはAC電源に頼るものが多いから、ACの供給が途絶えたときは、サブバッテリーとインバーターに頼ることになるが、やはり長時間の使用には耐えられない。発電機を持っていれば別だが、たいていの場合、まず電気の供給がネックになりそうだ。
幸いなことに、うちのキャンピングカーは、電子レンジに関しては12V対応なので、AC電源を引く必要がない。
作動させるときにエンジンを回しておけば、まず心配ない。
冷凍品を保管していた人々がそれを持ち寄って来れば、温めてあげることぐらいなら、いくらでも対応できる。
大事なのはトイレだ。
大都市のトイレは、ほとんど水洗トイレになっているので日頃の衛生は保たれるかもしれないが、水道が止まったときは、それが逆作用をもたらす。
汚物が溜まっても、流せない。
そうなると、田舎のボットントイレの方が、まだ融通がきく。
わが家のキャンピングカーはトイレ付き。
しかも、トイレ室は個室になっているので、女性も安心して使える。
だから、近所の人で、トイレ処理に困っている人がいれば、(数日ぐらいなら) それも使ってもらうことができる。
トイレは、 「カセット式」 と呼ばれるもので、便器下のタンクに汚物を溜める構造になったもの。
しかも水洗。
小さなタンクに洗浄用の水を溜めるだけなので、無尽蔵に使えるわけではないが、いちおう使用後に便器を洗い流せるので、衛生的には安心だ。
また、便器とタンクの間にはフタが付いているので、タンクの臭気が上に登ってくることもない。
汚物を溜め込み過ぎると、夏場などには臭気が漏れることがあるが、そういうときのためにキャンピングカー専用消臭剤も売られている。
最近は、箱型のキャンピングカー (キャブコン) でもトイレ機能をオプション設定にしているクルマが増えた。
確かに、道の駅や高速のSA・PAにはトイレが完備しているし、キャンプ場に泊まれば、まずトイレの心配はない。
そのため、キャンピングカーのトイレ機能は昔ほど重要視されなくなったが、自然災害などによって、都市の水道機能がマヒしたときなどは、キャンピングカーのトイレが大いに役に立つだろう。
ただタンク容量には限度がある。大型のカセット式のもので5~6日は持ったことがあったが、基本的には廃棄する場所があってのトイレであり、それを越すと衛生上の問題も心配。
それでも、あるとないでは大違い。
地震が発生した金曜日には、渋滞の中を11時間かけて家に戻ったが、途中尿意を催したとき、ちょっと路肩に止めて車内のトイレを使った。
ありがたいものだと思った。
もっとも、普段は、カミさんと一緒に旅行するときの私の “喫煙スペース” になっているだけだけど。
暖房は、FFヒーターでまかなえる。
これは自動車燃料がそのまま使える暖房形式なので、燃料 (軽油) を満タンにしておけば、かなり持つ。
もっとも、FRPボディの壁材の中に断熱素材が封入されているので、車内の温度そのものがそれほど外気温の影響を受けない。
家にいるよりも、暖房の熱源は省略できるかもしれない。
近所の小さな子どもやご老人が暖を取りたいというときなど、どんどん集まってくれればいい。
寝る場所にも困らない。
バンクベッドとフロアベッドをフルに活用すれば、大人3~4人までならゆったりと寝られる。
シュラフは積みっぱなし。
後は、家から毛布だの布団を運び込めば、寝るときの心配はない。
このように、フル装備に近いキャンピングカーが1台あるだけで、蓄えさえあれば、数日の籠城は可能だ。
しかし、それでも、すべてのエネルギー源が切れれば、ただの “箱” 。
やはり、最後は、助け合う人同士の連帯が大事。
今回の地震報道を見ていると、人と人のつながり以上に、災害を乗り切る力はないということを痛感する。
2011年03月12日
大地震
北関東で、車両撮影をしていた。
午前中は晴天だったものの午後は雲が多くなり、雨の懸念も出ていた。
「そろそろ仕事を終えなければ…」
と思っていた瞬間、グラっと来た。
大地が波打つのをはじめて見た気がした。
道路を一つ隔てた民家の瓦屋根が、バラバラと音を立てて落下していた。
取材車として乗ってきた自分のキャンピングカーが、今にも隣のクルマにぶつかりそうに揺れている。
空の上を、おびただしい鳥たちが、絶叫しながら円を描くように飛び回っている。
携帯電話で、即座に家に連絡を取ろうとしたが、すでに繋がらない。
震源地はどこなのか?
知り合いにパソコンを開いてもらったが、ネットにもアクセスできない。
自分のクルマに戻り、カーラジオのスイッチを捻った。
震源地と震度だけは分かったが、その他の状況はまだ何もつかめていないようだ。
しばらくその場で様子を見守るつもりでいたが、近所の人たちがもたらしてくれた情報によると、信号機はみな作動するのをやめて、高速道路は閉鎖されたという。
一般道の渋滞もますます激しさを増しているとか。
復旧の見通しは立たないが、かといって、その場に立ち尽くしているわけにもいかない。
家も心配だし、自分のことを気にしているだろう家族にも無事を知らせたいという気持ちが強くなり、とりあえず一般道を使って、家に戻ることにした。
信号機が用をなさないので、大きな交差点の前では延々とクルマが連なる。
ラジオからもたらされる情報により、次第に災害の全貌が明らかになってくる。
東北・関東全域が、どうやら、とてつもない規模の地震に見舞われたらしい。
こういうときに、やはり 「情報」 は助かる。
自分の取るべき行動というものが分かりやすくなるし、何よりも励まされる。
災害地で大変な状況に巻き込まれた人たちの悲惨なニュースも逐次入ってくるが、一方では、救援に尽力する人たちの力強い活動の様子も伝わってくる。
みんながみんな、誰かを助けようとして必死に動いているんだな…ということが伝わるだけで、自分の身を守ろうとするだけで汲々としている自分が浅ましく思えてくる。
夜になって、都内の仕事場から帰る足を奪われた人たちのレポートがラジオから伝わるようになった。
行き場を失い、暖を取ろうとする人たちのために、営業時間が過ぎても店を開放している飲食店の話。道往く人を励ますために、売れ残ったお菓子類を無料で配り始めた和菓子屋さんの話。
困っている人たちのために、自分ができることを精一杯やろうとする人たちの話は、渋滞するクルマの列になすすべもなく閉じ込められている自分にも 「元気」 を配ってくれる。
都内に入ったのが、午前2時。
幹線道路はまだ渋滞が続き、運転に疲れたのか、側道に止めて寝てしまったドライバーも多い。
その時間に、ネクタイをしてカバンを下げたサラリーマンたちがまだ歩いている。
JRがすべて止まったので、家まで歩き始めた勤め人がいっぱいいるとラジオは告げていた。
結局、自分も11時間かけて家にたどり着いた。
家の玄関に入ったのは、夜中の3時半だった。
テレビをつけて、ようやく今回の災害の様子を 「映像」 を通して確認することができた。
津波によって押し流されていく無数の自動車の様子や、火災を起こして火の海となった街の様子を見ると、あらためて日本を襲った大惨事の実態がよく理解できた。

被災地となった地域には、自分の知り合いも多くいる。
その人や、その家族たちは大丈夫だったのだろうか?
考えるだけで、胸が痛む。
午前中は晴天だったものの午後は雲が多くなり、雨の懸念も出ていた。
「そろそろ仕事を終えなければ…」
と思っていた瞬間、グラっと来た。
大地が波打つのをはじめて見た気がした。
道路を一つ隔てた民家の瓦屋根が、バラバラと音を立てて落下していた。
取材車として乗ってきた自分のキャンピングカーが、今にも隣のクルマにぶつかりそうに揺れている。
空の上を、おびただしい鳥たちが、絶叫しながら円を描くように飛び回っている。
携帯電話で、即座に家に連絡を取ろうとしたが、すでに繋がらない。
震源地はどこなのか?
知り合いにパソコンを開いてもらったが、ネットにもアクセスできない。
自分のクルマに戻り、カーラジオのスイッチを捻った。
震源地と震度だけは分かったが、その他の状況はまだ何もつかめていないようだ。
しばらくその場で様子を見守るつもりでいたが、近所の人たちがもたらしてくれた情報によると、信号機はみな作動するのをやめて、高速道路は閉鎖されたという。
一般道の渋滞もますます激しさを増しているとか。
復旧の見通しは立たないが、かといって、その場に立ち尽くしているわけにもいかない。
家も心配だし、自分のことを気にしているだろう家族にも無事を知らせたいという気持ちが強くなり、とりあえず一般道を使って、家に戻ることにした。
信号機が用をなさないので、大きな交差点の前では延々とクルマが連なる。
ラジオからもたらされる情報により、次第に災害の全貌が明らかになってくる。
東北・関東全域が、どうやら、とてつもない規模の地震に見舞われたらしい。
こういうときに、やはり 「情報」 は助かる。
自分の取るべき行動というものが分かりやすくなるし、何よりも励まされる。
災害地で大変な状況に巻き込まれた人たちの悲惨なニュースも逐次入ってくるが、一方では、救援に尽力する人たちの力強い活動の様子も伝わってくる。
みんながみんな、誰かを助けようとして必死に動いているんだな…ということが伝わるだけで、自分の身を守ろうとするだけで汲々としている自分が浅ましく思えてくる。
夜になって、都内の仕事場から帰る足を奪われた人たちのレポートがラジオから伝わるようになった。
行き場を失い、暖を取ろうとする人たちのために、営業時間が過ぎても店を開放している飲食店の話。道往く人を励ますために、売れ残ったお菓子類を無料で配り始めた和菓子屋さんの話。
困っている人たちのために、自分ができることを精一杯やろうとする人たちの話は、渋滞するクルマの列になすすべもなく閉じ込められている自分にも 「元気」 を配ってくれる。
都内に入ったのが、午前2時。
幹線道路はまだ渋滞が続き、運転に疲れたのか、側道に止めて寝てしまったドライバーも多い。
その時間に、ネクタイをしてカバンを下げたサラリーマンたちがまだ歩いている。
JRがすべて止まったので、家まで歩き始めた勤め人がいっぱいいるとラジオは告げていた。
結局、自分も11時間かけて家にたどり着いた。
家の玄関に入ったのは、夜中の3時半だった。
テレビをつけて、ようやく今回の災害の様子を 「映像」 を通して確認することができた。
津波によって押し流されていく無数の自動車の様子や、火災を起こして火の海となった街の様子を見ると、あらためて日本を襲った大惨事の実態がよく理解できた。
被災地となった地域には、自分の知り合いも多くいる。
その人や、その家族たちは大丈夫だったのだろうか?
考えるだけで、胸が痛む。
2011年03月11日
ジュリアンオピー
もう、そうとう昔の話になるけれど、会社のパソコンのファイルの底に、 「TURBO FREEWAY (TFway) 」 というゲームソフトが眠っているのを発見したことがある。
自動車レースのゲームだった。
といっても、サーキットではない。

まばらな木々が植わっている公道で繰り広げられるレースなのだが、パソコンの黎明期のソフトという感じの、情報量を極端に絞ったシンプルな風景に、不思議なものを感じて、けっこうハマった。
殺風景な景観が、むしろシュールに思えたのだ。
それは、ちょうど映画 『マッドマックス』 のロケ地である荒涼としたオーストラリアの風景にも似ていた。
こんな風景の場所に独り取り残されたら、寂しさで発狂しそうだ…と思う反面、この画面を額にでも入れて部屋に飾ったら、案外面白いかも…とも思った。
が、つい最近、この 「TURBO FREEWAY」 の画面とそっくりのアートを発見した。
イギリスの現代アートシーンで有名な (…ということを、そのとき知ったのだが) ジュリアン・オピーの作品だった。
本棚を整理していたら、本と本の間に眠っていた 『美術手帖』 の2000年9月号に、その絵が載っていたのである。
どうして、そんな雑誌を買ったのか、その雑誌のどの記事を読みたかったのか、今では思い出せない。
で、買ったときには、たぶんジュリアン・オピーのグラビアを見ていなかったか、見ていても意識の中に入らなかったのだろう。

しかし、改めて、この風景は 「すごい!」 と思った。
いま流行りの3D画面とは真っ向から逆を向いているのに、なぜか、この奥行きを欠いた画面の方に、魅せられている自分がいる。
そもそも、これは絵なのか、イラストなのか、デザインなのか。
商品のパッケージに使われそうなチープ感もあれば、ポップアートとしての存在感も漂わせている。
『美術手帖』 の説明を読んで、それが、1990年代の終わり頃から2000年代にかけて話題を呼んだ 「スーパーフラット」 という潮流に乗った手法であると知った。
その流行から10年遅れて、ようやくその存在に気づいたことになる。
こういう絵の、いったい何に自分は魅了されるのか。
この奥行きを失ったベッタリした画面が、逆に、近代絵画とは別の次元の “奥行き” を感じさせてくれるからだ。
木は、かろうじて木と分かる形にまとめられ、まさに 「木」 の記号と化している。
木がなければ、その背後に控えている 「大地」 と 「空」 を想像することさえ難しい。
まさに、幼児の下手くそな塗り絵。
これを 「絵」 として認めたがらない人も多いような気もする。
しかし、この絶望的な遠近感の喪失には、別の意味での “奥行き” がある。
奥行きを拒否したフラットな画面が、逆に、その背後にたたずむ何かを感じさせる。
このようなフラット化された空間を追求した20世紀絵画として、すでにマチスやゴーギャンのような巨匠たちがいる。
しかし、彼らとジュリアン・オピーとの決定的な差異がひとつだけある。
それは、 「デジタル以前」 と 「デジタル以降」 という言葉で語られるべきものかもしれない。
「象徴」 とか、 「暗示」 とか、 「寓意」 といったアナログ的な想像力では到達できないデジタル社会の感性で捉えた “彼方 (かなた) ” がここにはあるように思うのだ。
人間の脳がスーパーコンピューターに置き換えられ、人間がアンドロイドとしての「眼球」 を与えられた時に見る光景とは、ひょっとしてこんなもんではなかろうか。
近代絵画の遠近法は、このような空間を描くことができなかった。
遠近法とは、絵画を眺める鑑賞者が、あたかも 「その絵の中に入っていける」 と錯覚するような作図法で貫かれたもののことをいう。
それは、神を讃えたヨーロッパ中世の宗教画や、仙人の理想郷を描いた東洋の山水画のフラット感を “否定するもの” として登場した。
要するに、それは、 「この世に神秘はない」 という近代主義思想が生んだリアリズムであった。

ジュリアン・オピーのスーパーフラット絵画は、その近代主義思想を、もう一度転倒させたものかもしれない。
作図法としては、西欧中世美術や、東洋の山水画の構造に近い。
もちろん、そこには 「神」 も 「仙人」 もいない。
「理想」 も 「教訓」 もない。
だけど、近代主義的なリアリズムを超えたモノの気配がある。
「何もない」 という虚無に向き遭ったときの 「畏れ (おそれ) 」 みたいなものが、そこには刻まれている。
「畏れ」 とは、心がおののくことだ。
おののきとは、驚愕でもあり、恐怖でもあり、愉悦でもある。
オピーの静かな絵の中には、耳を澄ませると 「驚愕」 と 「恐怖」 と 「愉悦」 が山々にこだまして、無数のエコー (残響) として鳴り響いているのが聞こえてくる。
「書くこと、それは、語り終えることのないものの残響になることである」
というモーリス・ブランショの文学論は、このジュリアン・オピーの絵に対しても当てはまる。
すなわち、
「描くこと、それは、描き終えることのないものの残響になることである」
私たちが、ある文学、あるいはある絵画に感動するのは、そこに描かれたものを “手に入れた” からではない。
むしろ、手に入れられなかったものを追おうとするからだ。
追っても、追っても、夏の道路のかなたに燃えたつ “陽炎 (かげろう) ” のように、まばゆい乱反射を繰り返しながら、逃げていくもの。
その乱反射を、ブランショは 「残響」 と言ったのではなかったか。

ジュリアン・オピーの極限まで “説明” をはぎ取られた 「木」 や 「空」 は、実体とは無縁の単なる “記号” であり、具体物の残響 (=エコー) にすぎない。
しかし、実体物が去った後にこだましている 「残響」 とは、すでに実体物とは別の 「何者か」 である。
ちょうど雲一つない冬の青空が、もはや 「空」 とは言えない別のモノになっているように。
自動車レースのゲームだった。
といっても、サーキットではない。

まばらな木々が植わっている公道で繰り広げられるレースなのだが、パソコンの黎明期のソフトという感じの、情報量を極端に絞ったシンプルな風景に、不思議なものを感じて、けっこうハマった。
殺風景な景観が、むしろシュールに思えたのだ。
それは、ちょうど映画 『マッドマックス』 のロケ地である荒涼としたオーストラリアの風景にも似ていた。
こんな風景の場所に独り取り残されたら、寂しさで発狂しそうだ…と思う反面、この画面を額にでも入れて部屋に飾ったら、案外面白いかも…とも思った。
が、つい最近、この 「TURBO FREEWAY」 の画面とそっくりのアートを発見した。
イギリスの現代アートシーンで有名な (…ということを、そのとき知ったのだが) ジュリアン・オピーの作品だった。
本棚を整理していたら、本と本の間に眠っていた 『美術手帖』 の2000年9月号に、その絵が載っていたのである。
どうして、そんな雑誌を買ったのか、その雑誌のどの記事を読みたかったのか、今では思い出せない。
で、買ったときには、たぶんジュリアン・オピーのグラビアを見ていなかったか、見ていても意識の中に入らなかったのだろう。

しかし、改めて、この風景は 「すごい!」 と思った。
いま流行りの3D画面とは真っ向から逆を向いているのに、なぜか、この奥行きを欠いた画面の方に、魅せられている自分がいる。
そもそも、これは絵なのか、イラストなのか、デザインなのか。
商品のパッケージに使われそうなチープ感もあれば、ポップアートとしての存在感も漂わせている。
『美術手帖』 の説明を読んで、それが、1990年代の終わり頃から2000年代にかけて話題を呼んだ 「スーパーフラット」 という潮流に乗った手法であると知った。
その流行から10年遅れて、ようやくその存在に気づいたことになる。
こういう絵の、いったい何に自分は魅了されるのか。
この奥行きを失ったベッタリした画面が、逆に、近代絵画とは別の次元の “奥行き” を感じさせてくれるからだ。
木は、かろうじて木と分かる形にまとめられ、まさに 「木」 の記号と化している。
木がなければ、その背後に控えている 「大地」 と 「空」 を想像することさえ難しい。
まさに、幼児の下手くそな塗り絵。
これを 「絵」 として認めたがらない人も多いような気もする。
しかし、この絶望的な遠近感の喪失には、別の意味での “奥行き” がある。
奥行きを拒否したフラットな画面が、逆に、その背後にたたずむ何かを感じさせる。
このようなフラット化された空間を追求した20世紀絵画として、すでにマチスやゴーギャンのような巨匠たちがいる。
しかし、彼らとジュリアン・オピーとの決定的な差異がひとつだけある。
それは、 「デジタル以前」 と 「デジタル以降」 という言葉で語られるべきものかもしれない。
「象徴」 とか、 「暗示」 とか、 「寓意」 といったアナログ的な想像力では到達できないデジタル社会の感性で捉えた “彼方 (かなた) ” がここにはあるように思うのだ。
人間の脳がスーパーコンピューターに置き換えられ、人間がアンドロイドとしての「眼球」 を与えられた時に見る光景とは、ひょっとしてこんなもんではなかろうか。
近代絵画の遠近法は、このような空間を描くことができなかった。
遠近法とは、絵画を眺める鑑賞者が、あたかも 「その絵の中に入っていける」 と錯覚するような作図法で貫かれたもののことをいう。
それは、神を讃えたヨーロッパ中世の宗教画や、仙人の理想郷を描いた東洋の山水画のフラット感を “否定するもの” として登場した。
要するに、それは、 「この世に神秘はない」 という近代主義思想が生んだリアリズムであった。

ジュリアン・オピーのスーパーフラット絵画は、その近代主義思想を、もう一度転倒させたものかもしれない。
作図法としては、西欧中世美術や、東洋の山水画の構造に近い。
もちろん、そこには 「神」 も 「仙人」 もいない。
「理想」 も 「教訓」 もない。
だけど、近代主義的なリアリズムを超えたモノの気配がある。
「何もない」 という虚無に向き遭ったときの 「畏れ (おそれ) 」 みたいなものが、そこには刻まれている。
「畏れ」 とは、心がおののくことだ。
おののきとは、驚愕でもあり、恐怖でもあり、愉悦でもある。
オピーの静かな絵の中には、耳を澄ませると 「驚愕」 と 「恐怖」 と 「愉悦」 が山々にこだまして、無数のエコー (残響) として鳴り響いているのが聞こえてくる。
「書くこと、それは、語り終えることのないものの残響になることである」
というモーリス・ブランショの文学論は、このジュリアン・オピーの絵に対しても当てはまる。
すなわち、
「描くこと、それは、描き終えることのないものの残響になることである」
私たちが、ある文学、あるいはある絵画に感動するのは、そこに描かれたものを “手に入れた” からではない。
むしろ、手に入れられなかったものを追おうとするからだ。
追っても、追っても、夏の道路のかなたに燃えたつ “陽炎 (かげろう) ” のように、まばゆい乱反射を繰り返しながら、逃げていくもの。
その乱反射を、ブランショは 「残響」 と言ったのではなかったか。
ジュリアン・オピーの極限まで “説明” をはぎ取られた 「木」 や 「空」 は、実体とは無縁の単なる “記号” であり、具体物の残響 (=エコー) にすぎない。
しかし、実体物が去った後にこだましている 「残響」 とは、すでに実体物とは別の 「何者か」 である。
ちょうど雲一つない冬の青空が、もはや 「空」 とは言えない別のモノになっているように。
2011年03月08日
親孝行ビジネス
ここ最近、 “親孝行ビジネス” というのが、注目を集めているようだ。
もしかしたら 「ビジネス」 という、とげとげしい言葉を使ってはいけないのかもしれない。
「 “親孝行” に注目が集まっている!」
ひとまず、そう言っておこう。
ことは、ある旅行会社が親子2世代を対象とした商品を開発しようと思いつき、老齢の親を持つ30~50代の子世代200人に対して、ネット調査を行なったことから生まれた。

その調査によると、子世代の48パーセントが、 「親に旅行をプレゼントしたことがある」 と回答し、38パーセントが 「親と一緒に旅行をしたい」 と答えたという。
旅行会社は、その解答をヒントに、ユニバーサルデザインやバリアフリーを意識した国内ホテルや旅館を厳選し、リフト付きのバスを用意するなど、高齢者に絞った旅行商品を開発した。
もちろん、ホームヘルパー2級以上の資格を持つ介護経験者が旅行サポーターとして同行して、万が一に備える。
これがえらく評判がいい。
親を安心して旅行に送り出せるとあって、子供が、そういう旅行商品を親にプレゼントするだけでなく、子供も一緒に介護者として参加するなど、かなり盛況だという。
折りも折り、 “親孝行” をテーマにした書籍が脚光を浴びている。
みうらじゅん氏が実践する親孝行の数々を紹介した 『親孝行プレイ』 は、ドラマ化されるほどの評判を呼んだ。
また 『親がしぬまでにしたい55のこと』 (親孝行実行委員会・著) は、10万部を超えるベストセラーとなった。
現在、日本人の平均寿命は、男性79.59歳。女性86.44歳。
2010年の日本人の平均年齢は、45.1歳だという。
つまり、親のことを気にかけながらも、仕事や育児に忙殺されていた40歳代の日本人が、そろそろ親との死別を意識せざるを得ないような人口構成になってきたのだ。
そのことを反映してか、近年、親と同じ圏内に住む人たちが増えているとも伝えられている。
あるマーティング会社が、東京、千葉、埼玉などの40~50代の男性を対象に、親と息子夫婦の関係を調査したところ、回答者の45パーセントが親と同じ圏内に住み、また40パーセントの子供が、月に一度は親と会っていることが分かった。
親と子を隔てる距離は、徒歩20分程度。
電車でも1時間圏内。
子供が、田舎に住んでいる親を都会に呼び寄せるケースもあれば、子供夫婦が思いきって都会を脱出し、親が住む地方に移住することもあるらしい。
かつては、多くの若者が、村社会の閉鎖性や親世代の拘束を嫌って、都会に飛び出していった。
そして、都会で結婚し、集合住宅に住んで、 「核家族」 という共同体の拘束を逃れた絶対自由のユートピアをつくった。
しかし、どうやらいまの日本人には、そのような自由を享受できる余裕がなくなってきたらしい。
不況の恒常化によって、どの夫婦もダブルインカムを考えなければならなくなった。
しかし、母親が働きに出ようとも、いまはどの都市でも保育所は満杯。
核家族の母親に対し、育児の辛さがもろに直撃する。
少子化を非難する論調は多いが、育児や家事をサポートしてくれる人間が周りにいなければ、 「これ以上、子供は持ちたくない!」 と思う母親が次々と現れたって不思議ではない。
そのため、家事に関しては、
「親世代にケアしてもらえるところは、ケアしてもらおう」
という合理的な判断を下す子世代が増えてきたという。
親世代にとっても、子供たちとの会話が復活したり、孫と触れ合う時間ができるのはうれしいことだ。
親子が簡単に行き来できる範囲内に、お互いの居を構えるという風潮が生まれてきた背景には、そんな事情が絡んでいるようだ。
面白いのは、住む場所が 「同一圏内」 ではあっても、決して 「同世帯」 ではないこと。
一時ブームであった 「二世帯住宅」 というのは、いまはまったく売れないらしい。
一緒に住めば、どうしても “嫁・姑の対立” という永遠の問題が生まれる。
いまの親世代は、若い頃に閉鎖的な家族共同体から逃れてきた人たちだから、自分たちも、親子の対立を避けようとする。
対立を避けながら、徒歩20分とか電車で1時間ぐらいの場所にそれぞれ住んで、ゆる~く連絡を取り合う。
これがどうやら “イマドキ親子” の理想であるらしい。
そこで、先ほどの旅行会社の例ではないけれど、70代と40代の親と子をひとつのセットとして考えるようなマーケットが発見されるようになったわけだ。
これまで、シニア層をターゲットにした商品でバカ当たりしたものは出てこなかった。
浸透したのは、単価の安い健康食品の系統ばかり。
社会情勢が不安定な時代があまりにも長く続いたため、シニア層は、自分たちの生活を守るためにサイフの紐をギュッと絞る習性を身につけてしまったのだ。
いちばん裕福な個人資産を抱える人たちがお金を環流させなくなったのだから、不況が長引くのも当たり前である。
ところが、この世代の親は、子供や孫には甘い。
自分たちの生活は慎ましやかに維持しながら、 「孫の誕生日」 などとなると、気前よくお金を放出したりする。
彼らはお金そのものを出し渋っているわけではなく、孫や子供たちと触れ合う喜びが得られるのならば、それにはお金をいさぎよく遣おうと思っているのだ。
ここで、 「親孝行ブーム」 の正体が見えてくる。
世の親孝行ブームというのは、子や孫の世代を上手に使って、親世代を消費社会に引っぱり出そうという試みであるとも言える。
そのからくりを、消費者サイドから眺めると、なんだかうんざりしてしまうけれど、親世代と子世代、さらにその孫世代と、3世代が一緒になって楽しめる商品が生まれるということは、決して悪いことではない。
いままでの商品開発では、ターゲットの絞り込みが優先されていた。
特に、嗜好品は、ターゲット層の性別、年齢、所得、生活圏内、趣味などという細かいエレメントに分解され、訴求対象がピンポイントに絞られる形で開発されてきた。
しかし、そうやって 「個」 に分断された商品開発というのは、 「個」 が強く希求されていた時代でなければ通用しない。
人々の心は、チャーミングな 「個」 を主張するよりも、家族や友人と “ゆる~く” つながることの方に価値を見出そうとしているように見える。
だから、時には、祖父・祖母・夫婦・孫といった、家族の漠然とした広がりを大事にするような商品開発も必要になってくる。
キャンピングカーというのは、そういう流れの最先端をいく商品だと思うし、それを有効活用したキャンプという行事は、3世代が遊べる理想的なレジャーだと思うのだけれど。

もしかしたら 「ビジネス」 という、とげとげしい言葉を使ってはいけないのかもしれない。
「 “親孝行” に注目が集まっている!」
ひとまず、そう言っておこう。
ことは、ある旅行会社が親子2世代を対象とした商品を開発しようと思いつき、老齢の親を持つ30~50代の子世代200人に対して、ネット調査を行なったことから生まれた。
その調査によると、子世代の48パーセントが、 「親に旅行をプレゼントしたことがある」 と回答し、38パーセントが 「親と一緒に旅行をしたい」 と答えたという。
旅行会社は、その解答をヒントに、ユニバーサルデザインやバリアフリーを意識した国内ホテルや旅館を厳選し、リフト付きのバスを用意するなど、高齢者に絞った旅行商品を開発した。
もちろん、ホームヘルパー2級以上の資格を持つ介護経験者が旅行サポーターとして同行して、万が一に備える。
これがえらく評判がいい。
親を安心して旅行に送り出せるとあって、子供が、そういう旅行商品を親にプレゼントするだけでなく、子供も一緒に介護者として参加するなど、かなり盛況だという。
折りも折り、 “親孝行” をテーマにした書籍が脚光を浴びている。
みうらじゅん氏が実践する親孝行の数々を紹介した 『親孝行プレイ』 は、ドラマ化されるほどの評判を呼んだ。
また 『親がしぬまでにしたい55のこと』 (親孝行実行委員会・著) は、10万部を超えるベストセラーとなった。
現在、日本人の平均寿命は、男性79.59歳。女性86.44歳。
2010年の日本人の平均年齢は、45.1歳だという。
つまり、親のことを気にかけながらも、仕事や育児に忙殺されていた40歳代の日本人が、そろそろ親との死別を意識せざるを得ないような人口構成になってきたのだ。
そのことを反映してか、近年、親と同じ圏内に住む人たちが増えているとも伝えられている。
あるマーティング会社が、東京、千葉、埼玉などの40~50代の男性を対象に、親と息子夫婦の関係を調査したところ、回答者の45パーセントが親と同じ圏内に住み、また40パーセントの子供が、月に一度は親と会っていることが分かった。
親と子を隔てる距離は、徒歩20分程度。
電車でも1時間圏内。
子供が、田舎に住んでいる親を都会に呼び寄せるケースもあれば、子供夫婦が思いきって都会を脱出し、親が住む地方に移住することもあるらしい。
かつては、多くの若者が、村社会の閉鎖性や親世代の拘束を嫌って、都会に飛び出していった。
そして、都会で結婚し、集合住宅に住んで、 「核家族」 という共同体の拘束を逃れた絶対自由のユートピアをつくった。
しかし、どうやらいまの日本人には、そのような自由を享受できる余裕がなくなってきたらしい。
不況の恒常化によって、どの夫婦もダブルインカムを考えなければならなくなった。
しかし、母親が働きに出ようとも、いまはどの都市でも保育所は満杯。
核家族の母親に対し、育児の辛さがもろに直撃する。
少子化を非難する論調は多いが、育児や家事をサポートしてくれる人間が周りにいなければ、 「これ以上、子供は持ちたくない!」 と思う母親が次々と現れたって不思議ではない。
そのため、家事に関しては、
「親世代にケアしてもらえるところは、ケアしてもらおう」
という合理的な判断を下す子世代が増えてきたという。
親世代にとっても、子供たちとの会話が復活したり、孫と触れ合う時間ができるのはうれしいことだ。
親子が簡単に行き来できる範囲内に、お互いの居を構えるという風潮が生まれてきた背景には、そんな事情が絡んでいるようだ。
面白いのは、住む場所が 「同一圏内」 ではあっても、決して 「同世帯」 ではないこと。
一時ブームであった 「二世帯住宅」 というのは、いまはまったく売れないらしい。
一緒に住めば、どうしても “嫁・姑の対立” という永遠の問題が生まれる。
いまの親世代は、若い頃に閉鎖的な家族共同体から逃れてきた人たちだから、自分たちも、親子の対立を避けようとする。
対立を避けながら、徒歩20分とか電車で1時間ぐらいの場所にそれぞれ住んで、ゆる~く連絡を取り合う。
これがどうやら “イマドキ親子” の理想であるらしい。
そこで、先ほどの旅行会社の例ではないけれど、70代と40代の親と子をひとつのセットとして考えるようなマーケットが発見されるようになったわけだ。
これまで、シニア層をターゲットにした商品でバカ当たりしたものは出てこなかった。
浸透したのは、単価の安い健康食品の系統ばかり。
社会情勢が不安定な時代があまりにも長く続いたため、シニア層は、自分たちの生活を守るためにサイフの紐をギュッと絞る習性を身につけてしまったのだ。
いちばん裕福な個人資産を抱える人たちがお金を環流させなくなったのだから、不況が長引くのも当たり前である。
ところが、この世代の親は、子供や孫には甘い。
自分たちの生活は慎ましやかに維持しながら、 「孫の誕生日」 などとなると、気前よくお金を放出したりする。
彼らはお金そのものを出し渋っているわけではなく、孫や子供たちと触れ合う喜びが得られるのならば、それにはお金をいさぎよく遣おうと思っているのだ。
ここで、 「親孝行ブーム」 の正体が見えてくる。
世の親孝行ブームというのは、子や孫の世代を上手に使って、親世代を消費社会に引っぱり出そうという試みであるとも言える。
そのからくりを、消費者サイドから眺めると、なんだかうんざりしてしまうけれど、親世代と子世代、さらにその孫世代と、3世代が一緒になって楽しめる商品が生まれるということは、決して悪いことではない。
いままでの商品開発では、ターゲットの絞り込みが優先されていた。
特に、嗜好品は、ターゲット層の性別、年齢、所得、生活圏内、趣味などという細かいエレメントに分解され、訴求対象がピンポイントに絞られる形で開発されてきた。
しかし、そうやって 「個」 に分断された商品開発というのは、 「個」 が強く希求されていた時代でなければ通用しない。
人々の心は、チャーミングな 「個」 を主張するよりも、家族や友人と “ゆる~く” つながることの方に価値を見出そうとしているように見える。
だから、時には、祖父・祖母・夫婦・孫といった、家族の漠然とした広がりを大事にするような商品開発も必要になってくる。
キャンピングカーというのは、そういう流れの最先端をいく商品だと思うし、それを有効活用したキャンプという行事は、3世代が遊べる理想的なレジャーだと思うのだけれど。
2011年03月07日
OMCの北斗
その昔、テレビCMで脚光を浴びた、
「亭主元気で留守がいい」
というキャッチコピーは、いまだ健在のようだ。
たまの休日の土日、家でカミさんと一緒の過ごす時間が長引くと、ふとため息のように、カミさんの口からついて出る言葉が、
「亭主元気で留守がいい」。
▼ 「タンスにゴン、亭主元気で留守がいい」 という防虫剤のCM(1986年)

カミさんは言う。
「1日顔を合わせただけで、こんなに鬱陶しいのに、あなたが定年退職を迎えて、毎日顔を合わせるとなると、この先どうなってしまうのかしら」
私のように、奴隷のようにかいがいしく尽くす旦那を持ったうちのカミさんですら、こうなのだ。
「熟年離婚」 という言葉が盛んにマスコミで取り上げられるようになったのは、今から5~6年ぐらい前だったか。
離婚訴訟の主たる原因は、それまで 「夫の浮気」 などという生臭い原因が多かったが、熟年離婚は、ちょいと違う。
それまで、朝早くから会社に出かけて、帰りは遅かった夫が、定年退職を機会に、朝から晩まで家にはりついて動かない。
起きてくればリビングのテレビは独占し、見るのはスポーツ中継かニュースだけ。
そして、どうでもいい事件に、やたら腹を立てる。
くわえて、朝、昼、晩 「めし」 といって、口を空けて待っているだけ。
まず、この生活リズムの激変に、たいていの奥さんは耐え切れない。
旦那さんからすれば、とても離婚の原因にならないような、そんなことが、奥さんにとっては、立派な離婚の動機になったりすることがある。
つまり、奥さんから見れば、会社でどのような業績を残した夫であろうとも、家の中に入れば、 “ただの人” 。
そういう夫が、社会から切り離されて家に居座り、しかも女房に無理解で、男としての魅力も失ってしまえば、赤ん坊よりも始末が悪い。
一方、奥さんの方はどうかというと、旦那さんたちが外に出ている間に、近所の主婦たちとコミュニティのようなものを結成して、豊かな社会関係を構築している。
女性同士で、お茶したり、食事したり、時には一緒に旅行に行くなど、ガールズトークを楽しんでいる。
そういう奥さんに対して、
「おい、お前、そんなにお洒落してどこに行くんだ?」
と、口うるさく質問を浴びせる旦那さんは、うんざりする存在なのだ。
せめて、何かの趣味をつくって、自分一人でも旅行に出かけたりする時間を持ってほしい。
旦那さんに対して、そう期待する奥さんは多いようだ。
実は、最近 「男の一人旅」 を開発テーマに掲げたキャンピングカーが密かに注目されているのも、そんな背景が絡んでいるのかもしれない。
現在、 「キャンピングカーによる夫婦の二人旅」 はますます盛んになっているが、それと並行して、一方では、 「最近旅に誘っても、カミさんがついて来なくなってねぇ」 という旦那のつぶやきもチラホラ聞こえるようになった。
あと、何年後になるのか。
日本では、「一人でも充実した時間をつくれる文化」 というものが急速に求められる時代が来るような気がする。
それは、朝日新聞が取り上げた 「孤族」 というような、寂しい一人生活ではなく、むしろ一人の時間をどうマネージメントするかということを学び、そこから再び他者とつながる回路を模索するような、プラス志向の動きになると思う。
20年後の2030年には、50~60代の男性の4人に1人が一人暮らしになり、50歳男性のうち、3人に1人は未婚のまま終わるという推論も立てられているそうだ。
マスコミは、こういう傾向を “孤独な社会の到来” という論調で染め上げるのが好きだが、孤独に対する耐性を身につけるということは、他者とのつながりを再構築するためのヒントになるはずだ。
孤独なシニアは、もっともっとその孤独を突き詰めたらいい。
そうすれば、人と人がつながるときに大切なものというのも分かってくるのではないか。
妻からうとんじられる旦那さんというのは、まだ本当に 「孤独」 というものと直面していないのだ。
だから、キャンピングカーによる旦那さんの 「一人旅」 には大いに賛成だ。
車内のダイネットに一人で座り、外の景色など見ながら、冷蔵庫から取り出したビールを一杯あおる。
目の前にいるはずの奥さんが、今日はいない。
……寂しい。
でも、それは自由な時間を享受することにもなるはずだ。
車内のテレビで漫然とニュースを見るよりも、そんなときはテレビのスイッチを消して、目の前にいない奥さんに対し、 “心の対話” を試みたらどうか。
意外と、若い頃に感じて、その後忘れていた奥さんの魅力を再発見するかもしれない。
それが、キャンピングカーによる 「二人旅」 の再出発になるはずだ。
そんなことを見越して開発されたのではないかと思われるキャンピングカーが、オーエムシー (OMC) のニュー 「北斗」 である。

全長4.84mのハイエースのワゴンロングをベースとしたバンコンで、その取り回しの良さから、もともと、釣り、写真、天体観測などのベース基地として使う男性の一人旅用キャンピングカーとして人気のあったクルマだ。
もちろん、もとは夫婦の 「二人旅」 車両として開発されたクルマだから、初期のモデルは、ベッド展開のできるロングソファーの上に、さらに上段ベッドを設定できるようになっていた。
しかし、このクルマに関しては、意外とシングルで使っているケースが多いことに、開発陣は気づいた。
確かに、 「二人用」 のクルマではあるが、レイアウトや家具の質感などに、どことなく “男の隠れ家” 的な風情がある。
そのため、この車両に関しては、けっこう自由きままな一人旅を満喫する男性たちが多かったのだ。

今年開発されたニュー 「北斗」 (↑) は、一人旅の満足感をよりストレートに追求したものになっている。
そのため、2段ベッドの採用も控え、家具色もダークなものにして、男好みのテイストを意識したコーディネートがなされた。
ソファーもステッチ縫いや飾り縫いを施した質感の高いもの。さらに、本革シート(op.) も用意されるなど、充実した “男の個室” を満喫できる仕様が実現されている。


キャッチは、ずばり 「シングルユース」 。
「シングルオンリー」 と謳っていないところがミソ。
一人で使ったときの充実感を大切にしながら、二人旅のキャパシティも完璧に満たした車両であるとのこと。
もちろん、ソファーをベッドメイクしたときのサイズは1,900×1,250㎜だから、実質的には二人分の就寝スペースが確保されている。

オーエムシーの大間社長は、
「ホテルに例えれば、ダブルベッドやツインベッドの部屋を、一人で贅沢に使うとことを想定してもらえればいい」
と語る。

「シングルユース」 を広告展開にも堂々と謳ったキャンピングカーは、この北斗がはじめてだが、実際には、キャンピングカーを一人で使いたいというニーズはそうとう前から高まっており、キャンピングカー販売店のスタッフたちも、最近はそのような事例を目にする機会が増えたとよく口にする。
さらに、そのような一人旅ユーザーが、道の駅やキャンプ場などで、同じような旅を楽しむユーザーと出会い、そこで一杯酌み交わしながらキャンピングカー談義にふけるなどという話も耳にするようになった。
見ず知らずの男同士でも、キャンピングカー仲間なら会話も弾む。
そのような気のおけない会話の中で、自分たちの人生を振り返ったり、お互いの趣味を確認し合ったりする人たちが最近は多いらしい。
男たちは、キャンピングカーを通じて、ようやく仕事を離れた場所での社会性を身につけるようになってきたのだ。
定年退職後の旦那さんと奥さんの気持ちのスレ違いは、この 「仕事を離れた場所」 での “社会性” のあるなしから生じることが多い。
あと数年もしたら、シングル族たちの、このようなキャンピングカーを媒介にした新しいコミュニケーション空間のことがきっと話題になってくるだろう。
そのようにして、職場とは異なる人間関係の結び方を学んだ男たちが家に戻ってきたとき、キャンピングカーによる 「夫婦二人のくるま旅」 は、また新しい局面を迎えると思う。
「亭主元気で留守がいい」
というキャッチコピーは、いまだ健在のようだ。
たまの休日の土日、家でカミさんと一緒の過ごす時間が長引くと、ふとため息のように、カミさんの口からついて出る言葉が、
「亭主元気で留守がいい」。
▼ 「タンスにゴン、亭主元気で留守がいい」 という防虫剤のCM(1986年)

カミさんは言う。
「1日顔を合わせただけで、こんなに鬱陶しいのに、あなたが定年退職を迎えて、毎日顔を合わせるとなると、この先どうなってしまうのかしら」
私のように、奴隷のようにかいがいしく尽くす旦那を持ったうちのカミさんですら、こうなのだ。
「熟年離婚」 という言葉が盛んにマスコミで取り上げられるようになったのは、今から5~6年ぐらい前だったか。
離婚訴訟の主たる原因は、それまで 「夫の浮気」 などという生臭い原因が多かったが、熟年離婚は、ちょいと違う。
それまで、朝早くから会社に出かけて、帰りは遅かった夫が、定年退職を機会に、朝から晩まで家にはりついて動かない。
起きてくればリビングのテレビは独占し、見るのはスポーツ中継かニュースだけ。
そして、どうでもいい事件に、やたら腹を立てる。
くわえて、朝、昼、晩 「めし」 といって、口を空けて待っているだけ。
まず、この生活リズムの激変に、たいていの奥さんは耐え切れない。
旦那さんからすれば、とても離婚の原因にならないような、そんなことが、奥さんにとっては、立派な離婚の動機になったりすることがある。
つまり、奥さんから見れば、会社でどのような業績を残した夫であろうとも、家の中に入れば、 “ただの人” 。
そういう夫が、社会から切り離されて家に居座り、しかも女房に無理解で、男としての魅力も失ってしまえば、赤ん坊よりも始末が悪い。
一方、奥さんの方はどうかというと、旦那さんたちが外に出ている間に、近所の主婦たちとコミュニティのようなものを結成して、豊かな社会関係を構築している。
女性同士で、お茶したり、食事したり、時には一緒に旅行に行くなど、ガールズトークを楽しんでいる。
そういう奥さんに対して、
「おい、お前、そんなにお洒落してどこに行くんだ?」
と、口うるさく質問を浴びせる旦那さんは、うんざりする存在なのだ。
せめて、何かの趣味をつくって、自分一人でも旅行に出かけたりする時間を持ってほしい。
旦那さんに対して、そう期待する奥さんは多いようだ。
実は、最近 「男の一人旅」 を開発テーマに掲げたキャンピングカーが密かに注目されているのも、そんな背景が絡んでいるのかもしれない。
現在、 「キャンピングカーによる夫婦の二人旅」 はますます盛んになっているが、それと並行して、一方では、 「最近旅に誘っても、カミさんがついて来なくなってねぇ」 という旦那のつぶやきもチラホラ聞こえるようになった。
あと、何年後になるのか。
日本では、「一人でも充実した時間をつくれる文化」 というものが急速に求められる時代が来るような気がする。
それは、朝日新聞が取り上げた 「孤族」 というような、寂しい一人生活ではなく、むしろ一人の時間をどうマネージメントするかということを学び、そこから再び他者とつながる回路を模索するような、プラス志向の動きになると思う。
20年後の2030年には、50~60代の男性の4人に1人が一人暮らしになり、50歳男性のうち、3人に1人は未婚のまま終わるという推論も立てられているそうだ。
マスコミは、こういう傾向を “孤独な社会の到来” という論調で染め上げるのが好きだが、孤独に対する耐性を身につけるということは、他者とのつながりを再構築するためのヒントになるはずだ。
孤独なシニアは、もっともっとその孤独を突き詰めたらいい。
そうすれば、人と人がつながるときに大切なものというのも分かってくるのではないか。
妻からうとんじられる旦那さんというのは、まだ本当に 「孤独」 というものと直面していないのだ。
だから、キャンピングカーによる旦那さんの 「一人旅」 には大いに賛成だ。
車内のダイネットに一人で座り、外の景色など見ながら、冷蔵庫から取り出したビールを一杯あおる。
目の前にいるはずの奥さんが、今日はいない。
……寂しい。
でも、それは自由な時間を享受することにもなるはずだ。
車内のテレビで漫然とニュースを見るよりも、そんなときはテレビのスイッチを消して、目の前にいない奥さんに対し、 “心の対話” を試みたらどうか。
意外と、若い頃に感じて、その後忘れていた奥さんの魅力を再発見するかもしれない。
それが、キャンピングカーによる 「二人旅」 の再出発になるはずだ。
そんなことを見越して開発されたのではないかと思われるキャンピングカーが、オーエムシー (OMC) のニュー 「北斗」 である。
全長4.84mのハイエースのワゴンロングをベースとしたバンコンで、その取り回しの良さから、もともと、釣り、写真、天体観測などのベース基地として使う男性の一人旅用キャンピングカーとして人気のあったクルマだ。
もちろん、もとは夫婦の 「二人旅」 車両として開発されたクルマだから、初期のモデルは、ベッド展開のできるロングソファーの上に、さらに上段ベッドを設定できるようになっていた。
しかし、このクルマに関しては、意外とシングルで使っているケースが多いことに、開発陣は気づいた。
確かに、 「二人用」 のクルマではあるが、レイアウトや家具の質感などに、どことなく “男の隠れ家” 的な風情がある。
そのため、この車両に関しては、けっこう自由きままな一人旅を満喫する男性たちが多かったのだ。
今年開発されたニュー 「北斗」 (↑) は、一人旅の満足感をよりストレートに追求したものになっている。
そのため、2段ベッドの採用も控え、家具色もダークなものにして、男好みのテイストを意識したコーディネートがなされた。
ソファーもステッチ縫いや飾り縫いを施した質感の高いもの。さらに、本革シート(op.) も用意されるなど、充実した “男の個室” を満喫できる仕様が実現されている。
キャッチは、ずばり 「シングルユース」 。
「シングルオンリー」 と謳っていないところがミソ。
一人で使ったときの充実感を大切にしながら、二人旅のキャパシティも完璧に満たした車両であるとのこと。
もちろん、ソファーをベッドメイクしたときのサイズは1,900×1,250㎜だから、実質的には二人分の就寝スペースが確保されている。
オーエムシーの大間社長は、
「ホテルに例えれば、ダブルベッドやツインベッドの部屋を、一人で贅沢に使うとことを想定してもらえればいい」
と語る。
「シングルユース」 を広告展開にも堂々と謳ったキャンピングカーは、この北斗がはじめてだが、実際には、キャンピングカーを一人で使いたいというニーズはそうとう前から高まっており、キャンピングカー販売店のスタッフたちも、最近はそのような事例を目にする機会が増えたとよく口にする。
さらに、そのような一人旅ユーザーが、道の駅やキャンプ場などで、同じような旅を楽しむユーザーと出会い、そこで一杯酌み交わしながらキャンピングカー談義にふけるなどという話も耳にするようになった。
見ず知らずの男同士でも、キャンピングカー仲間なら会話も弾む。
そのような気のおけない会話の中で、自分たちの人生を振り返ったり、お互いの趣味を確認し合ったりする人たちが最近は多いらしい。
男たちは、キャンピングカーを通じて、ようやく仕事を離れた場所での社会性を身につけるようになってきたのだ。
定年退職後の旦那さんと奥さんの気持ちのスレ違いは、この 「仕事を離れた場所」 での “社会性” のあるなしから生じることが多い。
あと数年もしたら、シングル族たちの、このようなキャンピングカーを媒介にした新しいコミュニケーション空間のことがきっと話題になってくるだろう。
そのようにして、職場とは異なる人間関係の結び方を学んだ男たちが家に戻ってきたとき、キャンピングカーによる 「夫婦二人のくるま旅」 は、また新しい局面を迎えると思う。
2011年03月05日
アレクサンドリア
エジプトに 「アレクサンドリア」 という街がある。
紀元前に、マケドニアのアレクサンダー大王が建設した都市で、古代より地中海貿易の要所として栄えた。
ローマ帝国に併合されていた時代には、文学、歴史、地理学、数学、天文学、医学などの諸学問の栄える古代北アフリカ最大の文明都市となっていた。
そのローマ帝国の末期、その街で、ヒュパティアという女性科学者が活躍していた。
哲学者であり、天文学者でもあった。
一説によると、この時代において、すでに、後にコペルニクスの唱えた 「地動説」 をイメージできるような感受性を備えた女性であったらしい。
そんな彼女の生涯をテーマにした映画が公開された。
タイトルは 『アレクサンドリア』 (原題アゴラ) 。

見たいんだけど、この時期はちょっと無理。
DVD化されてから見ることになるだろう。
なんでこの映画が気になったかというと、ここでは彼女が、キリスト教徒の迫害によって無残な最期を遂げる、と紹介されていたからだ。
昔から、古代ローマ帝国を舞台に選んだ歴史劇は、キリスト教徒が迫害されるシーンをさんざん撮り尽くしてきたが、ここでは逆転されている。
“開かれた学問” を目指す知的な女性が、逆にキリスト教徒から迫害されるのだ。
紀元400年代の地中海世界では、すでにローマ帝国によって “国教化” されていたキリスト教による宗教体系・文化体系の書き換えがものすごい勢いで進んでいた。
キリスト教化された人々は、それまでの古代文明を 「異教的で背徳的な文明である」 という理由で、ことごとく排撃し、それまでの文化施設を破壊し始めていた。
それまでのローマ帝国の文化というのは、多神教を背景にした “何でもあり” の世界だった。
いわば 「価値の多元化」 が認められた社会なわけで、科学や天文学、哲学などの隆盛も、価値の多元化を認める人々の自由な精神によって支えられたものだった。
だが、この時代のキリスト教は、 “神の教える一つの真実” 以外のものを認めなかった。
極端に原理主義的だったのである。それは、ある意味で 「科学」 を否定するものであり、 「哲学」 を封じ込めるものであった。
人間が、この世に起こる不可思議な現象に対して、 「なぜ?」 と考えることは、神の創った世界を疑うことである。
したがって、この世に 「疑問」 や 「懐疑」 はあってはならない。
だから、 「科学を支える精神は人間の自由にある」 と説く女性学者ヒュパティアの思想は、その時代のキリスト教徒たちから見れば、忌むべき異端の思想だったのだろう。
この 『アレクサンドリア』 という映画のレビューを読んで、まず思い出したのは、辻邦生の書いた 『背教者ユリアヌス』 という小説である。
ユリアヌスは、キリスト教国家となったローマ帝国の皇帝でありながら、キリスト教化された宗教・文化体系になじめず、ギリシャ・ローマ時代の宗教を復活させ、キリスト教徒によって破壊された古代の神殿を次々と再建していった人である。
彼は、価値の多元化を認める古代宗教の精神を尊いものとして、それを認めないキリスト教聖職者の持っていたさまざまな特権を取り上げた。
当然、当時のキリスト教会の実力者との暗闘が始まる。
キリスト教徒側からすれば、ユリアヌスは、 「時代に逆行する野蛮な暴君」 であった。
もちろん、彼の “宗教革命” が成就しなかったのは、キリスト教教義が全ヨーロッパを覆っていったという、その後の歴史が証明するとおりである。
この小説は感動的であった。
宗教と哲学、宗教と思想を考えるときの原点となるような物語だと思った。
映画 『アレクサンドリア』 に注目したのは、テーマが同じだという期待があるからだ。
ヒュパティアを惨殺し、ユリアヌスの業績を葬り去ったキリスト教的世界は、その後ヨーロッパをどう変えたのか。
「暗黒時代」 といわれる中世をもたらした。
この時代、無知であること、貧しいことが美徳とされ、ギリシャ・ローマの古典文学は焼かれるか、捨てられるかして消滅させられ、古代文明の遺跡は 「悪魔の宮殿」 とされて、近づく者すらいなかった。
しかし、……と思うのだ。
全ヨーロッパを襲ったキリスト教的な世界観というのは、やはり、それまでの人間が抱いたこともなかったような、まったく新しい認識を人間にもたらしたように思う。
それは、
「世の中の真実は、人間の観察力とか認識力を離れたところに存在している」
という考え方であった。
つまり、絶対的な神でしか知りえない真実。
そのような真実の前に、ただただ人間は真摯に向きあうしかないという姿勢を取ることを、キリスト教文明は諭した。
このような考え方は、人間をどう変えたか。
「いま目の前に起こっていることには、必ず “裏がある” 」
と考えるようなクセを人間に強いた。
「裏」 とは、人間の認識力とか観察力を超えたところに存在する “真実” のことである。
「人間」 が主体であった古代文明社会において、この世に 「裏に隠された真実」 はなかった。
卓越した観察者の主観が、 「真実」 の全てだった。
しかし、 「この世には (神しか知りえないような) 人間には見えない真実がある」 という思考パターンは、ある意味、キリスト教が排斥しようとした 「科学の目」 を、逆に育てることになった。
ここが面白いところだ。
われわれは、ともすると 「宗教と科学は対立するものだ」 という先入観を抱きがちだが、近代科学というのは、実は、キリスト教的な思考パターンがもたらしたものともいえるのだ。
神のつくる世界は無謬である。
それは、完璧な合理主義に貫かれた世界であり、未熟なまま生まれた無知な人間は、その合理性に到達できない。
そのような、ヨーロッパ人のキリスト者としての “謙虚さ” が、神の合理性を肯定する気持ちを醸成し、それがやがて、近代合理主義をはぐくむ土壌を形成していく。
こうして醸成された思考パターンの例は、われわれの日常生活の中に、ごく当たり前のように定着している。
たとえば、推理ドラマとか、サスペンスとかいわれる娯楽形式。
“真犯人” は、かならず普通の人間の観察力とか推理力を離れたところに存在している。最初に出てくる、いかにも犯人らしい犯人というのは、実は真犯人ではない。
普通の人間の努力では到達できないような走査方法とか、推理力を働かした超人でなければ、その 「真犯人」 には到達できない。
そういう思考パターンというのは、きわめてキリスト教的であり、サスペンスという娯楽形式は、まさに神のドラマなのだ。
20世紀の心理学に決定的な影響を及ぼしたフロイトの精神分析も、神のドラマだった。
彼の精神分析学では、人間の心の中には、その人でも到達できない “心の闇”が存在しているとされる。
それをフロイトは 「無意識」 と呼んだが、このような無意識の世界が見出されたというのも、まさに、 「真実は、人間の認識力とか観察力を超えたところに存在する」 というキリスト教的思考パターンがもたらしたものだといえそうだ。
これはやはり、多神教的な宗教を持った文明圏からは出てこない発想だ。
なぜなら、多神教的な世界観では、あらゆる価値が等価であり、どんな “真実” が乱立しようとも、それぞれが尊重されるからだ。
「合理性」 を求めるという意識は、真実は一つしかないという思考を生むから、多神教文明からは、今われわれが知っているような 「近代合理主義」 は生まれない。
もちろん、 「近代科学」 も生まれない。
皮肉なことに、古代アレクサンドリアでキリスト教徒の迫害を受けたヒュパティアの試みは、キリスト教化された後世の人間たちによって完成されたのだ。
ただ、そのようなキリスト教的な合理主義が、人間に幸せをもたらせたかどうか、ということは、また別問題である。
「真実は一つ」 と説く神の合理性は、確かにヨーロッパ人たちに浸透し、結果的に、それが現代文明の主流を形成するに至ったが、そういう世界に生きているわれわれは、それだけで幸せになれたのか。
「この世には、どのような真実もありうる」
と考えた方が、生きていく上では楽ではないのか? とも思うのだけれど…。
紀元前に、マケドニアのアレクサンダー大王が建設した都市で、古代より地中海貿易の要所として栄えた。
ローマ帝国に併合されていた時代には、文学、歴史、地理学、数学、天文学、医学などの諸学問の栄える古代北アフリカ最大の文明都市となっていた。
そのローマ帝国の末期、その街で、ヒュパティアという女性科学者が活躍していた。
哲学者であり、天文学者でもあった。
一説によると、この時代において、すでに、後にコペルニクスの唱えた 「地動説」 をイメージできるような感受性を備えた女性であったらしい。
そんな彼女の生涯をテーマにした映画が公開された。
タイトルは 『アレクサンドリア』 (原題アゴラ) 。

見たいんだけど、この時期はちょっと無理。
DVD化されてから見ることになるだろう。
なんでこの映画が気になったかというと、ここでは彼女が、キリスト教徒の迫害によって無残な最期を遂げる、と紹介されていたからだ。
昔から、古代ローマ帝国を舞台に選んだ歴史劇は、キリスト教徒が迫害されるシーンをさんざん撮り尽くしてきたが、ここでは逆転されている。
“開かれた学問” を目指す知的な女性が、逆にキリスト教徒から迫害されるのだ。
紀元400年代の地中海世界では、すでにローマ帝国によって “国教化” されていたキリスト教による宗教体系・文化体系の書き換えがものすごい勢いで進んでいた。
キリスト教化された人々は、それまでの古代文明を 「異教的で背徳的な文明である」 という理由で、ことごとく排撃し、それまでの文化施設を破壊し始めていた。
それまでのローマ帝国の文化というのは、多神教を背景にした “何でもあり” の世界だった。
いわば 「価値の多元化」 が認められた社会なわけで、科学や天文学、哲学などの隆盛も、価値の多元化を認める人々の自由な精神によって支えられたものだった。
だが、この時代のキリスト教は、 “神の教える一つの真実” 以外のものを認めなかった。
極端に原理主義的だったのである。それは、ある意味で 「科学」 を否定するものであり、 「哲学」 を封じ込めるものであった。
人間が、この世に起こる不可思議な現象に対して、 「なぜ?」 と考えることは、神の創った世界を疑うことである。
したがって、この世に 「疑問」 や 「懐疑」 はあってはならない。
だから、 「科学を支える精神は人間の自由にある」 と説く女性学者ヒュパティアの思想は、その時代のキリスト教徒たちから見れば、忌むべき異端の思想だったのだろう。
この 『アレクサンドリア』 という映画のレビューを読んで、まず思い出したのは、辻邦生の書いた 『背教者ユリアヌス』 という小説である。
ユリアヌスは、キリスト教国家となったローマ帝国の皇帝でありながら、キリスト教化された宗教・文化体系になじめず、ギリシャ・ローマ時代の宗教を復活させ、キリスト教徒によって破壊された古代の神殿を次々と再建していった人である。
彼は、価値の多元化を認める古代宗教の精神を尊いものとして、それを認めないキリスト教聖職者の持っていたさまざまな特権を取り上げた。
当然、当時のキリスト教会の実力者との暗闘が始まる。
キリスト教徒側からすれば、ユリアヌスは、 「時代に逆行する野蛮な暴君」 であった。
もちろん、彼の “宗教革命” が成就しなかったのは、キリスト教教義が全ヨーロッパを覆っていったという、その後の歴史が証明するとおりである。
この小説は感動的であった。
宗教と哲学、宗教と思想を考えるときの原点となるような物語だと思った。
映画 『アレクサンドリア』 に注目したのは、テーマが同じだという期待があるからだ。
ヒュパティアを惨殺し、ユリアヌスの業績を葬り去ったキリスト教的世界は、その後ヨーロッパをどう変えたのか。
「暗黒時代」 といわれる中世をもたらした。
この時代、無知であること、貧しいことが美徳とされ、ギリシャ・ローマの古典文学は焼かれるか、捨てられるかして消滅させられ、古代文明の遺跡は 「悪魔の宮殿」 とされて、近づく者すらいなかった。
しかし、……と思うのだ。
全ヨーロッパを襲ったキリスト教的な世界観というのは、やはり、それまでの人間が抱いたこともなかったような、まったく新しい認識を人間にもたらしたように思う。
それは、
「世の中の真実は、人間の観察力とか認識力を離れたところに存在している」
という考え方であった。
つまり、絶対的な神でしか知りえない真実。
そのような真実の前に、ただただ人間は真摯に向きあうしかないという姿勢を取ることを、キリスト教文明は諭した。
このような考え方は、人間をどう変えたか。
「いま目の前に起こっていることには、必ず “裏がある” 」
と考えるようなクセを人間に強いた。
「裏」 とは、人間の認識力とか観察力を超えたところに存在する “真実” のことである。
「人間」 が主体であった古代文明社会において、この世に 「裏に隠された真実」 はなかった。
卓越した観察者の主観が、 「真実」 の全てだった。
しかし、 「この世には (神しか知りえないような) 人間には見えない真実がある」 という思考パターンは、ある意味、キリスト教が排斥しようとした 「科学の目」 を、逆に育てることになった。
ここが面白いところだ。
われわれは、ともすると 「宗教と科学は対立するものだ」 という先入観を抱きがちだが、近代科学というのは、実は、キリスト教的な思考パターンがもたらしたものともいえるのだ。
神のつくる世界は無謬である。
それは、完璧な合理主義に貫かれた世界であり、未熟なまま生まれた無知な人間は、その合理性に到達できない。
そのような、ヨーロッパ人のキリスト者としての “謙虚さ” が、神の合理性を肯定する気持ちを醸成し、それがやがて、近代合理主義をはぐくむ土壌を形成していく。
こうして醸成された思考パターンの例は、われわれの日常生活の中に、ごく当たり前のように定着している。
たとえば、推理ドラマとか、サスペンスとかいわれる娯楽形式。
“真犯人” は、かならず普通の人間の観察力とか推理力を離れたところに存在している。最初に出てくる、いかにも犯人らしい犯人というのは、実は真犯人ではない。
普通の人間の努力では到達できないような走査方法とか、推理力を働かした超人でなければ、その 「真犯人」 には到達できない。
そういう思考パターンというのは、きわめてキリスト教的であり、サスペンスという娯楽形式は、まさに神のドラマなのだ。
20世紀の心理学に決定的な影響を及ぼしたフロイトの精神分析も、神のドラマだった。
彼の精神分析学では、人間の心の中には、その人でも到達できない “心の闇”が存在しているとされる。
それをフロイトは 「無意識」 と呼んだが、このような無意識の世界が見出されたというのも、まさに、 「真実は、人間の認識力とか観察力を超えたところに存在する」 というキリスト教的思考パターンがもたらしたものだといえそうだ。
これはやはり、多神教的な宗教を持った文明圏からは出てこない発想だ。
なぜなら、多神教的な世界観では、あらゆる価値が等価であり、どんな “真実” が乱立しようとも、それぞれが尊重されるからだ。
「合理性」 を求めるという意識は、真実は一つしかないという思考を生むから、多神教文明からは、今われわれが知っているような 「近代合理主義」 は生まれない。
もちろん、 「近代科学」 も生まれない。
皮肉なことに、古代アレクサンドリアでキリスト教徒の迫害を受けたヒュパティアの試みは、キリスト教化された後世の人間たちによって完成されたのだ。
ただ、そのようなキリスト教的な合理主義が、人間に幸せをもたらせたかどうか、ということは、また別問題である。
「真実は一つ」 と説く神の合理性は、確かにヨーロッパ人たちに浸透し、結果的に、それが現代文明の主流を形成するに至ったが、そういう世界に生きているわれわれは、それだけで幸せになれたのか。
「この世には、どのような真実もありうる」
と考えた方が、生きていく上では楽ではないのか? とも思うのだけれど…。
2011年03月03日
AtoZのバンビ
真後ろにエントランスドアを持ってきたキャブコンは、意外と少ない。
トラックキャンパー (ピックアップキャビン) は例外なくこのスタイルだが、それはトラックの荷台にキャビンを積載するという性格上、必然的にその形を取らざるを得ないわけで、これは分かる。
しかし、キャブコンになると、ほとんど見かけない。
なんでだろう?
…と思う。
自分の乗っているキャンピングカーが、まさにこのバックエントランスモデル。
それだけに、その使い勝手の良さは“折り紙付き”だと思うのだけれど、ごく少数のキャブコンを除くと、あまり “同士” がいない。
だから、同じバックエントランスの仲間を見ると、それだけで、抱擁を交わして頬ずりしたくなる。
このバックエントランスの利点は、レイアウトの自由度を生かしたスペース効率の良さにある。
なにしろ、フロント側にせよ、リヤ側にせよ、サイドパネルにドアをつけると、ステップの面積も含め、それだけでデッドスペースが生まれる。
それを解消するのがバックエントランス・スタイル。
ドアをダイネットから遠ざけることによって、リビングに広がりを持たせることができるし、かなり長めのサイドソファーを置くことも可能だ。
ボディ長のあるクルマなら、扉をどこに設けようが、室内のゆとりは確保できるだろうけれど、5m程度のキャブコンの場合、バックエントランスを実現することによって得られるダイネットの解放感は筆舌に尽くしがたい。
もちろん、リヤ2段ベッドなどは組めないので、夫婦・親子がダイネットを崩さずに就寝するなどという芸当はできない。
また、入口がオーニングの下に来ない…とか、リヤにサイクルキャリアが積めない…などというデメリットも生まれる。
しかし、使っている自分から見ると、たいした問題じゃない。
そのようなことよりも、ボディが小さくても広々したリビングが取れるということのメリットの方がよほど大きい。
また、横側の扉がすべて開かないような狭い駐車スペースに押し込んだ時に、真後ろから出入りできるというのは、意外と便利なのだ。
そんなわけで、バックエントランスの自分のクルマに無類の愛着を感じている私は、同じような設計思想のクルマに出会うと、やっぱりうれしい。
「身内」 、ないしは 「仲間」 という意識が生まれる。
その仲間の一人が、AtoZ (エートゥゼット) さんのバンビ。

同社は、すでにアミティRRで、このバックエントランスモデルを成功させている。
ただ、さすがにボンゴのボディ長では、前向きシートを入れることはかなわず、サイドパネルを背にテーブルを挟むという変形ダイネットの形に収めた。
もちろん、これはヨーロッパ高級車にもあるスタイルだから、広さは取れるし、ゆったり感も生まれる。
しかし、基本的には横座りシートなので、 「夫婦2人用」 。家族が数人いた場合は、走行中には横座りで移動しなければならない人が出てくる。
そこで、ボディ長にゆとりのある日産アトラスを使い、走行中は前向きになるセカンドシートを確保したのが、このアトラスベースのバンビなのだ。

よくできたクルマである。
ダイネット周りの解放感を実現するために、縦方向に伸びる家具類を全部リヤ側の通路に振り分けて集中させた。

バックエントランスから入ると、右がカセットトイレの装着も可能なマルチルーム。
左はクローゼット。
クローゼットの隣には、引き出しに小分けされた室内収納が並ぶ。
収納の上は、40リットル冷蔵庫。
その上が電子レンジ。
生活機能を全部リヤ側に回したので、ダイネットには、応接間的な 「ゆとり」 と 「贅沢さ」 が加わった。そのため 「リビング」 、あるいは 「サロン」 という言葉がふさわしい雰囲気が生まれている。

実は、このクルマには新しい試みがある。
キッチン手前まで土足で上がっていけるように、床にFRP製のトレーが敷かれているのだ。
これは、どうしても入口周りに広いステップと下駄箱を確保しづらいバックエントランスの弱点を補うもの。
このFRP製トレーが、ちょうど家屋の“玄関”の役目を果たしており、そこが靴置き場となる。
実は、私の場合はもっと徹底しており、通路は全部マットで埋めて、 「オール土足OK」 にした。自動車用ゴム製フロアマットを通路幅に合わせて切り、それをつなげたのだ。
だから、バックドアから土足で入り、そのまま運転席に座って走り出すことができる。
汚れたら洗えるので、少々泥のついた靴で上がっても犬がオシッコを漏らしても大丈夫。おかけで、マット下のカーペットは新品同様である。
バンビの場合は、FRPトレーが冷蔵庫の先で途切れるが、野外から冷たい飲み物などを冷蔵庫に取りに入ったときなど、そこまでは土足で上がれる。
同社はアミティRRにも、同様のトレーを開発したという。
バンテックのコルド・ランディというキャブコンも、開発スタッフが “土間” と名づけるくらいの広々としたFRP製トレーをドア内側に設けている。
このような 「土足OKスペース」 は、こらからじわじわっと日本のキャブコンにも広がっていくかもしれない。
子供と犬がいれば、そういうスペースの 「ありがたみ」 も分かってくるからね。
トラックキャンパー (ピックアップキャビン) は例外なくこのスタイルだが、それはトラックの荷台にキャビンを積載するという性格上、必然的にその形を取らざるを得ないわけで、これは分かる。
しかし、キャブコンになると、ほとんど見かけない。
なんでだろう?
…と思う。
自分の乗っているキャンピングカーが、まさにこのバックエントランスモデル。
それだけに、その使い勝手の良さは“折り紙付き”だと思うのだけれど、ごく少数のキャブコンを除くと、あまり “同士” がいない。
だから、同じバックエントランスの仲間を見ると、それだけで、抱擁を交わして頬ずりしたくなる。
このバックエントランスの利点は、レイアウトの自由度を生かしたスペース効率の良さにある。
なにしろ、フロント側にせよ、リヤ側にせよ、サイドパネルにドアをつけると、ステップの面積も含め、それだけでデッドスペースが生まれる。
それを解消するのがバックエントランス・スタイル。
ドアをダイネットから遠ざけることによって、リビングに広がりを持たせることができるし、かなり長めのサイドソファーを置くことも可能だ。
ボディ長のあるクルマなら、扉をどこに設けようが、室内のゆとりは確保できるだろうけれど、5m程度のキャブコンの場合、バックエントランスを実現することによって得られるダイネットの解放感は筆舌に尽くしがたい。
もちろん、リヤ2段ベッドなどは組めないので、夫婦・親子がダイネットを崩さずに就寝するなどという芸当はできない。
また、入口がオーニングの下に来ない…とか、リヤにサイクルキャリアが積めない…などというデメリットも生まれる。
しかし、使っている自分から見ると、たいした問題じゃない。
そのようなことよりも、ボディが小さくても広々したリビングが取れるということのメリットの方がよほど大きい。
また、横側の扉がすべて開かないような狭い駐車スペースに押し込んだ時に、真後ろから出入りできるというのは、意外と便利なのだ。
そんなわけで、バックエントランスの自分のクルマに無類の愛着を感じている私は、同じような設計思想のクルマに出会うと、やっぱりうれしい。
「身内」 、ないしは 「仲間」 という意識が生まれる。
その仲間の一人が、AtoZ (エートゥゼット) さんのバンビ。
同社は、すでにアミティRRで、このバックエントランスモデルを成功させている。
ただ、さすがにボンゴのボディ長では、前向きシートを入れることはかなわず、サイドパネルを背にテーブルを挟むという変形ダイネットの形に収めた。
もちろん、これはヨーロッパ高級車にもあるスタイルだから、広さは取れるし、ゆったり感も生まれる。
しかし、基本的には横座りシートなので、 「夫婦2人用」 。家族が数人いた場合は、走行中には横座りで移動しなければならない人が出てくる。
そこで、ボディ長にゆとりのある日産アトラスを使い、走行中は前向きになるセカンドシートを確保したのが、このアトラスベースのバンビなのだ。
よくできたクルマである。
ダイネット周りの解放感を実現するために、縦方向に伸びる家具類を全部リヤ側の通路に振り分けて集中させた。
バックエントランスから入ると、右がカセットトイレの装着も可能なマルチルーム。
左はクローゼット。
クローゼットの隣には、引き出しに小分けされた室内収納が並ぶ。
収納の上は、40リットル冷蔵庫。
その上が電子レンジ。
生活機能を全部リヤ側に回したので、ダイネットには、応接間的な 「ゆとり」 と 「贅沢さ」 が加わった。そのため 「リビング」 、あるいは 「サロン」 という言葉がふさわしい雰囲気が生まれている。
実は、このクルマには新しい試みがある。
キッチン手前まで土足で上がっていけるように、床にFRP製のトレーが敷かれているのだ。
これは、どうしても入口周りに広いステップと下駄箱を確保しづらいバックエントランスの弱点を補うもの。
このFRP製トレーが、ちょうど家屋の“玄関”の役目を果たしており、そこが靴置き場となる。
実は、私の場合はもっと徹底しており、通路は全部マットで埋めて、 「オール土足OK」 にした。自動車用ゴム製フロアマットを通路幅に合わせて切り、それをつなげたのだ。
だから、バックドアから土足で入り、そのまま運転席に座って走り出すことができる。
汚れたら洗えるので、少々泥のついた靴で上がっても犬がオシッコを漏らしても大丈夫。おかけで、マット下のカーペットは新品同様である。
バンビの場合は、FRPトレーが冷蔵庫の先で途切れるが、野外から冷たい飲み物などを冷蔵庫に取りに入ったときなど、そこまでは土足で上がれる。
同社はアミティRRにも、同様のトレーを開発したという。
バンテックのコルド・ランディというキャブコンも、開発スタッフが “土間” と名づけるくらいの広々としたFRP製トレーをドア内側に設けている。
このような 「土足OKスペース」 は、こらからじわじわっと日本のキャブコンにも広がっていくかもしれない。
子供と犬がいれば、そういうスペースの 「ありがたみ」 も分かってくるからね。
2011年03月02日
かるキャン
軽自動車をベースにした 「軽キャンピングカー」 というのは、まさに日本独自の文化である。
これこそ 「茶室」 や 「盆栽」 といったような、 “広大な宇宙を極小の世界に封じ込める” という日本的な精神風土を抜きにしては考えられない世界かもしれない。
特に、最近の軽キャンピングカーの内装を見ると、日本人のひらめきとワザを注入し、それこそ 「巧緻を極める」 という言葉がピッタリの作り込みを行っているものが多い。
搭載家具や装備品に凝る、という意味ではなく、使い勝手を追求するためのアイデアの生かし方が、巧緻を極めているのだ。
そのような例の筆頭が、コイズミの 「かるキャン」 である。

デビューは2009年春の 「大阪アウトドアフェスティバル」 。
一般の来場者が会場に入る前から、すでに出展業者たちの間では、この 「かるキャン」 の話題で持ちきりだった。

「軽自動車ベースでありながら、室内が横方向に広がるスライドアウト機構を持っている」
「のみならず天井が持ち上がり、軽自動車の荷室に、あたかも “三角屋根のバンガロー” のような建物が出現する」
「へぇー! じゃ俺も見に行こうか」
会場の出展業者さんたちのほとんどは、接客の合間をぬって 「かるキャン」 のブースに足を運んだはずである。
なにしろ、走行中の状態は、全長3,395mm、全幅1,475mm、全高1,930mm。
軽自動車の規格を完璧に満たしている。
なのに、シェル部分を手巻き式のルーフアップウィンチを使って拡張すると、全長こそ変わらないものの、全幅は2,090mm、全高は2,860mmまで拡張される。室内幅でいえば、695mmの延長となり、室内高は870mmアップされることになる。

軽規格を満たしながら、なんと広々とした空間が実現されたことか。
夫婦2人の用のクルマながら、軽キャンピングカーにおいては最も贅沢な室内空間を持つ “2人旅” のクルマが誕生したことになる。

あれから3年。
当初は、ディテールの仕上げよりもアイデアのユニークさが先行したクルマだったが、その後、時を重ねるたびに細かいところのリファインが徹底され、現在はきわめて実用性・信頼性の高い仕上がりを示すようになった。
このクルマの開発を手がけた株式会社コイズミの宮田芳孝部長は語る。

「開発時にいちばん悩んでいたのは、実は、室内を拡張したときの “隙間” だったんです。合わせ目から忍びこんでくる空気をどうしようもできなかったんですね。
しかし、その後ブラシを付けてみたり、内側からカバーを張ってボタンで止めるような改良を施してみたりと快適性の追求に励みました。今はさらに効果的な方法を思いついています」
このような “隙間対策” をはじめ、金属部分がむき出しになっていたスライドレールなどにも植毛塗装を施すなど、 「かるキャン」 のクオリティ感・グレード感は日増しに上がった。
その努力が評価され、2010年には日本産業デザイン振興会が審査する 「グッドデザイン賞」 を受賞している。

▲ かるキャンルーミー
2011年の幕張ショーから新バージョンの 「ルーミー」 が加わった。
これは、スタンダードタイプにあったキッチンカウンターをレスし、その分、フロアベッドの広さを追求したもの。夫婦2人なら、ごろごろと寝返りを打って寝られるという広いベッドが売りだ。
キッチンカウンターのほか、上段ベッドもレスされているので、価格的にも買いやすくなっている。
ちなみに、スタンダード仕様の 「かるキャン」 は、税込み259.6万円。
今、宮田部長が力を入れているのは、このクルマをさらに面白く使いこなすためのソフトづくりだ。
彼は、
「購入することが、必ずしもベストだとは思っていない」
という。
「それよりも、まず最初はレンタカーとして使ってみては?」
というのだ。
現に、コイズミでは、岡山と香川に8店舗の営業所を構える 「平成レンタカー」 という会社と提携を結び、そこにレンタカーとしての 「かるキャン」 を提供している。
1日単位の基本料金は、平日8,000円、金・土・日・祝日は9,000円 (いずれも税込み) 。
宮田さんはそのレンタカーを、岡山から遠く離れた、東京や神奈川の旅行者にも使ってもらいたいと思っている。
「軽キャンピングカーの良さは、なんといっても小回りの良さと駐車場を選ばないことですから、古い温泉街や観光地を回るにはピッタリなんです。
その代わり、高速道路を延々と走るような長距離走行には、あまり向かない。
だから、岡山や香川までは列車やバスを使い、現地で軽キャンピングカーのレンタカーを借りるというのが、一番合理的なんです」
と宮田氏はいう。
四国といえば、ここのところ 「八十八ヵ所の霊場めぐり」 が人気を呼び、徒歩で訪れる人のみならず、団体バス、自転車、オートバイで回る人も増えている。
自動車でチャレンジする人も多く、自動車ルートをたどるときの専門書まであるくらいだ。
ところが、本来は徒歩で巡礼する場所であるから、おしなべて道は狭い。
5×2mまでのキャブコンならば行けないこともないが、そうとう冷や汗をかく場所も出てくる。
しかし、走行時は普通の乗用車よりも小さい 「かるキャン」 なら、まったく問題がない。
かつ、霊場付近の駐車場で車中泊を行う場合は、キャブコンのリビングほどのゆったりした居住スペースを享受できる。

「そのような旅が面白いと思った方に、このかるキャンを買っていただきたい。
とにかく、まず使ったことのない方に、 “かるキャン旅行” を経験してもらうのが一番だと思っています」
それには、 「最初はレンタカーから…」 というのが、宮田さんのスタンスなのだ。
だから逆に、西日本から東日本に遊びに来た人たちのために、コイズミ本社 (東京・板橋区) では、 「わ」 ナンバーの 「かるキャン」 を2台用意している。料金は、 「平成レンタカー」 と同じだそうだ。
キャンピングカー人口のすそ野を広げるという意味で、このようなレンタルキャンピングカーシステムというのは、なかなかいいかもしれない。
実際、乗用車の経験しか持っていない人がキャンピングカーの使い勝手を想像するのは難しい。
レンタルキャンピングカーは、そういう人たちに試乗のチャンスを与え、結果的にファンを増やしていくことになるかもしれない。
これこそ 「茶室」 や 「盆栽」 といったような、 “広大な宇宙を極小の世界に封じ込める” という日本的な精神風土を抜きにしては考えられない世界かもしれない。
特に、最近の軽キャンピングカーの内装を見ると、日本人のひらめきとワザを注入し、それこそ 「巧緻を極める」 という言葉がピッタリの作り込みを行っているものが多い。
搭載家具や装備品に凝る、という意味ではなく、使い勝手を追求するためのアイデアの生かし方が、巧緻を極めているのだ。
そのような例の筆頭が、コイズミの 「かるキャン」 である。
デビューは2009年春の 「大阪アウトドアフェスティバル」 。
一般の来場者が会場に入る前から、すでに出展業者たちの間では、この 「かるキャン」 の話題で持ちきりだった。
「軽自動車ベースでありながら、室内が横方向に広がるスライドアウト機構を持っている」
「のみならず天井が持ち上がり、軽自動車の荷室に、あたかも “三角屋根のバンガロー” のような建物が出現する」
「へぇー! じゃ俺も見に行こうか」
会場の出展業者さんたちのほとんどは、接客の合間をぬって 「かるキャン」 のブースに足を運んだはずである。
なにしろ、走行中の状態は、全長3,395mm、全幅1,475mm、全高1,930mm。
軽自動車の規格を完璧に満たしている。
なのに、シェル部分を手巻き式のルーフアップウィンチを使って拡張すると、全長こそ変わらないものの、全幅は2,090mm、全高は2,860mmまで拡張される。室内幅でいえば、695mmの延長となり、室内高は870mmアップされることになる。
軽規格を満たしながら、なんと広々とした空間が実現されたことか。
夫婦2人の用のクルマながら、軽キャンピングカーにおいては最も贅沢な室内空間を持つ “2人旅” のクルマが誕生したことになる。
あれから3年。
当初は、ディテールの仕上げよりもアイデアのユニークさが先行したクルマだったが、その後、時を重ねるたびに細かいところのリファインが徹底され、現在はきわめて実用性・信頼性の高い仕上がりを示すようになった。
このクルマの開発を手がけた株式会社コイズミの宮田芳孝部長は語る。
「開発時にいちばん悩んでいたのは、実は、室内を拡張したときの “隙間” だったんです。合わせ目から忍びこんでくる空気をどうしようもできなかったんですね。
しかし、その後ブラシを付けてみたり、内側からカバーを張ってボタンで止めるような改良を施してみたりと快適性の追求に励みました。今はさらに効果的な方法を思いついています」
このような “隙間対策” をはじめ、金属部分がむき出しになっていたスライドレールなどにも植毛塗装を施すなど、 「かるキャン」 のクオリティ感・グレード感は日増しに上がった。
その努力が評価され、2010年には日本産業デザイン振興会が審査する 「グッドデザイン賞」 を受賞している。
▲ かるキャンルーミー
2011年の幕張ショーから新バージョンの 「ルーミー」 が加わった。
これは、スタンダードタイプにあったキッチンカウンターをレスし、その分、フロアベッドの広さを追求したもの。夫婦2人なら、ごろごろと寝返りを打って寝られるという広いベッドが売りだ。
キッチンカウンターのほか、上段ベッドもレスされているので、価格的にも買いやすくなっている。
ちなみに、スタンダード仕様の 「かるキャン」 は、税込み259.6万円。
今、宮田部長が力を入れているのは、このクルマをさらに面白く使いこなすためのソフトづくりだ。
彼は、
「購入することが、必ずしもベストだとは思っていない」
という。
「それよりも、まず最初はレンタカーとして使ってみては?」
というのだ。
現に、コイズミでは、岡山と香川に8店舗の営業所を構える 「平成レンタカー」 という会社と提携を結び、そこにレンタカーとしての 「かるキャン」 を提供している。
1日単位の基本料金は、平日8,000円、金・土・日・祝日は9,000円 (いずれも税込み) 。
宮田さんはそのレンタカーを、岡山から遠く離れた、東京や神奈川の旅行者にも使ってもらいたいと思っている。
「軽キャンピングカーの良さは、なんといっても小回りの良さと駐車場を選ばないことですから、古い温泉街や観光地を回るにはピッタリなんです。
その代わり、高速道路を延々と走るような長距離走行には、あまり向かない。
だから、岡山や香川までは列車やバスを使い、現地で軽キャンピングカーのレンタカーを借りるというのが、一番合理的なんです」
と宮田氏はいう。
四国といえば、ここのところ 「八十八ヵ所の霊場めぐり」 が人気を呼び、徒歩で訪れる人のみならず、団体バス、自転車、オートバイで回る人も増えている。
自動車でチャレンジする人も多く、自動車ルートをたどるときの専門書まであるくらいだ。
ところが、本来は徒歩で巡礼する場所であるから、おしなべて道は狭い。
5×2mまでのキャブコンならば行けないこともないが、そうとう冷や汗をかく場所も出てくる。
しかし、走行時は普通の乗用車よりも小さい 「かるキャン」 なら、まったく問題がない。
かつ、霊場付近の駐車場で車中泊を行う場合は、キャブコンのリビングほどのゆったりした居住スペースを享受できる。
「そのような旅が面白いと思った方に、このかるキャンを買っていただきたい。
とにかく、まず使ったことのない方に、 “かるキャン旅行” を経験してもらうのが一番だと思っています」
それには、 「最初はレンタカーから…」 というのが、宮田さんのスタンスなのだ。
だから逆に、西日本から東日本に遊びに来た人たちのために、コイズミ本社 (東京・板橋区) では、 「わ」 ナンバーの 「かるキャン」 を2台用意している。料金は、 「平成レンタカー」 と同じだそうだ。
キャンピングカー人口のすそ野を広げるという意味で、このようなレンタルキャンピングカーシステムというのは、なかなかいいかもしれない。
実際、乗用車の経験しか持っていない人がキャンピングカーの使い勝手を想像するのは難しい。
レンタルキャンピングカーは、そういう人たちに試乗のチャンスを与え、結果的にファンを増やしていくことになるかもしれない。
2011年02月28日
ハーレーの魔力
この前、名古屋のキャンピングカーショーの取材に行き、ついでに隣りで開催されていたハーレーダビッドソンのイベントも覗いてみた。

キャンピングカーショーと、客層がそんなに変わらないんだな。
圧倒的に、シニアの姿が目立つ。
熟年夫婦といった感じのカップルもいて、キャンピングカーショーから流れてきた人たちかな…と思ったら、ハーレーのロゴを背中に貼り付けた革ジャンのペアルックだったり…という感じだ。
世代的には、どちらのイベントもほぼ似たような客層だという気がしたのだが、ファッション的な違いがあるとしたら、ハーレー組は、着ているものがみな黒っぽい。

ヘルスエンジェルスとかを気取っているのだろうか。
革ジャンにジーンズで決めたスキンヘッドのオジサンが、鎖をがちゃがちゃ鳴らしながら、のっしのっしと歩いていたりすると、ちょっと怖い。
まぁ、そういう人も、普段はきさくなサラリーマンだったり、商店の店主だったりするのだろうけれど、せっかくのハレのイベントなんだから、昔、あこがれながら成りきれなかった 「不良」 を気取ってみるか … というところなのかもしれない。

会場には、ステッペンウルフの 「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」 が流れていたりするところをみると、主催者も、青春時代に 『イージーライダー』 にハマった人たちを対象としている感じだ。
ロックとモーターサイクルを、当時の 「若者の神器」 にしたという意味で、確かに、あれは象徴的な映画だった。
ハーレーは、いいマーケットを得たと思う。

それにしても、ハーレーというのは、ちょっと妖気が漂うような、エロチックな魅力を秘めたバイクだ。
特に、カスタムメイドのものを見ていると、背筋にゾクっと戦慄が走る。
あの厚く盛られたクロームメッキの下に 「生命」 が封じ込められているという雰囲気があるのだ。
生命を持ったメカ。
そんな妖しげな空気をまき散らす 「機械」 なんて、めったにあるものではない。
それはどこか映画 『エイリアン1』 で、H・R・ギーガーがデザイしたエイリアンや、彼らが乗っていた宇宙船のデザインに共通したものがある。

これにまたがって、あのドロン ドロン ドロンと野太く脈打つ、悪魔のワルツに直撃されれば、男の子だったらみなクラクラするだろう。
腹の底に、異界のリズムが流れ込む。
原始の世界に溢れていた呪術的な鼓動を、現代の荒々しいメカニズムが呼び覚ます。
まさに、ハーレーは、あの世とこの世をトランスするシャーマン (呪術師) のマシンだ。
こいつにハマって抜けられなくなるオヤジが輩出するのも、分かるような気がする。

キャンピングカーショーと、客層がそんなに変わらないんだな。
圧倒的に、シニアの姿が目立つ。
熟年夫婦といった感じのカップルもいて、キャンピングカーショーから流れてきた人たちかな…と思ったら、ハーレーのロゴを背中に貼り付けた革ジャンのペアルックだったり…という感じだ。
世代的には、どちらのイベントもほぼ似たような客層だという気がしたのだが、ファッション的な違いがあるとしたら、ハーレー組は、着ているものがみな黒っぽい。
ヘルスエンジェルスとかを気取っているのだろうか。
革ジャンにジーンズで決めたスキンヘッドのオジサンが、鎖をがちゃがちゃ鳴らしながら、のっしのっしと歩いていたりすると、ちょっと怖い。
まぁ、そういう人も、普段はきさくなサラリーマンだったり、商店の店主だったりするのだろうけれど、せっかくのハレのイベントなんだから、昔、あこがれながら成りきれなかった 「不良」 を気取ってみるか … というところなのかもしれない。
会場には、ステッペンウルフの 「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」 が流れていたりするところをみると、主催者も、青春時代に 『イージーライダー』 にハマった人たちを対象としている感じだ。
ロックとモーターサイクルを、当時の 「若者の神器」 にしたという意味で、確かに、あれは象徴的な映画だった。
ハーレーは、いいマーケットを得たと思う。
それにしても、ハーレーというのは、ちょっと妖気が漂うような、エロチックな魅力を秘めたバイクだ。
特に、カスタムメイドのものを見ていると、背筋にゾクっと戦慄が走る。
あの厚く盛られたクロームメッキの下に 「生命」 が封じ込められているという雰囲気があるのだ。
生命を持ったメカ。
そんな妖しげな空気をまき散らす 「機械」 なんて、めったにあるものではない。
それはどこか映画 『エイリアン1』 で、H・R・ギーガーがデザイしたエイリアンや、彼らが乗っていた宇宙船のデザインに共通したものがある。

これにまたがって、あのドロン ドロン ドロンと野太く脈打つ、悪魔のワルツに直撃されれば、男の子だったらみなクラクラするだろう。
腹の底に、異界のリズムが流れ込む。
原始の世界に溢れていた呪術的な鼓動を、現代の荒々しいメカニズムが呼び覚ます。
まさに、ハーレーは、あの世とこの世をトランスするシャーマン (呪術師) のマシンだ。
こいつにハマって抜けられなくなるオヤジが輩出するのも、分かるような気がする。
2011年02月23日
パークウェイ
キャンピングカー購買層が世代変わりして、日常使いもキャンピングも同じウエイトでこなす “全方位型” のキャンパーが主流になりつつある。
もちろん主役はバンコンだ。
とはいっても、現在このバンコンの世界は、地球上の生命が爆発的にふくれあがったカンブリア紀の海底さながらに、豊穣な生命力を帯びた “新種” たちの激しい競争の場と化している。
おそらくバンコンは、いま日本のキャンピングカー史が始まって以来のメガコンペティションの時代を迎えているのではないか。

カンブリア紀の海では、最終的に食物連鎖の頂点に立ったのは、アノマロカリスという強力な捕食肢を持つ巨大生物だったが、バンコンの世界では、まだそのような頂点に君臨する車種は登場していない。
それだけに、どのようなスタイルが次の時代に生き残るかを賭けて、それぞれのバンコンが、秘術を尽くしながら独自の 「進化の系」 をたどろうとしているように思える。
たぶん生き残りを決めるのは、案外オーソドックなスタイルのものではないか。
そんな気がする。
というのは、生物の世界では、あまりにも特殊な能力を極めたものが生き残れた試しがないからだ。
飛び抜けた能力を身につけて、ある時代に頂点に登り詰めた “絶対的君主” は、その特殊な能力が、逆にアダとなり、最後は、何でもそこそこにこなすオールラウンドプレイヤーたちの後塵を拝することになる。
たぶん、バンコンの世界でも同じようなことが起こる。
ワゴン機能をしっかりと保持し、寝るときのベッド機能も完璧に備え、そしてそこそこの荷室スペースを確保したクルマ。
さらにストレスのない走りと、快適な乗り心地。
もちろん、居住性と取り回しのバランスも大事。
そのようにして、できるかぎり “死角” をつぶしていったクルマ。
それが、バンコン界の 「ほ乳類」 となる。
地球上に生まれたあらゆる生物の中で、最後にほ乳類が天下を取れたのは、傑出した武器こそ持たなかったが、それをトータルバランスでしのぐ総合力を持っていたからだ。
意味のない前振りがあまりにも長かったけれど、レクビィが昨年の秋にリリースしたパークウェイ (Parkway) というバンコンが、そのひとつの例になるということを書きたかった。

パークウェイは、それを開発した同社の増田浩一社長によると、 「パッと見の訴求力に乏しいクルマ」 だという。
確かに、見たとおりの第一印象は、やたら大きなセカンドシートが目立つだけの 「ワゴンライクに使えるバンコンバージョン」 。

しかし、このシートがただものではない。
座りごこち、耐久性、操作性の良さなどが高度にバランスされたワークボックスのREVO (レボ) シートに、レクビィ独自のアイデアが練り込まれた特製シートが採用されているのだ。
だから、高さも、成型方法も、ハイバックの構造もメーカーメイドのキャンピングカーであるかのように、ピタリと決まる。
パークウェイのベース車は、ハイエースのミドルルーフのロングワゴン。
だから、乗用車からそのまま乗り継いだユーザーにとっても、走りの違和感がない。
ワゴンベースとなれば、シートの構造基準がものすごくシビアになる。
ところがこのシートは、技術基準適合試験実施済みの信頼性に富んだもの。
そこのところが、ただの 「ワゴンライクなキャンパー」 にとどまらない、工業製品としての安心感をこのクルマに与えている。

全長4,840mm、全幅1,880mm、全高2,100mm。
都会を走り抜けるには、まったくストレスのないサイズなので、奥さまの買い物の足として十分に使える。
高さ制限のある駐車場も、ほとんどクリアできるので、日常使いにはまったく支障がない。
リヤ側に設置されたキッチンの前は、床下収納になっており、そこで1600mmの天井高が取れているから、もちろん8ナンバー登録の純然たるキャンピングカー。
昔のように税金面、保健面でのメリットは少なくなったが、やはりリセールバリューは大きい。

乗車定員は8名、就寝定員は大人3名。
セカンドシートは140mm幅のゆったりした3人掛け。両側には3点式シートベルトが標準装備される。
サードシートは、セカンドシートよりも狭いが、120mm幅なので3人乗車も可能。
リヤ側のキッチンカウンターと冷蔵庫カウンターの間にベッドボードを渡せば、子供用のエキストラベッド(op.)が生まれる。
サードシートを前側にスライドさせると、リヤには広々としたカーゴスペース。
まさに、 「乗って、寝て、積んで」 の総合バランスに長けた実用的バンコンの優等生だ。
こういうバンコンは、いったいどのようなユーザー層を意識しているのだろうか。
増田浩一社長がいうには、ずばり 「40歳代の子育てファミリー」 。
車両価格の436万8千円 (税込み) という価格も、資力の多くを子育てに費やさなければならない人たちの負担にならないように、ぎりぎりに抑えているとか。

ただ、そういう世代には “追い風” があるように思う。
それは、彼らには、まだ比較的裕福な親世代が、しかも健康に暮らしているケースが多いからだ。
だから、 「親孝行」 をテーマに掲げていけば、親との共同購入という手がないわけではない。
そこで生きてくるのが、ワゴンとしての快適な前向き乗車を可能にする8人の乗車定員。
祖父、祖母、息子、嫁に、孫が4人までOK。
休日に、3世代で行楽に出かけるにはまたとない設定なのだ。
折しも、高齢な親を持つ世代が増加するなか、親孝行をテーマにした書籍やドラマがブームを起こしている。
親孝行実行委員会がつくった 『親がしぬまでにしたい55のこと』 は、10万部を超えるベストセラーになった。
みうらじゅん氏の書いた 『親孝行プレイ』 もドラマ化されて話題を呼んだ。
核家族化が蔓延し、家族の孤立化が進んだ高度成長期からバブルの時代を経て、いま 「親孝行」 は、再び人間の生き方に希望を与える新しい指標となっている。
だからこそ、
「3世代が仲良く使えるバンコン」
はキャンピングカーの “ほ乳類” として生き延びることになる。
そしてそれが、熾烈なメガコンペティションを生き抜くバンコンのなかで、ひときわ強いメッセージ性を放つように思う。
もちろん主役はバンコンだ。
とはいっても、現在このバンコンの世界は、地球上の生命が爆発的にふくれあがったカンブリア紀の海底さながらに、豊穣な生命力を帯びた “新種” たちの激しい競争の場と化している。
おそらくバンコンは、いま日本のキャンピングカー史が始まって以来のメガコンペティションの時代を迎えているのではないか。
カンブリア紀の海では、最終的に食物連鎖の頂点に立ったのは、アノマロカリスという強力な捕食肢を持つ巨大生物だったが、バンコンの世界では、まだそのような頂点に君臨する車種は登場していない。
それだけに、どのようなスタイルが次の時代に生き残るかを賭けて、それぞれのバンコンが、秘術を尽くしながら独自の 「進化の系」 をたどろうとしているように思える。
たぶん生き残りを決めるのは、案外オーソドックなスタイルのものではないか。
そんな気がする。
というのは、生物の世界では、あまりにも特殊な能力を極めたものが生き残れた試しがないからだ。
飛び抜けた能力を身につけて、ある時代に頂点に登り詰めた “絶対的君主” は、その特殊な能力が、逆にアダとなり、最後は、何でもそこそこにこなすオールラウンドプレイヤーたちの後塵を拝することになる。
たぶん、バンコンの世界でも同じようなことが起こる。
ワゴン機能をしっかりと保持し、寝るときのベッド機能も完璧に備え、そしてそこそこの荷室スペースを確保したクルマ。
さらにストレスのない走りと、快適な乗り心地。
もちろん、居住性と取り回しのバランスも大事。
そのようにして、できるかぎり “死角” をつぶしていったクルマ。
それが、バンコン界の 「ほ乳類」 となる。
地球上に生まれたあらゆる生物の中で、最後にほ乳類が天下を取れたのは、傑出した武器こそ持たなかったが、それをトータルバランスでしのぐ総合力を持っていたからだ。
意味のない前振りがあまりにも長かったけれど、レクビィが昨年の秋にリリースしたパークウェイ (Parkway) というバンコンが、そのひとつの例になるということを書きたかった。

パークウェイは、それを開発した同社の増田浩一社長によると、 「パッと見の訴求力に乏しいクルマ」 だという。
確かに、見たとおりの第一印象は、やたら大きなセカンドシートが目立つだけの 「ワゴンライクに使えるバンコンバージョン」 。
しかし、このシートがただものではない。
座りごこち、耐久性、操作性の良さなどが高度にバランスされたワークボックスのREVO (レボ) シートに、レクビィ独自のアイデアが練り込まれた特製シートが採用されているのだ。
だから、高さも、成型方法も、ハイバックの構造もメーカーメイドのキャンピングカーであるかのように、ピタリと決まる。
パークウェイのベース車は、ハイエースのミドルルーフのロングワゴン。
だから、乗用車からそのまま乗り継いだユーザーにとっても、走りの違和感がない。
ワゴンベースとなれば、シートの構造基準がものすごくシビアになる。
ところがこのシートは、技術基準適合試験実施済みの信頼性に富んだもの。
そこのところが、ただの 「ワゴンライクなキャンパー」 にとどまらない、工業製品としての安心感をこのクルマに与えている。
全長4,840mm、全幅1,880mm、全高2,100mm。
都会を走り抜けるには、まったくストレスのないサイズなので、奥さまの買い物の足として十分に使える。
高さ制限のある駐車場も、ほとんどクリアできるので、日常使いにはまったく支障がない。
リヤ側に設置されたキッチンの前は、床下収納になっており、そこで1600mmの天井高が取れているから、もちろん8ナンバー登録の純然たるキャンピングカー。
昔のように税金面、保健面でのメリットは少なくなったが、やはりリセールバリューは大きい。

乗車定員は8名、就寝定員は大人3名。
セカンドシートは140mm幅のゆったりした3人掛け。両側には3点式シートベルトが標準装備される。
サードシートは、セカンドシートよりも狭いが、120mm幅なので3人乗車も可能。
リヤ側のキッチンカウンターと冷蔵庫カウンターの間にベッドボードを渡せば、子供用のエキストラベッド(op.)が生まれる。
サードシートを前側にスライドさせると、リヤには広々としたカーゴスペース。
まさに、 「乗って、寝て、積んで」 の総合バランスに長けた実用的バンコンの優等生だ。
こういうバンコンは、いったいどのようなユーザー層を意識しているのだろうか。
増田浩一社長がいうには、ずばり 「40歳代の子育てファミリー」 。
車両価格の436万8千円 (税込み) という価格も、資力の多くを子育てに費やさなければならない人たちの負担にならないように、ぎりぎりに抑えているとか。
ただ、そういう世代には “追い風” があるように思う。
それは、彼らには、まだ比較的裕福な親世代が、しかも健康に暮らしているケースが多いからだ。
だから、 「親孝行」 をテーマに掲げていけば、親との共同購入という手がないわけではない。
そこで生きてくるのが、ワゴンとしての快適な前向き乗車を可能にする8人の乗車定員。
祖父、祖母、息子、嫁に、孫が4人までOK。
休日に、3世代で行楽に出かけるにはまたとない設定なのだ。
折しも、高齢な親を持つ世代が増加するなか、親孝行をテーマにした書籍やドラマがブームを起こしている。
親孝行実行委員会がつくった 『親がしぬまでにしたい55のこと』 は、10万部を超えるベストセラーになった。
みうらじゅん氏の書いた 『親孝行プレイ』 もドラマ化されて話題を呼んだ。
核家族化が蔓延し、家族の孤立化が進んだ高度成長期からバブルの時代を経て、いま 「親孝行」 は、再び人間の生き方に希望を与える新しい指標となっている。
だからこそ、
「3世代が仲良く使えるバンコン」
はキャンピングカーの “ほ乳類” として生き延びることになる。
そしてそれが、熾烈なメガコンペティションを生き抜くバンコンのなかで、ひときわ強いメッセージ性を放つように思う。
2011年02月20日
CG880
この2月11日から千葉県の幕張メッセで開かれた 「ジャパン・キャンピングカーショー」 で、来場者の注目を一身に集めたひとつのクルマがあった。
秋田県のビルダーであるファーストカスタムが製作した 「CG880.Value Ground Runner (バリューグランナー) 」 というキャブコンだ。

ベース車は、日野レンジャー4tキャブオーバー。
排気量は6,400cc、最高出力210ps。
全長8,845mm、全幅2,430mm、全高3,065mm。
体躯だけみると、堂々たる欧米モーターホーム並みのボディが実現されている。
価格は、2,800万円。
同ショーで展示されたマックレーの 「ファビュラス」 と、ほぼ金額的にも設計構想の雄大さにおいても並ぶ “日本車離れ” したキャンピングカーであった。
ショーの搬入日、雪の積もった秋田工場を出て、吹雪の高速道路をひたすら走り、夕暮れ時にようやく会場に到着したCG880の雄姿を、私は忘れることができない。
それはまるで、突然地球にその姿を現したUFOの “来迎” であった。

うれしいことに、運転していた佐藤社長は、私の姿を認め、真っ先にその室内に招き入れてくれた。
スライドアウト機構を採用した同車は、そのリビングの広さだけでも度肝を抜いた。
スライド幅は500mmだというから、それほど大げさな室内拡張ではない。
しかし、横幅をめいっぱい広げると、室内幅は2.5mほどになる。
それだけで、 「部屋」 なのだ。
「ダイネット」 ではなく、 「リビング」 なのである。

しかも、その家具の風合い、搭載装備のデザイン含め、そこに 「日本のキャンピングカー」 があった。
アメ車のテイストでもなく、ヨーロッパデザインの踏襲でもなく、日本人の創った日本のモダンデザインが貫かれていた。

しかし、ひとつひとつの装備には、現在世界で最も信頼のおける機構が採用されているという。
目玉となるスライドアウト機構も、それを生産しているアメリカのメーカーと直にコンタクトを取り、サイズに合わせて特注している。
揺れ止めの油圧電動式のレベリングジャッキもアメリカ製。
主要な部品の多くは、欧米のトップクラスの物によって占められているが、それもダイレクトに仕入れるルートを開拓しているため、コストそのものは圧縮されている。
逆にいえば、圧縮したコストにより、より高品質・高機能なパーツが採用されているという言い方もできる。

リヤのパーマネントベッド (↑) は、世界最大級を誇るヨーロッパのベッドメーカーシモンズ製。
オーニングは、クロスターの電動オーニングで、サンシェードが内蔵されている高機能タイプ。
空調システムも巧緻を極める。
フローリングの下は一般住宅にも使われる高機能床暖房。さらに、燃焼式FFヒーターも装備。
それに加え、ビルトインタイプの車両用ルームエアコン。もちろん走行中のクーラー&ヒーターも標準装備されている。

いちばんの自慢は、クルマの置かれている状況が一目でチェックできる液晶タッチ式スイッチパネル (↑) 。
FFヒーターのサーモコントロールもタイマーコントロールも、エントランスドアの上側にセッティングされた集中パネルですべて一括制御できる。
これが、すべてビジュアル表示で、しかも日本語対応。
高級輸入車などにはその汎用品が使われているが、これはそれをベースに、ファーストカスタムが独自にプログラムを組んだオリジナル。機構そのものを一から組み上げていけば40~50万はかかるだろうというものだ。
リビングにも、ベッドルームにも、ブルーレイ対応のテレビモニターが付く。
最新装備と、 「和」 のテイストをも意識したモダンインテリア。
日本のキャンピングカーもここまで来たか…という感慨が浮かぶ。

「市場を意識したものではなく、あくまでも自分の趣味を極めたものを造ってみたかった」
と、佐藤社長はいう。
「自分にはコスト意識よりも、表現衝動のようなものが勝っているようだ」
と、アーチストのような告白をする佐藤氏の表情には、ひとつの達成感のようなものが漂っていた。

「装備ひとつを選ぶ場合も、プライオリティを考えると、普通の経営者ならまず “コスト” を最初に意識するかもしれません。
しかし、自分の場合はまず、機能、そして質感。使われる方の満足度。そんなものが頭に浮かぶんです。
だから、採用を決めた部品の値段をみて、“えっ、これ普通のものの5倍もするの?” などと驚くことがある」
と、佐藤氏は笑う。
そうじゃないと、こういうクルマは誕生しないかもしれない。
このクルマが、日本のキャンピングカーづくりにどのような影響を与えるのか、今はまだ分からない。
しかし、確実にいえることは、これが日本のキャンピングカー産業のすそ野を広げることは間違いないということだ。
「すそ野を広げる」 ということは、誰にも買いやすい価格帯のキャンピングカーを量産するだけでは実現しない。
富士山の姿を見れば分かるように、広大なすそ野は、頂点が高くつり上がっていくことによって達成される。

佐藤社長が招き入れてくれたCG880の室内で、私は 「こびない精神」 という言葉を頭の中で浮かべていた。
いろいろな高機能・最新装備を説明してくれる佐藤氏。
しかし、その説明には、 「これだけいろいろな装備が付いていて、お買い得ですよ~」 というようなコビは、ひとつもない。
自分の理想を追求することに熱心な、ある意味、少年のような無邪気さがあった。
フィールドライフの福島社長も言っていた 「誠の職人は、真っ直ぐに夢を追い続けるだけで満足」 という言葉が浮かんだ。
「職人の矜持 (きょうじ) 」 といってもいいのだろう。
売るためにこびない。
しかし、その 「こびない精神」 が、これからの日本のキャンピングカー産業の根幹を支える。

▲ CG880の前には連日室内を見学しようという人たちの行列ができた
秋田県のビルダーであるファーストカスタムが製作した 「CG880.Value Ground Runner (バリューグランナー) 」 というキャブコンだ。
ベース車は、日野レンジャー4tキャブオーバー。
排気量は6,400cc、最高出力210ps。
全長8,845mm、全幅2,430mm、全高3,065mm。
体躯だけみると、堂々たる欧米モーターホーム並みのボディが実現されている。
価格は、2,800万円。
同ショーで展示されたマックレーの 「ファビュラス」 と、ほぼ金額的にも設計構想の雄大さにおいても並ぶ “日本車離れ” したキャンピングカーであった。
ショーの搬入日、雪の積もった秋田工場を出て、吹雪の高速道路をひたすら走り、夕暮れ時にようやく会場に到着したCG880の雄姿を、私は忘れることができない。
それはまるで、突然地球にその姿を現したUFOの “来迎” であった。
うれしいことに、運転していた佐藤社長は、私の姿を認め、真っ先にその室内に招き入れてくれた。
スライドアウト機構を採用した同車は、そのリビングの広さだけでも度肝を抜いた。
スライド幅は500mmだというから、それほど大げさな室内拡張ではない。
しかし、横幅をめいっぱい広げると、室内幅は2.5mほどになる。
それだけで、 「部屋」 なのだ。
「ダイネット」 ではなく、 「リビング」 なのである。
しかも、その家具の風合い、搭載装備のデザイン含め、そこに 「日本のキャンピングカー」 があった。
アメ車のテイストでもなく、ヨーロッパデザインの踏襲でもなく、日本人の創った日本のモダンデザインが貫かれていた。
しかし、ひとつひとつの装備には、現在世界で最も信頼のおける機構が採用されているという。
目玉となるスライドアウト機構も、それを生産しているアメリカのメーカーと直にコンタクトを取り、サイズに合わせて特注している。
揺れ止めの油圧電動式のレベリングジャッキもアメリカ製。
主要な部品の多くは、欧米のトップクラスの物によって占められているが、それもダイレクトに仕入れるルートを開拓しているため、コストそのものは圧縮されている。
逆にいえば、圧縮したコストにより、より高品質・高機能なパーツが採用されているという言い方もできる。
リヤのパーマネントベッド (↑) は、世界最大級を誇るヨーロッパのベッドメーカーシモンズ製。
オーニングは、クロスターの電動オーニングで、サンシェードが内蔵されている高機能タイプ。
空調システムも巧緻を極める。
フローリングの下は一般住宅にも使われる高機能床暖房。さらに、燃焼式FFヒーターも装備。
それに加え、ビルトインタイプの車両用ルームエアコン。もちろん走行中のクーラー&ヒーターも標準装備されている。
いちばんの自慢は、クルマの置かれている状況が一目でチェックできる液晶タッチ式スイッチパネル (↑) 。
FFヒーターのサーモコントロールもタイマーコントロールも、エントランスドアの上側にセッティングされた集中パネルですべて一括制御できる。
これが、すべてビジュアル表示で、しかも日本語対応。
高級輸入車などにはその汎用品が使われているが、これはそれをベースに、ファーストカスタムが独自にプログラムを組んだオリジナル。機構そのものを一から組み上げていけば40~50万はかかるだろうというものだ。
リビングにも、ベッドルームにも、ブルーレイ対応のテレビモニターが付く。
最新装備と、 「和」 のテイストをも意識したモダンインテリア。
日本のキャンピングカーもここまで来たか…という感慨が浮かぶ。
「市場を意識したものではなく、あくまでも自分の趣味を極めたものを造ってみたかった」
と、佐藤社長はいう。
「自分にはコスト意識よりも、表現衝動のようなものが勝っているようだ」
と、アーチストのような告白をする佐藤氏の表情には、ひとつの達成感のようなものが漂っていた。
「装備ひとつを選ぶ場合も、プライオリティを考えると、普通の経営者ならまず “コスト” を最初に意識するかもしれません。
しかし、自分の場合はまず、機能、そして質感。使われる方の満足度。そんなものが頭に浮かぶんです。
だから、採用を決めた部品の値段をみて、“えっ、これ普通のものの5倍もするの?” などと驚くことがある」
と、佐藤氏は笑う。
そうじゃないと、こういうクルマは誕生しないかもしれない。
このクルマが、日本のキャンピングカーづくりにどのような影響を与えるのか、今はまだ分からない。
しかし、確実にいえることは、これが日本のキャンピングカー産業のすそ野を広げることは間違いないということだ。
「すそ野を広げる」 ということは、誰にも買いやすい価格帯のキャンピングカーを量産するだけでは実現しない。
富士山の姿を見れば分かるように、広大なすそ野は、頂点が高くつり上がっていくことによって達成される。
佐藤社長が招き入れてくれたCG880の室内で、私は 「こびない精神」 という言葉を頭の中で浮かべていた。
いろいろな高機能・最新装備を説明してくれる佐藤氏。
しかし、その説明には、 「これだけいろいろな装備が付いていて、お買い得ですよ~」 というようなコビは、ひとつもない。
自分の理想を追求することに熱心な、ある意味、少年のような無邪気さがあった。
フィールドライフの福島社長も言っていた 「誠の職人は、真っ直ぐに夢を追い続けるだけで満足」 という言葉が浮かんだ。
「職人の矜持 (きょうじ) 」 といってもいいのだろう。
売るためにこびない。
しかし、その 「こびない精神」 が、これからの日本のキャンピングカー産業の根幹を支える。

▲ CG880の前には連日室内を見学しようという人たちの行列ができた
2011年02月18日
忙しいぞぉ!
ちょっと油断すると、あっという間にブログの更新が滞ってしまう。
書くネタがなかったわけではない。
逆にありすぎて、てんやわんや状態だったのである。
幕張の 「ジャパン・キャンピングカーショー2011」 が終わり、そこで仕入れたネタの量がハンパじゃないのだ。
だから、ひとつずつ紹介したくてウズウズしちゃうのだけれど、それをまとめるのが大変だった。
▼ ジャパンキャンピングカーショー会場風景

なにしろ、記憶に残っているうちに、取材した内容の基礎的なメモを整理しなければならない。
これがけっこう忙しい作業なのだ。
展示された車両の概要を記録するだけでなく、それを開発した人たちのちょっとした雑談などが、けっこう重要だったりする。
キャンピングカーは、普通の乗用車と違って、いわば人間の “ライフスタイル” の提案という要素がけっこう大きな比重を占める。
ライフスタイルだから、そこに 「人間」 がいる。
「人間がいる」 ということは、どこかで 「人生」 とか 「哲学」 とかいう問題とも触れ合うことになる。
新車に限らず、定番商品の中でも、ちょこっと付け加えられた新装備とかレイアウトの変更などに、けっこう開発スタッフたちの 「人間観」 とか 「人生観」 とかが投影されていたりする。
そこが面白い。
そのような新装備とか、レイアウトの見直しなどは、 “機能的な説明” に終始すれば、それは 「快適性の向上」 だったり、 「便利さの追求」 で終わってしまう。
営業的に表現すれば、 「付加価値の実現による商品力強化」 という言葉に集約されてしまう。
でも、自分はそれだけじゃ物足りないのだ。
人間の幸せを意図して創るクルマなんだから、創る人たちの人間としての 「顔」 も見たい。
だから、ガイドブックなどの制作とは外れてしまう、つくり手たちの人生体験とか、ユーザーたちとのキャンピングカー談義などの断片が、けっこう自分にとっては大事になる。
そんなメモを作成していると、
「この忙しいときに、なんでそんなことに時間を費やすのか?」
「クルマの機能だけを、せっせとまとめればいいじゃないか?」
と、自分を自分が責める。
だけど、そういう一見無駄なことの積み重ねが、案外自分の財産になっているように思う。
今回のショーは、会期中の3日間すべて朝から晩まで詰めたけれど、今まで挨拶を交わすだけで、あまり深い話をしたこともなかった人たちの話も積極的に聞いた。
みんなすごいなぁ…と改めて思った。
この業界は、けっこう人材が豊富だよ。
折を見て、そういう “無駄話” も少しずつ紹介していきたい。
書くネタがなかったわけではない。
逆にありすぎて、てんやわんや状態だったのである。
幕張の 「ジャパン・キャンピングカーショー2011」 が終わり、そこで仕入れたネタの量がハンパじゃないのだ。
だから、ひとつずつ紹介したくてウズウズしちゃうのだけれど、それをまとめるのが大変だった。
▼ ジャパンキャンピングカーショー会場風景
なにしろ、記憶に残っているうちに、取材した内容の基礎的なメモを整理しなければならない。
これがけっこう忙しい作業なのだ。
展示された車両の概要を記録するだけでなく、それを開発した人たちのちょっとした雑談などが、けっこう重要だったりする。
キャンピングカーは、普通の乗用車と違って、いわば人間の “ライフスタイル” の提案という要素がけっこう大きな比重を占める。
ライフスタイルだから、そこに 「人間」 がいる。
「人間がいる」 ということは、どこかで 「人生」 とか 「哲学」 とかいう問題とも触れ合うことになる。
新車に限らず、定番商品の中でも、ちょこっと付け加えられた新装備とかレイアウトの変更などに、けっこう開発スタッフたちの 「人間観」 とか 「人生観」 とかが投影されていたりする。
そこが面白い。
そのような新装備とか、レイアウトの見直しなどは、 “機能的な説明” に終始すれば、それは 「快適性の向上」 だったり、 「便利さの追求」 で終わってしまう。
営業的に表現すれば、 「付加価値の実現による商品力強化」 という言葉に集約されてしまう。
でも、自分はそれだけじゃ物足りないのだ。
人間の幸せを意図して創るクルマなんだから、創る人たちの人間としての 「顔」 も見たい。
だから、ガイドブックなどの制作とは外れてしまう、つくり手たちの人生体験とか、ユーザーたちとのキャンピングカー談義などの断片が、けっこう自分にとっては大事になる。
そんなメモを作成していると、
「この忙しいときに、なんでそんなことに時間を費やすのか?」
「クルマの機能だけを、せっせとまとめればいいじゃないか?」
と、自分を自分が責める。
だけど、そういう一見無駄なことの積み重ねが、案外自分の財産になっているように思う。
今回のショーは、会期中の3日間すべて朝から晩まで詰めたけれど、今まで挨拶を交わすだけで、あまり深い話をしたこともなかった人たちの話も積極的に聞いた。
みんなすごいなぁ…と改めて思った。
この業界は、けっこう人材が豊富だよ。
折を見て、そういう “無駄話” も少しずつ紹介していきたい。
2011年02月09日
都市型キャンプ場
明後日から、日本で最大級のキャンピングカーショーといわれる 『ジャパン・キャンピングカーショー』 が幕張メッセで始まる。
こういうイベントは、自分のキャンピングカーで取材に行くことが多いのだが、そのとき困るのは、駐車場だ。
取材が夜まで長引き、それが終わって、 「ちょっと一杯」 などという流れになると、その駐車場がそのまま 「宿泊所」 になることもあるのだが、大都市部の駐車場には、キャンピングカーをうまく入れられるような駐車場が少ない。
自分のキャンピングカーは、サイズ的に5m×2.15mのキャブコンだから、頭がちょこっと出てしまうけれど、コインパーキングになんとか入ってしまう。

だから、コインパーキングがあれば別に問題はないのだけれど、都市部のコインパーキングは乗用車を基準にして設計されているので、アプローチが狭かったり、曲がる角度が確保しづらかったりして、入れにくいことも多い。
そんなとき、いつも、 「日本の都市部にはキャンピングカーを受け入れてもらえる場所」 が圧倒的に少ないと痛感する。
取り回しの良い小型のキャブコンやバンコン、軽キャンパーが増えているというのも、ひとつは都市部の観光に使いたいという人が増えてきているからだろう。
そういうクルマならば、高さ制限のある駐車場でない限り、まず無理なくどんな駐車スペースでもクリアできる。
しかし、ユーザーの中には、豊かな居住性を確保するために、多少サイズの大きいキャンピングカーを手にした人たちもいっぱいいる。
日本の大都市部は、そういう人たちに冷たい。
まぁ、その町で生活を営む人々の気持ちになってみれば、歩行者の多い目抜き通りに他県の大きなキャンピングカーがドカドカ侵入してくるのは嫌なものかもしれない。
だから、人の往来の激しい中心街に、キャンピングカー用駐車スペースを作ってくれなどいうつもりはない。
しかし、中心部からちょっと離れた場所に、多少サイズの大きなキャンピングカーでも安心して止まれる駐車スペースを確保してもらえれば、現在キャンピングカーで旅行している人たちのライフスタイルも、ぐっと豊かになるように思うのだ。
キャンピングカー旅行の真髄は、やはり美しい自然環境の中で、ゆったりくつろぐことにあるが、1週間、1ヶ月を超える長期旅行を楽しむようになると、たまには 「街中」 に出てみたくなる。
その町で有名なグルメ料理店にだって行ってみたいし、デパートでショッピングもしたくなる。
だから、大都市部周辺に、 「都市型キャンプ場」 というものがあってもいいように思う。
街の中心部までに、バスか私鉄で1駅か2駅ぐらい。
場合によってはタクシーで行き来できるぐらいの距離に、安心して泊まれるキャンプ場などがあれば、どんなに便利なことか。
繁華街を観光して帰ってくるだけなのだから、別に泊まる場所が 「風光明媚」 である必要もない。
トイレと、簡単な水場と、ゴミ処理施設があればOK。
それに電源があればベター。
まぁ、その分料金が安ければ、電源すらなくてもいい。
その代わり、多少は車外に椅子・テーブル、オーニングなども出せるスペースが確保されること。
それと、セキュリティが保障されること。
まぁ、それだけの設備を整えても、現状ではそれほど利用率が高いとは思われないだろうから、手を出す業者さんはいないかもしれない。
だけど、どこかの駐車場業者さんで、実験的に始めてみようとする人はいないかしら。
「車中泊」 を楽しむ一般乗用車のユーザーに使わせてもいいわけだし。
要は、道の駅の “繁華街版” 。
そこに宿泊機能をプラスする。
そういう施設が増えていけば、都市部にも観光人口が流入することになる。
今、日本の地方都市では、中心部の空洞化が進んでいる。
かつては 「目抜き通り」 などといわれてにぎわった駅前商店街も、今は “シャッター通り” などといわれてゴーストタウン化しつつある。
だから、 「キャンプ場」 とまではいかないまでも、街の周辺にある駐車場をリーズナブルな料金でキャンピングカー利用客に解放するというのは、街の活性化につながると思うのだ。普通車よりもちょっと広めの駐車スペースと、入退場しやすいアプローチが確保されるだけでいいのだから。
キャンピングカー旅行者の中には、町中の駐車場に泊まり、夜は近くの居酒屋で一杯やりたいと思っている人たちが多い。コンビニ弁当に飽きた人には、その地のローカルな大衆食堂のメニューは、けっこう珍しいものに映るだろう。
そういう町中の車中泊スペースの近くに、立ち寄り湯なんかあれば、もう鬼に金棒だ。
ホテルや旅館を営む人たちにはありがたくない話のように思えるかもしれないが、そういう観光人口が増えて、 「あの街までたどり着けばなんとかなる」 と思う人たちが多くなれば、車中泊に飽きて飛び込みでホテルに泊まる人たちだって出てくる。
そういう場所が実現したときに、あとは問題として残るのはマナーだけ。 (これを徹底させないと実現してもすぐポシャるだろうけれど…)
街をゆったり散策し、時に居酒屋のノレンをくぐり、ライブハウスに寄って音楽を聴く。
そうして心地よくなった身体を、自分のキャンピングカーに戻ってほぐす。
そういうのが夢だなぁ…。
こういうイベントは、自分のキャンピングカーで取材に行くことが多いのだが、そのとき困るのは、駐車場だ。
取材が夜まで長引き、それが終わって、 「ちょっと一杯」 などという流れになると、その駐車場がそのまま 「宿泊所」 になることもあるのだが、大都市部の駐車場には、キャンピングカーをうまく入れられるような駐車場が少ない。
自分のキャンピングカーは、サイズ的に5m×2.15mのキャブコンだから、頭がちょこっと出てしまうけれど、コインパーキングになんとか入ってしまう。

だから、コインパーキングがあれば別に問題はないのだけれど、都市部のコインパーキングは乗用車を基準にして設計されているので、アプローチが狭かったり、曲がる角度が確保しづらかったりして、入れにくいことも多い。
そんなとき、いつも、 「日本の都市部にはキャンピングカーを受け入れてもらえる場所」 が圧倒的に少ないと痛感する。
取り回しの良い小型のキャブコンやバンコン、軽キャンパーが増えているというのも、ひとつは都市部の観光に使いたいという人が増えてきているからだろう。
そういうクルマならば、高さ制限のある駐車場でない限り、まず無理なくどんな駐車スペースでもクリアできる。
しかし、ユーザーの中には、豊かな居住性を確保するために、多少サイズの大きいキャンピングカーを手にした人たちもいっぱいいる。
日本の大都市部は、そういう人たちに冷たい。
まぁ、その町で生活を営む人々の気持ちになってみれば、歩行者の多い目抜き通りに他県の大きなキャンピングカーがドカドカ侵入してくるのは嫌なものかもしれない。
だから、人の往来の激しい中心街に、キャンピングカー用駐車スペースを作ってくれなどいうつもりはない。
しかし、中心部からちょっと離れた場所に、多少サイズの大きなキャンピングカーでも安心して止まれる駐車スペースを確保してもらえれば、現在キャンピングカーで旅行している人たちのライフスタイルも、ぐっと豊かになるように思うのだ。
キャンピングカー旅行の真髄は、やはり美しい自然環境の中で、ゆったりくつろぐことにあるが、1週間、1ヶ月を超える長期旅行を楽しむようになると、たまには 「街中」 に出てみたくなる。
その町で有名なグルメ料理店にだって行ってみたいし、デパートでショッピングもしたくなる。
だから、大都市部周辺に、 「都市型キャンプ場」 というものがあってもいいように思う。
街の中心部までに、バスか私鉄で1駅か2駅ぐらい。
場合によってはタクシーで行き来できるぐらいの距離に、安心して泊まれるキャンプ場などがあれば、どんなに便利なことか。
繁華街を観光して帰ってくるだけなのだから、別に泊まる場所が 「風光明媚」 である必要もない。
トイレと、簡単な水場と、ゴミ処理施設があればOK。
それに電源があればベター。
まぁ、その分料金が安ければ、電源すらなくてもいい。
その代わり、多少は車外に椅子・テーブル、オーニングなども出せるスペースが確保されること。
それと、セキュリティが保障されること。
まぁ、それだけの設備を整えても、現状ではそれほど利用率が高いとは思われないだろうから、手を出す業者さんはいないかもしれない。
だけど、どこかの駐車場業者さんで、実験的に始めてみようとする人はいないかしら。
「車中泊」 を楽しむ一般乗用車のユーザーに使わせてもいいわけだし。
要は、道の駅の “繁華街版” 。
そこに宿泊機能をプラスする。
そういう施設が増えていけば、都市部にも観光人口が流入することになる。
今、日本の地方都市では、中心部の空洞化が進んでいる。
かつては 「目抜き通り」 などといわれてにぎわった駅前商店街も、今は “シャッター通り” などといわれてゴーストタウン化しつつある。
だから、 「キャンプ場」 とまではいかないまでも、街の周辺にある駐車場をリーズナブルな料金でキャンピングカー利用客に解放するというのは、街の活性化につながると思うのだ。普通車よりもちょっと広めの駐車スペースと、入退場しやすいアプローチが確保されるだけでいいのだから。
キャンピングカー旅行者の中には、町中の駐車場に泊まり、夜は近くの居酒屋で一杯やりたいと思っている人たちが多い。コンビニ弁当に飽きた人には、その地のローカルな大衆食堂のメニューは、けっこう珍しいものに映るだろう。
そういう町中の車中泊スペースの近くに、立ち寄り湯なんかあれば、もう鬼に金棒だ。
ホテルや旅館を営む人たちにはありがたくない話のように思えるかもしれないが、そういう観光人口が増えて、 「あの街までたどり着けばなんとかなる」 と思う人たちが多くなれば、車中泊に飽きて飛び込みでホテルに泊まる人たちだって出てくる。
そういう場所が実現したときに、あとは問題として残るのはマナーだけ。 (これを徹底させないと実現してもすぐポシャるだろうけれど…)
街をゆったり散策し、時に居酒屋のノレンをくぐり、ライブハウスに寄って音楽を聴く。
そうして心地よくなった身体を、自分のキャンピングカーに戻ってほぐす。
そういうのが夢だなぁ…。
2011年02月07日
ファビュラス日本
いよいよこの週末の金曜日 (11日・建国記念日) から、日曜日 (13日) までの3日間、日本最大級のキャンピングカーショーである 『ジャパン・キャンピングカーショー (Japan Camping Car Show 2011) 』 が幕張メッセで開催される。
現在、その資料や画像などがどんどん手元に集まってきているが、マックレーさんから 『ファビュラス』 の最新カタログのテキストと内装画像が送られてきたので、さっそく紹介したい。

ファビュラスは前年の幕張ショーにおいて、そのエクステリアだけが展示され、内装は未完成だった。
なにしろ、 「国産キャンピングカーの最高峰を目指す」 という意気込みで造られたクルマだけに、内装の完成度を高めるための時間もじっくりとかけたいというマックレーさんの意向があったのだろう。

送られてきたカタログのテキスト (2稿目だそうである) を読んで、マックレー渡辺社長の並々ならぬ情熱のほとぼしりに打たれた。
内装の詰めに1年を費やしたというのも、それだけこのクルマが壮大なプロジェクトであったということを意味している。
なにしろ、テーマは 「日本」 なのだ!

以下、 『ファビュラス』 のカタログをそのまま引用する。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
日本人が設計して、技術の粋を結集した 「FABULOUS」
ファビュラスで実現できた新しいキャンピングカー技術は世界的レベルに挑戦できるものです
JAPAN STYLE FABULOUS JAPAN
「日本型フルコン」
現在、フルコンバージョンというジャンルは、名前だけ定義されていますが、日本のキャンピングカーにはありません。
フルコンの定義からして、ベアシャシーの上に、フロントマスクからすべてビルダーが架装するという意味では、現在 車両メーカーからベアシャシーの供給が途絶えているわけですから、実質的には造れない状態です。
従って、現在 「フルコン」 を名乗れる資格を持つ車両は製作されておりません。
もちろん、ファビュラスの場合も、工法として正確に位置づけるならば、キャブコンの亜種という扱いになるかもしれません。
「日本RV協会の定義」 からは外れるかもしれませんが、マックレーの “主張” としては、 「 “日本型フルコン” と名づけたい」 という意気込みでこのファビュラスを製作いたしました。

独自の進化を遂げて 「ガラパゴス化」 していると言われている技術立国 「日本」 ではありますが、 だからこそ日本のビルダーが世界に対して発信する 「日本型のフルコン!」 という主張に命をかけました。
アメリカのクラスAや、ヨーロッパのインテグレートモデルとは違う、日本のオリジナル工法におけるフルコン。厳密にクラスAの工法を踏襲していなくても、 「日本はこれでいいんだ!」 と思います。

ファビュラスの、ルーフエアコンが2台駆動できるというキャパシティも、温暖化で “亜熱帯” に移行しつつある日本だからこそ、非常に大きな意味を持つのです。
ヨーロッパのキャンピングカーは、伝統的に 「脱ジェネレーター、脱エアコン」 を志向しています。それは、比較的夏も涼しいヨーロッパ大陸を前提としているからで、日本は夏になれば地域的にはもう “亜熱帯” の国です。
そういう日本の気候的特殊性に対応するキャンピングカーという意味でも、 「ジャパン・スタイル」 と呼べるのではないでしょうか。

現在、その資料や画像などがどんどん手元に集まってきているが、マックレーさんから 『ファビュラス』 の最新カタログのテキストと内装画像が送られてきたので、さっそく紹介したい。

ファビュラスは前年の幕張ショーにおいて、そのエクステリアだけが展示され、内装は未完成だった。
なにしろ、 「国産キャンピングカーの最高峰を目指す」 という意気込みで造られたクルマだけに、内装の完成度を高めるための時間もじっくりとかけたいというマックレーさんの意向があったのだろう。
送られてきたカタログのテキスト (2稿目だそうである) を読んで、マックレー渡辺社長の並々ならぬ情熱のほとぼしりに打たれた。
内装の詰めに1年を費やしたというのも、それだけこのクルマが壮大なプロジェクトであったということを意味している。
なにしろ、テーマは 「日本」 なのだ!
以下、 『ファビュラス』 のカタログをそのまま引用する。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
日本人が設計して、技術の粋を結集した 「FABULOUS」
ファビュラスで実現できた新しいキャンピングカー技術は世界的レベルに挑戦できるものです
JAPAN STYLE FABULOUS JAPAN
「日本型フルコン」
現在、フルコンバージョンというジャンルは、名前だけ定義されていますが、日本のキャンピングカーにはありません。
フルコンの定義からして、ベアシャシーの上に、フロントマスクからすべてビルダーが架装するという意味では、現在 車両メーカーからベアシャシーの供給が途絶えているわけですから、実質的には造れない状態です。
従って、現在 「フルコン」 を名乗れる資格を持つ車両は製作されておりません。
もちろん、ファビュラスの場合も、工法として正確に位置づけるならば、キャブコンの亜種という扱いになるかもしれません。
「日本RV協会の定義」 からは外れるかもしれませんが、マックレーの “主張” としては、 「 “日本型フルコン” と名づけたい」 という意気込みでこのファビュラスを製作いたしました。
独自の進化を遂げて 「ガラパゴス化」 していると言われている技術立国 「日本」 ではありますが、 だからこそ日本のビルダーが世界に対して発信する 「日本型のフルコン!」 という主張に命をかけました。
アメリカのクラスAや、ヨーロッパのインテグレートモデルとは違う、日本のオリジナル工法におけるフルコン。厳密にクラスAの工法を踏襲していなくても、 「日本はこれでいいんだ!」 と思います。
ファビュラスの、ルーフエアコンが2台駆動できるというキャパシティも、温暖化で “亜熱帯” に移行しつつある日本だからこそ、非常に大きな意味を持つのです。
ヨーロッパのキャンピングカーは、伝統的に 「脱ジェネレーター、脱エアコン」 を志向しています。それは、比較的夏も涼しいヨーロッパ大陸を前提としているからで、日本は夏になれば地域的にはもう “亜熱帯” の国です。
そういう日本の気候的特殊性に対応するキャンピングカーという意味でも、 「ジャパン・スタイル」 と呼べるのではないでしょうか。
2011年02月06日
老人の孤独
仕事のない休日には、片道30分の距離を自転車を漕いで、介護施設で生活する義母の見舞いに行く。
ここのところ、携帯にも、時には会社の電話にも、ほぼ連日連絡が入るようになった。
要件は、
「話し相手がいなくて、さびしい」
というのである。
…と言われても、こっちは勤め人であるわけだから、いちいち仕事を中断して会いにいくわけにもいかない。
義母の実子であるカミさんは、いまだ体調不良が続いているので、実母のケアが十分にできない。
義母に施設に入所してもらうようになったのも、カミさんの病気がきっかけとなった。
だから、休日になると着替えを持って行ったり、話し相手を務めたりするのは、私か、私の長男の役目となる。
施設につくと、義母を部屋から連れ出して、1階ロビーの喫茶室まで車椅子を押す。
関東地方は晴天が続いている。
喫茶室の一隅から、抜けるような青空と、その空に向かって、枯れた枝を突き刺すように屹立する木々が見える。

「外は寒いですか?」
と、義母が尋ねてくる。
寒い。
陽射しに春の明るさが交じるようになったとはいえ、風は冷たい。
しかし、彼女はにその 「風の冷たさ」 を知らない。
「いいお天気なのに…」
と、むしろ施設内に屋外の空気が流れ込んで来ないことを、うらめしそうに語る。
喫茶室のカウンターの奥では、温かそうな湯気がたなびき、ほのかなコーヒーの香りが忍び寄ってくる。
メインロビーは、まるでリゾートホテルのエントランスのように明るくて清潔な空気に満たされている。
その廊下の奥では、リハビリに精を出す老人たちを励ます若いスタッフの明るい声。
彼女のいるところは4人部屋ではあるが、自分専用のテレビがあり、自分だけが購読している新聞がある。
もちろん、その気になれば、同室の同僚と話す機会もあるはずだ。
食堂も兼ねるレクリエーション室には、さらに同年輩の老人たちの姿がたくさん見える。
スタッフたちも活発に動き、老人たちに活発に声をかけている。
施設が用意するプログラムには、書道や編み物などの趣味活動の企画が設けられ、その気になれば、カラオケやマージャンも楽しめる。
何もかもが完璧に揃そろった 「老人の理想郷」 。
このような場所で生活できるということは、それだけで 「幸せの極致」 であるように思えるのだが、幸せとは、物理的な快適性の総和だけでは測れないもののようだ。
「今日もね、結局、誰とも話さなくて…」
と、コーヒーとセットになった洋菓子をつつきながら、義母がいう。
誰とも話さない理由は何なのか?
もちろん、そんなことをストレートに問いただしてもしょうがないから、
「今日は、楽しみにしているテレビはないんですか?」
と、話題をそらす。
「テレビもね、同じような番組ばかりでね…」
さびしげに彼女が笑う。
「新聞は読みましたか?」
と尋ねてみる。
「新聞もね、読んでも、それを話し合える人がいなくてね」
細い指でコーヒーカップをつまみ上げながら、そう彼女は訴える。
「でも、大広間でほかの方と天気の話や、ご家族の話などはされるんでしょ?」
そう尋ねてみるのだが、相変わらず義母の返事は物憂いトーンに包まれている。
「それも、あんまりね…。何をしゃべっているのか分からない人たちが多いからね」
何をしゃべっているのか分からないとは、どういう意味なのだろう?
加齢のせいで、外界からの反応に鈍くなっている人がいるということかもしれない。
あるいは、義母の耳が、加速度的に 「遠くなっている」 ことを物語っているようにも思える。
耳が遠くなると、相手の話に合わせるのが億劫になる。
内容が聞き取れないから、愛想笑いだけ返しているうちに、人と人の心の距離も遠くなる。
「耳が遠くなる」 という加齢の宿命は、まだそこに達していない人たちが思い描く以上に重い。
しかし、 「誰とも話さなかった」 というのは、そういう理由だけではないのかもしれない。
彼女の心の奥底に、他者と話すことなどでは解消しようもないほどの空漠たる思いが去来するようになったのか。
ことあるごとく、義母が訴えるひとつの言葉がある。
「一日が、長くて辛い」
そしてその後、必ずつけ加える言葉。
「それなのに、日々は矢のように過ぎていく」
そうだとしたら、それは “残酷な時間” というべきかもしれない。
老人の時間というのは、そのようにして流れているのだろうか。
社会で働く人間は、 「長くて辛い時間」 を持ちたくても、持ちようがない。
だから、時間が停滞していることの苛立ちを理解することができない。
人は、他者と語り合うことで、かろうじて 「停滞する時間」 から解放される。
しかし、その語り合う他者がいなければ、無意味な永劫の時間に、独りで耐えるしかない。
新聞やテレビは、その 「独りの時間」 を埋め合わせてくれないのだろうか?
けっきょく人は、新聞やテレビで得たようなニュースを他者と語り合うことで、 「自分の生」 を確認していく生き物なのだろうか?
快適設備が完璧に整った無人島の生活と、貧乏だが話し相手がいる生活とでは、はたしてどっちが人間にとって、幸せか?
「孤独」 は、老人だけを襲っているわけではないような気もする。
ツィッターでつぶやき続ける若者たちも、やはり 「孤独」 が怖いのかもしれない。
もし義母が、ツィッターやフェイスブックの存在を知ったなら、彼女はそこに他者とのつながりを求めるだろうか?
たぶん、そのようなものを教えても、周囲の人たちとも交わることのない彼女は、それを使いこなすことを面倒に感じるだろうし、また、そういうコミュニケーションツールで解決する問題でもないような気がする。
「老人の孤独」 とは何だ?
それらのことが、まだ、私にはうまく整理できないでいる。
ここのところ、携帯にも、時には会社の電話にも、ほぼ連日連絡が入るようになった。
要件は、
「話し相手がいなくて、さびしい」
というのである。
…と言われても、こっちは勤め人であるわけだから、いちいち仕事を中断して会いにいくわけにもいかない。
義母の実子であるカミさんは、いまだ体調不良が続いているので、実母のケアが十分にできない。
義母に施設に入所してもらうようになったのも、カミさんの病気がきっかけとなった。
だから、休日になると着替えを持って行ったり、話し相手を務めたりするのは、私か、私の長男の役目となる。
施設につくと、義母を部屋から連れ出して、1階ロビーの喫茶室まで車椅子を押す。
関東地方は晴天が続いている。
喫茶室の一隅から、抜けるような青空と、その空に向かって、枯れた枝を突き刺すように屹立する木々が見える。
「外は寒いですか?」
と、義母が尋ねてくる。
寒い。
陽射しに春の明るさが交じるようになったとはいえ、風は冷たい。
しかし、彼女はにその 「風の冷たさ」 を知らない。
「いいお天気なのに…」
と、むしろ施設内に屋外の空気が流れ込んで来ないことを、うらめしそうに語る。
喫茶室のカウンターの奥では、温かそうな湯気がたなびき、ほのかなコーヒーの香りが忍び寄ってくる。
メインロビーは、まるでリゾートホテルのエントランスのように明るくて清潔な空気に満たされている。
その廊下の奥では、リハビリに精を出す老人たちを励ます若いスタッフの明るい声。
彼女のいるところは4人部屋ではあるが、自分専用のテレビがあり、自分だけが購読している新聞がある。
もちろん、その気になれば、同室の同僚と話す機会もあるはずだ。
食堂も兼ねるレクリエーション室には、さらに同年輩の老人たちの姿がたくさん見える。
スタッフたちも活発に動き、老人たちに活発に声をかけている。
施設が用意するプログラムには、書道や編み物などの趣味活動の企画が設けられ、その気になれば、カラオケやマージャンも楽しめる。
何もかもが完璧に揃そろった 「老人の理想郷」 。
このような場所で生活できるということは、それだけで 「幸せの極致」 であるように思えるのだが、幸せとは、物理的な快適性の総和だけでは測れないもののようだ。
「今日もね、結局、誰とも話さなくて…」
と、コーヒーとセットになった洋菓子をつつきながら、義母がいう。
誰とも話さない理由は何なのか?
もちろん、そんなことをストレートに問いただしてもしょうがないから、
「今日は、楽しみにしているテレビはないんですか?」
と、話題をそらす。
「テレビもね、同じような番組ばかりでね…」
さびしげに彼女が笑う。
「新聞は読みましたか?」
と尋ねてみる。
「新聞もね、読んでも、それを話し合える人がいなくてね」
細い指でコーヒーカップをつまみ上げながら、そう彼女は訴える。
「でも、大広間でほかの方と天気の話や、ご家族の話などはされるんでしょ?」
そう尋ねてみるのだが、相変わらず義母の返事は物憂いトーンに包まれている。
「それも、あんまりね…。何をしゃべっているのか分からない人たちが多いからね」
何をしゃべっているのか分からないとは、どういう意味なのだろう?
加齢のせいで、外界からの反応に鈍くなっている人がいるということかもしれない。
あるいは、義母の耳が、加速度的に 「遠くなっている」 ことを物語っているようにも思える。
耳が遠くなると、相手の話に合わせるのが億劫になる。
内容が聞き取れないから、愛想笑いだけ返しているうちに、人と人の心の距離も遠くなる。
「耳が遠くなる」 という加齢の宿命は、まだそこに達していない人たちが思い描く以上に重い。
しかし、 「誰とも話さなかった」 というのは、そういう理由だけではないのかもしれない。
彼女の心の奥底に、他者と話すことなどでは解消しようもないほどの空漠たる思いが去来するようになったのか。
ことあるごとく、義母が訴えるひとつの言葉がある。
「一日が、長くて辛い」
そしてその後、必ずつけ加える言葉。
「それなのに、日々は矢のように過ぎていく」
そうだとしたら、それは “残酷な時間” というべきかもしれない。
老人の時間というのは、そのようにして流れているのだろうか。
社会で働く人間は、 「長くて辛い時間」 を持ちたくても、持ちようがない。
だから、時間が停滞していることの苛立ちを理解することができない。
人は、他者と語り合うことで、かろうじて 「停滞する時間」 から解放される。
しかし、その語り合う他者がいなければ、無意味な永劫の時間に、独りで耐えるしかない。
新聞やテレビは、その 「独りの時間」 を埋め合わせてくれないのだろうか?
けっきょく人は、新聞やテレビで得たようなニュースを他者と語り合うことで、 「自分の生」 を確認していく生き物なのだろうか?
快適設備が完璧に整った無人島の生活と、貧乏だが話し相手がいる生活とでは、はたしてどっちが人間にとって、幸せか?
「孤独」 は、老人だけを襲っているわけではないような気もする。
ツィッターでつぶやき続ける若者たちも、やはり 「孤独」 が怖いのかもしれない。
もし義母が、ツィッターやフェイスブックの存在を知ったなら、彼女はそこに他者とのつながりを求めるだろうか?
たぶん、そのようなものを教えても、周囲の人たちとも交わることのない彼女は、それを使いこなすことを面倒に感じるだろうし、また、そういうコミュニケーションツールで解決する問題でもないような気がする。
「老人の孤独」 とは何だ?
それらのことが、まだ、私にはうまく整理できないでいる。
2011年02月05日
「都会」 の匂い
仕事で、夜の国道16号線を、南に走った。
左手に横田基地の滑走路が、フェンスの間から、途切れ途切れに見える。
軍用機の姿は見えない。

薄ぼんやりとした光が漂う、とりとめもない空間が、のっぺりと続く。
ところどころブルーの誘導灯が夜光虫のように浮いている。
30年以上も前か。
R&Bを大音量でとどろかせながら、よくこの道を流した。
片道2車線の道路をまたいで、その反対側には、いかにも米兵好みというたたずまいのカフェやレストラン、ブティークが並ぶ。

※ 画像はイメージ
しかし、大都会の街並みにはほど遠く、ネオンの光量の乏しい、みすぼらしい風景だった。
それが、また良かった。
無味乾燥なただの日本の道路だったけど、頭の中は、異国を走っている気分だった。
ふいに、そのときの “気分” がツゥーンと鼻腔をかすめた。
「都会的なものがカッコいい!」
そんな感覚を抱きながら生きていた自分がいたことを、ふと思い出した。
何を、 “都会的” だと思っていたのか。
アメリカの黒人音楽だった。

そびえ立つ高層ビルでもなく、夜に開花するイルミネーションの群れでもなく、たとえ郊外の寂れた道を眺めていても、そこにR&Bやジャズ、ブルースが流れていれば、もう 「都会」 を感じていた。

マイルス・ディビスは、まだオーソドックなクールジャズをやっていた。
マーヴィン・ゲイは、まだその個性を確立することもなく、モータウンのヒット曲路線に従った普通のR&Bシンガーにすぎなかった。

だけど、そこには、石原裕次郎やフランク永井の歌とは違った、異国の 「都会」 の香りが漂っていた。
それを、 「カッコいい」 と思った。
そんな “刷り込み” が、いつ、どこで行われたのか、もうそれは霧の中。
しかし、何かのきっかけがあったのは確かだ。
きっと、たわいのないことだと思う。
小さい頃に見た映画かなんかで、 「いかにも都会!」 と感じさせる情景の背後に、R&Bとかジャズが流れていたとか。
たぶん、そんなことだと思う。

「都会的」 であるということは、同時に 「大人の匂いを放っている」 ということでもあった。
ガキにはまだ触れることのできない禁断の快楽と、ガキにはまだ理解できない哀愁と退廃。
そこをこっそり覗き込むような、スリリングなときめき。
アメリカの黒人音楽に感じたものは、そんな世界だった。
たぶん、それと同じようなものを、僕より上の世代は、タンゴやシャンソンに感じていたのだろう。
ビートルズ以降、イギリスに数々のビートグループが登場し、日本にもグループサウンズが流行して、僕らは、ようやく自分たちの世代の音楽を手に入れた。
が、代わりに 「都会」 と 「大人」 を失った。

▲ ▼ ジュニア・ウォーカー&オールスターズ。
ちょっと安っぽいサックスの音をフューチャーした、素朴なR&Bバンドの奏でるイージーリスニング。
でも、これが僕の感じる 「都会的な大人の音」 。
この薄っぺらでセンチなダンスビートの奥に、漆黒の闇が広がり、罪深い大人たちが味わう芳醇な快楽が隠されているように思っていた。
左手に横田基地の滑走路が、フェンスの間から、途切れ途切れに見える。
軍用機の姿は見えない。
薄ぼんやりとした光が漂う、とりとめもない空間が、のっぺりと続く。
ところどころブルーの誘導灯が夜光虫のように浮いている。
30年以上も前か。
R&Bを大音量でとどろかせながら、よくこの道を流した。
片道2車線の道路をまたいで、その反対側には、いかにも米兵好みというたたずまいのカフェやレストラン、ブティークが並ぶ。
※ 画像はイメージ
しかし、大都会の街並みにはほど遠く、ネオンの光量の乏しい、みすぼらしい風景だった。
それが、また良かった。
無味乾燥なただの日本の道路だったけど、頭の中は、異国を走っている気分だった。
ふいに、そのときの “気分” がツゥーンと鼻腔をかすめた。
「都会的なものがカッコいい!」
そんな感覚を抱きながら生きていた自分がいたことを、ふと思い出した。
何を、 “都会的” だと思っていたのか。
アメリカの黒人音楽だった。

そびえ立つ高層ビルでもなく、夜に開花するイルミネーションの群れでもなく、たとえ郊外の寂れた道を眺めていても、そこにR&Bやジャズ、ブルースが流れていれば、もう 「都会」 を感じていた。
マイルス・ディビスは、まだオーソドックなクールジャズをやっていた。
マーヴィン・ゲイは、まだその個性を確立することもなく、モータウンのヒット曲路線に従った普通のR&Bシンガーにすぎなかった。
だけど、そこには、石原裕次郎やフランク永井の歌とは違った、異国の 「都会」 の香りが漂っていた。
それを、 「カッコいい」 と思った。
そんな “刷り込み” が、いつ、どこで行われたのか、もうそれは霧の中。
しかし、何かのきっかけがあったのは確かだ。
きっと、たわいのないことだと思う。
小さい頃に見た映画かなんかで、 「いかにも都会!」 と感じさせる情景の背後に、R&Bとかジャズが流れていたとか。
たぶん、そんなことだと思う。

「都会的」 であるということは、同時に 「大人の匂いを放っている」 ということでもあった。
ガキにはまだ触れることのできない禁断の快楽と、ガキにはまだ理解できない哀愁と退廃。
そこをこっそり覗き込むような、スリリングなときめき。
アメリカの黒人音楽に感じたものは、そんな世界だった。
たぶん、それと同じようなものを、僕より上の世代は、タンゴやシャンソンに感じていたのだろう。
ビートルズ以降、イギリスに数々のビートグループが登場し、日本にもグループサウンズが流行して、僕らは、ようやく自分たちの世代の音楽を手に入れた。
が、代わりに 「都会」 と 「大人」 を失った。

▲ ▼ ジュニア・ウォーカー&オールスターズ。
ちょっと安っぽいサックスの音をフューチャーした、素朴なR&Bバンドの奏でるイージーリスニング。
でも、これが僕の感じる 「都会的な大人の音」 。
この薄っぺらでセンチなダンスビートの奥に、漆黒の闇が広がり、罪深い大人たちが味わう芳醇な快楽が隠されているように思っていた。
2011年02月04日
エジプトでは何が?
エジプトでは、いま何が起こっているのか?
そのことに関心を抱くことは、アメリカの中東戦略に触れることであり、パレスチナ問題を語ることであり、長期政権が続いた国の民主主義を考えることであり、経済格差と失業を語ることであり、ネット社会による情報流通と革命の関係を考えることである。

つまり日本人を含めたさまざまな民族が、これから考えなければならない問題を読み解く契機が、そこにいっぱいあるように思うのだ。
しかし、今日の出勤前のテレビを見ていたら、日本のメディアの最大の関心事は、相撲界の八百長問題だった。
「日本社会もグローバル化しなければいけない」
というかけ声は、相変わらずいろいろな所から響いてくるが、どうやらグローバル化したのはビジネス社会だけであって、メディアの方は、ますます “鎖国化” を深めているような感じがする。
エジプト情勢の変化は、世界に何をもたらせるのか?
それに関しては、あの時事解説の達人といわれる池上彰さんだって、次のように語るのみ。
「エジプトのような大国が反米国家になったら、世界の力関係は大きく変わる。アメリカの中東への影響力は低下するだろう。 パレスチナの和平のゆくえが一段と混迷するのは明らかである」 (週刊文春)
う~ん……。
そうなんだけどさ、私の知りたいことはそういうことじゃない。
たとえば 「パレスチナの和平」 という一言に対してだって、いろいろな疑問がわく。
「そもそもパレスチナ問題って何だ?」
「アメリカはなんで、イスラエルを支持するんだ?」
「宗教とか民族とかいう区分けと、国境とは、どういう関係にあるんだ?」
「ユダヤ教とイスラム教って、どこが違って、何が同じなの?」
「ネット社会の普及と、一神教の教えって、影響し合うの? 関係ないの?」
少しじっくり考えてみれば、ひとつの疑問から新たな疑問が発生していくということが必ず起こる。
《 知の運動 》 って、そういうもんだと思う。
ところが、今の日本のメディアには、そのような “運動” が生じる気配がない。
疑問に対する 「とりあえずの解説」 をうまくこなす人はいても、疑問が次の疑問を促すように語れる人はいない。
大事なのは、疑問が次の疑問を促していくという、 《 知のダイナミズム 》 を継続させることだと思う。
だから、メディアの解説を受け取る視聴者の方も、 「とりあえずの解説」 で満足することなく、その “解説” の中に新しい疑問を見つける目を養い、その疑問からもう一つの “質問” をつくり出す力が必要になる。
しかし、ブログ、ツィッターなどのネット利用者の発言を見ていると、 「疑問」 を提出することよりも 「結論」 を言い張る人の方がエライみたいな風潮が感じられる。
特に、文字数が限られたツィッターの方が、みんな 「結論」 を急いでいる。
「八百長を蔓延させた相撲界は国民の信頼を裏切った。相撲界はいますぐ解散すべき」 みたいな…。
私は威勢よく豪語される 「結論」 よりも、頼りなくくりかえされる 「疑問」 の方が大事だと思う。
そもそも、 「疑問」 と 「結論」 はまったく逆の方向に人を導く。
「結論」 は “身内” の結束を固め、仲間同士の求心力を強めようとするが、 「疑問」 は遠心力を発揮して、個人を 《外》 の世界に向かわせる。
「疑問」 を追い払って 「結論」 のみを尊重する社会は、鎖国化の一途をたどるように思う。
そのことに関心を抱くことは、アメリカの中東戦略に触れることであり、パレスチナ問題を語ることであり、長期政権が続いた国の民主主義を考えることであり、経済格差と失業を語ることであり、ネット社会による情報流通と革命の関係を考えることである。

つまり日本人を含めたさまざまな民族が、これから考えなければならない問題を読み解く契機が、そこにいっぱいあるように思うのだ。
しかし、今日の出勤前のテレビを見ていたら、日本のメディアの最大の関心事は、相撲界の八百長問題だった。
「日本社会もグローバル化しなければいけない」
というかけ声は、相変わらずいろいろな所から響いてくるが、どうやらグローバル化したのはビジネス社会だけであって、メディアの方は、ますます “鎖国化” を深めているような感じがする。
エジプト情勢の変化は、世界に何をもたらせるのか?
それに関しては、あの時事解説の達人といわれる池上彰さんだって、次のように語るのみ。
「エジプトのような大国が反米国家になったら、世界の力関係は大きく変わる。アメリカの中東への影響力は低下するだろう。 パレスチナの和平のゆくえが一段と混迷するのは明らかである」 (週刊文春)
う~ん……。
そうなんだけどさ、私の知りたいことはそういうことじゃない。
たとえば 「パレスチナの和平」 という一言に対してだって、いろいろな疑問がわく。
「そもそもパレスチナ問題って何だ?」
「アメリカはなんで、イスラエルを支持するんだ?」
「宗教とか民族とかいう区分けと、国境とは、どういう関係にあるんだ?」
「ユダヤ教とイスラム教って、どこが違って、何が同じなの?」
「ネット社会の普及と、一神教の教えって、影響し合うの? 関係ないの?」
少しじっくり考えてみれば、ひとつの疑問から新たな疑問が発生していくということが必ず起こる。
《 知の運動 》 って、そういうもんだと思う。
ところが、今の日本のメディアには、そのような “運動” が生じる気配がない。
疑問に対する 「とりあえずの解説」 をうまくこなす人はいても、疑問が次の疑問を促すように語れる人はいない。
大事なのは、疑問が次の疑問を促していくという、 《 知のダイナミズム 》 を継続させることだと思う。
だから、メディアの解説を受け取る視聴者の方も、 「とりあえずの解説」 で満足することなく、その “解説” の中に新しい疑問を見つける目を養い、その疑問からもう一つの “質問” をつくり出す力が必要になる。
しかし、ブログ、ツィッターなどのネット利用者の発言を見ていると、 「疑問」 を提出することよりも 「結論」 を言い張る人の方がエライみたいな風潮が感じられる。
特に、文字数が限られたツィッターの方が、みんな 「結論」 を急いでいる。
「八百長を蔓延させた相撲界は国民の信頼を裏切った。相撲界はいますぐ解散すべき」 みたいな…。
私は威勢よく豪語される 「結論」 よりも、頼りなくくりかえされる 「疑問」 の方が大事だと思う。
そもそも、 「疑問」 と 「結論」 はまったく逆の方向に人を導く。
「結論」 は “身内” の結束を固め、仲間同士の求心力を強めようとするが、 「疑問」 は遠心力を発揮して、個人を 《外》 の世界に向かわせる。
「疑問」 を追い払って 「結論」 のみを尊重する社会は、鎖国化の一途をたどるように思う。
2011年02月03日
同人雑誌仲間
中学時代に仲の良かったクラスメート4人で会った。
卒業まぎわに、
「同窓だった思い出をなんらかの形に残そう」
ということになり、 “同人雑誌” を作った仲間である。

▲ 雑誌名は 『DOJINSHI』 だった
コラムあり、映画評あり、小説あり、マンガあり、星占いありという、各人の得意なものを寄せ集めたユニークな雑誌となった。
当時、手作りの雑誌を印刷するときに一般的に使われたのはガリ版である。
しかし、マンガも収録するとなると、ガリ版では “ベタ塗り” ができない。
そこで、当時ようやく普及し始めたコピー機を使った。
何部ぐらい製本したのか、覚えてない。
たぶん、クラスメート全員とそれ以外の仲のいい友人たちに配る分を計算して、50~60冊ぐらいではなかったろうか。
卒業後はみんな別々の高校に行ったから、その後彼らと会うことは滅多になかった。
社会人になってから集まったこともあったが、せいぜい4~5年に1度というペースではなかったか。
ところが、そのうちの一人が、パソコンのメールを介して、
「今度は、会って近況を報告し合うだけでなく、昔つくった同人雑誌をもう一度復活させないか?」
と提案してきたのである。
ペーパーでなくても、WEB上でそれが可能かどうか相談もしたいという。
WEBでやるなら、あまり面倒ではない。
面白いかな…とは思ったが、いざ集まってみると、モチベーションにそれぞれの温度差があり、イメージしているものも微妙に異なり、実現するまでにはいろいろと紆余曲折がありそうな気配もした。
発起人となった友人は、わりと燃えていた。
映画とクラシック音楽の好きな男で、プロとまではいかなくとも、自作の批評がメジャー誌などに掲載される経験をすでに持っている。
ユーモアと批評精神のバランスの取れた才人でもある。
彼は、文学や芸術の香りが高い 「正統派の同人雑誌」 をイメージしているようだった。
反対に、そういうことに再チャレンジするのは 「ちょっと億劫だな…」 という気持ちを顔に滲ませながら、最後まで黙って優しい笑みを浮かべていた友人もいた。
3番目の友人は、同人雑誌を作ることそのものよりも、
「それを軸に、みんなで集まったり、意見を交換することができるなら賛成!」
という立場だった。
「どうせ、俺たちはもう還暦になったんだ。ヒマな時間だけは増えるけれど、語る仲間は減っていく年になる。だから、懐かしい仲間が集まって、飲み食いの機会を持つことはいいことなんじゃない?」
…というのが、3番目の友の意見。
私はというと、この3番目の意見に近い。
会って、たわいもなく飲み合って、近況報告をするだけでもいいじゃない?
という気持ちが強い。
確かに、中学生の頃に出した同人誌では、小説を書いた。
当時ハヤカワから出ていたリチャード・マティスンとか、ロアルド・ダール、シオドア・スタージョンみたいな作風を意識した (つもりの) 短編だった。
その頃は、将来そっちの世界で自分を試したいという “野心” もなくはなかった。

同人雑誌の復活を主張する友人は、しきりにその当時のことを振り返り、
「もう一度小説を書かないか?」
と背中を押してくれる。
しかし、今の自分には 「ここで一発奮起して小説でも書くか!」 という意気込みはそうとう後退している。
…というより、 「小説」 という形で、自己の表現衝動を世間に向かってはじき出すという行為に、どこか気恥ずかしさを覚えるのだ。
おのれが勝手に思い描いた想像世界に他者を巻き込むなんてことは、神にでも愛された天才でなければ、とても無理だ。
自分の場合はそんな風に思っている。
そこの部分では 「凡才」 である自分が小説を書くなんて、時間がもったいない。
そういう時間があるならば、自分には及びもつかない世界を描いている作家たちの小説をもっと読むべきだ。
そう思う。
しかし、 「批評」 とか 「評論」 のようなものだったら書いてもいいと思う。
素敵な小説を読んだり、心地よい音楽を聞いたりして、その感想を書いたりすることは好きだ。
たぶん、そのとき自分の心の中に起こった 「変化」 に興味があるのだろう。
人の作品のいったい何が、どこが、自分の 「心」 を変えたのか?
そういうことに対する興味の方が、小説を書くことの喜びよりも強い。
「素晴らしいもの」 は、常に自分の 《外》 からやって来る。
もし、自分に “小説的感性” があったとしたら、それをキャッチするためにこそ使うべきだと思っている。
で、同人雑誌の方は、 「時間を見ながらボチボチ…」 ということになった。
それでいいと思った。
仮に、計画どおりに作品が集まらなくても、何かひとつの目的を持って、昔の仲間が集うということは、やはり生きていく上での 「刺激」 になる。
あせらず、意気込まず、ゆるゆると…。
しかし、 「目的を持つ」 ということの緊張感だけは維持しつつ。
卒業まぎわに、
「同窓だった思い出をなんらかの形に残そう」
ということになり、 “同人雑誌” を作った仲間である。
▲ 雑誌名は 『DOJINSHI』 だった
コラムあり、映画評あり、小説あり、マンガあり、星占いありという、各人の得意なものを寄せ集めたユニークな雑誌となった。
当時、手作りの雑誌を印刷するときに一般的に使われたのはガリ版である。
しかし、マンガも収録するとなると、ガリ版では “ベタ塗り” ができない。
そこで、当時ようやく普及し始めたコピー機を使った。
何部ぐらい製本したのか、覚えてない。
たぶん、クラスメート全員とそれ以外の仲のいい友人たちに配る分を計算して、50~60冊ぐらいではなかったろうか。
卒業後はみんな別々の高校に行ったから、その後彼らと会うことは滅多になかった。
社会人になってから集まったこともあったが、せいぜい4~5年に1度というペースではなかったか。
ところが、そのうちの一人が、パソコンのメールを介して、
「今度は、会って近況を報告し合うだけでなく、昔つくった同人雑誌をもう一度復活させないか?」
と提案してきたのである。
ペーパーでなくても、WEB上でそれが可能かどうか相談もしたいという。
WEBでやるなら、あまり面倒ではない。
面白いかな…とは思ったが、いざ集まってみると、モチベーションにそれぞれの温度差があり、イメージしているものも微妙に異なり、実現するまでにはいろいろと紆余曲折がありそうな気配もした。
発起人となった友人は、わりと燃えていた。
映画とクラシック音楽の好きな男で、プロとまではいかなくとも、自作の批評がメジャー誌などに掲載される経験をすでに持っている。
ユーモアと批評精神のバランスの取れた才人でもある。
彼は、文学や芸術の香りが高い 「正統派の同人雑誌」 をイメージしているようだった。
反対に、そういうことに再チャレンジするのは 「ちょっと億劫だな…」 という気持ちを顔に滲ませながら、最後まで黙って優しい笑みを浮かべていた友人もいた。
3番目の友人は、同人雑誌を作ることそのものよりも、
「それを軸に、みんなで集まったり、意見を交換することができるなら賛成!」
という立場だった。
「どうせ、俺たちはもう還暦になったんだ。ヒマな時間だけは増えるけれど、語る仲間は減っていく年になる。だから、懐かしい仲間が集まって、飲み食いの機会を持つことはいいことなんじゃない?」
…というのが、3番目の友の意見。
私はというと、この3番目の意見に近い。
会って、たわいもなく飲み合って、近況報告をするだけでもいいじゃない?
という気持ちが強い。
確かに、中学生の頃に出した同人誌では、小説を書いた。
当時ハヤカワから出ていたリチャード・マティスンとか、ロアルド・ダール、シオドア・スタージョンみたいな作風を意識した (つもりの) 短編だった。
その頃は、将来そっちの世界で自分を試したいという “野心” もなくはなかった。
同人雑誌の復活を主張する友人は、しきりにその当時のことを振り返り、
「もう一度小説を書かないか?」
と背中を押してくれる。
しかし、今の自分には 「ここで一発奮起して小説でも書くか!」 という意気込みはそうとう後退している。
…というより、 「小説」 という形で、自己の表現衝動を世間に向かってはじき出すという行為に、どこか気恥ずかしさを覚えるのだ。
おのれが勝手に思い描いた想像世界に他者を巻き込むなんてことは、神にでも愛された天才でなければ、とても無理だ。
自分の場合はそんな風に思っている。
そこの部分では 「凡才」 である自分が小説を書くなんて、時間がもったいない。
そういう時間があるならば、自分には及びもつかない世界を描いている作家たちの小説をもっと読むべきだ。
そう思う。
しかし、 「批評」 とか 「評論」 のようなものだったら書いてもいいと思う。
素敵な小説を読んだり、心地よい音楽を聞いたりして、その感想を書いたりすることは好きだ。
たぶん、そのとき自分の心の中に起こった 「変化」 に興味があるのだろう。
人の作品のいったい何が、どこが、自分の 「心」 を変えたのか?
そういうことに対する興味の方が、小説を書くことの喜びよりも強い。
「素晴らしいもの」 は、常に自分の 《外》 からやって来る。
もし、自分に “小説的感性” があったとしたら、それをキャッチするためにこそ使うべきだと思っている。
で、同人雑誌の方は、 「時間を見ながらボチボチ…」 ということになった。
それでいいと思った。
仮に、計画どおりに作品が集まらなくても、何かひとつの目的を持って、昔の仲間が集うということは、やはり生きていく上での 「刺激」 になる。
あせらず、意気込まず、ゆるゆると…。
しかし、 「目的を持つ」 ということの緊張感だけは維持しつつ。
2011年02月01日
自己啓発ビジネス
30年ぐらい前だろうか。
一度ヘッドハンティングされかかったことがある。
マーケティングの会社だったか、コンサルティング会社だったか。
要は、ビジネスのアイデアを出して食べていく会社だった。
仲介したのは、学生時代につき合っていた友人だった。
「まぁ、うちのボスと世間話でも」
と軽いノリで誘われ、友人も同席して、その会社のボスとステーキを食った。
アメリカ牛と和牛の “脂肪のつき方の違い” なんていう話から始まったが、シェフが焼けたステーキを鉄板からプレートに移し換えるというタイミングで、そのボスが、
「マズローの法則って、知っている?」
と尋ねてきた。
肉を焼くための法則かと思った。
しかし、聞いてみると、人間の欲求に関する 「教え」 のことだという。
要は、人間の自己実現要求をうまく管理すれば仕事がはかどるという、心理学的な “動機づけ” を説いたものだった。
「人間の欲求は階層化されている。
最も下位に、食欲、性欲などがあり、それが徐々に高みに登っていき、最後の5番目の欲求になると、自己の能力を最大限に発揮したいと思うようになる」
その5番目の境地に至れば自己解放が達成され、サクセスへの道が拓かれるという理屈だったと記憶している。
そのボスは、なぜそんなことを私に話したのか。
たぶん、 「僕らと一緒に仕事をして5番目の境地を歩もう」 というメッセージを送ろうとしたのだと思う。
「はぁ…」
と頷きながら聞いていたが、せっかくのステーキがまずくなった。
別に、その理論がつまらなかった…というわけではない。
そのボスの語り口に、生理的な違和感を覚えたからだ。
どこか、マルチ商法などを仕切る人の匂い。
あるいは、新興宗教か自己開発セミナーなどの講習会で、演壇に立って説明する人の匂い。
心理学とか哲学のテーマを、誰にでも分かりやすい言葉で説いて、
「ほら、あなたは、もう生まれ変わってますよ」
とささやく人の匂いが、そのしゃべり方から立ちのぼってきたのだ。
だから、マズローさんには申し訳ないけれど、 (たぶん誤解だと思うが) 、人生のモチベーションを高めるための 「○○の法則」 とかいうものに対しては、今も敬して遠ざける気分が働く。
で、そのボスと会ったのは、それが最初で最後となった。
マズローさんの法則が、それに当てはまるかどうかは分からないけれど、個人のモチベーションを高めるための法則を説くビジネスは、相変わらずそこら中にあふれている。
自己啓発本とか自己啓発セミナーなどといわれるものだ。
とくに、自己啓発書のたぐいは、その実効性を具体的に訴えるものが多いから、新聞広告や車内吊り広告のタイトルを読むだけで、いわんとしているテーマはだいたい推測できる。
「○日間で、××を達成する法」
「○○な人生を変える12の法則」
「デキる人間は、みんな××をクリアしていた」
…みたいな。
どれも、お賽銭を投げればすぐご利益があるというタイトルが特徴で、寺社の賽銭箱にコインを放り込むような気分で一冊買えてしまう。

これらの本には、一貫したスタイルがある。
最後までキチっと読み終えたものがないので、うかつなことは言えないが、要は、
「おのれを信じなさい」
「おのれの中には無限のパワーが眠っています」
「あなたが成功しないのは、そのパワーに気づいていないからです」
「だから、まず××を実行しましょう」
「そうれば、あなたの周りに、あなたを慕う人がたくさん集まってきます」
という自己が開かれていくプロセスが、ほぼ同じような口調で語られている。
中身が替わるのは、 「××」 のところ。
この 「××」 が、時に 「速読法」 になったり、 「整理整頓術」 になったり、 「サプリメントの名」 になったりする。
もちろん、これらの本が、人生の成功者となるための地道な 「努力」 をないがしろにしているわけではない。
地道な 「努力」 を強調しながらも、一方で、その努力を軽減するための “秘策” を用意しているところがミソ。
つまり、
「汗水垂らしてトレーニングに励むのが常道なんですが、実は、短期間に成果を上げるための “筋肉増強剤” という秘策があるんですよぉ!」
みたいな感じ。
この “秘策” の部分が、なにがしかのビジネスにつながっている。
そういった意味で、自己啓発本も、自己啓発セミナーも、マルチ商法も、スピリチュアルも、どこかで 「商売」 に結びつく秘策を大事にしているところが、共通している。
確かに、自己啓発本は、いっとき人を元気にさせるかもしれない。
問題は、その元気が長続きしないこと。
日々の仕事が忙しいと、その忙しさを乗り切るために読んだ自己啓発本の内容すら、人間は忘れてしまうものだ。
だから、目新しいものが出てくると、また買う。
そこが自己啓発本の “売れる秘密” であるかもしれない。
一度ヘッドハンティングされかかったことがある。
マーケティングの会社だったか、コンサルティング会社だったか。
要は、ビジネスのアイデアを出して食べていく会社だった。
仲介したのは、学生時代につき合っていた友人だった。
「まぁ、うちのボスと世間話でも」
と軽いノリで誘われ、友人も同席して、その会社のボスとステーキを食った。
アメリカ牛と和牛の “脂肪のつき方の違い” なんていう話から始まったが、シェフが焼けたステーキを鉄板からプレートに移し換えるというタイミングで、そのボスが、
「マズローの法則って、知っている?」
と尋ねてきた。
肉を焼くための法則かと思った。
しかし、聞いてみると、人間の欲求に関する 「教え」 のことだという。
要は、人間の自己実現要求をうまく管理すれば仕事がはかどるという、心理学的な “動機づけ” を説いたものだった。
「人間の欲求は階層化されている。
最も下位に、食欲、性欲などがあり、それが徐々に高みに登っていき、最後の5番目の欲求になると、自己の能力を最大限に発揮したいと思うようになる」
その5番目の境地に至れば自己解放が達成され、サクセスへの道が拓かれるという理屈だったと記憶している。
そのボスは、なぜそんなことを私に話したのか。
たぶん、 「僕らと一緒に仕事をして5番目の境地を歩もう」 というメッセージを送ろうとしたのだと思う。
「はぁ…」
と頷きながら聞いていたが、せっかくのステーキがまずくなった。
別に、その理論がつまらなかった…というわけではない。
そのボスの語り口に、生理的な違和感を覚えたからだ。
どこか、マルチ商法などを仕切る人の匂い。
あるいは、新興宗教か自己開発セミナーなどの講習会で、演壇に立って説明する人の匂い。
心理学とか哲学のテーマを、誰にでも分かりやすい言葉で説いて、
「ほら、あなたは、もう生まれ変わってますよ」
とささやく人の匂いが、そのしゃべり方から立ちのぼってきたのだ。
だから、マズローさんには申し訳ないけれど、 (たぶん誤解だと思うが) 、人生のモチベーションを高めるための 「○○の法則」 とかいうものに対しては、今も敬して遠ざける気分が働く。
で、そのボスと会ったのは、それが最初で最後となった。
マズローさんの法則が、それに当てはまるかどうかは分からないけれど、個人のモチベーションを高めるための法則を説くビジネスは、相変わらずそこら中にあふれている。
自己啓発本とか自己啓発セミナーなどといわれるものだ。
とくに、自己啓発書のたぐいは、その実効性を具体的に訴えるものが多いから、新聞広告や車内吊り広告のタイトルを読むだけで、いわんとしているテーマはだいたい推測できる。
「○日間で、××を達成する法」
「○○な人生を変える12の法則」
「デキる人間は、みんな××をクリアしていた」
…みたいな。
どれも、お賽銭を投げればすぐご利益があるというタイトルが特徴で、寺社の賽銭箱にコインを放り込むような気分で一冊買えてしまう。
これらの本には、一貫したスタイルがある。
最後までキチっと読み終えたものがないので、うかつなことは言えないが、要は、
「おのれを信じなさい」
「おのれの中には無限のパワーが眠っています」
「あなたが成功しないのは、そのパワーに気づいていないからです」
「だから、まず××を実行しましょう」
「そうれば、あなたの周りに、あなたを慕う人がたくさん集まってきます」
という自己が開かれていくプロセスが、ほぼ同じような口調で語られている。
中身が替わるのは、 「××」 のところ。
この 「××」 が、時に 「速読法」 になったり、 「整理整頓術」 になったり、 「サプリメントの名」 になったりする。
もちろん、これらの本が、人生の成功者となるための地道な 「努力」 をないがしろにしているわけではない。
地道な 「努力」 を強調しながらも、一方で、その努力を軽減するための “秘策” を用意しているところがミソ。
つまり、
「汗水垂らしてトレーニングに励むのが常道なんですが、実は、短期間に成果を上げるための “筋肉増強剤” という秘策があるんですよぉ!」
みたいな感じ。
この “秘策” の部分が、なにがしかのビジネスにつながっている。
そういった意味で、自己啓発本も、自己啓発セミナーも、マルチ商法も、スピリチュアルも、どこかで 「商売」 に結びつく秘策を大事にしているところが、共通している。
確かに、自己啓発本は、いっとき人を元気にさせるかもしれない。
問題は、その元気が長続きしないこと。
日々の仕事が忙しいと、その忙しさを乗り切るために読んだ自己啓発本の内容すら、人間は忘れてしまうものだ。
だから、目新しいものが出てくると、また買う。
そこが自己啓発本の “売れる秘密” であるかもしれない。
2011年01月30日
ノスタルジー
ノスタルジーは、「郷愁」 と訳される。
故郷の風景などを思い出したとき、鼻腔をツゥーンとかすめていく、あの “懐かしい空気” のようなものを指す言葉だ。
故郷の風景でなくても、その時代によく聞いていた音楽。
あるいは、よく食べていた食べ物。
そういうものに接したとき、私たちは、センチな気分で胸がいっぱいになったり、不思議な高揚感に満たされたりする。
そういった意味で、すべてのノスタルジーは 「対象」 を伴っている。
懐かしい 「風景」
懐かしい 「音楽」
懐かしい 「味」
ノスタルジーは、常に “懐かしさ” を呼び出すための 「対象」 とセットになっている。
この 「対象」 という言葉を、 「記号」 と表現し直してもいい。
『ALWAYS 三丁目の夕日』 という映画は、団塊世代の人々が感じる 「懐かしさ」 を、すべて 「記号」 に置き換えた映画だった。

映画の舞台となったのは、昭和33年の東京。
そこに登場する 「完成前の東京タワー」 や 「オート3輪」 、あるいは 「お下げ髪の少女」 などという映像は、すべて昭和33年の “記号” といってよかった。
これらの “記号” は、釣り針が魚の口を捕らえたかのように、半ば強引に、人の記憶の底に眠っていた 「当時の気分」 を浮上させる。
不意に耳を襲ったナツメロが、一瞬にして、人を過去の世界に連れ戻すように。
深海から突然釣り上げられた記憶は、鮮度がいい。
それは、まだ汚れを知らない記憶であり、可能性を保持したままの記憶であり、生きることのほろ苦さを知らない記憶である。
だから、心地良い。
それがノスタルジーの正体だ。
しかし、この世には、もうひとつ 「記号」 を持たないノスタルジーというものが存在する。
懐かしいんだけど、その “懐かしさ” の理由が分からないというやつ。
どこかで見たような……、だけど記憶がない。
記憶がないけど、何か懐かしい……
私たちは、ときどきそういう気分に襲われることがある。
デジャブ (既視覚) というのも、その一つかもしれない。
しかし、デジャブでなくても、私たちは、はじめて接した風景や、絵画、音、匂いのなかに、
「遠い昔、どこかでこれと出会っている」
という不思議な感覚を味わうことがある。
たいていの 「懐かしさ」 には、それを 「懐かしい」 と感じる根拠があるはずだが、その手の 「懐かしさ」 には、根拠……すなわち 「対象」 がない。
対象のないノスタルジーには、どこか 「不安」 の影が忍び寄る。
「懐かしい」 と感じながら、 「懐かしさ」 を感じているはずの “自己” をその場に見出すことができないからだ。
「その場にいなかったはずの自分が、なぜその光景に懐かしさを感じるのか?」
あるいは、
「もし、自分が懐かしいと感じるのだとしたら、そのとき自分はどこに立っていたのか?」
ノスタルジーが、やわなセンチメンタリズムを離れて、虚無の深淵を見せるのはこのときだ。
すべての人間は、みな自分が原初の光景として見た 「荒野」 を抱えている。
ノスタルジーとは、実は、この原初の荒野のことをいう。
そこには誰もいない。
何もない。
だから、そこがどこなのか、そこには、どんな風が吹いているのか。
それは、誰も言葉にできない。
多くの学者や宗教家が、なんとかその 「荒野」 に解明のメスを入れようとした。
生物学者たちは、この人間が共通して持っている 「荒野の原像」 を 「DNAに書きこまれた “生命情報” 」 などと説明するかもしれない。
精神分析学者たちがいう 「集合無意識」 などというのも、その一つかもしれない。
東洋の説明体系においては、この 「対象を持たないノスタルジー」 のことを 「前世の記憶」 などと説明することがある。
だけど、人間が抱いている 「原初の荒野」 は、科学や、哲学や、宗教では解明することができない。
私は、この 「荒野」 の感覚こそが 「文学」 の原点だと思っている。
それは、 「絵画」 の原点でもあり、 「音楽」 の原点でもある。

▲ ハンマースホイの描いた 『居間に射す光』
彼の絵は、まさに 「対象とつながらないノスタルジー」 を表現している。
この絵が、誰にとっても懐かしく感じられるとしたら、その温かそうな陽射しを、誰もがどこかで経験しているからだ。
しかし、その経験がいつ、どこのものであったかは、誰も特定できない。
特定しようとすればするほど、逆に自分と、自分の記憶が乖離していく。
だからハンマースホイの絵からは、懐かしさと同時にかすかな 「不安」 と 「寂寥(せきりょう) 」 が忍び寄ってくる。
故郷の風景などを思い出したとき、鼻腔をツゥーンとかすめていく、あの “懐かしい空気” のようなものを指す言葉だ。
故郷の風景でなくても、その時代によく聞いていた音楽。
あるいは、よく食べていた食べ物。
そういうものに接したとき、私たちは、センチな気分で胸がいっぱいになったり、不思議な高揚感に満たされたりする。
そういった意味で、すべてのノスタルジーは 「対象」 を伴っている。
懐かしい 「風景」
懐かしい 「音楽」
懐かしい 「味」
ノスタルジーは、常に “懐かしさ” を呼び出すための 「対象」 とセットになっている。
この 「対象」 という言葉を、 「記号」 と表現し直してもいい。
『ALWAYS 三丁目の夕日』 という映画は、団塊世代の人々が感じる 「懐かしさ」 を、すべて 「記号」 に置き換えた映画だった。

映画の舞台となったのは、昭和33年の東京。
そこに登場する 「完成前の東京タワー」 や 「オート3輪」 、あるいは 「お下げ髪の少女」 などという映像は、すべて昭和33年の “記号” といってよかった。
これらの “記号” は、釣り針が魚の口を捕らえたかのように、半ば強引に、人の記憶の底に眠っていた 「当時の気分」 を浮上させる。
不意に耳を襲ったナツメロが、一瞬にして、人を過去の世界に連れ戻すように。
深海から突然釣り上げられた記憶は、鮮度がいい。
それは、まだ汚れを知らない記憶であり、可能性を保持したままの記憶であり、生きることのほろ苦さを知らない記憶である。
だから、心地良い。
それがノスタルジーの正体だ。
しかし、この世には、もうひとつ 「記号」 を持たないノスタルジーというものが存在する。
懐かしいんだけど、その “懐かしさ” の理由が分からないというやつ。
どこかで見たような……、だけど記憶がない。
記憶がないけど、何か懐かしい……
私たちは、ときどきそういう気分に襲われることがある。
デジャブ (既視覚) というのも、その一つかもしれない。
しかし、デジャブでなくても、私たちは、はじめて接した風景や、絵画、音、匂いのなかに、
「遠い昔、どこかでこれと出会っている」
という不思議な感覚を味わうことがある。
たいていの 「懐かしさ」 には、それを 「懐かしい」 と感じる根拠があるはずだが、その手の 「懐かしさ」 には、根拠……すなわち 「対象」 がない。
対象のないノスタルジーには、どこか 「不安」 の影が忍び寄る。
「懐かしい」 と感じながら、 「懐かしさ」 を感じているはずの “自己” をその場に見出すことができないからだ。
「その場にいなかったはずの自分が、なぜその光景に懐かしさを感じるのか?」
あるいは、
「もし、自分が懐かしいと感じるのだとしたら、そのとき自分はどこに立っていたのか?」
ノスタルジーが、やわなセンチメンタリズムを離れて、虚無の深淵を見せるのはこのときだ。
すべての人間は、みな自分が原初の光景として見た 「荒野」 を抱えている。
ノスタルジーとは、実は、この原初の荒野のことをいう。
そこには誰もいない。
何もない。
だから、そこがどこなのか、そこには、どんな風が吹いているのか。
それは、誰も言葉にできない。
多くの学者や宗教家が、なんとかその 「荒野」 に解明のメスを入れようとした。
生物学者たちは、この人間が共通して持っている 「荒野の原像」 を 「DNAに書きこまれた “生命情報” 」 などと説明するかもしれない。
精神分析学者たちがいう 「集合無意識」 などというのも、その一つかもしれない。
東洋の説明体系においては、この 「対象を持たないノスタルジー」 のことを 「前世の記憶」 などと説明することがある。
だけど、人間が抱いている 「原初の荒野」 は、科学や、哲学や、宗教では解明することができない。
私は、この 「荒野」 の感覚こそが 「文学」 の原点だと思っている。
それは、 「絵画」 の原点でもあり、 「音楽」 の原点でもある。

▲ ハンマースホイの描いた 『居間に射す光』
彼の絵は、まさに 「対象とつながらないノスタルジー」 を表現している。
この絵が、誰にとっても懐かしく感じられるとしたら、その温かそうな陽射しを、誰もがどこかで経験しているからだ。
しかし、その経験がいつ、どこのものであったかは、誰も特定できない。
特定しようとすればするほど、逆に自分と、自分の記憶が乖離していく。
だからハンマースホイの絵からは、懐かしさと同時にかすかな 「不安」 と 「寂寥(せきりょう) 」 が忍び寄ってくる。
2011年01月28日
夫婦の会話の危機
あるテレビ番組で、 「現代の夫婦の間には、会話が本当に成り立っているのか?」 という実験を行っていた。
街を歩いていた何組かの夫婦を実際にスタジオに連れ込み、ある一部のテーマだけを除いて、いったい何分会話が持つのかを実験したのである。
この実験のカギは、 “ある一部のテーマを除いて” というところにあった。
それは、 「子供と実家の話題」 だったのである。
すると、この 「子供」 と 「実家」 という話題を除くと、ほとんどの夫婦は会話が10分も持続しないことが分かった。
番組はこれを、 「熟年離婚」 へ至る “落とし穴” という方向に視聴者をリードしていく。
すなわち、 「子供とそれぞれの実家」 に関わること以外では、今の一般的な夫婦は、お互いに対する関心を失っていると指摘する。
会話がないのは、関心がないことの証拠。
夫婦の間から会話が消えたとき、それはお互いの関係が切れたことを意味する…という、ひとまずの推論がそこで立てられる。
そこで、レギュラーコメンテーターたちの意見が入った。
ある中年の男性キャスターはいう。
「だって、妻の話はまどろっこしいんだもん。まず結論がすぐに分からない。どうでもいいような人のうわさ話が延々と続く。
で、それでどうしたの? …と質問しようと思うと、もう話が別のテーマに移っている。
こっちが忙しいときは、まず結論をはっきり出すような会話を選んでほしい」
それに対する女性キャスターの反論。
「女は話しながら筋立てを構成していく。女同士はそのプロセスとスピード感に慣れているから、その方が会話が盛り上がる。
なのに、男性はいちいち “論理” だの “結論” だのというので、話がブツブツ切られてしまう。
それに、女は自分の話を聞いてくれるだけで、ストレスが解消できる。
女のうわさ話とか愚痴というのは、実はストレスを解消したいときのSOSなのだ。
女同士ならそれが分かるが、それを理解できない男がいる。
そういう男に対しては、たとえ夫であろうとも、優しさの欠如を感じてしまう。
夫婦というのは、 “無駄な会話” が許される関係のことをいうのではなかろうか。
だから、妻の会話を “無駄だ” と一言で切り捨てる夫からは、やがて気持ちが離れていくと思う」
なるほど。
ここには、熟年離婚に傾いていく妻の気持ちが簡潔にまとめられているような気もする。
要するに、夫婦の会話のギクシャク度が増すと、二人の関係が疎遠なものになっていく…ということなのだろう。
なにもこれは、 「夫婦」 に限ったことではない。
広く 「男と女」 の問題と言い換えてもいいだろう。

なぜ、男と女の会話は、それぞれ別の原理によって支えられているのか?
これに関して、斎藤環さんという人が 『関係する女、所有する男』 (講談社現代新書) という本のなかで面白いことを書いている。
要は、男は 「所有すること」 を求める動物である。
それに対して、女は 「関係すること」 を求める動物である。
…と、彼はいうのだ。
(もちろんこのような差異は、動物としての生理学的な性差から生まれるものではなく、あくまでも文化概念に由来するものだが、その原理を説明していると長くなるので省く)
で、 「所有」 を求める男性は、常に 「対象を視覚化し、言語化し、さらに概念化してこれを意のままに操作しようとする」 。
それに対して女性は、
「言葉を世界と関係するためにだけ使用する。男の言葉はしばしば独り言に近くなるけれど、女の言葉は常に相手を必要とする。
男は言葉からできるだけ情緒的なものを取り除こうとするが、女は言葉を情緒の伝達のために使う」 。
で、斉藤さんは、次のように話を進める。
「女性は、語るべき対象を分析などしない。むしろ対象をまるごと受け入れる。受け入れることで十分な満足を得られるので、欲望の対象を言語化したり、概念化したりしようとは思わない。
それよりも、相手が感じたり考えたりしていることを察知し、それに反応して、適切な感情を催すことを優先する」
で、そこから得られる教訓を、斎藤氏は次のようにまとめる。
「男が会話するのは 『情報伝達』 が目的である。
だから男は、いつも会話の結論を急ぐ。
いっぽう女は、結論を出すことよりも、 『会話そのもの』 を楽しむことを目的とする。
女性からみれば、男性の会話はしばしば殺伐とした味気ないものに見えるだろう。
だから男性は、女性の愚痴に、すぐに答を出してはいけない。
なぜなら女性の (会話の) 目的は、 『答を出してもらう』 こと以上に、 『話を聞いてもらう』 こと、そして 『言うことだけ言ってすっきりする』 ことにあるからだ」
熟年男性の 「キャンピングカー1人旅」 が増えているという話がある。
「今まで旅行に付いてきてくれたカミさんが、だんだん行動を共にしてくれなくなった」
と訴える男性がちらほら現れるようになった。
それはそれで、今後は新しい 「旅行文化」 を形成していくように思う。
そして、そういう 「1人旅」 も旅行のひとつの楽しみ方になっていくだろう。
しかしその前に、旦那さんは、まず夫婦の会話の成り立ちを勉強し直すのもいいかもしれない。
だって、せっかく長く連れ添った夫婦なんだから、 「話していて楽しい」 ってことは、やはり大事なことだと思うのだ。
街を歩いていた何組かの夫婦を実際にスタジオに連れ込み、ある一部のテーマだけを除いて、いったい何分会話が持つのかを実験したのである。
この実験のカギは、 “ある一部のテーマを除いて” というところにあった。
それは、 「子供と実家の話題」 だったのである。
すると、この 「子供」 と 「実家」 という話題を除くと、ほとんどの夫婦は会話が10分も持続しないことが分かった。
番組はこれを、 「熟年離婚」 へ至る “落とし穴” という方向に視聴者をリードしていく。
すなわち、 「子供とそれぞれの実家」 に関わること以外では、今の一般的な夫婦は、お互いに対する関心を失っていると指摘する。
会話がないのは、関心がないことの証拠。
夫婦の間から会話が消えたとき、それはお互いの関係が切れたことを意味する…という、ひとまずの推論がそこで立てられる。
そこで、レギュラーコメンテーターたちの意見が入った。
ある中年の男性キャスターはいう。
「だって、妻の話はまどろっこしいんだもん。まず結論がすぐに分からない。どうでもいいような人のうわさ話が延々と続く。
で、それでどうしたの? …と質問しようと思うと、もう話が別のテーマに移っている。
こっちが忙しいときは、まず結論をはっきり出すような会話を選んでほしい」
それに対する女性キャスターの反論。
「女は話しながら筋立てを構成していく。女同士はそのプロセスとスピード感に慣れているから、その方が会話が盛り上がる。
なのに、男性はいちいち “論理” だの “結論” だのというので、話がブツブツ切られてしまう。
それに、女は自分の話を聞いてくれるだけで、ストレスが解消できる。
女のうわさ話とか愚痴というのは、実はストレスを解消したいときのSOSなのだ。
女同士ならそれが分かるが、それを理解できない男がいる。
そういう男に対しては、たとえ夫であろうとも、優しさの欠如を感じてしまう。
夫婦というのは、 “無駄な会話” が許される関係のことをいうのではなかろうか。
だから、妻の会話を “無駄だ” と一言で切り捨てる夫からは、やがて気持ちが離れていくと思う」
なるほど。
ここには、熟年離婚に傾いていく妻の気持ちが簡潔にまとめられているような気もする。
要するに、夫婦の会話のギクシャク度が増すと、二人の関係が疎遠なものになっていく…ということなのだろう。
なにもこれは、 「夫婦」 に限ったことではない。
広く 「男と女」 の問題と言い換えてもいいだろう。
なぜ、男と女の会話は、それぞれ別の原理によって支えられているのか?
これに関して、斎藤環さんという人が 『関係する女、所有する男』 (講談社現代新書) という本のなかで面白いことを書いている。
要は、男は 「所有すること」 を求める動物である。
それに対して、女は 「関係すること」 を求める動物である。
…と、彼はいうのだ。
(もちろんこのような差異は、動物としての生理学的な性差から生まれるものではなく、あくまでも文化概念に由来するものだが、その原理を説明していると長くなるので省く)
で、 「所有」 を求める男性は、常に 「対象を視覚化し、言語化し、さらに概念化してこれを意のままに操作しようとする」 。
それに対して女性は、
「言葉を世界と関係するためにだけ使用する。男の言葉はしばしば独り言に近くなるけれど、女の言葉は常に相手を必要とする。
男は言葉からできるだけ情緒的なものを取り除こうとするが、女は言葉を情緒の伝達のために使う」 。
で、斉藤さんは、次のように話を進める。
「女性は、語るべき対象を分析などしない。むしろ対象をまるごと受け入れる。受け入れることで十分な満足を得られるので、欲望の対象を言語化したり、概念化したりしようとは思わない。
それよりも、相手が感じたり考えたりしていることを察知し、それに反応して、適切な感情を催すことを優先する」
で、そこから得られる教訓を、斎藤氏は次のようにまとめる。
「男が会話するのは 『情報伝達』 が目的である。
だから男は、いつも会話の結論を急ぐ。
いっぽう女は、結論を出すことよりも、 『会話そのもの』 を楽しむことを目的とする。
女性からみれば、男性の会話はしばしば殺伐とした味気ないものに見えるだろう。
だから男性は、女性の愚痴に、すぐに答を出してはいけない。
なぜなら女性の (会話の) 目的は、 『答を出してもらう』 こと以上に、 『話を聞いてもらう』 こと、そして 『言うことだけ言ってすっきりする』 ことにあるからだ」
熟年男性の 「キャンピングカー1人旅」 が増えているという話がある。
「今まで旅行に付いてきてくれたカミさんが、だんだん行動を共にしてくれなくなった」
と訴える男性がちらほら現れるようになった。
それはそれで、今後は新しい 「旅行文化」 を形成していくように思う。
そして、そういう 「1人旅」 も旅行のひとつの楽しみ方になっていくだろう。
しかしその前に、旦那さんは、まず夫婦の会話の成り立ちを勉強し直すのもいいかもしれない。
だって、せっかく長く連れ添った夫婦なんだから、 「話していて楽しい」 ってことは、やはり大事なことだと思うのだ。
2011年01月24日
その一服は必要か
「ちょっと待て、今その一服は、必要か?」
タバコを一本数前に、そういうおまじないを唱えるようになった。

結局、いまだ禁煙には至っていない。
ただ、 “節煙” は進んでいる。
今までは、一日に一箱以上。
酒が進んだりすると、二箱ぐらい消費していたけれど、値上がりもあって、一日に一箱以上は買わないようにした。
ないものは吸えない。
だから、最初からなければいいのだろうけれど、やはり、いろいろな作業の節目を自覚するときの “区切り” として、あの 「一服」 は欲しい。
実際に、ものを書いたりすると、その一服の合間に、新しい発想が浮かんで次の文章が生まれたりする。
だから、自分の健康を損なうにせよ、 「小さな気分転換」 の効果はあると信じている。
しかし、喫煙というのは 「無意識の習慣」 だから、 “区切り” が次第にアイマイになっていく。
いつの間にか、意味もなくダラダラと吸い続けるようになる。
そういった意味で、
「ちょっと待て、今その一服は、必要か?」
と自分で問うことはいいことだと思う。
結局そう問うことで、取り出したタバコを、またもとのケースに収めることが多くなった。
タバコなんかなくたって、生きていける。
実際に、そうだ。
現に、今の会社は指定場所以外は禁煙なので、仕事中にタバコを吸うことはない。
家にいても、リビングでは吸わない。
正月はテレビの前で、一日中ダラダラと酒を飲んでいたが、タバコなど一本も吸わなくても平気だった。
問題は、自宅のパソコンの前に座ったとき。
結局、このときに集中して吸っている。
いっとき電子タバコにトライしたことがあったけど、味に対する違和感が払拭しきれなかったことと、充電が面倒だったので、止めてしまった。
携帯電話などの充電は面倒に感じないけれど、電子タバコの充電が面倒だと感じるのは、やはり 「必需品」 と 「嗜好品」 の違いがあるからだろう。
嗜好品ならば、止めることはできる。
「ちょっと待て、タバコは、人生に必要か?」
その心境になるには、あとどのくらいかかるだろう。
…とか、いいながら、この原稿…タバコを吸いながら書いてしまった (汗) 。
タバコを一本数前に、そういうおまじないを唱えるようになった。
結局、いまだ禁煙には至っていない。
ただ、 “節煙” は進んでいる。
今までは、一日に一箱以上。
酒が進んだりすると、二箱ぐらい消費していたけれど、値上がりもあって、一日に一箱以上は買わないようにした。
ないものは吸えない。
だから、最初からなければいいのだろうけれど、やはり、いろいろな作業の節目を自覚するときの “区切り” として、あの 「一服」 は欲しい。
実際に、ものを書いたりすると、その一服の合間に、新しい発想が浮かんで次の文章が生まれたりする。
だから、自分の健康を損なうにせよ、 「小さな気分転換」 の効果はあると信じている。
しかし、喫煙というのは 「無意識の習慣」 だから、 “区切り” が次第にアイマイになっていく。
いつの間にか、意味もなくダラダラと吸い続けるようになる。
そういった意味で、
「ちょっと待て、今その一服は、必要か?」
と自分で問うことはいいことだと思う。
結局そう問うことで、取り出したタバコを、またもとのケースに収めることが多くなった。
タバコなんかなくたって、生きていける。
実際に、そうだ。
現に、今の会社は指定場所以外は禁煙なので、仕事中にタバコを吸うことはない。
家にいても、リビングでは吸わない。
正月はテレビの前で、一日中ダラダラと酒を飲んでいたが、タバコなど一本も吸わなくても平気だった。
問題は、自宅のパソコンの前に座ったとき。
結局、このときに集中して吸っている。
いっとき電子タバコにトライしたことがあったけど、味に対する違和感が払拭しきれなかったことと、充電が面倒だったので、止めてしまった。
携帯電話などの充電は面倒に感じないけれど、電子タバコの充電が面倒だと感じるのは、やはり 「必需品」 と 「嗜好品」 の違いがあるからだろう。
嗜好品ならば、止めることはできる。
「ちょっと待て、タバコは、人生に必要か?」
その心境になるには、あとどのくらいかかるだろう。
…とか、いいながら、この原稿…タバコを吸いながら書いてしまった (汗) 。
2011年01月23日
荒野の炎
「荒野の炎」 という訳が合っているのか、どうか分からない、
原題は、「Wildfire (ワイルドファイアー) 」 。
「野生の炎」 というのが、正しいのかもしれない。

1945年生まれのカントリー・シンガー、マイケル・マーフィーの歌った曲で、70年代に全米トップ3位になったという。
70年代というのは、いちばん洋楽にのめり込んでいた時代なのに、この曲をリアルタイムでは聞いていない。
だいぶ経ってから、たぶん、ラジオのFMか、FEN で聞いたのだと思う。
良い曲だと思って、すぐにテープに落とした。
YOUTUBEで、この曲を拾うまで、てっきり 「焚き火」 の歌かと思っていた。
歌詞をたどると、 「ワイルドファイアー」 というのは、馬の名前であることが分かった。
吹雪の夜、ワイルドファイアーと名付けた馬が、馬小屋から失踪した。
飼い主の少女が、その馬の名を呼びつづけながら、荒野をさまよい続けた。
そして、地上から姿を消した。
しかし、雪の季節になると、彼女がその馬の背に乗って、イエロー・マウンテンを下って、 “僕” を迎えに来る。
そんな幻想的な情景を綴った歌だという。
しかし、この曲はずっと私にとっては、 “焚き火” の歌なのだ。
人知れぬ山奥で、そっと焚き火に手をかざすときの曲。
頭上には、星が舞い、地には風が這う。
そのような、大自然の中で孤絶した人間に、いっときの温かさを与えてくれる焚き火。
そこに手をかざすとき、いつも耳の中で、マイケル・マーフィーの 『ワイルドファイアー』 が鳴っている。
イントロのアコースティックギターが、まるで、虚空をくるくると舞う火の粉の回転を思わせる。
その火の粉が、静かに空に舞い上がり、そのまま星に昇華する。
人の耳に届く “音楽” でありながら、自然の 「沈黙」 を歌っている。
そんな曲に思えるのだ。
原題は、「Wildfire (ワイルドファイアー) 」 。
「野生の炎」 というのが、正しいのかもしれない。

1945年生まれのカントリー・シンガー、マイケル・マーフィーの歌った曲で、70年代に全米トップ3位になったという。
70年代というのは、いちばん洋楽にのめり込んでいた時代なのに、この曲をリアルタイムでは聞いていない。
だいぶ経ってから、たぶん、ラジオのFMか、FEN で聞いたのだと思う。
良い曲だと思って、すぐにテープに落とした。
YOUTUBEで、この曲を拾うまで、てっきり 「焚き火」 の歌かと思っていた。
歌詞をたどると、 「ワイルドファイアー」 というのは、馬の名前であることが分かった。
吹雪の夜、ワイルドファイアーと名付けた馬が、馬小屋から失踪した。
飼い主の少女が、その馬の名を呼びつづけながら、荒野をさまよい続けた。
そして、地上から姿を消した。
しかし、雪の季節になると、彼女がその馬の背に乗って、イエロー・マウンテンを下って、 “僕” を迎えに来る。
そんな幻想的な情景を綴った歌だという。
しかし、この曲はずっと私にとっては、 “焚き火” の歌なのだ。
人知れぬ山奥で、そっと焚き火に手をかざすときの曲。
頭上には、星が舞い、地には風が這う。
そのような、大自然の中で孤絶した人間に、いっときの温かさを与えてくれる焚き火。
そこに手をかざすとき、いつも耳の中で、マイケル・マーフィーの 『ワイルドファイアー』 が鳴っている。
イントロのアコースティックギターが、まるで、虚空をくるくると舞う火の粉の回転を思わせる。
その火の粉が、静かに空に舞い上がり、そのまま星に昇華する。
人の耳に届く “音楽” でありながら、自然の 「沈黙」 を歌っている。
そんな曲に思えるのだ。
2011年01月22日
山口冨士夫の精神
ちょっとだけ知り合いの人が作っている音楽系ブログを眺めていたら、そこに 「山口冨士夫」 という名前を見出して、懐かしい気分になった。
ロックギタリストである。
70年代に、 「村八分」 というバンドで活躍し、その音とパフォーマンスが神話として残った伝説の人だ。
▼ 一世を風靡した時代の山口冨士夫

が、その後…というか、全盛期においても、気分屋で、演奏にムラがあり、しかも、バンド解散後は刑務所暮らし (ドラッグ系犯罪) が多く、そして身体を傷めて闘病暮らし。
人生の 「- (マイナス) 」 部分をすべて背負って生きてきたような人だった。
▼ 村八分

だけど、 「村八分」 の音楽はすごかった。
ベースとなっているのは、ブルース、R&B、ロックンロールで、しかもそれを極めてオーソドックスなスタイルで演奏する。
にもかかわらず、それがステージ上のパフォーマンスとなったときは、地獄のカマが開いたような亡者たちの饗宴となる。
それは、どんな世界か?
唯一のアルバムといわれる京大西部講堂でのライブを収録したときの曲名を拾ってみる。
「あっ !!」
「夢うつつ」
「鼻からちょうちん」
「のうみそ半分」
「水たまり」
「にげろ」
「馬の骨」
「ねたのよい」
「んッ !!」
こういう曲名を見ただけでも、彼らが何を追っていたかが分かるだろう。
カッコいい英語とお洒落な日本語が混ざった耳ざわりのよい和製ロック。小粋なフレーズでヒット狙いをする和製ポップス。
そんなものから、いったいどこまで遠ざかって行けるのか?
それが、彼らのロックだったように思う。
だから、村八分の音には、時代のメインストリームを歩むもの総てに向けられた 「嫌悪」 と 「軽蔑」 が感じられたし、 「血」 と 「退廃」 の匂いがした。
女性器を、びくびくしながら、そぉっと開いてみたら、その奥に広がっていたのは 「暗闇」 ではなく、真っ赤に燃えさかる 「溶鉱炉」 だった、という感じの衝撃。
そんなものが、心臓を直撃してくる音楽だった。
「村八分」 の目指したものを、もっと分かりやすい形にしたものがパンクだ。
彼らから数年遅れて、イギリスではセックスピストルズがデビューした。
だから、村八分のことを 「パンクの先駆者」 などと表現をする人がいるかもしれない。
しかし、あの頃の彼らだったら、パンクという “くくられ方” をされること自体に反発しただろう。
実は、私自身は、そのライブを見たことがない。
学生時代に、ちょっとバンドを組んでいた男が、そのおっかけをやっていて、そいつから聞かされた話がメインとなっている。
一度はその伝説のライブを見たいと思っていたけれど、それもかなわぬうちに彼らは解散。
結局、 “唯一のアルバム” と後にいわれることになる 『村八分 ライブ』 を買って、それをターンテーブルに載せて聞くしかなかった。
やがて、レコードプレイヤーも家から消えて、彼らの音も身辺から遠ざかった。

そんな状態が、もう30年以上続いたのかな。
だから、その音楽系ブログを読むまで、 「山口冨士夫」 という名前も忘れていたし、 「村八分」 というバンドの音も忘れていた。
しかし、その音楽ブログを開き、そこに 「山口冨士夫」 の名を見出したとき、
「ああ、生きてたのか」
って感じのため息が漏れた。
彼の公式ブログへのリンクが張ってあったので、さっそく飛んでみた。
「復活ライブ」
そんな見出しが踊っていた。
長い闘病生活から抜け出し、最近また音楽活動を再開したらしい。
1949年生まれというから、いま61歳。
最近の写真を見て、深く刻まれたシワに、一種の凄みを感じた。
「これがロッカーの顔だ」
そう思った。

YOUTUBE経由で張られたライブを見て、さらに凄みを感じた。
「これがロックだ」
そう思った。
ちょっと、往年のルー・リードを思わせる、気怠い立ち居振る舞い。
出す音も、昔のパワーみなぎる音ではない。
しかし、ロックというのは、
「音楽形式のことではなく、生き方だ」
という主張が伝わるような演奏だ。
いい意味で、へろへろ。
いい加減。
だけど、なんか怖い。
表面は、ミズスマシが浮いているような涼しげな池なんだけど、ちょっと足を踏み入れると、ドロドロした藻が足に絡みつき、奥へ奥へと引っぱられる感覚。
そんな音だ。
▼ いきなりサンシャイン
山口冨士夫のギターからは、まさにロックを感じる。
言葉でそれを伝えるのは難しいけれど、自分が 「感覚として知っているロック」 というのは、こういうものだ。
つまり、永遠に 「未完の音楽」 。
完成形を目指すために演奏するんだけれど、演奏し終わった時点で、完成形がさらに先延ばしになっちゃう音楽。
追いついたとたんに遠のいていく “陽炎 (かげろう) ” のような音楽。
ロックってのは、そんなもんだと思う。
だから、その “陽炎” を生涯追い続けてきた人間には、凄みが出るのだ。
彼の人生は、死ぬまで完結しないわけだから。
で、山口冨士夫のブログには、最近の記事として、こんなことが書かれていた。
タイガーマスクの主人公 “伊達直人” の名で、児童養護施設にランドセルを寄付した人のニュースに触れたものだ。
…………………………………………………………………
この所のタイガーマスク (伊達直人さん) のように、生きたいなあ……。
俺も、60年以上前の第二次大戦の、犠牲者なのです。 (※引用者註、彼には黒人の血が混じっており、孤児院で育った)
差別され、馬鹿にされて、辱めばかりの小学生だったんだ。
小学校2年の時には、ナイフまで突きつけられたんだよー。
今ではハーフとか言われてもてはやされてるが、当時は、ヤバかったなあ……。
何しろ敵の子。
いじめな~んてものではなかったんだ。
殴られ、ユメを奪われて、差別もすごかった。
俺たちが入ってゆくだけで、ラーメン屋の客が、まるでゴミを見るみたいに、黙って皆なが、出てゆく……。
そんな世の中だったんだ。
ブルースだなあ。
学校では、ボロ服着てさ、ランドセルも、ぼろぼろ。
だから毎日ないていたんだ。
だから、ロックンロールによけいハマッていったんだ。
今の子たちも、事情はちがっても、にたようなものだろうな。
皆んなが大変な思いをしていることは、とても、辛いな。
そこに、タイガーマスクが、あらわれた。
すごいよー! だから、昔からのみんな出ておいでよー! 感謝しようよ。
最近のヒドイニュースの中で、もし、これが、本当なら、すごいことだと思ってます。
堂々と生きようよなあ。タイガーマスク有難う。
…………………………………………………………………
ところが、このランドセル寄付騒動は、一部のメディアからは批判や揶揄にさらされている。
「昭和の感性を脱しきれない、時代錯誤的な偽善」
とか。
でも、そういうことを言ってるヤツらの方が、よっぽどアタマの中が “昭和” しているよ。
どうして、メディアの中枢で発言する人たちは、ちょっと斜 (はす) に構えた見方をカッコいいと思ってしまうのだろう。
そんな斜めに構えたスタンスは、偏差値秀才が、 「庶民にモノの見方を教えてやろうか」 と、その “優秀なアタマ” で思いついただけのこと。
ボロボロのランドセルしか持たされず、差別され続けてきた山口冨士夫の心境などには思い至らない。
だけど、本物の 「血」 と 「退廃」 を知っている山口冨士夫は、タイガーマスクにストレートな賛辞を送る。
遊戯的な語り口で社会を斜めに見るインテリたちには、その彼の凄さが分からない。
山口冨士夫、そのうちライブに行くからな。
▼ 伝説の 「村八分」 時代の演奏 『水たまり』
こういうオーソドックスなミディアムテンポのブルースもカッコいい。
ロックギタリストである。
70年代に、 「村八分」 というバンドで活躍し、その音とパフォーマンスが神話として残った伝説の人だ。
▼ 一世を風靡した時代の山口冨士夫

が、その後…というか、全盛期においても、気分屋で、演奏にムラがあり、しかも、バンド解散後は刑務所暮らし (ドラッグ系犯罪) が多く、そして身体を傷めて闘病暮らし。
人生の 「- (マイナス) 」 部分をすべて背負って生きてきたような人だった。
▼ 村八分

だけど、 「村八分」 の音楽はすごかった。
ベースとなっているのは、ブルース、R&B、ロックンロールで、しかもそれを極めてオーソドックスなスタイルで演奏する。
にもかかわらず、それがステージ上のパフォーマンスとなったときは、地獄のカマが開いたような亡者たちの饗宴となる。
それは、どんな世界か?
唯一のアルバムといわれる京大西部講堂でのライブを収録したときの曲名を拾ってみる。
「あっ !!」
「夢うつつ」
「鼻からちょうちん」
「のうみそ半分」
「水たまり」
「にげろ」
「馬の骨」
「ねたのよい」
「んッ !!」
こういう曲名を見ただけでも、彼らが何を追っていたかが分かるだろう。
カッコいい英語とお洒落な日本語が混ざった耳ざわりのよい和製ロック。小粋なフレーズでヒット狙いをする和製ポップス。
そんなものから、いったいどこまで遠ざかって行けるのか?
それが、彼らのロックだったように思う。
だから、村八分の音には、時代のメインストリームを歩むもの総てに向けられた 「嫌悪」 と 「軽蔑」 が感じられたし、 「血」 と 「退廃」 の匂いがした。
女性器を、びくびくしながら、そぉっと開いてみたら、その奥に広がっていたのは 「暗闇」 ではなく、真っ赤に燃えさかる 「溶鉱炉」 だった、という感じの衝撃。
そんなものが、心臓を直撃してくる音楽だった。
「村八分」 の目指したものを、もっと分かりやすい形にしたものがパンクだ。
彼らから数年遅れて、イギリスではセックスピストルズがデビューした。
だから、村八分のことを 「パンクの先駆者」 などと表現をする人がいるかもしれない。
しかし、あの頃の彼らだったら、パンクという “くくられ方” をされること自体に反発しただろう。
実は、私自身は、そのライブを見たことがない。
学生時代に、ちょっとバンドを組んでいた男が、そのおっかけをやっていて、そいつから聞かされた話がメインとなっている。
一度はその伝説のライブを見たいと思っていたけれど、それもかなわぬうちに彼らは解散。
結局、 “唯一のアルバム” と後にいわれることになる 『村八分 ライブ』 を買って、それをターンテーブルに載せて聞くしかなかった。
やがて、レコードプレイヤーも家から消えて、彼らの音も身辺から遠ざかった。

そんな状態が、もう30年以上続いたのかな。
だから、その音楽系ブログを読むまで、 「山口冨士夫」 という名前も忘れていたし、 「村八分」 というバンドの音も忘れていた。
しかし、その音楽ブログを開き、そこに 「山口冨士夫」 の名を見出したとき、
「ああ、生きてたのか」
って感じのため息が漏れた。
彼の公式ブログへのリンクが張ってあったので、さっそく飛んでみた。
「復活ライブ」
そんな見出しが踊っていた。
長い闘病生活から抜け出し、最近また音楽活動を再開したらしい。
1949年生まれというから、いま61歳。
最近の写真を見て、深く刻まれたシワに、一種の凄みを感じた。
「これがロッカーの顔だ」
そう思った。

YOUTUBE経由で張られたライブを見て、さらに凄みを感じた。
「これがロックだ」
そう思った。
ちょっと、往年のルー・リードを思わせる、気怠い立ち居振る舞い。
出す音も、昔のパワーみなぎる音ではない。
しかし、ロックというのは、
「音楽形式のことではなく、生き方だ」
という主張が伝わるような演奏だ。
いい意味で、へろへろ。
いい加減。
だけど、なんか怖い。
表面は、ミズスマシが浮いているような涼しげな池なんだけど、ちょっと足を踏み入れると、ドロドロした藻が足に絡みつき、奥へ奥へと引っぱられる感覚。
そんな音だ。
▼ いきなりサンシャイン
山口冨士夫のギターからは、まさにロックを感じる。
言葉でそれを伝えるのは難しいけれど、自分が 「感覚として知っているロック」 というのは、こういうものだ。
つまり、永遠に 「未完の音楽」 。
完成形を目指すために演奏するんだけれど、演奏し終わった時点で、完成形がさらに先延ばしになっちゃう音楽。
追いついたとたんに遠のいていく “陽炎 (かげろう) ” のような音楽。
ロックってのは、そんなもんだと思う。
だから、その “陽炎” を生涯追い続けてきた人間には、凄みが出るのだ。
彼の人生は、死ぬまで完結しないわけだから。
で、山口冨士夫のブログには、最近の記事として、こんなことが書かれていた。
タイガーマスクの主人公 “伊達直人” の名で、児童養護施設にランドセルを寄付した人のニュースに触れたものだ。
…………………………………………………………………
この所のタイガーマスク (伊達直人さん) のように、生きたいなあ……。
俺も、60年以上前の第二次大戦の、犠牲者なのです。 (※引用者註、彼には黒人の血が混じっており、孤児院で育った)
差別され、馬鹿にされて、辱めばかりの小学生だったんだ。
小学校2年の時には、ナイフまで突きつけられたんだよー。
今ではハーフとか言われてもてはやされてるが、当時は、ヤバかったなあ……。
何しろ敵の子。
いじめな~んてものではなかったんだ。
殴られ、ユメを奪われて、差別もすごかった。
俺たちが入ってゆくだけで、ラーメン屋の客が、まるでゴミを見るみたいに、黙って皆なが、出てゆく……。
そんな世の中だったんだ。
ブルースだなあ。
学校では、ボロ服着てさ、ランドセルも、ぼろぼろ。
だから毎日ないていたんだ。
だから、ロックンロールによけいハマッていったんだ。
今の子たちも、事情はちがっても、にたようなものだろうな。
皆んなが大変な思いをしていることは、とても、辛いな。
そこに、タイガーマスクが、あらわれた。
すごいよー! だから、昔からのみんな出ておいでよー! 感謝しようよ。
最近のヒドイニュースの中で、もし、これが、本当なら、すごいことだと思ってます。
堂々と生きようよなあ。タイガーマスク有難う。
…………………………………………………………………
ところが、このランドセル寄付騒動は、一部のメディアからは批判や揶揄にさらされている。
「昭和の感性を脱しきれない、時代錯誤的な偽善」
とか。
でも、そういうことを言ってるヤツらの方が、よっぽどアタマの中が “昭和” しているよ。
どうして、メディアの中枢で発言する人たちは、ちょっと斜 (はす) に構えた見方をカッコいいと思ってしまうのだろう。
そんな斜めに構えたスタンスは、偏差値秀才が、 「庶民にモノの見方を教えてやろうか」 と、その “優秀なアタマ” で思いついただけのこと。
ボロボロのランドセルしか持たされず、差別され続けてきた山口冨士夫の心境などには思い至らない。
だけど、本物の 「血」 と 「退廃」 を知っている山口冨士夫は、タイガーマスクにストレートな賛辞を送る。
遊戯的な語り口で社会を斜めに見るインテリたちには、その彼の凄さが分からない。
山口冨士夫、そのうちライブに行くからな。
▼ 伝説の 「村八分」 時代の演奏 『水たまり』
こういうオーソドックスなミディアムテンポのブルースもカッコいい。
2011年01月20日
焚き火で育つ感性
一般社団法人 「日本RV協会」 (JRVA) のHPに掲載されているプレスリリースを読むと、
「親子でキャンピングカー旅行することで、子供の情操を高めたり、しつけを学ばせることができる」
と思う親たちが増えているという。
これは、同協会が運営しているHPを閲覧するキャンピングカーユーザーを対象に行ったアンケート調査から判明したもの。
それによると、全体の75.3%の人が、 「キャンピングカーは子供の情操教育やしつけに有益」 と考えている様子が浮かび上がってきたと伝えている。
その理由としては、
「1台のクルマの中で話す機会が作れたので、家族の団らんが得られたから」 。
あるいは、
「旅先で自然に接し、自然に対する理解が深まったから」 という回答が寄せられている。

キャンピングカーは、必ずしも自然を求める旅ばかりを得意とするわけではないが、それでも、普通の乗用車旅行に比べると、自然とのマッチングはいい。
実際に、子供を自然の中で遊ばせるためにキャンプ場を利用しているファミリーは多い。
そういう親たちに話を聞いてみると、たいてい 「自然と接することの楽しさ、面白さを学ばせたい」 という答が返ってくる。
その理由というのが、まさにRV協会の調査で分かったととおり、
「子供の情操が高まるから」
というものだった。
こういう話を聞くたびに、私はある映像ジャーナリストの人が話してくれた 「焚き火の話」 を思い出す。
まさに、キャンプを楽しむ親子でなければ得られないような体験だと思うからだ。
話してくれたのは、坂田和人さん。
以前、このブログでも紹介した 『キャンプに連れていく親は、子供を伸ばす!』 という本を書かれた方である。

▲ 坂田さん近影
坂田さんは、キャンプライフを繰り返すたびに、焚き火というものの “不思議な力” にますます心を奪われてきたという。
焚き火には、人間の心を開かせる力がある。
家族同士でも。
友達同士でも。
あるいは、見知らぬ人同士でも。
炎を見つめる瞳を通じて、心と心が共振していく。

実際に、直火を禁止するキャンプ場でも、 「焚き火台」 を使う焚き火はたいてい許可されており、近年のキャンプ場では、その焚き火が静かなブームとなっている。
焚き火のいったい何が、人の心を捉えるのか。
坂田さんは、大勢の子供たちを連れてキャンプを楽しんでいたとき、焚き火の中を双眼鏡で覗き込んでいた子供が、 「あっ!」 と叫んだときの声を聞き逃さなかった
「私、火の中に入っちゃったぁ!」
と、その子はいった。
それをきっかけに、子供たちが割れ先にと、次々と双眼鏡を回して、焚き火の中を覗き込んだ。
「すっげぇ、火の国の探検だぁ!」
どの子も、感嘆の声をあげた。

その光景に接した坂田さんは、それを思い出しながら語る。
「焚き火の中で発見した世界は、きっとテレビゲームのバーチャル世界をも凌駕する光景だったんでしょうね。
僕も覗いてみて、テレビを見るより面白かったですから。
つまり、自然の中には、どんな映像文明よりも人間を感動させるヴィジュアルが潜んでいるはずなんですが、われわれがそれを見つめる目を曇らせているだけなのかもしれません」
そう語った後で、坂田さんは、
「キャンプをすると親子の対話が生まれるということは、焚き火をするとよく分かるんです」
とも。

実際に、キャンプ場で焚き火を囲んでいるうちに、いつのまにか、家庭で話さないような会話を交わしていた、と述懐するファミリーは多い。
子供は、焚き火を囲むことによって、親に対するわだかまりが消えていくことを感じ、親は親で、子供を支配して説得しようという気持ちを忘れる。
「やっぱり、焚き火は人類が最初に手に入れた “文明” なんでしょうね」
と坂田さんはいう。
「人類は、火を確保し、それをコントロールすることによって、はじめて野生動物の恐怖などから逃れることができたわけですね。
そのとき人間は “温かさ” や “明るさ” と同時に、はじめて “安全” 、 “安心” などという概念を手に入れたのかもしれません。
だから、焚き火には、人間同士の緊張を解いて、お互いにホッとさせる力があるんです」
だから、
「話さなくてもいい」
という。
つまり、焚き火をしていると、普段は 「気まずいもの」 でしかない沈黙が、黙っていることの心地よさも教えてくれる 「豊かな沈黙」 に変わっていく。
「炎を見つめながら、同じ空間を共有しているだけで、言葉では表現できない気持ちを伝え合っていけるのが、焚き火なんです。
そういうことは、むしろ大人よりも、子供の方が敏感に感じるでしょうね」
坂田さんは自信を持って、こう言い切る。
RV協会のアンケート調査の結果も、このようなことを反映しているのかもしれない。
関連記事 「自然は子供を養う」 (坂田氏インタビュー)
関連記事 「子供の自然体験」
「親子でキャンピングカー旅行することで、子供の情操を高めたり、しつけを学ばせることができる」
と思う親たちが増えているという。
これは、同協会が運営しているHPを閲覧するキャンピングカーユーザーを対象に行ったアンケート調査から判明したもの。
それによると、全体の75.3%の人が、 「キャンピングカーは子供の情操教育やしつけに有益」 と考えている様子が浮かび上がってきたと伝えている。
その理由としては、
「1台のクルマの中で話す機会が作れたので、家族の団らんが得られたから」 。
あるいは、
「旅先で自然に接し、自然に対する理解が深まったから」 という回答が寄せられている。
キャンピングカーは、必ずしも自然を求める旅ばかりを得意とするわけではないが、それでも、普通の乗用車旅行に比べると、自然とのマッチングはいい。
実際に、子供を自然の中で遊ばせるためにキャンプ場を利用しているファミリーは多い。
そういう親たちに話を聞いてみると、たいてい 「自然と接することの楽しさ、面白さを学ばせたい」 という答が返ってくる。
その理由というのが、まさにRV協会の調査で分かったととおり、
「子供の情操が高まるから」
というものだった。
こういう話を聞くたびに、私はある映像ジャーナリストの人が話してくれた 「焚き火の話」 を思い出す。
まさに、キャンプを楽しむ親子でなければ得られないような体験だと思うからだ。
話してくれたのは、坂田和人さん。
以前、このブログでも紹介した 『キャンプに連れていく親は、子供を伸ばす!』 という本を書かれた方である。

▲ 坂田さん近影
坂田さんは、キャンプライフを繰り返すたびに、焚き火というものの “不思議な力” にますます心を奪われてきたという。
焚き火には、人間の心を開かせる力がある。
家族同士でも。
友達同士でも。
あるいは、見知らぬ人同士でも。
炎を見つめる瞳を通じて、心と心が共振していく。

実際に、直火を禁止するキャンプ場でも、 「焚き火台」 を使う焚き火はたいてい許可されており、近年のキャンプ場では、その焚き火が静かなブームとなっている。
焚き火のいったい何が、人の心を捉えるのか。
坂田さんは、大勢の子供たちを連れてキャンプを楽しんでいたとき、焚き火の中を双眼鏡で覗き込んでいた子供が、 「あっ!」 と叫んだときの声を聞き逃さなかった
「私、火の中に入っちゃったぁ!」
と、その子はいった。
それをきっかけに、子供たちが割れ先にと、次々と双眼鏡を回して、焚き火の中を覗き込んだ。
「すっげぇ、火の国の探検だぁ!」
どの子も、感嘆の声をあげた。

その光景に接した坂田さんは、それを思い出しながら語る。
「焚き火の中で発見した世界は、きっとテレビゲームのバーチャル世界をも凌駕する光景だったんでしょうね。
僕も覗いてみて、テレビを見るより面白かったですから。
つまり、自然の中には、どんな映像文明よりも人間を感動させるヴィジュアルが潜んでいるはずなんですが、われわれがそれを見つめる目を曇らせているだけなのかもしれません」
そう語った後で、坂田さんは、
「キャンプをすると親子の対話が生まれるということは、焚き火をするとよく分かるんです」
とも。

実際に、キャンプ場で焚き火を囲んでいるうちに、いつのまにか、家庭で話さないような会話を交わしていた、と述懐するファミリーは多い。
子供は、焚き火を囲むことによって、親に対するわだかまりが消えていくことを感じ、親は親で、子供を支配して説得しようという気持ちを忘れる。
「やっぱり、焚き火は人類が最初に手に入れた “文明” なんでしょうね」
と坂田さんはいう。
「人類は、火を確保し、それをコントロールすることによって、はじめて野生動物の恐怖などから逃れることができたわけですね。
そのとき人間は “温かさ” や “明るさ” と同時に、はじめて “安全” 、 “安心” などという概念を手に入れたのかもしれません。
だから、焚き火には、人間同士の緊張を解いて、お互いにホッとさせる力があるんです」
だから、
「話さなくてもいい」
という。
つまり、焚き火をしていると、普段は 「気まずいもの」 でしかない沈黙が、黙っていることの心地よさも教えてくれる 「豊かな沈黙」 に変わっていく。
「炎を見つめながら、同じ空間を共有しているだけで、言葉では表現できない気持ちを伝え合っていけるのが、焚き火なんです。
そういうことは、むしろ大人よりも、子供の方が敏感に感じるでしょうね」
坂田さんは自信を持って、こう言い切る。
RV協会のアンケート調査の結果も、このようなことを反映しているのかもしれない。
関連記事 「自然は子供を養う」 (坂田氏インタビュー)
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2011年01月19日
キャンカー1人旅
「まもなく定年を迎える夫が、 『長いこと苦労をかけたから定年後はキャンピングカーで全国を回ろう。楽しい旅行をしような』 と言うんです。どうやって断ったらいいんでしょう?」
いきなりそんな主婦の会話から始まる記事があったので、ギョッとした。
『週刊朝日』 の1月28日号に掲載されたもので、シニアルネサンス財団事務局長の河合和さんという方に取材した記者が、それをまとめたものだった。
河合さんは、定年後のライフスタイルをコンサルティングする仕事に携わる方で、各地でいろいろな講演する機会があるらしい。
ある講演が終わった後、一人の主婦が河合さんに質問した内容が、上記のものであったという。
先を少し読んでみると、どうやらその主婦の方は、 「キャンピングカー旅行」 そのものを拒否しているのではないらしい。
旅行に付随する料理や洗濯。
そのような家事を、旅行先でも自分が負担しなければならないことを危惧しての発言だったようである。
だから、それに対する河合さんの反応も、
「家庭において、一切の家事を妻に任せていた夫の方に問題がある」
という常識的なコメントで結論をまとめていた。
しかし、家族に協力しながらキャンピングカー旅行を楽しんできた夫族においても、 “妻の離反” は進んでいるようだ。
それが、昨日のカッチさんのコメント。
家族が次第にキャンピングカー旅行に付いてこなくなり、一人旅をしては、夜は独りで酒を飲むことが多くなっているという。
「さびしい~」 といいながら、でも、カッチさんの文面からは、それはそれで味わいがある…というニュアンスが伝わってきた。
たぶん、そういうことはこれからは増えていくだろう。
家族単位で旅を楽しむことが理想であるかもしれないが、家族の構成員にもそれぞれの考え方があり、それぞれの価値観があり、それぞれの生活がある。
さらに、ある程度の年齢になると、伴侶の死別や離婚という問題を抱えることもあろう。
だから、 「おひとりさまライフ」 は、今後キャンピングカー乗りの間でも大きなテーマになりそうな気がする。
大事なことは、 「それでもキャンピングカーに乗り続ける」 ということなのだ。
一人旅がさびしいというのであれば、そのさびしさの中にも新しい楽しみを見つけてくれるのがキャンピングカー旅行だと思うし、また、同じ境遇にいるキャンピングカー乗り同士がどこかで出会い、他者と交わることから新しいライフスタイルを見つけ出すこともあるだろう。
むしろ、 「一人でいることにも耐えられる文化」 をキャンピングカーがつくり出していくという、そのポテンシャリティに注目すべきだと思う。
そして、そういう 「一人」 同士が集まって、今までとはまったく異なるコミュニティを形成する可能性だってある。

キャンピングカーの家族旅行というと、いつもハイマージャパンの安達二葉子社長が話していたことを思い出す。
安達さんは、家族というものが必ずしも 「妻と夫と子供二人」 という標準世帯の形態をとる必要がないことを、ヨーロッパ旅行の体験から悟ったという。

ドイツのハイマー社のキャンピングカーを25年間輸入してきた安達さんは、若い頃、今は亡くなられたご主人と一緒に、ハイマー社のモーターホームを使ってヨーロッパのキャンプ場を回った。
そのとき驚いたのは、屈託のない表情で、子供たちをキャンプ場に連れてきて楽しませているシングルマザーたちの多さだった。
「向こうでは、親がシングルでも “家族は家族” なんです。
親が一人欠けていても、キャンプ旅行そのものが楽しければ、子供は幸せなんです。
そのことをヨーロッパの人たちはよく理解しているから、そういう家族に対しても、周りの人の目が温かいんです」
安達さんは、そういう。
たった一人でキャンピングカー旅行をしている男の人たちは、さらに多いという。
「日本では、一人でキャンピングカー旅行をしている男の人に対して、 “奥様にフラれたのかな?” 、 “ずっと淋しい独身生活をしているのかな?” などと要らぬ目で見る人たちが多いのですが、ヨーロッパ人はそうは考えない。
向こうでキャンピングカー旅行を楽しむ人たちは主にシニア層ですが、そうなると奥様に先立たれる旦那さんも増えてくる。
そういう人たちが、一人になってもキャンピングカーを捨てなくてすむ風土が形成されているということは、私は素晴らしいことだと思う」
そう語る安達さんの心には、すでにご主人を亡くされたという切ない気持ちが去来しているのかもしれない。

もちろん安達さんも、キャンピングカーが家族同士で楽しめる格好のアイテムであり、それによって家族間の絆が深まることを前提として話している。
しかし、家族の形態は、ずっと不変であるとは限らない。
父親と母親が二人ともしっかりそろい、そこに子供たちが配されるという 「標準世帯」 の構造が絶対的に正しいものであるのかどうか。
それが 「家族」 のスタンダードだとしたら、たとえば両親のどちらかを亡くしたり、あるいはやむを得ない事情によって離婚してしまった家庭は 「家族」 ではないのか?
どうやら、ヨーロッパ人たちは、昔からそのような固定的な家族観から脱出していたようなのだ。
安達さんはいう。
「日本には “片親” などという差別的な言葉が残っており、夫婦のどちらかが亡くなったり、離婚したりした親は、まるで自分が “家族の幸せ” から取り残されてしまったような思いを抱く人たちがけっこういると思います。でもヨーロッパのキャンプ場では、シングルたちへの眼差しがとても温かい」
もし、シングルマザーが、自分の子供たちを連れて楽しくキャンピングカー旅行ができるような世の中が来れば、 「日本も確実に変わる」 と彼女はいう。
これから高齢化社会を迎える日本において、シングルのキャンピングカー旅行を快適にするための精神風土をつくっていくことは、避けて通れない課題であるとも。
一人で旅行していても、その思い出の中に 「家族」 が生きていれば、それは立派なファミリー旅行である。
誰もがそう思えるキャンピングカー文化が形成されたとき、はじめて 「成熟」 という言葉が使えるのかもしれない。
関連記事「ひとりのくるま旅」/a>
いきなりそんな主婦の会話から始まる記事があったので、ギョッとした。
『週刊朝日』 の1月28日号に掲載されたもので、シニアルネサンス財団事務局長の河合和さんという方に取材した記者が、それをまとめたものだった。
河合さんは、定年後のライフスタイルをコンサルティングする仕事に携わる方で、各地でいろいろな講演する機会があるらしい。
ある講演が終わった後、一人の主婦が河合さんに質問した内容が、上記のものであったという。
先を少し読んでみると、どうやらその主婦の方は、 「キャンピングカー旅行」 そのものを拒否しているのではないらしい。
旅行に付随する料理や洗濯。
そのような家事を、旅行先でも自分が負担しなければならないことを危惧しての発言だったようである。
だから、それに対する河合さんの反応も、
「家庭において、一切の家事を妻に任せていた夫の方に問題がある」
という常識的なコメントで結論をまとめていた。
しかし、家族に協力しながらキャンピングカー旅行を楽しんできた夫族においても、 “妻の離反” は進んでいるようだ。
それが、昨日のカッチさんのコメント。
家族が次第にキャンピングカー旅行に付いてこなくなり、一人旅をしては、夜は独りで酒を飲むことが多くなっているという。
「さびしい~」 といいながら、でも、カッチさんの文面からは、それはそれで味わいがある…というニュアンスが伝わってきた。
たぶん、そういうことはこれからは増えていくだろう。
家族単位で旅を楽しむことが理想であるかもしれないが、家族の構成員にもそれぞれの考え方があり、それぞれの価値観があり、それぞれの生活がある。
さらに、ある程度の年齢になると、伴侶の死別や離婚という問題を抱えることもあろう。
だから、 「おひとりさまライフ」 は、今後キャンピングカー乗りの間でも大きなテーマになりそうな気がする。
大事なことは、 「それでもキャンピングカーに乗り続ける」 ということなのだ。
一人旅がさびしいというのであれば、そのさびしさの中にも新しい楽しみを見つけてくれるのがキャンピングカー旅行だと思うし、また、同じ境遇にいるキャンピングカー乗り同士がどこかで出会い、他者と交わることから新しいライフスタイルを見つけ出すこともあるだろう。
むしろ、 「一人でいることにも耐えられる文化」 をキャンピングカーがつくり出していくという、そのポテンシャリティに注目すべきだと思う。
そして、そういう 「一人」 同士が集まって、今までとはまったく異なるコミュニティを形成する可能性だってある。

キャンピングカーの家族旅行というと、いつもハイマージャパンの安達二葉子社長が話していたことを思い出す。
安達さんは、家族というものが必ずしも 「妻と夫と子供二人」 という標準世帯の形態をとる必要がないことを、ヨーロッパ旅行の体験から悟ったという。
ドイツのハイマー社のキャンピングカーを25年間輸入してきた安達さんは、若い頃、今は亡くなられたご主人と一緒に、ハイマー社のモーターホームを使ってヨーロッパのキャンプ場を回った。
そのとき驚いたのは、屈託のない表情で、子供たちをキャンプ場に連れてきて楽しませているシングルマザーたちの多さだった。
「向こうでは、親がシングルでも “家族は家族” なんです。
親が一人欠けていても、キャンプ旅行そのものが楽しければ、子供は幸せなんです。
そのことをヨーロッパの人たちはよく理解しているから、そういう家族に対しても、周りの人の目が温かいんです」
安達さんは、そういう。
たった一人でキャンピングカー旅行をしている男の人たちは、さらに多いという。
「日本では、一人でキャンピングカー旅行をしている男の人に対して、 “奥様にフラれたのかな?” 、 “ずっと淋しい独身生活をしているのかな?” などと要らぬ目で見る人たちが多いのですが、ヨーロッパ人はそうは考えない。
向こうでキャンピングカー旅行を楽しむ人たちは主にシニア層ですが、そうなると奥様に先立たれる旦那さんも増えてくる。
そういう人たちが、一人になってもキャンピングカーを捨てなくてすむ風土が形成されているということは、私は素晴らしいことだと思う」
そう語る安達さんの心には、すでにご主人を亡くされたという切ない気持ちが去来しているのかもしれない。

もちろん安達さんも、キャンピングカーが家族同士で楽しめる格好のアイテムであり、それによって家族間の絆が深まることを前提として話している。
しかし、家族の形態は、ずっと不変であるとは限らない。
父親と母親が二人ともしっかりそろい、そこに子供たちが配されるという 「標準世帯」 の構造が絶対的に正しいものであるのかどうか。
それが 「家族」 のスタンダードだとしたら、たとえば両親のどちらかを亡くしたり、あるいはやむを得ない事情によって離婚してしまった家庭は 「家族」 ではないのか?
どうやら、ヨーロッパ人たちは、昔からそのような固定的な家族観から脱出していたようなのだ。
安達さんはいう。
「日本には “片親” などという差別的な言葉が残っており、夫婦のどちらかが亡くなったり、離婚したりした親は、まるで自分が “家族の幸せ” から取り残されてしまったような思いを抱く人たちがけっこういると思います。でもヨーロッパのキャンプ場では、シングルたちへの眼差しがとても温かい」
もし、シングルマザーが、自分の子供たちを連れて楽しくキャンピングカー旅行ができるような世の中が来れば、 「日本も確実に変わる」 と彼女はいう。
これから高齢化社会を迎える日本において、シングルのキャンピングカー旅行を快適にするための精神風土をつくっていくことは、避けて通れない課題であるとも。
一人で旅行していても、その思い出の中に 「家族」 が生きていれば、それは立派なファミリー旅行である。
誰もがそう思えるキャンピングカー文化が形成されたとき、はじめて 「成熟」 という言葉が使えるのかもしれない。
関連記事「ひとりのくるま旅」/a>
2011年01月17日
車中泊の社会実験
「道の駅」 などにおける車中泊が急増し、トラブルなども表面化したことを踏まえ、 「車中泊利用者のニーズ」 と 「道の駅としてできるサービス」 の共生点を探ろうという動きが昨年から活発になっている。
このような研究を進めている団体の一つに 「東北 『道の駅』 車中泊研究会」 がある。
同研究会の目的は、 「車中泊」 を、利用者側と管理者側に分けて考えることにより、利用者側には守るべきマナーやルールづくりための啓蒙を行ない、受け入れる側には、 「車中泊」 をきっかけに地域の観光産業を活性化させる可能性を提案するなど、両者の利益が合致するポイントを探るところにある。
構成メンバーも、アカデミズムと行政のバランスを巧みにとり、大学教授、特定非営利活動法人 「東北みち会議」 、東北各県自治体の土木課、道路整備課、観光産業振興課などのスペシャリストたちが顔を揃えるという “厚み” を持ったもの。
行動としては、まず車中泊利用者の実態調査が必要であるという考えに立ち、昨年秋に、東北の 「道の駅」 における車中泊利用者の実態調査を行なっている。
▼ 聴き取り調査の行なわれた東北の道の駅 「いいで」 (上)
と 「よつくら港」 (下)


この新春、その結果を紹介するプレスリリースが発表されたが、そこから、車中泊利用者たちのニーズや行動形態、さらに 「道の駅」 管理者たちの希望や心配事など、日本の 「車中泊」 ブームを支えるさまざまな興味深いデータが浮かび上がってきた。
具体的な調査方法や数値の解説は、同研究会のリリースに任せるとして、ここでは、おおまかな傾向だけを紹介する。
● 熟年層の利用者が6割
まず、車中泊利用者の年齢では、50代~60代の熟年層が6割を占め、その同行者のほとんどは夫婦で、それが全体の5割に達することが分かった。
一方、 「同行者なし」 という単独旅行者も24パーセント存在したが、その場合は、車中泊の目的もはっきりしており、登山、釣りなどの趣味を極めるための宿泊であることが明白で、旅の日程も長くなる傾向があるという。
職業では、会社員が38パーセントと最も多く、次が自営業の22パーセント。3番目は自由業の17パーセントであった。
また、比較的最近になって始めた人が多く、車中泊歴としては 「5年以内」 と答えた人が47パーセントに達した。
それを見ても、車中泊という旅のスタイルがここ数年内に急速に確立されてきたものであることが見て取れる。
● 最も多いのは車中泊用の改造車両
宿泊に利用している車両に関しては、 「車中泊用に改造された車両」 というものが大きな比重を占め、それが全体の34パーセントに達した。
“車中泊用の改造車両” というのは、オーナーが車中泊用に自分で室内改造を施したもので、いわば 「乗用車以上・キャンピングカー未満」 といったもの。作り込みは個人によって差が出るが、いずれもその1台で 「継続して車中泊を行える」 仕様になったものを指す。
車種としては、ワンボックスカー (48パーセント) を主体としながらも、ミニバン、ステーションワゴン、軽自動車など多岐にわたるという。
2番目に多かったのは、やはりキャンピングカーで、これが全体の32パーセントに及んだ。
種類別に見ると、キャブコンが多く、キャンピングカーのなかでは46パーセントを占め、次がバンコンの24パーセントだという。軽キャンパーは9パーセント、フルコンは6パーセントであった。 (※ キャンピングカーの種類別調査では、特にお願いして詳しい調査結果を別に用意してもらった)
▼ 湯YOUパークのキャブコン

3番目は、 “ノーマル普通車” 。
これが29パーセント。
リリースでは、単に 「普通車」 としてしか書かれていないが、一般の乗用車のシートをリクライニングしたぐらいの形で仮眠を取った人々のことが想定される。

● 観光・温泉などの目的が目立つ
車中泊をすることの目的としては、リリースでは次のような結果が報告されている。
「観光」 31パーセント
「温泉・保養」 17パーセント
「レジャー」 11パーセント
「ドライブ」 8パーセント
「食事」 7パーセント、
「祭り・行事」 7パーセント
「ビジネス」 3パーセント
「ショッピング」 2パーセント
やはり、 「観光」 と 「温泉」 が目立つが、それ以外は個別の目的が僅差で並び、突出したものを探し出すのは難しい。ここからは自動車旅行の目的が多様化しているということを読みとればいいのかもしれない。

● 最大の理由は “自由な旅” の実現
「車中泊による旅行の理由」 を尋ねたところ、 「自由な旅のプランを求めるため」 という回答が全体の29パーセントを占め、2番目の 「宿泊費の節約」 (27パーセント) をわずかだが上回って、一番の理由として挙がった。
さらに 「趣味として」 という回答も21パーセントを占めて3番目になった。この中には 「クルマの中で寝ること自体が趣味」 という答も含まれるという。
「車中泊」 という言葉の響きから、 「ホテル代を節約するため」 というイメージを浮かべる人が多いだろうが、この調査を見るかぎり、必ずしもそうとは言い切れない。
「節約」 よりも、むしろ 「パック旅行とは違う自分だけのオリジナル旅行をしている」 という満足感の追求みたいなものが、ここからは浮かび上がってくる。
これに 「趣味として」 という答を合わせて考えると、今までの自動車旅行とは全く異なる、新たな旅のスタイルが生まれつつあるようにも思う。
● マナーについては温度差が
「車中泊」 においては、マナーの問題がよく採り上げられる。
今回の調査でも 「道の駅利用でマナー違反と思う行為は?」 という設問を設け、利用者のマナー意識を調査している。
それによると、 「ゴミの投棄」 と答えた人が最も多く、19パーセントに達した。
以下、次のようになった。
「 (洗面所等での) 炊事」 15パーセント
「 (洗面所等での) 食器洗い」 13パーセント
「 (洗面所等の) 電源の利用」 12パーセント
「 (洗面所等での) 洗濯」 10パーセント
「発電機の利用」 11パーセント
「給水」 9パーセント
「バーナーの使用」 7パーセント
これを見る限り、車中泊利用者のマナー意識はけっして悪くない。特にキャンピングカーユーザーの場合は、日本RV協会などが鋭意 「マナーキャペーン」 などを行っているため、そのルールを熟知しているユーザーが多いからかもしれない。
もっとも、 「道の駅」 側から見ると、必ずしも利用者のマナーは及第点に達してない。
道の駅の駅長さんたちから寄せられたアンケート調査の回答では、 「車中泊利用による問題点」 として、次のようなものが挙がった。
「ゴミの投棄」 27パーセント
「テーブルを車外に持ち出したりする駐車場の占有」 22パーセント
「洗面所での炊事、洗濯、給水等」 19パーセント
「火気の使用」 15パーセント
「電源の無断利用 (盗電) 」 15パーセント
マナー問題に関しては、まだまだ両者の間には開きがある。
「車中泊」 のルールやマナーをどう擦り合わせていくか。これは今後の大きな検討課題となりそうだ。
それでも、今後 「車中泊を積極的に受け入れていきたい」 と答えた道の駅が9パーセント。 「受け入れることができる」 という道の駅は31パーセント。 「条件付きで受け入れる」 という駅は44パーセントとなり、回答駅の8割は、受け入れに好意的な姿勢を示した。
その理由は、下記のような答に代表される。
「駐車場・トイレを24時間使えることが道の駅の条件なので、積極的に利用して満足していただきたい」
「道の駅には、安全、安心のイメージがあり、夜間の防犯を考えても、駐車台数が多い方がよい」
「道の駅が地域の (観光の) 拠点となるように、積極的に考えていきたい」
現状では問題があることを認めつつも、 「車中泊」 が地域の観光産業を活性化してくれるかもしれないと期待する各管理者たちの願いが反映されているように思う。

このほかにも、車中泊利用者たちがつかう 「交通費の額」 、 「食事、お土産などに使う費用」 、 「食事形態」 などの面白いデータが数々アップされたリリースだが、長くなるので割愛する。
● 生まれつつある新しい観光スタイル
このような調査結果から、いったいどのようなことが分かってくるのだろうか。
リリースを精査したある専門家は、こう語る。
………………………………………………………………………………
「車中泊」 というブームを、単なる表面的な現象として捉えることは、もうできないのではないか? これは、もっと大きな流れの中で見なければならないものかもしれない。
つまり、いま 「車中泊」 という現象の中で起こっていることは、日本の経済や文化、社会制度などがドラスティックに変化していることをそのまま忠実に表現しているともいえそうだ。
具体的には、 「失われた20年」 といわれるような経済的停滞が長く続いたために、人々の意識の中に 「節約はカッコよく、浪費はカッコ悪い」 という価値観が育ってきたことも反映されているだろう。
さらに、 「情報氾濫社会」 の中で、メディアから垂れ流される情報に飽きたらず、情報を主体的に獲得し、さらに自分自身が情報発信元になりたいという人々が増えてきたことも要因となっているように思う。
道の駅における車中泊利用者たちの目的を尋ねると、 「同じ嗜好を持った人たちと情報交換することが楽しい」 という声がけっこう挙がっている。
これは、メディアを経由した既成の情報に飽きたらなくなった人々が、 「車中泊グループ」 を中心に “生きた旅の情報” を求め始めたということを意味するのではないか?

車中泊利用者のインターネットリテラシーは高いといわれている。
多くの人は自前のブログ、ツィッターなどで、車中泊で泊まり歩いた場所などを質の高い情報に加工して発信している。
そして、お互いのネットワークを密に保っているから、 「口コミ」 の浸透度も早い。車中泊情報はネット空間においても、そうとう浸透してきたといわねばならない。
こう考えると、彼らの求めているものは 「道の駅」 ではない、という言い方も成り立つ。
彼らが欲しているものは、雑誌などには載っていない 「中身の濃い情報」 であり、 「新しい人間関係の構築」 であり、従来の旅では実現できなかった 「新しい刺激の獲得」 である。
だから、道の駅の利用規約を厳密に法定化したり、魅力ある設備づくりを怠ったりすれば、彼らは別のところに行くだけかもしれない。
「車中泊」 とは、そういう激しい流動性をはらんだ旅行スタイルであり、施設提供者には多大な緊張感をもたらすと同時に、フレキシブルな旅の提案を可能にするものである。
だから車中泊は、新しい観光のスタイルを創造するかもしれない。
………………………………………………………………………………
このように、専門家の中には、 「車中泊」 を新しい旅のスタイルとして見ようとする人たちが現れている。
もしそのような仮説が正しいのならば、ますます利用時のマナーやインフラ整備、地域の観光資源とのリンクなどが討議されなければならなくなるだろう。
「東北 『道の駅』 車中泊研究会」 の今後の研究成果を期待したい。
参考記事 「車中泊研究会」
参考記事 「NHK車中泊報道」
このような研究を進めている団体の一つに 「東北 『道の駅』 車中泊研究会」 がある。
同研究会の目的は、 「車中泊」 を、利用者側と管理者側に分けて考えることにより、利用者側には守るべきマナーやルールづくりための啓蒙を行ない、受け入れる側には、 「車中泊」 をきっかけに地域の観光産業を活性化させる可能性を提案するなど、両者の利益が合致するポイントを探るところにある。
構成メンバーも、アカデミズムと行政のバランスを巧みにとり、大学教授、特定非営利活動法人 「東北みち会議」 、東北各県自治体の土木課、道路整備課、観光産業振興課などのスペシャリストたちが顔を揃えるという “厚み” を持ったもの。
行動としては、まず車中泊利用者の実態調査が必要であるという考えに立ち、昨年秋に、東北の 「道の駅」 における車中泊利用者の実態調査を行なっている。
▼ 聴き取り調査の行なわれた東北の道の駅 「いいで」 (上)
と 「よつくら港」 (下)


この新春、その結果を紹介するプレスリリースが発表されたが、そこから、車中泊利用者たちのニーズや行動形態、さらに 「道の駅」 管理者たちの希望や心配事など、日本の 「車中泊」 ブームを支えるさまざまな興味深いデータが浮かび上がってきた。
具体的な調査方法や数値の解説は、同研究会のリリースに任せるとして、ここでは、おおまかな傾向だけを紹介する。
● 熟年層の利用者が6割
まず、車中泊利用者の年齢では、50代~60代の熟年層が6割を占め、その同行者のほとんどは夫婦で、それが全体の5割に達することが分かった。
一方、 「同行者なし」 という単独旅行者も24パーセント存在したが、その場合は、車中泊の目的もはっきりしており、登山、釣りなどの趣味を極めるための宿泊であることが明白で、旅の日程も長くなる傾向があるという。
職業では、会社員が38パーセントと最も多く、次が自営業の22パーセント。3番目は自由業の17パーセントであった。
また、比較的最近になって始めた人が多く、車中泊歴としては 「5年以内」 と答えた人が47パーセントに達した。
それを見ても、車中泊という旅のスタイルがここ数年内に急速に確立されてきたものであることが見て取れる。
● 最も多いのは車中泊用の改造車両
宿泊に利用している車両に関しては、 「車中泊用に改造された車両」 というものが大きな比重を占め、それが全体の34パーセントに達した。
“車中泊用の改造車両” というのは、オーナーが車中泊用に自分で室内改造を施したもので、いわば 「乗用車以上・キャンピングカー未満」 といったもの。作り込みは個人によって差が出るが、いずれもその1台で 「継続して車中泊を行える」 仕様になったものを指す。
車種としては、ワンボックスカー (48パーセント) を主体としながらも、ミニバン、ステーションワゴン、軽自動車など多岐にわたるという。
2番目に多かったのは、やはりキャンピングカーで、これが全体の32パーセントに及んだ。
種類別に見ると、キャブコンが多く、キャンピングカーのなかでは46パーセントを占め、次がバンコンの24パーセントだという。軽キャンパーは9パーセント、フルコンは6パーセントであった。 (※ キャンピングカーの種類別調査では、特にお願いして詳しい調査結果を別に用意してもらった)
▼ 湯YOUパークのキャブコン
3番目は、 “ノーマル普通車” 。
これが29パーセント。
リリースでは、単に 「普通車」 としてしか書かれていないが、一般の乗用車のシートをリクライニングしたぐらいの形で仮眠を取った人々のことが想定される。
● 観光・温泉などの目的が目立つ
車中泊をすることの目的としては、リリースでは次のような結果が報告されている。
「観光」 31パーセント
「温泉・保養」 17パーセント
「レジャー」 11パーセント
「ドライブ」 8パーセント
「食事」 7パーセント、
「祭り・行事」 7パーセント
「ビジネス」 3パーセント
「ショッピング」 2パーセント
やはり、 「観光」 と 「温泉」 が目立つが、それ以外は個別の目的が僅差で並び、突出したものを探し出すのは難しい。ここからは自動車旅行の目的が多様化しているということを読みとればいいのかもしれない。

● 最大の理由は “自由な旅” の実現
「車中泊による旅行の理由」 を尋ねたところ、 「自由な旅のプランを求めるため」 という回答が全体の29パーセントを占め、2番目の 「宿泊費の節約」 (27パーセント) をわずかだが上回って、一番の理由として挙がった。
さらに 「趣味として」 という回答も21パーセントを占めて3番目になった。この中には 「クルマの中で寝ること自体が趣味」 という答も含まれるという。
「車中泊」 という言葉の響きから、 「ホテル代を節約するため」 というイメージを浮かべる人が多いだろうが、この調査を見るかぎり、必ずしもそうとは言い切れない。
「節約」 よりも、むしろ 「パック旅行とは違う自分だけのオリジナル旅行をしている」 という満足感の追求みたいなものが、ここからは浮かび上がってくる。
これに 「趣味として」 という答を合わせて考えると、今までの自動車旅行とは全く異なる、新たな旅のスタイルが生まれつつあるようにも思う。
● マナーについては温度差が
「車中泊」 においては、マナーの問題がよく採り上げられる。
今回の調査でも 「道の駅利用でマナー違反と思う行為は?」 という設問を設け、利用者のマナー意識を調査している。
それによると、 「ゴミの投棄」 と答えた人が最も多く、19パーセントに達した。
以下、次のようになった。
「 (洗面所等での) 炊事」 15パーセント
「 (洗面所等での) 食器洗い」 13パーセント
「 (洗面所等の) 電源の利用」 12パーセント
「 (洗面所等での) 洗濯」 10パーセント
「発電機の利用」 11パーセント
「給水」 9パーセント
「バーナーの使用」 7パーセント
これを見る限り、車中泊利用者のマナー意識はけっして悪くない。特にキャンピングカーユーザーの場合は、日本RV協会などが鋭意 「マナーキャペーン」 などを行っているため、そのルールを熟知しているユーザーが多いからかもしれない。
もっとも、 「道の駅」 側から見ると、必ずしも利用者のマナーは及第点に達してない。
道の駅の駅長さんたちから寄せられたアンケート調査の回答では、 「車中泊利用による問題点」 として、次のようなものが挙がった。
「ゴミの投棄」 27パーセント
「テーブルを車外に持ち出したりする駐車場の占有」 22パーセント
「洗面所での炊事、洗濯、給水等」 19パーセント
「火気の使用」 15パーセント
「電源の無断利用 (盗電) 」 15パーセント
マナー問題に関しては、まだまだ両者の間には開きがある。
「車中泊」 のルールやマナーをどう擦り合わせていくか。これは今後の大きな検討課題となりそうだ。
それでも、今後 「車中泊を積極的に受け入れていきたい」 と答えた道の駅が9パーセント。 「受け入れることができる」 という道の駅は31パーセント。 「条件付きで受け入れる」 という駅は44パーセントとなり、回答駅の8割は、受け入れに好意的な姿勢を示した。
その理由は、下記のような答に代表される。
「駐車場・トイレを24時間使えることが道の駅の条件なので、積極的に利用して満足していただきたい」
「道の駅には、安全、安心のイメージがあり、夜間の防犯を考えても、駐車台数が多い方がよい」
「道の駅が地域の (観光の) 拠点となるように、積極的に考えていきたい」
現状では問題があることを認めつつも、 「車中泊」 が地域の観光産業を活性化してくれるかもしれないと期待する各管理者たちの願いが反映されているように思う。
このほかにも、車中泊利用者たちがつかう 「交通費の額」 、 「食事、お土産などに使う費用」 、 「食事形態」 などの面白いデータが数々アップされたリリースだが、長くなるので割愛する。
● 生まれつつある新しい観光スタイル
このような調査結果から、いったいどのようなことが分かってくるのだろうか。
リリースを精査したある専門家は、こう語る。
………………………………………………………………………………
「車中泊」 というブームを、単なる表面的な現象として捉えることは、もうできないのではないか? これは、もっと大きな流れの中で見なければならないものかもしれない。
つまり、いま 「車中泊」 という現象の中で起こっていることは、日本の経済や文化、社会制度などがドラスティックに変化していることをそのまま忠実に表現しているともいえそうだ。
具体的には、 「失われた20年」 といわれるような経済的停滞が長く続いたために、人々の意識の中に 「節約はカッコよく、浪費はカッコ悪い」 という価値観が育ってきたことも反映されているだろう。
さらに、 「情報氾濫社会」 の中で、メディアから垂れ流される情報に飽きたらず、情報を主体的に獲得し、さらに自分自身が情報発信元になりたいという人々が増えてきたことも要因となっているように思う。
道の駅における車中泊利用者たちの目的を尋ねると、 「同じ嗜好を持った人たちと情報交換することが楽しい」 という声がけっこう挙がっている。
これは、メディアを経由した既成の情報に飽きたらなくなった人々が、 「車中泊グループ」 を中心に “生きた旅の情報” を求め始めたということを意味するのではないか?

車中泊利用者のインターネットリテラシーは高いといわれている。
多くの人は自前のブログ、ツィッターなどで、車中泊で泊まり歩いた場所などを質の高い情報に加工して発信している。
そして、お互いのネットワークを密に保っているから、 「口コミ」 の浸透度も早い。車中泊情報はネット空間においても、そうとう浸透してきたといわねばならない。
こう考えると、彼らの求めているものは 「道の駅」 ではない、という言い方も成り立つ。
彼らが欲しているものは、雑誌などには載っていない 「中身の濃い情報」 であり、 「新しい人間関係の構築」 であり、従来の旅では実現できなかった 「新しい刺激の獲得」 である。
だから、道の駅の利用規約を厳密に法定化したり、魅力ある設備づくりを怠ったりすれば、彼らは別のところに行くだけかもしれない。
「車中泊」 とは、そういう激しい流動性をはらんだ旅行スタイルであり、施設提供者には多大な緊張感をもたらすと同時に、フレキシブルな旅の提案を可能にするものである。
だから車中泊は、新しい観光のスタイルを創造するかもしれない。
………………………………………………………………………………
このように、専門家の中には、 「車中泊」 を新しい旅のスタイルとして見ようとする人たちが現れている。
もしそのような仮説が正しいのならば、ますます利用時のマナーやインフラ整備、地域の観光資源とのリンクなどが討議されなければならなくなるだろう。
「東北 『道の駅』 車中泊研究会」 の今後の研究成果を期待したい。
参考記事 「車中泊研究会」
参考記事 「NHK車中泊報道」
2011年01月16日
個人の時代
チュニジアの独裁政権が倒れたのは、多くの市民がフェイスブックなどのインターネットを通じて、デモ開催や警察の取り締まりをめぐる情報を共有し、その隙間をぬって大衆行動に移ったからだという。
つまり、国家が情報管理を徹底させることができなくなったわけだ。
このところ、そのような話題に事欠かない。
昨年の “尖閣ビデオ” しかり。
ウィキリークスのようなサイトの登場も、もうどこの国の国家機密も白日の元にさらされる時代になったことを告げている。
日本でも、国会中継をYOUTUBEなどの動画で見る人が増えているらしい。
今まで、テレビの一部でしかチェックする機会のなかった国家の運営を司る重要な討議を、もう四六時中国民がチェックする時代になったわけだ。
今まで 「隠蔽すること」 によって権威づけられたようなものが尽く崩壊し、従来のような形で権威や権力を維持できる機関など、どこにも見当たらないような時代が訪れようとしている。
アカデミズムに世界においても同様のことがいえるだろう。
研究成果や情報を独占することによって、権威を維持してきた研究機関や学者たちの地位も、もう今までのようには保てない。
よほど特殊な専門研究以外、今や一般の人がネットにアクセスして “ググる” ことによって、どのような研究が進められているかということも、大体の概要がつかめてしまう。その精度ははなは低いものであったにせよ。
ネット社会というのは、そういうものだ。
このことと、政治家や、学者たちや、マスメディアの論客たちの社会的地位の低下とは連動している。
政治家、学者、メディアの専門家への誹謗中傷が簡単に起こることも、もう防ぐことはできない。
素人のネット上での誹謗中傷には、単なる感情的な反応も多く含まれるが、内部を熟知している者が匿名でその内幕を暴くことも可能になったし、素人でも、知的レベルが高く、問題意識を深く掘り下げている人間の発言は、時として、専門家の知見を凌ぐことがある。
むしろカネや社会的身分の保証とは無関係に発言する人の方が、しがらみのない分だけ、自由で大胆な発言が可能となる。
こういう時代になると、 「信頼性のある情報はどこにあるのか?」 ということが問題となる。
最後は、その情報を発信する 「個人」 だ。
本当の意味での 「個人主義の時代」 が訪れようとしているのではないか。
「○○省」 の誰か
「○○新聞」 の誰か
「○○大学」 の誰か
「○○研究機関」 の誰か
……ではなく、最後の 「誰か」 の方の意味が、重くなってくる。
時代がグルッと一巡し、手垢にまみれた言葉になってしまった個人の 「人間性」 とか 「人間力」 といったものが、別の視点で重要視されるような時代が訪れそうな気がしている。

1980年代、 “人間” がいったん消滅した時期があった。
あの時代、日本にも “フランス哲学” が導入され、 「 “人間” とは近代の虚構だ」 とか 「 “人間” とは制度にすぎない」 というシニカルな言説が、インテリたちの間で流行った時期があった。
だから、 「人間性」 とか 「人間力」 などという言葉を口にするのが恥ずかしい時代がしばらく続いた。
この言葉は、今でも少し恥ずかしい。
しかし、もう一度 「人間」 が試される時期が来ているように思う。
「人間」 という言葉にあぐらをかくのではなく、常に自分自身を問い直す存在としての 「人間」 が。
つまり、 「自分が “人間” として発信する情報」 に、どれだけ体を張っているかとか、真摯に向き合っているかとか、そういう責任感とか誠意みたいなものが、人の耳に届く時代になってきたように思う。
どっちみち、今の世界を動かしているような情報は、すでに周りに溢れている。
だから、そのような情報を、個人の範囲で責任を取れるような誠意あるものが評価される。
個人が単位となれば、当然間違った判断も、思慮の足りなかったことも出てくるだろう。
そういうときに、 「自分は間違っていました」 と正直にいえるかどうか。
過去の自分をいったん清算する勇気があるかどうか。
そこが、評価の対象になる。
そんな簡単なことだって、今までの政治家やマスコミはやってこなかったのだ。
たとえば、他者の発言の間違いばかりあげつらってきたマスコミで、一度足りとも、 「自分は間違っていた」 と告白したものはあったか。
組織内の個人の発言を組織ぐるみで守ってきたマスコミが、ほんとうの意味での 「個人の時代」 になった今、人々の信頼を勝ち得なくなってきたのは、至極当たり前のことであるかもしれない。
つまり、国家が情報管理を徹底させることができなくなったわけだ。
このところ、そのような話題に事欠かない。
昨年の “尖閣ビデオ” しかり。
ウィキリークスのようなサイトの登場も、もうどこの国の国家機密も白日の元にさらされる時代になったことを告げている。
日本でも、国会中継をYOUTUBEなどの動画で見る人が増えているらしい。
今まで、テレビの一部でしかチェックする機会のなかった国家の運営を司る重要な討議を、もう四六時中国民がチェックする時代になったわけだ。
今まで 「隠蔽すること」 によって権威づけられたようなものが尽く崩壊し、従来のような形で権威や権力を維持できる機関など、どこにも見当たらないような時代が訪れようとしている。
アカデミズムに世界においても同様のことがいえるだろう。
研究成果や情報を独占することによって、権威を維持してきた研究機関や学者たちの地位も、もう今までのようには保てない。
よほど特殊な専門研究以外、今や一般の人がネットにアクセスして “ググる” ことによって、どのような研究が進められているかということも、大体の概要がつかめてしまう。その精度ははなは低いものであったにせよ。
ネット社会というのは、そういうものだ。
このことと、政治家や、学者たちや、マスメディアの論客たちの社会的地位の低下とは連動している。
政治家、学者、メディアの専門家への誹謗中傷が簡単に起こることも、もう防ぐことはできない。
素人のネット上での誹謗中傷には、単なる感情的な反応も多く含まれるが、内部を熟知している者が匿名でその内幕を暴くことも可能になったし、素人でも、知的レベルが高く、問題意識を深く掘り下げている人間の発言は、時として、専門家の知見を凌ぐことがある。
むしろカネや社会的身分の保証とは無関係に発言する人の方が、しがらみのない分だけ、自由で大胆な発言が可能となる。
こういう時代になると、 「信頼性のある情報はどこにあるのか?」 ということが問題となる。
最後は、その情報を発信する 「個人」 だ。
本当の意味での 「個人主義の時代」 が訪れようとしているのではないか。
「○○省」 の誰か
「○○新聞」 の誰か
「○○大学」 の誰か
「○○研究機関」 の誰か
……ではなく、最後の 「誰か」 の方の意味が、重くなってくる。
時代がグルッと一巡し、手垢にまみれた言葉になってしまった個人の 「人間性」 とか 「人間力」 といったものが、別の視点で重要視されるような時代が訪れそうな気がしている。
1980年代、 “人間” がいったん消滅した時期があった。
あの時代、日本にも “フランス哲学” が導入され、 「 “人間” とは近代の虚構だ」 とか 「 “人間” とは制度にすぎない」 というシニカルな言説が、インテリたちの間で流行った時期があった。
だから、 「人間性」 とか 「人間力」 などという言葉を口にするのが恥ずかしい時代がしばらく続いた。
この言葉は、今でも少し恥ずかしい。
しかし、もう一度 「人間」 が試される時期が来ているように思う。
「人間」 という言葉にあぐらをかくのではなく、常に自分自身を問い直す存在としての 「人間」 が。
つまり、 「自分が “人間” として発信する情報」 に、どれだけ体を張っているかとか、真摯に向き合っているかとか、そういう責任感とか誠意みたいなものが、人の耳に届く時代になってきたように思う。
どっちみち、今の世界を動かしているような情報は、すでに周りに溢れている。
だから、そのような情報を、個人の範囲で責任を取れるような誠意あるものが評価される。
個人が単位となれば、当然間違った判断も、思慮の足りなかったことも出てくるだろう。
そういうときに、 「自分は間違っていました」 と正直にいえるかどうか。
過去の自分をいったん清算する勇気があるかどうか。
そこが、評価の対象になる。
そんな簡単なことだって、今までの政治家やマスコミはやってこなかったのだ。
たとえば、他者の発言の間違いばかりあげつらってきたマスコミで、一度足りとも、 「自分は間違っていた」 と告白したものはあったか。
組織内の個人の発言を組織ぐるみで守ってきたマスコミが、ほんとうの意味での 「個人の時代」 になった今、人々の信頼を勝ち得なくなってきたのは、至極当たり前のことであるかもしれない。
2011年01月13日
細くなるネクタイ
ネクタイがどんどん細くなっている。
自分自身は、もうネクタイを締めない生活を続けて10年以上経つが、街中に細身のネクタイが現れてきたことは、去年あたりから気になっていた。
ネクタイ幅の変化は、これまでも周期的に繰り返されている。
1930年代は広かったらしいが、50年代末から、60年代初期にかけては、それがどんどん細くなっていった。
下の写真はレコードデビューを果たした頃 (1962年当時) のビートルズだが、全員が細目のネクタイにダークスーツといういでたち。
今みると、最近の日本の若いサラリーマンという感じがしないでもない。

1970年代に入ると、逆にネクタイ幅はどんどん広がり始めた。
バブル時代になると、最大幅12㎝を記録するという、まるで赤ちゃんの “よだれ掛け” のようなものも登場したという。
▼ ワイドタイ

それが、再び細くなり始めたのは2年ぐらい前からで、今は最盛期の半分の細さだとか。
幅の変化は、スーツのエリ幅の変化と連動している。
エリ幅が広がるとネクタイも広くなり、エリ幅が細くなると、ネクタイもそれに合わせて狭くなる (…らしい) 。
「景気が悪いとネクタイ幅が細くなる」
という説もある。
好景気のときは材料もたくさん使えるので、ネクタイ幅が広くなり、景気が悪くなると、生地のコスト下げるために細くなる。
そんな解説をする人もいる。
そうかなぁ…?
あまりにもベタな解釈なので、現実味に乏しい。
ファッション業界が仕掛けた “流行” に、 「生活全般をスリム化したい」 という人々の要望が合致したというべきかもしれない。
で、私は、この細身のネクタイをカッコよく締めている男性に出会うと、 「粋!」 とか 「クール!」 という言葉が浮かんでしまうクセがある。
下は、日本のブルースシンガー大木トオルさんのファッション。
タブカラーの白シャツにナロータイが見事に決まっている。

細身のネクタイがカッコいいというのは、もちろん単純な “刷り込み” にすぎない。
若い頃に、大人たちの間では、細身のネクタイが流行っていたからだ。
ちょうど、1950年代の終わりから、60年代の中頃までのことだったろうか。
この時代、レコードジャケットや音楽雑誌に登場する黒人ミュージャンは、ジャズ畑においても、R&Bの世界においても、みな白いシャツと、黒い細身のネクタイで身を固めていた。
それも、エリには糊をうんと利かし、時にタブカラーやピンホールなどで締め上げるスタイルだった。
▼ タブカラーシャツ

そういう彼らの姿を、音楽雑誌などで見ているうちに、黒い肌と白いシャツ、そして細身のネクタイというのが、 “男のお洒落” のスタンダードだという感覚が刷り込まれた。
▼ アート・ブレイキー

▼ テンプテーションズ

▼ ウィルソン・ピケット

黒人の “黒い肌” ってのが、決め手だった。
白いシャツと、黒い肌の対比が美しいと思えたのだ。
下の写真は、2007年に公開された映画 『アメリカン・ギャングスター』 に使われたポスターだけど、顔が半分切られてしまったデンゼル・ワシントンの首元がすっごくセクシーに見える。モノクロ映像の美学だと思う。

肌の色が白い人が、白シャツに黒ネクタイを決めても、上の写真のような雰囲気は出ない。
ビートルズと同じ頃にデビューしたその他のビートグループも、初期の頃はみんなネクタイにスーツだった。
これ (↓) は、キンクス。
細身のタイをタブカラーで締め上げても、入社したばかりの新入社員という雰囲気…。

やっぱ、エディ・マーフィーなんか、細身のタイが合う。

黒人ミュージシャンの白いシャツと細身のタイがカッコよく見えたというのは、単純に、それを眺めていた自分がまだ若かったということにすぎない。
大人のファッションへの憧れがあり、そこに大人の美学があるように思い込んでいた。
その時代、多くの映像はモノクロだった。
だから、細身のタイのイメージは、モノクロ映像と結びつく。
下は、一昨年亡くなったエディ・ヒギンズのジャズアルバム 『DEAR OLD STOCKHOLM』 のジャケット。
ここにも、ナロータイを締めた男が、美女の横でくつろいでいる姿が見える。
こういうジャケットを眺めながら、メローなスタンダードジャズを聞くと気分が落ちつく。

自分自身は、もうネクタイを締めない生活を続けて10年以上経つが、街中に細身のネクタイが現れてきたことは、去年あたりから気になっていた。
ネクタイ幅の変化は、これまでも周期的に繰り返されている。
1930年代は広かったらしいが、50年代末から、60年代初期にかけては、それがどんどん細くなっていった。
下の写真はレコードデビューを果たした頃 (1962年当時) のビートルズだが、全員が細目のネクタイにダークスーツといういでたち。
今みると、最近の日本の若いサラリーマンという感じがしないでもない。

1970年代に入ると、逆にネクタイ幅はどんどん広がり始めた。
バブル時代になると、最大幅12㎝を記録するという、まるで赤ちゃんの “よだれ掛け” のようなものも登場したという。
▼ ワイドタイ
それが、再び細くなり始めたのは2年ぐらい前からで、今は最盛期の半分の細さだとか。
幅の変化は、スーツのエリ幅の変化と連動している。
エリ幅が広がるとネクタイも広くなり、エリ幅が細くなると、ネクタイもそれに合わせて狭くなる (…らしい) 。
「景気が悪いとネクタイ幅が細くなる」
という説もある。
好景気のときは材料もたくさん使えるので、ネクタイ幅が広くなり、景気が悪くなると、生地のコスト下げるために細くなる。
そんな解説をする人もいる。
そうかなぁ…?
あまりにもベタな解釈なので、現実味に乏しい。
ファッション業界が仕掛けた “流行” に、 「生活全般をスリム化したい」 という人々の要望が合致したというべきかもしれない。
で、私は、この細身のネクタイをカッコよく締めている男性に出会うと、 「粋!」 とか 「クール!」 という言葉が浮かんでしまうクセがある。
下は、日本のブルースシンガー大木トオルさんのファッション。
タブカラーの白シャツにナロータイが見事に決まっている。

細身のネクタイがカッコいいというのは、もちろん単純な “刷り込み” にすぎない。
若い頃に、大人たちの間では、細身のネクタイが流行っていたからだ。
ちょうど、1950年代の終わりから、60年代の中頃までのことだったろうか。
この時代、レコードジャケットや音楽雑誌に登場する黒人ミュージャンは、ジャズ畑においても、R&Bの世界においても、みな白いシャツと、黒い細身のネクタイで身を固めていた。
それも、エリには糊をうんと利かし、時にタブカラーやピンホールなどで締め上げるスタイルだった。
▼ タブカラーシャツ
そういう彼らの姿を、音楽雑誌などで見ているうちに、黒い肌と白いシャツ、そして細身のネクタイというのが、 “男のお洒落” のスタンダードだという感覚が刷り込まれた。
▼ アート・ブレイキー

▼ テンプテーションズ

▼ ウィルソン・ピケット

黒人の “黒い肌” ってのが、決め手だった。
白いシャツと、黒い肌の対比が美しいと思えたのだ。
下の写真は、2007年に公開された映画 『アメリカン・ギャングスター』 に使われたポスターだけど、顔が半分切られてしまったデンゼル・ワシントンの首元がすっごくセクシーに見える。モノクロ映像の美学だと思う。

肌の色が白い人が、白シャツに黒ネクタイを決めても、上の写真のような雰囲気は出ない。
ビートルズと同じ頃にデビューしたその他のビートグループも、初期の頃はみんなネクタイにスーツだった。
これ (↓) は、キンクス。
細身のタイをタブカラーで締め上げても、入社したばかりの新入社員という雰囲気…。

やっぱ、エディ・マーフィーなんか、細身のタイが合う。

黒人ミュージシャンの白いシャツと細身のタイがカッコよく見えたというのは、単純に、それを眺めていた自分がまだ若かったということにすぎない。
大人のファッションへの憧れがあり、そこに大人の美学があるように思い込んでいた。
その時代、多くの映像はモノクロだった。
だから、細身のタイのイメージは、モノクロ映像と結びつく。
下は、一昨年亡くなったエディ・ヒギンズのジャズアルバム 『DEAR OLD STOCKHOLM』 のジャケット。
ここにも、ナロータイを締めた男が、美女の横でくつろいでいる姿が見える。
こういうジャケットを眺めながら、メローなスタンダードジャズを聞くと気分が落ちつく。

2011年01月12日
映画アバター
一週間ぐらい前だったかな…。
どのくらい経ったか忘れちゃったけれど、3Dで話題になった映画 『アバター』 をテレビで見た。
ものすごく魅せられている自分と、失望していく自分に引き裂かれていた。

結局、語るべき言葉も浮かばなかったので、そのときはブログの記事にまとめる気にもならなかったけれど、この映画を受け入れるか否かで、その人の感性が 「時代に合っているか、いないか」 が試されそうな気がしている。
で、今の気分をいうと、 「時代の感性に合っていない自分」 の方を選ぶ方向に傾いている。
判断留保のニュアンスを残しているのは、これを3Dで観ていないからだ。
3D…。
あいかわらず、私はこれを 「サンデー」 と発音してしまうので、いつもカミさんにバカにされるのだけれど、 「スリーディー」 とかいうと、舌を咬みそうなので、まぁ 「サンデー」 で通しているんだけど、…で、サンデーで観ても、あまり印象は変わらないんではないか、という気がしている。
「魅せられた自分」 というのも、確かにあった。
特に、 「うまく計算されているなぁ!」 と感心したのは、ポスターなんかでは気持ち悪い印象しか持ち得ないパンドラの住人の顔が、見ているうちに、みるみるチャーミングになっていくところ。
最後なんかは、すっかり感情移入して、涙が出そうなくらい応援しちゃったりしたわけ。
そういった意味で、最近のハリウッド映画は、観客の 「視覚の慣れ」 みたいなものまで巧妙に計算しているな、と思った
パンドラの風物もみな映像的には美しく、映画的リアリズムよりも、ゲーム的リアリズムのようなものに貫かれていて、それが 「アート」 になっていると感じた。
しかし、 「じゃ、その映像は新しかったのかい?」 と問うと、まったく NO。
どこを観ても、既視覚感 (デジャブ感?) でいっぱい。
どの映像を切りとってみても、古典絵画から近代美術、現代アートでさんざん見尽くした世界ばかり。
結局、この映画は、その映像表現に 「ワンダー!」 を感じなければ、意味のない作品であると思った。
だって、ストーリーは、これまでも何度も描かれたきた 「白人帝国主義」 と 「土着原住民」 の争いをテーマにしたもので、侵略するものを告訴する勧善懲悪ドラマに過ぎないわけだから。
これと、つい対比したくなってしまうのが、リドリー・スコットのつくった 『エイリアン (Ⅰ) 』 である。

あそこに出てくる 「人間にとって未知なる生物」 には、心がない。意志もない。
映像的には “恐怖の大魔王” として登場するけれど、実は、 “彼” は暴力をむさぶる快楽も知らない。
つまり、それと対峙する人間にとって、彼の 「生きる意志」 というものが何に由来するのか分からない存在として登場する。
「きっとあの生物も本能に従って生きているのだろう」
などと思うのは、人間の勝手な想像にすぎない。
そういうのが、私にとって 「ワンダー!」 なんである。
「未知との遭遇」 とは、そういうことであって、人間の 「存在理由」 とか、人間の 「倫理」 とか、 「愛」 とか、そんなものを “もの凄い風圧” でなぎ払ってしまうモノと出遭うことである。
『アバター』 と 『エイリアン (Ⅰ) 』 では、どっちが映画の醍醐味を教えてくれるかというと、もう圧倒的に 『エイリアン』 の方に (あくまでも個人の趣味だけど) 軍配が上がる。
最近のハリウッドSF映画は、 「視覚のワンダー!」 を過剰に追求する方向に舵を切った。
それはそれで、意味のあることかもしれないけれど、肝心の 「視覚のワンダー!」 が通じない人には何を訴えるのだろう。
「アバターの美学が分からない人は時代に取り残された人」 と言われるとしたら、それでもけっこう。
映画というのは、 「言葉で表現できないもの」 を語るもんだと思うし、パンフレットの解説とか、映画評論とか、ネット上の言論で言い尽くされないものを突きつけるもんだと思う。
私はそういう映画が好き。
ちなみに、 『エイリアン』 に登場するあの異星の生物がいったい何なのか。
それを 「比喩」 とか 「象徴的言語」 などを使わずに語れる人っている?
私は語れない。
だから、一生気になってしまう映画になっている。
どのくらい経ったか忘れちゃったけれど、3Dで話題になった映画 『アバター』 をテレビで見た。
ものすごく魅せられている自分と、失望していく自分に引き裂かれていた。
結局、語るべき言葉も浮かばなかったので、そのときはブログの記事にまとめる気にもならなかったけれど、この映画を受け入れるか否かで、その人の感性が 「時代に合っているか、いないか」 が試されそうな気がしている。
で、今の気分をいうと、 「時代の感性に合っていない自分」 の方を選ぶ方向に傾いている。
判断留保のニュアンスを残しているのは、これを3Dで観ていないからだ。
3D…。
あいかわらず、私はこれを 「サンデー」 と発音してしまうので、いつもカミさんにバカにされるのだけれど、 「スリーディー」 とかいうと、舌を咬みそうなので、まぁ 「サンデー」 で通しているんだけど、…で、サンデーで観ても、あまり印象は変わらないんではないか、という気がしている。
「魅せられた自分」 というのも、確かにあった。
特に、 「うまく計算されているなぁ!」 と感心したのは、ポスターなんかでは気持ち悪い印象しか持ち得ないパンドラの住人の顔が、見ているうちに、みるみるチャーミングになっていくところ。
最後なんかは、すっかり感情移入して、涙が出そうなくらい応援しちゃったりしたわけ。
そういった意味で、最近のハリウッド映画は、観客の 「視覚の慣れ」 みたいなものまで巧妙に計算しているな、と思った
パンドラの風物もみな映像的には美しく、映画的リアリズムよりも、ゲーム的リアリズムのようなものに貫かれていて、それが 「アート」 になっていると感じた。
しかし、 「じゃ、その映像は新しかったのかい?」 と問うと、まったく NO。
どこを観ても、既視覚感 (デジャブ感?) でいっぱい。
どの映像を切りとってみても、古典絵画から近代美術、現代アートでさんざん見尽くした世界ばかり。
結局、この映画は、その映像表現に 「ワンダー!」 を感じなければ、意味のない作品であると思った。
だって、ストーリーは、これまでも何度も描かれたきた 「白人帝国主義」 と 「土着原住民」 の争いをテーマにしたもので、侵略するものを告訴する勧善懲悪ドラマに過ぎないわけだから。
これと、つい対比したくなってしまうのが、リドリー・スコットのつくった 『エイリアン (Ⅰ) 』 である。

あそこに出てくる 「人間にとって未知なる生物」 には、心がない。意志もない。
映像的には “恐怖の大魔王” として登場するけれど、実は、 “彼” は暴力をむさぶる快楽も知らない。
つまり、それと対峙する人間にとって、彼の 「生きる意志」 というものが何に由来するのか分からない存在として登場する。
「きっとあの生物も本能に従って生きているのだろう」
などと思うのは、人間の勝手な想像にすぎない。
そういうのが、私にとって 「ワンダー!」 なんである。
「未知との遭遇」 とは、そういうことであって、人間の 「存在理由」 とか、人間の 「倫理」 とか、 「愛」 とか、そんなものを “もの凄い風圧” でなぎ払ってしまうモノと出遭うことである。
『アバター』 と 『エイリアン (Ⅰ) 』 では、どっちが映画の醍醐味を教えてくれるかというと、もう圧倒的に 『エイリアン』 の方に (あくまでも個人の趣味だけど) 軍配が上がる。
最近のハリウッドSF映画は、 「視覚のワンダー!」 を過剰に追求する方向に舵を切った。
それはそれで、意味のあることかもしれないけれど、肝心の 「視覚のワンダー!」 が通じない人には何を訴えるのだろう。
「アバターの美学が分からない人は時代に取り残された人」 と言われるとしたら、それでもけっこう。
映画というのは、 「言葉で表現できないもの」 を語るもんだと思うし、パンフレットの解説とか、映画評論とか、ネット上の言論で言い尽くされないものを突きつけるもんだと思う。
私はそういう映画が好き。
ちなみに、 『エイリアン』 に登場するあの異星の生物がいったい何なのか。
それを 「比喩」 とか 「象徴的言語」 などを使わずに語れる人っている?
私は語れない。
だから、一生気になってしまう映画になっている。
2011年01月11日
若者の考える商売
昨日は成人式だった。
いよいよ 「昭和」 を知らない人たちが、これからの社会の中軸を担っていることになる。
「昭和」 のまっただ中に生まれた自分などは、自分の生まれた時代が遠くなったことを実感しつつも、ようやく今頃になって、若い人たちに教えられるということがますます増えているように思っている。
最近のことだが、何気なくテレビを見ていて、現役の学生たちが経営しているという居酒屋をレポートしている番組があった。
レポーターが入って、その店のスタッフや、お客として通っている常連の若者に取材している光景が放映された。
「店に立ち寄る中高年の人々をどう思っていますか?」
そういうレポーターの問いに対し、彼らは 「心配になるぐらい今の中高年の方は元気がないですね」 と答える。
だから、この店に来た中高年には、元気をつけてもらいたいと話す。
まず、そこで、 「え?」 …っと思う。
マスコミが報じる “若者像” は、いま悲惨の極みに達している。
未曾有の就職難。雇用制度の崩壊。年金制度の破綻など、今の若者たちが将来の不安を意識せずに暮らしていける条件は何一つそろっていない。
だから、たいていの大人は 「元気を失っているのは若者の方だ」 と単純に決めつけてしまう。
その若者たちが、逆に元気を失った中高年の方を心配しているという状況が、よく飲み込めない。
若者たちは、この悲惨な時代を恨んではいないのか。
ところが、彼らは、物心がついた頃から 「そんなもんだ」 という意識で暮らしてきたという。
つまり 「バブル時代」 というものを知らない。
知らないから、そんなものに憧れる気持ちもないし、同時にそれをバカにする気持ちもない。
「失われた10年」 とか、 「失われた20年」 などという言葉がマスコミ報道の中では毎日踊っているが、 “失われた” と感じているのは 「贅沢の味」 を知っている中高年だけ。
彼らにとっては、最初から “ない” のだから、それをとやかく言っても始まらない。
それよりも、自分たちは、 「無駄なお金をつかわず、日々つつましく暮らし、みんなで助けあうのが当たり前という気持ちで生きている」 というのだ。
だけど、彼らは有効だと思える消費をためらっているわけではない。
たまの贅沢を味わいたいときは、恋人と、少しリッチな店に入って外食を楽しむ。
代わりに、恋人の誕生日などに贈るプレゼントは、自分たちが手作りでこしらえたジュエリー。
そういうメリハリを持っていた方が、人生にアクセントがついて楽しいという。
「ほら、贅沢って、一度味わってしまうと、それを捨てるのは難しいじゃないですか」
若者の一人は、レポーターにそう伝えて、レポーターの方をぎゃふんと言わせた。
▼ キャンプ場でも屈託なく遊ぶ現代の若者

もちろんテレビというのは、捏造番組を作ってしまうのが得意だから、そこで映し出された若者像が、今の日本の平均的な若者を代表しているとはいえないかもしれない。
しかし、若者たちが、新しい仕事意識やら倫理観などを身につけている様子は、いろんなところで目にする機会が増えた。
もちろん、若い人たちが不安に感じているいちばんの問題は、将来の先行き不透明感で、そのなかでも最も深刻なのは雇用問題であることには変わりない。
しかし、この 「就職氷河期」 の時代に、あえて会社にしがみつく必要もないと考え始めた人も増えているようなのだ。
つまり、自分で会社を起こして、自分のビジネスを始めることを真剣に考えている人たちが出てきた。
テレビに出ていた若者の一人も、 「30歳ぐらいに自分の (仕事の) ピークを持っていきたい」 と答えていた。どういう仕事を始めるかという戦略は、すでに立てているらしい。
彼らは、高度成長やバブルを知らないから、資源も資金も無尽蔵につぎ込むようなビジネスというものを最初から考えない。
むしろ、 「限られた資源をどう分配するか」 という観点からビジネスを始める。
ある雑誌 (BRUTUS) を眺めていたら、
「世の中はハイテク、ハイテクと騒ぐけど、中小企業の町工場で眠っているような “使い古された” 技術にこそ、日本型ビジネスモデルを立ち上げるヒントがある」
と考えている若者がいることを知った。
本村拓人さんという企業家で、いま27歳。
彼は、アジアマーケットを広く観察して、次のような感触をつかんだ。
「日本の産業製品は、途上国ではその価値が薄れ始めている」
もちろん日本企業のブランドは相変わらず有名で、発展途上国では憧れの的であることには変わりはない。
しかし、実際には日本製品を買う人は減り続け、信頼性は低いが安価な製品やコピー製品の方が買われるようになってきた。
確かに、日本製品は多機能や高品質を追求するあまりコストが高くなりすぎて、世界マーケットでは後退現象が出てきたことは、あちらこちらで指摘されている。
ところが、大人のマーケットプランナーの中には、それでもハイテクを駆使して付加価値を高める商品開発を目指せ! と檄 (げき) を飛ばす人たちが多い。
その理由は、日本が得意としてきた 「一定の品質を維持した製品を大量に作って低価格を実現する」 というプロダクトモデルが通用しなくなったからだという。
大量生産によって可能となる 「低価格競争」 においては、もう日本は韓国や台湾、中国、インドにかなわない。
だから、
「これからの日本は、ミドルクラスの市場も捨てるくらいの覚悟で、富裕層向けのプレミアム商品で勝負しなければならない」
という。
しかし、若い本村拓人さんの発想は、これとは違う。
マーケットとして、富裕層を考えている限り、 「限られた資源を分配する」 という思想とは相容れないと、彼は感じているようなのだ。
それよりも、食糧難の解決や、公衆衛生の改善といった目に見える課題を解決するビジネスの方が 「分配の思想」 とも合致するし、第一マーケットそのものが無限大に広がる。
現在、中国の人口は13億人。
インドは12億人。
2050年には、世界の人口が90億人を超える。
その時代の商業圏はどこにあるかというと、もう日本、ヨーロッパ、アメリカではない。
現在、 「世界の工場」 となっているアジア圏の発展途上国が、今度は一大 「消費地帯」 に変わる。
そのときの消費の担い手は、途上国の一部の富裕層ではなく、膨大な人口を擁する中間層と貧困層である。
本村氏は、
「具体的には、1日5ドルから8ドル未満の所得層が抱える社会課題を汲み取って製品を考えている」
という。
「例えば、インドの喘息患者は世界の3分の1を占めるが、大気の汚れた都市でもマスクをする習慣がない。そこに届けられるマスクを考えるとか…」
そうなると、必ずしも大手企業が力を入れて開発しているハイテクノロジーだけが製品開発を決定するわけではなくなる。
「逆に、日本の中小企業の町工場で “使い古された” と思われている技術を、違った文脈でとらえ直し、新しい価値を付与するという手もあるのでは?」
という。
「途上国の貧困層が抱えている問題に焦点を定めてみると、これまで顕在化しなかった途上国のニーズが見えてくる」 とも。
私は素人だから、こういう考え方が正しいのかどうか、またそれが既にどこかで実行されているのかどうかは知らない。
また、産業にもさまざまなものがあるから、それぞれの分野で世界マーケットに向けた戦略が個別に並立することも理解している。
だけど、途上国の 「貧困層」 に焦点を合わせ、彼らの社会課題を解決する形でこれからのビジネスを考えようとする若者の姿勢には、とても共感が持てた。
これは、企業のブランド戦略というものに、根本的な修正を迫るものかもしれない。
確かに、富裕層をターゲットに合わせた商品開発の方が、効率よく高付加価値を実現できるし、ブランド化も図りやすい。
しかし、これまでの 「ブランド戦略」 というのは、消費者に 「さらに上の生活を目指す」 ことを訴える 「差異化による自己満足」 を中心としたものであり、どうしても経済成長を前提とした発想から逃れることができなかった。
たぶん次の時代のブランド戦略は、今以上に 「安全」 、 「安心」 を訴求する傾向が強まるだろう。
若者の話を聞いていると、相変わらず勉強させられることが多い。
いよいよ 「昭和」 を知らない人たちが、これからの社会の中軸を担っていることになる。
「昭和」 のまっただ中に生まれた自分などは、自分の生まれた時代が遠くなったことを実感しつつも、ようやく今頃になって、若い人たちに教えられるということがますます増えているように思っている。
最近のことだが、何気なくテレビを見ていて、現役の学生たちが経営しているという居酒屋をレポートしている番組があった。
レポーターが入って、その店のスタッフや、お客として通っている常連の若者に取材している光景が放映された。
「店に立ち寄る中高年の人々をどう思っていますか?」
そういうレポーターの問いに対し、彼らは 「心配になるぐらい今の中高年の方は元気がないですね」 と答える。
だから、この店に来た中高年には、元気をつけてもらいたいと話す。
まず、そこで、 「え?」 …っと思う。
マスコミが報じる “若者像” は、いま悲惨の極みに達している。
未曾有の就職難。雇用制度の崩壊。年金制度の破綻など、今の若者たちが将来の不安を意識せずに暮らしていける条件は何一つそろっていない。
だから、たいていの大人は 「元気を失っているのは若者の方だ」 と単純に決めつけてしまう。
その若者たちが、逆に元気を失った中高年の方を心配しているという状況が、よく飲み込めない。
若者たちは、この悲惨な時代を恨んではいないのか。
ところが、彼らは、物心がついた頃から 「そんなもんだ」 という意識で暮らしてきたという。
つまり 「バブル時代」 というものを知らない。
知らないから、そんなものに憧れる気持ちもないし、同時にそれをバカにする気持ちもない。
「失われた10年」 とか、 「失われた20年」 などという言葉がマスコミ報道の中では毎日踊っているが、 “失われた” と感じているのは 「贅沢の味」 を知っている中高年だけ。
彼らにとっては、最初から “ない” のだから、それをとやかく言っても始まらない。
それよりも、自分たちは、 「無駄なお金をつかわず、日々つつましく暮らし、みんなで助けあうのが当たり前という気持ちで生きている」 というのだ。
だけど、彼らは有効だと思える消費をためらっているわけではない。
たまの贅沢を味わいたいときは、恋人と、少しリッチな店に入って外食を楽しむ。
代わりに、恋人の誕生日などに贈るプレゼントは、自分たちが手作りでこしらえたジュエリー。
そういうメリハリを持っていた方が、人生にアクセントがついて楽しいという。
「ほら、贅沢って、一度味わってしまうと、それを捨てるのは難しいじゃないですか」
若者の一人は、レポーターにそう伝えて、レポーターの方をぎゃふんと言わせた。
▼ キャンプ場でも屈託なく遊ぶ現代の若者
もちろんテレビというのは、捏造番組を作ってしまうのが得意だから、そこで映し出された若者像が、今の日本の平均的な若者を代表しているとはいえないかもしれない。
しかし、若者たちが、新しい仕事意識やら倫理観などを身につけている様子は、いろんなところで目にする機会が増えた。
もちろん、若い人たちが不安に感じているいちばんの問題は、将来の先行き不透明感で、そのなかでも最も深刻なのは雇用問題であることには変わりない。
しかし、この 「就職氷河期」 の時代に、あえて会社にしがみつく必要もないと考え始めた人も増えているようなのだ。
つまり、自分で会社を起こして、自分のビジネスを始めることを真剣に考えている人たちが出てきた。
テレビに出ていた若者の一人も、 「30歳ぐらいに自分の (仕事の) ピークを持っていきたい」 と答えていた。どういう仕事を始めるかという戦略は、すでに立てているらしい。
彼らは、高度成長やバブルを知らないから、資源も資金も無尽蔵につぎ込むようなビジネスというものを最初から考えない。
むしろ、 「限られた資源をどう分配するか」 という観点からビジネスを始める。
ある雑誌 (BRUTUS) を眺めていたら、
「世の中はハイテク、ハイテクと騒ぐけど、中小企業の町工場で眠っているような “使い古された” 技術にこそ、日本型ビジネスモデルを立ち上げるヒントがある」
と考えている若者がいることを知った。
本村拓人さんという企業家で、いま27歳。
彼は、アジアマーケットを広く観察して、次のような感触をつかんだ。
「日本の産業製品は、途上国ではその価値が薄れ始めている」
もちろん日本企業のブランドは相変わらず有名で、発展途上国では憧れの的であることには変わりはない。
しかし、実際には日本製品を買う人は減り続け、信頼性は低いが安価な製品やコピー製品の方が買われるようになってきた。
確かに、日本製品は多機能や高品質を追求するあまりコストが高くなりすぎて、世界マーケットでは後退現象が出てきたことは、あちらこちらで指摘されている。
ところが、大人のマーケットプランナーの中には、それでもハイテクを駆使して付加価値を高める商品開発を目指せ! と檄 (げき) を飛ばす人たちが多い。
その理由は、日本が得意としてきた 「一定の品質を維持した製品を大量に作って低価格を実現する」 というプロダクトモデルが通用しなくなったからだという。
大量生産によって可能となる 「低価格競争」 においては、もう日本は韓国や台湾、中国、インドにかなわない。
だから、
「これからの日本は、ミドルクラスの市場も捨てるくらいの覚悟で、富裕層向けのプレミアム商品で勝負しなければならない」
という。
しかし、若い本村拓人さんの発想は、これとは違う。
マーケットとして、富裕層を考えている限り、 「限られた資源を分配する」 という思想とは相容れないと、彼は感じているようなのだ。
それよりも、食糧難の解決や、公衆衛生の改善といった目に見える課題を解決するビジネスの方が 「分配の思想」 とも合致するし、第一マーケットそのものが無限大に広がる。
現在、中国の人口は13億人。
インドは12億人。
2050年には、世界の人口が90億人を超える。
その時代の商業圏はどこにあるかというと、もう日本、ヨーロッパ、アメリカではない。
現在、 「世界の工場」 となっているアジア圏の発展途上国が、今度は一大 「消費地帯」 に変わる。
そのときの消費の担い手は、途上国の一部の富裕層ではなく、膨大な人口を擁する中間層と貧困層である。
本村氏は、
「具体的には、1日5ドルから8ドル未満の所得層が抱える社会課題を汲み取って製品を考えている」
という。
「例えば、インドの喘息患者は世界の3分の1を占めるが、大気の汚れた都市でもマスクをする習慣がない。そこに届けられるマスクを考えるとか…」
そうなると、必ずしも大手企業が力を入れて開発しているハイテクノロジーだけが製品開発を決定するわけではなくなる。
「逆に、日本の中小企業の町工場で “使い古された” と思われている技術を、違った文脈でとらえ直し、新しい価値を付与するという手もあるのでは?」
という。
「途上国の貧困層が抱えている問題に焦点を定めてみると、これまで顕在化しなかった途上国のニーズが見えてくる」 とも。
私は素人だから、こういう考え方が正しいのかどうか、またそれが既にどこかで実行されているのかどうかは知らない。
また、産業にもさまざまなものがあるから、それぞれの分野で世界マーケットに向けた戦略が個別に並立することも理解している。
だけど、途上国の 「貧困層」 に焦点を合わせ、彼らの社会課題を解決する形でこれからのビジネスを考えようとする若者の姿勢には、とても共感が持てた。
これは、企業のブランド戦略というものに、根本的な修正を迫るものかもしれない。
確かに、富裕層をターゲットに合わせた商品開発の方が、効率よく高付加価値を実現できるし、ブランド化も図りやすい。
しかし、これまでの 「ブランド戦略」 というのは、消費者に 「さらに上の生活を目指す」 ことを訴える 「差異化による自己満足」 を中心としたものであり、どうしても経済成長を前提とした発想から逃れることができなかった。
たぶん次の時代のブランド戦略は、今以上に 「安全」 、 「安心」 を訴求する傾向が強まるだろう。
若者の話を聞いていると、相変わらず勉強させられることが多い。
2011年01月09日
パリッシュの絵画
マックスフィールド・パリッシュという画家の絵が好きになったのは、1枚のアルバムャケットがきっかけだった。
昔、アメリカのサザン・ロックをアルバムを集めていた時代があって、 『THE SOUTH’S GREATEST HITS (サザン・ロックのすべて) 』 というオムニバス盤を買たことがある。
オールマン・ブラザーズ・バンドをはじめ、レナード・スキナード、アトランタ・リズムセクションなどのヒット曲がずらりと並んだ “お買い得盤” だった。
収録された曲もさることながら、レコードジャケット (▼) が気に入った。

泥臭いパワーをみなぎらせた南部野郎たちのロックアルバムにはおよそ似つかわしくない、なんともお洒落でクラシカルなイラストをあしらったジャケット。
そのミスマッチ感覚に惚れた。
誰が描いたのか?
ジャケット裏には、 「Cover illustration Bob Hickson」 というクレジットがあるだけ。
ボブ・ヒクソン
どういうイラストレーターなのか? ほかに作品はないのだろうか? と、いろいろ当たってみたが、当時、今のようなネット情報にすぐにアクセスできるわけもなく、結局手がかりがなくて、諦めた。
そうしたら、しばらく経って、この絵のタッチとよく似たイラストを集めた輸入カレンダー (▼) を見つけたので、喜んで買った。
でも、画家の名前が違う。
こっちの名前は、Maxfield Parrish (マックスフィールド・パリッシュ) 。
どういうことだ?
…と疑問に感じて、ちょっと調べてみたら、こっちのマックスフィールド・パリッシュさんの絵の方が本物で、サザン・ロックのアルバムジャケットは、そのパロディであるらしい。
▼ Maxfield Parrish 『Day break』 (部分)

▼ Bob Hickson 『The South's Greatest Hits』 (部分)

いやぁ、それにしても、このジャケットデザイン (▲) 。
本家本元のパリッシュのタッチをよく生かしている。
涼し気な樹の葉。
赤茶けた岩肌を持つ山。
ギリシャ風円柱を染める樹木の影。
まさに、同じ画家が描いたとしか思えない。
こういうのは、 “盗作” にならないのだろうか?
それとも、アメリカはパロディを大歓迎する国なのか。
本家の方のマックスフィールド・パリッシュは、1870年にアメリカのフィラデルフィアに生まれ、1910年代から1920年代にかけて活躍した画家。
ネット情報によると、1930年代には、 「アメリカで最も有名なイラストレーター・画家であった」 らしい。1966年に94歳で亡くなっている。
たぶん幸せな生涯を貫いた人なのだろう。
そのせいか、絵に暗さがない。
▼ 『Day break』 (全景)

どこか牧歌的で、のどかで、平和な雰囲気が横溢していて、それでいて、一抹のメラコリー (憂愁) が漂う。
ヨーロッパ古典絵画のようであり、それでいてアメリカン・コミックに通じる軽さがあり、芸術作品と商業デザインとの不分明な隙間を漂うような、不思議な画風だ。
ヨーロッパ画壇の 「ラファエロ前派」 の影響を指摘する人もいれば、アメリカ画壇の 「ハドソンリバー派」 の流れを汲んでいると見る人もいる。
確かに、人物造形には前者の雰囲気が漂い、自然描写には後者との類似がある。
両者のエッセンスを統合して、それにポップな味付けをしたといえばいいのか。
かすかに漂う 「俗っぽさ」 が、独特のエキゾチシズムを醸し出しているところが面白い。
特徴的なのは 「光」 だ。
常に横から射している。
夜明けか、夕暮れ。
いずれにせよ、1日のもっとも光の変化が激しい時間帯を狙って、それをタブローの中に 「永遠の時間」 として凍結させている。
最も “移ろいやすいもの” が、止まったまま動かない。
それは、言ってしまえば、 「はかなさ」 の凍結である。
パリッシュの絵に漂うメランコリーの秘密はそこにある。
▼ 『Aquamarine』

荒涼とした岩肌に当たる残照の、むごいような美しさ。
涼しげな風を宿す樹木のシルエット。
この世の 「快楽」 と 「寂寥 (せきりょう) 」 が同一平面に混在する神話的な空間。
アメリカが、ヨーロッパ人にとって “新大陸” であった時代の 「ワンダーランド」 の気配が息づいている。
昔、アメリカのサザン・ロックをアルバムを集めていた時代があって、 『THE SOUTH’S GREATEST HITS (サザン・ロックのすべて) 』 というオムニバス盤を買たことがある。
オールマン・ブラザーズ・バンドをはじめ、レナード・スキナード、アトランタ・リズムセクションなどのヒット曲がずらりと並んだ “お買い得盤” だった。
収録された曲もさることながら、レコードジャケット (▼) が気に入った。
泥臭いパワーをみなぎらせた南部野郎たちのロックアルバムにはおよそ似つかわしくない、なんともお洒落でクラシカルなイラストをあしらったジャケット。
そのミスマッチ感覚に惚れた。
誰が描いたのか?
ジャケット裏には、 「Cover illustration Bob Hickson」 というクレジットがあるだけ。
ボブ・ヒクソン
どういうイラストレーターなのか? ほかに作品はないのだろうか? と、いろいろ当たってみたが、当時、今のようなネット情報にすぐにアクセスできるわけもなく、結局手がかりがなくて、諦めた。
そうしたら、しばらく経って、この絵のタッチとよく似たイラストを集めた輸入カレンダー (▼) を見つけたので、喜んで買った。
でも、画家の名前が違う。
こっちの名前は、Maxfield Parrish (マックスフィールド・パリッシュ) 。
どういうことだ?
…と疑問に感じて、ちょっと調べてみたら、こっちのマックスフィールド・パリッシュさんの絵の方が本物で、サザン・ロックのアルバムジャケットは、そのパロディであるらしい。
▼ Maxfield Parrish 『Day break』 (部分)
▼ Bob Hickson 『The South's Greatest Hits』 (部分)
いやぁ、それにしても、このジャケットデザイン (▲) 。
本家本元のパリッシュのタッチをよく生かしている。
涼し気な樹の葉。
赤茶けた岩肌を持つ山。
ギリシャ風円柱を染める樹木の影。
まさに、同じ画家が描いたとしか思えない。
こういうのは、 “盗作” にならないのだろうか?
それとも、アメリカはパロディを大歓迎する国なのか。
本家の方のマックスフィールド・パリッシュは、1870年にアメリカのフィラデルフィアに生まれ、1910年代から1920年代にかけて活躍した画家。
ネット情報によると、1930年代には、 「アメリカで最も有名なイラストレーター・画家であった」 らしい。1966年に94歳で亡くなっている。
たぶん幸せな生涯を貫いた人なのだろう。
そのせいか、絵に暗さがない。
▼ 『Day break』 (全景)

どこか牧歌的で、のどかで、平和な雰囲気が横溢していて、それでいて、一抹のメラコリー (憂愁) が漂う。
ヨーロッパ古典絵画のようであり、それでいてアメリカン・コミックに通じる軽さがあり、芸術作品と商業デザインとの不分明な隙間を漂うような、不思議な画風だ。
ヨーロッパ画壇の 「ラファエロ前派」 の影響を指摘する人もいれば、アメリカ画壇の 「ハドソンリバー派」 の流れを汲んでいると見る人もいる。
確かに、人物造形には前者の雰囲気が漂い、自然描写には後者との類似がある。
両者のエッセンスを統合して、それにポップな味付けをしたといえばいいのか。
かすかに漂う 「俗っぽさ」 が、独特のエキゾチシズムを醸し出しているところが面白い。
特徴的なのは 「光」 だ。
常に横から射している。
夜明けか、夕暮れ。
いずれにせよ、1日のもっとも光の変化が激しい時間帯を狙って、それをタブローの中に 「永遠の時間」 として凍結させている。
最も “移ろいやすいもの” が、止まったまま動かない。
それは、言ってしまえば、 「はかなさ」 の凍結である。
パリッシュの絵に漂うメランコリーの秘密はそこにある。
▼ 『Aquamarine』

荒涼とした岩肌に当たる残照の、むごいような美しさ。
涼しげな風を宿す樹木のシルエット。
この世の 「快楽」 と 「寂寥 (せきりょう) 」 が同一平面に混在する神話的な空間。
アメリカが、ヨーロッパ人にとって “新大陸” であった時代の 「ワンダーランド」 の気配が息づいている。
2011年01月08日
300万アクセス
…をついに達成した。
ページビュー (PV) とか、ユニークユーザーとかいろいろな分類方法があって、それによってカウントの仕方が変わるらしいのだが、不勉強なもので、詳しいことは分からない。
ただ、このブログサービスを運営しているホビダスの “アクセスログ” で、
「Total:3,000,000」
という数字が出たので、それを素直にここに書いた。

この数字が、多いのか、少ないのかよく分からない。
確かに、平均的なブロガーのアクセス数よりは多いのかもしれないけれど、このまえ、日本で 「最大規模」 を豪語するブログ検索エンジンで、自分のブログを調べてみたら、ランクインしているブログ内での順位が63,737位とのことだった。
6万位というのは、別に “順位” などと言えるようなものではないように思う。
世にいわれる 「アルファーブロガー」 なる人たちのアクセス数は、1日で1~2万。さらに3万件を超えるブログもあるらしい。前記のブログ検索エンジンでみると、そういう人たちのブログは100位以内に入っているようだ。
しかし、ブログの価値は、ランキングやアクセス数では決まらないと思っている。
むしろ、そういうランキングに入ってこない人たちがひっそりと書いているブログの方に、とんでもない滋味を持った素晴らしいものが潜んでいる。
人のブログを読むことの愉楽は、どこからでもアクセスできる有名人ブログを読むのではなく、どこに潜んでいるか分からない “珠玉のブログ” を探り当てることだと思う。
自分の 「お気に入り」 にも、そういう隠れた名ブログのリストがだいぶ溜まった。
なかには、読むたびに、まるで真冬に冷たい水で顔を洗ったときのような、爽やかさと緊張感に震え上がってしまうブログがある。
文章がうまいというわけでもなく、扱うネタが新鮮というわけでもなく、その人が昔から好きだったもの、感心したもの、嫌な気分になったものなどを淡々と綴るブログなのに、同じようなことをテーマにした自分のブログが恥ずかしくなってしまうようなものがあるのだ。
ネタがかぶったりすると、一瞬、 「やられた!」 とか、思う。
だけど、いつもそのあとに、 「この人についていきたい」 と、思い直す。
やっぱり世の中には、すごいブログというものがけっこうある。
なまじっかのプロが書いたものよりも、迫力のあるものはいっぱいある。
そういうものに触れると、ホント、 「エリを正す」 という古風な言葉を思い浮かべて、背筋が真っ直ぐになってしまうことがある。
そういうのを一つ見つけると、宝物を探り当てた気分で、また 「お気に入り」 にコソっと加える。
なんとなく応援したくなってしまうブログというのもある。
もう2年以上フォローしているブログで、これもその人の日常を淡々と綴ったもの。
最初の頃はマンガが主体だったが、ほのぼのとした脱力系の絵のタッチが印象的で、欠かさず見ていた。
ところが途中から (ときどき写真が入るけど) 文章主体になった。
そうなってからの方が、逆にその人の持っている “味わい” みたいなものが出るようになった。ユーモアの裏側に、言葉の形を取ることのないヒリヒリするような孤独がにじんでいるのだ。
シャイな人らしく、コメントを出しても反応がにぶい。
だから、こっちもコメントの返信を期待せず、久しぶりに更新があったときなどは、 「待ってたよ~」 ぐらいの短文を入れる。
すると、 「ありがと~」 という短い返信がある。
もうこれだけで十分なのだ。
お互いに、何かが伝わっているという感触が得られるだけでうれしい。
なかには、ほとんど私しか見ていない (…というのはちょっと失礼な言い方かもしれないけれど) ブログというものがある。カウンターを見ると、1日の閲覧者が毎回ほぼ一人。きっと私だ。
そうとう前に一度だけ私のブログにコメントをくださった方で、そのとき入力されたURLをたどって訪問してからのファンになった。
子育てに力を入れているシングルマザーのブログだけど、子供を寝かせてから、テレビの前で一人酒を飲んでいるときの “ため息” が、なんとも切なく、さびしく、妙に何かを訴えかけてくる。
コメントは入れたことがないけれど、心の中で応援したくなるのだ。
まだまだ思いを寄せるブログ、応援したくなるブログというのはたくさんあるけれど、私がお気に入りにしているブログというのは、みなどこか共通した特色を持っている。
それは、 「言葉にならないもの」 への眼差しを持っていること。
つまり、言葉では表現できないような “未知なるもの” に触れていること。
そういう不透明感…というか、理屈の届かない “部分” を持った文章というのが自分は好きで、結局そういうブログを好んでしまう。
たとえば、シングルマザーのお母さんが、深夜までテレビを見ながら家飲みしつつ、テレビの内容を紹介してから、2行空けて、唐突に 「笑ったわ…」 と書く。
それはテレビの内容を笑ったのか、それとも、自分の境遇を自嘲したのか分からない。
どちらとも取れる。
だけど、前文との脈絡を欠いたまま突然くり出されたその言葉に、なんだか万感こもごもの感情が凝縮しているように思えるのだ。
物書きのプロが計算してつくり出した “間合い” とは異なる、人間の真実が生み出す 「濃い空白」 が感じられる。
で、私が気にしているブログの書き手たちは、 「言葉」 が成立する前の “空白の重さ” を大事にしている人たちだという気がしている。
「言葉」 という形をとっていなくても、抱えているものの密度が濃ければ、それは言葉と言葉の間に横たわる 「余白の力」 となって、こちらに伝わってくる。
密度の高いイメージを持っている人の文章の方が、洗練された言葉をいっぱい知っている人の文章よりも読者の胸を打つ。
人気ブロガーの書いたブログでも、ある時から急につまらなくなってくるものがある。
そういうとき、何が起こっているかというと、たいていの場合、人を説得する口調が多くなっている。
たぶん、イメージが枯渇してきて、書き手である自分自身を説得せざるを得なくなったからだろう。
……ま、自戒もこめて。
とにかく 「300万アクセス」 。
これまでお立ち寄りいただいた方々に、あらためて御礼申し上げます。
ページビュー (PV) とか、ユニークユーザーとかいろいろな分類方法があって、それによってカウントの仕方が変わるらしいのだが、不勉強なもので、詳しいことは分からない。
ただ、このブログサービスを運営しているホビダスの “アクセスログ” で、
「Total:3,000,000」
という数字が出たので、それを素直にここに書いた。
この数字が、多いのか、少ないのかよく分からない。
確かに、平均的なブロガーのアクセス数よりは多いのかもしれないけれど、このまえ、日本で 「最大規模」 を豪語するブログ検索エンジンで、自分のブログを調べてみたら、ランクインしているブログ内での順位が63,737位とのことだった。
6万位というのは、別に “順位” などと言えるようなものではないように思う。
世にいわれる 「アルファーブロガー」 なる人たちのアクセス数は、1日で1~2万。さらに3万件を超えるブログもあるらしい。前記のブログ検索エンジンでみると、そういう人たちのブログは100位以内に入っているようだ。
しかし、ブログの価値は、ランキングやアクセス数では決まらないと思っている。
むしろ、そういうランキングに入ってこない人たちがひっそりと書いているブログの方に、とんでもない滋味を持った素晴らしいものが潜んでいる。
人のブログを読むことの愉楽は、どこからでもアクセスできる有名人ブログを読むのではなく、どこに潜んでいるか分からない “珠玉のブログ” を探り当てることだと思う。
自分の 「お気に入り」 にも、そういう隠れた名ブログのリストがだいぶ溜まった。
なかには、読むたびに、まるで真冬に冷たい水で顔を洗ったときのような、爽やかさと緊張感に震え上がってしまうブログがある。
文章がうまいというわけでもなく、扱うネタが新鮮というわけでもなく、その人が昔から好きだったもの、感心したもの、嫌な気分になったものなどを淡々と綴るブログなのに、同じようなことをテーマにした自分のブログが恥ずかしくなってしまうようなものがあるのだ。
ネタがかぶったりすると、一瞬、 「やられた!」 とか、思う。
だけど、いつもそのあとに、 「この人についていきたい」 と、思い直す。
やっぱり世の中には、すごいブログというものがけっこうある。
なまじっかのプロが書いたものよりも、迫力のあるものはいっぱいある。
そういうものに触れると、ホント、 「エリを正す」 という古風な言葉を思い浮かべて、背筋が真っ直ぐになってしまうことがある。
そういうのを一つ見つけると、宝物を探り当てた気分で、また 「お気に入り」 にコソっと加える。
なんとなく応援したくなってしまうブログというのもある。
もう2年以上フォローしているブログで、これもその人の日常を淡々と綴ったもの。
最初の頃はマンガが主体だったが、ほのぼのとした脱力系の絵のタッチが印象的で、欠かさず見ていた。
ところが途中から (ときどき写真が入るけど) 文章主体になった。
そうなってからの方が、逆にその人の持っている “味わい” みたいなものが出るようになった。ユーモアの裏側に、言葉の形を取ることのないヒリヒリするような孤独がにじんでいるのだ。
シャイな人らしく、コメントを出しても反応がにぶい。
だから、こっちもコメントの返信を期待せず、久しぶりに更新があったときなどは、 「待ってたよ~」 ぐらいの短文を入れる。
すると、 「ありがと~」 という短い返信がある。
もうこれだけで十分なのだ。
お互いに、何かが伝わっているという感触が得られるだけでうれしい。
なかには、ほとんど私しか見ていない (…というのはちょっと失礼な言い方かもしれないけれど) ブログというものがある。カウンターを見ると、1日の閲覧者が毎回ほぼ一人。きっと私だ。
そうとう前に一度だけ私のブログにコメントをくださった方で、そのとき入力されたURLをたどって訪問してからのファンになった。
子育てに力を入れているシングルマザーのブログだけど、子供を寝かせてから、テレビの前で一人酒を飲んでいるときの “ため息” が、なんとも切なく、さびしく、妙に何かを訴えかけてくる。
コメントは入れたことがないけれど、心の中で応援したくなるのだ。
まだまだ思いを寄せるブログ、応援したくなるブログというのはたくさんあるけれど、私がお気に入りにしているブログというのは、みなどこか共通した特色を持っている。
それは、 「言葉にならないもの」 への眼差しを持っていること。
つまり、言葉では表現できないような “未知なるもの” に触れていること。
そういう不透明感…というか、理屈の届かない “部分” を持った文章というのが自分は好きで、結局そういうブログを好んでしまう。
たとえば、シングルマザーのお母さんが、深夜までテレビを見ながら家飲みしつつ、テレビの内容を紹介してから、2行空けて、唐突に 「笑ったわ…」 と書く。
それはテレビの内容を笑ったのか、それとも、自分の境遇を自嘲したのか分からない。
どちらとも取れる。
だけど、前文との脈絡を欠いたまま突然くり出されたその言葉に、なんだか万感こもごもの感情が凝縮しているように思えるのだ。
物書きのプロが計算してつくり出した “間合い” とは異なる、人間の真実が生み出す 「濃い空白」 が感じられる。
で、私が気にしているブログの書き手たちは、 「言葉」 が成立する前の “空白の重さ” を大事にしている人たちだという気がしている。
「言葉」 という形をとっていなくても、抱えているものの密度が濃ければ、それは言葉と言葉の間に横たわる 「余白の力」 となって、こちらに伝わってくる。
密度の高いイメージを持っている人の文章の方が、洗練された言葉をいっぱい知っている人の文章よりも読者の胸を打つ。
人気ブロガーの書いたブログでも、ある時から急につまらなくなってくるものがある。
そういうとき、何が起こっているかというと、たいていの場合、人を説得する口調が多くなっている。
たぶん、イメージが枯渇してきて、書き手である自分自身を説得せざるを得なくなったからだろう。
……ま、自戒もこめて。
とにかく 「300万アクセス」 。
これまでお立ち寄りいただいた方々に、あらためて御礼申し上げます。
2011年01月07日
不思議な青空
毎年この季節、私の住んでいる関東地方は、他の地域に住む人たちには申し訳ないような晴天に恵まれる。
だけど、それは “不思議な晴天” だ。
雲ひとつない青空がどこまでも続く。

私はそれを見ていて、まるで 「空」 という感じを持てないでいる。
空は、雲が浮かんでいてこそ、 「空」 だと思うからだ。
真夏の入道雲。
秋のうろこ雲とか、いわし雲。
そういう四季の風物詩ともいえる雲が空に浮かんでいるのを見て楽しんでいる私に、この季節の澄み切った青空は、どこか異様に思える。
端的にいうと、現実感と距離感がない。
まるで芝居の書き割りとして描かれた空のようにも感じられるし、 「そもそも空なんて最初からなかったんではないか?」 という気分にもさせられる。
もともと青空の 「青」 という色は、距離感を喪失させる色である。
自然のなかで、圧倒的に 「青」 に染め上げられた空間というのは、空か海かのどちらかでしかない。
ともに、あまりにも遠大な距離を感じさせる空間なので、逆に、実生活で感じられる人間の距離感を危うくさせる。
だから、わい雑な都会のなかで 「青」 を見ると、とてもみすぼらしく見える。
商店のエクステリアデザインなどで、幅の狭いストライプのように面積が限定された 「青」 ならば違和感はないけれど、ある程度のボリュームを持った 「青」 が街のなかに登場すると、とても貧相だ。
「零落した神がそこにいる」 という感じに思えてくる。
工事現場で使われるブルーシートがみすぼらしく見えるのは、そもそも空とか海といった無限大の彼方に存在するはずの 「青」 が、至近距離に現れているからだ。
あまりにも鮮明な青空というのは、どこか非現実的で、ちょっと夢のよう。
ほんのこの一時期だけの現象かもしれないけれど。
だけど、それは “不思議な晴天” だ。
雲ひとつない青空がどこまでも続く。

私はそれを見ていて、まるで 「空」 という感じを持てないでいる。
空は、雲が浮かんでいてこそ、 「空」 だと思うからだ。
真夏の入道雲。
秋のうろこ雲とか、いわし雲。
そういう四季の風物詩ともいえる雲が空に浮かんでいるのを見て楽しんでいる私に、この季節の澄み切った青空は、どこか異様に思える。
端的にいうと、現実感と距離感がない。
まるで芝居の書き割りとして描かれた空のようにも感じられるし、 「そもそも空なんて最初からなかったんではないか?」 という気分にもさせられる。
もともと青空の 「青」 という色は、距離感を喪失させる色である。
自然のなかで、圧倒的に 「青」 に染め上げられた空間というのは、空か海かのどちらかでしかない。
ともに、あまりにも遠大な距離を感じさせる空間なので、逆に、実生活で感じられる人間の距離感を危うくさせる。
だから、わい雑な都会のなかで 「青」 を見ると、とてもみすぼらしく見える。
商店のエクステリアデザインなどで、幅の狭いストライプのように面積が限定された 「青」 ならば違和感はないけれど、ある程度のボリュームを持った 「青」 が街のなかに登場すると、とても貧相だ。
「零落した神がそこにいる」 という感じに思えてくる。
工事現場で使われるブルーシートがみすぼらしく見えるのは、そもそも空とか海といった無限大の彼方に存在するはずの 「青」 が、至近距離に現れているからだ。
あまりにも鮮明な青空というのは、どこか非現実的で、ちょっと夢のよう。
ほんのこの一時期だけの現象かもしれないけれど。
2011年01月06日
TV・新聞の凋落
「新聞を読む人が減ってきた」
「テレビCMに出資するスポンサーが減ってきた」
「週刊誌の売上げが落ちてきた」
……というふうに、ここ10年ほど、既成のメディアの凋落ぶりを指摘する声をよく聞くようになった。
その理由を聞くと、ほとんどが、
「ネットに流通する情報の方が、既成のメディアの流す情報よりも、質・量とも優れてきたから」
という答が返ってくる。
どうやら、
新聞・TV (旧メディア) → 没落
ネット情報 (新メディア) → 隆盛
…という図式が、メディアを論じるときの “前提” になりつつあるようだ。
この元日の深夜に行われた 『朝まで生テレビ』 においても、テーマのひとつとして 「メディア論」 が採り上げられ、日本のマスメディアがいかに時代に取り残されているか、世界から孤立しているかということが論議された。
たとえば、政治ジャーナリストの上杉隆氏は、
「ウィキリークスのアサンジ氏逮捕を世界中のメディアが報じ、どこの国でも世界情勢がどう変わるかを真剣に見守っているときに、日本のテレビは、海老蔵報道だけを流していた」
と、既成メディアの低俗さを舌鋒鋭く糾弾した。
また、批評家の東浩紀氏は、
「この番組自体が遅れているということは、ここで議論しても始まらない。
それよりも、視聴者から発信されるツィッターの “つぶやき” をスクリーンで表示するだけでいい。
そうすれば、多くの人がこの番組自体をどう見ているかが、即座に分かる」
と、自分の意見をいうよりも、番組の構成自体に問題があると迫った。
つまり、最もラディカルな “テレビ批判” を挑発的に行なったわけである。

▲ 上杉隆氏 ▲ 東浩紀氏
この場合、彼らの 「既成メディア」 に対する不信感の表明には、二つの表情がある。
ひとつは 「既成メディアに関わっている人間」 に対して。
上杉氏も、東氏も、別にテレビや新聞というシステムそのものが時代遅れになったと言い切っているわけではない。
それを管理する企業の責任者たちの 「意識が古い」 ということを強調する。
要するに、今のマスメディアの中枢に居座っている人たちは、今の時代がどんなふうに変化しているのかもつかめず、古い価値観で世の中を見、結果として若い人たちや、問題意識の高い人たちのニーズを拾っていない。
にもかかわらず、古い意識の管理者たちが、画面や紙面に登場する人たちも選んでしまうから、若者の意見を汲み上げるような人物が出てきたためしがない。
そのように語る彼らの 「旧メディア弊害論」 は、かなりの部分、人間の問題であるように感じた。
一方、システムとしての問題もある。
現在のテレビや新聞は、 「情報の速報性」 「双方向性」 「ローコスト性」 「情報量の幾何級数的な広がり」 などにおいて、すでにネットのライバルではない。
そのため、テレビ・新聞は、ネットを使いこなせる世代から完全に見離されて老人だけのものとなり、その老人たちが亡くなるにしたがって、やがて地上から姿を消すという 「終末論的な光景」 を予言する人もいる。
そういうことは、番組を見ていてよく分かったんだけれど、しかしなぁ……と思った。
上杉氏も東氏も、そういう 「既成メディア」 への不信感を発表している場そのものが、すでに 「テレビ」 という既成メディアによって用意された椅子の上なのである。
彼らの発言で、議論全体はものすごく盛り上がったんだけれど、なんか矛盾してねぇ?
それって、昔流行った 「脱構築」 ってやつかい?
で、個人的に思うのだけど、たぶん、彼らがいうような、旧メディアの衰退はそう簡単には起こらない。マスコミはよく 「終わりの始まり」 という言葉を使いたがるけれど、テレビも新聞も、その 「終わり」 はまだとんでもなく遠いところにある。
その理由は、テレビも新聞もこれから淘汰が始まるから、本当にくだらないものはどんどん無くなっていくだろうが、世代を超えて見たくなるような良いコンテンツは必ず残ると思うからだ。
こういう時代になると、既成メディアにも危機感が生まれるはず。だから、視聴者が寄りつかなくなったものは切り捨てざるを得なくなる。
しかし、良いコンテンツはネットであろうが、新聞であろうが、テレビであろうが、誰かが必ず評価する。
テレビでちょっとユニークなキャラクターの面白い表現が発信されれば、それはすぐに you tube にアップされる。
またウィキリークスが、今回の米国の機密をネット上に公開しようと思ったとき、それをまず米タイムズや英ガーディアンといった新聞社に情報提供し、それを通じて 「事前宣伝」 したように、既成メディアと連携しながらネット情報の発信力を高めようとする人たちも、これからは増える。
結局は、やはりコンテンツ。
つまり 「内容」 だ。
メディアとして 「何を選ぶか」 ではなく、コンテンツとして 「何を配信するのか」 が、やはり最後はものをいう。
良いコンテンツというのは、世界を驚かせるような新しいアイデアとか、新しい思想である必要はない。
誰もがふと、 「あ! そういう考え方をすれば楽になるのか」 と思える程度の、小さな発見を与えるだけで十分なのだ。
良いコンテンツというのは、たいてい、その小さな 「発見」 を必ず含んでいる。
それだけで、人は、現実の苦労に立ち向かっていくことができたりする。
そして、それは手段としてのメディアを問わない。
結局ネットが、新聞・テレビを駆逐して、新しいメディアの主役の座につくということは、そんなにすぐには起こらない。
いまメディアの現場で進行しているのは、ネット、新聞、テレビを結んだ回路を配線し直す “組み換え作業” なのだと思う。
「テレビCMに出資するスポンサーが減ってきた」
「週刊誌の売上げが落ちてきた」
……というふうに、ここ10年ほど、既成のメディアの凋落ぶりを指摘する声をよく聞くようになった。
その理由を聞くと、ほとんどが、
「ネットに流通する情報の方が、既成のメディアの流す情報よりも、質・量とも優れてきたから」
という答が返ってくる。
どうやら、
新聞・TV (旧メディア) → 没落
ネット情報 (新メディア) → 隆盛
…という図式が、メディアを論じるときの “前提” になりつつあるようだ。
この元日の深夜に行われた 『朝まで生テレビ』 においても、テーマのひとつとして 「メディア論」 が採り上げられ、日本のマスメディアがいかに時代に取り残されているか、世界から孤立しているかということが論議された。
たとえば、政治ジャーナリストの上杉隆氏は、
「ウィキリークスのアサンジ氏逮捕を世界中のメディアが報じ、どこの国でも世界情勢がどう変わるかを真剣に見守っているときに、日本のテレビは、海老蔵報道だけを流していた」
と、既成メディアの低俗さを舌鋒鋭く糾弾した。
また、批評家の東浩紀氏は、
「この番組自体が遅れているということは、ここで議論しても始まらない。
それよりも、視聴者から発信されるツィッターの “つぶやき” をスクリーンで表示するだけでいい。
そうすれば、多くの人がこの番組自体をどう見ているかが、即座に分かる」
と、自分の意見をいうよりも、番組の構成自体に問題があると迫った。
つまり、最もラディカルな “テレビ批判” を挑発的に行なったわけである。
▲ 上杉隆氏 ▲ 東浩紀氏
この場合、彼らの 「既成メディア」 に対する不信感の表明には、二つの表情がある。
ひとつは 「既成メディアに関わっている人間」 に対して。
上杉氏も、東氏も、別にテレビや新聞というシステムそのものが時代遅れになったと言い切っているわけではない。
それを管理する企業の責任者たちの 「意識が古い」 ということを強調する。
要するに、今のマスメディアの中枢に居座っている人たちは、今の時代がどんなふうに変化しているのかもつかめず、古い価値観で世の中を見、結果として若い人たちや、問題意識の高い人たちのニーズを拾っていない。
にもかかわらず、古い意識の管理者たちが、画面や紙面に登場する人たちも選んでしまうから、若者の意見を汲み上げるような人物が出てきたためしがない。
そのように語る彼らの 「旧メディア弊害論」 は、かなりの部分、人間の問題であるように感じた。
一方、システムとしての問題もある。
現在のテレビや新聞は、 「情報の速報性」 「双方向性」 「ローコスト性」 「情報量の幾何級数的な広がり」 などにおいて、すでにネットのライバルではない。
そのため、テレビ・新聞は、ネットを使いこなせる世代から完全に見離されて老人だけのものとなり、その老人たちが亡くなるにしたがって、やがて地上から姿を消すという 「終末論的な光景」 を予言する人もいる。
そういうことは、番組を見ていてよく分かったんだけれど、しかしなぁ……と思った。
上杉氏も東氏も、そういう 「既成メディア」 への不信感を発表している場そのものが、すでに 「テレビ」 という既成メディアによって用意された椅子の上なのである。
彼らの発言で、議論全体はものすごく盛り上がったんだけれど、なんか矛盾してねぇ?
それって、昔流行った 「脱構築」 ってやつかい?
で、個人的に思うのだけど、たぶん、彼らがいうような、旧メディアの衰退はそう簡単には起こらない。マスコミはよく 「終わりの始まり」 という言葉を使いたがるけれど、テレビも新聞も、その 「終わり」 はまだとんでもなく遠いところにある。
その理由は、テレビも新聞もこれから淘汰が始まるから、本当にくだらないものはどんどん無くなっていくだろうが、世代を超えて見たくなるような良いコンテンツは必ず残ると思うからだ。
こういう時代になると、既成メディアにも危機感が生まれるはず。だから、視聴者が寄りつかなくなったものは切り捨てざるを得なくなる。
しかし、良いコンテンツはネットであろうが、新聞であろうが、テレビであろうが、誰かが必ず評価する。
テレビでちょっとユニークなキャラクターの面白い表現が発信されれば、それはすぐに you tube にアップされる。
またウィキリークスが、今回の米国の機密をネット上に公開しようと思ったとき、それをまず米タイムズや英ガーディアンといった新聞社に情報提供し、それを通じて 「事前宣伝」 したように、既成メディアと連携しながらネット情報の発信力を高めようとする人たちも、これからは増える。
結局は、やはりコンテンツ。
つまり 「内容」 だ。
メディアとして 「何を選ぶか」 ではなく、コンテンツとして 「何を配信するのか」 が、やはり最後はものをいう。
良いコンテンツというのは、世界を驚かせるような新しいアイデアとか、新しい思想である必要はない。
誰もがふと、 「あ! そういう考え方をすれば楽になるのか」 と思える程度の、小さな発見を与えるだけで十分なのだ。
良いコンテンツというのは、たいてい、その小さな 「発見」 を必ず含んでいる。
それだけで、人は、現実の苦労に立ち向かっていくことができたりする。
そして、それは手段としてのメディアを問わない。
結局ネットが、新聞・テレビを駆逐して、新しいメディアの主役の座につくということは、そんなにすぐには起こらない。
いまメディアの現場で進行しているのは、ネット、新聞、テレビを結んだ回路を配線し直す “組み換え作業” なのだと思う。
2011年01月05日
中国ルネッサンス
「中国に勝つ」
というのが、ここのところ、日本の経済誌の大きなテーマになっているようだ。
政治的には、去年の尖閣問題などがくすぶっているため、日本と中国の関係は良くない。
軍事大国の道をひたすら歩みつつある中国が、資源獲得と領土拡張の野心に燃え、その野望をあからさまに示しつつある現在、東アジアには新しい種類の脅威が生まれつつある。
しかし、中国経済の成長と歩調を合わせなければ日本の経済の発展も考えられなくなった現在、日本企業の多くは 「政治」 と 「経済」 を切り離して、フレンドリーなパートナーシップを維持するのにやっきだ。
だから、経済誌などが特集する 「中国に勝つ」 という企画には、両国の企業間同士の連携や競争を前提に、いかにして日本製品の商品力や日本テクノロジーの優位性を保つか、ということをテーマにしたものが多い。
このように 「政治」 と 「経済」 の2分野に関しては、 “ねじれ現象” を生み出しつつも、それに対する多くの言論が機能しているから、人々の関心も高い。
しかし、見過ごすことのできないものが一つある。
「文化」 だ。
現在、歴史的な伝統文化を除けば、あらゆる領域で、日本の文化性が中国を圧倒している。
高い工業技術力を背景にした 「物づくり文化」 、アニメ、ファッション、ゲームなどの 「エンターティメント文化」 、きめ細やかなサービスを売り物にする 「ホスピタリティ文化」 ……。
そうとう追い上げられてきたとはいえ、まだまだこれらの文化領域においては、しばらく日本の優位性は揺るがないだろう。
しかし、中国には、今後 「ルネッサンス」 の可能性があるが、日本にはないということをしっかり認識しておく必要はあるかもしれない。
ヨーロッパ中世を終わらせたイタリア人たちの 「ルネッサンス」 は、まさに今の中国人のようなメンタリティから生まれてきたのだから。
ルネッサンスというと、日本では 「文芸復興」 という典雅な訳語を与えられているため、それを実現した当時のイタリアでは、上品で知的な文化が華開いたように想像されがちだが、その内実においては、人々が 「我欲」 を貫き、現世的な利益を追求するために詐欺、裏切りも辞さない強欲主義がまかり通る社会が生まれていた。
当時のイタリアにそのような社会が実現したのは、それまで 「秩序と調和」 という美名のもとに世の変動を抑えようとした中世キリスト教的な締め付けがイタリアでは緩んだからである。
ローマにはカトリックの総本山である法王庁があったが、その法王自身が、世俗的な欲望の実現にためらいを持たないような時代が訪れたのだ。
理由は十字軍にある。
当時、中東遠征に向かうヨーロッパ各国の十字軍兵士たちはみなイタリアに集まり、イタリア海岸部の諸都市が所有する船舶を使って、イスラム領に向かった。
そのため、イタリア諸都市では海運業が盛んになり、中東貿易のネットワークが整備され、交易品をつくるための工業技術が発達し、他のヨーロッパ世界に先駆けて市場経済が隆盛を極めることになった。
しかし、数百年にわたって、閉鎖的なキリスト教的秩序のもとに意識形成された人々の頭では、市場経済の 「流れ」 は理解できても、市場経済の 「モラル」 を確立するまでには至らなかった。
役人たちへのワイロも横行するようになる。
要人の暗殺も日常茶飯事。
無能な人間は、山奥に遺棄されるように見捨てられる。
生きる力のない者はそれだけで軽蔑され、富と力が称賛される。
ルネッサンス文化というのは、健康で、調和的で、清く、美しく…というイメージとは裏腹に、徹頭徹尾 「人間の欲」 がナマの形を取って吹き出したところから生まれたものといっていい。
そういうルネッサンス期のイタリアと現代中国が似ているなどというと、即座に 「中国人を侮蔑している」 という非難が殺到しそうだけど、そういうことをここで言いたいのではない。
イタリア・ルネッサンスは、 「人間の我欲」 をまず素直に肯定することによって、人々の経済的な活力を引き出し、個人の購買力を高めることによって、流通する商品の洗練度を増すことに成功した。
その “豊かな富” を背景に、本当の意味での 「ルネッサンス」 といわれる多彩な文化遺産がその後に形成されたわけだ。

▲ イタリア・ルネッサンスを象徴するボッティチェリの 『ヴィーナスの誕生』
現代中国も、ちょうどそのような過程にある。
どちらにも共通点がある。
まず、社会を律していた “イデオロギー” から突然自由になったこと。
ルネッサンス期のイタリアは、中世のキリスト教的な呪縛から。
そして、現代中国は、共産主義の閉塞性から。
このように、個人の我欲をコントロールしていた社会的イデオロギーの重石が外されると、人の心は一気に我欲の解放に向かう。
現代中国の躍進を支えているのは、この上昇志向をストレートに肯定する人々の欲望である。
食べることの欲。
着ることの欲。
飾ることへの欲。
便利さを追求することへの欲。
そのような上昇志向を秘めた個々人の欲望は、国を支える大きな活力ともなる。
太平洋戦争が終わった時、疲弊した日本を支えた活力も、そのようなものであったはずだ。
当然、そのような生々しい欲望は、洗練された消費文化を実現した国の人々から見ると、 “おぞましい” 。
聞くと、日本を訪れる中国人観光客が増えるに従って、買い物の現場でトラブルが起こるようになったという。
「行列を守らない」
「平気で割り込む」
「商品の封を破って中身を吟味してから買う・買わないを決め、買わない商品は封を破ったまま放置する」
消費の冷え込んだ日本のマーケットで、大量に物品を買い付けてくれる中国人観光客はありがたい存在だが、その数が増えるに従い、そういった中国人観光客の買い物のマナーの悪さを指摘する声も多くなった。
商品経済の発展があまりも早いと、そこに組み込まれる消費者の意識が追いつかない場合がある。
消費の現場におけるルールやマナーの確立は、どんな社会においても、常に一歩遅れる。
しかし、中国人観光客に買い物のルールやマナーを守ってもらうためには、日中の商習慣の違いを徹底的に広報して、理解してもらえばいいだけの話。
そしてそれは、そんなに大きな問題ではない。
それよりも脅威なのは、 「14世紀」 のヨーロッパがルネッサンスを実現したイタリアの時代であったように、 「21世紀」 のアジアは、中国ルネッサンスを実現した中国の時代となって、日本などの周辺文化は一気に色あせてしまうかもしれないということだ。
中国に、文化的ルネッサンスは来るのか?
来る。
確実にそれはいえる。
ルネサンスが生まれるための絶対的な法則というものがあるからだ。
まず、ルネッサンスとは、 「復興」 であるということに注目しなければならない。
つまり、 “栄光ある過去” を持っているから、その 「復興」 が可能となるということなのだ。
ルネッサンス期のイタリアも現代中国も、ともに 「世界帝国」 を経験している。
イタリアには、古代ローマがあった。
中国には、秦、漢、唐、宋、元、明、清とつながる覇権国家の歴史がある。
かつて世界帝国を実現した国というのは、その 「かつての栄光」 がいざというときに民心を支える強力はバックボーンとなる。それは、よい意味での 「プライド」 を、悪い意味での 「覇権意識」 を国民に植え付ける。
経済協力という範囲では、日本と中国はこれからも友好的なパートナーシップを築いていけるだろう。
しかし、 「中国ルネッサンス」 が台頭してくると、その中国文化の威信と華麗さがアジアを席巻し、どこの国からも、日本文化は中国文化の下位概念として扱われてしまうかもしれない。
それを乗り越えるためには、人間の 「我欲」 が 「文化」 を形成してきたというイタリア・ルネッサンス以来のアメリカと現代中国が形成してきた 「文化概念」 をどう打ち破るかが、カギとなる。
つまり、 「強者が幸せを勝ち取る文化」 から、 「強者でなくても幸せが得られる文化」 へ。
たぶん、経済力や技術力だけの 「勝ち」 のみを意識していると、そのためのアイデアは生まれないように感じる。
というのが、ここのところ、日本の経済誌の大きなテーマになっているようだ。
政治的には、去年の尖閣問題などがくすぶっているため、日本と中国の関係は良くない。
軍事大国の道をひたすら歩みつつある中国が、資源獲得と領土拡張の野心に燃え、その野望をあからさまに示しつつある現在、東アジアには新しい種類の脅威が生まれつつある。
しかし、中国経済の成長と歩調を合わせなければ日本の経済の発展も考えられなくなった現在、日本企業の多くは 「政治」 と 「経済」 を切り離して、フレンドリーなパートナーシップを維持するのにやっきだ。
だから、経済誌などが特集する 「中国に勝つ」 という企画には、両国の企業間同士の連携や競争を前提に、いかにして日本製品の商品力や日本テクノロジーの優位性を保つか、ということをテーマにしたものが多い。
このように 「政治」 と 「経済」 の2分野に関しては、 “ねじれ現象” を生み出しつつも、それに対する多くの言論が機能しているから、人々の関心も高い。
しかし、見過ごすことのできないものが一つある。
「文化」 だ。
現在、歴史的な伝統文化を除けば、あらゆる領域で、日本の文化性が中国を圧倒している。
高い工業技術力を背景にした 「物づくり文化」 、アニメ、ファッション、ゲームなどの 「エンターティメント文化」 、きめ細やかなサービスを売り物にする 「ホスピタリティ文化」 ……。
そうとう追い上げられてきたとはいえ、まだまだこれらの文化領域においては、しばらく日本の優位性は揺るがないだろう。
しかし、中国には、今後 「ルネッサンス」 の可能性があるが、日本にはないということをしっかり認識しておく必要はあるかもしれない。
ヨーロッパ中世を終わらせたイタリア人たちの 「ルネッサンス」 は、まさに今の中国人のようなメンタリティから生まれてきたのだから。
ルネッサンスというと、日本では 「文芸復興」 という典雅な訳語を与えられているため、それを実現した当時のイタリアでは、上品で知的な文化が華開いたように想像されがちだが、その内実においては、人々が 「我欲」 を貫き、現世的な利益を追求するために詐欺、裏切りも辞さない強欲主義がまかり通る社会が生まれていた。
当時のイタリアにそのような社会が実現したのは、それまで 「秩序と調和」 という美名のもとに世の変動を抑えようとした中世キリスト教的な締め付けがイタリアでは緩んだからである。
ローマにはカトリックの総本山である法王庁があったが、その法王自身が、世俗的な欲望の実現にためらいを持たないような時代が訪れたのだ。
理由は十字軍にある。
当時、中東遠征に向かうヨーロッパ各国の十字軍兵士たちはみなイタリアに集まり、イタリア海岸部の諸都市が所有する船舶を使って、イスラム領に向かった。
そのため、イタリア諸都市では海運業が盛んになり、中東貿易のネットワークが整備され、交易品をつくるための工業技術が発達し、他のヨーロッパ世界に先駆けて市場経済が隆盛を極めることになった。
しかし、数百年にわたって、閉鎖的なキリスト教的秩序のもとに意識形成された人々の頭では、市場経済の 「流れ」 は理解できても、市場経済の 「モラル」 を確立するまでには至らなかった。
役人たちへのワイロも横行するようになる。
要人の暗殺も日常茶飯事。
無能な人間は、山奥に遺棄されるように見捨てられる。
生きる力のない者はそれだけで軽蔑され、富と力が称賛される。
ルネッサンス文化というのは、健康で、調和的で、清く、美しく…というイメージとは裏腹に、徹頭徹尾 「人間の欲」 がナマの形を取って吹き出したところから生まれたものといっていい。
そういうルネッサンス期のイタリアと現代中国が似ているなどというと、即座に 「中国人を侮蔑している」 という非難が殺到しそうだけど、そういうことをここで言いたいのではない。
イタリア・ルネッサンスは、 「人間の我欲」 をまず素直に肯定することによって、人々の経済的な活力を引き出し、個人の購買力を高めることによって、流通する商品の洗練度を増すことに成功した。
その “豊かな富” を背景に、本当の意味での 「ルネッサンス」 といわれる多彩な文化遺産がその後に形成されたわけだ。

▲ イタリア・ルネッサンスを象徴するボッティチェリの 『ヴィーナスの誕生』
現代中国も、ちょうどそのような過程にある。
どちらにも共通点がある。
まず、社会を律していた “イデオロギー” から突然自由になったこと。
ルネッサンス期のイタリアは、中世のキリスト教的な呪縛から。
そして、現代中国は、共産主義の閉塞性から。
このように、個人の我欲をコントロールしていた社会的イデオロギーの重石が外されると、人の心は一気に我欲の解放に向かう。
現代中国の躍進を支えているのは、この上昇志向をストレートに肯定する人々の欲望である。
食べることの欲。
着ることの欲。
飾ることへの欲。
便利さを追求することへの欲。
そのような上昇志向を秘めた個々人の欲望は、国を支える大きな活力ともなる。
太平洋戦争が終わった時、疲弊した日本を支えた活力も、そのようなものであったはずだ。
当然、そのような生々しい欲望は、洗練された消費文化を実現した国の人々から見ると、 “おぞましい” 。
聞くと、日本を訪れる中国人観光客が増えるに従って、買い物の現場でトラブルが起こるようになったという。
「行列を守らない」
「平気で割り込む」
「商品の封を破って中身を吟味してから買う・買わないを決め、買わない商品は封を破ったまま放置する」
消費の冷え込んだ日本のマーケットで、大量に物品を買い付けてくれる中国人観光客はありがたい存在だが、その数が増えるに従い、そういった中国人観光客の買い物のマナーの悪さを指摘する声も多くなった。
商品経済の発展があまりも早いと、そこに組み込まれる消費者の意識が追いつかない場合がある。
消費の現場におけるルールやマナーの確立は、どんな社会においても、常に一歩遅れる。
しかし、中国人観光客に買い物のルールやマナーを守ってもらうためには、日中の商習慣の違いを徹底的に広報して、理解してもらえばいいだけの話。
そしてそれは、そんなに大きな問題ではない。
それよりも脅威なのは、 「14世紀」 のヨーロッパがルネッサンスを実現したイタリアの時代であったように、 「21世紀」 のアジアは、中国ルネッサンスを実現した中国の時代となって、日本などの周辺文化は一気に色あせてしまうかもしれないということだ。
中国に、文化的ルネッサンスは来るのか?
来る。
確実にそれはいえる。
ルネサンスが生まれるための絶対的な法則というものがあるからだ。
まず、ルネッサンスとは、 「復興」 であるということに注目しなければならない。
つまり、 “栄光ある過去” を持っているから、その 「復興」 が可能となるということなのだ。
ルネッサンス期のイタリアも現代中国も、ともに 「世界帝国」 を経験している。
イタリアには、古代ローマがあった。
中国には、秦、漢、唐、宋、元、明、清とつながる覇権国家の歴史がある。
かつて世界帝国を実現した国というのは、その 「かつての栄光」 がいざというときに民心を支える強力はバックボーンとなる。それは、よい意味での 「プライド」 を、悪い意味での 「覇権意識」 を国民に植え付ける。
経済協力という範囲では、日本と中国はこれからも友好的なパートナーシップを築いていけるだろう。
しかし、 「中国ルネッサンス」 が台頭してくると、その中国文化の威信と華麗さがアジアを席巻し、どこの国からも、日本文化は中国文化の下位概念として扱われてしまうかもしれない。
それを乗り越えるためには、人間の 「我欲」 が 「文化」 を形成してきたというイタリア・ルネッサンス以来のアメリカと現代中国が形成してきた 「文化概念」 をどう打ち破るかが、カギとなる。
つまり、 「強者が幸せを勝ち取る文化」 から、 「強者でなくても幸せが得られる文化」 へ。
たぶん、経済力や技術力だけの 「勝ち」 のみを意識していると、そのためのアイデアは生まれないように感じる。
2011年01月04日
ベルイマン・沈黙
正月の “お気楽テレビ番組” にも飽きて、買いだめていたDVDをパソコンに読み込んで観ていた。
そのなかの一つ、スウェーデンのイングマール・ベルイマン監督が撮った 『沈黙』 (The Silence)に接して、驚いた。
今から40年ほど前に作られた作品なのに、最近の映画にない 「難解さ」 があって、それがすごく新鮮だった。
「分かりやすいこと」 を一義的に追求してきた最近のドラマにはない、ある種の “生々しさ” といったらいいのだろうか。
「監督が用意できるのはここまで。後は勝手に考えてくれ」 という “素っ気なさ” といえばいいのだろうか。
その 「優しくない」 ところが、この映画の美しさにつながっている。
日本で公開されたのは1964年。
この時代には、まだこのように、ひたすら神経を研ぎ澄ませて映像の可能性を追求していた監督がいたのだ。
▼ 『沈黙』 が日本公開されたとき、ポスターに採用されたカット

Wikiを引用すると、次のような映画ということになる。
「翻訳家で独身の姉とその妹、妹の幼い息子の3人が列車の旅の途上にある。
病気を抱える姉の体調を考慮して、一行は途中下車し、見知らぬ土地のホテルに逗留することになる。
冷戦下の共産圏を思わせるその地では、言葉も充分に通じない。
ホテルで過ごす時間の中で、姉妹がずっと触れることを避けてきた葛藤が、次第にあらわになっていく。
閉ざされた空間、限られた登場人物、削ぎ落とされたセリフによって、ドラマは進行。
カフカ的ともフロイト的とも称される思わせぶりな象徴表現も含めて、難解な作品との評がつきまとう。
ポルノグラフィ以外で、初めて女性のオナニーを映像化した作品としても知られる。日本初公開時には成人映画に指定された」
一部表現を変えたが、この映画を適切に紹介した文だと思う。
しかし、このような筋立てが、最初から分かりやすく観客に提示されるわけではない。
「削ぎ落とされたセリフ」 …と表現されるとおり、上記のようなあらすじを観客が理解するためには、かなりの推理力と想像力が要求される。
▼ 常に妹に干渉しようとする姉のエステル (イングリッド・テューリン 左) 。姉に反発して敵意を燃やす妹のアンナ (ヨルゲン・リンドストレム 右) 。二人の心理的格闘を軸にストーリーが進行していく。
観て感じたことは、ヨーロッパの 「光」 の無慈悲さと、 「闇」 の深さだった。
実際に、光と影のコントラストを強調したモノクロ映像は対象の明暗をはっきりと際立たせる。
しかし、そこで描き分けられる 「光と闇」 は、文字どおり人間の 「弱さ」 を光のなかに浮かび上がらせ、人間の 「酷薄さ」 を闇のなかで開花させる。
その光と影が拮抗する世界で、西欧の人間たちが、何を見て、何を悩み、何を求めているのか。
そんなことが、観客の意識の底まで碇 (いかり) のように沈み込んでくる映画なのだ。
▼ 二人の女と少年は、言葉も通じない見知らぬ街のホテルに泊まる

公開当時 「難解」 という言葉がよくレビューに使われたが、こうして改めて観てみると、決して難解ではない。
ある意味、分かりやすい。
これは、キリスト教が個人の精神世界を侵食した風土に生きる人たちの葛藤のドラマである。
その一言で、たぶんこの映画が抱え込んだテーマはすべて解説できる。
主な登場人物は、3人だが、その3人にすべて “役割” が振られている。
翻訳家でインテリの姉は、象徴的な表現を使えば、 「キリスト教の教義」 に殉じようとする “司祭” である。
彼女の心を支えているのは、知性であり、倫理であり、愛である。

その姉の干渉を嫌い、自由奔放に性欲を満たそうとする妹は、 “悪魔の誘惑” に負けた愚衆である。
妹が背負わされた役割は、神に救われるべき “哀れな” 人間である。
そう書いてしまうと、キリスト教の教義を図式化した作品のように思われるだろうが、ところがドッコイ、映画はそっちの方向には収斂していかない。
「愛」 を説き、 「知性」 と 「倫理」 を他者に強要する姉のエステルは、一方では、不安定な状態にさらされている自分を紛らわすかのように、酒とタバコに溺れ、人の見ていないところでオナニーに耽る。
彼女は、見知らぬ男と奔放にセックスを楽しむ 「妹」 のことを軽蔑し、嫉妬しながらも、独りで死んでいくことの怖さに耐えられず、心身ともに 「妹」 に依存することで生きながらえようとする。
それを知りながら、妹のアンナは、病に苦しむ姉をホテルに置き去りにして、アバンチュールを求めて街をさすらい、カフェのウェイターを誘惑してセックスを享受する。
しかし、そのアンナもまた、ひりひりするような孤独地獄にさいなまされている。

彼女にとっての 「姉」 は、うわべだけの倫理と言葉だけの愛を訴える偽善者であり、自分の精神の均衡を保つためには平気で他者を抑圧するエゴイストでしかないのだが、妹のアンナには、その 「姉」 のように自分を支えるものがない。
「知性」 と 「倫理」 を失ったアンナの物憂く、けだるい寂しさは、情事のさなかにおいても、紛らわすことができない。
▼ 病の苦しさをホテルのマネージャーに訴える姉

▼ アバンチュールを求めて街をさすらう妹

姉と妹は、ともに人間が背負う受苦をたっぷり味わいながら、救われるすべを見失っていることでは同じ境遇にいる。
はたして、この “哀れな二人” を神は救うことができるのか。
救えない。
…というか、神は沈黙を保ったままである。
それがこの映画のテーマだ。
だから、公開当時、この映画は 「神の沈黙」 を語る作品だとよく言われた。
たぶん、キリスト教文化圏に生きる観客は、ストレートにそう解釈するのだろう。
しかし、私のような非キリスト教文化圏に生きる人間は、そういう図式的な解釈に収まりきれない部分に注目してしまう。
「神」 という言葉は、日本人にはどこか遠い響きがある。
「神」 という言語をどう受け止めればいいのか、普通に生きている日本人には、その言葉を “格納” する場所が 「知性」 の中にも、 「感性」 の中にもない。
ただ、この映画で問われる 「神」 が、 「人間の思考と感覚では理解できない世界」 を意味しているということぐらいは分かる。
長い歴史過程を通じて 「神」 と向き合ってきたヨーロッパ人においても、神を思うことは (その存在を信じるにせよ、それを否定するにせよ) 、それは 「人間の思考と感覚では理解できない世界に触れる契機」 であったはずだ。
もちろん、 「この世には人間に理解できない世界がある」 という思いは、どんな民族にもある。
それは “宗教” が生まれる前の感覚として、どんな民族も経験的に持っているはずのものだ。
しかし、キリスト教の神だけは、人間の 「理解」 を最初から拒絶した 「沈黙の神」 として、人の前に立ち現れる。
それを信じるも信じないも、すべて人間側に与えられた課題であり、肯定するも否定するも、人間が背負わなければならない課題だ。
つまり、それは 「答のない問い」 なのだ。
私は、そのことを重要と考える。
「答のない問い」 に直面するとき、人は 「畏れ(おそれ)」 を持つ。
それは 「神」 への “畏れ” というものとは少し違う。
むしろ 「人の始原を問うことへの畏れ」 、 「自分が存在することの不思議さに対する畏れ」 ともいうべきもので、いわば 「生きることの不安」 にストレートにつながる感覚だ。
そこで、この映画に登場する3番目の登場人物が大きくクローズアップされてくる。
妹アンナの子供として登場してくる少年だ。
▼ 少年の目が “子供の目” でないことが強く印象に残る

女二人が感じる 「人間の受苦」 を、この少年は 「言葉」 として理解できない。
彼にとって、姉と妹 (叔母と母) が葛藤を繰り広げる背景などを理解する力はない。
しかし、彼はすべてを見る。

「散歩に出る」 とウソをついて、街で出会った男をホテルに引きずり込み、廊下でキスをするシーンもすべて目撃してしまう。
彼には、母が見知らぬ男とキスを交わすことの意味が理解できなくても、 「自分が母に捨てられた子供である」 という寂しさだけは、しっかり感じ取れる。
そして、優しい言葉で 「生きることの楽しさ」 を説く叔母の心の中に広がる空洞も、直感的に見抜く。
映画を観ていると、この少年こそ、 「沈黙を守る神」 ではないかと思えるときがある。
彼は、人間の葛藤を理解する力も持たず、人を助ける力も持たない弱々しい少年に過ぎない。
だからこそ、 「見る」 ことにおいては、非情である。
容赦仮借なく人を見る。
だが、見たものに 「意味 (解釈) 」 を与える力はない。
もしかしたら、それが 「キリストの視線」 というものではないのだろうか。
▼ 少年は、ただ 「見る者」 として存在する

映画は、姉が少年に渡した短いメモ書きの言葉を、少年が復唱するところで終わる。
それは、3人が途中下車して泊まった異国の言葉を教えるメモである。
言葉の音は 「シジュク」 。宿泊した異国の地で、 「精神」 を意味する言葉だという。
「精神」 という言葉を少年に託した姉の意図は分からない。
だが、その言語には、観客を震え上がらせる響きがある。
そこに、 「人間には触れ得ない世界」 が暗示されているからだ。
最後に唐突に出てくる 「精神」 という言葉には、 「畏れを知る心」 というイメージが託されているように思えるのだ。
では、 「人間には触れ得ない世界」 とは何か?
何を隠そう、それはこの私たちが生きている 「現実世界」 にほかならない。
「現実」 とは、 「理屈」 とか 「理論」 といった思弁的な世界とは無縁の、ただザラザラした手触りだけが生々しく横たわる世界といっていい。
人は、 「現実」 を探ることはできない。
私たちが理解できる 「現実」 とは、すでに整理された 「過去」 か、 「予想」 の範囲を逸脱することのない 「未来」 のどちらかでしかなく、現在起こっている 「現実」 に対しては、人は常に 「知る」 ことから取り残されるようになっている。
人の目の前で生起する現実は、常にカオス (混沌) にすぎないからだ。
それは 「手触り」 としてしか感じることしかできないものなのだ。
この圧倒的な 「現実」 の手触りだけが、ベルイマンの世界を支えている。
映画に登場する少年は、この 「現実の手触り」 を観客に伝えるために設定された人間であるかもしれない。

異国のホテルで、退屈な時間を持てあましている少年は、おもちゃのピストルを片手に、ホテル内の探索を始める。
そして、迷宮のようなホテルの廊下をさまよいながら、次々と不思議な光景に接する。

そこで見るすべての光景は、少年にとってカオスである。
彼には、言葉の通じない旅人に親切にふるまうホテルのマネージャーですら、得体のしれない “不思議の国” の住人にすぎない。

独りで粗末な食事をとるマネージャーの姿を見て、大人だったら、彼の抱える 「やるせない孤独」 を感じ取ることだろう。しかし、少年の目に映るマネージャーの姿は、何かのまじないに興じる呪術師であったかもしれない。

彼は、同じホテルに投宿している 「小人の旅芸人の一座」 の部屋に紛れ込むのだが、そこでは、この世の者とは異なる人々が住む異世界が口を開けている。
だが、それはメルヘンでもファンタジーでもなく、少年にとっては、カオスに満ちあふれた 「現実」 そのものの姿だ。
「この世のどこかに、人間に知りえぬ世界が口を開けている」
そのような恐ろしさを象徴的に描いたのが、夜の街に突然現れる戦車のシーンだ。

人が寝静まった深夜。
ゆくえをくらました妹の影を探すように、姉がホテルの部屋から無人の街路を見下ろしていると、突然、1台の戦車がゆっくりと現れ、静かなうなりをとどろかせながら窓の下を去っていく。

冷戦下の東ヨーロッパ諸国においては、夜のパトロールに軍隊の戦車が使われたのは珍しくないと聞くが、この悪夢のような戦車の登場は、観客の心に拭いきれない 「不安」 を刻印する。

その 「不安」 こそ、 「人間が知りえぬ世界」 を見た者だけが味わう根源的な不安にほかならない。
だが、(繰り返しになるが) 「知りえぬ世界」 は、パワースポットのような “神域” にあるのではない。
日常的に去来する現実世界にこそ、 「知りえぬ世界」 が横たわっている。
そのことを、少年の目を通して描いたのが、ほかならぬこの映画。

この映画が難解なのは、 「象徴的」 だからでもなく、 「芸術的」 だからでもなく、 「精神分析的」 だからでもなく、まさに 「現実」 を描いたからだ。
関連記事 「第七の封印」
そのなかの一つ、スウェーデンのイングマール・ベルイマン監督が撮った 『沈黙』 (The Silence)に接して、驚いた。
今から40年ほど前に作られた作品なのに、最近の映画にない 「難解さ」 があって、それがすごく新鮮だった。
「分かりやすいこと」 を一義的に追求してきた最近のドラマにはない、ある種の “生々しさ” といったらいいのだろうか。
「監督が用意できるのはここまで。後は勝手に考えてくれ」 という “素っ気なさ” といえばいいのだろうか。
その 「優しくない」 ところが、この映画の美しさにつながっている。
日本で公開されたのは1964年。
この時代には、まだこのように、ひたすら神経を研ぎ澄ませて映像の可能性を追求していた監督がいたのだ。
▼ 『沈黙』 が日本公開されたとき、ポスターに採用されたカット
Wikiを引用すると、次のような映画ということになる。
「翻訳家で独身の姉とその妹、妹の幼い息子の3人が列車の旅の途上にある。
病気を抱える姉の体調を考慮して、一行は途中下車し、見知らぬ土地のホテルに逗留することになる。
冷戦下の共産圏を思わせるその地では、言葉も充分に通じない。
ホテルで過ごす時間の中で、姉妹がずっと触れることを避けてきた葛藤が、次第にあらわになっていく。
閉ざされた空間、限られた登場人物、削ぎ落とされたセリフによって、ドラマは進行。
カフカ的ともフロイト的とも称される思わせぶりな象徴表現も含めて、難解な作品との評がつきまとう。
ポルノグラフィ以外で、初めて女性のオナニーを映像化した作品としても知られる。日本初公開時には成人映画に指定された」
一部表現を変えたが、この映画を適切に紹介した文だと思う。
しかし、このような筋立てが、最初から分かりやすく観客に提示されるわけではない。
「削ぎ落とされたセリフ」 …と表現されるとおり、上記のようなあらすじを観客が理解するためには、かなりの推理力と想像力が要求される。
▼ 常に妹に干渉しようとする姉のエステル (イングリッド・テューリン 左) 。姉に反発して敵意を燃やす妹のアンナ (ヨルゲン・リンドストレム 右) 。二人の心理的格闘を軸にストーリーが進行していく。
観て感じたことは、ヨーロッパの 「光」 の無慈悲さと、 「闇」 の深さだった。
実際に、光と影のコントラストを強調したモノクロ映像は対象の明暗をはっきりと際立たせる。
しかし、そこで描き分けられる 「光と闇」 は、文字どおり人間の 「弱さ」 を光のなかに浮かび上がらせ、人間の 「酷薄さ」 を闇のなかで開花させる。
その光と影が拮抗する世界で、西欧の人間たちが、何を見て、何を悩み、何を求めているのか。
そんなことが、観客の意識の底まで碇 (いかり) のように沈み込んでくる映画なのだ。
▼ 二人の女と少年は、言葉も通じない見知らぬ街のホテルに泊まる
公開当時 「難解」 という言葉がよくレビューに使われたが、こうして改めて観てみると、決して難解ではない。
ある意味、分かりやすい。
これは、キリスト教が個人の精神世界を侵食した風土に生きる人たちの葛藤のドラマである。
その一言で、たぶんこの映画が抱え込んだテーマはすべて解説できる。
主な登場人物は、3人だが、その3人にすべて “役割” が振られている。
翻訳家でインテリの姉は、象徴的な表現を使えば、 「キリスト教の教義」 に殉じようとする “司祭” である。
彼女の心を支えているのは、知性であり、倫理であり、愛である。
その姉の干渉を嫌い、自由奔放に性欲を満たそうとする妹は、 “悪魔の誘惑” に負けた愚衆である。
妹が背負わされた役割は、神に救われるべき “哀れな” 人間である。
そう書いてしまうと、キリスト教の教義を図式化した作品のように思われるだろうが、ところがドッコイ、映画はそっちの方向には収斂していかない。
「愛」 を説き、 「知性」 と 「倫理」 を他者に強要する姉のエステルは、一方では、不安定な状態にさらされている自分を紛らわすかのように、酒とタバコに溺れ、人の見ていないところでオナニーに耽る。
彼女は、見知らぬ男と奔放にセックスを楽しむ 「妹」 のことを軽蔑し、嫉妬しながらも、独りで死んでいくことの怖さに耐えられず、心身ともに 「妹」 に依存することで生きながらえようとする。
それを知りながら、妹のアンナは、病に苦しむ姉をホテルに置き去りにして、アバンチュールを求めて街をさすらい、カフェのウェイターを誘惑してセックスを享受する。
しかし、そのアンナもまた、ひりひりするような孤独地獄にさいなまされている。
彼女にとっての 「姉」 は、うわべだけの倫理と言葉だけの愛を訴える偽善者であり、自分の精神の均衡を保つためには平気で他者を抑圧するエゴイストでしかないのだが、妹のアンナには、その 「姉」 のように自分を支えるものがない。
「知性」 と 「倫理」 を失ったアンナの物憂く、けだるい寂しさは、情事のさなかにおいても、紛らわすことができない。
▼ 病の苦しさをホテルのマネージャーに訴える姉
▼ アバンチュールを求めて街をさすらう妹
姉と妹は、ともに人間が背負う受苦をたっぷり味わいながら、救われるすべを見失っていることでは同じ境遇にいる。
はたして、この “哀れな二人” を神は救うことができるのか。
救えない。
…というか、神は沈黙を保ったままである。
それがこの映画のテーマだ。
だから、公開当時、この映画は 「神の沈黙」 を語る作品だとよく言われた。
たぶん、キリスト教文化圏に生きる観客は、ストレートにそう解釈するのだろう。
しかし、私のような非キリスト教文化圏に生きる人間は、そういう図式的な解釈に収まりきれない部分に注目してしまう。
「神」 という言葉は、日本人にはどこか遠い響きがある。
「神」 という言語をどう受け止めればいいのか、普通に生きている日本人には、その言葉を “格納” する場所が 「知性」 の中にも、 「感性」 の中にもない。
ただ、この映画で問われる 「神」 が、 「人間の思考と感覚では理解できない世界」 を意味しているということぐらいは分かる。
長い歴史過程を通じて 「神」 と向き合ってきたヨーロッパ人においても、神を思うことは (その存在を信じるにせよ、それを否定するにせよ) 、それは 「人間の思考と感覚では理解できない世界に触れる契機」 であったはずだ。
もちろん、 「この世には人間に理解できない世界がある」 という思いは、どんな民族にもある。
それは “宗教” が生まれる前の感覚として、どんな民族も経験的に持っているはずのものだ。
しかし、キリスト教の神だけは、人間の 「理解」 を最初から拒絶した 「沈黙の神」 として、人の前に立ち現れる。
それを信じるも信じないも、すべて人間側に与えられた課題であり、肯定するも否定するも、人間が背負わなければならない課題だ。
つまり、それは 「答のない問い」 なのだ。
私は、そのことを重要と考える。
「答のない問い」 に直面するとき、人は 「畏れ(おそれ)」 を持つ。
それは 「神」 への “畏れ” というものとは少し違う。
むしろ 「人の始原を問うことへの畏れ」 、 「自分が存在することの不思議さに対する畏れ」 ともいうべきもので、いわば 「生きることの不安」 にストレートにつながる感覚だ。
そこで、この映画に登場する3番目の登場人物が大きくクローズアップされてくる。
妹アンナの子供として登場してくる少年だ。
▼ 少年の目が “子供の目” でないことが強く印象に残る
女二人が感じる 「人間の受苦」 を、この少年は 「言葉」 として理解できない。
彼にとって、姉と妹 (叔母と母) が葛藤を繰り広げる背景などを理解する力はない。
しかし、彼はすべてを見る。
「散歩に出る」 とウソをついて、街で出会った男をホテルに引きずり込み、廊下でキスをするシーンもすべて目撃してしまう。
彼には、母が見知らぬ男とキスを交わすことの意味が理解できなくても、 「自分が母に捨てられた子供である」 という寂しさだけは、しっかり感じ取れる。
そして、優しい言葉で 「生きることの楽しさ」 を説く叔母の心の中に広がる空洞も、直感的に見抜く。
映画を観ていると、この少年こそ、 「沈黙を守る神」 ではないかと思えるときがある。
彼は、人間の葛藤を理解する力も持たず、人を助ける力も持たない弱々しい少年に過ぎない。
だからこそ、 「見る」 ことにおいては、非情である。
容赦仮借なく人を見る。
だが、見たものに 「意味 (解釈) 」 を与える力はない。
もしかしたら、それが 「キリストの視線」 というものではないのだろうか。
▼ 少年は、ただ 「見る者」 として存在する
映画は、姉が少年に渡した短いメモ書きの言葉を、少年が復唱するところで終わる。
それは、3人が途中下車して泊まった異国の言葉を教えるメモである。
言葉の音は 「シジュク」 。宿泊した異国の地で、 「精神」 を意味する言葉だという。
「精神」 という言葉を少年に託した姉の意図は分からない。
だが、その言語には、観客を震え上がらせる響きがある。
そこに、 「人間には触れ得ない世界」 が暗示されているからだ。
最後に唐突に出てくる 「精神」 という言葉には、 「畏れを知る心」 というイメージが託されているように思えるのだ。
では、 「人間には触れ得ない世界」 とは何か?
何を隠そう、それはこの私たちが生きている 「現実世界」 にほかならない。
「現実」 とは、 「理屈」 とか 「理論」 といった思弁的な世界とは無縁の、ただザラザラした手触りだけが生々しく横たわる世界といっていい。
人は、 「現実」 を探ることはできない。
私たちが理解できる 「現実」 とは、すでに整理された 「過去」 か、 「予想」 の範囲を逸脱することのない 「未来」 のどちらかでしかなく、現在起こっている 「現実」 に対しては、人は常に 「知る」 ことから取り残されるようになっている。
人の目の前で生起する現実は、常にカオス (混沌) にすぎないからだ。
それは 「手触り」 としてしか感じることしかできないものなのだ。
この圧倒的な 「現実」 の手触りだけが、ベルイマンの世界を支えている。
映画に登場する少年は、この 「現実の手触り」 を観客に伝えるために設定された人間であるかもしれない。
異国のホテルで、退屈な時間を持てあましている少年は、おもちゃのピストルを片手に、ホテル内の探索を始める。
そして、迷宮のようなホテルの廊下をさまよいながら、次々と不思議な光景に接する。
そこで見るすべての光景は、少年にとってカオスである。
彼には、言葉の通じない旅人に親切にふるまうホテルのマネージャーですら、得体のしれない “不思議の国” の住人にすぎない。
独りで粗末な食事をとるマネージャーの姿を見て、大人だったら、彼の抱える 「やるせない孤独」 を感じ取ることだろう。しかし、少年の目に映るマネージャーの姿は、何かのまじないに興じる呪術師であったかもしれない。
彼は、同じホテルに投宿している 「小人の旅芸人の一座」 の部屋に紛れ込むのだが、そこでは、この世の者とは異なる人々が住む異世界が口を開けている。
だが、それはメルヘンでもファンタジーでもなく、少年にとっては、カオスに満ちあふれた 「現実」 そのものの姿だ。
「この世のどこかに、人間に知りえぬ世界が口を開けている」
そのような恐ろしさを象徴的に描いたのが、夜の街に突然現れる戦車のシーンだ。
人が寝静まった深夜。
ゆくえをくらました妹の影を探すように、姉がホテルの部屋から無人の街路を見下ろしていると、突然、1台の戦車がゆっくりと現れ、静かなうなりをとどろかせながら窓の下を去っていく。
冷戦下の東ヨーロッパ諸国においては、夜のパトロールに軍隊の戦車が使われたのは珍しくないと聞くが、この悪夢のような戦車の登場は、観客の心に拭いきれない 「不安」 を刻印する。
その 「不安」 こそ、 「人間が知りえぬ世界」 を見た者だけが味わう根源的な不安にほかならない。
だが、(繰り返しになるが) 「知りえぬ世界」 は、パワースポットのような “神域” にあるのではない。
日常的に去来する現実世界にこそ、 「知りえぬ世界」 が横たわっている。
そのことを、少年の目を通して描いたのが、ほかならぬこの映画。
この映画が難解なのは、 「象徴的」 だからでもなく、 「芸術的」 だからでもなく、 「精神分析的」 だからでもなく、まさに 「現実」 を描いたからだ。
関連記事 「第七の封印」
2011年01月03日
出来事いろいろ
寝正月、飲み正月、食い正月です。
たわいなくテレビ見て、家飲みして、で、眠くなったら、テレビの前でうつらうつら。
「ありゃ、もう夕方?」
…ってな、日々ですな。
で、この年末から正月にかけて、はて、自分は何をやったんだろう?
……ということで、ここ数日、わが家に降りかかった “事件” を書いてみる。
まず、年末にパソコンが新しくなった。
「ウィンドウズ7」 だ!

…が、まだ慣れない。
スピードが上がり、画面もきれいになったけど、なんか操作系の勝手が違うんだよな。
キーボードも新しくなったから、指もまだ馴染んでいないし。
だから、面倒なことは後にして…となってしまって、30日の夜は飲みに出た。
近所に引っ越してきた友だちも呼び出して、2時頃まで歌った。
どこをどう帰ってきたのやら。
気づいたら、右肩の下あたりに大きな打ち身がある。
帰るときに、自転車を漕いでて、塀にぶち当たったらしい。
酔っ払っていたから、そのときは痛みを感じなかったものの、朝起きたらとんでもなく痛かった。
だから大晦日は自粛して、家飲みに徹した。
いつも途中で風呂なんか洗いながら観ていた 「紅白歌合戦」 を、今回は珍しくスルーで観た。
半分くらいは知らない人だった。
話題になっているAKB48も、じっくり観たのはこれがはじめて。
ふぅ~ん…と思ったが、特に感想なし。
時代遅れ風のテクノポップをやっていたパフュームが意外と面白かった。
そのあと 「朝まで生テレビ」 をやっていたので、途中から観た。
頭の中をアルコールが駆け巡っていたので、誰が何をしゃべっているのかあまりよく分からなかったけれど、みんなの話を聞いていると、ウィキリークスとか尖閣ビデオみたいな “情報ジャジャ漏れ現象” がこれから当たり前になる時代を、 「いったいどう考えるのか?」 というのが2011年の大きなテーマらしい。
いくつかの話を聞いて、 「へぇー面白いなぁ…」 とも思ったが、一晩経つと忘れていることから、そんなに大した話じゃなかったのか、それとも酔っ払っていたので、聞いたことが別の思考回路の方に回ってしまったのか。
記憶に残っているのは、 「経済アナリスト」 という肩書きで出ていた森永卓郎氏と、 「経済学者」 という肩書きで出ていた池田信夫氏が隣り合って座っていて、しょっちゅう声を荒らげてケンカしていたこと。
両方の言っていることがさっぱり分からない。
ひとつだけ分かったことは、もう経済の専門家たちにとっても、日本経済の未来予測は混乱しているということ。
これじゃ、素人の床屋談義が流行るわけだ。
今、経済問題に関しては、誰もが “専門家” になれるわけだから。
元日は、つまらない、くだらないとバカにしていた “作りおき” のバラエティ番組をとめどなく観た。
で、本当に、つまらなかった。
だけど、チャンネルを変える気力もわかないし、スイッチを切る勇気も生まれない。
いつのまにか、ワハハハと、たわいなく笑っている自分がいる。
「1年の最初の日から、このていたらくでは思いやられるぞ」 と口には出してみるものの、全然本気じゃない。
ワハハハ、ゲハゲハと白痴的に笑っているうちに日が暮れた。
2日目は、心を入れ替えて、TV tokyo でやっていた 「新春ワイド時代劇 『二人の軍師』 」 という7時間ドラマを観た。
秀吉に仕えた竹中半兵衛と、黒田官兵衛の話。
筋書きがすべて頭の中に入っている話なので、酔っ払って途中居眠りしても安心して観ていられる。
司馬遼太郎などの一連の著作を読んでいると、俗っぽさを微塵も持たない天才的軍師の竹中半兵衛と、生臭い野心家の黒田官兵衛というイメージができてしまうのだけど、ドラマでは、官兵衛が常に半兵衛に教わり、助けてもらい、結果的にその人柄に畏敬の念を持つという設定になっている。
でも、そういう設定も、それほど不自然な感じがしなかった。シナリオがけっこうこなれていたからかもしれない。
印象に残るシーンがあった。
天下をとった晩年の秀吉 (西田敏行) が、夕陽の射し込む大坂城の一室で、ぽつねんと庭を眺めているシーン。
「安土桃山時代」 の大坂城だから、屏風もすべて金屏風で、秀吉の衣装も絢爛豪華 (けんらんごうか) 。
なのに、秀吉の表情はうつろだ。
豪華な落日が秀吉の顔を照らしているにもかかわらず、彼の背中は、すでに部屋の暗い影に溶け込んでいる。
うまいライティングだと思った。
その映像だけで、権力の頂点に立った秀吉が 「達成感のあとに来る虚脱感」 や 「権力を失う日の予感」 などにとらわれていることが表現されている。
カミさんは10時頃から寝てしまったので、そのあと台所の洗い物をして、ゴミをまとめて、紅茶を飲んだ。
少し酔がさめて、ようやくブログを書く気になった。
だけど本調子じゃない。
もう1日こんな生活を過ごしてしまったら、社会復帰できなくなる。
……と思いつつ、明日もバカテレビを見て、白痴笑いしている自分が想像できる。
たわいなくテレビ見て、家飲みして、で、眠くなったら、テレビの前でうつらうつら。
「ありゃ、もう夕方?」
…ってな、日々ですな。
で、この年末から正月にかけて、はて、自分は何をやったんだろう?
……ということで、ここ数日、わが家に降りかかった “事件” を書いてみる。
まず、年末にパソコンが新しくなった。
「ウィンドウズ7」 だ!
…が、まだ慣れない。
スピードが上がり、画面もきれいになったけど、なんか操作系の勝手が違うんだよな。
キーボードも新しくなったから、指もまだ馴染んでいないし。
だから、面倒なことは後にして…となってしまって、30日の夜は飲みに出た。
近所に引っ越してきた友だちも呼び出して、2時頃まで歌った。
どこをどう帰ってきたのやら。
気づいたら、右肩の下あたりに大きな打ち身がある。
帰るときに、自転車を漕いでて、塀にぶち当たったらしい。
酔っ払っていたから、そのときは痛みを感じなかったものの、朝起きたらとんでもなく痛かった。
だから大晦日は自粛して、家飲みに徹した。
いつも途中で風呂なんか洗いながら観ていた 「紅白歌合戦」 を、今回は珍しくスルーで観た。
半分くらいは知らない人だった。
話題になっているAKB48も、じっくり観たのはこれがはじめて。
ふぅ~ん…と思ったが、特に感想なし。
時代遅れ風のテクノポップをやっていたパフュームが意外と面白かった。
そのあと 「朝まで生テレビ」 をやっていたので、途中から観た。
頭の中をアルコールが駆け巡っていたので、誰が何をしゃべっているのかあまりよく分からなかったけれど、みんなの話を聞いていると、ウィキリークスとか尖閣ビデオみたいな “情報ジャジャ漏れ現象” がこれから当たり前になる時代を、 「いったいどう考えるのか?」 というのが2011年の大きなテーマらしい。
いくつかの話を聞いて、 「へぇー面白いなぁ…」 とも思ったが、一晩経つと忘れていることから、そんなに大した話じゃなかったのか、それとも酔っ払っていたので、聞いたことが別の思考回路の方に回ってしまったのか。
記憶に残っているのは、 「経済アナリスト」 という肩書きで出ていた森永卓郎氏と、 「経済学者」 という肩書きで出ていた池田信夫氏が隣り合って座っていて、しょっちゅう声を荒らげてケンカしていたこと。
両方の言っていることがさっぱり分からない。
ひとつだけ分かったことは、もう経済の専門家たちにとっても、日本経済の未来予測は混乱しているということ。
これじゃ、素人の床屋談義が流行るわけだ。
今、経済問題に関しては、誰もが “専門家” になれるわけだから。
元日は、つまらない、くだらないとバカにしていた “作りおき” のバラエティ番組をとめどなく観た。
で、本当に、つまらなかった。
だけど、チャンネルを変える気力もわかないし、スイッチを切る勇気も生まれない。
いつのまにか、ワハハハと、たわいなく笑っている自分がいる。
「1年の最初の日から、このていたらくでは思いやられるぞ」 と口には出してみるものの、全然本気じゃない。
ワハハハ、ゲハゲハと白痴的に笑っているうちに日が暮れた。
2日目は、心を入れ替えて、TV tokyo でやっていた 「新春ワイド時代劇 『二人の軍師』 」 という7時間ドラマを観た。
秀吉に仕えた竹中半兵衛と、黒田官兵衛の話。
筋書きがすべて頭の中に入っている話なので、酔っ払って途中居眠りしても安心して観ていられる。
司馬遼太郎などの一連の著作を読んでいると、俗っぽさを微塵も持たない天才的軍師の竹中半兵衛と、生臭い野心家の黒田官兵衛というイメージができてしまうのだけど、ドラマでは、官兵衛が常に半兵衛に教わり、助けてもらい、結果的にその人柄に畏敬の念を持つという設定になっている。
でも、そういう設定も、それほど不自然な感じがしなかった。シナリオがけっこうこなれていたからかもしれない。
印象に残るシーンがあった。
天下をとった晩年の秀吉 (西田敏行) が、夕陽の射し込む大坂城の一室で、ぽつねんと庭を眺めているシーン。
「安土桃山時代」 の大坂城だから、屏風もすべて金屏風で、秀吉の衣装も絢爛豪華 (けんらんごうか) 。
なのに、秀吉の表情はうつろだ。
豪華な落日が秀吉の顔を照らしているにもかかわらず、彼の背中は、すでに部屋の暗い影に溶け込んでいる。
うまいライティングだと思った。
その映像だけで、権力の頂点に立った秀吉が 「達成感のあとに来る虚脱感」 や 「権力を失う日の予感」 などにとらわれていることが表現されている。
カミさんは10時頃から寝てしまったので、そのあと台所の洗い物をして、ゴミをまとめて、紅茶を飲んだ。
少し酔がさめて、ようやくブログを書く気になった。
だけど本調子じゃない。
もう1日こんな生活を過ごしてしまったら、社会復帰できなくなる。
……と思いつつ、明日もバカテレビを見て、白痴笑いしている自分が想像できる。
2011年01月01日
謹賀新年
明けまして、おめでとうございます。
いよいよブログを始めて、6年目に突入します。
今まで読んでくださった方々に、改めて、この場を借りて御礼申し上げます。
励ましのコメントをくださった方々、コメントを通じていろいろと考えるヒントをくださった方々にも感謝です。
何をどう書き、何をどのように伝えたらいいのか暗中模索のとき、皆様からいただいたコメントが、その後の方向を決める大事な手がかりになることはよくありました。
ありがたいことだと本当に思います。
どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます。
2010年12月30日
オールドマン
午後のスタンドカフェで、ぽつねんと、外の景色を見ている老人がいた。
喫煙席だった。
人がまばらに座った客席から、いく筋かの紫煙がのぼっていた。
老人はタバコを吸わないようだ。
間違えて入ってきたのかもしれない。
あるいは、そんなことに頓着していないのかもしれない。

白いヒゲをゆったりと垂らし、ハンチングを目深にかぶった老人の姿は、セピア色の写真で見る明治の軍人のようだった。
ひとつ時代を間違えば、馬上傲然 (ごうぜん) と敵陣をにらみ、三軍を指揮する人のようにも見える。
でも、今の老人の目は、動くものには何ひとつ反応していない。
灰色がかった瞳の視線が、歩道を行き交う人々を避けるように、道に落ちた木の影だけに注がれていた。
陽の差し込む窓際の席で、空いているのはその老人の隣だけだった。
私はその椅子を引き出し、背もたれにコートをかけた。
セルフサービスの店だから、テーブルが汚れていればお客がダスターを手にとって拭くしかない。
老人のティーカップの周りが汚れていた。
「よかったら、拭きましょうか?」
私は、自分のテーブルを拭いたついでに、老人の前のゴミを軽く払った。
「ご親切に…」
老人は、はにかんだような笑いを浮かべ、ちらりとこちらを見た。
「あんたは優しそうな人だね」
言外に、そんなメッセージがこめられたような目だった。
それがきっかけで、会話が始まった。
「今日は歩きすぎて…」
まるで暖でも取るように、両手でティーカップを抱え込んだ老人は、 「…疲れました」 という言葉を内に秘めながら、ゆっくりと語りだした。
私は、カフェで読むために買ってきた週刊誌をあきらめ、それをテーブルの上に伏せて、老人の言葉を待った。
「大名屋敷がとぎれた辺りで引き返せばよかったんでしょうけれど、花街のあたりも歩いてみたくてね」
いつの時代の話なのだろう。
この辺りでは、大名屋敷も、花街も聞いたことがない。
「町名も変わり、町の景色も変わってしまいましたから、どこを歩いているのか、もう分からないようになりました」
そう笑う老人の頬に、深いシワが刻まれる。
いくつぐらいなのか。
80には手が届くのだろうか。それともその上か…。
「この近くに住まわれていたんですか?」
尋ねる事もことさら思い浮かばなかったので、場当たり的な質問を投げかけてみた。
「ここからは少し歩いたところです。テラマチです」
テラマチ……
「寺町」 という地名なのか、それとも、単に “寺が多いところ” という意味なのか。
「釣りもできたですよ。祠 (ほこら) の裏に寝ているミミズをエサによ~釣ったものです」
いつの時代の、どこの話だろう。
祠って、なんだ?
老人のしゃべる話は、遠い世界を舞台にした昔話のように聞こえた。
相槌を打つタイミングも見つからないまま、私は、黙って老人の話の流れに身を任せた。
「このあたりは路面電車が走っとったですよ、昔はね…」
少しだけ、華やいだ声になった。
「路面電車の時代の方がにぎやかでしたね。今の方が人通りは増えたけれど、にぎやかさは感じられんです」
路面電車が走っていたのは、私も覚えている。
一ヶ月だけだったが、それに乗って通学した記憶もある。
町の中を電車が走る風景は、自動車が走るよりも “都会的” に思えた。
だから、老人のいう 「にぎやか」 という意味が分かるような気がした。
ようやく共通の話題が出たと思った矢先、老人は不思議なことをしゃべり出した。
「週末に一本だけでしたけど、夜ね、無人の路面電車が走るんですよ。
実験だったんですね。
遠隔操作というのか、自動操縦の試験なんですね。
それを土曜の深夜だったか、会社が実験するんでしょうねぇ。
もちろんお客さんは乗せないですよ。
私は二度ほど見たことがありましたけれど、怖いもんですよ、幽霊電車みたいで…」
そう言いながらも、老人は面白そうに笑った。
「へぇ~!」 と、私は驚くふりをするしかなかった。
そのようなことがありえるはずがない…と私の理性はこっそりとささやいていた。
…からかっているのか?
老人の横顔は、おだやかな冬の陽射しを跳ね返して、白い鑞 (ろう) のように光っていた。
会話はとぎれたが、私たちは、冬の陽だまりでまどろむ二匹の猫のように、じっと外を見ていた。

「さて、とんだお邪魔をしてしまって…」
老人はハンチングをかぶり直して、私に笑った。
「いえいえ、面白いお話を…」
私は、立ち上がった老人を見上げて、微笑み返した。
両足を引きずるように去っていった老人のテーブルには、ティーカップが置き去りにされていた。
セルフサービスのルールを知らなかったのだろう。
……やれやれ。出るときに、それも一緒に下げるか。
ガラス窓の向こうに広がる街の景色は、師走の残照を浴びて、メタリカルな蛍光色に輝いていた。
ドアを出て、間もないというのに、老人の姿はもう見えなかった。
▼ 「オールドマン」 ニール・ヤング
喫煙席だった。
人がまばらに座った客席から、いく筋かの紫煙がのぼっていた。
老人はタバコを吸わないようだ。
間違えて入ってきたのかもしれない。
あるいは、そんなことに頓着していないのかもしれない。

白いヒゲをゆったりと垂らし、ハンチングを目深にかぶった老人の姿は、セピア色の写真で見る明治の軍人のようだった。
ひとつ時代を間違えば、馬上傲然 (ごうぜん) と敵陣をにらみ、三軍を指揮する人のようにも見える。
でも、今の老人の目は、動くものには何ひとつ反応していない。
灰色がかった瞳の視線が、歩道を行き交う人々を避けるように、道に落ちた木の影だけに注がれていた。
陽の差し込む窓際の席で、空いているのはその老人の隣だけだった。
私はその椅子を引き出し、背もたれにコートをかけた。
セルフサービスの店だから、テーブルが汚れていればお客がダスターを手にとって拭くしかない。
老人のティーカップの周りが汚れていた。
「よかったら、拭きましょうか?」
私は、自分のテーブルを拭いたついでに、老人の前のゴミを軽く払った。
「ご親切に…」
老人は、はにかんだような笑いを浮かべ、ちらりとこちらを見た。
「あんたは優しそうな人だね」
言外に、そんなメッセージがこめられたような目だった。
それがきっかけで、会話が始まった。
「今日は歩きすぎて…」
まるで暖でも取るように、両手でティーカップを抱え込んだ老人は、 「…疲れました」 という言葉を内に秘めながら、ゆっくりと語りだした。
私は、カフェで読むために買ってきた週刊誌をあきらめ、それをテーブルの上に伏せて、老人の言葉を待った。
「大名屋敷がとぎれた辺りで引き返せばよかったんでしょうけれど、花街のあたりも歩いてみたくてね」
いつの時代の話なのだろう。
この辺りでは、大名屋敷も、花街も聞いたことがない。
「町名も変わり、町の景色も変わってしまいましたから、どこを歩いているのか、もう分からないようになりました」
そう笑う老人の頬に、深いシワが刻まれる。
いくつぐらいなのか。
80には手が届くのだろうか。それともその上か…。
「この近くに住まわれていたんですか?」
尋ねる事もことさら思い浮かばなかったので、場当たり的な質問を投げかけてみた。
「ここからは少し歩いたところです。テラマチです」
テラマチ……
「寺町」 という地名なのか、それとも、単に “寺が多いところ” という意味なのか。
「釣りもできたですよ。祠 (ほこら) の裏に寝ているミミズをエサによ~釣ったものです」
いつの時代の、どこの話だろう。
祠って、なんだ?
老人のしゃべる話は、遠い世界を舞台にした昔話のように聞こえた。
相槌を打つタイミングも見つからないまま、私は、黙って老人の話の流れに身を任せた。
「このあたりは路面電車が走っとったですよ、昔はね…」
少しだけ、華やいだ声になった。
「路面電車の時代の方がにぎやかでしたね。今の方が人通りは増えたけれど、にぎやかさは感じられんです」
路面電車が走っていたのは、私も覚えている。
一ヶ月だけだったが、それに乗って通学した記憶もある。
町の中を電車が走る風景は、自動車が走るよりも “都会的” に思えた。
だから、老人のいう 「にぎやか」 という意味が分かるような気がした。
ようやく共通の話題が出たと思った矢先、老人は不思議なことをしゃべり出した。
「週末に一本だけでしたけど、夜ね、無人の路面電車が走るんですよ。
実験だったんですね。
遠隔操作というのか、自動操縦の試験なんですね。
それを土曜の深夜だったか、会社が実験するんでしょうねぇ。
もちろんお客さんは乗せないですよ。
私は二度ほど見たことがありましたけれど、怖いもんですよ、幽霊電車みたいで…」
そう言いながらも、老人は面白そうに笑った。
「へぇ~!」 と、私は驚くふりをするしかなかった。
そのようなことがありえるはずがない…と私の理性はこっそりとささやいていた。
…からかっているのか?
老人の横顔は、おだやかな冬の陽射しを跳ね返して、白い鑞 (ろう) のように光っていた。
会話はとぎれたが、私たちは、冬の陽だまりでまどろむ二匹の猫のように、じっと外を見ていた。

「さて、とんだお邪魔をしてしまって…」
老人はハンチングをかぶり直して、私に笑った。
「いえいえ、面白いお話を…」
私は、立ち上がった老人を見上げて、微笑み返した。
両足を引きずるように去っていった老人のテーブルには、ティーカップが置き去りにされていた。
セルフサービスのルールを知らなかったのだろう。
……やれやれ。出るときに、それも一緒に下げるか。
ガラス窓の向こうに広がる街の景色は、師走の残照を浴びて、メタリカルな蛍光色に輝いていた。
ドアを出て、間もないというのに、老人の姿はもう見えなかった。
▼ 「オールドマン」 ニール・ヤング
2010年12月29日
好奇心の力
今の時代、人間が必要としているのは、 「人間に対する好奇心」 なのかもしれない。
好奇心は、余裕を持った心からしか生まれない。
好奇心は、先入観にとらわれていると、生まれない。
好奇心は、謙虚な気持ちにならないと生まれない。
だからこそ、好奇心を軸とした 「人と人とのつながり」 は、どこか温かく、安らかで、スリリングだ。
つまり、相手に対して自分から心を開き、そして相手の心も開かせる最も有効な方法は、すなわち 「相手に対して好奇心を抱くこと」 なのだ。
好奇心は、なまじっかの 「思いやり」 とか、観念的な 「愛」 などより、はるかに相手に伝わりやすい。
人は、自分に対して 「尊敬」 の念をもって近づいてくる人間よりも、 「好奇心」 を持って近づいてくる人間の方に、心を開くものである。
なぜなら……
「好奇心」 を寄せられるということは、相手からボールを送られたようなものだから、それをキャッチし、どういうボールを送り返すかという、 “試される” ことの 「ときめき」 が生まれるからだ。

▲ 「クンクン……これは何だろう?」
犬にも好奇心はある
古来より、人はみな、見ず知らずの他者と知り合うことに 「ときめき」 を感じて生きてきた。
この人はどういう人なのだろう?
この人は何を考えている人なのだろう?
この人と話してみたい……
それが、人と人の心を結びつける大きな力になってきた。
ところが現代社会は、人間から 「他者に対する好奇心」 を奪い去った。
「好奇心」 を持つ余裕が保てないような社会が訪れたからだ。
有史以来、人間の生理と歩調を合わせていた 「文明」 は、徐々にスピードを上げ、20世紀には 「人間の生理」 に追いつき、21世紀になると、ついに 「人間の生理」 のリズムを超えた。
その理由は、20世紀後半から、各分野におけるテクノロジーが幾何級数的に進化を遂げたためである。
最も顕著な例が、情報工学の世界。
情報の流通が、ネットの速度を基準とするようになったため、個人が情報を整理する余裕がなくなったのだ。
そのため、人々は物事を判断するときも、瞬時に 「○」 か 「×」 か、 「Yes」 か 「No」 という2進法 (デジタル) で答えざるを得ず、どちらでもないような 「ニュアンス」 や 「情緒」 といったアナログ的なものは 「ノイズ」 として捨象するようになった。
そのような 「あわただしい世界」 に、もう人間はついていけない。
だから、大人も子供も、頭の中に常に去来する思いは、次の三つ。
忙しい
気ぜわしい
面倒くさい
未知の 「他者」 に関わらなければならなくなったとき、多くの人は、それを 「忙しいし、気ぜわしいし、面倒くさい!」 と感じ、できれば避けたいと思うようになった。
だから、現代社会では、家族や友人・知人、仕事関係者以外の人間は、すべて 「邪魔モノ」 になってしまった。
それも、 「邪魔者」 ではなく 「邪魔物」 に…。
「あわただしさ」 は、 「好奇心」 の大敵である。
あわただしいと、人は、人に対して 「好奇心」 を抱くような余裕が生まれないため、相手が自分に対していかなる価値を持っているかだけを “効率的” に測ろうとする。
ニュースを読み解く力はあるか?
インターネットリテラシーは高いか?
オリジナル性のある企画を打ち出せるか?
それをプレゼンできるノウハウがあるか?
たとえば、そんな感じで、自分 (あるいは企業) が求める価値基準だけで、相手を値踏みする。
でも、そこから得られる結論は、
「たいしたヤツじゃないな」
か、
「お、利用できそう」
…の二つだけ。
好奇心というのは、その二つの答の “すき間” に隠されているものに対して視線を向けようとする 「心」 をいう。
この 「好奇心」 に近いけど、決定的に違うもう一つのものが、 「ヤジウマ根性」 。
これは、自分の立場を安定させたまま、 「人の不幸を覗き見してやろう」 という心理を指し、自分の価値観 (先入観) をいったん捨てて相手に臨もうとする 「好奇心」 とは似て非なるものだ。
自分に被害が及ばない高みで、世の悲惨を見物しようとする 「ヤジウマ根性」 は、まさに今のテレビ文化を象徴するようなもの。
それが、 「好奇心」 の代用品になっているとしたら、ちょっと悲しい。
好奇心は、余裕を持った心からしか生まれない。
好奇心は、先入観にとらわれていると、生まれない。
好奇心は、謙虚な気持ちにならないと生まれない。
だからこそ、好奇心を軸とした 「人と人とのつながり」 は、どこか温かく、安らかで、スリリングだ。
つまり、相手に対して自分から心を開き、そして相手の心も開かせる最も有効な方法は、すなわち 「相手に対して好奇心を抱くこと」 なのだ。
好奇心は、なまじっかの 「思いやり」 とか、観念的な 「愛」 などより、はるかに相手に伝わりやすい。
人は、自分に対して 「尊敬」 の念をもって近づいてくる人間よりも、 「好奇心」 を持って近づいてくる人間の方に、心を開くものである。
なぜなら……
「好奇心」 を寄せられるということは、相手からボールを送られたようなものだから、それをキャッチし、どういうボールを送り返すかという、 “試される” ことの 「ときめき」 が生まれるからだ。

▲ 「クンクン……これは何だろう?」
犬にも好奇心はある
古来より、人はみな、見ず知らずの他者と知り合うことに 「ときめき」 を感じて生きてきた。
この人はどういう人なのだろう?
この人は何を考えている人なのだろう?
この人と話してみたい……
それが、人と人の心を結びつける大きな力になってきた。
ところが現代社会は、人間から 「他者に対する好奇心」 を奪い去った。
「好奇心」 を持つ余裕が保てないような社会が訪れたからだ。
有史以来、人間の生理と歩調を合わせていた 「文明」 は、徐々にスピードを上げ、20世紀には 「人間の生理」 に追いつき、21世紀になると、ついに 「人間の生理」 のリズムを超えた。
その理由は、20世紀後半から、各分野におけるテクノロジーが幾何級数的に進化を遂げたためである。
最も顕著な例が、情報工学の世界。
情報の流通が、ネットの速度を基準とするようになったため、個人が情報を整理する余裕がなくなったのだ。
そのため、人々は物事を判断するときも、瞬時に 「○」 か 「×」 か、 「Yes」 か 「No」 という2進法 (デジタル) で答えざるを得ず、どちらでもないような 「ニュアンス」 や 「情緒」 といったアナログ的なものは 「ノイズ」 として捨象するようになった。
そのような 「あわただしい世界」 に、もう人間はついていけない。
だから、大人も子供も、頭の中に常に去来する思いは、次の三つ。
忙しい
気ぜわしい
面倒くさい
未知の 「他者」 に関わらなければならなくなったとき、多くの人は、それを 「忙しいし、気ぜわしいし、面倒くさい!」 と感じ、できれば避けたいと思うようになった。
だから、現代社会では、家族や友人・知人、仕事関係者以外の人間は、すべて 「邪魔モノ」 になってしまった。
それも、 「邪魔者」 ではなく 「邪魔物」 に…。
「あわただしさ」 は、 「好奇心」 の大敵である。
あわただしいと、人は、人に対して 「好奇心」 を抱くような余裕が生まれないため、相手が自分に対していかなる価値を持っているかだけを “効率的” に測ろうとする。
ニュースを読み解く力はあるか?
インターネットリテラシーは高いか?
オリジナル性のある企画を打ち出せるか?
それをプレゼンできるノウハウがあるか?
たとえば、そんな感じで、自分 (あるいは企業) が求める価値基準だけで、相手を値踏みする。
でも、そこから得られる結論は、
「たいしたヤツじゃないな」
か、
「お、利用できそう」
…の二つだけ。
好奇心というのは、その二つの答の “すき間” に隠されているものに対して視線を向けようとする 「心」 をいう。
この 「好奇心」 に近いけど、決定的に違うもう一つのものが、 「ヤジウマ根性」 。
これは、自分の立場を安定させたまま、 「人の不幸を覗き見してやろう」 という心理を指し、自分の価値観 (先入観) をいったん捨てて相手に臨もうとする 「好奇心」 とは似て非なるものだ。
自分に被害が及ばない高みで、世の悲惨を見物しようとする 「ヤジウマ根性」 は、まさに今のテレビ文化を象徴するようなもの。
それが、 「好奇心」 の代用品になっているとしたら、ちょっと悲しい。
2010年12月27日
「孤独死」の原因
年末になると、テレビでも、新聞でも、雑誌でも、まず 「1年の総括」 みたいなものから始まって、 「来年はどうなる?」 式の未来予測で締めくくることが多くなる。
だからこの時期は、1年で最も 「日本の未来像」 みたいなテーマがマスコミの話題となる時期ともいえる。
その中でも、一番 「悲観的な未来像」 を訴えたのは、朝日新聞であった。
12月26日 (日曜) の朝刊では、日頃政治・経済記事で埋めるはずの一面をほとんど使いきり、 「孤族の国の私たち」 という大見出しで、いま日本で急増している “孤独死” というテーマを真正面から扱っていた。
新聞の一面というのは、慣例的に政治・経済のトップニュースが来るものであるから、朝日新聞はよほど 「孤独死」 というものを大きな社会問題として捉えたかったのだろう。
そこで使われた 「孤族 (こぞく) 」 という言葉は、どうやら朝日が思いついたオリジナル用語らしい。
個人の自由を謳歌したいと願う戦後世代の生態を “個族” と表現するならば、その彼らが、いま直面しているのは、血縁・地縁の絆を失って 「孤独」 と向かい合うことを余儀なくされた “孤族” である。

今年は国勢調査が行なわれた年で、その結果は来年公表されることになるが、記事によると、研究者たちはすでに1人暮らしの 「単身世帯」 が 「夫婦と子供からなる世帯」 を上回ることを確実視しているらしい。
このまま進めば、20年後には、50~60代の男性の4人に1人が 「1人暮らし」 になることが予測されるとか。
今まで 「普通の家族」 といった場合、誰もが思い浮かべるのは、父親、母親に子供2人という 「標準世帯」 だった。
しかし、 「単身世帯」 が急増する時代がすぐそこまで近づいてきた今は、もう 「普通の家族」 という表現が成り立たないと、記事は指摘する。
この場合、注目されるのは、単身世帯の未婚率の増加だ。
現代社会は、未婚であることが恥でも何でもなくなり、それも 「ひとつのライフスタイル」 (おひとりさまブーム) として提唱されるようになった。そして、そのことが経済的理由で婚期を逃した人たちの心理的負担をも軽くした。
確かに、外食産業、コンビニ業界、インターネットなどの普及により、昔と比べて一人暮らしは、はるかにたやすくなった。
そのため、個人の自由を抑圧するような旧来の人間関係から解放され、 「個」 を満喫する人たちの地平は広がった。
しかし、その 「個」 を謳歌する単身生活者たちにも、 「加齢」 は容赦なく降りかかる。
高齢になって、身体能力などが衰えとき、職も失い、病気になったりした単身生活者は、血縁や地縁というセーフティネットを持っていない分、 「孤独死」 の不安と向かい合うことになる。
それでも、女性の場合は、同性同士のネットワークを強化している人たちが多いので、いざとなったら日頃連絡を取り合っている相互扶助的なコミュニティからの応援が期待できる。
しかし、働くことしか知らないまま退職を迎えた男性たちは、退職したら家に閉じこもり、 「あいさつしない、友人いない、連絡しない……」 という “ないないづくし” の生活にこもってしまう。
特に、妻に先立たれた男性の老人は、そういう傾向を強めがちだという。
そういう人たちが孤独死を迎えたとき、病気のために衰弱して死んだのか、自殺したのかという見分けがつかない場合もある。
特に、妻に先立たれた男性の老人は、 「自分も死んでもいい」 という諦念を抱きがちになり、身体を動かす気力を失い、食べる気力を失い、結果的に 「緩慢な自殺」 を遂げてしまう人が多いらしい。
日本では、12年連続で自殺者が3万人を超えたが、それは警察が定義した 「自殺」 の数であって、定義にハマらない “緩慢な自殺” を図った人々の数も加えると、自殺者の数は、警察の発表よりもさらに多くなる可能性がある。
同新聞では、このような時代を、 「家族に頼れる時代の終わり」 と表現して、精神科医の斎藤環氏の談話を紹介する。
斎藤氏は、 (現代の) 「日本は、家族依存社会だ」 という。
本来ならば国が担うべき仕事であるはずの 「社会保障」 などを、国が家族に押し付けてきたという意味だ。
介護でも、育児でも、 「家族の面倒を、家族がみる」 比重は、昔に比べてものすごく増えた。
それが国策であるならば、当然かもしれない。
伝統的に “小さな政府” をめざす政権は、市場原理主義的な経済の流れが社会保障にせき止められることを嫌い、国民が自助努力によって介護や育児などの難問を解決することを奨励する。
日本の場合は、社会保障をシステムとして構築しようにも、まず財源の確保でつまづいている。
現在、さまざまなところで展開されている “家族愛キャンペーン” は、実は、そういう 「国家的な思惑」 と連動したものであり、結果的に、国家が行うべき仕事を家族に転嫁しようとするときの “言い訳” に加担することになる。
……たぶん、斎藤環氏がいおうとしていることは、そういうことなのだろう。
期せずして同じ日に、TBSの 『サンデーモーニング』 という番組でも、この 「孤族の増大」 というようなテーマが討議されていた。
途中から観ただけで、しかもメモを取ったわけでもないから記事の書きようもないのだけれど、司会の関口宏氏を筆頭に、コメンテーターの岸井成格氏、田中優子氏、寺島実郎氏、金子勝氏らが、
「無縁社会の広がりのなかで、人と人がつながる契機はどこに求められるべきか」
というようなテーマを語り合っていたように思う。
番組のタイトルは、 「豊かなのに幸せになれない、なぜ?」 。
日本は、今も世界第3位の経済大国であり、国民1人あたりGDPでは中国の10倍という富裕国である (…らしい) 。
その日本人の平均収入を換算すると、フランス革命前にベルサイユ宮殿で遊び暮らしていた貴族よりはるかに金持ちなのだとか。
それほど “豊かな国” であるはずの日本で、なぜ 「無縁社会」 が広がり、 「孤独死」 が増えているのか。

ここでも現状認識として、まず 「今の社会の崩壊は、もう 『家族』 では支えきれない」 (寺島実郎) という見方が提示されていた。
確かに、老いたる親を介護する子供たち自身が 「老人」 になりつつある時代。親子の精神的・経済的負担は大きくなる一方だ。
また、長引く不況や広がる格差などによるストレス社会の重圧が、母親たちの育児放棄や、父親たちの幼児虐待という問題に影を落としている。
番組の中で、寺島氏は、そのようなストレス社会が訪れてきたのは、
「相変わらず、経済的に豊かであることが、人生をも豊かにするという幻想から政府や企業が逃れられないからだ」
という。
つまり、 「お金によって保証される便利な生活こそ幸せ」 という洗脳に人々がさらされているために、それに至らない生活は、すべストレスに感じられてしまう。
…ということを、寺島氏は言いたいのだろう。
日本は “豊かな国アメリカ” を目指してここまで来たが、追いついた時点で、アメリカ経済も失速し、日本の手本となるような 「力」 を失った。
それなのに、日本の企業経営者たちの多くは、 「アメリカ経済さえ立ち直れば、日本経済も復活する」 と他力本願の望みを捨てきれないでいる。
しかし、そろそろ日本人は、 「経済的強者が人生の強者でもある」 というアメリカ流の発想から卒業しなければならないのではないか?
……というのが、寺島氏の意見だったと思う (うろ覚えだから、別の人の発言だった可能性もある) 。
「無縁社会 → 孤独死」 の問題は、そこに結びついてくる。
「経済的強者が人生の強者である」 という発想は、 「弱者は、自己責任において、自己救済しなければならない」 という考え方につながっていく。
「 “孤独死” に至る生活しか持ち得なかったのは、その本人の責任であり、競争原理社会では、それは当たり前のこととして、誰もが覚悟しなければならない」
極端にいうと、市場原理社会というのは、そういうことなのだ。
無縁社会を生きる “孤族” たちは、そういう 「弱者は切り捨てご免!」 に傾きがちな現代社会の中から、追い立てられるように生まれてきた。
そのことに対し、番組の中で、慶応大学の金子勝教授は、やはり 「家族という最小単位の共同体」 にすべてを預けるのはもう無理だ、という見解を示す。
家族や地縁共同体の良さは、確かにある。
そこには、多くの都市生活者が失ってしまった 「互助精神」 や 「励まし」 、 「温かいもてなし」 などがある。
しかし、一方では 「抑圧」 も 「集団的強制力」 もあり、逆らったときの “村八分” もある。
だから 「古い共同体を復活させるのではなく、 “人と人との紐帯 (ちゅうたい) ” を実現する新しい組織を社会工学的に建設することが必要」 と金子氏はいう。
面白いのは、 “江戸学” で名を馳せた法政大学教授の田中優子氏のコメントだった。
「人と人が出会って、心の交流を図るためには、お互いの心を共振させる “媒介” が必要だ」
と彼女はいうのである。
媒介
むずかしい概念だが、 「共通の話題」 とか 「共通の目標」 とでも考えておけばいいのかもしれない。
今や日本人の生活感覚の中で色あせてきた数々の年中行事。
その中に、 「媒介」 を探し出すヒントがある、と田中氏はいう。
正月行事、お盆の行事などを含め、節分、ひな祭り、節句……。
日本の伝統行事というのは、すべて 「自然」 と因縁が深い。
そのような自然の移り変わりのなかで、豊穣への感謝や、子供が生育することへの祈りといった感情を共に祝い合うのが、日本人の年中行事だった。
そのとき、お互いに 「自然の変化」 を確認し合うことが、日本人の心を結びつける 「媒介」 となっていたのである。
だから、日本の風土から 「自然」 がどんどん消滅していけば、日本人の心を結びつけていた 「媒介」 も失われてしまうのは当然のこと。
そして、 「媒介」 を失った現代人たちは、心と心を通い合わせることなく、互いに孤立し、 「無縁社会」 の奈落に落ち込んでしまう。
…というのが、田中優子氏の見立て。
用事があったので、その先は観ていないけれど、 「孤独死」 が多発しているのは都市部のアパートが多いという事実からも、 「自然」 を失ってしまうと人と人との絆が切れるという田中氏の指摘は、なにやら暗示的でもあった。

番組の中で、毎日新聞主筆の岸井成格氏が、石川啄木が100年前に執筆していた童話がつい最近発見されたことに言及していた。
それは、山の猿たちが人間に願いごとをする話だという。
「どうか山の木をむやみに切り倒したりして、自然を破壊しないでほしい。自然を破壊してしまうと、自分たち猿も困るけれど、あんたたち人間だって困ることになる」
と、猿が人間に忠告するのだとか。
「そういうことを、石川啄木はすでに100年前に警告していた」
と、岸井氏は驚く。
「孤独死」 の話が、 「自然破壊」 の話と結びついた瞬間でもあった。
だからこの時期は、1年で最も 「日本の未来像」 みたいなテーマがマスコミの話題となる時期ともいえる。
その中でも、一番 「悲観的な未来像」 を訴えたのは、朝日新聞であった。
12月26日 (日曜) の朝刊では、日頃政治・経済記事で埋めるはずの一面をほとんど使いきり、 「孤族の国の私たち」 という大見出しで、いま日本で急増している “孤独死” というテーマを真正面から扱っていた。
新聞の一面というのは、慣例的に政治・経済のトップニュースが来るものであるから、朝日新聞はよほど 「孤独死」 というものを大きな社会問題として捉えたかったのだろう。
そこで使われた 「孤族 (こぞく) 」 という言葉は、どうやら朝日が思いついたオリジナル用語らしい。
個人の自由を謳歌したいと願う戦後世代の生態を “個族” と表現するならば、その彼らが、いま直面しているのは、血縁・地縁の絆を失って 「孤独」 と向かい合うことを余儀なくされた “孤族” である。

今年は国勢調査が行なわれた年で、その結果は来年公表されることになるが、記事によると、研究者たちはすでに1人暮らしの 「単身世帯」 が 「夫婦と子供からなる世帯」 を上回ることを確実視しているらしい。
このまま進めば、20年後には、50~60代の男性の4人に1人が 「1人暮らし」 になることが予測されるとか。
今まで 「普通の家族」 といった場合、誰もが思い浮かべるのは、父親、母親に子供2人という 「標準世帯」 だった。
しかし、 「単身世帯」 が急増する時代がすぐそこまで近づいてきた今は、もう 「普通の家族」 という表現が成り立たないと、記事は指摘する。
この場合、注目されるのは、単身世帯の未婚率の増加だ。
現代社会は、未婚であることが恥でも何でもなくなり、それも 「ひとつのライフスタイル」 (おひとりさまブーム) として提唱されるようになった。そして、そのことが経済的理由で婚期を逃した人たちの心理的負担をも軽くした。
確かに、外食産業、コンビニ業界、インターネットなどの普及により、昔と比べて一人暮らしは、はるかにたやすくなった。
そのため、個人の自由を抑圧するような旧来の人間関係から解放され、 「個」 を満喫する人たちの地平は広がった。
しかし、その 「個」 を謳歌する単身生活者たちにも、 「加齢」 は容赦なく降りかかる。
高齢になって、身体能力などが衰えとき、職も失い、病気になったりした単身生活者は、血縁や地縁というセーフティネットを持っていない分、 「孤独死」 の不安と向かい合うことになる。
それでも、女性の場合は、同性同士のネットワークを強化している人たちが多いので、いざとなったら日頃連絡を取り合っている相互扶助的なコミュニティからの応援が期待できる。
しかし、働くことしか知らないまま退職を迎えた男性たちは、退職したら家に閉じこもり、 「あいさつしない、友人いない、連絡しない……」 という “ないないづくし” の生活にこもってしまう。
特に、妻に先立たれた男性の老人は、そういう傾向を強めがちだという。
そういう人たちが孤独死を迎えたとき、病気のために衰弱して死んだのか、自殺したのかという見分けがつかない場合もある。
特に、妻に先立たれた男性の老人は、 「自分も死んでもいい」 という諦念を抱きがちになり、身体を動かす気力を失い、食べる気力を失い、結果的に 「緩慢な自殺」 を遂げてしまう人が多いらしい。
日本では、12年連続で自殺者が3万人を超えたが、それは警察が定義した 「自殺」 の数であって、定義にハマらない “緩慢な自殺” を図った人々の数も加えると、自殺者の数は、警察の発表よりもさらに多くなる可能性がある。
同新聞では、このような時代を、 「家族に頼れる時代の終わり」 と表現して、精神科医の斎藤環氏の談話を紹介する。
斎藤氏は、 (現代の) 「日本は、家族依存社会だ」 という。
本来ならば国が担うべき仕事であるはずの 「社会保障」 などを、国が家族に押し付けてきたという意味だ。
介護でも、育児でも、 「家族の面倒を、家族がみる」 比重は、昔に比べてものすごく増えた。
それが国策であるならば、当然かもしれない。
伝統的に “小さな政府” をめざす政権は、市場原理主義的な経済の流れが社会保障にせき止められることを嫌い、国民が自助努力によって介護や育児などの難問を解決することを奨励する。
日本の場合は、社会保障をシステムとして構築しようにも、まず財源の確保でつまづいている。
現在、さまざまなところで展開されている “家族愛キャンペーン” は、実は、そういう 「国家的な思惑」 と連動したものであり、結果的に、国家が行うべき仕事を家族に転嫁しようとするときの “言い訳” に加担することになる。
……たぶん、斎藤環氏がいおうとしていることは、そういうことなのだろう。
期せずして同じ日に、TBSの 『サンデーモーニング』 という番組でも、この 「孤族の増大」 というようなテーマが討議されていた。
途中から観ただけで、しかもメモを取ったわけでもないから記事の書きようもないのだけれど、司会の関口宏氏を筆頭に、コメンテーターの岸井成格氏、田中優子氏、寺島実郎氏、金子勝氏らが、
「無縁社会の広がりのなかで、人と人がつながる契機はどこに求められるべきか」
というようなテーマを語り合っていたように思う。
番組のタイトルは、 「豊かなのに幸せになれない、なぜ?」 。
日本は、今も世界第3位の経済大国であり、国民1人あたりGDPでは中国の10倍という富裕国である (…らしい) 。
その日本人の平均収入を換算すると、フランス革命前にベルサイユ宮殿で遊び暮らしていた貴族よりはるかに金持ちなのだとか。
それほど “豊かな国” であるはずの日本で、なぜ 「無縁社会」 が広がり、 「孤独死」 が増えているのか。

ここでも現状認識として、まず 「今の社会の崩壊は、もう 『家族』 では支えきれない」 (寺島実郎) という見方が提示されていた。
確かに、老いたる親を介護する子供たち自身が 「老人」 になりつつある時代。親子の精神的・経済的負担は大きくなる一方だ。
また、長引く不況や広がる格差などによるストレス社会の重圧が、母親たちの育児放棄や、父親たちの幼児虐待という問題に影を落としている。
番組の中で、寺島氏は、そのようなストレス社会が訪れてきたのは、
「相変わらず、経済的に豊かであることが、人生をも豊かにするという幻想から政府や企業が逃れられないからだ」
という。
つまり、 「お金によって保証される便利な生活こそ幸せ」 という洗脳に人々がさらされているために、それに至らない生活は、すべストレスに感じられてしまう。
…ということを、寺島氏は言いたいのだろう。
日本は “豊かな国アメリカ” を目指してここまで来たが、追いついた時点で、アメリカ経済も失速し、日本の手本となるような 「力」 を失った。
それなのに、日本の企業経営者たちの多くは、 「アメリカ経済さえ立ち直れば、日本経済も復活する」 と他力本願の望みを捨てきれないでいる。
しかし、そろそろ日本人は、 「経済的強者が人生の強者でもある」 というアメリカ流の発想から卒業しなければならないのではないか?
……というのが、寺島氏の意見だったと思う (うろ覚えだから、別の人の発言だった可能性もある) 。
「無縁社会 → 孤独死」 の問題は、そこに結びついてくる。
「経済的強者が人生の強者である」 という発想は、 「弱者は、自己責任において、自己救済しなければならない」 という考え方につながっていく。
「 “孤独死” に至る生活しか持ち得なかったのは、その本人の責任であり、競争原理社会では、それは当たり前のこととして、誰もが覚悟しなければならない」
極端にいうと、市場原理社会というのは、そういうことなのだ。
無縁社会を生きる “孤族” たちは、そういう 「弱者は切り捨てご免!」 に傾きがちな現代社会の中から、追い立てられるように生まれてきた。
そのことに対し、番組の中で、慶応大学の金子勝教授は、やはり 「家族という最小単位の共同体」 にすべてを預けるのはもう無理だ、という見解を示す。
家族や地縁共同体の良さは、確かにある。
そこには、多くの都市生活者が失ってしまった 「互助精神」 や 「励まし」 、 「温かいもてなし」 などがある。
しかし、一方では 「抑圧」 も 「集団的強制力」 もあり、逆らったときの “村八分” もある。
だから 「古い共同体を復活させるのではなく、 “人と人との紐帯 (ちゅうたい) ” を実現する新しい組織を社会工学的に建設することが必要」 と金子氏はいう。
面白いのは、 “江戸学” で名を馳せた法政大学教授の田中優子氏のコメントだった。
「人と人が出会って、心の交流を図るためには、お互いの心を共振させる “媒介” が必要だ」
と彼女はいうのである。
媒介
むずかしい概念だが、 「共通の話題」 とか 「共通の目標」 とでも考えておけばいいのかもしれない。
今や日本人の生活感覚の中で色あせてきた数々の年中行事。
その中に、 「媒介」 を探し出すヒントがある、と田中氏はいう。
正月行事、お盆の行事などを含め、節分、ひな祭り、節句……。
日本の伝統行事というのは、すべて 「自然」 と因縁が深い。
そのような自然の移り変わりのなかで、豊穣への感謝や、子供が生育することへの祈りといった感情を共に祝い合うのが、日本人の年中行事だった。
そのとき、お互いに 「自然の変化」 を確認し合うことが、日本人の心を結びつける 「媒介」 となっていたのである。
だから、日本の風土から 「自然」 がどんどん消滅していけば、日本人の心を結びつけていた 「媒介」 も失われてしまうのは当然のこと。
そして、 「媒介」 を失った現代人たちは、心と心を通い合わせることなく、互いに孤立し、 「無縁社会」 の奈落に落ち込んでしまう。
…というのが、田中優子氏の見立て。
用事があったので、その先は観ていないけれど、 「孤独死」 が多発しているのは都市部のアパートが多いという事実からも、 「自然」 を失ってしまうと人と人との絆が切れるという田中氏の指摘は、なにやら暗示的でもあった。

番組の中で、毎日新聞主筆の岸井成格氏が、石川啄木が100年前に執筆していた童話がつい最近発見されたことに言及していた。
それは、山の猿たちが人間に願いごとをする話だという。
「どうか山の木をむやみに切り倒したりして、自然を破壊しないでほしい。自然を破壊してしまうと、自分たち猿も困るけれど、あんたたち人間だって困ることになる」
と、猿が人間に忠告するのだとか。
「そういうことを、石川啄木はすでに100年前に警告していた」
と、岸井氏は驚く。
「孤独死」 の話が、 「自然破壊」 の話と結びついた瞬間でもあった。
2010年12月26日
廃墟のある島
廃虚ブームで、長崎県の “軍艦島 (端島) ” がよく話題に取り上げられる。
そんなこともあって、この前、書店の 「旅行本コーナー」 に行ったとき、軍艦島の写真集があったので手に取ってパラパラと眺めてみた。

一度も行ったことがないのに、どこかで似たような光景を見たという思いが脳裏を駆けめぐった。
どこで、だろう…
と気になっていたが、ふと、下の絵であることが分かった。

▲ アーノルド・ベックリン 『死の島』 。
別に軍艦島が “死の島” であるというような、不吉な照合を示そうというわけではない。
だが、似ている。
この両者には、何か共通した気配がある。
まず、アーノルド・ベックリンの絵から見ていこう。
鏡のように平らな海に浮かぶ小さな島に、小舟に載せた棺が運ばれていく。
その先には、岩をくり抜いた古代風デザインの廃虚が島いっぱいに広がり、島の中央には、黄泉 (よみ) の国から来た使者がたたずむように、糸杉が並んでいる。
まるで島全体が、死の静寂に包まれた巨大な 「墳墓」 のようにも見る。
糸杉
乾いた岩におおわれた島
古代世界風の廃虚
そのような地中海世界の特徴をふんだんに採り入れながら、この絵からは、地中海世界の明るさが伝わってこない。
むしろ、ドイツロマン派にも通じるような、暗さと、神秘性と、メランコリーが画面全体を支配している。
異様なのは、芝居の書き割りのような、島の “人工性” だ。
島の面積に不釣り合いなくらい、糸杉と廃虚が大きい。
生物学的に判断しても、立派な糸杉が根を生やすほどの地味ある土地とは思えない。
見る人間は、まずそこで現実的な判断力を削ぎ落とされてしまう。
同じようなことが、海上から眺めた軍艦島の廃虚にもいえる。
ベックリンの絵画同様に、建物の大きさが、島の面積に不釣り合いなくらい大きい。

▲ 軍艦島
建物の質感があまりにもどっしりとしているため、それを支える島の頼りなさのようなものが、逆に浮かび上がってくる。
つまり、海上に蜃気楼の街が浮かんだような、どこかこの世ならぬ気配が漂ってくるのだ。
ベックリンの 『死の島』 と 「軍艦島」 の光景に共通していえることは、ともに、
「自然界のバランスが無視されている」
ということだ。
つまり、 “極度に人工的” である…ともいえるのだが、その人工性が、 「人間の管理できない超自然の世界」 にもつながっているという “不思議な気配” を両者は持ち合わせている。
ベックリンの描いた 『死の島』 は、そのような人間の管理できない “あの世の世界” を見事に映像化したものだといえる。
同じように、軍艦島の廃虚も、人間の管理を超えた世界の存在を伝えてくる。
では、人間に管理できない世界とは何なのか?
それは 「過去」 である。
そもそも 「廃虚」 とは、 「現在」 に突き出た 「過去」 である。
「過去」 は常に 「現在」 を規定しているが、だからといって人間は 「過去」 に遡って 「現在」 を変えることはできない。
「廃虚」 とは、その人が触れることのできない 「過去」 が、 「現在」 という場に姿を現している場所のことを指す。
「軍艦島」 は、かつて炭鉱の島として栄えた 「過去」 そのものが 「廃虚」 として残存したものだが、ベックリンの 『死の島』 も、 「過去」 の視覚化がテーマになっている。
この絵の主題が、 「棺 (ひつぎ) を納める島」 であることに注目していいだろう。
「死者が誰であるか?」
と問うことは、意味がない。
ここでは、絵全体が 「すでにこの世に戻らないもの」 を表現していると見るべきであろう。

そういった意味で、 『死の島』 と 「軍艦島」 は似ている。
ともに、 「廃虚」 の横たわる島として。
「戻らないはずの過去」 が、そこにヌッと顔をさらしている島として。
そんなこともあって、この前、書店の 「旅行本コーナー」 に行ったとき、軍艦島の写真集があったので手に取ってパラパラと眺めてみた。
一度も行ったことがないのに、どこかで似たような光景を見たという思いが脳裏を駆けめぐった。
どこで、だろう…
と気になっていたが、ふと、下の絵であることが分かった。

▲ アーノルド・ベックリン 『死の島』 。
別に軍艦島が “死の島” であるというような、不吉な照合を示そうというわけではない。
だが、似ている。
この両者には、何か共通した気配がある。
まず、アーノルド・ベックリンの絵から見ていこう。
鏡のように平らな海に浮かぶ小さな島に、小舟に載せた棺が運ばれていく。
その先には、岩をくり抜いた古代風デザインの廃虚が島いっぱいに広がり、島の中央には、黄泉 (よみ) の国から来た使者がたたずむように、糸杉が並んでいる。
まるで島全体が、死の静寂に包まれた巨大な 「墳墓」 のようにも見る。
糸杉
乾いた岩におおわれた島
古代世界風の廃虚
そのような地中海世界の特徴をふんだんに採り入れながら、この絵からは、地中海世界の明るさが伝わってこない。
むしろ、ドイツロマン派にも通じるような、暗さと、神秘性と、メランコリーが画面全体を支配している。
異様なのは、芝居の書き割りのような、島の “人工性” だ。
島の面積に不釣り合いなくらい、糸杉と廃虚が大きい。
生物学的に判断しても、立派な糸杉が根を生やすほどの地味ある土地とは思えない。
見る人間は、まずそこで現実的な判断力を削ぎ落とされてしまう。
同じようなことが、海上から眺めた軍艦島の廃虚にもいえる。
ベックリンの絵画同様に、建物の大きさが、島の面積に不釣り合いなくらい大きい。

▲ 軍艦島
建物の質感があまりにもどっしりとしているため、それを支える島の頼りなさのようなものが、逆に浮かび上がってくる。
つまり、海上に蜃気楼の街が浮かんだような、どこかこの世ならぬ気配が漂ってくるのだ。
ベックリンの 『死の島』 と 「軍艦島」 の光景に共通していえることは、ともに、
「自然界のバランスが無視されている」
ということだ。
つまり、 “極度に人工的” である…ともいえるのだが、その人工性が、 「人間の管理できない超自然の世界」 にもつながっているという “不思議な気配” を両者は持ち合わせている。
ベックリンの描いた 『死の島』 は、そのような人間の管理できない “あの世の世界” を見事に映像化したものだといえる。
同じように、軍艦島の廃虚も、人間の管理を超えた世界の存在を伝えてくる。
では、人間に管理できない世界とは何なのか?
それは 「過去」 である。
そもそも 「廃虚」 とは、 「現在」 に突き出た 「過去」 である。
「過去」 は常に 「現在」 を規定しているが、だからといって人間は 「過去」 に遡って 「現在」 を変えることはできない。
「廃虚」 とは、その人が触れることのできない 「過去」 が、 「現在」 という場に姿を現している場所のことを指す。
「軍艦島」 は、かつて炭鉱の島として栄えた 「過去」 そのものが 「廃虚」 として残存したものだが、ベックリンの 『死の島』 も、 「過去」 の視覚化がテーマになっている。
この絵の主題が、 「棺 (ひつぎ) を納める島」 であることに注目していいだろう。
「死者が誰であるか?」
と問うことは、意味がない。
ここでは、絵全体が 「すでにこの世に戻らないもの」 を表現していると見るべきであろう。
そういった意味で、 『死の島』 と 「軍艦島」 は似ている。
ともに、 「廃虚」 の横たわる島として。
「戻らないはずの過去」 が、そこにヌッと顔をさらしている島として。
2010年12月25日
遠いクリスマス
クリスマスですねぇ。
小さい頃は、けっこう胸がときめいたりしましたが…。
今じゃ、365日のうちの、ただの1日ですなぁ。
キリストの
生まれた日とか
ピンと来ず
昔は、それでも人並みにプレゼントなんか買ってたんですけどね。
クリスマス
サンタを辞めて
50年

「バブル」 とかいう時代になると、夜中まで遊びまくってました。
この季節、にぎやかなパーティばっかり続きましたから。
朝帰り
とっさにサンタに
早変わり
酒くさい
サンタは要らぬと
足げりに
今じゃこんな感じですよ。
メシはない
自分でチキンを
買って来い
それなりに平和なクリスマスを送るようになりました。
ジングルベル
聞きながら
書く年賀状
うさぎ年?
そんなの干支 (えと) に
あったっけ?
クリスマス
老いたる家内と
ケーキ食べ
まぁな……
小さい頃は、けっこう胸がときめいたりしましたが…。
今じゃ、365日のうちの、ただの1日ですなぁ。
キリストの
生まれた日とか
ピンと来ず
昔は、それでも人並みにプレゼントなんか買ってたんですけどね。
クリスマス
サンタを辞めて
50年

「バブル」 とかいう時代になると、夜中まで遊びまくってました。
この季節、にぎやかなパーティばっかり続きましたから。
朝帰り
とっさにサンタに
早変わり
酒くさい
サンタは要らぬと
足げりに
今じゃこんな感じですよ。
メシはない
自分でチキンを
買って来い
それなりに平和なクリスマスを送るようになりました。
ジングルベル
聞きながら
書く年賀状
うさぎ年?
そんなの干支 (えと) に
あったっけ?
クリスマス
老いたる家内と
ケーキ食べ
まぁな……
2010年12月24日
ロビン・フッド
リドリー・スコット監督の 『 ロビン・フッド (ROBIN HOOD) 』 。
良かったなぁ!
堪能したし、感動したし、涙も出た。

でも、リドリー・スコットは、結局 『ブレードランナー』 を超える映画を、もう創れないんだな…ということも分かった。
それでもいい。
この路線のリドリー・スコットも支持するし、応援するし、共感する。
ここでメガフォンを採る彼は、もう特異な美意識を持ったアクの強い “芸術家” でもなければ、人間存在を根源から問うような “哲学者” でもない。
代わりに、大衆娯楽としての映画を、極めて洗練されたテクニックで磨き上げた “職人” がそこにいた。
この映画は、黄金期の 「ハリウッド史劇」 に対する彼のオマージュであるかとも思う。
スペクタクルな戦闘シーン、ハッピーな結末を迎える恋愛、庶民を苦しめる国王や悪代官、冷酷非道の裏切り者、主人公を助ける陽気な男たち。
そういったハリウッド史劇の構成要素をふんだんに使って、映画が 「大衆の娯楽」 として君臨していた時代の華やかさを再現して見せたのが、この 『ロビン・フッド』 だ。

だから、安心して観ていられる。
とにかく観客が、監督の意図を図りかねて、戸惑うということがない。
悪いヤツは最初から悪役顔で出てくるし、主人公のことを最初は侮蔑していたヒロインが、やがて愛に目覚めるというベタな心理プロセスを忠実にたどっちゃうし、何から何まで娯楽映画の “お約束ごと” で貫かれた構成なんだけど、それを承知で堂々と押し切ってしまったところに、リドリー・スコットの円熟味を感じる。

もちろん凝り性のリドリー・スコットだけあって、ディテールの作り込みはハンパじゃない。
城攻めのシーンに使われる古風な城も、ケルト的なデザインを盛り込んだ北イングランドの村も、すべて丹念に仕上げられたセット。
彼の歴史劇では、そのようなセットを組んだとき、どこか “アート” を意識したエキゾチックな映像美が追求されるのだけれど、今回は、驚くほど写実重視。
神経のつかい方が、絵画的表現にこだわるよりも、リアリティの追求に向かった感じだ。
だから、 『ブレードランナー』 の陰鬱な未来都市や 『エイリアン』 のグロテスクな宇宙船、 『ブラックレイン』 のシュールな大阪の街、 『グラディエーター』 の背徳的なコロッセウム、 『キングダム・オブ・ヘブン』 のエキゾチックなエルサレムといった映像美にこだわるデザイン造形は影をひそめる。
代わりに、観客をそのまま中世の時代に誘い入れてしまったような、 “歴史の手触り” が獲得されている。
ロビン・フッドを主人公にした映画は、今までも数多くつくられてきたが、今回の主人公設定は、いわば異色。
映画が終わるまぎわになって、ようやく 「ロビン・フッド」 が誕生する。
つまり、伝説のヒーローは、どういう経緯で生まれてきたかを語る物語で、いわば “ロビン・フッド前史” 。
だから、シャーウッドの森に仲間とともに住み、悪代官と戦う 「義賊」 という昔ながらのイメージを抱いていると裏切られる。
それをもって、 「こういう筋書きなら、別にロビン・フッドを主人公にする必要もないんじゃないの?」 と思う人が出てくるのも予想できる。
でも、私にとっては、きわめてオーソドキシーなロビン・フッド物語に思えた。
どっちみち、伝説上の人物なんだしさ。
ショーン・コネリー主演の 『ロビンとマリアン』 みたいな、よぼよぼジジイのロビン映画だって成り立っているわけだから。
これはこれで、ひとつのロビン像を確立したのではないかしら。

上映時間は2時間20分。
それでも時間が足りないと思った。
続編が観たくなる、娯楽映画の金字塔。
良かったなぁ!
堪能したし、感動したし、涙も出た。

でも、リドリー・スコットは、結局 『ブレードランナー』 を超える映画を、もう創れないんだな…ということも分かった。
それでもいい。
この路線のリドリー・スコットも支持するし、応援するし、共感する。
ここでメガフォンを採る彼は、もう特異な美意識を持ったアクの強い “芸術家” でもなければ、人間存在を根源から問うような “哲学者” でもない。
代わりに、大衆娯楽としての映画を、極めて洗練されたテクニックで磨き上げた “職人” がそこにいた。
この映画は、黄金期の 「ハリウッド史劇」 に対する彼のオマージュであるかとも思う。
スペクタクルな戦闘シーン、ハッピーな結末を迎える恋愛、庶民を苦しめる国王や悪代官、冷酷非道の裏切り者、主人公を助ける陽気な男たち。
そういったハリウッド史劇の構成要素をふんだんに使って、映画が 「大衆の娯楽」 として君臨していた時代の華やかさを再現して見せたのが、この 『ロビン・フッド』 だ。

だから、安心して観ていられる。
とにかく観客が、監督の意図を図りかねて、戸惑うということがない。
悪いヤツは最初から悪役顔で出てくるし、主人公のことを最初は侮蔑していたヒロインが、やがて愛に目覚めるというベタな心理プロセスを忠実にたどっちゃうし、何から何まで娯楽映画の “お約束ごと” で貫かれた構成なんだけど、それを承知で堂々と押し切ってしまったところに、リドリー・スコットの円熟味を感じる。

もちろん凝り性のリドリー・スコットだけあって、ディテールの作り込みはハンパじゃない。
城攻めのシーンに使われる古風な城も、ケルト的なデザインを盛り込んだ北イングランドの村も、すべて丹念に仕上げられたセット。
彼の歴史劇では、そのようなセットを組んだとき、どこか “アート” を意識したエキゾチックな映像美が追求されるのだけれど、今回は、驚くほど写実重視。
神経のつかい方が、絵画的表現にこだわるよりも、リアリティの追求に向かった感じだ。
だから、 『ブレードランナー』 の陰鬱な未来都市や 『エイリアン』 のグロテスクな宇宙船、 『ブラックレイン』 のシュールな大阪の街、 『グラディエーター』 の背徳的なコロッセウム、 『キングダム・オブ・ヘブン』 のエキゾチックなエルサレムといった映像美にこだわるデザイン造形は影をひそめる。
代わりに、観客をそのまま中世の時代に誘い入れてしまったような、 “歴史の手触り” が獲得されている。
ロビン・フッドを主人公にした映画は、今までも数多くつくられてきたが、今回の主人公設定は、いわば異色。
映画が終わるまぎわになって、ようやく 「ロビン・フッド」 が誕生する。
つまり、伝説のヒーローは、どういう経緯で生まれてきたかを語る物語で、いわば “ロビン・フッド前史” 。
だから、シャーウッドの森に仲間とともに住み、悪代官と戦う 「義賊」 という昔ながらのイメージを抱いていると裏切られる。
それをもって、 「こういう筋書きなら、別にロビン・フッドを主人公にする必要もないんじゃないの?」 と思う人が出てくるのも予想できる。
でも、私にとっては、きわめてオーソドキシーなロビン・フッド物語に思えた。
どっちみち、伝説上の人物なんだしさ。
ショーン・コネリー主演の 『ロビンとマリアン』 みたいな、よぼよぼジジイのロビン映画だって成り立っているわけだから。
これはこれで、ひとつのロビン像を確立したのではないかしら。

上映時間は2時間20分。
それでも時間が足りないと思った。
続編が観たくなる、娯楽映画の金字塔。
音楽&映画&本 | 投稿者 町田
